(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
【背景技術】
【0002】
分子量が大きな化合物を同定したりその化学構造を解析したりするために、質量分析の一手法であるMS/MS分析又はMS
n分析は有用な手法であり、様々な分野において近年広く利用されている。MS/MS分析を行う質量分析装置としてよく知られているのは、CIDを行うコリジョンセルを挟んでその前後に四重極マスフィルタを配置した三連四重極型質量分析装置である。また、三連四重極型質量分析装置において後段の四重極マスフィルタを飛行時間型質量分析器に置き換えたQ−TOF型質量分析装置は、三連四重極型質量分析装置に比べて構造が複雑で高価であるものの、より精度の高いマススペクトルを取得することができる。これら質量分析装置ではnが2であるMS
n分析が可能であるが、さらに、イオンを保持可能であるイオントラップと飛行時間型質量分析装置とを組み合わせたイオントラップ飛行時間型質量分析装置などでは、イオントラップにおいて特定の質量電荷比を有するイオンを複数段階に解離させることで、nが3以上であるMS
n分析を行うことが可能である。以下の説明では、nが2以上であるMS
n分析が可能である質量分析装置を単に質量分析装置という。
【0003】
こうした質量分析装置において例えば目的成分に対するMS
2スペクトルを取得したい場合、一般には、ターゲットとするプリカーサイオンの質量電荷比を事前に測定条件として設定しておく必要がある。しかしながら、含有成分が未知である試料を分析する場合には、プリカーサイオンの質量電荷比を予め設定しておくことはできない。これに対し、通常の質量分析によって得られたマススペクトルにおいて、分析者により予め設定されたプリカーサイオン選択条件に適合するピークが存在するか否かを判定し、該条件に適合するピークがあった場合に該ピークに対応するイオンをプリカーサイオンとしたMS
2分析を自動的に且つリアルタイムで行う機能を搭載した質量分析装置が知られている。こうした機能はデータ依存性解析(DDA=Data Dependent Acquisition)又はオートMS
n分析などと呼ばれている(特許文献1、2参照)が、本明細書ではDDAということとする。
【0004】
DDAにおけるプリカーサイオン選択条件としては、信号強度の下限閾値が用いられることが多い。この場合、質量分析によって得られたマススペクトルにおいて信号強度が予め設定された下限閾値以上であるピークが検出されると、該ピークに対応するイオンをプリカーサイオンとしたMS
2分析が実行されるようになっている。ただし、その場合、例えば試料溶媒などの存在量が多い夾雑物由来のイオンが存在していると、該イオンをプリカーサイオンとした意味のないMS
2分析が実施されてしまうおそれがある。そこで、特許文献2に記載の装置では、マススペクトルに現れるピークの信号強度が、分析者により設定された下限値と上限値とで決まる範囲に入るか否かを判定し、信号強度がその範囲に入るピークに対応するイオンをプリカーサイオンとしたMS
2分析を実行するようにしている。この場合には、信号強度の上限値を適切に設定することで、MS
2分析が不要である高信号強度の成分を避けて比較的濃度の低い成分のMS
2分析を優先的に行うことができる。
【0005】
しかしながら、こうした質量分析装置を液体クロマトグラフ(LC)やガスクロマトグラフ(GC)の検出器として用いたLC−MSやGC−MSにおいて上記のようなプリカーサイオン選択を行うと次のような問題がある。
【0006】
LC−MSやGC−MSでは、質量分析装置に導入される目的成分の濃度は時間の経過に伴って山形状に変化する。そのため、プリカーサイオン選択条件として信号強度の下限値を低く定めておくと、目的成分の信号強度が十分に高くならない時点でMS
2分析が実行されてしまい、プロダクトイオンの信号強度が低いMS
2スペクトルしか得られず、目的成分の定性や構造解析に支障をきたすことがある。これを避けるには、プリカーサイオン選択条件として信号強度の下限値を或る程度高く定めておけばよいが、そうすると、目的成分の濃度が想定したよりも低いときに信号強度がその下限値に達せずに、目的成分に対するMS
2分析が実行されないおそれがある。
【0007】
また、特許文献2に記載の装置では、マススペクトル上で観測されるピークの信号強度がプリカーサイオン選択条件として設定された上限値を超えた場合には、該イオンのMS
2分析は実行されない。これは、例えばLCの移動相中に存在する物質やマススペクトルの質量補正等に利用される標準物質など、質量分析装置にほぼ常時導入され且つ濃度が高い物質に対するMS
