(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
上記のように、特許文献1に記載された金型用鋼は、耐熱性、硬度、耐食性に優れるものである。しかし、近年、プラスチックの成形工程の多様化などに伴い、金型用鋼に、一層多様な特性が要求されるようになっている。
【0005】
例えば、樹脂製品の高強度化のため、硬質なガラス繊維が樹脂製品に混入されることが増えている。このような樹脂の射出成形においては、ガラス繊維の硬さのため、金型の摩耗が深刻となる。金型の摩耗に伴って、製品形状が変化し、経時的に寸法精度の要求が満たされなくなる可能性がある。このため、高硬度を有し、その結果、高い耐摩耗性を有することが、金型に求められるようになっている。また、金型が高い硬度を有するほど、炭化物や介在物の金型からの脱落による微小な穴(ピンホール)の形成が起こりにくくなり、研磨時にもムシレ等の微小欠陥が発生しにくくなるので、金型の鏡面研磨性が良くなることが期待できる。
【0006】
一方、金型表面に微小な凹凸(ウネリ)が存在すると、そのウネリが樹脂製品に転写され、樹脂製品表面の平滑性を低下させることで、意匠性が損なわれるので、鏡面研磨後の金型にウネリが存在しないことが好ましい。ウネリは成分の偏析に起因して発生するので、金型用鋼において、偏析が少ないことが望まれる。さらに、樹脂製品の表面に皮革様模様を転写することを目的として、金型表面を薬品で腐食させて皮革様模様を形成するシボ加工を行う場合には、偏析による化学成分の不均一な分布がシボの程度に差を生じさせるため(シボムラ)、金型用鋼における偏析が樹脂製品の意匠性に与える影響が特に大きくなる。
【0007】
また、近年の樹脂製品の大型化に伴い、金型が大型化している。金型が大型化すると、焼入れ速度(焼入れ時の冷却速度)が小さくなる傾向がある。また、生産地域のグローバル化に伴い、熱処理の設備や技術が十分でない環境で金型の焼入れを行うことも増えている。このような場合に、金型の焼入れ速度が小さくなってしまうことが多い。金型の焼入れ速度が小さくなると、焼入れ性が悪い鋼では、焼入れ時にパーライトが析出しやすくなる。パーライトが析出すると、金型の鏡面研磨時、パーライト中の炭化物が脱落することで、パーライトの部分が優先的に削られて、ピンホールを生じやすい。ピンホールは樹脂製品に凸状構造として転写され、樹脂製品表面の意匠性を損ねる。さらに、金型の表面近傍では焼入れ速度が比較的大きく、パーライトが析出しにくい場合にも、金型内部では、表面近傍よりも焼入れ速度が小さく、パーライトが析出しやすい状態にある。使用中の金型には、型締めや射出で機械応力が繰返し印加されるが、このような応力印加による金属疲労において、金型内部に析出したパーライトが破壊の起点となり、金型内部からの破壊が起こりやすくなる。加えて、樹脂を迅速に冷却して固化するため、射出成形用金型の内部には水冷回路が設けられることが多いが、水冷回路の表面にパーライトが析出していた場合には、そのパーライトも亀裂の起点となりやすい。このように、金型の鏡面研磨性を確保する観点、また破壊を抑制する観点から、金型用鋼においては、焼入れ性を高め、パーライト析出を抑制することが求められる。
【0008】
また、上記のように、金型に水冷回路が設けられる場合に、金型用鋼の耐食性が低ければ、水冷回路が錆びて狭くなることによって水の流量が減少し、冷却能が低下する可能性がある。また、錆が深く浸食した部位を起点として割れが発生する可能性もある。従って、冷却能維持および腐食割れ防止のために、金型用鋼には、高い耐食性が要求される。
【0009】
さらに、樹脂の射出成形に用いる金型において、鏡面研磨性を確保し、破壊を抑制するためには、パーライトに加え、δフェライトの析出を抑制することも重要となる。凝固や熱間加工の工程でδフェライトが析出すると、焼入れ、焼戻し後にも残存してしまう。δフェライトの部分は、周囲のマルテンサイトよりも軟らかいため、研磨時に用いる砥粒が刺さりやく、研磨時にムシレ等の微小欠陥を生じやすい。刺さった砥粒や生じたムシレは、金型の表面粗さを低下させ、鏡面研磨性を損なってしまう。また、δフェライトと母相の界面は亀裂の起点や伝播経路として作用するため、δフェライトが存在する金型用鋼においては、割れが生じやすい。さらに、δフェライトは加工によって伸長した状態で残存することが多いため、δフェライトが存在する金型においては、機械的性質の異方性が大きくなり、特定方向からの力に対して割れを生じやすい。このような観点から、鏡面研磨性を確保し破壊の可能性を抑制する意味で、δフェライトを析出しにくくすることが求められる。
【0010】
さらに、従来から、金型の割れを抑制するために、割れにくさの指標である衝撃値が高いことが金型用鋼に求められてきた。特に近年は、上記のように、金型の大型化や設備および技術が十分でない現場での焼入れの可能性に伴い、焼入れ速度が小さい場合(緩速焼入れ時)にも高い衝撃値を有することが求められている。
【0011】
加えて、樹脂の射出成形では、生産のハイサイクル化(1サイクルの成形に要する時間の短縮)が求められている。すなわち、金型内部に射出した樹脂を迅速に冷却して固化することが求められている。そのため、金型は、迅速に冷却されることが望ましい。このためには、金型用鋼に熱伝導率の高さが求められる。
【0012】
このように、近年、樹脂材料の射出成形用金型を構成する鋼には、成形される樹脂製品の多様化や、金型の製造環境の多様化に伴い、様々な特性を兼ね備えることが要求されるようになっている。そこで本発明が解決しようとする課題は、高硬度、偏析の起こりにくさ、パーライトの析出しにくさ、高耐食性、δフェライトの析出しにくさ、緩速焼入れ時の高衝撃値、高熱伝導率を有する金型用鋼を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0013】
