【実施例】
【0082】
以下、本発明の実施例について説明する。ただし、本発明は、以下の実施例には限定されない。
【0083】
[実施例1]
本実施例では、スカンジウムトリフラートと亜塩素酸ナトリウムにより、スチレンの効率的なジヒドロキシル化ができることを確認した。具体的には、常温常圧下で、スカンジウムトリフラートと亜塩素酸イオン(ClO
2-)によるスチレンのジヒドロキシル化により、1-フェニルエタン-1,2-ジオールを効率的に製造することができた。スカンジウムトリフレートは、強ルイス酸として作用し、亜塩素酸イオン(ClO
2-)から二酸化塩素ラジカル(ClO
2・)を生成させるとともに、二酸化塩素ラジカル(ClO
2・)の反応性を向上させることが確認された。
【0084】
オレフィンの1,2-ジオールへの酸化は、ファインケミカル又はスペシャリティケミカルにおいて、樹脂、医薬品、医薬品、染料、殺虫剤や香料組成物等の種々の化学物質の前駆体を製造するための重要な工業プロセスである。オレフィンを酸化して対応するエポキシドおよびアルコールに変換するためのいくつかの方法が、これまでに、無機金属オキソ錯体及び重原子の金属酸化物を使用して報告されている。高原子価のOs
VIIIO
4は、オレフィンを1,2-ジオールに変換するための酸化の、効果的かつ選択的な試薬である(参考文献等1〜8)。しかし、オスミウム化合物の毒性及び昇華性とその廃棄物は深刻な問題の原因となる。亜塩素酸ナトリウム(NaClO
2)は、非毒性かつ安価な酸化試薬であり、二酸化塩素ラジカル(ClO
2・)の前駆体として使用されてきた(参考文献等9〜12[非特許文献1〜4と同一])。ClO
2・は、反応性で、かつ安定なラジカルであることが知られている。しかし、ClO
2・は、室温で黄色の爆発性ガスである。ClO
2・は、実験的に、NaClO
2のCl
2による酸化、および、塩素酸カリウム(KClO
3)とシュウ酸との反応により調製することができる(参考文献等13)。これらの方法は、また、Cl
2の毒性およびClO
3-の爆発性等の深刻な問題を引き起こす。ClO
2・の前駆体としてNaClO
2を用いたオレフィンのエポキシ化が試みられている。しかしながら、ClO
2・の酸化能力は、酸の非存在下でオレフィンをジオールに酸化するのに十分強力ではないので、1,2-ジオール生成物が得られなかった(参考文献等14〜17)。ClO
2・のCl=O二重結合の活性化は、オレフィンを1ステップで選択的にジヒドロキシル化するためのキーである。
【0085】
本実施例では、スカンジウムトリフレート[Sc(OTf)
3]をルイス酸として(参考文献等18)ClO
2・を活性化することによる、常温常圧下でのスチレンのジヒドロキシル化物の効率的な合成法について報告する。ジヒドロキシル化機構は、EPRおよびUV-Vis吸収分光法によるラジカル中間体の検出に基づいて明らかにした。
【0086】
室温(25℃)で水性のMeCN溶液(MeCN/H
2O 1:1v/v)中NaClO
2(20mM)によるスチレン(2.0mM)の反応では、スチレンのジヒドロキシル化は起こらなかった(
図6参照)。なお、
図6は、MeCN/H
2Oとして
1HNMRスペクトル測定用溶媒CD
3CN/D
2O(1:1 v/v)を用いて上記の反応を行い、
1HNMRで反応を追跡した結果であり、反応開始後0.3時間後および17時間後の
1HNMRスペクトルを示す。温度が333Kに増加した場合には、ジヒドロキシル化生成物の形成が起こらず、エポキシ化が起こった(
図7)(参考文献等14、19)。なお、
図7は、スチレン(66mM)およびNaClO
2(200mM)を含むCD
3CN/D
2O(4:1 v/v)の混合後60℃(333K)で0時間および25時間後の
1HNMRスペクトルを示す。*印は、スチレンオキシド由来のピークである。対照的に、ブレンステッド酸としてのCF
3COOH(30mM)を添加剤として添加した場合は、17時間混合後にエポキシドが全く形成されず、それに代えて1-フェニルエタン-1,2ジオール(1)及び2-クロロ-1-フェニルエタノール(2)が、それぞれ15%および69%の収率で生産された[反応式(1)]。それらは、
