(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
前記ばね用鋼線を軸方向と直交する方向に切断した横断面において、前記ばね用鋼線の表面から中心に向かって直径の1.0%の深さまでの表層領域におけるフェライト相の面積率が30%以下である請求項1に記載のばね用鋼線。
【発明を実施するための形態】
【0011】
本発明者らは、ばね用鋼線のパテンティング処理及び焼入れ・焼戻し処理などの熱処理による脱炭の発生の原因について鋭意研究した結果、以下の知見を得た。
【0012】
ばね用鋼線の製造工程では、鋼線を伸線する際に潤滑剤が使用されており、この潤滑剤の成分であるCa又はNaの金属塩(水酸化金属塩やステアリン酸金属塩)が鋼線の表面に付着していることによって、脱炭の発生の原因になっていると考えられる。
【0013】
パテンティング処理及び焼入れ・焼戻し処理などの熱処理による脱炭の発生は次のように考えられる。鋼線を熱処理する際に、鋼線の表面にCa(C
17H
35COO)
2といったステアリン酸金属塩が付着していると、熱処理した際にステアリン酸金属塩が熱分解され、二酸化炭素(CO
2)が発生する。
例えば、Ca(C
17H
35COO)
2の場合
440℃付近:Ca(C
17H
35COO)
2→CaCO
3+CO
2+H
2O
680℃付近:CaCO
3→CaO+CO
2
そのため、炉内の二酸化炭素濃度が上昇することで、鋼線中の炭素と二酸化炭素との反応が起こり(Fe
3C+CO
2→3Fe+2CO)、鋼線表面で脱炭が発生・進行するものと考えられる。鋼線の表面が脱炭されると、表層領域のフェライト相が増加し、強度が低下するなど品質低下を招く。
【0014】
更に、鋼線の表面に潤滑剤が残留していると、ばね加工時にコイリングマシンの送りローラに潤滑剤が付着して送りローラを詰まらせたり、コイルの自由長を測定する検長器といったセンサ類の誤作動を引き起こすなど、作業性及びばね加工性を悪化させることがある。
【0015】
したがって、潤滑剤の成分に由来する鋼線表面のCa又はNaの付着量を低減することで、脱炭の発生を抑制でき、脱炭の発生による品質低下を防止できる他、ばね加工時の作業性及びばね加工性を向上できる。本発明は、以上の知見に基づいてなされたものである。最初に本発明の実施態様を列記して説明する。
【0016】
[本発明の実施形態の説明]
(1)本発明の一態様に係るばね用鋼線は、Ca又はNaの付着量が0.2g/m
2以下である。
【0017】
上記ばね用鋼線は、鋼線を伸線する際に使用する潤滑剤の成分であるCa又はNaの付着量が0.2g/m
2以下であることで、Ca又はNaの付着量が少なく、脱炭の発生を抑制できる。
【0018】
また、ばね用鋼線表面におけるCa又はNaの付着量が0.2g/m
2以下であることで、ばね加工時において、コイリングマシンの送りローラの詰まりや検長器の誤作動を抑制できるなど、ばね加工時の作業性及びばね加工性(コイリング性)を向上できる。
【0019】
ここで、ばね用鋼線の表面には、酸化膜を有していてもよいし、酸化膜を実質的に有していなくてもよい。一般に、オイルテンパー線の場合、主に焼入れ・焼戻し処理によって鋼線の表面に酸化膜が形成され、線表面に酸化膜を有しており、鋼線本体とその表面に酸化膜とを有する。一方、焼入れ・焼戻し処理を行わない硬引線(ピアノ線、硬鋼線)では、酸化膜を有しない、即ち鋼線本体のみで構成さている場合があり得る。
【0020】
コイリングマシンを使用してばね加工する際にばね加工用ツールとばね用鋼線との間の摩擦抵抗が大きいと、焼付を起こすことがあり、コイリング速度が不均一になるなど、加工後のばねの形状(自由長やコイル径)にばらつきが生じることがある。ばね用鋼線の表面に酸化膜を有する場合、ばね加工用ツールとばね用鋼線との間の潤滑性を確保し易く、摩擦抵抗を小さくできる。そのため、ばね加工性(コイリング性)を改善でき、ばね形状のばらつきの抑制に効果がある。
【0021】
(2)上記ばね用鋼線の一形態として、表面粗さRzが10μm以下であることが挙げられる。
