(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
ミオイノシトール生産能を有する微生物によりミオイノシトールを発酵生産する工程を含むミオイノシトールの製造方法であって、前記ミオイノシトール生産能を有する微生物の培養上清からミオイノシトールを回収する工程に先立って、当該微生物の培養物を40〜65℃の範囲の温度に保持する工程を含むことを特徴とし、但し、前記ミオイノシトール生産能を有する微生物が遺伝子組換された大腸菌である、ミオイノシトールの製造方法。
【背景技術】
【0002】
ミオイノシトールは、多くの高等動物にとって必要不可欠な物質であるため、栄養食品、飼料、医薬品等の成分として広範に利用されている。例えば、ミオイノシトールは、脂肪やコレステロール類の代謝において重要な役割を担っていることが知られており、特に高コレステロール血症等の予防や治療に有効とされている。従って、ミオイノシトールの工業的スケールでの製造プロセスについて、多くの改良が提案されてきている。
【0003】
すなわち、古典的に、ミオイノシトールは、米糠、コーンスティープリカーなどから直接抽出されていたが、当該抽出方法ではミオイノシトールの収率が低い上に不純物が多く混入するために、ミオイノシトールの精製が困難であり、生産効率が極めて低かった。そこで、高収率でイノシトールを生産することができる微生物のスクリーニングや突然変異体の取得がなされ、そのような微生物を用いたミオイノシトールの発酵生産が報告されている(特許文献1〜8)。
【0004】
更に、遺伝子組換微生物を用いた発酵プロセスによるミオイノシトールの製造方法も知られている。例えば、特許文献9は、一連のミオイノシトール生合成反応においてイノシトール−1−リン酸合成酵素が律速反応を担うとの妥当な推論の下で、イノシトール分泌能を有さないキャンディダ属酵母を前記イノシトール−1−リン酸合成酵素コード化DNAの単独によって形質転換することで、当該酵母に対してイノシトール生産能を付与できたことを開示している。特許文献10は、酵母に対して、グリセロール−3−リン酸デヒドロゲナーゼ遺伝子のプロモーターの制御下におかれたイノシトール−1−リン酸合成酵素コード化DNAを単独で導入することにより、該酵母のイノシトール生産性を向上させることを開示している。
【0005】
更に、本発明者は、機能的なミオイノシトール生合成経路が内部に構築された原核微生物宿主による、極めて高効率的なミオイノシトールの発酵プロセスを提示している。そのプロセスは、適当な炭素源からグルコース−6−リン酸を生成させる活性及び当該グルコース−6−リン酸をミオイノシトール−1−リン酸へ変換する活性(イノシトール−1−リン酸合成酵素活性)を有する原核微生物宿主に対して、機能的なイノシトールモノフォスファターゼの過剰生産又はイノシトールモノフォスファターゼの活性化を誘導する遺伝子組換又は変異を導入した形質転換体を利用することを含む。そのような形質転換体により、培養液中に約100g/Lを超える濃度でミオイノシトールが生産された(特許文献12)。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
前記の突然変異体や遺伝子組換された微生物を用いてミオイノシトールを発酵生産する際の炭素源として、グルコースが最も好適なもののひとつであることは明白である。発酵生産に用いられるほとんどの微生物がグルコースを最も効率的に資化するし、とりわけ、グルコースはミオイノシトール生合成の直接的な原料物質になり得るからである。
【0008】
しかしながら、グルコースを炭素源として使用することに欠点がないわけではない。端的に言えば、グルコースとミオイノシトールの物理化学的性質は極めて類似しているので、両者を分離するのが比較的困難なことである。例えば、グルコースとミオイノシトールの分子量は同じであり、ともに中性物質でもあるから、単純な精製操作だけで分離することは不可能に近い。
【0009】
この問題は、上記特許文献12のように、100g/Lを超える濃度でミオイノシトールが生産されるような場合に、特に深刻である。つまり、そのように高い収率でミオイノシトールを生産するための典型的な発酵プロセスでは、多量のグルコースを培養液に対して添加するので、しばしば実質的な量のグルコースが培養物中に残存してしまう可能性があるからである。
【0010】
勿論、グルコースは人体にとって何ら有害な化合物ではない。しかしながら、ミオイノシトールを医薬品等に用いる場合、その品質や活性を保証するためには、ミオイノシトールの純度を高めて、可能なかぎり不純物を除去すべき明確な要求が存在する。
