特許第6774235号(P6774235)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

知財求人 - 知財ポータルサイト「IP Force」

▶ 株式会社リケンの特許一覧

(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6774235
(24)【登録日】2020年10月6日
(45)【発行日】2020年10月21日
(54)【発明の名称】摺動部材
(51)【国際特許分類】
   F16J 9/26 20060101AFI20201012BHJP
   C23C 14/06 20060101ALI20201012BHJP
   F02F 5/00 20060101ALI20201012BHJP
【FI】
   F16J9/26 C
   C23C14/06 F
   F02F5/00 F
【請求項の数】11
【全頁数】13
(21)【出願番号】特願2016-127893(P2016-127893)
(22)【出願日】2016年6月28日
(65)【公開番号】特開2018-3880(P2018-3880A)
(43)【公開日】2018年1月11日
【審査請求日】2019年5月29日
(73)【特許権者】
【識別番号】000139023
【氏名又は名称】株式会社リケン
(74)【代理人】
【識別番号】100080012
【弁理士】
【氏名又は名称】高石 橘馬
(74)【代理人】
【識別番号】100168206
【弁理士】
【氏名又は名称】高石 健二
(72)【発明者】
【氏名】諸貫 正樹
【審査官】 山田 康孝
(56)【参考文献】
【文献】 特開2016−060921(JP,A)
【文献】 特開2013−014801(JP,A)
【文献】 特開2010−070848(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
F16J 7/00−10/04
C23C 14/06
F02F 5/00
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
少なくとも1つの摺動面に非晶質硬質炭素膜が形成された摺動部材であって、前記非晶質硬質炭素膜が前記摺動部材の母材から表面に向かって順に第1の炭素層、第2の炭素層、及び第3の炭素層を有し、前記第2の炭素層のヤング率が前記第1の炭素層側から前記第3の炭素層側に連続的又は段階的に低下した炭素層であり、前記炭素層の水素濃度が5原子%未満であることを特徴とする摺動部材。
【請求項2】
請求項1に記載の摺動部材であって、前記第3の炭素層のヤング率が前記表面に向かって連続的又は段階的に低下した炭素層であることを特徴とする摺動部材。
【請求項3】
請求項1又は2に記載の摺動部材であって、前記第1の炭素層のヤング率が400 GPaを超え600 GPa以下であることを特徴とする摺動部材。
【請求項4】
請求項1〜3のいずれかに記載の摺動部材であって、前記第3の炭素層のヤング率が200 GPaを超え350 GPa以下であることを特徴とする摺動部材。
【請求項5】
請求項1〜4のいずれかに記載の摺動部材であって、前記第1の炭素層、前記第2の炭素層、及び前記第3の炭素層の厚さが、前記非晶質硬質炭素膜の厚さに対し、それぞれ、10〜30%、10〜30%、及び50%以上であることを特徴とする摺動部材。
【請求項6】
請求項1〜5のいずれかに記載の摺動部材であって、前記非晶質硬質炭素膜の厚さが2〜30μmであることを特徴とする摺動部材。
【請求項7】
請求項1〜6のいずれかに記載の摺動部材であって、前記母材と前記非晶質硬質炭素膜との間にTi、Cr、Si、Co、V、Mo及びWからなる群から選択された少なくとも1種の金属及び/又は金属炭化物の中間層が形成されていることを特徴とする摺動部材。
【請求項8】
請求項1〜6のいずれかに記載の摺動部材であって、前記母材と前記非晶質硬質炭素膜との間にTi、Zr、Cr、Si及びVからなる群から選択された少なくとも1種の金属窒化物の中間層が形成されていることを特徴とする摺動部材。
【請求項9】
請求項1〜8のいずれかに記載の摺動部材であって、前記母材が熱伝導率30 W/m・K以上の鉄鋼材料であることを特徴とする摺動部材。
【請求項10】
