特許第6318992号(P6318992)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6318992
(24)【登録日】2018年4月13日
(45)【発行日】2018年5月9日
(54)【発明の名称】質量分析装置
(51)【国際特許分類】
   G01N 27/62 20060101AFI20180423BHJP
   H01J 49/26 20060101ALI20180423BHJP
【FI】
   G01N27/62 D
   G01N27/62 F
   H01J49/26
【請求項の数】4
【全頁数】13
(21)【出願番号】特願2014-176774(P2014-176774)
(22)【出願日】2014年9月1日
(65)【公開番号】特開2016-50866(P2016-50866A)
(43)【公開日】2016年4月11日
【審査請求日】2016年12月12日
(73)【特許権者】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(74)【代理人】
【識別番号】110001069
【氏名又は名称】特許業務法人京都国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】森本 健太郎
【審査官】 佐藤 仁美
(56)【参考文献】
【文献】 特開平10−318983(JP,A)
【文献】 特開2006−329881(JP,A)
【文献】 特開2007−121134(JP,A)
【文献】 特開2000−294189(JP,A)
【文献】 米国特許出願公開第2006/0289735(US,A1)
【文献】 米国特許第06472661(US,B1)
【文献】 米国特許出願公開第2008/0061226(US,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 27/62、
H01J 49/00−49/02
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
被検試料に含まれる化合物由来のイオンに対する質量分析を複数回実施し、その1回毎の質量分析により得られたデータを積算することで得られたデータに基づいて前記化合物を同定する質量分析装置において、
a)被検試料中の、種類及び濃度が既知である標準化合物に対する質量分析を所定回数実施し、得られたデータを積算して評価用積算データを求めるように当該装置の各部を制御する標準化合物測定制御部と、
b)前記標準化合物測定制御部による制御の下で得られた前記評価用積算データに基づくデータベース検索を実行することにより、前記標準化合物を推定するとともに、その推定の確度を示す指標値を算出する標準化合物推定部と、
c)前記標準化合物推定部による化合物推定の成否及び前記指標値に基づいて、適切なデータの積算回数を決定する積算回数決定部と、
を備えることを特徴とする質量分析装置。
【請求項2】
請求項1に記載の質量分析装置であって、
前記積算回数決定部が、前記標準化合物推定部による化合物推定の成否及び前記指標値に基づいてそのときのデータ積算回数が不足していると判断しデータ積算回数を増加させた場合に、前記標準化合物測定制御部、前記標準化合物推定部、及び前記積算回数決定部により、増加されたデータ積算回数における質量分析の結果であるデータに基づく化合物の推定を再度実行し、その結果を用いて、増加されたデータ積算回数の適宜を判断することを特徴とする質量分析装置。
【請求項3】
請求項2に記載の質量分析装置であって、
d)前記積算回数決定部によりデータ積算回数が決定されたあとに、前記被検試料中の目的化合物に対する測定をそのデータ積算回数だけ実施し、得られたデータを積算するように当該装置の各部を制御する目的化合物測定制御部と、
e)前記目的化合物測定制御部による制御の下で得られた積算データに基づくデータベース検索を実行することにより前記目的化合物を推定する目的化合物推定部と、
をさらに備えることを特徴とする質量分析装置。
【請求項4】
請求項3に記載の質量分析装置であって、
f)標準化合物に対して得られたマススペクトルに基づいてスペクトル品質評価値を算出するスペクトル品質評価部と、
g)目的化合物に対して得られたマススペクトルに基づいて算出されるスペクトル品質評価値が前記スペクトル品質評価部で算出された値に達するまで、前記積算回数決定部により決定されたデータ積算回数よりもさらに回数を増加させる積算回数調整部と、
