【課題を解決するための手段】
【0008】
上述したように、従来一般に、質量分析で用いられるスペクトルライブラリは様々な成分に対するマススペクトルを多数収集したものであり、主として目的とする成分を同定するために利用される。その場合、できるだけ漏れなく多種類の成分に対するマススペクトルがスペクトルライブラリに収録されていることが重要である。即ち、例えば河川水や血液など、特定の種類の試料を考えた場合、ごく一般的に含まれる成分だけでなく、希にしか含まれない成分や含まれる可能性が殆どない成分までスペクトルライブラリに収録されていれば、それだけ同定漏れの可能性は低くなる。換言すれば、そうした特定の種類の試料にごく一般的に含まれる成分だけしかスペクトルライブラリに収録されていないとすると、該スペクトルライブラリを用いて同定できないような成分は、一般的には含まれない成分、つまりは特異的な成分であるという可能性が高いといえる。本願発明者はこうした点に着目し本発明に想到した。
【0009】
即ち、上記課題を解決するために成された本発明に係る試料解析方法は、試料に含まれる特異的成分を質量分析を利用して調べる試料解析方法であって、
a)解析対象である目的試料と同種の多数の参照試料を事前にそれぞれ質量分析することでマススペクトルを取得する事前測定ステップと、
b)前記事前測定ステップで得られた多数のマススペクトルを集めた母集団スペクトルライブラリに対して所定の統計処理を実施することにより、該母集団スペクトルライブラリにおける中心的傾向を示す代表的なマススペクトルを算出し、その代表的なマススペクトルを母集団統計情報として記憶しておく母集団決定ステップと、
c)目的試料を質量分析することでマススペクトルを取得する目的試料測定ステップと
d)前記目的試料測定ステップで得られたマススペクトルから前記母集団決定ステップにおいて記憶されている母集団統計情報に該当する情報を削除することにより、前記目的試料に含まれる特異的成分に関する情報が反映されていると推測されるマススペクトルを取得する特異的成分情報取得ステップと、
e)前記特異的成分情報取得ステップで得られたマススペクトルに基づいて前記目的試料に含まれる特異的成分を推定する特定成分推定ステップと、
を有することを特徴としている。
【0010】
また上記課題を解決するために成された本発明に係る試料解析システムは、本発明に係る試料解析方法を実施するためのシステムであって、試料に含まれる特異的成分を質量分析を利用して調べる試料解析システムにおいて、
a)解析対象である目的試料と同種の多数の参照試料を事前にそれぞれ質量分析することで取得されたマススペクトルを集めた母集団スペクトルライブラリに対して所定の統計処理を実施することにより、該母集団スペクトルライブラリにおける中心的傾向を示す代表的なマススペクトルを算出し、その代表的なマススペクトルを母集団統計情報として記憶しておく母集団決定処理部と、
b)目的試料を質量分析してマススペクトルを取得する測定実行部と、
c)前記測定実行部により得られた目的試料に対するマススペクトルから前記母集団決定処理部により記憶されている母集団統計情報に該当する情報を削除することにより、前記目的試料に含まれる特異的成分に関する情報が反映されていると推測されるマススペクトルを取得する特異的成分情報取得部と、
を備え、前記特異的成分情報取得部により得られたマススペクトルに基づいて前記目的試料に含まれる特異的成分を推定可能としたことを特徴としている。
【0011】
なお、本発明に係る試料解析方法において、特定成分推定ステップでは、特異的成分情報取得ステップで得られたマススペクトル上で観測されるピークのパターンや該ピークの質量電荷比値などに基づいて特異的成分を例えばライブラリ検索などにより自動的に推定し、その推定結果を表示画面上等に出力するようにすることができる。
また、特定成分推定ステップでは、特異的成分情報取得ステップで得られたマススペクトルを表示画面上に表示し、分析者が目視作業で該マススペクトルに基づく特異的成分の推定を行うようにしてもよい。
【0012】
質量分析を行うために、直接イオン化法(DART)などによるイオン源を用いた質量分析装置単体を用いる場合には、上記マススペクトルとは単一のマススペクトルである。
【0013】
また、質量分析を行うために、衝突誘起解離(CID)などのイオン解離操作が可能な質量分析装置、例えばタンデム四重極型質量分析装置、イオントラップ型質量分析装置、イオントラップ飛行時間型質量分析装置、Q−TOF型質量分析装置などを用いる場合には、上記マススペクトルとは、プリカーサイオンが現れているマススペクトルとプロダクトイオンスペクトルのいずれか一方又はその両方(つまりはその組み合わせ)である。
【0014】
さらにまた、質量分析を行うために、液体クロマトグラフ(LC)やガスクロマトグラフ(GC)を前段に接続した液体クロマトグラフ質量分析装置(LC−MS)やガスクロマトグラフ質量分析装置(GC−MS)を用いる場合には、上記マススペクトルとは、LCやGCにおける保持時間(又は標準試料との相対的な保持時間を示す保持指標)に対応した複数のマススペクトル、換言すれば保持時間とマススペクトルとの組み合わせである。
【0015】
