【実施例】
【0035】
《概要》
複数の供試材(試料/摺動部材)と、複数の潤滑油とを組合わせて、摺動試験(ブロックオンリング摩擦試験)を行った。この試験結果等に基づいて、本発明をより具体的に説明する。
【0036】
《供試材の製造》
(1)基材
焼入れ処理した鋼材(JIS SCM420)からなるブロック状(6.3mm×15.7mm×10.1mm)の基材を複数用意した。各基材の表面(被覆処理面)は鏡面仕上げ(表面粗さ:Ra0.08μm)した。ちなみに、鋼材(SCM420)の基材組成(単位:質量%)は、Cr:0.9〜1.2%、C:0.17〜0.23%、Si:0.15〜0.35%、Mn:0.60〜0.90%、Mo:0.15〜0.25、残部:Feおよび不可避不純物であった。
【0037】
基材の表面にCrC膜(単に「CrC(膜)」ともいう。/試料1)を被覆した試料と、被膜を形成せず基材の表面を浸炭面(硬さ:HV600、表面粗さ:Ra0.08μm)とした試料(単に「浸炭材」ともいう。/試料C0)とを用意した。
【0038】
(2)成膜
CrC膜は、アンバランスマグネトロンスパッタリング装置を用いて成膜した。具体的にいうと、チャンバー内を予備排気した後、純CrターゲットをArガスでスパッタリングし、基材表面にCr中間層を形成した。これに続いて、C
2H
2ガスをさらに導入して、CrC膜を合成した。
【0039】
《摺動試験前の測定》
(1)膜組成
摺動試験前に試料1(CrC)の膜組成をEPMA(日本電子株式会社製JXA−8200)により定量したところ、Cr:66.5at%、C:33.5at%であった。
【0040】
(2)膜構造
ラマン分光装置(日本分光株式会社製NRS−3200)を用いてCrC膜を分析した。また、比較のため、Crを含有したDLC膜(Cr:23at%)も同様に分析した。これらのラマンスペクトルを
図1に併せて示した。
【0041】
図1に示すCrC膜のラマンスペクトルに、非晶質なDLC膜(非晶質)に現れるようなピークが観られないことから、CrC膜が結晶質であることがわかった。
【0042】
なお、CrC膜をX線回折により分析したところ、そのプロフィルから、主にCrC膜はCr
7C
3結晶とCr
3C
2結晶とからなることが確認された。同様のことは透過型電子顕微鏡(TEM)による電子線回折からも確認されている。
【0043】
《潤滑油》
摩擦試験に用いる潤滑油として、MoDTCを含有していない潤滑油(「MoDTC非含有潤滑油」という。)と、MoDTCを含有した潤滑油(「MoDTC含有潤滑油」という。)とを用意した。
【0044】
MoDTC非含有潤滑油には、市販のオートマティックトランスミッションフルード(トヨタ自動車株式会社製、純正ATF オートフルード タイプWS)を用いた。MoDTC含有潤滑油には、炭化水素系鉱油に、エンジン油添加剤パッケージおよびMoDTCを添加して、オイル粘度をMoDTC非含有潤滑油と同程度に調整した低粘度オイルを用いた。この潤滑油中におけるMoDTCの含有量は800ppmMoとした。
【0045】
なお、上述した炭化水素系鉱油は、MoDTC非含有潤滑油と同一のものである。エンジン油添加剤パッケージには、摩擦調整剤であるMoDTCの他に、摩耗防止剤、清浄剤、分散剤、酸化防止剤、消泡剤等をも含有されている。
【0046】
《摺動試験》
(1)摩擦係数
各試料の供試材と、各潤滑油とを組合わせてブロックオンリング摩擦試験(単に「摩擦試験」という。)を行い、摺動面における摩擦係数(μ)をそれぞれ測定した。こうして得られた各摩擦係数を対比して、
図2Aと
図2B(両者を併せて単に「
図2」という。)に棒グラフで示した。
【0047】
