【課題を解決するための手段】
【0013】
上記課題を解決するために成された本発明に係るクロマトグラムデータ処理方法は、測定対象である試料に対して収集された、時間軸、信号強度軸、及び第3のパラメータ軸を有する3次元クロマトグラムデータを処理するクロマトグラムデータ処理方法において、
a)処理対象である3次元クロマトグラムデータに基づいて作成されるクロマトグラム上で検出されるピークに対応する、第3のパラメータ値と信号強度値との関係を示すスペクトルを取得するピークスペクトル取得ステップと、
b)前記3次元クロマトグラムデータに基づく各測定時点におけるスペクトルをそれぞれベクトルで表現した多次元ベクトルを、前記ピークスペクトル取得ステップにおいて得られたスペクトルをベクトルで表現したベクトルに直交する方向に射影し、それにより得られた射影ベクトルの大きさを時系列信号として求め、該時系列信号に基づいてクロマトグラムにおけるベースラインを示すベースラインクロマトグラムの波形形状を推定するベースラインクロマトグラム波形推定ステップと、
を有することを特徴としている。
【0014】
また本発明に係るクロマトグラムデータ処理装置は、上記本発明に係るクロマトグラムデータ処理方法を実施する装置であって、測定対象である試料に対して収集された、時間軸、信号強度軸、及び第3のパラメータ軸を有する3次元クロマトグラムデータを処理するクロマトグラムデータ処理装置において、
a)処理対象である3次元クロマトグラムデータに基づいて作成されるクロマトグラム上で検出される各ピークに対応する、第3のパラメータ値と信号強度値との関係を示すスペクトルをそれぞれ取得するピークスペクトル取得部と、
b)前記3次元クロマトグラムデータに基づく各測定時点におけるスペクトルをそれぞれベクトルで表現した多次元ベクトルを、前記ピークスペクトル取得部により得られたスペクトルをベクトルで表現したベクトルに直交する方向に射影し、それにより得られた射影ベクトルの大きさを時系列信号として求め、該時系列信号に基づいてクロマトグラムにおけるベースラインを示すベースラインクロマトグラムの波形形状を推定するベースラインクロマトグラム波形推定部と、
を備えることを特徴としている。
【0015】
クロマトグラフのカラムにより時間方向に分離された各種化合物を含む試料に対し、PDA検出器などのマルチチャンネル型検出器により吸光スペクトルや蛍光スペクトルなどを繰り返し取得することで3次元クロマトグラムデータを収集する場合には、上記「第3のパラメータ軸」とは波長軸である。
【0016】
またクロマトグラフのカラムにより時間方向に分離された各種化合物を含む試料に対し、質量分析計によりマススペクトルを繰り返し取得することで3次元クロマトグラムデータを収集する場合には、上記「第3のパラメータ軸」とは質量電荷比m/z軸である。
【0017】
さらにまた、包括的2次元GC、包括的2次元LC等の包括的2次元クロマトグラフによって3次元クロマトグラムデータを収集する場合には、上記「第3のパラメータ軸」とは時間(保持時間)である。この場合、三つの軸のうち二つが時間軸であり、その一方の時間軸は時間刻みが大きく、他方の時間軸は細かい時間刻みを表す。
【0018】
また、ここでいう「3次元クロマトグラムデータ」は、クロマトグラフのカラムを経ることで成分分離された試料の代わりに、フローインジェクション分析(FIA=Flow Injection Analysis)法によって、成分分離されることなくPDA検出器などのマルチチャンネル型検出器や質量分析計に導入された試料に対して得られたデータであってもよい。
【0019】
本発明に係るクロマトグラムデータ処理方法及び装置においては、第3のパラメータ値と信号強度値との関係を示すスペクトル、例えば吸光スペクトルやマススペクトルを、ベクトルで表現した多次元ベクトルとして扱う。例えば吸光スペクトルであれば、離散的な各波長の吸光度の集合が吸光スペクトルであるから、吸光スペクトルを(a(λ1),a(λ2),a(λ3),……,a(λn))として表し、a(λm)を成分とする多次元ベクトルを定義することができる。ここで、a(λm)は波長m(λ=1〜n)での吸光度である。また、クロマトグラムも同様に多次元ベクトルとして扱うことができる。
【0020】
処理対象である上記3次元クロマトグラムデータは、時間軸と信号強度軸の二軸を含む平面上にプロットされる、化合物毎のクロマトグラムをベクトルで表現したものと、第3のパラメータ軸(例えば波長軸や質量電荷比軸)と信号強度軸の二軸を含む平面上にプロットされる、測定時点毎のスペクトルをベクトルで表現したものと、の直積を加算したものとしてモデル化することができる。いま、試料に含まれる化合物が二つであるとすると、該試料に対して得られる3次元クロマトグラムデータDは次式でモデル化できる。
D=C
1・S
1T+C
2・S
2T
ここで、C
1及びC
2はそれぞれ1番目及び2番目の化合物に対するクロマトグラム信号のベクトル表現、S
1、S
2はそれぞれ第1及び第2の測定時点における波長スペクトル信号のベクトル表現である。
【0021】
1番目の化合物の波長スペクトルS
1が既知であれば、この波長スペクトルS
1に直交するベクトルR
1を求めることができ、該ベクトルR
