(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
前記鋼板は鋼帯であることを特徴とする請求項1または請求項2に記載の焼き入れ性および耐食性に優れた自転車ディスクブレーキロータ用マルテンサイト系ステンレス冷延鋼板。
製造工程が、溶解・鋳造・熱延・熱延板焼鈍・酸洗・冷延・冷延板焼鈍・酸洗を含み、前記冷延板焼鈍の焼鈍温度が700〜800℃であることを特徴とする請求項1から請求項3のいずれか一項に記載の焼き入れ性および耐食性に優れた自転車ディスクブレーキロータ用マルテンサイト系ステンレス冷延鋼板の製造方法。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
背景技術に記載のマルテンサイト系ステンレス鋼板では、焼き入れ後の硬さが硬く、必要な硬さを得るために添加する合金元素も多く、部品製造に関する時間が長くかかる等で、高コストであった。
本発明の目的は、汎用自転車に適用可能な安価なディスクブレーキのロータ材として、安価かつ、十分に品質に優れた、焼き入れ性および耐食性に優れた自転車ディスクブレーキロータ用マルテンサイト系ステンレス冷延鋼板、鋼帯およびその製造方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0008】
これまで自転車用ディスクブレーキのロータ材は、制動力、耐摩耗性等から、HRCで38〜44に調整され使用されている。これはディスクブレーキが用いられている自転車がマウンテンバイク等の高級自転車であり、優れた制動特性が要求されているためである。また、冷間圧延以降の製造工程の条件検討が不十分のため、使用されている材料もロット毎の硬さのばらつきが大きく、必要以上に硬い材料を使用しているという課題もあった。
【0009】
これに対し、汎用自転車にディスクブレーキを使用する場合、これほどの制動力は必要なく、むしろ、安価であることが重要となる。したがって、要求される材料の特性も変わらざるを得ない。
【0010】
本発明者らの検討により、汎用自転車用としては、硬さがHRCで32〜38程度であれば、十分な制動力を保持できることが明らかになった。
【0011】
HRC32〜38であれば、オートバイ用ディスクブレーキ材も使用可能であるが、オートバイ用ディスクブレーキ材は通常熱延鋼板を用いており、これをそのまま冷延−焼鈍しただけでは、十分な特性、特に、プレス加工性を得ることができなかった。また、焼き入れ条件も大きく異なるため、焼き入れ硬さに対する考えも変える必要があった。
【0012】
そこで、本発明者らは、自転車ディスクブレーキロータ材として、最適な成分設計を行うとともに、製造工程も最適化し、汎用自転車用のディスクブレーキロータ材としてマルテンサイト系ステンレス鋼板の発明を完成させた。
【0013】
本発明者らは、汎用自転車用ディスクブレーキロータ材として、必要な特性を詳細に検討し、以下のようになることを見出した。
(A1) 板厚精度から、冷延鋼板が望ましい。
(A2) 冷延焼鈍後、油冷による焼き入れで、硬さが32−38HRCとなる
(A3) 熱処理炉での焼き入れは低温短時間が望ましい(優れた低温焼入れ性)
(A4) 熱処理の条件が変わっても硬さ変化が小さい方が良い(優れた焼き入れ安定性)
【0014】
さらに、これら必要な特性をもつ鋼板の開発に本発明者らは取り組み、以下の知見を得た。
(B1)冷延焼鈍板は熱延焼鈍板と焼き入れ性が異なり、冷延焼鈍板の方が焼き入れ性に優れる。
(B2)CよりNが多い方が低温焼入れ性、焼き入れ安定性に優れる
(B3)炭窒化物を中心とする析出物量が重要であり、析出物が少ないほど焼き入れ性が向上する。
【0015】
また、本発明者らは、熱延鋼板にはない冷延鋼板の課題も以下のように新たに見出した。
具体的には、焼き入れ前の冷延鋼板は、発銹しやすいことを新たに知見した。
