特許第6353839号(P6353839)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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特許6353839耐摩耗性と耐食性に優れるマルテンサイト系ステンレス鋼及びその製造方法
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6353839
(24)【登録日】2018年6月15日
(45)【発行日】2018年7月4日
(54)【発明の名称】耐摩耗性と耐食性に優れるマルテンサイト系ステンレス鋼及びその製造方法
(51)【国際特許分類】
   C22C 38/00 20060101AFI20180625BHJP
   C22C 38/58 20060101ALI20180625BHJP
   C21D 9/46 20060101ALI20180625BHJP
【FI】
   C22C38/00 302Z
   C22C38/58
   C21D9/46 Q
【請求項の数】5
【全頁数】18
(21)【出願番号】特願2015-531808(P2015-531808)
(86)(22)【出願日】2014年8月11日
(86)【国際出願番号】JP2014071175
(87)【国際公開番号】WO2015022932
(87)【国際公開日】20150219
【審査請求日】2017年4月12日
(31)【優先権主張番号】特願2013-167780(P2013-167780)
(32)【優先日】2013年8月12日
(33)【優先権主張国】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】503378420
【氏名又は名称】新日鐵住金ステンレス株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100064908
【弁理士】
【氏名又は名称】志賀 正武
(74)【代理人】
【識別番号】100175802
【弁理士】
【氏名又は名称】寺本 光生
(74)【代理人】
【識別番号】100106909
【弁理士】
【氏名又は名称】棚井 澄雄
(74)【代理人】
【識別番号】100134359
【弁理士】
【氏名又は名称】勝俣 智夫
(74)【代理人】
【識別番号】100188592
【弁理士】
【氏名又は名称】山口 洋
(72)【発明者】
【氏名】寺岡 慎一
(72)【発明者】
【氏名】坂本 俊治
(72)【発明者】
【氏名】石丸 詠一朗
(72)【発明者】
【氏名】大村 圭一
【審査官】 佐藤 陽一
(56)【参考文献】
【文献】 特開2010−215995(JP,A)
【文献】 特開2005−344184(JP,A)
【文献】 特開2002−256397(JP,A)
【文献】 特開2011−184716(JP,A)
【文献】 特開2004−002951(JP,A)
【文献】 特開2002−212680(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C22C 38/00−38/60
C21D 9/46− 9/48
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、
C:0.40〜0.50%、
Si:0.25〜0.60%、
Mn:2.0%以下、
P:0.035%以下、
S:0.010%以下、
Cr:11.0〜15.5%、
Ni:0.01〜0.60%、
Cu:0.50%以下、
Mo:0.10%以下、
Sn:0.005〜0.10%、
V:0.10%以下、
Al:0.03%以下、
N:0.01〜0.05%、
残部Fe及び不可避的不純物からなる鋼組成を有し、
C,N及びSnの範囲が(1)式を満たす耐食性に優れたマルテンサイト系ステンレス鋼。
S値=16×Sn/C+2×N/C≧0.4・・・(1)
ただし、上記の式において各元素名C,N,Snはそれぞれの元素の含有量(質量%)を表す。
【請求項2】
さらに、質量%で、
Nb:0.005%以上0.05%以下、
Ti:0.005%以上0.05%以下、
Zr:0.005%以上0.05%以下、
B:0.0005%以上0.0030%以下の1種以上を含む請求項1に記載の耐食性に優れたマルテンサイト系ステンレス鋼。
【請求項3】
請求項1または請求項2に記載のマルテンサイト系ステンレス鋼の組成を有する鋳塊を鋳造により得て、
得られた前記鋳塊を1140〜1240℃に加熱して熱間圧延することにより熱延板を得て、
得られた前記熱延板を巻取り、
巻き取られた前記熱延板を700〜900℃で4時間焼戻し、
焼戻しされた前記熱延板を950〜1100℃の温度域で、5秒〜10分保持した後焼入れする、マルテンサイト系ステンレス鋼の製造方法。
【請求項4】
前記焼入れが空気焼入れである請求項3に記載のマルテンサイト系ステンレス鋼の製造方法。
【請求項5】
前記熱間圧延の仕上げ温度が800℃以上であり、
前記熱延板の巻取り温度が700〜900℃である請求項3または請求項4に記載のマルテンサイト系ステンレス鋼の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は焼入れ後、或いは焼入れ焼戻し後の耐食性に優れたマルテンサイト系ステンレス鋼及びその製造方法に関する。より詳しく言えば、本発明はナイフやハサミ等の刃物、織機部品、工具等の製造に用いられ、所定の硬度を有する場合において、優れた耐食性を有するマルテンサイト系ステンレス鋼及びその製造方法に関する。
