(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
ところが、上記フィブロイン水溶液を得るには、上記フィブロインが水に不溶であることから、該フィブロインの性質を保持したまま溶液化する為の特定の操作が必要になる。該特定の操作は、例えば特許文献4に記載のように、フィブロインを臭化リチウム等の中性塩水溶液や銅エチレンジアミン等の錯塩水溶液などのような塩水溶液に溶解し、その後、透析により脱塩するという、化学的操作を伴う処理、言わば化学的解繊処理である。そして、該化学的解繊処理では、高濃度の塩水溶液の使用が必須であり、多量の塩を含む溶液を透析し、脱塩する作業は、多量の水を必要とするとともに、非常に煩雑で手間を要するものになるという問題があった。
また、上記フィブロイン水溶液を凍結乾燥し、解凍後、脱水乾燥してフィブロイン多孔質体を得る方法では、ポーラス構造が壊れることを防ぐために解凍時の解凍速度を上げることができず、加えてタンパク質であるフィブロインの熱変性を防ぐために脱水乾燥時に加熱して乾燥時間を早めることができず、非常に長い時間を要するという問題があった。
本発明は、このような従来技術に存在する問題点に着目してなされたものである。その目的とするところは、製造の簡易化を図ることができるナノポーラス構造を有するフィブロイン成形物及びその製造方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0005】
上記の目的を達成するために、請求項1に記載のナノポーラス構造を有するフィブロイン成形物の製造方法の発明は、フィブロインを含有する組成物を湿式粉砕処理で物理的に解繊し、かつ分子配列助剤を添加して、フィブロインスラリーを得る工程と、上記フィブロインスラリーからエレクトロスピニング法によりフィブロインナノファイバーを紡糸する工程と、フィブロインを不溶化することにより、上記フィブロインナノファイバーからナノポーラス構造を有するフィブロイン成形物を得る工程と、を備えることを要旨とする。
請求項2に記載の発明は、請求項1に記載のナノポーラス構造を有するフィブロイン成形物の製造方法の発明において、上記湿式粉砕処理では、250MPa以下の圧力で上記組成物を物理的に解繊することを要旨とする。
請求項3に記載の発明は、請求項1又は請求項2に記載のナノポーラス構造を有するフィブロイン成形物の製造方法の発明において、上記分子配列助剤として、増粘剤を使用することを要旨とする。
請求項4に記載のナノポーラス構造を有するフィブロイン成形物の発明は、請求項1から請求項3のうち何れか一項に記載の製造方法によって得られることを要旨とする。
【発明の効果】
【0006】
[作用]
一般に、フィブロインは、親水性のヒロキシメチル基やアルデヒド基を内側に、疎水性のアルキル基を外側に向けて凝集しており、このため、該フィブロインの外側に水の分子が付加することができず、水に溶けない。
本発明のナノポーラス構造を有するフィブロイン成形物は、その材料としてフィブロイン水溶液に代わり、フィブロインを含有する組成物を湿式粉砕処理で物理的に解繊し、かつ分子配列助剤を添加して得られたフィブロインスラリーを用いる。湿式粉砕処理で物理的に解繊されたフィブロインは、高圧水流により内側に水が浸入することで凝集が解かれ、部分的に水和状態となり、エレクトロスピニング法での紡糸が可能なフィブロインスラリーが得られる。更に添加された分子配列助剤がフィブロインナノファイバーの紡糸時に糸の形態への成形性を助長することにより、フィブロインナノファイバーを好適に形成することができる。
上記フィブロインスラリーからエレクトロスピニング法によりフィブロインナノファイバーをシート状等の所定形状に紡糸すると、該フィブロインナノファイバーによる所定形状の成形物が構成されるが、該フィブロインナノファイバー中のフィブロインは、未だ部分的に水和しやすい状態のままである。そこで、該フィブロインを不溶化してフィブロインナノファイバー中から分子配列助剤を除去すると、フィブロインは、糸の形態を保持しつつ、再凝集することで水に不溶となり、更に、分子配列助剤が抜けた箇所がナノポーラス構造を形成することで、ナノポーラス構造を有するフィブロイン成形物が得られる。
