【実施例】
【0041】
以下、実施例により本発明を更に詳細に説明する。
〔実施例1〕
緒 言
現在の癌医療において、その多くは、早期に発見し外科的に切除することにより、良好な治療成績が得られる。しかし、転移や再発がしやすいために一般に悪性度の高い癌として知られ、先進国の癌による死亡の主要な原因になっている肺腺癌では、早期に肺腺癌患者から罹患部を外科的に切除した場合でも20%は再発し手術後5年以内に死亡している
1,2。このことは、早期の癌でも、より進行した癌と同様、術後すぐに化学療法などの補助療法が必要であることを示している。しかし、残り80%には、このような治療は不要であり、このような状況から、様々な補助治療を必要とする再発のリスクをもった患者を、的確に見分けることができる診断マーカーの開発が求められている。これまで、肺腺癌においては手術直後に採取した肺腺癌組織を用いて予後良好群および予後不良群間で発現量が異なるタンパク質を特定して、予後予測マーカー候補タンパク質をいくつか見いだしている
3-5。しかし、上皮間葉系転換(Epithelial-Mesenchymal Transition, EMT)誘導に関連したリン酸化の変動に着目して予後予測マーカーを探索する研究が行われたことはない。
【0042】
EMTは、上皮細胞が細胞間接着を失い、間葉系様(非上皮)細胞に形態変化する現象であり、その誘導にTGF-β(β型変異増殖因子)が関与することがわかっている
6-11。EMTが誘導された細胞は、運動能・浸潤能をもつようになり、癌の浸潤や転移が引き起されることが示唆されている
6-11。そのため、TGF-βが引き起こすEMT誘導に関連するリン酸化タンパク質を検出し、腫瘍組織におけるEMT誘導細胞の存在を検出することができる分子を発見することは、EMT誘導(癌細胞の浸潤や転移のしやすさ)を指標にして予後を予測する新規悪性度診断マーカーの開発につながる可能性が高い。
【0043】
そこで、本研究では、癌の悪性化に関与するEMT誘導細胞におけるリン酸化タンパク質の特異的な変動をとらえ、それらが早期肺腺癌患者由来の組織検体においても、予後良好および不良と相関して変動するかどうかをイムノブロット分析と多重反応モニタリング(MRM)分析によって確認した。
【0044】
材料および方法
細胞培養
A549細胞(ヒト肺腺癌細胞株)は10%(w / v)ウシ胎児血清(FBS)を添加したRPMI-1640培地(ナカライテスク、京都、日本)を用いて、37℃に固定した5% CO
2インキュベーター内で培養した。TGF-β処理は、細胞を低血清(0.1%FBS)培地中で24時間培養した後、TGF-β(HumanZyme, Chicago, IL, USA、最終濃度5 ng / mL)を添加した培地で48時間培養することで行った。一方、 TGF-β非処理は、TGF-βを溶解した溶媒(DMSO)のみを添加した培地で48時間培養することで行った。
【0045】
組織検体
組織検体を研究等に用いることに同意した、早期段階(Ia又はIb)肺腺癌患者18人から摘出した癌組織で、本研究に使用するまで-80℃で保存した凍結組織検体を神奈川県立がんセンターから入手した(表1)。内訳は、摘出後5年以内に再発を呈した予後不良な患者群9症例と手術後5年以内に再発を示さなかった予後良好な患者群9症例である。
【0046】
タンパク質調製
採取した細胞または組織を、Sample Grinding Kit(GE Healthcare, Piscataway, NJ, USA)を使用して、8 M尿素、4%(w/v) デオキシコール酸ナトリウム、Protease Inhibitor Mix(GE Healthcare)およびPhosphatase Inhibitor Cocktail 2と3(Sigma, Madison, WI, USA)を含む50 mM重炭酸アンモニウム溶液中で破砕した。破砕物はUR-21P(TOMY、東京、日本)で5回(1秒間隔)超音波処理した後、15,000g (4℃)で15分間遠心分離して上清を回収し、これをタンパク質抽出液とした。脱リン酸化処理については、50μg相当の タンパク質に対して、10 unit アルカリホスファターゼ(CIAP、宝酒造、東京、日本)を37℃で1時間反応させることで行った。
【0047】
イムノブロット分析
タンパク質抽出液は、SuperSep
TMAce (10%T, 17ウェル)(和光純薬)を用いて分離し、Trans-Blot(登録商標) Turbo
TM Transfer System (Bio-Rad Laboratories, Hercules, CA, USA)を使用してPVDF膜に転写した。その後PVDF膜を、5%(w/v) スキムミルク(森永乳業、日本)を含むT-PBS(最終濃度 10 mM Na
2HPO
4・12H
2O, 1.8 mM KH
2PO
4, 0.137 M NaCl, 2.7 mM KCl, 0.05%[v/v] Tween20)と1時間反応させることで非特異的反応を抑制するためのブロッキング操作を行った。一次抗体については、ウサギ抗テンシン1抗体 (Abcam, MA, USA)、ウサギ抗c-Met抗体(MBL、名古屋、日本)、ウサギ抗リン酸化c-Met[Tyr1234/1235]抗体(Cell Signaling Technology)、ウサギ抗TrkC抗体(R&D, Minneapolis, MN, USA)、ウサギ抗リン酸化TrkC[Tyr516]抗体 (EnoGene, New York, NY, USA)、マウス抗E-カドヘリン抗体(BD Biosciences, San Jose, CA, USA)、ウサギ抗ビメンチン抗体(Cell Signaling Technology)、ウサギ抗アクチンβ抗体(H-196, Santa Cruz Biotechnology, Dallas, TX, USA)、抗リン酸化チロシン抗体(PY20, Santa Cruz Biotechnology)を5%(w/v)スキムミルクを含むT-PBSで1,000倍希釈したものを使用し、12時間以上反応させた。反応後、PVDF膜をT-PBSで洗浄後、二次抗体としてペルオキシダーゼ(HRP)標識したヤギ抗ウサギIgG抗体もしくはヤギ抗マウスIgG抗体(Santa Cruz Biotechnology)を5%(w/v) スキムミルクを含むT-PBSで5,000倍希釈したものを使用し、1時間反応させた。反応後、PVDF膜はT-PBSで洗浄し、HRP基質であるECL Plus Western Blotting Detection Reagents(GE Healthcare)と5分間反応させた。各タンパク質のシグナルはLAS4000mini発光イメージアナライザ(GE Healthcare)を用いて検出した。
