(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
【背景技術】
【0002】
一般的に、油圧ポンプや油圧モータに代表される斜板式液圧回転機等の油圧駆動機器は、多くの摺動部材から構成されており、その摺動面は高い摺動面圧による潤滑油膜切れ、及び制御油圧の変動による摺接状態の不安定化等の影響により、摺動面同士の焼付きや局部的な異常摩耗等の発生リスクを有していることから、これらの摺動部材の素材となる母材として、主に鉄鋼材等の鉄系材料が使用されている。
【0003】
従って、斜板式液圧回転機等の油圧駆動機器の代表的な構成部品であるシリンダブロックのシリンダとピストンは鉄系材料で形成されているが、特にシリンダブロックのシリンダは摺動相手であるピストンとの摺動によって摩耗や焼付き現象が発生し易いので、これらの摩耗や焼付き現象の発生を抑えるために、シリンダとピストンの摺動面には様々な表面改質や表面加工が行われている。
【0004】
以下、油圧駆動機器の従来技術の一例として可変容量型斜板式アキシャルピストンポンプを挙げ、シリンダブロックのシリンダ内におけるピストンの運動を
図5及び
図6に基づいて詳細に説明する。
【0005】
可変容量型斜板式アキシャルピストンポンプは、例えば、
図5に示すように、中心軸Aの周りに回転するシリンダブロック31と、このシリンダブロック31のシリンダ32に収容されるピストン33と、シリンダ32の両端のうちピストン33の出入口側と反対側の一端、すなわち奥側の一端に設けられ、シリンダ32内への作動油の流通経路となるシリンダポート31Aと、シリンダブロック31の両端部のうちシリンダポート31Aが形成される側の端部に摺接する弁板34と、この弁板34に設けられ、シリンダポート31Aに連通する給排ポート34Aと、ピストン33の端部に摺動可能に保持されたシュー35とを備えている。
【0006】
そして、可変容量型斜板式アキシャルピストンポンプが動作すると、シリンダブロック31は弁板34に摺動しながら中心軸Aの周りに回転し、ピストン33がシリンダ32内で中心軸A方向に沿って往復摺動変位を繰返すことにより、給排ポート34A及びシリンダポート31Aを経由して作動油の吸入及び吐出が行われる。その際、シリンダ32内には、ピストン33が上死点から下死点までストロークして作動油の吸入を行うことによる負圧、及び下死点から上死点までストロークして作動油を押し退けることによる正圧が繰返し作用する。
【0007】
また、
図6に示すように、シリンダブロック31が回転すると、ピストン33がシリンダブロック31の中心軸Aの周りに回転するので、ピストン33にはシリンダブロック31の中心軸Aから遠心方向側(半径方向外側)へ向かう遠心力Fが作用する。これにより、ピストン33はシリンダ32内で偏荷重を受けてシリンダブロック31の中心軸Aに対して傾くので、ピストン33はシリンダ32内側の円筒面で片当りしながら摺動する。そのため、この接触部位Bにおいて非常に高い摺動面圧が作用することになるので、シリンダ32の摺動面は摩耗や焼付き現象が発生し易くなっている。
【0008】
従って、このような現象は、可変容量型斜板式アキシャルピストンポンプ等の油圧駆動機器において、シリンダブロック31及びシリンダ32以外のシュー35や斜板(図示せず)等の摺動部材にも生じるものであり、これらの摺動部材を使用する前に、耐摩耗性及び耐焼付き性等の摺動特性を向上させる必要がある。そこで、例えば、互いに摺動する一対の摺動部材の各母材に対して窒化処理を行った後、これらの母材のうち一方の表面を研磨又は研削等の加工を行うことにより、摺動面として仕上げる処理を施した摺動構造が従来より提案されている。
【0009】
図7は従来技術の摺動構造における一対の摺動部材41,42の表面に形成された各層を示す図である。
【0010】
図7に示すように、一対の摺動部材41,42の素材となる各母材41A,42Aに対して窒化処理を行うことにより、最表面に窒素と鉄との化合物から成る化合物層41B,42B、及びこの化合物層41B,42Bよりも内側に、母材41A,42Aに窒素が拡散して固溶した拡散層41a,42aが形成される。そして、一方の母材41Aの表面を研磨又は研削等の加工を実施して化合物層41Bを除去することにより、化合物層41Bの内側の拡散層41aが表面に露出する。従って、最終的に、一方の摺動部材41の最表面には拡散層41aが摺動面として形成され、他方の摺動部材42の最表面には化合物層42Bが摺動面として形成される。