従って、本発明によれば、フィブロインを含有する組成物を湿式粉砕処理で物理的に解繊するという容易な操作で、ナノポーラス構造を有するフィブロイン成形物の材料であるフィブロインスラリーを得ることが可能であり、化学的解繊処理でフィブロイン溶液を得る操作と比べて、製造の簡易化を図ることができる。
また、フィブロインは、湿式粉砕処理において250MPa以下の圧力で物理的に解繊されることにより、良好に部分的水和(部分溶解)状態とすることができる。
また、上記分子配列助剤として増粘剤を使用することにより、上記フィブロインの再度の凝集を抑制し、フィブロインの部分的水和状態を好適に保つことができる。
【0007】
[効果]
本発明によれば、製造の簡易化を図ることができるナノポーラス構造を有するフィブロイン成形物及びその製造方法を提供することができる。
【発明を実施するための形態】
【0009】
以下、本発明を具体化した一実施形態について説明する。
[概要]
本発明のナノポーラス構造を有するフィブロイン成形物は、フィブロインスラリーを得る工程と、該フィブロインスラリーからフィブロインナノファイバーを紡糸する工程と、フィブロインを不溶化する工程とを経て製造される。
上記フィブロインスラリーを製造する工程においては、フィブロインを含有する組成物が湿式粉砕処理で物理的に解繊され、更に分子配列助剤が添加されることで、フィブロインスラリーが製造される。
上記ナノファイバーを紡糸する工程においては、エレクトロスピニング装置を用いたエレクトロスピニング法により、上記フィブロインスラリーからフィブロインナノファイバーが紡糸される。
上記フィブロインを不溶化する工程においては、上記フィブロインナノファイバー中のフィブロインを不溶化(β化)するとともに、上記分子配列助剤が取り除かれることにより、ナノポーラス構造を有するフィブロイン成形物が得られる。
【0010】
[フィブロインスラリーを製造する工程]
〔組成物〕
上記フィブロインスラリーを製造する工程で使用される上記組成物は、フィブロインを含むものであれば特に限定されず、具体例として、衣服、織編物等のシルク製又はシルク含有繊維製品の他、フィブロインを含む食料品や化粧品や医薬品などといった製品、あるいは、フィブロイン溶液、あるいは、フィブロイン溶液の乾燥物、蚕繭等の粉砕により得られたフィブロイン粉末などが挙げられる。
【0011】
〔湿式粉砕処理〕
上記フィブロインスラリーを製造する工程において、上記湿式粉砕処理は、フィブロインを液体である分散媒中に分散させたうえで、該分散媒中で該フィブロインを粒状に粉砕して物理的に解繊する処理である。上記湿式粉砕処理の具体例としては、湿式ボールミル、湿式ビーズミル、湿式ジェットミルなどが挙げられる。これらの中でも湿式ジェットミルは、フィブロインを非常に細かな粒径になるまで粉砕することが可能であり、ビーズやボールから発生する不純物の混入(コンタミネーション)が無く、本発明の湿式粉砕処理として好ましい。
上記湿式ジェットミルは、分散媒に圧力を掛けることで高圧水流を発生させ、該高圧水流を利用して粉砕を行うものであり、該高圧水流を壁やボール等に衝突させる方式、高圧水流に変化をつけて内部にキャビテーションを起こす方式、高圧水流を2つ以上に分流して互いの高圧水流を衝突させる方式のものがある。これらの方式の中でも特に2つ以上の高圧水流を衝突させる方式のものは、上記分散媒の上記フィブロインへの浸透性を高めることができるとともに、塵や埃等の異物が入りにくく、該異物による汚染(コンタミネーション)が生じにくいため、本発明の湿式粉砕処理としてより好ましい。
【0012】
〔フィブロインスラリー〕
本発明のフィブロインスラリーは、部分的に水和状態となっているフィブロインが分散媒中に分散して為るものである。
