(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6403869
(24)【登録日】2018年9月21日
(45)【発行日】2018年10月10日
(54)【発明の名称】分子量測定方法および分子量測定装置
(51)【国際特許分類】
G01N 9/00 20060101AFI20181001BHJP
【FI】
G01N9/00 B
【請求項の数】16
【全頁数】32
(21)【出願番号】特願2017-505316(P2017-505316)
(86)(22)【出願日】2016年3月4日
(86)【国際出願番号】JP2016056901
(87)【国際公開番号】WO2016143719
(87)【国際公開日】20160915
【審査請求日】2017年8月18日
(31)【優先権主張番号】特願2015-45316(P2015-45316)
(32)【優先日】2015年3月6日
(33)【優先権主張国】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】301023238
【氏名又は名称】国立研究開発法人物質・材料研究機構
(74)【代理人】
【識別番号】100190067
【弁理士】
【氏名又は名称】續 成朗
(74)【代理人】
【識別番号】100093230
【弁理士】
【氏名又は名称】西澤 利夫
(72)【発明者】
【氏名】吉川 元起
(72)【発明者】
【氏名】柴 弘太
【審査官】
北川 創
(56)【参考文献】
【文献】
特開2013−015362(JP,A)
【文献】
米国特許出願公開第2014/0000342(US,A1)
【文献】
特公平04−070579(JP,B2)
【文献】
特開昭49−031394(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 9/00 − 9/36
G01N 7/00 − 7/22
JSTPlus/JST7580(JDreamIII)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
気体試料、あるいは気化された液体試料、固体試料が衝突することにより、機械的変形、光学的変化、電気的変化、磁気的変化を含む特性変化が生じる構造体に対して、測定対象である気体状態の試料を衝突させて、前記構造体に機械的変形、光学的変化、電気的変化、磁気的変化を含む特性変化のうちの少なくともいずれかを生じさせ、この変化量から気体状態の試料の分子量を求めることを特徴とする分子量測定方法。
【請求項2】
前記構造体に生じる前記特性変化は機械的変形であり、前記構造体に対して、測定対象である前記気体状態の試料を衝突させて前記構造体を変形させ、前記構造体の変形量から気体の分子量を求めることを特徴とする、請求項1の分子量測定方法。
【請求項3】
前記構造体の変形量から気体状態の試料による抗力F
Dを算出し、以下の数式から気体の分子量Mを求めることを特徴とする、請求項2の分子量測定方法。
【数1】
【請求項4】
前記気体状態の試料は前記構造体に対して噴流として与えられることを特徴とする、請求項1から3のいずれかの分子量測定方法。
【請求項5】
前記構造体はカンチレバーであることを特徴とする、請求項1から4のいずれかの分子量測定方法。
【請求項6】
前記抗力は以下の数式で与えられることを特徴とする、請求項4の分子量測定方法。
【数2】
【数3】
【請求項7】
前記構造体はカンチレバーであることを特徴とする、請求項6の分子量測定方法。
【請求項8】
前記レイノルズ数Reは下式で与えられることを特徴とする、請求項6または7の分子量測定方法。
【数4】
【請求項9】
前記レイノルズ数Reは下式で与えられることを特徴とする、請求項6または7の分子量測定方法。
【数5】
【請求項10】
前記カンチレバーの変形量は下式で与えられることを特徴とする、請求項7から9のいずれかの分子量測定方法。
【数6】
【請求項11】
前記構造体を測定対象である気体試料、あるいは気化された液体試料、固体試料を含む空間で運動させることにより前記構造体を変形させることを特徴とする、請求項1から3のいずれかの分子量測定方法。
【請求項12】
前記構造体の変形量の測定は、前記構造体の変形を光学的に検出可能である変形測定手段によって行うことを特徴とする、請求項1から11のいずれかの分子量測定方法。
【請求項13】
気体試料、あるいは気化された液体試料、固体試料を導入する吹き出し口を有するとともに、内部にカンチレバーが配設されたチャンバーと、
前記吹き出し口からチャンバー内に気体状態の試料を供給して、カンチレバーに気体状態の試料を衝突させる試料供給手段と、
気体試料、あるいは気化された液体試料、固体試料の衝突に伴う前記カンチレバーの変形量を測定する変形測定手段と、
前記カンチレバーの変形量に基づいて気体状態の試料の分子量を演算する演算手段と、
を含むことを特徴とする分子量測定装置。
【請求項14】
前記カンチレバーは幅w、長さLであり、直径lの管の前記吹き出し口から距離Hの位置に置かれ、
前記演算手段は、以下の数式で与えられるカンチレバーの変形量z(x)と気体の分子量Mとの関係式に基づいて気体の分子量Mを算出することが可能とされていることを特徴とする、請求項13の分子量測定装置。
【数7】
【数8】
【請求項15】
前記レイノルズ数Reは下式で与えられることを特徴とする、請求項14の分子量測定装置。
【数9】
【請求項16】
前記レイノルズ数Reは下式で与えられることを特徴とする、請求項14の分子量測定装置。
【数10】
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、構造体に気体、あるいは気化された液体試料や固体試料の気流を当てたり、逆にこれら気体状態の試料中で構造体を運動させたりなど、気体状態の試料と構造体との相対運動によって構造体に引き起こされる機械的変形や、光学的、電気的、磁気的変化を含む特性変化の変化量から、気体状態の試料の分子量を求める分子量測定方法及び測定装置に関する。
【背景技術】
【0002】
気体分子量の測定方法は、対象気体をバッグなどの容器に捕集してその質量を測定する方法や、気体の浮力を利用する方法などといった古典的な方法が知られている。これらの方法では、主に天秤で質量を量るため、比較的多くの気体試料が必要となり、測定に至るまでに手間や時間がかかってしまう。また、対象となる気体の組成が時間変化する場合の対応が困難であるなどの問題もある。
【0003】