【課題を解決するための手段】
【0011】
ミオイノシトール生産能を有する微生物の多くは、ミオイノシトールを効率的に細胞外に分泌する。したがって、ミオイノシトールの発酵生産では、通常、ミオイノシトールを培養上清から回収している。また、従来のミオイノシトールの発酵生産では、培養基材として添加したグルコースの残留分もまた培養上清に存在するので、目的化合物であるミオイノシトールからグルコースを分離するための煩雑で費用がかかる分離工程を実施する必要があった。
【0012】
しかしながら、驚くべきことに、本発明者らは、発酵プロセスの終了時、典型的にはミオイノシトール生産菌による当該物質の生産量が極大となった段階では、殆どのミオイノシトールは培養上清中に分泌されているが、大部分のグルコースは菌体内にとどまっていることを見出した。そして、グルコースは、培養物を高温で熱処理した際に初めて菌体外に溶出してくることを見出した。(なお、このようにして菌体から培養上清へグルコースが移行する正確な機構は不明であるため、本明細書では「溶出」という用語を「漏出」と同義で用いる。)
【0013】
すなわち、従来は、ミオイノシトールを培養上清から回収する工程で、生成したミオイノシトールが生産菌自体により分解されてしまったり、或いは雑菌に汚染されて他の物質へ転換されてしまったりすることを避けるため、発酵プロセスが終了した時点で培養物を高温に加熱して菌体を失活させ、且つ高温に維持したままで雑菌による汚染を抑制しつつ、ミオイノシトールの回収・精製プロセスを実施するのが通常であったが、そのような加熱工程のためにグルコースが菌体から培養上清に溶出し、ミオイノシトールとの分離を困難なものにしていたのであった。しかして、この発見を端緒にして、本発明者は、発酵プロセスが終了した後の培養物を加温して特定の温度範囲に制御することで、菌体からのグルコースの溶出を抑制し、以って、培養上清からミオイノシトールを高純度で且つ容易に回収できることを見出した。
【0014】
更に驚くべきことに、本発明者らは、上記のようにしていったん制御された加温処理を経たミオイノシトール生産菌の菌体からは、その後、当該菌体を高温に加熱しても、グルコースが溶出しないことを見出した。これは、グルコースを菌体内に保持させたままで高温殺菌できることを意味する。そのような高温殺菌は、遺伝子組換微生物の環境への拡散を防止するために望ましい処理である。
【0015】
従って、本発明の第1の局面は:
(1)ミオイノシトール生産能を有する微生物によりミオイノシトールを発酵生産する工程を含むミオイノシトールの製造方法であって、前記ミオイノシトール生産能を有する微生物の培養上清からミオイノシトールを回収する工程に先立って、当該微生物の培養物を40〜65℃の範囲の温度に保持する工程を含むことを特徴とする、ミオイノシトールの製造方法、
である。
【0016】
上記の温度範囲が45〜60℃の場合には、その後、培養物を高温に加熱しても、グルコースが殆ど溶出しないことを見出した。従って、本発明の好適な態様は:
(2)前記の温度が45〜60℃の範囲である、上記(1)に記載の製造方法;及び
(3)前記温度保持工程の後に、更に65℃を超える温度で培養物を加熱する工程を含む、上記(1)又は(2)に記載の製造方法、
である。
【0017】
更に、本発明の効果は、高収率でミオイノシトールを生産することができるように遺伝子組換された微生物の発酵プロセスと組み合わせるときに、もっとも顕著になる。すなわち、後記実施例に示す通り、グルコースの菌体からの溶出量は培養上清中のミオイノシトール濃度に依存することも見出されている。従って、本発明の好適な別の態様は:
(4)前記ミオイノシトール生産能を有する微生物が遺伝子組換された微生物である、上記(1)乃至(3)のいずれかに記載の製造方法;
(5)前記ミオイノシトール生産能を有する微生物が培養上清中に49g/Lの濃度以上でミオイノシトールを生産する能力を有する微生物である、上記(4)に記載の製造方法;及び
(6)前記微生物が大腸菌である、上記(4)又は(5)に記載の製造方法、
を含む。
【発明の効果】
【0018】
本発明によれば、ミオイノシトール生産能を有する微生物の培養上清からのミオイノシトールの精製工程を簡便化できることにより、工業的ミオイノシトール生産の効率化が達成できる。
【発明を実施するための形態】
【0020】
本発明の課題は、ミオイノシトール生産能を有する微生物による発酵プロセス終了後の培養上清からミオイノシトールを回収する工程に先立って、当該微生物の培養物を加温・維持することにより解決される。
