【実施例】
【0043】
以下、本発明の実施例について説明する。但し、本発明は以下の実施例に限定されない。
【0044】
<1.実施例1>
本発明に係る複合硬質被膜を、次の工程に従って作製した。まず、摺動部材として、合金工具鋼SKD11調質材を準備し、その上に、硬質クロムめっき層を形成する。具体的には、摺動部材を、研磨、洗浄、脱脂などの前処理を行った後に、めっき厚さ約50μmの硬質クロムめっき層を形成した。
【0045】
クロムめっき液としては、一般的な硫酸を触媒とするクロムめっき液を用いた。液組成としては、無水クロム酸250g/L、硫酸2.5g/Lとした。めっき条件としては、液温約50℃、電流密度20A/dm
2とした。なお、硬質クロムめっきと素地の密着性を改善するために、電解初期において、品物を陽極として約20A/dm
2、数分間の密着性改善処理を行った後に、品物を陰極として硬質クロムめっき層を形成した。
【0046】
次に、硬質クロムめっき層に対し化学エッチングを行い、クロムめっきに内在するクラックを広げ、その表面に
網目状の溝を形成した。浸漬に使用した溶液は、希硫酸(約1mol/L)であり、室温、5分間の浸漬を行った。この操作によって
図7に示すように、硬質クロムめっき表面全体に、溝幅約5.3μmの
網目状の溝を形成した。
【0047】
次に、アルゴンガスによるイオンボンバード処理を行い、硬質クロムめっき層上の溝をさらに広げた。イオンボンバード処理の条件は以下の通りである。
・基板バイアス電圧:−500V
・フィラメント電流:5A
・圧力:1.3Pa
・時間:10分
・基板回転速度:5rpm
【0048】
図8(a)はイオンボンバード処理前の溝の拡大図であり、
図8(b)はイオンボンバード処理後の溝の拡大図である。イオンボンバード処理を施すことで、処理前の溝幅5.3μmが、処理後の溝幅6.0μmへ広がった。このように、イオンボンバード処理により、クロムめっきの表面をスパッタし清浄化するとともに、溝幅をわずかに拡張できる。
【0049】
図9は、イオンボンバード処理の時間と、溝幅の平均増加長さとの関係を示すグラフである。
図9によれば、イオンボンバード処理の時間は、約10分間までは処理時間を長くするにつれて溝幅が広くなるが、それ以上の時間の処理を行っても、溝幅は広がらない。
【0050】
イオンボンバード処理で、硬質クロムめっき層上に溝幅約6.0μmの
網目状の溝が形成された。
【0051】
続いて、硬質膜として、
網目状の溝を有する硬質クロムめっき層上にアークイオンプレーティングにより、約10μmの厚さのCrN膜を成膜した。成膜条件は、以下の通りである。
・基板バイアス電圧:−50V
・圧力:3.3Pa
・アーク電流:70A
・温度:400℃
【0052】
その結果、
図10に示すネットワーク状の溝を有する複合硬質被膜が形成された。この被膜上の溝の平均幅は約4.1μmであった。
図11は形成された複合硬質被膜の断面図である。硬質クロムめっき層に形成された溝と対応するように、硬質膜に溝が形成されていることが分かる。さらに、硬質膜は硬質クロムめっき層の溝の内部にも侵入し、その溝の側壁と底部も被覆されていた。この被覆により、溝内部に至るまで、硬質被膜の特性を付与することができる。
図12は形成された複合硬質被膜の溝部の拡大図である。同図の矢印に示すように、硬質膜の溝の底部には、下地である硬質クロムめっき層の内部で延びる溝が開口状態で残存している箇所が多数存在する(
図6参照)。したがって、複合硬質被膜上に塗布した潤滑油は、最表面の網目状微細溝に保持されているだけでなく、硬質クロムめっき層の溝に侵入し保持される。この特性は、
