(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
【背景技術】
【0002】
鉄道における軌道には,軌道狂いが発生する。軌道狂いは,列車の繰り返し荷重によって軌道に生じる残留変位である。軌道の多くは,軌道狂いの発生を許容範囲内に保守管理することを前提としており,検査,判定,修繕を繰り返し,品質管理水準の維持と向上が図られている。軌道狂いには,絶対値と相対値の2種類がある。軌道狂いの絶対値は,計器などにより直接測定される。軌道狂いの相対値は,弦を用い,その始端点,中点,終端点間で測定される。本願明細書では,以降,特に断らない限り,「軌道狂い」とは,弦を用いた相対値を表す。軌道狂いのうち,軌道形状の上下方向の狂いを「高低狂い」,左右方向の狂いを「通り狂い」という。軌道狂いの測定では,軌道の長手方向の距離として,距離軸を軌道に沿って設定した測線距離が用いられる。
図26に示されるように,測線距離軸上に一定の長さL[m]の弦が張られ,弦中点におけるレールと弦との離れ(最短距離)が,弦長Lの1/2だけ重複させながら,連続で測線距離方向に測定される。この測定方法は,正矢法と呼ばれる。弦中点におけるレールと弦との離れを「正矢」といい,上下方向の離れを「高低正矢」,左右方向の離れを「通り正矢」という。測定された正矢値(以下,「測定正矢」,記号mを使用)は,設計線形から定まる所定の正矢値(以下,「設計正矢」,記号dを使用)と比較される。設計正矢d[mm]と測定正矢m[mm]との差が管理目標値を超えた箇所が抽出され,修繕計画が立案される。
【0003】
直線では,設計正矢d[mm]の値は,弦長L[m]に関わらず,高低正矢,通り正矢とも基本的に0[mm]である。
【0004】
平面曲線や縦曲線においては,設計正矢d[mm]の値は,設計曲線半径(以下,R[m])と,使用する弦長L[m]から,近似式(数式1)により計算される。なお,縦曲線は,軌道における上下勾配の変更点前後に用いられる。
【0005】
【数1】
【0006】
特に鉄道で用いられる平面曲線には,直線(R=∞)と円曲線(R≧160[m]:一定値)までの間を徐々に曲線半径Rを変化させる,緩和曲線(Transition Curve)とよばれる線形が設定されている。緩和曲線は,当該曲線を走行する車両に発生する遠心力の急変を防ぐために設けられる。この緩和曲線の長さ(Transition Curve Length,以下,TCL[m])は,当該曲線を通過する列車速度V[km/h]と曲線での遠心力を軽減するために設定されている左右レールの傾斜量(以下,「カント」,記号Cを使用[mm])に関連づけられて決定される。
【0007】
平面曲線内の各点iにおける通りの設計正矢値d
iは,緩和曲線部において徐々に変化し,円曲線内で一定値となり,
図27に示すような台形形状を描く。これを「台形正矢図」と呼ぶ場合がある。この図は,当該曲線内を自動車で走行する場合の各地点におけるハンドル角度を表した図と等価となる。正矢図の変化や凹凸は,鉄道における乗り心地に大きな影響を与える重要な要素である。数学的に見れば,設計正矢値d
iは,設計線形の2階差分値,すなわち曲率の値に相当する。
【0008】
平面曲線の実際の形状が台形状の正矢図になることからも明らかなように,正矢法により出力される正矢値及び正矢波形は,実際の軌道の線形形状(以下,「実形状」)とは異なる。
【0009】
例えば,
図28に示されるように,10m弦正矢法により得られる正矢波形(下側の波形)は,実形状(上側の波形)とは異なったものが出力される。特に,正矢波形で二重の丸印で示した箇所において,実形状では軌道が狂っていないにもかかわらず,正矢波形では狂いがあると判断される「擬似狂い」と呼ばれる出力が生じている。
【0010】
実形状を波長Λ[m]の正弦波の正弦波とした場合,この正弦波におけるLm弦正矢の検出倍率h
Λは,三角関数の加法定理を用いて,次式のように導出される。
【0011】
【数2】
【0012】
図29は,数式2を図示したグラフである。この図に示されるように,10m弦正矢法により,実形状に含まれている様々な波長Λが,10m弦固有の検出倍率h
Λで増幅又は減衰されて出力されるので,正矢波形が実形状と異なったものとなる。
【0013】
検出倍率h
Λは,実形状が有する波長Λ[m]に対して,0〜2の間で変動する。Λ=10[m]波長成分の振幅は,10m弦正矢の場合,実際より2倍に増幅される。検出倍率h
Λは,Λ>10[m]の場合,波長Λが長くなるほど低下し,Λ=30[m]で1/2となり,Λ=100[m]では1/20を下回り,その波長成分は殆ど検出されなくなる。また,0<Λ<10[m]の場合,検出が不能(h
Λ=0)となる波長Λが,弦長Lの1/(2×k)倍(k=1,2,3…)に存在する。
【0014】
しかし,波長Λ=5[m],2.5[m],1.25[m]の帯域の軌道狂いは,レールとマクラギで構成される軌道構造の剛性を考えれば,発生は極めて稀であり,軌道狂いとしての管理対象とはされていない。
【0015】
このように,10m弦正矢法を用いて軌道実形状を測定すると,実形状に存在するΛ=10[m]〜20[m]の波長成分が実際よりも増幅され,それ以上の波長帯域では,実際よりも減衰された誇張が行われることになる。
【0016】
この誇張は,在来線の速度域では,鉄道車両の振動特性と人間の感覚特性を合わせた補正と似ていることが,佐藤吉彦博士の研究によって明らかにされている(佐藤吉彦著「乗り心地の立場から見た軌道高低狂いの整備限度」鉄道技術研究報告第549号 1966年8月)。その研究によれば,10m弦正矢(高低)の検出特性と,60〜120km/hの速度での列車上下動揺の波長別応答倍率は,よく一致している。すなわち,10m弦正矢法は,当該速度域で走行する列車の揺れの原因となる軌道狂いを効果的に抽出できる。
【0017】
高速領域(在来線120km/h超,新幹線250km/h超)では,弦長をL=20m,40mと長くした正矢法を用いることにより,列車の揺れの原因となる長い波長の軌道狂い(以下,「長波長軌道狂い」)を効果的に抽出できることが知られている(高井秀之,内田雅夫著「在来線160km/h化に対応した軌道管理手法」日本鉄道施設協会誌1991年10月 P20〜25)(高井秀之,須永陽一,竹下邦夫著「新幹線の高速化に対応した軌道管理手法」鉄道総研報告Vol.9, No−1, P13〜18 1995年)。なお,本願の明細書において「新幹線」とは,全国新幹線整備法第二条で定義されている新幹線鉄道を意味する。
【0018】
弦長20m,40mの正矢値は,物理的な測定弦長を伸ばすことなく,弦長10mによる測定値から公知の「倍長弦公式」によって算出される。10m弦正矢法によるp=5[m]間隔の測定値をm
iとすれば,20m弦正矢値m20
iは,m20
i=m
i−1+2m
i+m
i+1と算出される。
【0019】
正矢法を用いた検査工程及び判定工程で抽出された箇所は,それに続く修繕工程において,実際に軌道を動かして,補修が行われる。以下,これを「保線作業」と記述する。保線作業では,正矢値を目標とする設計正矢値d
iとするために,「どこを・どれだけ・どの方向に動かすか」の情報(以下,「移動量」,記号gを使用[mm])を知ることが必要となる。
【0020】
移動量の決定方法の一つとして,交差法がある。交差法は,半弦長ずつ交差させた測定正矢データを,幾何学的図解法により,各地点の移動量に変換する計算法である。交差法による移動量は,実軌道で多くの施工実績がある。
【0021】
交差法の幾何学的計算原理を
図30を参照して説明する。
【0022】
点i−1,i,i+1での測定正矢を,それぞれm
i−1,m
i,m
i+1とする。
【0023】
点の移動に伴い変化する正矢を’付の記号で示す。
【0024】
点iを+g
i動かした場合,点iの正矢m
iは,
図30より,次式で算出される。
【0025】
m’
i=m
i+g
i
【0026】
点i−1,i+1での測定正矢m
i−1,m
i+1は,各弦の端部,点iが+g
i動く影響により,中点連結定理から,次の2式(数式3,数式4)のように正矢量が変化する。
【0027】
【数3】
【0028】
【数4】
【0029】
このとき,点iの両隣接,点i−1,点i+1は動かないとされる。
【0030】
なお,この原理には,倍長弦公式と同様の角度近似が行われているが,交差法に用いる弦長L=10[m]と鉄道曲線に用いる平面曲線半径R≧160[m]で考えれば,近似の影響は,無視できる数値である。
【0031】
次に,従来の移動量の計算法の一つとして,累積法について説明する。累積法は,各地点の測定正矢をm
i,設計正矢をd
iとし,地点iにおける正矢差を,f
i=(d
i−m
i)で定義すれば,第j番目(j≧2)の地点の移動量g
jは,1つ前の正矢測定地点(j−1)までの正矢差f
iを用いて以下の式により与えられることを利用した解法である。
【0032】
【数5】
【0033】
累積法は,正矢差f
iが測点iの増加と共に掛け合わされて累積されていくので,この名が付けられている。
【0034】
実際には,例えば,表計算ソフトを用い,計算表に既知の測定正矢m
i(i=1,2,…,n)を入力し,設計正矢d
i(i=1,2,…,n)を任意に与えることによって,移動量g
i(i=2,…,n+1)が対象区間で算出される。但し,最後の正矢測定箇所である測点nと,その時の弦の終端点となる点n+1においては,軌道の連続性の確保のため,両地点の移動量は0となる。