本願は、2013年8月12日に、日本に出願された特願2013−167780号に基づき優先権を主張し、その内容をここに援用する。
【背景技術】
【0002】
マルテンサイト系ステンレス鋼の一般的な用途と、各用途で使用されている鋼種を簡単に分類すると、洋食器ナイフ(テーブルナイフ)やはさみ、織機部品、ノギス等の工具には、SUS420J1、SUS420J2鋼が一般に用いられ、更に高い硬度が必要となる洋式包丁や果物ナイフ等においてはSUS440A鋼が用いられている。また、二輪ディスクブレーキや鉄筋等の構造部材には、SUS410鋼が一般に用いられる。このような用途においては、防錆のためのメッキや塗装、防錆油の使用が困難であることと、摩耗に強く硬度が高いことが必要とされるので、マルテンサイト系ステンレス鋼が用いられる。これらマルテンサイト系ステンレス鋼の規格はC量とCr量によってマルテンサイト系ステンレス鋼を分類しており、SUS410ではC:0.15%以下、Cr:11.5〜13.5%、SUS420J1ではC:0.16〜0.25%、Cr:12〜14%、SUS420J2ではC:0.26〜0.40%、Cr:12〜14%、SUS440AではC:0.60〜0.75%、Cr:16〜18%と分類されている。C量が多いほど、高い焼入れ硬度が得られる。その反面、製造性や焼入れ後の靭性が低下する。このため、一般に、SUS410系の鋼は焼入れ状態で使用され、SUS420系の鋼は焼入れ後に焼戻しを行なうことにより靭性を改善した状態で使用される。
【0003】
これらステンレス鋼の耐食性は、一般に成分に基づき評価され、Cr、Mo、Nの添加により耐食性が向上することが知られている。各元素の効果について多くの検討がなされており、マルテンサイト系ステンレス鋼においても、耐孔食性指数PRE=Cr+3.3Mo+16Nで耐食性を評価でき、この値が大きいほど耐食性が向上すると報告されている。また、当該鋼は焼入れ後に研磨して使用される場合があるため、Alなどの含有量を下げることで、大型の介在物の生成を抑制し、研磨性を向上させることも必要とされる。
【0004】
これらの知見を特許文献で説明する。まず、特許文献1には、C:0.15%未満、Cr:12.0〜18.5%、N:0.40%〜0.80%を含有する耐食性に優れた高硬度マルテンサイト系ステンレス鋼について記載されている。
【0005】
窒素は耐食性の向上に有効であるほか、オーステナイト域を広げる安価な元素であるが、溶解鋳造時に固溶限を超えた窒素が気泡を造り、健全な鋼塊が得られないことが問題となる。窒素の固溶限は、窒素以外の成分や雰囲気の気圧によって変わる。窒素の固溶限に与える影響の大きい成分はCr、Cである。SUS420J1,SUS420J2等のマルテンサイト系ステンレス鋼を大気圧下で鋳造した場合、窒素の溶解量は約0.1%程度と一般に報告されている。そこで、特許文献1では加圧鋳造法によって0.40%以上の窒素を固溶させている。しかし加圧鋳造法は連続鋳造への適用が困難であり、生産性が低いので、量産には不向きな方法であった。また、加圧鋳造に関しても、窒素ブローが生じる問題があった。
【0006】
そこで、特許文献2には、C:0.15%以上0.50%以下、Cu:0.05%以上3.0%以下、Ni:0.05%以上3.0%以下、Cr13.0%以上20.0%以下、Mo:0.2%以上4.0%以下、N:0.30%以上0.80%以下などを含有するマルテンサイト系ステンレス鋼が開示されている。特許文献2では、Mo,Ni等を積極的にマルテンサイト系ステンレス鋼に添加することにより、加圧鋳造法を用いて窒素を固溶させる方法においてNの溶解量が増加し、窒素ブローが抑えられるとされている。この方法により加圧鋳造におけるブローホールは改善されると思われるが、この方法では加圧鋳造が必須であるので、連続鋳造が困難であり生産性が低い問題は解決していない。更に、Ni,Mo等を添加することによる原料コスト増加の問題もあった。
【0007】
一方、加圧鋳造法を行うことなく、またMo,Ni等を多量に添加することなくマルテンサイト系ステンレス鋼の耐食性を向上させる技術が、特許文献3に開示されている。特許文献3では、マルテンサイト系ステンレス鋼にC:0.03以上0.25%以下、Sn:0.03%以上0.15%以下、N:0.01以上0.08%以下を含有させ、焼入れ焼戻し硬度(焼入れと焼戻しを施した後の硬度)を300以上600HV以下とすることにより、Snによる耐食性向上効果を得ている。
【0008】
高硬度を得るための技術としては、非特許文献1で開示されているEN1.4034鋼、EN1.4110等がある。EN1.4034は、C:0.43%以上0.50%以下、Cr:12.5%以上14.5%以下、Si:1%以下、Mn:1%以下、P:0.04%以下、S:0.015%以下を含有している。また、EN1.411は、C:0.48%以上0.60%以下、Cr:13.0%以上15.0%以下、Mo:0.50%以上0.80%以下、V:0.15%以下、Si:1%以下、Mn:1%以下、P:0.04%以下、S:0.015%以下を含有している。しかし、単純にC量を増やしても炭化物の溶体化に高温且つ長時間の加熱が必要となるので、焼入れ工程の生産性を低下させる問題がある。また、焼入れ時の冷却速度が遅い場合は、Cr炭化物の析出による鋭敏化が生じて、耐食性が低下する問題もあった。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0009】
【特許文献1】特開2002−256397号公報
【特許文献2】特開2005−344184号公報
【特許文献3】特開2010−215995号公報
【非特許文献】
【0010】
【非特許文献1】ステンレス鋼欧州規格 EN10088−2
