特許第6705559号(P6705559)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

知財求人 - 知財ポータルサイト「IP Force」

▶ 株式会社島津製作所の特許一覧

特許6705559イオン光学素子の設計方法及び質量分析装置
<>
  • 特許6705559-イオン光学素子の設計方法及び質量分析装置 図000002
  • 特許6705559-イオン光学素子の設計方法及び質量分析装置 図000003
  • 特許6705559-イオン光学素子の設計方法及び質量分析装置 図000004
  • 特許6705559-イオン光学素子の設計方法及び質量分析装置 図000005
  • 特許6705559-イオン光学素子の設計方法及び質量分析装置 図000006
  • 特許6705559-イオン光学素子の設計方法及び質量分析装置 図000007
  • 特許6705559-イオン光学素子の設計方法及び質量分析装置 図000008
  • 特許6705559-イオン光学素子の設計方法及び質量分析装置 図000009
  • 特許6705559-イオン光学素子の設計方法及び質量分析装置 図000010
  • 特許6705559-イオン光学素子の設計方法及び質量分析装置 図000011
  • 特許6705559-イオン光学素子の設計方法及び質量分析装置 図000012
  • 特許6705559-イオン光学素子の設計方法及び質量分析装置 図000013
  • 特許6705559-イオン光学素子の設計方法及び質量分析装置 図000014
  • 特許6705559-イオン光学素子の設計方法及び質量分析装置 図000015
< >
(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6705559
(24)【登録日】2020年5月18日
(45)【発行日】2020年6月3日
(54)【発明の名称】イオン光学素子の設計方法及び質量分析装置
(51)【国際特許分類】
   H01J 49/42 20060101AFI20200525BHJP
   G01N 27/62 20060101ALI20200525BHJP
【FI】
   H01J49/42
   G01N27/62 E
【請求項の数】6
【全頁数】16
(21)【出願番号】特願2019-532227(P2019-532227)
(86)(22)【出願日】2017年7月24日
(86)【国際出願番号】JP2017026610
(87)【国際公開番号】WO2019021338
(87)【国際公開日】20190131
【審査請求日】2019年7月17日
(73)【特許権者】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(74)【代理人】
【識別番号】110001069
【氏名又は名称】特許業務法人京都国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】谷口 純一
【審査官】 右▲高▼ 孝幸
(56)【参考文献】
【文献】 特表2005-535080(JP,A)
【文献】 特開2007-80830(JP,A)
【文献】 特表2012-532427(JP,A)
【文献】 特表2013-536556(JP,A)
【文献】 米国特許出願公開第2006/118716(US,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
H01J 49/42
G01N 27/62
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
直線状の軸を囲むように該軸に略平行に配置された4本のロッド電極にそれぞれ印加される電圧によって、それらロッド電極で囲まれる空間に四重極電場及びそれよりも次数の高い多重極電場を形成して、該空間にイオンを捕捉したあと、捕捉されているイオンの中で特定の質量電荷比を持つ若しくは特定の質量電荷比範囲に含まれるイオンを残して他のイオンを排除するイオン分離操作を実行する、又は、前記空間を通過するイオンの中で特定の質量電荷比を持つ若しくは特定の質量電荷比範囲に含まれるイオンを選択的に通過させるイオン分離操作を実行するためのイオン光学素子を設計するイオン光学素子の設計方法であって、
四重極電場の強さに対する八重極電場の強さの比率及び該四重極電場の強さに対する十二重極電場の強さの比率の極性が互いに異なるとともにその絶対値がそれぞれ0.005以上であり、且つ十二重極電場の強さに対する八重極電場の強さの比率の絶対値が0.5〜1.4の範囲に収まるように前記4本のロッド電極の形状と配置とを定めるようにしたことを特徴とするイオン光学素子の設計方法。
【請求項2】
請求項1に記載のイオン光学素子の設計方法であって、
前記4本のロッド電極は断面円形状又は前記軸に向いた部分の断面形状が円弧状であり、前記軸を挟んで対向する2本のロッド電極を組とした2組のロッド電極ペアについて、一方のロッド電極ペアに含まれる2本のロッド電極と前記軸との最短距離と、他方のロッド電極ペアに含まれる2本のロッド電極と前記軸との最短距離とをずらすことにより、八重極電場及び十二重極電場を四重極電場に重畳させて生成するようにしたことを特徴とするイオン光学素子の設計方法。
【請求項3】
試料由来のイオンを生成するイオン源と、直線状の軸を囲むように該軸に略平行に配置された4本のロッド電極にそれぞれ印加される電圧によって、それらロッド電極で囲まれる空間に四重極電場及びそれよりも次数の高い多重極電場を形成して該空間にイオンを捕捉するリニア型のイオントラップと、該リニア型のイオントラップから排出されたイオンを検出するイオン検出部と、を具備し、前記リニア型のイオントラップにイオンを捕捉したあと該イオンの中で特定の質量電荷比を持つ又は特定の質量電荷比範囲に含まれるイオンを残して他のイオンを排除するイオン分離操作を実行する質量分析装置において、