摩擦試験は、各供試材を摺動面幅6.3mmのブロック試験片とし、浸炭鋼材(AISI4620)から成るFALEX社製S−10標準試験片(硬さHV800、表面粗さ1.7〜2.0μmRzjis)をリング試験片(外径φ35mm、幅8.8mmの)として行った。この際、試験荷重:133N(ヘルツ面圧:210MPa)、すべり速度:0.3m/s、油温:80℃(一定)として、30分間の摩擦試験を行い、試験終了直前の1分間におけるμ平均値を本試験における摩擦係数とした。
【0048】
(2)摺動面の摩耗深さ
摩擦試験後の各摺動面の表面形状(粗さ)を、白色干渉法非接触表面形状測定機(Zygo社製NewView5022)を用いて測定したところ、MoDTC含有潤滑油を用いた場合、試料1の摩耗深さ(0.29μm)は試料C0の摩耗深さ(1.13μm)の約1/4程度であった。なお、ここで示した摩耗深さは、5箇所の測定を2回繰り返して得た相加平均値である。
【0049】
また、CMS社製Calotestを用いて摩耗痕から特定した試験前のCrC膜厚は1〜1.5μmであった。
【0050】
(3)摺動面の分析
MoDTC含有潤滑油を用いた摩擦試験後の各摺動面を、飛行時間型2次イオン質量分析法(TOF−SIMS/Ion-Tof社製 TOF-SIMS装置)により測定した。この際、1次イオンとして30keVのBi
+ビームを用いて、領域100μm×100μmで高分解能スペクトル測定を実施した。これにより得られた摺動面上の各元素の分析結果を
図3Aと
図3B(両者を併せて単に「
図3」という。)に示した。
図3Aには代表的な元素に係る二次イオン像を、
図3Bには代表的な元素に係る二次イオン相対強度(比)を示した。
【0051】
《評価》
(1)摩擦係数
図2Aから明らかなように、MoDTC非含有潤滑油を用いた場合、試料1(CrC膜)の摩擦係数と試料C0(浸炭材)の摩擦係数との間に大差はない。しかし、
図2Bから明らかなように、MoDTC含有潤滑油を用いると、試料1の摩擦係数は、試料C0の摩擦係数の約1/2まで著しく低下した。従って、CrC膜からなる摺動面とMoDTC含有潤滑油との組合わせにより、摩擦係数が0.02程度という超低摩擦特性が得られることがわかった。
【0052】
(2)考察
CrC膜とMoDTC含有潤滑油との組合わせにより、超低摩擦特性が発現される理由は次のように推察される。
【0053】
図3Aに示したMo
+、S
-、MoS
2-に係る二次イオン像と、
図3Bに示したSの相対ピーク強度およびMoのピーク強度比から、試料1の摺動面にはMoS
2がほぼ均一的に生成されていると考えられる。
【0054】
これに対して、試料C0の摺動面は、各成分の分布が著しく不均一となっており、試料1の摺動面と比較すると、Mo
+、S
-、MoS
2-は少なく、逆にCa
+、PO
2-等が多い傾向にあった。
【0055】
これらのことから、試料1では、層状構造を有するMoS
2またはそれに類似した構造の物質が摺動面に生成されて、それに依る低せん断特性に起因して、上述した超低摩擦特性が発現されたと推察される。一方、試料C01では、摺動面にCaPO
4(またはCaCO
3)等の無機成分が生成されて、逆にMoS
2の摺動面への吸着が阻害されて、超低摩擦特性が発現されなかったと推察される。いずれにしても、MoDTC含有潤滑油の存在下で、摩擦係数が試料1と試料C0で大きく相違した理由は、各摺動面で生じているメカニズムが異質であるためといえる。
【0056】
ちなみに、CrC膜は、Cr含有量が40%未満(特に30%以下)になると、非晶質炭素(DLC)からなるマトリックス(単に「DLCマトリックス」ともいう。)中に炭化クロムが分散した被膜となって耐摩耗性が低下することも、本発明者は確認している。そしてDLCは、MoDTC添加油に対して、耐摩耗性の低下することが報告されている。よって、DLC成分が含まれていない結晶質なCrCは、本発明に係る潤滑油下において、低摩擦特性と耐摩耗性を高次元で両立させ得る摺動材料といえる。