【文献】
長田和実、和泉博之,嗅覚訓練マウスを用いた嗅覚抑制作用の確認,日本味と匂学会誌,2011年12月,Vol.18 No.3,p.505−508,ISSN1340−4806
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
【背景技術】
【0002】
排水口や生ごみなどの廃棄物から発生する揮発性硫黄化合物は、低濃度でも人々に不快感を与える悪臭成分である。これらの揮発性硫黄化合物は、汚水や廃棄物などに含まれるシステインやメチオニンといった含硫黄アミノ酸もしくはそれらを含むタンパク質が、細菌がもつメチオニンリアーゼやシステインリアーゼなどの代謝酵素の作用で分解を受けることにより発生する。例えば、不快臭の原因となる揮発性硫黄化合物のうち、メチルメルカプタンは、メチオニンからメチオニンリアーゼの作用によって生成され、硫化水素は、システインからシステインリアーゼの作用によって生成される。さらにメチルメルカプタンや硫化水素からは、ジメチルジスルフィド、ジメチルトリスルフィドなどのポリスルフィド化合物が酵素的あるいは酸化的に生成され、これらも悪臭の原因となる。
【0003】
特許文献1には、排水口等の洗浄、殺菌、防汚、消臭用の組成物に、消臭剤又は芳香剤として香料成分を添加することが開示されている。特許文献2には、特定の香料成分により、メチオニンからメチルメルカプタンを生成する酵素、又はシステインから硫化水素を生成する酵素の作用を阻害し、廃棄物や排水口等から発生する揮発性硫黄化合物による悪臭を抑制することが開示されている。
【0004】
特許文献3には、有機スルフィドの酸化物(DMSOなど)の臭気を防止するため、有機スルフィドの酸化物に、モノエステル、ジエステル、及び/又はトリエステル、アルコール、アルデヒド、ケトンならびにテルペンから選択される少なくとも1つの化合物を含む臭気遮蔽剤を添加することが記載されている。
【0005】
ヒト等の哺乳動物においては、匂いは、鼻腔上部の嗅上皮に存在する嗅神経細胞上の嗅覚受容体に匂い分子が結合し、それに対する受容体の応答が中枢神経系へと伝達されることにより認識されている。ヒトの場合、嗅覚受容体は約400個存在することが報告されており、これらをコードする遺伝子はヒトの全遺伝子の約2%にあたる。一般的に、嗅覚受容体と匂い分子は複数対複数の組み合わせで対応付けられている。すなわち、個々の嗅覚受容体は構造の類似した複数の匂い分子を異なる親和性で受容し、一方で、個々の匂い分子は複数の嗅覚受容体によって受容される。さらに、ある嗅覚受容体を活性化する匂い分子が、別の嗅覚受容体の活性化を阻害するアンタゴニストとして働くことも報告されている。これら複数の嗅覚受容体の応答の組み合わせが、個々の匂いの認識をもたらしている。
【0006】
したがって、同じ匂い分子が存在する場合でも、同時に他の匂い分子が存在すると、当該他の匂い分子によって受容体応答が阻害され、最終的に認識される匂いが全く異なることがある。このような仕組みを嗅覚受容体のアンタゴニズムと呼ぶ。この受容体アンタゴニズムによる匂いの抑制は、香水や芳香剤等の別の匂いを付加することによる消臭と異なり、特定の悪臭の認識を特異的に失くしてしまうことができ、また芳香剤の匂いによる不快感が生じることもないという利点を有している。
【0007】
嗅覚受容体アンタゴニズムの考え方に基づき、嗅覚受容体の活性を指標として悪臭抑制物質を同定する方法がこれまでにいくつか開示されている。例えば、特許文献4〜5には、ヘキサン酸やスカトール等の悪臭を抑制する物質を、それらの悪臭物質に特異的に応答する嗅覚受容体の活性を指標として探索することが開示されている。特許文献6には、特定のカルボン酸に応答する嗅覚受容体の活性を指標として、汗臭を抑制する物質を探索することが開示されている。特許文献7には、イソ吉草酸やその等価体の存在下で嗅覚受容体をコードするポリペプチドの活性を測定することで、当該ポリペプチドの機能を調節する薬剤を同定する方法が開示されている。特許文献8には、嗅覚受容体をコードするポリペプチドに特異的に結合する化合物を同定することにより、嗅覚の感覚に関連する化合物について化学物質のライブラリーをスクリーニングする方法が開示されている。