上記課題を解決するため、本発明に係る金型用鋼は、質量%で、0.27%<C<0.36%、0.07%<Si<0.40%、7.00%<Cr<8.80%、0.25%<Mo<0.80%、0.50%<V<0.75%、および0.0005%<N<0.05%と、Mnを含有し、残部がFeおよび不可避的不純物よりなり、−0.1Cr+1.10<Mn<−0.1Cr+1.50を満たすことを要旨とする。
【0014】
ここで、上記金型用鋼は、N<−0.04V+0.050を満たすことが好ましい。
【0015】
上記金型用鋼は、質量%で、0.10%<W≦4.00%、および0.10%<Co≦3.00%から選択される1種または2種を含有してもよい。
【0016】
上記金型用鋼は、質量%で、0.004%<Nb≦0.100%、0.004%<Ta≦0.100%、0.004%<Ti≦0.100%、および0.004%<Zr≦0.100%から選択される1種または2種以上を含有してもよい。
【0017】
上記金型用鋼は、質量%で、0.10%<Al<1.2%を含有してもよい。
【0018】
上記金型用鋼は、質量%で、0.30%<Ni≦3.5%、および0.30%<Cu≦1.5%から選択される1種または2種を含有してもよい。
【0019】
上記金型用鋼は、質量%で、0.0001%<B≦0.0050%を含有してもよい。
【0020】
上記金型用鋼は、質量%で、0.003%<S≦0.050%、0.0005%<Ca≦0.2000%、0.03%<Se≦0.50%、0.005%<Te≦0.100%、0.01%<Bi≦0.50%、および0.03%<Pb≦0.50%
から選択される1種または2種以上を含有してもよい。
【0021】
また、上記金型用鋼の25℃における熱伝導率が20W/
(m・K)以上であるとよい。
【発明の効果】
【0022】
本発明にかかる金型用鋼は、上記成分組成を有することにより、高硬度、偏析の起こりにくさ、パーライトの析出しにくさ、高耐食性、δフェライトの析出しにくさ、緩速焼入れ時の高衝撃値、高熱伝導率を全てバランス良く備える。
【0023】
ここで、N<−0.04V+0.050を満たしている場合には、金型用鋼は特に高い衝撃値を有する。
【0024】
また、上記金型用鋼が、上記特定量のWおよびCoから選択される1種または2種を含有する場合には、特に高硬度を達成しやすい。
【0025】
また、上記金型用鋼が、上記特定量のNb、Ta、Ti、Zrから選択される1種または2種以上を含有する場合には、焼入れ時の加熱温度が高くなったり、加熱時間が長くなったりしても、オーステナイト結晶粒が粗大化するのが抑制され、高い衝撃値や鏡面研磨性が維持されやすい。
【0026】
また、上記金型用鋼が、上記特定量のAlを含有する場合には、金型用鋼に含有されるN原子と結合して窒化物を形成し、オーステナイト結晶粒界の移動と、その結果起こる粒成長を抑制することができる。また、Alの窒化物は、金型用鋼の析出強化に寄与するため、上記特定量のAlは、窒化処理によって金型表面の強度を高めるのに寄与し、金型の耐摩耗性を高めることができる。
【0027】
また、上記金型用鋼が、上記特定量のNiおよびCuから選択される1種または2種を含有する場合には、金型用鋼の焼入れ性をさらに高めることができる。
【0028】
また、上記金型用鋼が、上記特定量のBを含有する場合にも、金型用鋼の焼入れ性をさらに高める効果が得られる。
【0029】
また、上記金型用鋼が、上記特定量のS、Ca、Se、Te、Bi、Pbから選択される1種または2種以上を含有する場合には、被削性の向上に効果を有するSiの含有量が従来の鋼種と比較して少ない上記金型用鋼において、被削性を高め、機械加工性を確保しやすくする。
【0030】
また、上記金型用鋼の25℃における熱伝導率が20W/
(m・K)以上である場合には、樹脂材料の射出成形時に、樹脂を迅速に冷却して固化できるため、射出成形の効率を高めることができる。
【発明を実施するための形態】
【0032】
以下に、本発明の一実施形態にかかる金型用鋼について詳細に説明する。
【0033】
本発明の一実施形態にかかる金型用鋼は、以下のような元素を含有し、残部がFeおよび不可避的不純物よりなる。添加元素の種類、成分比および限定理由などは、以下のとおりである。なお、成分比の単位は、質量%である。
【0034】
・0.27%<C<0.36%
Cは、焼入れ時に母相中に固溶し、マルテンサイト組織化することによって、金型用鋼の硬度を向上させる。また、Cは、Cr、Mo、V等とともに、炭化物や炭窒化物を形成し、金型用鋼の強度を向上させる。
【0035】
Cの含有量を、0.27%<Cとすることで、適宜熱処理を経て、金型としての使用に要求される高硬度が獲得される。金型においては、十分な耐摩耗性および鏡面研磨性を得る観点から、おおむね47HRC以上、好ましくは49HRC以上の硬度を有することが求められる。また、Cの含有量が少なすぎると、δフェライトが析出しやすくなり、鏡面研磨性の低下および金型破壊の可能性につながるため、好ましくない。0.27%<Cとすれば、δフェライトの析出を効果的に抑制することができる。諸特性のバランスの観点から、好ましくは、0.29%<Cであるとよい。
【0036】
一方、C含有量が過剰になると、CrやMoを含む炭化物が形成されやすくなり、母相中のCr、Moの固溶量が低下されることで、耐食性が低下する。また、過剰にCを含有することで、金型用鋼の溶接性も低下してしまう。そのため、C<0.36%とする。諸特性のバランスの観点から、好ましくは、C<0.34%であるとよい。