前記リニア型のイオントラップは、四重極電場の強さに対する八重極電場の強さの比率及び該四重極電場の強さに対する十二重極電場の強さの比率の極性が互いに異なるとともにその絶対値がそれぞれ0.005以上であり、且つ十二重極電場の強さに対する八重極電場の強さの比率の絶対値が0.5〜1.4の範囲に収まるように前記4本のロッド電極の形状と配置とが定められてなることを特徴とする質量分析装置。
【請求項4】
試料由来のイオンを生成するイオン源と、特定の質量電荷比を持つ又は特定の質量電荷比範囲に含まれるイオンを選択的に通過させる四重極型マスフィルタと、該四重極型マスフィルタを通過したイオンを検出するイオン検出部と、を具備する質量分析装置において、
前記四重極型マスフィルタは、直線状の軸を囲むように該軸に略平行に配置された4本のロッド電極から成り、四重極電場の強さに対する八重極電場の強さの比率及び該四重極電場の強さに対する十二重極電場の強さの比率の極性が互いに異なるとともにその絶対値がそれぞれ0.005以上であり、且つ十二重極電場の強さに対する八重極電場の強さの比率の絶対値が0.5〜1.4の範囲に収まるように前記軸を囲む4本のロッド電極の形状と配置とが定められ、
前記四重極型マスフィルタを通過させたいイオの質量電荷比又は質量電荷比範囲に応じた周波数成分を有する高周波電圧を前記4本のロッド電極にそれぞれ印加する電圧発生部を備えることを特徴とする質量分析装置。
【請求項5】
請求項4に記載の質量分析装置であって、
前記4本のロッド電極のそれぞれを軸方向にN個(Nは2以上の整数)に分割して互いに所定距離離間して配置し、
前記電圧発生部は、軸方向に分割されたN個のロッド電極に、階段状に電位差を有するそれぞれ異なる直流電圧を印加することを特徴とする質量分析装置。
【請求項6】
請求項4に記載の質量分析装置であって、
前記4本のロッド電極はそれぞれ抵抗体から成る又は導電体の表面に抵抗体層が形成されたものであり、
前記電圧発生部は、該4本のロッド電極の両端に所定の電位差を有する直流電圧をそれぞれ印加することを特徴とする質量分析装置。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、高周波電場の作用によってイオンを捕捉したり特定のイオンを選択したりするためのイオン光学素子を設計する方法、及び、該イオン光学素子を利用した質量分析装置に関する。本発明は特に、リニア型イオントラップや四重極型マスフィルタなどの、四重極ロッド電極を利用したイオン光学素子の設計方法及び質量分析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
質量分析装置の一つとして、電場の作用によりイオンを捕捉するイオントラップを利用した質量分析装置が知られている。イオントラップには大別して、3次元四重極型イオントラップとリニア型イオントラップ(2次元イオントラップとも呼ばれる)とがある。一般的なリニア型イオントラップは、直線状の中心軸を取り囲むように互いに略平行に配置された4本のロッド電極を含み、その4本のロッド電極で囲まれる空間にイオンを捕捉する(特許文献1参照)。
【0003】
図2はリニア型イオントラップにおける4本のロッド電極3a、3b、3c、3dを中心軸Cに直交する面で切断した概略断面図である。4本のロッド電極3a〜3dは断面円形状であり、中心軸Cを中心とする所定径x0の仮想的な円筒体の外側に接すように、且つ隣接する二本のロッド電極(例えば3aと3b)間の回転角度が90°になるように配置される。4本のロッド電極3a〜3dで囲まれる空間にイオンを捕捉する際には、周方向に隣接するロッド電極に振幅が同じで位相が逆である(180°ずれている)高周波電圧が印加される。これにより、ロッド電極で囲まれる空間には捕捉電場が形成される。
【0004】
また、捕捉したイオンを励振させてリニア型イオントラップの外側に排出したり或いは内部空間に導入した中性粒子(ガス分子等)にイオンを衝突させて衝突誘起解離による開裂を促したりする際には、上記捕捉電場形成用の電圧に重畳させて、中心軸Cを挟んで対向する2本一組のロッド電極(例えば3aと3c)に互いに極性が相違する同一振幅の交流電圧を印加する。これにより、ロッド電極3a〜3dで囲まれる空間には特定のm/zを有する又はm/z範囲に含まれるイオンを共鳴励起する電場が形成される。
【0005】
上記リニア型イオントラップにおいて、各ロッド電極の形状や配置が理論通りである場合には、イオントラップの内部空間に形成される高周波電場は四重極電場のみであるが、性能を改善するために、ロッド電極の形状や配置を理論状態から意図的にずらすようにした構成が採られることがある(特許文献2など参照)。ロッド電極の形状や配置を理想状態からずらすと、四重極電場だけでなく四重極よりも次数の高い多重極電場(以下、四重極よりも大きい次数のものを「多重極」という)が発生する。
【0006】
例えば四重極電場に八重極電場が加わると、四重極電場のみである場合に比べて、内部空間にイオンを捕捉している状態でロッド電極に印加する電圧を走査した際に或る電圧において内部空間から外側へのイオンの排出が急速に行われるようになる。この現象を利用することで、質量分離器としてリニア型イオントラップを用いた質量分析装置(以下「イオントラップ質量分析装置」という)における質量分解能を向上させることができる。また、八重極電場によって内部空間でのイオンの捕捉効率を向上させることができ、それにより検出感度を改善することもできる。こうした効果を得るために、従来市販されているリニア型イオントラップは上記のような多重極電場を利用した構成となっているものが多い。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【特許文献1】米国特許第6797950号明細書