2分析の実行を回避することを主な目的としている。しかしながら、そのために、実際に分析者が観測したい物質が高い濃度で存在したときに、該物質由来のイオンがプリカーサイオン選択条件に適合せずにMS
2分析が実行されないおそれがあった。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
本発明は上記課題に鑑みて成されたものであり、その主な目的は、質量分析によって得られたマススペクトルに基づいて目的成分由来のプリカーサイオンを自動的に選択してMS
n分析を実行する際に、目的成分の濃度が時間的に変化する場合であっても、該目的成分の濃度が比較的高くなった時点でMS
n分析を実行することができ、それによって良好なMS
nスペクトルを取得することができる質量分析装置を提供することである。
【0010】
また本発明の他の目的は、LCの移動相中に存在する物質などの高濃度の不要な物質についてのMS
n分析の実行を回避しつつ、実際に分析者が観測したい物質が高い濃度で存在したときには該物質由来のイオンをプリカーサイオンとして選択してMS
n分析を実行することができる質量分析装置を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0011】
上記課題を解決するために成された本発明は、MS
n-1分析(nは2以上の整数)によって得られるMS
n-1スペクトルデータに基づいてプリカーサイオンを決定し、そのMS
n-1分析に引き続いて該プリカーサイオンについてのMS
n分析を実行する質量分析装置であって、含有成分の濃度が時間経過に従いピーク状に変化するように試料が導入される質量分析装置において、
a)プリカーサイオン選択条件を分析者が設定するための条件設定部と、
b)
分析実行中にMS
n-1分析によって得られるMS
n-1スペクトルデータに基づいて、そのときに分析している成分についてのMS
n分析の実行を許可する許可開始時間を決定する時間決定部と、
c)分析実行中に現在時間と前記許可開始時間とを比較する時間判定部と、
d)前記時間判定部により現在時間が前記許可開始時間を超えていると判定された場合に、MS
n-1分析によって得られるMS
n-1スペクトルデータにおいて前記プリカーサイオン選択条件に適合するピークをプリカーサイオンとして選択するプリカーサイオン選択部と、
e)前記プリカーサイオン選択部によって選択されたプリカーサイオンに対するMS
n分析を実行するように各部を制御する分析制御部と、
を備えることを特徴としている。
【0012】
本発明に係る質量分析装置には、例えばLCやGCが接続され、LCやGCによって時間的に分離された成分を含む試料が当該質量分析装置に導入される。或いは、フローインジェクション分析による試料が当該質量分析装置に導入される。これによって、含有成分の濃度が時間経過に従いピーク状に変化するように、試料が本質量分析装置に導入される。
【0013】
本発明に係る質量分析装置は、例えば三連四重極型質量分析装置やQ−TOF型質量分析装置などのMS
2分析が可能である質量分析装置のほか、nが3以上のMS
n分析が可能であるイオントラップ飛行時間型質量分析装置やイオントラップ型質量分析装置などを含む。
【0014】
本発明に係る質量分析装置において、時間決定部は、例えばイオンの解離操作を伴わない通常の質量分析を実施することで所定質量電荷比範囲のMS
1スペクトルが得られる毎に、全イオン電流(TIC=Total Ion Current)信号やベースピーク電流(BPC=Base Peak Current)信号による信号強度を算出し、この信号強度に基づいてその時点で分析している成分に対する許可開始時間を決定する。ここで、許可開始時間とは、当該成分に由来するイオンについてMS
n-1分析に引き続いてMS
n分析を行うことを許可する期間の開始点の時間であり、信号強度がそのピークのピークトップの信号強度に対し相対的に或る程度以上のレベルになったときに許可開始時間とすることが望ましい。
【0015】
従来の装置では、MS
n-1スペクトルにおいてプリカーサイオン選択条件に適合するピークが選択されると、その選択されたピークに対応するイオンをプリカーサイオンとしたMS
2分析が直ちに、つまりはMS
n-1分析に引き続いて実行される。それに対し、本発明に係る質量分析装置において、プリカーサイオン選択部は、
時間判定部により現在時間が許可開始時間を超えていると判定されるまで待って
から、プリカーサイオン選択条件に適合するピークを選択し、分析制御部は、その選択されたピークに対応するイオンをプリカーサイオンとしたMS
n分析を実行する。なお、プリカーサイオン選択条件を満たすピークが存在するか否かを許可開始時間が経過する以前にも確認し、仮にプリカーサイオン選択条件を満たすピークが存在しても許可開始時間が経過していない限りMS
