特許第6695550号(P6695550)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6695550
(24)【登録日】2020年4月24日
(45)【発行日】2020年5月20日
(54)【発明の名称】ラミナー型回折格子
(51)【国際特許分類】
   G02B 5/18 20060101AFI20200511BHJP
   G01N 23/2252 20180101ALI20200511BHJP
   G01N 23/207 20180101ALI20200511BHJP
   G21K 1/06 20060101ALI20200511BHJP
【FI】
   G02B5/18
   G01N23/2252
   G01N23/207
   G21K1/06 B
【請求項の数】4
【全頁数】9
(21)【出願番号】特願2016-200376(P2016-200376)
(22)【出願日】2016年10月11日
(65)【公開番号】特開2018-63307(P2018-63307A)
(43)【公開日】2018年4月19日
【審査請求日】2019年4月18日
(73)【特許権者】
【識別番号】301032942
【氏名又は名称】国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構
(73)【特許権者】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(74)【代理人】
【識別番号】110001069
【氏名又は名称】特許業務法人京都国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】小池 雅人
(72)【発明者】
【氏名】浮田 龍一
【審査官】 後藤 慎平
(56)【参考文献】
【文献】 特開2015−094892(JP,A)
【文献】 特表2005−513207(JP,A)
【文献】 特開2013−092754(JP,A)
【文献】 米国特許出願公開第2013/0107368(US,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G02B 5/18
G21K 1/06
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
ラミナー型ベース上に、
目的電磁波の浸透深さよりも厚い屈折率nmの金属膜が被覆され、
該金属膜の上に該目的電磁波の浸透深さよりも薄い屈折率noのランタン(La)又はランタン化合物の皮膜が被覆されており、
1 > no > nmである
ことを特徴とするラミナー型回折格子。
【請求項2】
前記金属膜がニッケル(Ni)から成るものを含むことを特徴とする請求項1に記載のラミナー型回折格子。
【請求項3】
前記金属膜が2種以上の異種の金属の膜が積層されたものであることを特徴とする請求項1又は2に記載のラミナー型回折格子。
【請求項4】
前記ランタン化合物が酸化ランタン(La2O3)又はフッ化ランタン(LaF3)であることを特徴とする請求項1〜3のいずれかに記載のラミナー型回折格子。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、軟X線等の特に短波長の電磁波に用いられる、回折効率の高いラミナー型回折格子に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、ボロン(B)やリチウム(Li)等の軽元素のK, L殻等の内殻に関する発光・吸収が起きる軟X線領域での高感度分光測定に関心が高まっている。特に製鉄産業では自動車産業等から需要の高まっている剛性が高い特殊鋼の製造の際、キーポイントとなる焼き入れ特性などの向上のため、数ppmレベルでのB添加量の正確な制御が必要とされつつある(非特許文献1)。また、内部構造や強度(硬性,靭性)、耐蝕性、耐熱性、磁気特性等との関係でBと他の元素(Fe, C, Ni, Mn, Cr等)がどのように相互作用し、その結果、どのような挙動を示すのか等、鉄鋼中の微量ボロンに関する研究は産業界だけでなく理工学分野においても興味の対象となっている。さらに最近、過酷環境に曝された原子炉内で制御棒に含まれていた高い硬度を有するB4Cを含んだ燃料デブリの化学状態分析が廃炉工法の策定上喫緊の課題とされている(非特許文献2)。
【0003】
このような鉄鋼中の微量Bの他、二次電池中のリチウムイオン、透明電極材料であるITO(酸化インジウムスズ)に含まれるSnとInなど、新しいデバイスや機能性材料を開発するため物質機能を支配している結合電子状態密度をナノスケールの空間分解能で行う分析技術の確立をめざし、本発明者らは、電子顕微鏡で観察した領域の結合電子状態を測定することが可能な、回折格子を用いた軟X線高分解能発光分光システムを開発した(非特許文献3)。透過電子顕微鏡(TEM)に搭載した実証用システムでは4枚の回折格子を用いて50eV〜4keVの領域を測定することができ、電子線プローブマイクロアナライザ(EPMA)に搭載した汎用システムでは2枚の回折格子を用いて50〜210eVの領域を測定することができる。
