特許第6386713号(P6386713)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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特許6386713脳循環障害の予防剤および/または治療剤
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6386713
(24)【登録日】2018年8月17日
(45)【発行日】2018年9月5日
(54)【発明の名称】脳循環障害の予防剤および/または治療剤
(51)【国際特許分類】
   A61K 31/23 20060101AFI20180827BHJP
   A61P 43/00 20060101ALI20180827BHJP
【FI】
   A61K31/23
   A61P43/00 105
【請求項の数】2
【全頁数】12
(21)【出願番号】特願2013-208586(P2013-208586)
(22)【出願日】2013年10月3日
(65)【公開番号】特開2015-71568(P2015-71568A)
(43)【公開日】2015年4月16日
【審査請求日】2016年10月3日
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第2項適用 平成25年5月4日、http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0014488613001441
(73)【特許権者】
【識別番号】304021831
【氏名又は名称】国立大学法人千葉大学
(74)【代理人】
【識別番号】110000671
【氏名又は名称】八田国際特許業務法人
(72)【発明者】
【氏名】桑原 聡
(72)【発明者】
【氏名】森 雅裕
(72)【発明者】
【氏名】島田 潤一郎
(72)【発明者】
【氏名】谷口 順子
【審査官】 鳥居 福代
(56)【参考文献】
【文献】 国際公開第03/089005(WO,A1)
【文献】 特開2005−272345(JP,A)
【文献】 特開2002−020298(JP,A)
【文献】 国際公開第00/035867(WO,A1)
【文献】 特開平05−163160(JP,A)
【文献】 特表平06−500079(JP,A)
【文献】 特開2010−013419(JP,A)
【文献】 特開昭62−000013(JP,A)
【文献】 福島雅典 監修,メルクマニュアル 第18版 日本語版,日経BP社,2006年,pp.1903-1908 [虚血性脳卒中]
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
A61K 31/00−31/327
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CAplus/REGISTRY/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
パルミチン酸レチノールを有効成分として含有し、ニューロンにおける虚血性細胞のNotch1発現作用およびこの作用に基づく虚血誘発性のニューロン損傷を低減させるための、虚血性細胞変化阻害剤。
【請求項2】
パルミチン酸レチノールを有効成分として含有し、ニューロンにおける虚血性細胞のNotch1発現作用およびこの作用に基づく虚血誘発性のニューロン損傷を低減させるための、虚血誘発性ニューロン細胞死の初期段階の海馬ニューロンにおける虚血性細胞変化阻害剤。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、脳循環障害の新規な予防剤および/または治療剤に関する。
【背景技術】
【0002】
現在、急性期の脳梗塞に対する薬物治療としては、フリーラジカル(ヒドロキシラジカル)を捕捉するエダラボンのみが、アテローム血栓性脳梗塞、ラクナ梗塞、心原性脳塞栓症の治療に臨床応用されている(非特許文献1)ものの、さらなる新規治療薬の登場は見られていない。動物実験レベルでは、脳梗塞モデルに対するビタミンA関連物質(全トランス−レチノイン酸)の脳梗塞面積縮小効果が報告されている(非特許文献2、非特許文献3)。
【0003】
しかしながら、非特許文献2および非特許文献3で報告された全トランス−レチノイン酸によるヒト脳梗塞治療における臨床研究の報告はない。また、脳梗塞モデルへの有効性が報告された全トランス−レチノイン酸は、すでに急性前骨髄球性白血病の治療薬として実用化されているが(非特許文献4)、重篤な副作用として呼吸不全などのレチノイン酸症候群が報告されており(非特許文献5)、新たに脳梗塞治療薬としての可能性を見出すための臨床試験を企図することは難しいと考えられる。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0004】