【0008】
しかしながら、嗅覚受容体アンタゴニズムに基づいて、上記廃棄物や排水口等から発生する揮発性硫黄化合物の悪臭を抑える技術については、これまで報告がない。
【発明を実施するための形態】
【0015】
本明細書において、「嗅覚受容体アンタゴニズムによる臭いの抑制」とは、目的の臭い分子と他の分子をともに適用することにより、当該他の分子によって目的の臭い分子に対する受容体応答を阻害し、結果的に個体に認識される臭いを抑制する手段である。嗅覚受容体アンタゴニズムによる臭いの抑制は、同様に他の分子を用いる手段であっても、芳香剤による消臭のように、目的の臭いを香料の香気によって隠蔽する手段とは区別される。嗅覚受容体アンタゴニズムによる臭いの抑制の一例は、アンタゴニスト(拮抗剤)等の嗅覚受容体の応答を阻害する物質を使用するケースである。特定の臭いをもたらす臭い分子の受容体にその応答を阻害する物質を適用すれば、当該受容体の当該臭い分子に対する応答が抑制されるため、最終的に個体に知覚される臭いを抑制することができる。
【0016】
本明細書において、「嗅覚受容体ポリペプチド」とは、嗅覚受容体又はそれと同等の機能を有するポリペプチドをいい、嗅覚受容体と同等の機能を有するポリペプチドとは、嗅覚受容体と同様に、細胞膜上に発現することができ、匂い分子の結合によって活性化し、かつ活性化されると、細胞内のGαsと共役してアデニル酸シクラーゼを活性化することで細胞内cAMP量を増加させる機能を有するポリペプチドをいう(Nat.Neurosci.,2004,5:263−278)。
【0017】
本明細書において、ヌクレオチド配列及びアミノ酸配列の同一性は、リップマン−パーソン法(Lipman−Pearson法;Science,1985,227:1435−41)によって計算される。具体的には、遺伝情報処理ソフトウェアGenetyx−Win(Ver.5.1.1;ソフトウェア開発)のホモロジー解析(Search homology)プログラムを用いて、Unit size to compare(ktup)を2として解析を行うことにより算出される。
【0018】
本明細書において、ヌクレオチド配列及びアミノ酸配列に関する「少なくとも80%の同一性」とは、80%以上、好ましくは85%以上、より好ましくは90%以上、さらに好ましくは95%以上、さらにより好ましくは98%以上、なお好ましくは99%以上の同一性をいう。
【0019】
本発明によってその臭いが抑制される対象となる「ポリスルフィド化合物」は、下記式(I)で表される化合物である。以下の本明細書において、当該対象の「ポリスルフィド化合物」を“式(I)のポリスルフィド化合物”、又は単に“式(I)化合物”と称することがある。
R
1−[S]
n−R
2 (I)
【0020】
上記式(I)中、R
1とR
2は、同一又は異なって、炭素数1〜6の直鎖又は分枝鎖のアルキル又はアルケニル基を示す。該炭素数1〜6の直鎖又は分枝鎖のアルキル基の例としては、メチル、エチル、プロピル、イソプロピル、ブチル、イソブチル、sec-ブチル、tert-ブチル、ペンチル、イソペンチル、tert-ペンチル、及びヘキシルが挙げられる。該炭素数1〜6の直鎖又は分枝鎖のアルケニル基の例としては、ビニル、プロペニル、アリル、ブテニル、及びメチルブテニルが挙げられる。好ましくは、該R
1とR
2は、同一又は異なって、炭素数1〜4の直鎖又は分枝鎖のアルキル又はアルケニル基を示し、該炭素数1〜4の直鎖又は分枝鎖のアルキル又はアルケニル基の例としては、メチル、エチル、プロピル、イソプロピル、ブチル、イソブチル、sec-ブチル、tert-ブチル、ビニル、プロペニル、アリル、及びブテニルが挙げられる。より好ましくは、該R
