【課題を解決するための手段】
【0008】
そこで、本発明者らは、前述の観点から、少なくともTiとAlの複合窒化物または複合炭窒化物(以下、「(Ti,Al)(C,N)」あるいは「(Ti
1−xAl
x)(C
yN
1−y)」で示すことがある)を含む硬質被覆層を化学蒸着で蒸着形成した被覆工具の耐チッピング性、耐摩耗性の改善をはかるべく、鋭意研究を重ねた結果、次のような知見を得た。
【0009】
即ち、従来の少なくとも1層の(Ti
1−xAl
x)(C
yN
1−y)層を含み、かつ所定の平均層厚を有する硬質被覆層は、(Ti
1−xAl
x)(C
yN
1−y)層が工具基体に垂直方向に柱状をなして形成されている場合、高い耐摩耗性を有する。その反面、(Ti
1−xAl
x)(C
yN
1−y)層の異方性が高くなるほど(Ti
1−xAl
x)(C
yN
1−y)層の靭性が低下し、その結果、耐チッピング性、耐欠損性が低下し、長期の使用に亘って十分な耐摩耗性を発揮することができず、また、工具寿命も満足できるものであるとはいえなかった。
そこで、本発明者らは、硬質被覆層を構成する(Ti
1−xAl
x)(C
yN
1−y)層について鋭意研究したところ、(Ti
1−xAl
x)(C
yN
1−y)層を立方晶結晶相と六方晶結晶相とで構成し、かつ、立方晶結晶粒内にTiとAlの周期的な濃度変化を形成させるという全く新規な着想により、立方晶結晶粒に歪みを生じさせ、硬さと靭性を高めることに成功し、その結果、硬質被覆層の耐チッピング性、耐欠損性を向上させることができるという新規な知見を見出した。
【0010】
具体的には、硬質被覆層が、化学蒸着法により成膜されたTiとAlの複合窒化物または複合炭窒化物層を少なくとも含み、組成式:(Ti
1−xAl
x)(C
yN
1−y)で表した場合、AlのTiとAlの合量に占める含有割合xおよびCのCとNの合量に占める含有割合y(但し、x、yはいずれも原子比)が、それぞれ、0.60≦x≦0.95、0≦y≦0.005を満足し、複合窒化物または複合炭窒化物層を構成する結晶粒は、立方晶構造を有するものと六方晶構造を有するものが存在し、工具基体と垂直な面における立方晶結晶相の占める面積割合は30〜80面積%であり、立方晶構造を有する結晶粒が、工具基体と平行な面内の粒子幅をw、また、工具基体と垂直な方向の粒子長さをlとし、該wとlとの比l/wを各結晶粒のアスペクト比aとし、さらに、個々の結晶粒について求めたアスペクト比aの平均値を平均アスペクト比A、個々の結晶粒について求めた粒子幅wの平均値を平均粒子幅Wとした場合、平均粒子幅Wが0.05〜1.0μm、平均アスペクト比Aが5以下であり、立方晶構造を有する結晶粒内に、組成式:(Ti
1−xAl
x)(C
yN
1−y)におけるTiとAlの周期的な濃度変化が存在し、周期的に変化するxの極大値と極小値の差が0.05〜0.25であることにより、立方晶結晶粒に歪みを生じさせ、従来の硬質被覆層に比して、(Ti
1−xAl
x)(C
yN
1−y)層の硬さと靭性が高まり、その結果、耐チッピング性、耐欠損性が向上し、長期に亘ってすぐれた耐摩耗性を発揮することを見出した。
【0011】
そして、前述のような構成の(Ti
1−xAl
x)(C
yN
1−y)層は、例えば、トリメチルアルミニウム(Al(CH
3)
3)を反応ガス成分として含有する以下の化学蒸着法によって成膜することができる。
(a)成膜工程
工具基体表面に、反応ガス組成(容量%)を、TiCl
4:0.5〜1.5%、Al(CH
3)
3:0〜2.0%、AlCl
3:1.5〜2.5%、NH
3:1.0〜3.0%、N
2:11〜15%、C
2H
4:0〜0.5%、H
2:残、反応雰囲気圧力:2.0〜5.0kPa、反応雰囲気温度:700〜900℃として、所定時間、熱CVD法を行うことにより、所定の目標層厚の(Ti
1−xAl
x)(C
yN
1−y)層を成膜する。
(b)エッチング工程
前記(a)の成膜工程時に、TiCl
4:2.0〜5.0%、H
2:残、反応雰囲気圧力:2.0〜5.0kPa、反応雰囲気温度:700〜900℃の条件からなる、TiCl
4エッチング工程を所定時間、所定回数挟む。
【0012】
前述のようなTiCl