【非特許文献1】The Edaravone Acute Brain Infarction Study Group. Effect of novel free radical scavenger, Edaravone (MCI-186), on acute brain infarction. Randomized, placebo-controlled, double-blind study at multicenter. Cerebrovasc Dis 2003;15:222-229
【非特許文献2】Sato Y, et al. Stereo-selective neuroprotection against stroke with vitamin A derivatives. Brain Res 2008;1241:188-192
【非特許文献3】Li L, et al. The effects of retinoic acid on the expression of neurogranin after experimental cerebral ischemia. Brain Res 2008;1226:234-240
【非特許文献4】Huang ME, et al. Use of all-trans retinoic acid in the treatment of acute promyelocytic leukemia. Blood 1988;72:567-572
【非特許文献5】Larson RS, Tallman MS. Retinoic acid syndrome: manifestations, pathogenesis, and treatment. Best Pract Res Clin Haematol 2003;16,453-461
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
上述したような従来技術に鑑み、本発明は、脳循環障害(特に、脳梗塞などの急性期脳血管障害)を予防および/または治療するための有効な手段を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本発明者らは、上述した従来技術に鑑み、鋭意研究を行った。その過程で、驚くべきことに:
(1)パルミチン酸レチノールが海馬ニューロンにおける虚血性細胞変化を阻害すること;および、
(2)上記(1)に記載の阻害効果が、海馬ニューロンにおけるNotch1遺伝子の発現の低下を伴うこと、
の2つの知見を得て、これらの知見に基づき、本発明を完成させるに至った。
【0007】
すなわち、本発明の第1の形態によれば、パルミチン酸レチノールを有効成分として含有する、脳循環障害の予防剤および/または治療剤が提供される。
【0008】
また、上記脳循環障害は、急性期脳血管障害であることが好ましく、当該急性期脳血管障害は、急性期の脳内出血、脳梗塞またはくも膜下出血であることが好ましい。
【0009】
なお、本発明の第1の形態の変形例として、以下の形態が挙げられる:
パルミチン酸レチノールの有効量を、必要とする患者に投与することを含む、脳循環障害の予防および/または治療方法;
局所脳血流減少作用およびニューロンにおける虚血性細胞のNotch1発現作用並びにこれらの作用に基づく虚血誘発性のニューロン損傷を低減させることを特徴とする、パルミチン酸レチノールを有効成分として含有する、脳虚血障害の改善剤。
【発明の効果】
【0010】
本発明によれば、脳循環障害(特に、脳梗塞などの急性期脳血管障害)を予防および/または治療するための有効な手段が提供されうる。
【図面の簡単な説明】
【0011】
図1】実施例において、両側頸動脈一時遮断(BCCAO)法によって脳虚血を誘導したマウスの脳切片を、ヘマトキシリン−エオジン(HE)染色およびクレシルバイオレット染色によって組織病理学的に観察した結果を示す写真と、虚血ニューロンの数および海馬ニューロン数の維持数を測定した結果を示すグラフである。図1では、海馬のCA1、CA2、CA3およびDGの各領域について、BCCAO群の結果を疑似手術群(Sham)と比較して示している。
図2】実施例において、両側頸動脈一時遮断(BCCAO)法によって脳虚血を誘導したマウスの脳切片を、ヘマトキシリン−エオジン(HE)染色およびクレシルバイオレット染色によって組織病理学的に観察した結果を示す写真と、虚血ニューロンの数および海馬ニューロン数の維持数を測定した結果を示すグラフである。図2では、海馬のCA1領域について、BCCAO群およびパルミチン酸レチノール処置群(1.2mg/kgおよび12mg/kg)の結果を疑似手術群(Sham)と比較して示している。