【0022】
ばね用鋼線の表面粗さRzが10μm以下であることで、鋼線表面の凹凸が小さいことから、表面に付着した潤滑剤が除去され易く、Ca又はNaの付着量を低減し易い。また、表面粗さRzが10μm以下であれば、ばね加工する際にばね加工用ツールとばね用鋼線との間の摩擦抵抗を小さくでき、コイリング性をより改善できる。ばね用鋼線の表面粗さRzは、ばね用鋼線の表面に酸化膜を有する場合、酸化膜の表面粗さRzと同義であり、酸化膜を有しない場合は鋼線本体の表面粗さRzである。ここでいう「表面粗さRz」とは、JIS B 0601:2001に規定されている最大高さ(Rz)のことである。
【0023】
(3)上記ばね用鋼線の一形態として、前記ばね用鋼線を軸方向と直交する方向に切断した横断面において、前記ばね用鋼線の表面から中心に向かって直径の1.0%の深さまでの表層領域におけるフェライト相の面積率が30%以下であることが挙げられる。
【0024】
ばね用鋼線の表層領域におけるフェライト相の面積率が30%以下であることで、脱炭の発生が抑制されている。そのため、表面硬度の低下が少なく、ばね用鋼線をばねとして使用した際に、強度特性を維持しつつ耐疲労性や耐へたり性などのばね特性の低下を効果的に抑制できる。つまり、強度特性を向上させ、ばね特性の向上を図ることができる。よって、上記ばね用鋼線によれば、高強度で耐疲労性や耐へたり性に優れるばねが得られる。ばね用鋼線の表面に酸化膜を有する場合、ばね用鋼線の表層領域には酸化膜を含まない。つまり、この場合には、ばね用鋼線の表層領域は、酸化膜を除いた鋼線本体の表面から中心に向かって直径の1.0%の深さまでの領域を指す。
【0025】
(4)上記(3)に記載のばね用鋼線の一形態として、前記表層領域におけるCの含有率をC
A、前記表層領域の内側の中心領域におけるCの含有率をC
Bとするとき、C
B−C
Aが0.01質量%以下を満たすことが挙げられる。
【0026】
ばね用鋼線の表層領域におけるC(炭素)の含有率(C
A)と中心領域におけるCの含有率(C
B)との差(C
B−C
A)が0.01質量%以下を満たすことで、脱炭の発生が十分に抑制されている。したがって、表面硬度の低下がより抑制され、強度特性をより向上させることができ、ばね特性を一層向上させることができる。
【0027】
(5)上記ばね用鋼線の一形態として、前記ばね用鋼線を軸方向と直交する方向に切断した横断面において、前記ばね用鋼線の表面から中心に向かって直径の1.0%の深さ位置での表面硬度をH
A、直径の25%の深さ位置での内部硬度をH
Bとするとき、H
B−H
Aがビッカース硬さで30以下を満たすことが挙げられる。
【0028】
ばね用鋼線の表面から直径の1.0%の深さ位置での表面硬度(H
A)と直径の25%の深さ位置での内部硬度(H
B)との差(H
B−H
A)がビッカース硬さで30以下を満たすことで、表面硬度の低下が少ない。つまり、脱炭の発生が抑制されている。よって、上記ばね用鋼線によれば、強度特性を向上させ、ばね特性の向上を図ることができ、高強度で耐疲労性や耐へたり性に優れるばねが得られる。ばね用鋼線の表面に酸化膜を有する場合、ばね用鋼線の表面硬度及び内部硬度は、ばね用鋼線において、酸化膜を除いた部分、即ち、鋼線本体における表面硬度及び内部硬度である。
【0029】
(6)上記ばね用鋼線の一形態として、前記ばね用鋼線の表面に酸化膜を有し、前記酸化膜の厚さが1.0μm以上20μm以下であることが挙げられる。
【0030】
酸化膜の厚さが1.0μm以上であることで、潤滑性向上効果が得られ、ばね加工する際に安定した潤滑性を確保できるので、コイリング性を高められる。一方で、酸化膜が厚くなるほど、酸化膜の厚さが不均一になったり、表面の凹凸が大きくなるなど、表面粗さRzが大きくなる傾向がある。そのため、酸化膜の凹部に侵入した潤滑剤が除去され難く、Ca又はNaの付着量を低減することが難しい。また、酸化膜が厚過ぎると、ばね用鋼線をばね加工した際に酸化膜にクラックが生じて酸化膜が剥離し易くなったり、ばね加工後に窒化処理する際に酸化膜によって鋼線の窒化が妨げられる。酸化膜の厚さが20μm以下であることで、表面粗さRzが小さくなり、表面に付着した潤滑剤が除去され易く、Ca又はNaの付着量を低減し易い。更に、酸化膜の厚さが20μm以下であれば、酸化膜の剥離を抑制したり、鋼線を十分に窒化できる。表面に酸化膜を有するばね用鋼線としては、代表的には、オイルテンパー線が挙げられる。