【特許文献2】特公表2010−520605号公報
【特許文献3】特開2007−80830号公報
【特許文献4】米国特許第5449905号明細書
【非特許文献】
【0008】
【非特許文献1】ランダウ(L.D.Landau)ほか1名、「メカニクス(Mechanics)」、パーガモン・プレス(Pergamon Press)、1969年
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
イオントラップ質量分析装置においてMSn分析(nは2以上の整数)を行う場合、目的試料由来のイオンを内部空間に捕捉したあと、ターゲットとするm/z値以外の不要なイオンを外部へと排出するプリカーサイオン選択操作を行い、そのあとに、イオントラップ内に残したターゲットとするm/z値のイオン(プリカーサイオン)を衝突誘起解離等により解離させる必要がある。プリカーサイオン選択操作としては、図10に示すような、ターゲットとするm/zに対応する周波数にノッチを持つ広帯域の周波数スペクトルを有する信号、いわゆるFNF(=Filtered Noise Field)信号を励起電圧としてロッド電極に印加する手法がよく用いられている(特許文献4参照)。
【0010】
上述したようにロッド電極の形状や配置を意図的に理想状態からずらして多重極電場を生成するとイオン捕捉効率は向上するものの、理想状態からのずれが或る程度以上大きくなると、イオン捕捉効率は向上しても上記手法によるプリカーサイオン選択の際のイオン分離の分解能が低下するという問題がある。イオン分離の分解能が低下すると、ターゲットとするイオン以外の不所望のイオン由来のプロダクトイオンピークがMSnスペクトルに現れることになり、MSnスペクトルの品質の低下に繋がる。こうした制約から、従来、MSn分析を行うイオントラップ質量分析装置の場合、ロッド電極の形状や配置の理想状態からのずれは経験的に定められた適当な範囲に抑えられていた。即ち、従来のイオントラップ質量分析装置では、イオン分離の分解能を高くしつつイオン捕捉効率もできるだけ高くするという設計上の最適化は必ずしもなされていなかった。それ故に、実際には、イオン分離の分解能又はイオン捕捉効率のいずれかが犠牲になっていた。
【0011】
本発明の少なくとも一つの態様は上記課題を解決するために成されたものであり、イオン分離の際に高い分解能を確保しつつイオン捕捉効率も高めることで、質の高いMSnスペクトルを作成することができるとともに検出感度を向上させることができるイオン光学素子の設計方法、及び該方法で設計されたイオン光学素子を用いた質量分析装置を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0012】
リニア型、3次元四重極型のいかんに拘わらず、高周波電場によイオントラップ内に捕捉されているイオンに対するイオン分離操作の分解能は、その高周波電場におけるイオンの強制的な振動周波数とイオンの振動振幅との関係を表す共鳴曲線の形状に対応する。よく知られているように、イオントラップにより形成される高周波電場が四重極電場のみである場合、つまり理想状態である場合、共鳴曲線の形状は典型的には図4(a)に示すように左右対称の山形のピークになる。これに対し、特許文献3にも記載されているように、四重極電場に八重極電場が加わると共鳴曲線の形状は例えば図4(b)に示すように非対称になり、低周波側又は高周波側のピークのスロープが急峻になる。このような急峻なスロープは共鳴状態が鋭いことを意味しており、共鳴分解能つまりはイオン分離の分解能も高くなる。
【0013】
ただし、特許文献3に記載の例でもそうであるように、ピークの一方の側のスロープが急峻になると他方の側のスロープは逆になだらかになる。そのため、イオントラップ内に特定のm/z又はm/z範囲のイオンを選択的に残したい場合、上記スロープがなだらかである側、つまりは低m/z側又は高m/z側の一方の分解能は悪くなり、所望のm/z又はm/z範囲よりも広いm/z範囲のイオンがイオントラップ内に残ってしまうという問題がある。
【0014】
これに対し本発明者は、イオントラップにおける電極の形状や配置を様々に変えたときの多重極電場の強さと共鳴曲線とをシミュレーション計算により求めた結果、四重極電場に重畳される八重極電場にさらに次数の高い十二重極電場が重畳され、その八重極電場と十二重極電場の極性(電場を強めるか又は弱めるか)が互いに逆であって四重極電場に対する八重極電場と十二重極電場の強さの比率が同程度で且つ所定の条件を満たす場合に、共鳴曲線の両側のスロープがいずれも比較的急峻になることを見いだした。即ち、四重極電場に重畳される八重極電場と十二重極電場の強さが所定の条件を満たすように電極の形状や配置が理想状態からずれた状態であれば、イオンの捕捉効率を高く保ちつつ、イオン分離の際の分解能を高くすることが可能である。本発明者はこうした知見に基づいて本発明を成すに至った。
【0015】
本発明に係るイオン光学素子の設計方法は、直線状の軸を囲むように該軸に略平行に配置された4本のロッド電極にそれぞれ印加される電圧によって、それらロッド電極で囲まれる空間に四重極電場及びそれよりも次数の高い多重極電場を形成して、該空間にイオンを捕捉したあと、捕捉されているイオンの中で特定の質量電荷比を持つ若しくは特定の質量電荷比範囲に含まれるイオンを残して他のイオンを排除するイオン分離操作を実行する、又は、前記空間を通過するイオンの中で特定の質量電荷比を持つ若しくは特定の質量電荷比範囲に含まれるイオンを選択的に通過させるイオン分離操作を実行するためのイオン光学素子を設計するイオン光学素子の設計方法であって、