上記フィブロインは、繊維状のタンパク質の一種であり、カイコ(蚕)等の昆虫やクモ類の糸の主要成分である。該フィブロインは、一般的な繊維製品に利用されており、また、食料品や化粧品や医薬品、更には医療品でも利用されており、様々な製品に利用可能である。
上記フィブロインスラリーに使用される分散媒としては、親水性を有するものであれば何れを用いてもよいが、人体に対して無害であり、入手が容易であるという観点から、主として水が用いられる。分散媒として水の他に、エチルアルコールやメチルアルコールやプロパノール等のアルコール類、酢酸、ジメチルスルホキシド(DMSO)、N,N−ジメチルホルムアミド、アセトニトリル、アセトン、テトラヒドロフランなどの極性溶媒を用いてもよい。
【0013】
更に、上記フィブロインスラリーには、上記フィブロインナノファイバーの紡糸時において、糸の形態への成形性を助長し、フィブロイン分子をナノファイバー中に配列するため、分子配列助剤が添加される。該分子配列助剤には、糸の形態への成形性を助長し、フィブロイン分子をナノファイバー中に配列することが可能であり、エレクトロスピニング装置での使用時に糸を引く性質(曳糸性)を有するものが使用される。
また、該分子配列助剤には、該フィブロインスラリー中における上記フィブロインの部分的な水和状態を助長することができるもの、即ち、該フィブロインで水和する部位となる親水基と結びつくことが可能な官能基を有する、あるいは極性分子からなるものを使用することが好ましい。
このような分子配列助剤には、曳糸性を発現可能な程度の粘性率と弾性率とを有する増粘剤を使用することが好ましい。該増粘剤には、一般的に使用されているものであれば、固体、液体等に係わらず何れも使用可能であるが、人体に対する有害性が低く、更にフィブロインの親水基と結びつくことが可能な官能基である親水基を有するという観点から、水溶性高分子を使用することが好ましい。該水溶性高分子としては、グアガム、カラギーナン、アルギン酸ナトリウム、コラーゲン、デキストリン、キサンタンガム、コンドロイチ硫酸ナトリウム、ヒアルロン酸ナトリウム等の天然高分子、カルボキシメチルセルロース、メチルセルロース、ヒドロキシエチルセルロース、カチオン化グアガム等の半合成高分子、ポリエチレンオキシド(PEO)、ポリエチレングリコール(PEG)、ポリビニルアルコール、カルボキシビニルポリマー、ポリアクリル酸、ポリビニルピロリドン等の合成高分子が挙げられる。これらの中でも、合成高分子であるポリエチレンオキシド(PEO)、ポリエチレングリコール(PEG)は、エステル・エーテル型の非イオン界面活性剤としても利用されることからフィブロインの疎水基とも馴染みやすく、また分散剤として優れており、更に非常に高い浸透圧に耐え、生体物質との特異的相互作用もないという観点から、分子配列助剤としてより好ましい。
上記分子配列助剤の添加量は、上記フィブロインの部分的な水和状態を安定させるとともに、取り扱いを好適なものにするという観点から、該フィブロイン100gに対して、好ましくは0.01〜100gであり、より好ましくは0.1〜50gである。
【0014】
〔フィブロインスラリーの製造〕
上記フィブロインスラリーは、例えば以下のような段階を経て製造される。
まず、湿式粉砕処理の前処理の段階では、湿式ボールミル装置や湿式ビーズミル装置を使用し、フィブロインを含有する組成物を、所定程度以下の粒径になるまで粗く粉砕する。この前処理段階では、湿式粉砕処理のしやすさを考慮して、該組成物の粒径を20μm以下にすることが好ましい。その後、分散媒として水(純水)を使用し、該水中に粗く粉砕した該組成物を投入して、分散させる。なお、この前処理の段階では、組成物中のフィブロインは、水に溶けておらず、いわば懸濁状態となっており、静置すれば時間の経過によって水中で沈殿する。