【0048】
ペプチド溶液の調製
タンパク質抽出液に終濃度が10 mMになるようにDTTを添加し、室温に45分間置いて還元した。還元後、終濃度が5 mMになるようにヨードアセトアミドを添加して、室温で30分間反応させシステイン残基をアルキル化した。その後、15分間10,000gで遠心分離を行い上清を回収し、50 mM重炭酸アンモニウムを上清の3倍量添加して、尿素の終濃度が2 Mとなるよう希釈した。NanoDrop 2000c(Thermo Fisher Scientific, Bremen, Germany)を用いてタンパク質定量を行った後、1 mg相当のタンパク質に対して、トリプシン(Sigma)を、タンパク質:トリプシン(酵素)の比20:1(w/w)になるように添加し、16時間37℃で温置した。消化物の1/20 量の20%(v/v) TFAを添加後、5分間15,000g (4℃)で遠心分離を行い上清を回収し、添加相間移動溶解法(PTS法)によりペプチド溶液中に含まれるデオキシコール酸ナトリウムを除去した
12。回収したペプチド溶液は一旦乾燥させた後、0.1 % トリフルオロ酢酸に再溶解してから、Sep-PakR C18 Plus Short Cartridge (Waters, Milford, MA, USA)を用いて脱塩し、乾燥させた。トリプシン消化物(1mg)中のチロシンリン酸化ペプチドの濃縮には、Phospho-Tyrosine Mouse mAb (P-Tyr-100) beads (Cell Signaling Technology, Boston, USA)を用いた抗原抗体反応を利用した
13。その後、回収したペプチドについては、C18 フィルターを用いたチップカラム(C18 Stage Tip)を使用してペプチドを濃縮・脱塩した
14。各ペプチドは質量分析まで、乾燥させた状態で-20℃で保存した。
【0049】
多重反応モニタリング(MRM)分析によるペプチド定量
多重反応モニタリング(MRM)分析についてはDiNa-AP (KYA Technologies, 東京, 日本)を連結したTripleTOF5600システム(AB Sciex, Foster City, CA, USA)を用いて行った。DiNa-APに接続する濃縮カラムは、HiQ sil C18W-3, 500 μm id × 1mm (KYA Technologies)を、分離カラムはnanoscale HiQ sil C18W-3, 100 μm id × 10 cm (KYA Technologies)を使用し、流速は200 nL/分とした。Aバッファーには、2%(v/v)アセトニトリルを含む0.1%(v/v) ギ酸溶液を、Bバッファーには、80%(v/v) アセトニトリルを含む0.1%(v/v) ギ酸溶液を用いた。ペプチドの吸着は、Aバッファー98%(v/v)、Bバッファー2%(v/v)で行い、溶出は、Bバッファー の濃度を2%から40%に42分間かけて連続的に高くするプログラムを使用して行った。多重反応モニタリング(MRM)スキャンは、イオンスプレー電圧2300Vのポジティブモード、20に設定されたカーテンガスとスプレーガスモードで実行され、分解能はunitに設定、測定質量 (m/z)範囲は 100 から1,600 Daとし、 MS2 accumulation timesは0.1秒に設定した。リン酸化ペプチドおよび安定同位体標識-リン酸化ペプチドの合成はスクラム(東京、日本)で行った(表2)。MRMPilot v2.0(AB Sciex)ソフトウエアを用いて、標的ペプチドのプリカーサーイオン/フラグメントイオン対(MRMトランジション)および衝突エネルギーを自動的に算出した。その中から、最終的に、再現性のあるyイオンとMRMトランジションを選択した(表2)。各ペプチド試料については、各25 fmol濃度の安定同位体標識-リン酸化ペプチドを添加し、定量の際の内部標準として用いた。検量線については0.5、1、5、10、及び50fmolのペプチドを用いて作成し、検量線の精度は20%以内に収めた(%CV<20)。質量分析の結果得られた質量分析データはMultiQuant v.2.1(AB Sciex)を用いて解析し、ペプチド量を算出した。
【0050】
統計解析
2群間の差の統計的有意性を示すためのマン・ホイットニー検定、無再発生存期間解析を行うためのカプラン・マイヤー法、受信者動作特性(ROC)曲線解析などの統計解析はGraphPadプリズム5(V. 5.04, GraphPad Software, San Diego, CA, USA)を用いて行った。
【0051】
結 果
1.TGF-β処理によるA549細胞におけるEMT誘導
各タンパク質特異的抗体を用いたイムノブロット分析の結果からTGF-β処理に応答してA549肺腺癌培養細胞中のE-カドヘリン量が減少し、ビメンチン量が増加することがわかった(
図1A)。また、形態学的変化を調べた結果、TGF-β処理によりA549細胞が上皮細胞様形態から紡錘状線維芽細胞様の形態に変化していることを確認した(
図1B)。これらの結果はTGF-β処理によるEMT誘導に関する既報
7、15と同様の結果であり、本研究に用いたA549細胞もTGF-β処理によりEMT誘導されていると判断した。
2.TGF-β処理したA549細胞中で特異的に変動するチロシンリン酸化タンパク質の検出
質量分析装置を用いたチロシンリン酸化ペプチドの網羅的な相対定量解析から、A549細胞においてTGF−β処理により著しく発現量が増加するリン酸化ペプチドとして、TNS1の1404番目のチロシンがリン酸化されたペプチド、c-Metの1234/1235番目のチロシンがリン酸化されたペプチド、TrkCの516番目のチロシンがリン酸化されたペプチドを見出した。TrkC、TNS1、c-Metに対する特異的抗体および516番目のチロシンがリン酸化されたTrkCと1234及び/又は1235番目のチロシンがリン酸化されたc-Metに特異的な抗体を用いたイムノブロット分析の結果、これらのタンパク質の細胞内での発現量はTGF−β処理によって変動しないが、各部位でのリン酸化は亢進することが確認された(