【0031】
[本発明の実施形態の詳細]
本発明の実施形態に係るばね用鋼線の具体例を、以下に説明する。なお、本発明は、これらの例示に限定されるものではなく、特許請求の範囲によって示され、特許請求の範囲と均等の意味および範囲内でのすべての変更が含まれることが意図される。
【0032】
<ばね用鋼線>
図1を参照して、実施形態に係るばね用鋼線の構成について説明する。
図1は、ばね用鋼線を軸方向と直交する方向に切断した横断面図である。
図1に例示するばね用鋼線は、オイルテンパー線であり、鋼線本体10と、鋼線本体10の表面に酸化膜12とを有する。実施形態に係るばね用鋼線の特徴の1つは、Ca又はNaの付着量が0.2g/m
2以下である点にある。以下、ばね用鋼線の構成を詳しく説明する。
【0033】
ばね用鋼線は、素材となる鋼材を伸線して鋼線を作製する伸線工程と、伸線した鋼線を熱処理する熱処理工程と、伸線後、熱処理前に鋼線を洗浄する洗浄工程とを含む工程により製造される。細径の精密ばね用鋼線の場合は、所定の線径まで伸線加工を繰り返すことがあり、この場合、伸線加工による加工硬化を除去して鋼線を軟化させるために、必要に応じて伸線途中にパテンティング処理や焼鈍処理といった中間熱処理を行うことがある。つまり、伸線と中間熱処理とを繰り返すと共に、伸線と中間熱処理との間に洗浄工程を実施する。オイルテンパー線の場合、所定の線径まで伸線した後、鋼線を洗浄し、洗浄後、鋼線を焼入れ・焼戻し処理する工程を備える。伸線条件や、パテンティング、焼入れ・焼戻しなどの熱処理条件は、公知の条件を採用できる。伸線工程では、潤滑剤を塗布して伸線を行い、潤滑剤として、Ca(OH)
2又はNaOHや、Ca(C
17H
35COO)
2などのCa又はNaの金属塩を含有する金属石鹸を使用する。洗浄工程では、鋼線を洗浄して、鋼線の表面に付着した潤滑剤を除去する。
【0034】
ばね用鋼線は、代表的には、オイルテンパー線、ピアノ線や硬鋼線といった硬引線である。ばね用鋼線の化学成分は、公知の化学成分とすることができ、鋼種としては、例えば、炭素鋼、シリコンクロム鋼、クロムバナジウム鋼、シリコンマンガン鋼などが挙げられる。オイルテンパー線の種類としては、例えば、JIS G 3560(1994)及びJIS G 3561(1994)に規定されるSWO−V、SWOSC−V、SWOCV−V、SWOSMなどが挙げられる。ピアノ線の種類としては、例えば、JIS G 3502(2013)に規定されるSWRS72A、SWRS82Aなどが挙げられ、硬鋼線の種類としては、例えば、JIS G 3506(2004)に規定されるSWRH72A、SWRH82Aなどが挙げられる。
【0035】
図1に示すばね用鋼線(オイルテンパー線)において、鋼線本体10は、鋼成分で実質的に構成される部分であり、酸化膜12は、鋼線本体10の表面に形成され、鋼成分のFe(鉄)が酸化したFe酸化物を主成分とする。
【0036】
(酸化膜)
ばね用鋼線(鋼線本体10)の表面に酸化膜12を有することで、ばね用鋼線表面の潤滑性を向上させることができ、コイリング性を改善できる。酸化膜12は、伸線前や伸線途中のパテンティング処理や焼鈍処理、伸線後の焼入れ・焼戻し処理などの熱処理をする際に、雰囲気中の酸素と反応して鋼線の表面が酸化されることで形成され、主に焼入れ・焼戻し処理時に形成される。
【0037】
〈厚さ〉
酸化膜12の厚さは、例えば1.0μm以上20μm以下であることが挙げられる。酸化膜12の厚さが1.0μm以上であることで、潤滑性向上効果が得られ、ばね用鋼線をばね加工する際に安定した潤滑性を確保でき、コイリング性を高められる。酸化膜の厚さが20μm以下であることで、表面粗さRzが小さくなり、表面に付着した潤滑剤が除去され易く、Ca又はNaの付着量を低減し易い。更に、酸化膜の厚さが20μm以下であれば、ばね加工時の酸化膜の剥離を抑制したり、ばね加工後の窒化処理において鋼線を十分に窒化できる。酸化膜12の厚さは、例えば2.0μm以上10μm以下が好ましい。