【0035】
【数6】
【0036】
この式の成立には,設計正矢d
iの設定において,次の2式(数式7,数式8)を満たせばよいことが知られている。
【0037】
【数7】
【0038】
【数8】
【0039】
しかし,緩和曲線長などの線形条件や,各点での移動制限などを満足させた上で,上記の2式の条件を満たす設計正矢d
iを設定するには相当の熟練を必要とするので,累積法は,使い難い計算法である。
【0040】
移動量の別の計算法に,平均法がある。平均法は,設計正矢d
iに幅を持たせ,前述した幾何学的計算原理を用いて,部分的かつ視覚的に解いていく方法である。平均法では,台形正矢図に現れる凹凸(隣接正矢差=曲率差)を滑らかにするように地点iを移動させる。この方法は,測定正矢の凹凸を平均的に揃えていくことから,「平均法」の名が付けられている。
【0041】
平均法の計算原理は,累積法と同様である。すなわち,点iの正矢値m
iは,その点iを+g
i動かした場合,m’
i=m
i+g
iとなり,前後の点i−1及び点i+1の正矢値m’
i−1,m’
i+1は,数式3及び数式4に従い変化する。このとき,点i−1,i+1は動かない。このような正矢変化の過程を視覚的に認識し,計算を進めるために,曲線整正計算機が開発されている(例えば,特許文献1参照)。
【0042】
この試行計算を繰り返し,緩和曲線長・形状(視覚的に確認できる),各点での移動制限,測点1及びnの連続条件(この2点は,物理的に動かせない構造である)を確認しながら移動量を決定する。
【0043】
平均法は,設計正矢値に一定の幅を持たせた演算を行うので,移動量の計算結果に個人差が発生する。一方で,平均法では,累積法で必須となる数式7,数式8の条件を全く意識する必要がないという利点がある。このため,保線現場で用いられている交差法は,専ら平均法である。
【0044】
このように,交差法における累積法及び平均法は,それぞれ長所・短所がある。さらに,交差法には,共通の課題があり,計算される移動量に,正矢測定時に生じる不可避な測定誤差が,僅かであっても,演算の過程で幾重にも積み重なる重畳現象が生じ,理論的には使用が不適切とされている。その論拠を以下に述べる。
【0045】
交差法による第n測点の移動量g
nは,設計正矢d
iを累積法・平均法のいずれで決定しても,数式5によって,次式で与えられる。
【0046】
【数9】
【0047】
ここで,m
iに含まれる測定誤差をm
eとし,平均=0,標準偏差=σの白色ノイズであると仮定すれば,計算された移動量g
nに含まれる誤差影響成分g
enは,次式で与えられる。
【0048】
【数10】
【0049】
【数11】
【0050】
分散の加法定理を用いれば,誤差影響成分g
enの分散Var[g
en]は,次式で与えられる。
【0051】
【数12】
【0052】
影響は,測定誤差m
eの分散(=σ
2)に対し,測点数nの増加に伴い急激に増大する。このため,交差法によって計算される移動量g
nは,軌道整備の実用に供するものに理論的になり得ないといわれてきた。
【0053】
加えて,幾何原理の前提となる「ある点iを移動させた場合,前後の点i−1,点i+1は動かない」についても,通常使用する10mの弦長と数十mm程度の移動量であれば,軌きょう剛性などから直感的な違和感こそないものの,理論的には何ら明確なものではない。
【0054】
交差法は,過去より多くの施工実績がある計算手法であるものの,その成果に対する理論的な分析は殆どなされておらず,統計学的に導き出される測定誤差の重畳問題より,その使用は不適切とされ,実務成果と理論評価に大きな技術的矛盾を有したまま今日に至っていた。
【0055】
交差法以外の移動量算定方法に復元法がある。復元法は,デジタル信号処理技術を応用し,交差法と同様に,軌道狂い検査で得られる正矢データを用いて軌道実形状を演算する手法であり,1987年に鉄道総合技術研究所の吉村彰芳博士により発表された(非特許文献1参照)。
【0056】
復元法では,10m弦正矢データをフーリエ変換によって波長分解を行い,各波長に対応した10m弦の検出倍率の逆数を掛け合わせた後に再合成し,軌道の実形状を得る。
【0057】
復元法は,次のような特徴を有する。
【0058】
波長分解された軌道狂いのうち,管理・修繕の対象とする波長帯域のみに絞った軌道の実形状計算が個人差なく一意に行える。
【0059】
この際に生じる位相差の影響を回避するために開発された,10m弦正矢法の検出特性と選択波長帯域の逆特性を合成したFIR(Finite Impulse Response)フィルターにより,演算対象区間前後の軌道の連続性が確保される。
【0060】
交差法での最大の課題である正矢測定誤差の重畳が殆ど生じない。
【0061】
FIRフィルターの一例を
図31に示す。このFIRフィルターによる復元波長は,100[m]までである。
図31において,横軸は,データ中心からの距離[m],縦軸は,増幅倍率である。
【0062】
復元法では,FIRフィルターの特性から,0.25〜1[m]間隔でのデジタルデータ,および対象区間前後に復元する軌道狂いの最長波長に応じて,350〜500[m]程度の追加測定が必要となる。このような大量の測定データが必要であるので,復元法の使用には,軌道検測車データの使用が前提となる。軌道検測車データを用いた復元法は,専用システムを導入した鉄道事業者において,2000年頃より移動量算定手法として導入されている。
【0063】
このような復元法が実用化される以前から,交差法は,理論的には適用不適とされるものの,現場での経験・実績がある交差法曲線整正の改良が各方面でなされ,交差法で算出された移動量を保線作業に用いることで,長波長軌道狂いを効果的に抑制し,実効をあげている。
【0064】
例えば,交差法に基づき,設計正矢及び測定正矢から逆行列を用いて修正量を算出する修正量算出システムが知られている(特許文献2参照)。しかしながら,この修正量算出システムでは,従来からある逆行列算出手法(掃き出し法,Gauss-jordan法等)によって逆行列を算出する必要があり,測点数nの増加に伴い,逆行列の算出が著しく難しくなる。
【0065】
また,この修正量算出システムでは,誤差を低減するために,修正量を算出した後にフィルタによって所定波長以上の波長成分を除去する。このような誤差の低減は,実用上は有効であるが,交差法において理論上不可能と考えられてきた測定誤差の重畳影響回避について理論的に解明されずに行われていた。
【0066】
また,従来,交差法を鉄道における曲線整正以外に応用することは,全く検討されていなかった。
【発明を実施するための形態】
【0082】
本願発明の発明者は,交差法の理論的再定義を行い,本願発明に至った。本願発明の構成を説明する前に,その交差法の理論的再定義について説明する。
【0083】
(用語・変数の定義等)
理論的再定義に先立ち,
図1を参照し,既出のものも含め,用語の定義を行う。記号は,文脈に即してスカラ,ベクトル,行列のいずれかを示す。
【0084】
「軌道」は,線路構造物のうちレールの部分を示す。
【0085】
「点」は,軌道上の一場所を示す用語として使用する。
【0086】
「弦」は,軌道上の異なる2点(レール頭頂面同士,又はレール頭頂面から14mm下がった位置同士)を始端・終端とする弦を示す。これは,その2点間の最短距離を意味する。
【0087】
「矢」は,弦の任意の場所における垂線と軌道上の交点までの距離を示す。任意の場所を弦の中点とする場合を特に「正矢」と呼ぶ。
【0088】
「測点」は,正矢測定をおこなう軌道上の点を示す用語として使用する。
【0089】
n:正矢測定点の総数を示す。測点数ともいう。行列,ベクトルの次元数に相当する。
【0090】
i,j,k:原則として測点番号を示す記号で使用する。特に断りなければ,1≦i,j,k≦n。
【0091】
L:弦長[m]。特に断りなければ,L=10[m]。
【0092】
p:測定間隔[m]。正矢法では,p=1/2×L[m]。
【0093】
測定正矢m
i:測点iで観測された正矢値を表わす。n次元ベクトル(n次元の列ベクトル)としてmと記す。
【0094】
設計正矢d
i:測点iにおける設計線形等より定まる正矢値を表わす。n次元ベクトルとしてdと記す。
【0095】
移動量g
i:測点iにおいて,測定正矢m
iを設計正矢d
iに修正するのに必要となる修正値を表わす。n次元ベクトルとしてgと記す。
【0096】
実形状y
i:弦に垂直かつ測点iを通るy(i)軸と,弦に平行な任意のx(i)軸(必ずしも測点iを通る必要はない)を一つ定義する。この直交座標内における点iのy(i)軸座標値を表わす。n次元ベクトルとしてyと記す。
【0099】
その他の記号,数列,ベクトル,行列は,都度定義する。
【0100】
(鉄道曲線における座標定義と漸化式)
鉄道で用いる様々の曲線形状を関数として扱う場合,その関数を一つの直交座標系で表すのが煩雑となるので,曲線に沿って距離軸を設定し,点iにおける一次もしくは二次の微係数(または差分)を同点でのx(i)軸,同垂線をy(i)軸とする部分直交座標で表わされる。正矢法は,実形状の二階差分量であるので,測点iを通る正矢測定弦と平行な座標軸をx(i)軸として用いることができる。
【0101】
図2(a)(b)において,第i番目の部分直交座標内での実形状各測点のy(i)軸座標をy
i−1,y
i,y
i+1とすれば,次式(数式13)より,m
iと未知の実形状y