図2)。また、質量分析装置としてTripleTOF 5600システムを用いた多重反応モニタリング(MRM)分析により、細胞中の各リン酸化ペプチド量および脱リン酸化処理した各試料(
図7)に由来する非リン酸化ペプチド量(総ペプチド量)の変動を調べた(
図3)。その結果、イムノブロット分析と同様に多重反応モニタリング(MRM)分析によっても、総ペプチド量に有意な差異はなかったが(
図3D、E、F)、TNS1の1404番目のチロシンがリン酸化されたペプチド量(
図3A)、c-Metの1234/1235番目のチロシンがリン酸化されたペプチド量(
図3B)、TrkCの516番目のチロシンがリン酸化されたペプチド量(
図3C)については、全てTGF-β処理に応答して統計的に有意に増加(p<0.001)することが確認された。
3.早期段階(Ia又はIb)肺腺癌患者の予後良好群と予後不良群患者術後組織間でのリン酸化タンパク質量の違い
外科的手術によって摘出した18名の患者の凍結保存した肺腺癌組織を用いて、5年後に肺腺癌を再発した患者9名(予後不良群,PP)と再発のない患者9名(予後良好群,GP)の組織中のリン酸化タンパク質量について、質量分析装置を用いた多重反応モニタリング(MRM)分析と各特異的抗体を用いたイムノブロット分析により比較した(
図4)。多重反応モニタリング(MRM)分析の結果、TNS1の1404番目のチロシンがリン酸化されたペプチド量(
図4A左)、c-Metの1234/1235番目のチロシンがリン酸化されたペプチド量(
図4B左)、TrkCの516番目のチロシンがリン酸化されたペプチド量(
図4C左)については、全て予後良好群と予後不良群間で統計的に有意な差(p<0.0001)を認めた。一方、脱リン酸化処理した試料におけるこれらの非リン酸化ペプチド量に有意な差はなかった(
図4D左、E左、F左)。また、各特異的抗体を用いたイムノブロット分析により、組織中のTrkC、TNS1、c-Metのタンパク質量は変化しないが(
図4D右、E右、F右)、1234および/又は1235番目のチロシンでリン酸化されたc-Met量(
図4B右)と516番目のチロシンでリン酸化されたTrkC量(
図4C右)は増加することを確認した。
さらに、多重反応モニタリング(MRM)分析によって得られた結果を基に、リン酸化ペプチド量毎の無再発生存曲線を作成した。その結果、I期肺腺癌の予後不良群9症例と予後良好群9症例について、多重反応モニタリング(MRM)分析によって得られた3種類のリン酸化ペプチド量を平均値以上と以下で分類した場合、平均値以下の群に比べて平均値以上の群は統計的に有意に術後生存期間が短い(p<0.0001)ことを確認した(
図5)。また、受信者動作特性 (ROC) 曲線解析の結果は、これらの部位でリン酸化されたタンパク質が診断マーカーとして有用であることを示した(
図6)。
【0052】
考 察
EMTは、癌の浸潤や転移と関係しており
6-11、EMTが誘導される際、発現量が変動するタンパク質は、癌の悪性度に関連するタンパク質である可能性が高い。EMT誘導におけるタンパク質の量的変動について質量分析装置を用いて解析した例はあるが
15,16、細胞内情報伝達において重要な役割を担っているリン酸化に着目してタンパク質の変動を調べた例は少ない
17,18。本研究において、私たちは、TGF-β処理に応答してTNS1の1404番目のチロシンのリン酸化、c-Metの1234/1235番目のチロシンのリン酸化、TrkCの516番目のチロシンリン酸化が亢進されることを見出した。これらチロシンリン酸化の変動については、特異的抗体を用いた従来型のイムノブロット分析と同様に、多重反応モニタリング(MRM)分析によっても高感度、高精度に検出可能であることが明らかになった。抗体を使った標的タンパク質の検出は高感度で優れた手法ではあるが、検出は特異性の高い抗体の入手に依存してしまう上、新規に抗体を作成するためには数か月もの時間が必要である。一方、多重反応モニタリング(MRM)分析による定量解析では、修飾部位特異的に認識する抗体を作出する必要がなく、翻訳後修飾されたタンパク質の発現量を迅速に評価することができる上、複数のタンパク質を同時に定量することも可能である
19,20。また、本研究で多重反応モニタリング(MRM)分析に用いたTripleTOF 5600システムについては、検出に飛行時間(TOF)型質量分析計を用いているために分解能が良く、定量的な分析に適していた。したがって、TripleTOF 5600システムを用いた多重反応モニタリング(MRM) 分析は、本診断マーカーを検出する方法として優れた方法である。
本研究でEMT誘導に関連するリン酸化タンパク質として検出されたTNS1は、アクチンフィラメントに結合してリン酸化チロシンを含むタンパク質と相互作用する細胞接着分子である
21,22。TNS1がインテグリンを介して細胞外マトリックスの接着タンパク質に結合すると、FAKの自己リン酸化が起こる。その結果、生じたリン酸化チロシン残基にSrcファミリーのチロシンキナーゼが結合することにより、p130Cas, Shc, paxillin, TNSなどのドッキングタンパク質やアダプタータンパク質のチロシンリン酸化が二次的に誘導される
22。このようなタンパク質チロシンリン酸化のカスケードを介して、PI3KからAktに至る経路やGrb2/Sos/RasからMAPKに至る経路が活性化され、細胞の生存が維持され、細胞周期が進行することが、これまで示唆されている
21,22。また、TNS1のリン酸化解析についてはHEK293細胞を用いた解析から、多くのセリン/トレオニン/チロシン部位でのリン酸化が検出されているが、各部位でのリン酸化の役割については、ほとんど解明されていない
23。本研究で検出された1404番目のチロシンに関しても、これまでリン酸化されるとの報告はあったが、機能に関しては明らかになっておらず、EMT誘導や早期肺腺癌の予後との関連性が示された例は今回が初めてである。また、TrkCは神経栄養因子(ニューロトロフィン)受容体として知られており、この受容体に関しては、他にTrkAやTrkBが知られている
