特許第6295285号(P6295285)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6295285
(24)【登録日】2018年2月23日
(45)【発行日】2018年3月14日
(54)【発明の名称】摺動システム
(51)【国際特許分類】
   C10M 139/00 20060101AFI20180305BHJP
   F16C 33/12 20060101ALI20180305BHJP
   F16C 33/10 20060101ALI20180305BHJP
   C23C 14/06 20060101ALI20180305BHJP
   C10N 10/12 20060101ALN20180305BHJP
   C10N 30/06 20060101ALN20180305BHJP
   C10N 40/02 20060101ALN20180305BHJP
   C10N 80/00 20060101ALN20180305BHJP
【FI】
   C10M139/00 Z
   F16C33/12 A
   F16C33/10 Z
   C23C14/06 B
   C10N10:12
   C10N30:06
   C10N40:02
   C10N80:00
【請求項の数】5
【全頁数】13
(21)【出願番号】特願2016-34900(P2016-34900)
(22)【出願日】2016年2月25日
(65)【公開番号】特開2017-149881(P2017-149881A)
(43)【公開日】2017年8月31日
【審査請求日】2017年2月27日
(73)【特許権者】
【識別番号】000003609
【氏名又は名称】株式会社豊田中央研究所
(73)【特許権者】
【識別番号】000003207
【氏名又は名称】トヨタ自動車株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100113664
【弁理士】
【氏名又は名称】森岡 正往
(74)【代理人】
【識別番号】110001324
【氏名又は名称】特許業務法人SANSUI国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】森 広行
(72)【発明者】
【氏名】遠山 護
(72)【発明者】
【氏名】奥山 勝
(72)【発明者】
【氏名】林 圭二
(72)【発明者】
【氏名】池田 直也
【審査官】 中野 孝一
(56)【参考文献】
【文献】 特開2015−108181(JP,A)
【文献】 特開2007−146090(JP,A)
【文献】 特開2015−227452(JP,A)
【文献】 特開2016−017174(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C10M101/00−177/00
C23C14/00−14/58、
F16C17/00−17/26、
F16C33/00−33/28
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
相対移動し得る対向した摺動面を有する一対の摺動部材と、
該対向する摺動面間に介在する潤滑油と、
を備えた摺動システムであって、
前記摺動面の少なくとも一方は、結晶質の炭化クロム膜で被覆された被覆面からなり、
前記潤滑油は、Moの三核体からなる化学構造を有する油溶性モリブデン化合物を含み、
前記炭化クロム膜は、膜全体を100原子%として、Cr:50〜75原子%を含むことを特徴とする摺動システム。
【請求項2】
前記炭化クロム膜は、CrとCrの少なくとも一方を含む請求項1に記載の摺動システム。
【請求項3】
前記三核体は、MoまたはMoの少なくとも一方の分子構造骨格を有する請求項1に記載の摺動システム。
【請求項4】
前記潤滑油は、前記油溶性モリブデン化合物を、該潤滑油全体に対するMoの質量割合で25〜900ppm含む請求項1または3に記載の摺動システム。