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
このように、マルテンサイト系ステンレス鋼の耐食性を向上させる技術が種々提案されている。しかしながら、本発明者らの検討では、先に言及した特許文献1、2においては、耐銹性を向上させるNの添加のために加圧鋳造法が必要となるので、連続鋳造への適用が困難であり、生産性に難があることが問題であった。また、加圧鋳造に関しても、窒素ブローが生じ易く、Mo,Niなどを添加して窒素の固溶限を上げることが必要になるため、合金コストの増加が問題であった。
【0012】
更に、特許文献3に記載された方法では、C量がSUS420J1鋼の範囲であるため、Cによる焼入れ硬度の増加代が小さい。そのため、特に緩冷却条件で焼入れを行うと、550HVを超える焼入れ焼戻し硬度を得ることが難しいという問題があった。また、比較的少ないCを完全に固溶させて硬度を上げようとすると、炭窒化物の溶体化のために高温且つ長時間の加熱が必要となり、その結果γ粒が粗大化し、焼入れ焼戻し靭性(焼入れと焼戻しを施した後の靱性)が低下する問題もあった。よって、特許文献3に記載された方法は、より高い硬度が要求される用途には不適であった。
【0013】
非特許文献1に記載されたような、高炭素マルテンサイト系ステンレス鋼では、炭化物を完全に溶体化する(鋼中に固溶させる)ことが難しく、高温且つ長時間の加熱を行っても未固溶の炭化物が存在する。このためγ粒の粗大化に起因する焼入れ焼戻し靭性の低下は生じ難い。一方、熱延板焼鈍時に粗大化した炭窒化物は、焼入れ加熱時の溶体化が遅く、C量に見合った焼入れ硬度が得られにくいという問題や、焼入れ冷却過程で鋭敏化を生じ易く、その結果耐食性が低下する問題もあった。
【0014】
一般に、ステンレス鋼の耐食性にはその成分が大きく影響し、ステンレス鋼の耐食性は耐孔食性指数PRE=Cr+3.3Mo+16Nなどで評価される。この耐孔食性指数の数値が大きいステンレス鋼ほど高い耐食性を有する。このときの耐食性とは、中性の塩化物水溶液環境に対する耐食性であり、評価方法として、例えばJIS G 0577:2014に規定されるステンレス鋼の孔食電位測定方法や、JIS Z 2371:2000に規定される塩水噴霧試験方法などが用いられる。しかしながら、化学・食品プラントや温水器などの貯水槽、海浜環境で使われる用途以外、すなわち日常的な屋内環境において、ステンレス鋼が高濃度の塩化物水溶液に曝される可能性は極めて少なく、洋食器ナイフとしてSUS420J1鋼が用いられているように、13%程度のCr量で十分な耐食性が得られる。また、二輪ディスクブレーキでは12%Crで十分な耐食性が得られる。
【0015】
ところが、母材の成分に基づき想定される耐食性が得られない場合がある。代表的な耐食性劣化原因として鋭敏化がある。この現象は、ステンレス鋼素材を溶接した場合などに、その溶接温度履歴によってCr炭化物が析出し、炭化物の周辺の母地にCr欠乏層が生じ、それにより耐食性が損なわれる現象である。SUS430の溶接部において、またはSUS304を650〜700℃で長時間使用した場合において、鋭敏化が起こることが知られている。
【0016】
マルテンサイト系ステンレス鋼の鋭敏化現象はあまり知られていないが、市販のナイフを塩水噴霧試験に供すると顕著なさびが認められることから、鋭敏化が生じていると推測される。マルテンサイト系ステンレス鋼は自硬性を有し、空気焼入れでも水焼き入れに匹敵する焼入れ硬度が得られるため、しばしば緩冷却条件で焼入れが行われる。このため緩冷却条件の冷却過程でCr炭化物が析出し鋭敏化を生じたものと推測される。ステンレス鋼における鋭敏化はC量の多い鋼種ほど促進されるため、EN1.4034鋼、EN1.411鋼、SUS440系の鋼種などは鋭敏化が起こりやすい。そのため、高炭素マルテンサイト系ステンレス鋼の鋭敏化を抑制する技術が望まれていた。
【0017】
マルテンサイト系ステンレス鋼の製造工程では、焼入れ前の加工性を高めるために、十分な焼鈍を行って炭窒化物を析出させ、鋼を軟質化させることが必要である。一方、焼入れ加熱時には炭窒化物の溶体化を促進させることが必要となる。高硬度を得るためにC量を増したEN1.4034鋼、EN1.411鋼、SUS440系の鋼種などにおいては、焼鈍時に炭窒化物が粗大になり、溶体化に高い温度と長い時間が必要になる。このため、炭窒化物の粗大化を抑制し、溶体化を速める技術も望まれていた。
本発明は、上記事実に鑑みてなされたものであって、その目的は、耐食性に優れたマルテンサイト系ステンレス鋼を安価に提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0018】
本発明者らは上記目的を達成するため、高炭素マルテンサイト系ステンレス鋼の鋭敏化現象に関連して炭窒化物析出や溶体化現象を調査した。その結果、微量のSn添加、C量に対し最適な量のNの添加により、マルテンサイト系ステンレス鋼の鋭敏化現象が抑制され耐食性が向上するとの知見を得た。また、焼入れ加熱時の溶体化が進み、従来鋼よりも比較的低温且つ短時間の加熱でより高い焼入れ硬度が得られ、焼戻し靭性も向上するとの知見を得た。
【0019】
その要旨とするところは以下の通りである。
(1)質量%で、C:0.40〜0.50%、Si:0.25〜0.60%、Mn:2.0%以下、P:0.035%以下、S:0.010%以下、Cr:11.0〜15.5%、Ni:0.01〜0.60%、Cu:0.50%以下、Mo:0.10%以下、Sn:0.005〜0.10%、V:0.10%以下、Al:0.03%以下、N:0.01〜0.05%、残部Fe及び不可避的不純物からなる鋼組成を有し、C,N及びSnの範囲が(1)式を満たす耐食性に優れたマルテンサイト系ステンレス鋼。
