(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
【発明を実施するための形態】
【0011】
以下、本発明を図面に示した実施の形態をもって説明するが、本発明は、図面に示した実施の形態に限定されるものではない。なお、以下に参照する各図においては、共通する要素について同じ符号を用い、適宜、その説明を省略するものとする。
【0012】
本実施形態は、クラヴィコードにおいて、キーの押し込みに伴うピッチの変動量を制御する方法を開示する。具体的には、クラヴィコードにおいて、キーの押し下げ量に対するピッチの変動率を所定の値に設計する方法を開示する。
【0013】
本実施形態は、キーの押し下げ量に対するピッチの変動率が全てのキーにおいて等しくなるようにクラヴィコードを設計する方法を開示する。
【0014】
また、本実施形態は、キーを押し込む際の押し心地が全てのキーにおいて同じように感じられるようにクラヴィコードを設計する方法を開示する。
【0015】
さらに、本実施形態は、クラヴィコードにおいて、キーの押し下げ量を制御するための制限手段を開示する。
【0016】
ここで、本実施形態のクラヴィコードの説明に入る前に、前提事項として、一般的なクラヴィコードの基本構造について説明する。
【0017】
一般的なクラヴィコードは長方形の箱型構造を有しており、長方形の一方の長辺に沿って鍵盤が並設され、長辺とほぼ平行に弦が張られている。
図1は、クラヴィコードの内部構造を模式的に示す。
図1に示すように、クラヴィコードでは、キーを押し下げることにより、キーの先端に固定され、キーに連動するタンジェントと呼ばれる金属製の棒が上昇して、キーの直上に水平に張られた弦を突くようにして打弦する。このとき、タンジェントと弦の接触点を節とする弦振動が生じ、発音に至る。一方、打弦点から見てブリッジ(駒)とは反対側に位置する弦の部分にはミュート用のフェルトが巻かれており、キーから手を離すと、弦振動の節となっていたタンジェントが弦から離脱する結果、弦振動がフェルトに到達して音が止まる。
【0018】
以上、クラヴィコードの基本構造について説明したので、本実施形態のクラヴィコードの説明を始める。
【0019】
ここでは、まず、本実施形態のクラヴィコードの設計に用いる3つの基本式について説明する。なお、以下の説明においては、適宜、
図2を参照するものとする。
【0020】
<基本式(1):弦の寸法と基本周波数に関する基本式>
弦の寸法と基本周波数に関する基本式(1)は、以下のように導出される。
【0021】
弦の基本周波数fと張力Tの関係は下記式(1−1)で表される。なお、下記式(1−1)において、Lは弦の全長を示し、aは弦の固定端から打弦点(弦とタンジェントの接触点)までの距離を示し、L‐aは弦の発音部分の長さを示し、μは弦の線密度を示す。(以下に挙げる別式においても同様。)
【0023】
ここで、弦の線密度μは下記式(1−2)で表される。なお、下記式(1−2)において、ρ
cは弦の芯線の体積密度を示し、ρ
wは弦が巻線であった場合に芯線に巻き付ける細い線(以下、細線という)の体積密度を示し、A
cは芯線の断面積を示し、A
wは巻線の全断面積のうち細線の占める部分の断面積を示す。(以下に挙げる別式においても同様。)
【0025】
そして、上記式(1−1)と式(1−2)を整理すると、下記式(1−3)が求まる。
【0027】
ここで、張力Tと、芯線の応力σ
cおよび細線の応力σ
wとの関係は、下記式(1−4)で表される。
【0029】
また、芯線の断面積A
cに対する細線部分の断面積A
wの比率qは下記式(1−5)で表される。
【0031】
そして、上記式(1−4)および式(1−5)に基づいて上記式(1−3)を変形することによって、弦の寸法と基本周波数fに関する基本式(1)が下記のように導出される。
【0033】
ここで、上記基本式(1)において、sは芯線の応力σ
cに対する細線の応力σ
wの比率(σ
w/σ
c)を意味し、uは芯線の体積密度ρ
cに対する細線の体積密度ρ
wの比率(ρ
w/ρ
c)を意味する(以下に挙げる別式においても同様)。また、上記基本式(1)における芯線の断面積A
cは芯線の直径dを用いた下記式(1−6)で表される。
【0035】
また、上記基本式(1)における細線の実効的な断面積A
wは芯線の直径dと細線の直径tを用いた下記式(1−7)で表すことができる。ここで、巻線の全断面積を直径d+2tの円の面積で近似している。
【0037】