n-1分析の実行を見送るようにすれば、これは上記動作と実質的に同じである。
【0016】
本発明に係る質量分析装置の一実施態様として、例えば上記時間決定部は、時間的に連続して得られる複数のMS
n-1スペクトルデータに基づいて、含有成分の濃度が時間経過に従いピーク状に変化するのに対応したクロマトグラム上のピークの開始時点を推定するピーク開始点推定部を含み、該ピーク開始時点から所定の遅延時間が経過した時点を許可開始時間として決定する構成とするとよい。
【0017】
例えばLCやGCによって分離された試料中の成分を検出する場合のように、信号強度が時間経過に伴ってピーク状に変化するときには、そのピークの幅は分離条件に依存して変動する。そのため、上記構成において、上述したように信号強度がピークトップの信号強度に対し相対的に或る程度以上のレベルになったときにMS
n分析の実行を許可するには、上記遅延時間をそのピークの幅に応じて適宜に調整するとよい。即ち、時間決定部は、クロマトグラム上のピークの半値幅の推定値に基づいて遅延時間を定めるようにするとよい。
【0018】
LCやGCではクロマトグラム上のピークの半値幅は、移動相の種類、流速などの分離条件によって変動する。そこで、質量分析装置の前段にLCやGC等のクロマトグラフが接続される構成の場合、時間決定部は、該クロマトグラフにおける分離条件に基づいてクロマトグラム上のピークの半値幅を推定する半値幅推定部をさらに備える構成とすることができる。LCやGCと質量分析装置とを組み合わせたLC−MSやGC−MSでは、こうした分離条件は測定条件として事前にユーザによって設定されるのが一般的であるから、測定条件の一部として設定された分離条件を利用することで、クロマトグラム上のピークの半値幅を推定することが可能である。
【0019】
また多くの場合、クロマトグラムのピーク波形の形状はガウス分布で近似することが可能であるから、ピークの立ち上がりの裾部における複数の信号強度が分かれば、ピーク半値幅を或る程度高い精度で以て推定することが可能である。そこで、時間決定部は、複数のMS
n-1スペクトルデータに基づいて、クロマトグラム上のピークの半値幅を推定する半値幅推定部をさらに備える構成としてもよい。
【0020】
この構成によれば、ユーザによる設定情報などを用いることなくピークの半値幅が或る程度高い精度で推定されるので、常に信号強度が或る程度高い状態でMS
n分析を実行することができる。
【0021】
また本発明に係る質量分析装置において、上記ピーク開始点推定部は、MS
n-1スペクトルデータに基づいて算出した信号強度が所定の閾値を超えたときに、該信号強度及びそれ以前のMS
n-1スペクトルデータに基づいて算出した一つ以上の信号強度に基づいてピーク開始時点を推定する構成とするとよい。
【0022】
また本発明に係る質量分析装置の別の実施態様として、上記時間決定部は、時間的に連続して得られる複数のMS
n-1スペクトルデータに基づいて、含有成分の濃度が時間経過に従いピーク状に変化するのに対応したクロマトグラム上のピークの立ち上がり部分の曲線を推定し、該曲線の変曲点を求め、該変曲点の時点を許可開始時間として決定する構成としてもよい。
一般的に、クロマトグラムピークの立ち上がり部分のカーブの変曲点はその信号強度が該ピークのピークトップの信号強度に対し相対的に或る程度以上のレベルになったときに現れる。そのため、変曲点を許可開始時間とすることで、十分な信号強度のイオンをプリカーサイオンとしたMS
n分析を実行することができる。
【0023】
また本発明に係る質量分析装置において、好ましくは、
プリカーサイオン選択条件の一つとして、除外するイオン又は質量電荷比を示す除外イオン情報を含み、
前記時間決定部は、MS
n-1分析によってMS
n-1スペクトルデータが得られたとき、上記除外イオン情報に該当するデータを除外したうえで許可開始時間を決定する構成とするとよい。
【0024】
例えば時間決定部は、MS
n-1スペクトルデータから除外イオン情報に該当するデータを除外したうえで、含有成分の濃度が時間経過に従いピーク状に変化するのに対応したクロマトグラムをリアルタイムで作成し、該クロマトグラムに基づいてそのときに分析している成分についてのMS
n分析の実行を許可する許可開始時間を決定すればよい。
【0025】
典型的には、高い信号強度で観測される夾雑物由来のイオンを除外するように除外イオン情報を定めておけばよい。具体的には、本発明に係る質量分析装置の前段にLCが接続される場合には、LCで使用される移動相に含まれる成分由来のイオンを除外するように除外イオン情報を定めておけばよい。また、質量補正等に用いられる標準物質が連続的に試料に混入される場合には、該標準物質由来のイオンを除外するように除外イオン情報を定めておけばよい。