4エッチング工程を成膜工程中に挟むことにより、立方晶TiAlCNが選択的にエッチングされ、結晶粒内にTiとAlの局所的な組成差が形成され、それが、安定化するために原子の再配列が起こり、組成の周期的な変化が生じ、その結果、靭性が飛躍的に向上することを見出した。その結果、特に、耐欠損性、耐チッピング性が向上し、切れ刃に断続的・衝撃的負荷が作用する合金鋼等の高速断続切削加工に用いた場合においても、硬質被覆層が、長期の使用に亘ってすぐれた切削性能を発揮し得ることを見出した。
【0013】
本発明は、前記知見に基づいてなされたものであって、以下の態様を有する。
(1)炭化タングステン基超硬合金、炭窒化チタン基サーメットまたは立方晶窒化ホウ素基超高圧焼結体のいずれかで構成された工具基体の表面に、硬質被覆層を設けた表面被覆切削工具において、
前記硬質被覆層は、化学蒸着法により成膜された平均層厚1〜20μmのTiとAlの複合窒化物または複合炭窒化物層を少なくとも含み、組成式:(Ti
1−xAl
x)(C
yN
1−y)で表した場合、AlのTiとAlの合量に占める含有割合xおよびCのCとNの合量に占める含有割合y(但し、x、yはいずれも原子比)が、それぞれ、0.60≦x≦0.95、0≦y≦0.005を満足し、
前記複合窒化物または複合炭窒化物層を構成する結晶粒は、立方晶構造を有するものと六方晶構造を有するものが存在し、工具基体と垂直な面における立方晶結晶相の占める面積割合は30〜80面積%であり、立方晶構造を有する結晶粒の平均粒子幅Wが0.05〜1.0μm、平均アスペクト比Aが5以下であり、前記立方晶構造を有する結晶粒内に、組成式:(Ti
1−xAl
x)(C
yN
1−y)におけるTiとAlの周期的な濃度変化が存在し、周期的に変化するxの極大値と極小値の差が0.05〜0.25であることを特徴とする表面被覆切削工具。
(2)前記複合窒化物または複合炭窒化物層中のTiとAlの周期的な濃度変化が存在する立方晶構造を有する結晶粒において、TiとAlの周期的な濃度変化が立方晶結晶粒の<001>で表される等価の結晶方位のうちの一つの方位に沿って存在し、その方位に沿った周期が3〜30nmであり、その方位に直交する面内でのTiとAlの濃度xの変化は0.01以下であること特徴とする(1)に記載の表面被覆切削工具。
(3)前記複合窒化物または複合炭窒化物層中のTiとAlの周期的な濃度変化が存在する立方晶構造を有する結晶粒において、
(a)TiとAlの周期的な濃度変化が立方晶結晶粒の<001>で表される等価の結晶方位のうちの一つの方位に沿って存在し、その方位を方位d
Aとすると、方位d
Aに沿った周期が3〜30nmであり、方位d
Aに直交する面内でのTiとAlの濃度xの変化は0.01以下である領域A、および(b)TiとAlの周期的な濃度変化が、方位d
Aと直交する立方晶結晶粒の<001>で表される等価の結晶方位のうちの一つの方位に沿って存在し、その方位を方位d
Bとすると、方位d
Bに沿った周期が3〜30nmであり、方位d
Bに直交する面内でのTiとAlの濃度xの変化は0.01以下である領域Bである二つの領域、(a)領域Aと(b)領域Bが結晶粒内に存在し、前記(a)領域Aと(b)領域Bの境界が{110}で表される等価な結晶面のうちの一つの面に形成されることを特徴とする(1)に記載の表面被覆切削工具。
(4)前記炭化タングステン基超硬合金、炭窒化チタン基サーメットまたは立方晶窒化ホウ素基超高圧焼結体のいずれかで構成された工具基体と前記TiとAlの複合窒化物または複合炭窒化物層の間にTiの炭化物層、窒化物層、炭窒化物層、炭酸化物層および炭窒酸化物層のうちの1層または2層以上からなり、かつ、0.1〜20μmの合計平均層厚を有するTi化合物層を含む下部層が存在することを特徴とする(1)乃至(3)のいずれかに記載の表面被覆切削工具。
(5)前記複合窒化物または複合炭窒化物層の上部に、少なくとも1〜25μmの平均層厚を有する酸化アルミニウム層を含む上部層が存在することを特徴とする(1)乃至(4)のいずれかに記載の表面被覆切削工具。
(6)前記複合炭窒化物層は、少なくとも、トリメチルアルミニウムを反応ガス成分として含有する化学蒸着法により成膜
することを特徴とする(1)乃至(5)のいずれかに記載の表面被覆切削工具
