特許第6327915号(P6327915)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6327915
(24)【登録日】2018年4月27日
(45)【発行日】2018年5月23日
(54)【発明の名称】摺動機械
(51)【国際特許分類】
   C10M 125/22 20060101AFI20180514BHJP
   C10M 139/00 20060101ALI20180514BHJP
   C23C 14/06 20060101ALI20180514BHJP
   F16C 33/14 20060101ALI20180514BHJP
   F16C 33/12 20060101ALI20180514BHJP
   C10N 10/12 20060101ALN20180514BHJP
   C10N 30/06 20060101ALN20180514BHJP
   C10N 40/02 20060101ALN20180514BHJP
【FI】
   C10M125/22
   C10M139/00 Z
   C23C14/06 F
   F16C33/14 Z
   F16C33/12 A
   C10N10:12
   C10N30:06
   C10N40:02
【請求項の数】8
【全頁数】26
(21)【出願番号】特願2014-82034(P2014-82034)
(22)【出願日】2014年4月11日
(65)【公開番号】特開2014-224239(P2014-224239A)
(43)【公開日】2014年12月4日
【審査請求日】2016年9月21日
(31)【優先権主張番号】特願2013-93116(P2013-93116)
(32)【優先日】2013年4月25日
(33)【優先権主張国】JP
【前置審査】
(73)【特許権者】
【識別番号】000003609
【氏名又は名称】株式会社豊田中央研究所
(73)【特許権者】
【識別番号】000003207
【氏名又は名称】トヨタ自動車株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100113664
【弁理士】
【氏名又は名称】森岡 正往
(74)【代理人】
【識別番号】110001324
【氏名又は名称】特許業務法人SANSUI国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】遠山 護
(72)【発明者】
【氏名】森 広行
(72)【発明者】
【氏名】泉 貴士
(72)【発明者】
【氏名】村瀬 篤
(72)【発明者】
【氏名】梶田 晴司
(72)【発明者】
【氏名】奥山 勝
(72)【発明者】
【氏名】新吉 隆利
(72)【発明者】
【氏名】神野 哲史
(72)【発明者】
【氏名】藤本 公介
(72)【発明者】
【氏名】山下 実
(72)【発明者】
【氏名】池田 直也
【審査官】 松原 宜史
(56)【参考文献】
【文献】 特開2011−032429(JP,A)
【文献】 特開2004−339486(JP,A)
【文献】 特開2012−224888(JP,A)
【文献】 米国特許出願公開第2005/0119136(US,A1)
【文献】 特開2004−137535(JP,A)
【文献】 特開2008−037860(JP,A)
【文献】 欧州特許出願公開第02039698(EP,A1)
【文献】 特開2001−316686(JP,A)
【文献】 特表2001−515528(JP,A)
【文献】 国際公開第98/026030(WO,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C10M 101/00−177/00
C10N 10/00− 80/00
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
相対移動し得る対向した摺動面を有する一対の摺動部材と、
該対向する摺動面間に介在し得る潤滑油と、
を備えた摺動機械であって、
前記摺動面の少なくとも一方は、膜全体を100原子%(単に「%」という。)としたときに、合計で1〜30%となるBと、0〜25%のと、残部がおよび不純物とからなる非晶質炭素膜で被覆された被覆面からなり、
前記潤滑油は、Moの三核体からなる化学構造を有する油溶性モリブデン化合物を、該潤滑油全体に対するMoの質量割合で25ppm以上100ppm未満含み、
前記三核体は、MoまたはMoからなることを特徴とする摺動機械。
【請求項2】
相対移動し得る対向した摺動面を有する一対の摺動部材と、
該対向する摺動面間に介在し得る潤滑油と、
を備えた摺動機械であって、
前記摺動面の少なくとも一方は、膜全体を100%としたときに、合計で1〜30%となるTiまたはMoの少なくとも一種以上からなる特定元素と、0〜25%のと、残部がおよび不純物とからなる非晶質炭素膜で被覆された被覆面からなり、
前記潤滑油は、Moの三核体からなる化学構造を有する油溶性モリブデン化合物を、該潤滑油全体に対するMoの質量割合で25〜800ppm含み、
前記被覆面は、Bi+を1次イオンとする飛行時間型2次イオン質量分析法(TOF−SIMS)を用いて最表面を解析した際に、負イオンスペクトルに関して測定される質量数517.4付近に現れる98Mo-に帰属されるピークのカウント数(A)と、正イオンスペクトルに関して測定される質量数40.0付近に現れる40Ca+に帰属されるピークのカウント数(B)との比であるカウント数比(A/B)が0.006以上であることを特徴とする摺動機械。
【請求項3】
相対移動し得る対向した摺動面を有する一対の摺動部材と、
該対向する摺動面間に介在し得る潤滑油と、
を備えた摺動機械であって、
前記摺動面の少なくとも一方は、膜全体を100%としたときに、合計で1〜30%となるB、Ti、VまたはMoの少なくとも一種以上からなる特定元素と、0〜4%のHと、残部がCおよび不純物とからなる非晶質炭素膜で被覆された被覆面からなり、
前記潤滑油は、Moの三核体からなる化学構造を有する油溶性モリブデン化合物を、該潤滑油全体に対するMoの質量割合で25〜800ppm含み、
前記三核体は、MoまたはMoからなることを特徴とする摺動機械。
【請求項4】
相対移動し得る対向した摺動面を有する一対の摺動部材と、
該対向する摺動面間に介在し得る潤滑油と、
を備えた摺動機械であって、
前記摺動面の少なくとも一方は、膜全体を100%としたときに、合計で5〜30%となるBと、5〜25%のHと、残部がCおよび不純物とからなる非晶質炭素膜で被覆された被覆面からなり、
前記潤滑油は、Moの三核体からなる化学構造を有する油溶性モリブデン化合物を、該潤滑油全体に対するMoの質量割合で25ppm以上100ppm未満含み、
前記三核体は、MoまたはMoからなることを特徴とする摺動機械。
【請求項5】
相対移動し得る対向した摺動面を有する一対の摺動部材と、
該対向する摺動面間に介在し得る潤滑油と、
を備えた摺動機械であって、
前記摺動面の少なくとも一方は、膜全体を100%としたときに、合計で5〜30%となるB、Ti、VまたはMoの少なくとも一種以上からなる特定元素と、5〜25%のHと、残部がCおよび不純物とからなる非晶質炭素膜で被覆された被覆面からなり、
前記潤滑油は、Moの三核体からなる化学構造を有する油溶性モリブデン化合物を、該潤滑油全体に対するMoの質量割合で25〜300ppm含み、
前記被覆面は、Bi+を1次イオンとする飛行時間型2次イオン質量分析法(TOF−SIMS)を用いて最表面を解析した際に、負イオンスペクトルに関して測定される質量数517.4付近に現れる98Mo-に帰属されるピークのカウント数(A)と、正イオンスペクトルに関して測定される質量数40.0付近に現れる40Ca+に帰属されるピークのカウント数(B)との比であるカウント数比(A/B)が0.006以上であることを特徴とする摺動機械。
