(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
前記高濡れ性部位は一つにつながった基面として構成され、前記低濡れ性部位は前記基面の中にドット状に配置されていることを特徴とする請求項1に記載の溶射用マスキング治具。
前記マスキング面において、前記溶射用マスキング治具の端部にあたる部分は、他の部分よりもマスキング面に対する前記低濡れ性部位の面積率が高くされていることを特徴とする請求項4に記載の溶射用マスキング治具。
【背景技術】
【0002】
ワークの表面に金属やセラミックスなどの溶射材を溶射して溶射皮膜を形成する際、被溶射面以外の表面に溶射材が付着すると、溶射の完了後にそれを除去せねばならなくなる。このため、ワークの表面の溶射材を付着させたくない領域をマスキング治具で覆い隠してから溶射を行う方法が知られている。
【0003】
マスキング治具を溶射に用いる際の課題の一つとして、マスキング治具の再利用が挙げられる。マスキング治具のマスキング面には溶射材が付着して堆積するが、マスキング治具を再利用し続けるためには溶射材の堆積物を除去する必要がある。マスキング面からの堆積物の除去が容易でない場合、旋盤等の機械加工により堆積物を除去するか、再利用は断念して新しいマスキング治具を製作せねばならなくなる。
【0004】
一方、マスキング面への溶射材の付着を抑えるのであれば、溶射材が付着し難い材質でマスキング治具を制作することや、そのような材質のコーティングをマスキング面に施すことが考えられる。しかし、この場合、マスキング面に当たった溶射材が跳ね返ってワークの被溶射面に落ちてしまったり、溶射材の堆積物の一部がマスキング面から脱落したりすることで、ワークの被溶射面の品質が低下するという別の問題が発生してしまう。
【0005】
特開2009−127088号公報に記載の従来技術は、マスキング面にショットブラスト処理によって凹凸を形成し、凹凸の上にDLC等の難付着材料をコーティングすることによって上記の2つの問題の解決を図っている。すなわち、凹凸の立体効果により溶射粒子を保持して溶射材のワークへの跳ね返りや堆積物の脱落を抑えるとともに、凹凸の上からコーティングされた難付着材料の効果によりマスキング面からの堆積物の除去を容易にしている。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
しかしながら、上記の従来技術の場合、ワーク上への溶射材の跳ね返りや堆積物の脱落を抑えることができるかどうかと、マスキング面から溶射材の堆積物を容易に除去できるかどうかは、表面に形成する凹凸の形状に依存する。凹凸が深すぎる場合には、マスキング面に堆積した溶射材が凹凸のアンカー効果によって除去できなくなるおそれがある。マスキング治具の再利用による磨耗等によって凹凸が小さくなった場合には、溶射材の堆積物がマスキング面から脱落してワークの被溶射面を汚してしまうおそれがある。
【0008】
そこで、本発明は、表面の凹凸形状のみに依存することなく、マスキング面からワーク上への溶射材の跳ね返りや堆積物の脱落を抑えることができ、且つ、溶射によりマスキング面に堆積した溶射材を容易に除去することができる溶射用マスキング治具を提供することを課題とする。また、ワークに形成される溶射皮膜の品質を低下させることなく、溶射用マスキング治具を再利用することができる溶射におけるマスキング方法を提供することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
上記課題を解決するため、本発明に係る溶射用マスキング治具は、ワークの表面に溶射材を溶射して溶射皮膜を形成する際に、ワークの表面の溶射材を付着させない領域を覆う溶射用マスキング治具であって、溶射材の粒子が吹き付けられるマスキング面に、
第1特性の部位と第2特性の部位とが混ざり合って設けられ
、第1特性の部位は第2特性の部位よりも溶射材に対して濡れ性が高い高濡れ性部位であり、第2特性の部位は第1特性の部位よりも溶射材に対して濡れ性が低い低濡れ性部位であることを特徴とするものである。
【0010】
ここで、溶射材に対する濡れ性とは、マスキング面全体を固体表面とみなした場合の溶射材のマスキング面への付着しやすさを意味する。また、高濡れ性部位と低濡れ性部位とが混ざり合って設けられているとは、マスキング面全体を巨視的に見た場合には高濡れ性部位と低濡れ性部位とが混然一体となっているが、微視的には高濡れ性部位と低濡れ性部位とが明確に分かれている様子を意味する。ここでいう微視的とは溶射材の粒子サイズのオーダーのことをいう。
【0011】
