【実施例1】
【0033】
方法
1.ストレス負荷の方法
実験に使用する被検ラット(本実施例において「試験ラット」という)は基本的に個飼い飼育とした。新しい社会敗北ストレス負荷の基準となる手続きは以下の通りに実施した(
図1)。まず、実験対象となる小型の試験ラット1匹を、より身体が大きく攻撃性の高い大型のストレッサーラット1匹が飼育されているケージの中に侵入させた。10分間にわたって、2匹のラットにinteractionさせて、ストレッサーラットが試験ラットを追跡したり、覆い被さるなどの接触をしたこと(直接的接触)及び必要以上の外傷を与えていないこと(直接的接触の中止条件)を確認し、その後、試験ラットとストレッサーラットをしきり板で隔てた飼育ケージの中で24時間一緒に滞在させた(間接的接触)。しきり板は透明色で、所々に孔が空いている形状のものを使用し、2匹のラットが直接的な接触はできないものの、互いのにおいや鳴き声、視覚などの感覚的な情報は遮断されない状態とした。翌日も同様の手続きでストレス負荷を行うが、ストレッサーラットは、前日使用したラットとは別の個体を使用した。この条件にて、1日1回5日間連続でストレス負荷を行った後、2日間は間接的接触のみを呈示する方法を用い、これを2回行った。したがって、直接的接触と間接的接触を組み合わせた条件によるストレス負荷は合計10回実施する形式とした。
【0034】
2.ストレスの行動学的評価
前述のストレス負荷の開始前と終了後には、オープンフィールドにて、試験ラットのinteraction試験を実施した。オープンフィールド内に試験ラットの接触対象となるSocial target(ストレッサーラットもしくは被検ラットと同系統のラット)をいれるための小さな箱を設置し、最初は接触対象となるラットを入れない条件で、試験ラットを2.5分間自由に行動させ、行動解析ソフトウェアTime OFCR4(O’HARA & CO, Ltd.)を用いて行動の軌跡や移動距離等を計測した。その後、小さな箱にSocial targetを入れた条件にて同様の計測を行い、箱周辺領域(interaction zone)内に試験ラットが侵入した時間を測定した。なお、他個体への回避行動の指標となる接触率は、箱内にSocial targetがいない場合におけるinteraction zone内の滞在時間を100%として、箱内にSocial targetがいる場合のinteraction zone内の滞在時間の割合(図ではRatioと表示)を算出して求めた。
【0035】
また、ストレス負荷後に高架式十字迷路を用いた不安様行動試験を実施した。Open armsおよびClosed arms(110cm×110cm)は高さ50cmの位置に設置されており、arm上で動物を5分間自由に行動させた。なお、不安様行動の評価は、Open armsにおける滞在時間によって算出した。
【0036】
3.ストレスの生理学的評価
ストレス負荷前後を含めた一連の実験中は常時、行動量の計測を行った。ストレス負荷後には一部のグループに対して恒暗条件で行動量の計測を行い、自由継続リズムを確認した。また、ストレス負荷に伴う摂食行動の異常の有無を確認するため、ストレス負荷前後において体重測定や餌の摂食量を測定した。また、ラットに水と1%ショ糖溶液の摂取選択を行わせて、それぞれの摂取量を計測した。ショ糖の嗜好性は、水と1%ショ糖溶液を含めた全溶液の摂取量に対する1%ショ糖溶液の摂取量の割合として算出した。さらに、ストレスによる睡眠覚醒パターンへの影響について調べるため、ラットに脳波を記録するための慢性電極埋込手術を実施し、ストレス負荷前後24時間の睡眠覚醒脳波を記録した。なお、脳波記録は長時間に及ぶため、動物の動きや外来からのノイズの発生を抑える必要があることから、自作したオペアンプ内蔵型の脳波ケーブル
3)を用いて精緻な計測を行った。
【0037】
4.薬物投与実験
ストレス負荷が終了した翌日より、1日1回の頻度でimipramine(20mg/kg, i.p.)の慢性投与を25日間実施し、他個体との回避行動や睡眠覚醒リズムに対する行動学的・生理学的評価を行った。なお、薬物投与実験の対照群に対しては、0.9%生理食塩水の腹腔内慢性投与を行った。
【0038】
結果
1.ストレス負荷に用いる系統の選定
