【文献】
QI YULIN,ABSORPTION-MODE FOURIER TRANSFORM MASS SPECTROMETRY: THE EFFECTS OF APODIZATION AND PHASING ON MODIFIED PROTEIN SPECTRA,JOURNAL OF THE AMERICAN SOCIETY FOR MASS SPECTROMETRY,米国,ELSEVIER SCIENCE INC,2013年 4月 9日,VOL:24, NR:6,,PAGE(S):828 - 834,URL,http://dx.doi.org/10.1007/s13361-013-0600-6
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
前記非対称な窓関数が前記時間領域データセットにおいて先行部分のデータよりも後方部分のデータを抑制するように選択されていることを特徴とする請求項1に記載の方法。
前記吸収モードのマススペクトルを生成する手順が、所定の位相・周波数関係を用いて複素周波数スペクトルに位相補正を適用することを含んでいることを特徴とする請求項1に記載の方法。
前記各々のピーク範囲内でスペクトルデータを積分する手順が、各ピーク範囲内のピーク面積を計算することを含んでいること特徴とする請求項1〜5のいずれかに記載の方法。
ピーク範囲がスペクトルのスペクトル曲線の2つの1番目のゼロクロス点の間であると定義され、該2つの1番目のゼロクロス点がそれぞれ各ピークの各側に位置していることを特徴とする請求項1〜6のいずれかに記載の方法。
算出された各ピーク強度値を補正するために校正関数を適用する手順を更に含み、且つ、前記一又は複数のイオンをそれぞれ定量化する手順が該補正された強度値に基づいて実行されることを特徴とする請求項1〜7のいずれかに記載の方法。
【背景技術】
【0002】
フーリエ変換(FT)はイオントラップ内でのイオン振動の周波数を検出する強力な手段であり、これに基づいてフーリエ変換質量分析法(FTMS)が開発された。数多くの研究が行われ、振動周波数を高精度で特定したり分解能を改善したりするための方法が実施されている。例えば、特殊な関数を用いた周波数軸の校正や、吸収モード(Aモード)の周波数スペクトルの使用が試みられてきた。
【0003】
しかし、スペクトル内の個々のピークの定量測定には今まであまり注意が払われてこなかった。言い換えれば、周波数スペクトル(そして最終的にはm/zスペクトル)を作り出した後は、該スペクトル内の各目的ピークに対応する実際のイオン数を知りたくなることがある。
【0004】
従来の質量分析装置では、イオンが検出器に入射することで測定信号が生じるため、イオン検出器を校正しておくことでイオンの数を評価することができる。例えば、何らかのパラメータ(イオンのエネルギー、検出器の各部に印加される高電圧)に対して測定された応答関数を測定信号に適用することで、検出器に入射したイオンの実際の数を得る。応答関数が一定である範囲では単なる定数の乗算により測定信号を実際のイオン数に変換できる。このような検出手法を用いる場合、異なるm/zのイオンの干渉は起きない。つまり、検出の際に2つのイオン群が部分的に重なり合っていても、加法性は維持され、得られたスペクトルのピークを積分すれば各群内のイオンの数をそのまま合計した値が得られるのが一般的である。
【0005】
しかし、検出手法が大きく異なるFTMSでは人為的な影響が生じ得る。簡単に述べると、一般的な測定手順では、異なるm/z値のイオンをイオントラップに注入すると、イオンはそこに捕捉され、比較的長い時間、同じ(又はわずかに変化する)振動周期で振動を行う。各イオンはそのm/z値に応じた固有の振動周期(又は周波数)の値を持ち、この値をFT分析で測定することができる。
【0006】
イオンは、トラップ内で振動する際、一又は複数の電極(一般にピックアップ電極と呼ばれる)の傍を通過し、該電極上に(イメージ)電荷のパルスを生じさせ、それらのパルスが時間領域で測定される。これは時間領域信号と呼ぶことができる。時間領域信号は一定の取得時間にわたって測定され、取得時間が長いほど周波数スペクトルの周波数解像度が良くなる。時間領域信号は、例えば標準的なDFT(離散フーリエ変換)アルゴリズムを用いて周波数領域内の周波数領域信号に変換される。こうして周波数スペクトルが複素数値で以下のように得られる。
【数1】
f(t)は時間領域信号、ReはFTの実部、ImはFTの虚部をそれぞれ表し、νは周波数である。周波数スペクトルはRe(ν)、Im(ν)又はM(ν)としてプロットすることができる。ただし、
【数2】
である。M(ν)はFTの大きさであり、位相因子を介して次のようにF(ν)と関連づけられている。
【数3】
ここでφ(ν)は位相である。
【0007】
最も簡単な場合、n個のイオン雲(それぞれ一定のm/z値、つまり質量電荷比を有する)があれば、例えばM(ν)のプロット図にn個のピークが現れる。
【0008】
FTMSではM(ν)スペクトル(マグニチュードモード又はMモードのスペクトル)がマススペクトルを表すために広く用いられている。Mモードの利点は、スペクトルの値が負にならないこと、そして周波数領域の実部及び虚部の両方から得られる情報を含んでいることである。
【0009】
ピーク強度はスペクトルにおける各イオン種の存在量を反映するものであり、典型的には目的ピークの振幅に基づいて評価される。これがスペクトルから定量的な推論を行う最も簡単且つ最も分かり易い方法である。言い換えると、ピーク振幅の測定がイオンの存在量を示すピーク強度を得る最も簡単な方法である。
【0010】
しかし、この方法では、複数のピーク(例えばスペクトル内で隣接するピーク)が相互に邪魔(干渉)せず、しかもそれらのピークが全て同じ形状(例えばガウスピーク又はローレンツピーク状)である場合にしか、特定のイオン種のイオンの数を正しく定量化(量子化)することができない。
【0011】
ピークの面積、そしてピーク強度の値を求めるためにMモードのスペクトルにおいてピークを積分することは非特許文献1に記載のように実施することもできる。該文献では、Mモードで表されたスペクトルにとってどの窓関数及びフィッティング関数がより良いかについて詳細な分析が行われている。その後、ピーク強度はイオントラップにおいて分析に供されたイオンの数に対応する絶対値に変換することができる。積分に基づくこの方法は、特にイオンの空間的な広がりが振動中の電荷密度に依存する場合に、正しい相対的なイオン存在量を与えるとされている。しかし、信号の干渉がある場合、この方法をMモードのスペクトルに適用してもうまくいかないことが分かっている。
