特許第6354268号(P6354268)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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特許6354268打抜き穴広げ性と低温靭性に優れた引張最大強度980MPa以上の高強度熱延鋼板及びその製造方法
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6354268
(24)【登録日】2018年6月22日
(45)【発行日】2018年7月11日
(54)【発明の名称】打抜き穴広げ性と低温靭性に優れた引張最大強度980MPa以上の高強度熱延鋼板及びその製造方法
(51)【国際特許分類】
   C22C 38/00 20060101AFI20180702BHJP
   C22C 38/14 20060101ALI20180702BHJP
   C22C 38/58 20060101ALI20180702BHJP
   C21D 9/46 20060101ALI20180702BHJP
【FI】
   C22C38/00 301W
   C22C38/00 301A
   C22C38/14
   C22C38/58
   C21D9/46 T
【請求項の数】5
【全頁数】22
(21)【出願番号】特願2014-76409(P2014-76409)
(22)【出願日】2014年4月2日
(65)【公開番号】特開2015-196891(P2015-196891A)
(43)【公開日】2015年11月9日
【審査請求日】2016年12月5日
(73)【特許権者】
【識別番号】000006655
【氏名又は名称】新日鐵住金株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100099759
【弁理士】
【氏名又は名称】青木 篤
(74)【代理人】
【識別番号】100077517
【弁理士】
【氏名又は名称】石田 敬
(74)【代理人】
【識別番号】100087413
【弁理士】
【氏名又は名称】古賀 哲次
(74)【代理人】
【識別番号】100113918
【弁理士】
【氏名又は名称】亀松 宏
(74)【代理人】
【識別番号】100187702
【弁理士】
【氏名又は名称】福地 律生
(74)【代理人】
【識別番号】100140121
【弁理士】
【氏名又は名称】中村 朝幸
(74)【代理人】
【識別番号】100111903
【弁理士】
【氏名又は名称】永坂 友康
(74)【代理人】
【識別番号】100172269
【弁理士】
【氏名又は名称】▲徳▼永 英男
(72)【発明者】
【氏名】神澤 佑樹
(72)【発明者】
【氏名】首藤 洋志
(72)【発明者】
【氏名】豊田 武
(72)【発明者】
【氏名】東 昌史
(72)【発明者】
【氏名】上西 朗弘
【審査官】 静野 朋季
(56)【参考文献】
【文献】 国際公開第2013/103125(WO,A1)
【文献】 国際公開第2013/065298(WO,A1)
【文献】 特開2005−248240(JP,A)
【文献】 米国特許第6364968(US,B1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C22C 38/00−38/60
C21D 9/46−9/48
C21D 8/02−8/04
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
化学組成が、質量%で、
C :0.01〜0.20%、
Si:2.50%以下(0は含まない)、
Mn:4.00%以下(0は含まない)、
P :0.10%以下(0は含まない)、
S :0.03%以下(0は含まない)、
Al:0.001〜2.00%、
N :0.01%以下(0は含まない)、
O :0.01%以下(0は含まない)、
Ti及びNbの1種又は2種:合計で0.01〜0.30%
を含み、残部鉄及び不可避的不純物からなり、
ミクロ組織が、焼戻しマルテンサイト及び下部ベイナイトの一方又は両方を体積分率で合計90%以上含有し、
前記焼戻しマルテンサイト及び下部ベイナイトの一方又は両方に、鉄系炭化物が1×106(個/mm2)以上存在し、
前記焼戻しマルテンサイト及び下部ベイナイトの一方又は両方の有効結晶粒径が10μm以下であり、
前記焼戻しマルテンサイト及び下部ベイナイトの一方又は両方の有効結晶粒のアスペクト比が2以下であり、
ビッカース硬度分布の標準偏差σが15以下である
ことを特徴とする打抜き穴広げ性と低温靭性に優れた引張最大強度980MPa以上の高強度熱延鋼板。
【請求項2】
前記化学組成が、更に、質量%で、
Cu:0.01〜2.00%、
Ni:0.01〜2.00%、
Mo:0.01〜1.00%、
V :0.01〜0.30%、
Cr:0.01〜2.00%
の1種又は2種以上を含む
ことを特徴とする請求項1に記載の打抜き穴広げ性と低温靭性に優れた引張最大強度980MPa以上の高強度熱延鋼板。
【請求項3】
前記化学組成が、更に、質量%で、
Mg:0.0005〜0.01%、
Ca:0.0005〜0.01%、
REM:0.0005〜0.10%
の1種又は2種以上を含む
ことを特徴とする請求項1又は2に記載の打抜き穴広げ性と低温靭性に優れた引張最大強度980MPa以上の高強度熱延鋼板。
【請求項4】
請求項1〜のいずれか1項に記載の打抜き穴広げ性と低温靭性に優れた引張最大強度980MPa以上の高強度熱延鋼板の製造方法であって、
(i)請求項1〜のいずれか1項に記載の化学組成の鋳造スラブを、直接又は一旦冷却した後、1200℃以上に加熱して熱間圧延に供し、1050〜1100℃で粗圧延を完了し、次いで、900℃以上で仕上げ圧延を完了して熱延鋼板とし、
(ii)上記熱延鋼板を、仕上げ圧延温度から300℃までを平均冷却速度50℃/秒以上で冷却し、300℃から室温までを平均冷却速度40℃/秒以下で冷却する
ことを特徴とする打抜き穴広げ性と低温靭性に優れた引張最大強度980MPa以上の高強度熱延鋼板の製造方法。