四重極電場の強さに対する八重極電場の強さの比率及び該四重極電場の強さに対する十二重極電場の強さの比率の極性が互いに異なるとともにその絶対値がそれぞれ0.005以上であり、且つ十二重極電場の強さに対する八重極電場の強さの比率の絶対値が0.5〜1.4の範囲に収まるように前記4本のロッド電極の形状と配置とを定めるようにしたことを特徴としている。
【0016】
ここでいう「イオン光学素子」とは典型的には、リニア型イオントラップ又は四重極型マスフィルタである。また、イオンを捕捉する機能を有するイオンガイドなども含むものとすることができる。
【0017】
また、ここで、四重極電場や八重極電場等の「強さ」とは、理論的な計算の上では、電場が形成される空間における電位分布を示す後述する(1)式等の展開式における「多重極電場係数(又は多重極場展開係数ともいう)の値」であり、電場の強さの比率とはその多重極電場係数の比率である。
【0018】
また本発明に係るイオン光学素子の設計方法では、具体的に、前記4本のロッド電極は断面円形状又は前記軸に向いた部分の断面形状が円弧状であり、前記軸を挟んで対向する2本のロッド電極を組とした2組のロッド電極ペアについて、一方のロッド電極ペアに含まれる2本のロッド電極と前記軸との最短距離と、他方のロッド電極ペアに含まれる2本のロッド電極と前記軸との最短距離とをずらすことにより、八重極電場及び十二重極電場を四重極電場に重畳させて生成するようにすることができる。
【0019】
また本発明の一つの態様による質量分析装置は、上記発明に係るイオン光学素子の設計方法により設計されたリニア型イオントラップを用いた質量分析装置であり、試料由来のイオンを生成するイオン源と、直線状の軸を囲むように該軸に略平行に配置された4本のロッド電極にそれぞれ印加される電圧によって、それらロッド電極で囲まれる空間に四重極電場及びそれよりも次数の高い多重極電場を形成して該空間にイオンを捕捉するリニア型のイオントラップと、該リニア型のイオントラップから排出されたイオンを検出するイオン検出部と、を具備し、前記リニア型のイオントラップにイオンを捕捉したあと該イオンの中で特定の質量電荷比を持つ又は特定の質量電荷比範囲に含まれるイオンを残して他のイオンを排除するイオン分離操作を実行する質量分析装置において、
前記リニア型のイオントラップは、四重極電場の強さに対する八重極電場の強さの比率及び該四重極電場の強さに対する十二重極電場の強さの比率の極性が互いに異なるとともにその絶対値がそれぞれ0.005以上であり、且つ十二重極電場の強さに対する八重極電場の強さの比率の絶対値が0.5〜1.4の範囲に収まるように前記4本のロッド電極の形状と配置とが定められてなることを特徴としている。
【0020】
図4に示したような共鳴曲線は、単一周波数の正弦波電圧をイオントラップを構成する電極に印加した場合のものであり、これによって、特定の振動周波数を持つイオンを選択的に励起したりロッド電極で囲まれる空間から排出したりすることができる。一方、上述したように、特定の振動周波数にノッチを有するFNF信号をイオントラップを構成する電極に印加すると、特定の質量電荷比値を有する又は特定の質量電荷比範囲に入るイオンのみが励起されず、それ以外の全てのイオンが励起されて大きく振動する。そこで、これを利用すれば、特定の質量電荷比値を有する又は特定の質量電荷比範囲に入るイオンのみを選択的に通過させる四重極型のマスフィルタを実現することができる。
【0021】
即ち、本発明の他の態様の質量分析装置は、試料由来のイオンを生成するイオン源と、特定の質量電荷比を持つ又は特定の質量電荷比範囲に含まれるイオンを選択的に通過させる四重極型マスフィルタと、該四重極型マスフィルタを通過したイオンを検出するイオン検出部と、を具備する質量分析装置において、
前記四重極型マスフィルタは、直線状の軸を囲むように該軸に略平行に配置された4本のロッド電極から成り、四重極電場の強さに対する八重極電場の強さの比率及び該四重極電場の強さに対する十二重極電場の強さの比率の極性が互いに異なるとともにその絶対値がそれぞれ0.005以上であり、且つ十二重極電場の強さに対する八重極電場の強さの比率の絶対値が0.5〜1.4の範囲に収まるように前記軸を囲む4本のロッド電極の形状と配置とが定められ、
前記四重極型マスフィルタを通過させたいイオンの質量電荷比又は質量電荷比範囲に応じた周波数成分を有する高周波電圧を前記4本のロッド電極にそれぞれ印加する電圧発生部を備えることを特徴としている。
【0022】
この態様の質量分析装置では、上記態様の質量分析装置とは異なり、ロッド電極で囲まれる空間にイオンを捕捉することなく、イオンがその空間を通過する間に、特定の質量電荷比値を有する又は特定の質量電荷比範囲に入るイオン以外の全てのイオンを励振させて排除する。四重極電場、八重極電場、及び十二重極電場の強さを上記関係のように定めることで共鳴曲線の両側のスロープが共に比較的急峻になるため、分析対象である目的の質量電荷比を有する又は目的の質量電荷比範囲に入るイオンを高い分離能で以て選択的に通過させることができる。
【0023】
また特に、共鳴曲線の両側のスロープが共に比較的急峻になる現象は、真空度が比較的低い状態、つまりは残留ガスが比較的多い状態でも観測される。一般的な四重極マスフィルタは、イオンとガスとの衝突が殆ど無視できる程度の高い真空度の下でないと十分な性能を発揮することができない。それに対し、上記態様の質量分析装置における四重極型マスフィルタは、より低い真空度の下でも高いイオン分離能を有するため、四重極型マスフィルタを配置する真空チャンバ内の真空度をそれほど高くしなくてもよい。そのため、安価な真空ポンプを利用することができるという利点がある。
【0024】
ただし、真空度が低いとロッド電極で囲まれる空間に入射した観測対象であるイオンがガスに接触してエネルギを失い、通り抜けることができなくなるケースが増える。そこで、上記態様の質量分析装置では、4本のロッド電極で囲まれる空間に、イオンが通過する方向に階段状又は直線状の下り勾配を有する直流電場を形成し、この電場の作用によりイオンをその進行方向に加速するとよい。