【0004】
しかしながら、これらのシステムにおける例えばBの分析限界は約20ppmとされていて、鉄鋼中での含有量から勘案すると、更なる高感度化を進める必要がある。このためには、BのK発光線(B-K。183.3eV、6.76nm)を中心とした領域で回折格子の回折効率を向上させる必要がある。
【0005】
K, L殻等の内殻に関する発光・吸収に対応する、エネルギーが約0.1keVから2keV付近の軟X線(波長:12nm〜0.6nm)をラミナー型回折格子で分光する場合、実用的な回折効率を得るためには光を回折格子面とすれすれの方向から入射させる。ここで、回折格子の表面には通常、反射膜として屈折率nが1よりわずかに小さい物質が積層されており、高い回折効率を得るためには、回折格子面に垂直な法線方向から測った入射角αが反射膜の全反射条件であるsinα>=nを満たすようにする。
【0006】
しかしながら、回折格子の溝の効果により、回折される光のエネルギーは、正反射条件を満たす零次光や多くの次数光に分散されるだけでなく、表面物質内に吸収される成分も存在するため、測定に利用される1次数の光(または−1次数の光)の強度は回折格子溝のない鏡の全反射の場合の強度に比較して非常に弱くなる。このため、ラミナー型回折格子においては、その矩形状の溝の深さ及び凹凸の山面と谷面の面積比(デューティ比)を最適化し、山面と谷面からの光が所望の回折次数の光の回折光方向で正の干渉を起こすように設計される。
【0007】
軟X線域で高い回折効率を得る方法として、回折格子溝を有する表面に低密度物質層と、それよりも密度が高い高密度物質層を交互に積層した多層膜構造を形成する方法がある。多層膜構造を形成した回折格子では、軟X線を全反射条件よりわずかに小さい入射角で入射させることにより、軟X線を多層膜構造内に侵入させ、高密度物質層で回折された光を干渉で強めることにより高い回折効率を得ている。しかしこの場合、多層膜構造内に吸収されるエネルギーも大きくなるため、膜内部深くまで光(軟X線)が侵入できず、溝端面での散乱の発生などの理由により、多層膜構造の干渉効果を十分に生かすことができなかった。このことが軟X線多層膜回折格子で高い回折効率を得ることを困難にしていた。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0008】
【特許文献1】特開2015-94892号公報
【非特許文献】
【0009】
【非特許文献1】渡辺征一, 大谷泰夫:鉄と鋼 62, 1851-1858 (1976)
【非特許文献2】R. Kasada, Y. Ha, T. Higuchi, K. Sakamoto, Scientific Reports, 6:25700, DOI: 10.1038/srep 25700 (2016), (6 pages)
【非特許文献3】T. Imazono, M. Koike, et al., Proc. of SPIE, 8848, 884812 (2013)
【非特許文献4】小池雅人他, 「DLC光学素子の軟X線への応用」, レーザー学会第471回研究会報告, RTM-14-71
【非特許文献5】M. G. Moharam and T. K. Gaylord, "Rigorous coupled-wave analysis of metallic surface-relief gratings", J. Opt. Soc. Am. A3, 1780-1787 (1986)
【非特許文献6】M. Koike, S. Mitani, and T. Namioka, Appl. Opt. 30, 4528-4536 (1991)
【非特許文献7】K. Suenaga, Y. Sato, Z. Liu, H. Kataura, T. Okazaki, K. Kimoto, H. Sawada, T. Sasaki, K. Omoto, T. Tomita, T. Kaneyama, and Y. Kondo, Nature Chem. 1, 415-418 (2009)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
多層膜構造を用いた軟X線用回折格子においては、前記吸収の存在により、幅広いエネルギー帯域で回折効率を向上させることが困難で、最近主流となりつとある二次元撮像素子を用いた幅広いエネルギー帯域の高い同時分光計測には適さない。
【0011】