をさらに備え、前記目的化合物推定部は、前記積算回数調整部により調整されたあとのデータ積算回数の下で得られた積算データに基づくデータベース検索を実行することにより前記目的化合物を推定することを特徴とする質量分析装置。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は質量分析装置に関し、さらに詳しくは、質量分析により得られたデータに基づいて被検試料中のタンパク質やペプチドなどを同定するための質量分析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
質量分析におけるイオン化法の一つであるマトリクス支援レーザ脱離イオン化(MALDI)法では、サンプルプレート上に用意されている試料(分析対象である化合物とイオン化補助のためのマトリクスとの混合物)に対してパルス的にレーザ光を照射することで、試料に含まれる化合物由来のイオンを発生させる。こうしたMALDI法と飛行時間型質量分析装置(TOFMS)とを組み合わせたMALDI−TOFMSや、MALDIイオン源から生成されたイオンをイオントラップに一旦保持して衝突誘起解離(CID)等によりイオンを解離させたあとにTOFMSで分析するMALDI−IT−TOFMSは、タンパク質やペプチド、糖鎖、脂質などの生体由来の試料を分析するために、現在広く使用されている。
【0003】
MALDI法において、1回のレーザ光の照射によって試料から生成されるイオンの量は必ずしも多くなく、またレーザ光照射毎に生成されるイオン量のばらつきも比較的大きい。そのため、上述したようなMALDIイオン源を用いた質量分析装置では、通常、レーザ光照射によって生成されたイオンに対する質量分析を複数回繰り返し、その質量分析毎に得られた所定の飛行時間範囲(つまりは質量電荷比範囲)に亘るプロファイルデータを積算して、その積算したデータから目的試料に対するマススペクトルを求めるようにしている(特許文献1など参照)。そのため、試料に対する測定に先立って、データの積算回数を分析条件の一つとして分析者が入力設定しておく必要がある。
【0004】
一般に、データの積算回数が少なすぎるとマススペクトルのSN比が不足し、例えばマススペクトルに基づいて試料中のペプチドを同定しようとしても同定の精度が低くなるおそれがある。特に試料中の目的とするペプチドの濃度が低い場合には、データ積算回数を多くしないと、ペプチドの同定が困難である。また、同じ濃度であっても、ペプチドのアミノ酸配列によってはデータ積算回数をより多くしないと同定が難しい場合もある。一方、データの積算回数を多くすればマススペクトルのSN比等の品質は向上するものの、一つの試料に対する測定時間が長くなる。試料が生体組織切片などの生体由来のものである場合、測定時間が長くなると、測定中に試料が劣化したり変性したりすることがあり、そのために正確な結果を得られなくなるおそれがある。
【0005】
こうしたことから、必要以上にデータの積算回数を多くすることなく、目的とするペプチドの種類や濃度に応じて適当なデータ積算回数で以て測定を実行できることが望ましい。しかしながら、通常、目的のペプチドの種類(アミノ酸配列)や濃度は未知であるから、測定に先立って、測定しようとしている試料に対する最適なデータ積算回数を決定することはできず、過去の経験などに基づいて適宜のデータ積算回数を設定せざるを得なかった。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特開2010−205460号公報
【特許文献2】米国特許第7230235号明細書
【非特許文献】
【0007】
【非特許文献1】「MASCOT MS/MS Ions Search」、マトリクス・サイエンス(MATRIX SCIENCE)、[平成26年8月25日検索]、インターネット<URL: http://www.matrixscience.com/cgi/search_form.pl?FORMVER=2&SEARCH=MIS>
【非特許文献2】ロバートソン・クレイグ(Robertson Craig)、ほか1名、「タンデム:マッチング・プロテインズ・ウィズ・タンデム・マス・スペクトラ(TANDEM: matching proteins with tandem mass spectra)」、バイオインフォマティクス(Bioinformatics)、Vol.20、No.9、2004年、pp.1466-1467
【非特許文献3】「ソフトウエア:クァルスコア(Software:QualScore)」、シアトル・プロテオーム・センター(Seattle Proteome Center)、[平成26年8月25日検索]、インターネット<URL: http://tools.proteomecenter.org/wiki/index.php?title=Software:QualScore>
