【実施例】
【0034】
《概要》
摺動面の種類が異なる複数の供試材(摺動部材)と、Mo三核体(油溶性モリブデン化合物)を含有した潤滑油(「配合オイル」という。)とを組合わせて、摺動試験(ブロックオンリング摩擦試験)を行った。この試験結果等に基づいて、本発明をより具体的に説明する。
【0035】
《試料の製造》
(1)基材
焼入れ処理した鋼材(JIS SCM420)からなるブロック状(6.3mm×15.7mm×10.1mm)の基材を複数用意した。各基材の表面(被覆処理面)は鏡面仕上げ(表面粗さ:Ra0.08μm)した。
【0036】
基材の表面に、炭化クロム膜(単に「CrC(膜)」ともいう。/試料1)、窒化クロム膜(単に「CrN(膜)」ともいう。/試料C1)またはクロムメッキ膜(単に「Crメッキ」ともいう。/試料C2)をそれぞれ被覆した試料と、被膜を形成せず基材の表面を浸炭面(硬さ:HV700、表面粗さ:Ra0.08μm)とした試料(単に「浸炭材」ともいう。/試料C0)とを用意した。
【0037】
(2)成膜
CrC膜は、アンバランスマグネトロンスパッタリング装置を用いて成膜した。具体的にいうと、チャンバー内を予備排気した後、純CrターゲットをArガスでスパッタリングし、基材表面にCr中間層を形成した。これに続いて、C
2H
2ガスをさらに導入して、CrC膜を合成した。
【0038】
CrN膜は、同じスパッタリング装置を用いて、純CrからなるターゲットをArガスでスパッタリングし、放出されたCr原子(イオン)とN
2ガスを反応させて合成した。
【0039】
Crメッキは、クロム酸−ケイフッ化ナトリウム−硫酸浴で、浴温度:50〜60℃、電流密度:30〜60A/dm
2として成膜した。
【0040】
《摺動試験前の測定》
(1)膜組成
摺動試験前に各試料の膜組成をEPMA(日本電子株式会社製JXA−8200)により定量した。この結果を表1に併せて示した。なお、鋼材(SCM420)の基材組成(単位:質量%)は、Cr:0.9〜1.2%、C:0.17〜0.23%、Si:0.15〜0.35%、Mn:0.60〜0.90%、残部:Feおよび不可避不純物である。
【0041】
(2)膜構造
ラマン分光装置(日本分光株式会社製NRS−3200)を用いてCrC膜を分析した。この分析は、摺動試験前のみならず、摺動試験後も行った。また、比較のため、市販のDLC膜(株式会社神戸製鋼所製)と、標準品であるMoS
2も分析した。それらのラマンスペクトルを
図3に併せて示した。
【0042】
また、CrC膜をX線回折により分析したところ、そのプロフィルから、主にCrC膜はCr
7C
3結晶とCr
3C
2結晶とからなることが確認された。同様のことは透過型電子顕微鏡(TEM)による電子線回折からも確認されている。
【0043】
さらにCrC膜が結晶質であることは、
図3に示すCrC膜のラマンスペクトルに、非晶質なDLC膜(非晶質)に現れるようなピークが観られないことからもわかる。
【0044】
《潤滑油》
摩擦試験に用いる潤滑油として、粘度グレード0W−20でILSAC GF−5規格に相当するエンジンオイル(トヨタ自動車株式会社製モーターオイルSN 0W−20)を用意した。このエンジンオイルは、モリブデンジチオカーバメート(MoDTC)を含んでいない。
【0045】
このエンジンオイルに、Infineum社の公開資料「Molybdenum Additive Technology for Engine Oil Applications」にて“Trinuclear”と記されたMo三核体(適宜、単に「Mo三核体」という。)を、オイル全体に対するMo含有量が80ppmMo相当となるように追加配合した。この配合オイルの成分を表2に示した。
【0046】
《摺動試験》
(1)摩擦係数
各供試材と配合オイルとを組合わせてブロックオンリング摩擦試験(単に「摩擦試験」という。)を行い、各摺動面の摩擦係数(μ)を測定した。こうして得られた各摩擦係数を対比して、
図1に棒グラフで示した。
【0047】
摩擦試験は、各供試材を摺動面幅6.3mmのブロック試験片とし、浸炭鋼材(AISI4620)から成るFALEX社製S−10標準試験片(硬さHV800、表面粗さ1.7〜2.0μmRzjis)をリング試験片(外径φ35mm、幅8.8mmの)として行った。この際、試験荷重:133N(ヘルツ面圧:210MPa)、すべり速度:0.3m/s、油温:80℃(一定)として、30分間の摩擦試験を行い、試験終了直前の1分間におけるμ平均値を本試験における摩擦係数とした。
【0048】
(2)摺動面の摩耗深さ