S値=16×Sn/C+2×N/C≧0.40・・・(1)
ただし、上記の式において各元素名C,N,Snはそれぞれの元素の含有量(質量%)を表す。
(2)さらに、質量%で、Nb:0.005%以上0.05%以下、Ti:0.005%以上0.05%以下、Zr:0.005%以上0.05%以下、B:0.0005%以上0.0030%以下の1種以上を含む上記(1)に記載の耐食性に優れたマルテンサイト系ステンレス鋼。
(3)(1)または(2)に記載のマルテンサイト系ステンレス鋼の組成を有する鋳塊を鋳造により得て、得られた前記鋳塊を1140〜1240℃に加熱して熱間圧延することにより熱延板を得て、得られた前記熱延板を巻取り、巻き取られた前記熱延板を700〜900℃で4時間焼戻し、焼戻しされた前記熱延板を950〜1100℃の温度域で、5秒〜10分保持した後焼入れする、マルテンサイト系ステンレス鋼の製造方法。
(4)前記焼入れが空気焼入れである(3)に記載のマルテンサイト系ステンレス鋼の製造方法。
(5)前記熱間圧延の仕上げ温度が800℃以上であり、前記熱延板の巻取り温度が700〜900℃である(3)または(4)に記載のマルテンサイト系ステンレス鋼の製造方法。
【発明の効果】
【0020】
本発明では、高炭素マルテンサイト系ステンレス鋼に0.005〜0.10%のSnを添加し、C、Sn量に応じたNバランス(N量)にしている。これにより、空気焼入れのような遅い焼入れ冷却速度(緩冷却)における鋭敏化を防止することができる。また、焼入れ加熱時の溶体化を促進することで焼入れの生産性を向上することが可能になる。本発明によれば、製造のために加圧鋳造などの特殊鋳造設備が必要でない。また、Mo,Ni,Cu等の高価な元素を添加することなく微量のSn添加だけで耐食性を向上できるため、合金コストも比較的安価である。このように本発明によれば、耐食性に優れたマルテンサイト系ステンレス鋼を安価に提供することが可能である。
【図面の簡単な説明】
【0021】
図1】C量に応じたSn,N添加量が耐食性に及ぼす影響を示す図である。
図2】C量に応じたSn,N添加量が焼入れ硬度に及ぼす影響を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0022】
以下に本発明の実施形態を詳細に説明する。
【0023】
本発明者らは、高炭素マルテンサイト系ステンレス鋼の焼入れ後の耐食性について多くの調査を行った。その結果、焼入れ後の耐食性がCr量で想定される一般的なステンレス鋼の耐食性を大幅に下回っていることを見出し、その改善方法を種々検討した。それと共に、本発明者らは、高炭素マルテンサイト系ステンレス鋼の焼鈍時における炭窒化物析出とその成長過程、また、焼入れ加熱時における炭窒化物の溶体化過程について詳細な検討を行った。その結果、微量のSn添加が炭窒化物の析出、成長及び溶体化の挙動に大きく影響することを見出した。これらの現象には共通した作用機構が考えられた。即ち、Snは結晶粒界や析出物と母相の界面に偏析しやすい元素である。高炭素マルテンサイト系ステンレス鋼のように焼入れの冷却過程で炭窒化物が析出し鋭敏化し易い材料において、Snを添加すると、焼入れ冷却過程では炭窒化物と母相の界面にSnが偏析する。そして、偏析したSnが炭窒化物の析出成長を阻害することによってCr欠乏層の形成が遅延し、鋭敏化が抑制されて耐食性が向上する。但し、Snは母材の熱間加工性を劣化させ、高温時効脆化特性も低下させる(高温で長時間使用することにより鋼を脆化し易くする)元素であるため、添加量には最適範囲がある。鋭敏化の抑制効果は0.005%以上のSn添加で得られる。一方、0.10%を超えるSnの添加は高炭素マルテンサイト系ステンレス鋼の熱間加工性を低下させ、熱延割れを生じるほか、時効脆化も生じる。このため、Snの添加量を0.1%以下にすることが必要である。Snによる鋭敏化抑制効果と同様に、Snの添加は、焼鈍工程における炭窒化物の成長を阻害して炭窒化物を微細化させる。このため、焼入れ加熱時の溶体化が促進され、Sn無添加鋼に対し比較的低温且つ短時間の加熱で高い硬度が得られる。この効果は、焼鈍過程における軟質化を阻害する。なお、一般に、焼鈍過程はコイルを入れた箱焼鈍炉を用いて長時間かけて行われるので、Snによる炭窒化物の微細化効果はあるものの、炭窒化物の析出量は変化せず、焼鈍後の硬度にほとんど影響しない。すなわち、Snの添加により、焼鈍後の硬度はほとんど低下しない。
【0024】
以上の知見に基づき本実施形態は、前述の用途におけるマルテンサイト系ステンレス鋼の最適成分バランスを見出したものである。各成分の限定理由を以下に説明する。なお、以下の説明中、各元素の含有量を示す「%」は特に断りがない限り「質量%」を示す。
【0025】
C:0.40〜0.50%
Cは焼入れ硬さ(焼入れ後の硬さ)を支配する元素である。高炭素マルテンサイト系ステンレス鋼として求められるビッカース硬度550Hv以上を安定して得るためには、Cの含有量を0.40%以上とすることが必要である。一方、過度に添加すると焼入れ時の鋭敏化が促進され耐食性を損なうと共に、未固溶炭窒化物により焼入れ後の靭性も低下する。このため、Cの含有量を0.50%以下とする。焼入れ加熱条件の変動による硬度や靭性の低下を考慮すると、Cの含有量を0.42%以上0.48%以下にすることが望ましい。
【0026】
Si:0.25〜0.60%