1HNMRスペクトルで測定した(
図8)(参考文献等20)。なお、
図8は、スチレン(2.0mM)、NaClO
2(20mM)およびSc(OTf)
3(30mM)を含むCD
3CN/D
2O(1:1 v/v)の混合後、25℃で0.6時間後および17時間後の
1HNMRスペクトルを示す。*印および†印は、それぞれ、1-フェニルエタン-1,2-ジオール、および2-クロロ-1-フェニルエタノールに由来するピークである。CF
3COOHに代えて強力なルイス酸であるSc(OTf)
3(30mM)を用いた場合、ジオール(1)の収率が51%と顕著に増加した[反応式(1)の表参照](
図9)(参考文献等21)。なお、
図9は、スチレン(2.0mM)、NaClO
2(20mM)およびCF
3COOD(30mM)を含むCD
3CN/D
2O(1:1 v/v)の混合後、0.5時間後および17時間後の
1HNMRスペクトルを示す。*印および†印は、それぞれ、1-フェニルエタン-1,2-ジオール、および2-クロロ-1-フェニルエタノールに由来するピークである。
【数1】
【0087】
UV-Vis吸収分光法を、反応機構と反応性中間体の検出を明確にするために採用した。
図1に示すとおり、NaClO
2は、水溶液中において260nmに吸収帯を示した。その吸収帯は、Sc(OTf)
3(10mM)を加えると消失し、それに伴い、新たな吸収帯が358nmにおいて増大し、この吸収帯はClO
2・に基づくと同定(アサイン)された(参考文献等22、23)。CF
3COOH存在下においても、同様の吸収スペクトルの変化が観測された(参考文献等24)。358nmでの吸収帯の出現の経時変化を
図1に示す。
図1は、298Kの水溶液中でSc(OTf)
3(10mM)と混合した後、0、4および16時間で採取されたNaClO
2(5.0mM)の紫外線+可視吸収スペクトルである。同図において、横軸は波長(nm)であり、縦軸は吸光度である。また、
図2(a)は、
図1と同じ反応(298Kの水溶液(0.20M酢酸緩衝液pH2.9)中のSc(OTf)
3(10mM)とNaClO
2(5.0mM)の反応によるSc
3+(ClO
2・)の形成)の、358nmでのUV-Vis吸収の時間プロファイルである。同図において、横軸は、時間(秒)、縦軸は358nmでの吸光度である。
図2(b)は、
図2(a)の測定結果の二次プロットである。時間プロファイル(
図2(a))は、二次プロット(
図2(b))によく合致する。そのように、Sc(OTf)
3を用いたClO
2・の生成は、二分子のClO
2-が律速段階に関係する(下記参照)。二分子の速度定数は、直線の傾きから0.16M
-1s
-1であると決定された。
【0088】
基質の非存在下、298KでのMeCN中では、Sc(OTf)
3を用いてNaClO
2から生成されたClO
2・に基づく358nmの吸光度のいかなる減衰も観察されなかった。
図3(a)は、298KのMeCN/H
2O(1:1v/v)溶液中におけるスチレン(30〜90mM)存在下でのSc
3+(ClO
2・)の消費における、358nmでのUV-Vis吸収の時間プロファイルである。同図において、横軸は、時間(秒)、縦軸はClO
2・濃度である。(b)は、擬一次速度定数対スチレン濃度のプロットである。過剰量のスチレンの存在下では、減衰率は擬一次に従った(
図3(a))。ジヒドロキシル増加について観察された擬一次速度定数(k
obs)は、スチレン濃度増加とともに直線的に増加した(
図3(b))。ClO
2・およびスチレンの消費の二分子速度定数は、1.9×10
-2M
-1s
-1と決定した(参考文献等25)。ラジカル構造を明確にするためにEPR(electronic paramagnetic resonance電子常磁性共鳴)測定を実施した。純粋なClO
2・を、NaClO
2を含むMeCN溶液を353Kで1時間還流することによって作製した。298Kに冷却後にEPRスペクトルを測定したところ、特徴的な等方性の信号を、g=2.0151(±0.0002)において、Cl原子核の不対電子に由来する4本の超微細線とともに確認した(
35Clおよび