【0038】
酸化膜12の厚さは、上記した熱処理の条件によって調整することが可能である。例えば、熱処理する際の雰囲気中の酸素濃度や加熱温度、加熱時間によって酸化膜12の厚さを調整することが可能であり、酸素濃度を高くしたり、加熱温度を高くしたり、加熱時間を長くすると、酸化膜12が厚くなる傾向がある。熱処理する際の雰囲気は、大気などの酸化雰囲気とすることが挙げられる。パテンティング処理の加熱温度は例えば800℃以上1100℃以下、加熱時間は20秒以上180秒以下とすることが挙げられる。焼入れ処理の加熱温度は例えば900℃以上1050℃以下、加熱時間は10秒以上180秒以下とすることが挙げられ、焼戻し処理の加熱温度は例えば400℃以上600℃以下、加熱時間は30秒以上200秒以下とすることが挙げられる。
【0039】
酸化膜12の厚さは、ばね用鋼線を軸方向と直交する方向に切断した横断面を光学顕微鏡で観察し、断面観察像から実測して測定する。ここでは、ばね用鋼線の周方向の複数箇所で酸化膜12の厚さを測定し、その平均値とする。測定箇所は、少なくとも8箇所以上とする。
【0040】
(表面粗さ)
ばね用鋼線の表面粗さRzは、例えば10μm以下であることが挙げられる。ばね用鋼線の表面粗さRzが10μm以下であることで、表面の凹凸が小さくなることから、表面に付着した潤滑剤が除去され易く、Ca又はNaの付着量を低減し易い。また、表面粗さRzが10μm以下であれば、ばね加工する際にばね加工用ツールとばね用鋼線との間の摩擦抵抗を小さくでき、コイリング性をより改善できる。ばね用鋼線の表面粗さRzは、例えば8.0μm以下が好ましい。ばね用鋼線の表面粗さRzの下限は、特に限定されないが、製造上の観点から、例えば4.0μm以上であることが挙げられる。
【0041】
図1に示すばね用鋼線(オイルテンパー線)のように酸化膜12を有する場合、ばね用鋼線の表面粗さRzは酸化膜12の表面粗さRzであり、酸化膜12の表面粗さRzは、鋼線本体10の表面粗さに依存する。伸線工程において、鋼線をダイスで繰り返し伸線することにより、鋼線本体10の表面粗さRzを小さくでき、酸化膜12の表面粗さRzを10μm以下、更には8.0μm以下とすることが可能である。伸線後、鋼線の表面を研磨することで、表面粗さRzをより小さくすることも可能である。伸線後の鋼線(鋼線本体10)の表面粗さRzが10μm以下であれば、伸線後に表面を研磨する必要がなく、生産性が高い。
【0042】
ばね用鋼線の表面粗さRzは、表面粗さ測定機により鋼線の軸方向の同一位置における周方向の複数箇所で測定し、その平均値とする。測定箇所は、少なくとも8箇所以上とする。
【0043】
(Ca又はNaの付着量)
ばね用鋼線表面におけるCa又はNaの付着量が0.2g/m
2以下である。ばね用鋼線表面に付着するCa又はNaは、鋼線を伸線する際に使用した潤滑剤の成分に由来するものであり、Ca又はNaの付着量が0.2g/m
2以下であることで、Ca又はNaの付着量が少なく、脱炭の発生を抑制できる。Ca又はNaの付着量は、例えば0.1g/m
2以下が好ましく、0.05g/m
2以下がより好ましい。
【0044】
(洗浄方法)
Ca又はNaの付着量は、洗浄工程において、鋼線の表面に付着した潤滑剤を除去することで低減できる。洗浄工程では、灯油系の洗浄油を使用して洗浄することが挙げられ、これにより、Ca又はNaの付着量を0.2g/m
2以下に低減することが可能である。鋼線を水洗したり、アルカリ溶液や酸溶液を用いてアルカリ脱脂や酸脱脂することにより、鋼線表面の潤滑剤を除去することも考えられる。しかしながら、水洗や脱脂では、洗浄能力が低く、表面の凹部に侵入した潤滑剤まで除去することが困難であり、鋼線表面の潤滑剤を十分に除去することができない。また、酸脱脂では、鋼線の表面に生成された酸化膜が溶解して浸食される。これに対し、灯油系の洗浄油を用いて鋼線を洗浄した場合、表面の凹部に侵入した潤滑剤を除去することができ、鋼線表面の酸化膜が浸食されることもない。