【非特許文献4】フア・シュ(Hua Xu)、ほか1名、「ア・ダイナミック・ノイズ・レベル・アルゴリズム・フォー・スペクトラル・スクリーニング・オブ・ペプタイド・エムエス/エムエス・スペクトラ(A Dynamic Noise Level Algorithm for Spectral Screening of Peptide MS/MS Spectra)」、BMCバイオインフォマティクス(Bioinformatics)、11:436、2010年
【非特許文献5】マ(Ma ZQ)、ほか9名、「スキャンランカー:クォリティ・アセスメント・オブ・タンデム・マス・スペクトラ・ヴィア・シーケンス・タギング・(ScanRanker: Quality assessment of tandem mass spectra via sequence tagging)」、ジャーナル・オブ・プロテオーム・リサーチ(J Proteome Res)、Vol.10、No.7、2011年、pp.2896-904
【非特許文献6】マーシャル・バーン(Marshall Bern)、ほか3名、「オートマティック・クォリティ・アセスメント・オブ・ペプタイド・タンデム・マス・スペクトラ(Automatic Quality Assessment of Peptide Tandem Mass Spectra)」、バイオインフォマティクス(Bioinformatics)、Vol.20(suppl 1)、2004年、pp.49-54
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明は上記課題に鑑みて成されたものであり、その目的とするところは、試料に含まれる分析対象であるペプチドなどの化合物の種類や濃度などに応じて、該化合物を同定するのに適切なデータ積算回数をその試料の測定前に又は測定中に決定することにより、過不足の少ないデータ積算回数の設定が可能である質量分析装置を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0009】
上記課題を解決するために成された本発明は、被検試料に含まれる化合物由来のイオンに対する質量分析を複数回実施し、その1回毎の質量分析により得られたデータを積算することで得られたデータに基づいて前記化合物を同定する質量分析装置において、
a)被検試料中の、種類及び濃度が既知である標準化合物に対する質量分析を所定回数実施し、得られたデータを積算して評価用積算データを求めるように当該装置の各部を制御する標準化合物測定制御部と、
b)前記標準化合物測定制御部による制御の下で得られた前記評価用積算データに基づくデータベース検索を実行することにより、前記標準化合物を推定するとともに、その推定の確度を示す指標値を算出する標準化合物推定部と、
c)前記標準化合物推定部による化合物推定の成否及び前記指標値に基づいて、適切なデータの積算回数を決定する積算回数決定部と、
を備えることを特徴としている。
【0010】
本発明に係る質量分析装置におけるイオン化法やイオンを質量電荷比に応じて分離する質量分離手法は特に限定されないが、例えばイオン化法としては、上述したMALDI法のほか、マトリクスを用いないレーザ脱離イオン化法(LDI)、表面支援レーザ脱離イオン化法(SALDI)、二次イオン質量分析法(SIMS)、脱離エレクトロスプレイイオン化法(DESI)、エレクトロスプレイ支援/レーザ脱離イオン化法(ELDI)などを用いればよい。また、質量分離手法は上述した飛行時間型質量分析計のほかに、四重極型質量分析計などでもよい。
【0011】
また本発明に係る質量分析装置は、例えばイオントラップ飛行時間型質量分析装置やタンデム四重極型質量分析装置のように、イオンを1又は複数段階解離させ、それによって生成されたプロダクトイオンを質量分析するものでもよい。その場合、質量分析により得られたデータはMS/MSスペクトルデータ又はMSnスペクトルデータ(nは2以上の整数))である。
【0012】
本発明に係る質量分析装置を用いた分析では、例えば同定したい目的化合物を含む被検試料に濃度と種類が既知である標準化合物を内部標準物質として加える。標準化合物の濃度は目的化合物の濃度と同程度であることが好ましいから、分析者が目的化合物の濃度を予測可能であるときには、その予測した濃度の標準化合物を用いるとよい。そして、目的化合物に対する測定を実行する前に、標準化合物測定制御部による制御の下で標準化合物に対する質量分析を所定回数実施し、各質量分析により得られたデータを積算する。ここでいうデータは、所定質量電荷比範囲に亘る生の信号強度を示すプロファイルデータ又は該プロファイルデータを波形処理することにより得られたマススペクトル(上述したMS/MSスペクトルやMSnスペクトルを含む)データである。
【0013】