このような古典的な方法の他に、分子をイオン化させて電気的、あるいは磁気的な作用によって分離させる質量分析器などがある。しかし、この場合には大型かつ高価な装置が必要となる。従って、質量分析器を、対象の気体が存在する現場に持ち出して測定を行うことは、多くの場合、現実的ではない。
【0004】
一方、特許文献1には、被測定気体で満たされる測定室と、測定室内に設置された振動子と、振動子を励振するとともに振動子の励振パラメーターを測定する励振測定部と、振動子が置かれている気体の圧力を測定する圧力測定子と、振動子の温度を測定する温度測定子とを備えた気体の分子量を測定する装置において、励振測定部で測定した励振パラメーターと圧力測定子で測定した圧力と温度測定子で測定した温度とから気体の分子量を演算する演算部を備えた気体の分子量測定装置が記載されている。この分子量測定装置によれば、小型化された装置でリアルタイムに分子量を計測できるとされている。
【0005】
しかしながら、特許文献1の分子量測定装置の場合、振動子は外部にある駆動・測定部の回路から交流電圧が印加され、その周波数が振動子の共鳴周波数と自動的に一致するように発振器と連携させる必要がある。また、特許文献1の分子量測定装置では、印加される電圧と流れる電流と周波数とを計測するための励振パラメーター測定器や、印加する交流電圧を制御するための振幅調節器も必要であり、装置の小型化や分子量測定の簡便さの点においてさらなる改善が望まれている。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
本発明は、上記従来技術とは全く異なる、流体力学、熱力学および力学を組み合わせた原理によって、小型で簡易な装置を用いて、リアルタイムで気体の分子量を計測することができる分子量測定方法および分子量測定装置を提供することを課題としている。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明の分子量測定方法は、以下のことを特徴としている。
【0008】
気体試料、あるいは気化された液体試料、固体試料が衝突することにより、機械的変形、光学的変化、電気的変化、磁気的変化を含む特性変化が生じる構造体に対して、測定対象である気体状態の試料を衝突させて、前記構造体に機械的変形、光学的変化、電気的変化、磁気的変化を含む特性変化のうちの少なくともいずれかを生じさせ、この変化量から気体状態の試料の分子量を求める。
【0009】
前記構造体に生じる前記特性変化は機械的変形であり、前記構造体に対して、測定対象である前記気体状態の試料を衝突させて前記構造体を変形させ、前記構造体の変形量から気体の分子量を求める。
【0010】
前記構造体の変形量から気体状態の試料による抗力F
Dを算出し、以下の数式から気体の分子量Mを求める。
【0011】
【数1】
【0012】
前記気体状態の試料は前記構造体に対して噴流として与えられる。
【0013】
前記構造体はカンチレバーである。
【0014】
前記抗力は以下の数式で与えられる。
【0015】
【数2】
【0016】
【数3】
【0017】
前記構造体はカンチレバーである。
【0018】
前記レイノルズ数Reは下式で与えられる。
【0019】
【数4】
【0020】
また、条件によっては前記レイノルズ数Reは下式で与えられる。
【0021】
【数5】
【0022】
前記カンチレバーの変形量は下式で与えられる。
【0023】
【数6】
【0024】
前記構造体を測定対象である気体試料、あるいは気化された液体試料、固体試料を含む空間で運動させることにより前記構造体を変形させる。
【0025】
前記構造体の変形量の測定は、前記構造体の変形を光学的に検出可能である変形測定手段によって行う。
【0026】
本発明の分子量測定装置は、以下のことを特徴としている。
【0027】
気体試料、あるいは気化された液体試料、固体試料を導入する吹き出し口を有するとともに、内部にカンチレバーが配設されたチャンバーと、前記吹き出し口からチャンバー内に気体状態の試料を供給して、カンチレバーに気体状態の試料を衝突させる試料供給手段と、気体試料、あるいは気化された液体試料、固体試料の衝突に伴う前記カンチレバーの変形量を測定する変形測定手段と、前記カンチレバーの変形量に基づいて気体状態の試料の分子量を演算する演算手段と、を含む。
【0028】
前記カンチレバーは幅w、長さLであり、直径lの管の前記吹き出し口から距離Hの位置に置かれ、前記演算手段は、以下の数式で与えられるカンチレバーの変形量z(x)と気体の分子量Mとの関係式に基づいて気体の分子量Mを算出することが可能とされている。
【0029】
【数7】
【0030】
【数8】
【0031】
前記レイノルズ数Reは下式で与えられる。
【0032】
【数9】
【0033】
また、条件によっては前記レイノルズ数Reは下式で与えられる。
【0034】
【数10】
【発明の効果】
【0035】
本発明の分子量測定方法によれば、簡易な小型の装置を使用して、ほとんど全ての気体およびその混合気体、あるいは気化された液体試料や固体試料の分子量をリアルタイムで測定可能になる。また、リアルタイムで気体の分子量が測定可能になるため、化学反応の際に生じる気体成分を観測することが可能になり、化学反応の進行度合いを評価することが可能になる。そして、本発明の分子量測定装置によれば、装置の小型化が可能であるため、いつでも、どこでも、誰でも、簡単に気体の分子量を測定することが可能になり、例えば環境の変化などを観測することが可能になる。さらに、本発明の分子量測定装置は気体分子の物理的な衝突現象を利用するため、気体を衝突させる構造体に対して特別な処理を施したり、消耗品を頻繁に交換したりすること無く、装置を繰り返し使用することが可能である。
【図面の簡単な説明】
【0036】
【
図2】本発明の分子量測定装置の原理を示す微分式を実施例の条件及び測定結果に基づいて解いた結果である、分子量とカンチレバーの変形量との関係式を示すグラフである。
【
図3】上記関係式の関数の線形要素のグラフである。
【
図4】上記関係式の関数の摂動要素のグラフである。
【
図5】本発明の分子量測定装置の一実施例の概念的な構造を示す図である。
【
図6】各種の気体を本発明の一実施例の分子量測定装置により測定した際に観測された、カンチレバーの変形量を示す図である。
【
図7】2種類の気体の混合比を変化させた場合の、カンチレバーの変形量の変化を示す図である。
【
図8】実験結果、有限要素解析および解析計算の結果を示す図である。
【
図9】気体試料(ヘリウム、窒素、空気、アルゴン、二酸化炭素)の衝突に伴うカンチレバーの変形を横から見た図である(A:実験結果、B:有限要素解析、C:解析計算)。横軸の0μmの位置と500μmの位置が、それぞれカンチレバーの固定端と自由端に相当する。(数式2,6,7のxとは定義が異なる。数式2,6,7のxでは、x=0の位置が自由端となる)