24。TrkCとTrkAのアミノ酸配列相同性検索の結果から、本研究で検出されたTrkCのリン酸化部位である516番目のチロシンは、TrkAの490番目のチロシンに相当することがわかった。このTrkAの490番目のチロシンでのリン酸化は、ShcやFrs2と相互作用に関係し、 Ras-MAP キナーゼカスケードを活性化して癌の増殖に関与していることが報告されている
25。また、TrkCを抑制した場合に乳癌が肺へ転移することを抑制することや
26、乳癌細胞でTrkCがETV6とキメラチロシンキナーゼを形成し、これが直接II型TGF-β受容体に結合することで、I型TGF-β受容体との相互作用を防ぎ、結果としてTGF-bata/Smad signalingを抑制してTGF-βの腫瘍抑制活性を阻害する役割があることも示唆されている
27。しかしながら、本研究で検出された516番目のチロシンにおけるリン酸化のEMT誘導や早期肺腺癌の予後との関連性が示された例はなく今回が初めての発見である。一方、c-Metに関しては、すでに肺癌との関わりが報告されている。c-Metは、受容体型チロシンキナーゼであり
28-30、リガンドである肝細胞増殖因子(HGF)が結合した場合にチロシンキナーゼ活性を活性化し、それを介して血管新生や細胞の運動性、増殖、浸潤、分化などに関与することが報告されている
32,33。本研究でEMT誘導に応答してリン酸化が亢進した1234番目のチロシンは、c-Metの活性化ループ(A loop)に位置しており、1235番目のチロシンと共に自己リン酸化されることでc-Metを活性化する。この1234番目および/又は1235の番目のチロシンでのリン酸化が過剰になった場合には、癌の増殖および浸潤をもたらすことや
34,35、肺腺癌において、1235の番目のチロシンでのリン酸化c-Met高発現群は低発現群と比較して生存率が低い傾向にあることも報告されている
29。これらの研究結果は、本研究により得られた結果と一致している。
以上のように、各タンパク質は癌の悪性度とのかかわりが深く、本研究で見出したTrkCの516番目のチロシン、TNS1の1404番目のチロシン、c-Metの1234番目および/又は1235の番目のチロシンの少なくとも1つの部位のリン酸化を診断マーカーとして利用する方法は、早期肺腺癌の悪性度検査法として有用であると考える。
【0053】
参考論文
1. Naruke, T.; Tsuchiya, R.; Kondo, H.; Asamura, H. Prognosis and survival after resection for bronchogenic carcinoma based on the 1997 TNM-staging classification: the Japanese experience. Ann Thorac Surg. 2001;71:1759-64.
2. Kondo, T.; Yamada, K.; Noda, K.; Nakayama, H.; Kameda, Y. Radiologic-prognostic correlation in patients with small pulmonary adenocarcinomas. Lung Cancer. 2002;36:49-57.
3. Pernemalm, M.; De Petris, L.; Branca, RM.; Forshed, J.; Kanter, L.; Soria, JC.; Girard, P.; Validire, P.; Pawitan, Y.; van den Oord, J.; Lazar, V.; Pahlman, S.; Lewensohn, R.; Lehtio, J. Quantitative proteomics profiling of primary lung adenocarcinoma tumors reveals functional perturbations in tumor metabolism. J Proteome Res. 2013 Sep 6;12(9):3934-43.
4.Kikuchi, T.; Hassanein, M.; Amann, JM.; Liu, Q.; Slebos, RJ.; Rahman, SM.; Kaufman, JM.; Zhang, X.; Hoeksema, MD.; Harris, BK.; Li, M.; Shyr, Y.; Gonzalez, AL.; Zimmerman, LJ.; Liebler, DC.; Massion, PP.; Carbone, DP. In-depth proteomic analysis of nonsmall cell lung cancer to discover molecular targets and candidate biomarkers. Mol Cell Proteomics. 2012 Oct;11(10):916-32.
5. Okayama, A.; Miyagi, Y.; Oshita, F.; Nishi, M.; Nakamura, Y.; Nagashima, Y.; Akimoto, K.; Ryo, A.; Hirano, H. Proteomic analysis of proteins related to prognosis of lung adenocarcinoma. J Proteome Res. 2014 Nov 7;13(11):4686-94.
6. Thiery, JP. Epithelial-mesenchymal transitions in tumour progression. Nat Rev Cancer. 2002 Jun;2(6):442-54.
7. Kim, KK.; Kugler, MC.; Wolters, PJ.; Robillard, L.; Galvez, MG.; Brumwell, AN.; Sheppard, D.; Chapman, HA. Alveolar epithelial cell mesenchymal transition develops in vivo during pulmonary fibrosis and is regulated by the extracellular matrix. Proc Natl Acad Sci U S A. 2006 Aug 29;103(35):13180-5.
