特許第6244565号(P6244565)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6244565
(24)【登録日】2017年11月24日
(45)【発行日】2017年12月13日
(54)【発明の名称】マスタスレーブシステム
(51)【国際特許分類】
   B25J 3/00 20060101AFI20171204BHJP
   B25J 19/02 20060101ALI20171204BHJP
   G05D 3/12 20060101ALI20171204BHJP
【FI】
   B25J3/00 A
   B25J19/02
   G05D3/12 N
【請求項の数】4
【全頁数】21
(21)【出願番号】特願2013-169669(P2013-169669)
(22)【出願日】2013年8月19日
(65)【公開番号】特開2015-37824(P2015-37824A)
(43)【公開日】2015年2月26日
【審査請求日】2016年8月2日
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第2項適用 平成25年2月20日「国立大学法人九州大学 伊都キャンパス機械2(312)にて行われた修士論文試問会」にて発表
(73)【特許権者】
【識別番号】515304190
【氏名又は名称】株式会社人機一体
(74)【代理人】
【識別番号】110000475
【氏名又は名称】特許業務法人みのり特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】金岡 克弥
(72)【発明者】
【氏名】菊植 亮
(72)【発明者】
【氏名】公文 知裕
【審査官】 貞光 大樹
(56)【参考文献】
【文献】 特開2011−189445(JP,A)
【文献】 特開平10−249769(JP,A)
【文献】 米国特許出願公開第2010/0332031(US,A1)
【文献】 特開平2−185380(JP,A)
【文献】 特開2008−259607(JP,A)
【文献】 特開平4−146088(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
B25J 1/00 − 21/02
G05D 3/12
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
操作者によって操られるアドミッタンス型の力覚提示装置であるマスタロボットと、前記マスタロボットに少なくとも電気的に接続され、かつ前記マスタロボットから少なくとも体幹以外が機械的に独立して動作するスレーブロボットとからなる、バイラテラル制御されるマスタスレーブシステムであって、
前記マスタロボットを位置制御するマスタ駆動力を発生させる少なくとも一つのマスタアクチュエータと、
前記スレーブロボットを駆動力制御するスレーブ駆動力を発生させる少なくとも一つのスレーブアクチュエータと、
前記マスタロボットにおけるマスタ変位を計測する少なくとも一つのマスタ変位センサと、
前記スレーブロボットにおけるスレーブ変位を計測するエンコーダからなる少なくとも一つのスレーブ変位センサと、
前記操作者が前記マスタロボットに加えるマスタ操作力を計測する少なくとも一つの操作力センサと、
前記マスタ変位の目標値であるマスタ目標変位を演算により求めるマスタ目標変位演算装置と、
前記スレーブ駆動力の目標値であるスレーブ目標駆動力を演算により求めるスレーブ目標駆動力演算装置と、
前記マスタ操作力に高域遮断濾波を施して補償マスタ操作力を生成するマスタ操作力補償器と、
前記スレーブ変位に位相進み補償を施して補償スレーブ変位を生成するスレーブ変位補償器と、
を備え、
前記スレーブ目標駆動力演算装置が前記補償マスタ操作力に基づき前記スレーブ目標駆動力を求め、前記スレーブアクチュエータが該スレーブ目標駆動力に基づき前記スレーブ駆動力を発生させる一方、前記マスタ目標変位演算装置が前記補償スレーブ変位に基づき前記マスタ目標変位を求め、前記マスタアクチュエータが該マスタ目標変位と前記マスタ変位とに基づき前記マスタ駆動力を発生させることで、
(1)前記スレーブロボットが環境に加えるスレーブ作業力を計測する前記バイラテラル制御のための作業力センサを不要とし、(2)前記操作者にマスタダイナミクスを感じさせることなく、スレーブダイナミクスを感じさせるようにし、さらに、(3)前記操作者の感覚特性に適合させつつ前記バイラテラル制御の安定性を向上させたことを特徴とするマスタスレーブシステム。
【請求項2】
前記マスタ操作力補償器が、高域遮断濾波に加えて位相進み補償をも施して補償マスタ操作力を生成することを特徴とする請求項1に記載のマスタスレーブシステム。
【請求項3】
前記スレーブ変位補償器が、位相進み補償に加えて高域遮断濾波をも施して補償スレーブ変位を生成することを特徴とする請求項1または2に記載のマスタスレーブシステム。
【請求項4】
前記スレーブ変位補償器が、位相進み補償に加えて帯域通過濾波をも施して補償スレーブ変位を生成することを特徴とする請求項1または2に記載のマスタスレーブシステム。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、力順送型バイラテラル制御が適用されるマスタスレーブシステムに関する。
【背景技術】
【0002】
いわゆるマスタスレーブシステムは、マスタロボットとスレーブロボットとが機械的に結合し、連動する機械式マスタスレーブシステムが発端となっている。機械式マスタスレーブシステムには、操作者が直接的な操作感を得られるという長所があるが、操作者とマスタロボットおよびスレーブロボットとの幾何学的拘束から機構設計の自由が制限されるとともに、駆動源が人力であることから操作が重くならざるを得ず、また、異常時における安全確保に難があるという短所も存在する。
【0003】
そこで、機械式マスタスレーブシステムの有用性は認めつつも、現在においては、マスタロボットとスレーブロボットとが電気的に相互接続され、かつ機械的には分離されて、両者が独立に動作可能な電気式マスタスレーブシステムが主流となっている。一般的に、電気式とすれば、電気的またはソフトウェア的手段による融通が利き、柔軟に機構を設計することができ、しかも、大出力アクチュエータの作業領域に操作者を入れないような、安全を確保しやすいシステムを構築することが可能となる。