図5に示したように、下地に3次元的に複雑なネットワーク状のクラックをもつ硬質クロムめっき層の溝をエッチングにより溝幅を拡張することで成り立つ。なお、ナノインデンテーション法で、荷重を3mNとして硬質膜であるCrN膜の硬さを測定したところ、複合硬質被膜の硬さは18.5GPaであり、一般的なCrN膜の硬さを示した。
【0053】
また、この被膜に対し、X線回折測定を行った。測定の条件は、以下の通りである。
・特性X線:CuKα
・電圧:40kV
・電流:150mA
【0054】
その結果、
図13に示すグラフが得られた。
図13の回折ピークの位置から、この被膜がCrNと決定できる。
【0055】
次に、CrN膜を、卓上回転研磨機を使って、粒度6μmおよび3μmのダイヤモンドペーストでのバフ研磨を行い、鏡面仕上げした。
図14に、研摩後の表面を得た。
【0056】
バフで鏡面仕上げすることによって、CrN膜の平坦部の平滑性が向上した。研摩の条件を適切に制御することで、複合硬質被膜の表面に形成されているネットワーク状の溝を埋め込むことなく、明確に残すことができる。
【0057】
<2.実施例2>
次に、実施例2に係る複合硬質被膜を作製した。実施例1との相違は、硬質クロムめっき層上に形成される硬質膜であり、その他は、実施例1と同じである。実施例2では、硬質膜として、アークイオンプレーティングにより、厚さが約10.7μmのTiNを成膜した。成膜条件は、以下の通りである。
・基板バイアス電圧:−50V
・圧力:2.6Pa
・アーク電流:100A
・温度:400℃
【0058】
その結果、
図15に示すような被膜が形成された。この被膜上の溝の平均幅は4.0μmであった。したがって、TiNからなる硬質膜に対しても、十分な幅の溝が形成されていることが分かる。
【0059】
また、この被膜に対し、X線回折測定を行った。測定の条件は、以下の通りである。
・特性X線:CuKα
・電圧:40kV
・電流:150mA
【0060】
その結果、
図16に示すグラフが得られた。
図16の回折ピークの位置からすると、この被膜がTiNと決定できる。なお、ナノインデンテーション法で、荷重を3mNとして硬質膜であるTiN膜の硬さを測定したところ、28.7GPaであり、一般的なTiN膜の硬さを示している。
【0061】
<3.実施例3>
次に、実施例3に係る複合硬質被膜を作製した。実施例1との相違は、硬質クロムめっき層上に形成される硬質膜であり、その他は、実施例1と同じである。実施例3では、硬質膜として、アンバランスドマグネトロンスパッタ法により、厚さが約5.3μm(DLC:3.1μm、Cr/C傾斜中間層2.2μm)のDLCを成膜した。成膜条件は、以下の通りである。
・基板バイアス電圧:−50V
・Arガス流量:200sccm
・メタンガス流量:10sccm
・温度:200℃
【0062】
その結果、
図17に示すような被膜が形成された。この被膜上の溝の平均幅は2.2μmであった。したがって、DLCからなる硬質膜に対しても、十分な幅の溝が形成されていることが分かる。
【0063】
また、この被膜に対し、励起波長532nmをとして、ラマンスペクトルの測定を行った。その結果、
図18に示すグラフが得られた。
図18によれば、スペクトルが1550cm
-1付近のDバンドと1350cm
-1付近のGバンドで構成されており、この被膜がDLCと決定できる。なお、ナノインデンテーション法で、荷重を3mNとして硬質膜であるDLC膜の硬さを測定したところ、10.9GPaであり、一般的な水素含有DLC膜の硬さを示している。
【0064】
<4.硬質膜の膜厚と溝幅の関係>
次に、硬質膜の膜厚と溝幅の関係について検討した。実施例1と同条件で、硬質膜として厚さの異なるCrN膜を成膜し、表面に形成される溝の幅を測定した。結果は、
図19に示すとおりである。
