【課題を解決するための手段】
【0007】
そこで、本発明者らは、前述の観点から、CrとAlの複合窒化物(以下、「(Cr,Al)N」あるいは「(Cr
1−xAl
x)N」で示すことがある)からなる硬質被覆層を物理蒸着で蒸着形成した被覆工具の耐欠損性、耐摩耗性の両立をはかるべく、鋭意研究を重ねた結果、次のような知見を得た。
【0008】
本発明者らは、硬質被覆層を構成する(Cr,Al)N層の結晶構造について鋭意研究したところ、(Cr,Al)N層がNaCl型の面心立方構造(以下、単に、「立方晶構造」、「立方晶」という場合もある)を有する結晶粒を含有し、該立方晶構造を有する結晶粒の結晶粒内平均方位差を2度以上とするという全く新規な着想により、立方晶構造を有する結晶粒内に歪みを生じさせ、硬さと靭性の双方を高めることに成功し、その結果、硬質被覆層の耐欠損性を向上させると同時に耐摩耗性を向上させ得ることを見出した。
【0009】
具体的には、硬質被覆層が、物理蒸着法により成膜された(Cr,Al)N層からなり、該(Cr,Al)N層の成分組成を、組成式:(Cr
1−xAl
x)Nで表した場合、AlのCrとAlの合量に占める平均含有割合x
avg(但し、x
avgは原子比)が、0.40≦x
avg≦0.95(好ましくは、0.40≦x
avg≦0.72)を満足し、該(Cr,Al)N層を構成する結晶粒中に立方晶構造を有するものが存在し、該立方晶構造の結晶粒の結晶方位を、電子線後方散乱回折装置を用いて縦断面方向から解析し、結晶粒個々の結晶粒内平均方位差を求めた場合、該結晶粒内平均方位差が2度以上を示す結晶粒が(Cr,Al)N層の面積に対して
5%以上50%以下の面積割合で存在する場合には、該立方晶構造の結晶粒に歪みを生じさせることができ、従来の硬質被覆層に比して、(Cr,Al)N層の硬さと靭性が高まり、その結果、耐欠損性と同時に耐摩耗性が向上すること見出した。
【0010】
そして、前述のような構成の(Cr,Al)N層は、例えば、物理蒸着装置内に工具基体を装着し、装置内を0.2〜0.5Paの窒素雰囲気とし、工具基体に絶対値で900V以上の負のバイアス電圧を印加した状態で、該装置内に配置したCr−Al合金ターゲットを放電させ、工具基体表面処理を行い、その後、Cr−Al合金ターゲットとアノード電極間でアーク放電を発生させる物理蒸着法で成膜することができる。
【0011】
本発明は、前記知見に基づいてなされたものであって、
「(1)炭化タングステン基超硬合金、炭窒化チタン基サーメットまたは立方晶窒化ホウ素基超高圧焼結体のいずれかで構成された工具基体の表面に、硬質被覆層が形成されている表面被覆切削工具において、
(a)前記硬質被覆層は、平均層厚1〜15μmのCrとAlの複合窒化物であり、
組成式:(Cr
1−xAl
x)Nで表した場合、複合窒化物層のAlのCrとAlの合量に占める平均含有割合x
avg(但し、x
avgは原子比)が、0.40≦x
avg≦0.95を満足し、
(b)前記複合窒化物層は、NaCl型の面心立方構造を有するCrとAlの複合窒化物の相を含み、
(c)前記複合窒化物層の圧縮残留応力は1.0GPa〜8.0GPaを満足し、
(d)前記NaCl型の面心立方構造を有するCrとAlの複合窒化物の結晶粒の結晶方位を、電子線後方散乱回折装置を用いて縦断面方向から解析し、結晶粒個々の結晶粒内平均方位差を求めた場合、該結晶粒内平均方位差が2度以上を示す結晶粒の面積は、前記複合窒化物層の面積の
5%以上50%以下を占めることを特徴とする表面被覆切削工具。