本発明者らは、一般に市販されている、金属膜表面を持つ軟X線分光分析用回折格子の表面にダイヤモンドライクカーボン(DLC)等の高密度炭素膜を付加することにより、これら回折格子の回折効率の向上が可能であることを計算及び実験で示した(特許文献1、非特許文献4)
【0012】
しかし、より微量のBの分析が必要とされる場合、更なる回折効率の向上が必要となる。また、金属膜表面へのダイヤモンドライクカーボン(DLC)等の高密度炭素膜の付加は、実際の製造工程において容易に行うことができない。
【0013】
本発明は、かかる問題点に鑑みてなされたものであり、回折効率が高く、かつ、容易に製造を行うことができる回折格子を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0014】
上記課題を解決するために成された本発明に係るラミナー型回折格子は、
ラミナー型ベース上に、
目的電磁波の浸透深さよりも厚い屈折率nmの金属膜が被覆され、
該金属膜の上に該目的電磁波の浸透深さよりも薄い屈折率noのランタン(La)又はランタン化合物の皮膜が被覆されており、
1 > no > nmである
ことを特徴とする。
【0015】
上記態様のラミナー型回折格子において、前記金属膜は、例えばニッケル(Ni)とすることができる。
【0016】
前記金属膜は、2種以上の異種の金属の膜が積層されたものであってもよい。
【0017】
前記ランタン化合物は、酸化ランタン(La2O3)又はフッ化ランタン(LaF3)とすることができる。
【0018】
本発明に係るラミナー型回折格子は、従来の金、白金等を被覆した金属膜被覆回折格子とは異なる原理に基づき、回折効率を向上するものである。すなわち、従来の金属膜被覆回折格子においては、入射角を全反射条件より大きい角度で用いることにより、吸収を少なくし、回折効率の向上を図ろうとするものであるが、吸収を全くなくすることはできない。
【0019】
本発明に係るラミナー型回折格子では、目的電磁波(回折しようとする電磁波)の入射角を金属膜の全反射条件より僅かに大きい角度として使用する。入射した目的電磁波は、エバネッセント効果により、一部がランタン又はランタン化合物の皮膜内に侵入し、さらに金属膜に侵入するが、上記条件により金属膜を透過することはない。いずれにせよ、上記屈折率条件により目的電磁波はランタン又はランタン化合物の皮膜及び金属膜で全反射するとともに、これらエバネッセント効果により侵入した目的電磁波が再び表面に出ることにより回折に寄与し、回折効率を高める。
【0020】
波長λの電磁波が屈折率n1の物質から屈折率n2の物質に入射角αで入射したとき、その電磁波の強度が1/e(eは自然対数の底(2.718)。従って、1/e=0.368)になる深さxdは近似的に次式で与えられる。
xd=λ/{2π√(n12sin2α−n22)} …(1)
【0021】
従って、上記「目的電磁波の浸透深さよりも厚い」とは、その金属膜の全反射角又はそれよりも僅かに大きい角度で入射する目的電磁波の強度が(1/e)2=0.13以下となる厚さ、すなわち、上記式(1)でn2=nmとしたときのxdの2倍程度以上とすることができる。
【0022】
同様に、上記「目的電磁波の浸透深さよりも薄い」とは、該角度でランタン又はランタン化合物の皮膜に入射し、透過する目的電磁波の強度が(1/e)2=0.13以上となる厚さ、すなわち、上記式(1)でn2=noとしたときのxdの2倍程度以下とすることができる。
【0023】
図1は、金(Au)、白金(Pt)、ニッケル(Ni)、炭素(C)、DLC(密度3.1g/cm3)、ランタン(La)、酸化ランタン(La2O3)及びフッ化ランタン(LaF3) の、ボロン(B)のK発光線(B-K)の波長λが6.76 nm、入射角αが84.5°、斜入射角θ(= 90°-α)が5.5°の場合の補屈折率δ、実屈折率n(= 1-δ)、消衰係数βe、斜臨界角θC、正規化入射角θ/θC、反射率Rを表にしたものである。図2は、これらの物質について、横軸をθ/θC(Normalized Grazing Incidence Angle)、縦軸をR(Reflectivity)に取って示したグラフ(Compton図とも呼ばれる)である。
【0024】
従来、反射鏡等の光学素子の表面には、酸化等による光学的劣化を避けるために化学的に不活性で、かつ吸収が小さい物質を被覆することが行われているが、それは主に、異物質間(界面)の化学的変化や熱力学的変化を制限するに必要最小限の膜厚に制御することを目的としたものであり、回折格子の表面被覆として反射回折光の高効率化を目的とするものではなかった。
【発明の効果】
【0025】
