(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6582275
(24)【登録日】2019年9月13日
(45)【発行日】2019年10月2日
(54)【発明の名称】カプロン酸低生成酵母
(51)【国際特許分類】
C12N 1/16 20060101AFI20190919BHJP
C12G 3/02 20190101ALI20190919BHJP
C12G 1/00 20190101ALI20190919BHJP
C12C 11/02 20060101ALI20190919BHJP
A23L 11/20 20160101ALI20190919BHJP
A23L 27/50 20160101ALI20190919BHJP
A21D 8/04 20060101ALI20190919BHJP
C12P 7/62 20060101ALI20190919BHJP
【FI】
C12N1/16 G
C12G3/02
C12G1/00
C12C11/02
A23L11/20
A23L27/50 103Z
A21D8/04
C12P7/62
【請求項の数】2
【全頁数】8
(21)【出願番号】特願2015-225068(P2015-225068)
(22)【出願日】2015年11月17日
(65)【公開番号】特開2017-86047(P2017-86047A)
(43)【公開日】2017年5月25日
【審査請求日】2018年10月19日
【微生物の受託番号】NPMD NITE P-02139
(73)【特許権者】
【識別番号】591108178
【氏名又は名称】秋田県
(74)【代理人】
【識別番号】100184767
【弁理士】
【氏名又は名称】佐々 健太郎
(74)【代理人】
【識別番号】100098556
【弁理士】
【氏名又は名称】佐々 紘造
(72)【発明者】
【氏名】上原 智美
(72)【発明者】
【氏名】渡邉 誠衛
(72)【発明者】
【氏名】大野 剛
(72)【発明者】
【氏名】▲高▼橋 仁
【審査官】
池上 文緒
(56)【参考文献】
【文献】
特開平8−23954(JP,A)
【文献】
特開平7−79766(JP,A)
【文献】
特開平8−173147(JP,A)
【文献】
特開平6−169748(JP,A)
【文献】
特開平7−147972(JP,A)
【文献】
特開平3−191778(JP,A)
【文献】
韓国公開特許第10−2015−0054050(KR,A)
【文献】
韓国公開特許第10−2015−0024488(KR,A)
【文献】
韓国公開特許第2003−0079480(KR,A)
【文献】
韓国公開特許第10−2013−0078193(KR,A)
【文献】
平成25年度 食品加工に関する試験成績 (Mar-2015) p.9-10
【文献】
日本醸造協会誌 (1994) vol.89, no.11, p.906-912
【文献】
Biosci. Biotechnol. Biochem. (Mar-2015) vol.79, no.7, p.1191-1199
【文献】
日本醸造協会誌 (1993) vol.88, no.2, p.101-105
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C12N 1/16
C12C
C12G
A23L
A21D
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CAplus/REGISTRY/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
AGRICOLA(STN)
CABA(STN)
FSTA(STN)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
受託番号がNITE P―02139である酵母B2−1−2株
【請求項2】
請求項1の酵母で発酵する工程を含む加工食品の製造方法
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、カプロン酸生成の少ない酵母に関する。さらに詳しくは、カプロン酸エチル生成能は高いがカプロン酸生成能は低く且つアルコール耐性を持つ酵母、及びその酵母を用いた酒類の製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、醸造酒の多様化が進み、様々な商品の開発が進んでいる。例えば、吟醸香の高い清酒の開発である。清酒においては、代表的な吟醸香として果物様の香りに形容されるカプロン酸エチルや酢酸イソアミル等が知られている。以前はこれらの吟醸香を生成させるには「吟醸造り」という高精白(精米歩合60%以下)の原料米を用いて低温発酵させる方法が取られていた。しかしこのような方法では安定した吟醸香を生成させることは困難であった。このため「吟醸造り」に取って変わる方法として、吟醸香を高生成する酵母を選抜・分離して清酒を製造する方法が試みられている。