【0004】
このような特徴を持つ電気式マスタスレーブシステムは、遠隔操作(テレオペレーション)を主なアプリケーションとして発展してきたために、これまでは、位置や力の再現性、透明性、または通信時間遅延の改善を主眼として研究がなされてきた。以下、電気式マスタスレーブシステムにおける基本的なバイラテラル制御について俯瞰的に説明する。
【0005】
まず、マスタロボットおよびスレーブロボットの運動方程式(ダイナミクス)を、説明の便宜のため、一例として次のように定める。
【数1】
【数2】
(t)は、時刻tにおいて操作者がマスタロボットに加えるマスタ操作力、f(t)は、同じく時刻tにおいてスレーブロボットが環境(作業対象)に加えるスレーブ作業力である。また、マスタロボットおよびスレーブロボットのそれぞれについて、q(t)、q(t)は関節変位、τ(t)、τ(t)は関節駆動力、M(q)、M(q)は慣性行列、r(q,q)、r(q,q)は慣性以外の効果を集約した剰余項である。J(q)、J(q)は微分運動学を表現するヤコビ行列であり、以下の関係を満たす。
【数3】
【数4】
(t)、x(t)は、それぞれq(t)、q(t)に対応するマスタロボットの操作端およびスレーブロボットの作業端の作業座標系における変位である。なお、本明細書では、時刻tの関数であることを示す“(t)”を省略して表記することがある。
【0006】
[対称型バイラテラル制御]
対称型のバイラテラル制御は、マスタ・スレーブの双方向の変位誤差サーボである。この制御では力センサが不要となるため、比較的安定な系を簡単に構成することができる。作業座標系における比例制御を用いれば、マスタロボットの制御則およびスレーブロボットの制御則は、例えば以下のようになる。
【数5】
【数6】
は位置制御ゲインである。また、Sはマスタロボットからスレーブロボットへの力のスケール比、Sはスレーブロボットからマスタロボットへの変位のスケール比である。
【0007】
マスタダイナミクス(1)、スレーブダイナミクス(2)、マスタ制御則(5)およびスレーブ制御則(6)から、次式が得られる。
【数7】
このように、対称型バイラテラル制御では、マスタ操作力fにマスタダイナミクスの影響が等倍で加わるとともに、スレーブダイナミクスの影響とスレーブ作業力fがS-1倍で加わる。
【0008】
[力逆送型バイラテラル制御]
力逆送型のバイラテラル制御では、スレーブロボットの作業端にスレーブ作業力fを計測する作業力センサを配置し、スレーブ作業力fをマスタの駆動力へ「反射」させる。この場合、マスタ制御則は次式のようになる。なお、スレーブ制御則は対称型バイラテラル制御における式(6)と同じである。
【数8】
【0009】
マスタダイナミクス(1)およびマスタ制御則(8)から、次式が得られる。
【数9】
対称型バイラテラル制御と同様、力逆送型バイラテラル制御では、マスタ操作力fにマスタダイナミクスの影響が等倍で加わるとともに、スレーブ作業力fがS-1倍で加わる。一方、マスタ操作力fは、スレーブダイナミクスの影響を受けない。
【0010】
[力帰還型バイラテラル制御]
力帰還型のバイラテラル制御では、マスタロボットの操作端にマスタ操作力fを計測する操作力センサを配置するとともに、スレーブロボットの作業端にスレーブ作業力fを計測する作業力センサを配置し、マスタ側で力誤差サーボを構成する。この場合、マスタ制御則は次式のようになる。
【数10】
上式は、力逆送型のマスタ制御則(8)に力誤差サーボを追加したものである。なお、Kは力制御ゲインである。また、スレーブ制御則は対称型バイラテラル制御における式(6)と同じである。
【0011】
マスタダイナミクス(1)およびマスタ制御則(10)から、次式が得られる。なお、Iは単位行列である。
【数11】
【0012】
上式において力制御ゲインKを十分に大きくすれば、次式が得られる。
【数12】
このように、力帰還型バイラテラル制御では、力制御ゲインKを十分に大きくすることで、マスタ操作力fへのマスタダイナミクスの影響は無視できる程小さくなり、マスタ操作力fにはスレーブ作業力fのみがS-1倍で加わる。ただし、実装上は力制御ゲインKを大きくするにつれてバイラテラル制御の安定性が損なわれるため、マスタ操作力fへのマスタダイナミクスの影響を完全に消すことは難しく、透明性を完全に実現することはできない。
【0013】
[並列型バイラテラル制御]
宮崎らは、非特許文献1において、これまでのバイラテラル制御の直列的な接続方法を改良した並列型バイラテラル制御を提案した。並列型では、マスタロボットの操作端にマスタ操作力fを計測する操作力センサを配置するとともに、スレーブロボットの作業端にスレーブ作業力f(t)を計測する作業力センサを配置して、マスタ・スレーブで並列に変位誤差サーボを構成する。この場合、制御則は例えば以下のようになる。
【数13】
【数14】
【数15】
なお、x(t)は、時刻tにおけるマスタロボットの操作端およびスレーブロボットの作業端の作業座標系での目標変位である。
【0014】
マスタダイナミクス(1)、スレーブダイナミクス(2)、マスタ制御則(13)、スレーブ制御則(14)および目標変位演算(15)から、次式が得られる。
【数16】
そして、上式において力制御ゲインKを十分に大きくすれば、次式が得られる。
【数17】
マスタ制御則とスレーブ制御則とを並列に構成することで位相遅れが減少し、バイラテラル制御の安定性が向上することが並列型バイラテラル制御の利点である。しかしながら、式(16)右辺第1項、第2項のように、並列型バイラテラル制御では、マスタ操作力fがマスタダイナミクスおよびスレーブダイナミクスの両方の影響を受ける。さらに、式(16)右辺第3項のように、並列型バイラテラル制御では、マスタ操作力fに元々のダイナミクスには存在しないバネ項まで付加される。力制御ゲインKを大きくすればこれらの影響は無視できるほど小さくなるが、安定性が向上しているとはいえ、実装上は力制御ゲインKを大きくするにつれてバイラテラル制御の安定性が損なわれるため、結局、並列型バイラテラル制御でも透明性は完全には実現できていない。
【0015】
[力順送型バイラテラル制御]
ここまで、対称型、力逆送型、力帰還型および並列型を含む、基本的なバイラテラル制御について述べたが、これらをはじめとする従来のバイラテラル制御は、以下の問題1〜6を有していた。
