【課題を解決するための手段】
【0011】
そこで、本発明者らは、前述の観点から、少なくともTiとAlの複合窒化物または複合炭窒化物(以下、「(Ti,Al)(C,N)」あるいは「(Ti
1−xAl
x)(C
yN
1−y)」で示すことがある)を含む硬質被覆層を化学蒸着で蒸着形成した被覆工具の耐チッピング性、耐摩耗性の改善をはかるべく、鋭意研究を重ねた結果、次のような知見を得た。
【0012】
即ち、従来の少なくとも1層の(Ti
1−xAl
x)(C
yN
1−y)層を含み、かつ所定の平均層厚を有する硬質被覆層は、(Ti
1−xAl
x)(C
yN
1−y)層が工具基体に垂直方向に柱状をなして形成されている場合、高い耐摩耗性を有する。その反面、(Ti
1−xAl
x)(C
yN
1−y)層を熱CVD法によって成膜した場合、結晶粒界の存在が避けられず、この粒界での破壊に起因し、(Ti
1−xAl
x)(C
yN
1−y)層の靭性が低下し、その結果、耐チッピング性、耐欠損性が低下し、長期の使用に亘って十分な耐摩耗性を発揮することができず、また、工具寿命も満足できるものであるとはいえなかった。
そこで、本発明者らは、硬質被覆層を構成する(Ti
1−xAl
x)(C
yN
1−y)層について鋭意研究したところ、硬質被覆層にSiを含有させ(Ti
1−x―yAl
xSi
y)(C
zN
1−z)層をNaCl型の面心立方構造を有する結晶相を少なくとも含み、かつ、アニール処理を施すことにより、結晶粒の周囲にSiの窒化物、炭化物、炭窒化物のうちの1種または2種以上からなる微細結晶粒子または微細アモルファス相が介在してナノコンポジット構造を形成することを見出した。
すなわち、(Ti
1−x―yAl
xSi
y)(C
zN
1−z)のNaCl型の面心立方構造を有する結晶相を少なくとも含む硬質被覆物層の結晶粒子間にSiの窒化物、炭化物、炭窒化物のうちの1種または2種以上からなる微細結晶粒子または微細アモルファス相が三次元的に混じり合う複合膜(ナノコンポジット被膜)を硬質被覆層として用いることにより、(Ti
1−x―yAl
xSi
y)(C
zN
1−z)結晶の周囲をSiの窒化物、炭化物、炭窒化物のうちの1種または2種以上からなる微細結晶粒子または微細アモルファス相が取り囲むナノコンポジット構造を有し、その結果、転位の発生・移動が阻止されるだけでなく、粒界滑りも発生しにくいため、耐塑性変形性が向上し超高硬度が得られるという新規な知見を得た。
【0013】
また、非常に高い耐熱性、より耐溶着性にすぐれるなどの特性に加え、加熱によってナノコンポジット構造を形成することにより耐塑性変形性が成膜直後よりも高くなるという知見を得た。その結果、硬質被覆層の耐チッピング性、耐欠損性を向上させることができる。
【0014】
具体的には、硬質被覆層が、熱CVD法により成膜されたTiとAlとSiの複合窒化物または複合炭窒化物層を少なくとも含み、組成式:(Ti
1−x―yAl
xSi
y)(C
zN
1−z)で表した場合、AlのTiとAlとSiの合量に占める平均含有割合x
avgおよびSiのTiとAlとSiの合量に占める平均含有割合y
avgおよびCのCとNの合量に占める平均含有割合z
avg(但し、x
avg、y
avg、z
avgはいずれも原子比)が、それぞれ、0.60≦x
avg≦0.88、0.10≦y
avg≦0.25、0≦z
avg≦0.005、x
avg+y
avg≦0.98を満足し、複合窒化物または複合炭窒化物層は、NaCl型の面心立方構造を有するTiとAlとSiの複合窒化物または複合炭窒化物の相を少なくとも含み、
また、前記複合窒化物または複合炭窒化物層内の結晶粒を皮膜断面側から観察した場合に、複合窒化物または複合炭窒化物層内のNaCl型の面心立方構造を有するTiとAlとSiの複合窒化物または複合炭窒化物の結晶粒について工具基体と平行な面内の粒子幅をw、工具基体と垂直な方向の粒子長さをlとし、前記wとlとの比l/wを各結晶粒のアスペクト比aとし、さらに、個々の結晶粒について求めたアスペクト比aの平均値を平均アスペクト比A、個々の結晶粒について求めた粒子幅wの平均値を平均粒子幅Wとした場合、平均粒子幅Wが0.05〜1.0μm、平均アスペクト比Aが5以下であり、