次に、湿式ジェットミル装置を使用し、フィブロインが部分的に水和状態となるまで、湿式粉砕処理が複数の段階に分けて行われる。該湿式ジェットミル装置を使用する場合には、作業効率を考慮し、各段階で高圧水流の圧力を適宜設定して、段階が進むに従って高圧になるように調整することで、フィブロインを段階的に微細な粒子となるように粉砕することが好ましい。そして、最後の段階を経たフィブロインが、分散媒である水に対して部分的な水和状態となり、部分溶解することで、フィブロインスラリーが得られる。なお、湿式ジェットミル装置を使用する場合、作業性等と粉砕処理によるフィブロインへのダメージを考慮し、高圧水流の圧力は所望に応じて250MPa以下に調整することが好ましく、5〜100MPaに調整することがより好ましく、またパス回数は必要に応じて適宜設定することが好ましい。
上記分子配列助剤の添加は、前処理の前、前処理中、前処理の後(湿式粉砕処理の前)、湿式粉砕処理中、又は湿式粉砕処理の後の何れで行ってもよいが、湿式粉砕処理中におけるフィブロインの再凝集を抑制するという観点から、前処理の前から湿式粉砕処理中までの何れかで添加することが好ましい。
上記湿式粉砕処理は、上記フィブロインを部分的水和状態になるまで物理的に解繊するという観点から、該フィブロインが部分的水和状態になる目安として平均粒径で好ましくは10μm以下、より好ましくは8μm以下、さらに好ましくは長径5μm以下、短径1μm以下になるまで行う。また通常、物理的解繊によるフィブロインへのダメージを軽減するという観点から、上記湿式粉砕処理では、フィブロインの平均粒径を0.01μm以上とすることが好ましい。加えて、湿式ジェットミル装置を使用して上記湿式粉砕処理を行う場合は、フィブロインが部分的水和状態になる目安として、最後の段階における高圧水流の圧力を100MPa以上で250MPa以下とすることが好ましい。前記平均粒径を超える粒子が多数を占める場合、あるいは前記圧力に満たない圧力で処理した場合、フィブロイン粒子の表面が部分的水和状態になっても、粒子が大きすぎてスラリーが分散媒から分離してしまう可能性が高くなるので、安定性、取り扱い性が悪くなるおそれがある。
【0015】
[フィブロインナノファイバーを紡糸する工程]
上記フィブロインナノファイバーを紡糸する工程において、エレクトロスピニング法による紡糸は、エレクトロスピニング装置を用いて行われる。
概略的に、エレクトロスピニング法とは、ノズル内の液体に高電圧を加えることにより、直径が数nm(ナノメートル)のナノファイバーを生成する技術である。
本発明において利用可能なエレクトロスピニング装置は、特別の仕様の装置である必要はなく、従来公知の装置、例えば、高圧電源、貯蔵タンク、陽極に接する紡糸口、及びアースされたコレクターから構成されているものを用いればよい。
フィブロインナノファイバーを紡糸する際には、上記フィブロインスラリーを貯蔵タンクに入れ、既知の操作でエレクトロスピニング法に従い、紡糸を行う。そして、紡糸口に電圧を印加することで生じる静電力がフィブロインスラリーの表面張力を超えたとき、該フィブロインスラリーがコレクターに向かって噴射される。該噴射の際、上記分子配列助剤は、糸を引く性質(曳糸性)を発現することにより、糸状となる。部分的に水和状態となったフィブロインは、該分子配列助剤によって形成された糸の内部に納まるように配設されることで、フィブロインナノファイバーを形成し、前記コレクター上に積層される。
上記エレクトロスピニング法において、フィブロインナノファイバーを好適に紡糸するという観点から、例えば、紡糸口とコレクターとの距離を15cmとして、紡糸口に印加する電圧は20〜100kVが好ましく、20〜50kVがより好ましく、また相対湿度は、25℃以上で35%が好ましい。
上記所定形状の成形物は、上記エレクトロスピニング法によるフィブロインナノファイバーの紡糸の際、上記フィブロインスラリーを所望の形状になるように上記コレクター上に噴射することによって、所定形状とされる。例えば、上記コレクター上に上記フィブロインスラリーを平面視で円形のシート状を成すように噴射すれば、得られる成形物は平面視で円形のシート状となり、平面視で長方形のシート状を成すように噴射すれば、得られる成形物は平面視で長方形のシート状となる。また、上記コレクター上の同じ箇所に上記フィブロインスラリーを複数回噴射することで、厚みを有する積層状の成形物を得ることが可能である。