[問題1]・・・力逆送型、力帰還型および並列型に共通する問題
制御にスレーブ作業力fの情報を必要とするため、スレーブロボットに作業力センサを実装できないシステムには適用できない。
[問題2]・・・対称型および力逆送型に共通する問題
マスタロボットの変位誤差によってシステムが駆動される制御であるため、人力で簡単にマスタロボットの変位誤差を発生することができるように、すわなち、高いバックドライバビリティが保たれるようにマスタロボットの慣性および摩擦を極力小さくしておかなければならず、高精度な機構とすることが難しい。
[問題3]・・・力帰還型および並列型に共通する問題
透明性を目指す制御であるため、操作者が主に環境(作業対象)のダイナミクスを感じることになる。
[問題4]・・・対称型、力逆送型、力帰還型および並列型に共通する問題
スレーブロボットが常にマスタロボットに接続されているため、操作者がマスタロボットに対して何もしなくてもスレーブロボットに加えられる外力のみによってシステムが不安定化される危険がある。
[問題5]・・・対称型、力逆送型、力帰還型および並列型に共通する問題
スレーブロボットへの指令値が位置であり、位置制御によってスレーブダイナミクスをキャンセルしなければならないため、制御系への負荷が大きい。さらに、位置制御ベースの制御則では、必ずしも他の制御則を重畳することができるとは限らない。
[問題6]・・・対称型、力逆送型、力帰還型および並列型に共通する問題
スレーブロボットに作業座標系での位置制御を適用すると特異点問題が生じ、スレーブロボットの姿勢が特異点近傍となったときに制御が破綻する可能性がある。
【0016】
これらの問題をエレガントに解決し得る新たなバイラテラル制御として、本発明者は、特許文献1において「力順送型バイラテラル制御」の基本構成を提案した。力順送型では、マスタロボットの操作端にマスタ操作力fを計測する操作力センサを配置し、計測したマスタ操作力fをスレーブロボットの駆動力へ「投射」する。力順送型バイラテラル制御におけるマスタ制御則およびスレーブ制御則は、例えば以下のようになる。
【数18】
【数19】
【0017】
スレーブダイナミクス(2)およびスレーブ制御則(19)から、次式が得られる。
【数20】
このように、力順送型バイラテラル制御では、マスタ操作力fにスレーブダイナミクスの影響とスレーブ作業力fがS-1倍で加わる。すなわち、力順送型バイラテラル制御とは、スレーブロボットが環境(作業対象)に加えるスレーブ作業力fを計測するのではなく、操作者がマスタロボットに加えるマスタ操作力fを計測することで、マスタからスレーブへは力情報を順送し、スレーブからマスタへは変位情報を逆送する手法である。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0018】
【特許文献1】特許第5105450号公報
【特許文献2】国際公開第2005/109139号
【特許文献3】特願2013−28989号
【非特許文献】
【0019】
【非特許文献1】宮崎,萩原,“バイラテラル・マスタ・スレーブ・マニピュレータの並列型制御方式”,日本ロボット学会誌,vol.7,no.5,pp.446−452,1989.
【非特許文献2】Thurston L. Brooks, "Telerobotic Response Requirements," Proceedings of the IEEE International Conference on Systems, Man and Cybernetics, pp. 113-120, 1990.
【非特許文献3】昆陽,音川,前野,“超音波振動の振幅変調を用いた複合触覚提示法”,日本機械学会ロボティクス・メカトロニクス講演会2005 講演論文集,1P1−N−101,2005.
【非特許文献4】加藤,広瀬,“形状帰還型マスタ・スレーブアームの提案と基礎実験(人道的地雷撤去ロボットへの適用可能性の検討)”,日本ロボット学会誌,vol.18,no.5,pp.752−757,2000.
【非特許文献5】Neal A. Tanner and Gunter Niemeyer, "Improving Perception in Time-delayed Telerobotics," The International Journal of Robotics Research, vol. 24, no. 8, pp. 631-644, 2005.
【非特許文献6】Shanhai Jin, Ryo Kikuuwe, and Motoji Yamamoto, "Parameter Selection Guidelines for a Parabolic Sliding Mode Filter Based on Frequency and Time Domain Characteristics," Journal of Control Science and Engineering, vol. 2012, Article 923679, 2012.
【非特許文献7】Ryo Kikuuwe, Satoshi Yasukouchi, Hideo Fujimoto, and Motoji Yamamoto, "Proxy-Based Sliding Mode Control: A Safer Extension of PID Position Control," IEEE Transactions on Robotics, Vol.26, No.4, pp.670-683, 2010.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0020】
従来のバイラテラル制御手法に比べ利点の多い力順送型バイラテラル制御であるが、未だ解決を要する問題も残されている。
[問題1]
スレーブロボットが硬い環境へ接触したり、スレーブロボットに何らかの衝撃が加わったりしても悪影響はないが、マスタロボットにイレギュラーな衝撃が加わると、操作力センサからの衝撃入力をきっかけとしてマスタスレーブシステムに不安定な挙動が励起される危険がある。
[問題2]
バイラテラル制御の安定性については特に考慮されていないため、安定性を確保するために、スレーブロボットからマスタロボットへの変位のスケール比Sおよびマスタロボットからスレーブロボットへの力のスケール比Sを十分に大きくすることができない可能性がある。
[問題3]