【請求項5】
前記被覆面には、摺動中にMoSが生成される請求項1〜4のいずれかに記載の摺動システム。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、炭化クロム膜と特定の化学構造を有する油溶性モリブデン化合物を含有した潤滑油との組合わせにより、低摩擦化と高耐摩耗化を両立し得る摺動システムに関する。
【背景技術】
【0002】
多くの機械は摺接しつつ相対移動する摺動部材を備える。このような摺動部材を有する系(本明細書では「摺動システム」という。/例えば、摺動機械)では、摺動面間の摩擦係数を低減することにより、摺動抵抗が小さくなり、性能の向上と共に稼動エネルギーの低減が図られる。また、低摩擦化のみならず、摺動面の高耐摩耗化により、摺動システムの耐久性や信頼性等の向上が図られる。
【0003】
ところで、摩擦係数や耐摩耗性等の摺動特性は、作動中における摺動面の表面状態と摺動面間の潤滑状態により異なり、その向上を図るために、摺動面の表面改質と摺動面間へ供給する潤滑剤(潤滑油)の改良がこれまで多く検討されてきた。これらに関連する記載が、例えば下記の特許文献にある。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【特許文献1】特開2004−339486号公報(欧州特許EP1462508B1号公報)
【特許文献2】特許第3728740号(特開平8−296030号)公報
【特許文献3】特許第5050048号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
特許文献1は、金属元素等を含まない一般的なDLC膜と、ベースオイルにモリブデンジチオカルバメートをMo量で550ppm添加した潤滑油とを組合わせることを提案している。もっとも特許文献1は、その組合わせにより摩擦係数が低減される旨を記載しているに留まり、そのメカニズムや耐摩耗性等について一切明らかにしていない。また、その組合わせにより得られる摩擦係数は高々0.1程度であり、未だ摩擦係数の低減が不十分である。
【0006】
特許文献2には、内燃機関用のピストンリングの外周摺動面に、CrN型窒化クロムとCrN型窒化クロムの混合イオンプレーティング皮膜を設け、そのCrNとCrNとの結晶方位比率を最適化することにより、ピストンリングの耐摩耗性や耐スカッフィング性等を改善する旨の記載がある。しかし、特許文献2には、一般的なエンジンオイルを潤滑油として耐摩耗性試験等を行っている旨の記載しかなく、上記の皮膜が摺動面間の摩擦係数へ及ぼす影響等については全く記載も示唆もされていない。
【0007】
なお、特許文献3には、炭素、窒素および硫黄を含む結晶質クロム堆積物(いわゆるCrメッキ)に関する記載があるが、その摺動特性については、何ら具体的な開示がなされていない。
【0008】
本発明はこのような事情に鑑みて為されたものであり、摺動被膜と潤滑油の新たな組合わせにより、低摩擦化と高耐摩耗化を図ることができる摺動システムを提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者はこの課題を解決すべく鋭意研究した結果、炭化クロム膜と、特定の化学構造を有する油溶性モリブデン化合物を含有した潤滑油との新たな組合わせにより、摺動面間の摩擦係数が大幅に低減されると共に、優れた耐摩耗性も得られることを発見した。この成果を発展させることにより、以降に述べる本発明を完成するに至った。
【0010】
《摺動システム》
(1)本発明の摺動システムは、相対移動し得る対向した摺動面を有する一対の摺動部材と、該対向する摺動面間に介在する潤滑油と、を備えた摺動システムであって、前記摺動面の少なくとも一方は、結晶質の炭化クロム膜で被覆された被覆面からなり、前記潤滑油は、Moの三核体からなる化学構造を有する油溶性モリブデン化合物を含み、前記炭化クロム膜は、膜全体を100原子%として、Cr:50〜75原子%を含むことを特徴とする。