図3】実施例において、両側頸動脈一時遮断(BCCAO)法によって脳虚血を誘導したマウスの脳切片を、免疫蛍光染色によって免疫組織化学的に観察した結果を示す写真と、GFAP陽性細胞の数およびNotch1発現ニューロンの数を測定した結果を示すグラフである。図3では、海馬のCA1領域について、BCCAO群およびパルミチン酸レチノール処置群(1.2mg/kgおよび12mg/kg)の結果を疑似手術群(Sham)と比較して示している。
【発明を実施するための形態】
【0012】
本発明は、パルミチン酸レチノールを有効成分として含有する脳循環障害の予防剤および/または治療剤に関する。上述したように、パルミチン酸レチノールが脳循環障害の予防および/または治療に有効であるという知見はこれまで存在せず、本願の発明者らによって初めて見出された新規な知見である。
【0013】
まず、本発明に係る予防および/または治療剤に有効成分として用いられる化合物について、説明する。
【0014】
本発明に係る予防剤および/または治療剤に有効成分として用いられる化合物は、パルミチン酸レチノールである。ここで、パルミチン酸レチノールは公知の化合物であり、以下の化学構造を有する分子量約500の化合物である。
【0015】
【化1】
【0016】
このパルミチン酸レチノールは、すでにビタミンA製剤として、夜盲症、結膜乾燥症、角膜乾燥症、角膜軟化症、角化性皮膚疾患に対して臨床応用されている。
【0017】
上述したパルミチン酸レチノールの入手経路について特に制限はなく、市販品が入手可能である場合には当該市販品を購入してもよいし、従来公知の知見を参照しつつ自ら合成してもよい。
【0018】
本発明に係る予防剤および/または治療剤は、「脳循環障害」の予防および/または治療に用いられる。本明細書において、「脳循環障害」とは、脳における血流の異常に起因する障害を意味し、急性期脳血管障害(急性期の脳内出血、脳梗塞、くも膜下出血など)のほか、これらの障害に起因する意識障害や痴呆症なども包含する概念である。
【0019】
本発明に係る予防剤および/または治療剤は、上述したような脳循環障害の予防および/または治療に用いられる。このような予防および/または治療効果が得られるメカニズムについては完全には明らかではないが、後述する実施例の欄に記載の実験結果から、以下のようなメカニズムが推定されている。
【0020】
すなわち、本発明者らが20分間の一過性両側総頚動脈狭窄(BCCAO)法によってマウスにおける脳虚血を誘導したところ、BCCAO後の海馬組織では反応性アストロサイトの形成が顕著に観察されるとともに、海馬ニューロンにおける虚血性細胞ではNotch1の顕著な発現が観察された。そして、Notch1および反応性アストロサイトの発現はCA1領域において顕著に見られ、パルミチン酸レチノール処置によってこれらの発現は有意に低下した。このような海馬ニューロンCA1領域における虚血性細胞変化に対するパルミチン酸レチノールの作用から、Notch1の発現が反応性アストロサイトに生じる虚血誘発性の細胞変化に密接に関連していることが推定され、パルミチン酸レチノールによる脳循環障害の予防・治療効果も、上記のNotch1が関与するメカニズムに関連しているものと推定されている。
【0021】
本発明に係る予防剤および/または治療剤は、上述した成分に加え、適用可能である限りにおいて、脳循環障害の予防および/または治療に有効であることが従来公知である他の成分をさらに含有してもよい。
【0022】
本発明に係る予防剤および/または治療剤はまた、有効成分に加え、必要に応じて、一般的に用いられる各種の添加剤成分をさらに含みうる。例えば、1種以上の製薬上許容されうる賦形剤、崩壊剤、希釈剤、滑沢剤、着香剤、着色剤、甘味剤、矯味剤、懸濁化剤、湿潤剤、乳化剤、分散剤、補助剤、防腐剤、緩衝剤、結合剤、安定剤、コーティング剤などを含みうる。
【0023】
本発明に係る予防剤および/または治療剤の投与経路としては、全身投与または局所投与のいずれも選択されうる。この際、疾患・症状などに応じた適当な投与経路が選択される。本発明に係る予防剤および/または治療剤は、経口経路、非経口経路のいずれによっても投与されうる。非経口経路としては、通常の静脈内投与、動脈内投与のほか、皮下、皮内、筋肉内などへの投与が挙げられる。さらに、経粘膜投与または経皮投与を実施することも可能である。
【0024】
本発明に係る予防剤および/または治療剤の剤形は、特に限定されず、種々の剤形、例えば、経口投与のためには、錠剤、カプセル剤、散剤、顆粒剤、丸剤、液剤、乳剤、懸濁液、溶液剤、酒精剤、シロップ剤、エキス剤、またはエリキシル剤とすることができる。非経口剤としては、例えば、皮下注射剤、静脈内注射剤、筋肉内注射剤、または腹腔内注射剤などの注射剤;経皮投与または貼付剤、軟膏またはローション;口腔内投与のための舌下剤、口腔貼付剤;並びに経鼻投与のためのエアゾール剤;坐剤とすることができるが、これらに限定されない。これらの製剤は、製剤工程において通常用いられる公知の方法により製造することができる。また本発明に係る薬剤は、持続性または徐放性剤形であってもよい。