【0025】
こうした直流電場を形成するために、例えば、4本のロッド電極のそれぞれを軸方向にN個(Nは2以上の整数)に分割して互いに所定距離離間して配置し、前記電圧発生部は、軸方向に分割されたN個のロッド電極に、階段状に電位差を有するそれぞれ異なる直流電圧を印加する構成とするとよい。これにより、4本のロッド電極で囲まれる空間には軸方向、つまりイオンが通過する方向に階段状の下り勾配を有する直流電場が形成され、イオンを加速しつつ進行させることができる。
【0026】
また、4本のロッド電極はそれぞれ抵抗体から成る又は導電体の表面に抵抗体層が形成されたものであり、前記電圧発生部は、該4本のロッド電極の両端に所定の電位差を有する直流電圧をそれぞれ印加する構成としてもよい。これにより、4本のロッド電極で囲まれる空間には軸方向、つまりイオンが通過する方向に斜め下り勾配を有する直流電場が形成され、イオンを加速しつつ進行させることができる。
【発明の効果】
【0027】
本発明に係るイオン光学素子の設計方法によれば、高いイオン捕捉効率を維持しつつ、例えばプリカーサイオン選択のためのイオン分離の分解能も高いリニア型イオントラップを実現することができる。また、比較的真空度が低い条件の下でも、分析対象であるm/zを有する又はm/z範囲に入るイオンを高い分離能で以て選択的に通過させることが可能である、四重極型マスフィルタを実現することもできる。
【0028】
本発明の一つの態様の質量分析装置によれば、目的とするm/zを持つ純度の高いイオンをリニア型イオントラップ内に残すことができ、目的のイオン由来の良好な品質のMSnスペクトルを得ることができる。また、本発明の他の態様の質量分析装置によれば、高性能の真空ポンプを用いることなく、高い質量分解能、高い感度のマススペクトルを得ることができる。
【図面の簡単な説明】
【0029】
図1】本発明の一実施例である質量分析装置の概略構成図。
図2】本実施例による質量分析装置におけるリニア型イオントラップの主ロッド電極の概略横断面図。
図3】本実施例による質量分析装置のリニア型イオントラップにおいてイオンを捕捉する際の中心軸C上の直流ポテンシャル分布の概略図。
図4】イオンの振動周波数と振動振幅との関係を示す共鳴曲線の例を示す図。
図5】中心軸とロッド電極との最短距離を変化させたときのイオンの振幅と振動周波数との関係をシミュレーションした結果を示す図。
図6】中心軸とロッド電極との最短距離を変化させたときのイオンの振幅と振動周波数との関係をシミュレーションした結果を示す図。
図7図5に示した六つのモデルにおける、四重極電場に対する八重極電場及び十二重極電場の強さの比率、十二重極電場に対する八重極電場の強さの比率を示す図。
図8図6に示した六つのモデルにおける、四重極電場に対する八重極電場及び十二重極電場の強さの比率、十二重極電場に対する八重極電場の強さの比率を示す図。
図9】一般的な四重極マスフィルタにおけるイオンの安定領域と動作線との関係を示す図。
図10】特定の周波数にノッチを持つ広帯域の周波数スペクトルを有するFNF信号の一例を示す図。
図11】本発明の他の実施例である質量分析装置の概略構成図。
図12】他の実施例による質量分析装置において四重極型マスフィルタに電圧を印加する電源部の概略構成図。
図13】他の実施例による質量分析装置における四重極型マスフィルタの中心軸上の直流ポテンシャル分布の概略図。
図14】本発明のさらに他の実施例である質量分析装置における四重極型マスフィルタの中心軸上の直流ポテンシャル分布の概略図。
【発明を実施するための形態】
【0030】
まず、本発明に係るイオン光学素子の設計方法及び該方法により設計されたリニア型イオントラップを用いた質量分析装置の一実施例について、添付図面を参照して説明する。図1は本実施例の質量分析装置の概略構成図である。
【0031】
本実施例の質量分析装置は、図示しない真空チャンバの内部に、目的試料中の成分をイオン化するイオン源1と、リニア型イオントラップ2と、該イオントラップ2から排出されたイオンを検出するイオン検出器7と、を備える。図2はリニア型イオントラップ2における主ロッド電極3を中心軸Cに直交する断面で切断した概略横断面図である。
【0032】
リニア型イオントラップ2は、直線状の中心軸Cを囲むように互いに平行に配置された4本の主ロッド電極3(3a〜3d)と、中心軸Cに沿って主ロッド電極3を挟むように設けられた、それぞれ4本の入口側補助ロッド電極4及び出口側補助ロッド電極5と、からなる。4本の主ロッド電極3a〜3dで囲まれた空間がイオン捕捉領域となる。入口側補助ロッド電極4及び出口側補助ロッド電極5の中心軸Cの周りの配置は主ロッド電極3と同じであり、中心軸C方向の長さは主ロッド電極3よりも短い。1本の主ロッド電極3aにはイオン出射開口6が形成されており、イオン捕捉領域に捕捉されているイオンはこのイオン出射開口6を経て中心軸Cと略直交する方向に吐き出され、その外側に配置されているイオン検出器7に入射する。
【0033】
電源部8はリニア型イオントラップ2を構成する各ロッド電極3、4、5にそれぞれ所定の正弦波電圧、直流電圧又はその両方を印加するものである。
具体的には、電源部8はイオンを捕捉する際に、中心軸Cを挟んで対向する2本の主ロッド電極3a、3cに同じ高周波電圧Acosωtを印加し、他の2本の主ロッド電極3b、3dに極性が反転した高周波電圧−Acosωtを印加する。周波数ωは捕捉するイオンのm/z又はm/z範囲に応じて設定される。一方、電源部8は、捕捉領域に捕捉されているイオンのうちの不要なイオンを排除する際に又は捕捉されているイオンをイオン出射開口6を通して排出し検出する際に、上記高周波電圧に重畳して、2本の主ロッド電極3a、3cに互いに極性が反転した交流電圧±BcosΩtを印加する。この交流電圧の周波数Ωをイオンの振動周波数と合致させることで該イオンを共振させ、イオンの分離や排出を行うことができる。