【
図10】液体試料(ペンタン)を気化させてカンチレバーに衝突させた際のカンチレバーの変形量を示す図である。
【
図11】液体試料(へキサン)を気化させてカンチレバーに衝突させた際のカンチレバーの変形量を示す図である。
【
図12】液体試料(ヘプタン)を気化させてカンチレバーに衝突させた際のカンチレバーの変形量を示す図である。
【
図13】
図10、
図11、
図12の各ピークを積分することにより得られた面積値に対して、対応する液体試料(ペンタン、へキサン、ヘプタン)の分子量をプロットした図である。
【
図14】気体試料(ヘリウムおよびアルゴン)が大気中に拡散する様子を本発明の分子量測定装置を用いた実験及び有限要素解析により描写した図である。縦軸、横軸とも0mmの位置にノズルの吹き出し口があって、縦軸方向(上向き)に気体試料を噴射しており、図中の濃淡は各位置での気体濃度を表している。具体的にはノズル径は0.7mmで、噴射ガスの流量は150mL/minとした。ノズルの中心点を原点とし、そこから水平方向に0.25mm間隔、垂直方向に1mm間隔でポンプと接続したチューブを動かし、各点において気体試料を一定時間サンプリングし、その際に生じるカンチレバーの変形量をデジタルホログラフィック顕微鏡により測定し、気体濃度を算出した。
【
図15】本発明の分子量測定装置を用いて、実空間上の任意の点における気体濃度を決定するための手法について示した図である。
【
図16】抗力係数(C
D)とレイノルズ数(Re)の関係を示す図である。
【0037】
本発明の分子量測定方法は、気流により機械的変形や、光学的、電気的、磁気的変化を含む特性変化を生じる構造体を利用して、気体状態の試料の分子量(試料が混合気体の場合にはその平均分子量)を求めるものである。
【0038】
以下、本発明の分子量測定方法について説明するが、本発明において使用される記号は以下の表1のように定義される。
【0040】
本発明の分子量測定方法の一実施形態では、構造体が、気体試料、あるいは気化された液体試料や、固体試料が衝突することにより機械的変形が生じるものであって、この構造体に対して、測定対象である気体状態の試料を衝突させて構造体を変形させ、この構造体の変形量から、抗力F
Dを算出して気体の分子量Mを求める。
【0041】
本発明の分子量測定方法において、分子量Mを求める数式は、以下のように導き出される。
【0042】
密度ρの気体が、速度Vで面積Aの物体に、抗力係数C
Dで衝突する場合に生じる力である抗力F
Dを与える一般的な数式は、以下の数式(1)で与えられる。
【0044】
さらに、気体が理想気体と見なせる場合、気体の圧力P、分子量M、気体の密度ρ、気体定数R、気体の温度Tの間には、以下の数式(2)に示す気体の状態方程式が成り立つ。
【0046】
したがって、数式(1)と数式(2)からρを消去することにより、抗力F
Dと分子量Mとの間の関係を示す、以下の数式(3)を得る。
【0048】
数式(3)から、気体流によって印加される抗力F
Dは気体の分子量と関係していることが分かる。
【0049】
本発明の分子量測定方法では、気体流によって生じる構造体の機械的変形を測定することにより、気体流によって印加された抗力F
Dの値が与えられるため、それによって気体の分子量Mを得ることが可能になる。この際、他の変数、つまり、気体の圧力P、気体の温度T、気体の相対速度V、抗力係数C
Dの値は、予め設定された値を用いるか、あるいは随時測定することで、気体の分子量Mを決定することができる。
【0050】
なお、抗力係数C
Dは、抗力F
Dを動圧と面積Aで無次元化したものであり、流体の流れに対する構造体の形状(迎え角)・流体の粘性・流れの速さ(レイノルズ数)、マッハ数によって変化するが、これらの条件を予め設定しておくか、随時測定することで、適正な値を決定することができる。
【0051】
本発明の分子量測定方法においては、構造体の変形量は、公知の変形測定手段で測定することができる。具体的には、変形測定手段は、たわみなどの構造体の変形量を測定できる装置であり、従来のナノメカニカルセンサーで使用されてきた各種の手法を適用することができる。具体的には、例えば、表面応力センサー、その他の機械的な変形や応力を電気信号に変換する素子(例えばピエゾ抵抗素子)、レーザー光を構造体の表面で反射させてその反射光を測定する装置、干渉計及びホログラフィック顕微鏡を含む光学読み取り装置、圧電素子または電界効果トランジスタ、あるいは静電容量の変化を読み取るものなどを含む装置を好ましく例示することができる。
【0052】
本発明の分子量測定方法においては、構造体は、気体が衝突することにより機械的変形や、光学的、電気的、磁気的変化を含む特性変化を生じるものであれば特に限定されず、どのような物体でも使用することができるが、例えば1箇所または複数個所で支持された薄片状部材を好ましく例示することができる。より具体的には、本発明では
図1に示すように、シリコン製のカンチレバーを好ましく例示することができる。このような構造体に気体試料の気流が当たると、気体試料分子の衝突によりカンチレバーがたわんで変形する。気体の流量、気体分子の分子量等のパラメーターにより、変形量(たわみ量)が決まる。また、構造体は、その他に、例えば、両持ち梁などの2か所あるいはより多くの箇所で支持された薄片状の物体、膜体など、様々な形態のものを採用することができる。
【0053】
構造体に気体を衝突させるための方法、手段は特に限定されず、気体を構造体に噴射して衝突させる形態や、気体中で構造体を運動させることで気体を構造体に衝突させる形態を好ましく例示することができる。この場合、構造体に対する気体の相対速度Vは、例えば、気体を構造体に噴射して衝突させる形態の場合には、気体(気流)の速度であり、気体中で構造体を運動させることで気体を構造体に衝突させる形態の場合には、構造体の運動速度である。
【0054】
ここで、気体が構造体に噴流の形態で衝突する場合について論じる。
【0055】
三次元軸方向に対称形の噴流の速度は、以下の数式によって与えられることが知られている。
【0057】
ここにおいて数式(3)のVに数式(4)を代入し、さらにA=w×Lを代入することで、以下の数式(5)を得る。
【0059】
上式は、分子量M、圧力P、温度T、動粘性係数μの気体が、軸対称層流噴流として、直径lの管から流量Qで吹き出し、吹き出し口から距離Hのところにある、幅w、長さLの物体に抗力係数C
Dで衝突した場合に生じる力F
Dを与える。なお、xは吹き出し口の中心点から噴流軸に対して垂直方向の距離を表す。