8. de Caestecker, MP.; Piek, E.; Roberts, AB. Role of transforming growth factor-beta signaling in cancer. J Natl Cancer Inst. 2000 Sep 6;92(17):1388-402.
9. Wrana, JL.; Attisano, L.; Carcamo, J.; Zentella, A.; Doody, J.; Laiho, M.; Wang, XF.; Massague, J. TGF beta signals through a heteromeric protein kinase receptor complex. Cell. 1992 Dec 11;71(6):1003-14.
10. Zavadil, J.; Bottinger, EP. TGF-beta and epithelial-to-mesenchymal transitions. Oncogene. 2005 Aug 29;24(37):5764-74
11. Kondo, M.; Cubillo, E.; Tobiume, K.; Shirakihara, T.; Fukuda, N.; Suzuki, H.; Shimizu, K.; Takehara, K.; Cano, A.; Saitoh, M.; Miyazono, K. A role for Id in the regulation of TGF-beta-induced epithelial-mesenchymal transdifferentiation. Cell Death Differ. 2004 Oct;11(10):1092-101.
12. Masuda, T.; Tomita, M.; Ishihama, Y. Phase transfer surfactant-aided trypsin digestion for membrane proteome analysis. J Proteome Res. 2008;7:731-40.
13. Nagata, K.; Kawakami, T.; Kurata, Y.; Kimura, Y.; Suzuki, Y.; Nagata, T.; Sakuma, Y.; Miyagi, Y.; Hirano, H. Augmentation of multiple protein kinase activities associated with secondary imatinib resistance in gastrointestinal stromal tumors as revealed by quantitative phosphoproteome analysis. J Proteomics. 2015;115:132-142.
14. Rappsilber, J.; Mann, M.; Ishihama, Y. Protocol for micro-purification, enrichment, pre-fractionation and storage of peptides for proteomics using StageTips. Nat Protoc. 2007;2:1896-906.
15. Keshamouni, VG.; Michailidis, G.; Grasso, CS.; Anthwal, S.; Strahler, JR.; Walker, A.; Arenberg, DA.; Reddy, RC.; Akulapalli, S.; Thannickal, VJ.; Standiford, TJ.; Andrews, PC.; Omenn, GS. Differential protein expression profiling by iTRAQ-2DLC-MS/MS of lung cancer cells undergoing epithelial-mesenchymal transition reveals a migratory/invasive phenotype. J Proteome Res. 2006
16. Sitek, B.; Waldera-Lupa, DM.; Poschmann, G.; Meyer, HE.; Stuhler, K. Application of label-free proteomics for differential analysis of lung carcinoma cell line A549. Methods Mol Biol. 2012; 893:241-8.
17. Chen, YX.; Li, Y.; Wang WM, Zhang, W.; Chen, XN.; Xie, YY.; Lu, J.; Huang, QH.; Chen, N. Phosphoproteomic study of human tubular epithelial cell in response to transforming growth factor-beta-1-induced epithelial-to-mesenchymal transition. Am J Nephrol. 2010;31:24-35.
18. Ali, NA.; Molloy, MP. Quantitative phosphoproteomics of transforming growth factor-β signaling in colon cancer cells. Proteomics. 2011;11:3390-3401.
19. Gerber, SA.; Rush, J.; Stemman, O.; Kirschner, MW.; Gygi, SP. Absolute quantification of proteins and phosphoproteins from cell lysates by tandem MS. Proc Natl Acad Sci U S A, 100 (2003), pp. 6940-6945
20. Ohtsuki, S.; Uchida, Y.; Kubo, Y.; Terasaki, T. Quantitative targeted absolute proteomics-based ADME research as a new path to drug discovery and development: methodology, advantages, strategy, and prospects. J Pharm Sci. 2011 Sep;100(9):3547-59.
21. Schwartz, MA. Integrin signaling revisited. Trends Cell Biol. 2001 Dec;11(12):466-70.
22. Petch, LA.; Bockholt, SM.; Bouton, A.; Parsons, JT.; Burridge, K. Adhesion-induced tyrosine phosphorylation of the p130 src substrate. J Cell Sci. 1995 Apr;108 ( Pt 4):1371-9.
23. Qian, X.; Li, G.; Asmussen, HK.; Asnaghi, L.; Vass, WC.; Braverman, R.; Yamada, KM.; Popescu, NC.; Papageorge, AG.; Lowy, DR. Oncogenic inhibition by a deleted in liver cancer gene requires cooperation between tensin binding and Rho-specific GTPase-activating protein activities. Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A. 104, 9012-9017
24. Hallbook, F. Evolution of the vertebrate neurotrophin and Trk receptor gene families. Curr Opin Neurobiol. 1999 Oct;9(5):616-21.
25. Huang, EJ.; Reichardt, LF. Trk receptors: roles in neuronal signal transduction. Annu Rev Biochem. 2003;72:609-42. Epub 2003 Mar 27.
26. Jin, W.; Kim, GM.; Kim, MS.; Lim, MH.; Yun, C.; Jeong, J.; Nam, JS.; Kim, SJ. TrkC plays an essential role in breast tumor growth and metastasis. Carcinogenesis. 2010 Nov;31(11):1939-47.
27. Jin, W.; Yun, C.; Kwak, MK.; Kim, TA.; Kim, SJ. TrkC binds to the type II TGF-beta receptor to suppress TGF-beta signaling. Oncogene. 2007 Dec 6;26(55):7684-91.