操作者たる人間の感覚特性については特に考慮されておらず、必ずしも人間の感覚特性に適合した制御設計になっていない。
【0021】
以下、上記[問題1]〜[問題3]について、さらに詳しく説明していく。
【0022】
まず、[問題1]について説明する。
スレーブロボットに作業力センサを実装する従来のバイラテラル制御においては、スレーブロボットが硬い環境へ接触したり、スレーブロボットに衝撃が加わったりすると、マスタスレーブシステムに不安定な挙動が励起される危険があった。この問題は、i)力センサは原理的に、その固有周波数を超える周波数帯域での計測はできないこと、および、ii)マスタスレーブシステムの信号伝送路の位相遅れにより、高周波帯域での安定性を確保することが難しいこと、に起因している。
【0023】
この問題に対して大西らは、位相遅れが少ない並列型バイラテラル制御をさらに改良し、反力オブザーバを用いて目標駆動力と変位センサとからマスタ操作力fおよびスレーブ作業力fを推定する手法を提案した(特許文献2参照)。この手法では、力センサを使わずに、固有周波数の影響を受けない変位センサ(エンコーダ)を使うことで、問題を解決している。しかしながら、この手法は反力オブザーバを用いることから、i)マスタロボットおよびスレーブロボットの両方に高度なバックドライバビリティが必要となる、ii)マスタロボットおよびスレーブロボットの両方のダイナミクスを事前に同定しておかなければならないため、煩雑であり、かつ多自由度を有する複雑なロボットへの適用が困難である、といった別の問題点を抱えている。
【0024】
力順送型バイラテラル制御においては、そもそもスレーブロボットに作業力センサを実装しないので、スレーブロボットにこの問題は存在しない。一方、マスタロボットにはマスタ操作力fを計測するための操作力センサが実装されている。通常、マスタロボットには、人体より硬い物体には接触しないこと、および人力以上の衝撃が入力されることはないことが期待できるため、スレーブロボットに作業力センサを実装する場合に比べ、対応すべき衝撃を小さく設定することができ、有利である。また、力順送型バイラテラル制御では、過負荷に耐えうるストッパ機構を持つ力センサでマスタ操作力fを計測することで、衝撃時の破損に対応することもできる。
【0025】
しかしながら、操作者の安全を確保するためには、たとえマスタロボットに想定していたよりも大きな衝撃が加わった場合であってもマスタスレーブシステムの安定な挙動が維持されるようにしておくことが好ましく、衝撃が小さいことに期待して対応すべき衝撃を小さく設定するだけでは、操作者の安全が十分に確保されているとは言えなかった。
【0026】
次に、[問題2]について説明する。
力を操作量あるいは制御量とする制御系設計理論は、ロボット制御工学においては古典的であり、数々の有用でエレガントな手法が提案され、蓄積されている。しかしこれらの手法は、ハードウェアの不完全性(機械系の弾性、粘性、摩擦、ガタ、電気系の遅延時間、雑音など)に敏感であり、実装上、様々な問題が発生する。
【0027】
操作力センサを利用し、スレーブロボットが駆動力制御される力順送型バイラテラル制御もこのカテゴリに含まれており、上記のような実装上の問題を有している。特にバイラテラル制御においては、遅延時間、雑音および弾性を不可避に持つ閉ループ制御の安定性を如何に確保するかが重要な問題である。この問題は、本発明者が特許文献1で提案した力順送型バイラテラル制御においても解決されておらず、これまでは、ハードウェアの不完全性をできるだけ減らした上で、安定性が確保されるまでスケール比SおよびSを小さくするといった対症療法的な手法により解決が図られているに過ぎなかった。
【0028】
次に、[問題3]について説明する。
操作者たる人間を、いわゆるhuman-in-the-loopの要素として見たとき、その入出力特性は非対称であると言われている。非特許文献2において、Brooksは、「人間からの出力(操作)帯域は高々10Hzもあれば十分であるが、人間への入力(知覚)帯域は320Hzでも必ずしも十分ではない。このため、マスタロボットからスレーブロボットへの信号には5〜10Hzの低周波帯域が適切であり、スレーブロボットからマスタロボットへの信号には20〜320Hzの高周波帯域が適切である」と指摘している。また、昆陽らは、人間の三つの触覚受容器の振動検出閾値の周波数特性(非特許文献3のFig.1参照)を示しているが、これによれば、少なくともこの三つの触覚受容器に対しては、直流から1kHz程度の高周波までが提示できれば十分であることが分かる。
【0029】
しかしながら、力順送型を含むこれまでの一般的なバイラテラル制御では、入出力の周波数帯域は対称であり、上記人間の入出力特性に適合していなかった。
【0030】
この問題に対して加藤らは、低ゲインのバイラテラル制御に、高ゲインのスレーブからマスタへのユニラテラル制御を重畳する手法を提案した(非特許文献4参照)。この手法は、形状帰還、すなわち変位情報の逆送を行う点において力順送型バイラテラル制御と類似している。しかしながら、この手法では、形状帰還を行うユニラテラル制御の関節を、バイラテラル制御の関節とは別に設ける必要があり、汎用性に欠ける。
【0031】
これと同様の考えの下、Tannerらは、低周波帯域をカバーするバイラテラル制御に、高周波帯域をカバーするスレーブからマスタへのユニラテラル制御を重畳する手法を提案した(非特許文献5参照)。この手法によれば、確かに人間の入出力特性に適合する制御設計を実現することができる。しかしながら、この手法には、スレーブロボットからマスタロボットへのユニラテラル制御において、計測原理上、高周波雑音を不可避的に多く含んだ力センサ信号の高周波帯域を利用しなければならないという困難さがある。
【0032】
このように、人間への入力(知覚)帯域として十分と思われる直流から1kHz程度の高周波までの信号の内、特に数百Hz以上の高周波帯域の信号を、力センサ信号の高周波雑音から分離することは困難であり、人間の感覚特性に適合したマスタスレーブシステムは未だ実現できていない。
【0033】
本発明はこのような事情に鑑みてなされたものであり、その課題とするところは、上記題を同時に解決し得るマスタスレーブシステムを提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0034】