請求項1〜9のいずれかに記載の摺動部材であって、前記摺動部材がピストンリングであることを特徴とする摺動部材。
【請求項11】
請求項1〜10のいずれかに記載の摺動部材であって、油性剤としてグリセリンモノオレート(GMO)又はグリセリンモノオレイルエーテル(GME)を含む潤滑油とともに使用することを特徴とする摺動部材。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は摺動部材に関し、摺動面に非晶質硬質炭素膜を被覆した摺動部材に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、自動車エンジンは燃費の向上が強く求められ、例えば、摩擦損失を低減するため、低摩擦係数の非晶質硬質炭素膜を摺動面に被覆したピストンリングの適用が一部のエンジンで試みられている。しかし、非晶質硬質炭素膜(以下「アモルファスダイヤモンドライクカーボン(Amorphous Diamond-like Carbon)膜」、又は、単に「DLC膜」ともいう。)は、成膜に起因して大きな残留応力が内在すること、及び炭素結合が化学的に安定であるという二つの本質的な性質により、母材との密着性が低いことが実用化の大きな障害となっている。
【0003】
例えば、水素フリーDLC膜の膜厚は、成膜条件を調整することにより1〜30μm程度の膜厚まで成膜可能である。ヤング率の高い、硬い膜では、成膜により発生する残留応力が大きく、厚く成膜すると母材との密着性の問題で剥離を生じやすく、一方、ヤング率を下げた比較的軟質の膜では、高面圧下の摺動により摩耗や母材の塑性変形による剥離が生じやすいという課題を有している。
【0004】
特許文献1は、Si、Ti、W、Cr、Mo、Nb、Vの群から選ばれた1又は2以上の炭化物が分散した、初期なじみを改善したダイヤモンドライクカーボンが外周面に形成されたピストンリングを開示し、当該ピストンリングの耐摩耗性の確保のために、当該ダイヤモンドライクカーボンが、Crめっき膜、窒化層、イオンプレーティング膜の耐摩耗表面処理層の上に形成されることを教示している。
【0005】
特許文献2は、酸素原子を0.1〜10原子%含有する硬質炭素膜の下地膜として、Cr膜と、該Cr膜上に設けられたCr-N膜を開示し、高面圧が加わった場合でも、高硬度で靱性のあるCr-N膜の下地膜に亀裂や破壊が起こらず、硬質炭素膜の剥離が生じないことを教示している。また、下地膜があることで、硬質炭素膜に含まれる酸素原子によるピストンリング母材の酸化を防ぐので、硬質炭素膜の高い密着性を確保することができると教示している。
【0006】
しかしながら、上記下地膜も耐摩耗表面処理層も、そのための工程が増えるため、コストアップの課題を抱えているのが実情である。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【特許文献1】特開平11-172413号公報
【特許文献2】特開2011-133018号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明は、上記の事情に鑑み、耐摩耗表面処理層や下地膜を形成することなく、耐摩耗性及び耐剥離性に優れ、低摩擦係数の非晶質硬質炭素膜を備えた摺動部材を提供することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者達は、上記の課題を解決すべく鋭意研究した結果、窒化層のような耐摩耗表面処理層やCr-N膜のような下地膜を形成することなく、非晶質硬質炭素膜自体に下地膜の役割を持たせることにより、耐摩耗性及び耐剥離性に優れ、且つ低摩擦係数の非晶質炭素膜を得ることに成功し、本発明を完成した。
【0010】
すなわち、本発明の摺動部材は、少なくとも摺動面に非晶質硬質炭素膜が形成された摺動部材であって、前記非晶質硬質炭素膜が前記摺動部材の母材から表面に向かって順に第1の炭素層、第2の炭素層、及び第3の炭素層を有し、前記第2の炭素層のヤング率が前記第1の炭素層側から前記第3の炭素層側に連続的又は段階的に低下した炭素層であり、前記炭素層の水素濃度が5原子%未満であることを特徴とする。また、前記第3の炭素層のヤング率も前記表面に向かって連続的又は段階的に低下した炭素層であることが好ましい。
【0012】