【0011】
このようにして製造された摺動部材41,42が互いに摺動すると、摺動過程の初期の段階では摺動部材41,42の摺動面圧の分布の相違から、摺動部材41の拡散層41aと摺動部材42の化合物層42Bとの間に作用する摩擦力が大きくなるが、化合物層42Bよりも拡散層41aの方が軟らかいので、時間が経過するにつれて拡散層41aが摩耗することにより、摺動部材41,42の摺動面圧の分布が徐々に均一化されて摺動部材41,42の摺動状態が改善される。これにより、拡散層41aと化合物層42Bとの摩擦係数が減少することにより、摺動部材41,42の摺動面に対して優れた馴染み性を確保できるので、摺動部材41,42の摺動特性を向上させることができる。
【0012】
この種の従来技術の摺動構造が適用された具体例の1つとして、ピストンの先端側に取付けられたシューの相手部材である斜板の母材に対して、焼き入れ焼き戻し処理を施した後、熱処理された母材の一側面を平滑面として研削加工することにより、シューに対する摺動面を形成した斜板を備えた斜板式液圧回転機が知られている(例えば、特許文献1参照)。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0014】
上述した特許文献1に開示された斜板式液圧回転機の斜板を含む従来技術の摺動構造は、
図7に示すように、摺動部材41の拡散層41aを研磨又は研削等の加工を行うことで摺動部材42の化合物層42Bとのクリアランスを適正に設定することができるが、摺動部材41,42が長期間に渡って使用されると、馴染み層として機能する摺動部材41の拡散層41aの摩耗が進行し、摺動部材41の拡散層41aと摺動部材42の化合物層42Bとのクリアランスが増大する。
【0015】
そのため、例えば、摺動部材41,42が
図5に示すシリンダブロック31のシリンダ32とピストン33に用いられれば、シリンダブロック31のシリンダ32の摺動面とピストン33の摺動面との間からシリンダ32内の作動油が外部へ漏れることにより、可変容量型斜板式アキシャルピストンポンプの動作効率が低下したり、あるいは上述の特許文献1のように、摺動部材41,42が
図5に示すシュー35と斜板(図示せず)に用いられれば、斜板に対してシュー35の姿勢が不安定となり、シュー35と斜板の摺動面圧が高くなって騒音等が発生する可能性がある。
【0016】
このように、従来技術の摺動構造は、摺動部材41,42の摺動面に対して馴染み性を確保した代わりに、耐摩耗性が低下することにより、摺動部材41,42の使用状態が悪化することが問題になっている。
【0017】
本発明は、このような従来技術の実情からなされたもので、その目的は、摺動部材の摺動面に対して馴染み性を確保しつつ、耐摩耗性を向上させることができる摺動構造及びその製造方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0018】
上記の目的を達成するために、本発明の摺動構造は、鉄系材料から成る一対の摺動部材の母材に対して窒化処理を施すことにより、窒素が拡散して形成された拡散層、及び前記拡散層よりも表面側に形成された化合物層を設けた摺動構造において、前記一対の摺動部材の母材は、0.35重量%以上の炭素を含有し、前記一対の摺動部材のうち一方の前記化合物層は、前記窒化処理における窒化ポテンシャルの範囲を0.3以上1.0未満に設定して形成されたγ’−Fe
4N層を含み、前記一対の摺動部材のうち他方の前記化合物層は、前記窒化処理における窒化ポテンシャルの範囲を1.0以上4.0未満に設定して形成され、それぞれ異なる構造を有する複数の窒化層から成り、前記複数の窒化層は、前記一対の摺動部材のうち他方の前記拡散層側に形成されたγ’−Fe
4N層と、最表面に形成された多孔質構造を有する第1のε−Fe
2〜3N層と、これらのγ’−Fe
4N層とε−Fe
2〜3N層と間に形成され、前記第1のε−Fe
2〜3N層よりも緻密な構造を有する第2のε−Fe
2〜3N層とを含むことを特徴としている。