【0045】
洗浄方法としては、例えば、鋼線を洗浄油に浸漬することが挙げられる。更に、鋼線の表面に洗浄油を高圧で噴射したり、鋼線を洗浄油に浸漬しながら超音波を照射することで、鋼線表面の潤滑剤を効果的に除去することができ、表面の凹部に侵入した潤滑剤を十分に除去することができる。Ca又はNaの付着量を0.2g/m
2以下に低減するためには、洗浄油を高圧で噴射する高圧洗浄及び洗浄油に浸漬しながら超音波を照射する超音波洗浄の少なくとも一方を行うことが好ましい。
【0046】
Ca又はNaの付着量は、誘導結合プラズマ質量分析装置(ICP−MS)によりばね用鋼線表面を分析し、表面のCa又はNaを定量分析することで測定することができる。ここでは、ばね用鋼線表面の20箇所以上でCa又はNaの付着量を測定し、その平均値とする。
【0047】
(表層領域におけるフェライト相の面積率)
ばね用鋼線の横断面において、ばね用鋼線(但し、酸化膜を除く)の表面から中心に向かって直径の1.0%の深さまでの表層領域におけるフェライト相の面積率が30%以下であることが挙げられる。ここで「表層領域」とは、
図2に示すように、ばね用鋼線において、酸化膜12を除いた鋼線本体10の直径をDとする場合、鋼線本体10の表面から0.010Dの深さまでの領域(クロスハッチングで示す領域)である。
図2では、分かり易くするため、表層領域よりも内側に位置する残りの領域のハッチングを省略している。ばね用鋼線(鋼線本体10)の表層領域におけるフェライト相の面積率が30%以下であることで、脱炭の発生が抑制されており、表面硬度の低下が少ない。よって、ばね用鋼線をばねとして使用した際に、強度特性を向上させ、ばね特性の向上を図ることができる。ばね用鋼線の表層領域におけるフェライト相の面積率は、例えば20%以下が好ましく、10%以下がより好ましく、5%以下が更に好ましい。特に、表層領域において、フェライト相が実質的に存在せず、フェライト相の面積率が0であることが好ましい。
【0048】
フェライト相の面積率は、ばね用鋼線の横断面をエッチングした後、鋼線本体の表層領域を光学顕微鏡で観察し、断面観察像からフェライト相を抽出してその面積率を算出することで求めることができる。ここでは、表層領域の8箇所以上でフェライト相の面積率を求め、その平均値とする。
【0049】
(表層領域と中心領域のC含有率の差)
表層領域におけるCの含有率をC
A、表層領域の内側の中心領域におけるCの含有率をC
Bとするとき、C
B−C
Aが0.01質量%以下を満たすことが挙げられる。ここで「中心領域」とは、
図2において、表層領域の内側に位置する残りの領域(ハッチングのない領域)である。ばね用鋼線(鋼線本体10)の表層領域におけるCの含有率(C
A)と中心領域におけるCの含有率(C
B)との差(C
B−C
A)が0.01質量%以下を満たすことで、脱炭の発生が十分に抑制されている。よって、表面硬度の低下がより抑制され、強度特性をより向上させることができ、ばね特性を一層向上させることができる。ばね用鋼線の表層領域と中心領域のC含有率の差(C
B−C
A)は、0.01質量%未満であることが好ましい。
【0050】
表層領域及び中心領域におけるそれぞれのCの含有率は、電子プローブマイクロアナライザー(EPMA)によりばね用鋼線の横断面を分析し、鋼線本体の各領域における炭素を定量分析することで測定することができる。ここでは、各領域において8箇所以上でCの含有率を測定し、その平均値とする。
【0051】
(表面硬度と内部硬度の差)
ばね用鋼線の横断面において、ばね用鋼線(但し、酸化膜を除く)の表面から中心に向かって直径の1.0%の深さ位置での表面硬度をH
A、直径の25%の深さ位置での内部硬度をH
Bとするとき、H
B−H
Aがビッカース硬さで30以下を満たすことが挙げられる。ここで「表面硬度」とは、