37ClにおいてI=3/2、それぞれ0.821および0.683の同様の磁気モーメントを有する(
図4(a))(参考文献等26)。G値は、CF
3COOH(g=2.0106)およびSc(OTf)
3(g=2.0103)の添加によって顕著に変化した(
図4(b)および4(c))。ClO
2・の超微細結合定数は、(a(Cl)=16.26G)CF
3COOH(15.78G)およびSc(OTf)
3(15.56G)の存在下、低下した(参考文献等27)。これは、プロトン及びSc
3+が、強くスチレンのジヒドロキシル化するための反応中間体として、H
+ClO
2・およびSc
3+ClO
2・を形成するために、ClO
2・と結合することを示す(参考文献等28)。
【0089】
図5に示すとおり、ClO
2・、H
+ClO
2・およびSc
3+ClO
2・の密度汎関数理論(DFT)計算を行い、ジヒドロキシル化のための反応機構を予測した。構造最適化は、理論計算のDFT CAM-B3LYP/6-311+G(d,p)レベルで行った。
図5は、CAM‐B3LYP/6‐311+G(d,p)レベルの理論計算による、DFT最適化構造の結合長(Å)である。(a)はClO
2・、(b)はH
+ClO
2・、(c)はSc
3+ClO
2・である。ClO
2・のCl-O二重結合の結合長は1.502Åと計算された(
図5(a))。H
+ClO
2・では、Cl-O二重結合の結合長は1.643Åと計算された(
図5(b))。
図5(c)は、ClO
2・と比較すると、Sc
3+ClO
2・もまた結合強度が顕著に弱まっている(Cl-O:1.818Å)ことを示す。Cl-O結合の切断は、基質の存在下で強力な酸化剤としてのClO
・を生成するために有利な可能性がある。なお、
図10は、(a)H
+ClO
2・および(b)Sc
3+ClO
2・の、CAM-B3LYP/6-311+G(d,p)レベルの理論計算による、スピン分布を示す図である。
【0090】
上記の結果に基づいて、ClO
2・によるスチレンのジヒドロキシル化機構を、反応式(2)〜(5)およびスキーム1に示した。NaClO
2の不均化反応は、H
+またはSc
3+の存在下で起こり、ClO
-とClO
3-を形成する[反応式(2)](参考文献等29)。ClO
-はClO
2-およびプロトンと容易に反応し、Cl
2O
2を生成する[反応式(3)]。つぎに、Cl
2O
2はClO
2-により還元され、反応種であるClO
2・を生成する[反応式(4)]。全体的な化学量論は、反応式(5)で与えられる。ClO
2・は、H
+およびSc
3+等の酸と結合することで活性化される。H
+の場合は、DFT計算(上記参照)に基づけば、Cl-O結合の切断は発生しない。H
+によるスチレンの酸化は、スチレン二重結合に対するClO
2・の付加により進行する。これとは対照的に、Sc
3+によるスチレンのジヒドロキシル化は、スキーム1に示すように、Sc
3+ClO
2・錯体のホモリティックSc
3+Cl-O結合切断によって生成したClO
・およびSc
3+O
・の、スチレン二重結合に対する付加により起こる。次に、スカンジウム錯体は、最終生成物のジオールとSc
3+ClO
・を得るために加水分解される(スキーム1)。Sc
3+ClO
・は、大過剰のClO
2-による酸化でSc
3+ClO
2・を形成させて再利用することができる。ClO
-もまた、反応式(2)に示すように、ClO
2-により再生することができる。Sc
3+ClO
2・のCl-O結合の切断によって形成されるClO
・の、スチレンのβ炭素に対する付加は、二つの異性体を与えた。β炭素-ClOの結合形成が生成した場合、スキーム1に示すように、最終マイナー生成物として塩素化合物が得られた。
【0091】
【数2-5】
【0092】
【化S1】
【0093】
以上、示したとおり、本実施例によれば、ClO
2・は、Sc
3+の存在下でのルイス酸として、スチレンのための効果的なジヒドロキシル化試薬であることが確認された。本発明によれば、重金属などの有害廃棄物のないオレフィンのユニークなジヒドロキシル化経路を提供することができる。
【0094】
[参考文献等]