iの関係を表す漸化式(数式14)が成立する。
【0104】
また,
図3(a)(b)に示されるように,曲線整正を行う対象区間の両端部,測点1および測点nにおける部分直交座標では,両外方の軌道線形と接続方向を変えずにスムーズな連続を確保する必要がある。この場合,両測点における一次差分を,部分直交座標のx(1)軸,x(n)軸としてとして考えることが出来るため,次の数式15より,数式16と数式17が成立する。
【0108】
数式14,数式16,数式17を用いることにより,全ての測点における正矢測定値(既知)と実形状(未知)の関係を定義することができる。
【0109】
(正矢変換行列T)
次に,ベクトル一次変換としての交差法定義について説明する。数式14,数式16,数式17を用いて,行列Tを次のように定義する。以降,行列Tを「正矢変換行列」と呼ぶ。
【0111】
正矢変換行列Tは,正方行列であり,その対角成分は1,対角成分に隣接する成分は1/2,それ以外の成分は0である。
【0112】
正矢変換行列Tを用いれば,既知である測定正矢ベクトルmと未知の実形状をあらわすベクトルyとの関係は,一次変換として数式19のように書ける。
【0114】
設計正矢ベクトルdが与えられたとき,設計正矢ベクトルdと未知の実形状をあらわすベクトルy
dとの関係を説明する。ここで,“ある部分直交座標系x(i)−y(i)において設計正矢d
iを観測する”とは,幾何交差法の原理である “点iが動く”として考えるのではなく,
図4(a)(b)に示されるように,「弦と平行で弦からm
iの距離にあるx(i)軸を(
図4(a)),弦と平行で弦からd
iの距離にあるx
d(i)軸に平行移動させた部分直交座標系x
d(i)−y(i)から未知の形状を観測すればどのように見えるか(
図4(b))」という座標変換問題に発想転換する。これにより,測定弦長と移動量の大小関係,あるいは軌きょう剛性などより“隣接点が動く,動かない”といった感覚的議論から脱し,ベクトルdとベクトルy
dとの関係を,弦長L[m]に関わらず正矢法全体に一般化することができる。
【0115】
この場合も,ベクトルdとベクトルy
dの相互の関係は,数式19と同様に,次の数式20で与えられる。
【0117】
ここで,ベクトルyとは,yがx(i)−y(i)座標系から見た実形状のy(i)座標の集合を意味する。ベクトルy
dとは,y
dがx
d(i)−y(i)座標系から見た実形状のy(i)座標の集合を意味する。
【0118】
数式20と数式19から数式21が導かれる。
【0120】
ここで新たなベクトルgを,数式22で定義すれば,gは,設計正矢dと測定正矢 mに基づいて行われる座標変換,各部分直交座標内で観測される未知の実形状間のy(i)軸方向の差になり,これが求めるべき移動量ベクトルである。
【数22】
【0121】
(交差法行列T
−1)
正矢変換行列Tは,正方行列であり,その行列式が0ではないので(det(T)≠0),逆行列T
−1が存在する。逆行列T
−1の例を
図5(a)(b)に示す。
図5(a)に示す逆行列T
−1は,偶数行列であり,次元数nが偶数である(例として,n=6)。
図5(b)に示す逆行列T
−1は,奇数行列であり,次元数nが奇数である(例として,n=7)。本願発明の発明者は,n次元の逆行列T
−1が以下に示す3つの特徴を有することを発見した。これらの特徴は,今まで知られていなかった(例えば,特許文献2参照)。
【0122】
第1の特徴として,逆行列T
−1は,2軸の対称軸をもつ非負の実対称行列となる。
【0123】
第2の特徴として,全ての成分は,(n+1)/2倍すれば自然数となる。
【0124】
第3の特徴として,次元数nのみで全成分が簡易に計算できる。
【0125】
即ち,逆行列T
−1は,逆行列算出手法(掃き出し法,Gauss-jordan法等)によらずにの成分を確定することができる。
図5(a)(b)においてハッチングを付した成分を算出すると,他の成分は逆行列T
−1の対称性(上記の第2の特徴)により確定する。逆行列T
−1の成分を式で示せば次式のようになる。この数式23で示す逆行列成分の規則性の証明は,後述する。
【0127】
以降,逆行列T
−1を「交差法行列」と呼ぶ。交差法行列T
−1を用いれば,移動量ベクトルgは,次式で求めることができる。
【0129】
数式24により,交差法は,既知の測定正矢ベクトルm及び設計正矢ベクトルdと未知の移動量ベクトルgとの間の一次変換として再定義される。また,数式18及び数式23より,正矢変換行列T,及び交差法行列T
−1は,ともに二軸実対称行列であり,対称行列が持つ様々な数学的利点が活用できる。
【0130】
(固有値問題としての交差法本質の解析)
次式のように,行列Aの一次変換すなわち座標変換作用に対し,方向を変えずに長さのみが変化するベクトルx及びそのスカラ倍率λを,それぞれ行列Aの固有ベクトル,固有値といい,行列Aの次元数n個だけ存在することが知られている。
【0132】
交差法行列T
−1による一次変換である数式24の結果を実務と照らし合わせて考えれば,測定される正矢も,計算により求められる移動量も,常に測定をおこなう弦(=部分直交座標x(i)軸)に対して直交方向である。これは行列T
−1の作用により向きを変えていない固有状態にあるといえる(180度方向が変わるものはマイナス・スカラ倍されたと解釈する)。したがって,交差法の作用を行列T
−1の固有値問題として捉え,固有ベクトル・固有値を求め,これを考察することで交差法の本質を解析することができる。なお正矢変換行列T及び交差法行列T
−1は,実対称行列であるため,固有値・固有ベクトルは,全て実数で求めることが出来る。
【0133】
固有値・固有ベクトルの導出について説明する。行列Tのi番目の固有値をλ
Ti,固有ベクトルをx
Tiとし,逆行列T
−1のi番目の固有値をλ
i,固有ベクトルをx
iとすると,次式の関係がある。したがって,行列Tと逆行列T
−1の一方の固有値・固有ベクトルを導出すれば,他方の固有値・固有ベクトルが簡単に導出される。逆行列T
−1固有値・固有ベクトルの導出では,成分に0が多い疎行列であるTの固有方程式を解く方が効率的である。
【0135】
固有方程式は,以下のように導出される。ここに,Eは,単位行列を示す。
【0137】
数式26においてベクトルxが0ベクトル以外の解を持つためには(T−λ
nE)に逆行列が存在してはならず,固有方程式は以下の式となる。
【0139】
この固有方程式を解くことにより,固有値・固有ベクトルが導出される。
【0140】
交差法行列T
−1の固有値λ
iは,次式のように導出される。
【0142】
正矢変換行列Tの固有値λ
Tiは,次式のように導出される。
【0144】
正規固有ベクトルu
iの成分u
ijは,次式のように導出される。
【0146】
固有値及び固有ベクトルの成分は,いずれも次元数nのみを変数とした三角関数を有し,正確に求めることが出来る(数式28〜数式30)。
【0147】
特に,正規化された第i番目の固有ベクトルu
iの成分(数式30)は,弦長n+1の両端固定弦の第i固有振動モード(以下,「第i定常波」)の式と一致する。
【0148】
固有空間行列とスペクトル分解の導出について説明する。
【0149】
正規固有ベクトルu
iと同転置ベクトル
tu
iを用いれば,S
i=u
itu
iより,数式31の固有空間行列S
iが導出される。
【0151】
S
iは射影子行列と呼ばれる特殊な行列であり,この行列による一次変換は,任意ベクトルのu
i成分(この場合は第i定常波成分)を抽出するという特性を持つ。
【0152】
以上の固有値λ
i,λ
Tiと固有空間行列S
iを用いることで,T
−1およびTは,固有値と固有空間行列S
iの線形式,数式32,数式33として表すことができる。この線形式を以下,「行列スペクトル分解」と表記する。
【0153】
交差法行列T
−1の行列スペクトル分解は,次式のように表される。
【0155】
正矢変換行列Tの行列スペクトル分解は,次式のように表される。
【0157】
(交差法理論解析の工学的意味と応用)
次に,前述した各種の理論解析より導かれた値,及び式の工学的な意味とメリット,その応用について述べる。
【0158】
(固有値と正矢法検出倍率)
測点数n,間隔p[m]で観測された軌道狂いを数式32,数式33により行列スペクトル分解した第1項,行列S
1により抽出される最長の波長をΛ
1[m]とすれば,
図6(a)(b)に示されるように,Λ
1[m]は,弦長(n+1)p[m]の第1定常波の波長であることから,次式が導かれる。
【0160】
以下同様に,行列S
iで分解されるi番目に長い定常波波長Λ
i[m](1≦i≦n)は,次式で求められる。
【0162】
一方で,波長Λ
i[m]の正弦波におけるLm弦正矢の検出倍率h
Λiは,数式2で与えられる。数式2に弦長L=2pと数式35を代入すれば,LとΛ
iが消去され,次式が得られる。
【0164】
数式36の右辺は,数式29の右辺と等しい。したがって,固有値と検出倍率の関係が次式のように得られる。
【0166】
すなわち,交差法行列T
−1の第i番目の固有値λ
iは,波長Λ
i[m]における弦長L(=2p)[m]正矢の検出倍率h
Λiの逆数(以下,「復元倍率」という)に一致する。
【0167】
正矢変換行列Tの第i番目の固有値λ
Tiは,波長Λ
i[m]における弦長L(=2p)[m]正矢の検出倍率h
Λiに一致する。
【0168】
(交差法行列T