【請求項5】
前記冷却の後、亜鉛めっき処理を行うことを特徴とする請求項に記載の打抜き穴広げ性と低温靭性に優れた引張最大強度980MPa以上の高強度熱延鋼板の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、打抜き穴広げ性と低温靭性に優れた高強度熱延鋼板及びその製造方法に関するもので、特に、打抜き加工後の穴広げ成形性や伸びフランジ成形性に優れた鋼板とその製造方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
近年、自動車の燃費向上や炭酸ガスの排出量を抑えるために、車体の軽量化を狙いとし、足廻り部品に高強度熱延鋼板を適用することが進められている。また、搭乗者の安全性確保の観点からも、自動車車体には、軟鋼板の他に、引張最大強度980MPa以上の高強度鋼板が多く使用されるようになってきている。
【0003】
一般に、鋼板の高強度化に伴い、成形性(加工性)は劣化するが、自動車足廻り部品には、伸びフランジ成形や穴広げ成形が必要となるので、高強度と同時に、高い打抜き穴広げ性が要求される。如何に材料特性を劣化させずに高強度化を図るかが、高強度鋼板の開発において重要である。
【0004】
また、このような部材に用いる鋼板は、成形後、部品として自動車に取り付けた後に、衝突等による衝撃を受けても破壊し難い、特に、寒冷地での耐衝撃性確保のために、低温靭性をも向上させたいという要望もある。この低温靭性は、vTrs(シャルピー破面遷移温度)等で規定されるものである。
【0005】
このため、上記鋼材の耐衝撃性そのものを考慮することも必要とされている。加えて、高強度化は、鋼板の塑性変形をし難くするため、より破壊の懸念が高まることから、靭性は重要な特性として要望されている。
【0006】
高強度熱延鋼板の低温靭性の向上方法は、例えば、特許文献1と2に開示されている。アスペクト比を調整したマルテンサイト相を主相とする方法(例えば、特許文献1、参照)や、平均粒径を5〜10μmとしたポリゴナルフェライト中に炭化物を微細に析出させる方法(例えば、特許文献2、参照)により低温靭性が向上する。
【0007】
しかし、特許文献1においては、伸びフランジ性については何ら言及されておらず、バーリング加工を施す部材に適用した場合、成形不良が生じることが懸念される。特許文献2には、100%程度の高い穴広げ性とvTrsで−40℃程度の低温靭性を有する鋼板が開示されているが、引張強度が540〜780MPa程度であり、近年のさらなる高強度化の要求に応えるものではない。
【0008】
高強度鋼板の伸びフランジ性の向上法については、局部延性を改善する鋼板の金属組織制御法が開示されており、非特許文献1に、介在物制御、単一組織化、組織間の硬度差の低減が、曲げ性や伸びフランジ性に効果的であることが開示されている。
【0009】
また、熱間圧延の仕上げ温度、仕上げ圧延の圧下率及び温度範囲を制御し、オーステナイトの再結晶を促進し、圧延集合組織の発達を抑制し、結晶方位をランダム化することにより、強度、延性、伸びフランジ性を向上させる手法が非特許文献2に開示されている。
【0010】
また、特許文献3には、上記の金属組織制御法の利用が開示されている。特許文献3には、20nm以下の微細析出物の存在するフェライトとベイナイト及び/又はマルテンサイトの第二相からなる組織を有し、微細析出物の存在するフェライトの割合を40〜95%、その他の相の割合を5%以下とすることで、フェライトと第二相との硬度差をより小さくできるため、優れた伸びフランジ性が得られることが開示されている。
【0011】
非特許文献1及び2によれば、金属組織や圧延集合組織を均一化することにより、伸びフランジ性を向上させることができると考えられるが、非特許文献1及び2では、低温靭性と伸びフランジ性の両立について配慮されていない。
【0012】
特許文献3においては、低温靭性に関して記載されておらず、さらには、析出強化フェライトを用いているため、980MPa以上の高強度の確保が困難であることが課題として考えられる。
【0013】
伸びフランジ性と低温靭性の両立については、特許文献4に、硬さと粒径を制御したフェライト相中に、残留オーステナイトとベイナイトを適量分散させる技術が開示されている。しかし、組織が、軟質なフェライトを50%以上含有する組織であるので、上記技術は、近年のさらなる高強度化の要求に応えることは困難である。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0014】
【特許文献1】特開2011−52321号公報
【特許文献2】特開2011−17044号公報
【特許文献3】特開2004−339606号公報
【特許文献4】特開平07−252592号公報
【非特許文献】
【0015】
【非特許文献1】K.Sugimoto et al,「ISIJ International」(2000)Vol.40,p.920
【非特許文献2】岸田、「新日鉄技報」(1999)No.371,p.13
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0016】
本発明は、前述した従来技術の問題点に鑑み、980MPa以上の引張最大強度を有し、打抜き穴広げ性と低温靭性に優れる熱延鋼板と、該鋼板を安定して製造できる製造方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0017】
本発明者らは、上記目的を達成する手法について鋭意研究した。その結果、高強度熱延鋼板の化学組成及び製造条件を最適化し、鋼板組織を制御することで、980MPa以上の引張最大強度を有し、打抜き穴広げ性と低温靭性に優れる熱延鋼板を提供できることを見いだした。
【0018】
本発明は、上記知見に基づいてなされたもので、その要旨は以下の通りである。
【0019】
(1)化学組成が、質量%で、
C :0.01〜0.20%、
Si:2.50%以下(0は含まない)、
Mn:4.00%以下(0は含まない)、