以上、弦の寸法と基本周波数に関する基本式(1)を説明したので、続いて、基本式(2)について説明する。
【0038】
<基本式(2):弦の横剛性に関する基本式>
本実施形態では、弦の軸方向に対する垂直方向の荷重(横荷重)を打弦点(荷重作用点)における垂直方向の変位で割ったばね定数を、弦の横剛性k
cpと定義する。本実施形態では、弦の横剛性k
cpを当該弦に対応するキーの押し心地の指標として用いてクラヴィコードを設計する。
【0039】
弦の横剛性k
cpに関する基本式(2)は、以下のように導出される。
【0040】
タンジェントが弦に接触する打弦点(荷重作用点)における、弦に作用する集中力Fと弦の張力Tのつり合いから、下記式(2−1)が成り立つ。
【0042】
ここで、上記式(2−1)におけるθ
1、θ
2は微小量なので、打弦点における垂直方向の変位をδとすると、弦に作用する集中力Fは下記式(2−2)で近似することができる。
【0044】
一方、弦に作用する集中力Fは、下記式(2−3)に示すように、弦の横剛性k
cpと変位δの積として表される。
【0046】
よって、上記式(2−2)に上記式(2−3)を代入して整理すれば、下記式(2−4)が得られる。
【0048】
さらに、先に挙げた式(1−4)および式(1−6)に基づいて上記式(2−4)を変形すると、弦の横剛性k
cpに関する基本式(2)が下記のように導出される。
【0050】
以上、弦の横剛性と変位に関する基本式(2)を説明したので、続いて、基本式(3)について説明する。
【0051】
<基本式(3):打弦点における変位とピッチ変動率に関する基本式>
打弦点における変位とピッチ変動率に関する基本式(3)は、以下のように導出される。
【0052】
タンジェントが接触する打弦点における押し込みによる引き張りひずみの増加量Δεは下記式(3−1)で表される。なお、下記式(3−1)において、δは打弦点における変位を示す。
【0054】
ここで、上記式(3−1)の分子第一項目の括弧内の2つの項は下記式(3−2)および式(3−3)で近似することができる。
【0056】
よって、上記式(3−1)の分子第一項目の括弧内は下記式(3−4)のように表すことができる。
【0058】
そこで、上記式(3−1)の分子第一項目に上記式(3−4)を代入して整理すると、引き張りひずみの増加量Δεは下記式(3−5)で表される。
【0060】
そして、打弦点における押し込みによる芯線の引き張り応力の増加量をΔσ
cとすると、Δσ
cとΔεの関係から下記式(3−6)が導出される。なお、下記式(3−6)において、E
cは芯線の縦弾性係数を示す。(以下に挙げる別式においても同様。)
【0062】
ここで、細線についても上記式(3−6)と同様の式が成立するので、打弦点における押し込みによる張力Tの増加量をΔTとすると、ΔTは、芯線および細線のひずみの増加量Δεが等しいとの仮定のもとで、芯線の引き張り応力の増加量Δσ
c、芯線の断面積A
c、細線の引き張り応力の増加量Δσ
w、細線部分の断面積A
wを用いて下記式(3−7)で表すことができる。ただし、E(_)
wは細線の等価縦弾性係数であり、s=(σ
w/σ
c)により、E(_)
w=sE
cである。
【0064】
ここで、打弦点における押し込みによる基本周波数の増加量をΔfとすれば、弦の基本周波数fと張力Tの関係を示す先に挙げた上記式(1−1)に基づいて下記式(3−8)が成立する。
【0066】
さらに、打弦点における押し込みによる基本周波数の変化率(f+Δf)/fは、式(1−1)、式(3−7)、式(3−8)を用いて、下記式(3−9)で表わされる。
【0068】
そして、上記式(3−9)を整理することにより、ピッチ変動率r(=Δf/f)が下記式(3−10)で表わされる。
【0070】
さらに、先に挙げた式(1−4)に基づいて上記式(3−10)を変形することにより、打弦点における変位δとピッチ変動率rに関する基本式(3)が下記のように導出される。
【0072】
以上、基本式(1)〜(3)の導出過程について説明してきたので、続いて、基本式(1)〜(3)を利用したクラヴィコードの発音機構の設計方法について説明する。
【0073】
下記表1は、上述した基本式(1)〜(3)に登場する13個の変数(3つの材料定数、5つの形状パラメータ、5つの特性パラメータ)をまとめて示す。
【0075】
ここで、クラヴィコードの発音機構の設計にあたり、上記表1に挙げた13個の変数のうち、5つの変数(f、k
cp、δ、r、s)の値は以下のように与えることができる。