【0037】
・0.07%<Si<0.40%
Siは、脱酸剤としての効果、また金型製造時の被削性を向上させる効果を有する。Siの含有量は、金型に求められる被削性を確保するために、0.07%<Siとする。Si≦0.07%とした場合には、被削性が著しく低くなるのみならず、熱処理を経ても、金型に求められる高硬度(おおむね49HRC)を得にくくなる。他の特性とのバランスの観点から、好ましくは、0.09%<Siであるとよい。
【0038】
一方、Siの含有量が過剰になると、金型用鋼の熱伝導性が低下する。また、δフェライトが生成しやすくなる。これらを防止する観点から、Si<0.40%とする。また、Si<0.40%とすることで、金型用鋼を熱間加工する際の良好な脱スケール性を確保するとともにスケールの硬さ上昇を抑制することによって、加工に用いる工具がスケールによって著しく摩耗されるのを抑制することができる。他の特性とのバランスの観点から、好ましくは、Si<0.36%であるとよい。
【0039】
・7.00%<Cr<8.80%
Crは、不動態膜を形成することで、耐食性を向上させる元素である。
図1(a)にCrの添加量と耐食性との関係を示す。ここでは、0.32C−0.23Si−0.60Mo−0.60V−0.015Nを基本成分とし、MnとCrの含有量を変化させた鋼材の耐食性を湿潤試験によって評価している。つまり、鏡面研磨した試験片を湿度98%、温度50℃の環境に24時間放置した後の発錆状況を目視観察し、ほとんど錆が発生していないか、錆がわずかしか発生していない場合を「○」、錆がかなり目立つ、あるいは非常に多い場合を「×」として示してある。
図1(a)によると、Mnの含有量の全領域にわたり、7.00%<Crを満たす条件で、「○」が得られており、高い耐食性が獲得されている。
【0040】
加えて、Crの含有量が少なすぎると、特にMnの含有量が多い条件で、金型用鋼の球状化焼鈍性が悪くなり、球状化焼鈍後も金型用鋼が硬い状態となりやすく、金型用鋼の機械加工性の低下を招くが、7.00%<Crとしておけば、このような問題は起こりにくい。諸特性のバランスの観点から、Crの含有量は、好ましくは、7.30%<Crであるとよい。
【0041】
一方で、Crの含有量が多すぎると、δフェライトが析出しやすくなる。
図1(b)に、Crの添加量とδフェライトの析出との関係を示す。ここでは、0.28C−0.39Si−0.79Mo−0.74V−0.002Nを基本成分とし、MnとCrの含有量を変化させた鋼材について、δフェライトの析出の有無を示している。δフェライトが観察されない場合は「○」、δフェライトが観察される場合は「×」として示している。
図1(b)によると、Mnの含有量の全領域にわたり、Cr<8.80%を満たす条件で、「○」が得られており、δフェライトが析出しにくい状態となっている。
【0042】
加えて、Crの含有量が多すぎると、特にMnが少なくCが多い条件で、パーライトが非常に析出しやすくなるが、Cr<8.80%であれば、このような問題は起こりにくい。諸特性のバランスの観点から、好ましくは、Cr<8.60%であるとよい。
【0043】
・Mn
Mnの含有量は、焼入れ速度が遅い場合(緩速焼入れ時)の衝撃値および熱伝導率に影響を与えるが、その影響の程度は、Crの含有量にも依存する。本実施形態にかかる金型用鋼において、MnおよびCrの含有量は、−0.1Cr+1.10<Mn<−0.1Cr+1.50の関係を満たす。
【0044】
CrおよびMnの含有量が少なすぎると、緩速焼入れ時に粗大ベイナイトが析出しやすくなり、衝撃値が低くなる。
図1(c)に、CrおよびMnの含有量と緩速焼入れ時の衝撃値との関係を示す。ここでは、0.33C−0.25Si−0.58Mo−0.59V−0.012Nを基本成分とし、MnとCrの含有量を変化させた鋼材について、高い衝撃値が得られるかどうかを示している。具体的には、11mm×11mm×60mmの鋼材を1030℃に加熱し、1030℃から550℃までの温度域を50℃/min、550℃から100℃までの温度域を2℃/minで冷却して、大断面を有する金型の焼入れを模擬した。なお、一般的な金型の焼入れにおける金型内部の冷却速度は、1030℃から550℃までで5〜150℃/min、550℃から100℃までで1〜30℃/min程度であり、上記の冷却速度は、この範囲の中でかなり遅い方である。さらに、このように焼入れを受けた鋼材を焼戻しによって硬度52HRCに調質し、ノッチ(先端R部の半径が1mm)を有する概寸10mm×10mm×55mmの試験片に加工した。この試験片を用い、シャルピー衝撃試験によって、室温における衝撃値E(J/cm
2)を測定した。そして、
図1(c)中において、E≧20である場合を「○」、E<20である場合を「×」として示した。E=20との境界値は、金型において、割れを回避するために求められる衝撃値のめやすである。
図1(c)によると、Mn(%)>−0.1Cr(%)+1.10(%)を満たす条件で、「○」が得られており、高い衝撃値が達成されている。
【0045】
一方、CrおよびMnの含有量が多すぎると、金型用鋼の熱伝導率を低下させてしまう。
図1(d)に、CrおよびMnの含有量と熱伝導率との関係を示す。0.35C−0.39Si−0.78Mo−0.74V−0.018Nを基本成分とし、MnとCrの含有量を変化させた鋼材の熱伝導率の測定結果を示す。具体的には、上記衝撃試験の場合と同様に試験片を調質したうえで、レーザーフラッシュ法によって25℃における熱伝導率λ(W/m/K)を測定した。