【0026】
この構成によれば、不要であることが事前に分かっている成分についてMS
n分析を実行することを回避することができ、ユーザが観測したい目的成分についてMS
n分析が実行される可能性を高めることができる。
【発明の効果】
【0027】
本発明に係る質量分析装置によれば、目的成分の濃度が時間経過に伴いピーク状に変化する場合に、該目的成分の濃度が比較的高くなった時点でMS
n分析を実行することができる。それにより、プロダクトイオンの信号強度が高い良好なMS
nスペクトルを取得することができる。
また本発明に係る質量分析装置の好ましい構成によれば、例えばLCの移動相中に存在する成分などの不要な成分についてのMS
n分析の実行を回避することができ、実際にユーザが観測したい目的成分についてのMS
n分析を実行する可能性を高めることができる。
【発明を実施するための形態】
【0029】
以下、本発明の一実施例である液体クロマトグラフ質量分析装置(LC−MS)について、添付図面を参照して説明する。
図1は本実施例のLC−MSの要部の構成図である。
【0030】
LC部1において送液ポンプ11は、移動相容器10から移動相(溶媒)を吸引し一定流速でインジェクタ12へ送る。インジェクタ12において所定のタイミングで移動相中に注入された試料液は該移動相の流れによってカラム13に導入され、該試料液に含まれる各種成分はカラム13を通過する間に分離されて溶出する。この分離された成分を含む溶出液がQ−TOF型質量分析装置である質量分析部2のイオン源に供給される。
【0031】
質量分析部2においてチャンバ20の内部には、イオン化室21、第1中間真空室22、第2中間真空室23、第1分析室24、第2分析室25が設けられており、略大気圧雰囲気であるイオン化室21から高真空雰囲気である第2分析室25まで順に真空度が高くなっている。即ち、この質量分析部2は多段差動排気系の構成である。イオン化室21には、エレクトロスプレイイオン化(ESI)法によるイオン化を行うESIスプレー26がイオン源として設けられ、イオン化室21と第1中間真空室22とは加熱される脱溶媒管27を通して連通している。第1中間真空室22及び第2中間真空室23にはそれぞれ、イオンを収束させつつ後段へと輸送するイオンガイド28、30が設置されており、第1中間真空室22と第2中間真空室23とはスキマー29の頂部に穿設された小孔を通して連通している。
【0032】
第1分析室24には、四重極マスフィルタ31と、その内部に多重極型イオンガイド33が配設されたコリジョンセル32とが設置されている。第2分析室25には、直交加速式リフレクトロン型の飛行時間型質量分析器36とイオン検出器37とが設置されている。飛行時間型質量分析器36は、直交加速部361と飛行空間362と反射器363とを含む。コリジョンセル32と直交加速部361との間には、第1、第2分析室24、25を隔てる壁面に形成されたイオン通過孔34を挟んで、イオンガイド35が設けられている。
【0033】
分析制御部5は制御シーケンス記憶部51を含み、後述する測定を実行するためにLC部1及び質量分析部2に含まれる各部の動作を制御する。イオン検出器37による検出信号が入力されるデータ処理部4は、本実施例の装置に特徴的な機能ブロックとして、スペクトルデータ収集部40、プリカーサイオン選択判定処理部41、プリカーサイオン選択条件記憶部42、半値幅データベース43などを含む。機能ブロックとして制御シーケンス作成部61を含む中央制御部6は、システム全体の統括的な制御及び入力部7及び表示部8を通した入出力制御を担うものである。
なお、一般に、分析制御部5はCPU、RAM、ROM、タイマー等を含むマイクロコンピュータを中心に構成され、LC部1や質量分析部2を含む装置本体に組み込まれている。一方、中央制御部6及びデータ処理部4に含まれる機能の全て又は一部は、装置本体と接続されたパーソナルコンピュータ(又はワークステーション)にインストールされた専用のソフトウエアを該コンピュータ上で実行することにより達成される。
【0034】
質量分析部2においてMS
2分析を行う際の概略的な動作は次のとおりである。
LC部1のカラム13からの溶出液がESIスプレー26に導入されると、ESIスプレー26は片寄った電荷を溶出液に付与しつつ該溶出液をイオン化室21中に噴霧する。帯電した微小液滴は大気ガスと接触して微細化され、該液滴中の溶媒が蒸発する過程で該液滴に含まれる成分がイオン化される。生成されたイオンは脱溶媒管27、イオンガイド28、30を経て、四重極マスフィルタ31に導入される。四重極マスフィルタ31を構成するロッド電極には特定の質量電荷比を有するイオンのみを通過させるような電圧が印加され、それによって、試料成分由来の様々なイオンの中で特定の質量電荷比を有するイオンのみが選択的に四重極マスフィルタ31を通り抜け、プリカーサイオンとしてコリジョンセル32内に導入される。