【0011】
(2)本発明の摺動システムによれば、炭化クロム膜により被覆された摺動面と、特定の化学構造を有する油溶性モリブデン化合物を含む潤滑油とを組合わせることにより、摺動面間における摩擦係数の低減と耐摩耗性の向上とを高次元で両立し得る。具体的にいうと、摩擦係数が0.06以下、0.05以下さらには0.04以下となる低摩擦特性が発現され得る。また、例えば、鉄鋼材からなる摺動面に対して、炭化クロム膜からなる摺動面は、耐摩耗性を指標する摩耗深さも1/4以下さらには1/5以下となり得る。
【0012】
このような本発明の摺動システムは、境界潤滑(摩擦)条件から混合潤滑(摩擦)条件に至る厳しい条件下で長期間運転される駆動系機械等に特に好適であり、例えばエンジンや変速機等の駆動系ユニットに用いられれば、信頼性を確保しつつ燃費低減や性能向上等に大きく貢献し得る。
【0013】
(3)本発明に係る炭化クロム膜と潤滑油との組合わせにより優れた摺動特性が発現されるメカニズムは必ずしも定かではないが、現状では次のように考えられる。
【0014】
本発明の摺動システム(具体的には摺動機械)を稼働させると、潤滑油中に含まれるMoの三核体からなる油溶性モリブデン化合物(適宜「Mo三核体化合物」または単に「Mo三核体」という。)が、炭化クロム膜からなる摺動面上に吸着される。この吸着は、潤滑油中におけるMo三核体の含有量が極微量でも生じ得る。そして、理由は定かではないが、摺動システムの作動後(摺動時)、Mo三核体が吸着していた摺動面(炭化クロム膜)上には、MoSと同様な層状構造の硫化モリブデン化合物が生成し、これにより優れた低せん断特性が発現される。この結果、境界摩擦を含む広い運転状況下でも、炭化クロム膜からなる摺動面上で摩擦係数が大幅に低減されるようになったと考えられる。なお、生成される硫化モリブデン化合物の一部は、Mo三核体の他、これと競争吸着関係にある他の添加剤に含まれる元素(例えばMo、S等)を供給源として生成されても良い。
【0015】
また、本発明に係る炭化クロム膜は、結晶質からなり、通常、非晶質膜(DLC膜)や基材(例えば鋼材)よりも硬く、摺動相手側の摺動面へも移着しにくい。このため本発明の摺動システムによれば、上述した潤滑油の存在下で、高耐摩耗性も発揮されるようになったと考えられる。
【0016】
さらに、潤滑油中にCaが含まれる場合、摺動面上にはCaも吸着される。このCaは炭化クロム膜上に生成する境界膜の厚膜化に寄与する。厚い境界膜の生成により、摺動中における炭化クロム膜への攻撃性が緩和され、耐摩耗性のさらなる向上が図られるようになったと考えられる。なお、Caは、多かれ少なかれ、潤滑油に含まれることが多い。例えば、エンジンオイルなら、過塩基性Ca−スルホネートのような反応皮膜を形成する添加剤や清浄剤としてCaが含まれていることが多い。
【0017】
《その他》
(1)本発明に係るMo三核体は、末端に結合している官能基や分子量等は問わないが、MoまたはMoの少なくとも一方(特にMo)の分子構造骨格を有するものであると好ましい。参考までに、Moからなる硫化モリブデン化合物の一例を図5に示した。図中のRはヒドロカルビル基である。
【0018】
なお、本発明に係るMo三核体は、摺動面に吸着反応することにより、上述したMoS 以外に、Mo、Mo 、Moなどの化学構造を有する硫化モリブデン化合物をその摺動面上に形成してもよい。これら硫化モリブデン化合物も層状構造に基づく低剪断特性を摺動面間で発揮して、摩擦係数の低減に寄与し得る。
【0019】