【0012】
特に、この手法を用いて同じイオンの同位体の存在量を正確に測定することはFTMSにとって特に問題があることが判明した。一般に、イオントラップ内のイメージ電荷信号から得られるマススペクトルピーク強度から測定される同位体比は理論的な値から大幅に外れた値となる。
【0013】
これには幾つかの理由がある。例えば、近接した複数の同位体ピークはしばしば干渉し合う。また、自己集群が起こり得る条件下では、異なるイオン雲はそれぞれ異なる減衰率により異なる存在量を持つ。
【0014】
特許文献1にはウェーブレット変換を利用したICR−FTMSにおいてイオン存在量を求める方法が記載されている。開始時点(励起の終了)における相対的なイオン存在量を正確に求めるために、ある周波数ピークのウェーブレット変換強度が時間の関数として定められ、幾何級数的な減衰でフィッティングされる。非特許文献2では、時間領域データ抽出によるFTICRマススペクトルにおける同位体存在量の補正が論じられている。時間領域において目的ピークが分離され、逆FTにより個別の質量電荷比に対する時間領域信号が得られる。同様にして、得られた個別時間領域信号の比から相対的なイオン存在量が得られる。
【0015】
しかし、これらの先行技術文献に記載の方法では、逆FTにより得られる個々のイオン群に対する真の時間領域信号を乱し得るほど近接している隣接ピークがあると、精度が低下する。更に、復元された個別時間領域信号の正確さは周波数領域におけるピーク形状に強く依存している。幾何級数的な減衰により個別時間領域信号を外挿すれば、イオンとガスの衝突を原因とする信号の減衰は説明することができるが、他の種類の信号の減衰又は変性、例えばUHV(超高真空)条件下で広く生じることがある自己集群を十分に説明することはできない。
【0016】
また、前記先行技術文献に記載の従来の方法にはFTと逆FTの演算を行うために追加の時間が必要になるという欠点がある。
【0017】
別の従来技術が非特許文献3に開示されている。この方法では、測定された同位体パターンを識別するために、既存の表パターンを用いて検索が行われる。1組のパターンが取り上げられて周波数スペクトルに変換され、更に逆FTで時間領域信号に変換される。こうしてシミュレートされた各時間領域信号を標準的なFFT手順で処理することで周波数スペクトル及び対応するマススペクトルを得る。実験で得られた目的の同位体パターンをシミュレートされた各パターンと比較し、当該パターンを何らかの化合物に帰属させることができるような最良の近似を見出す。この方法では、幾つかの未分離の(又は部分的に分離された)ピークがある場合に振幅が抑制されるというFTの人為的な影響があるにも関わらず、化合物の同定ができる。この方法はピーク形状が同一という仮定の下ではうまくいくが、その仮定が常に真であるとは限らない。更にこの方法は、例えばデータベースに収録されていない未知の同位体パターンを持つ化合物には適用できない。
【0018】
最近の報告に、吸収モード(Aモード)スペクトルを用いてマススペクトルを表すことに関するものがある。吸収モードのスペクトル(Aモード)は、位相補正後の依存関係F(ν)のスペクトルのRe(ν)部である。Aモードは追加的な情報(生データ)の記録無しでもMモードに比べて約2倍の解像度を示すため、スペクトルの解像度がより高くなるということが分かっている(非特許文献4)。別の出版物(非特許文献5)では、吸収モードフーリエ変換マススペクトルの利用が論じられている。様々な種類の窓関数(アポディゼーション)を用いた吸収モード(Aモード)がこれらの先行技術文献に開示されているものの、当該文献で議論されている研究の目的は質量分解能及び/又はSN比の改善である。しかし、これらの文献では、与えられたピークに対するイオンの数を正確に定量化するという要望は検討されておらず、隣接ピークの干渉及び空間電荷相互作用の影響に鑑みてそれをどう達成するかは考慮されていない。
【発明を実施するための形態】
【0044】
本発明は質量分析装置、特にフーリエ変換質量分析装置に応用可能である。例えば、本発明は、フーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴(FT−ICR)質量分析装置等のイオンサイクロトロン共鳴質量分析装置、イオントラップ質量分析装置、静電型イオントラップ質量分析装置、及び、平板型又はオービトラップ質量分析装置に特に好適である。一般に、これらの質量分析装置はイオンを複数回振動させてそれに関連したイメージ電荷を検出することができる。
【0045】
静電型イオントラップ質量分析装置の一例を
図1に示す。この例を用いて本発明の各態様を説明する。ただし、本発明の利用は静電型イオントラップ質量分析装置に限定されるものではなく、他の種類のフーリエ変換質量分析装置を用いてもよい。まず、本発明の議論の枠組みを提示するため、
図1に示した質量分析装置の動作の一般的な説明を行う。
【0046】
図1に示した質量分析装置において、イオンは一般にイオン源1において溶液から生成される。イオンはレンズ系3を通じて高周波四重極トラップ5へ送られ、トラップ領域7内で緩衝ガスと衝突して冷却される。
【0047】
冷却中、所望のm/z比に対応する質量を有するイオンを分離するために、四重極電極に印加される高周波電圧の上に直流成分を重畳することができる。
【0048】
冷却と質量選択の後、イオンは一般にオリフィス9を通じて領域7から射出され、イオンガイド13の内部を進むように導かれる。適切な時点に、一般的にはイオンガイド13の半径方向内側のゲート電圧を下げることにより、イオンがイオントラップ17に注入される。
【0049】
イオンがイオントラップ17内に注入された後、ゲート電圧はイオン雲19の全エネルギーを変化させることなく元に戻されるのが通例である。
【0050】
その後、ピックアップ電極上でイメージ電荷(過渡的)信号を検出することができる。ピックアップ電極の1つが
図1に符号21で示されている。
【0051】
イオン雲は最大検出(取得)時間T
d maxの間振動し、その間に過渡信号を検出することができる。検出された過渡信号は時間領域で測定される。
【0052】
検出された時間領域の過渡信号は通常、デジタルフーリエ変換により周波数スペクトルに(そして更にマススペクトルに)変換され、イオン存在量を求めるために、目的とする各質量電荷比(m/z)にあるピークのピーク強度が測定される。
【0053】