28. Yano, S.; Wang, W.; Li, Q.; Matsumoto, K.; Sakurama, H.; Nakamura, T.; Ogino, H.; Kakiuchi, S.; Hanibuchi, M.; Nishioka, Y.; Uehara, H.; Mitsudomi, T.; Yatabe, Y.; Nakamura, T.; Sone, S. Hepatocyte growth factor induces gefitinib resistance of lung adenocarcinoma with epidermal growth factor receptor-activating mutations. Cancer Res. 2008 Nov 15;68(22):9479-87.
29. Koga, K.; Hamasaki, M.; Kato, F.; Aoki, M.; Hayashi, H.; Iwasaki, A.; Kataoka, H.; Nabeshima, K. Association of c-Met phosphorylation with micropapillary pattern and small cluster invasion in pT1-size lung adenocarcinoma. Lung Cancer. 2013 Dec;82(3):413-9.
30. Bottaro, DP.; Rubin, JS.; Faletto, DL.; Chan, AM.; Kmiecik, TE.; Vande Woude, GF.; Aaronson, SA. Identification of the hepatocyte growth factor receptor as the c-met proto-oncogene product. Science 1991; 251: 802-4.
32. Birchmeier, C.; Birchmeier, W.; Gherardi, E.; Vande Woude, GF. Met, metastasis, motility and more. Nat Rev Mol Cell Biol 2003; 4: 915-25.
33. Nakamura, T.; Matsumoto, K.; Kiritoshi, A.; Tano, Y.; Nakamura, T. Induction of hepatocyte growth factor in fibroblasts by tumor-derived factors affects invasive growth of tumor cells: in vitro analysis of tumor-stromal interactions. Cancer Res 1997; 57: 3305-13.
34. Longati, P.; Bardelli, A.; Ponzetto, C.; Naldini, L.; Comoglio, PM. Tyrosines1234-1235 are critical for activation of the tyrosine kinase encoded by the MET proto-oncogene (HGF receptor). Oncogene. 1994 Jan;9(1):49-57.
35. Schiering, N.; Knapp, S.; Marconi, M.; Flocco, MM.; Cui, J.; Perego, R.; Rusconi, L.; Cristiani, C. Crystal structure of the tyrosine kinase domain of the hepatocyte growth factor receptor c-Met and its complex with the microbial alkaloid K-252a. Proc Natl Acad Sci U S A. 2003 Oct 28;100(22):12654-9.
【0054】
実施例1に用いた組織検体の患者情報を下記の表に示す。
【0055】
【表1】
【0056】
各ペプチドの多重反応モニタリング(MRM)分析による定量解析のための実施例1の測定条件を下記の表に示す。
【0057】
【表2】
【0058】
〔実施例2〕
TGF-β処理材料および方法
細胞培養
A549細胞(ヒト肺腺癌細胞株)は10%(w / v)ウシ胎児血清(FBS)を添加したRPMI-1640培地(ナカライテスク、京都、日本)を用いて、37℃に固定した5% CO
2インキュベーター内で培養した。TGF-β処理は、細胞を低血清(0.1%FBS)培地中で24時間培養した後、TGF-β(HumanZyme, Chicago, IL, USA、最終濃度5 ng / mL)を添加した培地で48時間培養することで行った。一方、 TGF-β非処理は、TGF-βを溶解した溶媒(DMSO)のみを添加した培地で48時間培養することで行った。
【0059】
組織検体
組織検体を研究等に用いることに同意した、早期段階(Ia又はIb)肺腺癌患者58人から摘出した癌組織で、本研究に使用するまで-80℃で保存した凍結組織検体を神奈川県立がんセンターおよび横浜市立大学付属病院から入手した(表3)。内訳は、摘出後5年以内に再発を呈した予後不良な患者群22症例と手術後5年以内に再発を示さなかった予後良好な患者群36症例である。
【0060】
タンパク質調製
凍結組織を、Sample Grinding Kitを使用して、8 M尿素、4%(w/v) デオキシコール酸ナトリウム、Protease Inhibitor MixおよびPhosphatase Inhibitor Cocktail 2と3を含む50 mM重炭酸アンモニウム溶液中で破砕した。破砕物はUR-21P(TOMY、東京、日本)で5回(1秒間隔)超音波処理した後、15,000g (4℃)で15分間遠心分離して上清を回収し、これをタンパク質抽出液とした。脱リン酸化処理については、50μg相当の タンパク質に対して、10 unit アルカリホスファターゼを37℃で1時間反応させることで行った。
【0061】
イムノブロット分析
タンパク質抽出液は、SuperSep
TMAce (7.5%T, 17ウェル)を用いて分離し、Trans-Blot(登録商標) Turbo
TM Transfer Systemを使用してPVDF膜に転写した。その後PVDF膜を、5%(w/v) スキムミルクを含むT-PBS(最終濃度 10 mM Na
2HPO
4・12H
2O, 1.8 mM KH
2PO