理由は、焼き入れ前の冷延鋼板は、冷却速度が、炭窒化物の析出が抑制できる速度ではないため、最終焼鈍での冷却中に炭窒化物周辺にCr欠乏層が生じやすく、Cr欠乏層周辺の炭窒化物により発銹しやすいためと考えられる。
焼き入れを行えば、炭窒化物を固溶させることができるため、発銹を抑制できるが、焼入れ前の冷延鋼板は、焼き入れ後よりも多くの炭窒化物が存在するため、焼入れ後よりも耐食性が低い。
焼入れ前の冷延鋼板の耐食性が低いと、ディスクブレーキロータの製造中に、焼き入れ前の冷延鋼板が発銹する可能性がある。軽微な発銹であれば、研磨で除去できるが、発銹が多すぎると研磨の作業負担が増大する。そのため、冷延鋼板は、焼入れ前も耐食性に優れる方が好ましい。
この課題に対して、本発明鋼はCよりNが多いこともあり、Vを微量添加することで、耐食性を低下させるCr窒化物でなく、V窒化物が形成されやすくなり、発銹が抑制されることを知見した。
【0016】
本発明は、これらの知見に基づいて到ったものであり、本発明の課題を解決する手段、すなわち、本発明のマルテンサイト系ステンレス鋼板は以下の通りである。
【0017】
(1)質量%で、
C:0.020〜0.060%、
N:0.020〜0.070%、
Si:0.1〜1.0%、
Mn:1.0〜1.5%、
P:0.040%以下、
S:0.015%以下、
Ni:0.3%以下
Cr:10.5〜13.5%、
Cu:0.1%以下、
V:
0.08%超〜0.3%、
Al:0.001〜0.010%
を含有し、
かつ、CおよびNが式1を満足し、
かつ、式2で表わされる熱間圧延時の相バランス指標であるγpが90〜120であり
、
残部がFeおよび不可避的不純物からなり、
鋼中の析出物量が
質量%で0.2%以上、2%以下であり、
板厚が0.5mm以上、2.5mm以下の焼き入れ性および耐食性に優れた自転車ディスクブレーキロータ用マルテンサイト系ステンレス冷延鋼板。
0.03%≦C+0.5×N≦0.09% ・・・ 式1
ただし、N≧C
γp=420C+470N+23Ni+9Cu+7Mn−11.5Cr−11.5Si−52Al−12Mo−47Nb−7Sn−49Ti−48Zr−49V+189 ・・・ 式2
なお、式1および式2における元素名は、それぞれの元素の含有量(質量%)を意味する。
(2)質量%で、
Mo:0.01〜0.5%、
Sn:0.003〜0.1%、
Nb:0.001〜0.3%、
Ti:0.05%以下、
Zr:0.05%以下、
B:0.0002〜0.0050%
を1種以上含み、残部がFeおよび不可避的不純物からなることを特徴とする(1)に記載の焼き入れ性および耐食性に優れた自転車ディスクブレーキロータ用マルテンサイト系ステンレス冷延鋼板。
(3)前記鋼板は鋼帯であることを特徴とする(1)または(2)に記載の焼き入れ性および耐食性に優れた自転車ディスクブレーキロータ用マルテンサイト系ステンレス冷延鋼板。
(4)製造工程が、溶解・鋳造・熱延・熱延板焼鈍・酸洗・冷延・冷延板焼鈍・酸洗を含み、前記冷延板焼鈍の焼鈍温度が700〜800℃であることを特徴とする(1)から(3)のいずれか一つに記載の焼き入れ性および耐食性に優れた自転車ディスクブレーキロータ用マルテンサイト系ステンレス冷延鋼板の製造方法。
【発明の効果】
【0018】
本発明のマルサイト系ステンレス鋼により、安価かつ焼入れ性及び耐食性に優れた二輪車ディスクブレーキロータの製造が可能となる。
即ち、本発明によれば、汎用自転車に適用可能な安価なディスクブレーキのロータ材として、安価かつ、十分に品質に優れた、焼き入れ性および耐食性に優れた自転車ディスクブレーキロータ用マルテンサイト系ステンレス冷延鋼板を提供することができる。
【発明を実施するための形態】
【0019】
以下、本発明の実施の形態について説明する。
【0020】
<化学成分>
まず、本実施形態のステンレス鋼板の鋼組成を限定した理由について説明する。なお、組成についての%の表記は、特に断りのない場合は、質量%を意味する。