【0035】
MS
2分析時にはコリジョンセル32の内部にHe、ArなどのCIDガスが導入され、プリカーサイオンがこのCIDガスに接触すると解離し各種のプロダクトイオンが生成される。生成されたプロダクトイオンはイオンガイド35を経て直交加速部361に送り込まれる。直交加速部361は、所定の時間間隔で以てイオン流をその流れに略直交する方向にパルス的に加速し飛行空間362へと送り出す。反射器363により形成される反射電場を除き、飛行空間362は電場や磁場を有さない。直交加速部361から射出されたイオンは無電場の飛行空間362を飛行したあと反射電場によって折り返され、飛行空間362を再び飛行したあと最終的にイオン検出器37に到達する。イオン飛行開始時点がほぼ同一である各イオンは飛行中に質量電荷比に応じて分離され、質量電荷比が小さなイオンから順にイオン検出器37に達する。
【0036】
したがって、データ処理部4ではイオン検出器37から得られる検出信号に基づいて、直交加速部361でのイオン加速時点(つまりイオン飛行開始時点)を飛行時間ゼロとして各イオン(プロダクトイオン)の飛行時間と信号強度との関係を示す飛行時間スペクトルを得ることができる。質量電荷比と飛行時間との関係は予め理論的に又は実験的に求めておくことができるから、その関係に基づいて飛行時間を質量電荷比に換算することによって、飛行時間スペクトルからMS
2スペクトルを求めることができる。直交加速部361においてパルス的にイオンを加速する毎に所定の質量電荷比範囲のMS
2スペクトルを得ることができ、これを所定の時間間隔で繰り返すことで、LC部1から質量分析部2に導入される溶出液中に時間経過に伴って順次含まれる各種成分についてのMS
2スペクトルをそれぞれ得ることができる。
なお、このときに得られるMS
2スペクトルは、三連四重極型質量分析装置において後段の四重極マスフィルタで所定の質量電荷比範囲のスキャン測定(プロダクトイオンスキャン測定)を実行することで得られるプロダクトイオンスペクトルと実質的に同じである。
【0037】
質量分析部2では、上述したように、試料成分由来の特定のプリカーサイオンにおけるMS
2スペクトルを得ることができるほか、試料成分由来のイオンについてのプリカーサイオン選択を四重極マスフィルタ31で実行せず(つまりはイオンを素通りさせ)、コリジョンセル32内でイオン解離操作も行わないようにすることで、Q−TOF型ではない通常の飛行時間型質量分析装置と同様の質量分析を実行してマススペクトルを取得することもできる。
【0038】
次に、本実施例のLC−MSにおいてDDAによるデータ収集を行う際の動作を、
図2〜
図4を参照しつつ説明する。
図2はこのLC−MSにおいてDDAによるデータ収集を行う際の処理動作の一例を示すフローチャート、
図3は本実施例のLC−MSにおけるプリカーサイオン選択処理を説明するためのクロマトグラム、
図4は本実施例のLC−MSにおけるプリカーサイオン選択処理を説明するためのマススペクトルである。
【0039】
測定の実行に先立って、ユーザ(分析者)は入力部7から各種測定条件を入力設定する。中央制御部6において制御シーケンス作成部61は入力された測定条件に基づいて測定を実行するための制御シーケンスを作成する(ステップS1)。ここでは、測定条件として次のものを含む。
・LC部1における分離条件(例えばカラムの種類、移動相の種類、移動相の流速、グラジエント分析の場合にはグラジエント条件など)。
・DDAの際にプリカーサイオンとして選択しないイオン(以下「除外イオン」という)の質量電荷比。
・プリカーサイオン選択判定処理に使用される強度閾値Ith、及び、プリカーサイオンを選択する際の詳細な条件(例えばイオンが存在する場合に優先的に選択するイオンの質量電荷比、イオン強度順、質量電荷比順などのプリカーサイオン選択の優先順位など)。
・選択されたプリカーサイオンについてのMS
2分析の実行条件(例えばMS
2分析時の質量電荷比範囲、コリジョンエネルギやCIDガス圧等のCID条件など)。
【0040】
ユーザが測定開始を指示すると、この指示を受けた中央制御部6は作成した制御シーケンスを分析制御部5に送出するとともに、プリカーサイオン選択判定処理に必要なプリカーサイオン選択条件をデータ処理部4に送出する。データ処理部4において、プリカーサイオン選択条件はプリカーサイオン選択条件記憶部42に格納される。分析制御部5は制御シーケンス記憶部51に制御シーケンスを一旦記憶し、この制御シーケンスに従って各部の動作を制御する。これによってLC部1及び質量分析部2において測定が開始される(ステップS2)。