1とR
2は、同一又は異なって、メチル、エチル、プロピル又はイソプロピルであり、なお好ましくは、R
1とR
2はメチルである。
【0021】
上記式(I)中、nは、2〜5の整数を示し、好ましくは2又は3を示す。
【0022】
好ましくは、式(I)のポリスルフィド化合物は、式(I)で表される構造を有する揮発性物質である。より好ましい式(I)のポリスルフィド化合物の例としては、ジメチルジスルフィド(DMDS)、ジメチルトリスルフィド(DMTS)などを挙げることができる。
【0023】
本発明により抑制される「ポリスルフィド化合物の臭い」とは、上述した式(I)のポリスルフィド化合物により生じる臭いであり、好ましくは、DMDS又はDMTSにより生じる臭いである。代表的には、本発明により抑制される「ポリスルフィド化合物の臭い」とは、腐敗した生ごみ、汚水、又は排水口から発せられる悪臭であり得る。
【0024】
後述の実施例に示されるとおり、式(I)のポリスルフィド化合物は、嗅覚受容体の中で主にOR4S2(GI:116517324:配列番号1)によって認識されていることが明らかにされた。したがって、嗅覚受容体OR4S2の応答を抑制する物質は、嗅覚受容体アンタゴニズムに基づいて、式(I)のポリスルフィド化合物の臭いを選択的に抑制することができると考えられた。本発明者らは、この考えに基づいて、式(I)化合物に対するOR4S2の応答を抑制するアンタゴニスト物質を探索した。その結果、探索された物質が、実際に式(I)のポリスルフィド化合物の臭いを抑制する作用を有し、該式(I)のポリスルフィド化合物の臭いの抑制のために使用できることが見出された。
【0025】
したがって、嗅覚受容体OR4S2の応答を抑制するOR4S2アンタゴニスト(拮抗剤)を、式(I)のポリスルフィド化合物の臭いの抑制のために使用することができる。OR4Sアンタゴニストは、嗅覚受容体アンタゴニズムにより式(I)のポリスルフィド化合物に対するOR4S2の応答を抑制することで、個体の該式(I)化合物による臭いの認識に変化を生じさせ、結果として、該式(I)化合物の臭いを抑制することができる。
【0026】
OR4S2アンタゴニストの例としては、下記表A記載の化合物が挙げられる。
【0027】
[表A]
2−メチルブタン酸ブチル(2-Methyl butyl n-butyrate、又はButyl 2-methylbutanoate)
α−テルピネン(alpha-Terpinene、又はp-Mentha-1,3-diene)
ジペンテン(Dipentene)
cis−4−ヘプテナール(Cis-4-Heptenal、又は(Z)-Hept-4-enal)
1,4−シネオール(1,4-Cineole)
トリメチルヘキシルアルデヒド(Trimethylhexyl aldehyde、又は3,5,5-Trimethylhexanal)
(+)−リモネンオキシド((+)-Limonene oxide)
【0028】
より詳細には、上記表A記載の化合物は、OR4S2又はそれと同等な機能を有する嗅覚受容体ポリペプチドに対するアンタゴニストである。本明細書において「OR4S2と同等な機能を有する嗅覚受容体ポリペプチド」とは、配列番号1で示されるアミノ酸配列と少なくとも80%の同一性を有するアミノ酸配列からなり、かつ式(I)のポリスルフィド化合物、好ましくはDMDS及びDMTSに対する応答性を有する嗅覚受容体ポリペプチドをいう。
【0029】
表A記載の化合物は、これまで香料素材として知られていたが、OR4S2アンタゴニストとしての機能や、式(I)化合物の臭いを選択的に抑制する機能を有することは知られていなかった。
【0030】
表A記載の化合物は、いずれも市販のものを購入することができる。例えば、シグマアルドリッチ社、東京化成工業社などから入手することが可能である。