【請求項6】
相対移動し得る対向した摺動面を有する一対の摺動部材と、
該対向する摺動面間に介在し得る潤滑油と、
を備えた摺動機械であって、
前記摺動面の少なくとも一方は、膜全体を100%としたときに、合計で1〜30%となるVと、0〜25%のHと、残部がCおよび不純物とからなる非晶質炭素膜で被覆された被覆面からなり、
前記潤滑油は、Moの三核体からなる化学構造を有する油溶性モリブデン化合物を、該潤滑油全体に対するMoの質量割合で25〜800ppm含み、
前記三核体は、MoまたはMoからなることを特徴とする摺動機械。
【請求項7】
相対移動し得る対向した摺動面を有する一対の摺動部材と、
該対向する摺動面間に介在し得る潤滑油と、
を備えた摺動機械であって、
前記摺動面の少なくとも一方は、膜全体を100%としたときに、合計で5〜30%となるVと、5〜25%のHと、残部がCおよび不純物とからなる非晶質炭素膜で被覆された被覆面からなり、
前記潤滑油は、Moの三核体からなる化学構造を有する油溶性モリブデン化合物を、該潤滑油全体に対するMoの質量割合で25〜300ppm含み、
前記三核体は、MoまたはMoからなることを特徴とする摺動機械。
【請求項8】
前記被覆面は、1μm×1μmの方形状の測定領域について原子間力顕微鏡を用いて摺動方向に対して垂直方向へ走査して測定した際の表面粗さが最大高さ(Rmax)で8nm以下である請求項1〜のいずれかに記載の摺動機械。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、特定元素(M)を含む非晶質炭素膜(DLC−M膜)と特定の化学構造を有する油溶性モリブデン化合物を含有した潤滑油とにより、摺動面間に作用する摩擦係数や摺動抵抗等を顕著に低減できる摺動機械に関する。
【背景技術】
【0002】
多くの機械は摺接しつつ相対移動する摺動部材を備える。このような摺動部材を有する機械(本明細書では「摺動機械」という。)では、その摺動部分に作用する抵抗力(摺動抵抗)を小さくすることにより、性能が向上すると共に稼動に必要なエネルギーが低減される。このような摺動抵抗の低減は、通常、摺動面間に作用する摩擦係数の低減により達成される。
【0003】
摺動面間に作用する摩擦係数は、摺動面の表面状態と摺動面間の潤滑状態により異なる。このため摩擦係数の低減を図る場合、摺動面の表面改質と摺動面間へ供給する潤滑剤(潤滑油)の改良が検討される。摺動面の表面改質には種々あるが、低摩擦化を図れ耐摩耗性にも優れる非晶質炭素膜(いわゆるダイヤモンドライクカーボン(DLC)膜)が摺動面に形成されることが多い。また、潤滑剤も摺動機械の種類、使用環境等に応じて種々改良されるが、通常は摩擦低減効果のある添加剤の配合により対応されることが多い。
【0004】
ところが、摩擦低減効果があるとされるDLC膜も、乾式下と湿式下では特性が異なる。しかも湿式下におけるDLC膜の摺動特性は、介在する潤滑油の種類によっても異なり得る。そこで、特定のDLC膜と特定の潤滑油を最適に組み合わせることが、摩擦係数の低減を図る上で重要となる。これに関連する提案が、例えば下記の特許文献でされている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【特許文献1】特開2001−316686号公報
【特許文献2】WO2005/14763号公報
【特許文献3】特開2004−339486号公報(欧州特許EP1462508B1号公報)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
特許文献1は、MoまたはTiを含むDLC膜と、モリブデンジチオカーバメイト(MoDTC)を500ppm含む潤滑油とを組み合わせることを提案している。また特許文献2は、金属元素等を含まない一般的なDLC膜と、MoDTC(硫黄含有モリブデン錯体)をMo含有割合で9.9質量%含む潤滑油とを組み合わせることを提案している。これらの特許文献で用いられているMoDTCは、周知なエンジン油の添加剤であり、Moの二核体からなる。
【0007】
特許文献3は、金属元素等を含まない一般的なDLC膜とベースオイルに三核モリブデンジチオカルバメートをMo量で550ppm添加した潤滑油とを組み合わせることを提案している。もっとも特許文献3は、その組み合わせにより摩擦係数が低減される旨を記載しているに留まり、そのメカニズム等について一切明らかにしていない。また、その組み合わせにより得られる摩擦係数は高々0.1程度であり、未だ摩擦係数の低減が不十分である。
【0008】
このようにDLC膜と潤滑油の好適な組み合わせについて従来からいくつかの提案がなされているが、摩擦係数を顕著に低減させ得るDLC膜と潤滑油の組み合わせには未だ提案されていなかった。また、DLC膜と潤滑油の組み合わせによって摩擦係数が変化するメカニズム等についても明確にはされていなかった。
【0009】
本発明はこのような事情に鑑みて為されたものであり、DLC膜と潤滑油の新たな組み合わせにより、従来よりも摺動面間における摩擦係数を遥かに低減できる摺動機械を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0010】
本発明者はこの課題を解決すべく鋭意研究し、試行錯誤を重ねた結果、特定元素(M)を含む非晶質炭素膜(DLC−M膜)と、特定の化学構造を有する油溶性モリブデン化合物を含有した潤滑油との新たな組み合わせにより、摺動面間の摩擦係数を著しく低減できることを発見した。この成果を発展させることにより、以降に述べる本発明を完成するに至った。
【0011】
《摺動機械》
(1)本発明の摺動機械は、相対移動し得る対向した摺動面を有する一対の摺動部材と、該対向する摺動面間に介在し得る潤滑油と、を備えた摺動機械であって、前記摺動面の少なくとも一方は、膜全体を100原子%(単に「%」という。)としたときに、合計で1〜30%となるボロン(B)、チタン(Ti)、バナジウム(V)またはモリブデン(Mo)の少なくとも一種以上からなる特定元素と、0〜25%の水素(H)と、残部が炭素(C)および不純物とからなる非晶質炭素膜で被覆された被覆面からなり、前記潤滑油は、モリブデン(Mo)の三核体からなる化学構造を有する油溶性モリブデン化合物を、該潤滑油全体に対するMoの質量割合で25〜800ppm含むことを特徴とする。
【0012】
(2)本発明の場合、B、Ti、VまたはMoの一種以上からなる特定元素および/またはHを含む非晶質炭素膜(適宜単に「DLC膜」という。)により被覆された摺動面は、特定の化学構造を有する油溶性モリブデン化合物を含む潤滑油の存在下で、摺動面間の摩擦係数が著しく低減される。具体的にいうと、本発明の場合、その摩擦係数が0.04以下、0.03以下さらには0.02程度になる超低摩擦も起こり得る。この結果、本発明の摺動機械は、摺動抵抗や摩擦損失の大幅な低減が可能となり、運動性能や省エネルギー化等の顕著な向上を図ることが可能となる。なお、このような低摩擦特性を発揮する本発明の摺動機械は、境界潤滑条件から混合潤滑条件に至る厳しい条件下で稼動する駆動系機械(例えばエンジン、変速機)等に好適である。
【0013】
なお、本発明に係るDLC膜は、必ずしもHを含む必要はなく、特定元素を含む限り、Hを実質的に含まないHフリー(H含有量が0〜25%さらには0.1〜24%)でもよいし、H含有量が0〜5%、0.5〜4%さらには1〜3%の低HDLC膜でもよい。このようなDLC膜は、上述した低摩擦特性と併せて、非常に優れた耐摩耗性も発揮し得る。逆に、本発明に係るDLC膜が適量のHを含む場合、低摩擦特性のさらなる向上を図れる。この場合のH含有量は5〜25%であると好適である。