【0041】
測定が開始されると、上述したように、LC部1では移動相中に測定対象試料が注入され、該試料に含まれる各種成分が順にカラム13から溶出する。一方、質量分析部2では、プリカーサイオン選択やイオン解離を伴わない質量分析(以下「MS測定」という場合がある)が所定の時間間隔で繰り返し実施され、その質量分析毎に所定の質量電荷比範囲に対応した飛行時間スペクトルデータがデータ処理部4に入力される。データ処理部4においてスペクトルデータ収集部40は飛行時間スペクトルデータを収集し、飛行時間を質量電荷比に換算してマススペクトルデータを取得する(ステップS3)。
【0042】
所定の質量電荷比範囲に亘るマススペクトルを構成するデータが得られる毎に、プリカーサイオン選択判定処理部41は、そのデータからプリカーサイオン選択条件記憶部42に格納されている除外イオンに対応するデータのみを削除し、残ったデータから全イオン電流(TIC)又はベースイオン電流(BPC)による信号強度(以下「MS信号強度」という)を算出する(ステップS4)。
【0043】
いま例えば、MS測定を行うことで
図4(a)に示すマススペクトルを構成するデータが得られたとする。一方、除外イオンとして質量電荷比M1が設定されていたとすると、まず、得られたマススペクトルデータにおいて、質量電荷比M1におけるピークの信号強度に拘わらず該ピークに対応するデータを削除する(
図4(b)参照)。そして、その残りのマススペクトルデータからMS信号強度を算出する。TICによるMS信号強度を用いる場合には、質量電荷比M1におけるピークを除いた全てのピークの信号強度を加算することでMS信号強度を求めればよい。また、BPCによるMS信号強度を用いる場合には、質量電荷比M1におけるピークが削除された残りのマススペクトルデータの中で信号強度が最大のピーク(
図4(b)では質量電荷比M2のピーク)を抽出し、その信号強度を求めればよい。
【0044】
プリカーサイオン選択判定処理部41は、算出されたMS信号強度が測定条件の一つとして設定された強度閾値Ithを超えているか否かを判定し(ステップS5)、超えていなければ(つまりNoであれば)ステップS13へと進んで、現在時間が測定終了時間を超えているか否かを判定する。ステップS13でNoであればステップS3へと戻り、MS測定を継続する。
【0045】
ステップS5においてMS信号強度が強度閾値Ithを超えていると判定されると、MS
2実行許可開始時間Tsを計算する(ステップS6)。
図3の例では、MS信号強度がD1であるときには強度閾値Ithを超えないが、次のMS測定の結果得られたMS信号強度がD2になると強度閾値Ithを超える。したがって、このD2が得られたときにステップS5においてYesと判定される。
【0046】
具体的にステップS6ではまず、その時点から遡った過去に得られたMS信号強度の変化に基づいて、クロマトグラムにおけるピーク(以下、マススペクトル上のピークと区別するためにクロマトグラムピークという)の開始時間T0を推定する。例えば、
図3に示すように、MS信号強度が強度閾値を超えたときのその信号強度値D2とその直前のMS測定における信号強度値D1とを用い直線近似を行ってクロマトグラムピークの開始時間T0を求める。こうして求めたクロマトグラムピークの開始時間T0に所定の遅延時間Tdelayを加えた時間をMS
2実行許可開始時間Tsとする。
【0047】
遅延時間Tdelayは、
図3に点線で示したような山型状であるクロマトグラムピークが或る程度立ち上がるまでの所要時間に相当するものであるため、通常、ピーク幅つまりはピーク半値幅に依存する。ピーク半値幅はLC部1における分離条件に大きく依存する。そこで、ここでは予め様々なLC分離条件とピーク半値幅の標準的(平均的)な値との対応を示す情報を半値幅データベース43に格納しておく。
図5はこの情報の一例を示すものである。この例では、使用されるカラムの種類、移動相の流速、移動相の種類、グラジエント条件などと、クロマトグラムピーク半値幅とが対応付けてられている。こうした情報は例えば本装置を提供するメーカーが実験的に求めるようにしてもよいし、或いは、ユーザが実験的に求めてデータベースを構築するようにしてもよい。
【0048】
上述したように測定条件としてLC分離条件は入力されるから、プリカーサイオン選択判定処理部41は半値幅データベース43を利用し、設定されたLC分離条件に対応するクロマトグラムピーク半値幅を求め、その半値幅に所定の係数を乗じて遅延時間Tdelayを算出する。例えば所定の係数としては1/2を用いればよい。ピーク幅が広いときには遅延時間Tdelayは大きくなるから、所定の係数を適切に定めておくことで、クロマトグラムピークのピークトップの信号強度値やピーク幅に拘わらず、また、強度閾値Ithのレベルに拘わらず、そのピークが十分に立ち上がった時点にMS