【0016】
[フィブロインを不溶化する工程]
上記フィブロインを不溶化する工程では、上記フィブロインナノファイバー中のフィブロインを不溶化(β化)させることが可能であり、かつ該フィブロインナノファイバー中の上記分子配列助剤を除去可能な不溶化剤が使用される。
上記不溶化剤としては、一般的なタンパク質のβ化に使用されているものであれば特に限定されず、何れも使用可能であるが、上記分子配列助剤を除去可能なものを使用するという観点から、エタノール溶液、メタノール溶液、イソプロピルアルコール溶液、クレゾール溶液等の有機溶媒を使用することが好ましく、これらの中でも人体に対する毒性が低いという観点から、エタノール溶液やイソプロピルアルコール溶液を使用することがより好ましい。
具体的に、上記フィブロインの不溶化は、上記フィブロインナノファイバーからなる所定形状の成形物を、不溶化剤(例えばエタノール溶液)中に所定時間浸漬して行われる。不溶化剤中に浸漬された所定形状の成形物にあっては、フィブロインナノファイバー中から上記分子配列助剤が不溶化剤中へと溶出することにより取り除かれるとともに、該フィブロインナノファイバー中で該分子配列助剤が抜け出した箇所がナノポーラス構造を形作ることにより、ナノポーラス構造を有するフィブロイン成形物が得られる。また、該ナノポーラス構造を有するフィブロイン成形物は、上記フィブロインナノファイバーからなる成形物が有する所定形状を略維持しており、このため、該フィブロイン成形物を所望とする形状とする場合には、上記フィブロインナノファイバーを紡糸する工程において、上記フィブロインナノファイバーからなる成形物を所望の形状とする。
【0017】
〔ナノポーラス構造を有するフィブロイン成形物に関する考察〕
本発明において、湿式粉砕処理によるフィブロインの物理的な解繊のみで、水に不溶なフィブロインが部分的に水和状態となる理由について、現時点で詳細は不明であるが、以下のように推測される。
即ち、フィブロインの場合、蛋白質分子のペプチド結合による主鎖に対し、ヒドロキシメチル基等の親水基は、片側にだけ櫛型に結合している。また、フィブロインは、その親水基によって分子間で水素結合を形成し、凝集する性質を有している。このため、通常、フィブロインの蛋白質分子は、アルキル基等の疎水基を外側に向けて凝集しており、その結果、フィブロインは、水等の極性溶媒に対して不溶となる。
一方、上記フィブロインに湿式粉砕処理を施して物理的に解繊するとは、つまり蛋白質分子間の水素結合を切断して該フィブロインを細かく砕いているのであり、該フィブロインが細かな粒子となる何れかの時点で、砕かれた際に発生した破断面に親水基が露出する。通常であれば、破断面に露出した親水基は速やかに他の分子との間に水素結合を形成し、フィブロインは再び凝集してしまう。
しかし、湿式粉砕処理の場合、蛋白質の内側に極性溶媒(水)が浸透し、該極性溶媒(水)が分子間に浸入して水素結合を切断するとともに、該極性溶媒(水)の分子が親水基と一時的に水素結合を形成してフィブロインの再凝集を阻害することで、フィブロインの部分的な水和(部分溶解)が発生すると考える。特に、分子配列助剤としてPEOやPEGを該極性溶媒(水)に添加した場合、該PEOや該PEGが高い浸透圧に耐えて蛋白質の内側に浸入し、界面活性機能によって疎水基とも馴染むことで、フィブロインの再凝集が顕著に阻害され、フィブロインの部分的な水和状態(部分溶解状態)が好適に保持されると考えられる。
また、上記部分的に水和状態となったフィブロインに分子配列助剤を添加してなるフィブロインスラリーから、フィブロインナノファイバーの紡糸とフィブロインの不溶化を経ることにより、フィブロイン成形物中にナノポーラス構造が形成される理由についても、現時点で詳細は不明であるが、以下のように推測される。