【0014】
(3)本発明に係る特定のDLC膜と潤滑油の組み合わせが非常に優れた摩擦低減効果を発現するメカニズムは必ずしも定かではないが、本発明者が鋭意研究したところ、現状では次のように考えられる。
【0015】
本発明に係るDLC膜の場合、特定元素(B、Ti、VまたはMoの一種以上)が存在する部分において、潤滑油中に含まれるMoの三核体からなる油溶性モリブデン化合物(単に「Mo三核体化合物」という。)の吸着反応が促進される。その結果、Mo三核体化合物と競争吸着関係にある他の添加剤またはその構成元素は、摺動面(DLC膜)上における吸着反応が抑制される。
【0016】
例えば、Mo三核体化合物が存在しないと、潤滑油に添加されることが多い過塩基性Caスルホネート等の添加剤は、摺動面に吸着して厚さ(高さ)が10nmを超える反応化合物を偏在的に生成し、その摺動面上に微細な凸部(突起)を形成し得る。このような微細な凸部は境界潤滑下(または混合潤滑下)において摩擦係数を増大させる原因となる。しかし、本発明の摺動機械では、上述したように、特定元素を含むDLC膜とMo三核体化合物を含む潤滑油が相乗的に作用する結果、他の添加剤が摺動面に吸着反応することが阻害され、摺動面の表面粗さが大きくなる事態が回避される。こうして本発明に係る摺動面は、少なくとも摺動機械が試運転等されて、DLC膜と潤滑油が十分に接触した後であれば、他の添加剤の吸着反応等による微細凸部の形成も殆ど無い超平滑面(例えば表面粗さ(最大高さ)が5nm以下さらには2nm以下)となり得る。そして、このような平滑な摺動面が潤滑油からなる油膜を介在させつつ相対移動することにより、摺動面同士の微細な直接接触が回避され、摺動面間の摩擦係数が著しく低下したと考えられる。
【0017】
さらに本発明に係るDLC膜は、通常、摺動部材の基材(例えば鋼材)よりも硬く、かつ摺動相手側の摺動面へも移着しにくい特性がある。このため本発明に係る摺動面は、上述した平滑状態が摺動機械の稼動中も安定的に維持され、低摩擦化が安定的に図られると共に高耐摩耗性も発揮されると考えられる。
【0018】
なお、本発明に係るMo三核体化合物は摺動面に吸着反応することにより、Mo、Mo 、Moなどの化学構造を有する硫化モリブデン化合物をその摺動面上に形成し得る。これら硫化モリブデン化合物は、二硫化モリブデン(MoS)と類似した構造を有するため、二硫化モリブデンと同様に、層状構造に基づく低剪断特性も摺動面間で発揮されると推察される。この結果、摺動面同士の直接接触が回避され、境界摩擦係数も低減され得る。このような点も、マクロ的な摩擦係数の低減に寄与していると考えられる。
【0019】
(4)本発明に係るMo三核体は、例えば、MoまたはMoからなり、特にMoからなると好適である。本発明に係るMo三核体化合物は、そのような三核体からなる骨格(分子構造)を備える限り、末端に結合している官能基や分子量等は問わない。参考までに、Moからなる硫化モリブデン化合物の一例を図19に示した。図19中のRはヒドロカルビル基である。
【0020】
《その他》
(1)本発明でいう「摺動機械」は、摺動部材と潤滑油を備えれば足り、機械としての完成体に限らず、その一部を構成する機械要素の組み合わせ等でもよい。このため本発明の摺動機械は、摺動構造、摺動システム等と換言することもできる。
【0021】
本発明に係るDLC膜による被覆面は、相対移動する対向した摺動部材の少なくとも一方の摺動面に形成されていればよい。勿論、対向する両摺動面ともDLC膜による被覆面となっているとより好ましい。
【0022】
(2)特に断らない限り本明細書でいう「x〜y」は下限値xおよび上限値yを含む。本明細書に記載した種々の数値または数値範囲に含まれる任意の数値を新たな下限値または上限値として「a〜b」のような範囲を新設し得る。
【図面の簡単な説明】
【0023】
図1】ブロックオンリング摩擦試験の様子を示す模式図である。
図2】エンジン動弁系摩擦試験で摩擦力を検出する要部を示す図である。
図3】従来の各エンジン油と各DLC膜を組み合わせたときのブロックオンリング摩擦試験に係る摩擦係数を示す棒グラフである。
図4】各種の摩擦調整剤(FM)を配合した試作A系オイルと6B−DLCとを組み合わせたときのブロックオンリング摩擦試験に係る摩擦係数を示す棒グラフである。
図5】Mo系FMを配合した試作B系オイルと6B−DLCとを組み合わせたときのブロックオンリング摩擦試験に係る摩擦係数を示す棒グラフである。
図6】Mo三核体化合物またはMoDTCの配合量が異なる試作B系オイルと6B−DLCとを組み合わせたときのブロックオンリング摩擦試験に係る摩擦係数を示すグラフである。
図7】Mo三核体化合物を配合した試作B系オイルと各種の摺動部材とを組み合わせたときのブロックオンリング摩擦試験に係る摩擦係数を示す棒グラフである。
図8】Mo三核体化合物を配合したGF−5開発油CまたはMo三核体化合物を配合していないGF−5開発油Aと各種の摺動部材とを組み合わせたときのブロックオンリング摩擦試験に係る摩擦係数を示す棒グラフである。
図9】各潤滑油と各摺動部材(シム)とを組み合わせたときのエンジン動弁系摩擦試験に係る摩擦係数を示す棒グラフである。
図10】6B−DLCの初期面(試験前の摺動面)とブロックオンリング摩擦試験後の各種摺動面をSPMで観察したナノスケール表面形状を示す立体図である。
図11】ブロックオンリング摩擦試験後の6B−DLCの各摺動面をより広範囲でSPMにより観察したナノスケール表面形状を示す立体図である。
図12】Mo三核体化合物を非配合な試作B系オイルを用いてブロックオンリング摩擦試験を行った後の6B−DLCの摺動面を観察したSEM像およびAES像である。
図13】Mo三核体化合物を配合した試作B系オイルを用いてブロックオンリング摩擦試験を行った後の6B−DLCの摺動面を観察したSEM像およびAES像である。
図14】種々のエンジン油とDLC膜を組み合わせて行ったブロックオンリング試験後の摺動面に関するTOF−SIMSの質量数40付近の陽イオンに着目したスペクトル図である。
図15】種々のエンジン油とDLC膜を組み合わせて行ったブロックオンリング試験後の摺動面に関するTOF−SIMSの質量数300〜600付近の陰イオンに着目したスペクトル図である。
図16】TOF−SIMSの二次イオン質量スペクトルに基づく40Caのカウント数(B)と摩擦係数の関係を示す図である。
図17】TOF−SIMSの二次イオン質量スペクトルに基づく98Moのカウント数(A)と摩擦係数の関係を示す図である。
図1840Ca98Moのカウント数比(A/B)と摩擦係数の関係を示す図である。
図19】本発明に係るMo三核体化合物の一例を示す分子構造図である。
図20】Mo三核体化合物を配合したGF−5開発油Cと各種の摺動部材とを組み合わせたときのブロックオンリング摩擦試験に係る摩擦係数を示す棒グラフである。
図21】その摩擦試験により各摺動部材に生じた摩耗深さを示す棒グラフである。
図22】その摩擦試験後の各摺動部材の摺動面を示す図である。
図23】DLC膜中のB含有量と摩擦係数の関係を示す分散図である。
【発明を実施するための形態】
【0024】
上述した本発明の構成要素に、本明細書中から任意に選択した一つまたは二つ以上の構成要素を付加し得る。本明細書で説明する内容は、本発明の摺動機械全体としてのみならず、それを構成する摺動部材や潤滑油にも適宜該当し、また方法的な構成要素であっても物に関する構成要素ともなり得る。いずれの実施形態が最良であるか否かは、対象、要求性能等によって異なる。
【0025】
《潤滑油》