1 M. Schroeder, Chem. Rev., 1980, 80, 187-213.
2 (a) E. N. Jacobsen, I. Marko, W. S. Mungall, G. Schroeder and K. B.Sharpless, J. Am. Chem. Soc., 1988, 110, 1968-1970; (b) S. G.Hentges and K. B. Sharpless, J. Am. Chem. Soc., 1980, 102, 4263-4265.
3 W. Yu, Y. Mei, Y. Kang, Z. Hua and Z. Jin, Org. Lett., 2004, 6,3217-3219.
4 (a) A. J. DelMonte, J. Haller, K. N. Houk, K. B. Sharpless, D. A.Singleton, T. Strassner, and A. A. Thomas, J. Am. Chem. Soc., 1997,119, 9907-9908. (b) J. S. M. Wai, I. Marko, J. S. Svendsen, M. G.Finn, E. N. Jacobsen and K. B. Sharpless, J. Am. Chem. Soc., 1989,111, 1123-1125.
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6 H. C. Kolb, P. G. Andersson and K. B. Sharpless, J. Am. Chem. Soc.,1994, 116, 1278-1291.
7 E. J. Corey and M. C. Noe, J. Am. Chem. Soc., 1996, 118, 11038-11053.
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10 J. K. Leigh, J. Rajput, and D. E. Richardson, Inorg. Chem., 2014, 53,6715-6727.
11 C. L. Latshaw, Tappi, 1994, 163−166.
12 (a) J. J. Leddy, in Riegel’s Handbook of Industrial Chemistry, 8
th edn. Ed., J. A. Kent, Van Nostrand Reinhold Co. Inc, New York, 1983, pp. 212-235; (b) I. Fabian, Coord. Chem. Rev., 2001, 216-217, 449-472.
13 M. J. Masschelen, J. Am. Works Assoc., 1984, 76, 70-76.
14 X.-L. Geng, Z. Wang, X.-Q. Li, and C. Zhang J. Org. Chem., 2005, 70, 9610-9613
15 A. Jangam and D. E. Richardson, Tetrahedron Lett., 2010, 51, 6481-6484.
16 J. J. Kolar and B. O. Lindgren, Acta Chem. Scand. B, 1982, 36, 599-605.
17 B. O. Lindgren, T. Nilsson, Acta Chem. Scand. B, 1974, 28, 847-852.
18 (a) S. Fukuzumi and K. Ohkubo, J. Am. Chem. Soc., 2002, 124, 10270-10271; (b) S. Fukuzumi and K. Ohkubo, Chem.-Eur. J., 2000, 6, 4532-4535.
19 スチレン(66mM)のNaClO
2(200mM)によるエポキシ化をMeCN/H
2O(4:1 v/v)混合溶液中333Kで調べた(参考文献等14)。スチレンオキシドの収率は44%であり、スチレンの転化率は61%であった。
20 E. V. Bakhmutova-Albert, D. W. Margerum, J. G. Auer and B. M. Applegate, Inorg. Chem., 2008, 47, 2205-2211.
21
1H NMRで確認したところ、CF
3COOHまたはSc(OTf)
3による反応中、中間体としてのスチレンエポキシドは観測されなかった。
22 C. Rav-Acha, E. Choushen (Goldstein) and S. Sarel, Helv. Chim. Acta, 1986, 69, 1728-1733.
23 ClO
2・水溶液中、無水酢酸とNaClO
2から生成された(参考文献等22)。ClO
2・は、プロトン化形態(H
+ClO
2・)である可能性がある。
24 W. Masschelein, Ind. Eng. Chem. Prod. Res. Devel., 1967, 6, 137-142.
25 この数値は、ClO
2・によるスチレンのエポキシドへの変換(1.17×10
-2M
-1s
-1)(参考文献等10)よりも若干大きい。
26 (a) T. Ozawa and T. Kwan, Chem. Pharm. Bull., 1983, 31, 2864-2867; (b) T. Ozawa, T. Trends Org. Chem., 1991, 2, 51-58.