P :0.10%以下(0は含まない)、
S :0.03%以下(0は含まない)、
Al:0.001〜2.00%、
N :0.01%以下(0は含まない)、
O :0.01%以下(0は含まない)、
Ti及びNbの1種又は2種:合計で0.01〜0.30%
を含み、残部鉄及び不可避的不純物からなり、
ミクロ組織が、焼戻しマルテンサイト及び下部ベイナイトの一方又は両方を体積分率で合計90%以上含有し、
前記焼戻しマルテンサイト及び下部ベイナイトの一方又は両方に、鉄系炭化物が1×106(個/mm2)以上存在し、
前記焼戻しマルテンサイト及び下部ベイナイトの一方又は両方の有効結晶粒径が10μm以下であり、
前記焼戻しマルテンサイト及び下部ベイナイトの一方又は両方の有効結晶粒のアスペクト比が2以下であり、
ビッカース硬度分布の標準偏差σが15以下である
ことを特徴とする打抜き穴広げ性と低温靭性に優れた引張最大強度980MPa以上の高強度熱延鋼板。
【0022】
)前記化学組成が、更に、質量%で、
Cu:0.01〜2.00%、
Ni:0.01〜2.00%、
Mo:0.01〜1.00%、
V :0.01〜0.30%、
Cr:0.01〜2.00%
の1種又は2種以上を含む
ことを特徴とする前記(1)に記載の打抜き穴広げ性と低温靭性に優れた引張最大強度980MPa以上の高強度熱延鋼板。
【0023】
)前記化学組成が、更に、質量%で、
Mg:0.0005〜0.01%、
Ca:0.0005〜0.01%、
REM:0.0005〜0.10%
の1種又は2種以上を含む
ことを特徴とする前記(1)又は)のいずれかに記載の打抜き穴広げ性と低温靭性に優れた引張最大強度980MPa以上の高強度熱延鋼板。
【0024】
)前記(1)〜()のいずれかに記載の打抜き穴広げ性と低温靭性に優れた引張最大強度980MPa以上の高強度鋼板の製造方法であって、
(i)前記(1)〜()のいずれかに記載の化学組成の鋳造スラブを、直接又は一旦冷却した後、1200℃以上に加熱して熱間圧延に供し、1050〜1100℃で粗圧延を完了し、900℃以上で仕上げ圧延を完了して熱延鋼板とし、
(ii)上記熱延鋼板を、仕上げ圧延温度から300℃までを平均冷却速度50℃/秒以上で冷却し、300℃から室温までを平均冷却速度40℃/秒以下で冷却する
ことを特徴とする打抜き穴広げ性と低温靭性に優れた引張最大強度980MPa以上の高強度熱延鋼板の製造方法。
【0025】
)前記冷却の後、亜鉛めっき処理を行うことを特徴とする前記()に記載の打抜き穴広げ性と低温靭性に優れた引張最大強度980MP以上の高強度熱延鋼板の製造方法。
【発明の効果】
【0026】
本発明によれば、980MPa以上の引張最大強度を有し、打抜き穴広げ性と低温靭性に優れる高強度熱延鋼板と、該鋼板を安定して製造できる製造方法を提供することができる。
【発明を実施するための形態】
【0027】
本発明の打抜き穴広げ性と低温靭性に優れた引張最大強度980MPa以上の高強度熱延鋼板(以下「本発明鋼板」ということがある。)は、
化学組成が、質量%で、
C :0.01〜0.20%、
Si:2.50%以下(0は含まない)、
Mn:4.00%以下(0は含まない)、
P :0.10%以下(0は含まない)、
S :0.03%以下(0は含まない)、
Al:0.001〜2.00%、
N :0.01%以下(0は含まない)、
O :0.01%以下(0は含まない)、
Ti及びNbの1種又は2種:合計で0.01〜0.30%
を含み、残部鉄及び不可避的不純物からなり、
ミクロ組織が、焼戻しマルテンサイト及び下部ベイナイトの一方又は両方を体積分率で合計90%以上含有し、
前記焼戻しマルテンサイト及び下部ベイナイトの一方又は両方に、鉄系炭化物が1×106(個/mm2)以上存在し、
前記焼戻しマルテンサイト及び下部ベイナイトの一方又は両方の有効結晶粒径が10μm以下であり、
前記焼戻しマルテンサイト及び下部ベイナイトの一方又は両方の有効結晶粒のアスペクト比が2以下であり、
ビッカース硬度分布の標準偏差σが15以下である
ことを特徴とする。
【0028】
また、本発明の打抜き穴広げ性と低温靭性に優れた引張最大強度980MPa以上の高強度熱延鋼板の製造方法(以下「本発明製造方法」ということがある。)は、
本発明鋼板の製造方法であって、
(i)本発明鋼板の化学組成の鋳造スラブを、直接又は一旦冷却した後、1200℃以上に加熱して熱間圧延に供し、1050〜1100℃で粗圧延を完了し、900℃以上で仕上げ圧延を完了して熱延鋼板とし、
(ii)上記熱延鋼板を、仕上げ圧延温度から300℃までを平均冷却速度50℃/秒以上で冷却し、300℃から室温までを平均冷却速度40℃/秒以下で冷却する
ことを特徴とする。
【0029】
以下、本発明鋼板及び本発明製造方法について説明する。
【0030】
本発明者らが鋭意検討を行った結果、熱延鋼板において、ミクロ組織を、焼戻しマルテンサイト及び下部ベイナイトの一方又は両方を体積分率で合計90%以上含有する組織とし、ビッカース硬度分布の標準偏差σを15以下にすると、980MPa以上の引張最大強度と、優れた打抜き穴広げ性と低温靭性を確保できることを見いだした。
【0031】
さらに、本発明者らは、(a)焼戻しマルテンサイト及び下部ベイナイトの一方又は両方に、鉄系炭化物が1×106(個/mm2)以上存在すれば、及び/又は、(b)焼戻しマルテンサイト又は下部ベイナイトの有効結晶粒径が10μm以下であれば、980MPa以上の引張最大強度と、より優れた打抜き穴広げ性と低温靭性を確保できることを見いだした。
【0032】
有効結晶粒径とは、方位差15°以上の粒界で囲まれる結晶領域であり、EBSDなどを用いて測定することが可能である。詳細は後述する。
【0033】
まず、本発明鋼板のミクロ組織について説明する。
【0034】
本発明鋼板において、主相は、焼戻しマルテンサイト及び下部ベイナイトの一方又は両方である。焼戻しマルテンサイト及び下部ベイナイトの一方又は両方を、体積分率で合計90%以上確保することで、980MPa以上の引張最大強度を達成できる。上記体積分率は、好ましくは95%以上である。
【0035】