標準化合物推定部は評価用積算データが得られると、該データに基づくデータベース検索を実行することにより標準化合物を推定する。目的化合物や標準化合物がタンパク質又はペプチドである場合、データベースは多数のタンパク質やペプチドのアミノ酸配列を収録したデータベースである。また、データベース検索には、MSnスペクトルから求まるプロダクトイオンの質量電荷比を利用してペプチドのアミノ酸配列を推定する一つの方法である、MS/MSイオンサーチを用いることができる。この手法を利用するソフトウエアとしては、英国マトリクスサイエンス社が提供しているマスコット(MASCOT)やX! TANDEMがよく知られている(非特許文献1、2参照)。
【0014】
MS/MSイオンサーチでは、タンパク質データベースに登録されている全てのタンパク質を実測の際の前処理で用いられた酵素(実際には、検索条件の一つとして設定された酵素)で消化して得られるペプチドのアミノ酸配列を計算したあとに、そのアミノ酸配列から得られる理論上のプロダクトイオンの質量電荷比を計算し、それと実測により得られたMSnスペクトル上のプロダクトイオンの質量電荷比との一致度を調べる。MASCOTではこの一致度がスコアであり、X! TANDEMにおいては、この一致度はハイパースコアと呼ばれる値である。さらにまた、X! TANDEMでは、一致度の信頼性を統計的に示す指標値として、ハイパースコアの分布に基づいて期待値(e-value)が算出され、この期待値を用いてペプチドが同定されたか否かを判断することができる。したがって、これらスコア、ハイパースコア、期待値などを、化合物推定の確度を示す指標値として用いることができる。
【0015】
標準化合物は既知であるから、標準化合物推定部により推定された化合物が確かに標準化合物であればデータベース検索による化合物推定は成功、そうでなければ失敗である。この結果とともに化合物推定に伴って得られる指標値も利用して、積算回数決定部は、適切なデータの積算回数を決定する。例えば、化合物推定が成功であって指標値が所定の閾値以上であれば、そのときのデータ積算回数は適切であると判断し、目的化合物の測定の際のデータ積算回数を定める。一方、化合物推定が失敗であった場合や成功であっても指標値が所定の閾値未満である場合には、マススペクトルデータのSN比が不足しているものと判断し、データ積算回数を所定数だけ増加させる。
【0016】
なお、このようにデータ積算回数を所定数だけ増加させたとしても、その状態でマススペクトルデータのSN比が化合物推定に十分なものとなっているとは限らない。
そこで、本発明に係る質量分析装置の好ましい一実施態様として、
前記積算回数決定部が、前記標準化合物推定部による化合物推定の成否及び前記指標値に基づいてそのときのデータ積算回数が不足していると判断しデータ積算回数を増加させた場合に、前記標準化合物測定制御部、前記標準化合物推定部、及び前記積算回数決定部により、増加されたデータ積算回数における質量分析の結果であるデータに基づく化合物の推定を再度実行し、その結果を用いて、増加されたデータ積算回数の適宜を判断する構成とするとよい。
【0017】
この構成では、データ積算回数が多すぎることを避けるために、標準化合物を最初に測定する際のデータ積算回数、つまりデータ積算回数の初期値は小さめにしておき、データ積算回数が不足していると判断されたならば、徐々にデータ積算回数を増やしていくようにするとよい。これにより、データ積算回数が必要以上に多くなりすぎることを抑えることができる。
【0018】
また、本発明に係る質量分析装置においては、
d)前記積算回数決定部によりデータ積算回数が決定されたあとに、前記被検試料中の目的化合物に対する測定をそのデータ積算回数だけ実施し、得られたデータを積算するように当該装置の各部を制御する目的化合物測定制御部と、
e)前記目的化合物測定制御部による制御の下で得られた積算データに基づくデータベース検索を実行することにより前記目的化合物を推定する目的化合物推定部と、
をさらに備える構成とするとよい。
目的化合物推定部は上記標準化合物推定部と同様の手法で、目的化合物を推定すればよい。
【0019】
この構成によれば、標準化合物を用いたデータ積算回数の条件決めに引き続いて、同じ被検試料に含まれる目的化合物の測定を実施することができる。それによって、データ積算回数以外の、例えば周囲環境や装置状態、試料調製状態などについて標準化合物の測定時とほぼ同じ条件の下で、目的化合物に対する測定を行うことができる。
【0020】
ただし、仮に標準化合物と目的化合物の濃度が同じであったとしても、化合物の種類の相違(ペプチドではアミノ酸配列の相違)によってイオン化効率が異なる場合には、最適なデータ積算回数が必ずしも同じにはならない。
【0021】
そこで、本発明に係る質量分析装置において、好ましくは、
f)標準化合物に対して得られたマススペクトルに基づいてスペクトル品質評価値を算出するスペクトル品質評価部と、