高濡れ性部位においては、溶射材をマスキング面に付着させてワークの被溶射面上への溶射材の跳ね返りや溶射材の堆積物の脱落を抑えることができる。低濡れ性部位においては、マスキング面からの溶射材の堆積物の除去を容易にすることができる。本発明に係る溶射用マスキング治具では、高濡れ性部位と低濡れ性部位とがマスキング面に混ざり合って設けられていることにより、高濡れ性部位の作用による効果と低濡れ性部位の作用による効果とをともにマスキング面全体で得ることができる。
【0012】
高濡れ性部位と低濡れ性部位とをマスキング面に混ざり合って設ける上では、様々な形態を採ることができる。好ましい形態の一つでは、高濡れ性部位は一つにつながった基面として構成され、低濡れ性部位は基面の中にドット状に配置される。高濡れ性部位を一つにつながった基面として構成することで、マスキング面に吹き付けられた溶射材の粒子を捉えて付着させることができる。また、低濡れ性部位を基面の中にドット状に配置することで、マスキング面に付着した溶射材の堆積物を一様に剥がれやすくすることができる。
【0013】
上記のように低濡れ性部位をドット状に配置する場合、ドットの平均径は、溶射材の粒子が偏平してなるスプラットの平均径以下
、具体的には50μm以下であることが好ましい。ドットの大きさがスプラットの大きさ以下であれば、スプラットの少なくとも一部は高濡れ性部位である基面に掛かるので、溶射材をマスキング面に付着させることができる。
【0014】
低濡れ性部位は、マスキング面に形成された
複数の凹部の中に離型剤を充填することで構成されたものでもよい。凹部に離型剤が充填されることで、巨視的にはマスキング面は凹凸のない或いは凹凸の小さい面となる。離型剤には例えば低粘性のオイルを用いてよい。そのような離型剤には溶射材が付着し難いので、離型剤が保持された凹部は低濡れ性部位として機能する。一方、凹部が形成されていない基面は、相対的に溶射材が付着しやすいために高濡れ性部位となる。このような構成によれば、離型剤を補填或いは交換することによって低濡れ性を維持することができる。また、溶射用マスキング治具の製造において低濡れ性部位を容易につくりだすことができる。
【0015】
離型剤を保持する凹部は、規則的に配列された円形のピットであることが好ましい。それにより、高濡れ性部位と低濡れ性部位とをマスキング面に一様に混在させることができる。この場合、ピットの平均径は、溶射材の粒子が偏平してなるスプラットの平均径以下であることが好ましい。ピットの大きさがスプラットの大きさ以下であれば、スプラットの少なくとも一部は高濡れ性部位である基面に掛かるので、溶射材をマスキング面に付着させることができる。
【0016】
本発明に係る溶射用マスキング治具によれば、マスキング面からワークの被溶射面への溶射材の跳ね返りや溶射材の堆積物の脱落を抑える効果と、マスキング面に堆積した溶射材の除去を容易にする効果とを得ることができる。前者の効果は高濡れ性部位の作用により得られ、後者の効果は低濡れ性部位の作用により得られる。よって、マスキング面における高濡れ性部位と低濡れ性部位との比率によって、2つの効果の大小を調整することができる。両方の効果をうまく両立させるには、マスキング面全体に対する低濡れ性部位の面積率が40から60%の範囲にあることが好ましい。
【0017】
マスキング面に対する低濡れ性部位の面積率はマスキング面全体で一様であってよい。ただし、溶射用マスキング治具の端部は熱の逃げ場がないために他の部分に比べて温度が高くなりやすい。そして、高温になるほど溶射材とマスキング面の密着性が高くなって堆積物が除去し難くなる。よって、マスキング面において溶射用マスキング治具の端部にあたる部分は、他の部分よりも低濡れ性部位の面積率が高くされていてもよい。そうすることで、溶射材の堆積物の除去し易さをマスキング面全体でそろえることができる。
【0018】
本発明に係る溶射におけるマスキング方法は、上記のように構成された本発明に係る溶射用マスキング治具をワークに取り付け、ワークの表面の溶射材を付着させない領域を前記溶射用マスキング治具で覆い隠し、溶射用マスキング治具が設置されたワークの表面に溶射材を溶射し、ワークの表面への溶射皮膜の形成が完了した後、溶射用マスキング治具をワークから取り外し、溶射用マスキング治具のマスキング表面に付着した溶射材の堆積物を除去することを特徴とするものである。
【0019】