(2)本発明に係る炭化クロム膜は、主にCrとCとからなるが、それ以外の元素として、低摩擦特性を阻害しないか、または低摩擦特性を改善するドープ元素(例えばO、N等)を含有していてもよい。炭化クロム膜中のCrとCは、CrCの他、CrまたはCrとして存在してもよい。本明細書では、適宜、炭化クロム(膜)をCrC(膜)と表記するが、その化合物または結晶構造がCrC単体に特定されることを意味するものではない。これらを踏まえて、本発明に係る炭化クロム膜は、膜全体を100原子%(単に「%」という。)として、Cr:40〜75%、45〜70%さらには50〜65%、C:25〜60%、30〜55%さらには35〜50%であると好適である。Crが過少では、非晶質炭素が生成され易く、結晶質の炭化クロム膜が得られない。Crが過多では炭化クロム膜の生成自体が困難となる。
【0020】
また炭化クロム膜にドープ元素等が含まれる場合、CrとC以外の元素は1〜10%さらには3〜7%程度であると好ましい。なお、本明細書でいう膜組成は、電子線マイクロアナライザ(EPMA)により特定される。また、本発明に係る炭化クロム膜が結晶質であることは、X線回折またはラマン分光分析により確認される。
【0021】
(3)本発明でいう「摺動システム」は、摺動部材と潤滑油を備えれば足り、機械としての完成体に限らず、その一部を構成する機械要素の組合わせ等でもよい。本発明の摺動システムは、適宜、摺動構造、摺動機械(例えばエンジン、変速機)等と換言してもよい。
【0022】
本発明に係る炭化クロム膜による被覆面は、相対移動する対向した摺動部材の少なくとも一方の摺動面に形成されていればよい。勿論、対向する両摺動面とも炭化クロム膜による被覆面となっているとより好ましい。
【0023】
(4)特に断らない限り本明細書でいう「x〜y」は下限値xおよび上限値yを含む。本明細書に記載した種々の数値または数値範囲に含まれる任意の数値を新たな下限値または上限値として「a〜b」のような範囲を新設し得る。
【図面の簡単な説明】
【0024】
図1】各試料に係る摩擦係数を比較した棒グラフである。
図2】各試料に係る摩耗深さを比較した棒グラフである。
図3】各試料に係るラマンスペクトルである。
図4】各試料に係るTOF―SIMSの表面分析結果である。
図5】本発明に係るMo三核体の一例を示す分子構造図である。
【発明を実施するための形態】
【0025】
上述した本発明の構成要素に、本明細書中から任意に選択した一つまたは二つ以上の構成要素を付加し得る。本明細書で説明する内容は、本発明の摺動システム全体としてのみならず、それを構成する摺動部材や潤滑油にも適宜該当し、また製造方法に関する構成要素は、一定の場合(構造または特性により「物」を直接特定することが不可能であるかまたは非実際的である事情(不可能・非実際的事情)等がある場合)、プロダクトバイプロセスとして「物」に関する構成要素ともなり得る。いずれの実施形態が最良であるか否かは、対象、要求性能等によって異なる。
【0026】
《潤滑油》
本発明に係る潤滑油は、Mo三核体を含むものであれば、基油の種類や他の添加剤の有無等を問わない。通常、エンジンオイル等の潤滑油には、S、P、Zn、Ca、Mg、Ca、BaまたはCu等を含む種々の添加剤が含まれる。このような潤滑油中でも、本発明に係るMo三核体は、炭化クロム膜で被覆された摺動面(被覆面)上に優先的に作用し、摩擦係数を低減させ得る硫化モリブデン化合物(MoS、Mo、Mo 、Mo等)の生成させる。
【0027】
なお、本発明に係る潤滑油は、Mo三核体以外のMo系化合物(例えばMoDTC等)を含んでもよいが、Moはレアメタルの一種であり、含有されるMoの合計量は少ないほど好ましい。
【0028】
Mo三核体が過少であると、上記のような効果が発揮され難くなるが、Mo三核体は過多でも問題はない。但し、上述したようにMoの使用量は少ないほど好ましい。そこで本発明に係るMo三核体は、潤滑油全体に対するMoの質量割合で25〜900ppm、50〜800ppm、60〜500ppmさらには70〜200ppmであると好ましい。なお、潤滑油全体に対するMoの質量割合をppmで表すときは「ppmMo」と表記する。ちなみに、Mo三核体以外のMo系化合物等が潤滑油中に含まれる場合でも、そのMo総量の上限値は、潤滑油全体に対して1000ppmMoさらには400ppmMoであると好ましい。