摩擦試験後の各摺動面の表面形状(粗さ)を、白色干渉法非接触表面形状測定機(Zygo社製NewView5000)を用いて測定した。これにより求めた各摩耗深さを対比した棒グラフを
図2に示した。ちなみに、CMS社製Calotestを用いて摩耗痕から特定した試験前の各膜厚は1〜2μm(CrC膜:1〜1.5μm)であった。
【0049】
(3)摺動面の分析
摩擦試験後の各摺動面を、X線光電子分光(XPS)により分析した。各摺動面で検出された元素の割合(原子%)を表1に併せて示した。
【0050】
また、摩擦試験後の各摺動面を、飛行時間型2次イオン質量分析法(TOF−SIMS/Ion-Tof社製TOF-SIMS装置)により測定した。この際、1次イオンとして30keVのBi
+ビームを用いて、領域100μm×100μmで高分解能スペクトル測定を実施した。これにより得られた摺動面上の各元素の分析結果を
図4に示した。
【0051】
《評価》
(1)摩擦係数
図1から明らかなように、Mo三核体を含む潤滑油を用いた場合、浸炭材に係る摩擦係数よりも、Cr系被膜に係る摩擦係数の方が低い。特に、CrC膜に係る摩擦係数は、浸炭材に係る摩擦係数に対して、60%以上も顕著に低くなった。
【0052】
潤滑油に含まれる添加剤の影響を調査するため、添加剤を含有していないベースオイル(YUBASE8 GroupIIIベースオイル)も用意して、上述した摩擦試験を同様に行った。このとき、CrC膜に係る摩擦係数は0.09であった。さらに、Mo三核体を配合していない上述したエンジンオイルを用いた場合、摩擦係数は0.08であった。これらのことから、Mo三核体を含む潤滑油とCrC膜との組合わせにより、摩擦係数が著しく低下することが明らかとなった。
【0053】
(2)耐摩耗性
図2から明らかなように、Mo三核体を含む潤滑油を用いた場合、浸炭材に係る摩耗深さよりも、Cr系被膜に係る摩耗深さの方が小さい。特に、CrC膜に係る摩耗深さは、浸炭材に係る摩耗深さに対して、1/5以下にまで低減した。これらのことから、Mo三核体を含む潤滑油とCrC膜との組合わせによって、低摩擦化と高耐摩耗化を高次元で両立できることが明らかとなった。
【0054】
(3)考察
CrC膜とMo三核体を含有した潤滑油との組合わせにより、低摩擦化と高耐摩耗化を高次元で両立できるようになった理由は次のように推察される。
【0055】
摺動試験後の摺動面を観察したXPSによる分析結果(表1参照)からわかるように、CrC膜は浸炭材やCrN膜よりも、Zn、P、Nの摺動面への吸着が少なく、逆に、Ca、S、Moの摺動面への吸着が多かった。
【0056】
また、TOF−SIMSによる分析結果(
図4参照)からも、XPSによる分析結果と同様なことがわかると共に、CrC膜では浸炭材やCrN膜では検出されなかったMo
3S
7-フラグメントが検出されることもわかった。これはMo三核体に由来するものである。従ってCrC膜は、Mo三核体と作用することにより、摺動表面に多くのMoおよびSを検出させるようになったと推察される。
【0057】
さらに、ラマン分光分析の結果(
図5参照)からわかるように、摺動試験後のCrC膜上(摺動面上)には、摺動試験前に検出されなかったMoS
2に類似したスペクトルが検出された。このことから次のことが推察される。Mo三核体を含む潤滑油と接触するCrC膜は、摺動中に吸着したMo三核体と反応して、その表面にMoS
2と類似した層状構造体(境界膜)を生成する。これによりCrC膜は、Mo三核体を含む潤滑油の存在下で、優れた低せん断特性を発現するようになり、著しく低い摩擦係数が発揮されるようになったと推察される。
【0058】
CrC膜がMo三核体を含む潤滑油と協働することにより、高耐摩耗性が発現される理由は、上述した低摩擦発現要因と関連する他、CrC膜が結晶質で硬質であると共に、Mo、S以外にCaの吸着量が多く、厚い境界膜が形成されていることも大きな要因であると推察される。
【0059】
ちなみに、CrC膜は、Cr含有量が40%未満(特に30%以下)になると、非晶質炭素(DLC)からなるマトリックス(単に「DLCマトリックス」ともいう。)中に炭化クロムが分散した被膜となり、本発明に係るCrC膜のような高耐摩耗性は得られなかった。このようなDLCマトリックスからなる被膜は、軟質であることに加えて、潤滑油中に含まれる添加剤(例えばMo−DTC等)の影響を受けて、耐摩耗性が低下したと考えられる。なお、DLCマトリックスは、ラマン分光分析でDLC特有のアモルファススペクトルが得られていることから確認している(
図3参照)。
【0060】
【表1】
【0061】
【表2】