【0060】
ここでは、抗力F
Dを受けるものは何でも良く、当然カンチレバーに限らない。また、抗力F
Dの大きさは噴流軸からの距離xによって決定されるため、抗力F
Dを受けるものを噴流に対してどこに設置しても、数式(5)は成り立つ。
【0061】
なお、数式(5)中の抗力係数C
Dは定数ではなく、xの関数となることに注意されたい。抗力係数C
Dはレイノルズ数(Re=ρV(x)l/μ)と相関のある値であるため、V(x)、つまりxに依存して値が変化する。これを直感的に説明すれば、噴流軸上(x=0)つまり噴流の中心と、噴流から離れた位置(x>0あるいはx<0)とでは気体の流速V(x)の値が異なり、それに応じて粘性力と慣性力の比であるレイノルズ数が異なるため、気体の流体力学的特性が異なり、受ける力の係数C
Dが異なってくるのである。
【0062】
以下では、Euler-Bernoulli理論の考察を含め、本発明の分子量測定方法において、気体が構造体に噴流の形態で衝突するとの条件に加えて、測定対象である気体試料を噴流の形で衝突させる構造体が
図1に例示したようなカンチレバーである、すなわち抗力F
Dを受ける物体として、噴流軸上(x=0)に自由端の位置を合わせ、かつx軸方向に長さ方向を揃えたカンチレバーを利用するという条件を追加して、さらに詳しく説明する。
【0063】
よく知られているように、長さL、ヤング率E、断面二次モーメントIのカンチレバーに分布している一次元荷重(q=F
D/L)が印加された場合のカンチレバーのたわみ量zは以下の微分方程式で与えられる。
【0065】
断面が長方形のカンチレバーの断面二次モーメント(I)は、これもよく知られているように、カンチレバーの幅wとカンチレバーの厚さtとを用いて、以下の数式(7)で表される。
【0067】
カンチレバーの自由端を噴流の中心に合わせて、噴流の噴出部の上方にカンチレバーを設置する(
図1)。数式(6)のxは、自由端の0から固定端部のLの間を変化する。
【0068】
F
Dを表す数式(5)を数式(6)へ代入して4回積分する。このときに出てくる積分定数を、以下の境界条件を元に決定する。
・境界条件1:自由端(x=0)では、せん断力がゼロとなる、つまりzの三回微分がゼロとなる。
・境界条件2:自由端(x=0)では、曲げモーメントがゼロとなる、つまりzの二回微分がゼロとなる。
・境界条件3:固定端(x=L)では、撓み角がゼロとなる、つまりzの一回微分がゼロとなる。
・境界条件4:固定端(x=L)では、撓みがゼロとなる、つまりzはゼロとなる。
こうして4回積分し、積分定数を決定することによって抗力F
Dを求めることができる。
【0069】
ただし、ここで問題となるのは、数式(5)に示すとおり、抗力F
Dには抗力係数C
Dが含まれており、この抗力係数C
Dは、レイノルズ数Re(=ρV(x)l/μ;つまりReはV(x)の関数、要はxの関数ということ)と相関のある値であるため、抗力係数C
Dがxの関数であるという点である。つまり、数式(6)をxで積分する際に、右辺の抗力F
D中の抗力係数C
Dもxで積分されることになる。そのため、抗力係数C
Dをxの関数として定義しない限り、数式(6)の積分の解を得ることができない。したがって、例えば実験的にこのようなC
Dの関数を求めれば、カンチレバーの変位から試料の気体の分子量を求める数式を導くことができる。
【0070】
以下では、このようなxの関数としての抗力係数C
Dの求め方の一例を示す。
【0071】
ここでは、「噴流」+「カンチレバー」という測定形態を実施例の諸条件下で導入した際に成り立つ近似的な関係であるところのC
DとReとの解析関係を導入する。
【0072】
まず、一般的なレイノルズ数の定義は下式により与えられる。
【0074】
ここで、ρは気体の密度を示し、Vは気体の流速を示し、lは代表長さ(気体を放出する管の直径など、詳細は後述)を示し、μは動粘性係数を示している。ここでは噴流であることが条件となっているので、Vはxの関数となることに注意されたい。また、実験結果より、抗力係数C
Dとレイノルズ数Reとの関係は、近似的に以下のよう与えられることが分かった。
【0076】
具体的には、Reにかかる指数を変化させて実験値との整合性を確認したところ、数式(9)のように−0.5にすると、本実施例で確認された「分子量とたわみ量との線形関係(正確には略線形関係)」を、高い精度で再現することを見出した。
【0077】
αの値については、実験から数式(3)などを元に得られるC
Dの値と、計算や有限要素解析から得られるV(x)などの値を元に数式(8)から得られるReの値とに基づいて決定した。なお、代表長さlとしてどの値を利用するかによって、αの値は変わってくる。管内の流体を考える場合は、管の直径を代表長さとして利用することは自然な考え方であるが、これに基づいてlを管の直径とするとαの値は9.21程度(有限要素解析から得たVの値を元に計算した場合)、あるいは10.2程度(噴流の解析解から得られるVの値を元に計算した場合))となる。一方、気体が衝突する物体の長さを採用することも十分妥当であると考えられるため、lをカンチレバーの幅wとすれば、αの値はおよそ5.6程度となる(噴流の解析解から得られるVの値を元に計算した場合)。
【0078】
こうして、抗力係数C
Dをxの関数として定義することができたので、これを数式(5)に代入し、得られる抗力F
Dを数式(6)に代入して4回積分を行い、境界条件から積分定数を決定することで、下記数式(10)を得る。
【0080】
なお、この数式は、x=0を代入することにより、噴流軸上であり、かつカンチレバーの自由端の場合のたわみ量を表す下式を得る。
【0082】
ここに各パラメータとして、表7の値およびα=9.21を代入すると、以下の数式を得る。
【0084】
この式は、前半部分が分子量Mに対する線形性を示しており、後半のatanの部分が、前半部分の線形性に摂動を与えていることを示している。
【0085】
数式(12)中のMは、kg/mol単位であるため、通常分子量を表す場合に使用されるg/mol単位に変換し、それをM
gとすると以下の数式を得る。
【0087】
この数式を分子量M
g[g/mol]に対してプロットすると
図2のようになる。
図2からわかるように、この数式はおおむね線形であるが、特に低分子量領域で線形性が崩れる。また、この数式中の線形要素である前半部分及び非線形要素である後半部分をプロットしたグラフをそれぞれ
図3及び
図4に示す。
図3は当然ながら直線状のグラフとなる。この線形関係に対して第2項のatan部分が摂動を与える。この摂動量の値が1の時、完全な線形となる。特に低分子量領域で1を大きく下回り、線形性から外れてくる。高分子量領域は、1〜1.5程度の値で飽和する傾向があり、線形性にあまり大きな影響を与えないが、分子量M