上記課題を解決するために、本発明に係るマスタスレーブシステムは、操作者によって操られるアドミッタンス型の力覚提示装置であるマスタロボットと、マスタロボットに少なくとも電気的に接続され、かつマスタロボットから少なくとも体幹以外が機械的に独立して動作するスレーブロボットとからなる、バイラテラル制御されるマスタスレーブシステムであって、マスタロボットを位置制御するマスタ駆動力を発生させる少なくとも一つのマスタアクチュエータと、スレーブロボットを駆動力制御するスレーブ駆動力を発生させる少なくとも一つのスレーブアクチュエータと、マスタロボットにおけるマスタ変位を計測する少なくとも一つのマスタ変位センサと、スレーブロボットにおけるスレーブ変位を計測するエンコーダからなる少なくとも一つのスレーブ変位センサと、操作者がマスタロボットに加えるマスタ操作力を計測する少なくとも一つの操作力センサと、マスタ変位の目標値であるマスタ目標変位を演算により求めるマスタ目標変位演算装置と、スレーブ駆動力の目標値であるスレーブ目標駆動力を演算により求めるスレーブ目標駆動力演算装置と、マスタ操作力に高域遮断濾波を施して補償マスタ操作力を生成するマスタ操作力補償器と、スレーブ変位に位相進み補償を施して補償スレーブ変位を生成するスレーブ変位補償器と、を備え、スレーブ目標駆動力演算装置が補償マスタ操作力に基づきスレーブ目標駆動力を求め、スレーブアクチュエータが該スレーブ目標駆動力に基づきスレーブ駆動力を発生させる一方、マスタ目標変位演算装置が補償スレーブ変位に基づきマスタ目標変位を求め、マスタアクチュエータが該マスタ目標変位とマスタ変位とに基づきマスタ駆動力を発生させることで、(1)スレーブロボットが環境に加えるスレーブ作業力を計測するバイラテラル制御のための作業力センサを不要とし、(2)操作者にマスタダイナミクスを感じさせることなく、スレーブダイナミクスを感じさせるようにし、さらに、(3)操作者の感覚特性に適合させつつバイラテラル制御の安定性を向上させたことを特徴とする。
【0035】
記マスタスレーブシステムは、マスタ操作力補償器が、高域遮断濾波に加えて位相進み補償をも施して補償マスタ操作力を生成してもよい。
【0036】
記マスタスレーブシステムは、スレーブ変位補償器が、位相進み補償に加えて高域遮断濾波をも施して補償スレーブ変位を生成してもよい。
【0037】
また、上記マスタスレーブシステムは、スレーブ変位補償器が、位相進み補償に加えて帯域通過濾波をも施して補償スレーブ変位を生成してもよい。
【発明の効果】
【0043】
本発明によれば、上記[問題2]と[問題3]とを同時に解決し得るマスタスレーブシステムを提供することができる
【図面の簡単な説明】
【0044】
図1】実施例1に係る力順送型マスタスレーブシステムの概略図である。
図2】実施例1に係る力順送型マスタスレーブシステムの制御ブロック図である。
図3】比較例1に係る力逆送型マスタスレーブシステムの制御ブロック図である。
図4】比較例2に係る力逆送型マスタスレーブシステムの制御ブロック図である。
図5】実施例1の変形例に係る力順送型マスタスレーブシステムの制御ブロック図である。
図6】実施例2に係る力順送型マスタスレーブシステムの概略図である。
図7】実施例2に係る力順送型マスタスレーブシステムの制御ブロック図である。
図8】比較例3に係る力逆送型マスタスレーブシステムの制御ブロック図である。
図9】比較例4に係る力逆送型マスタスレーブシステムの制御ブロック図である。
図10】実施例2の変形例1に係る力順送型マスタスレーブシステムの制御ブロック図である。
図11】実施例2の変形例2に係る力順送型マスタスレーブシステムの制御ブロック図である。
図12】実施例2の変形例3に係る力順送型マスタスレーブシステムの制御ブロック図である。
図13】従来の力順送型マスタスレーブシステムの概略図である。
図14】従来の力順送型マスタスレーブシステムの制御ブロック図である。
【発明を実施するための形態】
【0045】
以下、比較例について言及しつつ、本発明の実施例および変形例について説明する。
【0046】
[実施例1]
図1に示す本発明の実施例1に係る力順送型マスタスレーブシステム(正確には、力順送型バイラテラル制御が適用されるマスタスレーブシステム)1Aは、図13に示す従来の力順送型マスタスレーブシステム10にマスタ操作力補償器5を追加したものである。そこで、念のために、図13を参照しながら、従来の力順送型マスタスレーブシステム10の構成についておさらいしておく。
【0047】
従来の力順送型マスタスレーブシステム10は、体幹Bの異なる位置に設けられるとともに、以下の要領で互いに電気的に接続されたマスタアームMを含むマスタロボットとスレーブアームSを含むスレーブロボットとからなる。この力順送型マスタスレーブシステム10において、マスタアームMは、操作者Uによって操られるアドミッタンス型の力覚提示装置である。
【0048】
マスタアームMとスレーブアームSは、それぞれ、一端側に操作端となるグリップGと作業端dを有するとともに、他端側が体幹Bの異なる位置に備えられている。また、マスタアームMとスレーブアームSは、それぞれ、2本のリンクを有するとともに、グリップGまたは作業端dに接続される一端、体幹Bに接続される他端、およびリンク同士の接続部分に各1つの関節を有している。
【0049】
これらの関節には、マスタ変位センサPm1〜3およびスレーブ変位センサPs1〜3、マスタアクチュエータAm1〜3およびスレーブアクチュエータAs1〜3が備えられている。また、グリップGには、操作力センサFが備えられている。さらに、図13に示すように、この力順送型マスタスレーブシステム10には、位置制御系PC、マスタ目標変位演算装置3、駆動力制御系FCおよびスレーブ目標駆動力演算装置4が備えられている。
【0050】
なお、本明細書では、マスタアームM、マスタ変位センサPm1〜3、マスタアクチュエータAm1〜3、操作力センサF(グリップG)、および位置制御系PCがマスタロボットに含まれ、スレーブアームS、スレーブ変位センサPs1〜3、スレーブアクチュエータAs1〜3、および駆動力制御系FCがスレーブロボットに含まれるものとする。
【0051】
操作力センサFはマスタアームMに設けられ、操作者Uからのマスタ操作力fを計測する。マスタ変位センサPm1〜3はマスタアームMの各関節に設けられ、マスタ変位qおよびxを計測する。また、スレーブ変位センサPs1〜3はスレーブアームSの各関節に設けられ、スレーブ変位qおよびxを計測する。