(2)前記結晶粒内平均方位差が2度以上を示す結晶粒が、前記複合窒化物層の層厚方向の単位層厚あたりに占める面積割合は、工具基体と硬質被覆層との界面側から硬質被覆層の表面側に向かうにしたがって、次第に増加することを特徴とする前記(1)に記載の表面被覆切削工具。
(3)前記(1)または(2)に記載の表面被覆切削工具の製造方法であって、
物理蒸着装置内に工具基体を装着し、装置内を0.2〜0.5Paの窒素雰囲気とし、工具基体に絶対値で900V以上の負のバイアス電圧を印加した状態で、該装置内に配置したCr−Al合金ターゲットを放電させ、ターゲット表面最大磁束密度5mT以上で工具基体表面の処理を行い、その後、Cr−Al合金ターゲットとアノード電極間でアーク放電を発生させる物理蒸着法で前記硬質被覆層を成膜することを特徴とする前記(1)または(2)に記載の表面被覆切削工具の製造方法。」
に特徴を有するものである。
なお、“結晶粒内平均方位差”とは、後述するGOS(Grain Orientation Spread)値のことを意味する。
【0012】
本発明について、以下に詳細に説明する。
【0013】
硬質被覆層を構成する複合窒化物層の平均層厚:
本発明の硬質被覆層は、物理蒸着で成膜された組成式:(Cr
1−xAl
x)Nで表されるCrとAlの複合窒化物層からなる。この複合窒化物層は、すぐれた耐熱性、耐摩耗性を有するが、特に平均層厚が1〜15μmのとき、その効果が際立って発揮される。その理由は、平均層厚が1μm未満では、層厚が薄いため長期の使用に亘っての耐摩耗性を十分確保することができず、一方、その平均層厚が15μmを越えると、(Cr,Al)N層の結晶粒が粗大化し易くなり、欠損を発生しやすくなる。したがって、その平均層厚を1〜15μmと定めた。
【0014】
硬質被覆層を構成する(Cr,Al)N層の組成:
本発明の(Cr,Al)N層からなる硬質被覆層において、AlのCrとAlの合量に占める平均含有割合x
avg(但し、x
avgは原子比)が、0.40≦x
avg≦0.95を満足するようにする。
その理由は、Alの平均含有割合x
avgが0.40未満であると、(Cr,Al)N層は硬さが低下するため、合金鋼等の高速断続切削に供した場合には、耐摩耗性が十分でない。一方、Alの平均含有割合x
avgが0.95を超えると、相対的にCrの平均含有割合が減少するため、耐熱性、耐欠損性が低下する。したがって、Alの平均含有割合x
avgは、0.40≦x
avg≦0.95と定めた。好ましくは、0.40≦x
avg≦0.72である。
【0015】
硬質被覆層を構成する(Cr,Al)N層の圧縮残留応力:
本発明の(Cr,Al)N層からなる硬質被覆層における圧縮残留応力は、1.0GPa未満であると硬質被覆層の硬さが低いため、耐摩耗性が十分ではなく、一方、8.0GPaより大きくなると耐摩耗性は向上するものの耐欠損性が低下してくる。
したがって、本発明では、(Cr,Al)N層からなる硬質被覆層の圧縮残留応力は、1.0GPa以上8.0GPa以下と定めた。
上記の圧縮残留応力の測定は、X線回折装置を用い、2θ−sin
2ψ法にて実施することができる。この場合、Cr管球を用い、(222)ピークにて測定する。ヤング率としては300GPa、ポアソン比としては0.2を使用して計算を実施する。
【0016】
(Cr,Al)N層を構成する立方晶構造を有する結晶粒の結晶粒内平均方位差(GOS値):
本発明では、電子線後方散乱回折装置を用いて、立方晶構造の(Cr,Al)N結晶粒の結晶粒内平均方位差(GOS値)を求める。
具体的には、(Cr,Al)N層の縦断面に垂直な方向からその縦断面研磨面について0.01μm間隔で解析し、