図3に示すように、ばね用鋼線において、酸化膜12を除いた鋼線本体10の直径をDとする場合、鋼線本体10の表面から0.010Dの深さ位置(点線で示す位置)でのビッカース硬さである。「内部硬度」とは、鋼線本体10の表面から0.25Dの深さ位置(破線で示す位置)でのビッカース硬さである。
図3では、分かり易くするため、断面を示すハッチングを省略している。ばね用鋼線(鋼線本体10)の表面硬度(H
A)と内部硬度(H
B)との差(H
B−H
A)がビッカース硬さで30以下を満たすことで、表面硬度の低下が少ない。よって、ばね用鋼線をばねとして使用した際に、強度特性を向上させ、ばね特性の向上を図ることができる。ばね用鋼線の表面硬度(H
A)と内部硬度(H
B)との差(H
B−H
A)は、例えば20以下が好ましく、10以下がより好ましい。
【0052】
ばね用鋼線の表面硬度及び内部硬度は、ばね用鋼線(鋼線本体)の横断面におけるそれぞれの深さ位置でのビッカース硬さを測定することで求めることができる。ここでは、各深さ位置において8箇所以上でビッカース硬さを測定し、その平均値とする。
【0053】
(潤滑皮膜)
ばね用鋼線の表面には、
図4に示すように、潤滑性樹脂を主成分として含有する潤滑皮膜20を有していてもよい。潤滑性樹脂は、主としてばね用鋼線表面に潤滑性を付与する樹脂であり、潤滑性樹脂としては、ポリアセタール樹脂、ポリイミド樹脂、メラミン樹脂、アクリル樹脂及びフッ素樹脂から選択される少なくとも1種の樹脂が挙げられる。ばね用鋼線の表面に潤滑皮膜20を有することで、ばね用鋼線表面の潤滑性を向上させることができ、コイリング性を改善できる。ここでいう「主成分」とは、潤滑皮膜20中に含まれる成分のうち、質量割合で最も多く含まれる成分のことである。フッ素樹脂としては、PCTFE(ポリクロロトリフルオロエチレン)、PTFE(ポリテトラフルオロエチレン)が挙げられる。潤滑皮膜20には、必要に応じて防腐剤などを含有してもよく、防腐剤としては、例えばホウ酸などが挙げられる。
【0054】
(潤滑皮膜の形成方法)
潤滑皮膜20は、最終工程後(例えば、焼入れ・焼戻し処理した後)、潤滑性樹脂を含有する皮膜材料をばね用鋼線の表面に塗布することで形成される。例えば、潤滑性樹脂を水に混合して分散させた塗布液を皮膜材料に用い、ばね用鋼線の表面に塗布液を塗布した後、乾燥させることで潤滑皮膜20を形成できる。塗布方法としては、ばね用鋼線を塗布液に浸漬する浸漬法や、ばね用鋼線の表面に塗布液をスプレーするスプレー法などを利用できる。
【0055】
(潤滑油)
ばね用鋼線の表面には、更に潤滑油(図示せず)が塗布されていてもよい。ばね用鋼線の表面に潤滑油が塗布されていることで、コイリング性を改善できる他、潤滑油による鋼線の防錆効果も期待できる。
図4に示すように、ばね用鋼線の表面に潤滑皮膜20を有する場合は、潤滑皮膜20の表面に潤滑油が塗布されていてもよい。潤滑油は、最終工程後(例えば、焼入れ・焼戻し処理した後)に塗布する。潤滑油としては、例えばギヤ油、鉱物油、植物油などを用いることができる。
【0056】
[試験例1]
シリコンクロム鋼(SWOSC−V)の鋼材を伸線して、線径3.0mmの鋼線を作製し、鋼線を洗浄した後、焼入れ・焼戻し処理を行って、試料No.1−1のオイルテンパー線を製造した。伸線は、Ca(OH)
2及びCa(C
17H
35COO)
2を含有する金属石鹸を潤滑剤として使用し、洗浄は、灯油系の洗浄油に鋼線を浸漬しながら超音波洗浄を行った。焼入れ処理は、大気中、1020℃×100秒間加熱し、焼戻し処理は、大気中、500℃×150秒間加熱した。
【0057】
試料No.1−1のオイルテンパー線について、酸化膜の厚さ及び表面粗さRzを測定した。酸化膜の厚さは、オイルテンパー線の横断面を光学顕微鏡で観察して実測した。ここでは、オイルテンパー線を周方向に8等分した8箇所で酸化膜の厚さを測定し、その平均値を求めた。オイルテンパー線の表面粗さRzは、表面粗さ測定機(株式会社ミツトヨ製サーフテストSV−2100)によりオイルテンパー線の軸方向に沿って基準長さを取り、JIS B 0601に準拠して測定した。ここでは、オイルテンパー線を周方向に8等分した位置の8箇所について測定し、平均値を求めた。その結果、酸化膜の厚さが5μm、オイルテンパー線(酸化膜)の表面粗さRzが8μmであった。