【0034】
なお、イオンを捕捉する際には、入口側補助ロッド電極4及び出口側補助ロッド電極5に主ロッド電極3よりも高い直流電圧を印加し、図3に示すような直流ポテンシャルを中心軸C上に形成する。これにより、イオンを入口側補助ロッド電極4と出口側補助ロッド電極5との間の空間に保持することができる。
【0035】
理想的なリニア型イオントラップでは、主ロッド電極3a〜3dの横断面において中心軸Cに向いた部分の形状は双曲線状であり、中心軸Cと各主ロッド電極3a〜3dとの最短距離(図2に点線で示す内接円の半径)は等しい。この場合、4本の主ロッド電極3a〜3dで囲まれるイオン捕捉領域における中心軸Cに直交する面(X−Y面)での電位分布φは一般に以下の(1)式で表現することができることが知られている。
φ(ρ,θ)=VΣ(ρ/x0n{Ancos(nθ)+Bnsin(nθ)} …(1)
ここでΣはn=0から∞までの総和である。また、ρは原点(X−Y面内での中心軸Cの位置)から観測点までの距離でありρ=√(x2+y2)、(ただし、x、yはX軸、Y軸上の位置)θは原点を中心とした観測点のX軸からの角度、Vは印加電圧(振幅)である。さらに、Anは多重極電場係数であって、A2は四重極(quadrupole)、A3は六重極(hexapole)、A4は八重極(octapole)、A5は十重極(decapole)、A6は十二重極(dodecapole)などと称される。また、x0は、主ロッド電極3a〜3dの内接円半径(電極配置が対称である場合)、又は、励振用交流電圧を印可する2本の電極間の最短距離の1/2(電極配置が非対称である場合)であり、規格化定数として用いられる。
【0036】
4本の主ロッド電極3a〜3dの形状及び配置がY軸について対称である場合には、(1)式においてnが奇数である項は存在せず、nが偶数である項のみとなる。原理的に、リニア型イオントラップ2において支配的であるのは四重極場であり、四重極場の電位分布は次の(2)式で表現される。
φ=(V/x02)A2(x2−y2) …(2)
理想状態のリニア型イオントラップにおいて形成される電場はこの四重極場のみであるが、主ロッド電極3a〜3dの形状や配置を理想状態からずらすと高次の多重極電場が発生する。例えば八重極電場の電位分布は次の(3)式で表現される。
φ=VA4{(x4−6x22+y4)/x04} …(3)
また十二重極電場の電位分布は次の(4)式で表現される。
φ=VA6{(x6−15x42+15x24−y6)/x06} …(4)
【0037】
いま一例として、四重極電場に八重極電場が重畳して存在する場合について考える。この場合のリニア型イオントラップ2内における電位分布は次の(5)式のようになる。
φ=(V/x02)A2(x2−y2)+(V/x04)A4(x4−6x22+y4) …(5)
このとき、イオンの閉じ込めポテンシャルφeffは次の(6)式で表される。
φeff=(eEz2)/(4mΩ2)={(qA22V)/(4x02)}x2+{(qA24V)/(x04)}x4 …(6)
このポテンシャルφeffによってイオンが振動しながら捕捉されている場合、その運動方程式は次の(7)式で表される。
x+{(eqA22V)/(2x02)}x=−{(4eqA24V)/(x04)}x3 …(7)
【0038】
(7)式の右辺にはx3の項が存在する。これはダフィング(Duffing)方程式と呼ばれる非線形振動の方程式であり、その解はよく知られている。このような方程式に基づく振動に強制振動電場による強制的振動を加えた場合、強制振動周波数に対する振動振幅をプロットした共鳴曲線は図4(c)に示すようになる場合があることが非特許文献1などにより知られている。共鳴曲線が図4(c)に示す形状であると、例えば周波数が小さくなる方向(図4で横軸に沿って左方向)に変化するに伴いスロープfに従って振幅は増加し、点dの位置で振幅は急激に点bに変化する。逆に、周波数が大きくなる方向に変化する場合には、その変化に伴いスロープaに従って振幅は増加し、点cの位置で振幅は急激に点に変化する。このような不連続な変化が後述する跳躍現象である。
【0039】
図4(a)に示すような一般的な共鳴曲線において、共振周波数の偏移Δωは次の(8)式で表される。
Δω=(A4/A2){P2/(x02)}ω0 …(8)
ここで、Pは振動の振幅値である。(8)式は、振幅Pがr0であるとき、共振周波数はA4/A2の比でシフトすることを意味する。
【0040】
先に出願した特願2016−080038号で述べているように、本発明者は、3次元四重極型のイオントラップにおいて四重極電場を形成する一対のエンドキャップ電極に、八重極、十二重極、十六重極等の高次の多重極電場がそれぞれ重畳されるような電圧を印加したときの、イオン振幅と振動周波数との関係を詳細にシミュレートした。その結果、次のことを見いだした。
(1)四重極電場に八重極電場を重畳させただけでは、共鳴曲線のピークの高周波側のスロープは急峻になるものの低周波側のスロープはなだらかになる。
(2)四重極電場に八重極電場を重畳し、さらに八重極電場とは逆極性である十二重極電場を重畳すると、共鳴曲線のピークシフトが相殺され、上記跳躍現象の作用により、高周波側のスロープの急峻さを維持しつつ低周波側のスロープも急峻にすることができる。
上述したように共鳴曲線のスロープが急峻であるほど、イオン分離やイオン排出の分解能は高くなる。したがって、上記(2)は、イオンの捕捉効率を高く保ったまま、イオン分離やイオン排出の際の分解能を低周波側、高周波側ともに高くすることができることを意味している。3次元四重極型イオントラップとリニア型イオントラップとは基本的にその動作原理は同じであるから、上記の知見はリニア型イオントラップにも適用される。ただし、その電極の構造が異なるために、最適なパラメータが少なからず相違することが予想される。