本発明鋼板において、焼戻しマルテンサイトは、980MPa以上の引張最大強度と、優れた打抜き穴広げ性と低温靭性を確保するうえで、重要なミクロ組織である。
【0036】
焼戻しマルテンサイトは、ラス状の結晶粒の集合であり、内部に、長径5nm以上の鉄系炭化物を含む。その鉄系炭化物は、複数のバリアント、即ち、異なる方向に伸長した複数の鉄系炭化物群に属するものである。
【0037】
焼戻しマルテンサイトは、Ms点(マルテンサイト変態開始温度)以下での冷却速度を遅くするか、又は、マルテンサイトを100〜600℃で焼戻して、得ることができる。
【0038】
下部ベイナイトも、ラス状の結晶粒の集合であり、内部に、長径5nm以上の鉄系炭化物を含む。その鉄系炭化物は、単一のバリアント、即ち、同一方向に伸張した鉄系炭化物群に属するものである。なお、同一方向に伸長した鉄系炭化物群とは、伸長方向の差異が5°以内の鉄系炭化物群を意味している。
【0039】
炭化物の伸張方向を観察することで、焼戻しマルテンサイトと下部ベイナイトを容易に判別できる。焼戻しマルテンサイト及び下部ベイナイトの一方又は両方の体積分率が90%未満であると、980MPa以上の引張最大高強度を確保できないので、上記体積分率は90%以上とする。好ましくは95%以上である。
【0040】
体積分率が100%であっても、980MPa以上の引張最大高強度、及び、優れた打抜き穴広げ性と低温靭性を確保することができる。
【0041】
本発明鋼板のミクロ組織は、他の組織として、本発明鋼板の特性を阻害しない範囲で、フェライト、フレッシュマルテンサイト、上部ベイナイト、パーライト、残留オーステナイトの1種又は2種以上を、合計体積分率で10%以下含有してもよい。しかし、これらの他の組織の体積分率は少ないほど好ましいので、5%を上限とする。
【0042】
フェライトは、塊状の結晶粒組織で、内部に、ラス等の下部組織を含まない。フェライトは軟質な組織で強度の低下をもたらすので、980MPa以上の引張最大強度を確保するため、体積分率で10%以下に制限する。
【0043】
また、フェライトが存在すると、フェライトと焼戻しマルテンサイト又は下部ベイナイトとフェライトの界面に変形が集中して破壊の起点になり、低温靭性を阻害する。体積分率が10%を超えると低温靱性を阻害する程度が顕著になるので、フェライトの体積分率は10%以下に制限する。好ましくは5%以下である。
【0044】
フレッシュマルテンサイトは、炭化物を含まないマルテンサイトである。フレッシュマルテンサイトは、高強度であるが、低温靭性に劣るので、体積分率を10%以下に制限する。好ましくは5%以下である。
【0045】
上部ベイナイトは、ラス状の結晶粒の集合体であり、ラス間に炭化物を含むラスの集合体である。ラス間に含まれる炭化物は、破壊の起点となるので、低温靭性を阻害する。また、上部ベイナイトは、下部ベイナイトに比較し、高温で生成するので、低強度である。
【0046】
それ故、下部ベイナイトの過剰な生成は、980MPa以上の引張最大強度の確保を難しくする。上部ベイナイトの体積分率が10%を超えると、980MPa以上の引張最大強度の確保が困難になるので、体積分率は10%以下に制限する。好ましくは5%以下である。
【0047】
パーライトは、フェライトと同様に、強度低下や低温靭性の劣化をもたらすので、体積分率を10%以下に制限する。好ましくは5%以下である。
【0048】
残留オーステナイトは、プレス成型時の塑性変形、又は、衝突時の自動車部材の塑性変形で、フレッシュマルテンサイトに変態するので、フレッシュマルテンサイトと同様に、本発明鋼板の特性に悪影響を及ぼす。それ故、残留オーステナイトの体積分率を10%以下に制限する。好ましくは5%以下である。
【0049】
ミクロ組織を構成する、主相の焼戻しマルテンサイト及び下部ベイナイト、他のフェライト、フレッシュマルテンサイト、上部ベイナイト、パーライト、残留オーステナイト、及び、残部組織の同定、存在位置の確認、及び、面積分率(体積分率)の測定は、ナイタール試薬及び特開昭59−219473号公報に開示の試薬を用いて、鋼板圧延方向断面又は圧延方向直角方向断面を腐食し、該腐食断面を1000〜100000倍の走査型及び透過型電子顕微鏡で観察することで可能である。
【0050】
また、FESEM−EBSP法を用いる結晶方位解析や、マイクロビッカース硬度測定等による微小領域の硬度測定からも、組織の判別は可能である。
【0051】
例えば、上述したように、焼戻しマルテンサイト、上部ベイナイト、及び、下部ベイナイトは、炭化物の生成サイトや結晶方位(伸長方向)が異なるので、電界放射型走査型電子顕微鏡(FE−SEM:Field Emission Scanning Electron Microscope)を用いてラス状結晶粒内部の鉄系炭化物の伸長方向を観察して、容易に判別することができる。
【0052】
フェライト、パーライト、ベイナイト、焼戻しマルテンサイト、及び、フレッシュマルテンサイトの体積分率は、鋼板の圧延方向に平行な板厚断面を観察面として試料を採取し、観察面を研磨し、ナイタール試薬で腐食し、板厚の1/4を中心とする1/8〜3/8厚の範囲をFE−SEMで観察して面積分率を測定し、それをもって体積分率とする。面積率は、5000倍の倍率で、10視野測定し、その平均値を面積率とした。
【0053】
フレッシュマルテンサイト及び残留オーステナイトは、ナイタール試薬で充分に腐食されないので、FE−SEMによる観察において、フェライト、ベイニティックフェライト、ベイナイト、焼戻しマルテンサイトと明瞭に区別することができる。
【0054】
それ故、フレッシュマルテンサイトの面積分率(体積分率)は、FE−SEMで観察される、腐食されていない領域の面積分率と、X線で測定した残留オーステナイトの面積分率との差分として求めることができる。
【0055】
本発明鋼板においては、上記体積分率を持つミクロ組織のビッカース硬度分布の標準偏差σを、優れた打抜き穴広げ性を確保するため15以下とする。一般に、組織間の硬度の差が大きいと、硬度が低い部分に変形が集中して亀裂が発生し易くなるので、優れた穴広げ性を確保することができない。そこで、本発明鋼板では、熱間圧延後の冷却条件、特に、300℃から室温までの平均冷却速度を40℃/秒以下として、優れた打抜き穴広げ性を確保した。