本発明に係る溶射用マスキング治具を溶射におけるマスキングに用いることにより、溶射時にはマスキング面からワーク上への溶射材の跳ね返り等が抑えられるので、マスキング面から跳ね返った溶射材等によってワークに形成される溶射皮膜の品質が低下することが抑えられる。溶射の終了後にはマスキング面には溶射材が堆積して皮膜となるが、それは容易に除去することができるので、溶射用マスキング治具を再利用するのに掛かる手間やコストは抑えられる。
【発明の効果】
【0020】
本発明に係る溶射用マスキング治具によれば、マスキング面からワーク上への溶射材の跳ね返りや堆積物の脱落を抑えることができ、且つ、溶射によりマスキング面に堆積した溶射材を容易に除去することができる。また、本発明に係る溶射におけるマスキング方法によれば、ワークに形成される溶射皮膜の品質を低下させることなく、溶射用マスキング治具を再利用することができる。
【図面の簡単な説明】
【0021】
【
図1】本発明の実施の形態1の溶射用マスキング治具の微視的構成を示す模式的な平面図である。
【
図2】本発明の実施の形態1の溶射用マスキング治具の微視的構成を示す模式的な断面図である。
【
図3】本発明の実施の形態1の溶射用マスキング治具の使用方法を示す図である。
【
図4】本発明の実施の形態1の溶射用マスキング治具の各使用段階でのマスキング面の状態を示す断面図である。
【
図5】ピットの面積率と溶射材の付着量との関係を示す図である。
【
図6】本発明の実施の形態1の溶射用マスキング治具を用いた溶射におけるマスキング方法の手順を示すフローチャートである。
【
図7】本発明の実施の形態1の溶射用マスキング治具の変形例1の微視的構成を示す模式的な平面図である。
【
図8】本発明の実施の形態1の溶射用マスキング治具の変形例2の微視的構成を示す模式的な平面図である。
【
図9】本発明の実施の形態1の溶射用マスキング治具の変形例3の微視的構成を示す模式的な平面図である。
【
図10】本発明の実施の形態2の溶射用マスキング治具の微視的構成を示す模式的な断面図である。
【
図11】本発明の実施の形態2の溶射用マスキング治具の製作方法を示す図である。
【
図12】本発明の実施の形態3の溶射用マスキング治具の微視的構成を示す模式的な断面図である。
【
図13】シリンダヘッドにおける遮熱膜の成膜箇所を示す図である。
【
図14】
図13に示すシリンダヘッドに遮熱膜を成膜するのに使用される溶射用マスキング治具の構成を示す外観図である。
【
図15】ピストンに遮熱膜を成膜するのに使用される溶射用マスキング治具の構成を示す断面図である。
【
図16】シリンダブロックに保護膜を成膜するのに使用される溶射用マスキング治具の構成を示す平面図及び断面図である。
【発明を実施するための形態】
【0022】
以下、図面を参照して本発明の実施の形態について説明する。ただし、以下に示す実施の形態において各要素の個数、数量、量、範囲等の数に言及した場合、特に明示した場合や原理的に明らかにその数に特定される場合を除いて、その言及した数に、この発明が限定されるものではない。また、以下に示す実施の形態において説明する構造やステップ等は、特に明示した場合や明らかに原理的にそれに特定される場合を除いて、この発明に必ずしも必須のものではない。
【0023】
実施の形態1.
図1は、本発明の実施の形態1の溶射用マスキング治具の微視的構成を示す模式的な平面図である。溶射用マスキング治具は、取り付けられるワークの形状に合わせて作られるため、マスキング面は巨視的には曲面になる場合もある。しかし、溶射材の粒子サイズの微視的レベルでは平面で近似することができる。
【0024】
実施の形態1の溶射用マスキング治具10は、マスキング面12に多数のピット14がドット状に形成されている。溶射用マスキング治具10は鉄系材料或いはアルミ合金で作られ、マスキング面12の基面16には金属面が剥き出しになっている。ピット14はエッチング加工によってマスキング面12を凹ませることによって成形されている。ただし、エッチング加工以外にもプレス加工やレーザー加工等によっても同様の形状を成形することは可能である。
【0025】
個々のピット14は円形であって、その径は、溶射用マスキング治具10を使用したときに溶射材の粒子がマスキング面12にたたきつけられて偏平してなるスプラットの平均径(実験により測定された有限個のサンプルの平均値)と同程度かより小さい径になるように調整されている。径の下限には特に決まりはなく、現実的に形成可能な最小径を下限としてよい。好ましい径は溶射材の材質(本発明では金属、セラミックス或いはサーメットが溶射材として想定されている)や溶射方法に依存するが、好ましい径としての1つの目安は50μmである。ピット14はマスキング面12の縦方向及び横方向に規則的に配列され、マスキング面12の全体に対するピット14が形成されている部分の面積率が50%になるように、つまり、基面16とピット14が形成されている部分との面積比が50:50になるようにピット14の配列が調整されている。