本発明者らは、Mモードでは、ピックアップ電極(検出器)上で正味の信号を成す別々の信号が干渉し合うことがあるため、イオン存在量の評価が制約されることに気がついた。一般に、イオントラップ内で振動するイオン雲から生じる信号は該イオン雲内の各イオンにより検出器上に誘起される信号の和として表すことができる。フーリエ変換の線形性により、正味の信号のF(ν)(周波数)スペクトルは個々の信号のフーリエ変換スペクトルの和として次のように表すことができる。
【数4】
【0054】
各信号の位相が全イオンについて同じである(つまり振動中に空間広がりがない)場合、最終的な(又は正味の)M
total(ν)スペクトル(Mモードのスペクトル)もまた次のように個々のM(ν)スペクトルの和となる。
【数5】
【0055】
しかし、各イオンがピックアップ電極を異なる時点に通過する場合、つまり振動中に空間広がりがある場合、あるν値における位相関数が同一ではないため、前記仮定は有効ではない。故に、最終的な(又は正味の)M
total(ν)スペクトルにおいて、例えば次式のように、個々のM(ν)スペクトルの間の位相差を明記しなければならない。
【数6】
【0056】
この式から、Mモードにおいては、複素数のモジュールについての不等式があることから、νの各値に対して得られる大きさがイオン雲毎に得られる個々の大きさの和よりも常に小さくなることが分かる。故に、信号の干渉により、最終的な(又は正味の)M
total(ν)は試料中の真のイオン存在量を正しく反映したピーク強度を示さないことになる。
【0057】
それでも、F(ν)の実部及び虚部の両方に対して加法性はなお維持されているが、その大きさについてはそうではない。
【0058】
信号の和は次のように記述すると都合が良い。
【数7】
【0059】
上記等式は共通の位相因子e
−iΦ0(ν)を乗算しても影響を受けない。これは、吸収モードでは各点が加法性を満たすことを意味する。故に、吸収モードのピーク全体の積分においては、該ピークが同一のイオン又はわずかに異なる質量のイオンのいずれにより形成されたものかに関わらず、あるいは該ピークがピーク形状を大きく変化させる可能性のある電荷密度の増大により歪められているか否かに関わらず、加法性が維持される。このことから、FTMSにおいて定量値を正確に求める独自の方法が得られる。
【0060】
計算されたF(ν)の位相補正は典型的には乗算により次のように行われる。
【数8】
ここでφ
0(ν)は1組の周波数に対して予め測定された位相補正関数である。
【0061】
この変換は全てのピーク極大が実軸に沿って揃うように複素ベクトルを実質的に回転させる。こうなれば、F
phaseスペクトルの実部をプロットすることで、スペクトル内の全ての(完全な)情報が得られ、そして加法性を維持ながらMモードに比べて約2倍の解像度が得られる。
【0062】
本発明者らは、直接的な加法性があるため、Aモードのピークの積分を利用して該ピークに対応するトラップ内のイオンの数を正確に求めることができることに気がついた。ピークは幾つかの未分離のサブピークから成る場合があるため、当該周波数範囲内にあるイオンの総数を表すためにそれらのピークの面積を用いることができる。これは、1つの同位体ピークが高分解能のフーリエ変換質量分析によっても分離されない幾つかの同位体の微細構造線を含んでいることがある場合の同位体比の計算にとって特に重要である。
【0063】
しかし、Aモードのスペクトルにはピークの負のオーバーシュートが時々生じる。ピーク強度、例えばピーク面積を与えるピーク全体にわたる積分は、(加法的な)正味の面積値を決定するものであるため、負のオーバーシュートが必ず考慮される。該当ピーク(負強度のローブ、つまり負にオーバーシュートしたローブを含む)にわたって積分を行えば完全に正しいピーク強度値が得られるが、複数の低いピークが隣接している場合、それらが負のオーバーシュートにより完全に抑制される可能性があるため、望ましくない。
【0064】
ピークの負強度のローブは、フーリエ変換前の信号に適用されてピークのアポディゼーションという結果をもたらす窓関数に依存する。
【0065】
従来、例えば全波ハン窓や全波ガウス窓等、信号の始端と終端で滑らかにゼロになる対称な窓関数が信号に適用されている。しかし、このような窓はAモードのスペクトルにおいて大きな負強度のローブを生じさせる。これは少なくとも上記の理由から望ましくない。
【0067】
本発明者らは非対称な窓関数が負強度のローブの寄与度を低減させることを見出した。このような非対称な窓関数の例としては、半波ガウス窓等、窓関数として適用された場合に信号の先頭部分はあまり抑制しないが信号の後方部分は低減させるような依存関係が挙げられる。
【0068】
それ故、近接したピークを同定して各々のイオン存在量を求める必要がある場合、負のオーバーシュートを最小限にするために、そして好ましくは積分区間(スペクトル曲線下の積分を行うピーク範囲)を決めるために、非対称な窓が好ましい。
【0069】
積分区間は次のように決めることができる。
1.ピークの各側における、ピーク位置から見たときのスペクトル曲線とベースラインレベルとの(1番目の)ゼロクロス点の間。これらの点はスペクトル曲線上でピーク極大に最も近いゼロクロス点(ピークの各側に1つ)であることが好ましい。
2.ピーク極大の各側において、該ピーク極大におけるピーク振幅の一定割合(例えば5%又はそれ未満)に対応する(振幅)値を有する、スペクトル曲線上の(1番目の)点の間。これらの点はスペクトル曲線上で所望の値を有し且つピーク極大に最も近い点(ピーク極大の各側に1つ)であることが好ましい。
【0070】
与えられたトラップ条件及び注入条件で(例えば合体効果やピークの微細な同位体構造のために)互いに分離できない1組のスペクトルピークに対応する正味のイオン存在量を求める必要がある場合、当該1組のピークは互いに干渉するため、正味のイオン存在量は、ピークの負の部分もできる限り多く含めてそれらのピークを積分することにより求めるべきである。Aモードでは負の面積が積分に含まれていても加法性が維持されるため、ここでは窓の種類は重要ではない。
【0071】
積分区間は、ピークの各側における、ピーク位置から見たときのスペクトル曲線とベースラインレベルとの2番目(又はそれ以降の)ゼロクロス点の間の区間として定めてもよい。
【0072】
1番目及び2番目のゼロクロス点に関して、積分区間の選択例を
図2に示す。
【0073】
図2から分かるように、積分区間(又はピーク範囲)は、ピーク極大の各側にそれぞれ位置し、スペクトル曲線上で互いに対を成す、任意のゼロクロス点の間となるように選択することができる。
【0074】