前記第1の炭素層のヤング率は400 GPaを超え600 GPa以下であることが好ましく、前記第3の炭素層のヤング率は200 GPaを超え350 GPa以下であることが好ましい。
【0013】
前記第1の炭素層、前記第2の炭素層、及び前記第3の炭素層の厚さは、前記非晶質硬質炭素膜の厚さに対し、それぞれ、10〜30%、10〜30%、及び50%以上であることが好ましい。
【0014】
また、前記非晶質硬質炭素膜の厚さは2〜30μmであることが好ましい。
【0015】
また、前記母材と前記非晶質硬質炭素膜との間にTi、Cr、Si、Co、V、Mo及びWからなる群から選択された少なくとも1種の金属及び/又は金属炭化物の中間層が形成されていることが好ましい。
【0016】
また、前記母材と前記非晶質硬質炭素膜との間にTi、Zr、Cr、Si及びVからなる群から選択された少なくとも1種の金属窒化物の中間層が形成されていることが好ましい。
【0017】
また、前記母材は熱伝導率30 W/m・K以上の鉄鋼材料であることが好ましい。
【0018】
また、前記摺動部材は、ピストンリングであることが好ましく、油性剤としてグリセリンモノオレート(GMO)又はグリセリンモノオレイルエーテル(GME)を含む潤滑油とともに使用することが好ましい。
【0019】
本発明の基本的要件は、上記非晶質硬質炭素膜に関する要件であり、これらの要件を満足すれば、耐摩耗性及び耐剥離性に優れ、且つ低摩擦係数の非晶質炭素膜が得られるので、たとえ耐摩耗表面処理層や下地膜があったとしても、本発明の範囲から外れるものではない。
【発明の効果】
【0020】
本発明の摺動部材は、非晶質硬質炭素膜を、摺動部材の母材から表面に向かって連続的及び/又は段階的にヤング率の低下した炭素層としているので、非晶質硬質炭素膜の母材側のヤング率の高い部分が下地膜の役割を担い、高面圧での摺動において耐摩耗表面処理層や下地膜がなくても、非晶質硬質炭素膜の剥離を防止することができる。また、母材と非晶質硬質炭素膜との間に金属及び/又は金属炭化物の中間層を形成すれば、さらに高い密着性を確保することができる。本発明においては、耐摩耗表面処理層や下地層を形成する必要がないので、非晶質硬質炭素膜形成のコストを低減することができる。
【図面の簡単な説明】
【0021】
図1(a)】摺動部材に形成された非晶質硬質炭素膜断面の一例をヤング率の変化と併せて示した図である。
図1(b)】摺動部材に形成された非晶質硬質炭素膜断面の別の一例をヤング率の変化と併せて示した図である。
図2(a)】本発明の摺動部材に形成された非晶質硬質炭素膜断面の一例をヤング率の変化と併せて示した図である。
図2(b)】本発明の摺動部材に形成された非晶質硬質炭素膜断面の別の一例をヤング率の変化と併せて示した図である。
図3(a)】本発明の摺動部材に形成された非晶質硬質炭素膜断面のさらに別の一例をヤング率の変化と併せて示した図である。
図3(b)】本発明の摺動部材に形成された非晶質硬質炭素膜断面のさらに別の一例をヤング率の変化と併せて示した図である。
図4(a)】本発明の摺動部材に形成された非晶質硬質炭素膜断面のさらに別の一例をヤング率の変化と併せて示した図である。
図4(b)】本発明の摺動部材に形成された非晶質硬質炭素膜断面のさらに別の一例をヤング率の変化と併せて示した図である。
図5】本発明の摺動部材に形成された非晶質硬質炭素膜断面のさらに別の一例をヤング率の変化と併せて示した図である。
図6(a)】往復動摺動試験の方法を示す図である。
図6(b)】ピストンリングの摺動部分を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0022】
本発明の摺動部材は、摺動面に形成された非晶質硬質炭素膜に特徴を有する。すなわち、当該非晶質硬質炭素膜は、摺動部材の母材から表面に向かって順に第1の炭素層、第2の炭素層、及び第3の炭素層を有し、前記第2の炭素層のヤング率が前記第1の炭素層側から前記第3の炭素層側に連続的又は段階的に低下した炭素層であり、かつ水素濃度が5原子%未満であることに特徴を有する。
【0023】