【0003】
代表的な吟醸香であるカプロン酸エチルの高生成酵母に関しては、以下の方法が開発され、既に実用化が成されている。ひとつは、カプロン酸エチルの材料となるカプロン酸の合成に関わる脂肪酸合成酵素について、その阻害剤セルレニンの耐性を指標として、耐性が高いものを選抜・分離する方法である(特許文献1)。また、カプロン酸には酵母の生育を阻止する作用があり一定濃度のカプロン酸を含む培地ではカプロン酸高生産酵母は増殖できなくなるが、このカプロン酸感受性を指標として感受性が高い株を選抜・分離する方法である(特許文献2及び3)。さらに、生成されたカプロン酸エチルは、同成分に対して特異性の高いエステラーゼにより分解されることから、このエステラーゼ活性を低下させた酵母の分離が試みられている。具体的には、分解により毒性のあるフルオロエタノールが生じるカプロン酸2−フルオロエチルに対する耐性を指標にして、耐性の高い酵母の取得が試みられている(特許文献4)。
これらの方法で、実際にカプロン酸エチル高生成酵母が分離・選抜され、その一部は清酒製造に使用されている。
【0004】
ところで、代表的な吟醸香とされるカプロン酸エチルは、リンゴ様の華やかな香りであるが、その材料となるカプロン酸はヤギの体臭様に例えられる不快臭であり、清酒の官能評価においては脂肪酸臭として敬遠される。この代表的な吟醸香であるカプロン酸エチルを酵母が生成するには2つの経路があり、一つはアルコールアシルトランスフェラーゼによりカプロイルCoAとエタノールから生成される経路、もう一つはエステラーゼによりカプロン酸とエタノールから生成される経路である。両経路から生成されるカプロン酸エチルは、カプロイルCoAとカプロン酸の濃度が、それぞれ律速となっていることが明らかにされている(非特許文献2)。
【0005】
カプロン酸エチルの生成反応は、カプロイルCoAやカプロン酸の濃度が律速なので、カプロン酸エチルを多く生成する酵母はカプロイルCoAやカプロン酸も多く生成すると考えられ、カプロン酸エチル高生成酵母により醸造された製成酒は、概して不快臭とされるカプロン酸の含有量も多いという問題がある。実際、清酒中において、カプロン酸濃度とカプロン酸エチル濃度には強い正の相関関係が認められ、清酒中のカプロン酸エチル濃度はカプロン酸濃度に依存することが報告されている(非特許文献1)。
このカプロン酸エチルの材料であるカプロン酸の生成能が高いことや、カプロン酸エチル分解能が低いことに着目してカプロン酸エチル高生成酵母の分離を行った例は存在する(特許文献2、3及び4)。しかし、カプロン酸エチル低分解性と考えられるカプロン酸2−フルオロエチル耐性を示し、尚且つカプロン酸の生成量が少ない酵母の取得及びこれを利用した清酒の製造方法は知られていない。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特開平8−23954号公報
【特許文献2】特開平7−79766号公報
【特許文献3】特開平8−173147号公報
【特許文献4】特開平6−169748号公報
【非特許文献】
【0007】
【非特許文献1】宇都宮仁、山田修、橋口知一:醸協,95,214−218(2000)
【非特許文献2】栗山一秀、芦田晋三、斉藤義幸、蓁洋二、杉並孝二、今安聴:醗酵工学、64,175(1986)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明の目的は、カプロン酸エチルの生成能は高いが、カプロン酸の生成能は低い酵母を提供することである。本発明の他の目的は、醸造酒の香味成分の変化をできるかぎり少なくすべく、上記酵母のアルコール耐性株を取得することである。本発明のさらに他の目的は当該酵母を使用してカプロン酸エチルの濃度は高いが、カプロン酸濃度は低い、香気成分豊かで不快臭の少ない清酒を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者は、上記目的を達成するために種々検討の結果、出願人が所有するカプロン酸エチル高生成酵母株を親株として変異を加え、この中から、カプロン酸エチル分解活性とカプロン酸濃度に着目して、酵母を選抜・分離した。さらに、この酵母のアルコール耐性株を取得した。加えて、この酵母を用いて清酒を製造することで本発明に到達した。すなわち本発明は以下のとおりである。
【0010】