1を上記式で表される3次元クロマトグラムデータDに乗じると、上記式中の右辺の1番目の化合物に関する項は消え、2番目の化合物のクロマトグラム信号C
2に定数(波長スペクトルS
2のベクトルとベクトルR
1との内積)を乗じたα・C
2が得られる。このα・C
2は2番目の化合物のクロマトグラム信号C
2の波形形状を示すベクトルである。これは試料に含まれる化合物の数が3以上であっても同様である。即ち、試料に含まれる化合物が2以上である場合に、そのうちの一つの化合物の波長スペクトルが未知であって他の全ての化合物の波長スペクトルが既知でありさえすれば、一つの未知の化合物のクロマトグラム信号の波形形状を求めることが可能であるということができる。
【0022】
そして、このことは、ベースラインが一つの未知化合物のクロマトグラムであるとみなせば、クロマトグラム上に現れる全てのピーク(全ての化合物に対応するピーク)に対する波長スペクトルが既知であるときに、未知であるベースラインの波形形状が求まることを意味している。本発明に係るクロマトグラムデータ処理方法及び装置では、こうした原理の下にベースラインの波形形状を推定する。
【0023】
即ち、本発明に係るクロマトグラムデータ処理方法では、ピークスペクトル取得ステップにおいて、処理対象である3次元クロマトグラムデータに基づいて作成されるクロマトグラム上でピークを検出し、検出されたピークそれぞれに対応するスペクトルを取得する。一つのピーク当たりつまりは一つの化合物当たり、一つのスペクトルが得られればよい。これにより、未知であるベースライン以外の全ての化合物のスペクトルが既知となる。そして、引き続き実施されるベースラインクロマトグラム波形推定ステップでは、3次元クロマトグラムデータに基づく各測定時点におけるスペクトルのベクトルそれぞれについて、上述したようにピークに対応して得られたスペクトルのベクトルに直交する方向に射影し、射影ベクトルの大きさを測定時点毎の信号値、つまり時系列信号として求める。これにより、上記α・C
2に相当する信号、つまりはベースラインの波形形状を表す信号が求まる。
【0024】
なお、クロマトグラム上で検出されたピークが複数であって、該ピークに対応するスペクトルも複数である場合には、例えば、そのスペクトルに対応するベクトル毎にそれに直交する方向の射影ベクトルの大きさに基づく時系列信号を求め、その複数の時系列信号を測定時点毎に加算して一つの時系列信号を求めればよい。ただし、こうした加算を行う際には各信号の大きさの基準が揃っている必要があるので、例えば各ピークに対応するスペクトルの信号強度を規格化したうえでベースラインクロマトグラム波形推定ステップの処理を実施することが望ましい。
【0025】
ベースラインの強度値そのものは不明であっても上述したようにベースラインの波形形状を推定できれば、その推定結果に基づいて、例えば従来の様々なベースライン推定方法で以て推定された複数のベースライン候補のうちのいずれがより適切であるのかを判断することが可能となる。
【0026】
また本発明に係るクロマトグラムデータ処理方法の好ましい第1の態様は、
前記3次元クロマトグラムデータに基づいて作成される第3のパラメータ値毎のクロマトグラムの一部分に対し又はその一部分毎に、前記ベースラインクロマトグラム波形推定ステップにおいて得られたベースラインクロマトグラム波形のフィッティングを行うことにより、第3のパラメータ値毎のベースラインの信号強度値を求め、それに基づきベースラインにおける第3のパラメータ値と信号強度値との関係を示すベースラインスペクトルを推定するベースラインスペクトル推定ステップをさらに有することを特徴としている。
【0027】
上記第1の態様によってベースラインスペクトルが求まれば第3のパラメータ値毎の定数αが得られるから、第3のパラメータ値毎のクロマトグラムにおけるベースラインを求めることができる。それによって、第3のパラメータ値、例えば波長毎や質量電荷比毎にベースラインを除去したピークのみのピーククロマトグラムの作成も可能となる。
【0028】
また本発明に係るクロマトグラムデータ処理方法において、好ましくは、
前記ピークスペクトル取得ステップでは、時間的な変化が緩慢である信号波形の入力に対してゼロを出力する一方、時間的な変化が急である信号波形の入力に対しては非ゼロを出力するフィルタを用いることにより、クロマトグラム上でピークが存在する時間範囲を推定し、該時間範囲内でピークに対応するスペクトルを取得するものとするとよい。
ここで、上記フィルタは例えばサビツキー-ゴーレイフィルタなどを用いることができる。
【0029】
一般に、ベースラインにおける信号の時間的変動はピーク信号の時間的変動に比べてかなり緩慢である。そのため、上述した特性のフィルタを用いることによって、かなり的確に且つ迅速に化合物由来のピークを検出することができる。もちろん、こうしたフィルタを用いた方法と他のピーク検出方法とを併用しても構わない。
【0030】
なお、上記フィルタは、与えられたクロマトグラムにおいてベースラインのみが存在する又はベースラインのみが存在すると推定される時間範囲の信号に対する出力と、ピークが存在する又はピークが存在すると推定される時間範囲の信号に対する出力との比が最大になるように決められたフィルタパラメータを有するものとすればよい。