【0021】
1.発酵プロセス
(1)ミオイノシトール生産能を有する微生物
本発明の発酵プロセスに用いることができる「ミオイノシトール生産能を有する微生物」は、グルコース等を基質として、典型的には、それが内因性の活性であるか外来遺伝子の導入によるものであるかを問わず、グルコース−6−リン酸を生成させる活性;グルコース−6−リン酸をミオイノシトール−1−リン酸へ変換する活性(つまり、イノシトール−1−リン酸合成酵素活性);及びミオイノシトール−1−リン酸を基質としたフォスファターゼ活性を発現することでミオイノシトールを生産できる微生物を意味する。前述のように、そのような微生物は特許文献1乃至12において公知であり、そのいずれもが使用し得る。
【0022】
とりわけ、特許文献12に記載の形質転換体は、ミオイノシトール生産能力が格段に優れているため、本発明の好適な「ミオイノシトール生産能を有する微生物」として利用できる。
【0023】
より詳細に、そのような形質転換体は、例えばエッシェリシア、シュードモナス、バチルス、ゲオバチルス、メタノモナス、メチロバシラス、メチロフィリウス、プロタミノバクター、メチロコッカス、コリネバクテリウム、ブレビバクテリウム、ザイモモナスおよびリステリア属の細菌などの原核微生物を宿主細胞として作製することができる。工業的発酵生産において好適な原核微生物の非限定的な例示は、大腸菌、バチルス属細菌、コリネバクテリウム属細菌、ザイモモナス属細菌を含む。大腸菌は、その迅速な生育能力や発酵管理の容易さ故に特に好ましい本発明の宿主微生物の例である。
【0024】
また、上記の宿主微生物として利用できる細胞株は、通常の意味での野生型であってよく、或いは、栄養要求性変異株、抗生物質耐性変異株であってもよい。更に、宿主微生物として利用できる細胞株は、上記のような変異に関する各種マーカー遺伝子を有するように既に形質転換されていてもよい。
【0025】
宿主微生物がイノシトール−1−リン酸合成酵素を発現しない場合には、当該宿主微生物に対して外来イノシトール−1−リン酸合成酵素遺伝子を導入することで宿主細胞を形質転換する。イノシトール−1−リン酸合成酵素遺伝子は公知であり(例えば、GenBank Accession Nos.AB032073、AF056325、AF071103、AF078915、AF120146、AF207640、AF284065、BC111160、L23520、U32511)、そのいずれも本発明の目的に使用することができる。特に、酵母由来のINO1遺伝子はよく知られているイノシトール−1−リン酸合成酵素遺伝子の例である。
【0026】
上記のイノシトール−1−リン酸合成酵素遺伝子は、「発現カセット」として宿主微生物細胞内に導入されることにより、より安定的で高レベルのイノシトール−1−リン酸合成酵素活性が得られることを当業者は理解するであろう。本明細書において、「発現カセット」とは、発現対象の核酸または発現対象の遺伝子に機能的に結合された転写および翻訳をレギュレートする核酸配列を含むヌクレオチドを意味する。典型的に、本発明の発現カセットは、コード配列から5’上流にプロモーター配列、3’下流にターミネーター配列、場合により更なる通常の調節エレメントを機能的に結合された状態で含み、そのような場合に、発現対象の核酸または発現対象の遺伝子が宿主微生物に「発現可能に導入」される。
【0027】
プロモーターは、構造性プロモーターであるか調節プロモーターであるかに拘わらず、RNAポリメラーゼをDNAに結合させ、RNA合成を開始させるDNA配列と定義される。強いプロモーターとはmRNA合成を高頻度で開始させるプロモーターであり、好適に使用される。lac系、trp系、TAC又はTRC系、λファージの主要オペレーター及びプロモーター領域、fdコートタンパク質の制御領域、解糖系酵素(例えば−3−ホスホグリセレートキナーゼ、グリセルアルデヒド−3−リン酸脱水素酵素)、グルタミン酸デカルボキシラーゼA、セリンヒドロキシメチルトランスフェラーゼに対するプロモーター等が、その宿主細胞の性質等に応じて利用可能である。プロモーターおよびターミネーター配列のほかに、他の調節エレメントの例として挙げられ得るのは、選択マーカー、増幅シグナル、複製起点などである。好適な調節配列については、例えば、”Gene Expression Technology:Methods in Enzymology 185”、Academic Press (1990)に記載されている。
【0028】