27 Sc
3+ClO
2・とH+ClO
2・のスピン分布の計算値を
図5に示した。それによれば、ScおよびH核はスピン密度を示さない。このことは、EPRスペクトルが、Sc(I=7/2)またはH(I=1/2)に由来する超微細分裂を示さないことを意味する。
28 Sc
3+と金属オキソ錯体のオキソ基との結合については、下記を参照のこと:
(a) J. Chen, X. Wu, K. M. Davis, Y.-M. Lee, M. S. Seo, K.-B. Cho, H. Yoon, Y. J. Park, S. Fukuzumi, Y. N. Pushkar and W. Nam, J. Am. Chem. Soc., 2013, 135, 6388-6391; (b) H. Yoon, Y.-M. Lee, X. Wu, K.-B. Cho, Y. N. Pushkar, W. Nam and S. Fukuzumi, J. Am. Chem. Soc., 2013, 135, 9186-9194; (c) S. Fukuzumi, K. Ohkubo, Y.-M. Lee and W. Nam, Chem.-Eur. J., 2015, 21, 17548-17559.
29 Sc
3+による中性ラジカルの不均化については、I. Nakanishi, T. Kawashima, K. Ohkubo, T. Waki, Y. Uto, T. Kamada, T. Ozawa, K. Matsumoto and S. Fukuzumi, S. Chem. Commun., 2014, 50, 814-816.を参照のこと。
【0095】
[実施例2]
本実施例では、塩化ベンゼトニウムによる酸素還元反応の活性化を行った。ルイス酸は様々な有機合成反応で広く研究開発が行われている。その多くは、金属イオンまたは金属錯体をルイス酸点として用いて、その周辺の配位子設計を伴う研究に注力されてきた。本実施例では、強力なルイス酸性を有するアンモニウム誘導体として塩化ベンゼトニウムを用い、それが、亜塩素酸ナトリウムを用いた芳香族系有機化合物の酸素化反応に広く有用であることを確認した。
【0096】
アセトニトリル中、コバルト(II)テトラフェニルポルフィリン錯体Co(II)TPP(TPP=5,10,15,20-テトラフェニルポルフィリン)(E
ox=0.35V vs SCE)と分子状酸素(E
red=-0.86V vs SCE)との間では電子移動は全く進行しない。しかし、この酸素飽和溶液([CoTPP]=9.0×10
-6M、[O
2]=13mM)に塩化ベンゼトニウム(Bzn
+)を添加すると([Bzt
+Cl
-]=30mM)、411nmのCo(II)TPP由来の吸収帯の減衰に伴い、等吸収点を有しながら433nmのCo(III)TPP+に特徴的な吸収帯の増大が観測された(
図11(a))。なお、
図11(a)は、前記溶液の紫外線+可視吸収スペクトルの経時変化を表すグラフであり、横軸は波長(nm)、縦軸は吸光度である。これは、Co(II)TPPから分子状酸素への電子移動反応が進行しCo(III)TPP
+が生成したものと考えられる。411nmの吸収帯の減衰の経時変化と、433nmの吸収帯の増大の経時変化の時定数はほぼ一致しており、擬一次カーブフィットより、速度定数を9.3×10
-5s
-1と決定した(
図2(b))。
図11(b)のグラフにおいて、横軸は時間であり、縦軸は吸光度である。この速度定数は酸素濃度およびBzn
+濃度に一次の依存性を示し、そのプロットの傾きより、触媒移動速度定数(k
cat)を0.24M
-2s
-1と決定できた。これまでの研究により(Ohkubo, K.; Fukuzumi, S. Chem. Eur. J., 2000, 6, 4532)、Co(II)TPPから分子状酸素への電子移動反応は、金属イオンなどのルイス酸存在下、効率よく進行することが知られており、本研究で用いたBzn