本発明に係る試料解析方法において例えば或る河川水中の残留農薬等を調べたい場合には、その河川で過去に多数回採取された水や様々な河川で採取された水を参照試料とし、事前測定ステップにおいて、それら参照試料をそれぞれ質量分析することでマススペクトルを取得する。そして、そのマススペクトルを集めて母集団スペクトルライブラリとする。母集団決定ステップでは、この母集団スペクトルライブラリに対し所定の統計処理を実施することで、例えば質量電荷比毎に信号強度値の平均値、中央値、又は最頻値などの統計量を計算することで、代表的なマススペクトルを求める。また必要に応じて標準偏差、分散など、ばらつき具合を示す統計量も併せて用いるとよい。こうして求めたデータを母集団統計情報として記憶する。当然のことながら、一般的に、この母集団を構成する結果の数、つまりは参照試料の数が多いほど、統計量の精度は向上する。
【0016】
この母集団統計情報に含まれる代表的なマススペクトルは、多数の参照試料におおむね共通に含まれる成分を反映している。換言すれば、代表的なマススペクトルで示される情報から乖離したマススペクトル上の情報は、或る試料に特異的に含まれる成分を反映しているといえる。そこで、解析対象である目的試料を質量分析してマススペクトルが得られたならば、特異的成分情報取得ステップでは、その目的試料に対するマススペクトルから母集団統計情報に該当する情報を削除する。典型的には、目的試料に対するマススペクトルから代表的なマススペクトルを差し引いた差分マススペクトルを求めればよい。もちろん、その際には両マススペクトルの感度の差異を補正するように所定の基準に基づく強度値の規格化などを行うとよい。
【0017】
母集団統計情報に該当する情報を削除することで、目的試料や多数の参照試料におおむね共通に含まれる成分の影響がほぼ排除され、目的試料に含まれる特異的成分に関する情報が反映されていると推測されるマススペクトルを得ることができる。そして、特定成分推定ステップでは、そのマススペクトルに基づいて目的試料に含まれる特異的成分を推定する。多数の参照試料に対して質量分析を実行して得られた分析結果に基づいて予め母集団統計情報を求めておきさえすれば、参照試料と同種の目的試料を質量分析して得られた分析結果から該目的試料に含まれる特異的成分を簡便に検出することができる。
【0018】
もちろん、こうして実際に質量分析を行うことで得られた目的試料の分析結果も母集団スペクトルライブラリに加えることができるから、新たな目的試料を測定することで母集団スペクトルライブラリも充実してゆくことになり、それ故に母集団統計情報の精度も向上させることができる。
【0019】
また、例えば或る質量電荷比における信号強度の平均値が同じであっても、データのばらつきが小さいほど標準偏差は小さくなる。データのばらつきが小さいほど多数の参照試料に含まれる共通性が高いといえるから、本発明に係る試料解析方法では、小さな標準偏差を与える質量電荷比における信号強度ほど、除去すべき情報として重要である。
【0020】
そこで、本発明に係る質量分析を用いた試料解析方法において、好ましくは、
母集団決定ステップでは、母集団スペクトルライブラリから代表的なマススペクトルを算出するとともに質量電荷比毎に信号強度の標準偏差を求めて母集団統計情報として記憶し、
特異的成分情報取得ステップでは、目的試料測定ステップで得られたマススペクトルから上記代表的なマススペクトルを差し引いて差分マススペクトルを算出するとともに、その差分スペクトル上の各信号強度をそれぞれの質量電荷比における標準偏差で除することで信号強度を補正した差分マススペクトルを求めるようにするとよい。
【0021】
これにより、補正前の差分マススペクトルにおいて信号強度が同じでも標準偏差が小さいほど、補正後の差分マススペクトルでは信号強度が大きくなる。その結果、多数の参照試料に共通に含まれる成分に関する情報がより的確に除去され、目的試料に特異的に含まれる成分を見いだすのが一層容易になる。
【0022】
また本発明に係る試料解析方法において、母集団スペクトルライブラリは一つでなく複数であってもよい。即ち、本発明に係る試料解析方法では、目的試料と同種であって異なる特徴を有する複数の群にそれぞれ含まれる多数の参照試料をそれぞれ質量分析することで複数の母集団スペクトルライブラリを作成し、その複数の母集団スペクトルライブラリにそれぞれ基づく母集団統計情報を利用して目的試料に含まれる特異的成分に関する情報が反映されていると推測されるマススペクトルをそれぞれ求める、又はその複数の母集団スペクトルライブラリのうちの一つに基づく母集団統計情報を利用して目的試料に含まれる特異的成分に関する情報が反映されていると推測されるマススペクトルを求めるようにしてもよい。
【0023】
例えば、或る人の血液が目的試料である場合に、特定の疾病に罹患している多数の人から採取した血液を第1の母集団のための参照試料、その特定の疾病に罹患していない多数の人から採取した血液を第2の母集団のための参照試料とし、それぞれの母集団スペクトルライブラリから母集団統計情報を求めるとよい。こうして求めた複数の母集団統計情報を用いて目的試料に対する分析結果(マススペクトル)から不要な情報を削除する際には、目的等に応じたいずれか一つの母集団統計情報を用いてもよいし、或いは、複数の母集団統計情報を用いてそれぞれ不要な情報を削除した結果を比較してもよい。
これにより、解析目的に応じた、或いは目的試料に含まれる成分に応じた、より適切な情報をユーザに提供することが可能となる。