【0021】
C:0.020〜0.060%
Cは、焼き入れ時の硬さを高めるとともに、焼き入れ加熱時のオーステナイト相分率を高め、焼き入れ後のマルテンサイト量を増加させる。汎用自転車のブレーキロータに必要な硬度と制動力を与えるためには、0.020%以上が必要である。また、0.060%を超えると、HRCが38を超えるような硬さになり、ブレーキの鳴き等の問題がでてくる。硬さと靭性のバランスを考えると、0.025〜0.050%とすることが望ましい。
【0022】
N:0.0020〜0.070%
Nは、Cと同様に、焼き入れ時の硬さを高めるとともに、焼き入れ加熱時のオーステナイト相分率を高め、焼き入れ後のマルテンサイト量を増加させる。汎用自転車のブレーキロータに必要な硬度と制動力を与えるためには、0.020%以上が必要である。また、0.070%を超えると、HRCが38を超えるような硬さになり、ブレーキの鳴き等の問題がでてくる。硬さと靭性のバランスを考えると、0.030〜0.050%とすることが望ましい。
【0023】
0.03≦C+0.5×N≦0.09% ・・・式1
他の元素の影響や組織の影響も受けるが、基本的には、焼き入れ後の鋼板の硬さはC+0.5×N量に左右される。32〜38HRCの硬さ範囲を満足するためには、下限を0.03%、上限を0.09%とする。
【0024】
N≧C
優れた焼入れ性を実現するためには、焼入れ時において、炭化物、窒化物が素早く固溶する必要がある。一般的に窒化物より炭化物が粗大化する傾向にあるため、本発明では、N≧Cとする。これにより、粗大な炭化物が生成しにくくなり、低温かつ短時間での加熱でも十分に固溶することが可能となり、その結果、焼き入れ硬度が向上する。つまり、優れた低温焼入れ性が得られる。また、本実施形態のステンレス鋼板は、Vの微量添加によりV窒化物を生成させ、耐食性を向上させている。そのためNが多い方が、耐食性向上効果が大きく、N≧Cとする必要がある。
【0025】
Si:0.1〜1.0%
Siは、高温強度や耐酸化性を改善させる元素であるとともに、脱酸剤として有用な元素であり、その効果は0.1%以上の添加で生じる。しかし、焼き入れ時のマルテンサイト相を減じるとともに、靭性を低下させ、硬度を上昇させる元素であるため、その上限を1.0%とした。
好ましくは、0.1〜0.5%である。
【0026】
Mn:1.0〜1.5%
Mnは、脱酸剤として有用な元素であるとともに、NiやCuと同様に、オーステナイト形成元素であり、焼き入れ時のマルテンサイト量を増加させる。また、Mn独自の効果として、非金属介在物(MnS)を形成し、熱間加工性を向上させる効果をもつ。さらに、溶鋼中への窒素の溶解度を上げる効果があり、多量に窒素を添加する際には気泡系欠陥の形成を抑制する作用を示す。これらの効果を得るためにはMnの含有量は少なくとも1.0%以上とする。しかし、Mnを多量に含有すると、焼き入れ加熱時の酸化が進み酸化皮膜の除去が困難となり、また、MnSの粗大化により素材の表面品質を低下させる。さらに、Mnを多量に含有すると、制動時の鳴き発生硬度を下げることが困難になる。これらから、Mnの含有量は1.5%以下とする。
【0027】
P:0.040%以下
Pは、固溶強化能の大きな元素であり、フェライト形成元素である。耐食性に対して有害な元素であるため、可能な限り少ないほうが好ましく、上限を0.040%とする。より優れた耐食性が必要な場合は、0.020%以下が好ましい。しかし、過度の低減は脱りん負荷が増大し、製造コストが増加するため、その下限を0.005%とするのが好ましい。
【0028】
S:0.015%以下
Sは、硫化物系介在物を形成し、鋼板の一般的な耐食性(全面腐食や孔食)を劣化させるため、その含有量の上限は少ないほうが好ましく、0.015%とする。また、Sの含有量は少ないほど耐食性は良好となるが、低S化には脱硫負荷が増大し、製造コストが増大するので、その下限を0.0001%とするのが好ましい。なお、好ましくは0.0005〜0.0050%である。