改変した新規社会敗北ストレスにより、回避行動を惹起させるためのストレッサーラットおよび試験ラットの系統の選定を行った。
(i)ストレス開始時に6週齢のWistar(WI)ラットを試験ラット、8週齢のWIラットをストレッサーとして用いた場合には、ストレス期間終了後のinteraction試験における接触率は149.0±13.6%となり、interaction zone内への接触率は促進した。
(ii)試験ラットに5週齢のSprague Dawley(SD)ラット、ストレッサーに8週齢のWIラットの組み合わせでは、接触率が137.9±8.5%となり、前述と同様に接触行動の亢進が認められた。
(iii) 試験ラットに8週齢のSDラット、ストレッサーに7ヶ月齢のBrown Norway(BN)ラットを用いると、接触率が6.2±5.1%となり、接触回避行動が誘発された。これらを総合的に判断し、試験ラットにSDラットを、ストレッサーとしてBNラットを用いる方法を適切な系統の組み合わせとして選定した。さらに、BNラットは他個体に対して接触率や感受性の高い退役ラットを使用した。
【0039】
2.新規社会敗北ストレスによる行動学的評価と抗うつ薬imipramineの効果
オープンフィールド内にSocial targetとなるラット(この場合ではストレッサーとなった大型のラット)を入れることができる小さな箱を設置する。Social targetへの接触は、その箱周辺領域に設けたinteraction zone内への侵入時間で評価する(接触率=Social targetの存在時の滞在時間/非存在時の滞在時間×100として算出した)。対照群では、Social targetが存在すると、存在しない場合に比べてinteraction zone内への侵入時間が増加する。一方、ストレスを負荷された試験ラットは、Social targetが存在すると、interaction zone内への侵入時間が顕著に減少し、Social targetに対する回避行動をとる。
interaction試験でBNラットをオープンフィールドの箱内に滞在させた(Social targetとした)場合、ストレス初回後より、試験ラットがinteraction zone内に侵入する時間が有意に低下するという、接触回避行動が誘発された(
図2)。
【0040】
この接触回避行動は、ストレス負荷後、約3ヶ月間持続した。さらに、interaction試験におけるSocial targetを、試験ラットと同系統のSDラットにした場合でも、ストレス初回後より接触回避行動が誘発され、ストレス終了後3ヶ月の時点においても顕著な接触率の低下が確認された。
具体的には、
図3において、ストレス負荷後のinteraction試験における接触率の各群比較を示した。対照群ではSocial targetに対して平均200%を超える接触率を示した。ストレス初回後のinteraction試験では、ストレス群でストレッサーラットに対する著しい接触率の低下が生じた(
図3A)。さらに試験ラットと同系統のラットに対しても同様に接触行動の低下が起きた(
図3B)。その現象はストレス負荷終了後1週間(
図3C,D)、1ヶ月経過後(
図3E, F)においても持続的に確認された(注:CとEはストレッサーラット、DとFは試験ラットと同系統のラットをSocial targetとした際の結果を示した)。
【0041】
ストレス終了後に三環系抗うつ薬のimipramineを慢性投与すると、ストレス終了後1週間の時点で、投与されていないストレス群に比べてSocial target(BNラットおよびSDラット)に対する接触回避行動が有意に改善され(
図3C, D)、Social targetがBNラットの場合には、ストレス後1ヶ月の時点でも同様の傾向が認められた(
図3E)。Social targetが試験ラットと同系統の場合には有意差は認められなかった(
図3F)。ストレス後1ヶ月では、投与群と対照群との間には有意差が確認され、対照群のレベルまでの完全な改善効果は得られないことがわかった。
オープンフィールド内での2.5分間における試験ラットの総移動距離は、ストレス終了後1週間で、ストレス群では628±62 cmとなり、対照群での値(839±79 cm)に比べて有意に減少した。
【0042】