例えば、前記区間は1番目のゼロクロス点、即ち、スペクトル曲線上において、該スペクトル曲線がベースラインレベル(つまり振幅ゼロのレベル)と交差する点であって、ピーク極大に最も近いという条件を満たす点により定義することができる。
【0075】
別の例として、前記区間は2番目のゼロクロス点、即ち、スペクトル曲線上において、該スペクトル曲線がベースラインレベル(つまり振幅ゼロのレベル)と交差する点であって、ピーク極大に2番目に近いという条件を満たす点により定義することができる。その次の正のローブも積分に含めること(即ち、
図2の3番目のゼロクロス点の間)が好ましい。
【0076】
別の例として、前記区間をスペクトル曲線上の非ゼロ点により定義してもよい。例えば、スペクトル曲線上でピーク極大の振幅の一定割合の振幅を持つ点を該当の点として選ぶことができる。その割合は百分率で表すことができ、例えば5%又はそれ未満とする。
【0077】
積分区間は、曲線の下側の面積の積分の境界を画定し、以てピーク強度の値を与える。故に、1番目のゼロ点を用いる例ではスペクトルの負のローブ(オーバーシュート)は積分に含まれない。同様にこれは、例えば5%の割合となるように選択される非ゼロ点の例にも当てはまる可能性が高いことが一般的である。
【0078】
一方、2番目のゼロ点により区間を定義する例では負のローブが積分に含まれることになる。
【0079】
負のオーバーシュート(負のローブ)を最小限にしたAモードのスペクトルを生成するための窓関数として好ましいのは、三角窓(バートレット窓)、cos
n(x)窓(ハン窓)、ハミング窓、ポアソン窓、ガウス窓といった典型的なFT用の対称(全波)窓の半分から成る非対称な窓、又は他の対称窓の半分から成る非対称な窓である。
【0080】
半波窓は、それに対応する全波窓の極大位置を原点(信号の始点)までシフトさせることで窓の適用対象である信号(又はそれに相当するデータ)の開始部分の強調を維持するように形成されている。またこの窓は、信号の終端でゼロに至るように時間軸に沿って2倍に引き伸ばされているのが通例である。信号の開始部分を強調し、且つ信号の後半部分を抑制するために、典型的な窓又は随意の窓関数の任意の組み合わせを用いることができる。
【0081】
それでも、例えばピックアップ電極からデータ記録装置まで信号を転送するための電気回路における安定化処理により、信号に対する不所望の干渉がある場合、信号の先頭の非常に小さな部分(通例、最大で数ミリ秒)を抑制するような窓を用いることが望ましい場合もある。
【0082】
あるいは、FTの負のオーバーシュートが最小限になる窓が好ましい。何故なら、そのような窓で信号を畳み込めばFTにより生じる負のオーバーシュートがより軽減されるからである。
【0083】
本発明に従ってAモードのスペクトルを生成するために用いられる非対称な窓関数の好ましい例を
図3に示す。数学的には次式で表される。
【数9】
ここで、Nは時間領域信号におけるデータ点の数である。
【0084】
Aモードのスペクトルを生成するための位相補正関数
【0085】
まず、既知のイオントラップ場の構成及び既知の注入条件について位相補正関数を決定する。それぞれ既知の質量を持つ1組のイオン雲をイオントラップに注入し、振動回数がスペクトル内の各ピークを完全に分離するのに十分な数となるように、一定の取得時間の間だけ信号を検出する。この最初の測定には、後で実際に試料を測定する際と同じ時間を用いることが好ましい。
【0086】
記録された信号に同じ窓関数(好ましくは上述のように非対称な窓関数を用いる)を乗じ、その積にデジタルフーリエ変換(例えば高速フーリエ変換)を適用することで、実数Re(ν)と虚数Im(ν)の組み合わせから成る数を得る。目的のスペクトルピーク周波数ν
peakにおける位相補正は次式を用いて計算される。
【数10】
ここで、nはゼロから始まる整数であって、位相ラッピング効果を除去すべく、検討対象の全周波数範囲にわたって(突然の不連続部や段部のない)滑らかな位相変化が生じるように、正接関数の周期性に従って増加する。周波数のサンプリング点が実際のピーク位置を跳び越えている場合は、位相補正値を得るために内挿を用いてもよい。
【0087】
ピークを構成する点の数が内挿を行うのに不十分である場合、点の数を増やすためにゼロパディングを適用する。内挿点ν
kにあるピークに対し、位相ラッピング効果を除去するため、次式で位相角φとスペクトル振幅Mを計算する。
【数11】
そして依存関係φ(M)をプロットすれば、周波数スペクトル内の集合からのピーク毎に、ピーク点M
maxに対する位相φ
maxに対する位相角をφ
i(ν
i)として選択することができる。
【0088】
この依存関係Φ
i(ν
i)を内挿することで所望の周波数νにおける補正用の位相角φ
0を得ることができる。F(ν)スペクトルを補正してAモードでプロットするために、内挿後の位相の依存関係をすべての周波数位置で用いる。そして、次式を用いてF
phase(ν)の実部としてAモードのスペクトルをプロットする。
【数12】
ここで、Φ
0(ν)は内挿された位相補正関数、Φ(ν)とM(ν)は元のF(ν)複素スペクトルの位相及び振幅である。
【0089】
一方、吸収モードのスペクトルを得る別の方法がある。その方法はイオン運動の多次の高調波周波数から成る信号に対して特に有用である。その方法は特許文献2に開示されている(その全ての開示は参照により本明細書に組み込まれる)。該文献でリ・ディンらは、複数の所定の係数を用いて複数のイメージ電荷/電流信号の一次結合を作ることにより周波数スペクトルを処理する方法を開示している。これについて、5つのピックアップ電極を有し、各電極で時間領域信号が検出され、該信号が周波数領域に変換される場合を例として、ここで概略的に説明する。ある質量電荷比のイオンに対し、多数の高調波周波数成分(基本周波数を含む)が周波数スペクトルに現れる可能性があり、開示された方法は一次結合を用いてそれらの不所望の高調波成分を除去することを目的としている。一次結合に用いられる係数は以下のようなベクトルで表すことができる。
【数13】
そしてそれらは一群の複素数x
iである。
【0090】
Xは以下の条件を満たすように選ばれる。
【数14】
ここでC
jk(m/z)は、周波数領域におけるj番目の検出器からの信号とm/zのイオンに対するk次高調波の複素ピーク値を表しており、l