上記で説明した発現カセットは、例えば、プラスミド、ファージ、トランスポゾン、ISエレメント、ファスミド、コスミド、又は線状もしくは環状のDNA等から成るベクターに組み入れて、宿主微生物中に挿入される。プラスミドおよびファージが好ましい。これらのベクターは、宿主微生物中で自律複製されるものでもよいし、また染色体により複製されてもよい。好適なプラスミドは、例えば、大腸菌のpLG338、pACYC184、pBR322、pUC18、pUC19、pKC30、pRep4、pHS1、pKK223−3、pDHE19.2、pHS2、pPLc236、pMBL24、pLG200、pUR290、pIN−III113−B1、λgt11又はpBdCI;桿菌のpUB110、pC194又はpBD214;コリネバクテリウム属のpSA77又はpAJ667などである。これらの他にも使用可能なプラスミド等は、”Cloning Vectors”、Elsevier、1985に記載されている。ベクターへの発現カセットの導入は、適当な制限酵素による切り出し、クローニング、及びライゲーションを含む慣用の方法によって可能である。
【0029】
上記ようにして発現カセットを有するベクターが構築された後、該ベクターを宿主微生物に導入する際に適用できる手法として、例えば、共沈、プロトプラスト融合、エレクトロポレーション、レトロウイルストランスフェクションなどの慣用のクローニング法およびトランスフェクション法が使用される。それらの例は、「分子生物学の最新プロトコル(Current Protocols in Molecular Biology)」、F. Ausubelら、Publ.Wiley Interscience、New York、1997、またはSambrookら、「分子クローニング:実験室マニュアル」、第2版、Cold Spring Harbor Laboratory、Cold Spring Harbor Laboratory Press、Cold Spring Harbor、NY、1989に記載されている。
【0030】
特許文献12では、イノシトール−1−リン酸合成酵素をコードする外来遺伝子により形質転換された宿主微生物細胞において、イノシトールモノフォスファターゼを過剰生産させることにより、極めて高収率(例えば、培地中に約100g/Lの以上の濃度)でミオイノシトールを生産することができる形質転換体を得ている。
【0031】
そのようなイノシトールモノフォスファターゼとは、イノシトール−1−リン酸に対して高い基質特異性を示すものの他にも、広範な基質に対して作用し得るリン酸モノエステル加水分解酵素活性を示すことにより、イノシトール−1−リン酸を実質的に加水分解化できるタンパク質を含む。典型的なイノシトールモノフォスファターゼとしては、例えば、イノシトール−1−モノフォスファターゼが知られており、多くの生物由来の当該遺伝子(suhB遺伝子)はGenBank Accession Nos.ZP_04619988、YP_001451848等で公表されている。特に、大腸菌由来のsuhB遺伝子(配列番号3:AAC75586(MG1655))の使用は、大腸菌を宿主細胞とする場合に便利である。
【0032】
イノシトール−1−リン酸合成酵素遺伝子について記載した、発現カセット、プロモーター等のレギュレーター配列及びプラスミド等とそれによる形質転換の説明は、全てイノシトールモノフォスファターゼ遺伝子について当てはまることを当業者は容易に理解するであろう。従って、上記のイノシトールモノフォスファターゼの過剰生産は、外来イノシトールモノフォスファターゼ遺伝子の発現カセットにより前記宿主微生物を形質転換することにより達成し得る。
【0033】
本発明の「ミオイノシトール生産能を有する微生物」として好適に使用でき、上記の全ての特徴を有する形質転換体を作製する方法は特許文献12に具体的に記載されている。その代表的な菌株として、特許文献12の実施例2に記載された形質転換体、つまり、INO1遺伝子で形質転換した大腸菌AKC−016株(2011年4月20日付で独立行政法人製品評価技術基盤機構・特許生物寄託センター(茨城県つくば市東1丁目1番地1 中央第6)に対して「FERM P−22104」として原寄託され、2012年10月26日付けで独立行政法人製品評価技術基盤機構・特許生物寄託センター(茨城県つくば市東1丁目1番地1 中央第6)において「FERM BP−11512」としてブダペスト条約に基づく寄託へと移管されており、台湾の食品工業発展研究所・特許生物寄託センターに「FP20130007」としても寄託されている。)をsuhB遺伝子により形質転換したものや、特許文献12に記載のAKC−018株(2011年10月25日付けで独立行政法人製品評価技術基盤機構・特許生物寄託センター(茨城県つくば市東1丁目1番地1 中央第6)に対して「FERM P−22181」として原寄託され、2012年10月26日付けで独立行政法人製品評価技術基盤機構・特許生物寄託センター(茨城県つくば市東1丁目1番地1 中央第6)において「FERM BP−11514」としてブダペスト条約に基づく寄託へと移管されており、台湾の食品工業発展研究所・特許生物寄託センターに「FP20130009」としても寄託されている。)が例示できる。