図19によれば、硬質膜における溝幅と膜厚は反比例の関係となる。すなわち、硬質膜の膜厚が大きくなるほど、表面に形成される溝の幅が小さくなる。ここで、最小二乗法による直線フィッティングの傾きは、−0.298である。この定数を利用することで、初期溝幅が分かれば、任意の膜厚を形成した際の、微細溝幅を計算することが可能となる。したがって、膜厚の制御により、溝幅の制御が可能となる。ただし、本定数はアークイオンプレーティング法による成膜に適用できるものであり、成膜方法が変われば、本定数は変化する。
【0065】
<5.スクラッチ試験>
上記各実施例における硬質膜の密着性をスクラッチ試験により評価した。また、硬質膜の下地の影響も検討した。すなわち、上記各実施例では、エッチングにより溝幅を大きくした硬質クロムめっき層を下地とし、その上に硬質膜を成膜しているが、本発明者は、この下地の種類により硬質膜が強固に硬質クロムめっき層と密着し、剥離が生じにくいことを見出した。以下、検討する。まず、比較例として、以下の2つを準備し、さらに実施例4を準備した。
【0066】
(比較例1)
実施例1との相違は、硬質クロムめっき層を設けないことであり、その他は実施例と同じである。すなわち、摺動部材である合金工具鋼SKD11調質材上に、直接、約10μmの厚さのCrN膜を成膜した。
【0067】
(比較例2)
実施例1との相違は、硬質クロムめっき層にエッチング及びイオンボンバード処理を行わず、鏡面加工を施したことであり、その他は実施例と同じである。すなわち、摺動部材である合金工具鋼SKD11調質材上に、実施例1と同様に、硬質クロムめっき層を形成した後、バフ研磨により鏡面加工を施し、その後、約10μmの厚さのCrN膜を成膜した。
【0068】
(実施例4)
実施例1との相違は、硬質クロムめっきのエッチング法であり、その他は実施例と同じである。すなわち、実施例1では化学エッチングを施したのに対し、実施例4では、陽極エッチングを施し、その後、実施例1と同様に、約10μmの厚さのCrN膜を成膜した。なお、陽極エッチングには、標準的なクロムめっき液であるクロム酸250g/L、硫酸2.5g/Lの溶液を用いた。陽極電解条件は、室温、電流密度20A/dm
2、電解時間1分間とした。
【0069】
(評価方法)
ISO20502:2005(E)に基づいて、スクラッチ試験を行った。条件は、以下の通りである。
・初期荷重:0.3N
・終了荷重:100N
・スクラッチ距離:10mm
・圧子:ダイヤモンド(先端半径0.2mm)
【0070】
結果は、以下の通りである。
図20〜
図25は、それぞれ、スクラッチ試験を行った実施例1〜4、比較例1、2を示している。
図20〜
図23に示す実施例1〜4では、いずれも良好な密着性能を示している。実施例1と4とを比較すると(
図20と
図23)、陽極エッチングよりも化学エッチングの方が高い密着力を示している。これは、
図5に示すように、化学エッチングの方が硬質クロムめっき層の表面に形成される微小な凹凸が粗くなっており、硬質膜とのアンカー効果が強まったからと考えられる。
【0071】
また、
図25に示す比較例2では、低荷重で剥離が生じており、密着性が低いことが分かる。これは、溝幅を広げることなく、硬質膜が成膜されているためと考えられる。これに対して、実施例1〜4は、硬質膜がネットワーク状の溝により分割されていることで、破壊範囲が減少し、これによって密着性が高くなっている。
【0072】
<6.摩擦摩耗特性試験1>
次に、ネットワーク状の溝による液体潤滑下での摺動性能を確認するため、
図26に示すような装置(新東科学(株)製トライボギア TYPE−35S)を用い、ピンオンディスク試験を行った。ここでは、実施例1及び比較例1に係る被膜を用いて試験を行った。まず、実施例1及び比較例1の硬質膜の表面に流動パラフィンを塗布し、ピンオンディスク試験を行った。試験条件は、以下の通りである。
・荷重:15kg
・摩擦円半径:5mm