1.受託番号がNITE P―02139である酵母B2−1−2株
2.前記1の酵母で発酵する工程を含む加工食品の製造方法
【発明の効果】
【0011】
カプロン酸エチル高生成酵母は、その材料であり不快臭とされるカプロン酸も多く生成すると考えられる。しかし、本発明の酵母は、突然変異を起こさせる前の親株の酵母と比較しカプロン酸エチルの高生成能は維持しながら、カプロン酸生成が少ない。すなわち、通常、清酒中において、カプロン酸濃度とカプロン酸エチル濃度には強い正の相関関係が認められるが(非特許文献1)、本発明の酵母を使用すれば、カプロン酸エチルの高濃度を維持したまま、カプロン酸濃度は低い清酒を製造することができる。アルコール耐性を有することともあわせて、香気成分豊かで不快臭の少ない清酒を提供できる。
【図面の簡単な説明】
【0012】
【
図1】総米500gの仕込試験より得られた製成酒のカプロン酸およびカプロン酸エチル濃度を示した。
【発明を実施するための形態】
【0013】
以下に本発明を詳細に説明する。
本発明の酵母は、カプロン酸エチルの生成能は高いが、カプロン酸生成能は低い。この酵母を使用して、常法により清酒の仕込試験を行うと、代表的な吟醸香であるカプロン酸エチル濃度が4.0ppm以上、不快臭である遊離カプロン酸が25.4ppm以下の製成酒を得ることができる。また、本発明の酵母はアルコール耐性を持つので、酵母の自己消化による香気成分の変化が少ない。これらのことから、本酵母を用いれば香気成分の豊かな製成酒を製造することができる。
【0014】
さらに、本発明の酵母は、発酵速度にも優れており、変異処理や薬剤耐性処理を行ったにもかかわらず、親株と同等の発酵速度を有している。例えば、総米500gの清酒製造試験を行えば、醪日数27日目に親株と同等のアルコール度数で搾ることが可能である。
【0015】
本発明の酵母は、2倍体から直接分離した2倍体の酵母である。この2倍体の酵母は、1倍体や1倍体を接合した2倍体の酵母と違い、劣性遺伝の形質が発現する頻度が低いので、取得するのが難しい。しかし変異処理の強弱を工夫することにより、例えばUVの波長や照射時間、エチルメタンスルフォネート濃度を調整したりすることで、取得することができる。また、この酵母で製造した生成酒は、変異処理や薬剤耐性処理を行ったにもかかわらず、1倍体や接合された2倍体では実現できないような、親株とほぼ同等の発酵力を有し、清酒に必要なアルコール、酸、アミノ酸、香気成分等もほぼ親株と同等の生産量である。
本発明の酵母を用いて生産する加工食品は特に制限されないが、例えば、醸造酒、蒸留酒、それらを混合した酒、味噌、醤油、パンが挙げられる。醸造酒、蒸留酒、それらを混合した酒には、果実や穀物を原料としたものが含まれる。さらに、これらの酒類には、日本酒、ビール、発泡酒、ワイン、老酒、リンゴ酒等が含まれる。
【0016】
本発明の酵母は以下のようにして取得することができる。
カプロン酸エチルを多く生成する株を親株とし、突然変異を起こさせる。親株は、系列が異なるものを複数選ぶのが好ましい。突然変異させる方法は、特に制限されるわけではないが、例えば、エチルメタンスルフォネート処理したり、UV処理することが挙げられる。特許文献4の方法に従って、突然変異させた酵母から、カプロン酸エチル高生成株を選抜・分離する。すなわち、得られた突然変異株を、親株が生育できない濃度のカプロン酸2−フルオロエチルを含む培地で培養し、生育できたものを分離する。
【0017】
分離した酵母についてそれぞれ、発酵試験を行う。例えば、この酵母を麹エキス培地で常法により培養する。得られた上清のカプロン酸濃度、一般成分(日本酒度、アルコール、酸度、アミノ酸度)、及び香気成分を分析し、これらを総合的に判断して、酵母を選抜する。
【0018】
選抜した酵母にエタノール溶液を加えて培養し、得られた株をアルコール耐性株とする。このアルコール耐性株の発酵試験を行い、二酸化炭素の減少量から仮定した発酵速度、カプロン酸濃度、一般成分(日本酒度、アルコール、酸度、アミノ酸度)及び香気成分の分析結果から総合的に判断して酵母をさらに選抜する。
【0019】
この選抜された酵母について実際に小スケールの仕込試験を行う。仕込試験は、常法により行う。仕込試験により得られた生成酒のカプロン酸濃度、一般成分(日本酒度、アルコール、酸度、アミノ酸度)及び香気成分を分析し、さらにはきき酒による官能評価を行い、最終的に酵母を選抜する。
【0020】
この酵母で発酵することで、香気成分豊かで不快臭の少ない加工食品を生産することができる。
【実施例】
【0021】
以下に、本発明を実施例で説明する。
【0022】
実施例1
[カプロン酸エチルを多く生成し且つカプロン酸生成が少ないアルコール耐性酵母の選抜]