【0034】
(2)培養
本発明の「ミオイノシトール生産能を有する微生物」は、ミオイノシトール生産のために当該微生物の生育及び/又は維持に適した条件下で培養及び維持される。各種の微生物のための好適な培地組成、培養条件、培養時間は当業者に公知である。
【0035】
培地は、1つ以上の炭素源、窒素源、無機塩、ビタミン、及び場合により微量元素ないしビタミン等の微量成分を含む天然、半合成、合成培地であってよい。しかし、使用する培地は、培養すべき微生物の栄養要求を適切に満たさなければならないことは言うまでもない。特に本発明の発酵プロセスのための培地は実質的な量のD−グルコースを含有すべきである。D−グルコース以外の炭素源は、もしそれが含まれる場合には、スクロース、オリゴ糖、多糖、でんぷん、セルロース、米ぬか、廃糖密であり得、更にD−グルコースを含有するバイオマスであり得る。好適なバイオマスとしては、トウモロコシ分解液やセルロース分解液を例示できる。また、培地は、微生物が有用な付加的形質を発現する場合、例えば抗生物質への耐性マーカーを有する場合、対応する抗生物質を含んでいてよい。それにより、発酵中の雑菌による汚染リスクが低減される。また、セルロースや多糖類などの炭素源を宿主微生物が資化できない場合は、当該宿主微生物に外来遺伝子を導入するなどの公知の遺伝子工学的手法を施すことで、これら炭素源を使用したミオイノシトール生産に適応させることができる。外来遺伝子としては、例えば、セルラーゼ遺伝子やアミラーゼ遺伝子などを挙げることができる。
【0036】
培養は、バッチ式であっても連続式であってもよい。また、いずれの場合にも、培養の適切な時点で追加のグルコースを補給する形式であってもかまわない。更に、培養は、好適な温度、酸素濃度、pH等を維持しながら継続されるべきである。本発明の発酵プロセスのための好適な培養温度は、通常、25℃〜37℃の範囲である。微生物が好気性の場合、発酵中の適切な酸素濃度を確保するために振盪(フラスコ培養等)、攪拌/通気(ジャー・ファーメンター培養等)を行う必要がある。それらの培養条件は、当業者にとって容易に設定可能である。
【0037】
(3)培養の終了
発酵プロセスは、培養上清中に生産されたミオイノシトールの量を、後記実施例の方法等により継時的に測定し、その生産量が極大に達した時点で終了することができる。具体的な培養時間は用いる菌株や培養温度、培地の種類などにより変化し得るが、大腸菌の形質転換体をジャー・ファーメンターで培養する場合には、8〜150時間を非限定的な例として挙げることができる。
【0038】
なお、その正確な機構は明らかでないが、後記実施例のとおり、培養上清中に分泌されたミオイノシトールの濃度と、当該培養物を高温(70℃以上)で加熱した際に宿主微生物の菌体から溶出してくるグルコースの量との間に相関関係があることが見いだされた。具体的に、発酵プロセスが終了した培養物を菌体ごといくつかのフラクションに分け、各々のフラクションの培養上清を希釈するか、或いはそこに追加のミオイノシトールを添加することで、菌体は同じまま培養上清中のミオイノシトール濃度を変化させた。その後、各フラクションを70℃で加熱した際に、培養上清中のミオイノシトール濃度が高い(例えば、49g/L以上)ほど、菌体から溶出してきたグルコースの量も多かった。逆に、培養上清中のミオイノシトール濃度が低いほど菌体から溶出してきたグルコースの量が少なかった。すなわち、このことは、同じ形質転換体を用い、同一の発酵プロセスを経た菌体であり、したがって菌体中のグルコース量が同じであっても、培養上清中に存在するミオイノシトールの濃度により、当該菌体を高温(70℃以上)で加熱した際に溶出してくるグルコース量が変化することを示した。
【0039】
上記の事実から、菌体からのグルコースの溶出を抑制するための本発明の利点は、培養上清中のミオイノシトール濃度が高い(例えば、49g/L以上)ほど、顕著になるといえる。したがって、本発明の発酵プロセスは、培養上清中のミオイノシトール濃度が49g/L以上になるまでミオイノシトールを生産する能力を有する微生物を用いて実施し、少なくとも培養上清中のミオイノシトール濃度が49g/L以上になった時点で終了することが望ましいが、これに限定されない。