ストレス終了後、高架式十字迷路による不安様行動の評価を行った。ストレス群のOpen armsにおける滞在時間は21.7±9.87秒であり、対照群における滞在時間(68.8±22.8秒)に比して有意に減少した。また、imipramineの慢性投与群ではその滞在時間は44.4±11.5秒となり、回復傾向は示すものの、対照群レベルまでの完全回復には至らなかった。
【0043】
3.生理学的指標・睡眠覚醒リズムの計測
ストレス初回後より体重は顕著に減少(P < 0.01)し、対照群に比べて、ストレス終了後23日間有意に低く推移した(
図4A)。また、摂食行動については、体重での知見と同様にストレス初回後より有意に摂取量が低下(P < 0.01)し、ストレス終了後1週間まで持続した。水と1%ショ糖溶液の摂取選択試験においては、ストレス終了後1ヶ月のショ糖摂取量は、対照群に比べて有意に低下(P < 0.01)し、それはimipramineの慢性投与で有意な改善(P < 0.01)を示したが、対照群レベルまでの完全回復には至らなかった。さらに、ストレス終了から1ヶ月後のショ糖の嗜好性は、ストレス群では対照群に比べて有意な低下(P < 0.05)を示し、imipramineの慢性投与で対照群レベルまで完全に回復(P < 0.05)した(
図4B)。
【0044】
ストレスによる自由継続リズムへの影響について検討するため、対照群、ストレス群およびimipramine投与群の行動量を恒暗条件にて測定した。
図5において、対照群(
図5A)、ストレス群(
図5B)、imipramine投与群(
図5C)のアクトグラムの記録を示す。記録の青色部分はストレスを負荷した期間を示す(
図5B, C)。ストレス期間中は明期における行動量が増加した。ストレス負荷後に恒暗条件に変えて各群の自由継続リズムを測定した。対照群(
図5A)では恒暗条件により緩やかなリズム後退が生じていたが、ストレス群においては、その後退がより顕著であった(
図5B)。
imipramineの投与により、ストレス群に生じていたリズムの後退は対照群レベルにまで前進した(
図5C)。各個体の行動量を1時間ごとに平均化すると、ストレス群では明期の初期に行動量の増加が認められ、imipramineの投与はそれを減少させる効果があった(
図5D)。
【0045】
さらに、脳波解析により、ストレスによる睡眠覚醒パターンへの影響について詳細な検討を行った。
図6において、明期における各睡眠段階の出現時間の各群比較を示す。明期における睡眠時間には各群で大きな違いは認められないが、ノンレム睡眠の出現時間は有意に減少(P < 0.01)しており、逆に、レム睡眠は、対照群に比して有意に出現時間が増加(P < 0.01)した。imipramineの慢性投与により、これらの現象は対照群レベルに改善した(
図6)。
【0046】
図7において、明期における対照群とストレス群の睡眠図の典型例を示す(
図7A)。ストレス群ではレム睡眠の出現数が明らかに増加している。各睡眠段階の総出現時間と断片化の数値をプロット(
図7B)すると、レム睡眠においては対照群に比べてストレス群で出現時間の増加と断片化が促進しており、imipramine投与群は対照群の分布パターンと類似していた。ノンレム睡眠においてはストレス群で総出現時間の減少と断片化の亢進が認められ、imipramine投与により対照群に類似した分布パターンを示した。
【0047】
図8において、明期開始後に初めてノンレム睡眠が出現するまでの群別潜時を示す(
図8A)。対照群に比べて、ストレス群では延長傾向を示し、遅れて出現した。imipramineの投与は出現潜時の延長を短縮する作用を示した。ノンレム睡眠出現後にレム睡眠が出現するまでの時間(
図8B)は、ストレス群で有意に短縮(P < 0.05)した。imipramineはレム睡眠の出現潜時を延長する作用を示した。
【0048】
参考文献
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5. Bellesi M, Pfister-Genskow M, Maret S, Keles S, Tononi G, Cirelli C. Effects of sleep and wake on oligodendrocytes and their precursors. J Neurosci. 2013. 33(36): 14288-300.