【0029】
《炭化クロム膜》
本発明に係る炭化クロム膜は、その成膜方法を問わないが、例えば、スパッタリング(SP)法(特にアンバランスドマグネトロンスパッタリング(UBMS)法、アークイオンプレティーング(AIP)法等の物理蒸着(PVD)法により、所望の炭化クロム膜が効率的に形成され得る。
【0030】
SP法は、ターゲットを陰極側、被覆処理面を陽極側として電圧を印加し、グロー放電により生じた不活性ガス原子イオンをターゲット表面に衝突させて、飛び出したターゲットの粒子(原子・分子)を被覆処理面に堆積させて皮膜を形成する方法である。本発明の場合なら、例えば、ターゲットを金属Cr、不活性ガスをArガスとしてスパッタリングを行い、放出されたCr原子(イオン)によりCr中間層を形成した後、さらに導入した炭化水素ガス(Cガス等)と反応させることにより摺動面上に炭化クロム膜を形成することができる。
【0031】
AIP法は、例えば、反応ガス(プロセスガス)中で、金属ターゲット(蒸発源)を陰極としてアーク放電を起こし、金属ターゲットから生じた金属イオンと反応ガス粒子を反応させて、バイアス電圧(負圧)を印加した被覆処理面に、緻密な皮膜を形成する方法である。本発明の場合なら、例えば、ターゲットを金属Cr、反応ガスを炭化水素ガス(Cガス等)とするとよい。
【0032】
また、CrとC以外のドープ元素を含む炭化クロム膜であれば、そのドープ元素を含むターゲットまたは反応ガスを用いるとよい。また、ターゲットや反応ガスの成分を調整する他、反応ガスのガス圧を調整して、炭化クロム膜の組成、構造等を調整することもできる。
【0033】
《用途》
本発明に係る摺動部材は、潤滑油を介在させつつ相対移動する摺動面を有するものであれば、その種類、形態、摺動様式等を問わない。このような摺動部材を備える摺動システムも、その具体的な形態、様式、用途等を問わず、信頼性の確保を前提に、摺動抵抗の低減や摺動による機械損失の低減が要求される多種多様な機械や装置等に幅広く適用され得る。例えば、自動車等のエンジンユニットや駆動系ユニット(変速機等)に本発明の摺動システムが利用されると好適である。このような摺動システムを構成する摺動部材として、例えば、動弁系を構成するカム、バルブリフタ(例えば、摺動面がカムとの接触面)、フォロワ、シム、バルブ、バルブガイド等、その他、ピストン(例えば、摺動面がピストンスカート)、ピストンリング、ピストンピン、クランクシャフト、歯車、ロータ、ロータハウジング、バルブ、バルブガイド、ポンプ等がある。
【実施例】
【0034】
《概要》
摺動面の種類が異なる複数の供試材(摺動部材)と、Mo三核体(油溶性モリブデン化合物)を含有した潤滑油(「配合オイル」という。)とを組合わせて、摺動試験(ブロックオンリング摩擦試験)を行った。この試験結果等に基づいて、本発明をより具体的に説明する。
【0035】
《試料の製造》
(1)基材
焼入れ処理した鋼材(JIS SCM420)からなるブロック状(6.3mm×15.7mm×10.1mm)の基材を複数用意した。各基材の表面(被覆処理面)は鏡面仕上げ(表面粗さ:Ra0.08μm)した。
【0036】
基材の表面に、炭化クロム膜(単に「CrC(膜)」ともいう。/試料1)、窒化クロム膜(単に「CrN(膜)」ともいう。/試料C1)またはクロムメッキ膜(単に「Crメッキ」ともいう。/試料C2)をそれぞれ被覆した試料と、被膜を形成せず基材の表面を浸炭面(硬さ:HV700、表面粗さ:Ra0.08μm)とした試料(単に「浸炭材」ともいう。/試料C0)とを用意した。
【0037】
(2)成膜
CrC膜は、アンバランスマグネトロンスパッタリング装置を用いて成膜した。具体的にいうと、チャンバー内を予備排気した後、純CrターゲットをArガスでスパッタリングし、基材表面にCr中間層を形成した。これに続いて、Cガスをさらに導入して、CrC膜を合成した。