本発明の非晶質硬質炭素膜は、基本的に水素を含まないDLC膜である。この炭素膜表面炭素原子のダングリングボンドは水素で終端されることがないので、潤滑油中のOH基をもつ油性剤構成分子が非晶質硬質炭素膜の表面に吸着し、極めて低い摩擦係数を示すことが確認されている。低摩擦係数の観点で、非晶質硬質炭素膜中の水素濃度は3%未満が好ましく、2%未満がより好ましく、1%未満がさらに好ましい。非晶質硬質炭素膜中の水素濃度は水素前方散乱分光法(Hydrogen Forward Scattering : HFS)により測定することが出来る。
【0024】
図1(a)は、摺動部材の母材(2)の上に非晶質硬質炭素膜(1)を直接形成したもので、前記非晶質硬質炭素膜(1)は母材(2)側から表面(3)に向かってヤング率が連続的に低下した(濃淡の濃い部分が高いヤング率を表し、淡い部分が低いヤング率を表している)様子を示している。また、図1(b)は、前記非晶質硬質炭素膜(1)が母材(2)側から表面(3)に向かってヤング率が段階的に低下した様子を示している。いずれも、ヤング率が高く変形能の小さい炭素膜が母材(2)側に形成され、ヤング率が低く比較的変形能のある炭素膜が表面(3)の摺動面側に形成されている。非晶質硬質炭素膜(1)の耐摩耗性や耐剥離性の観点では、前記ヤング率が、炭素膜の母材(2)側から少なくとも0.5μmの厚さは400 GPaを超えており、表面(3)から少なくとも内側に1.5μmの厚さは350 GPa以下であることが好ましい。母材側0.5μm及び表面側1.5μmの前記ヤング率は、それぞれ、430 GPaを超えていること及び310 GPa以下であることがより好ましい。
【0025】
図2(a)は、母材(2)上に形成された非晶質炭素皮膜(1)が第1の炭素層(11)、第2の炭素層(12)、及び第3の炭素層(13)から構成され、第2の炭素層(12)が前記第1の炭素層(11)側から前記第3の炭素層(13)側にヤング率が連続的に低下した様子を示している。また、図2(b)は、第2の炭素層(12)が前記第1の炭素層(11)側から前記第3の炭素層(13)側にヤング率が段階的に低下した様子を示している。いずれも、第1の炭素層(11)と第3の炭素層(13)は所定の厚さを有している。ヤング率の高い第1の炭素層(11)が所定の厚さを持つことによって、高面圧が加わった場合でも非晶質硬質炭素膜の一部が下地膜の役割を果たし、かつ、ヤング率の低い第3の炭素層(13)が所定の厚さを持つことによって、低摩擦係数で相手材に優しい耐摩耗膜の役割を果たすことができる。第2の炭素層(12)は、これらの特性の大きく異なる炭素層を滑らかに繋ぐ役割を担っている。
【0026】
図3(a)〜図4(b)は、母材(2)上に形成された非晶質炭素皮膜(1)が、第1の炭素層(11)、第2の炭素層(12)、及び第3の炭素層(13)から構成され、前記第2の炭素層(12)及び前記第3の炭素層(13)のヤング率が前記第1の炭素層(11)側から表面(3)に向かって連続的及び/又は段階的に低下した様子を示している。図3(a)は、第2の炭素層(12)も第3の炭素層(13)のどちらもヤング率が表面(3)に向かって連続的に低下した様子を、また、図3(b)は、第2の炭素層(12)が連続的、第3の炭素層(13)が段階的に、ヤング率が表面(3)に向かって低下した様子を示している。さらに、図4(a)は、第2の炭素層(12)が段階的、第3の炭素層(13)が連続的に、ヤング率が表面(3)に向かって低下した様子を、また、図4(b)は、第2の炭素層(12)も第3の炭素層(13)もどちらもヤング率が表面(3)に向かって段階的に低下した様子を示している。
【0027】
図2(a)〜図4(b)までの前記非晶質硬質炭素膜(1)が第1の炭素層(11)、第2の炭素層(12)、及び第3の炭素層(13)からなる場合、第1の炭素層(11)のヤング率は400 GPaを超え600 GPa以下であることが好ましく、430 GPaを超え570 GPa以下であることがより好ましく、460 GPaを超え540 GPa以下であることがさらに好ましい。また、第3の炭素膜(13)のヤング率は、200 GPaを超え350 GPa以下であることが好ましく、240 GPaを超え310 GPa以下であることがより好ましく、250 GPaを超え300 GPa以下であることがさらに好ましい。
【0028】