本発明では、回折格子表面のランタン又はランタン化合物の皮膜の効果により、薄膜内で吸収されるエネルギーを減少させるだけでなく、正反射光(零次光)を低減させ、測定に用いる+1次光(もしくは−1次光)となるエネルギーの割合を広いエネルギー帯域で増加させることができ、回折効率を高めることができる。また、実際の製造においては、金属膜上にランタン又はランタン化合物の皮膜を形成するのは容易であり、低コストで製造を行うことができる。
【図面の簡単な説明】
【0026】
図1】金(Au)、白金(Pt)、ニッケル(Ni)、炭素(C)、DLC(密度3.1g/cm3)、ランタン(La)、酸化ランタン(La2O3)及びフッ化ランタン(LaF3)の、波長λ(= 6.76 nm)、入射角α(= 84.5°)、斜入射角θ(= 90°-α)の場合の補屈折率δ、実屈折率n(= 1-δ)、消衰係数βe、斜臨界角θC、正規化入射角θ/θC、反射率Rの表。
図2図1に記載の各物質のCompton図。
図3】通常の基板Sと金属膜Mからなる矩形状のラミナー型回折格子の表面に新たな薄膜層Tを付加した本発明に係る回折格子の概略構成図。
図4】La、La2O3、LaF3層(薄膜層T)の厚さ(thickness, d2)を変化させ、数値計算により求めた1次回折光の回折効率(Diffraction Efficiency)のグラフ。
図5】波長6.76 nmにおいて、薄膜層Tが無い場合、Laを26.8 nm、La2O3を29.8 nm、LaF3を29.8 nm堆積した場合の+1次回折光の回折効率(Diffraction Efficiency)の入射角(Incidence Angle)依存性を示すグラフ。
図6】入射角85.0°において、金属膜MとしてNi層のみを堆積した場合、及び薄膜層Tとしてその層の上にLaを26.8 nm、La2O3を29.8 nm、LaF3を29.8 nm堆積した場合の1次回折光の4〜12 nmでの回折効率(Diffraction Efficiency)の波長(Wavelength)依存性を示すグラフ。
図7】Niの金属膜Mのみの場合の0次、+1次、+2次及び+3次回折光の回折効率(Diffraction Efficiency)の波長(Wavelength)依存性を示したグラフ。
図8】Niの金属膜Mの上に薄膜層TとしてLaを堆積した場合の0次、+1次、+2次及び+3次回折光の回折効率(Diffraction Efficiency)の波長(Wavelength)依存性を示したグラフ。
図9】Niの金属膜Mの上に薄膜層TとしてLa2O3を堆積した場合の0次、+1次、+2次及び+3次回折光の回折効率(Diffraction Efficiency)の波長(Wavelength)依存性を示したグラフ。
図10】Niの金属膜Mの上に薄膜層TとしてLaF3を堆積した場合の0次、+1次、+2次及び+3次回折光の回折効率(Diffraction Efficiency)の波長(Wavelength)依存性を示したグラフ。
【発明を実施するための形態】
【0027】
以下、本発明の実施形態である軟X線用ラミナー型回折格子を詳細に説明する。
【0028】
[ラミナー回折格子]
物質の複素屈折率nはn=(1−δ)−iβで表される。ここで、1−δは(実)屈折率、βは消衰係数である。入射光が表面すれすれに入射するときの鏡表面から測った臨界角θCは、良い近似でθC=(2δ)1/2で表される。
【0029】
図3は通常の基板Sと金属膜Mからなる矩形状のラミナー型回折格子の表面に新たな薄膜層Tを付加した本発明に係る回折格子の概略構成図である。直交座標系において、x軸を回折格子中心Oでの回折格子の垂線(法線)方向、y軸をOでの回折格子面の接線方向、z軸をOにおいて紙面に垂直な軸とする。この時、x軸方向から入射光の方向へ張る角度を入射角(α)とする。また、x軸方向から測定に用いる波長(λ)の回折次数(m)が+1次の回折光の方向を回折角(β)とする。角度αとβの双方について符号はx軸から反時計廻りを正とする。よく知られているようにα、β、λ、mの間には回折格子の式:sinα + sinβ = mλの関係がある。回折格子溝はラミナー型と一般に称される矩形波形状であり、基板Sの表面には溝周期である格子定数(σ)、溝の山部の長さ(a)、溝深さ(h)の格子溝が形成されているものとする。
以下の計算では、入射角αが87.07°において3.5〜8.5 nmの一次光に対して高い回折効率が得られるように最適化された回折格子の諸元、即ち表面物質: Ni、膜厚(d1): 30 nm、刻線密度(1/σ): 1200本/mm、溝深さ(h): 16 nm、duty ratio(a/σ): 0.3を用いた。
【0030】
[薄膜層厚、入射角の最適化]