−1及び正矢変換行列Tの作用,その工学的意味)
数式32のスペクトル分解に数式37を代入すると次式が得られる。
【0170】
数式38によれば,交差法行列T
−1の作用とは,任意ベクトルに含まれるΛ
i[m]の定常波成分の固有空間行列S
iによる抽出と,同波長におけるLm弦正矢の復元倍率(1/h
Λi)による増幅の和と解釈できる。これは,前述した復元法の考え方と似ており,フーリエ変換によらない点が復元法と相違する。
【0171】
一方,数式33のスペクトル分解に数式37を代入すると次式が得られる。
【0173】
この数式によれば,Lm弦の正矢変換行列Tの作用は,任意ベクトルに含まれるΛ
i[m]の定常波成分の固有空間行列S
iによる抽出と,Lm弦正矢の検出倍率(h
Λi)による増幅の和と解釈できる。したがって,過去より,
図29及び数式2で述べられてきた単一正弦波中での正矢の検出倍率h
Λiとは,正矢変換行列Tの持つ分解と増幅の二つの作用のうち,固有値λ
Tiによる増幅作用を表現したものであるといえる。
【0174】
ここでT
−1及びTが共通して持つ固有空間行列S
iによる定常波分解作用とは以下のように説明することができる。
【0177】
S
iを用いることで,任意のn次元ベクトルaは,自分自身をn個の定常波に分解することができる(行列スペクトル分解)。定常波に分解する対象のベクトルaは,任意のn次元ベクトルであるので,測定正矢m,設計正矢d,移動量g,実形状y等に限定されず,例えば,所定の時間間隔又は空間間隔で測定(サンプリング)されたn個の物理量であってもよい。したがって,行列スペクトル分解は,曲線整正以外の広い分野で利用することができる。
【0178】
本願の発明者が発見したこの行列スペクトル分解(数式41)は,正弦波に分解する機能を有するという点で,従来から知られている離散フーリエ変換(DFT:discrete Fourier transform)と似ているが,それとは異なる変換である。
【0179】
DFTと行列スペクトル分解を,間隔pで測定されたn個の離散値を変換する場合について比較する。DFTでは,n個の離散値はn−1個の正弦波に分解される。行列スペクトル分解では,n個の離散値はn個の正弦波に分解される(定常波振動モード)。
【0180】
DFTでは,最長の波長はΛ
1=p(n−1)[m]である。行列スペクトル分解では,最長の波長はΛ
1=2p(n+1)[m]である。
【0181】
DFTでは,最短の波長はΛ
n−1=2p[m]である。行列スペクトル分解では,最短の波長はΛ
n=2p(n+1)/n[m]である。
【0182】
DFTでは,一般的に直流成分(一定値)を有する。行列スペクトル分解では,直流成分は必ず0である。
【0183】
DFTでは,各波長の正弦波は一般的に位相差を有する。行列スペクトル分解では,各波長の正弦波の位相差は必ず0である。
【0184】
このように,行列スペクトル分解では,全てが定常波に分解される(すなわち,実数のみで計算される),直流成分が無いなどの様々な特徴を有する特殊な正弦波分解法である。
【0185】
本願発明の発明者が,交差法を理論的に再定義し,行列スペクトル分解を発見したことにより,鉄道の線路保守で古くから用いられてきた正矢法,および交差法には,あらゆる測定値を2×(測定延長p(n−1)[m]+自らの弦長2p[m])=2p(n+1)[m]を基本波長とするn個の定常波に分解する機能が内在していることが明らかになった。DFTを用いる復元法に対する交差法の本質的な相違は,行列スペクトル分解による波長分解機能の違いにある。
【0186】
(T
−1を用いた一次変換の工学的なメリット)
交差法行列T
−1,固有空間行列S
iを用いた一次変換の軌道工学的メリット及び意味を説明する。逆行列T
−1の成分確定に至るまでにどれだけ計算機のメモリーを消費するかの指標である計算量は,行列Tの次元数nが決まれば1回の計算で成分が確定することから(数式23),オーダーO(n
3)からO(n
2)以上に大幅に向上する。
【0187】
一般に,逆行列の計算には多くの除算が必要となるため,多元連立一次方程式を逆変換である数式24から直接解くことは丸め誤差の影響より推奨されない。一方でT
−1の成分は数式23により,T
−1をスペクトル分解した定常波抽出作用を持つS
iの成分は,数式31により,ともに次元数nのみを変数とした少数の除算で計算できるため,計算機のメモリー消費量の節約だけでなく,演算時の丸め誤差影響が最小限に抑えられ,計算精度が向上する。
【0188】
この効果を軌道で観測される正矢値を模した2種類の入力値(データ数n=31)を用いて検証した。
図7及び
図8に示すように,いずれも既知の入力値を与え,S
iを用いた行列スペクトル分解後に再度合成した値(グラフの凡例では「分解&再合成値」と表記する)との差を用いて演算精度の向上効果を数値化した。なお,
図7及び
図8では,識別性を上げるため入出力反転表示としている。第1の条件では,数式31により求めたS
iを用いた。第2の条件では,従来の逆行列算出法(Gauss-Jordan 法)及び固有ベクトル算出法(QR法)を用いた。
【0189】
入力値を軌道狂い成分相当とした場合,行列スペクトル分解後に再度合成した値と入力値との差は,数式31により求めたS
iを用いると,最大1.6×10
−14となり,従来の算出法と用いると,最大1.0×10
−3となった(
図7参照)。
【0190】
入力値を曲線半径R=250[m],緩和曲線長TCL50[m]の曲線基本成分相当とした場合,行列スペクトル分解後に再度合成した値と入力値との差は,数式31により求めたS
iを用いると,最大9.2×10
−14となり,従来の算出法と用いると,最大6.3×10
−3となった(
図8参照)。
【0191】
双方の演算とも実用上問題ない精度ではあるものの,その違いは10
−10以上に達するので,行列スペクトル分解を用いると,少ない除算で成分が確定することによる明らかな演算精度向上効果が認められる。
【0192】
数式32によれば,交差法行列T
−1を用いて出力される移動量gは,行列スペクトル分解によるn個の定常波の重ね合わせとなる。定常波は,弦の端で波の振幅が0である。したがって,交差法演算では,測点数n,入力正矢(差)値に関わらず,測点1における弦の始点(点0)及び測点nにおける弦の終端(点n+1)の2点において移動量が0になる。これは,どのような区間でサンプリングを行っても,交差法で計算された移動量は,「前後の軌道との連続が必ず保証される」ことを意味し,保線の実務において大変有用な特性である。
【0193】
交差法行列T
−1を用いた行列スペクトル分解と,DFTの一種であるFFT(Fast-Fourier-Transfer)を用いた波長分解とを,同一データを用いて比較した。
図9に示すように,データは,n=32のR=500[m]曲線における10m弦通り狂いを模したものを用いた。既知の入力値と,分解+再合成後の数値との差を用いて,両者の演算精度を比較した。演算の精度において,両者に明確な差は認められなかった。
【0194】
両者の分解に用いられる正弦波の違いを
図10(a)(b)に示す。双方の正弦波分解基底は全く異なる。加えて,測点1における弦の始端(点0)及び測点nにおける弦の終端(点n+1)における移動量は,行列スペクトル分解では0になるが(
図10(a)),FFTでは0になることが保証されない(
図10(b))。
【0195】
実場面では,この違いがサンプリング延長の差となって顕在化する.すなわちFFTを使用した場合,評価対象となる区間の外方に,軌道の連続を確保するための相応延長の追加サンプリングと,
図31に示したような平滑化のためのフィルター演算処理が必要となる。これに対して,行列スペクトル分解では,分解に用いられる正弦波が全て定常波であるため,位相差を解消するための追加サンプリングは不要である。
【0196】
さらに,行列スペクトル分解では,
図2(a)で示される対象区間両端部での一次差分を用いた部分直交座標の前提,すなわち,測点1及び測点nでの移動量が生じないこと(g
1=g
n=0)を成立させることで,前後の軌道との連続だけでなく,方向を変えずに連続を保つ移動量決定が可能になる。そのための必要条件は,数式7と数式8を同時に成立させる設計正矢d
iを設定することであることは,古くから伝承されてきたが,この理論的な根拠については,本願発明の発明者が行列スペクトル分解で解明するまでは,解明されたとは言えなかった。
【0197】
交差法行列T
−1の1行目とn行目の係数に着目すれば,同行列の対称性,および行列成分が自然数にできることより,先の2つの必要条件(数式7と数式8)を簡潔明瞭に理論的に証明することができる。証明の詳細は後述する。
【0198】
上記の必要条件(数式7と数式8)を満たすd
iの具体的設計法として,従来から,バンドパスフィルターを用いた線形分離法(測定した正矢量から軌道狂いを分離する方法)がある。このようなバンドパスフィルターを用いた線形分離法は,帯域が緩和曲線長よりも長い場合,
図11に示すように,緩和曲線の設計正矢を見かけ上,延伸するような形状へと変化させてしまう。すなわち,軌道狂いは分離できるが,緩和曲線長(TCL)を保持できない。
【0199】
バンドパスフィルターを用いた線形分離法は,緩和曲線長(TCL)に配慮し,帯域を逆に短くした場合,
図12に示すように,既存の軌道狂いに基準線がつられ,曲線部の軌道狂いの分離が不完全となる。
【0200】