【0031】
一実施形態において、本発明は、OR4S2アンタゴニストを有効成分とする、式(I)のポリスルフィド化合物の臭いの抑制剤を提供する。言い換えれば、本発明のポリスルフィド化合物の臭いの抑制剤は、OR4S2のアンタゴニストとして働くことができる物質である。
【0032】
一実施形態において、OR4S2アンタゴニストは、式(I)のポリスルフィド化合物の臭いの抑制のための有効成分として、該式(I)化合物の臭いの抑制が所望されるあらゆる物質に対して適用され得るか、又は該式(I)化合物の臭いの抑制が所望されるあらゆる環境下において使用され得る。
【0033】
一実施形態において、OR4S2アンタゴニストは、式(I)のポリスルフィド化合物の臭いの抑制のための有効成分として、該式(I)化合物を含有するか又は含有する可能性のある物質に添加され得る。
【0034】
別の一実施形態において、OR4S2アンタゴニストは、式(I)のポリスルフィド化合物の臭いの抑制剤の製造のために使用され得る。一実施形態において、該式(I)化合物の臭いの抑制剤は組成物であり、該OR4S2アンタゴニストは、該組成物に、該式(I)化合物の臭いを抑制するための有効成分として含有される。あるいは、該式(I)化合物の臭いの抑制剤は、該OR4S2アンタゴニストから本質的に構成されていてもよい。
【0035】
好ましい実施形態において、本発明で使用されるOR4S2アンタゴニストは、表A記載の化合物からなる群より選択される少なくとも1種である。例えば、本発明で使用されるOR4S2アンタゴニストは、表A記載の化合物のいずれか単独もしくはいずれか2つ以上の組み合わせである。
【0036】
本発明により提供される式(I)のポリスルフィド化合物の臭いの抑制剤は、上記OR4S2アンタゴニストとともに、さらに他の消臭成分、防臭成分又は芳香成分、あるいは消臭剤又は防臭剤に一般的に添加される任意の成分を、その目的に応じて適宜含有していてもよい。このような他の成分としては、例えば、特許文献1に記載の排水口等の洗浄、殺菌、防汚、消臭用の組成物に含有され得る香料成分や、特許文献2に記載の廃棄物用又は排水口用の悪臭発生抑制剤に含まれ得る香料などが挙げられるが、これらに限定されない。
【0037】
さらなる実施形態において、本発明は、式(I)のポリスルフィド化合物と、OR4S2アンタゴニストとを共存させる工程を含む、式(I)のポリスルフィド化合物の臭いの抑制方法を提供する。
【0038】
一実施形態において、上記本発明の方法における上記共存させる工程は、式(I)のポリスルフィド化合物の存在下で、該式(I)化合物の臭いの抑制を必要とする個体、好ましくは嗅覚受容体アンタゴニズムによる式(I)化合物の臭いの抑制を必要とする個体に、上記OR4S2アンタゴニストを適用することを含む。適用された該アンタゴニストは、該個体のOR4S2に作用し、該式(I)化合物に対する該OR4S2の応答を抑制する。結果、嗅覚受容体アンタゴニズムによって、該式(I)の化合物の臭いが抑制される。
【0039】
別の実施形態において、上記本発明の方法における上記共存させる工程は、式(I)のポリスルフィド化合物の臭いの抑制を必要とする個体、好ましくは嗅覚受容体アンタゴニズムによる式(I)化合物の臭いの抑制を必要とする個体に対し、上記OR4S2アンタゴニストを適用することと、該OR4S2アンタゴニストを適用した個体を該式(I)化合物に曝すこととを含む。予め適用された該アンタゴニストは、該個体のOR4S2に作用し、後から曝露される該式(I)化合物に対する該OR4S2の応答を抑制する。結果、嗅覚受容体アンタゴニズムによって、該式(I)化合物の臭いが抑制される。
【0040】
上記本発明の方法のより詳細な一実施形態においては、上記OR4S2アンタゴニストは、式(I)のポリスルフィド化合物の臭いの抑制を必要とする個体に携行される。これによって、該個体に該OR4S2アンタゴニストが適用される。該OR4S2アンタゴニストが適用された個体が該式(I)化合物に曝されても、OR4S2は該ポリスルフィド化合物に対して低い応答を示し、結果として該式(I)化合物の臭いは抑制される。