の製造方法。
なお、本発明における硬質被覆層は、前述のような複合窒化物または複合炭窒化物層をその本質的構成とするが、さらに、従来から知られている下部層や上部層などと併用することにより、複合窒化物または複合炭窒化物層が奏する効果と相俟って、一層すぐれた特性を創出することができることは言うまでもない。
【0014】
本発明について、以下に詳細に説明する。
【0015】
硬質被覆層を構成する複合窒化物または複合炭窒化物層の平均層厚:
本発明の硬質被覆層は、化学蒸着された組成式:(Ti
1−xAl
x)(C
yN
1−y)で表されるTiとAlの複合窒化物または複合炭窒化物層を少なくとも含む。この複合窒化物または複合炭窒化物層は、硬さが高く、すぐれた耐摩耗性を有するが、特に平均層厚が1〜20μmのとき、その効果が際立って発揮される。その理由は、平均層厚が1μm未満では、層厚が薄いため長期の使用に亘っての耐摩耗性を十分確保することができず、一方、その平均層厚が20μmを越えると、TiとAlの複合窒化物または複合炭窒化物層の結晶粒が粗大化し易くなり、チッピングを発生しやすくなる。したがって、その平均層厚を1〜20μmと定めた。
【0016】
硬質被覆層を構成する複合窒化物または複合炭窒化物層の組成:
本発明の硬質被覆層を構成する複合窒化物または複合炭窒化物層は、AlのTiとAlの合量に占める含有割合xおよびCのCとNの合量に占める含有割合y(但し、x、yはいずれも原子比)が、それぞれ、0.60≦x≦0.95、0≦y≦0.005を満足するように制御する。
その理由は、Alの含有割合xが0.60未満であると、TiとAlの複合窒化物または複合炭窒化物層の硬さに劣るため、合金鋼等の高速断続切削に供した場合には、耐摩耗性が十分でない。一方、Alの含有割合xが0.95を超えると、相対的にTiの含有割合が減少するため、脆化を招き、耐チッピング性が低下する。したがって、Alの含有割合xは、0.60≦x≦0.95と定めた。
また、複合窒化物または複合炭窒化物層に含まれるCの含有割合(原子比)yは、0≦y≦0.005の範囲の微量であるとき、複合窒化物または複合炭窒化物層と工具基体もしくは下部層との密着性が向上し、かつ、潤滑性が向上することによって切削時の衝撃を緩和し、結果として複合窒化物または複合炭窒化物層の耐欠損性および耐チッピング性が向上する。一方、Cの含有割合yが0≦y≦0.005の範囲を逸脱すると、複合窒化物または複合炭窒化物層の靭性が低下するため耐欠損性および耐チッピング性が逆に低下するため好ましくない。したがって、Cの含有割合yは、0≦y≦0.005と定めた。
【0017】
複合窒化物または複合炭窒化物層を構成する立方晶結晶粒:
前記複合窒化物または複合炭窒化物層中の各立方晶結晶粒について、工具基体表面と平行な方向の粒子幅をw、また、工具基体表面に垂直な方向の粒子長さをlとし、前記wとlとの比l/wを各結晶粒のアスペクト比aとし、さらに、個々の結晶粒について求めたアスペクト比aの平均値を平均アスペクト比A、個々の結晶粒について求めた粒子幅wの平均値を平均粒子幅Wとした場合、平均粒子幅Wが0.05〜1.0μm、平均アスペクト比Aが5以下を満足するように制御する。
この条件を満たすとき、複合窒化物または複合炭窒化物層を構成する立方晶結晶粒は粒状組織となり、すぐれた耐摩耗性を示す。一方、平均アスペクト比Aが5を超えると結晶粒が柱状晶になり、立方晶結晶相内に本発明の特徴である組成の周期的な分布を形成しにくくなるため好ましくない。また、平均粒子幅Wが0.05μm未満であると耐摩耗性が低下し、1.0μmを超えると靭性が低下する。したがって、複合窒化物または複合炭窒化物層を構成する立方晶結晶粒の平均粒子幅Wは、0.05〜1.0μmと定めた。
【0018】
結晶粒中の立方晶結晶相の占める面積割合:
さらに、電子線後方散乱回折装置(EBSD)を用いて個々の結晶粒の結晶方位を、前記TiとAlの複合窒化物または複合炭窒化物層の縦断面(工具基体と垂直な面)方向から解析した場合、立方晶結晶格子の電子後方散乱回折像が観測される立方晶結晶相と六方晶結晶格子の電子後方散乱回折像が観測される六方晶結晶相が存在し、立方晶結晶相と六方晶結晶相の占める合計の面積に対する立方晶結晶相の占める面積割合が30〜80面積%であることがより好ましい。結晶粒中の立方晶結晶相の占める面積割合が30面積%を下回ると硬さが低下し、その結果、耐摩耗性が低下する。一方、80面積%を超えると靭性が低下し、その結果、耐チッピング性が低下する。したがって、結晶粒中の立方晶結晶相の占める面積割合は、30〜80面積%と定めた。