前記NaCl型の面心立方構造を有する結晶粒の周囲にSiの窒化物、炭化物、炭窒化物から選ばれる1種または2種以上の結晶粒またはアモルファス相が存在していることにより、NaCl型の面心立方構造を有するTiとAlとSiの複合窒化物または複合炭窒化物の結晶粒に衝撃が加わったとしても、粒界滑りも発生しにくいため、従来の硬質被覆層に比して、硬さ、耐塑性変形性、靭性が高まり、その結果、耐チッピング性、耐欠損性が向上し、長期に亘ってすぐれた耐摩耗性を発揮する。
【0015】
そして、前述のような構成の(Ti
1−x―yAl
xSi
y)(C
zN
1−z)層は、例えば、トリメチルアルミニウム(Al(CH
3)
3)を反応ガス成分として含有する以下の熱CVD法によって成膜することができる。
(a)成膜工程:
工具基体表面に、反応ガス組成(容量%)を、TiCl
4:3.0〜4.0%、Al(CH
3)
3:0〜3.0%、AlCl
3:6.0〜8.0%、SiCl
4:2.5〜3.5%、NH
3:7.0〜10.0%、N
2:11.0〜15.0%、C
2H
4:0.0〜0.5%、H
2:残、反応雰囲気圧力:2.0〜5.0kPa、反応雰囲気温度:700〜900℃として、所定時間、熱CVD法を行うことにより、所定の目標層厚の(Ti
1−x―yAl
xSi
y)(C
zN
1−z)層を成膜する。
(b)アニール工程:
前記(a)の成膜工程後に、アニール温度:800〜900℃の条件からなる、アニール工程を所定時間行う。
【0016】
前述のようなアニール工程を成膜工程後に行うことにより、(Ti
1−x―yAl
xSi
y)(C
zN
1−z)層中のSiが粒界に偏析してSiの窒化物、炭化物、炭窒化物等を形成し、ナノコンポジット構造を形成し、靭性が飛躍的に向上することを見出した。その結果、特に、耐欠損性、耐チッピング性が向上し、切れ刃に断続的・衝撃的負荷が作用する合金鋼等の高速断続切削加工に用いた場合においても、硬質被覆層が、長期の使用に亘ってすぐれた切削性能を発揮し得ることを見出した。
【0017】
本発明は、前記知見に基づいてなされたものであって、
「(1) 炭化タングステン基超硬合金、炭窒化チタン基サーメットまたは立方晶窒化ホウ素基超高圧焼結体のいずれかで構成された工具基体の表面に、硬質被覆層を設けた表面被覆切削工具において、
前記硬質被覆層は、化学蒸着法により成膜された平均層厚1〜20μmのTiとAlとSiの複合窒化物または複合炭窒化物層を少なくとも含み、組成式:(Ti
1−x―yAl
xSi
y)(C
zN
1−z)で表した場合、複合窒化物または複合炭窒化物層のAlのTiとAlとSiの合量に占める平均含有割合x
avgおよび複合窒化物または複合炭窒化物層のSiのTiとAlとSiの合量に占める平均含有割合y
avgならびに複合窒化物または複合炭窒化物層のCのCとNの合量に占める平均含有割合z
avg(但し、x
avg、y
avg、z
avgはいずれも原子比)が、それぞれ、0.60≦x
avg≦0.88、0.10≦y
avg≦0.25、0≦z
avg≦0.005、x
avg+y
avg≦0.98を満足し、
前記複合窒化物または複合炭窒化物層は、NaCl型の面心立方構造を有するTiとAlとSiの複合窒化物または複合炭窒化物の相を少なくとも含み、
また、前記複合窒化物または複合炭窒化物層内の結晶粒を皮膜断面側から観察した場合に、複合窒化物または複合炭窒化物層内のNaCl型の面心立方構造を有するTiとAlとSiの複合窒化物または複合炭窒化物の結晶粒について工具基体と平行な面内の粒子幅をw、工具基体と垂直な方向の粒子長さをlとし、前記wとlとの比l/wを各結晶粒のアスペクト比aとし、さらに、個々の結晶粒について求めたアスペクト比aの平均値を平均アスペクト比A、個々の結晶粒について求めた粒子幅wの平均値を平均粒子幅Wとした場合、平均粒子幅Wが0.05〜1.0μm、平均アスペクト比Aが5以下であり、
前記NaCl型の面心立方構造を有する結晶粒の周囲にSiの窒化物、炭化物、炭窒化物から選ばれる1種または2種以上の結晶粒またはアモルファス相が存在していることを特徴とする表面被覆切削工具。
(2) 前記NaCl型の面心立方構造を有する結晶粒の周囲に存在するSiの窒化物、炭化物、炭窒化物からなる結晶粒またはアモルファス相の平均サイズが5〜50nmであることを特徴とする(1)に記載の表面被覆切削工具。