【0025】
経口用固形製剤を調製する場合は、有効成分に対して、賦形剤および必要に応じて結合剤、崩壊剤、滑沢剤、着色剤、矯味剤、および矯臭剤などを加えた後、常法により錠剤、被覆錠剤、顆粒剤、散剤、およびカプセル剤などを製造することができる。そのような添加剤としては、当該分野で一般的に使用されるものでよく、例えば、賦形剤としては、乳糖、白糖、塩化ナトリウム、ブドウ糖、デンプン、炭酸カルシウム、カオリン、微結晶セルロース、および珪酸などを、結合剤としては、水、エタノール、プロパノール、単シロップ、ブドウ糖液、デンプン液、ゼラチン液、カルボキシメチルセルロース、ヒドロキシプロピルセルロース、ヒドロキシプロピルスターチ、メチルセルロース、エチルセルロース、シェラック、リン酸カルシウム、およびポリビニルピロリドンなどを、崩壊剤としては乾燥デンプン、アルギン酸ナトリウム、カンテン末、炭酸水素ナトリウム、炭酸カルシウム、ラウリル硫酸ナトリウム、ステアリン酸モノグリセリド、および乳糖などを、滑沢剤としては精製タルク、ステアリン酸塩、ホウ砂、およびポリエチレングリコールなどを、矯味剤としては白糖、橙皮、クエン酸、および酒石酸などを例示することができる。
【0026】
経口用液体製剤を調製する場合は、有効成分に矯味剤、緩衝剤、安定化剤、および矯臭剤などを加えて常法により内服液剤、シロップ剤、およびエリキシル剤などを製造することができる。この場合矯味剤としては上述したものが用いられうる。また、緩衝剤としてはクエン酸ナトリウムなどが、安定化剤としてはトラガント、アラビアゴム、およびゼラチンなどが挙げられる。
【0027】
注射剤を調製する場合は、有効成分にpH調節剤、緩衝剤、安定化剤、等張化剤、および局所麻酔剤などを添加し、常法により皮下、筋肉内および静脈内用注射剤を製造することができる。この場合のpH調節剤および緩衝剤としてはクエン酸ナトリウム、酢酸ナトリウム、およびリン酸ナトリウムなどが挙げられる。安定化剤としてはピロ亜硫酸ナトリウム、エチレンジアミン四酢酸(EDTA)、チオグリコール酸、およびチオ乳酸などが挙げられる。局所麻酔剤としては塩酸プロカイン、および塩酸リドカインなどが挙げられる。等張化剤としては、塩化ナトリウムおよびブドウ糖などが例示されうる。
【0028】
坐剤を調製する場合は、有効成分に対して、当業界において公知の製剤用担体、例えば、ポリエチレングリコール、ラノリン、カカオ脂、および脂肪酸トリグリセライドなどを、さらに必要に応じてTween(登録商標)のような界面活性剤などを加えた後、常法により製造することができる。
【0029】
軟膏剤を調製する場合は、有効成分に通常使用される基剤、安定剤、湿潤剤、および保存剤などが必要に応じて配合され、常法により混合などにより、製剤化される。基剤としては、流動パラフィン、白色ワセリン、サラシミツロウ、オクチルドデシルアルコール、およびパラフィンなどが挙げられる。保存剤としては、パラオキシ安息香酸メチル、パラオキシ安息香酸エチル、およびパラオキシ安息香酸プロピルなどが挙げられる。
【0030】
貼付剤を調製する場合は、通常の支持体に前記軟膏、クリーム、ゲル、およびペーストなどを常法により塗布すればよい。支持体としては、綿、スフ、および化学繊維からなる織布、不織布や軟質塩化ビニル、ポリエチレン、およびポリウレタンなどのフィルムまたは発泡体シートが適当である。
【0031】
本発明に係る予防剤および/または治療剤に含有される有効成分の量は、当該有効成分の用量範囲や投薬の回数などにより適宜決定されうる。
【0032】
用量範囲は特に限定されず、含有される成分の有効性、投与形態、投与経路、疾患の種類、対象の性質(体重、年齢、病状および他の医薬の使用の有無など)、および担当医師の判断などに応じて適宜設定されうる。一般的に適当な用量として、例えば1日1000〜200000ビタミンA単位が挙げられ、好ましくは1日2000〜100000ビタミンA単位が挙げられる。しかしながら、当該分野においてよく知られた最適化のための一般的な常套的実験を用いてこれらの用量の変更を行うことができる。上記投与量は1日1回〜数回に分けて投与することができる。なお、後述の実施例の結果によれば、従来用いられているパルミチン酸レチノール(ビタミンA製剤)の一日量よりもずっと少ない量で良好な脳虚血からの海馬ニューロンの保護効果が得られている。このため、ビタミンA製剤で心配されるビタミンA過剰症の虞もほとんどない。
【0033】
他の観点から、本発明に係る予防剤および/または治療剤の有効成分であるパルミチン酸レチノールは、脳循環障害の予防剤および/または治療剤の製造において使用されうる。
【0034】