即ち、フィブロインスラリー中において、フィブロインの微細粒子は、添加された分子配列助剤の界面活性機能により、親水基が露出した破断面のみならず、疎水性部分を含む表面全体が覆われ、包み込まれることにより、水和状態が部分的なものから全体的なものに進行して、コロイドと同様の状態になって、分散媒(水)中に均一に分散されていると考えられる。
また、フィブロインナノファイバーの紡糸の際には、フィブロインスラリー中から分散媒(水)は蒸発するが、上記分子配列助剤は、蒸発することなく、曳糸性を発現することで糸(ナノファイバー)を形成しており、該分子配列助剤によって形成された糸(ナノファイバー)の内部にフィブロインの微細粒子が収納された状態となる。つまり、糸(ナノファイバー)の内部において、フィブロインの微細粒子は、粒子同士の間に分子配列助剤を介して水素結合することにより擬似的に繋がっていると考えられる。
フィブロインの不溶化の際、上記分子配列助剤が除去されると、フィブロインは、上記親水基によって微細粒子間に水素結合を形成し、疎水基を外側に向けて凝集する性質を取り戻す。そして、フィブロインは、上記フィブロインナノファイバーの紡糸の際に糸状に配設された近隣の微細粒子同士が分子配列助剤の痕跡を残しつつ立体的に凝集することにより、ナノポーラス構造を有するフィブロイン成形物になると考えられる。また実際に、フィブロインの不溶化の際、元の成形物から収縮してナノポーラス構造を有するフィブロイン成形物になるが、該収縮は、フィブロインの微細粒子間を擬似的に繋いでいた分子配列助剤が抜け、該微細粒子同士が再凝集して繋がることによって生じる現象であると推定される。
なお、電子顕微鏡等を使用することで、フィブロインが部分的に水和状態となって部分溶解していることは確認できるが、湿式粉砕処理時の高圧水流による水素結合の切断と、該切断による破断面の親水基及び水分子の水素結合の形成とについては、本発明の完成時点で確認の手段がない。
【実施例】
【0018】
以下、本発明を更に具体化した実施例について説明するが、本発明はこの実施例に限定されるものではない。
[実施例1]
〔フィブロインスラリーの調製〕
原料にフィブロイン粉末(KBセーレン社製、商品名:「シルクパウダーCN」)を用い、該フィブロイン粉末10gを、分散媒である100cm
3の水中に投入し、フィブロイン粉末の懸濁液を得た。
次に、上記懸濁液に、分子配列助剤としてポリエチレンオキシド(PEO)(シグマアルドリッチ社製、分子量:900,000)を、フィブロインと質量比が同じ(フィブロイン:PEO=5:5)になるように、10g添加した(水100cm
3に対してフィブロイン粉末10g+PEO10g)。
次いで、湿式ジェットミル装置(常光社製、型式名:ナノジェットパルJN20)を用い、4段階に分けて湿式粉砕処理を施し、フィブロインを物理的に解繊してフィブロインスラリーを得た。
湿式粉砕処理において高圧水流の圧力は、第1段階で7MPa、第2段階で38MPa、第3段階で88MPa、第4段階で140MPaとし、パス回数は各段階で3回ずつとした。
〔フィブロインナノファイバーの紡糸〕
エレクトロスピニング装置(MECC社製、型式名:NF−103)を用い、紡糸口とコレクターとの距離:15cm、印加電圧:37〜39kV、相対湿度:30%以下(30℃)の条件で、上記フィブロインスラリーからフィブロインナノファイバーをシート状に紡糸した。
〔フィブロインの不溶化〕
上記シート状に紡糸したフィブロインナノファイバーを、不溶化剤としてエタノール溶液(濃度:90%)に浸漬し、ナノポーラス構造を有するフィブロイン成形物を得た。
【0019】
[実施例2]
上記実施例1のフィブロインスラリーの調製において、分子配列助剤であるポリエチレンオキシド(PEO)の添加量を6.7gに変更した(水100cm
3に対してフィブロイン粉末10g+PEO6.7g、質量比でフィブロイン:PEO=6:4)他は、上記実施例1と同様にして、ナノポーラス構造を有するフィブロイン成形物を得た。
【0020】
〔観察及び結果1〕