【0019】
このように構成した本発明では、0.35重量%以上の炭素を含有する一対の摺動部材の母材に対して、窒化ポテンシャルの範囲が0.3以上1.0未満、及び窒化ポテンシャルの範囲が1.0以上4.0未満の条件下で窒化処理をそれぞれ施すことにより、一方の摺動部材の表面に緻密な構造を有するγ’−Fe
4N層から成る強靭性層を形成すると共に、他方の摺動部材の表面に多孔質構造を有する第1のε−Fe
2〜3N層から成る馴染み層、及び緻密な構造を有する第2のε−Fe
2〜3N層から成る強靭性層を形成することができる。
【0020】
そのため、一対の摺動部材が摺動すると、多孔質構造を有する第1のε−Fe
2〜3N層が摩耗することにより、一対の摺動部材の摺動面に作用する摺動面圧が均一化されるので、摺動部材の摺動状態を改善することができる。そして、多孔質構造を有する第1のε−Fe
2〜3N層の摩耗が進行し、緻密な構造を有する第2のε−Fe
2〜3N層が表面に現れることにより、窒素の含有率が異なる緻密な構造を有する各層同士が摺動し、摺動部材の摺動面の硬度を高めることができるので、摺動部材の摩耗量を減少させることができる。これにより、摺動部材が長期に渡って使用されても、各摺動部材の摺動面のクリアランスを維持できるので、摺動部材の使用状態を良好に保つことができる。このように、摺動部材の摺動面に対して馴染み性を確保しつつ、耐摩耗性を向上させることができる。
【0021】
また、本発明に係る摺動構造は、前記発明において、回転軸の周りに回転するシリンダブロックと、前記シリンダブロックのシリンダに収容されるピストンとを備えた液圧回転機に適用されることを特徴としている。
【0022】
このように構成した本発明は、シリンダブロックが回転軸と共に回転することにより、ピストンがシリンダブロックのシリンダ内で回転軸に沿って往復移動を繰返すので、ピストンがシリンダに摺動し、ピストンとシリンダの摺動面に高負荷がかかった状態となる。このような状態であっても、ピストン及びシリンダが互いに摺動する部分には、緻密な構造を有する強靭性層が形成されているので、これらの強靭性層が緩衝材として機能することにより、ピストンがシリンダ内で偏荷重を受けてシリンダ内側の円筒面で片当りしながら摺動しても、ピストン及びシリンダに作用する力の影響を低減することができる。これにより、ピストン及びシリンダの摺動面を適切に保護することができる。
【0023】
また、本発明の摺動構造の製造方法は、鉄系材料から成る一対の摺動部材の母材に対して窒化処理が施された摺動構造を製造する摺動構造の製造方法において、0.35重量%以上の炭素を含有する前記一対の摺動部材の母材のうち一方に対して、窒化ポテンシャルの範囲を0.3以上1.0未満に設定して前記窒化処理を行い、表面側からγ’−Fe
4N層から成る化合物層及び窒素が拡散した拡散層を形成する低窒化処理工程と、0.35重量%以上の炭素を含有する前記一対の摺動部材の母材のうち他方に対して、窒化ポテンシャルの範囲を1.0以上4.0未満に設定して前記窒化処理を行い、表面側から多孔質構造を有する第1のε−Fe
2〜3N層、前記第1のε−Fe
2〜3N層よりも緻密な構造を有する第2のε−Fe
2〜3N層、及びγ’−Fe
4N層から成る化合物層並びに窒素が拡散した拡散層を形成する高窒化処理工程とを備えたことを特徴としている。
【0024】
このように構成した本発明では、低窒化処理工程及び高窒化処理工程を実施することにより、一方の摺動部材の表面に緻密な構造を有するγ’−Fe
4N層から成る強靭性層を形成すると共に、他方の摺動部材の表面に多孔質構造を有する第1のε−Fe
2〜3N層から成る馴染み層、及び緻密な構造を有する第2のε−Fe
2〜3N層から成る強靭性層を形成することができる。
【0025】
そのため、一対の摺動部材が摺動すると、多孔質構造を有する第1のε−Fe
2〜3N層が摩耗することにより、一対の摺動部材の摺動面に作用する摺動面圧が均一化されるので、摺動部材の摺動状態を改善することができる。そして、多孔質構造を有する第1のε−Fe
2〜3N層の摩耗が進行し、緻密な構造を有する第2のε−Fe