図1にその概略を示すように、隣接する測定点(以下、「ピクセル」ともいう)間で5度以上の方位差がある場合、そこを粒界と定義する。そして、粒界で囲まれた領域を1つの結晶粒と定義する。ただし、隣接するピクセル全てと5度以上の方位差がある単独に存在するピクセルは結晶粒とせず、2ピクセル以上が連結しているものを結晶粒として取り扱う。
そして、立方晶結晶粒内のあるピクセルと、同一結晶粒内の他のすべてのピクセル間での方位差を計算し、これを結晶粒内方位差として求め、それを平均化したものをGOS(Grain Orientation Spread)値として定義する。
GOS値については、例えば文献「日本機械学会論文集(A編) 71巻712号(2005−12) 論文No.05−0367 1722〜1728」に説明がなされている。
そして、本発明における“結晶粒内平均方位差”とは、このGOS値を意味する。GOS値を数式で表す場合、同一結晶粒内のピクセル数をn、同一結晶粒内の異なるピクセルにおのおの付けた番号をiおよびj(ここで 1≦i、j≦nとなる)、ピクセルiでの結晶方位とピクセルjでの結晶方位から求められる結晶方位差をα
ij(i≠j)とすると、
で表すことができる。
また、結晶粒内平均方位差、GOS値は、結晶粒内のあるピクセルと、同一結晶粒内の他のすべてのピクセル間での方位差を求め、その値を平均化した数値であると言い換えることができるが、結晶粒内に連続的な方位変化が多いと大きな数値となる。
【0017】
結晶粒内平均方位差(GOS値)は、(Cr,Al)N層の縦断面に垂直な方向から、0.01μm間隔で解析し、幅3μm、縦は層厚の測定範囲内での縦断面方向からの測定を0.01μm/stepの間隔で実施し、(Cr,Al)N層を構成する立方晶結晶粒に属する全ピクセル数を求め、結晶粒内平均方位差(GOS値)を1度間隔で分割し、その値の範囲内に結晶粒内平均方位差(GOS値)が含まれる結晶粒のピクセルを集計して上記全ピクセル数で割ることによって、結晶粒内平均方位差(GOS値)の面積割合を示す度数分布(ヒストグラム)を作成する事によって求めることができる。
なお、請求項2に係る本発明の場合には、(Cr,Al)N層の縦断面を層厚方向に所定の単位層厚に区分し、層厚方向に垂直な方向から、それぞれの区分内における結晶粒内平均方位差(GOS値)が2度以上を示す結晶粒の面積割合を求め、層厚方向に沿って区分されたそれぞれの単位層厚における面積割合を比較することによって、工具基体と硬質被覆層との界面側から硬質被覆層の表面側に向かう面積割合の変化を求めることができる。
【0018】
例えば、本発明の(Cr,Al)N層の立方晶結晶粒について、結晶粒内平均方位差(GOS値)を求め、その度数分布(ヒストグラム)を作成すると、
図2に示すように、結晶粒内平均方位差(GOS値)が2度以上である結晶粒が(Cr,Al)N層の全面積に占める面積割合は
5%以上50%以下の範囲内であることが分かる。
また、
図3は、前記
図2に示される度数分布(ヒストグラム)を有する本発明の(Cr,Al)N層について、その層厚を、層厚方向に3つの単位層厚に等分に区分し、各単位層厚の各区分における面積割合を示したものであるが、
図3に示す(Cr,Al)N層においては、工具基体と硬質被覆層との界面側から硬質被覆層の表面側に向かうにしたがって、面積割合が増加していることがわかる。
このように、本発明の(Cr,Al)N層を構成する立方晶結晶粒は、従来の(Cr,Al)N層を構成している結晶粒と比較して、結晶粒内で結晶方位のばらつきが大きいため、亀裂の進展が抑制され、その結果、硬質被覆層の耐欠損性が向上する。