【0058】
また、比較として、伸線後、鋼線を水洗して鋼線を洗浄した以外は、試料No.1−1のオイルテンパー線と同様にして、試料No.1−2のオイルテンパー線を製造した。試料No.1−2のオイルテンパー線についても、試料No.1−1と同様にして酸化膜の厚さ及び表面粗さRzを測定したところ、酸化膜の厚さ及び表面粗さRzがいずれも試料No.1−1と同等であった。
【0059】
製造した試料No.1−1及びNo.1−2のオイルテンパー線について、次の評価を行った。
【0060】
(洗浄後の鋼線の表面状態)
洗浄後、焼入れ・焼戻し処理する前の鋼線の表面状態を走査型電子顕微鏡(SEM)で観察し、表面に付着する潤滑剤の有無を調べた。試料No.1−1及びNo.1−2のオイルテンパー線における洗浄後の鋼線表面のSEMによる観察結果を
図5及び
図6に示す。その結果、試料No.1−1のオイルテンパー線では、
図5に示すように、潤滑剤が確認できず、潤滑剤が除去されていた。一方、試料No.1−2のオイルテンパー線では、
図6に示すように、表面の凹部に潤滑剤(図中、粒状の白い部分)が確認され、潤滑剤が残存していた。
【0061】
(Ca又はNaの付着量)
オイルテンパー線表面におけるCa又はNaの付着量を評価した。具体的には、伸線に使用した潤滑剤に含まれるCaの付着量を評価した。Caの付着量は、ICP−MSによりオイルテンパー線表面を分析し、表面のCaを定量分析することで測定した。ここでは、オイルテンパー線表面の20箇所でCaの付着量を測定し、その平均値を求めた。その結果を表1に示す。
【0062】
また、オイルテンパー線表面をエネルギー分散型蛍光X線分析装置(EDX)によるスポット分析を行って、表面のCaの濃度分布を調べた。試料No.1−1及びNo.1−2のオイルテンパー線表面におけるEDXによるCaの濃度分析結果を
図7及び
図8に示す。その結果、試料No.1−1のオイルテンパー線では、
図7に示すように、Caが実質的に検出されなかった。これに対し、試料No.1−2のオイルテンパー線では、
図8において白っぽく斑に見える箇所がCaの検出された部位で、それ以外の濃い灰色の箇所がCaの検出されなかった部位であり、Caが多く検出されていることがわかる。
【0063】
(表層領域におけるフェライト相の面積率)
オイルテンパー線の表層領域におけるフェライト相の面積率を評価した。フェライト相の面積率は、オイルテンパー線の横断面をエッチングした後、酸化膜を除く鋼線本体の表層領域を光学顕微鏡で観察し、断面観察像からフェライト相を抽出してその面積率を算出した。ここでは、表層領域を周方向に8等分する位置の8箇所でフェライト相の面積率を算出し、その平均値を求めた。その結果を表1に示す。
【0064】
(表層領域と中心領域のC含有率の差)
オイルテンパー線の表層領域におけるCの含有率(C
A)と中心領域におけるCの含有率(C
B)との差(C
B−C
A)を評価した。表層領域及び中心領域におけるそれぞれのCの含有率C
A及びC
Bは、EPMAによりオイルテンパー線の横断面を分析し、酸化膜を除く鋼線本体の各領域における炭素を定量分析することで測定した。ここでは、各領域において、その周方向に8等分する位置の8箇所でCの含有率を測定し、その平均値を求めた。その結果を表1に示す。表中、「C
B−C
A(%)」における「<0.01」は、ばね用鋼線の表層領域と中心領域のC含有率の差(C
B−C
A)が検出限界以下の差であり、0.01未満であることを示す。
【0065】
(表面硬度と内部硬度の差)
オイルテンパー線の横断面における表面硬度(H
A)と内部硬度(H
B)との差(H
B−H
A)を評価した。オイルテンパー線の表面硬度H
A及び内部硬度H