iは1つだけ値が1に設定され、他はゼロである。このような一次結合によりi次以外の高調波が除去されるだけでなくi次高調波ピークの虚部がゼロになる。あるm/z(ある周波数)にこの虚部のゼロ化が当てはまるのは、そのm/zを用いた校正によりXが求められた場合のみである。即ち、Aモードのマススペクトルは1つの質量点に対してしか得られない。しかし、校正において複数のm/z値のイオンを使用し、各m/zに対してX(m/z)を計算し、m/zの関数としてXを内挿すれば、m/zに従属した係数Xを用いた一次結合を適用して広範なAモードのマススペクトルを得ることができる。
【0091】
Aモードのスペクトルを得るこの方法は、イメージ電荷信号内に複数の高調波を生成するイオントラップであって、複数のピックアップ電極を用いてイメージ電荷信号を生成することができるイオントラップにとって特に有用である。静電型イオントラップを用いる場合がこれに該当すると考えられる。
【0093】
Mモードのスペクトルに対する不所望な干渉の影響、並びにAモードのスペクトルの加法性を、シミュレートされた信号とそのFTを用いて以下に示す。
【0094】
同じm/zの1000個のイオンから成るイオン雲がピックアップ電極を通過し、該電極内に時間領域信号を生じさせるものとする。最初、イオン雲は密に収束している(空間広がりがほぼゼロである)が、振動の間に一定の率でそのサイズが徐々に広がる(空間広がりが増加する)。
【0095】
ピックアップ電極からの距離は次式で表される。
【数15】
ここでνは振動周波数、tは時間、Δφ
accは周波数が時間の関数である場合に必要となる累積位相である。
【0096】
ピックアップ電極の応答は次式で表される。
【数16】
このモデルは、振動方向に沿ったトラップの実効的なサイズに比べてピックアップ電極が小さい場合に実際に生じうる信号をシミュレートする幾何級数的なスパイクを与える。このような時間領域信号の例として、周波数がν
0=200kHz、広がりがα=10、サンプリングレートが47.68ナノ秒の場合の信号を
図4に示す。
【0097】
イオン雲の空間広がりの最も簡単な事例は、雲中の1000個のイオンの正規周波数分布により実装することができる。周波数広がりは0.4秒の振動時間の全体を通じて一定に保たれる。より高速なイオン雲の空間広がりをシミュレートするため、周波数分布の標準偏差(又は広がり係数)を変化させた。広がり係数はα=0からα=25の範囲とした。
【0098】
各信号を取得し、選択した窓を用いたFFTによりそれらを周波数領域に変換すれば、多数のピーク(又は高調波)を持つ周波数領域スペクトルが(広がり係数α毎に)得られる。
【0099】
(全波)ハン窓を用いてMモードで生成されたスペクトルの主ピーク(又は1次高調波)と、半波ハン窓を用いてAモードで生成された主ピークを
図5A及び5Bにそれぞれ示す。各プロット図には各広がり係数αに対応する主ピークが重畳して示されている。
【0100】
199.8kHz〜200.2kHzの区間で(ピークの面積を求めるために)広がり係数α毎にピークを積分した結果を
図6に示す。面積の計算値は広がり係数ゼロに対応するピークの面積の計算値に対して正規化されている。
【0101】
図からすぐに分かるように、全波ハン窓(Mmode Hann)アポディゼーションを用いたMモードの場合のピークの正規化された面積は、イオンの数が同じであるにも関わらず、広がり係数ゼロで計算された基準値に比べて一定になっていない。誤差は最大の広がり係数α=25の場合に85%に達している。これは前述の干渉現象に因る。
【0102】
一方、本発明によれば、半波ハン窓アポディゼーションを用いたAモードでは、
図6に白丸に基づくプロット線(Amode hHann)で示したように、いずれの広がり係数αに対しても完全な加法性が得られている。言い換えれば、このプロットは、半波ハン窓を用いたAモードの場合のピークの正規化された面積は広がり係数ゼロの場合のピークの面積とよく一致する、ということを示している。これは、本発明に係る方法によれば、たとえ広がり現象があっても、イオン存在量を正確に定量化するために利用できるピーク強度が得られる、ということを意味している。
【0103】
つまり、仮に6つのイオン雲があり、各イオン雲中のイオンの数は同じであるが、何らかの影響により各々の(空間的な)広がりが異なっている場合、Mモードで生成された周波数スペクトルのピークを積分すると、イオン雲毎に異なるイオン数が得られるという、間違った結果となる。その理由はFTの特質にある。広がり係数ゼロ(α=0)の場合、1000個のイオンが全て同時にピックアップ電極を通過するため、測定信号は各イオンの信号の1000個分の和になる。また、広がり係数ゼロの場合、全信号の位相が同じであるため、M(ν)も個々の信号に対するFT1000回分の和になる。しかし、各イオンが異なる時点にピックアップ電極を通過する場合、つまりイオンの間に空間広がりがある場合、それは当てはまらない。なぜなら、あるν値に対する位相関数がもはや同一ではないからである。それでもまだ加法性は成り立つものの、それはF(ν)の実部及び虚部についてであって、その大きさについてではない。故に、Mモードのスペクトルを用いると間違った結論に至る可能性がある。
【0104】
以下のモデルでは周波数広がりを次式の形で実装している。
【数17】
ここでv
iは中心周波数v
0付近の1000個のイオンにわたる正規分布(標準偏差が1)の初期集合v
i0から取った各イオンの個別周波数であり、αは周波数の広がり係数(周波数の広がり率)である。この種の広がりは空間広がりも生み出すため、より現実的である。なぜなら、実際の装置ではイオンの空間広がりが周波数広がりを生むからである。これらのシミュレーションはPEIT(平板型静電イオントラップ)において実際に起こり得るイオン雲の振動の状況の1つをモデル化したものである。PEITでは、例えばソフトな鏡面反射の条件下において、雲が空間内で広がるにつれてイオンの周波数振動が広がる。
【0105】
図7はα=0からα=25までの広がり係数を用いて様々な信号を生成した一組の時間領域信号を示している。
【0106】
全波ハン窓アポディゼーションを用いて生成されたMモードのスペクトルに対して、信号毎にFFTにより生成された周波数スペクトルにおける主ピークを
図8に示す。
【0107】
図8に示したスペクトルについて199.8kHz〜200.2kHzの区間内で各ピーク(つまり広がり係数毎)の積分値を計算することができる。言い換えれば、
図8に重畳して示されたピークの各々について積分法によりそのピーク面積を計算することができる。
【0108】
ピーク毎の積分値は広がり係数ゼロ(α=0)のピークに対する積分値に対して正規化することができる。これを
図9に示す。「Hann H1」というプロット線(正方形で表されている)が