2〜3N層が表面に現れることにより、窒素の含有率が異なる緻密な構造を有する各層同士が摺動し、摺動部材の摺動面の硬度を高めることができるので、摺動部材の摩耗量を減少させることができる。これにより、摺動部材が長期に渡って使用されても、各摺動部材の摺動面のクリアランスを維持できるので、摺動部材の使用状態を良好に保つことができる。このように、摺動部材の摺動面に対して馴染み性を確保しつつ、耐摩耗性を向上させることができる。
【0026】
さらに、上述したように、多孔質構造を有する第1のε−Fe
2〜3N層は、摺動部材の摺動過程の初期の段階において摩耗して摺動面から取り除かれるので、表面研磨又は研削等の加工を実施する必要がなく、当該第1のε−Fe
2〜3N層を除去する工程を省くことができる。しかも、摺動部材の摺動面は、摺動後にγ’−Fe
4N層と緻密な構造を有する第2のε−Fe
2〜3N層とから成り、各層のひずみ量を特定し易いので、各摺動部材の摺動面のクリアランスの管理を容易に行うことができる。
【発明の効果】
【0027】
本発明の摺動構造及びその製造方法によれば、摺動部材の摺動面に対して馴染み性を確保しつつ、耐摩耗性を向上させることができる。
【発明を実施するための形態】
【0029】
以下、本発明に係る摺動構造及びその製造方法を実施するための形態を図に基づいて説明する。
【0030】
本発明に係る摺動構造の一実施形態は、例えば、
図1に示すように、油圧ショベル等の建設機械に備えられる油圧ポンプ及び油圧モータ等の液圧回転機1に適用される。この液圧回転機1は、例えば、可変容量型斜板式アキシャルピストンポンプ(以下、便宜的に斜板式ポンプと称する)から成っている。
【0031】
この斜板式ポンプ1は、例えば、外殻を形成するケーシング2と、このケーシング2の中央部において軸線周りに回転可能に設けられた回転軸3と、この回転軸3の回転に伴って回転するシリンダブロック4と、このシリンダブロック4のシリンダ5に収容されるピストン6と、このピストン6の端部に摺動可能に保持され、シリンダブロック4と共に回転するシュー7と、このシュー7が摺接する斜板8と、この斜板8を揺動可能に支持するクレードル9とを備えている。
【0032】
ケーシング2は、回転軸3及びシリンダブロック4等の各部材を覆う筒状のケーシング本体2Aと、このケーシング本体2Aの両端側を閉塞するフロントケーシング2B及びリヤケーシング2Cとから成っている。さらに、リヤケーシング2Cは、シリンダブロック4内に作動油を供給あるいは排出する一対の給排通路15A,15Bを有している。これらの給排通路15A,15Bは、作動油の吸込側及び吐出側に設けられた配管等(図示せず)に接続されている。そして、リヤケーシング2Cとシリンダブロック4との間には、作動油の出入りを規制する弁板10が介装されている。
【0033】
また、斜板式ポンプ1は、シュー7とピストン6のフロントケーシング2B側の端部との間に位置して回転軸3に挿通され、シュー7を挿通して斜板8の摺動面に押圧する挿通穴を有する環状平板のリテーナ11と、このリテーナ11とシリンダブロック4との間に位置して回転軸3に挿嵌され、外周面によってリテーナ11を斜板8に向けて押圧するリテーナガイド(図示せず)とを備えている。なお、上述したシリンダブロック4、ピストン5、シュー7、斜板8、クレードル9、弁板10、リテーナ11、及びリテーナガイドは、例えば、鉄鋼材等の鉄系材料で形成されている。
【0034】
回転軸3は、フロントケーシング2Bとリヤケーシング2Cとの間に軸受16A,16B等を介して回転可能に支持されている。また、回転軸3は、フロントケーシング2Bから軸線方向に突出する突出端3Aが形成されており、この突出端3A側が、例えばエンジン等の原動機(図示せず)によって回転駆動されるようになっている。
【0035】
シリンダブロック4は、回転軸3の外周側にスプライン結合されると共に、両端面のうちフロントケーシング2B側の一端が斜板8に対向して配置され、両端面のうちリヤケーシング2C側の他端は弁板10に摺接するようになっている。これにより、シリンダブロック4は、回転軸3の軸線方向に対して位置が固定され、回転軸3の軸線周りに回転可能になっている。
【0036】