また、さらに他の観点から、本発明に係る予防剤および/または治療剤の有効成分であるパルミチン酸レチノールは、脳循環障害の予防および/または治療に使用されうる。換言すれば、脳循環障害を予防および/または治療する方法において使用されうる。このような方法は、例えば、上述した有効成分を含む薬剤組成物を適当な投与経路で対象(患者)に投与することにより実施されうる。この際の投与経路や投与量(有効量)は、上述した薬剤に関する説明および本願の出願時における技術常識を参酌することにより、当業者が適宜設定することが可能である。
【実施例】
【0035】
以下、実施例により本発明をより具体的に説明するが、本発明の技術的範囲はこれらに限定されない。
【0036】
≪実験方法≫
[実験動物]
すべての動物実験プロトコールは、千葉大学大学院医学研究院附属動物実験施設運営委員会により承認されたものである。実験には、16匹のC57BL/6マウス(雄・成体;11〜12週齢;日本エスエルシー株式会社)を用いた。これらのマウスには水およびマウス用食餌を随時与えながら、12時間ごとの昼夜サイクル下、20±2℃の温度条件下で飼育した。
【0037】
[脳虚血の誘導]
マウスにおける脳虚血の誘導は、20分間の両側頸動脈一時遮断(BCCAO)法(Onken M, et al. Simple model of forebrain ischemia in mice. J Neurosci Methods 2012;204:254-261;Yang et al., C57BL/6 strain is most susceptible to cerebral ischemia following bilateral common carotid occlusion among seven mouse strains: selective neuronal death in the murine transient forebrain ischemia. Brain Res. 1997;752:209-218)により行った。マウスの麻酔には、酸素中のイソフルラン(導入には5%;維持には1.5%)を用いた。また、体温の維持には保温パッドを用いた。BCCAOの後、モノフィラメントナイロン縫合糸で頸部切開部を閉じた。自発呼吸の再開後にマウスから抜管し、次いで虚血後の低体温を防止するために保温チャンバーへと移した。
【0038】
[パルミチン酸レチノールによる処置]
飼育した16匹のマウスを4匹ずつ、以下の4群に分けた。なお、パルミチン酸レチノールとしては、チョコラA(登録商標)(エーザイ株式会社製)を用いた。また、パルミチン酸レチノール処置群における投与量は、ヒトにおける用量をマウスによる取り込みに変換(Olson, Recommended dietary intakes (RDI) of vitamin A in humans. Am. J. Clin. Nutr. 1987;45:704-716)することにより決定した。さらに、処置群における投与は、BCCAOの直前に腹腔内に行った。
・BCCAO群(パルミチン酸レチノール処置;1.2mg/kg)
・BCCAO群(パルミチン酸レチノール処置;12mg/kg)
・BCCAO群(生理食塩水処置)
・疑似手術群(図1〜3において「Sham」と記載)。
【0039】
[局所脳血流(rCBF)の測定]
局所脳血流(rCBF)の測定は、柔軟な0.5mm径の光ファイバーが結合したマスタープローブを備えるレーザードップラー血流計により行った。頭蓋骨を温度プローブの反対側で、前項より3mm後方、正中線より2mm外側の領域5mmで薄くした。主要な血管系が存在しない脳領域上の頭蓋骨の表面に、プローブのチップを装着した。虚血の開始5分前から、虚血の20分間、そして再灌流の最初の10分間に、rCBFの記録を行った。そして、虚血の開始前に記録されたrCBFを100%の血流レベルとした。
【0040】
[組織病理学的評価]
すべてのマウスをBCCAOの開始から2日後に屠殺した。脳を速やかに取り出し、組織学的評価および免疫組織化学的評価のために4%パラホルムアルデヒドで固定した。常法に従って、脳組織をパラフィン中に包埋し、10μm厚さの冠状断面に切断した。次いで、ヘマトキシリン−エオジン(HE)およびクレシルバイオレットを用いて切片を染色した。
【0041】
[免疫蛍光染色]
脳切片の免疫蛍光染色は、Notch1タンパク質に対するヤギポリクローナル抗体(sc-6014、サンタクルーズ社製)およびグリア細胞繊維性酸性タンパク質に対するウサギポリクローナル抗体(Z0334、ダコ・ジャパン社製)を一次抗体として用いて行った。4℃にて一晩、組織切片を希釈一次抗体(1:500)とともにインキュベートした。0.05%Tween-20を含有するリン酸緩衝食塩水(PBST)で洗浄し、次いで二次抗体とともに室温にて2時間インキュベートした。二次抗体としては、Alexa Fluor 594−ロバ抗ウサギIgG抗体(A-21207、Molecular Probes(登録商標)、ライフテクノロジーズ社製)およびFluor 488−ロバ抗ヤギIgG抗体(A-11055、Molecular Probes(登録商標)、ライフテクノロジーズ社製)をそれぞれ用いた。PBSTで洗浄後、カバースリップを両面に配置した。