本発明に係る潤滑油は、Mo三核体化合物を含むものであれば、基油の種類や他の添加剤の有無等を問わない。通常、エンジン油等の潤滑油には、S、P、Zn、Ca、Mg、Na、BaまたはCu等を含む種々の添加剤が含まれる。このような潤滑油中でも、本発明に係るMo三核体化合物は、DLC膜で被覆された摺動面(被覆面)上に優先的に作用し、他の添加元素によって被覆面の表面粗さを劣化させる化合物が吸着反応等により生成されることを抑止する。なお、本発明に係る潤滑油は、Mo三核体化合物以外のMo系化合物(例えばMoDTC、二硫化モリブデン等)を含んでもよい。
【0026】
Mo三核体化合物が過少であると、上記のような効果が発揮され難くなるが、Mo三核体化合物が過多でも問題はない。但し、Moはレアメタルの一種であるから、その使用量は少ないほど好ましい。そこで本発明に係るMo三核体化合物は、潤滑油全体に対するMoの質量割合で5〜800ppm、10〜500ppm、25〜300ppm、40〜220ppmさらには80〜170ppmであると好ましい。なお、潤滑油全体に対するMoの質量割合をppmで表すときはppmMoと表記する。ちなみに、Mo三核体化合物以外のMo系化合物等が潤滑油中に含まれる場合、潤滑油中に含まれるMoの総量(総質量割合)は当然に上記範囲と異なるが、潤滑油全体に対するMo総量の上限値は400ppmMoさらには350ppmMoであると好ましい。
【0027】
《摺動部材の摺動面》
本発明に係る摺動部材は、潤滑油を介在させつつ相対移動する摺動面を有するものであれば、その種類、形態、摺動形態等を問わない。本発明の場合、相対移動する対向した一対の摺動面のうち、少なくとも一方に特定元素を含むDLC膜が被覆されていれば、上述した潤滑油との組み合わせにより、摺動面間の摩擦係数が顕著に低下し得る。特に、DLC膜と潤滑油の組成をマッチングさせることにより、本発明の摺動機械は、摺動面間の摩擦係数が0.03以下さらには0.02近傍となるような超低摩擦特性を発揮し得る。
【0028】
このように顕著な低摩擦特性が発揮される理由として、Mo三核体化合物を含む潤滑油が存在する状況で、特定のDLC膜で被覆された摺動面(被覆面)が対向する摺動面と摺接することにより、その被覆面の表面形状(表面粗さ)が非常に平滑な状態になることが挙げられる。この被覆面の平滑度合は、DLC膜や潤滑油の種類、摺動条件等により変化し得るが、例えば、1μm×1μmの方形状の測定領域について原子間力顕微鏡を用いて摺動方向に対して垂直方向へ走査して測定した際の表面粗さが最大高さ(Rmax)で、8nm以下、5nm以下さらには2nm以下ともなり得る。さらに本発明に係る被覆面は、その測定領域を10μm×10μmに拡張しても、Rmaxが上記の範囲内ともなり得る。
【0029】
このような顕著な平滑面が形成される理由として、上述したように、潤滑油中に含まれるMo三核体化合物が、被覆面上の表面粗さを劣化させる化合物の生成を阻害することが挙げられる。このような化合物を生成する添加元素として、例えば、エンジン油の清浄剤等に多く含まれるCaがあることが本発明者の研究によりわかった。そこで、このCaとMo三核体を構成する代表的な化学構造をもつMoとが被覆面上に存在する割合(存在比率)を調査したところ、摺動面間の摩擦係数と相関があることも明らかとなった。具体的にいうと、本発明に係る被覆面が、Biを1次イオンとする飛行時間型2次イオン質量分析法(TOF−SIMS)を用いて最表面を解析した際に、負イオンスペクトルに関して測定される質量数517.4付近に現れる98Moに帰属されるピークのカウント数(A)と、正イオンスペクトルに関して測定される質量数40.0付近に現れる40Caに帰属されるピークのカウント数(B)との比であるカウント数比(A/B)が0.006以上さらには0.01以上であるときに、優れた低摩擦特性が発揮され得ることがわかった。従って、本発明に係る摺動面が特定のDLC膜で被覆されていることを前提に、本発明に係る潤滑油はCaの含有量が少なく、Mo三核体化合物(特にMoからなるMo化合物)が多いほど、摺動面間の低摩擦係数化を図り易いといえる。但し、両者の比率が一定の範囲内であれば十分であるから、被覆面の表面粗さを劣化させ得る添加元素の含有量が少ないなら、それに応じてMo三核体化合物を低減することも可能である。
【0030】
《DLC膜》
(1)組成
本発明に係るDLC膜は、少なくとも一方の摺動面に形成され、所定の特定元素(M)がドープされたものである。具体的にいうと、本発明に係るDLC膜は、膜全体を100原子%としたときに、合計で1〜30%さらには5〜25%となるB、Ti、VまたはMoの少なくとも一種以上からなる特定元素(M)を含む。Mが過少ではMo三核体化合物との相互作用が十分に機能せず、Mが過多では良好なDLC膜の形成が困難となる。なお、Mは、B、Ti、VまたはMoの一種でも複数種でもよいが、MがBまたはVであるとき、特に優れた低摩擦特性が発揮され得る。
【0031】
また、本発明に係るDLC膜がHを含むときに低摩擦特性が発揮され易いこともわかっている。Hは、膜全体を100原子%としたときに0〜25%、5〜25%、10〜22%、さらには15〜20%であると好ましい。Hを実質的に含まないHフリ−DLC膜またはHの含有量が少ない低HDLC膜は、低摩擦性と耐摩耗性の両特定を高次元で発揮する。DLC膜中のH量が増加するにつれて、低摩擦特性のさらなる向上が図られる。但し、Hが過多になると、DLC膜が過度に軟質となってその耐摩耗性が低下し得る。
【0032】
上述した元素以外に、本発明に係るDLC膜は、その摺動特性等を改善する改質元素や不可避不純物を含み得る。このような元素として、O、Al、Mn、Si、Cr、W、Ni等がある。これら元素の含有量は問わないが、8原子%未満さらには4原子%未満であると好ましい。なお、DLC膜の組成は、その厚さ方向に関して、均質的でも、多少変化していても、さらには傾斜的でもよい。
【0033】
(2)構造・特性
本発明に係るDLC膜は、従来のDLC膜と同様にアモルファス構造からなるが、それのみならず、炭化物を実質的に含まず、無配向性組織からなると、より好ましい。
【0034】
DLC膜が形成される基材(または摺動部材の基材)は問わないが、DLC膜は基材よりも硬質であり、基材よりも弾性率が小さいと好ましい。これにより本発明に係る被覆面の耐摩耗性、靱性または耐衝撃性等の向上を図り得る。例えば、本発明に係るDLC膜は、硬さが10〜30GPaさらには14〜25GPaであると好ましい。硬さが過小では耐摩耗性が低下し、硬さが過大ではDLC膜の割れ等を生じ易くなる。またDLC膜の弾性率も同様な観点から、例えば100〜200GPa、110〜190GPa、120〜180GPaさらには130〜170GPaであると好ましい。
【0035】
(3)成膜方法
DLC膜の成膜方法は問わないが、例えばスパッタリング法、特にアンバランスドマグネトロンスパッタリング(UBMS)法によると、緻密なDLC膜が効率的に形成されて好ましい。
【0036】
DLC膜の成膜前に、チャンバー内を10−5Pa以下まで真空排気するか、チャンバー内に水素ガスを導入して、成膜前のチャンバー内に残存する酸素および水分を除去すると好ましい。水素ガスの導入量は、DLC膜中のH量に応じて調整するとよい。
【0037】
スパッタガスは、例えば、アルゴン(Ar)ガス、ヘリウム(He)ガス、窒素(N)ガスなどの希ガスの一種以上を用いることができる。H含有ガスとしては、メタン(CH)、アセチレン(C)、ベンゼン(C)などの炭化水素系ガスの一種以上を用いることができる。
【0038】
ガスの流量は、例えば、希ガス:200〜500sccm、炭化水素ガス:10〜25sccmとするとよい。これらに加えて、Hガス:1〜25sccmを導入して、膜中のOや不純物の混入を低減させてもよい。なお、単位:sccmは、大気圧(1013hPa)の室温における流量である。
【0039】