そして、斜板式ポンプ1は、エンジン等の原動機が駆動することで回転軸3がシリンダブロック4と共に一体に回転することにより、リテーナガイド及びリテーナ11によってシュー7が斜板8側へ押し付けられた状態で斜板8上を回転軸3の軸線周りに摺動しながら、ピストン6がシリンダ5内で回転軸3の軸線方向に沿って往復移動を繰返し、吸込側の給排通路15Bから弁板10を介してシリンダブロック4内へ流入した作動油を高圧の圧油として吐出側の給排通路15Aへ吐出するようにしている。
【0037】
一方、ピストン6がシリンダ5内で往復移動する間、ピストン6には回転軸から遠心方向側(半径方向外側)へ向かう遠心力が作用することにより、ピストン6がシリンダ5内側の円筒面に方当りしながら摺動するので、シリンダ5とピストン6の摺動面に対して高負荷がかかった状態となっている。
【0038】
そこで、本実施形態に係る摺動構造は、斜板式ポンプ1が建設機械に組み込まれる前に、一対の摺動部材としてのシリンダ5及びピストン6の母材5A,6A(
図2参照)に対して窒化処理を施すことにより、窒素が拡散して形成された拡散層5a,6a(
図2参照)、及びこれらの拡散層5a,6aよりも表面側に形成された化合物層5B,6Bを設けている。
【0039】
以下、本実施形態に係る摺動構造におけるシリンダ5及びピストン6の母材5A,6Aの成分組成、これらの各母材5A,6Aに対して施す窒化処理、及び窒化処理後のシリンダ5及びピストン6の各構成について、
図2を参照しながら詳細に説明する。
【0040】
本実施形態に係る摺動構造において、窒化処理が施されるシリンダ5及びピストン6の母材は、0.35重量(wt)%以上の炭素(C)を含有し、残部が鉄(Fe)及び不可避不純物元素を含有している。また、上述した窒化処理は、シリンダ5及びピストン6の母材が異なる炉内にそれぞれ配置された後、各炉内の温度範囲、炉内の窒化ポテンシャルKn、及び処理時間が定められた窒化条件の下、実施される。なお、処理時間は目標有効硬化深さに応じて適宜に設定される。
【0041】
そして、このように設定された窒化条件の下で製造された摺動構造におけるシリンダ5及びピストン6のうち一方、例えば、
図2に示すように、シリンダ5の化合物層5Bは、窒化処理における窒化ポテンシャルKnの範囲を0.3以上1.0未満に設定して形成されたγ’−Fe
4N層5bから構成されている。
【0042】
シリンダ5及びピストン6のうち他方、すなわち、ピストン6の化合物層6Bは、窒化処理における窒化ポテンシャルKnの範囲を1.0以上4.0未満に設定して形成され、それぞれ異なる構造を有する複数の窒化層6b1〜6b3(本実施例では3層)から成っている。これらの窒化層6b1〜6b3は、ピストン6の拡散層6a側に形成されたγ’−Fe
4N層6b1と、最表面に形成された多孔質構造を有する第1のε−Fe
2〜3N層6b2と、これらのγ’−Fe
4N層6b1とε−Fe
2〜3N層6b2と間に形成され、このε−Fe
2〜3N層6b2よりも緻密な構造を有する第2のε−Fe
2〜3N層6b3とから構成されている。
【0043】
従って、本実施形態に係るシリンダ5には、表面側からγ’−Fe
4N層5b、拡散層5aの順に処理時間に応じた厚さで各層が形成されており、ピストン6には、表面側から多孔質構造を有するε−Fe
2〜3N層6b2、緻密な構造を有するε−Fe
2〜3N層6b3、γ’−Fe
4N層6b1、拡散層6aの順に処理時間に応じた厚さで各層が形成されている。これにより、シリンダ5のγ’−Fe
4N層5bが強靭性層として機能し、ピストン6のε−Fe
2〜3N層6b2が馴染み層として機能する。
【0044】
次に、このように構成される本実施形態に係る摺動構造の製造方法について、従来技術の摺動構造の製造方法と比較しながら詳細に説明する。
【0045】
図8は本実施形態に係る摺動構造の比較例として挙げた従来技術の摺動構造の製造方法を示す図である。
図3は本実施形態に係る摺動構造の製造方法を示す図である。
【0046】
図8に示すように、従来技術の摺動構造の製造方法は、一対の摺動部材の母材に対して鍛造及び機械加工を行った後((ステップ(以下、Sと記す)801a,S801b)、窒化処理を施す前に各摺動部材の母材を洗浄及び酸化する等の工程を経て(S802a,S802b)、各摺動部材の母材を炉内に設置して窒化処理の工程をそれぞれ実施する(S803a,S803b)。
【0047】