g)目的化合物に対して得られたマススペクトルに基づいて算出されるスペクトル品質評価値が前記スペクトル品質評価部で算出された値に達するまで、前記積算回数決定部により決定されたデータ積算回数よりもさらに回数を増加させる積算回数調整部と、
をさらに備え、前記目的化合物推定部は、前記積算回数調整部により調整されたあとのデータ積算回数の下で得られた積算データに基づくデータベース検索を実行することにより前記目的化合物を推定する構成とするとよい。
【0022】
上述したMASCOTなどの一般的なデータベース検索ソフトウエアにおいては、ペプチドのアミノ酸配列から予測されるb系列/y系列などのプロダクトイオンがマススペクトルに出現しているか否かを評価することで、上述したような同定結果の信頼性等を示す値、スコアや期待値などを求めている。即ち、この評価値は或るペプチドのアミノ酸配列に対して計算される値であって、マススペクトルの品質を評価しているわけではない。これに対し、プロテオミクスの分野では、マススペクトルの品質そのものを評価する手法も知られている。
【0023】
例えば特許文献2、非特許文献6には、マススペクトル上のプロダクトイオンの信号強度とその順位との関係を利用してスペクトルの品質を評価する方法が記載されている。これら文献には、このスペクトル品質評価方法を測定後のマススペクトルをフィルタリングするのに用いることで、不正解のタンパク質が同定されることを防止するのに有効であることが記載されている。また、非特許文献3〜5にも、同様にスペクトルの品質を評価する別の手法が記載されている。スペクトル品質を評価するために、非特許文献3ではMS/MSスペクトルの特徴量が、非特許文献4では適切なSN比を動的に計算するアルゴリズムが、非特許文献5ではスペクトルに現れるピークの信号強度順位の分布が、それぞれ利用されている。
上記構成において、スペクトル品質評価部及び積算回数調整部は、例えばこれら手法のいずれかを用いて、標準化合物のマススペクトルについてのスペクト品質評価値を求めるようにすることができる。
【0024】
例えば、目的化合物の濃度が標準化合物の濃度に比べて低い場合や、目的化合物が標準化合物に比べてイオン化されにくい場合には、目的化合物に対して得られたマススペクトルに基づいて算出されるスペクトル品質評価値がスペクトル品質評価部で算出された値よりも低くなる。その場合、その時点における目的化合物に対するマススペクトルを用いても、目的化合物が正しく同定される可能性は低い。そこで積算回数調整部は、積算回数決定部により決定されたデータ積算回数よりもさらに回数を増加させることにより、マススペクトルの品質を高める。それによって、目的化合物の種類や濃度に応じた最小限のデータ積算回数で該目的化合物を同定できる可能性が高くなる。その結果、上述したように目的化合物の濃度が標準化合物の濃度に比べて低い場合や目的化合物が標準化合物に比べてイオン化されにくい場合であっても、目的化合物を同定できないような事態に陥ることを回避することができる。
【発明の効果】
【0025】
本発明に係る質量分析装置によれば、データ積算回数の不足による化合物の同定失敗を減らすことができる。また、必要以上にデータ積算を行うことも減らせるので、測定時間を短縮することができるとともに、時間が掛かることによる試料の劣化や変性の軽減に有効である。さらにまた、分析者自身が過去の経験等に基づきデータ積算回数を設定する必要がなくなるので、分析者の負担が軽減される。
【図面の簡単な説明】
【0026】
図1】本発明の第1実施例である質量分析装置の要部の構成図。
図2】第1実施例の質量分析装置において実施される特徴的な質量分析動作の一例のフローチャート。
図3】本発明の第2実施例である質量分析装置の要部の構成図。
図4】第2実施例の質量分析装置において実施される特徴的な質量分析動作の一例のフローチャート。
【発明を実施するための形態】
【0027】
まず、本発明の第1実施例である質量分析装置について、添付図面を参照して説明する。図1は第1実施例の質量分析装置の要部の構成図である。
【0028】
本実施例の質量分析装置において、試料に対して測定を実施してデータを収集する質量分析部1は、MALDIイオン源11、イオントラップ12、及び飛行時間型質量分析計(TOFMS)13から成る。
MALDIイオン源11では、サンプルプレート上に用意された試料に対してパルス的にレーザ光を照射し、それによって該試料に含まれる化合物をイオン化する。
イオントラップ12は例えば3次元四重極型のイオントラップであり、電場の作用によってイオンを一旦保持したあとに特定の質量電荷比を有するイオンを選別し、さらにその選別されたイオンを衝突誘起解離によって開裂させてプロダクトイオンを生成する。