【0042】
[定量および統計解析]
10μm厚さの組織切片のうち、前項の後ろ1.7〜2.5mmの間に位置する切片(10枚おきで計6枚)をクレシルバイオレットで染色し、海馬ニューロンの総数を見積もるのに用いた。クレシルバイオレット染色では、核の断片化の所見とともに高密度の球状物質が明らかに蓄積しているか、または萎縮した周核体および縮小して暗く染まった核を有するニューロンは、死にゆくものとみなした(Vereczki et al., Normoxic resuscitation after cardiac arrest protects against hippocampal oxidative stress, metabolic dysfunction, and neuronal death. J. Cereb. Blood Flow Metab. 2006;26:821-835)。分析した各切片について、対象とする領域は虚血領域内から選択し、測定は所定の部位で行った(Lim et al., Therapeutic effects of human umbilical cord blood-derived mesenchymal stem cells after intrathecal administration by lumbar puncture in a rat model of cerebral ischemia. Stem Cell Res. Ther. 2011;2:38)。海馬のCA1、CA2、CA3およびDG領域における固定領域(300μm×300μm)中で虚血性変化を示した細胞の数の百分率を算出した。疑似手術群と比較した場合の、CA1領域における固定領域(300μm×300μm)中の海馬ニューロンの数の比率を指標として定義した。CA1領域における固定領域(300μm×300μm)中のGFAP陽性細胞またはNotch1陽性ニューロンの数を測定した。定量分析には、画像処理ソフトウェア(Image-J、NIH、米国)を用いた。各群間を比較するための統計解析には、1要因分散分析(one-way ANOVA)とそれに続くBonferroniの事後検定を用いた。さらに、2群の平均値の比較にはStudentのt検定を用いた。すべてのデータは、4匹のマウスの平均値±標準誤差で表記する。また、p値が0.05未満のときに統計的に有意であるものとした。
【0043】
≪結果≫
[脳虚血および再灌流時の血流変化の確認]
脳における虚血の状態を明らかにすべく、上述したようにrCBFの変化をレーザードップラー血流計を用いて検出した。BCCAOによってrCBFは急速に、ベースラインに対して約25〜30%低下した。20分間のBCCAOの後、マイクロクリップを取り外したところ、rCBFは再灌流によってベースラインまで回復した(データは示さず)。これらのデータから、虚血領域へのrCBFはBCCAOによって減少することが示された。
【0044】
[虚血は海馬ニューロンにおける虚血性細胞変化を引き起こす]
虚血によって誘起されるマウス海馬ニューロンにおける形態変化を確認すべく、脳虚血を20分間のBCCAOによって誘導し、次いで2日間再灌流を行った。HE染色およびクレシルバイオレット染色により、海馬ニューロンにおける虚血性細胞変化が確認できた(図1のF〜J)。虚血を誘導した脳では海馬ニューロンにおいて「虚血ニューロン」が顕著に観察され(図1のC、E、HおよびJ)、CA1領域およびCA2領域では、虚血ニューロンの細胞数はBCCAO群において疑似手術群よりも多かった(図1のK、疑似手術群CA1領域 0.025±0.003 vs. BCCAO群CA1領域 0.328±0.048、P=0.005;疑似手術群CA2領域 0.016±0.002 vs. BCCAO群CA2領域 0.09±0.019、P=0.053)。また、統計的に有意ではなかったものの、CA3領域およびDG領域でもより多くの虚血ニューロンが観察された。さらに、クレシルバイオレット染色によればニューロン数の顕著な減少が確認され(図1のD、E、IおよびJ)、これはCA1領域、CA2領域およびCA3領域では疑似手術群よりもBCCAO群においてより重篤であった(図1のL、疑似手術群CA1領域 102.75±1.831 vs. BCCAO群CA1領域 63.25±3.92、P<0.001;疑似手術群CA2領域 112.25±3.843 vs. BCCAO群CA2領域 79.375±4.655、P=0.001;疑似手術群CA3領域 99.25±1.898 vs. BCCAO群CA3領域 64.563±4.141、P=0.002)。しかしながら、DG領域ではニューロン数の有意な減少は観察されなかった(図1のL)。これらの結果から、BCCAOによって誘起される脳虚血はマウス海馬ニューロンにおいて虚血性の細胞変化を引き起こすことが示された。
【0045】