【0052】
マスタ目標変位演算装置3は、計測されたスレーブ変位qおよびxに基づきマスタ変位qおよびxの目標値であるマスタ目標変位を演算により求める。また、スレーブ目標駆動力演算装置4は、計測されたマスタ操作力fに基づき後述するスレーブ駆動力τの目標値であるスレーブ目標駆動力を演算により求める。
【0053】
スレーブアクチュエータPs1〜3は、スレーブアームSの各関節に設けられ、スレーブ目標駆動力に基づきスレーブ駆動力制御系FCを通じてスレーブ駆動力τを発生させ、これによりスレーブアームSが駆動力制御される。一方、マスタアクチュエータAm1〜3は、マスタアームMの各関節に設けられ、マスタ変位qおよびxとマスタ目標変位とに基づきマスタ駆動力τを発生させ、これによりマスタアームMが位置制御される。より詳しくは、マスタアクチュエータAm1〜3は、マスタ変位センサPm1〜3からの信号とマスタ目標変位演算装置3からの信号との偏差が0になるように位置制御系PCを通じてマスタ駆動力τを発生させる。
【0054】
このように、力順送型マスタスレーブシステム10では、スレーブ駆動力τを発生させるスレーブアクチュエータAs1〜3によってスレーブアームSが駆動力制御される一方、マスタ駆動力τを発生させるマスタアクチュエータAm1〜3によってマスタアームMが位置制御される。
【0055】
図14は、この構成を制御ブロック図で表現したものである。図14のマスタロボットには、マスタアームM、マスタ変位センサPm1〜3、マスタアクチュエータAm1〜3、操作力センサF(グリップG)、および位置制御系PCが含まれる。また、スレーブロボットには、スレーブアームS、スレーブ変位センサPs1〜3、スレーブアクチュエータAs1〜3、および駆動力制御系FCが含まれる。
【0056】
次に、本発明の実施例1に係る力順送型マスタスレーブシステム1Aについて説明する。前述の通り、本実施例に係る力順送型マスタスレーブシステム1Aは、従来の力順送型マスタスレーブシステム10にマスタ操作力補償器5を追加したものである。図1および図2に示すように、マスタ操作力補償器5は、操作力センサFとスレーブ目標駆動力演算装置4との間に備えられている。
【0057】
マスタ操作力補償器5は、操作力センサFが計測したマスタ操作力fに対して高域遮断濾波(ローパスフィルタ)を施し、マスタ操作力fに含まれる高周波信号を除去する。そして、スレーブ目標駆動力演算装置4は、この高周波信号が除去されたマスタ操作力fに基づきスレーブ目標駆動力を求める。以後、本明細書では、高周波信号が除去されたマスタ操作力fを、除去される前のものと区別して補償マスタ操作力f’と呼ぶこととする。
【0058】
本実施例では、マスタ操作力補償器5として、遮断周波数が20Hz以下に設定された高域遮断濾波器を用いて超低周波帯域の信号のみを通過させる。一般に、雑音除去のためだけであれば、このような超低周波数に遮断周波数を設定することは信号(マスタ操作力f)の周波数帯域を狭めることになるので、常識的には忌避される。しかしながら、本実施例では、高域遮断濾波が施されるのは人間からの出力(操作)信号であるという特殊性がある。[問題3]で述べたように、人間の出力(操作)帯域は高々10Hz程度であり、マージンを考慮しても20Hz以下の周波数帯域のみに有効な信号が含まれており、それ以上の帯域の信号はすべて雑音として遮断することが、人間の感覚特性に適合した制御設計のために有効である。
【0059】
したがって、マスタ操作力補償器5を操作力センサFとスレーブ目標駆動力演算装置4の間に配置し、さらにその遮断周波数を20Hz以下の超低周波数に設定することによって、人間の感覚特性に適合させつつ上記[問題1]を解決することができる。換言すると、実施例1に係る力順送型マスタスレーブシステム1Aによれば、操作者への操作結果の提示の質を下げることなく、衝撃入力による影響を効果的に除去することができる。
【0060】
なお、高域遮断濾波は信号の位相を遅らせ、バイラテラル制御を不安定にする可能性がある。このため、マスタ操作力補償器5は、できるだけ位相遅れが少ない高域遮断濾波器であることが好ましい。そこで、高域遮断濾波器として、一般的な線形ノイズフィルタではなく位相遅れの少ない非線形ノイズフィルタを用いることも可能である。
【0061】
この非線形ノイズフィルタとしては、例えば、非特許文献6に開示されている放物線型スライディングモードフィルタを用いることができる。このフィルタは、スライディングモードを用いて出力信号(補償マスタ操作力f’)の二階微分値の大きさをあらかじめ設定された大きさ以下に制限しつつ、入力信号(マスタ操作力f)の低周波成分に追従するような出力信号を生成するものである。
【0062】
あるいは、高域遮断濾波器として、出力信号の一階微分値の大きさをあらかじめ設定された大きさ以下に制限しつつ、入力信号の低周波成分に追従するような出力信号を生成する非線形ノイズフィルタを用いることも可能である。
【0063】
このような位相遅れの少ない非線形ノイズフィルタを用いることによって、バイラテラル制御の不安定化を抑えることができる。
【0064】
もちろん、機構の高精度化、制御の高速化、ゲイン調整等によって制御の安定性を確保することができる場合には、放物線型スライディングモードフィルタのような高度な高域遮断濾波器ではなく、単純な一次遅れフィルタ等からなる高域遮断濾波器を、遮断周波数を20Hz以下の超低周波数に設定して用いることができる。
【0065】
次に、実施例1に対する比較例(比較例1)として、力逆送型マスタスレーブシステム(正確には、力逆送型バイラテラル制御が適用されるマスタスレーブシステム)におけるマスタ変位信号に高域遮断濾波を施す場合について考える。この場合の制御ブロック図を図3に示す。
【0066】
スレーブ作業力fを計測する作業力センサはアナログセンサであり、計測原理上、衝撃入力のような高周波帯域における信頼性は低い。このため、本比較例に係る力逆送型マスタスレーブシステム1Bでは、信頼性の低い作業力センサによって計測された衝撃入力がスレーブロボット側からマスタロボット側に素通りしてしまうおそれがある。
【0067】
続いて、実施例1に対する別の比較例(比較例2)として、力逆送型マスタスレーブシステムにおけるスレーブ作業力信号に高域遮断濾波を施す場合について考える。この場合の制御ブロック図を図4に示す。