DLC膜の成膜温度は150〜300℃であると、炭化物の生成を抑制できて好ましい。なお、成膜温度は、成膜中の基材の表面温度であり、熱電対または放熱温度計により測定され得る。
【0040】
この他、ガス圧は0.5〜1.5Pa、ターゲットに印可する電力は1kW〜3kW、基材(摺動面)近傍の磁場の強度は6〜10mTとしてスパッタリングを行うと好ましい。さらには基材へ100〜500Vの負のバイアス電圧を印加してもよい。
【0041】
スパッタリング法の他、アークイオンプレーティング(AIP)法によりDLC膜を成膜してもよい。AIP法は、真空中でアーク放電を生じさせ、各ターゲットから蒸発させたCおよびB等を、反応容器内の処理ガスと反応させて、基材の表面にDLC膜を形成する方法である。
【0042】
《用途》
本発明の摺動機械は、その具体的な形態や用途を問わず、多種多様な機械や装置等へ幅広く適用できる。特に本発明の摺動機械は、摺動面間の摩擦係数が非常に小さくなる超低摩擦特性を発現するため、摺動抵抗の低減や摺動による機械損失の低減が厳しく要求される機械等に好適である。例えば、自動車等に搭載されるエンジンや変速機等の駆動系ユニット、それらの一部を構成する摺動体などに本発明の摺動機械は好適である。ここでいう摺動体は、軸と軸受、ピストンとライナー、噛合する歯車、ポンプ等である。また、このような摺動体を構成する摺動部材は、例えば、動弁系を構成するカム、バルブリフタ、フォロワ、シム、バルブ、バルブガイド等、その他、ピストン、ピストンリング、ピストンピン、クランクシャフト、歯車、ロータ、ロータハウジング等である。
【実施例】
【0043】
実施例を挙げて本発明をより具体的に説明する。
[実施例1]
《摺動部材》
摺動部材となる供試材として、次のようなブロックオンリング摩擦試験用評価材とエンジン動弁系摩擦試験用評価材を用意した。
【0044】
〈ブロックオンリング摩擦試験用評価材〉
(1)基材
基材として、焼入れ処理を施したブロック状(6.3mm×15.7mm×10.1mm)の鋼材(JIS SUS440C)を用意した。その鋼材の鏡面仕上げ面(表面粗さRzjis0.1μm/摺動面)に、表1に示す各種のDLC膜を後述のようにして成膜した。またDLC膜を被膜しない比較評価材として、浸炭処理しただけの鋼材(JIS SCM420)も用意した。その浸炭面(硬さHV800)も同様な表面粗さの鏡面仕上げ面とした。こうしてブロックオンリング摩擦試験用の各ブロック試験片を用意した。なお、摺動面にDLC膜を設けた試験片は、そのDLC膜の呼称(表1参照)を用いて表し、摺動面にDLC膜を設けなかった試験片は単に「鋼材」として表す。これは後述のエンジン動弁系摩擦試験でも同様である。
【0045】
(2)DLC膜の成膜
上記のDLC膜の成膜は、アンバランスドマグネトロンスパッタリング装置(株式会社神戸製鋼所製UBMS504)を用いて行った。具体的には次の通りである。先ず、DLC膜を形成する前に、予め鏡面仕上げした基材表面に中間層を形成した。上記のスパッタリング装置内を1×10−5Paまで排気して、基材表面に対向配置した純クロムターゲットをArガスでスパッタした。こうして基材表面にCr膜を形成した。これに続けて、CHガスを装置内へ導入し、Cr膜の表面にCr−C系膜を形成した。こうして合計の厚さが約0.8μm程度の中間層を形成した。なお本実施例を通じて、基材表面とターゲット表面との距離は100〜800mmに調整した。なお、膜厚はCMS社製Calotestにより特定した(以下同様)。
【0046】
次に、その基材表面に対向配置したドープ元素(特定元素)源である各種のドープターゲットおよびグラファイトターゲットをArガスでスパッタリングした。これに続けて、200sccmのArガス、10sccmのCHガス(炭化水素系ガス)および1sccmのHガスを装置内へ導入した。このときの装置内のガス圧は0.7Paであった。こうして中間層上に各種DLC膜を成膜した評価材を得た。なお、各DLC膜の厚さは約1.5μmであった。また、ドープ元素がBであるときのドープターゲットにはBCを用いた。またドープ元素がTi、VおよびMoであるときは、それぞれの純金属をドープターゲットとした。ドープ元素がなくHが多いDLC膜(D7)は、ドープターゲットをCに変更し、CHガスを導入して成膜した。またHフリーのDLC膜(D6)は、特開2004−115826号公報に記載されているアークイオンプレーティング法により形成した。
【0047】
(3)膜組成
表1に示した各DLC膜の膜組成は次のように測定した。膜中のドープ元素は、電子プローブ微小部分析法(EPMA)、X線光電子分光法(XPS)、オージェ電子分光法(AES)またはラザフォード後方散乱法(RBS)により定量した。Hは、弾性反跳粒子検出法(ERDA)により定量した。ERDAは、2MeVのヘリウムイオンビームを膜表面に照射して、その膜からはじき出される水素を半導体検出器により検出して水素濃度を測定する方法である。こうして得られた各DLC膜の組成を表1に併せて示した。
【0048】
(4)膜構造
透過型電子顕微鏡(TEM)を用いて、各DLC膜の厚さ方向の断面中央部へ電子線を照射して電子線回折像を得た。各電子線回折像から、ハローパターンが観察されており、各DLC膜はアモルファス構造であることがわかった。
【0049】
(5)表面硬さおよび表面粗さ
各DLC膜の表面硬さは、ナノインデンター試験機(株式会社東陽テクニカ製MTS)による測定値から求めた。こうして得られたDLC膜の表面硬さを表1に併せて示した。なお、本明細書でいう表面粗さは、後述するSPMを用いる場合など特に断らない限り、白色干渉法非接触表面形状測定機(Zygo社製NewView5022)により測定した。
【0050】
〈エンジン動弁系摩擦試験用評価材〉
エンジン動弁系摩擦試験用評価材として、内燃機関(ガソリンエンジン)のカムに接するシムを用意した。各シムは、上述したブロックオンリング摩擦試験用のブロック試験片と同様に、鏡面仕上げ後の基材(JIS SUS440C)表面へ、表1に示すHフリ−DLCおよび6B−DLCを被覆したものである。また、比較のため、DLC膜を成膜していない浸炭鋼材からなるシム(市販の補修部品)も用意した。
【0051】
《潤滑油》
(1)ブロックオンリング摩擦試験およびエンジン動弁系摩擦試験において、上述した摺動部材(試験片)と組み合わせて使用する潤滑油として、表2に示す各種のエンジン油を調製した。具体的には次の通りである。先ず、粘度グレード0W−20でILSAC GF−5規格に相当する3種の開発油を用意した。それぞれGF−5開発油A、GF−5開発油B、GF−5開発油Cと呼称する。
【0052】
次にGF−5開発油Aをベースにして、オイル添加剤として、Infineum社の公開資料「Molybdenum Additive Technology for Engine Oil Applications」にて“Trinuclear”と記されたMo三核体化合物(適宜、単に「Mo三核体」という。)を、オイル全体に対するMo含有量で150ppmMo相当になるように追加配合したオイルも調製した。これをGF−5開発油A改と呼称する。
【0053】
なお、GF−5開発油AおよびGF−5開発油BはMo三核体化合物を含有していないが、GF−5開発油CはMo三核体化合物を80ppmMo含有している。また、これらのオイル(表2に示す潤滑油L0、L110〜130)はいずれも、モリブデンジチオカーバメート(MoDTC)を含んでいない。
【0054】
(2)さらに成分を単純化したモデルエンジン油として、SKコーポレーション社製の水素化分解鉱油YUBASE8(100℃での動粘度8mm/s)に、Lubrizol社製の2級ZnDTP、過塩基性Caスルホネートおよびアルケニルコハク酸イミドの3種類のみを配合した試作A系オイルを調製した。