図8に重畳して示された各ピークに対する正規化された積分値を表している。
【0109】
図を見ると、異なる広がり係数に対して異なるイオン存在量が得られている。その誤差は1次高調波で広がり係数が最大の場合に77%に達している。故に、全波ハン窓を用いたMモードを用いると、スペクトルデータからイオン存在量を定量化しようとした場合に非常に大きな誤差が生じる可能性があると思われる。
【0110】
図9は、半波ハンアポディゼーションを用いたMモードのスペクトルにおけるピークに対して同じ区間にわたって行った同様の積分の結果も示している(「hHann H1」という円でプロットされている)。この場合、誤差は広がり係数が最大の場合で10%であった。この結果はずっと良いが、これらのような非対称な窓(即ち、窓関数の始点で滑らかにゼロに至らない窓)は、しばしばピークテールが長くなって近接ピーク間に重複が生じ、スペクトルデータからイオン存在量を定量化しようとした場合にやはり誤差が生じる可能性があるため、Mモードでは好ましくなく、利用しないのが通例である。
【0111】
ここでは図示しないが、本発明者らは、Mモードのスペクトルについて計算した積分値の偏差が高調波次数とともに増大し、その結果、より高い解像度のスペクトルを得るために分析において高次高調波を用いる場合に偏差がより悪化するということも見出した。
【0112】
図10は、
図7に示した時間領域信号(「広がり=0」から「広がり=25」と表示)に対応するマススペクトル(同じく「広がり=0」から「広がり=25」と表示)を示しているが、こちらは半波ハン窓アポディゼーションを用いたAモードで処理したものである。Aモードのスペクトルを利用すると、正規化された周波数スペクトルの積分は通常、1000個の個別信号をそのまま合計した値になり、
図9に示した点は全て1.0のレベル(図示せず)に位置することになるため、広がり係数ゼロα=0の場合の周波数スペクトルの積分と完全に一致する。
【0113】
図10に示したスペクトルの負の強度を積分から外すと、
図9に「Amode hHann H1」と表示したプロット線で示したように、正規化された周波数スペクトルの積分(つまりイオン存在量の定量化)における誤差は、最大の広がり係数α=25を持つ信号の場合に6%となる。これは半波ハン窓アポディゼーションを用いたMモードよりも改善しており、また全波ハン窓アポディゼーションを用いたMモードよりもはるかに良い。
【0114】
アポディゼーションに例えば半波ガウス窓等の別の非対称な窓を用いることにより誤差を更に小さくすることができる。半波ガウス窓アポディゼーションを用いた、様々な広がり係数に対するピークの組の例を
図11に示す。
【0115】
図11に示した各ピークに対応する正規化した積分値も
図9に「Amode hGauss H1」というプロット線で示されている。これらのピークについては、最大の広がり係数α=25を持つ信号についても誤差は2%未満である。その理由は、時間領域信号の後半部分を部分的に区別したことと、スペクトルに負のオーバーシュートが無いことである。
【0116】
上記の例として用いられた信号干渉は、その初期位置又はエネルギーの差に起因して典型的に分散する同一質量のイオンについてのものである。しかし、定量化の誤差を引き起こす信号干渉は他の理由で生じる可能性がある。
【0117】
例として複数のイオン雲のm/z値が非常に近い場合が挙げられる。これは、いわゆる合体効果において、あるいはスペクトル内に微細な同位体構造パターンがある場合に見られる。例えば、2つのイオン雲の振動をシミュレートし、両者の間のm/z(又は周波数)の差を変化させ、2つのピークにわたる正規化された積分値の合計の(即ち両ピークの面積)をプロットすればよい。
【0118】
これを、全波ハン窓アポディゼーションを用いたMモードのスペクトルについて実行すると、ピーク干渉がある場合は合計面積がほぼ半分になる。これは
図12に「M−mode」というプロット線で示されている。
【0119】
一方、半波ハン窓アポディゼーションを用いたAモードのスペクトルを用いた場合、合計面積は影響を受けず、曲線の下の面積を計算するための積分に負の強度が考慮される。これも
図12に「A−mode」というプロット線で示されている。
【0121】
以下に詳述するように、上記方法でも、許容できない誤差を含む結果が得られることが時々あるため、校正係数の形で何らかの補正が必要である。
【0122】
例えば、与えられたイオン注入及びトラップ場のパラメータに対して、ある質量のイオン雲の最終的な空間広がり(及びその結果としての周波数広がり)は雲中のイオンの数と取得時間に依存する。これは問題である。何故なら、イオン間の電荷の相互作用が余りに激しくなると、先に検討したAモードのスペクトルの加法性が維持されない可能性があるからである。これは例えば、イオン間のクーロン斥力によりイオンが安定軌道から外れ、イオントラップの電極に衝突して失われるときに起こり得る。別の例は、積分を行う際、ピークの負の部分(その寄与度はイオンの数に依存する)を削除する必要がある場合である。
【0123】
また、イオンの運動が空間電荷の相互作用により元の位相角からずれる可能性もある。
【0124】
これらの失われたイオンや位相のずれたイオンは、単独で飛行する同じイオンにより生成される信号とは異なる時間信号に寄与する。
【0125】
Aモードの加法性が維持されなければ、ピーク強度はもはやイオンの数とともに線形的に増加せず、イオンの数を正確に示さなくなる可能性がある。このように応答が非線形になり始めるのは、ピーク強度が空間電荷の相互作用が生じる非常に高いレベルに達してからである。
【0126】
そこで、本発明者らは、この潜在的な問題を解決するために校正係数fを任意選択で導入することを提案する。そうすると、あるピークに対するピーク強度の補正値A
correctedを次式のように計算することができる。
A
corrected=A/f
ここでAは、上述のように所定の周波数範囲内で積分を行った結果得られるピークのピーク強度である。
【0127】
実際、任意に選ばれたm/z値に対し、様々な取得時間T
dとそれに対する関連ピークのピーク強度とを関連づける複数の校正係数を求めた事前の測定結果(校正又は制御プロセスの間に取得されたもの)に基づいて校正関数f(A,T
d)を生成することができる。この関数は2次元面とみなすことができる。
【0128】
その後、校正関数f(A,T
d)を用いてピーク強度を補正するとき、該校正関数f(A,T
d)から所望の点(A,T