【0056】
硬度分布の標準偏差σが小さいほど、打抜き穴広げ性は向上するので、好ましくは13以下、より好ましくは11以下とする。硬度分布は、JIS Z 2244ビッカース硬さ試験方法に準拠して測定した。測定は、圧延方向に対して平行な断面において、板厚×1mmの範囲で等間隔に300点以上行った。測定荷重は10gfとした。測定結果に基づいて標準偏差σを算出した。
【0057】
本発明鋼板においては、焼戻しマルテンサイト又は下部ベイナイト中に、鉄系炭化物が1×106(個/mm2)以上存在すると、母相の低温靭性が向上し、優れた強度と低温靭性のバランスを得ることができる。
【0058】
即ち、焼入れままのマルテンサイトは、強度は優れるが、靭性に乏しいので、靱性の向上を図る必要がある。そこで、焼戻しマルテンサイト中に鉄系炭化物を1×106(個/mm2)以上析出させて、主相の靭性を改善した。
【0059】
本発明者らが、低温靭性と鉄系炭化物の個数密度の関係を調査したところ、焼戻しマルテンサイトや下部ベイナイトにおいて、1×106(個/mm2)以上の鉄系炭化物が存在すれは、優れた低温靭性を確保できることが判明した。このことから、鉄系炭化物の個数は、1×106(個/mm2)以上とする。好ましくは5×106(個/mm2)以上、より好ましくは1×107(個/mm2)以上である。
【0060】
鉄系炭化物のサイズは、300nm以下と小さく、ほとんどが、焼戻しマルテンサイトや下部ベイナイトのラス内に析出していたので、鉄系炭化物は低温靭性を阻害しないと推定される。
【0061】
鉄系炭化物の個数密度の測定は、鋼板の圧延方向に平行な板厚断面を観察面として試料を採取し、観察面を研磨し、ナイタール試薬で腐食し、板厚の1/4を中心とする1/8〜3/8厚の範囲をFE−SEMで観察して行った。5000倍にて、10視野観察し、鉄系炭化物の個数密度を測定した。
【0062】
本発明鋼板においては、低温靭性のより向上を図るために、主相を焼戻しマルテンサイト又は下部ベイナイトとする他、有効結晶粒径を10μm以下とする。好ましくは8μm以下である。有効結晶粒径とは、結晶方位差15°以上の粒界に囲まれた結晶領域の大きさを意味し、焼戻しマルテンサイトや下部ベイナイトでは、ブロック粒径に相当する。
【0063】
次に、有効結晶粒径及び組織の同定手法について説明する。本発明鋼板では、有効結晶粒径、及び、フェライト、さらに、残留オーステナイトを、EBSP−OIMTM(Electron Back Scatter Diffraction Pattern-Orientation Image Microscopy)を用いて定義する。
【0064】
EBSP−OIMTM法は、走査型電子顕微鏡(SEM)内で高傾斜した試料に電子線を照射し、後方散乱で形成される菊池パターンを高感度カメラで撮影し、コンピュータ画像処理で、照射点の結晶方位を短待間で測定する装置及びソフトウエアで構成されている。
【0065】
EBSP法では、バルク試料表面の微細構造及び結晶方位を定量的に解析することができる。分析エリアは、SEMで観察できる領域で、SEMの分解能にもよるが、最小20nmの分解能で分析することができる。
【0066】
本発明鋼板においては、結晶粒の方位差を、一般的に結晶粒界として認識されている大角粒界の閾値である15°と定義してマッピングした画像より粒領域を可視化して有効結晶粒径を求めた。
【0067】
焼戻しマルテンサイト、及び、下部ベイナイトの有効結晶粒(15°以上の粒界に囲まれた粒領域)のアスペクト比は2以下が好ましい。
【0068】
特定方向に扁平した結晶粒は異方性が大きく、シャルピー試験の際、亀裂が粒界に沿って伝播するので、靭性が低下する場合が多い。そこで、有効結晶粒は、できるだけ等軸粒にする必要がある。本発明鋼板では、鋼板の圧延方向断面を観察し、圧延方向の長さ(L)と板厚方向の長さ(T)の比(=L/T)をアスペクト比として定義した。
【0069】
次に、本発明鋼板の化学組成の限定理由について説明する。なお、%は質量%である。
【0070】
C:0.01〜0.20%
Cは、母材の強度上昇や焼付け硬化性の向上に寄与する元素であるが、一方で、穴広げ時の割れの起点となるセメンタイト(Fe3C)等の鉄系炭化物を形成する元素でもある。Cが0.01%未満であると、低温変態生成相による強度向上効果が得られないので、0.01%以上とする。好ましくは0.04以上である。
【0071】
一方、0.20%を超えると、延性が低下するとともに、打抜き加工時の二次せん断面において割れの起点となるセメンタイト(Fe3C)等の鉄系炭化物の量が増加し、穴広げ性等の成形性が劣化するので、0.20%以下とする。好ましくは0.16%以下である。
【0072】
Si:2.50%以下(0は含まない)
Siは、母材の強度上昇に寄与する元素であり、溶鋼の脱酸材としても機能する元素である。添加効果を得るため、所要量を添加するが、2.50%を超えると、強度上昇効果が飽和するので、2.50%以下とする。下限は特に限定しないが、添加効果を得るには、0.001%以上の添加が必要である。
【0073】
また、0.10%以上の添加で、セメンタイト等の鉄系炭化物の析出を抑制し、強度向上と穴広げ性の向上に寄与する。1.20%を超えると、鉄系炭化物の析出抑制効果が飽和する。0.10〜1.20%が好ましい範囲である。
【0074】
Mn:4.00%以下(0は含まない)
Mnは、固溶強化に加え、焼入れ強化により強度の向上に寄与する元素である。しかし、4.00%を超えると、添加効果が飽和するので、4.00%以下とする。好ましくは3.00%以下である。下限は特に限定しないが、1.00%未満では、フェライト変態やベイナイト変態を抑制する効果が発現し難いので、1.00%以上が好ましい。より好ましくは1.40%以上である。
【0075】
P:0.10%以下(0は含まない)