【0029】
Ni:0.3%以下
Niは、Mn、Cuと同様にオーステナイト形成元素であり、焼き入れ時のマルテンサイト量を増加させる。しかし、Niは高価であるため、本発明では積極的には添加せず、スクラップから混入する不可避不純物程度にとどめ、許容できる上限を0.3%とした。ただし、孔食の進展抑制に有効な元素であり、その効果は0.05%以上の添加で安定して発揮される。併せて、熱延板の靱性向上に有効である。したがって、0.05%以上の含有が好ましい。
【0030】
Cr:10.5〜13.5%
Crは、ディスクブレーキロータとして耐食性確保のために必須な元素である。想定される環境で不動態皮膜を形成するためには、10.5%以上必要であり、これを下限とする。一方で、Crはフェライト形成元素であるため、Crの含有量が13.5%を超えると焼き入れ加熱時のオーステナイト分率が減少し、焼き入れ後のマルテンサイト相の量が減少し、硬さが不足する恐れがある。この場合、Cr量に応じたオーステナイト形成元素(Ni、Cu、Mn)を添加して、焼き入れ加熱時のオーステナイト相分率を確保する必要がある。一方で、上記、オーステナイト形成元素の添加による相分率の確保は、各元素の添加が種々の理由により制限され、高コストにもなるため、Crの含有量の上限を13.5%とする。
【0031】
Cu:0.1%以下
Cuは、Mn、Niと同様にオーステナイト形成元素であり、焼き入れ時のマルテンサイト量を増加させる。また、耐食性を向上させる元素である。しかしながら、摺動時の発熱により形成される酸化皮膜を変化させ、ディスクブレーキの鳴き発生強度を下げる問題があるため、その含有量は0.1%以下とする。
【0032】
V:0.05%超〜0.3%以下
本発明において、Vは有用な元素である。本発明鋼では最終焼鈍の冷却中にCr炭窒化物が生じ、その周辺にCr欠乏層ができる。熱延鋼板であると、冷却速度が遅いため、ヒーリング効果によるCr欠乏層の解消が図られる。冷延鋼板の場合、その冷却速度は通常、熱延鋼板より速いが、炭窒化物の生成を抑制できるほど速くなく、ヒーリング効果が期待できるほど遅くもない。そのため、炭窒化物周辺にCr欠乏層が残り、発銹起点となりやすい。
ところがVを添加すると、その発銹が抑制される。この効果は、0.05%超の含有で発現する。理由は明確でないが、V添加により、Cr窒化物ではなく、V窒化物が形成されるため、Cr欠乏層が生成しにくいためと推定される。V窒化物はCr窒化物より高温で安定であるが、焼入れ条件を適切に選ぶことにより、固溶できる。そのため、焼入れ性に大きく影響を与えずに発銹を防止できる。
Vは原料に微量含有されており、原料品位によっては混入しやすく、その低減はコスト上昇を伴うので、0.08%超の含有が好ましい。
一方で、過度のV添加は多量のV窒化物の形成を招き、適切な焼入れ条件でも、十分に固溶し難くなる。その結果、焼入れ性の低下、具体的には、マルテンサイト硬さの低下を招く。そのため、Vは0.3%の含有を上限とする。
【0033】
Al:0.001〜0.010%
Alは脱酸元素として有用であり、その効果は、0.001%以上で発現する。しかし、過度の添加は、耐食性等に影響するため、その上限を0.010%とする。Si等他の元素で脱酸できる場合、コストも考慮すると、0.003%〜0.0008%が望ましい。
【0034】
これら元素の限定に加えて、本発明はマルテンサイト系ステンレス鋼であり、マルテンサイト相(以下、M相)が生成するためには、高温でオーステナイト相(以下、γ相)が生成する必要があり、その量は添加成分により決まるため、各元素は相互に調整されて、相バランスを取る必要がある。その相バランス指標が式2で表わされており、このγpが90〜120となれば良い。90未満であると高温で生成するγ相が少なくなり、焼き入れ後のM相が少なくなり、必要な硬さが得られない。また、γpが120を超えると、γ相が焼き入れしてもM相変態を起こさない、安定γ相が多くなり、これもM相が少なくなり、必要な硬さが得られない。最も好適なγpは90〜110である。