Siは溶解精錬時における脱酸のために必要であるほか、焼入れ熱処理(焼入れ加熱)時の酸化スケール生成の抑制にも有効である。このため、Siの含有量を0.25%以上とする。但し、Siはオーステナイト単相温度域を狭くし、焼入れ安定性を損ねる。このため、Siの含有量を0.60%以下とする。酸化物系介在物による疵の発生率を低減するためには、Siの含有量を0.30%以上にすることが望ましい。また、Siはオーステナイト単相温度域を狭くし、焼入れ安定性を損なわせるため、Siの含有量を0.50%以下にすることが望ましい。
【0027】
Mn:2.0%以下
Mnは、オーステナイト安定化元素であるが、焼入れ熱処理(焼入れ加熱)時の酸化スケール生成を促進し、その後の研摩負荷を増加させる。このため、2.0%を上限とする。MnSのような硫化物系介在物の粗大化による耐食性の低下を考慮すると、Mnの含有量を1.0%以下にすることが望ましい。また、Mnは他の合金原料にも含まれ、さらに低減することは困難であることから、0.10%以上にすることが好ましい。
【0028】
P:0.035%以下
Pは原料である溶銑やフェロクロム等の合金中に不純物として含まれる元素である。Pは熱延焼鈍板の靱性や焼入れ後の靭性に対して有害な元素であるため、Pの含有量を0.035%以下とする。Pは加工性を低下させる元素でもあることから、0.030%以下にすることが望ましい。また、過度な低減は、製造のために高純度原料を必要とするなど、コストの増加に繋がる。このため、Pの含有量の下限を0.010%とすることが好ましい。
【0029】
S:0.010%以下
Sはオーステナイト相に対する固溶量が小さく、粒界に偏析して熱間加工性の低下を促進する元素である。Sの含有量が0.010%を超えるとこのような作用の影響が顕著になるため、0.010%以下とする。Sの含有量が少ないほど硫化物系介在物が減少し耐食性が向上するが、低S化には脱硫負荷が増大し(脱硫のための工程及び設備が必要となり)、製造コストが増大する。そのため、その下限を0.001%とするのが好ましい。なお、好ましくは0.001%〜0.008%である。
【0030】
Cr:11.0〜15.5%
Crは、マルテンサイト系ステンレス鋼の主要用途において必要とされる耐食性を保持するために、少なくとも11.0%以上必要である。一方、焼入れ後の残留オーステナイト生成を防止するために、15.5%を上限とする。これらの特性をより効果的にするためには、Crの範囲を好ましくは12.0〜14.0%とするのがよい。
【0031】
Ni:0.01〜0.60%
Niは、Mnと同様にオーステナイト安定化元素である。焼入れ加熱時に、C、N、Mn等は、脱炭、脱窒や酸化によって表層部から減少し、表層部にフェライトを生成する場合がある。Niは耐酸化性が高いため、C、N、Mn等が表層から減少することがなく、オーステナイト相の安定化に大変有効である。その効果は0.01%から現れるため、Niの含有量を0.01%以上とする。しかしながらNiは高価な原料であるため、0.60%以下とする。一方、多量のNi添加は、熱延焼鈍板において固溶強化によるプレス成形性の低下を招くおそれがあるため、その上限を0.30%にすることが望ましい。また、焼入れ時のスケール形成を均一化するNiの効果も考慮すると、その下限を0.05%にすることが好ましい。
【0032】
Cu:0.50%以下
Cuは溶製時のスクラップからの混入等、不可避的に含有される場合が多い。また、オーステナイト安定度を上げるために意図的に添加される場合もある。但し、過度の含有は熱間加工性や耐食性を低下させるので、Cuの含有量を0.50%以下とする。Cuは焼入れ焼戻し時において析出し不動態皮膜の健全性を損なわせることにより耐食性を低下させる場合がある。このため、Cuの含有量を0.20%以下にすることが好ましい。一方、Cuが不可避的に混入する量を低減することは、製造のために高純度原料を必須とし、原料コストの増加に繋がる。このため、0.01%以上にすることが好ましい。
【0033】
V:0.10%以下
Vは合金原料であるフェロクロム等から不可避的に混入する場合が多い。Vはオーステナイト単相温度域を狭める作用が強いため、Vの含有量を0.10%以下とする。またVは炭化物形成能の高い元素であり、V系炭化物を核としたCr炭窒化物ではその溶体化が遅延する傾向が見られる。そのため、0.08%以下にすることが好ましい。また、不可避的不純物として混入する量を低減することは困難であるため、その下限を0.01%とすることが好ましい。製造性や製造コストを総合的に加味すると、0.03%〜0.07%とすることが望ましい。
【0034】
Mo:0.10%以下
Moは耐食性向上に有効な元素である。しかし、MoはCr,Siと同様にフェライト相を安定化させる元素であり、Moの添加により焼入れ加熱温度範囲が狭くなり、焼入れ後に未変態フェライトが生じる問題がある。さらに、Moは焼戻し軟化抵抗を高める(焼戻しによる軟化を抑制する)ので、熱延板の焼鈍時間が長時間化するなど、Moの添加は製造性を悪化させる。このため、その上限を0.10%とする。Moは高価な元素であるが、鋭敏化の抑制には効果がなく、一般用途においては、コストに見合った耐食性改善効果が得にくい。そのため、Moの含有量を0.05%以下にすることが好ましい。また、原料からの混入を避けることは困難であるため、0.01%以上とすることが好ましい。
【0035】
Al:0.03%以下
Alは脱酸のために有効な元素である。しかし、Alはスラグの塩基度を上げ、鋼中に水溶性介在物CaSを析出させ、耐食性を低下させる場合がある。このため0.03%を上限とする。またアルミナ系の非金属介在物による研摩性の低下を考慮すると、Alの含有量を0.01%以下にすることが好ましい。但し、Si、Mnとの組み合わせによる脱酸効果を得るためには0.003%以上にすることが好ましい。