【0026】
図2は、溶射用マスキング治具10の微視的構成を示す模式的な断面図である。詳しくは、溶射用マスキング治具10をマスキング面12に垂直にピット14の径に沿って切断した断面が描かれている。マスキング面12の基面16に対するピット14の深さは、径よりも小さい5乃至10μmに調整されている。ピット14の中には、離型剤18が充填されている。離型剤18は、ピット14の中に入り込み、溶射時の熱によって消失或いは変質することなく、ピット14の内壁と溶射材との直接の接触を抑えることができる物質であればよい。具体的には、低粘性であって低揮発性のオイルが離型剤18としては好ましい。離型剤18としての要件を満たせば、灯油系のオイルでもよいし、オレンジオイルのような植物性のオイルでもよい。ピット14そのものは基面16に対する凹部となるが、ピット14に離型剤18が保持されている状態では、巨視的にはマスキング面12は凹凸のない或いは凹凸の小さい平滑な面となる。
【0027】
以上のように構成されることにより、マスキング面12には2つの機能が付与される。1つは基面16によって与えられる機能であり、もう1つはピット14によって与えられる機能である。金属面が剥き出しになっている基面16は、溶射材に対する濡れ性が高く、溶射の際に吹き付けられた溶射材が付着しやすい。つまり、基面16は、溶射材を積極的に付着させる高濡れ性部位として機能する。これに対して、離型剤18が保持されているピット14には、離型剤18の作用によって溶射材が付着し難い。これは、ピット14が形成されている部位に、濡れ性が低い材質でできた固体面があることと等価である。つまり、ピット14が形成されている部位は、実質的に、溶射材を付着させない低濡れ性部位として機能する。
図1及び
図2に示すように、微視的には、基面16により得られる高濡れ性部位と、ピット14により得られる低濡れ性部位とは明確に分かれている。しかし、マスキング面12の全体を巨視的に見た場合には、高濡れ性部位と低濡れ性部位とは混然一体となる。つまり、溶射用マスキング治具10のマスキング面12には、高濡れ性部位と低濡れ性部位とが混ざり合って設けられていると言える。
【0028】
次に、溶射用マスキング治具10の使用方法について
図3を用いて説明する。
図3の(a)(b)(c)には、各使用段階での溶射用マスキング治具10の様子が模式的に描かれている。溶射用マスキング治具10には、ワークの被溶射面に対応する開口部20が形成されている。なお、
図3では、マスキング面12上にピット14の配列が見えるように描かれているが、これはあくまでも説明のためであり、実際には開口部20に対してピット14の大きさは極小であるので、巨視的にはマスキング面12は一様な面に見える。
【0029】
まず、(a)に示すように、マスキング面12に多数のピット14が設けられた溶射用マスキング治具10が用意される。次に、(b)に示すように、マスキング面12に対して離型剤18が塗布される。離型剤18の塗布はマスキング面12の全面に対して行われる。
図3には離型剤18の塗布にスプレー装置22が用いられているが、離型剤18を塗布する手段や方法には限定はない。離型剤18を塗布した後は、クロス等によりマスキング面12を拭き、基面16の上の余分な離型剤18を拭き取ることが行われる。これにより、ピット14の中にのみ離型剤18が残留する。
【0030】
そして、ピット14に離型剤18が保持されている溶射用マスキング治具10をワークに取り付け、(c)に示すように、溶射用マスキング治具10の上から溶射ガン24によって溶射材を吹き付ける。なお、溶射用マスキング治具10が適用される溶射の方法には限定はない。アーク溶射にも適用できるし、プラズマ溶射にも適用できる。溶射を行うことで、マスキング面12には、溶射材の堆積層(溶射材が堆積してできた皮膜)26が形成される。溶射材が跳ね返ることなくマスキング面12に溶射材の堆積層26が形成されるのは、高濡れ性部位としての基面16の作用による。また、低濡れ性部位としてのピット14の作用により、溶射材の堆積層26はマスキング面12から容易に剥がすことができる。以下、この作用について
図4を用いて説明する。
【0031】
図4は、溶射用マスキング治具10の各使用段階でのマスキング面12の状態を示す断面図である。
図4の(a)(b)(c)の各段階は、