【0038】
CrN膜は、同じスパッタリング装置を用いて、純CrからなるターゲットをArガスでスパッタリングし、放出されたCr原子(イオン)とNガスを反応させて合成した。
【0039】
Crメッキは、クロム酸−ケイフッ化ナトリウム−硫酸浴で、浴温度:50〜60℃、電流密度:30〜60A/dmとして成膜した。
【0040】
《摺動試験前の測定》
(1)膜組成
摺動試験前に各試料の膜組成をEPMA(日本電子株式会社製JXA−8200)により定量した。この結果を表1に併せて示した。なお、鋼材(SCM420)の基材組成(単位:質量%)は、Cr:0.9〜1.2%、C:0.17〜0.23%、Si:0.15〜0.35%、Mn:0.60〜0.90%、残部:Feおよび不可避不純物である。
【0041】
(2)膜構造
ラマン分光装置(日本分光株式会社製NRS−3200)を用いてCrC膜を分析した。この分析は、摺動試験前のみならず、摺動試験後も行った。また、比較のため、市販のDLC膜(株式会社神戸製鋼所製)と、標準品であるMoSも分析した。それらのラマンスペクトルを図3に併せて示した。
【0042】
また、CrC膜をX線回折により分析したところ、そのプロフィルから、主にCrC膜はCr結晶とCr結晶とからなることが確認された。同様のことは透過型電子顕微鏡(TEM)による電子線回折からも確認されている。
【0043】
さらにCrC膜が結晶質であることは、図3に示すCrC膜のラマンスペクトルに、非晶質なDLC膜(非晶質)に現れるようなピークが観られないことからもわかる。
【0044】
《潤滑油》
摩擦試験に用いる潤滑油として、粘度グレード0W−20でILSAC GF−5規格に相当するエンジンオイル(トヨタ自動車株式会社製モーターオイルSN 0W−20)を用意した。このエンジンオイルは、モリブデンジチオカーバメート(MoDTC)を含んでいない。
【0045】
このエンジンオイルに、Infineum社の公開資料「Molybdenum Additive Technology for Engine Oil Applications」にて“Trinuclear”と記されたMo三核体(適宜、単に「Mo三核体」という。)を、オイル全体に対するMo含有量が80ppmMo相当となるように追加配合した。この配合オイルの成分を表2に示した。
【0046】
《摺動試験》
(1)摩擦係数
各供試材と配合オイルとを組合わせてブロックオンリング摩擦試験(単に「摩擦試験」という。)を行い、各摺動面の摩擦係数(μ)を測定した。こうして得られた各摩擦係数を対比して、図1に棒グラフで示した。
【0047】
摩擦試験は、各供試材を摺動面幅6.3mmのブロック試験片とし、浸炭鋼材(AISI4620)から成るFALEX社製S−10標準試験片(硬さHV800、表面粗さ1.7〜2.0μmRzjis)をリング試験片(外径φ35mm、幅8.8mmの)として行った。この際、試験荷重:133N(ヘルツ面圧:210MPa)、すべり速度:0.3m/s、油温:80℃(一定)として、30分間の摩擦試験を行い、試験終了直前の1分間におけるμ平均値を本試験における摩擦係数とした。
【0048】
(2)摺動面の摩耗深さ
摩擦試験後の各摺動面の表面形状(粗さ)を、白色干渉法非接触表面形状測定機(Zygo社製NewView5000)を用いて測定した。これにより求めた各摩耗深さを対比した棒グラフを図2に示した。ちなみに、CMS社製Calotestを用いて摩耗痕から特定した試験前の各膜厚は1〜2μm(CrC膜:1〜1.5μm)であった。
【0049】
(3)摺動面の分析
摩擦試験後の各摺動面を、X線光電子分光(XPS)により分析した。各摺動面で検出された元素の割合(原子%)を表1に併せて示した。
【0050】