【0040】
2.温度保持工程
(1)菌体からのグルコース溶出抑制のための温度制御
前記のとおり、従来は、発酵プロセスが終了した培養物からミオイノシトールを回収する工程で、生成したミオイノシトールが生産菌自体により分解されてしまったり、或いは雑菌に汚染されて他の物質へ転換されてしまったりすることを避けるため、発酵プロセスが終了した時点で培養物を高温に加熱して菌体を失活させ、且つ高温に維持したままで雑菌による汚染を抑制しつつ、ミオイノシトールの回収・精製プロセスを実施するのが通常であった。しかして、そのような従来の加熱では、当該目的に照らして、単に加熱温度が十分に高ければよい(例えば、80℃以上)とだけ認識されており、本発明者が知る限り、それを一定の温度範囲内に制御・保持することが顧みられたことはなかった。
【0041】
これに対して、後記実施例から明らかなように、本発明者は、発酵プロセスが終了した後の培養物を加温して特定の温度範囲に制御することで、グルコースを菌体内に保持させたままにしておき、以って、培養上清からミオイノシトールを高純度で且つ容易に回収できることを見出したのである。すなわち、本発明の「温度保持工程」は、従来の漫然とした高温加熱処理と明確に異なるものである。
【0042】
具体的に、本発明の温度保持工程では、発酵プロセスが終了した時点で培養物を70℃未満、好ましくは65℃以下に加温する。後記実施例のとおり、70℃を境にして菌体からのグルコース溶出量に劇的な変化が観察されたからである。
【0043】
また、本発明の温度保持工程では、培養物を70℃未満、好ましくは65℃以下に一定時間保持する。保持する時間は、微生物の種類や、前記のとおり培養上清中のミオイノシトール濃度に応じて変化させ得るが、典型的には10分以上、好ましくは15分以上である。本発明の効果を奏する上で、それ以上の時間に渉って上記温度範囲に保持しても何ら問題はないが、製造プロセスの効率及び費用の観点から、3時間をこえるような長時間の保持は実用性が乏しいであろう。
【0044】
なお、本発明の温度保持工程における温度の下限は、本発明のミオイノシトール生産能を有する微生物を実質的に失活させ得、また雑菌の生物活性を実質的に抑制し得る温度であればよい。多くの宿主細菌細胞及び環境の常在細菌細胞は40℃を超えると活性が著しく低下し、42℃を超えると致死的損傷を被ることが知られている。したがって、本発明の温度保持工程における温度の下限は40℃以上とすることができるが、後記実施例のとおり45℃以上で本発明の効果が顕著になるので、45℃以上とすることが好ましい態様の1つである。
【0045】
本発明の温度保持工程は、当業者に周知の培養物の加熱手段により容易に実施することができる。例えば、発酵プロセスがフラスコ培養による場合は、発酵プロセス終了後のフラスコごとウォーターバス内にて温浴することで達成し得る。また、発酵プロセスがジャー・ファーメンターを用いた培養による場合、ジャー・ファーメンターに付帯する温・冷却水循環装置を使用すればよい。発酵プロセスが大規模な場合、培養物を温度制御可能な反応釜等に移して加温・保持してもよい。
【0046】
(2)追加の加熱処理
本発明者は、後記実施例のとおり、上記のようにしていったん制御された加温処理を経たミオイノシトール生産菌の菌体からは、その後、当該菌体を高温に加熱しても、グルコースが溶出しないことを見出した。これは、グルコースを菌体内に保持させたままで高温殺菌できることを意味する。そのような高温殺菌は、遺伝子組換微生物の環境への拡散を防止するために望ましい処理である。
【0047】
すなわち、本発明の「温度保持工程」を適用した後の培養物に対して、従来の発酵生産方法で実施されているような高温加熱処理、つまり、典型的には70〜80℃程度で1時間以上の加熱処理を行っても、そこに含まれる菌体からのグルコースの溶出が実質的に抑制される。いうなれば、本発明の「温度保持工程」を適用した後の培養物は、従来の発酵生産方法における有効成分の回収・精製プロセスに従って処理しても、菌体からのグルコースの溶出が極小であって、ミオイノシトールとグルコースの分離における顕著な効果を奏し得る。したがって、この追加の加熱処理は、その目的のために当業者に公知のいかなる方法を適用して実施してもよい。
【0048】
3.回収・精製プロセス