γp=420C+470N+23Ni+9Cu+7Mn−11.5Cr−11.5Si−52Al−12Mo−47Nb−7Sn−49Ti−48Zr−49V+189 ・・・ 式2
なお、式2における元素名は、それぞれの元素の含有量(質量%)を意味する。
また、式2は1100℃加熱時に生成するオーステナイト量の最大値を示す指標でもある。具体的には「Metal Treatment」1964、p.230〜245の文献で紹介されているCastroの式を改良したもので、γ相の最大相分率を推定する経験式として公知の式である。
【0035】
さらに、耐食性を向上させるために、以下の元素を1種以上含んでも良い。
【0036】
Mo:0.01〜0.5%
Moは、耐食性を向上させるために必要に応じて添加すれば良く、これらの効果を発揮させるため、下限を0.01%とすることが好ましい。一方、過度の添加は、M相の生成を阻害するので、上限を0.5%とする。
【0037】
Sn:0.003〜0.1%
Snは焼入れ後の耐食性向上に有効な元素であり、0.003%以上が好ましく、必要に応じて0.02%以上添加することが好ましい。但し、過度な添加は熱延時の耳割れを促進するため0.1%を上限とする。
【0038】
Nb:0.001〜0.3%
Nbは、炭窒化物を形成することで、ステンレス鋼におけるクロム炭窒化物の析出による、鋭敏化や耐食性の低下を抑制する元素である。0.001%以上が好ましい。さらに、焼き入れ後の耐熱性を大きく向上させる元素である。ここで、耐熱性とは、焼き入れ後、熱を受けたときにどの程度軟化し難いかを意味し、焼き戻し軟化抵抗とも呼ばれる。
しかし、Nbを過剰に添加した場合、ディスクブレーキロータにおいては、NbNを形成することで、靭性の低下や鳴きの原因になるため、好ましくなく、0.3%を上限とする。
【0039】
Ti:0.05%以下
Tiは炭窒化物を形成することで、ステンレス鋼におけるクロム炭窒化物の析出による、鋭敏化や耐食性の低下を抑制する元素である。しかしながら、Tiの炭窒化物は粗大になり易く、強化に寄与せず、CやNを固定化するためだけなので、0.05%を上限とする。
【0040】
Zr:0.05%以下
Zrも炭窒化物を形成することで、ステンレス鋼におけるクロム炭窒化物の析出による、鋭敏化や耐食性の低下を抑制する元素である。しかしながら、Zrの炭窒化物は粗大になり易く、強化に寄与せず、CやNを固定化するためだけなので、0.05%を上限とする。
【0041】
B:0.0002〜0.0050%
Bは、熱間加工性の向上に有効な元素であり、その効果は0.0002%以上で発現するため、0.0002%以上添加しても良い。より広い温度域における熱間加工性を向上させるためには、0.0010%以上とすることが望ましい。一方、過度な添加は硼化物と炭化物の複合析出により焼入れ性を損ねるため、0.0050%を上限とする。耐食性も考慮すると0.0025%以下が望ましい。
【0042】
以上説明した各元素の他にも、本発明の効果を損なわない範囲で含有させることができる。一般的な不純物元素である前述のP、Sを始め、Zn、Bi、Pb、Se、Sb、H、Ga、Ta、Ca、Mg、Zr、B等は可能な限り低減することが好ましい。一方、これらの元素は、本発明の課題を解決する限度において、その含有割合が制御され、必要に応じて、Zn≦100ppm、Bi≦100ppm、Pb≦100ppm、Se≦100ppm、Sb≦500ppm、H≦100ppm、Ga≦500ppm、Ta≦500ppm、Ca≦120ppm、Mg≦120ppm、Zr≦120ppm、の1種以上を含有する。なお、「ppm」は質量基準である。
また、本実施形態の自転車ディスクブレーキロータ用マルテンサイト系ステンレス冷延鋼板は、上記成分を含有し、残部はFeおよび不可避的不純物で形成される。