TOFMS13は、イオントラップ12から所定のタイミングで略一斉に射出されたイオンを質量電荷比に応じて分離して検出する。このようにして、質量分析部1では、試料中の特定の化合物に由来するイオンを開裂させることで生成したプロダクトイオンに対するマススペクトル(MSnスペクトル)、つまりはプロダクトイオンスペクトルの元となるプロファイルデータを得ることができる。
【0029】
制御・処理部2は、上記質量分析部1の動作を制御するとともに、質量分析部1で得られるデータを処理するものであり、データ積算処理部21、マススペクトル作成部22、データベース(DB)検索部23、タンパク質配列データベース(DB)24、同定結果評価部25、積算回数調整部26、分析制御部27、を含む。また、制御・処理部2には、分析者が操作する入力部3と、分析結果等を表示する表示部4が接続されている。
【0030】
ここで、データベース検索部23は例えば、上述したMASCOTやX! TANDEMなどのデータベース検索ソフトウエアを用いたものとすることができる。タンパク質配列データベース24は例えば、UniProt(Swiss-Prot)などの一般に公開されているデータベースを用いることができる。
なお、制御・処理部2の少なくとも一部の機能は、パーソナルコンピュータにインストールされた専用の制御・処理ソフトウエアがそのコンピュータ上で動作することにより具現化されるものとすることができる。
【0031】
図2は、第1実施例の質量分析装置において実施される特徴的な質量分析動作の一例のフローチャートである。
分析者は、同定したい目的ペプチドの濃度(含有量)を推定し、その推定濃度の既知の標準ペプチドを目的ペプチドに加えてMALDI用の被検試料を調製する。したがって、サンプルプレート上に形成される被検試料には目的ペプチドと標準ペプチドとが含まれる。ここでは、この標準ペプチドを内部標準物質として用いる。
【0032】
測定実行前に、データ積算回数、レーザ光パワーを含む測定パラメータが初期設定される(ステップS1)。これら測定パラメータは分析者自身が入力部3から設定するようにしてもよいし、そうした入力がない場合には予め定められたデフォルト値が自動的に設定されるようにしておくとよい。
【0033】
測定が開始されると、まず、分析制御部27は、被検試料中の標準ペプチドに対するMS/MS分析を実行するように質量分析部1の各部を制御する。具体的には、MALDIイオン源11において被検試料にレーザ光を照射することでイオンを生成させ、そのイオンをイオントラップ12に一旦保持する。標準ペプチドの質量は既知であるから、該標準ペプチド由来の分子イオンを選択的に残すようにプリカーサイオン選択を行い、該イオンをCIDにより解離させて各種プロダクトイオンを生成する。そして、そのプロダクトイオンをイオントラップ12から射出させてTOFMS13に導入し、質量電荷比に依存する飛行時間毎に分離して検出する。質量分析部1では、こうした測定をデータ積算回数の初期値の回数だけ繰り返す。例えば、データ積算回数の初期値が「5」である場合には、質量分析部1において標準ペプチドに対するMS/MS分析が5回繰り返される。
【0034】
データ積算処理部21は上述したようにデータ積算回数の初期値の数だけ得られたプロファイルデータ(波形処理前の生データ)を全て加算することにより、積算プロファイルデータを求める。マススペクトル作成部22は積算プロファイルに対し例えばノイズ除去、スムージング、セントロイド処理などを実行することにより、標準ペプチドに対するマススペクトル(MS/MSスペクトル)を作成する(ステップS2)。
【0035】
データベース検索部23は作成されたマススペクトルに対してピーク検出を行ってピークリストを作成し、このピークリストに基づくタンパク質配列データベース24を参照したデータベース検索を行うことによりペプチドの同定処理を実行する。データベース検索を行うことでペプチドのアミノ酸配列が推定されるとともに、その信頼度を示すスコアや期待値が計算される(ステップS3)。
【0036】
次に、同定結果評価部25は、ステップS3において推定されたペプチドが既知の標準ペプチドであるか否かを判定することで、同定が成功したか否かを判定する。さらに、同定が成功したと判定された場合には、そのペプチドに対して算出されたスコア及び期待値がそれぞれ所定の閾値以上であるか否かを判定する(ステップS4)。標準ペプチドが正しく同定されていなければ同定失敗であり、同定失敗の場合には、ステップS4からS5へと進む。また、同定に成功した場合でも、スコア及び期待値のいずれかが所定の閾値に達していない場合には、データベース検索に用いたマススペクトルの品質、具体的にはSN比が低すぎる可能性がある。そこで、その場合にもステップS4からS5へと進む。すると、積算回数調整部26は、データ積算回数をその時点での値から所定数、例えば「1」だけ増加させ(ステップS5)、ステップS2へと戻る。この所定数は「1」以外の適宜の値であってもよい。