【0036】
N:0.01%〜0.05%
NはCと同様に焼入れ硬さを上げる効果を有する。また、Cと異なる効果として、Nは次の二つの作用により耐食性を向上させる。一つ目は不動態皮膜を強化させる働きであり、もう一つはCr炭化物の析出を抑制(Cr欠乏層の生成及び成長を抑制)する働きである。これらの効果を得るためにNの含有量を0.01%以上とする。但し、過剰な添加により、大気圧下の鋳造に際してブローホールが生じるため、Nの含有量を0.05%以下とする。Nによる鋭敏化抑制効果は、Snの添加量によってその最適範囲が変化する。Snは高価な元素であり、最低限の添加にとどめて原料コストの増加を抑制することが好ましい。このことから微量のSnを前提として鋭敏化を抑制するためには、Nの含有量を0.025%以上にすることが好ましい。また、Nは熱延焼鈍板の硬度を高めて、加工性を低下させるため、Nの含有量を0.035%以下にすることが好ましい。
【0037】
Sn:0.005〜0.10%
Snは偏析元素であり、母地の結晶粒界だけでなく、析出物と母地の界面にも濃化して、それにより析出物の成長及び粗大化を抑制する。このため、Snの添加により焼入れ冷却過程における鋭敏化が抑制されるので、耐食性を向上させる効果が得られる。その効果はSnの含有量を0.005%とすることで確実に得られるため、その下限を0.005%とする。しかしながら、Snはオーステナイト相への固溶限が小さく、普通鋼では熱延割れや疵の原因になることが知られている。また、400〜700℃で長時間時効すると、鋼の靭性を低下させることがあり、Sn量は極力低減されることが望ましい。フェライト系ステンレス鋼ではSnは比較的大きな固溶限を有するので、Snを積極的に添加してCrやMoと同様に不動態皮膜を強化させる目的で0.1%以上の添加を行っている鋼種もある。一方、マルテンサイト系ステンレス鋼はその製造過程や、焼入れ加熱時においてはオーステナイトである。また、Sn添加により熱間加工性が低下し、高温環境下で使用された場合に時効脆化が生じる。このため、Snの添加量には最適範囲がある。熱間加工性と高温時効脆化特性を劣化させない限界Sn量は鋼種によって異なる。高炭素マルテンサイト系ステンレス鋼では、Sn含有量の上限が0.1%である。NとSnのバランスを最適にすることにより鋭敏化を抑制し、良好な耐食性を安定して得るためには、Snの含有量を0.01%以上にすることが好ましい。また、焼き戻し条件に影響されずに高温時効脆化を防止するためには、0.05%以下にすることが好ましい。
【0038】
S値=16×Sn/C+2×N/C≧0.40・・・・(1)
焼入れ冷却過程におけるCr炭化物の析出により起こる鋭敏化を抑制する効果をSn、Nは有する。但しその効果は、C量に応じて異なるために一様ではない。発明者等は、焼入れ硬度が550HVを超える様な高炭素マルテンサイト系ステンレス鋼における、Sn,C,Nの最適なバランスを検討した。即ち、13.3%Cr−0.4%Si−0.5%Mn−0.027%P−0.001%S−0.005%Al−0.05%V−0.02%Mo−0.02%Cu鋼をベース組成として、C量を0.40〜0.50%、Nを0.01%〜0.05%、Snを0.000%〜0.20%まで変化させた鋼を用いて、板厚6mmの熱延板を実験室で製造した。具体的には、厚さ100mmの鋼塊を1240℃まで加熱した後、板厚6mmまで熱間圧延を行うことにより熱延板を製造した。熱延板に対し850℃で4時間の箱焼鈍を行い、熱延焼鈍板を得た。この熱延焼鈍板を1050℃で10分間保持した後に、これを空気焼入れ(空冷、緩冷却)し、表面を粒度#600(JIS R 6001:1998(ISO 8486−1:1996及びISO 8486−2:1996に対応))で研磨仕上げした。このように得たサンプルに対し、JIS Z 2371:2000(ISO 9227:1990を基礎とする)に規定される塩水噴霧試験を24時間行い、錆びの程度を目視により評価した。錆びがない物をA:合格とし、点さびをB:不合格、多数の流れさびを伴うものをC:不合格とした。すなわち、錆びが生じたものを不合格とした。その結果を図1に示す。図1では、横軸が上記(1)式のS値であり、縦軸が下から順にA:合格、B:不合格、C:不合格である。上記(1)式を満たすものは耐食性が合格となることが分かる。ただし、上記の式において各元素名C,N,Snはそれぞれの元素の含有量(質量%)である。
【0039】
また、同様の熱延焼鈍板を1050℃で1分間保持して空気焼入れした後、硬度(焼入れ硬度)を測定した。硬度とS値との関係を図2に示す。図2によれば、S値の増大と共に焼入れ硬度が上がり、S値を0.40以上にすることで550HV以上になることが分かった。これらの結果から、高炭素マルテンサイト系ステンレス鋼において、比較的短い高温保持時間で550HV以上の焼入れ硬度を得ることが可能であることが分かる。また、緩冷却(空気焼入れ)に起因する焼入れ後の耐食性低下が生じず、且つ焼入れ硬度を550HVにできる成分範囲を、S値で規定できることが分かる。前記効果を発現するためには、S値は2.0未満でよく、また4.25超としても効果が飽和する。
【0040】
また、本実施形態に係る高炭素マルテンサイト系ステンレス鋼は、上記元素に加えて、Nb:0.005%以上0.05%以下、Ti:0.005%以上0.05%以下、Zr:0.005%以上0.05%以下、B:0.0005%以上0.0030%以下、の1種以上を含有することが好ましい。或いは、これらの元素のうち1種以上の含有量の上限を、高純度原料を使用することにより上記の値に規制することが好ましい。これらの成分の限定理由を以下に説明する。