そして、前記結晶粒内平均方位差(GOS値)を備える(Cr,Al)N層からなる硬質被覆層が工具基体表面に設けられた被覆工具は、高熱発生を伴うとともに、切刃に対して衝撃的な負荷が作用する合金鋼等の高速断続切削加工で、すぐれた耐欠損性と同時にすぐれた耐摩耗性を発揮するのである。
ただ、前記結晶粒内平均方位差(GOS値)が2度以上を示す結晶粒が、(Cr,Al)N層の全面積に占める面積割合が
5%未満である場合には、結晶粒内の結晶方位が揃いすぎているため、亀裂が進展しやすく、耐欠損性が十分でないことから、結晶粒内平均方位差(GOS値)が2度以上を示す立方晶結晶粒が(Cr,Al)N層の全面積に占める面積割合は
5%以上50%以下とする。なお、好ましい面積割合は、20%以上40%以下である。
また、工具基体と(Cr,Al)N層との界面側から(Cr,Al)N層の表面側に向かうにしたがって、結晶粒内平均方位差(GOS値)が2度以上を示す立方晶結晶粒の面積割合が増加する場合には、工具基体と(Cr,Al)N層との密着強度を低下させることなく、一段と耐欠損性を向上させることができる。
【0019】
前記した本発明の(Cr,Al)N層を有する被覆工具は、例えば、次に述べる方法によって製造することができる。
本発明の(Cr,Al)N層は、例えば、物理蒸着法の一種であるアークイオンプレーティング(以下、「AIP」で示す。)法によって成膜する。
(a)まず、炭化タングステン基超硬合金、炭窒化チタン基サーメットまたは立方晶窒化ホウ素基超高圧焼結体のいずれかで構成された工具基体工具を洗浄・乾燥した状態で、AIP装置内の回転テーブル上の中心軸から半径方向に所定距離離れた位置に外周部にそって装着する。また、所定組成のCr−Al合金ターゲットを装置内に配置する。
(b)装置内を排気して10−2Pa以下の真空に保持しながら、ヒーターで装置内を500℃に加熱した後、0.5〜2.0PaのArガス雰囲気に設定し、前記回転テーブル上で自転しながら回転する工具基体に−200〜−1000Vの直流バイアス電圧を印加し、もって工具基体表面をアルゴンイオンによって5〜30分間ボンバード処理する。
(c)その後、装置内を0.2〜0.5Paの窒素ガス雰囲気に保持し、前記回転テーブル上で自転しながら回転する工具基体に絶対値で900V以上の負の直流バイアス電圧を印加し、該装置内に配置したCr−Al合金ターゲットをターゲット表面最大磁束密度5mT以上で放電させ、工具基体表面処理する。
(d)次に、装置内の窒素ガス圧力を4Paの反応雰囲気とし、前記回転テーブル上で自転しながら回転する工具基体に−50Vの直流バイアス電圧を印加し、かつ、前記所定組成のCr−Al合金ターゲットとアノード電極との間に100Aの電流を流してアーク放電を発生させ、前記工具基体の表面に、目標組成、目標平均層厚の(Cr,Al)N層を形成する。
上記工程(a)〜(d)により、本発明の被覆工具を作製することができる。
本発明の製造方法では、前記工程(c)の工具基体表面処理を特徴的な工程としており、この工程によって、詳細は不明であるが、形成される初期核にひずみが生じているものと推測している。さらに、(d)の工程で成膜を進めるにあたって、歪んだ状態が初期核から継承されることで、ひずみによって生じる結晶方位差が蓄積していき、結果として結晶粒内で大きな方位差が生じると推定される。いずれにしても、前記工程(c)の工具基体表面処理という特徴的な工程によって、結晶粒内平均方位差(GOS値)が2度以上である結晶粒が(Cr,Al)N層の全面積に占める面積割合が
5%以上50%以下となる(Cr,Al)N層を形成することができる。