このS803a,S803bにおける窒化処理の工程では、炉内の窒素の雰囲気が管理されることなく、通常、炉の容積に対して、その2倍程度の流量のアンモニアガスが流され、必要に応じて数vol%のRXガス等の窒素を含むガスが炉内に添加される。そして、炉内において、各摺動部材の母材は所定の温度条件下で窒化された後に冷却され、窒化処理が終了する。
【0048】
その後、
図8の左図に示すように、一対の摺動部材のうち一方、すなわち最表面に強靭性層を形成する摺動部材に対して表面研磨を行うことにより、当該摺動部材の表面の粗い層を削り落とす(S804a)。一方、
図8の右図に示すように、一対の摺動部材のうち他方、すなわち最表面に馴染み層を形成する摺動部材に対して表面研磨を行った後(S804b)、さらにこの摺動部材に対して比較的低温で浸硫処理を施すことにより、当該摺動部材の表面に軟質な硫化鉄層を形成し(S805b)、従来技術の摺動構造が製造される。
【0049】
これに対し、本実施形態に係る摺動構造の製造方法は、
図3に示すように、上述の従来技術の摺動構造の製造方法と同じように、シリンダ5及びピストン6の母材に対して鍛造及び機械加工を行った後(S301a,S301b)、窒化処理を施す前に各シリンダ5及びピストン6の母材を洗浄及び酸化する等の工程を経て(S302a,S302b)、各シリンダ5及びピストン6を炉内に設置して窒化処理の工程をそれぞれ実施する(S303a,S303b)。
【0050】
このS303a、S303bにおける窒化処理の工程では、炉内の温度を所定の温度に設定し、窒素を含む所定のガスが炉内に投入される。このとき、シリンダ5及びピストン6の所望の窒化組織に応じて、炉内の窒化ポテンシャルKnの範囲を制御する。本実施形態では、
図3の左図に示すように、シリンダ5及びピストン6のうち一方、すなわち最表面に強靭性層を形成するシリンダ5側の炉内の窒化ポテンシャルKnを0.3以上1.0未満に設定し、表面側から緻密な構造を有するγ’−Fe
4N層5b及び拡散層5aを形成する(低窒化処理工程)。
【0051】
一方、
図3の右図に示すように、シリンダ5及びピストン6のうち他方、すなわち最表面に馴染み層を形成するピストン6側の炉内の窒化ポテンシャルKnの範囲を1.0以上4.0未満に設定し、表面側から多孔質構造を有するε−Fe
2〜3N層6b2、このε−Fe
2〜3N層6b2よりも緻密な構造を有するε−Fe
2〜3N層6b3、及びγ’−Fe
4N層6b1並びに拡散層6aを形成する(高窒化処理工程)。そして、炉内において、各シリンダ5及びピストン6の母材5A,6Aは所定の時間窒化された後に冷却され、窒化処理が終了する。
【0052】
図4はこのようにして製造された従来技術の摺動構造の摩耗量と、本実施形態に係る摺動構造の摩耗量とを比較した図を示している。
【0053】
図4に示すように、本実施形態に係る摺動構造の摩耗量は、従来技術の摺動構造の摩耗量に比べて低くなっているので、本実施形態に係るシリンダ5及びピストン6は、従来技術の摺動構造において窒化処理後に一対の摺動部材のうち一方に対して表面研磨、及び他方に対して表面研磨と浸硫処理を行ったものと同等以上の耐摩耗性が得られていることが把握される。
【0054】
次に、上述したように本実施形態に係るシリンダ5及びピストン6の母材5A,6Aの成分組成である炭素(C)の含有量の範囲を規定した理由、窒化条件における炉の環境、及び窒化ポテンシャルKnの範囲を設定した理由について詳細に説明する。
【0055】
[C:0.35重量%以上]
炭素は母材5A,6Aの拡散層5a,6a及び芯部の硬度を確保するために必要な元素であり、この観点から母材5A,6Aの炭素の含有量を0.35重量%以上に設定するのが望ましい。母材5A,6Aの炭素の含有量が0.35重量%未満では、芯部の硬度を十分に確保できない場合がある。なお、母材5A,6Aの材質については、特に限定されていない。
【0056】
[窒化条件における炉の環境]
本実施形態では、炉の様式として、例えば、バッチ型、ピット型、及び連続型のいずれかを用いているが、この場合に限らず、他の様式を用いても良い。一方、窒化ポテンシャルKnを制御するために、炉内には、投入するガスの流量を精密に計測することが可能な流量計、ガスの成分(アンモニア及び水素等)の分圧を計測することが可能なアンモニアセンサと水素センサを装備することが必要となる。