gに対するカンチレバーのたわみ量に非線形性の摂動は加わる。このatanの部分を補正すれば、分子量M
gに対するカンチレバーのたわみ量を正確に与える事が可能になる。
【0088】
前述のとおり、どの部分の気体に注目するかによって、レイノルズ数Reの値は変わる。例えば、管内の気体に注目する場合、レイノルズ数Reを与える数式(8)のlは、通常、管の直径を利用する。この場合に数式(8)によって計算されたレイノルズ数(Re)を表9にまとめてある。これに対し、カンチレバー周辺の気体に注目する場合、lは、通常、カンチレバーの幅を利用する。この場合に数式(8)によって計算されたレイノルズ数Reを表10にまとめてある。そのため、数式(8)より、lの値に応じてレイノルズ数Reは異なり、結果的に数式(9)により、αの値も異なる。例えば、管内の気体、およびカンチレバー周辺の気体に注目した場合、αの値はそれぞれ9、および5程度の値となる。このように注目する気体に応じてレイノルズ数Reは変化するため、これに応じて
図16も変化することに注意が必要である。また、数式(9)についても、実験の条件や注目する気体のレイノルズ数の範囲などによって、式が変化することに注意が必要である。レイノルズ数Reは数式(8)によって与えられる値であるのに対し、抗力係数C
Dは実験的に得られる値であり、このReとC
Dは一般に複雑な関係となる。一例として、球の場合のReとC
Dの関係が非特許文献3で紹介されている。そのため、数式(9)は、あくまで本実施例の条件下で、かつレイノルズ数を一定の範囲に限定した場合に近似的に成り立つ関係であり、条件を変えた場合は、それに応じてReとC
Dの関係を予め確認しておく必要がある。ただ、不規則な揺らぎが生じる乱流では無く、妥当な測定が可能となる層流を与える領域(臨界レイノルズ数以下の、概ねRe<10
3の領域)では、多くの場合ReとC
Dは一定の関係となるため、現実的な測定環境では数式(9)、あるいはそれに準ずる形式で記述可能となる。
【0089】
本発明の分子量測定方法では、例えば、事前に標準気体を使用して、気体の分子量Mとカンチレバーの変形量zとの関係を校正しておくことで、カンチレバーの変形量zの測定値から、直ちに気体試料の分子量Mを、高精度で得ることが可能になる。標準ガスを用いた校正の際に、気体の相対速度V、気体の圧力P、温度Tなどのパラメーターを気体試料のパラメーターと一致させておく(あるいは測定結果が要求される誤差範囲に収まるような範囲内に収める)ことができれば、これらのパラメーターの値を具体的に測定などして求めることは不要になる。
【0090】
本発明の分子量測定方法では、測定対象の気体は、複数種類の分子を含む混合気体であってもよい。この場合、気体の分子量を求める過程では、混合気体中の分子の平均分子量を求めることができる。さらに、本発明の分子量測定方法では、液体試料や固体試料を気化させ、その気体状態の試料をカンチレバーなどの構造体に衝突させることで、液体試料や固体試料の分子量を測定することもできる。
【0091】
本発明による分子量測定方法に関して、上記では理想気体を前提としたが、理想気体は分子自体の体積及び分子間力の寄与を排除したものである。厳密には、これらの寄与を考慮した実在気体について議論する必要があるため、ここでは上記のパラメーターの影響について定量的に述べる。
【0092】
実在気体の状態方程式は以下の形で表される。
【0094】
ここで、Pは気体の圧力、V
gasは気体の体積、nは気体のモル数、Rは気体定数、Tは気体の温度、aおよびbは気体のファンデルワールス定数である。ファンデルワールス定数は各気体に固有の値であり、代表的な値を表2に示す。
【0096】
25°Cで、1モルの気体の体積は、表2の値に基づき数式(14)より求めることが可能である。表3に1atmにおけるヘリウム、窒素、空気、アルゴン及び二酸化炭素の体積を示す。
【0098】
理想気体モルの体積は、理想気体の状態方程式より24.478Lと求められる。表2から分かるように、各気体の分子体積と理想気体の体積はほぼ一致しており、最もずれの大きな二酸化炭素の場合でも差は約0.5%以下にとどまる。したがって、25°C、1atm付近で実施される測定に関しては、この誤差範囲内で、理想気体を前提とした議論を適用することが可能である。
【0099】
測定結果に影響を与える他の因子として、ジュール・トムソン効果が挙げられる。一般に、気体が多孔質壁などを通過する際に、壁の前後の圧力を一定に保っている場合、通過後の気体の温度が低下するという現象が、ジュール・トムソン効果として知られている。したがって、例えば、気体が径の小さな吹き出し口から広い空間へと噴出するような形態の分子量測定装置では、ジュール・トムソン効果の寄与を検討する必要がある。
【0100】
ジュール・トムソン効果の適用対象は圧縮性流体であり、圧縮性流体はマッハ数の大小によって定義される。マッハ数Maは次の数式(15)で表される。
【0102】
ここで、v
fは流体の速度、v
sは音速である。音速は周囲の媒質によって変化するものであり、次の数式(16)により与えられる。
【0104】
ここで、gは気体の比熱容量、Rは気体定数、Tは気体の温度、Mは気体の分子量である。表4にヘリウム、窒素、空気、アルゴン及び二酸化炭素のg及びMの値を示す。
【0106】
表4に示した値及び数式(16)から求めた各気体中における音速及びマッハ数を表5に示す。なお、ここでガスの流速としては、配管径300μm、流量6mL/minとして計算した値(約1.41m/s)を用いた。
【0108】
マッハ数が0.3より大きければ、その気体は圧縮性気体であると定義される。そこでマッハ数0.3の時の気体の速度v
fを計算すると表6のようになる。
【0110】
v
fが表6の値より小さければ非圧縮性気体として扱うことが可能であるので、この場合、前述のジュール・トムソン効果の影響は無視してよい。
【0111】
次に、本発明の分子量測定装置の一実施形態について説明する。
【0112】
本発明の分子量測定装置は、
気体を導入する吹き出し口を有するとともに、内部にカンチレバーが配設されたチャンバーと、
前記吹き出し口からチャンバー内に気体を供給して、カンチレバーに気体を衝突させる気体供給手段と、
気体の衝突に伴う前記カンチレバーの変形量を測定する変形測定手段と、
カンチレバーの変形量に基づいて気体の分子量を演算する演算手段と、
を含んでいる。
【0113】
図5は、本発明の分子量測定装置の一実施形態を例示した概要図である。
【0114】