2実行許可開始時間Tsが設定されるようにすることができる。
【0049】
図2に戻り説明を続ける。MS
2実行許可開始時間Tsが算出されたあと、次のMS測定で得られたマススペクトルデータに基づいて算出されたMS信号強度が強度閾値Ithを超えているか否かを判定し(ステップS7、S8)、超えていなければ上述したステップS13へと進む。ステップS8においてMS信号強度が強度閾値Ithを超えていると判定されると、次に、現在時間が上記ステップS6で算出されたMS
2実行許可開始時間Tsを超えているか否かを判定する(ステップS9)。ステップS9においてNoであればステップS7へと戻り、ステップS7〜S9の処理を繰り返す。その間に、ステップS8においてNoと判定されればステップS8からS13へと進む。
【0050】
ステップS9において現在時間がMS
2実行許可開始時間Tsを超えていると判定されると、プリカーサイオン選択判定処理部41はMS測定によって得られたマススペクトル上でプリカーサイオン選択条件を満たすイオンを抽出する(ステップS10)。そして、抽出したイオンの質量電荷比の情報を分析制御部5に送る。これを受けて分析制御部5は、その抽出されたイオンをプリカーサイオンとするMS
2分析を実行するように質量分析部2を制御する。即ち、四重極マスフィルタ31ではそのプリカーサイオンのみが選別され、コリジョンセル32において該プリカーサイオンはCIDによって解離される。それによって生成された各種プロダクトイオンが飛行時間型質量分析器36に導入されて質量分析が行われる。これによって、所定の質量電荷比範囲に亘るMS
2スペクトルを構成するデータが得られる。ステップS10においてプリカーサイオン選択条件を満たすイオンが複数抽出された場合には、予め設定された優先順序に従って、時間が許す限り(例えば次のMS測定を実施するまでの時間の範囲内で)、その複数のプリカーサイオンについてのMS
2分析が実行される。
【0051】
MS
2分析が終了すると、現在時間が測定終了時間を経過したか否かが判定され(ステップS12)、現在時間が測定終了時間に達していなければステップS12からS7へと戻る。MS信号強度が一旦強度閾値Ithを超えると、MS信号強度が強度閾値Ithを下回るまで(つまりステップS8でNoと判定されるまで)、ステップS6〜S12の処理の繰り返しによって、MS測定に引き続いてMS
2分析が実行されることになる。これによって、プリカーサイオン選択条件を満たすイオンについてのMS
2スペクトルを確実に得ることができる。また、MS信号強度が或る一定の閾値を超えたときにMS
2分析が行われるのではなく、クロマトグラムピークが十分に立ち上がった時点以降にMS
2分析が行われるので、プロダクトイオンの信号強度が或る程度高い良好なMS
2スペクトルを得ることができる。
【0052】
測定対象試料に複数の成分が含まれる場合、カラム13において時間的に分離された成分を含む溶出液が順に質量分析部2に導入されるから、成分由来のイオンがプリカーサイオン選択条件を満たしさえすれば、成分毎に、上述のようにしてMS
2スペクトルデータを収集することができる。
【0053】
なお、上記実施例では、クロマトグラムピークの半値幅が測定開始時点からの時間の経過に従って変化することは想定されていないが、よく知られているように、イソクラティック分析では通常、時間経過に伴いクロマトグラムピークの半値幅が変化する(
図7(a)参照)。そのため、LC部1における分離条件に応じて平均的な一つのピーク半値幅を利用しただけでは、MS
2実行許可開始時間Tsが適切に設定されず、クロマトグラムピークが十分に立ち上がらない時点でMS
2分析を実行してしまう等の不具合が生じるおそれがある。そこで、イソクラティック分析を行う場合には、ピーク半値幅の時間的な変化を反映した半値幅データベースを利用するとよい。
【0054】
図6はイソクラティック分析に対応した半値幅データベース43の情報の一例を示すものである。例えば
図7(a)に示すように時間経過に伴ってクロマトグラム上で観測されるピークの幅が変化するとき、
図7(b)に示すように各ピークの保持時間とピーク半値幅との関係を求め、1番目のピークの半値幅と、該ピークを基準とした半値幅の変化率とを算出しておく。これをデータベース化することで、カラムの種類などの分離条件と保持時間とに対応するクロマトグラムピーク半値幅の標準値を求め、遅延時間Tdelayを算出することが可能である。
【0055】