電子顕微鏡(日立ハイテクノロジーズ社製、型色名:SU1510)を用い、上記実施例1,2について、フィブロインの不溶化を行う前のフィブロインナノファイバーと、ナノポーラス構造を有するフィブロイン成形物とを観察した。電子顕微鏡によるSEM写真を
図1〜
図4に示す。
なお、
図1(a)〜(c)は、実施例1のフィブロインナノファイバーのSEM写真、
図2(a)〜(c)は、実施例1のフィブロイン成形物のSEM写真であり、
図3(a)〜(c)は、実施例2のフィブロインナノファイバーのSEM写真、
図4(a)〜(c)は、実施例2のフィブロイン成形物のSEM写真である。また
図1〜
図4の各図で、倍率は(a)が×1.00k、(b)が×5.00k、(c)が×10.0kである。
図1(a)〜(c)に示したように、実施例1のフィブロインナノファイバーについては、フィブロイン粒子が好適に水和し、ナノファイバー中に分散することで、良好なナノファイバー化が可能であることが示された。該ナノファイバーは、繊維径が400〜500nmであった。なお、一部のナノファイバー中で太さ斑が散見されたが、これは、フィブロインスラリーがナノファイバー化するまで細線化した後、水の蒸発過程でフィブロインの凝集が発生したために生じたものと考えられる。
図2(a)〜(c)に示したように、実施例1のフィブロイン成形物については、成形物表面に凹凸が非常に良好に発現することで、多数の空隙が存在していることが示された。更に、
図2(c)に示したように、凹凸の表面を拡大すると、該表面に300〜500nm程度の穴が多数空いており、ナノポーラス構造を有していることが示された。
図3(a)〜(c)に示したように、実施例2のフィブロインナノファイバーについては、実施例1と同様に良好なナノファイバー化が可能であるが、実施例1に比べてPEOが少量である分、フィブロインの凝集が多く発生し、繊維中での太さ斑が多く発生していた。
実施例2のフィブロイン成形物において、
図4(a)に示したように、成形物表面に凹凸が発現し、空隙が空いていることが示され、
図4(b)に示したように、該凹凸による泡構造の壁に細かい穴が多数空いており、
図4(c)に示したように、その細かい穴の径は300〜600nm程度であった。
以上より、実施例1,2から、フィブロインスラリーをナノファイバー化したうえで、アルコール溶液へ浸漬してフィブロインを不溶化することにより、ナノポーラス構造を有するフィブロイン成形物を得られることが示された。
また、フィブロインナノファイバーは、その比表面積が大きい事と、空隙率が高い事が特徴となっているが、フィブロインを不溶化(アルコール溶液へ浸漬)後、大幅に収縮(各辺の長さで50%程度収縮、平面積で1/4程度収縮)する現象が観察された。これは、フィブロインナノファイバー中から分子配列助剤であるPEOが抜ける事により、フィブロインの再配列が進行することで、得られるフィブロイン成形物は、その表面に多数の凹凸による数μm程度の径の穴が形成されているとともに、更に該凹凸の表面に径が300〜600nm程度の細かな穴が多数形成されている、ナノポーラス構造を有するものになるためと考えられた。加えて、実施例1と実施例2との比較により、分子配列助剤(PEO)の添加量によって、ナノポーラス構造の形状の制御が可能であることが示された。
【0021】
[比較例1]
〔試料の調製〕
上記実施例1のフィブロインスラリーの調製において、分子配列助剤を添加することなく、フィブロインスラリーを得た。そして、該フィブロインスラリーを用いて、上記実施例1と同様にナノファイバーを紡糸しようとしたところ、比較例1のフィブロインスラリーからはフィブロインナノファイバーを紡糸することが出来なかった。
〔観察及び結果2〕
上記比較例1のフィブロインスラリーについて、アルミホイル上にキャストして乾燥した後、上記実施例1のフィブロインの不溶化と同様に、不溶化剤としてエタノール溶液(濃度:90%)に浸漬し、フィブロインを不溶化して、電子顕微鏡(日立ハイテクノロジーズ社製、型色名:SU1510)を用い、状態を観察した。電子顕微鏡によるSEM写真を