この実施形態の分子量測定装置1は、気体供給手段2と、流量制御手段3と、チャンバー4と、変形測定手段5と、流量測定手段6と、演算手段7とを含んでいる。
【0115】
気体供給手段2は、具体的な構成は特に限定されず、例えば、流速1pL/min〜1kL/min程度の範囲、好ましくは、流速3mL/min〜35mL/minの範囲で気体を供給することができるポンプなどを例示することができる。
【0116】
流量制御手段3は、気体供給手段2とチャンバー4の間に配設されている。流量制御手段3は、気体供給手段2から供給された気体の流量を調整して制御可能であるものであればよく、具体的な構成は特に限定されない。
【0117】
チャンバー4は、カンチレバー8を備えている。カンチレバー8は、気体との衝突によって機械的変形や、光学的、電気的、磁気的変化を含む特性変化を生じるものであれば特に限定されず、カンチレバー8の長さ、幅、ヤング率、厚さなどは適宜設定することができる。具体的には、例えば、カンチレバー8はシリコン製以外にもポリマー製、紙製など、有機・無機・生体由来物質など任意の材料を選択可能である。これに応じて、ヤング率も、1Pa〜1PPa(1,000,000,000,000,000Pa)程度の範囲で任意に選択可能であり、ポアソン比も−1〜0.50程度の範囲で任意に選択可能である。また、長さや幅、厚みなども1nmから1kmまで任意に選択可能である。カンチレバー8の形状についても、長さ、幅、厚みのいずれの方向においても、その一部、あるいは全部が任意の角度や曲率をもったものを選択可能であり、カンチレバー8の断面形状も同様に、矩形、星形、多角形、あるいは円形をはじめ、辺の一部、あるいは全部が曲線で構成されているものなど、任意のものを選択可能である。
【0118】
チャンバー4の気体の吹き出し口の形状なども特に限定されず、断面が円形状、矩形状などの形状であってよい。また、吹き出し口の寸法も適宜設計することができ、例えば、吹き出し口が断面円形状の場合には、吹き出し口の直径は1nm〜1km程度の範囲で任意に選択可能である。
【0119】
変形測定手段5は、チャンバー内のカンチレバー8の変形量を測定することができる。具体的には、変形測定手段5は、例えば、表面応力センサー、その他の機械的な変形や応力を電気信号に変換する装置(例えば歪みゲージやピエゾ抵抗素子、あるいは電気容量や表面電荷、誘電特性を含む電気的特性や、光学的特性、磁気的特性の変化を測定するものなど)、レーザー光を構造体の表面で反射させてその反射光を測定する装置、干渉計及びホログラフィック顕微鏡を含む光学読み取り装置、圧電素子または電界効果トランジスタなどを含む装置などを好ましく例示することができる。
【0120】
流量測定手段6は、チャンバーの下流に設けられている。流量測定手段6の具体的な構成は特に限定されず、チャンバー内に供給された気体試料の流量を測定できる公知の装置を適宜使用することができる。
【0121】
演算手段7は、カンチレバー8の変形量zと気体の分子量Mとの関係を示す以下の数式(17)の各パラメーターに、測定された数値または設定された数値を代入して、気体の分子量Mを算出するものを例示することができる。
【0123】
上式中、αは実験条件によって決まる定数であり、今回は9程度であるが、実際には−10000から10000の範囲の定数、μは動粘性係数、lは管の直径、wはカンチレバーの幅、Hは吹き出し口の中心点から噴流軸方向の距離、Pは気体の圧力、Qは流量、Rは気体定数、Tは気体の温度、xは吹き出し口の中心点から噴流軸に対して垂直方向の距離、Lはカンチレバーの長さを示す。なお、前述のとおり、前記数式は、カンチレバー周辺の気体に注目する場合、lは、カンチレバーの幅wとした方が良い場合が有る。この場合、注目する気体のレイノルズ数や前記定数αもそれに応じて値が変化する。
【0124】
本発明の分子量測定装置1によれば、装置が簡易かつ小型であるにも関わらず、ほとんど全ての気体およびその混合気体の分子量を測定できる。また、たわみ量あるいはそれにより生成される応力を連続的に測定すれば、分子量をリアルタイムで測定することも可能になる。
【0125】
このように、本発明の分子量測定装置1は、装置の小型化が可能であるため、いつでも、どこでも、誰でも、簡単に気体の分子量を測定することが可能になり、例えば、構造体を測定対象である気体を含む空間で運動させることにより、環境の変化などを観測することも可能になる。また、リアルタイムで気体の分子量が測定可能になるため、化学反応の際に生じる気体成分を観測して化学反応の進行度合いを評価することができるようになる。さらには、気体分子の物理的な衝突現象を利用しているため、吸着や化学反応に基づいて検出を行うタイプのセンサーとは異なり、装置を繰り返し使用することが可能であり、また時間応答性も良好になる。
【0126】
カンチレバーを主に利用した従来のナノメカニカルセンサーでは、センサーの表面に、受容体層と呼ばれる、検体分子を吸着する層を被覆する必要がある(非特許文献1、2)。この場合、受容体層を再現性良く被覆するには特別な技巧を必要とするなど、一般に困難である。また検体分子の受容体層への吸着は、化学的な作用を含む様々な相互作用が含まれる現象であるため、この種のセンサーからの出力が直接定量的な評価を与えるとは限らないといった問題がある。このような受容体層に関連する困難は、ナノメカニカルセンサー以外のセンサー、例えば水晶振動子(Quartz Crystal Microbalance、QCM)や表面プラズモン共鳴(Surface Plasmon Resonance、SPR)、あるいは電界効果トランジスタ(Field Effect Transistor、FET)などにおいても問題となる。本発明の分子量測定装置では、このような受容体層を必要としないため、他の種類のセンサーに比べて、実用化において重要となる再現性や定量性の達成が容易である。
【0127】
本発明の分子量測定装置は、
図5に例示した形態に限定されず、例えば、その他、各種の測定装置などを含むことができる。また、例えば、流量測定手段は、チャンバーの上流側に配設することもできる。あるいは、ポンプなどの噴射を行う機構自体が噴射量を精密に制御できる場合は、別途気流測定のための手段を設けず、当該機構が気流の量の情報を提供するようにしてもよい。
【0128】