フィルターを用いた鉄道曲線における線形分離では,しばしばこのようなトレードオフの関係に陥りやすい。
【0201】
これに対し,
図13に示すように,古典交差法の伝承式(数式7と数式8)を基礎とした線形分離法(行列スペクトル分解)を用いることで,緩和曲線長(TCL)及び存在する軌道狂いの影響を受けず,かつ前後の軌道と方向を変えないスムーズな接続を確保した上での曲線基本線形の分離をおこなうことができる。
【0202】
この効果は特に緩和曲線部における保守投入後の左右方向の乗り心地の差として現れる。カントは,特に緩和曲線部において厳密に管理されているため,設計正矢を安易にフィルター等で求めた場合,カントと正矢,相互の変化にズレを生じ,同区間を1波とする水準狂いを発生させていることと等価となる。水準狂いの発生は,特に軌間の狭小な在来線においては車両左右振動への影響が顕著となる。行列スペクトル分解を用いると,正矢とカントの変化を一致させることができる。正矢とカントの変化を一致させることは,超過遠心力をはじめ様々な力が乗客に作用する曲線での乗り心地管理上,重要な技術的要件である。
【0203】
(交差法行列T
−1を用いた演算のその他のメリット)
保線作業においては,設計正矢dから理想的に計算された移動量計画gをそのまま使用できるケースは殆どなく,現場の各種の移動制約条件などから,移動の絶対値,移動方向など何らかの制限が加えられる。この制限を加えた修正移動量g’で施工した場合,どのような正矢の仕上がりになるのか(以下,「仕上がり正矢」記号d’を使用)を知り,その状況によっては制約条件を緩和するための措置(例えば,ホーム笠石を削る,架線の位置を調整する)を講じる必要がある。
【0204】
移動量計画(理想)gに与えられた制約条件を最適化した修正移動量g’が得られた時,仕上がり正矢d’(未知)は,g’=T
−1(d’−m)より,次式で求められ,算出されたd’の大きさ・形状により,笠石を削るなどの,保線作業の品質向上を目的とした各種追加対策の要否を検討することができる。
【0206】
前記の計算および考え方は,高低狂いの整備に応用することにより,一層メリットを発揮できる。高低狂いを対象とした保線作業を行う場合,特殊な場合を除いては,レールを所望の高さまで持ち上げ,(以下,「こう上作業」と表記)まくら木の下に生じた空隙にバラスト(砂利)を詰めて(以下,「つき固め」と表記)列車の車輪走行面を平滑に整えていく。
【0207】
MTT(マルチプルタイタンパ)によるレベリング作業も同様であり,レールとまくら木を持ち上げ,つき固めることで初めて軌道狂いが整正される。ゆえに,事前に作業区間全体の軌道実形状に対する情報を持たないMTT相対基準レベリング作業では,確実にこう上量をMTTに感知させるために,区間全域にわたりMTT弦の先端部を10m弦高低軌道狂いの標準偏差の2倍〜3倍程度,現行より高い位置にセットした状態で連続的に作業がおこなわれる。その結果,MTT弦長で感知できるΛ≦30[m]程度までの軌道狂いの修正だけでなく,作業区間全体が上方向へシフトされるという課題が生じる。
【0208】
そこで交差法行列T
−1を用いて作業区間内の高低方向実形状を効率的に把握し,これに(−)方向移動=0と各地点の許容こう上量を与えた最適化演算を併用することにより,MTT相対基準レベリング作業で発生する不必要なこう上量を抑制することが出来る。
【0209】
具体的には,数式42を用いた逆算により,区間内の高い箇所を現状以上にこう上させないg’,平均ラインより低い所のみをこう上させるg’,現在の落ち込みの逆位相の設計こう上を行うg’などを採用した場合,どのような高低仕上がり正矢d’になるかを把握し,こう上計画案の良否を検討できる。
【0210】
(長弦長への変換)
次に,弦長変換について説明する。任意の10m弦正矢値が与えられた時,これを他の弦長の正矢,もしくは矢への換算が必要となる場面は多い。このような状況において交差法行列T
−1を用いた演算は有用である。
【0211】
弦長変換が必要となる場面の1つ目は,10m弦正矢値の20m又は40m弦など長波長弦正矢への変換である。従来から,幾何学的に導出された倍弦長公式が知られている。これを交差法行列T
−1を用いて導出する。
【0212】
変換元の10m弦の任意のn次元ベクトルをm
10とし,実形状yは,移動量gの逆符号であるので,次式で求められる。
【0214】
20m弦変換行列T
20は,実形状yが5[m]の成分間隔で与えられることから,以下のように定義される。
【0216】
20m弦正矢法で実形状yを測定した時の測定正矢をm
20とすれば,m
20は,次式で求められる。
【0218】
ここで,C
20=T
20T
−1と定義し,計算すれば,次式が得られる。
【0220】
C
20の第2行目から第n−1行目に,幾何学的に導かれる従来の倍弦長公式で用いる係数と一致する行列成分(1,2,1)が出現する。すなわち,交差法行列T
−1を用いることによっても倍長弦公式を導出することができる。
【0221】
(直流の定常波分解)
次に,直流の分解について説明する。離散フーリエ変換では,直流(一定値)を正弦波に分解することはできない。これに対して,行列スペクトル分解では,固有空間行列S
iを用いることで,任意のn次元ベクトルをn個の定常波に分解することができるので(数式41),直流(n個の一定値)をn個の定常波に分解することができる。
【0222】
図14(a)(b)は,直流の定常波分解を,データの数がn=31個の場合について示す。
図14(a)の上側のデータは,変換対象の直流入力値である。そのデータを固有空間行列S
iを用いて分解すると,
図14(b)に示すような,n=31個の定常波が得られる。その定常波を再合成すると,
図14(a)の下側のデータが得られる。その再合成されたデータの入力値(すなわち正解)との差は,最大7.96×10
−12であり,実質的に0である。なお,
図14(a)において,再合成した値は,見やすいように,符号を反転している。
【0223】
(MTTに用いるY修正への変換)
直流入力値に対しても定常波分解を行えるT
−1の特性を利用することで,曲線全域の曲がり具合を含んだ実形状yが,測定正矢m
10を用いて,数式43で得られる。
図15に示すように,MTTによる正矢の測定では,弦が10[m]とは限らず,測定位置が弦中央とは限らない。例えば,
図15において,a=8.75[m],b=3.75[m],データサンプリング間隔P=1.25[m]である。数式43にMTTの弦配置から作成されるMTT矢変換行列(
図16)を用いれば,任意の10m弦正矢で与えられる線形へのMTTのY修正ベクトルh
yが数式47により計算できる。
【0225】
ここに,y
adjは,数式48で表される。F
splは,3次元スプライン行列である。
【0227】
なお,数式43より得られる5[m]間隔の実形状yは,レールやまくら木といった軌道構造の剛性を考慮し,スプライン関数(桜井明,吉村和美,高山文雄著「パソコンによるスプライン関数−データ解析/CG/微分方程式」P1〜60東京電気大学出版社 1988年11月 参照)を用いて,5[m]間を補間した実形状y
adjに変換を行いT
mttの成分間隔と一致させて用いている。
【0228】
この変換は,移動制限や不動点などで,計画正矢が一定範囲内での変動を許容するような場合のMTTライニング作業の精度向上に大変有効である。不動箇所の10m弦設計正矢に応じた,MTT弦でのY修正値が得られることから,従来のマニュアル操作(勘)に頼っていた不動点近傍でのライニング作業の自動化・標準化が可能となる。
【0229】
(交差法の理論化と工学的メリットのまとめ)
以上のように交差法は,同法をベクトルの一次変換,数式24で理論的に再定義することにより,第1に,対象区間以外のデータが不要であり(最少サンプリング),第2に,軌道の連続性が保障されるという,2つの利点を持つ簡易かつ高精度の定常波分解機能が内在していることが理論的に明らかになった。本願発明の発明者が発見した行列スペクトル分解を用いた交差法は,最少サンプリングでの曲線基本線形の分離,最少サンプリングでの修繕対象波長の選択,任意の弦長・弦配置での測定値への変換など様々な応用を,個人差なく行うことができる,多くの工学的メリットを持つ移動量演算手法であるといえる。
【0230】
(測定誤差の挙動)
ここまでの説明は,交差法の演算としての基本機能であり,測定正矢ベクトルmの誤差を考慮していない。しかし,実際の測定正矢ベクトルmには,必ず測定誤差が含まれる。この測定誤差の影響が,交差法の理論上最大の課題であった。
【0231】
測定ベクトルmの中に含まれる真値のベクトルをm
r,測定誤差成分のベクトルをm
eとすれば,m=m
r+m
eであり,交差法行列T
−1による誤差の挙動は,数式24の変形から,以下のように表される。
【0233】
ここで,g
r=T
−1(d−m
r)は,移動量gの真値成分であり,g
e=−T
−1(m
e)は,移動量gの誤差成分である。但し,測定正矢真値m
rは,知り得ることが出来ないため,誤差の挙動は,次の数式50を用いておこなっていく。ここで,測定誤差成分m
eは,平均=0[mm],標準偏差σ[mm]のガウス分布に従う白色ノイズスペクトルを有すると仮定する。
【0236】
交差法行列T
−1は,対称行列であるので,その測定誤差の影響は,条件数κによって評価される(幸谷智紀著「ソフトウエアとしての数値計算」p91〜102 2006年2月 http://na-inet.jp/nasoft/chap08.pdf 参照)。条件数κは,最大固有値λ