【0041】
Nb:0.005〜0.05%
Nbは、Nb(C、N)として熱延時に微細析出しCr炭窒化物の析出核となることにより、Cr炭窒化物を微細化し焼入れ加熱時の溶体化を促進する作用を有する。このため、必要に応じて添加されることが好ましい。この効果は0.005%以上で発現するため、下限を0.005%とすることが好ましい。しかし過剰に添加すると、熱延加熱温度以上の温度域において、粗大なNb(C、N)が析出し、介在物系の疵を生じることがある。このため、上限を0.05%とすることが好ましい。なお、Nbの含有量を0.01〜0.03%とすることがより好ましい。
【0042】
Ti:0.005%〜0.05%
Tiは、Ti(C,N)として熱延時に微細析出しCr炭窒化物の析出核となることにより、Cr炭窒化物を微細化し焼入れ加熱時の溶体化を促進する作用を有する。このため、必要に応じて添加されることが好ましい。この効果は0.005%以上で発現するため、下限を0.005%とすることが好ましい。しかし過剰に添加すると、熱延加熱温度以上の温度域において、粗大なTiNが析出し、介在物系の疵を生じることがある。このため、上限を0.05%とすることが好ましい。なお、Tiの含有量を0.01〜0.03%とすることがより好ましい。
【0043】
Zr:0.005%〜0.05%
Zrは、Zr(C,N)として熱延時に微細析出しCr炭窒化物の析出核となることにより、Cr炭窒化物を微細化し焼入れ加熱時の溶体化を促進する作用を有する。このため、必要に応じて添加されることが好ましい。この効果は0.005%以上で発現するため、下限を0.005%とすることが好ましい。しかし過剰に添加すると、熱延加熱温度以上の温度域において、粗大なZr(C,N)が析出し、介在物系の疵を生じることがある。このため、上限を0.05%とすることが好ましい。なお、Zrの含有量を0.01〜0.03%とすることがより好ましい。
【0044】
B:0.0005%〜0.0030%
Bは、熱間圧延時の高温延性を向上させ、熱延板の耳割れによる歩留まり低下を抑制するために、必要に応じて添加すれば良い。その効果を発揮させるためには、下限を0.0005%とすることが望ましい。しかし、過度な添加は、Cr2B、(Cr、Fe)23(C、B)6の析出により、靭性や耐食性を損なわせる。このため、その上限を0.0030%とする。なお、加工性や製造コストを考慮すると、0.0008〜0.0015%とすることがより望ましい。
【0045】
一方、本実施形態に係るマルテンサイト系ステンレス鋼は、上述の組成の鋼を鋳造し、得られた鋳塊を熱間圧延して熱延板を得て、熱延板を巻き取り、巻き取られた熱延板を焼戻し(焼鈍し)し、焼戻された熱延板を焼入れすることにより製造されることが好ましい。この製造方法においては、熱間圧延(熱延)時の加熱温度を1140〜1240℃とし、巻き取り温度を700〜840℃とし、熱延板の焼鈍を、バッチ式焼鈍炉にて700〜900℃で4時間以上行なうことが望ましい。
【0046】
即ち、熱延時の加熱温度が1240℃より高くなると、γ単相からγ+δの二相域となる。δ相では、Cr、Si等が濃化し、C、N、Ni等が負偏析し、焼入れ時のγ単相化が阻害されるので、焼入れ性が損われる。逆に熱延加熱温度が1140℃未満になると、偏析(凝固偏析)を解消するための拡散時間として均熱時間が2時間以上必要となり、熱延の生産性が大きく損われるので好ましくない。熱延の仕上げ温度(仕上げ圧延時の温度)は800℃以上にすることが望ましい。これより温度が下がると熱延割れが生じやすくなる。それに加え、熱延の仕上げ温度が800℃未満になると巻取温度が下がるので、これによりその後の熱延板焼鈍時間が長時間化するなど、生産性が低下する。
【0047】
また熱延後、鋼帯(熱間圧延により得られた熱延板)の巻取に際しては、巻き取温度を700〜900℃とすることが望ましい。700℃未満で巻取ると、コイルの最冷部と最熱部の組織差が大きくなり、巻取後に熱延板焼鈍を施した後もこの組織差が解消されず、材質のコイル内変動を招くために好ましくない。700℃以上にすることで、コイルの冷却に際して、炭化物の析出及び粗大化が進み軟質化される。また、900℃を超えると、表面に厚い酸化スケールが形成され、脱炭相の形成による耐食性低下や、焼入れ後の研摩性不良などの問題を生じるために望ましくない。
【0048】
次に、熱延板の焼鈍条件において、焼入れ前の加工性を良くするため、焼鈍により熱延板を軟質化させることが必要である。連続焼鈍炉では軟質化のために十分な焼鈍時間が確保できないため、バッチ式焼鈍炉を用いて、700〜900℃の温度域に4時間以上保持することが望ましい。700℃未満や900℃超では軟質化が不十分になる。即ち、900℃超で長時間の焼鈍を施すと、雰囲気ガスの影響により、表層の窒化や脱炭により表層組織の不均一や材質変化を生じるため、好ましくない。また4時間未満では、コイル内の温度不均一に起因する、材質のコイル内変動が生じる。
【0049】
熱延板は焼鈍後に酸洗されて熱延製品となるが、焼鈍された熱延板の一部は、冷間圧延と焼鈍を行って冷延製品となる。
【0050】
製品の焼入れ熱処理(焼入れ加熱)として950〜1100℃の温度域で、5秒〜10分保定した。その後、焼入れ(水焼入れ、または空気焼入れ)することが望ましい。加熱温度が950℃未満では炭窒化物の溶体化が不十分となるので、目的とする焼入れ硬度が得られない。950℃以上にすることで、炭窒化物の溶体化が可能になり、オーステナイトを主体とする組織が得られる。また、加熱温度が高くなるとオーステナイト母相にデルタフェライトが析出するようになり、耐食性や焼入れ性を損ねるため、1100℃以下にすることが望ましい。このときの加熱時間(保定時間)についても、溶体化を進めるためには5秒以上必要である。5秒未満では、固溶C,Nが少なく十分な硬度が得られない。一方、10分以上になると、表面における酸化が進み、表層の脱炭により焼入れ後の耐食性及び硬度が低下するので好ましくない。また、焼入れの冷却速度は3〜100℃/secであることが好ましい。好ましい焼入れ方法としては、空気焼入れ、水焼入れが挙げられる。