【0055】
また、この試作A系オイルに、異なる種類の摩擦調整剤(以下「FM」という。)をそれぞれ1種類のみ添加した5種類のFM配合油も調製した。配合した各FMと配合量は、グリセロールモノオレート(花王株式会社製レオドールMo−50、これを「GMo」という。):1.0質量%、オレイルアミン(ライオン株式会社製アーミンOD、これを「アミン系FM」という。):1.0質量%、脂肪酸アミド(花王株式会社製脂肪酸アマイドO−N、以後、これを「アミド系FM」という。):1.0質量%、モリブデン酸アミン(株式会社ADEKA製サクラルーブ700、これを「Moアミン」という。):0.34質量%(150ppmMo相当)またはMo三核体化合物:0.36質量%(200ppmMo)のいずれかである。これらFM配合油を順に、適宜、試作A系オイル改1〜試作A系オイル改5と呼称する。
【0056】
なお、試作A系オイルでは、粘度指数向上剤を配合していない。前述したように試作A系オイルの基油は100℃での動粘度が8mm/sであり、これは粘度グレード0−20Wのエンジン油と同レベルだからである。
【0057】
(3)さらに、前述した基油となる鉱油YUBASE8へ、API規格SNグレードのガソリンエンジン油用添加剤パッケージ(Lubrizol社製PV1020)を8.0質量%配合した試作B系オイルも調製した。
【0058】
また、この試作B系オイルに、前述したMo三核体化合物を0.05〜0.36質量%(25〜200ppmMo相当)または前述したInfineum社製MoDTCを0.10〜0.61質量%(50〜300ppmMo相当)をそれぞれ配合した9種のFM配合油を調製した。これらFM配合油を順に、適宜、試作B系オイル改1〜試作B系オイル改9と呼称する。なお、試作B系オイルも、試作A系オイルと同様に、粘度指数向上剤は配合していない。また試作A系オイルおよび試作B系オイルは、表2に示すように代表的なエンジン油添加剤の元素成分であるS、Zn、P、N、Caの各量がGF−5開発油A〜Cと概ね同レベルになるよう調整した。
【0059】
(4)比較のため、市販のエンジン油(トヨタ自動車株式会社製、モーターオイルSL 5W−30)も用意した。これを「GF−3市販油」と呼称する。
【0060】
《ブロックオンリング摩擦試験》
図1に示すブロックオンリング摩擦試験にて、各摺動部材と各エンジン油とを組み合わせたときの摩擦係数(適宜「μ」と略記する。)を測定した。本試験は、摺動面幅6.3mmのブロック試験片側を評価材に用いて、相手となる外径φ35mm、幅8.8mmのリング試験片には浸炭鋼材(AISI4620)から成るFALEX社製S−10標準試験片(硬さHV800、表面粗さ1.7〜2.0μmRzjis)を用いた。試験荷重:133N、すべり速度:0.3m/s、油温:80℃(一定)として、30分間の摩擦試験を行い、試験終了直前の1分間におけるμ平均値を本試験における摩擦係数とした。
【0061】
《エンジン動弁系摩擦試験》
実機(トヨタ自動車株式会社製直列4気筒ガソリンエンジン5A−FE)の直打式エンジン動弁系を構成するカムと円盤形状のフォロワ(単に「シム」という。)を部分的に再現したカム/シム間摩擦試験機を用いて、カム軸一回転中における摩擦力を測定した。この摩擦力から換算されるμ平均値を本試験における摩擦係数とした。この摩擦係数により各摺動部材(本試験では摺動面にDLC膜を被覆したシム)と各エンジン油とを組み合わせたときの摩擦低減効果を検討した。
【0062】
なお、摩擦力の検出は、図2に示すように、シムを保持するシムホルダとバルブリフタの間に設けた板ばねのひずみ量をひずみゲージで検出することにより行った。本試験で用いた試験機の詳細は、日本トライボロジー学会のトライボロジー会議予稿集 東京 20011-5のP.419〜P.420“直打式動弁系の摩擦損失低減”に記載されている。
【0063】
《摩擦特性の評価》
(1)従来のエンジン油との組み合わせ
従来のエンジン油(潤滑油L0〜L130)と各種DLC膜とを組み合わせて得られたブロックオンリング摩擦試験に係る摩擦係数を図3に示した。
【0064】
GF−3市販油を用いた場合、6Ti−DLCおよび6B−DLCは鋼材に比べて低摩擦特性が得られている。しかし、現在のエンジン油規格であるGF−5を満たすGF−5開発油AおよびGF−5開発油Bを用いた場合、6Ti−DLCおよび6B−DLCの摩擦係数は、 GF−3市販油に比べて増大している。この場合、DLC膜は鋼材に対して摩擦低減効果を殆ど発揮していないことがわかる。
【0065】
つまり、GF−5開発油AおよびGF−5開発油BのようにMoDTCを含有していないエンジン油の場合、6Ti−DLCや6B−DLCのようなDLC膜で摺動面が被覆されていても、低μ化が図れないことがわかる。なお、エンジン油規格の改訂に伴って、GF−3規格油は廃止されてきており、現行のGF−5規格油に沿って低摩擦特性を確保する必要がある。この結果から、所望する低μ特性を得るために適したDLC膜とエンジン油(潤滑油)の組み合わせを明確にすることに大きな意義がある。
【0066】
(2)6B−DLCに適した有効なエンジン油(添加剤)の特定
ブロックオンリング摩擦試験を用いて、各種FMを配合した試作A系オイルと6B−DLCとを組み合わせたときの摩擦係数を図4に示した。図4から明らかなように、Mo三核体化合物を配合することにより、摩擦係数が0.02程度となり、非常に優れた低摩擦特性(超低μ特性)が得られることが明らかとなった。一方、Mo三核体化合物を配合した場合以外は、FMを配合しない場合と大差なく、低摩擦特性が得られないことがわかる。
【0067】
Mo含有量を同一(150ppmMo)として、Mo三核体化合物またはMoDTCを配合した試作B系オイルと6B−DLCとを組み合わせたときの摩擦係数を比較した結果を図5に示した。API規格SNグレード用の添加剤パッケージを配合した試作B系オイルでも、Mo三核体化合物を配合すると超低μ特性が得られた。一方、MoDTCを配合した場合は、非配合の場合と大差なく、摩擦係数の低減は殆ど無かった。
【0068】
(3)6B−DLCに適したMo三核体化合物の配合量
6B−DLCと、Mo三核体化合物またはMoDTCの配合量を変えた試作B系オイルを用いて、ブロックオンリング摩擦試験に係る摩擦係数を測定した結果を図6に示した。
【0069】
Mo三核体化合物の場合、僅か50ppmMoの配合量で摩擦係数が0.03程度まで低下し、Mo三核体化合物が増加しても超低μ状態が維持されることがわかる。一方、MoDTCは、その配合量と共に摩擦係数が低下し、0.03程度まで摩擦係数を低下させるには300ppmMo程度必要であることがわかる。従って、Mo三核体化合物を用いれば、MoDTCの1/5〜1/6程度の配合量で、MoDTCと同等以上の超低μ特性を得ることができる。この結果から、Mo三核体化合物を用いることにより、レアメタルの一種であるMoの使用量低減やエンジン油の低コスト化等を図ることができる。
【0070】
(4)Mo三核体化合物の配合油に適したDLC膜の特定
Mo三核体化合物を配合したB系試作オイル改5を用いて、摺動部材を6B−DLC、Hフリ−DLCおよび鋼材としたときのブロックオンリング摩擦試験に係る摩擦係数を図7に示した。Hフリ−DLCの摩擦係数は0.06程度であり、鋼材の摩擦係数(0.08程度)よりは僅かに小さいが、6B−DLCの摩擦係数(0.02程度)と比較すると未だかなり大きい。従って、Mo三核体化合物を配合しても、全てのDLC膜で超低μ特性が得られる訳ではなく、少なくとも図7より、Hを含有しないDLC膜では超低μ特性が得られないことがわかる。
【0071】