【0037】
ステップS5からS2へ戻ると、積算回数調整部26からデータ積算回数が所定数だけ増加されたことの通知を受けた分析制御部27は、その増加した回数だけ、被検試料中の標準ペプチドに対するMS/MS分析を追加で実行するように質量分析部1を制御する。そして、データ積算処理部21は先の積算プロファイルデータに、新たに取得された所定数のプロファイルデータを加算することで、増加されたデータ積算回数に対応する積算プロファイルデータを取得する。そして、この積算プロファイルデータを波形処理することで新たなマススペクトルを得る。このときには、データ積算回数が増加しているので、得られるマススペクトルのSN比は改善されている筈である。それによって、引き続きステップS3の処理が実行されたときに、ペプチドの同定精度は高まり、スコアや期待値の値も改善される。その結果、ステップS4の判定処理でYesと判定される確率が高くなる。
【0038】
ステップS4において、同定成功で且つスコア、期待値がいずれも所定閾値以上であると判定されると、積算回数調整部26はその時点で設定されているデータ積算回数を目的ペプチドに対する測定時の測定パラメータとして定め、分析制御部27はその測定ペラメータに従って被検試料中の目的化合物に対するMS/MS分析を実行するように質量分析部1を制御する。したがって、例えばデータ積算回数が「10」であるときにステップS4でYesと判定されたならば、被検試料中の目的化合物に対するMS/MS分析が10回繰り返され、データ積算処理部21ではその10回のMS/MS分析でそれぞれ得られたプロファイルデータが積算される。そして、マススペクトル作成部22ではその積算プロファイルデータに対する波形処理が行われて、目的ペプチドに対するマススペクトルが得られる(ステップS6)。
【0039】
データベース検索部23は、作成された目的ペプチドのマススペクトルに対してピーク検出を行ってピークリストを作成し、このピークリストに基づくタンパク質配列データベース24を参照したデータベース検索を行う。これによって、目的ペプチドに対するアミノ酸配列が推定され、候補ペプチドが同定結果として出力される(ステップS7)。
【0040】
以上のようにして、第1実施例の質量分析装置では、目的ペプチドの濃度が標準ペプチドの濃度と同程度であってイオン化効率も標準ペプチドと同程度であれば、目的ペプチドを同定するためにほぼ過不足ないデータ積算回数を自動的に決めることができる。それによって、目的ペプチドが同定失敗になることを回避しつつ、測定回数が必要以上に多くなることも避けることができる。
【0041】
次に、本発明の第2実施例である質量分析装置について、添付図面を参照して説明する。図3は第2実施例の質量分析装置の要部の構成図、図4は第2実施例の質量分析装置において実施される特徴的な質量分析動作の一例のフローチャートである。
【0042】
図3において、図1に示した第1実施例の構成と同じ構成要素には同じ符号を付している。この第2実施例の質量分析装置では、第1実施例の質量分析装置に対し、マススペクトル作成部22で作成されたマススペクトルの品質を評価するスペクトル品質評価部28が追加されており、スペクトル品質評価部28による評価結果は積算回数調整部26に入力されている。
図4により、第2実施例の質量分析装置において実施される特徴的な質量分析動作を説明する。図4に示したフローチャートにおけるステップS11〜S15は図2に示したフローチャートにおけるステップS1〜S5と全く同じ処理であるので説明を略す。即ち、ステップS11〜S15の処理により、被検試料に含まれる標準ペプチドを測定した結果を利用した同定処理に基づいてデータ積算回数が決定される。第1実施例では、この決定されたデータ積算回数を測定パラメータとして目的ペプチドに対するMS/MS分析が行われるが、この第2実施例では、さらにデータ積算回数を調整する。
【0043】
即ち、ステップS14でYesと判定されると、スペクトル品質評価部28はその時点で得られている標準ペプチドに対するMS/MSスペクトルからスペクトル品質評価値を基準値として算出する(ステップS16)。スペクトル品質評価値の算出方法はマススペクトルのSN比などを反映できる方法であれば特に問わないが、上述した、特許文献2、非特許文献3〜6などに記載の方法のいずれかを用いるとよい。いずれにしても、これら手法はマススペクトル自体の品質を評価するものであるから、データベース検索の際に算出されるスコアや期待値とは直接関連はなく、スコアや期待値が高くてもスペクトル品質評価値が低いということはあり得る。
こうして算出されたスペクトル品質評価値は、所定濃度の標準ペプチドが正確に同定され、しかもその際のスコアや期待値が所定閾値以上であるときのスペクトル品質評価値である。
【0044】