【0041】
リニア型イオントラップにおいて四重極電場に重畳される多重極電場の比率を増加させる最も簡便な方法は4本のロッド電極3a〜3dの配置を理想的な状態からずらすことである。そこで、図2に示したように、X軸上に位置する2本の主ロッド電極3b、3dをそれぞれ理想状態の位置から内側にΔdx、Y軸上に位置する2本のロッド電極3a、3cをそれぞれ理想状態の位置から内側にΔdyだけシフトする(つまりは中心軸C周りの対称性を崩す)ことにより、正の八重極項と負の十二重極項とが発生するようにして、リニア型イオントラップの共鳴曲線の高周波側と低周波側の両側に非線形振動による跳躍現象が現れる条件を求めた。
【0042】
主ロッド電極3b、3dのシフト量Δdxを−0.3mmに固定し、主ロッド電極3a、3cのシフト量Δdyを変化させた場合の、イオンの共鳴曲線を計算した結果を図5に示す。また、主ロッド電極3b、3dのシフト量Δdxを−0.6mmに固定し、主ロッド電極3a、3cのシフト量Δdyを変化させた場合の、イオンの共鳴曲線を計算した結果を図6に示す。これらはいずれも計算に二次元表面電荷法を使用した。また、図7及び図8図5図6に示した各モデルにおける、四重極電場に対する八重極電場及び十二重極電場の強さの比率、十二重極電場に対する八重極電場の強さの比率をまとめた図である。なお、A4/A2、A6/A2の単位は%である。
【0043】
図7図8から分かるように、モデル[A]から[F]まで順に、四重極電場に対する八重極電場の比率(A4/A2)は減少し、相対的に十二重極電場の成分が増加している。図5図6を見ると、そのいずれにおいてもモデル[B]、[C]、[D]及び[E]では、高周波側と低周波側の両側で共鳴曲線のスロープがほぼ垂直に切り立った形状が観測される。一方、モデル[A]では低周波側の、モデル[F]では逆に高周波側のスロープが急峻さを欠いている。モデル[B]〜[E]における共鳴曲線のスロープの急峻さは、非線形振動による跳躍現象によるものである。また、この状態において、ピークトップの振動振幅は頭打ちになっており、つまり抑えられているので、イオンの捕捉効率も高い状態となる。即ち、モデル[B]〜[E]の条件は、リニア型イオントラップ内に残すべきイオンについては高い捕捉効率を維持しつつ、励起すべき又は排出すべきイオンについては高い分離能で以て励起したり排出したりすることが可能となるものである。
【0044】
図5図6の結果からみると、リニア型イオントラップでは、四重極電場成分に対する八重極電場成分の比率及び四重極電場成分に対する十二重極電場成分の比率の絶対値が共に0.005以上であり、且つ、十二重極電場成分に対する八重極電場成分の比率の絶対値は0.5〜1.4程度に範囲に収まっていれば、上記条件が満たされる。そこで、本実施例の質量分析装置では、4本の主ロッド電極3a〜3dをこの条件が満たされるように理想状態からずらして配置する。それによって、高いイオン捕捉効率を維持しつつ、検出対象のm/z値を有するイオンのみを高い分離能で以てリニア型イオントラップ2から排出して検出することができる。
【0045】
上記実施例では、本発明に係る設計方法でリニア型イオントラップを設計したが、これと同様に4本のロッド電極を有する他のイオン光学素子を設計することもできる。次に、本発明に係る設計方法で設計された四重極型マスフィルタを質量分離器として用いた質量分析装置について説明する。
【0046】
よく知られているように、一般的な四重極マスフィルタでは、4本のロッド電極のうちの対向する一対のロッド電極に+U+Vcosωt、別の一対のロッド電極に−U−Vcosωtの電圧を印加し、UとVとの関係を適宜に定めることで特定のm/zを有するイオンを選択的に通過させる。イオンが四重極マスフィルタを発散せずに安定的に通過可能である条件はMathieuの方程式の解として知られており、図9に示す略三角形状の安定領域Sで示される。四重極マスフィルタを駆動する動作線(U、Vの関係)はこの図において原点を通過する直線であるため、特定のm/zを有するイオンを高い分離能で以て通過させるには、図9中に示したように安定領域Sの頂点にできるだけ近い位置を動作線が横切るような条件で四重極マスフィルタを動作させるのが好ましい。
【0047】
通常、四重極マスフィルタは高い真空度に保たれる真空チャンバ内に配置されているが、真空度が低くなりイオンに接触するガスの影響が無視できなくなると、図9に示す安定領域Sの頂点付近での境界が不安定になる(換言すれば大きな幅を有する)。そのため、一般的な四重極マスフィルタを比較的真空度が低い条件の下で使用するには、動作線が確実に安定領域Sを横切るように、該動作線の傾きを緩やかにし安定領域Sを通過する幅を広げることが必要になる。しかしながら、これは質量分解能が低下することを意味している。即ち、四重極マスフィルタで或る程度の質量分解能を達成するには、四重極マスフィルタを高い真空度の下で使用するという制約があった。
【0048】
上記実施例におけるリニア型イオントラップでは、特定の単一周波数の交流電圧を一対の主ロッド電極に印加することで、その周波数に対応した特定のm/zを有するイオンを中心軸Cに直交する方向に励振させることができる。このときの共鳴曲線は高周波側と低周波側との両方に急峻なスロープを有する形状となるため、高い質量分離能が達成される。一方、これとは逆に、特定の周波数にノッチを持つ、図10に示すような周波数スペクトルの広帯域電圧を一対の主ロッド電極に印加すると、そのノッチの周波数に対応する特定のm/zを持つイオンのみを励起せず、その他のイオンを励起させることができる。こうした広帯域信号を生成する方法としては、既に述べた特許文献4に開示されている、最低周波数から最高周波数までの或る周波数間隔の複数の正弦波信号を重ね合わせる方法などを利用することができる。