[パルミチン酸レチノールは海馬ニューロンにおける虚血性細胞変化を阻害する]
続いて、虚血性細胞変化に及ぼすビタミンAの影響を、パルミチン酸レチノールを用いて調べた。その結果、海馬ニューロンにおける虚血性細胞変化の程度は、パルミチン酸レチノール処置群では虚血コントロール群と比較してより小さかった(図2のA〜P)。また、CA1領域ではニューロンの減少はほとんど観察されなかった(図2のI〜P)。BCCAOコントロール群とパルミチン酸レチノール処置群との間には、海馬ニューロンにおける形態変化およびニューロン減少について有意な差が見られた(図2のQ、BCCAO群CA1領域 0.328±0.048 vs. 疑似手術群CA1領域 0.025±0.003、P=0.005;BCCAO群CA1領域 vs. RP1.2+BCCAO群CA1領域 0.135±0.073、P=0.049;BCCAO群CA1領域 vs. RP12+BCCAO群CA1領域 0.017±0.003、P=0.004;図2のR、BCCAO群CA1領域 63.25±3.92 vs. 疑似手術群CA1領域 102.75±1.831、P<0.001;BCCAO群CA1領域 vs. RP12+BCCAO群CA1領域 98±6.474、P=0.022)。このように、パルミチン酸レチノール処置によって虚血ニューロンは確実に減少した。パルミチン酸レチノール処置は、低用量および高用量ともに、虚血による形態変化を顕著に阻害した(図2のA〜H、QおよびR)。これらの結果から、パルミチン酸レチノール処置によってマウス海馬ニューロンにおける虚血性細胞変化が阻害されることが示された。
【0046】
[Notch1の発現および反応性アストロサイトはパルミチン酸レチノールによってほぼ抑制された]
虚血に対するパルミチン酸レチノールの作用の分子メカニズムを解明すべく、本発明者らは、アストロサイトおよびニューロンの分化に関与しているNotch1に着目し、その発現を脳組織における免疫組織化学によって確認した。図3のBに示すように、BCCAO後の海馬組織では反応性アストロサイトの形成が顕著に観察された。同時に、海馬ニューロンにおける虚血性細胞ではNotch1が顕著に発現していた。疑似手術群では、Notch1の発現は非常に弱く観察されたのみである(図3のA)。図3のGに示すように、Notch1は虚血ニューロンに発現する。さらに、Notch1および反応性アストロサイトの発現はCA1領域において顕著に見られ、パルミチン酸レチノール処置群ではこれらの発現はいずれも弱かった(図3のE、BCCAO群CA1領域 72±4.8 vs. 疑似手術群CA1領域 19±4.05、P<0.0001;BCCAO群CA1領域 vs. RP1.2+BCCAO群CA1領域 44±2.734、P=0.002;BCCAO群CA1領域vs. RP12+BCCAO群CA1領域 19.286±2.775、P<0.0001;図3のF、BCCAO群CA1領域 25±4.7 vs. 疑似手術群CA1領域 1.57±0.782、P=0.002;BCCAO群CA1領域 vs. RP1.2+BCCAO群CA1領域 8.286±2.6、P=0.054;BCCAO群CA1領域 vs. RP12+BCCAO群CA1領域 3.714±1.304、P=0.006)。このような海馬ニューロンCA1領域における虚血性細胞変化に対するパルミチン酸レチノールの作用から、Notch1の発現が反応性アストロサイトに生じる虚血誘発性の細胞変化に密接に関連していることが示唆される。
【0047】
≪考察≫
上述した結果から、パルミチン酸レチノール処置によって虚血誘発性のニューロンの損傷およびNotch1の発現を低減させることができることが示された。局所的虚血では、血流の減少は閉塞動脈の領域の中央で最も重篤である(Astrup et al., Thresholds in cerebral ischemia. The ischemic penumbra. Stroke 1981;12:723-725)。10〜30分間の虚血でニューロン損傷が生じ(Inoue et al., Emphasized selective vulnerability after repeated nonlethal cerebral ischemic insults in rats. Stroke 1992;23:739-745)、脳虚血状態では海馬は低酸素症による細胞に特有の不可逆的形態変化を示し、虚血性細胞変化が進行することも報告されている(Brown and Brierly, Anoxic-ischemic cell change on rat brain. Light microscopic and fine structural observation. J. Neurol. Sci. 1972;16:59-84)。上述した結果から、再灌流の開始2日後に、虚血性細胞変化は海馬の特にCA1錐体ニューロンにおいてはっきりと確認されることが示された。よって、BCCAO技術を用いた本実験のモデルはマウスにおける虚血の研究に適したものであるといえる。