【0057】
[0.3≦Kn<1.0]
窒化ポテンシャルKnの範囲が0.3以上1.0未満である設定条件は、シリンダ5の表面に、強靭性層としてのγ’−Fe
4N層5bから成る化合物層5Bを形成するのに必要である。仮に、窒化ポテンシャルKnの範囲を0.3未満に設定すると、シリンダ5の表面に化合物層5Bが形成されず、窒化ポテンシャルKnの範囲を1.0以上に設定すると、シリンダ5の表面に粗い層が形成されるので、シリンダ5の強靭性が損なわれる。
【0058】
[1.0≦Kn<4.0]
窒化ポテンシャルKnの範囲が1.0以上4.0未満である設定条件は、ピストン6の表面に、馴染み層としての多孔質構造を有するε−Fe
2〜3N層6b2から成る化合物層6Bを形成するのに必要である。仮に、窒化ポテンシャルKnの範囲を1.0未満に設定すると、ピストン6の表面に化合物層6Bが形成されず、窒化ポテンシャルKnの範囲を4.0以上に設定すると、ピストン6の表面にポーラス層が形成され易くなり、ピストン6の化合物層6Bにおけるポーラス面積率が急激に上昇するので、形成された化合物層6Bがピストン6の表面から脱落し易くなる。
【0059】
このように構成した本実施形態に係る摺動構造及びその製造方法によれば、シリンダブロック4のシリンダ5の母材5Aに対して、窒化ポテンシャルKnの範囲を0.3以上1.0未満に設定すると共に、シリンダ5の摺動相手であるピストン6の母材6Aに対して、窒化ポテンシャルKnの範囲を1.0以上4.0未満に設定して窒化処理をそれぞれ施すことにより、シリンダ5の表面に緻密な構造を有するγ’−Fe
4N層5bから成る強靭性層を形成すると共に、ピストン6の表面に多孔質構造を有するε−Fe
2〜3N層6b2から成る馴染み層、及び緻密な構造を有するε−Fe
2〜3N層6b3から成る強靭性層を形成することができる。
【0060】
そのため、斜板式ポンプ1のシリンダブロック4が回転し、シリンダ5とピストン6が互いに摺動すると、摺動過程の初期の段階において、ピストン6の最表面に形成されたε−Fe
2〜3N層6b2が摩耗することにより、シリンダ5とピストン6の摺動面に作用する摺動面圧が均一化されるので、シリンダ5とピストン6の摺動状態を改善することができる。
【0061】
そして、ピストン6の最表面のε−Fe
2〜3N層6b2の摩耗が進行し、比較的安定したε−Fe
2〜3N層6b3が表面に現れることにより、窒素の含有率が異なる緻密な構造を有する各層5b,6b3同士が摺動する組み合わせとなり、シリンダ5及びピストン6の摺動面における異質材質の摺動構造として、優れた硬度を得ることができるので、シリンダ5及びピストン6の摩耗量を十分に減少させることができる。
【0062】
これにより、斜板式ポンプ1が長期に渡って使用されても、シリンダ5及びピストン6の摺動面のクリアランスを維持できるので、シリンダ5及びピストン6の使用状態を良好に保つことができる。このように、シリンダ5及びピストン6の摺動面に対して馴染み性を確保しつつ、耐摩耗性を向上させることができる。
【0063】
また、本実施形態に係る摺動構造では、シリンダブロック4が回転し、ピストン6がシリンダ5内で往復移動する間、遠心力によって回転軸3の軸線方向から傾いたピストン6がシリンダ5内側の円筒面に方当りしながら摺動しても、シリンダ5及びピストン6が互いに摺動する部分に形成されたγ’−Fe
4N層5b及びε−Fe
2〜3N層6b3が緩衝材として機能するので、シリンダ5及びピストン6に作用する力の影響を低減することができる。これにより、シリンダ5及びピストン6の摺動面を適切に保護できるので、シリンダ5及びピストン6の摩耗や焼付き現象の発生を抑制することができ、シリンダ5及びピストン6の長寿命化を図ることができる。
【0064】
さらに、本実施形態に係る摺動構造の製造方法では、ピストン6の最表面に形成される多孔質構造のε−Fe
2〜3N層6b2は、摺動相手のシリンダ5のγ’−Fe
4N層5bよりも硬度が低いので、シリンダ5及びピストン6の摺動過程の初期の段階で摩耗して摺動面から取り除かれる。これにより、窒化処理後にε−Fe
2〜3N層6b2を除去する工程を省くことができるので、