図1(d)中において、λ≧20である場合を「○」、λ<20である場合を「×」で示した。λ=20との境界値は、金型において、迅速に樹脂の冷却を行うために求められる熱伝導率のめやすである。
図1(d)によると、Mn(%)<−0.1Cr(%)+1.50(%)を満たす条件で、「○」が得られており、高い熱伝導率が達成されている。
【0046】
加えて、CrおよびMnの含有量が多すぎると、金型用鋼中において、偏析が顕著に起こり、金型の鏡面研磨性とシボ加工性を悪化させる。この意味でも、緩速焼入れ時の衝撃値を確保できる範囲内で、CrとMnの含有量は少ない方が好ましい。上記のように、Cr<8.80%およびMn<−0.1Cr+1.50を満たせば、十分な鏡面研磨性とシボ加工性を確保することができる。
【0047】
以上で規定された、Crの含有量の範囲、およびCrの含有量との関係におけるMnの含有量の範囲を合わせて示したものが、
図2である。CrとMnの含有量が、四角形で囲まれた範囲の中にあれば、金型用鋼が、耐食性、δフェライトの析出抑制、緩速焼入れ時の衝撃値、熱伝導率の全てにおいて優れ、樹脂材料の射出成形用の金型として求められる諸特性をバランスよく満たしている。
【0048】
・0.25%<Mo<0.80%
Moは、耐食性を向上させる元素である。また、Cと結合することで材料の2次硬化に寄与する。0.25%<Moとすることで、熱処理を経た際に、金型に要求される高硬度を安定して得ることができる。好ましくは、他の特性とのバランスの観点から、0.35%<Moであるとよい。
【0049】
一方、Moの含有量が多すぎると、δフェライトが析出しやすくなるうえ、破壊靱性を確保することが難しくなる。金型用鋼の材料コストも高くなる。これらの事態を回避するため、Mo<0.80%とされる。他の特性とのバランスの観点から、好ましくは、Mo<0.75%であるとよい。
【0050】
・0.50%<V<0.75%
Vは、C、Nと結合して炭窒化物を形成する。この炭窒化物は、焼入れ時のγ結晶粒の粗大化抑制に寄与し、衝撃値を向上させる。0.50%<Vとすることで、焼入れ時のγ結晶粒の粗大化が効果的に抑制され、金型に要求される衝撃値を達成しやすくなる。他の特性とのバランスの観点から、好ましくは、0.52%<Vであるとよい。
【0051】
一方、Vの含有量が多くなりすぎると、γ結晶粒粗大化抑制の効果が飽和し、コスト増を招く。また、多量にVが含有されることで、δフェライトや粗大な炭窒化物が生成しやすくなる。希少元素であるVの含有量を抑制することは、低コスト化だけでなく、省資源の観点からも重要である。これらの観点から、V<0.75%とされる。他の特性とのバランスの観点から、好ましくは、V<0.70%であるとよい。
【0052】
・0.0005%<N<0.05%
Nは焼入れ時の残留炭化物(および炭窒化物)の固溶温度を高めるため、Nの含有量を多くするほど、残留炭化物(および炭窒化物)が増え、焼入れ時の結晶粒粗大化を抑制し、γ結晶粒を微細化することができる。この効果を十分に得るため、0.0005%<Nとする。
【0053】
一方、Nの含有量を多くしすぎても、上記のようなγ結晶粒微細化の効果が飽和するとともに、Nの含有量を高めるために要する精錬コストが大きくなる。これらの観点から、N<0.05%とする。
【0054】
上記のように、VやNが金型用鋼中に含有されると、炭化物や炭窒化物が形成されやすくなるが、粗大な炭化物や炭窒化物が形成されると、それを起点として亀裂が発生しやすくなるため、金型用鋼の衝撃値が低下してしまう。衝撃値の低下は、特に、焼入れ速度が遅い場合に起こりやすい。このような衝撃値の低下を避けるために、Nの含有量の上限値は、Vの含有量との関係によって規定されることが好ましい。具体的には、N(%)<−0.04V(%)+0.050(%)であることが好ましい。
図3に、NおよびVの含有量と緩速焼入れ時の衝撃値との関係を示す。ここでは、0.35C−0.39Si−0.54Mn−7.03Cr−0.78Moを基本成分とし、NとVの含有量を変化させた鋼材について、上記でCrおよびMnの含有量を変化させて、
図1(c)を得た際と同様の方法および基準で、緩速焼入れ時の衝撃値を評価した結果を示している。
図3によると、N<−0.04V+0.050を満たす条件で、「○」が得られており、高い衝撃値が得られている。
【0055】
さらに、VおよびNの含有量が多い場合に、粗大な炭化物や炭窒化物が生成すると、衝撃値が低下することに加え、研磨時にそれらが脱落してピンホールを生じ、金型の鏡面研磨性を低下させてしまう。この意味でも、VとNの含有量は、結晶粒の微細化に効果を有する範囲内で少ないことが好ましく、N<−0.04V+0.050であれば、鏡面研磨性の低下を抑制することができる。
【0056】
図4に、以上において説明したVおよびNの含有量の好ましい範囲をまとめて示す。VとNの含有量が、四角形で囲まれた範囲の中にあれば、γ結晶粒の微細化の促進と、粗大な炭化物や炭窒化物の生成の抑制とが両立されることで、高い衝撃値および鏡面研磨性が得られる。
【0057】
本実施形態にかかる金型用鋼は、上記所定量のC、Si、Cr、Mn、Mo、V、Nを含有し、残部は、Feと不可避的不純物よりなる。ここで、不可避的不純物としては、以下のような元素が想定される。つまり、P≦0.05%、S≦0.003%、Cu≦0.30%、Ni≦0.30%、Al≦0.10%、W≦0.10%、O≦0.01%、Co≦0.10%、Nb≦0.004%、Ta≦0.004%、Ti≦0.004%、Zr≦0.004%、B≦0.0001%、Ca≦0.0005%、Se≦0.03%、Te≦0.005%、Bi≦0.01%、Pb≦0.03%、Mg≦0.02%等が想定される。
【0058】