1と最小固有値λ
nの比である(次式)。
【0238】
数式37より,交差法行列T
−1の固有値λ
iは,波長Λ
i=2p(n+1)/i定常波の復元倍率(1/h
Λi)を意味するので(次元数n,測定間隔p[m]),条件数κを計算する固有値(最大固有値λ
1と最小固有値λ
n)は,次のようになる。
【0239】
λ
1:第1定常波 Λ
1=2p(n+1)/1の復元倍率
【0240】
λ
n:第n定常波 Λ
n=2p(n+1)/nの復元倍率
【0241】
このため,次元数nの増大とともに,数式51で定義される条件数κは急増することになる。条件数κの計算結果を
図17に示す。次元数nの増大とともに,条件数κは指数関数的に増大する。このような条件数の急増を示す行列は,悪条件とよばれる,測定誤差の影響が非常に大きく生ずる行列である。交差法行列T
−1は,その典型的なタイプの行列であるといえる。
【0242】
次に,誤差波g
eの統計的な最大値推定行う。これは数式50を用いたm
eからg
eへの一次変換による繰り返し数値実験を,以下の条件で行ったものである。
【0243】
入力ベクトルm
e:平均=0[mm],標準偏差σ=0.3[mm]の白色ノイズベクトル。この値は,現行の軌道検測車による検測精度に基づいている。
【0244】
次元数n:10〜255。この値は,通常の曲線整備延長の45[m]〜1270[m]に対応する。
【0246】
目的とする実験データは,//g
e//(最大ノルム)を15000回出現させ,その平均と標準偏差を各次元別に求める。
【0247】
上記の条件での数値実験より得られた//g
e//最大ノルムの平均と標準偏差より推定される誤差波g
e最大値と,その出現確率(以下,「危険率%」と記す)を
図18に示す。
【0248】
入力ベクトルm
eが,検測誤差σ=0.3[mm]程度と仮定しても,n=255では,交差法行列T
−1による変換後には,約700[mm]の最大値を持つ誤差波g
eが1%の危険率で発生する。誤差波がg
e≒0[mm]となって欲しいところであるが,この数値実験で再現された本事象が,過去より言われてきた交差法演算による測定誤差の重畳問題である。
【0249】
このような誤差重畳は,交差法行列T
−1の特異値分解(以下,「SVD]:Singular Value Decomposition)の手法を利用することにより,合理的な制御(低減)が行えることを説明する。先ず,SVDを利用し,誤差波の影響に一定の規則性があることを説明する。
【0250】
交差法行列T
−1は,実対称行列であるので,特異値並びに特異ベクトルは固有値,固有ベクトルと一致し,そのまま計算に用いることができる(山本有作著「特異値分析とその応用」神戸大学大学院工学研究科ホームページ 名古屋大学講義資料 2009年5月 参照)。
【0251】
交差法行列T
−1は,任意の入力ベクトルを定常波に分解する機能を有している(数式32)。そのため,白色ノイズスペクトルm
eに対して計算される誤差波g
eも次式のように,定常波に分解される。
【0253】
図19(a)(b)及び
図20(a)(b)に示す通り,白色ノイズベクトルm
e(
図19(a)及び
図20(a))が,交差法行列T
−1によってn個の定常波の重ね合わせ(
図19(b)及び
図20(b))として出力される。
【0254】
誤差波g
eを構成する各定常波の振幅は,固有値λ
iの大きさに依存した波長ごとの偏りを持って出現する(数式52)。その偏り度合は,交差法行列T
−1の固有値を用いたSVD近似法(芦野隆一,萬代武史,守本 晃著「特異値分解とウエーブレットを使った画像処理」数理解析研究所講究録1529巻p28 2007.26−41 参照)により,以下のように数値化することができる。
【0255】
すなわち,全ての定常波成分を含む数式32を用いて計算した誤差波ベクトル(−g
e)(数式52の符号反転)のノルム//g
e//に対する,第1定常波から第r定常波までを除去した場合の(これを,ランクrまでの除去という)T
r−1=λ
r+1S
r+1+…+λ
nS
nを用いて計算した誤差波ベクトル,−g
er=T
r−1m
eのノルム//g
er//の比は,固有値を用いて,次式で計算される。
【0257】
この比は,相対誤差と呼ばれる指標である。ノルムは,ベクトルの大きさを示す指標であるので,相対誤差とは,(第1〜第r定常波成分を除去した誤差波の最大値)/(全定常波成分を有する誤差波の最大値)を表す。ランク除去を行った場合に,元の誤差波の影響がどれだけ残っているのかを示す指標として用いることができる。したがって,以下,相対誤差を「残留率」として表記する。
【0258】
数式53を用いて,n=555からn=11までの6種類の次元について,第1定常波から第5定常波までを除去した各残留率(数式53)の計算をし,
図21に示す。
【0259】
計算結果によれば,残留率は,次元数nとは無関係に,除去する定常波のランク数に応じた同一値となる。
【0260】
また,次元数nとは無関係に,各定常波の第1定常波に対する振幅比率(λ
i/λ
1)も一定となり,具体的には,表1の第5列に示した各数値となる。
【0262】
交差法行列T
−1は,僅かな誤差を重畳させるという,悪条件の典型的な行列である。しかし,表1からわかるように,交差法行列T
−1において,誤差の重畳は発散として生じるのではなく,誤差影響は,常に長波長側5つの定常波(ランク5まで)に約95%,特に第1定常波(基本振動)に72%が集中するという,強い偏りを持って発生する性質があることを本願発明の発明者は明らかにすることができた。
【0263】
次に,前述した誤差影響を低減するために行う長波長の定常波の除去の軌道管理上の意味について説明する。各定常波の波長は数式35により与えられるため,例えば,長波長側5定常波成分を取り除くとは,数式35において,i=1〜5とする成分を除去することである。但し,定常波の波長は,次元数nによって変化するので(数式35),これを計算した結果を表2に示す。
【0265】
一例として,n=100,p=5[m],除去ランク5(i=1〜5とする成分を除去)とした場合,最長波長は,i=6のものであるので,Λ
6=2×5×101/6≒168.3[m]となる。この最長波長Λ
6を超える波長成分(i≦5)は,真値・誤差ともに除去される。
【0266】
ところで,現在の鉄道車両の固有振動数は一般的に1〜2[Hz]付近にあることが知られている。このため,例えば,走行速度が300[km/h]の場合,列車に共振を生じさせる軌道狂いの波長Λ[m]は,41.7〜83.3[m]となる。軌道管理の対象とする波長の上限(以下,これを「Λ
dm」と表記する)をΛ
dm=100[m]とすれば,長波長側5定常波成分を取り除いても,軌道管理の対象とする波長成分を除去しない。
【0267】
このように,長波長側5定常波成分を除去する行為には,測定誤差の影響低減だけでなく,列車の振動への影響が少ない波長成分をカットするという点において,軌道管理上の意味を持つ。また,これらの波長成分を除去しても,それぞれが定常波であることより,計算される移動量の前後の軌道との連続性は,引き続き保障されるという工学上のメリットを享受することができる。
【0268】
上述の測定誤差の低減では,発生する誤差影響のうち何%が除去できるかという相対的な評価を説明した(表1及び表2)。実際の場面では,「計算された最大移動量x[mm]のうち,何mm程度,誤差波の影響が残るのか」という絶対値を知ることも必要である。以降,このような絶対誤差について説明する。
【0269】
測定延長を延ばす,すなわち,測点数nを大きくすることにより,Λ
dmに該当する除去ランクrは大きくなるので(表2),誤差影響の残留率(%)を低減することができる。各パラメータの関係は,数式35の変形から,次の不等式で与えられる。
【0271】
一例として,Λ
dm=100[m]を管理目標波長(軌道管理の対象とする波長の上限)とし,測定延長を,測点数n=255(測定間隔p=5[m],延長1270[m])と伸ばした場合,除去するランクrは,数式54より,r≦25.6,すなわち,r=1からr=25までと計算される。この場合の残留率(%)は,数式53より,約0.44%となり,十分小さくできる。
【0272】
一方で,交差法行列T
−1によって計算される誤差波ベクトルg
e(数式52)のノルム//g
e//の最大値は,15000回の数値実験のとおり(
図18),次元数nの増加に伴い,
図22のように増大する。
【0273】
このため,測定延長(=次元数n)を延ばし,軌道管理の対象とする波長の上限Λ
dmに該当するランクr(数式54)を大きくとり,残留率(=相対誤差)を減少させても数式53より計算される//g
er//は,ほぼ一定値となる。以下,この//g
er//を,「Λ
dmにおけるg
e絶対値」と表現する。
【0274】
検測精度σ=0.3[mm],危険率1%とした,Λ
dmにおけるg
e絶対値(//g
er//)の計算結果を表3に示す。
【0276】
Λ
dm=100[m]とした場合,検測精度が同一ならば,測点数nに関わらず3[mm]のg
e絶対値の出現を1%の危険率で見込まなければならないことが読み取れる。なお,最上段の値は,測点数n毎の//g
e//最大値を示す。
【0277】
次に,検測精度を変化させ,//g
e//最大値を先と同様に15000回の数値実験から求め,Λ