上記の第1の炭素層(11)、第2の炭素層(12)、及び第3の炭素層(13)が積層して非晶質硬質炭素膜(1)を構成するが、特に相手材と摺動する第3の炭素層(13)は、低摩擦係数で相手攻撃勢が低く柔軟性の高いことに加えて、耐摩耗性が求められるので、前記非晶質硬質炭素膜(1)の厚さに対し、50%以上であることが好ましい。55%以上であればより好ましく、60%以上であればさらに好ましい。また、下地膜としての役割を担う第1の炭素層(11)は、剛性の高いことが求められるので、前記非晶質硬質炭素膜(1)の厚さに対し、少なくとも10%以上であることが好ましい。15%以上であればより好ましく、20%以上であればさらに好ましい。第1の炭素層(11)と第3の炭素層(13)の役割を考慮すると、一種の緩衝層的な役割を担う第2の炭素層(12)は、10%以上であることが好ましく、15%以上であることがより好ましく、20%以上であることがさらに好ましい。
【0029】
非晶質硬質炭素膜(1)の厚さとしては、第1の炭素層(11)の役割と第3の炭素層(13)の役割を考慮すると、2〜30μmであることが好ましい。生産性の観点からは、3〜12μmであることがより好ましく、3.5〜9μmであることがより好ましい。
【0030】
本発明の非晶質硬質炭素膜は基本的に水素を含まないので、母材がスケールやオイル等がなければ優れた密着性を示す。すなわち、優れた密着性のために母材の表面は清浄であることが重要である。機械的な前加工により母材表面の酸化膜を除去し、炭化水素系などの洗浄剤を用いて洗浄することが好ましい。また、母材との密着性をさらに改善するために、母材の金属と格子整合性があり、かつ母材の金属よりも非晶質硬質炭素膜の炭素と炭化物を形成しやすい元素から構成される中間層を母材と非晶質硬質炭素膜の間に形成することも好ましい。当該中間層は、具体的には、Ti、Cr、Si、V、Mo及びWからなる群から選択された少なくとも1種の金属及び/又は金属炭化物であることが好ましい。中間層の厚さは、中間層の変形が皮膜の密着性に影響しない程度に薄いことが好ましく、具体的には、0.01〜0.4μmであることが好ましく、0.03〜0.3μmであることがより好ましく、0.05〜0.2μmであることがさらに好ましい。
【0031】
また、高面圧で作動するような厳しい環境で使用される摺動部材においては、当該中間層は、Ti、Zr、Cr、Si及びVからなる群から選択された少なくとも1種の金属窒化物であることが好ましい。非晶質硬質炭素膜が摩滅するようなことが生じても、当該中間層の存在により摺動特性を維持することが可能となる。
【0032】
また、本発明の水素を含まない非晶質硬質炭素膜は、優れた熱伝導特性を有している。例えば、ピストンリングにおいては、ピストンとシリンダ壁との気密を保つガスシール機能や、適正な潤滑油膜をシリンダ壁に保持するオイルコントロール機能に加えて、ピストン頂部に受けた熱量を冷却されたシリンダ壁に伝達する重要な機能を有している。非晶質硬質炭素膜の優れた熱伝導特性を有効に機能させるためにも、母材の熱伝導率は30 W/m・K以上の鉄鋼材料であることが好ましい。母材の熱伝導率は35 W/m・K以上であればより好ましく、38 W/m・K以上であればさらに好ましい。
【0033】
鉄鋼材料の熱伝導率は一般に合金元素の含有量が少ないほど高いが、逆に高温特性が劣り、熱負荷の高い環境では自動車エンジンの摺動部材として使用に供せなくなる。しかし、例えば、球状化セメンタイトの粒子分散強化等により高温特性を向上させる組織制御をして、熱伝導率と高温特性の両立を図ることが可能である。そのような鉄鋼材料として、JIS G 4801に規定される材料記号SUP9やSUP10が好ましい。
【0034】
また、本発明の非晶質硬質炭素膜は、先に説明したように基本的に水素を含まないので、炭素膜の末端は水素に終端されることがなく、潤滑油中のOH基をもつ油性剤構成分子が非晶質硬質炭素膜の表面に吸着し、極めて低い摩擦係数を示す。具体的には、油性剤としてグリセリンモノオレート(GMO)又はグリセリンモノオレイルエーテル(GME)を含む潤滑油とともに使用することが好ましい。
【0035】
本発明の非晶質硬質炭素膜は、例えば、蒸発源に炭素カソードを備えたアークイオンプレーティング装置を用いて形成される。そのプロセスは、真空雰囲気中、炭素カソードとアノードとの間で真空アーク放電を発生させ、炭素カソード表面から炭素材料を蒸発、イオン化し、負のバイアス電圧を印加した摺動部材の摺動面上に炭素イオンを堆積させる工程を有している。非晶質硬質炭素膜のヤング率は、主に摺動部材に印加する負のバイアス電圧の大きさに依存して変化するので、目標とするヤング率の値に応じてバイアス電圧を適宜調整する。アークイオンプレーティングにおいて特徴的に形成されるドロプレットは皮膜を汚染するので、ドロップレットを除去する為の磁気フィルターを装備したフィルタードアーク方式による装置を用いても良い。この場合、非常に均質な膜が得られ、また、このような膜は良好な耐摩耗性を有する。