4, 0.137 M NaCl, 2.7 mM KCl, 0.05%[v/v] Tween20)と1時間反応させることで非特異的反応を抑制するためのブロッキング操作を行った。一次抗体については、ウサギ抗SSFA2抗体(Proteintech, Chicago, IL, USA)、ウサギ抗リン酸化SSFA2[Ser92]抗体(自作 スクラム依頼)、抗体ウサギ抗アクチンβ抗体を5%(w/v)スキムミルクを含むT-PBSで1,000倍希釈したものを使用し、12時間以上反応させた。反応後、PVDF膜をT-PBSで洗浄後、二次抗体としてペルオキシダーゼ(HRP)標識したヤギ抗ウサギIgG抗体を5%(w/v) スキムミルクを含むT-PBSで5,000倍希釈したものを使用し、1時間反応させた。反応後、PVDF膜はT-PBSで洗浄し、HRP基質であるECL Plus Western Blotting Detection Reagents(GE Healthcare)と5分間反応させた。各タンパク質のシグナルはLAS4000mini発光イメージアナライザ(GE Healthcare)を用いて検出した。
【0062】
ペプチド溶液の調製
タンパク質抽出液に終濃度が10 mMになるようにDTTを添加し、室温に45分間置いて還元した。還元後、終濃度が5 mMになるようにヨードアセトアミドを添加して、室温で30分間反応させシステイン残基をアルキル化した。その後、15分間10,000gで遠心分離を行い上清を回収し、50 mM重炭酸アンモニウムを上清の3倍量添加して、尿素の終濃度が2 Mとなるよう希釈した。NanoDrop 2000cを用いてタンパク質定量を行った後、100 μg相当のタンパク質に対して、トリプシンを、タンパク質:トリプシン(酵素)の比20:1(w/w)になるように添加し、16時間37℃で温置した。消化物の1/20 量の20%(v/v) TFAを添加後、5分間15,000g (4℃)で遠心分離を行い上清を回収し、添加相間移動溶解法(PTS法)によりペプチド溶液中に含まれるデオキシコール酸ナトリウムを除去した(引用)
1。回収したペプチド溶液は一旦乾燥させた後、0.1 % トリフルオロ酢酸に再溶解してから、C18 Stage Tipを使用してペプチドを濃縮・脱塩した
2。その後のリン酸化ペプチド濃縮については、Titansphere TiO2 bulk beads (GL Sciences, Tokyo, Japan)を用いて行った
3。濃縮したリン酸化ペプチドについては、再度C18 Stage Tipを使用して脱塩濃縮し、各ペプチドは質量分析まで、乾燥させた状態で-20℃で保存した。
【0063】
多重反応モニタリング(MRM)分析によるペプチド定量
多重反応モニタリング(MRM)分析についてはcHiPLC nanoflex system(AB Sciex)を連結したTripleTOF5600システムを用いて行った。cHiPLC nanoflex systemに接続する分離カラムはChromXP C18-CL, 75 μm id × 15 cmを使用し、流速は300 nL/分とした。Aバッファーには、2%(v/v)アセトニトリルを含む0.1%(v/v) ギ酸溶液を、Bバッファーには、80%(v/v) アセトニトリルを含む0.1%(v/v) ギ酸溶液を用いた。ペプチドの吸着は、Aバッファー98%(v/v)、Bバッファー2%(v/v)で行い、溶出は、Bバッファー の濃度を2%から40%に42分間かけて連続的に高くするプログラムを使用して行った。多重反応モニタリング(MRM)スキャンは、イオンスプレー電圧2300Vのポジティブモード、20に設定されたカーテンガスとスプレーガスモードで実行され、分解能はunitに設定、測定質量 (m/z)範囲は 100 から1600Daとし、 MS2 accumulation timesは0.1秒に設定した。リン酸化ペプチドおよび安定同位体標識-リン酸化ペプチドの合成はスクラムで行った(表4)。MRMPilot v2.0ソフトウエアを用いて、標的ペプチドのプリカーサーイオン/フラグメントイオン対(MRMトランジション)および衝突エネルギーを自動的に算出した。その中から、最終的に、再現性のあるyイオンとMRMトランジションを選択した(表4)。各ペプチド試料については、各25 fmol濃度の安定同位体標識-リン酸化ペプチドを添加し、定量の際の内部標準として用いた。検量線については1、5、10、及び50fmolのペプチドを用いて作成し、検量線の精度は20%以内に収めた(%CV<20)。質量分析の結果得られた質量分析データはMultiQuant v.2.1を用いて解析し、ペプチド量を算出した。
【0064】
統計解析
2群間の差の統計的有意性を示すためのマン・ホイットニー検定、無再発生存期間解析を行うためのカプラン・マイヤー法、受信者動作特性(ROC)曲線解析などの統計解析はGraphPadプリズム5(V. 5.04, GraphPad Software, San Diego, CA, USA)を用いて行った。
【0065】
結果
質量分析装置を用いたリン酸化ペプチドの網羅的な相対定量解析から、A549細胞においてTGF−β処理に応答して著しく発現量が増加するリン酸化ペプチドとして、SSFA2の92番目のセリンがリン酸化されたペプチドを見出した。SSFA2に対する特異的抗体および92番目のセリンがリン酸化されたSSFA2に特異的な抗体を用いたイムノブロット分析の結果、これらのタンパク質の細胞内での発現量はTGF−β処理によって変動しないが、92番目のセリンでのリン酸化は亢進することが確認された(
図8)。
次に、外科的手術によって摘出した58名の患者の凍結保存した肺腺癌組織を用いて、5年後に肺腺癌を再発した患者22名(予後不良群,PP)と再発のない患者36名(予後良好群,GP)の癌組織を用いて、各特異的抗体を用いたイムノブロット分析と質量分析装置を用いた多重反応モニタリング(MRM)分析を行った。まず、組織検体を癌部と非癌部に分けてタンパク質を抽出した場合の組織中のSSFA2量をSSFA2特異的抗体を用いたイムノブロット分析により調べた結果、予後不良群と予後良好群両患者群の癌部でのみSSFA2が発現していることが確認できた(
図9A)。さらに、SSFA2の92番目のセリンがリン酸化されたタンパク質量についてリン酸化部位特異的抗体を用いたイムノブロット分析により調べた結果、予後良好群の癌部に比べて、予後不良群の癌部で発現量が増加していることがわかった(
図9B)。
さらに、多重反応モニタリング(MRM)分析によって、予後良好群と予後不良群の癌部におけるSSFA2の92番目のセリンがリン酸化されたペプチド量を調べた結果、予後良好群と予後不良群間で統計的に有意な差(p<0.005)が認められた(
図10)。また、得られた結果を基に、リン酸化ペプチド量毎の無再発生存期間曲線を作成した結果、I期肺腺癌の予後不良群20症例と予後良好群31症例について、多重反応モニタリング(MRM)分析によって得られたリン酸化ペプチド量を平均値以上と以下で分類した場合、平均値以下の群に比べて平均値以上の群は統計的に有意に術後生存期間が短い(p<0.005)ことを確認した(
図11)。また、受信者動作特性 (ROC) 曲線解析の結果は、SSFA2の92番目のセリンがリン酸化されたタンパク質が診断マーカーとして有用であることを示した(
図12)。
【0066】
考察
SSFA2は、結腸癌細胞株において活性化K-rasにより発現が上昇する遺伝子として同定され、K-ras-induced actin-interacting protein(KRAP)とも呼ばれている