dmから定まる残留率と掛け合わせる数式53により,表4が得られる。
【0279】
交差法の演算による誤差影響は,用いたデータの検測精度と管理対象とする波長の上限Λ
dmによって統計的に推定することが可能となる。また,この数値は,交差法による移動量計算を行った場合の出力結果におけるS/N分離境界を示す値として用いることも出来る。
【0280】
上述したことをまとめると,交差法使用時に発生する誤差波g
eの挙動は,以下のとおりである。
【0281】
測定誤差の影響は,測点数nに関わらず,常に長波長側の5つの定常波に全体の95%が,特に第1定常波に72%が集中発生する。
【0282】
出現する 誤差波g
eの絶対値(mm)は,軌道管理上要求される長波長側管理波長Λ
dm[m]と測定系の検測精度σ(mm)により統計的に推定できる。
【0283】
誤差波g
eも定常波の重ね合わせとして出現するため,不要な波長の除去を行っても,出力される移動量の前後軌道との連続性は保障される。
【0284】
このような誤差波g
eの挙動の特徴を利用すれば,交差法で計算された移動量が誤差の影響なく使用できるか否かは,出力された移動量の大きさ(∝現状軌道狂いの悪さ度合い)と表4に示したS/N分離の境界となる誤差波g
e絶対値を用いて判定することができる。具体的な検討事例を
図23(a)(b)及び
図24(a)(b)を参照して示す。
【0285】
図23(a)(b)に示される事例では,出力された移動量は,Λ
dm=100[m]における誤差波g
e以下となり,誤差波と事象値との区分は困難であり,施工計画としては“要検討”となる。
【0286】
一方,
図24(a)(b)に示される事例では,出力された移動量は,Λ
dm=100[m]における誤差波g
eを大きく上回っており,計画を採用しても少なくとも誤差波g
e振幅ラインまでは改善が期待できるため,“使用可”と判断される。
【0287】
但し,実際の保守投入を行うか否かの判断は,誤差波の影響を受けるか否かよりも,現状の軌道状態から一定以上の改善が期待できるか否かで判断される。そのために,表4の数値に“改善の期待値”を乗じて求めた値を
図23(b)及び
図24(b)のグラフ中に示したものが「保守投入の判定線」(以下,「判定線」)である。ここでは,この値として2倍を採用している。これは,保守投入によって,理論的には誤差波の影響を考慮しても現状の半分までの改善が期待できることを意味している。
【0288】
また,事前に現行軌道のパワースペクトル(Power Spectrum Density,以下,PSD(R)と表記する.)が既知の場合は,表4の数値と安全率から算定される判定線のパワースペクトル(以下,これをPSD(e)と表記する)を計算し,これと直接比較をおこなうことにより,PSD(R)>PSD(e)の使用可能な波長領域を判定することができる。
【0289】
(交差法の理論的再定義のまとめ)
これまで述べたとおり,本願発明の発明者は,交差法を,正矢差ベクトル(d−m)と移動量ベクトルgとの2つのベクトル間の一次変換(数式24)における固有値問題(数式27)と捉え,再評価を行った。その結果,交差法には,以下の機能及び特性があるこことを明らかになった。
【0290】
(1)交差法を表わす実対称行列T
−1及び正矢法を表わす実対称行列Tには,簡易かつ高精度な定常波分解機能と正矢の復元倍率,および検出倍率と一致する固有値による増幅機能が内在している(数式38,数式39)。
【0291】
(2)測定誤差により出現する誤差波g
eは,測定数nの増加と伴に大きさが急増するものの(
図18),n個の定常波の重ね合わせとして行列T
−1の固有値と関連付けられた偏りを持って出現する(数式52)。
【0292】
(3)出現する誤差波g
e(定常波)は,測定延長に関わらず,常に長波長側の5定常波に誤差影響全体の95%が,特に第1定常波には72%が集中する(表1)。
【0293】
(4)出現する誤差波の大きさ(絶対値)は,正矢測定時の検測精度と管理対象とする軌道狂い波長の2つをパラメータとして統計的に推定できる(表4)。
【0294】
(5)修繕対象とする区間の軌道状態と(4)で推定される誤差波絶対値との比較により,交差法使用の可否が理論的に判断できる。
【0295】
上記の機能及び特性を活用することにより,修繕対象区間のみの正矢測定データを使用し,下記の効果が得られる。
【0296】
軌道狂いと線形の分離がシンプルに行える。
【0299】
不動点や移動制限などへ柔軟に対応できる。
【0300】
MTT(マルチプルタイタンパ)補正用のY修正値などへの変換が行える。
【0301】
上述したように,本願発明の発明者は,交差法を理論的に再定義し,新たな知見を得た。そして,発明者は,その新たな知見に基づき,本願発明に至った。
【0302】
(第1の実施形態)
本発明の第1の実施形態に係る測定データの定常波成分抽出システム及び測定データの定常波成分抽出方法を
図25を参照して説明する。定常波成分抽出システム1は,測定データから定常波成分を抽出するものであり,
図25に示されるように,入力部2と,処理部3と,出力部4とを備える。入力部2は,測定データの入力を受ける。処理部3は,入力部2から入力された測定データを処理する。出力部4は,処理部3が抽出した定常波成分を出力する。
【0303】
定常波成分抽出システム1は,ハードウェアとしてのコンピュータと,そのコンピュータで実行されるソフトウェアとを有し,本発明の定常波成分抽出方法を実行する。本実施形態では,コンピュータとしてノート型パーソナルコンピュータ(ノートPC)を用いている。入力部2は,コンピュータの入力装置であり,例えば,キーボード及びマウスである。処理部3は,コンピュータの処理装置であり,コンピュータプログラムを実行するCPUと,コンピュータプログラムやデータを記憶するメモリ等とを有する。本実施形態では,出力部4としてノートPCのディスプレイ及びプリンタを用いている。定常波成分抽出システム1を構成するコンピュータは,ノートPCに限定されず,例えば,マルチプルタイタンパ(MTT)に搭載されたコンピュータであってもよい。
【0304】
入力部2に入力される測定データは,所定の空間間隔又は時間間隔(測定間隔)で測定(サンプリング)したデータである。測定対象の量は,定量的に測定可能であればよく,鉄道の軌道における正矢値に限定されず,例えば,電気回路における電圧や電流等の物理量であってもよい。測定データの個数をn個とすると,測定データは,n次元のベクトルで表される。そのn次元のベクトルをxとする。
【0305】
処理部3は,行列算出ステップと,抽出ステップとを実行する。その行列算出ステップにおいて,n次元の固有空間行列S
i(iは1以上n以下の整数)を算出する。その固有空間行列S
iの(i,k)成分S
i,(j,k)は,次式で算出される。この数式は,既に説明した数式31である。
【0306】
S
i,(j,k)=(2/(n+1))×sin(iπj/(n+1))×sin(iπk/(n+1))
【0307】
抽出ステップにおいて,処理部3は,固有空間行列S
iとベクトルxとの積を算出して,測定データからi番目に長い定常波成分S
ixを抽出する。そのi番目に長い定常波成分の波長Λ
iは,Λ
i=2p(n+1)/iである。この数式は,既に説明した数式35である。
【0308】
第1の実施形態に係る測定データの定常波成分抽出システム及び測定データの定常波成分抽出方法によれば,n個の測定データから1番目に長い定常波成分からn番目に長い定常波成分までのn個の定常波成分を抽出することができる。抽出される定常波成分は,定常波であるので,位相差が無いという離散フーリエ変換と比べて有利な特徴を有する。抽出対象の測定データは,鉄道における曲線整正のためのデータに限られない。
【0309】
(第2の実施形態)
本願発明の第2の実施形態に係る測定データの定常波分解方法について説明する。この定常波分解方法では,第1の実施形態の定常波成分抽出システム1の出力を用いて,n個の測定データをn個の定常波成分の和に分解する。この定常波分解方法において,測定データxは,i番目に長い定常波成分S
ixのi=1からi=nまでの和である。この和は,既に説明した数式41である。i番目に長い定常波成分S
ixは,定常波成分抽出システム1の出力であり,すなわち,本発明の測定データの定常波成分抽出方法で得られる。
【0310】
第2の実施形態に係る測定データの定常波分解方法によれば,離散フーリエ変換を用いずに,測定データのスペクトル分解をすることができる。スペクトル分解された成分は,直流成分(一定値の成分)が0であるという離散フーリエ変換と比べて有利な特徴を有する。
【0311】
(第3の実施形態)
本発明の第3の実施形態に係る移動量算出システム及び移動量算出方法を
図25を流用して説明する。この移動量算出システムは,鉄道の軌道での所定間隔の複数測点における設計正矢及び測定正矢から移動量を算出するものである。移動量算出システムは,第1の実施形態と同様のハードウェアを有し,ソフトウェアが相違する。第1の実施形態と同等の箇所には同じ符号を付している。以下の説明において,第1の実施形態と同等の箇所の詳細な説明は省略する。
図25に示されるように,移動量算出システムは,入力部2と,処理部3と,出力部4とを備える。入力部2は,設計正矢及び測定正矢の入力を受ける。処理部3は,入力部2から入力された設計正矢及び測定正矢を処理する。出力部4は,処理部3が算出した移動量を出力する。
【0312】