【0043】
<析出物>
また、本発明の冷延鋼板の鋼中の析出物量は0.2%以上、2%以下とする。析出物量は、抽出残渣法により評価し、質量%で、母材の溶解量に対する残存残渣量の割合とする。この析出物は炭窒化物が主であり、これらは焼き入れ時の昇温時に溶解するまでの間、ピンニングサイトとして働き、γ相の粒成長を妨げ、硬さ低下を防ぐ働きをする。0.2%以上あると、その効果は発現する。しかし、2%を超えると、粗大化してその効果が消失するだけでなく、固溶C、Nを低下させているため、M相の硬さが不足し、鋼板全体として硬さが不足し、耐食性も悪化する。より好ましくは、1〜2%とする。
【0044】
なお、本願で析出物の量の制御は、C含有量、N含有量、および製造時の熱履歴を制御することにより、0.2%以上、2%以下とすることができる。
このうち、C含有量、N含有量は溶製段階で制御でき、少なすぎると析出物量が下限未満となり、多すぎると析出物が下限を超える傾向になるが、本発明のC、N含有量とすればよい。
ただし、析出物の量はC含有量、N含有量だけでは決まらず、最終製品までの熱履歴でも調整できる。具体的にはスラブ加熱の温度、熱延の完了温度、冷却方法、熱延板の焼鈍方法で調整できる。これは、熱履歴により析出物が溶けたり、析出したり、成長したりを繰り返すためである。
一方で、最終製品での析出物量を決める最も重要な工程は最終焼鈍(冷延板焼鈍)である。特に温度の違いにより析出物量を制御することが可能であり、温度が高いと析出物は少なくなり、低いと多くなる。よって、後述するように、本発明の好適な冷延板焼鈍条件とすればよい。
もっとも、最終焼鈍前に析出物量をある程度の範囲に制御できていないと、最終焼鈍だけでは適正範囲に制御できない。
【0045】
また、抽出残渣法としては、ここでは一定量の鋼を電解して電解液中に溶解し、それをフィルターでろ過し、ろ過されずに残った残渣を析出物として評価する方法を用いる。電解した鋼と残渣の質量の比較から析出物量が求まる。抽出残渣法に使用するフィルターでは、通常、0.2μm以下の析出物を捕捉できないため、ここでは考慮していない。
【0046】
<鋼板板厚>
また、自転車用ディスクブレーキロータは薄手材をそのまま使用するため、その素材は、板厚が0.5〜2.5mmの冷延鋼板および鋼帯が適している。熱延鋼板であると、板厚精度が乏しく、ブレーキ性能が安定しない可能性がある。
【0047】
<製造方法>
本発明のマルテンサイト系ステンレス鋼板は、冷延鋼板であり、その製造工程は、溶解・鋳造・熱延・熱延板焼鈍・酸洗・冷延・冷延板焼鈍・酸洗を含む工程である。製造設備に特段の制限はなく、公知の製造設備を使用できる。冷延鋼板は通常、圧延方向に非常に長い、いわゆる、鋼帯の形態で製造される場合が多く、巻かれて、コイル状の形で保管・移動される。
【0048】
熱延の条件は、特に規定しないが、スラブ加熱温度は、1100℃から1250℃が好ましい。また、熱延仕上げ温度は、800℃以上が好ましい。さらには、熱延後、気水冷却等で、冷却し、コイル状に巻き取る。
【0049】
焼鈍方法は特に規定しないが、箱焼鈍と呼ばれる方法が好ましい。焼鈍温度は、800〜900℃が好適である。800℃未満であると、十分に軟質化されず、冷延しにくい。900℃を超えると、γ粒が粗大となり靭性が低下するため好ましくないためである。また、焼鈍後の冷却速度であるが、800℃から450℃までの冷却速度が10℃/min以下が好ましい。冷却速度が10℃/min超と速くなると、M相が出やすくなり、冷延しにくくなり、好ましくない。
【0050】
酸洗も特段の制限はなく、硫酸、またはふっ硝酸等でスケールを除去する。鋼板のスケールの除去や亀裂導入ために、酸洗前にショットブラスト、コイルベンダー等にかけても良い。
【0051】