本実施形態にかかる金型用鋼は、上述した必須元素に加えて、さらに、以下の元素から選択される1種または2種以上の元素を任意に含有していても良い。各元素の成分比、限定理由などは、次のとおりである。
【0059】
・0.10%<W≦4.00%、0.10%<Co≦3.00%
Wは、炭化物の析出によって金型用鋼の強度を上げる。また、Coは、母相への固溶によって強度を上昇させるとともに、炭化物形態の変化を介して、析出硬化にも寄与する。本実施形態にかかる金型用鋼は、Crを多く含有するため、軟化抵抗が低く、焼戻し温度が高い場合には高強度を確保することが難しくなる。そこで、WやCoを添加することで、焼戻し温度が高い場合にも、強度確保を図ることができる。W、Coとも、含有量の下限値は、強度確保に効果を有する含有量として規定され、上限値は、特性の飽和とコスト増の抑制の観点から規定されている。特に好適な含有量の範囲は、それぞれ、0.30%≦W≦3.00%、0.30%≦Co≦2.00%である。
【0060】
・0.004%<Nb≦0.100%、0.004%<Ta≦0.100%、0.004%<Ti≦0.100%、0.004%<Zr≦0.100%
Nb、Ta、Ti、Zrは、微細な析出物として析出し、オーステナイト結晶粒の粗大化を抑制することができる。予期せぬ設備トラブルなどによって、焼入れ時や熱処理時の加熱温度が高くなったり、加熱時間が長くなったりすることがあれば、オーステナイト結晶粒の粗大化が進行し、各種特性が低下する可能性がある。そのような場合に備え、Nb、Ta、Ti、Zrから選択される1種または2種以上を添加しておけばよい。各元素の含有量の下限値は、オーステナイト結晶粒の粗大化抑制の効果が得られる含有量として規定され、上限値は、炭化物や窒化物、酸化物の過度の析出による衝撃値や鏡面研磨性の低下を抑制する観点から規定されている。なお、これらの元素は、後述するように、BNの形成を抑制する効果も有する。
【0061】
・0.10%<Al<1.2%
Alは、Nと結合してAlNを形成し、オーステナイト結晶粒界の移動による粒成長を抑制する効果を有する。よって、上記のNb、Ta、Ti、Zrと同様に、オーステナイト結晶粒の粗大化の抑制に寄与する。また、Alは鋼中で窒化物を形成して析出強化に寄与するため、金型用鋼に窒化処理が施される際に、表面硬さを高くする作用を有する。よって、高い耐摩耗性を求めて窒化処理をする金型においては、Alを添加することが特に有効である。含有量の下限値は、それらの効果が得られる含有量として規定され、上限値は、粗大なAl酸化物の生成による鏡面研磨性の低下を抑制する観点から規定されている。
【0062】
・0.30%<Ni≦3.5%、0.30%<Cu≦1.5%
NiおよびCuはともに、鋼中でオーステナイトを安定に生成させ、焼入れ性を向上させる効果を有する。上記のように、近年の樹脂製品の大型化によって、成形用の金型のサイズが大きくなる傾向にある。大きな金型は冷却されにくいので、焼入れ性の低い金型用鋼で金型を形成して焼入れを行うと、焼入れ中にパーライト、粗大ベイナイトが析出して、各種特性が低下する可能性がある。本実施形態にかかる金型用鋼は、フェライトおよびパーライトの析出が抑制されていることや、高衝撃値を有すること等により、非常に高い焼入れ性を有しているものの、非常に大型の金型を形成し、小さい冷却速度で焼入れを行う場合にも高い焼入れ性を確保するために、NiやCuを添加して焼入れ性をさらに高めておくことが有効である。さらに、Niは、Alと結合して金属間化合物として析出し、硬度を高める効果も有する。一方、Cuには、時効析出で硬度を高める効果もある。各元素の含有量の下限値は、焼入れ性向上の効果が得られる含有量として規定され、上限値は、偏析による鏡面研磨性の低下を抑制する観点から規定されている。特に好適な含有量の範囲は、それぞれ、0.50%≦Ni≦3.0%、0.50%≦Cu≦1.2%である。なお、NiとCuには、δフェライトを析出させにくくする効果も有する。
【0063】
・0.0001%<B≦0.0050%
Bを添加することで、金型用鋼の焼入れ性をさらに向上することができる。含有量の下限値は、焼入れ性向上の効果を得られるように規定されている。ただし、BがNと結合してBNを形成すると、焼入れ性の向上効果が損なわれるので、Bを鋼中に単独で存在させる必要がある。BNの形成を抑制する観点で、Bの含有量に上限値が規定されている。BNの形成は、BよりもNとの親和力が強い元素に窒化物を形成させることでも抑制することができる。そのような元素としては、Nb、Ta、Ti、Zrを挙げることができる。これらの元素によるBN形成抑制の効果は、不可避的不純物として含有されるレベルの量でも得られるが、特にNの量が多い場合に、上記のような含有量範囲(0.004〜0.100%)でこれらの元素が意図的に添加されることで、BNの形成を効果的に抑制することができる。
【0064】
・0.003%<S≦0.050%、0.0005%<Ca≦0.2000%、0.03%<Se≦0.50%、0.005%<Te≦0.100%、0.01%<Bi≦0.30%、0.03%<Pb≦0.50%
S、Se、Te、Ca、Pb、Biはいずれも、金型用鋼の被削性を向上させる効果を有する。本実施形態にかかる金型用鋼は、従来の金型用鋼と比べて、比較的Siの含有量が少ないため、機械加工性がそれほど高くないが、これらの元素を添加することで、被削性を改善することができる。各元素の含有量の下限値は、被削性改善の効果が得られる含有量として規定されている。一方、上記各元素を過剰に添加すると、被削性向上の効果が飽和するとともに、熱間加工性の低下、衝撃値や鏡面研磨性の低下を招くため、これらの特性の低下を回避する観点から、含有量の上限値が規定されている。
【0065】