【0041】
別の詳細な一実施形態においては、上記OR4S2アンタゴニストは、式(I)のポリスルフィド化合物が存在しているか又はその可能性のある環境に配置される。これによって、当該環境にいる式(I)のポリスルフィド化合物の臭いの抑制を必要とする個体に、該OR4S2アンタゴニストが適用される。該OR4S2アンタゴニストが適用された個体が該式(I)化合物に曝されても、OR4S2は該ポリスルフィド化合物に対して低い応答を示し、結果として該式(I)化合物の臭いは抑制される。
【0042】
また別の詳細な一実施形態においては、上記OR4S2アンタゴニストは、式(I)のポリスルフィド化合物を含有するか又は含有する可能性のある物質に添加される。好ましくは、式(I)のポリスルフィド化合物を含有するか又は含有する可能性のある物質と、該OR4S2アンタゴニストとの組成物が調製され、該組成物が該式(I)化合物の臭いの抑制を必要とする個体に適用される。該組成物が該式(I)化合物の臭いを発した場合でも、該OR4S2アンタゴニストがOR4S2の応答を抑制するため、結果として該式(I)化合物の臭いは抑制される。
【0043】
好ましい実施形態において、上記本発明の方法に適用されるOR4S2アンタゴニストは、表A記載の化合物からなる群より選択される少なくとも1種である。別の好ましい実施形態においては、上述した、表A記載の化合物からなる群より選択される少なくとも1種を有効成分として含有する組成物が、該OR4S2アンタゴニストとして適用される。
【0044】
上記本発明の方法において、上記個体(subject)は哺乳動物であれば特に限定されないが、好ましくはヒトである。本発明の方法における、式(I)のポリスルフィド化合物の臭いの抑制を必要とする個体のより詳細な例としては、家庭や職場において生ごみを扱う人、ごみの清掃や収集作業に従事する人、排水管や汚水処理施設の点検、清掃又は工事に従事する人、などが挙げられる。
【0045】
本発明の例示的実施形態として、さらに以下の物質、製造方法、用途あるいは方法を本明細書に開示する。但し、本発明はこれらの実施形態に限定されない。
【0046】
〔1〕嗅覚受容体OR4S2アンタゴニストを有効成分とする、ポリスルフィド化合物の臭いの抑制剤。
【0047】
〔2〕ポリスルフィド化合物の臭いの抑制のための、嗅覚受容体OR4S2アンタゴニストの使用。
【0048】
〔3〕ポリスルフィド化合物の臭いの抑制剤の製造のための、嗅覚受容体OR4S2アンタゴニストの使用。
【0049】
〔4〕ポリスルフィド化合物の臭いの抑制を必要とする個体に、嗅覚受容体OR4S2アンタゴニストを適用することを含む、ポリスルフィド化合物の臭いの抑制方法。
【0050】
〔5〕上記〔1〕〜〔4〕のいずれか1項において、好ましくは、上記ポリスルフィド化合物は、下記式(I):
R
1−[S]
n−R
2 (I)
(式中、R
2とR
2は、同一又は異なって、炭素数1〜6の直鎖又は分枝鎖のアルキル又はアルケニル基を示し、nは2〜5の整数を示す)
で表される化合物である。
【0051】
〔6〕上記〔5〕において、上記R
1とR
2は、
好ましくは、同一又は異なって、炭素数1〜4の直鎖又は分枝鎖のアルキル又はアルケニル基を示し、
より好ましくは、同一又は異なって、メチル、エチル、プロピル又はイソプロピルを示し、
さらに好ましくは、R
1とR
2はメチルを示す。
【0052】
〔7〕上記〔5〕又は〔6〕において、上記nは、好ましくは2又は3を示す。
【0053】
〔8〕上記〔1〕〜〔7〕のいずれか1項において、好ましくは、上記ポリスルフィド化合物は、ジメチルジスルフィド又はジメチルトリスルフィドである。
【0054】