冷延では、焼鈍・酸洗された熱延鋼板を板厚が0.5〜2.5mmまで冷延する。冷延方法も特に規定しない。0.5mm未満であると、変形しやすく、2.5mmを超えると、重すぎて、自転車用ディスクブレーキロータとして好適ではない。
【0052】
冷延板焼鈍は本発明で重要な点である。
冷延板焼鈍の焼鈍温度は700〜800℃とするのが望ましい。700℃未満であると再結晶が不十分で好ましくない。800℃超となると、γ相が生成するため、冷却後、M相となり、割れが生じる場合があり、好ましくない。また、この温度範囲であると、析出物量を0.2%〜2%とすることができる。再結晶と析出物量の両立から、より好ましくは、750〜780℃である。また、その冷却速度は、5℃/sから50℃/sが好ましい。10℃/s未満であると、製品が変形しやすくなるため、好ましくなく、100℃/s超は設備が高価になり過ぎるため好ましくない。
【0053】
焼鈍後の酸洗は公知の方法を用いて酸洗し、冷延鋼板とすることができる。
【0054】
本発明のマルテンサイト系ステンレス冷延鋼板は、優れた焼き入れ性を持つため、特に自転車用ディスクブレーキロータ材として、焼き入れされて好適に用いることができる。
【0055】
以下、実施例により本発明の効果を説明するが、本発明は、以下の実施例で用いた条件に限定されるものではない。
【実施例】
【0056】
<実施例1>
本実施例では、表1−1および表1−2の成分の鋼を溶製・鋳造して得たスラブを、1150〜1250℃に加熱後、仕上げ温度を850〜950℃の範囲内として、板厚約5mmまで熱間圧延し、熱延鋼板とした。熱延鋼板は気水冷却により、400〜450℃まで冷却した。その後、1000〜1100℃で焼鈍し、常温まで冷却した。この時、800〜450℃の範囲の平均冷却速度を10℃/s以上とした。続いて、熱延焼鈍板を酸洗し、冷延して、0.5〜2.5mmの冷延板を得た。さらに、700〜800℃、1分の焼鈍の後、酸洗して、冷延鋼板を得た。これを供試鋼として、各種試験を実施した。
なお、表1−1および表1−2には成分の他、N≧Cの評価(N≧Cを満たす例が○、満たさない例が×)、式1、式2の結果、板厚も記載している。また、以下の表において、各項目に下線が付されているものは、本発明の適正範囲外であることを示す。
【0057】
【表1-1】
【0058】
【表1-2】
【0059】
(析出物調査)
供試鋼を抽出残渣法にて析出物量を測定した。即ち、一定量の鋼を電解して電解液中に溶解し、それを最大径0.2μmのフィルターでろ過し、ろ過されずに残った残渣を析出物として評価した。
【0060】
(焼き入れ性試験)
電気炉を用いて、昇温速度が10℃/s以下とし、900℃、1000℃、1050℃で10min保持を行い、油冷した後、硬さ(HRC)測定を行った。
焼き入れ性の評価としては、まず、900℃、1000℃、1050℃のいずれかで、硬度が32−38HRCから外れたものを不合格とした。
また、900℃で32−38HRCを示すものは低温焼き入れ性合格とした。
次に、硬度および低温焼き入れ性が合格であったもののうち、1000℃と1050℃の硬さの差が略同じ(2HRC以内)のものを焼き入れ安定性合格(○)とし、さらに、900℃〜1050℃の硬さの差が2HRC以内のものを、焼き入れ安定性優秀(◎)とした。
【0061】
(耐食性試験)
耐食性は、塩水噴霧試験で評価した。具体的には、以下の通り、冷延鋼板ままでの試験と、焼き入れ後の試験の2通りを行った。
【0062】
冷延鋼板ままでの試験:
冷延鋼板ままの材料に対して、JIS Z 2371に準拠した塩水噴霧試験(SST, Salt water Spray Testing)を行い、4h後の発銹点が5点以下のものを合格、それ以上を不合格とした。
【0063】
焼き入れ後の試験:
まず、冷延鋼板を1000℃、10min保持後、油冷することにより焼き入れした。次に、焼き入れ後の材料を#600研磨し、JIS Z 2371に準拠した塩水噴霧試験を行い、4hで発銹しないものを合格とした。
これらの結果を表2に示す。