【0068】
本比較例に係る力逆送型マスタスレーブシステム1Cによれば、信頼性の低い高周波帯域の衝撃入力を効果的に遮断することができる。しかしながら、環境からの反力信号であるスレーブ作業力信号に高域遮断濾波を施すと、特許文献2の段落[0005]で指摘されているように、操作者に提示される反力信号の周波数帯域が狭められ、操作者への操作結果提示の質が下がるという別の問題が生じる。
【0069】
このように、力逆送型マスタスレーブシステムにおいては、高域遮断濾波器をどこに配置しても、操作者への操作結果提示の質を下げることなく[問題1]を解決することはできない。このため、力逆送型マスタスレーブシステムにおいて[問題1]を解決する場合は、高域遮断濾波に頼らず、機構に柔軟性を持たせて衝撃を緩和するか、または、特許文献2に開示されているような別の手法を適用するのが当業者の技術常識である。
【0070】
[実施例1の変形例]
続いて、実施例1の変形例に係る力順送型マスタスレーブシステム1Dについて説明する。図5に示すように、変形例に係るマスタスレーブシステム1Dは、マスタ操作力補償器5の構成が実施例1に係る力順送型マスタスレーブシステム1Aと異なっているが、その他の構成はマスタスレーブシステム1Aと共通している。
【0071】
図5は、変形例に係るマスタスレーブシステム1Dの制御ブロック図である。本変形例では、マスタ操作力補償器5がマスタ操作力fに位相進み補償および高域遮断濾波を施すことにより、補償マスタ操作力f’が生成される。本変形例に係るマスタスレーブシステム1Dによれば、マスタ操作力fに高域遮断濾波を施す前、またはその後、またはその前後両方に、位相進み補償をさらに施すことで、高域遮断濾波や通信路、あるいはマスタロボット・スレーブロボットの機構弾性などに由来する信号の位相遅れを補償し、バイラテラル制御の不安定化を抑えることができる。
【0072】
[実施例2]
実施例1に係る力順送型マスタスレーブシステム1Aにおいて、放物線型スライディングモードフィルタのような位相遅れの少ない高域遮断濾波器を用いても、依然として、ハードウェアの不完全性(機械系の弾性、粘性、摩擦、ガタ、電気系の無駄時間、雑音など)によりバイラテラル制御の安定性が損なわれる場合がある。
【0073】
バイラテラル制御の不安定化を抑えるためには、センサ信号の微分値を用いて位相を進めること(位相進み補償)が制御理論上は有効であるが、この手法を用いると、該センサ信号の(特に高周波帯域の)雑音を増幅することになる。そして、この雑音を除去するためにはセンサ信号に高域遮断濾波を施すことが多いが、高域遮断濾波を不用意に施すと、必要な情報まで遮断してしまう可能性がある。
【0074】
そこで、実施例2に係る力順送型マスタスレーブシステム2Aでは、図6図7)示すように、図13図14)に示す従来の力順送型マスタスレーブシステム10に高域遮断濾波器からなるマスタ操作力補償器5と位相進み補償器からなるスレーブ変位補償器6とを追加し、マスタ操作力補償器5によって補償された後のマスタ操作力f(補償マスタ操作力f’)、およびスレーブ変位補償器6によって補償された後のスレーブ変位qおよびx(補償スレーブ変位q’およびx’)に基づきスレーブ目標駆動力およびマスタ目標変位をそれぞれ求めるようにした。その他の点においては、実施例1に係る力順送型マスタスレーブシステム1Aと構成が共通しているので、説明を省略する。
【0075】
本実施例に係る力順送型マスタスレーブシステム2Aでは、マスタ操作力fに高域遮断濾波を施すので、信号雑音比の高い低周波帯域において効果的に雑音から必要な信号を分離することができる。また、スレーブ変位qおよびxを計測するスレーブ変位センサPs1〜3はデジタルセンサなので(ただし、エンコーダを使用した場合)、計測原理上、スレーブ変位qおよびxの信号にアナログ雑音は重畳しない。量子化雑音は重畳するが、これについては、オーバーサンプリング等の既知の技術を適用することにより低減可能である。したがって、本実施例に係る力順送型マスタスレーブシステム2Aによれば、位相進み補償によりバイラテラル制御を安定化することができる。
【0076】
また、本実施例に係る力順送型マスタスレーブシステム2Aでは、人間からの出力(操作)信号に対して高周波帯域を低減する処理がなされ、人間への入力(知覚)信号に対して高周波帯域を強調する処理がなされるので、人間の感覚特性に適合したマスタスレーブシステムを実現することができる。
【0077】
つまり、実施例2に係る力順送型マスタスレーブシステム2Aによれば、上記[問題2]と[問題3]とを同時に解決することができる。
【0078】
次に、実施例2に対する比較例(比較例3)として、力逆送型マスタスレーブシステムに高域遮断濾波および位相進み補償を適用した場合について考える。この場合の制御ブロック図を図8に示す。
【0079】
スレーブ作業力fを計測する作業力センサはアナログセンサであり、計測原理上、スレーブ作業力fの信号にはアナログ雑音が重畳する。また、このアナログ雑音の帯域は人間が知覚する数百Hzまでの信号帯域と重なることが多いため、必要な信号とアナログ雑音を分離することは困難である。本比較例に係る力逆送型マスタスレーブシステム2Bでは、アナログ雑音が重畳したスレーブ作業力fに対して位相進み補償を行うので、重畳したアナログ雑音の高周波帯域が強調され、操作者に提示する操作結果の質が低下してしまう。
【0080】
続いて、実施例2に対する別の比較例(比較例4)として、力逆送型マスタスレーブシステムに高域遮断濾波および位相進み補償を適用した場合について考える。この場合の制御ブロック図を図9に示す。
【0081】
比較例3に係る力逆送型マスタスレーブシステム2Bとは異なり、本比較例に係る力逆送型マスタスレーブシステム2Cでは、マスタ変位センサPm1〜3(デジタルセンサ)で計測したマスタ変位qおよびxに位相進み補償を施すので、高周波帯域のアナログ雑音を強調することなく、位相進み補償によりバイラテラル制御を安定化することができる。しかしながら、力逆送型マスタスレーブシステム2Bは、人間からの出力(操作)信号に対して高周波帯域を強調する処理がなされ、人間への入力(知覚)信号に対して高周波帯域を低減する処理がなされるので、人間の感覚特性に適合したマスタスレーブシステムとは言えない。
【0082】
[実施例2の変形例]