+の場合も同様にルイス酸触媒的に反応が進行したものであると考えられる。本実施例で得られたBzn
+の触媒速度定数(0.24M
-2s
-1)は、リチウム過塩素酸塩(0.36)よりもわずかに低く、ストロンチウム過塩素酸塩(0.10M
-2s
-1)およびバリウム過塩素酸塩(0.051M
-2s
-1)よりも大きい値を示した。以上の結果よりBzn
+は比較的強いルイス酸性度を有していると考えられる。この触媒速度定数と文献記載の方法により、ルイス酸性度の指標であるΔE値は0.53eVと決定した。実際に、アンモニウム塩がルイス酸として機能するという報告例はこれまでに報告されており、例えばアンモニウムヘキサフルオロリン酸塩(NH
4PF
6)の値(0.32eV)(参考文献等33)よりも大きな値を示したことより、本アンモニウム塩がアンモニウムの中では強いルイス酸性度を示すことが確認された。なお、
図21のグラフに、塩化ベンゼトニウム[Bzt
+Cl
-]および各種金属錯体のルイス酸性度を示す。同図において、横軸は、前記ΔE値(eV)であり、縦軸は、速度定数の対数(log(k
cat,M
-2s
-1))である。
【0097】
密度汎関数計算(B3LYP/6-31G(d)レベル)よりBzn
+の構造を最適化した。その構造を
図12に示す。同図に示すとおり、Mulliken電荷およびLUMO軌道はアンモニウム窒素近傍に局在化していることから、Bzn
+はルイス酸性度を示すことが予想される。
【0098】
[実施例3]
本実施例では、ルイス酸によるNaClO
2の不均化反応の加速効果について確認した。
【0099】
実施例1でも確認したとおり、亜塩素酸ナトリウム(NaClO
2)は中性水溶液/アセトニトリル混合溶液中では、非常に安定であるために全く分解は観測されない。この20mM溶液に、Sc(OTf)
3(40mM)を添加するとNaClO
2の吸収帯の減衰に伴い、即座に358nmにClO
2ラジカル(ClO
2・)に特徴的な吸収帯の増大が観測された(
図13)。同図において、横軸は波長(nm)であり、縦軸は吸光度である。この吸収帯の増大は、実施例1(
図1)で確認したとおり、Sc(OTf)
3の濃度を小さくすると経時変化として観測することができた。スカンジウムイオンよりもルイス酸性度の低いマグネシウムイオンおよびリチウムイオンなどでも同様の検討を行い、それぞれ反応速度定数を決定した。ルイス酸はこれまでに種々の不均化反応を触媒することが知られており、本反応においても同様の機構により、実施例1の反応式(2)に従って、ClO
2-がClO
-とClO
3-に不均化されたものと考えられる。その後、生成したClO
-は大過剰に存在するClO
2-と酸存在下反応し、Cl
2O
2を与えると考えられる(実施例1の反応式(3))。その後、Cl
2O
2はさらにClO
2-と反応し活性ラジカル種であるClO
2ラジカルを与えると考えられる(実施例1の反応式(4))。
【0100】
[実施例4]
本実施例では、塩化ベンゼトニウムを用いたClO
2ラジカル発生および酸化反応の促進について確認した。
【0101】
まず、ClO
2ラジカルは強い酸素化反応活性を示すと考えられるので、脱酸素アセトニトリル/水(1:1v/v)混合溶液中に10-メチル-9,10-ジヒドロアクリジン(AcrH
2)(1.4mM)と亜塩素酸ナトリウム(NaClO
2)(2.8mM)を添加した。この場合、AcrH
2の酸素化反応はほとんど進行しなかった(
図14)。
図14(a)〜(c)のグラフは、前記反応の経時変化を示す。
図14(a)において、横軸は波長(nm)であり、縦軸は吸光度である。
図14(b)は、波長358nmの吸光度の経時変化を示すグラフであり、横軸は時間(秒)であり、縦軸は吸光度である。
図14(c)は、波長387nmの吸光度の経時変化を示すグラフであり、横軸は時間(秒)であり、縦軸は吸光度である。
【0102】
つぎに、
図14と同じ混合溶液を調整し、さらにBzn
+(0.56mM)を添加すると、AcrH