本実施形態にかかる金型用鋼は、上記のような必須元素と、必要に応じて添加元素を含有してなることにより、高硬度、偏析の起こりにくさ、パーライトの析出しにくさ、高耐食性、δフェライトの析出しにくさ、緩速焼入れ時の高衝撃値、高熱伝導率の各特性を、バランスよく備える。これにより、樹脂材料の射出成形工程および金型の製造工程における近年の多様な要求を満たす金型を提供することができる。
【0066】
本実施形態にかかる金型用鋼は、高硬度を有することで、金型とした時に高い耐摩耗性が得られる。これは、特に樹脂材料にガラス繊維等の硬質材料が混入される場合に有利である。また、金型用鋼が高硬度を有することで、金型の鏡面研磨性が向上し、微小な凹凸構造が樹脂製品に転写されることで製品の意匠性を損なうことが防止される。金型用鋼の硬さは、熱処理条件によってある程度調整することが可能であるが、硬質材料が混入される樹脂の射出成形用の金型としては、上記のように、47HRC以上の硬度を有していることが好ましく、49HRC以上の硬度を有していることがさらに好ましい。上記のような組成を有することで、熱処理を経て、このような硬度を安定して達成しやすくなっている。
【0067】
また、本実施形態にかかる金型用鋼は、高硬度を有することに加え、偏析が少ないことによっても、高い鏡面研磨性を与える。また、金型表面がシボ加工される場合に、偏析が少ないことで、シボムラが発生しにくくなっている。シボムラは、偏析によって、薬液との接触時の腐食性に部位間で差が生じることによって発生する。
【0068】
パーライトが析出しにくいことも、金型の鏡面研磨性の向上に効果を有する。また、パーライトが析出しにくいことで、パーライトを起点とした金型の破壊が起こることが防止される。パーライトは、焼入れ速度が小さい場合に特に析出しやすいが、金型用鋼の組成の効果でパーライトの析出が抑えられていることにより、金型が大型化して焼入れ速度が小さくなっても、パーライトの析出が起こりにくく、高い鏡面研磨性、高い焼入れ性が確保される。
【0069】
また、金型用鋼が高い耐食性を有することで、金型に水冷回路が設けられる場合等にも、金型に腐食が発生するのが抑制され、冷却能力の維持と腐食による割れの防止に効果を有する。
【0070】
δフェライトの析出しにくさも、金型の鏡面研磨性の向上と割れの防止に効果を有する。さらに、δフェライトの析出しにくさに加え、高い衝撃値を有することでも、金型の割れが抑制される。特に、金型の大型化や、金型の製造環境の多様化に伴い、金型の焼入れ速度が小さい場合も多くなっているが、このような緩速焼入れが行われる場合にも、金型が高い衝撃値を有することで、割れが防止される。
【0071】
最後に、金型用鋼が高い熱伝導率を有することで、樹脂の射出成形時に、射出された樹脂材料を迅速に固化することができる。これにより、近年大きくなっている射出成形のハイサイクル化の要求に応えることができる。具体的には、25℃における熱伝導率が20W/
(m・K)以上であることが好ましい。金型用鋼の熱伝導率は、例えばレーザーフラッシュ法を用いて評価することができる。
【0072】
本実施形態にかかる金型用鋼は、以上のような特性を有することにより、種々のプラスチックの射出成形用金型として好適に用いることができる。加えて、ゴムの成形や加工、鋼板の冷間プレス成形、鋼板のホットスタンプ(プレスクエンチ、ダイクエンチとも称される)等、プラスチックの射出成形以外の用途に用いても、高い性能を発揮することができる。また、硬度や鏡面研磨性をさらに向上させるために、本実施形態にかかる金型用鋼に、ショットブラスト、サンドブラスト、窒化、物理蒸着(PVD)、化学蒸着(CVD)、メッキなど、種々の表面改質を適用することも有効である。
【0073】
以上のような本実施形態にかかる金型用鋼は、例えば、以下のようにして好適に製造することができる。すなわち、まず、上述した化学組成を有する鋼を真空誘導炉等にて溶製後、インゴットを鋳造する。次いで、得られたインゴットを、熱間鍛造および/または熱間圧延して必要な寸法の鋼材に調整する。
【0074】
そして、必要に応じて、1種または2種以上の熱処理を行う。熱処理の種類としては、焼入れ、焼戻し、サブゼロ処理、球状化焼鈍などを挙げることができる。焼入れ、焼戻しは、具体的には、例えば、1000〜1200℃で0.5〜1.5時間加熱後、冷却する焼入れを挙げることができる。冷却速度としては、急冷の他、1030℃から550℃までを5〜150℃/min、550℃から100℃までを1〜30℃/min程度とする例を挙げることができる。焼入れを行った後、必要に応じて、例えば、−196℃もしくは−76℃で0.5〜1時間サブゼロ処理を行い、その後、200〜700℃で0.5〜1.5時間加熱後、空冷して焼戻しをする方法を例示することができる。また、球状化焼鈍としては、具体的には、例えば、850〜950℃で3〜5時間加熱後、10〜40℃/時間の速度で600℃付近まで炉冷し、その後空冷する方法などを例示することができる。
【実施例】
【0075】
以下、実施例を用いて本発明をより具体的に説明する。
【0076】
表1に示す成分組成(単位:質量%)を有する金型用鋼をそれぞれ作製した。具体的には、各組成比を有する鋼を真空誘導炉で溶製した後、7トンのインゴットを鋳造した。そして、熱間鍛造によって300mm×700mmの矩形の断面を有するブロックを製造した。さらに、得られたブロックに対して、1050℃に加熱して急冷する焼きならしと、700℃の加熱による焼戻しを施した。そして、930℃に加熱した後に徐冷して焼きなました。
【0077】