(3) 前記複合窒化物または複合炭窒化物層は、TiとAlとSiのうち少なくともAlを含み、C,Nのうち少なくともNを含む化合物でウルツ鉱型の六方晶構造を有する結晶粒が存在し、皮膜断面側から測定した場合に、該ウルツ鉱型の六方晶構造を有する結晶粒の存在する面積割合が30面積%以下であることを特徴とする(1)または(2)に記載の表面被覆切削工具。
(4) 前記炭化タングステン基超硬合金、炭窒化チタン基サーメットまたは立方晶窒化ホウ素基超高圧焼結体のいずれかで構成された工具基体と前記TiとAlとSiの複合窒化物または複合炭窒化物層との間にTiの炭化物層、窒化物層、炭窒化物層、炭酸化物層および炭窒酸化物層のうちの1層または2層以上からなり、かつ、0.1〜20μmの合計平均層厚を有するTi化合物層からなる下部層が存在することを特徴とする(1)乃至(3)のいずれかに記載の表面被覆切削工具。
(5) 前記複合窒化物または複合炭窒化物層の上部に、少なくとも1〜25μmの平均層厚を有する酸化アルミニウム層を含む上部層が存在することを特徴とする(1)乃至(4)のいずれかに記載の表面被覆切削工具。
(6) 前記複合窒化物または複合炭窒化物層は、少なくとも、トリメチルアルミニウムを反応ガス成分として含有する化学蒸着法により成膜
することを特徴とする(1)乃至(5)のいずれかに記載の表面被覆切削工具
の製造方法。」
に特徴を有するものである。
なお、本発明における硬質被覆層は、前述のような複合窒化物または複合炭窒化物層をその本質的構成とするが、さらに、従来から知られている下部層や上部層などと併用することにより、複合窒化物または複合炭窒化物層が奏する効果と相俟って、一層すぐれた特性を創出することができることは言うまでもない。
【0018】
本発明について、以下に詳細に説明する。
【0019】
硬質被覆層を構成する複合窒化物または複合炭窒化物層の平均層厚:
本発明の硬質被覆層は、化学蒸着された組成式:(Ti
1−x―yAl
xSi
y)(C
zN
1−z)で表されるTiとAlとSiの複合窒化物または複合炭窒化物層を少なくとも含む。この複合窒化物または複合炭窒化物層は、硬さが高く、すぐれた耐摩耗性を有するが、特に平均層厚が1〜20μmのとき、その効果が際立って発揮される。その理由は、平均層厚が1μm未満では、層厚が薄いため長期の使用に亘っての耐摩耗性を十分確保することができず、一方、その平均層厚が20μmを越えると、TiとAlとSiの複合窒化物または複合炭窒化物層の結晶粒が粗大化し易くなり、チッピングを発生しやすくなる。したがって、その平均層厚を1〜20μmと定めた。
【0020】
硬質被覆層を構成する複合窒化物または複合炭窒化物層の組成:
本発明の硬質被覆層を構成する複合窒化物または複合炭窒化物層は、組成式:(Ti
1−x―yAl
xSi
y)(C
zN
1−z)で表した場合、AlのTiとAlとSiの合量に占める平均含有割合x
avgおよびSiのTiとAlとSiの合量に占める平均含有割合y
avgおよびCのCとNの合量に占める平均含有割合z
avg(但し、x
avg、y
avg、z
avgはいずれも原子比)が、それぞれ、0.60≦x
avg≦0.88、0.10≦y
avg≦0.25、0≦z
avg≦0.005、x
avg+y
avg≦0.98を満足するように制御する。
その理由は、Alの平均含有割合x
avgが0.60未満であると、TiとAlとSiの複合窒化物または複合炭窒化物層の硬さに劣るため、合金鋼等の高速断続切削に供した場合には、耐摩耗性が十分でない。一方、Alの平均含有割合x
avgが0.88を超えると、相対的にTiの平均含有割合が減少するため、NaCl型の面心立方構造を維持できず、そのため高温硬さが低下し、耐摩耗性が低下する。したがって、Alの平均含有割合x
avgは、0.60≦x
avg≦0.88と定めた。
また、Siの平均含有割合y
avgが0.10未満であると、本発明で期待する粒界における微細Si化合物粒子が十分にできず、一方、0.25を超えると粒界にSi化合物が粗大化して偏析してしまいTiとAlとSiの複合窒化物または複合炭窒化物層の靭性が低下し、合金鋼等の高速断続切削に供した場合には、耐摩耗性が十分でない。したがって、Siの平均含有割合y
avgは、0.10≦y
avg≦0.25と定めた。
また、x
avg+y