2から10-メチルアクリドンへの酸素化反応が進行した(
図15)。
図15(a)および(b)のグラフは、前記反応の経時変化を示す。
図15(a)において、横軸は波長(nm)であり、縦軸は吸光度である。
図15(b)は、波長387nmの吸光度の経時変化を示すグラフであり、横軸は時間(秒)であり、縦軸は吸光度である。
図15(a)および(b)に示すとおり、10-メチルアクリドン(λ
max=382nm)に由来する吸収が増大する経時変化が見られたことから、AcrH
2から10-メチルアクリドンへの酸素化(酸化)反応が進行したことが確認された。
【0103】
また、
図15と同じ混合溶液に、さらに、スカンジウムトリフルオロメタンスルホナート(Sc(OTf)
3,3.0mM)を添加しても、AcrH
2から10-メチルアクリドンへの酸素化反応が進行した(
図16)。
図16(a)および(b)のグラフは、前記反応の経時変化を示す。
図16(a)において、横軸は波長(nm)であり、縦軸は吸光度である。
図16(b)は、波長430nmの吸光度の経時変化を示すグラフであり、横軸は時間(秒)であり、縦軸は吸光度である。
図16(a)および(b)に示すとおり、10-メチルアクリドンに由来する吸収が増大する経時変化が見られたことから、AcrH
2から10-メチルアクリドンへの酸素化(酸化)反応が進行したことが確認された。この酸素化反応は
図17に示す連鎖反応機構によって進行すると考えられる。すなわち、ここで、ClO
2・は10-メチルアクリドンから水素を引き抜くと同時に酸素を添加することによってアクリドンを与えると考えられる。一方酸素を添加した後の生成物であるClO
・はClO
2-と電子移動反応を起こし、ClO
-とClO
2・を与え再生すると考えられる。
【0104】
[実施例5]
本実施例では、ルイス酸を用いたNaClO
2による基質の酸素化反応を、トリフェニルフォスフィンからトリフェニルフォスフィンオキシドへの酸素化反応に用い、有用であることを確認した。より具体的には、NaClO
2によるトリフェニルフォスフィンからトリフェニルフォスフィンオキシドへの酸素化反応を、ルイス酸であるスカンジウムトリフレートSc(OTf)
3の存在下および非存在下で行い、ルイス酸が反応を促進することを確認した。
【0105】
まず、下記条件により、Sc(OTf)
3の存在下または非存在下、常温常圧(光照射なし)で反応を行い、紫外可視吸収スペクトルにより反応を追跡した。
図22(a)の紫外可視吸収スペクトルは、経時変化によりトリフェニルフォスフィンがトリフェニルフォスフィンオキシドに変換される様子を示す。同図において、横軸は波長(nm)であり、縦軸は吸光度である。また、
図22(b)のグラフは、Sc(OTf)
3(Sc
3+)の存在下および非存在下でのトリフェニルフォスフィン(Ph
3P)濃度の経時変化を表す。横軸は時間(秒)であり、縦軸はトリフェニルフォスフィン(Ph
3P)濃度(mM)である。図示のとおり、この曲線から算出された反応速度定数kは、Sc
3+の非存在下では9.8×10
-4S
-1であったのに対し、Sc
3+の存在下では1.7×10
-3S
-1と増大していたことから、Sc
3+(ルイス酸)が反応を促進したことが確認された。
[Ph
3P]=0.4mM
[NaClO
2]=0.4mM
Sc(OTf)
3=0または10mM
0.12M 酢酸緩衝液 pH5.3
MeCN/H
2O(4:6)
【0106】
また、脱酸素アセトニトリルMeCN/H
2O(0.9ml/0.1ml)中、トリフェニルフォスフィンとNaClO
2(4.0mM)を混合しても反応は全く進行しなかった。ここにスカンジウムトリフレートSc(OTf)
3(30mM)を添加すると効率よく酸素化生成物を与えた。前記反応は、トリフェニルフォスフィンの初期濃度を1.0mM、2.0mM、4.0mMおよび8.0mMに変化させて、それぞれ25℃で15分間行った。反応の追跡は紫外可視吸収スペクトルのスペクトル変化により行った(