【0076】
まず、基本周波数fは、それぞれの弦(キー)が受け持つ音高に対応する値を与える。例えば、注目する弦(キー)が受け持つ音高を「中央のラ(A)」とし、fの値として「440Hz」を与える。
【0077】
次に、弦の横剛性k
cpは、実現したいキーの押し心地に応じた適切な値を与える。なお、本実施形態では、演奏性を考慮して、キーを押し込む際の押し心地が全てのキーにおいて同じように感じられるように、弦の横剛性k
cpは、全ての弦(キー)に対して共通の値を与える。
【0078】
同様に、キーの押し下げ量に対するピッチの変動率が全てのキーにおいて等しくなるように、打弦点における変位δとピッチ変動率rについても、全ての弦(キー)に対して共通の値を与える。なお、変位δは、キーの押し下げ量に正比例する値なので、キーの押し下げ量の設計値に基づいて、これに比例する変位δ(例えば、10mm)を算出して与える。また、ピッチ変動率rは、キーの押し下げ量の設計値(すなわち、変位δに設定する値)に対して実現したいピッチ変動c(例えば、半音:100セント)を下記式(4)に代入して得た計算値を与える。
【0080】
また、弦が巻線でない場合、または、弦が巻線であるが細線に張力が作用しない場合には、s=0とする。一方、弦が巻線であり、且つ、細線に張力が作用する場合には、sとして、芯線の縦弾性係数に対する細線の等価な縦弾性係数の比率を与える。
【0081】
クラヴィコードの発音機構の設計にあたっては、実現したい仕様(キーの押し込み量に対するピッチの変動率、キーの押し心地)に応じて、上記表1に挙げた13個の変数のうち、5つの変数(f、k
cp、δ、r、s)の値を事前に与えることができるので、さらに、残り8個の変数(E
c、ρ
c、ρ
w、L、a、d、t、σ
c)の中から、5個の変数を任意に選出して、その値を決めれば、残った3個の変数の値を、上述した基本式(1)〜(3)を用いて導出することができる。なお、クラヴィコードの発音機構の設計にあたり、8個の変数(E
c、ρ
c、ρ
w、L、a、d、t、σ
c)のうち、どの変数に対して予め値を与え、どの変数を上述した基本式(1)〜(3)を用いて導出するかは自由であり、様々な態様を想定することができるが、以下では、設計の具体例として、2つのケースを説明する。
【0082】
(ケース1)
ケース1では、上述した8個の変数のうち、E
c、ρ
c、ρ
w、L、aの値を予め与えた上で、d、t、σ
cを基本式(1)〜(3)を用いて導出する。
【0083】
まず、上述した基本式(3)を変形して得られる下記式(5)において、δ、r、E
c、L、a、sに与えられた値を代入することにより、σ
cを導出する。
【0085】
続いて、上述した基本式(1)を変形して得られる下記式(6)において、f、ρ
c、ρ
w、L、aに与えられた値を代入し、σ
cに上記式(5)で導出した値を代入することによって、qを導出する。
【0087】
続いて、上述した基本式(2)を変形して得られる下記式(7)において、k
cp、L、a、sに与えられた値を代入し、σ
cに上記式(5)で導出した値を代入することによって、dを導出する。
【0089】
続いて、下記式(8)に示す関係式に、上記式(7)で導出したdと、上記式(6)で導出したqを代入してA
wを求める。
【0091】
最後に、下記式(9)に示す関係式に、上記式(7)で導出したdと、上記式(8)で導出したA
wを代入してtを導出する。
【0093】
上述したケース1では、各弦(キー)について得られたd、tに基づいて、弦の芯線の直径と細線の直径を設計することにより、キーの押し下げ量に対するピッチの変動率と、キーを押し込む際の押し心地が、全てのキーにおいて揃ったクラヴィコードが提供される。なお、d、tの解が存在しない場合には、事前の設定値を変更する必要がある。
【0094】
(ケース2)
ケース2では、弦に巻線を使用しない前提で、E
c、ρ
c、ρ
w(=0)、t(=0)、s(=0)、σ
cを予め与えた上で、基本式(1)〜(3)を用いて、L、a、dを導出する。この場合、芯線の応力σ
cには、弦の破断応力を照らして、キーを押し下げたときに弦が破断しない適切な値を与える。
【0095】
まず、上述した基本式(1)を変形して得られる下記式(10)において、f、ρ
c、σ
cに与えられた値を代入することによって、L-aを導出する。
【0097】
次に、上述した基本式(3)を変形して得られる下記式(11)において、E
c、δ、r、σ
cに与えられた値を代入し、L-aに上記式(10)で導出した値を代入することによりaを導出する。