また、摩擦試験後の各摺動面を、飛行時間型2次イオン質量分析法(TOF−SIMS/Ion-Tof社製TOF-SIMS装置)により測定した。この際、1次イオンとして30keVのBi+ビームを用いて、領域100μm×100μmで高分解能スペクトル測定を実施した。これにより得られた摺動面上の各元素の分析結果を図4に示した。
【0051】
《評価》
(1)摩擦係数
図1から明らかなように、Mo三核体を含む潤滑油を用いた場合、浸炭材に係る摩擦係数よりも、Cr系被膜に係る摩擦係数の方が低い。特に、CrC膜に係る摩擦係数は、浸炭材に係る摩擦係数に対して、60%以上も顕著に低くなった。
【0052】
潤滑油に含まれる添加剤の影響を調査するため、添加剤を含有していないベースオイル(YUBASE8 GroupIIIベースオイル)も用意して、上述した摩擦試験を同様に行った。このとき、CrC膜に係る摩擦係数は0.09であった。さらに、Mo三核体を配合していない上述したエンジンオイルを用いた場合、摩擦係数は0.08であった。これらのことから、Mo三核体を含む潤滑油とCrC膜との組合わせにより、摩擦係数が著しく低下することが明らかとなった。
【0053】
(2)耐摩耗性
図2から明らかなように、Mo三核体を含む潤滑油を用いた場合、浸炭材に係る摩耗深さよりも、Cr系被膜に係る摩耗深さの方が小さい。特に、CrC膜に係る摩耗深さは、浸炭材に係る摩耗深さに対して、1/5以下にまで低減した。これらのことから、Mo三核体を含む潤滑油とCrC膜との組合わせによって、低摩擦化と高耐摩耗化を高次元で両立できることが明らかとなった。
【0054】
(3)考察
CrC膜とMo三核体を含有した潤滑油との組合わせにより、低摩擦化と高耐摩耗化を高次元で両立できるようになった理由は次のように推察される。
【0055】
摺動試験後の摺動面を観察したXPSによる分析結果(表1参照)からわかるように、CrC膜は浸炭材やCrN膜よりも、Zn、P、Nの摺動面への吸着が少なく、逆に、Ca、S、Moの摺動面への吸着が多かった。
【0056】
また、TOF−SIMSによる分析結果(図4参照)からも、XPSによる分析結果と同様なことがわかると共に、CrC膜では浸炭材やCrN膜では検出されなかったMo-フラグメントが検出されることもわかった。これはMo三核体に由来するものである。従ってCrC膜は、Mo三核体と作用することにより、摺動表面に多くのMoおよびSを検出させるようになったと推察される。
【0057】
さらに、ラマン分光分析の結果(図5参照)からわかるように、摺動試験後のCrC膜上(摺動面上)には、摺動試験前に検出されなかったMoSに類似したスペクトルが検出された。このことから次のことが推察される。Mo三核体を含む潤滑油と接触するCrC膜は、摺動中に吸着したMo三核体と反応して、その表面にMoSと類似した層状構造体(境界膜)を生成する。これによりCrC膜は、Mo三核体を含む潤滑油の存在下で、優れた低せん断特性を発現するようになり、著しく低い摩擦係数が発揮されるようになったと推察される。
【0058】
CrC膜がMo三核体を含む潤滑油と協働することにより、高耐摩耗性が発現される理由は、上述した低摩擦発現要因と関連する他、CrC膜が結晶質で硬質であると共に、Mo、S以外にCaの吸着量が多く、厚い境界膜が形成されていることも大きな要因であると推察される。
【0059】
ちなみに、CrC膜は、Cr含有量が40%未満(特に30%以下)になると、非晶質炭素(DLC)からなるマトリックス(単に「DLCマトリックス」ともいう。)中に炭化クロムが分散した被膜となり、本発明に係るCrC膜のような高耐摩耗性は得られなかった。このようなDLCマトリックスからなる被膜は、軟質であることに加えて、潤滑油中に含まれる添加剤(例えばMo−DTC等)の影響を受けて、耐摩耗性が低下したと考えられる。なお、DLCマトリックスは、ラマン分光分析でDLC特有のアモルファススペクトルが得られていることから確認している(図3参照)。
【0060】
【表1】
【0061】
【表2】
図1
図2
図3
図4
図5