d)における適切な校正係数を求めるために内挿を用いてもよい。言い換えれば、校正関数により与えられる2次元面内にあるピーク強度と取得時間の特定の組み合わせに対応する適切な校正係数を求めるために内挿を用いることができる。
【0129】
特定の検出時間T
d(及び他の条件)に対して校正関数は校正係数を与える。この係数はf(A)=A/Nと定義できる。ここでAはマススペクトル中のあるm
i/z
iにおけるピーク強度(特にピーク面積、例えばピーク下の面積を積分した値)であり、Nはそのピーク範囲内の注入イオン数である。
【0130】
以下に説明するように、Nは校正プロセスの間に決められる。
【0131】
校正係数f(A)は、イオン雲の広がりが他のイオン雲の相互作用により影響されないという条件で、つまり一定のN
max(又はそれに対応するA
max)の値まで用いることができる。
【0132】
その結果、正しいピーク面積がN
corrected=A
measured/f(A
measured)と計算され、これにより、特定のm/z値におけるイオンの数の非常に精確な(定量)値が求まる。
【0133】
校正係数f(A)は、与えられたイオントラップ場の構成、注入条件、マススペクトルのデコンボリューションに用いられる高調波次数、m/z値及び検出時間T
dに対して一意に決まる。
【0134】
生成された校正関数は、校正係数を生成するために用いられたイオン以外のイオンのピーク強度の補正にも用いることができる。例えば、校正関数を生成するために用いられたものとは異なる(m/z)
0の値を持つイオンを考える。その運動方程式、従って軌道行路は、次式のように時間軸の縮尺を変更すれば、選ばれた(m/z)のイオンと全く同一になる。
【数18】
【0135】
これは、元のm/z値のイオンが時間T
dにおいて一定の空間広がりを得たとすれば、質量(m/z)
0のイオンは次式の時点で同じ広がりを得るということを意味する。
【数19】
【0136】
これは、(m/z)及び(m/z)
0のイオン雲が同じ電荷数zを持つとみなした場合にのみ有効である。故に、別の(m/z)
0値に対しては、次式でT
dを計算した点(A,T
d)において元のm/z値に対して測定された校正関数に基づく校正係数を用いなければならない。
【数20】
【0137】
こうして、特定のm/zの校正物に対して生成された校正関数f(A,T
d)を他の任意の(m/z)
0に利用できる。
【0138】
あるいは、1組のm/z値に対して予備的に測定された校正係数を内挿することで、ある(m/z)
0値に対する係数を見出すこともできる。この場合、一定のT
d0値を用いて2次元面f(A,m/z)を求め、次にこの面を、信号取得時間が同じT
d0である所望の(m/z)
0値に対して用いることが好ましい。特にこれは、先に述べた縮尺変更式を用いて時間軸を引き伸ばしたにも関わらずm/zと(m/z)
0のイオン雲の運動が同じではない場合に重要である。
【0139】
スペクトル中の(基本又は一次高調波よりも)高次の高調波ピークを定量化に利用することもできる。これは高次の高調波を含むイメージ電荷信号を生成するイオントラップにとって特に重要である。様々な高調波を利用して周波数(マス)スペクトルを分析する場合、校正関数f(A,T
d)は関連する高調波毎に生成しなければならない。上述のものと同じアルゴリズムを適用すること、そして校正プロセスとデータ取得プロセスの両方で同じ高調波のピーク強度を用いることが必要である。
【0141】
校正関数(又は補正関数)は以下のようにして求めることができる。なお、ここでは空間電荷の相互作用に関連する誤差の除去に用いる関数を例にとる。以下の記載は
図1を参照して行う。
【0142】
まずイオン源1において校正物を含む溶液からイオンが作られる。該イオンはレンズ系3を通じて高周波四重極トラップ5に送られ、トラップ領域7内で緩衝ガスと衝突して冷却される。
【0143】
冷却中、1価の校正物に相当する質量を持つイオンを分離するために、四重極電極に印加された高周波電圧の上に直流成分が重畳される。
【0144】
冷却と質量選択の後、イオンは領域7から射出され、オリフィス9、イオンガイド11、及び湾曲したイオンガイド13に設けられたスリットを通じて検出器15へ送られる。検出器は雲中のイオンの数を検出し、検出されたイオンの数Nを示す信号を出力する。検出器15の典型例は電子増倍管である。一般に、検出器15によりイオンの数が検出された後のイオン雲は再利用できない。
【0145】
それ故、イオン数Nの検出の(前又は)後、厳密に同じ開始条件(例えばイオン源1からのイオン流束、トラップ領域7内での蓄積時間、質量選択窓)に基づいて別のイオン雲が生成される。ただし、イオンガイド11を通過した後、イオンは検出器15ではなくイオンガイド13の内部を進むように導かれる。例えば、イオンガイド13の半径方向内側のゲート電圧を下げることにより、イオンがイオントラップ17内に注入される。
【0146】
イオンがイオントラップ17内に注入された後、イオン雲19の全エネルギーを変化させることなくゲート電圧が元に戻される。
【0147】
ピックアップ電極上でイメージ電荷(過渡的)信号が検出される。
図1にピックアップ電極の1つが(符号21で)示されている。
【0148】
イオン雲は最大検出時間T
d maxの間振動し、その間に過渡信号を検出することができる。
【0149】
測定された過渡信号はデジタルフーリエ変換(例えばFFT)によりマススペクトルに変換され、校正物イオンの質量に対応するm/zにおけるピーク強度Aが記録される。この変換もやはり、マススペクトルにおけるピークの負のオーバーシュートが最小となる適切な(例えば非対称の)窓関数を適用することにより行われる。
【0150】
好ましくは、マススペクトルはAモードのスペクトルであり、厳密に同じ注入条件及び電場構成で事前に定められた位相関数を用いて位相補正が行われる。例えば、位相関数は、任意のm/z値における位相関数を内挿で求めるための適切な数の点を得るために、幾つかのm/zの校正物に対して測定することが好ましい。
【0151】
最大検出時間T
d maxまでの様々な検出終了時間T
dに対して過渡信号の一部を分析することで、検出時間T
dに対するピーク強度Aの依存関係を求めることができる。
【0152】
Nを[N
min;N
max]の範囲内で変化させながら全体の処理(Nの検出と過渡信号の記録)を繰り返すことでピーク強度の2次元的な依存関係A(N,T
d)を得る。前記範囲の下限N
minは測定信号が背景ノイズより上でほとんど検出できないように選ぶことが好ましい。前記範囲の上限N