4。SSFA2の機能としては、小胞体や核膜上に存在するイノシトール3リン酸受容体(IP3R)と結合することによりカルシウムイオンの放出を制御し、細胞内の様々な生理作用を調節しているとの報告がある
5。 更に、SSFA2はビメンチンと共にMDCK細胞(イヌ腎臓尿細管上皮細胞由来の細胞株)の分化の際に、タイトジャンクション (細胞間接着構造)近傍でのIP3Rの蓄積に関与しており、上皮細胞を含む様々な細胞型のIP3Rの局在を制御することが示唆されている
6。また、IP3Rの作用については、EMTとの関連が示唆されており
7、乳がん細胞におけるEMT誘導はカルシウムシグナルに依存的であることも報告されている
8。以上の報告から、SSFA2はEMT誘導に関連している可能性が高いことが示唆される。一方、SSFA2のリン酸化は役割については未だ解明されていないことが多い。今回のSSFA2の92番目のセリンにおけるリン酸化がEMT誘導および早期肺腺癌の予後と密接に関係しているとの報告は今回が初めてである。以上の結果から、SSFA2の92番目のセリンのリン酸化を検出することは、早期肺腺癌の悪性度を検査する方法として有用であると考える。
さらに、SSFA2は結腸癌細胞株および肺扁平上皮癌組織において、腫瘍特異的な遺伝子として同定されている
4, 9。本研究でも、イムノブロット分析の結果から、SSFA2は癌部に特異的に発現しているタンパク質であり、肺腺癌検出マーカーとして利用可能ということが確認された。また、このことは正常組織に作用することなく、癌部でのみ特異的に作用する治療標的として利用できる可能性を秘めている。
【0067】
参考論文
1. Masuda, T.; Tomita, M.; Ishihama, Y. Phase transfer surfactant-aided trypsin digestion for membrane proteome analysis. J Proteome Res. 2008;7:731-740.
2. Nagata, K.; Kawakami, T.; Kurata, Y.; Kimura, Y.; Suzuki, Y.; Nagata, T.; Sakuma, Y.; Miyagi, Y.; Hirano, H. Augmentation of multiple protein kinase activities associated with secondary imatinib resistance in gastrointestinal stromal tumors as revealed by quantitative phosphoproteome analysis. J Proteomics. 2015;115:132-142.
3. Rappsilber, J.; Mann, M.; Ishihama, Y. Protocol for micro-purification, enrichment, pre-fractionation and storage of peptides for proteomics using StageTips. Nat Protoc. 2007;2:1896-1906.
4. Inokuchi, J.; Komiya, M.; Baba, I.; Naito, S.; Sasazuki, T.; Shirasawa, S. Deregulated expression of KRAP, a novel gene encoding actin-interacting protein, in human colon cancer cells. J Hum Genet. 2004;49:46-52.
5. Fujimoto, T.; Machida, T.; Tsunoda, T.; Doi, K.; Ota, T.; Kuroki, M.; Shirasawa, S. KRAS-induced actin-interacting protein regulates inositol 1,4,5-trisphosphate-receptor-mediated calcium release. Biochem Biophys Res Commun. 2011;408:214-217.
6. Dingli, F.; Parys, JB.; Loew, D.; Saule, S.; Mery, L. Vimentin and the K-Ras-induced actin-binding protein control inositol-(1,4,5)-trisphosphate receptor redistribution during MDCK cell differentiation. J Cell Sci. 2012;125:5428-5440.
7. Davis, FM.; Parsonage, MT.; Cabot, PJ.; Parat, MO.; Thompson, EW.; Roberts-Thomson, SJ.; Monteith, GR. Assessment of gene expression of intracellular calcium channels, pumps and exchangers with epidermal growth factor-induced epithelial-mesenchymal transition in a breast cancer cell line. Cancer Cell Int. 2013;13:76.
8. Davis, FM.; Azimi, I.; Faville, RA.; Peters, AA.; Jalink, K.; Putney, JW Jr.; Goodhill, GJ.; Thompson, EW.; Roberts-Thomson, SJ.; Monteith, GR. Induction of epithelial-mesenchymal transition (EMT) in breast cancer cells is calcium signal dependent. Oncogene. 2014;33:2307-2316.
9. Amatschek, S.; Koenig, U.; Auer, H.; Steinlein, P.; Pacher, M.; Gruenfelder, A.; Dekan, G.; Vogl, S.; Kubista, E.; Heider, KH.; Stratowa, C.; Schreiber, M.; Sommergruber, W. Tissue-wide expression profiling using cDNA subtraction and microarrays to identify tumor-specific genes. Cancer Res. 2004;64:844-856.
【0068】
実施例2に用いた組織検体の患者情報を下記の表に示す。
【0069】
【表3】
【0070】
各ペプチドの多重反応モニタリング(MRM)分析による定量解析のための実施例2の測定条件を下記の表に示す。
【0071】
【表4】