このようにして得られた各金型用鋼よりなるブロックの中心付近から試験片を切り出し、焼戻し硬さ、パーライトの析出のしにくさ、衝撃値、耐食性、δフェライトの析出のしにくさ、鏡面研磨性、シボ加工性、熱伝導率の各特性を評価する試験を行った。以下に、試験方法を説明する。
【0078】
<焼戻し硬さ>
15mm×15mm×25mmの角棒を試験片として切り出し、焼戻し硬さ試験を行った。具体的には、試験片を1030℃に加熱して60分間保持した後に急冷して焼入れを行った後、450〜600℃で2時間の焼戻しを行った。ロックウェルCスケール(HRC)によって硬さを測定し、焼戻し時の温度範囲において得られた最大硬さを、焼戻し硬さとした。
【0079】
<パーライトの析出しにくさ>
パーライトの析出のしにくさを、金型の焼入れを模擬した試験にて評価した。具体的には、φ4mm×10mmの概略形状を有する試験片を、1030℃に加熱して15分保持した後、所定の冷却速度で室温まで冷却した。そして、冷却後の試験片を切断して、切断面の組織を観察し、パーライトの有無を判定した。パーライトの析出が観察された最大の冷却速度A(℃/分)に基づいて、パーライトの析出しにくさを評価した。つまり、A<5の場合を特に析出しにくい(◎)とし、5≦A<10の場合を析出しにくい(○)とし、10≦A<30の場合をやや析出しやすい(△)とし、30≦Aの場合を析出しやすい(×)として、判定を行った。
【0080】
<衝撃値>
大きな金型を能力の低い設備で焼入れた場合を模擬した試験にて、衝撃値を評価した。具体的には、11mm×11mm×60mmの角棒を試験片として、1030℃から550℃までを50℃/分、550℃から100℃までを2℃/分で冷却して焼入れを行った後、450〜600℃で2時間、焼戻しを行った。焼戻し温度としては、それぞれの鋼種において最大硬さが得られる温度を選択した。このような処理を経た角棒を用いて、ノッチ(先端R部の半径が1mm)を有する概寸10mm×10mm×55mmの試験片に加工し、シャルピー衝撃試験によって、室温における衝撃値E(J/cm
2)を測定した。得られた衝撃値Eについて、E≧35の場合を特に高い(◎)とし、35>E≧20の場合を高い(○)とし、20>E≧10の場合を低い(△)とし、10>Eの場合を非常に低い(×)として、評価を行った。
【0081】
<δフェライトの析出しにくさ>
δフェライトの析出のしにくさ、耐食性、鏡面研磨性、シボ加工性、熱伝導率の評価用試験片には、急速焼入れと焼戻しを施した。具体的には、1030℃で1時間の均熱後に急冷して焼入れを行い、450〜600℃で2時間の焼戻しを行った。焼戻し温度としては、それぞれの鋼種の最大硬さが得られる温度を選択した。
【0082】
このようにして得られた試験片に対し、試験片として切り出す前のブロック材の長手方向と平行な面に対応する面を研磨した。そして、研磨された試験片を酸で腐食させた後、光学顕微鏡で組織を観察した。この際、δフェライトが観察されなければ、δフェライトが析出しにくい(○)とし、観察されれば、δフェライトが析出しやすい(×)として、判定を行った。
【0083】
<耐食性>
上記のような急速焼入れと焼戻しを行った試料片に対し、湿潤試験を行って、耐食性を評価した。具体的には、鏡面研磨した試験片を湿度98%、温度50℃の環境に24時間放置した後の発錆状況を目視観察した。各鋼種の耐食性を、ほとんど錆びが発生していない場合を非常に高い(◎)とし、僅かな錆び発生している場合を高い(○)とし、錆が目立つ場合を低い(△)とし、錆が非常に多い場合を非常に低い(×)として評価した。
【0084】
<鏡面研磨性>
上記のような急速焼入れと焼戻しを行った試料片に対し、砥粒番手#50000までの研磨を行い、ウネリやピンホール等、不具合とみなされる構造の有無を観察した。これらの構造がほぼない場合を鏡面研磨性が非常に高い(◎:金型として優れている)とし、少ない場合を鏡面研磨性が高い(○:金型として使用できる)とし、目立つ場合を鏡面研磨性が低い(△:金型として使用できない場合が多い)とし、非常に多い場合を鏡面研磨性が非常に低い(×:金型としては使用できない)として、評価を行った。
【0085】
<シボ加工性>
上記のような急速焼入れと焼戻しを行った試料片を鏡面研磨した後、薬液で腐食し、シボ加工を施した。この際のシボの状態を観察し、シボムラがなければシボ加工性が良い(○)とし、シボムラが少しあればシボ加工性がやや悪い(△)とし、シボムラが多くあればシボ加工性が悪い(×)として評価した。
【0086】
<熱伝導率>
熱伝導率λ(W/
(m・K))を、レーザーフラッシュ法によって測定した。すなわち、試験片にレーザー光を照射し、その時の試験片裏面の温度変化ΔTを熱電対によって測定した。そして、試験片の質量をM、厚さをLとし、レーザー照射によって試験片に与えられる熱エネルギーをQとして、試料の比熱Cpを、Cp=Q/(M・ΔT)[J/(kg・K)]の関係より算出した。さらに、試験片の表面側に設置した赤外線検出器により、試験片の温度変化の最大値の半分に達する時間(t
1/2)を測定し、試験片の熱拡散率αを、α=0.1388×L
2/(t
1/2)[m
2/s]の関係より算出した。そして、試料の熱伝導率λを、λ=Cp・α・ρ[W/(m・K)]として算出した。測定は、25℃において行った。λ≧22の場合を非常に高い(◎)とし、20≦λ<22の場合を高い(○)とし、19≦λ<20の場合を低い(△)とし、λ<19の場合を非常に低い(×)として、熱伝導率を評価した。
【0087】
表1に、各実施例および比較例にかかる金型用鋼の成分組成と、各種試験結果を示す。「−0.1Cr+1.1<Mn<−0.1Cr+1.5」および「N<−0.04V+0.05」の欄には、実際に含有されるCrの量から計算されるMnの含有量の規定範囲、および実際に含有されるVの量から計算されるNの含有量の好ましい範囲を示している。また、各元素の含有量の規定範囲に入っていない数値は、太字で示してある。