図3の(a)(b)(c)の各段階に対応している。(a)に示すように、マスキング面12に形成されたピット14の中に何も入っていない状態では、基面16もピット14の中も金属面が剥き出しになっている。この状態では、マスキング面12のどの部位も溶射材が付着しやすい高濡れ性部位として機能する。しかし、(b)に示すように、ピット14の中に離型剤18が入ることで、ピット14が形成されている部位は低濡れ性部位として機能するようになり、基面16が出ている部分のみ高濡れ性部位として機能するようになる。
【0032】
溶射が行われることで、(c)に示すように、マスキング面12には溶射材の粒子が偏平してなるスプラット28が堆積し、溶射材の堆積層26が形成される。スプラット28は、基面16には接触するが、離型剤18が保持されているピット14の内壁とは接触しない。よって、スプラット28は濡れ性が高い基面16にのみ付着する。また、ピット14の径はスプラット28の平均径以下であるので、確率的にはスプラット28の少なくとも一部は高濡れ性部位である基面16に掛かる。よって、スプラット28は跳ね返ることなくマスキング面12に付着し、マスキング面12の上には溶射材の堆積層26が形成される。しかし、この溶射材の堆積層26が付着しているのは基面16のみ、つまり、面積率にして50%の部分のみであるので、溶射材の堆積層26とマスキング面12との間の全体としての密着力は低い。マスキング面12に広く溶射材が堆積していたとしても、その密着力が低ければ、溶射材の堆積層26はマスキング面12から容易に除去することができる。さらに、堆積層26を構成する堆積物間の結合力よりも堆積物とマスキング面12との間の密着力が低ければ、除去する際に堆積物を皮膜状のまま剥離させることもできる。
【0033】
ここで、ピット14の面積率と溶射材の密着力との関係を
図5に示す。グラフに白丸及び実線で示すように、マスキング面12の全体に対するピット14の面積率を高くするほど、基面16が有する高濡れ性部位としての効果よりも離型剤18が有する低濡れ性部位としての効果が相対的に高くなり、溶射材のマスキング面12に対する密着力は弱くなる。つまり、マスキング面12に堆積した溶射材を除去しやすくなる。しかし、グラフに破線で示す値よりも密着力が低くなると、溶射材のマスキング面12での跳ね返りや堆積物の脱落が起きるようになる。このことから、マスキング面12に堆積した溶射材の除去を容易にする効果と、マスキング面12からワークの被溶射面への溶射材の跳ね返りや堆積物の脱落を抑える効果とをうまく両立させるには、ピット14の面積率に関して好ましい範囲があることが分かる。実験により確認されたことによると、マスキング面12の全体に対するピット14の面積率、つまり、低濡れ性部位の面積率は、40から60%の範囲にあることが好ましい。50%の面積率は特に好ましい面積率である。
【0034】
マスキング面12の全体に対するピット14の面積率はマスキング面12の全体で一様とすることができる。ただし、溶射用マスキング治具10の端部にあたる部分、
図3に示す例では開口部20の縁部は、ピット14の面積率が他の部分に比べて高くされていてもよい。例えば、開口部20の縁部のみピット14の面積率を60%とし、他の部分におけるピット14の面積率は50%としてもよい。溶射用マスキング治具10の端部は熱の逃げ場がないために他の部分に比べて温度が高くなりやすく、高温になるほど溶射材とマスキング面12の密着性が高くなって堆積物が除去し難くなる。端部におけるピット14の面積率、つまり、低濡れ性部位の面積率を他よりも高めることで、溶射材の堆積物の除去し易さをマスキング面12の全体でそろえることが可能となる。
【0035】
次に、上述のような特徴を有する溶射用マスキング治具10を用いたマスキング方法について説明する。
図6は、溶射用マスキング治具10を用いた溶射におけるマスキング方法の手順を示すフローチャートである。
【0036】
(ステップS10)最初に行われることは、溶射用マスキング治具10の準備である。この準備には、マスキング面12に離型剤18を塗布して表面のみ拭き取り、ピット14にのみ離型剤18を残留させることが含まれる。
【0037】
(ステップS20)次に行われることは、溶射用マスキング治具10のワークへの取り付けである。溶射用マスキング治具10をワークに取り付け、ワークの表面の溶射材を付着させない領域を溶射用マスキング治具10で覆い隠すことが行われる。
【0038】
(ステップS30)次に、溶射用マスキング治具10が設置されたワークの表面に対して溶射材を溶射することが行われる。マスキング面12に吹き付けられた溶射材はマスキング面12に付着して堆積層を形成し、マスキング面12からワーク上への溶射材の跳ね返り等は抑えられる。その結果、マスキング面12から跳ね返った溶射材等によってワークに形成される溶射皮膜の品質が低下することが抑えられる。