スペクトル品質評価値の算出後、図2におけるステップS6と同様のステップS17において、被検試料中の目的化合物に対するMS/MS分析が、ステップS15で最終的に決められたデータ積算回数だけ繰り返される。そして、データ積算処理部21では積算プロファイルデータが算出され、マススペクトル作成部22ではその積算プロファイルデータから目的ペプチドに対するMS/MSスペクトルが得られる。
【0045】
次いで、スペクトル品質評価部28は、ステップS16と同じ手法により、その目的ペプチドに対するMS/MSスペクトルからスペクトル品質評価値を計算する(ステップS18)。そして、算出された目的ペプチドに対するスペクトル品質評価値を、標準ペプチドに対するスペクトル品質評価値、つまり基準値と比較し、基準値に達しているか否かを判定する(ステップS19)。もし、目的ペプチドに対するスペクトル品質評価値が基準値に達していれば、そのときのデータ積算回数で十分であると判断し、ステップS21へと進む。ステップS21は図2におけるステップS7と同じ処理であり、データベース検索部23は、目的ペプチドのMS/MSスペクトルに対してピーク検出を行ってピークリストを作成し、このピークリストに基づくタンパク質配列データベース24を参照したデータベース検索を行う。これによって、目的ペプチドに対するアミノ酸配列が推定され、候補ペプチドが同定結果として出力される。
【0046】
ステップS19において目的ペプチドに対するスペクトル品質評価値が基準値に達していないと判定された場合には、そのときのMS/MSスペクトルを用いたデータベース検索を実行しても、目的ペプチドが正しく同定されない可能性が高い。そこで、ステップS19からS20へと進み、積算回数調整部26は、データ積算回数をその時点での値から所定数、例えば「1」だけ増加させ、ステップS17へと戻る。つまり、標準ペプチドの測定結果に基づいて一旦定められたデータ積算回数よりもさらにその回数を増やし、目的ペプチドに対するMS/MS分析を追加的に実施する。こうして、追加的に実施されたMS/MS分析により得られたプロファイルデータは、積算プロファイルデータにさらに加算される。したがって、ステップS20からS17に戻ったあとに、ステップS18において算出されるスペクトル品質評価値は、その前の時点のスペクトル品質評価値よりも高くなる筈である。
【0047】
そうして、ステップS17〜S20の繰り返しによって、目的ペプチドに対するMS/MSスペクトルのスペクトル品質評価値が基準値に達するまでデータ積算回数が増加され、目的ペプチドに対するMS/MSスペクトルのスペクトル品質評価値が基準値に達したならば、その時点でのMS/MSスペクトルを用いたペプチド同定が試みられる。
被検試料中の目的ペプチドの濃度が標準ペプチドの濃度よりも低い場合や、或いは濃度が同程度であっても目的ペプチドがイオン化されにくい(イオン化効率が低い)場合には、標準ペプチドに基づいて定められたデータ積算回数ではMS/MSスペクトルのSN比等の品質が十分でないことがある。その場合であっても、この第2実施例の構成によれば、データ積算回数をさらに増やし、目的ペプチドに対するMS/MSスペクトルの品質が十分に高い状態でデータベース検索によるペプチド同定を実施することができる。それによって、目的ペプチドの濃度や種類(アミノ酸配列)に応じた適切なデータ積算回数を設定することができ、データ積算回数の過不足が一層軽減される。
【0048】
なお、上記第1、第2実施例では、標準ペプチドを被検試料に加えて内部標準としたが、目的ペプチドを含む被検試料とは別に、つまりはサンプルプレート上の異なる位置に標準ペプチドを含む標準試料を調製し、該標準試料を測定したあとに被検試料を測定するようにしてもよい。
【0049】
また、上記実施例では、化合物がペプチドである場合について説明したが、対象とする化合物はペプチドに限らず、糖や脂質などの他の生体由来化合物や、それ以外の化合物であっても、データベース検索によって同定が可能である化合物であればよい。
【0050】
また、本発明は、イオン源がMALDIイオン源に限るものでなく、質量分離部がTOFMSに限るものでもない。
さらにまた、上記実施例は本発明の一例であり、上記の各種変形のみならず、本発明の趣旨の範囲でさらに適宜に変更、修正、追加を行っても本願特許請求の範囲に包含されることは当然である。
【符号の説明】
【0051】
1…質量分析部
11…MALDIイオン源
12…イオントラップ
13…飛行時間型質量分析計(TOFMS)
2…制御・処理部
21…データ積算処理部
22…マススペクトル作成部
23…データベース(DB)検索部
24…タンパク質配列データベース(DB)
25…同定結果評価部
26…積算回数調整部
27…分析制御部
28…スペクトル品質評価部
3…入力部
4…表示部
図1
図2
図3
図4