avgの値は、0.98を超えると、相対的なTi平均含有割合の減少にり、靭性が低下し、チッピング、欠損を発生しやすくなることから、x
avg+y
avgの値は、0.98以下とすることが必要である。
また、複合窒化物または複合炭窒化物層に含まれるCの平均含有割合(原子比)z
avgは、0≦z
avg≦0.005の範囲の微量であるとき、複合窒化物または複合炭窒化物層と工具基体もしくは下部層との密着性が向上し、かつ、潤滑性が向上することによって切削時の衝撃を緩和し、結果として複合窒化物または複合炭窒化物層の耐欠損性および耐チッピング性が向上する。一方、Cの平均含有割合z
avgが0≦z
avg≦0.005の範囲を逸脱すると、複合窒化物または複合炭窒化物層の靭性が低下するため耐欠損性および耐チッピング性が逆に低下するため好ましくない。したがって、Cの平均含有割合z
avgは、0≦z
avg≦0.005と定めた。
【0021】
複合窒化物または複合炭窒化物層に少なくとも含まれるNaCl型の面心立方構造を有するTiとAlとSiの複合窒化物または複合炭窒化物の相:
前記複合窒化物または複合炭窒化物層内の結晶粒を皮膜断面側から観察した場合に、複合窒化物または複合炭窒化物層内のNaCl型の面心立方構造を有するTiとAlとSiの複合窒化物または複合炭窒化物の結晶粒について工具基体と平行な面内の粒子幅をw、工具基体と垂直な方向の粒子長さをlとし、前記wとlとの比l/wを各結晶粒のアスペクト比aとし、さらに、個々の結晶粒について求めたアスペクト比aの平均値を平均アスペクト比A、個々の結晶粒について求めた粒子幅wの平均値を平均粒子幅Wとした場合、平均粒子幅Wが0.05〜1.0μm、平均アスペクト比Aが5以下を満足するように制御する。
平均アスペクト比が5以下の時、複合窒化物または複合炭窒化物層を構成する結晶粒は粒状組織となり、すぐれた耐摩耗性を示す。一方、平均アスペクト比Aが5を超えると結晶粒が柱状晶になり靭性が低下し、かつ、結晶相内に本発明の特徴であるナノコンポジット構造を形成しにくくなるため好ましくない。また、平均粒子幅Wが0.05μm未満であると耐摩耗性が低下し、1.0μmを超えると靭性が低下する。したがって、複合窒化物または複合炭窒化物層を構成する結晶粒の平均粒子幅Wは、0.05〜1.0μmと定めた。
【0022】
複合窒化物または複合炭窒化物層中のNaCl型の面心立方構造を有する結晶粒の周囲に存在するSiの窒化物、炭化物、炭窒化物からなる結晶粒またはアモルファス相:
前記複合窒化物または複合炭窒化物層中のNaCl型の面心立方構造を有する結晶粒の周囲に存在するSiの窒化物、炭化物、炭窒化物からなる結晶粒またはアモルファス相は平均サイズ(「平均サイズ」については後記参照)が5〜50nmのとき、ナノコンポジット構造を形成する効果により靭性が向上する。一方、平均サイズが5nm未満のとき、上記効果が十分に得られない。また、平均サイズが50nmを超えると靭性が低下する。したがって、Siの窒化物、炭化物、炭窒化物からなる結晶粒またはアモルファス相の平均サイズは、5〜50nmと定めた。
【0023】
また、本発明の複合窒化物または複合炭窒化物層は、下部層として、Tiの炭化物層、窒化物層、炭窒化物層、炭酸化物層および炭窒酸化物層のうちの1層または2層以上からなり、かつ、0.1〜20μmの合計平均層厚を有するTi化合物層を含む場合及び/又は上部層として1〜25μmの平均層厚を有する酸化アルミニウム層を含む場合においても、前述した特性が損なわれず、これらの下部層や上部層などと併用することにより、これらの層が奏する効果と相俟って、一層すぐれた特性を創出することができる。
下部層、上部層を設ける場合、前述したような効果を十分に奏するためには、下部層に含まれるTi化合物層の合計平均層厚については、0.1μm以上とすることが好ましく、上部層に含まれる酸化アルミニウム層の平均層厚については1μm以上とすることが好ましい。一方、下部層に含まれるTi化合物層の合計平均層厚が20μmを超えると結晶粒が粗大化し易くなり、チッピングを発生しやすくなる。また、上部層に含まれる酸化アルミニウム層の平均層厚が25μmを超えると結晶粒が粗大化し易くなり、チッピングを発生しやすくなる。
【0024】
本発明の硬質被覆層を構成するTiとAlとSiの複合窒化物または複合炭窒化物層の垂直断面を模式的に表した図を
図1に示す。