上記の培養物からミオイノシトールを回収及び精製する方法は当業者に公知である。具体的に、本発明の「温度保持工程」及び、場合により追加の加熱処理を実施した後の培養物を遠心分離や濾過して上清と菌体を分離し、培養上清からミオイノシトールを精製する。培養上清からミオイノシトールを精製する方法としては、pH調整等によるタンパク質沈澱を利用した除タンパク処理、活性炭を利用した不純物の吸着による除去、イオン交換樹脂等を利用したイオン性物質の吸着による除去を実施した後に、乾燥して得られた固体を、例えば水−エタノール系から再結晶することが挙げられる。本発明の「温度保持工程」を実施することで、培養上清には実質量のグルコースが溶出されていないため、例えば上記の再結晶だけでも、ミオイノシトールからグルコースを十分に分離できるであろう。
【0049】
以上の説明を与えられた当業者は、本発明を十分に実施できる。以下、更なる説明の目的として実施例を与え、従って、本発明は当該実施例に限定されるものではない。
【実施例】
【0050】
<培養>
以下の実施例では、下記の条件でミオイノシトールを発酵により生産した。
a.ミオイノシトール生産菌:特許文献12の実施例2に記載の形質転換体を使用した。
b.前培養:上記a.のミオイノシトール生産菌を、LB平板培地上で37℃で培養し、よく生育した5つのコロニーから1白金耳ずつ、150mLの前培養培地(表1)を収容した500mLフラスコに接種した。前培養は、37℃で180rpmの回転培養により行った。
c.ジャー・ファーメンター培養:前培養のOD(600nm)が0.3〜0.5となった時点(約3時間)で、15g/Lの割合でグルコースを添加した合成培地(表2)の3Lを含む10L容ジャー・ファーメンター(丸菱バイオエンジ製)に対して前培養物(ジャー・ファーメンター内の培地に対して2%の比率)を接種した。
【0051】
ジャー・ファーメンター培養条件は下記のとおりであった。
・培養温度 32℃;
・培養pH 6.0〔下限〕(28%(重量/容量)アンモニア水の添加により調節);
・攪拌 700rpm;
・通気 1vvm;
・原料となるグルコースについては、濃度が700g/Lのグルコース溶液を、培養液中のグルコース濃度が5g/Lを上回らない範囲になるように適宜添加した。
【0052】
【表1】
【0053】
【表2】
【0054】
<実施例1> 菌体からのグルコース溶出量の、培養上清中のミオイノシトール濃度への依存性
上記の培養で得た培養液の一部を4℃で、10,000g×10分間遠心分離して上清を回収し、培養上清のミオイノシトール濃度を測定した。具体的に、KS−G(ガードカラム)、Sugar KS−801及びSugar KS−802(いずれも商品名、昭和電工株式会社製)を連結してHPLC(検出器:RI、カラム温度:70℃、流速:1mL/min)を行うことで、培養上清中のミオイノシトール濃度を定量した。回収した培養液のミオイノシトール濃度は85g/Lであった。
【0055】
残りの培養液を用いて、菌体濃度を一定にしたままでミオイノシトール濃度の異なる培養液を作製するため、菌体を均一に含む培養液の一定量のフラクションを4℃で、10,000g×10分間遠心分離した後、各々のフラクションから所定量の培養上清を廃棄し、同量の培地模擬液A(表3)を添加することで85g/Lよりミオイノシトール濃度の低い培養液を作製した。他方、85g/Lよりミオイノシトール濃度の高い培養液を作製するため、上記の培養液のフラクションを4℃で、10,000g×10分間遠心分離した後、所定量の培養上清を廃棄し、同量の培地模擬液Aに高濃度のミオイノシトールが溶解した液を添加した。この操作により147g/Lのミオイノシトールが溶解した培養液を作製した。
【0056】
【表3】
【0057】
上記で作製した様々なミオイノシトール濃度の培養液フラクション(85g/Lのミオイノシトール濃度の培養液は、回収した培養液をそのまま使った。)を2mLのエッペンドルフ・チューブにそれぞれ300μLずつ添加し、70℃で1時間インキュベートした(装置名:ドライサーモユニットDTU−1C、タイテック株式会社)。インキュベーションの終了後、エペンドルフ・チューブを4℃で、10,000g×10分間で遠心分離し、上清のグルコース濃度について市販のグルコース定量キット(商品名:グルコースCII−テストワコー、和光純薬工業株式会社)を用いて測定した。
【0058】
本実施例の結果を表4に示した。なお、表4では、147g/Lのミオイノシトール濃度の培養液を処理した際に溶出したグルコースの量を100として、その他の培養液におけるグルコース溶出量を規格化した値を記している。ミオイノシトールが低濃度(9g/L)の条件においてもグルコースの溶出が確認されたが、20(規格値)以下とわずかである。しかしながら、ミオイノシトール高濃度条件下(49g/L以上)では特にグルコースの溶出が激しくなり、40(規格値)以上のグルコースの溶出が確認された。