また、これらの例では、半値幅データベース43に基づいてクロマトグラムピーク半値幅を取得することが可能であるが、測定条件の一つとしてクロマトグラムピーク半値幅をユーザが手動で入力設定するようにしてもよい。例えば、半値幅データベース43には登録されていないような特殊な分離条件でLC部1を動作させるような場合には、こうした手動による入力設定が有効である。
【0056】
また、一般に、LCのクロマトグラム上で観測されるピークの波形形状は成分の重なりなどがない限りガウス分布形状に近くなる。そのため、例えば
図3中のD1、D2などの複数のMS信号強度を用い、ガウス分布波形で近似したピーク波形形状を求めることで、ピーク半値幅を推定することができる。このようにして、クロマトグラム上のピークの立ち上がり部分の複数のMS信号強度から該ピークの半値幅を推定し、そのピーク半値幅を利用して遅延時間Tdelayを算出してもよい。
【0057】
また、MS信号強度が強度閾値Ithを超えた時点から適宜の時間遅れた時点をMS
2実行許可開始時間Tsとして決定するために、上述したプリカーサイオン選択判定処理に代えて以下のような処理を実行してもよい。
図8はこの処理を説明するためのクロマトグラムの一例である。ここでは、MS信号強度が強度閾値Ithを超えた(
図8におけるデータD2が得られた)以降に、そのMS信号強度とそれより以前に取得した一又は複数のMS信号強度とに基づいて平滑化(スムージング)処理を行いつつ近似曲線(例えば二次曲線又は三次曲線)を描く。そして、その近似曲線上で現時点における微分値を計算し、その微分値を利用して近似曲線の変曲点を求める。変曲点が見つかったならば、その変曲点よりもあとの最初のデータ取得時点をMS
2実行許可開始時間Tsとして定めDDAの実行を開始する。
【0058】
図8に示した例では、MS信号強度が強度閾値Ithを超えた以降の或る時点で得られたMS信号強度から遡って所定の時間幅(近似曲線描画幅)の範囲内にある複数のMS信号強度に基づいて平滑化処理を行いつつ近似二次曲線(y=Ax
2+By+C)を描出する。そして、その近似二次曲線上で各時点における微分(dy
2/dx
2)の値を求め、その微分値が0以上であったときにその時点を変曲点とし、該変曲点以降の最初のデータ取得時点をMS
2実行許可開始時間Tsとする。一般的に、クロマトグラムカーブの変曲点の検出は、データ取得後にクロマトグラムピークを抽出することを目的として行われることが多い。そのため、変曲点検出に利用される近似曲線描画幅は変曲点を中心としてその前後の時間幅で決められ、想定されるクロマトグラムピークの半値幅で以て定義されることが多い。この例におけるデータ処理では、近似曲線描画幅は変曲点から時間的に前の範囲でのみ定義されるので、例えば想定されるクロマトグラムピークの半値幅の半分の値など近似曲線描画幅として用いるのが適当である。
【0059】
さらにまた、上記実施例によるLC−MSにおけるプリカーサイオン選択判定処理では、クロマトグラムピークの開始時点を推定し、その開始時点から所定の遅延時間Tdelayが経過した時点をMS
2実行許可開始時間Tsに定めていたが、クロマトグラムピークの開始時点を基準とするのではなくMS信号強度が強度閾値Ithを超えた時点を基準として、そこから所定の遅延時間が経過した時点をMS
2実行許可開始時間Tsとしてもよい。この場合には、遅延時間を算出する際に、想定されるクロマトグラムピークの半値幅に乗じる係数を上記実施例とは変えればよい。こうした構成においても、クロマトグラムピークの高さや幅を反映して該ピークが十分に立ち上がった時点でMS
2分析を実行することができるので、良好なMS
2スペクトルを確実に取得することができる。
【0060】
また、上記実施例のLC−MSでは、質量分析部2にQ−TOF型質量分析装置を用いていたが、Q−TOF型質量分析装置に代えて三連四重極型質量分析装置を用いてもよいことは当然である。
【0061】
また、コリジョンセルにおいてイオンを解離させる質量分析装置ではなく、イオントラップに一旦イオンを蓄積して、その蓄積したイオンを解離させるイオントラップ型質量分析装置やイオントラップ飛行時間型質量分析装置などを用いてもよい。こうした装置ではMS
2分析だけでなく、nが3以上のMS
n分析も可能であるが、上述のプリカーサイオン選択判定処理はそうしたMS
n分析にも適用可能である。
【0062】
さらにまた、LC部1は、カラムを使用せずにインジェクタ12から移動相中に測定対象試料を注入し、その移動相の流れによって測定対象試料を質量分析部2に導入するフローインジェクション分析(FIA)の構成とすることもできる。
また、LC−MSでなくGC−MSに本発明を適用可能であることも当然である。
【0063】
また、上記実施例や各種変形例はいずれも本発明の一例であるから、上記記載以外にも、本発明の趣旨の範囲で適宜に変形、追加、修正を行っても本願特許請求の範囲に包含されることは明らかである。