〔9〕上記〔1〕〜〔8〕のいずれか1項において、好ましくは、上記ポリスルフィド化合物の臭いは、腐敗した生ごみ、汚水、又は排水口から発せられる悪臭である。
【0055】
〔10〕上記〔1〕〜〔9〕のいずれか1項において、好ましくは、上記OR4S2アンタゴニストは、2−メチルブタン酸ブチル、α−テルピネン、ジペンテン、cis−4−ヘプテナール、1,4−シネオール、トリメチルヘキシルアルデヒド及び(+)−リモネンオキシドからなる群より選択される少なくとも1種である。
【0056】
〔11〕2−メチルブタン酸ブチル、α−テルピネン、ジペンテン、cis−4−ヘプテナール、1,4−シネオール、トリメチルヘキシルアルデヒド及び(+)−リモネンオキシドからなる群より選択される少なくとも1種を有効成分とする、OR4S2又はそれと同等な機能を有する嗅覚受容体ポリペプチドに対する拮抗剤。
【0057】
〔12〕OR4S2又はそれと同等な機能を有する嗅覚受容体ポリペプチドに対するアンタゴニストとしての、2−メチルブタン酸ブチル、α−テルピネン、ジペンテン、cis−4−ヘプテナール、1,4−シネオール、トリメチルヘキシルアルデヒド及び(+)−リモネンオキシドからなる群より選択される少なくとも1種の使用。
【0058】
〔13〕上記〔11〕又は〔12〕において、
好ましくは、OR4S2が、配列番号1で示されるアミノ酸配列からなる嗅覚受容体ポリペプチドであり、かつ
好ましくは、OR4S2と同等な機能を有する嗅覚受容体ポリペプチドが、配列番号1で示されるアミノ酸配列と少なくとも80%の同一性を有するアミノ酸配列からなり、かつ下記式(I)で表されるポリスルフィド化合物に対する応答性を有する嗅覚受容体ポリペプチドである、
R
1−[S]
n−R
2 (I)
(式中、R
2とR
2は、同一又は異なって、炭素数1〜6の直鎖又は分枝鎖のアルキル又はアルケニル基を示し、nは2〜5の整数を示す)。
【0059】
〔14〕上記〔13〕において、上記R
1とR
2は、
好ましくは、同一又は異なって、炭素数1〜4の直鎖又は分枝鎖のアルキル又はアルケニル基を示し、
より好ましくは、同一又は異なって、メチル、エチル、プロピル又はイソプロピルを示し、
さらに好ましくは、R
1とR
2はメチルを示す。
【0060】
〔15〕上記〔13〕又は〔14〕において、上記nは、好ましくは2又は3を示す。
【0061】
〔16〕上記〔13〕〜〔15〕のいずれか1項において、好ましくは、上記ポリスルフィド化合物は、ジメチルジスルフィド又はジメチルトリスルフィドである。
【実施例】
【0062】
以下、実施例を示し、本発明をより具体的に説明する。
【0063】
本実施例で用いた臭い化合物及び試験物質を下記表1に示す。
【0064】
【表1】
【0065】
実施例1 ポリスルフィド化合物に応答する嗅覚受容体の同定
(1)ヒト嗅覚受容体遺伝子のクローニング
ヒト嗅覚受容体はGenBankに登録されている配列情報を基に、human genomic DNA female(G1521:Promega)を鋳型としたPCR法によりクローニングした。PCR法により増幅した各遺伝子をpENTRベクター(Invitrogen)にマニュアルに従って組み込み、pENTRベクター上に存在するNotI、AscIサイトを利用して、pME18Sベクター上のFlag−Rhoタグ配列の下流に作製したNotI、AscIサイトへと組換えた。
【0066】
(2)pME18S−ヒトRTP1Sベクターの作製
嗅覚受容体ポリペプチドの細胞膜発現を促進するタンパク質receptor−transporting protein(RTP)を発現するベクターを調製した。具体的には、ヒトRTP1S(GI:50234917)をコードする遺伝子を、pME18SベクターのEcoRI、XhoIサイトへ組み込んだ。
【0067】
(3)嗅覚受容体発現細胞の作製