前記TiとAlの複合窒化物または複合炭窒化物層は、立方晶結晶層および六方晶結晶層からなるが、それ以外にも成膜時に不可避的に形成されるアモルファス層をわずかに含んでも良い。この場合、前記TiとAlの複合窒化物または複合炭窒化物層の縦断面における、立方晶結晶相と六方晶結晶相の占める合計の面積に対するアモルファス層の占める面積割合は、10%以下である。
【0019】
立方晶構造を有する結晶粒内に存在するTiとAlの濃度変化:
さらに、立方晶構造を有する結晶を組成式:(Ti
1−xAl
x)(C
yN
1−y)で表した場合、結晶粒内にTiとAlの周期的な濃度変化が存在するとき、結晶粒に歪みが生じ、硬さが向上する。しかしながら、TiとAlの濃度変化の大きさの指標である前記組成式におけるxの極大値と極小値の差が0.05より小さいと前述した結晶粒の歪みが小さく十分な硬さの向上が見込めない。一方、xの極大値と極小値の差が0.25を超えると結晶粒の歪みが大きくなり過ぎ、格子欠陥が大きくなり、硬さが低下する。そこで、立方晶構造を有する結晶粒内に存在するTiとAlの濃度変化は、周期的に変化するxの極大値と極小値の差を0.05〜0.25とした。また、前記複合窒化物または複合炭窒化物層中のTiとAlの周期的な濃度変化が存在する立方晶構造を有する結晶粒において、TiとAlの周期的な濃度変化が立方晶結晶粒の<001>で表される等価の結晶方位のうちの一つの方位に沿って存在した場合、結晶粒の歪みによる格子欠陥が生じにくく、靭性が向上する。また、前記のTiとAlの周期的な濃度変化が存在する方位に直交する面内ではTiとAlの濃度は実質的に変化しない。また、上記の立方晶結晶粒の<001>で表される等価の結晶方位のうちの一つの方位に沿った濃度変化の周期が3nm未満では靭性が低下し、30nmを超えると硬さの向上効果が見込めない。したがって、前記濃度変化の周期は3〜30nmとした。また、TiとAlの周期的な濃度変化が直交する2方向に存在する、領域Aと領域Bが結晶粒内に存在する結晶粒については、結晶粒内で2方向の歪みが存在することで靭性が向上する。さらに、領域Aと領域Bの境界が{110}で表される等価な結晶面のうちの一つの面に形成されることで領域Aと領域Bの境界のミスフィットが生じないため、高い靭性を維持することが出来る。
結晶粒内にTiとAlの周期的な濃度変化が存在するとは、結晶粒内のTiおよびAlの比を(Ti
1−xAl
x)のxの値で規定したときに、xの値が0.05〜0.25の範囲の間で、3〜30nmの一定の周期幅で上昇下降することを意味する。そして、xの値の上昇と下降を周期の1セットと定義した場合、結晶粒一つに少なくとも5セット以上の周期が存在することを意味する。
【0020】
また、本発明の複合窒化物または複合炭窒化物層は、下部層として、Tiの炭化物層、窒化物層、炭窒化物層、炭酸化物層および炭窒酸化物層のうちの1層または2層以上からなり、かつ、0.1〜20μmの合計平均層厚を有するTi化合物層を含む場合、及び/又は上部層として1〜25μmの平均層厚を有する酸化アルミニウム層を含む場合においても、前述した特性が損なわれず、これらの従来より知られている下部層や上部層などと併用することにより、これらの層が奏する効果と相俟って、一層すぐれた特性を創出することができる。下部層として、Tiの炭化物層、窒化物層、炭窒化物層、炭酸化物層および炭窒酸化物層のうちの1層または2層以上からなるTi化合物層を含む場合、Ti化合物層の合計平均層厚が20μmを超えると結晶粒が粗大化し易くなり、チッピングを発生しやすくなる。また、上部層として、酸化アルミニウム層を含む場合、酸化アルミニウム層の合計平均層厚が25μmを超えると結晶粒が粗大化し易くなり、チッピングを発生しやすくなる。
【0021】
本発明の硬質被覆層を構成するTiとAlの複合窒化物または複合炭窒化物層の断面を模式的に表した図を
図1に示す。