【0048】
また、上述した結果から、虚血性細胞変化はBCCAO後の海馬CA1錐体ニューロンにおけるNotch1の発現を伴うものであることも判明した。そして、この領域では反応性アストロサイトが強く観察された。ここで、Notch遺伝子はアストロサイトの分化を促進する一方でニューロンの分化を阻害することが報告されている(Grandbarbe et al., Delta-Notch signaling controls the generation of neurons/glia from neural stem cells in a stepwise process. Development 2003;130:1391-1402)。Notchは細胞表面の膜貫通受容体であり、細胞の相互作用を介して複数の重要な細胞機能を媒介している。リガンドがNotchに結合すると、Notchはその膜貫通ドメインの内部で開裂してNotch細胞内ドメイン(NICD)を放出し、次いでこれが核へ移行して遺伝子の発現を制御する(Lathia et al., Notch: from neural development to neurological disorders. J. Neurochem. 2008;107:1471-1481)。近年の研究から、Notchのシグナル伝達は脳卒中、アルツハイマー病、中枢神経系の腫瘍といった疾患を引き起こす病理学的変化に関与している可能性が示唆されている。Notchは虚血後のCA1領域においてアップレギュレートされ、虚血状態におけるニューロン中でのシグナル伝達がアポトーシスのシグナル伝達カスケードを強めている可能性もある(Oya et al., Attenuation of Notch signaling promotes the differentiation of neural progenitors into neurons in the hippocampal CA1 region after ischemic injury. Neuroscience 2009;158:683-692)。さらに、脳の虚血−再灌流の損傷がγ−セクレターゼを一時的に活性化し、これによってNotch1の開裂およびNICDレベルの上昇が引き起こされている可能性もある(Arumugam et al., Gamma secretase-mediated Notch signaling worsens brain damage and functional outcome in ischemic stroke. Nat. Med. 2006;12:621-623)。
【0049】
パルミチン酸レチノールは、ビタミンAサプリメントにおける酢酸レチノールの合成類縁体であり、分子量が小さいことから血液脳関門を通過することができる。このため、パルミチン酸レチノールはヒトにおけるビタミンA欠乏症の薬物治療に用いられている(Harris et al., Vitamin A deficiency and its effects on the eye. Int. Ophthalmol. Clin. 1998;38:55-61)。上述した結果から、BCCAOの直前にパルミチン酸レチノール処置を行うことでNotch1の発現を伴う海馬ニューロンにおける虚血性細胞変化が抑制されることが示された。1.2mg/kgおよび12mg/kgのパルミチン酸レチノールを用いた処置により、CA1錐体ニューロンにおける虚血性細胞変化が有意に低減された。ヒトの生体内にビタミンAが蓄積すると、その脂溶性によってビタミンA過剰症が引き起こされるが(Astrup et al., 1981)、本実験の結果では従来用いられている一日量よりもずっと少ない量で良好な治療効果が得られている。抗酸化性の栄養剤としてはビタミンA、C、EおよびFが挙げられ、これらはフリーラジカルとして知られる不安定な分子によって引き起こされる損傷から細胞を保護する機能を有している。ここで、フリーラジカルは細胞の正常な機能における副産物である。細胞がエネルギーを産生するときには、不安定な酸素分子も産生するのである。フリーラジカルによる損傷は、脳虚血障害後の組織の崩壊を説明するための仮説における最初期のメカニズムの1つであった(Flamm et al., Free radicals in cerebral ischemia. Stroke 1978;9:445-447)。脳梗塞の治療戦略については、ニューロンの細胞死を抑制するための研究がなされているが、初期段階では、虚血誘発性のニューロン細胞死は細胞外のグルタミン酸による神経細胞毒性によって媒介される。パルミチン酸レチノールは、この初期段階における海馬ニューロンにおける虚血性細胞変化を阻害するための最も有効な治療法になりうるものと考えられる。
図1
図2
図3