図5(a)〜(c)に示す。
なお、
図5において、倍率は(a)が×1.00k、(b)が×5.00k、(c)が×10.0kである。
観察の結果、ポーラス構造は見られなかった。また、フィブロインの不溶化(アルコール溶液へ浸漬)時に、収縮は殆ど発生しなかった。
以上から、分子配列助剤を添加しないと、フィブロインナノファイバーを紡糸することができず、また、フィブロインの不溶化を行ってもポーラス構造が形成されないことが示された。
【0022】
[比較例2]
〔試料の調製〕
上記実施例1のフィブロインスラリーの調製と同様にして得られたフィブロインスラリーを、ナノファイバーへ紡糸することなく、アルミホイル上にキャストして乾燥した後、上記実施例1のフィブロインの不溶化と同様に、除去剤としてエタノール溶液(濃度:90%)に浸漬し、フィブロインを不溶化した。
〔観察及び結果3〕
上記比較例2について、電子顕微鏡(日立ハイテクノロジーズ社製、型色名:SU1510)を用い、状態を観察した。電子顕微鏡によるSEM写真を
図6(a)〜(c)に示す。
なお、
図6において、倍率は(a)が×1.00k、(b)が×5.00k、(c)が×10.0kである。
観察の結果、PEOが抜けた分、若干(2〜3%程度)収縮し、フィブロインが凝集して再配置される事により、凹凸形状が発現していた。しかし、該凹凸の表面に穴は極僅かしかなく、またその穴の径も1μm程度と大きく、ナノポーラス構造とは言えない程度のものであった。
以上から、フィブロインスラリーをナノファイバー化することで、ナノファイバー中にフィブロインが規則正しく配列された状態となり、該状態からフィブロインを不溶化することで、フィブロインの再配列が進行する、つまり該フィブロインが大きく動くことにより、ナノポーラス構造が形成されると考えられた。
【0023】
[比較例3]
〔フィブロイン水溶液の調製〕
原料にフィブロイン粉末(KBセーレン社製、商品名:「シルクパウダーCN」)を用い、該フィブロイン粉末を、塩化カルシウム水溶液に投入し、これを加熱して、フィブロインを加水分解することにより、フィブロイン溶液を得た。その後、該フィブロイン溶液をセロファン膜で作成したチューブに入れて、流水中に3日間漬け込んで透析を行い、脱塩化カルシウム処理を行って、フィブロイン水溶液を得た。得られたフィブロイン水溶液は、フィブロイン濃度が18wt%であった。
〔ナノファイバーの紡糸〕
上記フィブロイン水溶液に対して、ポリエチレンオキシド(PEO)の水溶液(PEO濃度18wt%)を、フィブロインとPEOの質量比が同じ(フィブロイン:PEO=5:5)になるように、フィブロイン水溶液と等量で添加した後、エレクトロスピニング装置(MECC社製、型式名:NF−103)を用い、ナノファイバーをシート状に紡糸した。
【0024】
〔観察及び結果4〕
電子顕微鏡(日立ハイテクノロジーズ社製、型色名:SU1510)を用い、上記比較例3について、ナノファイバーの状態を観察した。電子顕微鏡によるSEM写真を
図7(a)〜(c)に示す。
次いで、上記ナノファイバーを、エタノール溶液(濃度:90%)に浸漬し、PEOを除去した後、その状態を観察した。電子顕微鏡によるSEM写真を
図7(d)に示す。
なお、
図7で、倍率は(a)が×1.00k、(b)が×5.00k、(c)が×10.0k、(d)が×5.00kである。
図7(a)〜(c)に示したように、上記フィブロインスラリーと同様に、フィブロイン水溶液からナノファイバーが得られる。しかし、該ナノファイバーをエタノール溶液に浸漬すると、10%程度の収縮が見られ、
図7(b)と
図7(d)を比較すれば明らかなように、該収縮により、繊維径が太くなる現象、繊維同士が癒着する現象が確認された。そして、フィブロインの再配置によるナノポーラス構造は発現していなかった。
よって、フィブロイン水溶液からナノファイバー化、PEOの除去を経ても、ナノポーラス構造を有するフィブロイン成形物は得られないことが示された。