【実施例】
【0036】
実施例1〜8
予め洗浄したSUP 9相当材からなるピストンリングを治具にセットし、蒸発源に炭素カソードを備えたアークイオンプレーティング装置の自公転テーブルの自転軸に取り付けた後、1×10-3 Pa以下の真空雰囲気まで排気した。各実施例において、非晶質硬質炭素膜の形成は、所定のアーク電流で一定に保ち、別途実施した予備実験で測定した各バイアス電圧でのヤング率と成膜速度から、所定(目標)のヤング率となるバイアス電圧で所定(目標)の厚さとなる時間、あるいはバイアス電圧を所定(目標)の時間内に連続的又は段階的に変化させて、第1の炭素層、第2の炭素層及び第3の炭素層を形成した。各炭素層の目標厚さは予め別途実施した予備実験で測定した各バイアス電圧での成膜速度から推定することができる。実施例1〜8の第1〜3の炭素層の目標ヤング率と目標厚さを表1に示す。
【0037】
【表1】
【0038】
[1] ヤング率の測定
ヤング率は、ISO 14577-1(計装化押込み硬さ試験)に準拠したナノインデンテーション装置を用いて測定することができる。例えば超微小硬度計(エリオニクス社、ENT-1100)を用いて、Berkovich圧子、試験モード:負荷-除荷試験、試験力:30 mN、の条件で行った。ヤング率は、荷重-押込み深さ曲線から計算される。測定結果は、10点測定し、平均値を採用した。膜中のヤング率分布の測定はCALOTESTにより球面研磨した後、研磨痕の直径上をナノインデンテーション装置により測定箇所を移動させながら測定することができる。実施例1〜8の非晶質硬質炭素膜の第1層及び第3層のヤング率の測定値を表2に示す。
【0039】
[2] 膜厚(総膜厚)の測定
膜厚(総膜厚)測定は、球面研磨法によるCALOTESTにより、研磨痕の寸法測定からピストンリング外周面の非晶質硬質炭素膜の母材から表面までの厚さを測定した。実施例1〜8の非晶質硬質炭素膜の総膜厚の測定値を表2に示す。
【0040】
【表2】
【0041】
比較例1
母材にSUP9材を用いたピストンリングの外周面上にヤング率が約250GPaで一定となるように膜厚約5 μmの非晶質硬質炭素膜を形成した。
【0042】
比較例2
母材にSUP10材を用いたピストンリングの外周面上にヤング率が約500 GPaで一定となるように膜厚約5 μmの非晶質硬質炭素膜を形成した。
【0043】
[3] 炭素層の水素含有量の測定
炭素層の水素含有量は、水素前方散乱分光法(HFS)により求めた。実施例1〜8並びに比較例1及び2の結果を表3に示す。
【0044】
[4] 往復摺動試験
往復摺動試験は、図6(a)に示すような、シリンダに相当するアルミ合金製プレート(21)の上を(図示しない固定治具に取り付けた)ピストンリングが幅方向に往復摺動する試験により行った。ここで、プレート(21)はAl-20質量%Si合金板を研磨加工により表面粗さ(Rzjis)1.1μmに調整したものを使用し、ピストンリングは長さ約30 mmに切断したピストンリング片(22)を使用した。試験条件は、垂直荷重(F)500 N〜900N、ストローク3 mm、周波数50 Hz、プレート温度120℃、潤滑下(市販エンジン油(5W-30SM)(23)を1 cm3滴下)にて、試験時間60分とした。非晶質硬質炭素膜の剥離状態は図6(b)に示す試験後のピストンリング片(22)に生じた楕円形状の摺動部(24)の周辺部分の剥離の有無により判定した。実施例1〜8並びに比較例1及び2の結果を表3に示す。
【0045】
【表3】
【符号の説明】
【0046】
1 非晶質硬質炭素膜
2 母材
3 表面(摺動面)
4 中間層
11 第1の炭素層
12 第2の炭素層
13 第3の炭素層
21 プレート
22 ピストンリング片
23 潤滑油
24 摺動部
図1(a)】
図1(b)】
図2(a)】
図2(b)】
図3(a)】
図3(b)】
図4(a)】
図4(b)】
図5
図6(a)】
図6(b)】