移動量算出システムは,ハードウェアとしてのコンピュータと,そのコンピュータで実行されるソフトウェアとを有し,本発明の移動量算出方法を実行する。
【0313】
設計正矢は,各測点において定められた正矢値であり,n次元のベクトルdで表される。測定正矢は,各測点で測定される正矢値であり,n次元のベクトルmで表される。移動量は,前記測定正矢を設計正矢に修正するための修正値であり,n次元のベクトルgで表される。
【0314】
処理部3は,交差法行列算出ステップと,移動量算出ステップとを実行する。処理部3は,交差法行列算出ステップにおいて,n次元の交差法行列T
−1を算出する。この交差法行列算出ステップにおいて,交差法行列T
−1の(i,j)成分T
−1(i,j)は,1≦i≦j≦nのとき,T
−1(i,j)=2/(n+1)×i(n−j+1)で算出され,1≦j<i≦nのとき,T
−1(i,j)=2/(n+1)×j(n−i+1)で算出される。この数式は,既に説明した数式23である。
【0315】
処理部3は,移動量算出ステップにおいて,g=T
−1(d−m)によって移動量を算出する。この数式は,既に説明した数式24である。
【0316】
ここで,数式23で示す逆行列成分の規則性の証明を説明する。
【0317】
定義1:T
nをn×nの下記の階差行列とする。また,|T
n|でT
nの行列式を表すことにする。
【0319】
補助定理2:|T
n|に対して以下が成立する。
【0321】
補助定理2の証明:T
n+1の行列式の値と,T
n+1の左端の列に注目すれば,掃き出し法により以下のように計算できる。
【0327】
漸化式の一般項は,次式のように求められる。(証明終)
【0329】
定理3:T
nの逆行列をT
n−1=(a
ij)と書くことにする。このとき,以下が成立する。
【0334】
定理3の証明:ここで上記(1)の場合だけを求める。(2)の場合は,(1)の場合と全く同様に証明できる。
【0335】
T
nの逆行列を求めるために,余因子を計算する必要がある。1≦i<j≦nと仮定する。このとき,T
nのi,j余因子Δijを考えると,これは,以下の行列の行列式と同じ形となる。この行列は,i行目とj行目を除去した(n−1)×(n−1)行列である。
【0337】
上の実線部分は,除去されたi行目であり,右の実線は,j列目である。i行目より左側,また,j行目より左側は,形が元のままである。したがって,T
i−jは,(n−i)×(n−i)の階差行列である。同様に,T
n−jは,(n−j)×(n−j)の階差行列である。その真ん中部分にあたるX
j−iは,上に一つ詰めているが,左には詰めていない。つまり,X
j−iは,(j−i)×(j−i)の三角行列である。
【0339】
つまり,X
j−iは,T
j−iが一行だけ上にずれた形をしている。これは,i行目を除去したことによる当然の結果である。なお,三角行列の行列式は,対角成分の掛け算となる。
【0340】
逆行列T
n−1=(a
ij)とすると,その成分a
ijは,次式のように求められる。(証明終)
【0342】
結論4:T
n−1は,二軸対称行列となる。すなわち,以下が成立する。
【0345】
T
n−1は,2つの対称軸を持つ点対称行列となり,全体の成分を(n+1)/2倍することで,次の規則性を持つ。
【0346】
(1)1≦i≦j≦nのとき,a
ij=i(n−j+1)
【0347】
(2)1≦j<i≦nのとき,a
ij=j(n−i+1) (系証明終)
【0348】
第3の実施形態に係る移動量算出システム及び移動量算出方法によれば,掃き出し法等の従来の逆行列算出手法を用いずに逆行列を算出するので,測点数が増加しても,算出が容易である。
【0349】
(第4の実施形態)
本発明の第4の実施形態に係る移動量の定常波成分抽出システム及び移動量の定常波成分抽出方法を
図25を流用して説明する。この定常波成分抽出システムは,鉄道の軌道での所定間隔の複数測点における設計正矢及び測定正矢から移動量の定常波成分を抽出するものである。定常波成分抽出システムは,第1の実施形態と同様のハードウェアを有し,ソフトウェアが相違する。第1の実施形態と同等の箇所には同じ符号を付している。以下の説明において,第1の実施形態と同等の箇所の詳細な説明は省略する。
図25に示されるように,移動量の定常波成分抽出システムは,入力部2と,処理部3と,出力部4とを備える。入力部2は,設計正矢及び測定正矢の入力を受ける。処理部3は,入力部2から入力された設計正矢及び測定正矢を処理する。出力部4は,処理部3が抽出した移動量の定常波成分を出力する。
【0350】
移動量の定常波成分抽出システムは,ハードウェアとしてのコンピュータと,そのコンピュータで実行されるソフトウェアとを有し,本発明の移動量の定常波成分抽出方法を実行する。
【0351】
設計正矢は,各測点において定められた正矢値であり,n次元のベクトルdで表される。測定正矢は,各測点で測定される正矢値であり,n次元のベクトルmで表される。移動量は,前記測定正矢を設計正矢に修正するための修正値であり,n次元のベクトルgで表される。
【0352】
処理部3は,行列及び固有値算出ステップと,抽出ステップとを実行する。処理部3は,行列及び固有値算出ステップにおいて,n次元の固有空間行列S
i(iは1以上n以下の整数)とその固有値λ
iを算出する。この行列及び固有値算出ステップにおいて,固有空間行列S
iの(j,k)成分S
i,(j,k)は,次式で算出される。この数式は,既に説明した数式31である。
【0353】
S
i,(j,k)=(2/(n+1))×sin(iπj/(n+1))×sin(iπk/(n+1))
【0354】
行列及び固有値算出ステップにおいて,固有値λ
iは,次式で算出される。この数式は,既に説明した数式29である。
【0355】
λ
i=1/(1−cos(iπ/(n+1)))
【0356】
抽出ステップにおいて,処理部3は,固有空間行列S
iとその固有値λ
iと正矢差(d−m)との積λ
iS
i(d−m)を算出して,i番目に長い定常波成分λ
iS
imを抽出する。この数式は,既に説明した数式24に数式32を代入して得られ数式の第i項であるる。
【0357】
i番目に長い前記定常波成分の波長Λ
iは,Λ
i=2p(n+1)/iである。この数式は,既に説明した数式35である。
【0358】
第4の実施形態に係る移動量の定常波成分抽出システム及び移動量の定常波成分抽出方法によれば,1番目に長い定常波成分からn番目に長い定常波成分までの移動量の定常波成分を抽出することができる。抽出される定常波成分は,定常波であるので,位相差が無いという離散フーリエ変換と比べて有利な特徴を有する。
【0359】
(第5の実施形態)
本願発明の第5の実施形態に係る移動量の定常波分解方法について説明する。この移動量の定常波分解方法では,第4の実施形態の移動量の定常波成分抽出システムの出力を用いて,n個の移動量をn個の定常波成分の和に分解する。この移動量の定常波分解方法において,移動量gは,i番目に長い定常波成分λ
iS
i(d−m)のi=1からi=nまでの和である。この和は,既に説明した既に説明した数式24に数式32を代入して得られる。i番目に長い定常波成分λ
iS
i(d−m)は,移動量の定常波成分抽出システムの出力であり,すなわち,本発明の移動量の定常波成分抽出方法で得られる。
【0360】
第5の実施形態に係る移動量の定常波分解方法によれば,離散フーリエ変換を用いずに,移動量のスペクトル分解をすることができる。スペクトル分解された成分は,直流成分(一定値の成分)が0であるという離散フーリエ変換と比べて有利な特徴を有する。
【0361】
(第6の実施形態)
本願発明の第6の実施形態に係る移動量の誤差低減方法について説明する。この移動量の誤差低減方法では,第5の実施形態の移動量の定常波分解方法を用いて,移動量に含まれる誤差を低減する。この移動量の誤差低減方法において,定常波成分の和に分解された移動量から,1番目からr番目までに長い定常波成分(1≦r<n)を除去する。
【0362】
この移動量の誤差低減方法によって,移動量に含まれる誤差低減されることは,既に説明した数式53及び
図21に表されている。
【0363】
この移動量の誤差低減方法において,1番目からr番目までに長い前記定常波成分(1≦r<n)が除去され,そのrは,例えば,1乃至5の整数から選択される。
【0364】
表1に示されるように,r=1のとき,すなわち,最も長い定常波成分(第1定常波)のみ除去した場合,誤差の除去率は,72.2%と高い値となる。rを大きくすると,御座の除去率はさらに高くなる。r=2のとき,すなわち,1番目から2番目までに長い定常波成分を除去した場合,誤差の除去率は,86.2%となる。r=3のとき,すなわち,1番目から3番目までに長い定常波成分を除去した場合,誤差の除去率は,91.4%となる。r=4のとき,すなわち,1番目から4番目までに長い定常波成分を除去した場合,誤差の除去率は,93.9%となる。r=6のとき,すなわち,1番目から6番目までに長い定常波成分を除去した場合,誤差の除去率は,95.4%となる。
【0365】
第6の実施形態に係る移動量の誤差低減方法によれば,フィルタを用いずに移動量の誤差を低減することができるので,フィルタによる緩和曲線の正矢形状の変化が生じない。
【0366】
なお,本発明は,上記の実施形態の構成に限られず,発明の要旨を変更しない範囲で種々の変形が可能である。例えば,第3乃至第6の実施形態において,鉄道は,在来線であっても高速鉄道であってもよい。