Bは、ビッカース硬度計を用いて、オイルテンパー線(酸化膜を除く鋼線本体)の横断面におけるそれぞれの深さ位置でのビッカース硬さ(HV)を測定した。ここでは、各深さ位置において、その周方向に8等分する位置の8箇所でビッカース硬さを測定し、その平均値求めた。その結果を表1に示す。
【0067】
表1に示す結果から、Caの付着量が0.2g/m
2以下である試料No.1−1は、表層領域におけるフェライト相の面積率が30%以下で、かつ、表層領域と中心領域のC含有率の差(C
B−C
A)が0.01質量%以下を満たしており、焼入れ・焼戻し処理による脱炭の発生が効果的に抑制されていることが分かる。また、脱炭の発生が抑制されていることで、表面硬度の低下が少なく、表面硬度と内部硬度の差(H
B−H
A)がビッカース硬さで30以下を満たしている。これに対し、Caの付着量が0.2g/m
2超の試料No.1−2は、試料No.1−1に比較して、表層領域におけるフェライト相の面積率が増加しており、表層領域と中心領域のC含有率の差(C
B−C
A)が0.01質量%超と大きいことから、脱炭が発生している。試料No.1−2では、脱炭の発生により、鋼線の表面硬度と内部硬度の差(H
B−H
A)も大きくなっている。
【0068】
[試験例2]
JIS G 3502に規定されるSWRS72Aのピアノ線材を、伸線とパテンティング処理を繰り返すと共に、伸線後、パテンティング処理する前に洗浄を行い、線径1.6mmのピアノ線を製造した。伸線は、Ca(OH)
2及びCa(C
17H
35COO)
2を含有する金属石鹸を潤滑剤として使用し、洗浄は、灯油系の洗浄油に鋼線を浸漬しながら超音波洗浄を行った。パテンティング処理は、不活性ガス雰囲気中で900℃に加熱した後、550℃の溶融鉛浴に10秒間浸漬して恒温変態させた。得られたピアノ線は、表面に酸化膜を有していなかった。また、ピアノ線の表面粗さRzを試験例1の試料No.1−1と同様にして測定したこところ、表面粗さRzが7.5μmであった。このピアノ線を試料No.2−1とする。
【0069】
洗浄方法を水洗に変更した以外は、試料No.2−1のピアノ線と同様にして、試料No.2−2のピアノ線を製造した。試料No.2−2のピアノ線も試料No.2−1と同様に酸化膜を有しておらず、表面粗さもRzも試料No.2−1と同等であった。
【0070】
製造した試料No.2−1及びNo.2−2のピアノ線について、試験例1と同様にして、Ca又はNaの付着量、表層領域におけるフェライト相の面積率、表層領域と中心領域のC含有率の差(C
B−C
A)、及び表面硬度(H
A)と内部硬度(H
B)との差(H
B−H
A)をそれぞれ評価した。その結果を表2に示す。
【0071】
更に、試料No.2−1及びNo.2−2のピアノ線について、コイリング性を評価した。コイリング性の評価は、自由長:30.0mm、ばね平均径:15.0mm、総巻数:6.5の精密ばねを10000個作製し、作製した精密ばねの自由長のばらつき(平均値及び標準偏差)を求めた。その結果を表2に併せて示す。
【0073】
表2に示す結果から、Caの付着量が0.2g/m
2以下である試料No.2−1は、表層領域におけるフェライト相の面積率が30%以下で、かつ、表層領域と中心領域のC含有率の差(C
B−C
A)が0.01質量%以下を満たしており、脱炭の発生が効果的に抑制されていることが分かる。また、脱炭の発生が抑制されていることで、表面硬度の低下が少なく、表面硬度と内部硬度の差(H
B−H
A)がビッカース硬さで30以下を満たしている。これに対し、Caの付着量が0.2g/m
2超の試料No.2−2は、試料No.2−1に比較して、表層領域におけるフェライト相の面積率が増加しており、表層領域と中心領域のC含有率の差(C
B−C
A)が0.01質量%超と大きいことから、脱炭が発生している。試料No.2−2では、脱炭の発生により、鋼線の表面硬度と内部硬度の差(H
B−H
A)も大きくなっている。
【0074】
更に、試料No.2−1は、ばねの自由長の平均値が30.0±0.1mmを満たすと共に標準偏差が0.10以下であり、試料No.2−2に比較して、ばねの自由長のばらつきが小さく、コイリング性に優れることが分かる。