Pは、不純物元素であり、粒界に偏析して低温靭性を阻害する元素である。少ないほど好ましいが、0.10%を超えると、低温靭性の他、加工性や溶接性を阻害するので、0.10%以下とする。特に、溶接性を考慮すると、0.03%以下が好ましい。下限は特に限定しないが、0.001%未満に低減すると、製造コストの上昇を招くので、実用鋼板上、0.001%が実質的な下限である。
【0076】
S:0.03%以下(0は含まない)
Sは、不純物元素であり、MnSなどの介在物を形成し、熱間圧延時の割れを引き起こすばかりでなく、穴広げ性を阻害する元素である。0.03%を超えると、MnSの悪影響が顕著となるので、0.03%以下とする。好ましくは0.02%以下である。ある程度の穴広げ性を確保とする場合は、0.01%以下が好ましい。より好ましくは0.005%以下である。
【0077】
Al:0.001〜2.00%
Alは、脱酸材として機能し、また、粗大なセメンタイトの形成を抑制し、低温靭性の向上に寄与する元素である。0.001%未満であると、添加効果が発現せず、また、0.001%未満に低減すると製造コストの上昇を招くので、0.001%以上とする。
【0078】
一方、2.00%を超えると、製造コストが上昇し、また、Al系粗大介在物が生成し、穴拡げ性の劣化や表面傷の原因になるので、2.00%以下とする。好ましくは1.50%以下である。
【0079】
N:0.01%以下
Nは、溶接時にブローホールを形成し、溶接部の継手強度を低下させる作用をなす元素である。0.01%を超えると、上記作用が顕著になるので、0.01%以下とする。下限は特に限定しないが、0.0005%未満に低減すると、製造コストの上昇を招くので、実用鋼板上、0.0005%が実質的な下限である。
【0080】
O:0.01%以下(0は含まない)
Oは,酸化物を形成し、熱延時のオーステナイト粒の粗粒化を抑制して、マルテンサイトの結晶粒の微細化に寄与する元素である。しかし、0.01%を超えると、結晶粒の微細化が進みすぎるとともに、酸化物が割れの起点となり、打抜き穴広げ性や、伸びが低下するので、0.01%以下とする。好ましくは0.006%以下である。下限は特に限定しないが、添加効果を安定的に得るため、0.001%以上添加する。好ましくは0.005%以上である。
【0081】
Ti及びNb1種又は2種:合計で0.01〜0.30%
Ti及びNbは、低温靭性の向上と980MPa以上の高強度化の両方に寄与する元素である。これらの炭窒化物を形成し、980MPa以上の高強度化に寄与するとともに、固溶Tiや固溶Nbが、熱間圧延時の粒成長を遅延させて、熱延鋼板の粒径を微細化し、低温靭性の向上に寄与する元素である。
【0082】
特に、Tiは、固溶Nによる粒成長の遅延に加え、TiNとして存在して、スラブ加熱時、結晶粒径を微細化して、低温靭性の向上に寄与する元素である。熱延鋼板の粒径を10μm以下とするために、Ti及びNbの1種又は2種を、合計で0.01%以上とする。好ましくは0.02%以上である。より好ましくは0.04%以上である。
【0083】
一方、Ti及びNbの1種又は2種の合計が0.30%を超えると、添加効果が飽和して経済性が低下するので、0.30%以下とする。好ましくは0.25%以下であり、より好ましくは0.20%以下である。
【0084】
本発明鋼板は、上記元素の他、本発明鋼板の特性を阻害しない範囲で、(1)Cu,Ni、Mo、V、Crの1種又は2種以上、及び/又は、(2)Mg、Ca、REMの1種又は2種以上、を含有してもよい。
【0085】
Cu:0.01〜2.00%
Ni:0.01〜2.00%
Mo:0.01〜1.00%
V :0.01〜0.30%
Cr:0.01〜2.00%
Cu、Ni、Mo、V、Crは、冷却時のフェライト変態を抑制し、ミクロ組織を焼戻しマルテンサイト又は下部ベイナイト組織とする作用をなすとともに、析出強化又は固溶強化で熱延鋼板の強度向上に寄与する元素である。Cu、Ni、Mo、V、Crのいずれもが0.01%未満であると、添加効果が十分に発現しないので、いずれの元素も0.01%以上とする。好ましくは、いずれの元素も0.04%以上である。
【0086】
一方、Cu、Ni、Crのいずれもが2.00%を超えると、添加効果が飽和して経済性が低下するので、いずれの元素も2.00%以下とする。好ましくは、いずれの元素も1.50%以下である。
【0087】
Moが1.00%を超えると、また、Vが0.30%を超えると、添加効果が飽和して経済性が低下するので、Moは1.00%以下とし、Vは0.30%以下とする。好ましくは、Moは0.60%以下、Vは0.10%以下である。
【0088】
Mg:0.0005〜0.01%
Ca:0.0005〜0.01%
REM:0.0005〜0.10%
Mg、Ca、及び、REM(希土類元素)は、破壊の起点となり、加工性を劣化させる原因となる非金属介在物の形態を制御し、加工性の向上に寄与する元素である。Mg、Ca、及び、REMが0.0005%未満では、添加効果が十分に発現しないので、いずれの元素も0.0005%以上とする。好ましくは、いずれの元素も0.0010%以上である。
【0089】
一方、Mgが0.01%を超え、Caが0.01%を超え、REMが0.10%を超えると、添加効果が飽和して経済性が低下するので、MgとCaは0.01%以下、REMは0.10%以下とする。好ましくは、MgとCaは0.006%以下、REMは0.06%以下である。
【0090】
本発明鋼板は、上記元素の他、本発明鋼板の特性を阻害しない範囲で、Zr、Sn、Co、Zn、及び、Wを、合計で1.0%以下含有してもよい。なお、Snは、熱間圧延時に疵を発生させる元素であるので、0.05%以下が好ましい。
【0091】
本発明鋼板は、耐食性の向上のため、鋼板表面に、溶融亜鉛系めっき層や、合金化亜鉛系めっき層を備えてもよい。めっき層は、純亜鉛めっき層に限らず、Si、Mg、Zn、Al、Fe、Mn、Ca、Zrなどを含有してもよい。これら元素の含有で、めっき層の耐食性がより向上する。めっき層は、本発明鋼板の特性を損なうものではない。
【0092】