さらに、本発明の分子量測定装置は、静置された構造体に気体を噴射する形態では無く、逆に構造体を動かすことで気体を構造体に衝突されるという構成でも、同様の測定が可能である。これは例えば、カンチレバーの固定端を軸に、密閉チャンバー内、あるいは大気中で回転させて気体を衝突させ、その際のカンチレバーの変形量をピエゾ抵抗などによって読み取るといった構成などが考えられる。この場合、気体を噴射する必要が無いため、ポンプや流量計も必要なくなり、気体と構造体の相対速度は、構造体の回転数や運動速度などによって任意に設定可能とある。また、カンチレバーの変形量などを測定しながら、ガスの吹き出し口、あるいはカンチレバーそのものを空間で移動することにより、気体試料の空間中での濃度勾配分布を可視化することも可能となる。
【実施例】
【0129】
<実施例1>カンチレバーの変形量と気体分子量(1)
以下では、その概念的な構造を
図5に例示した分子量測定装置を用いた分子量測定方法の一実施例について説明する。
【0130】
この実施例では、表7に示した条件で実験を行った。
【0131】
【表7】
【0132】
上記の特徴を有するシリコン製のカンチレバーを小さなチャンバー内に固定した。このチャンバーに気体試料の吹き出し口と排出口を設けた。吹き出し口から入ってくる気体試料が効率よくカンチレバーに噴射されるように、半径約150μmの吹き出し口をカンチレバー直下に設けた。排出口には気体流量計を接続し、導入された気体の流量を測定した。気体試料の噴射は、気体供給手段としてのポンプにより行った。
【0133】
変形測定手段は、0.2nmの垂直解像度とリアルタイム性(10fps以上のレートで動画撮影可能)を有するデジタルホログラフィック顕微鏡(Digital Holographic Microscope、DHM)を使用して、カンチレバーの変形量(偏位)を測定した。
【0134】
純粋なヘリウム(分子量:4.003g/mol)、窒素(分子量:28.01g/mol)、空気(平均分子量:28.97g/mol)、アルゴン(分子量:39.95g/mol)、二酸化炭素(分子量:44.01g/mol)を、様々な流量でこのチャンバーに導入し、その際に測定されたカンチレバーの変形量を
図6に示す。気体の分子量及び気体の流量の増大に従ってカンチレバーの変形量が大きく異なることが確認できる。
【0135】
なお、
図6では吹き出し口からの気流をオン/オフすることにより、「棒グラフ」状の検出出力が得られている。気流をオフにすることにより、検出出力は素早くベースラインに復帰している。このように、本発明では、気流が構造体に与える力が過大であるなどでカンチレバーなどの構造体に永続的な変形を与えない限り、検出出力には過去の気流、つまり以前に構造体に当たっていた気体分子の影響は基本的には現れない。
【0136】
本発明では、気体が混合気体であっても、理想気体に近似できる範囲であれば測定原理に影響しない。そこで、ヘリウムとアルゴン、空気と窒素について、それぞれの混合比を変えた場合のカンチレバーの変形量の変化を測定した結果を
図7に示す。この測定結果から、混合比に応じてカンチレバーの変形量(偏位)が線形に変化することが確認された。したがって、混合気体の場合は、その混合気体の平均分子量に対応する変形量が測定される。
【0137】
本発明の方法を利用して、化学反応の際に発生する気体成分を観測することによって、化学反応をリアルタイムでモニタリングすることも可能である。発生する気体成分の分子量が既知の場合、測定される変形量から、気体の発生量も定量的に測定することも可能となる。
【0138】
図8には、これらの値に基づいて汎用有限要素法シミュレーションソフトCOMSOL(コムソル・エービーの登録商標)を使用して行った有限要素解析の結果(FEA(COMSOL))及び実験で得られた値(「実験(DHM)」)をプロットしている。なお、有限要素解析に際しては、単結晶シリコンの異方性を考慮し、弾性行列Dを用いた計算を行った。弾性行列Dを構成する各要素、c
11、c
12、c
22、c
13、c
23、c
33、c
44、c
55及びc
66は、それぞれ、160GPa、64GPa、160GPa、64GPa、64GPa、160GPa、80GPa、80GPa及び80GPaである。
図8から、誤差範囲内で測定結果が一致することが確認できる。また、分子量とカンチレバーの変形量(偏位)との線形性も確認できる。これにより、本発明の原理的な有効性が実証された。
【0139】
<実施例2>カンチレバーの変形量と気体分子量(2)
図5に例示したチャンバーを利用して気体試料(ヘリウム、窒素、空気、アルゴン、二酸化炭素)をカンチレバーに衝突させ、カンチレバーの変形量と分子量との関係を検討した。
【0140】
具体的な条件は、上掲の表7に示す通りである。
【0141】
気体試料をカンチレバーに向かって噴射し、流量測定装置によって気体試料の速度(V)を測定したところ、気体試料の速度(V)は、6mL/minであった。また、カンチレバーの変形量は、デジタルホログラフィック顕微鏡(Digital Holographic Microscope、DHM)によって測定した。
【0142】
結果を
図9に示す。
【0143】
図9(A)に示したように、カンチレバーの変形量(偏位)はヘリウム、窒素、空気、アルゴン及び二酸化炭素について、それぞれ、138nm、937nm、978nm、1381nm及び1530nmであった。一方、
図9(B)に示したように、汎用有限要素法シミュレーションソフトCOMSOL(コムソル・エービーの登録商標)を使用して有限要素解析(FEA)を行ったところ、ヘリウム、窒素、空気、アルゴン及び二酸化炭素により生じるカンチレバーの変形量は、それぞれ、123nm、971nm、1005nm、1393nm及び1536nmであった。
【0144】
以上をプロットすると、
図8に示したように、分子量とカンチレバーの変形量は、誤差範囲内で一致することが確認された。さらに、数式(17)に表7に示した各パラメーターを代入し、カンチレバーの変形量と分子量の関係をプロットした。その結果、数式(17)は実験およびFEAにより得られた結果を良く再現していることが確認できる。これにより、本発明の原理的な有効性が実証された。
【0145】
<実施例3>液体試料の分子量測定
1μLの液体試料(ペンタン、へキサン、ヘプタン)を、150
oCに加熱されたオーブンに投入して気化させた。そして、気化した試料を、ヘリウムをキャリアーガス(流量:2.8−2.9mL/min)として、加熱されたキャピラリーカラムに供給した。キャピラリーカラムは、カンチレバーが配設されたチャンバー(80
oC)と接続し、気化した試料を、キャピラリーカラムからチャンバーへ供給してカンチレバーに向かって噴射した。
【0146】
図10(ペンタン)、
図11(へキサン)、
図12(ヘプタン)にカンチレバーの変形量を、
図13に気化した試料の流量を測定した結果を示す。
【0147】
図10、
図11、