(1)カプロン酸2−フルオロエチル耐性株の分離
出願人がこれまでに育種分離したカプロン酸エチル高生成株を親株として用いた。各2mlの麹エキス培地(ボーメ6.5)で一晩培養後の親株(3系列作成)を集菌、洗浄した。これらの親株をそれぞれ1.エチルメタンスルフォネート処理、2.UV処理、3.変異処理なし、の操作に供した。次いで、親株が生育できない濃度(1000ppm)のカプロン酸2−フルオロエチルを含むYNB培地(0.67重量%イーストナイトロジェンベース、2重量%寒天、5重量%エタノール)に塗抹した後、30℃で5日間培養し、生育したコロニー(250株以上)を分離して、カプロン酸2−フルオロエチル耐性株とした。
【0023】
(2)カプロン酸生成に着目した発酵試験
上記のカプロン酸2−フルオロエチル耐性株を用いて発酵試験を行った。発酵試験は以下のように実施した。すなわち、前述の酵母を麹エキス培地に植菌した後、30℃で3日間静置培養した。次に8gのアルコール脱水麹と20mlの麹エキスを混合したものに上記の培養液をそれぞれ1mlずつ添加し、13℃で14日間静置した。発酵試験の終了後、遠心分離(0℃、5000rpm、10分間)を行い、得られた上清のカプロン酸濃度、一般成分(日本酒度、アルコール、酸度、アミノ酸度)および香気成分を分析した。親株と比較してカプロン酸エチル濃度を維持しつつカプロン酸濃度が低下しているものを中心に総合的に判断して酵母を選抜した。
【0024】
(3)アルコール耐性株の分離
上記の方法で選抜した酵母からエタノール耐性株を分離した。すなわち、前述の酵母を麹エキス培地に植菌した後、30℃で3日間静置培養した。培養後に遠心分離(0℃、5000rpm、10分間)して、得られた菌体にエタノール溶液(20重量%エタノール、1重量%グルコース、0.1M酢酸緩衝液、pH4.2)を加え、軽く懸濁した後に15℃で7日間培養した。次いで、培養液を滅菌水にて適宜希釈した後、YPD培地(1重量%イーストエキス、2重量%ポリペプトン、2重量%グルコース、2重量%寒天)に塗抹して、30℃で3日間静置培養した。この操作を2回繰り返して合計3回行い、得られた株をアルコール耐性株とした。
【0025】
(4)発酵速度に着目した発酵試験
上記の酵母を用いて発酵試験を行った。試験後、遠心分離(0℃、5000rpm、10分間)を行い、得られた上清のカプロン酸濃度、一般成分(日本酒度、アルコール、酸度、アミノ酸度)および香気成分を分析した。発酵による二酸化炭素の減少量を発酵速度と仮定して、試験開始から容器を含めた重量測定を毎日実施した。各種分析および発酵速度の結果から総合的に判断して18株を下記の総米500gの仕込試験に供した。
【0026】
実施例2
[カプロン酸エチルを多く生成し且つカプロン酸生成が少ないアルコール耐性酵母を用いた仕込試験]
掛米および麹米に精米歩合40%の秋田酒こまち、麹菌は出願人が開発したN54Gを使用して、3段仕込みにて総米500gの仕込試験を行った。仕込配合を表1に示す。品温は、添仕込13℃、仲仕込9℃、留仕込6℃として、最高温度(10℃)に達するまで1日あたり0.7〜0.8℃ずつ上昇させた。もろみの管理は主としてBMD値(留め後日数×ボーメ度)にて行い、定期的にサンプリングを実施した。最終的に遠心分離(0℃、3000rpm、50分間)により上槽した。得られた製成酒の一般、香気成分および遊離カプロン酸濃度を分析し、きき酒による官能評価を行った(それぞれの結果を表2〜4に示す)。なお、官能評価は4人の醸造試験場職員が5点法により実施した(親株を3.0とした相対評価、点数が低いほど評価が高い)。
【0027】
【表1】
【0028】
【表2】
【0029】
【表3】
【0030】
【表4】
【0031】
以上の方法を用いて得られた結果から、総合的に判断して、酵母を最終的に選抜し、親株と同等のカプロン酸エチルを生成し、尚且つカプロン酸の生成量が少ないアルコール耐性株B2−1−2株を取得した。B2−1−2株は親株と比較してカプロン酸エチルの生成量が同等であったが、カプロン酸生成量が約53%減少していた(表3、
図1)。
【0032】
なお、このB2−1−2株は、「UT−1」として、独立行政法人製品評価技術基盤機構 特許微生物寄託センターに寄託されている。
UT−1:受託番号NITE P―02139
【産業上の利用可能性】
【0033】
本発明の酵母は、主要な吟醸香の一つであるカプロン酸エチルは多く生成するが、不快臭とされているカプロン酸生成が少ない。さらに、醸造酒の香味成分の変化を出来る限り少なくできるアルコール耐性を有する。これらより、本発明の酵母は加工食品、特に清酒の製造に有用である。