【0039】
(ステップS40)ワークの表面への溶射皮膜の形成が完了した後、溶射用マスキング治具10をワークから取り外すことが行われる。
【0040】
(ステップS50)最後に、マスキング面12に付着した溶射材の堆積物を除去することが行われる。ピット14に残留した離型剤18の効果によって堆積物とマスキング面12との間の密着力は低く、堆積物はマスキング面12から容易に除去される。堆積物を除去された溶射用マスキング治具10は、再びステップS10の工程に戻し、離型剤18を補填或いは交換することによってピット14の部位の低濡れ性を回復させることにより、次の溶射のために再利用することができる。
【0041】
以上の工程からなるマスキング方法によれば、溶射時には、マスキング面12からワーク上への溶射材の跳ね返りや堆積物の脱落が抑えられるので、ワークに形成される溶射皮膜の品質を低下させることがない。そして、溶射の完了後は、マスキング面12に付着した溶射材の堆積物を容易に除去することができるので、溶射用マスキング治具10を再利用するのに掛かる手間やコストを抑えることができる。
【0042】
最後に、実施の形態1の溶射用マスキング治具10の変形例を列挙する。
【0043】
図7は、変形例1の溶射用マスキング治具101の微視的構成を示す模式的な平面図である。変形例1の溶射用マスキング治具101は、マスキング面121に多数の溝141がライン状に形成されている。溝141はエッチング加工、プレス加工、或いはレーザー加工によって成形されている。溝141の幅は、実施の形態1のピット14の径と同程度でよい。溝141は等間隔で規則的に配列され、マスキング面121の全体に対する溝141が形成されている部分の面積率が40から60%の範囲になるように(特に好ましくは50%になるように)溝141の配列が調整されている。溝141の中には、実施の形態1で用いたのと同じ離型剤181が充填されている。これにより、金属面が剥き出しになっている基面161は、溶射材が付着しやすい高濡れ性部位として機能し、離型剤181が保持されている溝141は、溶射材が付着し難い低濡れ性部位として機能する。
【0044】
図8は、変形例2の溶射用マスキング治具102の微視的構成を示す模式的な平面図である。変形例1の溶射用マスキング治具102は、マスキング面122に多数の溝142が格子状に形成されている。溝142はエッチング加工、プレス加工、或いはレーザー加工によって成形されている。溝142の幅は、変形例1の溝141の幅と同程度でよい。溝142は縦方向と横方向にそれぞれ等間隔で規則的に配列され、基面162をマス目上に区画している。マス目状に区画された基面162と、溝142が形成されている格子部分との面積比は40:60から60:40(特に好ましくは50:50)に調整されている。金属面が剥き出しになっている基面162は、溶射材が付着しやすい高濡れ性部位として機能し、離型剤182が充填される溝142は、溶射材が付着し難い低濡れ性部位として機能する。
【0045】
図9は、変形例3の溶射用マスキング治具103の微視的構成を示す模式的な平面図である。変形例3の溶射用マスキング治具103は、マスキング面123に不規則な形状の凹部143がまだら模様或いはしぼ模様に形成されている。このようなまだら模様或いはしぼ模様の凹部143はエッチング加工によって成形することができる。基材がアルミ合金の場合は、陽極酸化法によってまだら模様やしぼ模様を加工することもできる。凹部143の形状にはばらつきがあるが、その幅は平均的にはスプラットの平均径以下の幅とされている。また、マスキング面123の全体に対する凹部143が形成されている部分の面積率は40から60%(特に好ましくは50%)に調整されている。凹部143の中には離型剤183が充填される。金属面が剥き出しになっている基面163は、溶射材が付着しやすい高濡れ性部位として機能し、離型剤183が充填される凹部143は、溶射材が付着し難い低濡れ性部位として機能する。
【0046】
以上列挙した変形例から分かるように、離型剤を保持する凹部の形状は円形のピットには限らず、様々な形状をとることができる。本発明の効果を得るためには、溶射材の粒子サイズのオーダーでは高濡れ性部位である基面と低濡れ性部位である凹部とが明確に分離しており、マスキング面全体を巨視的に見た場合には高濡れ性部位と低濡れ性部位とが混然一体となっていればよい。
【0047】
実施の形態2.