図12に示したように、キャリアーガス中に含まれる気化した液体試料(ペンタン、ヘキサン、ヘプタン)がカンチレバーと衝突することにより、いずれの場合も単一のピークが観察された。これらのピークを積分することにより得られる面積値は、ペンタン、ヘキサンおよびヘプタンに関して、それぞれ、2598、3120および3531であった。
【0148】
ペンタン、ヘキサンおよびヘプタンの分子量が、それぞれ、72g/mol、86g/molおよび100g/molであることを踏まえ、
図10から得られた面積値に対してプロットすることにより、
図13に示したように、両者間の線形的な関係が確認された。これは
図8で示した気体試料の場合と同様である。
【0149】
<実施例4>気体試料の濃度とカンチレバーの変形量
実施例1からも分かるように、分子量が既知の試料を混合した場合、カンチレバーの変形量から、各成分の濃度を算出することが可能となる。応用の一例として、ノズルから噴出する気体が拡散する様子を、リアルタイムに可視化する実験を実施した。この実験を実施するために、圧電素子により駆動するポンプを前述のカンチレバーが組み込まれたチャンバーと接続し、大気中の任意の点における特定気体の濃度を測定可能な装置を作製した。ノズル径は0.7mmとし、流速150mL/minにてアルゴンおよびヘリウムを噴出させた。ノズルの中心点を原点とし、そこから水平方向に0.25mm間隔、垂直方向に1mm間隔で、ポンプと接続したチューブを動かし、各点において気体試料を一定時間サンプリングした。その際に生じるカンチレバーの変形量をデジタルホログラフィック顕微鏡により測定し、気体濃度を算出した。
【0150】
図14に示すように、アルゴンおよびヘリウムが大気中に拡散する様子を、実験的に描画できることを確認した。これらの結果は、有限要素解析の結果ともよく一致している。ヘリウムの場合、水平方向への拡がりが大きく、アルゴンの場合、垂直方向への伸びが大きいことが分かる。これは、ヘリウムの拡散係数がアルゴンの拡散係数の約4倍であることにより説明される。
【0151】
この実施例において、ポンプにより吸引される気体は、ノズルから噴出される気体試料と空気の混合気体となる。そのため、
図14に示すような濃度マップを描くためには、各点における気体試料と空気の割合を求める必要がある。ここでは、ポンプ流量を一定(16mL/min)に保ち、空気のみを吸引した際に生じるカンチレバーの変形量を基準に、そこからの増減を気体試料の寄与によるものと判断した。具体的には、
図15(左)に示すように、ノズルの中心点では、空気のみの場合と比較して、500nm程度変形量が増加することが分かる。一方、
図15(右)に示すように、ノズルの中心点から離れた場所では、アルゴン濃度が薄くなるため、カンチレバーの変形量は空気のみの場合とほとんど変わらない。あらかじめ作成しておいた流量16mL/minにおけるカンチレバーの変形量と分子量の関係を利用し、本実験により得られたカンチレバーの変形量から混合気体の分子量を算出した。その後、得られた分子量は気体試料と空気の加重平均であると仮定し、気体試料濃度を決定した。
【0152】
気体濃度を可視化する手段として、これまでにも分子の赤外線吸収特性を利用した方法や、発光を利用した方法が報告されているが、いずれも分子自体に赤外線吸収特性や発光特性が必要であり、測定可能な分子種が限られる。そのため、標準の手法とすることは困難であり、より汎用的な手法の確立が望まれている。本発明の分子量測定方法は分子自体の特性に何ら影響されることなく、その分子量を決定することが可能である。したがって、原理的には全ての分子を対象とすることが可能であり、気体の拡散係数の評価など基礎科学的な利用から、呼気やその他の生体ガスなどの拡散性の違いに基づく医療診断技術や屋内環境の定量的観測への応用など、きわめて広範な利用が見込まれる。
【0153】
<実施例5>カンチレバーにおける抗力係数C
Dとレイノルズ数Reの検討
抗力係数C
Dの値は、数式(9)から以下の表8のように推定することができる。
【0154】
【表8】
【0155】
また、抗力係数C
Dは、通常、実験またはシミュレーションに基づいて決定することができる。この実施例では、レイノルズ数Reについて、代表長さlを管の直径、およびカンチレバーの幅とした場合に、それぞれ数式(8)を用いて計算される値を、表9および表10にそれぞれまとめた。
【0156】
【表9】
【0157】
【表10】
【0158】
表8、表9、表10および
図16に示すように、抗力係数C
Dはレイノルズ数Reと相関があることが確認される。
【0159】
以上の通り、本発明の方法によれば、気体試料、または、気化された液体試料、固体試料の分子量(M)を、構造体(カンチレバー)の変形量に基づいて、数式(3)または数式(17)の各パラメーターに数値を代入することで算出することができる。
【符号の説明】
【0160】
1 分子量測定装置
2 気体供給手段
3 流量制御手段
4 チャンバー
5 変形測定手段
6 流量制御手段
7 演算手段
8 カンチレバー
【先行技術文献】
【特許文献】
【0161】
【特許文献1】特開2013‐135362号公報
【非特許文献】
【0162】
【非特許文献1】J. Fritz, M. K. Baller, H. P. Lang, H. Rothuizen, P. Vettiger, E. Meyer, H. J. Guntherodt, C. Gerber, and J. K. Gimzewski, "Translating biomolecular recognition into nanomechanics," Science 288, 316-318 (2000).
【非特許文献2】M. K. Baller, H. P. Lang, J. Fritz, C. Gerber, J. K. Gimzewski, U. Drechsler, H. Rothuizen, M. Despont, P. Vettiger, F. M. Battiston, J. P. Ramseyer, P. Fornaro, E. Meyer, and H. J. Guntherodt, "A cantilever array-based artificial nose," Ultramicroscopy 82, 1-9 (2000).
【非特許文献3】Faith A. Morrison, “Data Correlation for Drag Coefficient for Sphere,” Department of Chemical Engineering, Michigan Technological University, Houghton, MI