続いて、実施例2の変形例に係る力順送型マスタスレーブシステム2D〜2Fについて説明する。図10図12に示すように、変形例に係るマスタスレーブシステム2D〜2Fは、マスタ操作力補償器5またはスレーブ変位補償器6の構成が実施例2に係る力順送型マスタスレーブシステム2Aと異なっているが、その他の構成はマスタスレーブシステム2Aと共通している。
【0083】
図10は、変形例1に係るマスタスレーブシステム2Dの制御ブロック図である。本変形例では、マスタ操作力補償器5がマスタ操作力fに高域遮断濾波および位相進み補償を施すことにより、補償マスタ操作力f’が生成される。本変形例に係るマスタスレーブシステム2Dによれば、高域遮断濾波を施したマスタ操作力fに、位相進み補償をさらに施すことで、バイラテラル制御をより一層安定化することができる。
【0084】
図11は、変形例2に係るマスタスレーブシステム2Eの制御ブロック図である。本変形例では、スレーブ変位補償器6がスレーブ変位qおよびxに位相進み補償および高域遮断濾波を施すことにより、補償スレーブ変位q’およびx’が生成される。本変形例に係るマスタスレーブシステム2Eによれば、位相進み補償を施したスレーブ変位qおよびxに、人間の入力(知覚)帯域よりもさらに高い帯域の雑音を遮断する高域遮断濾波をさらに施すことで、操作者への操作結果の提示の質をより一層向上させることができる。
【0085】
図12は、変形例3に係るマスタスレーブシステム2Fの制御ブロック図である。本変形例では、スレーブ変位補償器6がスレーブ変位qおよびxに位相進み補償および帯域通過濾波(バンドパスフィルタリング)を施すことにより、補償スレーブ変位q’およびx’が生成される。本変形例に係るマスタスレーブシステム2Fによれば、位相進み補償を施したスレーブ変位qおよびxに、人間の入力(知覚)帯域よりもさらに高い帯域の雑音を遮断する高域遮断濾波を施すとともに、人間の知覚が鈍感となる直流付近の帯域の信号を遮断する低域遮断濾波をも施すことで、操作者への操作結果の提示の質を向上させつつ、操作結果を提示するための信号の直流付近の帯域を他の目的に使用することができるようになる。本変形例は、例えばマスタロボットの操作端のニュートラル位置を、常にマスタロボットの操作領域の中心付近に維持するような用途において有効である。
【0086】
[注意事項]
本明細書では、便宜上、マスタロボット、スレーブロボットという表現を使用したが、必ずしも本発明はいわゆるロボットらしいロボットへの適用のみに限られない。マスタスレーブシステムおよびバイラテラル制御には広範な応用が期待されており、あらゆる電気式マスタスレーブシステムに本発明は適用することができる。例えばX−by−Wireシステム(バイワイヤシステム)と呼ばれるものは、全て電気式マスタスレーブシステムである。したがって、マスタスレーブロボットシステムのみならず、自動車、航空機、船舶、その他あらゆる操縦型機械のX−by−Wireシステムにおいてバイラテラル制御を使用する場合に、本発明をそのまま適用することができる。
【0087】
本明細書中の「変位」および「位置」は一般化変位を意味し、並進・回転の位置姿勢を含むものとする。同じく「力」は一般化力を意味し、並進力・回転力(トルク)を含むものとする。
【0088】
各バイラテラル制御における具体的な制御則は説明のための簡単な例であり、制御目的を変えなければ、より高度な制御則を用いることができる。例えば、位置制御則としては比例制御が用いられているが、もちろんPID制御や、PID制御を拡張したProxy-based Sliding Mode制御(非特許文献7参照)、あるいは、それをさらに拡張した特許文献3記載のような高度な制御則を用いることもできる。
【0089】
操作力センサはハードウェアとしての力センサでなくてもよく、電磁アクチュエータの電流や油空圧アクチュエータの圧力から操作力を推定する手段や、変位センサの信号等からオブザーバ等によって操作力を推定する手段であってもよい。
【0090】
力順送型バイラテラル制御では、操作結果が変位情報によって提示されるため、直流を下限、数百Hzから1kHz程度を上限とする広い周波数帯域を使って操作結果の提示がなされる。この操作結果の提示は、必ずしも一種類のアクチュエータで行う必要はなく、例えば、提示できる周波数帯域の異なる複数のアクチュエータで分担して提示してもよい。複数のアクチュエータの組み合わせとしては、例えば、大モータと小モータの組み合わせ(いわゆるマクロ・マイクロシステム)や、あるいは低周波帯域を担うモータと高周波帯域を担う振動子またはスピーカまたはボイスコイルモータ等の組み合わせが考えられる。
【0091】
本明細書中の高域遮断濾波とは、高周波帯域の雑音・振動成分を除去したり信号の急峻な時間変化を平滑化したりする信号処理全般を意味する。例えば、ラプラス変換領域での伝達関数で表現できる線形のローパスフィルタでもよいし、また、各種の移動平均フィルタなどでもよい。さらには、信号源の動特性モデルや確率論的モデルを考慮したカルマンフィルタや各種非線形フィルタ・非線形オブザーバでもよい。また、非特許文献6に開示されているようなスライディングモードを用いた非線形フィルタでもよい。あるいは、信号の高次の微分値の大きさを制限する効果を持つようなフィルタでもよい。
【0092】
本明細書中の位相進み補償とは、信号の、ある周波数帯域の位相を進める手段一般を意味する。例えば、いわゆる低域遮断濾波器(ハイパスフィルタ)や、入力信号の微分量に比例する信号を入力信号に加算して出力する信号処理手段も、位相進み補償に含まれる。
【符号の説明】
【0093】
1A マスタスレーブシステム(実施例1)
1D マスタスレーブシステム(実施例1の変形例)
2A マスタスレーブシステム(実施例2)
2D〜2F マスタスレーブシステム(実施例2の変形例)
3 マスタ目標変位演算装置
4 スレーブ目標駆動力演算装置
5 マスタ操作力補償器
6 スレーブ変位補償器
M マスタアーム
S スレーブアーム
操作力センサ
FC 駆動力制御系
PC 位置制御系
Am1〜3 マスタアクチュエータ
As1〜3 スレーブアクチュエータ
Pm1〜3 マスタ変位センサ
Ps1〜3 スレーブ変位センサ
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7
図8
図9
図10
図11
図12
図13
図14