【0064】
【表2】
【0065】
表2から明らかなように、本発明例(A1〜
A3、A5〜A27)は優れた低温焼き入れ性および焼き入れ安定性を示し、耐食性も問題なかった。したがって、優れた自転車ディスクブレーキロータ材となることが分かった。
【0066】
一方で、比較例(B1〜B23)は以下のように低温焼き入れ性、焼き入れ安定性、耐食性(冷延鋼板まま、焼き入れ後)のいずれかが不合で、ブレーキディスク用鋼として満足できない鋼か、性能は満足するものの合金添加量が適正範囲を外れて高コストな鋼であることが示された。
【0067】
具体的には、B1はC含有量が適正範囲の上限を外れており、N≧Cおよび式1を満たさず、析出物量が上限を外れ、焼き入れ硬度が高くなり過ぎた。
B2はC含有量が適正範囲の下限を外れており、焼き入れ硬度が低くなり過ぎた。
B3はSi含有量が適正範囲の上限を、式2が下限を外れており、焼き入れ硬度が低くなり過ぎた。
【0068】
B4はSi含有量が適正範囲の下限を外れており、脱酸不足で耐食性が不合格となった。
B5はMn含有量が適正範囲の下限を外れており、耐食性が不合格となった。
B6はMn含有量が適正範囲の上限を外れており、焼き入れ硬度が低くなり過ぎ、耐食性も不合格となった。
【0069】
B7、B8はP、S含有量がそれぞれ適正範囲の上限を外れており、耐食性が不合格となった。
B9はCr含有量が適正範囲の下限を外れており、耐食性が不合格となった。
B10はCr含有量が適正範囲の上限を外れており、式2の下限も外れており、焼き入れ硬度が低すぎ、かつ高コストになってしまった。
【0070】
B11はNi含有量が適正範囲の上限を外れており、高コストになってしまった。
B12はCu含有量が適正範囲の上限を外れており、鳴きが発生した。
B13はV含有量が適正範囲の下限を外れており、冷延鋼板ままの耐食性が本願の合格基準に達しなかった。
B14はV含有量が適正範囲を超えており、低温焼入れ性が不合格であった。
B15はV含有量が適正範囲の上限を外れ、式2の下限も外れており、低温焼き入れ硬度が不合格であった。
B16はN含有量が適正範囲の下限を外れており、N≧Cを満たさず、低温焼き入れ硬度および耐食性が不合格であった。
【0071】
B17はN含有量および析出物量が適正範囲の上限を外れており、焼き入れ硬度が高くなり過ぎた。
B18はAl含有量が適正範囲の上限を外れており、耐食性が不合格となった。
B19は式2が適正範囲の上限を外れており、焼き入れ硬度が低くなり過ぎた。
B20は式2が適正範囲の下限を外れており、低温焼き入れ性が不合格となった。
【0072】
B21はN≧Cを満たさず、低温焼き入れ性が不合格となり、冷延鋼板ままの耐食性が本願の合格基準に達しなかった。
B22は式1が適正範囲の上限を外れ、焼き入れ硬度が低くなり過ぎた。
B23はC、N含有量が適正範囲の下限を外れ、式1の下限も外れており、焼き入れ硬度が低くなり過ぎ、耐食性も不合格となった。
【0073】
<実施例2>
<実施例1>で製造した冷延鋼板のうち、A1鋼とA27鋼と組成、板厚が同じものに対して、<実施例1>では焼鈍温度を700〜800℃としたのに対し、<実施例2>では焼鈍温度を670〜830℃に変えて冷延板焼鈍を行い、他の条件は<実施例1>と同じ条件で供試鋼を得た。その後、<実施例1>と同様の評価を実施した。その結果を表3に示す。
【0074】
【表3】
【0075】
冷延板焼鈍温度が700〜800℃の範囲にあると、本発明鋼は優れた焼入れ性を示し、耐食性も問題なかった(A1−2、A1−3、A1−4、A27−2、A27−3、A27−4)。しかし、冷延板の焼鈍温度が700℃より低いと、再結晶が不十分で析出物も十分溶解せず、耐食性も好適でなかった(A1−1、A27−1)。また、焼鈍温度が800℃より高いと、冷延焼鈍後にマルテンサイト(M)相が残留する上、析出物も少なくなり、硬さが低下し、好適でなかった(A1−5、A27−5)。