【0059】
【表4】
【0060】
<実施例2> 温度依存性
実施例1と同様に、培養液を4℃で、10,000g×10分間遠心分離して上清を回収し、培養上清のミオイノシトール濃度を測定した。具体的に、KS−G(ガードカラム)、Sugar KS−801及びSugar KS−802(いずれも商品名、昭和電工株式会社製)を連結してHPLC(検出器:RI、カラム温度:70℃、流速:1mL/min)を行うことで、培養上清中のミオイノシトール濃度を定量した。回収した培養液のミオイノシトール濃度は85g/Lであった。
【0061】
上記で取得した培養液の、均一に菌体を含むフラクションを2mLのエッペンドルフ・チューブにそれぞれ300μLずつ添加し、それぞれのフラクションを40〜70℃の所定の温度にて1時間インキュベートした(装置名:ドライサーモユニットDTU−1C、タイテック株式会社)。インキュベーションの終了後、エッペンドルフ・チューブを4℃で、10,000g×10分間で遠心分離し、上清のグルコース濃度について市販のグルコース定量キット(商品名:グルコースCII−テストワコー、和光純薬工業株式会社)を用いて測定した。
【0062】
実施例1と同様に、70℃で1時間処理をした際に溶出したグルコースの量を100として規格化した、各温度における菌体からのグルコース溶出量を
図1に示した。
図1から、処理温度が65℃以下であれば、菌体からのグルコースの溶出を大きく抑えることができることが認められた。より好ましくは60℃以下であり、下限は40℃以上であればよいことがわかった。
【0063】
<実施例3> 前処理効果(時間の影響)
前記の条件で培養した、実施例1とは別のロットの培養液を4℃で、10,000g×10分間遠心分離して上清を回収し、培養上清のミオイノシトール濃度を測定した。具体的に、KS−G(ガードカラム)、Sugar KS−801及びSugar KS−802(いずれも商品名、昭和電工株式会社製)を連結してHPLC(検出器:RI、カラム温度:70℃、流速:1mL/min)を行うことで、培養上清中のミオイノシトール濃度を定量した。回収した培養液のミオイノシトール濃度は100g/Lであった。
【0064】
上記で取得した培養液のフラクションを2mLのエッペンドルフ・チューブにそれぞれ300μLずつ添加し、50℃の温度にて所定の時間処理した後、それぞれの50℃処理液をさらに70℃で1時間インキュベートした(装置名:ドライサーモユニットDTU−1C、タイテック株式会社)。インキュベーションの終了後、エッペンドルフ・チューブを4℃で、10,000g×10分間で遠心分離し、上清のグルコース濃度について市販のグルコース定量キット(商品名:グルコースCII−テストワコー、和光純薬工業株式会社)を用いて測定した。
【0065】
70℃で1時間処理をした後のグルコース濃度を
図2に示す。15分以上50℃で処理さえすれば、その後70℃で熱処理してもグルコースは溶出しないことを見出した。
【0066】
<実施例4> 前処理効果(温度の影響)
実施例3と同様に、培養液を4℃で、10,000g×10分間遠心分離して上清を回収し、培養上清のミオイノシトール濃度を測定した。具体的に、KS−G(ガードカラム)、Sugar KS−801及びSugar KS−802(いずれも商品名、昭和電工株式会社製)を連結してHPLC(検出器:RI、カラム温度:70℃、流速:1mL/min)を行うことで、培養上清中のミオイノシトール濃度を定量した。回収した培養液のミオイノシトール濃度は100g/Lであった。
【0067】
上記で取得した培養液のフラクションを2mLのエッペンドルフ・チューブにそれぞれ300μLずつ添加し、所定の温度にて30分処理した後、それぞれの処理液をさらに70℃で1時間インキュベートした(装置名:ドライサーモユニットDTU−1C、タイテック株式会社)。インキュベーションの終了後、エッペンドルフ・チューブを4℃で、10,000g×10分間で遠心分離し、上清のグルコース濃度について市販のグルコース定量キット(商品名:グルコースCII−テストワコー、和光純薬工業株式会社)を用いて測定した。
【0068】
70℃で1時間処理をした後のグルコース濃度を
図3に示す。40〜65℃で前処理すればグルコースの溶出を大きく抑えられること、より好ましい範囲としては、45〜60℃であることを確認した。