また、本発明鋼板は、有機皮膜形成、フィルムラミネート、有機塩類/無機塩類処理、ノンクロ処理等による表面処理層を有していても、本発明鋼板の特性は損なわれない。
【0093】
次に、本発明製造方法(本発明鋼板の製造方法)について説明する。
【0094】
本発明鋼板において、引張最大強度980MPa以上と、優れた打抜き穴広げ性及び低温靭性を実現するためには、焼戻しマルテンサイト及び下部ベイナイトの一方又は両方の体積分率を合計で90%以上確保するとともに、ビッカース硬度分布の標準偏差σを15以下とする必要がある。
【0095】
さらに、本発明鋼板において、より優れた打抜き穴広げ性及び低温靭性を実現するためには、ビッカース硬度分布の標準偏差σを15以下とする他、焼戻しマルテンサイト及び下部ベイナイトの一方又は両方に存在する鉄系炭化物の個数を1×106(個/mm2)以上、及び/又は、焼戻しマルテンサイト及び下部ベイナイトの一方又は両方の有効結晶粒径を10μm以下とする必要がある。
【0096】
本発明鋼板において、引張最大強度980MPa以上と、優れた打抜き穴広げ性及び低温靭性を実現する本発明製造方法は、
(i)本発明鋼板の化学組成の鋳造スラブを、直接又は一旦冷却した後、1200℃以上に加熱して熱間圧延に供し、1050〜1100℃で粗圧延を完了し、900℃以上で仕上げ圧延を完了して熱延鋼板とし、
(ii)上記熱延鋼板を、仕上げ圧延温度から300℃までを平均冷却速度50℃/秒以上で冷却し、300℃から室温までを平均冷却速度40℃/秒以下で冷却する
ことを特徴とする。
【0097】
熱間圧延に先行する鋳造スラブの製造は、特定の製造方法に限定されない。高炉や電炉等による溶製に続き、各種の2次製錬を行い、化学組成を調整し、次いで、通常の連続鋳造や、インゴット法により鋳造すればよい。また、薄スラブ鋳造などの方法で鋳造してもよい。なお、鋳造スラブの原料としてスクラップを使用してもよいが、化学組成の調整が必要である。
【0098】
鋳造スラブを、直接又は一旦冷却した後、1200℃以上に加熱して熱間圧延に供する。1200℃以上の鋳造スラブは、室温まで冷却することなく、連続的に熱間圧延に供する。1200℃未満の鋳造スラブは、1200℃以上に加熱して熱間圧延に供する。
【0099】
本発明鋼板においては、固溶TiやNbを用いてオーステナイト粒の粗大化抑制を行うので、鋳造時に析出したNbCやTiCを再溶解させる必要がある。
【0100】
鋳造スラブの温度が1200℃未満であると、NbやTiの炭化物の溶解に長時間を要し、その後の結晶粒の細粒化と、これによる低温靭性の向上効果が得られないので、鋳造スラブの加熱温度は1200℃以上とする。鋳造スラブの加熱温度の上限は、特に定めないが、過度の高温は、経済上好ましくないので、1300℃未満が好ましい。
【0101】
熱間圧延における粗圧延は、1050〜1100℃で完了する。次の仕上げ圧延を900℃以上で完了する必要があるので、粗圧延を1050〜1100℃で完了する。
【0102】
熱間圧延における仕上げ圧延は、900℃以上で完了する。
【0103】
本発明鋼板は、オーステナイト粒径の細粒化のために、多量のTiやNbを含有している。それ故、仕上げ圧延の完了温度が900℃未満であると、オーステナイトが再結晶し難く、結晶粒が圧延方向に伸びて、靭性が低下し易く、また、未再結晶オーステナイトからマルテンサイト又はベイナイト変態が生じた圧延集合組織となり、打抜き穴広げ性が低下するので、仕上げ圧延温度は900℃以上とする。
【0104】
900℃以上で仕上げ圧延を完了した熱延鋼板を冷却する。冷却の際、仕上げ圧延温度から300℃までを平均冷却速度50℃/秒以上で冷却し、300℃から室温までを平均冷却速度40℃/秒以下で冷却する。この冷却で、引張最大強度980MP以上の高強度熱延鋼板に、優れた打抜き穴広げ性と低温靭性を付与することができる。
【0105】
仕上げ圧延温度から300℃までの平均冷却速度が50℃/秒未満であると、冷却途中にフェライトが生成し、主相の焼戻しマルテンサイト及び下部ベイナイトの一方又は両方の体積分率を合計で90%以上確保するのが難しいので、上記平均冷却速度は50℃/秒以上とする。なお、冷却過程でフェライトが生成しない場合は、途中の温度域で空冷してもよい。
【0106】
300℃から室温までの平均冷却速度が40℃/秒を超えると、ビッカース硬度分布の標準偏差σが15を超え、また、鉄系炭化物が1×106(個/mm2)以上存在する焼戻しマルテンサイト及び下部ベイナイトが得られず、優れた打抜き穴広げ性と低温靭性を得ることができないので、上記平均冷却速度は40℃/秒以下とする。好ましくは1℃/秒以下であり、より好ましくは0.01℃/秒以下である。
【0107】
40℃/秒以下の冷却速度は、ROT(Run out table)における冷却速度のみを意味するのではなく、等温保持や、巻取りも含む冷却速度である。
【0108】
上記温度域での冷却速度の制御は、鋼板組織中の鉄系炭化物の個数密度を制御することが目的であるので、一旦、マルテンサイト変態開始温度(Ms点)以下に冷却した後、温度を上げて再加熱しても、引張最大強度980MP以上の高強度熱延鋼板に、優れた打抜き穴広げ性と低温靭性を付与することができる。
【0109】
一般に、マルテンサイトを得るためには、フェライト変態を抑制する必要があり、50℃/秒以上の冷却速度が必要である。加えて、低温域では、熱伝達係数が比較的低くて冷え難い温度域(膜沸騰領域)から、熱伝達係数が大きく、冷え易い温度域(核沸騰温度域)に遷移するので、冷却停止温度を300℃以下とすると、冷却途中の温度が変動し易く、それに伴い材質も変動する。
【0110】
このことから、通常、冷却停止温度を300℃以上に、巻取り温度を室温以上に設定する場合が多い。それ故、300℃以下での冷却速度を制御することで、980MPa以上の引張最大強度、優れた打抜き穴広げ性と低温靭性を確保することができるとの知見が見いだされなかったと推定される。
【0111】