図18(a))。
図18(a)において、横軸は波長(nm)であり、縦軸は吸光度である。これは、スカンジウムイオンSc
3+によって活性ラジカル種であるClO
2ラジカルが発生し、Ph
3PがPh
3P=Oへ酸素化されたものであると考えられる。量論は下記反応式(6)の通りであり、ほぼ定量的に反応は進行することが確認された(
図18(b))。
図18(b)において、横軸はPh
3Pの初期濃度であり、縦軸は生成したPh
3P=Oの濃度である。
2Ph
3P+NaClO
2 --> 2Ph
3P=O+NaCl (6)
【0107】
[実施例6]
本実施例では、アセトニトリル中、9−メシチル−10−メチルアクリジニウム(Acr
+-Mes)の過塩素酸塩(Acr
+-Mes ClO
4-)および酸素の存在下で原料芳香族化合物(ベンズアルデヒド)の酸化反応を行って酸化反応生成物(安息香酸)を得た(
図20)。反応は、Bzt
+Cl
-の存在下および非存在下で行った。
【0108】
反応溶媒としては、酸素ガスで飽和させたCD
3CNを0.6mL用い、
図20に示すとおり、Acr
+-Mes ClO
4-を1mM、ベンズアルデヒド(PhCHO)を5mM、Bzt
+Cl
-を0または1mM加え、キセノンランプで波長390nmの光を照射したか、または照射しなかった。反応は、
1HNMRで追跡した。その結果を、
図20中の表に示す。表中、「×」は、試薬を加えなかった、または光(light)を照射しなかったことを表す。「○」は、光(light)を照射したことを表す。「conversion」は、原料芳香族化合物(ベンズアルデヒド)の変換率であり、「yield」は、安息香酸の収率である。「time」は、反応時間である。
図20に示すとおり、Bzt
+Cl
-を加えなかった場合、安息香酸の収率は痕跡量(trace)であった。Bzt
+Cl
-を加えた場合、安息香酸の収率は60%、ベンズアルデヒドの変換率は63%であった。この結果から、Acr
+-Mesは、ルイス酸(Bzt
+Cl
-)の非存在下では反応性が低いが、ルイス酸(Bzt
+Cl
-)存在下ではAcr
+-Mesからのラジカル発生が促進され、強力な反応剤になったことを示していると考えられる。
【0109】
[実施例7]
本実施例では、前記「ルイス酸性度の測定方法」で説明した測定方法により、各種アンモニウムをラジカル発生触媒、酸素分子をラジカル発生源(酸化剤を兼ねる)として用い、コバルトテトラフェニルポルフィリンの酸化反応生成物を製造した。すなわち、下記化学反応式(1a)中のコバルトテトラフェニルポルフィリン、飽和O
2およびルイス酸性度の測定対象物(例えば金属等のカチオンであり、下記化学反応式(1a)ではM
n+で表される)を含むアセトニトリル(MeCN)を、室温において紫外可視吸収スペクトル変化の測定をし、酸化反応生成物であるCoTPP
+が得られたことを確認した。
【0110】
【数1a】
【0111】
前記酸化反応は、下記表中に示した各アンモニウムをラジカル発生触媒として用いて行った。下記表中において、「k
cat,M
-2s
-1」で表される数値が、各アンモニウムのルイス酸性度の指標となる、ルイス酸存在下におけるCoTPPと酸素の反応速度定数である。「LUMO, eV」で表される数値が、LUMOのエネルギー準位である。また、「benzetonium chloride」は塩化ベンゼトニウムを表し、「benzalkonium chloride」は塩化ベンザルコニウムを表し、「tetramethylammonium hexafluorophosphate」はヘキサフルオロリン酸テトラメチルアンモニウム塩を表し、「tetrabutylammonium hexafluorophosphate」はヘキサフルオロリン酸テトラブチルアンモニウム塩を表し、「ammonium hexafluorophosphate」はヘキサフルオロリン酸アンモニウム塩を表す。
【0112】
【表tpp】