・回転速度:100rpm
・摩擦相手材:SKH51(φ3mmのピン)
・潤滑材:流動パラフィン
【0073】
結果は、
図27に示す摩擦摩耗特性に示すとおりである。比較例1(微細溝なし)では、開始してすぐの100秒付近で急激に摩擦係数が増加したため、この時点で試験を中止した。これは、比較例1では、硬質膜の表面に油を保持することができずピンとの間で油切れを起こし、焼き付きが発生したことで、急激に摩擦係数が増加したからであると思われる。一方、実施例1(微細溝あり)は、終始安定して低い摩擦係数を維持した。実施例1では、ネットワーク状の溝の保油効果により、油切れを起こすことなく、安定した摩擦挙動を示したと考えられる。
【0074】
<7.摩擦摩耗特性試験2>
摩擦摩耗特性試験1では、液体潤滑下での試験であったが、ここでは、固定潤滑下での試験を行う。試験方法としては、潤滑剤として、二硫化モリブデン粉末を用いるのみが相違する。結果は、
図28に示す摩擦摩耗特性に示すとおりである。同図に示すように、比較例1(微細溝なし)では、800秒付近から摩擦係数が増大し、その後は高い摩擦係数を維持した。これは、比較例1では、試験の進行に伴い摺動面の粉末が減少してゆき、800秒付近から部分的な焼き付きが発生し始めたことで、摩擦係数が増大したからであると考えられる。一方、実施例1(微細溝なし)は、終始低い摩擦係数を維持した。これは、ネットワーク状の溝に保持された粉末が、摺動面に供給され続けることで、安定した摩擦挙動を示したからであると考えられる。
【0075】
<8.金型性能試験1>
次に、塑性加工における金型性能を円筒深絞り試験により評価した。試験機はJTトーシ株式会社製自動型万能深絞り試験機SAS−200Dを使用した。
図29に示す円筒深絞り試験機において、合金工具鋼SKD11調質材製のダイ及びしわ押えに対し、実施例1及び比較例1に係る被膜を形成し、オーステナイト系ステンレス鋼(SUS304−2B)の円筒深絞り試験を複数回行った。円筒深絞りの条件は、以下の通りである。
・金型: パンチ φ40.0×R8mm
ダイス φ42.5×R8mm
しわ押え φ40.5mm
・被加工材: SUS304−2B(1mm
t)
・潤滑油: フォーマ油MS70
(動粘度70mm
2/s[40℃])
・成形速度: 80mm/min
・しわ押え力: 5kN
但し、試験毎に被加工材へ注油した。
【0076】
図30に実施例1を用いた円筒深絞り試験用ダイの外観写真(a)およびR部の拡大図(b)〜(e)を示す。ダイのR部にも網目状の溝が形成されていることが分かる。これは、本技術が曲面に対してもネットワーク状の溝を形成できることを示している。
【0077】
図31に実施例1及び比較例1の深絞り最大荷重の変化を示す。比較例1に係る金型を用いるとでは、最初から10試験までは成形中に割れが発生し、成形が安定するまでに20試験を要した。一方、実施例1に係る金型では、終始安定して成形ができた。また、最大荷重について、実施例1の金型は、比較例1の金型に比べ、低い最大荷重を示しており、30〜40試験の平均最大荷重で比較した場合、微細溝を形成することにより最大荷重が約7%低減することが分かった。
【0078】
<9.金型性能試験2>
次に、金型性能試験2を行った。金型性能試験1との相違は、試験開始前に金型へ潤滑油を塗布し、試験開始後は金型と加工材への注油を一切行わずに試験した点である。結果は、
図32に示すとおりである。比較例1に係る金型では、4試験で最大荷重の大幅な増加が起こり、6試験で割れにより成形が不能となり、成形できた品物は5個であった。一方、実施例1に係る金型では、20試験まで低い最大荷重を維持しながら安定して成形できており、その後は最大荷重が徐々に増加するものの、優れた保油効果により、26個の品物を成形することができた。