最適なT層の厚さを求めるため、La、La2O3、LaF3層(薄膜層T)の厚さ(thickness, d2)を変化させ、数値計算により求めた1次回折光(m = +1)の回折効率(Diffraction Efficiency)を図4に示す。設計波長をB-K発光の波長である6.76 nm、入射角を従来の87.07°と比較して小さく、光束(flux)の取り込み角の大きくなる低入射角(広受光角)である85.0°とした。この場合、光束の増加率は1.70倍となる。数値計算にはMoharamらに基づく方法 (非特許文献5)を用いた。図からわかるように、d2 = 0の場合(薄膜層Tが無い場合)の回折効率は0.170である。実用上、回折効率は0.2以上が必要とされる。
それに対し、Laの場合は26.8 nm、La2O3とLaF3の場合は29.8 nmの膜厚で回折効率が極大となり、その時の回折効率はそれぞれ0.428、0.388、0.342である。したがって、それぞれの物質の最適膜厚の場合の回折効率は、T層が無い場合に比較して、2.51倍、2.28倍、2.01倍になる。Ni表面で入射角87.07°の場合の1次回折光の回折効率は0.154であるので、上述の光束の増加率(1.70倍)も考慮すると、La、La2O3、LaF3を最適な膜厚で堆積したラミナー型回折格子を用いることにより、+1次回折光の光量は従来比でそれぞれ4.72倍、4.28倍、3.78倍と大幅に増加する。
図5は波長6.76 nmにおいて図3の薄膜層Tが無い場合(図5ではNiと記載)、Laを26.8 nm、La2O3を29.8 nm、LaF3を29.8 nm堆積した場合の+1次回折光の回折効率(Diffraction Efficiency)の入射角(Incidence Angle)依存性を示したものである。各回折効率曲線の82.8°付近に見られる変曲点は、回折格子の回折異常(anomaly)と呼ばれている現象の一種で、入射角の変化により、この場合-1次回折光の回折角がβ = -90°(passing-off condition)となるときに生じるWood anomalyと呼ばれる現象である(非特許文献6)。この図から、La、La2O3、LaF3を最適な厚さで堆積することにより、85.0°近辺の入射角でNiを表面とする回折格子より2倍以上回折効率が向上する可能性があることが判る。
【0031】
[回折効率の次数分布と波長依存性]
図6は入射角85.0°において、金属膜MとしてNi層のみを堆積した場合、及び薄膜層Tとして金属膜Mの上にLaを26.8 nm、La2O3を29.8 nm、LaF3を29.8 nm堆積した場合の1次回折光の4〜12 nmでの回折効率(Diffraction Efficiency)の波長(Wavelength)依存性を示す。この図からLa系膜を堆積した場合、約6 nm〜10 nmの領域で、Ni層を表面とする場合よりも高い回折効率が得られることが判る。一方、約10 nm以上で生じる回折効率の低下はLaのN吸収端(非特許文献7)に起因すると考えられる。
図7図10は薄膜層Tの付加が回折光の各次数への分布に与える影響を示すため、図6で示した+1次回折光の他、0次光と+2、+3次回折光の回折効率(Diffraction Efficiency)の波長(Wavelength)依存性を示したものである。図7図8図9図10にそれぞれNiの金属膜Mのみの場合、その上に薄膜層TとしてLa、La2O3、LaF3を堆積した場合を示す。これらの図から、La系膜の付加により設計波長のB-Kにおいて0次光の効率が極小を示し、その減少した光エネルギーが1次回折光にエネルギーが移っていることが解る。全反射領域において生じるこのような現象は最近本発明者らによって見出されたもので、DLCを薄膜層Tに用いた場合の実験でも確かめられている。
【0032】
図3において金属膜MをNi層とし、その膜厚を30nmとすると、入射角87°のとき、透過する光の割合は10-4以下になる。すなわち、金属膜Mを透過する光は事実上存在しないとみなせる。このことは、この条件において回折効率は基板材質に依存しないことを示している。したがって、平面基板上の樹脂層の表面に格子溝が刻線されているレプリカ回折格子においても上記計算例と同じ回折効率が得られる。レプリカ回折格子は格子溝が基板表面に刻線されているマスター回折格子に比較して安価に製作できるため、このことも工業的な量産にあたって都合の良い重要な特性である。
【0033】
これまで、酸化を防ぐ保護膜として炭素系またはフッ素系の薄膜を軟X線光学素子表面に形成することは考えられてきたが、この膜を反射率、回折効率を増すために利用しようとする試みは見られなかった。本発明は、湿気のある大気中においても安定な酸化物又はフッ化物薄膜付加により保護膜としての効果のみならず、回折格子にとって根幹的な性能である回折効率の増加を広いエネルギー帯域においてもたらすこと、膜厚の公差は大きくてよいことを明らかにしたもので、工業的な有用性が高い。
【符号の説明】
【0034】
S…回折格子基板
M…金属膜
T…薄膜層
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7
図8
図9
図10