【実施例】
【0051】
表1、2に示す化学組成(質量%)を有する鋼を、真空溶解炉にて溶解後、大気圧の不活性ガス雰囲気下、詳細には窒素雰囲気下で鋳造し、厚さ100mm、重さ50kgの鋼塊を得た。鋼塊は焼きが入っており加工が困難なため、850℃で4時間保持した後炉冷することにより焼戻した。鋼塊表層の湯皺を研削除去した後、1220℃まで加熱し、1時間保定した。その後、板厚6mmまで熱間圧延して熱延板を得た。この熱間圧延では、仕上げ温度を900℃とし、熱延板を800℃で巻き取った。巻き取られた熱延板を引き続き850℃で4時間保持した後、炉冷することで焼戻した。熱延板の端面に1mm以上の深さの割れが生じていたものは耳割れが生じたとして不良と判断した。この結果を表3、4の備考欄に示す。耳割れが1mm未満の場合は、軽度の耳割れと判断した。また、焼鈍後(焼戻し後)の硬度をJIS Z 2245:2011(ISO 6508−1:2005に基づく)に記載の方法で測定した。焼鈍後の硬度が92HRBを超える物は硬質のため不良と判断して、表3、4の備考欄に示した。
焼戻しされた熱延板を、引き続き、窒素雰囲気の熱処理炉中で1050℃、10分間保持後、取り出して空気焼入れして焼入れ鋼板を得た。得られた焼入れ鋼板を供試材として、下記の方法で焼入れ硬さと、耐食性を評価した。その結果を表3、4に示す。なお、一部の供試材(NO.40)については、油焼き入れにより焼入れ鋼板を得た。表1〜4において、本実施形態で規定される範囲を外れている数値については下線を付した。
【0052】
【表1】
【0053】
【表2】
【0054】
硬さ
板厚断面において、JIS Z 2244:2009(ISO 6507−1:2005、ISO 6507−4:2005に基づく)に規定されるビッカース硬さ試験に基づいて、加荷重(試験力)49Nで測定した。硬度は550HV以上を合格とした。
【0055】
耐食性
焼入れ後の試料(焼入れ鋼板)表面をフライス盤で研削して平坦化した後、サンドペーパー研摩後に、バフ研磨して鏡面仕上げした。JIS Z 2371:2000に規定される塩水噴霧試験を行ない、発錆の有無を評価し、発錆がない物を合格とした。仕上げ面に疵が認められたものは、不良とした。
【0056】
靭性(DBTT)
焼入れ前の素材(焼戻しされた熱延板)において、JIS Z 2242:2005(ISO/DIS 148−1:2003に基づく)に規定されるシャルピー衝撃試験を行い、延性−脆性遷移温度(DBTT)を測定した。試験片はVノッチとして、板厚まま(約6mm)のサブサイズ試験片を用いて評価した。DBTTが50℃以下の物を合格とした。
【0057】
【表3】
【0058】
【表4】
【0059】
表3に示す結果から分かるように、本発明鋼は、焼入れ後の硬さが550Hv以上であり、Sn添加によって空気焼入れ後の塩水噴霧試験で錆びが発生しなかった。このことから分かるように、本発明鋼は実用環境において優れた耐食性を有する。これに対して、本実施形態の範囲を外れる比較鋼では、表4に示す結果から分かるように、耐食性、焼入れ硬度、焼入れ前の靭性が不十分であるか、若しくはその他の特性(原料コスト、熱間加工性)が劣るものであった。このように、比較鋼は製造性、品質、及び/またはコストの面で不合格のものであった。すなわち、NO.24〜27、32、34については、S値が低く、耐食性と焼入れ硬度が低かった。その上、No.24はSiが少なく脱酸不良のために研磨性が悪かった。NO.25はSiが多かったので残留フェライトを生じた。NO.26はMnが多かったので焼入れスケールが厚くなり、研磨性が不良であった。NO.27はCrが少なく耐食性が低かった。NO.34はAlが多かったので研磨性が劣った。また、NO.28はCrが多く、残留フェライトにより硬度が低かった。NO.29はNiが多く、熱延焼鈍後の硬度が92HRBと硬質であった。NO.30はCuが多く、熱延板端面に耳割れが発生した。NO.31はSnが多かったので、熱延焼鈍板の靭性が低下した。NO.35はNが少なかったので、耐食性が不良であった。NO.36はNが多かったので、ブローホール系欠陥が研磨表面に観察され、不良材と判断された。No.37はCの含有量が下限を下回り、焼き入れ硬度が低かった。No.38はCの含有量が上限を上回り、耐食性が低かった。No.39はS値が下限を下回り、耐食性が低かった。No.40は、鋼成分はNo.11と同じだが、油焼き入れした結果、焼き入れ硬さが低かった。
【0060】
また、本発明鋼においても、NO.17、19〜20は、Nb,Zr,Tiを添加することで、C,N,Sn,S値が同じ発明鋼NO.3と比較して、焼入れ硬度が少し高くなった。また、NO.18、20,21はBを添加することで熱間加工性が向上しており、1mm深さ以下の耳割れも認められなかった。
【産業上の利用可能性】
【0061】
本発明によれば、Moのような高価な元素を多量に用いることなく、高硬度でかつ耐食性の優れたマルテンサイト系ステンレス鋼を、安価にかつ生産性良く製造することが可能になる。したがって本発明は、洋食器ナイフやステンレス包丁、工具、二輪ディスクブレーキ用のステンレス鋼の製造コスト、品質を大幅に改善することに寄与する。
図1
図2