【0099】
これにより,弦の長さLが、上記式(10)で導出したL-aと、上記式(11)で導出したaの和として導出される。
【0100】
最後に、上述した基本式(2)を変形して得られる下記式(12)において、k
cpに与えられた値を代入し、L、aに先に導出した値を代入することによって、dを導出する。
【0102】
上述したケース2では、各弦(キー)について得られたL、a、dに基づいて、弦の芯線の直径、弦の長さ、タンジェントの固定位置を設計することにより、キーの押し下げ量に対するピッチの変動率と、キーを押し込む際の押し心地が、全てのキーにおいて揃ったクラヴィコードが提供される。
【0103】
以上、クラヴィコードの発音機構の設計方法について説明したので、次に、キーの押し下げ量を制御するための制限手段について説明する。
【0104】
図3は、キーの押し下げ量を制御するための制限手段の一例を示す。
図3に示す制限手段10は、レバー12と、レバー12にリンク14を介して連結されるテーパ状のくさび16を含んで構成されている。制限手段10では、くさび16がキー18の先端に向かって斜面が形成される台座19とキー18の間に挿入されることで、全てのキー18の押し下げ量が等しく制限されるようになっている。これにより、演奏者は、キーの押しすぎによる弦の破断を心配することなく、演奏に没頭できるので、演奏性が向上する。これに加えて、制限手段10が制限する押し下げ量を、所望のピッチ変動(半音、全音)に対応した押し下げ量とすれば、演奏者は、1つのキーを限界まで押し下げる操作で、2種類の音高を表現できるようになる。
【0105】
さらに、制限手段10では、
図3(a)に示すように、レバー12を持ち上げると,くさび16が台座19の斜面を上がって、キー18の押し下げ深さをD1に制限し、
図3(b)に示すように、レバー12を押し下げると、くさび16が台座19の斜面を下って、キー18の押し下げ深さをD2に制限するようになっており、レバー12を上下することにより、キー18の押し下げ量の限界値が可変制御されるようになっている。これにより、演奏者は、演奏中にレバー12を操作することによって、弦のピッチの変動範囲を変化させることができるので、多彩な演奏が可能となる。
【0106】
以上、説明したように、本実施形態によれば、キーの押し下げ量に対するピッチの変動率が全てのキーにおいて等しく、且つ、キーを押し込む際の押し心地が全てのキーにおいて同じように感じられるクラヴィコードが提供される。
【0107】
なお、上述した実施形態では、全ての弦(キー)の3つのパラメータ(k
cp、δ、r)に対して共通の値を与える設計方法を説明したが、他の実施形態では、3つのパラメータ(k
cp、δ、r)の少なくとも1つが弦ごとに異なるように設計してもよい。例えば、キーの押し下げ量に対するピッチの変動率rがキーの配列方向においてなだらかに変化するように設計してもよいし、キーに対応する弦の横剛性k
cpがキーの配列方向においてなだらかに変化するように設計してもよい。
【0108】
以上、本発明について実施形態をもって説明してきたが、本発明は上述した実施形態に限定されるものではなく、当業者が推考しうるその他の実施態様の範囲内において、本発明の作用・効果を奏する限り、本発明の範囲に含まれるものである。
【実施例】
【0109】
弦の変位δとピッチ変動率γに関する基本式(3)の妥当性を検証すべく、実際のクラヴィコードを使用して検証実験を行った。
【0110】
【数33】
【0111】
(1)実験方法
基本周波数 f=440HzのA4弦を対象弦とし、キーの押し下げによる対象弦の変位δをダイヤルゲージで測定すると共に、基本周波数の変化をチューナーで測定した。なお、対象弦の形状パラメータは、以下の通りである。
弦の全長L : 532mm
固定端から弦とタンジェントの接触点までの距離a : 70mm
弦の芯線の直径d : 0.33mm
巻線における細線の直径t : 0mm
【0112】
(2)実験結果
図4は、対象弦の変位δ(mm)とピッチ変動c(cents)の関係について、測定値と基本式(3)に基づく理論値を併せて示す(ピッチ変動cとピッチ変動率rの関係は、先出の式(4)を参照のこと)。なお、理論値は、芯線の体積密度ρ
c=7.8×10
3kg/m
3、弦の縦弾性係数E=2.0×10
11Pa、弦の張力T=110.2Nとして算出した。
図4に示すように、測定値と理論値は概ね一致しており、基本式(3)の妥当性が確認された。