ヒト嗅覚受容体のいずれか1種を発現させたHEK293細胞を作製した。表2に示す組成の反応液を調製しクリーンベンチ内で15分静置した後、96ウェルプレート(BD)の各ウェルに添加した。次いで、HEK293細胞(3×10
5細胞/cm
2)を90μLずつ各ウェルに播種し、37℃、5%CO
2を保持したインキュベータ内で24時間培養した。対照として用いるために、嗅覚受容体を発現させない条件の細胞(Mock)も用意し、同様に実験に用いた。
【0068】
【表2】
【0069】
(4)ルシフェラーゼアッセイ
HEK293細胞に発現させた嗅覚受容体は、細胞内在性のGαsと共役しアデニル酸シクラーゼを活性化することで、細胞内cAMP量を増加させる。本研究での匂い応答測定には、細胞内cAMP量の増加をホタルルシフェラーゼ遺伝子(fluc2P−CRE−hygro)由来の発光値としてモニターするルシフェラーゼレポータージーンアッセイを用いた。また、CMVプロモータ下流にウミシイタケルシフェラーゼ遺伝子を融合させたもの(hRluc−CMV)を同時に遺伝子導入し、遺伝子導入効率や細胞数の誤差を補正する内部標準として用いた。
【0070】
上記(3)で作製した培養物から、培地を取り除き、DMEM(Nacalai)で調製したポリスルフィド化合物を含む溶液を75μL添加した。ポリスルフィド化合物は、ジメチルジスルフィド(DMDS)又はジメチルトリスルフィド(DMTS)100μMとした。細胞をCO
2インキュベータ内で3時間培養し、ルシフェラーゼ遺伝子を細胞内で十分に発現させた。ルシフェラーゼの活性測定には、Dual−Glo
TMluciferase assay system(Promega)を用い、製品の操作マニュアルに従って測定を行った。各種刺激条件について、ホタルルシフェラーゼ由来の発光値をウミシイタケルシフェラーゼ由来の発光値で除した値fLuc/hRlucを算出した。ポリスルフィド化合物刺激により誘導されたホタルルシフェラーゼ由来のfLuc/hRlucを、ポリスルフィド化合物刺激を行わない細胞でのfLuc/hRlucで割った値をfold increaseとして算出し、応答強度の指標とした。
【0071】
(5)結果
428種類の嗅覚受容体についてDMDS又はDMTSに対する応答を測定した結果、嗅覚受容体OR4S2が、DMDS及びDMTSの両方に対して特異的な応答を示すことが明らかになった(
図1)。OR4S2のDMDS及びDMTSに対する応答は濃度依存的であった(
図2)。一方で、OR4S2は、同じく揮発性硫黄化合物であるメチルメルカプタン3mMに対しては応答しなかった(
図3)。したがって、OR4S2は、ポリスルフィド化合物に対して応答性をもつポリスルフィド化合物受容体である。またOR4S2は、これまでポリスルフィド化合物に応答することが見出されていない、新規のポリスルフィド化合物受容体である。
【0072】
実施例2 OR4S2アンタゴニストの探索
実施例1(1)〜(3)と同様の手順で、OR4S2(配列番号1)を発現させたHEK293細胞を作製した。実施例1(4)の手順に従って、ルシフェラーゼレポータージーンアッセイにより、試験物質存在下及び非存在下での嗅覚受容体のDMDSに対する応答(fLuc/hRluc値)を測定した。DMDS単独刺激により誘導されたfLuc/hRluc値(X)、DMDS刺激を行わなかった細胞でのfLuc/hRluc値(Y)、DMDSと試験物質との共刺激により誘導されたfLuc/hRluc値(Z)を求め、以下の計算式により、試験物質存在下での受容体のDMDS応答強度(Response(%))を求めた。
Response(%)=(Z−Y)/(X−Y)×100
独立した実験を3回行い、各回の実験の平均値を求めた。培養物へのDMDSの添加濃度は1mMとし、試験物質の添加濃度は0〜3000μMの範囲で変更した。
【0073】