【0088】
【表1】
【0089】
まず、比較例にかかる各鋼種について、特性を検討する。なお、以下では、各比較例にかかる鋼について、劣っている特性があれば、その主な原因を考察しているが、鋼材の特性は全体としての組成によって定まるものであり、必ずしもその原因は特定の成分元素の多寡のみによるのではない。
【0090】
鋼17は、衝撃値と耐食性において劣る。主に、CrおよびMnの含有量が少ないことにより、緩速焼入れ時に粗大ベイナイトが析出しやすく、それによって、衝撃値が低くなっていると考えられる。また、Crの含有量が少ないことにより、安定な不動態膜が形成されにくく、耐食性が低くなっている。
【0091】
鋼18は、パーライトの析出しにくさとシボ加工性において劣っている。パーライトが析出しやすいのは、Crの含有量が過剰である一方、Cが比較的多く、またMnが比較的少ないため、炭化物が析出しやすいことによると考えられる。また、シボ加工性が低いのは、Crの含有量が多いことにより、Crの偏析が顕著に起こるためである。
【0092】
鋼19は、パーライトの析出しにくさ、δフェライトの析出しにくさ、シボ加工性において劣っている。また、硬度も、金型用鋼に求められる硬度としては比較的低い値を示している。パーライトが析出やすいのは、鋼18と同様に、Crの含有量が過剰である一方、Mnが比較的少ないことによると考えられる。また、δフェライトが析出しやすいのは、フェライト安定化元素であるCr、Mo、Vが過剰に含有され、Siも比較的多く含有されていることによる。オーステナイト安定化元素であるCやMnの含有量が少ないことも、δフェライトの析出を促進する要因となっている。さらに、シボ加工性が低くなっているのも、Crの含有量が多いことによる。硬さが低いのは、Cの含有量が少ないことによる。なお、CrとMoの含有量が多く、Cの含有量が少ないことにより、耐食性は非常に優れたものとなっている。
【0093】
鋼20は、鏡面研磨性とシボ加工性、熱伝導率において劣っている。鏡面研磨性およびシボ加工性が低いのは、MnとCrの含有量が多いことで偏析が起こり、ウネリが発生しやすくなっているためであると考えられる。また、熱伝導率が低くなっているのは、マトリクス中に固溶するMnやCrが多いことによる。
【0094】
鋼21は、耐食性において劣っている。また、硬度も、金型用鋼に求められる硬度としては比較的低い値を示している。耐食性が低いのは、鋼17と同様に、Crの含有量が少ないことによる。また、硬度が低いのは、CおよびSiの含有量が少ないことによる。さらに、本鋼種においては、球状化焼鈍性も悪く、焼鈍によって鋼材を軟化させることが難しかった。これは、Mnが多くCrが少ないため、炭化物の凝集・粗大化が遅いことによると考えられる。
【0095】
鋼22は、衝撃値と耐食性、鏡面研磨性において劣っている。衝撃値が低い理由は、鋼17と同様に、CrおよびMnの含有量が少ないため、緩速焼入れ時に粗大ベイナイトが析出しやすいことに加え、VとNの含有量が過剰であるとともにCの含有量も比較的多いため、Vの粗大な炭窒化物が多くなり、これが破壊の起点になることであると考えられる。耐食性が低いのは、Crの含有量が少ないことによる。また、鏡面研磨性が低いのは、偏析によるウネリの影響に加え、上記のような粗大な炭窒化物が脱落してピンホールを生じることによる。
【0096】
鋼23〜26は市販されている金型用鋼である。鋼23は、硬度と衝撃値、耐食性、鏡面研磨性において劣っている。硬度が低いのは、Cの含有量が非常に少ないことによる。衝撃値および耐食性が低いのは、CrおよびMnの含有量が少ないことによる。鏡面研磨性が低いのは、NiやCu、Alの偏析によるウネリが発生しやすいことに加え、硬度が低いことにより、介在物が脱落してピンホールとなり易いことも原因である。
【0097】
鋼24はSUS420J2である。本鋼種は、パーライトの析出しにくさ、衝撃値、シボ加工性、熱伝導率において劣っている。これらは、主に、C、Si、Crの含有量が多いことによる。また、粒界に炭化物が析出し易いため、衝撃値が低くなっている。
【0098】
鋼25はJIS SKD61であり、主にMnとCrが少ないことにより、衝撃値が低くなっているとともに、耐食性も低くなっている。
【0099】
鋼26は、C、Si、Moが多く含まれること等に起因し、非常に高い硬度を有してはいるが、主にC、Si、Crの含有量が多いことにより、パーライトの析出しにくさ、衝撃値、耐食性、鏡面研磨性、熱伝導率において劣っている。Cr系の粗大な晶出炭化物が多いことや、固溶元素が多いことも、諸特性を低下させる原因となっている。
【0100】
これら比較例にかかる各鋼種に対し、本発明の実施例にかかる鋼種はいずれも、49HRC以上の硬度を有し、パーライトの析出しにくさ、緩速焼入れ時の衝撃値の高さ、耐食性、δフェライトの析出しにくさ、鏡面研磨性、シボ加工性、熱伝導率を高度に兼ね備えている。なお、鋼13においては、Sが含有され、MnSとして鋼中に存在するため、衝撃値と鏡面研磨性がやや低くなっているが、金型用鋼としての実用上、十分な高特性となっている。
【0101】
以上のように、C、Si、Cr、Mn、Mo、V、Nの含有量が所定の範囲にあること、特に、CrとMnの含有量が所定の関係を満たすことで、従来の鋼種と比較して、上記各特性がバランスよく高められることが示された。
【0102】
以上、本発明の実施形態、実施例について説明した。本発明は、これらの実施形態、実施例に特に限定されることなく、種々の改変を行うことが可能である。