図8に示す従来技術の摺動構造の製造方法よりも少ない工程で済み、摺動構造の製造効率を高めることができる。
【0065】
特に、本実施形態に係る摺動構造の製造方法は、窒化処理における窒化ポテンシャルKnを管理するだけで母材5A,6Aの材質に高価な材料を用いたり、あるいは
図8に示す従来技術の摺動構造の製造方法のように浸硫処理を施したりしなくても、シリンダ5及びピストン6の表面に所望の化合物層5B,6Bを形成できるので、摺動特性に優れたシリンダ5及びピストン6を安価かつ効率的に作製することができる。
【0066】
しかも、シリンダ5及びピストン6の摺動面が、摺動後にγ’−Fe
4N層5bと緻密な構造を有するε−Fe
2〜3N層6b3とから成り、各層5b,6b3のひずみ量を特定し易く各層5b,6b3が安定しているので、シリンダ5及びピストン6の摺動面のクリアランスの管理を容易に行うことができ、高い寸法精度を得ることができる。従って、
図8に示す従来技術の摺動構造の製造方法のように、シリンダ5及びピストン6に対して表面研磨を行う必要がなく、シリンダ5及びピストン6に対して施す処理時間を短縮できるので、摺動構造の迅速な製造を実現することができる。
【0067】
また、本実施形態に係る摺動構造の製造方法は、シリンダ5及びピストン6のうち、ピストン6側の炉内の窒化ポテンシャルKnの範囲を1.0以上4.0未満に設定することにより、ピストン6の表面に馴染み層として機能するε−Fe
2〜3N層6b2を形成している。そのため、シリンダ5とピストン6の摺動に伴ってε−Fe
2〜3N層6b2が摩耗してピストン6の表面から取り除かれた後に、経年劣化等でシリンダ5とピストン6の摺動性能が低下した場合に、斜板式ポンプ1からピストン6を単体で容易に交換できるので、斜板式ポンプ1のメンテナンス作業に要する作業者の労力を軽減することができる。
【0068】
なお、上述した本実施形態は、本発明を分かり易く説明するために詳細に説明したものであり、必ずしも説明した全ての構成を備えるものに限定されるものではない。また、ある実施形態の構成の一部を他の実施形態の構成に置き換えることが可能であり、また、ある実施形態の構成に他の実施形態の構成を加えることも可能である。
【0069】
また、本実施形態では、液圧回転機が斜板式ポンプ1から成る場合について説明したが、この場合に限らず、液圧回転機は、例えば、可変容量型斜板式アキシャルピストンモータ、又は可変容量型斜軸式アキシャルピストンポンプ・モータから成っていてもよい。さらに、液圧回転機は、上述した可変容量型に限定されるものではなく、固定容量型であってもよい。
【0070】
また、本実施形態では、一対の摺動部材として、シリンダ5及びピストン6の母材に対して窒化処理を施した場合について説明したが、この場合に限らず、シリンダ5とピストン6の代わりに、シリンダブロック4と弁板10、シュー7と斜板8、斜板8とクレードル9、リテーナ11とリテーナガイド、及びシュー7とリテーナ11の母材に対して窒化処理を施すことにより、これらの摺動部材の表面にシリンダ5及びピストン6と同様の拡散層及び化合物層を設けてもよい。
【0071】
さらに、本実施形態では、シリンダ5及びピストン6のうちシリンダ5側の炉内の窒化ポテンシャルKnを0.3以上1.0未満に設定し、シリンダ5の表面側から緻密な構造を有するγ’−Fe
4N層5b及び拡散層5aを形成すると共に、ピストン6側の炉内の窒化ポテンシャルKnの範囲を1.0以上4.0未満に設定し、ピストン6の表面側から多孔質構造を有するε−Fe
2〜3N層6b2、このε−Fe
2〜3N層6b2よりも緻密な構造を有するε−Fe
2〜3N層6b3、及びγ’−Fe
4N層6b1並びに拡散層6aを形成した場合について説明したが、この場合に限るものではない。
【0072】
すなわち、シリンダ5及びピストン6のうちピストン6側の炉内の窒化ポテンシャルKnを0.3以上1.0未満に設定し、ピストン6の表面側から緻密な構造を有するγ’−Fe
4N層及び拡散層を形成すると共に、シリンダ5側の炉内の窒化ポテンシャルKnの範囲を1.0以上4.0未満に設定し、シリンダ5の表面側から多孔質構造を有するε−Fe
2〜3N層、このε−Fe
2〜3N層よりも緻密な構造を有するε−Fe
2〜3N層、及びγ’−Fe
4N層並びに拡散層を形成してもよい。