本発明の実施の形態1では、凹部に保持する離型剤の作用によってマスキング面に低濡れ性が付与されているが、本発明の実施の形態2及び後述する実施の形態3では、固体表面の材質の違いによって高濡れ性と低濡れ性の2つの機能がマスキング面に付与される。まず、
図10及び
図11を参照して、本発明の実施の形態2の溶射用マスキング治具について説明する。
【0048】
図10は、本発明の実施の形態2の溶射用マスキング治具の微視的構成を示す模式的な断面図である。実施の形態2の溶射用マスキング治具40は、鉄系材料或いはアルミ合金からなる基部44の表層に、セラミックス系材料からなる多数のセラミックス島50が配置された構造を有している。溶射用マスキング治具40のマスキング面42は、基部44の表面である基面46と、セラミックス島50の表面であるセラミックス面52とからなる凹凸のない平滑な面とされている。マスキング面42を上から見ると(図示略)、基面46の中に不規則な形状のセラミックス面52が島状に分布し、全体としてはまだら模様が作られている。マスキング面42の全体に対するセラミックス面52の面積率はほぼ50%(少なくとも40から60%の範囲内であればよい)になっている。また、個々のセラミックス面52の形状にはばらつきがあるが、その大きさは平均的にはスプラットの平均径以下の大きさとされている。
【0049】
材質の異なる2種類の面46,52によりマスキング面42が構成されることにより、マスキング面42には各面46,52の材質により決まる2つの機能が付与される。金属面が剥き出しになっている基面46は、溶射材に対する濡れ性が高く、溶射の際に吹き付けられた溶射材が付着しやすい。つまり、基面46は、溶射材を積極的に付着させる高濡れ性部位として機能する。これに対して、セラミックス面52は、溶射材に対する濡れ性が低く、溶射の際に吹き付けられた溶射材が付着し難い。つまり、セラミックス面52は、溶射材を付着させない低濡れ性部位として機能する。微視的には、基面46により得られる高濡れ性部位と、セラミックス面52により得られる低濡れ性部位とは明確に分かれているが、マスキング面12の全体を巨視的に見た場合には、高濡れ性部位と低濡れ性部位とは混然一体となる。つまり、実施の形態1と同様、溶射用マスキング治具40のマスキング面42には、高濡れ性部位と低濡れ性部位とが混ざり合って設けられていると言える。
【0050】
以上のように構成される溶射用マスキング治具40は、
図11に示す方法にて製作することができる。
図11の(a)(b)(c)には、各製作段階での溶射用マスキング治具40の断面が模式的に描かれている。まず、(a)に示すように、基部44の表面に凹凸形状が加工される。凹凸形状の加工には、例えば、エッチング加工、レーザー加工、プレス加工、ブラスト加工等の微細加工技術が用いられる。次に、(b)に示すように、凹凸形状が加工された基部44の上にセラミックス系材料よりなるセラミックス膜54が形成される。セラミックス膜54の成膜には、例えば、溶射、CVD、PVD等の成膜技術が用いられる。そして、(c)に示すように、基部44が表面に露出してくるまで、セラミックス膜54が成膜された表面に対して研磨がほどこされる。研磨量が多いほど表面への基部44の露出が大きくなるので、基部44の露出面である基面46と、残ったセラミックス膜54の表面であるセラミックス面52との面積比が50:50に近づくように研磨量が調整される。これにより、高濡れ性部位と低濡れ性部位とが混ざり合って設けられたマスキング面42が完成する。
【0051】
実施の形態3.
図12は、本発明の実施の形態3の溶射用マスキング治具の微視的構成を示す模式的な断面図である。実施の形態3の溶射用マスキング治具60は、球状黒鉛鋳鉄からなる鋳物である。鉄基材の組織の中で黒鉛が析出して球状の粒子70となっている。この黒鉛粒子70は溶射用マスキング治具60の表面にも析出している。このため、溶射用マスキング治具60のマスキング面62は、鉄基材が表面に表れてできた基面66と、黒鉛粒子70が表面に表れてできた黒鉛面72とからなる凹凸のない平滑な面となっている。マスキング面62を上から見ると(図示略)、一つにつながった基面66の中に多数のドット状の黒鉛面72が無秩序であるが満遍なく分布している。マスキング面62の全体に対する黒鉛面72の面積率はほぼ50%(少なくとも40から60%の範囲内であればよい)になっている。このような面積率の値は、鉄基材と黒鉛の比率を50:50に近づけることで実現することができる。また、黒鉛粒子70は平均的には溶射材の粒子よりも小さく、黒鉛面72の大きさは平均的にはスプラットの平均径以下の大きさになっている。
【0052】
材質の異なる2種類の面66,72によりマスキング面62が構成されることにより、マスキング面62には各面66,72の材質により決まる2つの機能が付与される。鉄基材が表面に表れてできた基面66は、溶射材に対する濡れ性が高く、溶射の際に吹き付けられた溶射材が付着しやすい。つまり、基面66は、溶射材を積極的に付着させる高濡れ性部位として機能する。これに対して、黒鉛面72は、溶射材に対する濡れ性が低く、溶射の際に吹き付けられた溶射材が付着し難い。つまり、黒鉛面72は、溶射材を付着させない低濡れ性部位として機能する。微視的には、基面66により得られる高濡れ性部位と、黒鉛面72により得られる低濡れ性部位とは明確に分かれているが、マスキング面62の全体を巨視的に見た場合には、高濡れ性部位と低濡れ性部位とは混然一体となる。つまり、実施の形態1や2と同様、溶射用マスキング治具60のマスキング面62には、高濡れ性部位と低濡れ性部位とが混ざり合って設けられていると言える。
【0053】
なお、
図12に示す構造は、アルミナやSiC等のセラミックス粒子を鉄基材に混合して焼結することでも得ることができる。この場合、マスキング面は、鉄基材が表面に表れてできた基面と、基面の中に無秩序であるが均一に分布する多数のドット状のセラミックス面とから構成される。基面は高濡れ性部位として機能し、セラミックス面は低濡れ性部位として機能する。セラミックスと鉄基材の混合比を50:50に近づけることで、マスキング面の全体に対するセラミックス面の面積率を50%に近づけることができる。
【0054】
適用例1.