【0049】
そこで、本実施例における四重極型マスフィルタでは、4本のロッド電極の配置を意図的に理論状態からずらすことによって高次多重極成分を発生する。そして、特定の周波数にノッチを持った励起用の広帯域交流電圧を一対のロッド電極に印加することによって、その周波数に応じた特定のm/zを持つイオンのみを通過させるようにする。
図11はこの実施例による質量分析装置の概略構成図、図12は四重極型マスフィルタに電圧を印加する電源部の概略構成図、図13は四重極型マスフィルタの中心軸上の直流ポテンシャル分布の概略図である。
【0050】
イオン源11で生成された試料成分由来のイオンはイオンレンズ12を経て四重極型マスフィルタ13に導入される。そして、四重極型マスフィルタ13を通過した特定のm/zを有する又は特定のm/z範囲に含まれるイオンがイオン検出器14に到達して検出される。四重極型マスフィルタ13は、中心軸Cの周りに配置された4本のロッド電極13a、13b、13c、13dから成るが、各ロッド電極13a、13b、13c、13dはさらに中心軸Cに沿って複数に分割され、互いに所定距離離して配置されている。これは、中心軸Cの方向に沿って勾配を有する直流ポテンシャルを形成するためである。
【0051】
4本のロッド電極13a、13b、13c、13dにそれぞれ電圧を印加する電源部15は、イオン捕捉用の高周波電圧を発生する高周波電源151と、この高周波電圧と直流電圧とを加算するトランス152と、励起用の交流電圧を発生する交流電源154と、を含む。高周波電源151によるイオン捕捉用の高周波電圧はトランス152を介して一対のロッド電極13a、13cに印加され、これとは逆極性の高周波電圧が他の一対のロッド電極13b、13dに印加される。この高周波電圧は中心軸C方向に分割された各ロッド電極に共通に印加される。この高周波電圧により形成される電場の作用で、四重極型マスフィルタ13に入射したイオンはその内部空間に捕捉される。
【0052】
一方、交流電源154による励起用の交流電圧は一対のロッド電極13b、13dの間にのみ印加される。この交流電圧は上述した特定の周波数又は周波数範囲にノッチを有する広帯域電圧である。高周波電圧と同様に、この交流電圧も中心軸C方向に分割された各ロッド電極に共通に印加される。さらにまた、図11に示すように、中心軸C方向に分割された各ロッド電極には、抵抗分割により段階的に電圧値が下がる直流電圧がそれぞれ印加される。これにより、中心軸Cに沿った直流ポテンシャル分布は、図13に示すように、イオンの進行方向に階段状に下り勾配の形状となる(ただし、イオンが正極性である場合)。
【0053】
上記交流電圧によってイオン捕捉用の電場に重畳して形成される電場の作用により、上述したように捕捉されているイオンの中で特定のm/zを有する又はm/z範囲に含まれるイオンを除く全てのイオンが励起され、中心軸Cに直交する方向に大きく振動する。また、上述した直流ポテンシャルによって、イオンはその進行方向に向かう運動エネルギを受けながら進む。上記のように励起されたイオンは進行する過程でロッド電極に接触したりロッド電極間の隙間から外部へと排出されたりして除去され、励起されなかったイオンのみが捕捉されたまま進行して該四重極型マスフィルタ13を通り抜けイオン検出器14に到達する。
【0054】
このようにして、この質量分析装置では、交流電源154で生成される交流電圧の周波数スペクトルにおけるノッチの周波数に対応するm/zを持つ又はm/z範囲に入るイオンのみを選択的に検出することができる。この交流電圧におけるノッチ中心周波数又は高周波電圧のいずれかを走査することによって、四重極型マスフィルタ13を通過するイオンのm/zを走査することができ、これに同期して検出信号を記録することで、マススペクトルを得ることができる。
【0055】
上述した跳躍現象は真空度には依存しないため、真空度が低い条件の下でも高い分解能でも質量分離が可能である。ただし、真空度が低いとイオンがガスに接触する確率が高いためイオンの運動エネルギが失われて通過効率が下がる。これに対し、本実施例の質量分析装置では、イオンの進行方向に直流ポテンシャルの下り勾配を形成してイオンに運動エネルギを付与しているので、目的イオンが途中でガスに接触した場合でもイオン検出器14まで導くことができ、高い通過効率を達成することができる。それによって、真空度が低い条件の下であっても、高いイオン選択性を実現しつつ検出感度も高めることができる。
【0056】
なお、中心軸Cに沿って直流ポテンシャル分布を形成する方法は上記記載のものに限らず、一般に知られている他の適宜の方法を利用することができる。例えば、4本のロッド電極自体を抵抗体で形成したり、或いは金属等の導電体であるロッド電極の表面に抵抗層を形成したりしたうえで、各ロッド電極の両端間に直流的な電位差を与えることにより、図14に示すように、直線的な下り勾配の直流ポテンシャル分布を示す電場を形成することができる。
【0057】
また、上記実施例は本発明の一例であり、本発明の趣旨の範囲で適宜変形、修正、追加を行っても本願特許請求の範囲に包含されることは当然である。
【符号の説明】
【0058】
1、11…イオン源
2…リニア型イオントラップ
3、3a、3b、3c、3d、13a、13b、13c、13d…主ロッド電極
4…入口側補助ロッド電極
5…出口側補助ロッド電極
6…イオン出射開口
7、14…イオン検出器
8、15…電源部
12…イオンレンズ
13…四重極型マスフィルタ
151…高周波電源
152…トランス
154…交流電源
C…中心軸
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7
図8
図9
図10
図11
図12
図13
図14