本発明鋼板に、製造後、炭化物の析出を目的に、オンライン又はオフラインで、100〜600℃の熱処理を施しても、本発明鋼板の特性は維持される。また、本発明鋼板に、鋼板形状の矯正や、可動転位の導入により延性の向上を図る目的で、全工程終了後、圧下率0.1〜2.0%のスキンパス圧延を施してもよい。
【0112】
また、本発明鋼板に、全工程終了後、鋼板表面に付着しているスケールを除去する目的で、酸洗を施してもよい。更に、酸洗後の本発明鋼板に、オンライン又はオフラインで、圧下率10%以下のスキンパス又は冷間圧延を施してもよい。
【0113】
本発明鋼板の引張最大強度980MPa以上は、熱間圧延の圧延方向に垂直な方向に切り出したJIS5号試験片を用いて、JIS Z 2241に準拠して行う引張試験による引張最大応力が、980MPa以上であることを意味する。
【0114】
本発明鋼板の優れた打抜き穴広げ性は、JIS Z 2256に準拠して行う穴広げ試験における穴広げ率(λ)が、50%以上であることを意味する。該穴広げ率(λ)は、好ましくは80%以上である。
【0115】
本発明鋼板の優れた低温靭性は、JIS Z 2242に準拠して行うシャルピー試験における破面遷移温度(vTrs)が−40℃以下であることを意味する。本発明鋼板は、主に自動車用途に用いられるので、3mm前後の板厚とする場合が多いので、試験片の作製に際しては、本発明鋼板の表面を研削し、2.5mmのサブサイズ試験片を作製した。
【実施例】
【0116】
次に、本発明の実施例について説明するが、実施例での条件は、本発明の実施可能性及び効果を確認するために採用した一条件例であり、本発明は、この一条件例に限定されるものではない。本発明は、本発明の要旨を逸脱せず、本発明の目的を達成する限りにおいて、種々の条件を採用し得るものである。
【0117】
(実施例)
表1に示すA〜Nの発明鋼及びa〜gの比較鋼の化学組成を有する鋳造スラブを、鋳造後、直接、又は、一旦室温まで冷却した後、表2及び表3(表2の続き)に示す温度(1050〜1270℃)に加熱し、1050〜1100℃で粗圧延を完了し、次いで、表2及び表3(表2の続き)に示す温度(820〜1010℃)で仕上げ圧延を完了して、板厚2.6〜3.4mmの熱延鋼板とした。
【0118】
上記熱延鋼板を、表2及び表3(表2の続き)に示す平均冷却速度で冷却し、表2及び表3(表2の続き)に示す温度で巻き取った。
【0119】
【表1】
【0120】
【表2】
【0121】
【表3】
【0122】
その後、巻き取った熱延鋼板を巻き戻して、酸洗を施し、0.5%のスキンパス圧延を施した後、熱延鋼板から、圧延方向に垂直な方向にJIS5号試験片を切り出し、JIS Z 2242に準拠して引張試験を実施した。
【0123】
硬さは、JIS Z 2244に準拠して、ビッカース硬さを測定して硬度分布を得た。測定は、圧延方向に対し平行な断面において、板厚×1mmの範囲で、等間隔に300点以上行った。測定荷重は10gfとした。ビッカース硬の楮分布から標準偏差σを算出した。
【0124】
穴広げ率λは、板幅に対する中心部と左右1/4位置から試験片を切り出し、JIS Z 2256に準拠して試験を行って求めた。
【0125】
シャルピー試験をJIS Z 2242に準拠して行い、破面遷移温度を測定した。熱延鋼板は、板厚が10mm未満であったので、熱延鋼板の表裏を研削し、2.5mmとした後、試験片を採取し、シャルピー試験を実施した。
【0126】
一部の熱延鋼板については、660〜720℃に加熱し、溶融亜鉛めっき処理又はめっき処理後に540〜580℃の合金化熱処理を施し、溶融亜鉛めっき鋼板(GI)、又は、合金化溶融亜鉛めっき鋼板(GA)とした後、材質試験を実施した。
【0127】
ミクロ組織については、各組織の体積分率、鉄系炭化物の個数密度、有効結晶粒径、及び、アスペクト比を測定した。
【0128】
表4及び表5(表4の続き)に、測定結果を示す。
【0129】
【表4】
【0130】
【表5】
【0131】
条件が本発明の範囲内にある発明鋼は、980MPa以上の引張最大強度、優れた打抜き穴広げ性、及び、低温靭性を有することが解る。
【0132】
一方、スラブ加熱温度が1200℃未満の鋼A−5、鋼C−5、鋼D−6、鋼E−4、鋼J−3、及び、鋼M−3は、鋳造時に析出したTiやNbの炭化物が溶解し難いため、熱延条件が本発明の範囲内あるとしても、組織の体積分率や、有効結晶粒径が、本発明の範囲外であり、強度や低温靭性に劣っている。
【0133】
鋼A−6、鋼C−6、鋼D−7、鋼E−5、及び、鋼J−4は、仕上げ圧延温度が低すぎて、未再結晶オーステナイト域での圧延となり、その圧延集合組織を引き継いだため、打抜き穴広げ性に劣り、また、圧延方向に延ばされた結晶粒となるため、アスペクト比が大きく、靭性に劣っている。
【0134】
鋼A−7、鋼C−7、鋼D−8、鋼E−6、及び、鋼M−4は、仕上げ圧延温度から300℃までの冷却速度が50℃/秒未満であり、冷却中に多量のフェライトが生成してしまい、強度の確保が難しいとともに、フェライトとマルテンサイト界面が破壊の起点になるため、低温靭性に劣っている。
【0135】
鋼A−8、鋼C−8、鋼D−9、鋼E−7、鋼J−5、及び、鋼M−5は、300℃から室温までの冷却速度が40℃/秒を超え、炭化物の析出量が不十分となり、低温靭性に劣っている。
【0136】
鋼A−9、鋼A−10、鋼C−9、鋼C−10、鋼D−10、鋼D−11、鋼E−8、鋼E−9、鋼J−6、鋼J−7、鋼M−6、及び、鋼M−7に示すように、合金化溶融亜鉛めっき処理、又は、合金化溶融亜鉛めっき処理を施しても、本発明鋼板の特性が維持されている。
【0137】
一方、化学組成が本発明の範囲を満たさない鋼a〜gにおいては、980MPa以上の引張最大強度、優れた打抜き穴広げ性、及び、低温靭性を備えていない。
【産業上の利用可能性】
【0138】
前述したように、本発明によれば、980MPa以上の引張最大強度を有し、打抜き穴広げ性と低温靭性に優れる高強度熱延鋼板と、該鋼板を安定して製造できる製造方法を提供することができる。そして、本発明の高強度熱延鋼板は、加工が容易で、かつ、極寒冷地での使用に耐え得るので、本発明は、産業上の利用可能性が極めて高いものである。