Mo三核体化合物を含有したGF−5開発油Cと各種のDLC膜で被覆した摺動部材とを組み合わせたときのブロックオンリング摩擦試験に係るμ特性を図8にまとめて示した。比較のために、Mo三核体化合物を含有していないGF−5開発油Aと各摺動部材とを組合せたときのμ特性も併せて示した。
【0072】
Mo三核体化合物を含有したGF−5開発油Cを用いた場合、B、V、TiまたはMoのいずれかを含有したDLC膜で被覆された摺動部材と組み合わせることにより優れた低μ特性が得られることがわかる。なかでも特に、BまたはVをドープしたDLC膜と組み合わせたときの摩擦係数が低くなっている。一方、図7に示したHフリ−DLCと同様に、26H−DLCと組み合わせたときは、摩擦係数の低下が僅かであった。
【0073】
また、Mo三核体化合物を含有していないGF−5開発油Aを用いた場合、いずれのDLC膜と組み合わせても摩擦係数の低減が観られず、特に6B−DLCと組み合わせたときは摩擦係数が殆ど低下しなかった。
【0074】
従って、Mo三核体化合物を配合した潤滑油と、B、V、TiまたはMoの一種以上を含有したDLC膜で被覆された摺動部材とを組み合わせることにより、非常に優れた低摩擦特性が選択的に発現されることが明らかとなった。
【0075】
(5)エンジン動弁系摩擦試験による摩擦低減効果
上述した結果を踏まえて、GF−5開発油A、GF−5開発油A改またはGF−5開発油Cと、6B−DLC、Hフリ−DLCおよび鋼材とを組み合わせたときのエンジン動弁系摩擦試験に係る摩擦係数を図9にまとめて示した。
【0076】
エンジン動弁系摩擦試験に係る摩擦係数も、前述したブロックオンリング試験に係る摩擦係数と同様な傾向を示した。つまり、Mo三核体化合物を含むエンジン油と特定のDLC膜(本試験では6B−DLC)で被覆された摺動部材とを組み合わせることにより、選択的に優れた低摩擦特性が得られることが、実機に近い本試験においても確認できた。
【0077】
《低摩擦特性の解析》
(1)摺動面の表面形状
6B−DLCとMo三核体化合物を配合したエンジン油との組合せによって低μ特性が発現される機構を解析するため、次のような分析を行った。ブロックオンリング摩擦試験を行ったブロック試験片の摺動面(脱脂後)のナノスケール表面形状を、走査型プローブ顕微鏡(株式会社島津製作所製、SPM−9500J3、以下単に「SPM」という。)を用いて原子間力顕微鏡(AFM)モードで測定した。SPMプローブには、先端の曲率半径が10nm以下のSi製プローブ(Nanosensors社製PPP−CONTR)を用いた。
【0078】
FM非配合の試作B系オイルまたはMo三核体化合物を配合した試作B系オイルと6B−DLCまたはHフリ−DLCとを組み合わせたときにできるブロックオンリング摩擦試験後の摺動面を、1μm×1μmの領域で測定した結果を図10に示した。また、6B−DLCの試験前の摺動面(初期面)を同様に測定した結果も図10に併せて示した。
【0079】
先ず、6B−DLCの初期面には、高さ50nm程度の微細凹凸がある。次に、Mo三核体化合物を含まない試作B系オイルを用いた場合、6B−DLCの試験後の摺動面は表面粗さが最大高さで10nm以下となっており、その初期面に比べて平滑化している。さらに、Mo三核体化合物を含む試作B系オイルを用いた場合、その6B−DLCの試験後の摺動面の表面粗さが最大高さで2nm以下という超平滑面となることがわかった。なお、Mo三核体化合物を含む試作B系オイルを用いた場合でも、Hフリ−DLCの試験後の摺動面は平滑化されるものの、その表面粗さは最大高さで20nm程度もあった。
【0080】
FM非配合の試作B系オイルまたはMo三核体化合物を配合した試作B系オイルと6B−DLCとを組み合わせたときにできるブロックオンリング摩擦試験後の摺動面を、より広範囲な10μm×10μmの領域で測定した結果を図11に示した。この図11により、各試験後の6B−DLCの摺動面に形成されたミクロな凸部が明確に把握される。
【0081】
Mo三核体化合物を配合した試作B系オイルと6B−DLCを組み合わせたときにできる試験後の摺動面の超平滑面は、半導体部品に用いられるSiウエハと同レベルであり、通常の機械研磨加工等では得られ難いものである。こうした超平滑面が、Mo三核体化合物を配合した潤滑油と特定のDLC膜との組み合わせた摺動により形成されたことになる。このような超平滑面が摺動面に形成されるようになると、その摺動面上で油膜が安定的に存在し易くなり、対向する摺動面同士が直接接触することが抑止される。その結果、前述したような超低μ特性がマクロ的な現象として発現したと考えられる。
【0082】
(2)超平滑面の形成機構
上述した超平滑面が形成される機構を解析するため、Mo三核体化合物を配合していない試作B系オイルまたはMo三核体化合物を配合した試作B系オイルと6B−DLCとを組み合わせたときのブロックオンリング摩擦試験後の摺動面を、走査型電子顕微鏡(SEM)とオージェ電子分光法(AES)を用いて観察または分析した。Mo三核体化合物が非配合な場合について得られた結果を図12に、Mo三核体化合物を配当した場合について得られた結果を図13にそれぞれ示した。
【0083】
図12に示したSEM像から、Mo三核体化合物を非配合としたエンジン油を用いた場合、試験後の摺動面に直径がサブミクロン以下である斑点が多く存在することが観察された。これは、AES像に現れたCaが多く存在する部位の分布と概ね一致している。Caは、エンジン油中に金属清浄剤として配合される過塩基性Caスルホネートに由来する吸着物あるいは反応生成物であると考えられる。
【0084】
一方、図13に示したSEM像およびAES像から、Mo三核体化合物を配合したエンジン油を用いた場合、試験後の摺動面には上記のような斑点やCaの偏在部が殆ど観られなかった。図11に示した結果と、図12および図13に示した結果を総合的に考慮すると、Mo三核体化合物を配合しないエンジン油を用いた場合、試験後の摺動面に形成される最大高さ20nm程度の凸部は、摺動面に吸着反応により生じたCa系化合物が原因であると考えられる。逆に、Mo三核体化合物を配合したエンジン油を用いた場合、試験後の摺動面が超平滑面となるのは、そのようなCa系化合物が摺動面に形成され難いためと考えられる。この理由として、過塩基性Caスルホネートと競争吸着の関係にあるMo三核体化合物が、摺動面を被覆するDLC膜上の特定部位(ドープ元素が存在する部分)に選択的に吸着し、過塩基性Caスルホネートが摺動面上で吸着反応することを阻害したためと推察される。ここでは6B−DLCについて説明したが、ドープ元素がB以外のTi、VまたはMoであるDLC膜についても、超低μ特性が生じていることから、6B−DLCの場合とどうような現象が生じていると考えられる。
【0085】
(3)摺動面上の生成物
摺動面上における生成物に着目して低μ特性が発現する要因を解析するため、種々のエンジン油とDLC膜を組み合わせて行ったブロックオンリング試験後の摺動面(適宜、単に「摩擦面」という。)を、飛行時間型2次イオン質量分析法(TOF−SIMS)により測定した。Ion−Tof社製TOF−SIMS5装置を用いて、30keVのBi+ビームを1次イオンとして、摺動面の100μm×100μmの測定領域に対して高分解能スペクトル測定を行った。
【0086】
この測定により、μ特性と摺動面上の生成物との関係に特徴が認められた代表的な二次イオン質量スペクトルを図14および図15に示した。各図中には、ブロックオンリング摩擦試験により得られたμ値も付記した。
【0087】
図1440Ca に着目した摺動面の二次イオン質量スペクトルである。Mo三核体化合物を配合したエンジン油と6B−DLCを組み合わせた場合、40Caのスペクトル強度が小さく、Ca系化合物の生成が少ないことが認められる。そして、このような場合に摩擦係数が0.02程度になる超低μ特性が発現していた。逆に、それ以外の場合は、40Caのスペクトル強度が大きく、Ca系化合物の生成が多いことが認められる。この場合、摩擦係数も0.06〜0.08程度にまで増大していた。