次に、本発明に係る溶射用マスキング治具の適用例について説明する。適用例1では、内燃機関のシリンダヘッドに遮熱膜を形成する際に本発明に係る溶射用マスキング治具が用いられる。
【0055】
図13は、ディーゼルエンジンのシリンダヘッドにおける遮熱膜の成膜箇所を示す図である。遮熱膜は、シリンダヘッド200において燃焼室の天井面にあたる領域202に溶射によって形成される。遮熱膜の成膜に使用される溶射材は、例えば、ジルコニア、シリカ、窒化珪素、イットリア、酸化チタンなどのセラミックスである。溶射の際には、領域202の周囲や、領域202の内側のバルブ孔204には、遮熱膜の成膜に用いる溶射材がかからないようにしたい。
【0056】
図14は、
図13に示すシリンダヘッドに遮熱膜を成膜するのに使用される溶射用マスキング治具の構成を示す外観図である。溶射用マスキング治具210には、遮熱膜を形成する領域202の形にくり抜かれた開口部212が形成されている。開口部212を含む広い範囲に、高濡れ性部位と低濡れ性部位とが混ざり合ったマスキング面214が形成されている。なお、マスキング面214の構成としては、実施の形態1乃至3及びその変形例も含む何れの構成も適用可能である。また、溶射用マスキング治具210の端部にあたる開口部212の周縁については、溶射の際に他の部位よりも高温になるので、他の部分よりも低濡れ性部位の面積率を高くすることが好ましい。
【0057】
適用例2.
適用例2では、内燃機関のピストンに遮熱膜を形成する際の溶射に本発明に係る溶射用マスキング治具が用いられる。
【0058】
図15は、ディーゼルエンジンのピストンに遮熱膜を成膜するのに使用される溶射用マスキング治具の構成を示す断面図である。遮熱膜は、ピストン220の頂面222に形成される。遮熱膜の成膜に使用される溶射材は、シリンダヘッドに形成される遮熱膜と同じ材質を用いてよい。溶射の際には、キャビティ224の内側や側面226には、遮熱膜の成膜に用いる溶射材がかからないようにしたい。
【0059】
そこで、ピストン220の頂面222に対して溶射を行う場合には、キャビティ224をマスクするための第1の溶射用マスキング治具230と、側面226をマスクするための第2の溶射用マスキング治具240とが用いられる。第1の溶射用マスキング治具230は、キャビティ224の形状に合わせた円形の平面形状を有し、その表面全体をマスキング面232として構成されている。第2の溶射用マスキング治具240は、ピストン220がぴったりと入る円筒部を有し、その円筒部の頂面をマスキング面242として構成されている。各マスキング面232,242の構成としては、実施の形態1乃至3及びその変形例も含む何れの構成も適用可能である。また、第1の溶射用マスキング治具230の外周縁については、溶射の際に他の部位よりも高温になるので、他の部分よりも低濡れ性部位の面積率を高くすることが好ましい。第2の溶射用マスキング治具240の内周縁についても同様である。
【0060】
適用例3.
適用例3では、内燃機関のシリンダブロックに保護膜を形成する際の溶射に本発明に係る溶射用マスキング治具が用いられる。
【0061】
図16は、シリンダブロックに保護膜を成膜するのに使用される溶射用マスキング治具の構成を示す平面図及び断面図である。保護膜は耐摩耗性を向上させるための皮膜であり、シリンダブロック250におけるシリンダ壁面252に溶射によって形成される。保護膜の成膜に使用される溶射材は、例えば、耐摩耗性の高い鉄系材料である。溶射の際には、シリンダブロック250のシリンダヘッドとの合わせ面254には、保護膜の成膜に用いる溶射材がかからないようにしたい。
【0062】
そこで、シリンダ壁面252に対して溶射を行う場合には、シリンダブロック250の合わせ面254をマスクするための溶射用マスキング治具260が用いられる。溶射用マスキング治具260には、シリンダブロック250が有するシリンダの個数だけの開口部262が形成されている。この開口部262の直径はシリンダボアとほぼ同寸であり、溶射用マスキング治具260をシリンダブロック250にセットしたときには、開口部262の内壁面とシリンダ壁面252とはほぼ面一になる。溶射用マスキング治具260は、開口部262の内壁面をマスキング面264として構成されている。マスキング面264の構成としては、実施の形態1乃至3及びその変形例も含む何れの構成も適用可能である。また、溶射用マスキング治具260の開口部262の周縁、特に、シリンダブロック側の周縁については、溶射の際に他の部位よりも高温になるので、他の部分よりも低濡れ性部位の面積率を高くすることが好ましい。