maxは処理中にイオントラップ内の校正物イオン試料の中でかなりの空間電荷相互作用が生じるように選ぶことが好ましい。
【0153】
これらのデータを用いて校正(補正)関数f(A,T
d)を次のように求める。
f(A,T
d)=A/N
これは、使われた校正物に対応するm/z値に対して有効である。
【0154】
一定範囲のN値及び一定範囲の取得時間T
dに対する校正関数が確定したら、その校正関数を用いて、同じ又は類似の静電型イオントラップで取得された別の通常のマススペクトルにおける様々なm/z値の存在量を示すピークの測定強度を補正することができる。これについては先に簡単に説明したが、後でより詳しく説明する。
【0155】
この補正は、様々なイオン雲の減衰率が原理的に空間電荷斥力作用だけに依存し、且つ目的のイオン雲に対する他のイオン雲の大きな影響がない場合に最も有効である。
【0156】
前者の条件は、イオントラップ分析器内の真空度が、検出時間の間、背景ガス分子との衝突がイオン雲の空間広がりに及ぼす影響を無視できるほど高い場合に有効である。
【0157】
後者の条件は、マススペクトル内の最大の強度が、目的のイオン雲の空間広がりに対するこのイオン雲の空間電荷の影響が全体として無視できなくなるイオン数N
maxよりも小さい数に相当する場合に有効である。
【0159】
上述したように、本明細書に記載した方法で校正関数を生成してしまえば、その校正関数を用いて、任意のm’/zに対して測定されたピーク強度を調整又は補正するための適当な校正係数を得ることができる。たとえその校正関数自体は元々当該m’/zとは異なる特定のm/zに対して生成されたものであってもそれは可能である。
【0160】
例えば、校正係数は特定の校正物の質量m
1に対して生成することができる。しかし、上述の通り、質量m
1の様々なイオン数Nのイオン雲を分析してその校正係数が求められるだけでなく、様々な取得時間T
dを用いて校正関数も生成され、これが実質的に、各A及びT
dの交点毎にそれぞれ校正係数を与える2次元マトリクス(A対T
d)となる。
【0161】
それ故、実際のイオン試料を用いて、それに対応するマススペクトルが生成されれば、校正物の質量m
1と異なる質量m
2に対する特定のm
2/zにおけるピークであって、既知の取得時間T
dm2で取得された任意のピークのピーク強度を補正することができる。
【0162】
質量m
2は校正物の質量(これをm
1と呼ぶことができる)と同一ではない。それ故、校正物の質量m
1に対して生成された校正関数f(A,T
d)から、m
2/z値を得たときの取得時間T
dm2に直接基づいて単純に(m
2/zに対するピーク強度を調整又は補正するための)校正係数を選ぶことはできない。言い換えれば、T
dm1=T
dm2という関係に基づいて適切な校正係数を単純に選ぶことはできない。
【0163】
そうではなく、同じ回数だけ振動するm
1及びm
2のイオン雲に対する取得時間T
dm1及びT
dm2の間にある次の関係に基づいて校正係数を選ばなければならない。
T
dm2/T
dm1=√(m
2/m
1)
【0164】
故に、校正関数により得られる校正係数の2次元マトリクスから、次の関係に基づいて校正係数を選ばなければならない。
T
dm1=√(m
1/m
2)×T
dm2
【0165】
よって、以上のようにイオン質量m
2に関連づけられたピークの強度を補正又は調整して、m
2/zにおけるイオンの数に対応する定量値を得ることができる。
N
corrected=A
measured/f(A
measured,√(m
1/m
2)×T
dm2)
ここで、検出時間T
dm2はm
2/z値のイオンに用いられた検出時間、またm
1は前述の校正関数生成の間に用いられた校正物イオンの質量である。
【0166】
従って、時間T
dm2にわたり取得されたm
2/zにおけるイオンの数に対し、前述のように調査対象のスペクトル内の測定ピークに校正関数を適用することにより、該校正関数がm
2とは異なる最初の質量m
1の校正物を用いて決められたものであるにも関わらず、正確な定量値を求めることができる。
【0167】
もちろん、校正関数f(A,T
d)は実質的に2次元面又は2次元マトリクスを与えるものであるため、√(m
1/m
2)×T
dm2の値が校正プロセスの間に得られたT
dm1に対する測定値と正確に一致しなくても、内挿を用いて適当な校正係数を求めることができる。同様に、A
measured(測定されたピーク強度)が校正プロセスの間に測定されたピーク強度と正確に一致しなくても、内挿を用いて適当な校正係数を求めることができる。
【0169】
本発明の一態様によれば、周波数領域におけるAモードのマススペクトルへの変換前に適当な非対称な窓関数を時間領域データに適用することにより、ピークの相互干渉を低減することができるため、スペクトルにおける相対的なピーク強度がイオン試料内のイオン存在量をより正確に反映する。
【0170】
本発明の好ましい改良によれば、生成されたスペクトル(例えばAモードであるが、Mモード又はパワーモードでもよい)に校正関数を適用することにより、スペクトルにおいて各ピークにより表されるイオン存在量がより一層正確になる。実際に、本明細書の教示に従って生成されたAモードのスペクトルに校正係数を適切に適用すれば、スペクトル内の特定のピークに関連づけられたイオンの数を表す正確な定量値が得られる。
【0171】
「マススペクトル」と「周波数スペクトル」は等価なスペクトルを表しているから、これらの用語は本願を通じて交換可能なものとして用いられている。
【0172】
校正係数は次のようにして得てもよい。まず、一連の校正用イオン群を生成し、一度に一つのイオン群をイオントラップに注入し、群毎にイメージ電荷信号を取得する。イオントラップに注入されたイオン群毎にイオンの数を求める。時間領域のイメージ電荷信号を吸収モードのマススペクトルに変換し、校正用イオン群の質量電荷比に関連付けられたピークの積分値を測定する。全てのイオン群の検査を終了し、イオン当たりピーク積分値とピーク積分値の関係を求めて、校正関数を作る。そして、各ピークの測定積分値に応じて校正係数を出力する。
【0173】
前記校正用イオン群内のイオン数は、信号が背景ノイズと識別可能になるレベルから、イオントラップ内で相当な空間電荷相互作用が生じるレベルまで、広い範囲をカバーしていることが好ましい。
【0174】
各イオン群内のイオンの数は電子増倍管に基づく粒子検出器を用いて測定することが
好ましい。
【0175】
校正関数は、2次元的な依存関係f(A,T
d)を得るために、一組の取得時間T
dに対して測定することが好ましい。