【0088】
図15は質量数300〜600の負イオンに着目した摺動面の二次イオン質量スペクトルである。Mo三核体化合物を配合したエンジン油では、いずれもMo、Mo、Moなどの硫化モリブデン化合物の生成が認められる。このうち、摩擦係数が0.02程度となる超低μ特性を示す摺動面では、Moに関するスペクトルが相対的に強く認められた。このMoは、Infineum社の公開資料「Molybdenum AddiTive TecHnology for Engine Oil ApplicaTions」を参照すればわかるように、Mo三核体化合物(Triumclear)の骨格を構成する化学構造に一致する(図19参照)。
【0089】
(4)Ca系化合物およびMo化合物の生成量とμの関係
上述したTOF−SIMSにより得られた二次イオン質量スペクトルに基づき、40CaとMoのイオン強度に着目して、Ca系化合物およびMo化合物の生成量とμの関係を図16図18に整理した。
【0090】
図16に示すように、40Caのカウント数とμの間には明確な定量的関係を認め難い。また図17に示すように、Moのカウント数とμの間にも明確な定量的関係を認め難い。しかし、両者のカウント数比(Mo40Ca)に着目すると、図18に示すように、μとの間に定量的な関係が明確に存在していることがわかる。すなわち、カウント数比が0.006以上さらには0.01以上となる領域で、摩擦係数が0.02程度になることが認められる。つまり、Mo三核体化合物が配合された潤滑油の存在下で、Ca系化合物の吸着量が少なくMo三核体化合物の吸着量が多くなるDLC膜を摺動面に形成することにより、摩擦係数を従来よりも遥かに低くできることがわかった。
【0091】
[実施例2]
(1)成膜
実施例1の場合と同様に、ブロック状の鋼材(JIS SUS440C)の表面にCr−C系膜からなる中間層を形成した後、その中間層上に、Bを含みHを実質的に含まないDLC膜(単に「HフリB−DLC」と呼称する。)を成膜した。HフリB−DLCの成膜は、BCとグラファイトをターゲットとしたスパッタリングにより行った。このスパッタリングは、基本的に実施例1の場合と同様にアンバランスドマグネトロンスパッタリング装置を用いて行ったが、H源となるCHガス(C源ともなる。)やHガス等の装置内の導入は行わなかった。
【0092】
こうして、膜組成(原子%)がC−11.8%B−1.6%H(適宜、「B:12%」と表す。)とC−19.8%B−1.0%H(適宜、「B:20%」と表す。)である各HフリB−DLCを摺動面に有する2種類のブロック試験片を用意した。なお、膜組成および膜構造は実施例1の場合と同様にして求めた。これらHフリB−DLCがHを僅かに含有しているのは、成膜炉内に残留水分や酸素が存在しているためである。
【0093】
(2)摩擦試験
これらブロック試験片(摺動部材)と表2に示す潤滑油L130(Mo三核体化合物を80ppmMo含有しているGF−5開発油C)とを用いて、実施例1の場合と同様にブロックオンリング摩擦試験を行い、各ブロック試験片の摩擦係数を求めた。また、試験後の各摺動面を前述した非接触表面形状測定機により測定して、各摺動面の摩耗深さと立体形状を求めた。なお、摩耗深さは、非接触表面形状測定機により得られた立体形状に基づき測定した、非摺動面から摺動面の最深部までの距離とした。こうして得られた各試験片の摩擦係数を図20に、各摩耗深さを図21に、各摺動面の立体形状を図22に示した。
【0094】
なお、比較のため、実施例1で用いた鋼材(SCM420)からなる試験片、6B−DLC(表1のD1)で被覆された試験片およびHフリ−DLC(表1のD6)で被覆された試験片と同様な3種の比較試験片をそれぞれ新たに用意した。これら試験片も上記のブロックオンリング摩擦試験に供した。こうして得られたそれぞれの摩擦係数、摩耗深さおよび摺動面形状も、図20図22に併せて示した。
【0095】
(3)評価
図20からわかるように、HフリB−DLCの摩擦係数が0.035前後であり、Bを含有しないHフリ−DLCの摩擦係数(0.07)に対して約半減することが明らかとなった。しかも、HフリB−DLCの摩擦係数は、そのB含有量が変化してもあまり変化しないことから、HフリB−DLCは低摩擦特性を安定的に発現することも明らかとなった。
【0096】
図21および図22からわかるように、HフリB−DLCの摩耗深さは、0.2〜0.3μmであり、H含有B−DLCBの摩耗深さ(0.6μm)に対して約1/3〜1/2となることが明らかとなった。そしてHフリB−DLCの摩耗深さも、そのB含有量が変化してもあまり変化せず、HフリB−DLCは高耐摩耗性を安定的に発現することも明らかとなった。これは、Hフリー化により膜硬さが上昇していることにより得られていると考えられる。
【0097】
以上から、HフリB−DLCは、Mo三核体化合物を配合した潤滑油と組合わせて用いることにより、低摩擦性と耐摩耗性を高次元で両立できることがわかった。なお、HフリB−DLCが低摩擦特性以外に高耐摩耗性をも発現した理由は必ずしも定かではないが、現状では次のように考えられる。DLC膜は、通常、Cのsp 混成軌道成分(単に「sp成分」という。)とCのsp 混成軌道成分(単に「sp成分」という。)が混在した膜構造を有する。DLC膜の製法にも依るが、一般的には、sp成分が増加するほど、DLC膜は硬質化し、その耐摩耗性は向上し得る。本発明に係るHフリB−DLCは、Bを含有しつつH量が低減したために、適度なsp成分を維持しつつsp成分が増加して、低摩擦特性と併せて高耐摩耗性を発現したと考えられる。
【0098】
[実施例3]
(1)成膜、摩擦試験および測定
実施例1および実施例2に示したB−DLCと組成が異なる新たなB−DLCを成膜したブロック試験片をさらに用意し、摩擦試験に供した。成膜条件および摩擦試験条件は実施例2の場合と同様である。こうして得られた新たなブロック試験片に係る摩擦係数を、実施例1および実施例2で製造したブロック試験片に係る摩擦係数と併せて表3に示した。また、表3に基づいて、DLC膜中のB含有量と摩擦係数の関係を図23に示した。
【0099】
また、各B−DLC膜について測定した硬さと弾性率を表4にまとめて示した。なお、弾性率は、硬さと同様に前述したナノインデンター試験機で測定した。
【0100】
(2)評価
先ず、表3および図23から明らかなように、DLC膜中にB等が含有されていないときの摩擦係数は大きいが、DLC膜中に僅かでもBが含有されると、摩擦係数が急激に低下することがわかった。そして、DLC膜中のB含有量が変化しても、安定した低摩擦特性が発揮されることも明らかとなった。なお、表3および図23に示した各DLC膜では、B含有量の影響を評価するために、DLC膜中のH含有量をいずれも20原子%前後とした。
【0101】
次に、表4から、DLC膜の硬さと弾性率は、DLC膜中のH含有量が増加するほど増加し、DLC膜中のB含有量にはあまり影響されないこともわかった。このことは、例えば、H含有量の変化が小さくてB含有量の変化が大きい試料31と試料32、またはH含有量の変化が大きくてB含有量の変化が小さい試料32と試料33を、それぞれ比較すれば明らかである。
【0102】
【表1】
【0103】
【表2】
【0104】
【表3】
【0105】
【表4】
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7
図8
図9
図10
図11
図12
図13
図14
図15
図16
図17
図18
図19
図20
図21
図22
図23