DMTS応答については、DMTS単独刺激に対するfLuc/hRluc値(X’)を、DMTS刺激を行わなかった細胞のfLuc/hRluc値(Y)で除した値(X’/Y)をDMTS応答値(Fold increase)として算出した。このDMTS応答に対する試験物質の効果を比較するために、DMTSと試験物質との共刺激により誘導されたfLuc/hRluc値(Z’)を同様に刺激を行わなかった細胞のfLuc/hRluc値(Y)で除して(Z’/Y)を算出し、Fold increaseとした。独立した実験を3回行い、各回の実験の平均値を求めた。培養物へのDMTSの添加濃度は300μM、試験物質の添加濃度は100μMとした。
【0074】
結果を
図4及び
図5に示す。トリメチルヘキシルアルデヒド(THA)、cis−4−ヘプテナール、1,4−シネオール、(+)−リモネンオキシド、α−テルピネン、2−メチルブタン酸ブチル、及びジペンテンは、いずれも濃度依存的にOR4S2のDMDS応答を抑制し、これら7つの化合物がOR4S2アンタゴニストであることが明らかにされた。またトリメチルヘキシルアルデヒド(THA)、cis−4−ヘプテナール、1,4−シネオール、(+)−リモネンオキシド、α−テルピネン、及び2−メチルブタン酸ブチルはいずれも、OR4S2のDMTS応答も抑制した。
【0075】
実施例3 OR4S2アンタゴニストによるポリスルフィド化合物の臭いの抑制能
実施例2で同定したOR4S2アンタゴニストであるトリメチルヘキシルアルデヒド、(THA)、cis−4−ヘプテナール、及び1,4−シネオールによるポリスルフィド化合物の臭いの抑制効果を、官能試験により確認した。
【0076】
DMDS、THA、cis−4−ヘプテナール、又は1,4−シネオールについては、ミネラルオイルの0.1%(v/v)溶液を調製した。DMTSについては、ミネラルオイルの0.01%(v/v)溶液を調製した。20mL容のガラス瓶(マルエム、No.6)に2つの綿球を入れ、1つの綿球にはDMDS又はDMTSの溶液30μLを、もう1つの綿球には上記3つのOR4S2アンタゴニストのいずれかの溶液30μLを染み込ませた。上記綿球を入れたガラス瓶は、蓋をして37℃で1時間静置した後、試験サンプルとして官能試験に用いた。基準サンプルとしてDMDS又はDMTSの溶液を含む綿球のみを入れたガラス瓶を、対象サンプルとしてミネラルオイル(Vehicle)を含む綿球のみを入れたガラス瓶を準備した。
【0077】
官能試験は、DMDSに関しては10名、DMTSに関しては11名の評価者により単盲式にて行った。試験は、食後1時間半以上を経過した14時以降から開始した。匂いの拡散を防ぐため、試験は基本的にドラフト付近で行った。ポリスルフィド化合物の臭いへの順応の影響を排除するため、試験中には適宜、DMDS又はDMTS臭の認知強度を確認させ、必要であれば休憩をとった。評価者を二群に分け、一方の群はTHA、cis−4−ヘプテナール、次いで1,4−シネオールの順序で、他方の群は1、4−シネオール、cis−4−ヘプテナール、次いでTHAの順序で、DMDS又はDMTS臭の抑制効果を評価した。試験サンプルは3名の評価者による評価後に新しいものと交換した。
試験サンプルの臭い評価では、各評価者に、次の5段階の基準「DMDS(又はDMTS)の臭いが、1:わからない、2:感知できる、3:楽にわかる、4:強く感じる、5:耐えられないほど強く感じる」を設定し、DMDS(又はDMTS)単独での臭い強度を3としたときの各試験サンプルのDMDS(又はDMTS)臭の強度を1.0から0.5刻みで5.0までの9段階で評価させた。各評価者による評価結果の平均値を求めた。
【0078】
官能試験の結果を
図6及び
図7に示す。OR4S2アンタゴニストであるTHA、cis−4−ヘプテナール及び1,4−シネオールは、いずれもDMDS及びDMTSの臭い強度を抑制した。以上の結果から、OR4S2アンタゴニストにより、DMDSやDMTSなどのポリスルフィド化合物の臭いが抑制されることが明らかになった。