(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
【発明を実施するための形態】
【0018】
以下、本発明の実施の形態について詳細に説明する。以下の説明で、特に断りがない限り、化学組成について、「%」は質量%を意味する。
【0019】
チタン材の表面に存在する一般的な酸化皮膜を構成する主たる結晶相は、ルチル型TiO
2である。ルチル型TiO
2は耐食性に優れる。このため、チタン材の表層にルチル型TiO
2が存在することにより、チタン材の耐食性が確保される。しかし、TiO
2は、導電性に乏しいことにより、チタン材を導電部材に適用する障害となってきた。TiO
2型酸化チタンに酸素欠損が生じた、TiO
2より低次の酸化物は、導電性を有する。したがって、チタンの酸化皮膜がある程度の量の低次酸化物を含むようにすれば、チタン材は良好な導電性を有する。
【0020】
一方、チタン材を腐食環境で用いる場合は、チタン材の表面に存在する酸化皮膜は、腐食環境においても安定である必要がある。本発明者らが調査したところ、低次酸化物のうち耐食性と導電性とを兼ね備えたチタン酸化物は、Ti
nO
(2n-1)(nは、1以上9以下の整数)の化学式で表わせるものであることが判明した。具体的には、このような酸化物は、Ti
9O
17(n=9)、Ti
8O
15(n=8)、Ti
7O
13(n=7)、Ti
6O
11(n=6)、Ti
5O
9(n=5)、Ti
4O
7(n=4)、Ti
3O
5(n=3)、Ti
2O
3(n=2)、およびTiO(n=1)である。
【0021】
しかし、これらの低次酸化物のうちいずれか1種が単独で酸化皮膜中に存在する場合は、酸化皮膜に繰り返し応力変動が与えられると、チタン材の接触抵抗が上昇することが判明した。特許文献3のチタン材の表面に繰り返し応力変動が与えられると接触抵抗が上昇するのは、このチタン材の酸化皮膜が実質的に酸化チタンとしてTiO相のみを含むことと関係していると考えられる。以下、このような接触抵抗の上昇を、「応力変動劣化」という。本発明者らは、鋭意検討の結果、前述の低次酸化物のうち2種以上を主たる相として、酸化皮膜中に混在させると、応力変動劣化を抑制できることを見出した。本発明はこの知見に基づいて完成したものである。
【0022】
[チタン材]
チタン材は、母材と、母材の表面に形成されたチタン酸化物皮膜とを備える。
【0023】
〈母材〉
母材は、純チタンまたはチタン合金からなる。ここで、「純チタン」とは、98.8%以上のTiを含有し、残部が不純物からなる金属材を意味する。純チタンとして、たとえば、JIS1種〜JIS4種の純チタンを用いることができる。これらのうち、JIS1種およびJIS2種の純チタンは、経済性に優れ、加工しやすいという利点を有する。「チタン合金」とは、70%以上のTiを含有し、残部が合金元素と不純物元素とからなる金属材を意味する。チタン合金として、たとえば、耐食用途のJIS11種、13種、もしくは17種、または高強度用途のJIS60種を用いることができる。
【0024】
〈チタン酸化物皮膜〉
チタン酸化物皮膜は、第1主相および第2主相を含む。第1および第2主相は、後述のX線回折分析により特定される。第1および第2主相は、いずれも、Ti
nO
(2n-1)(nは、1〜9の整数;以下、特に断りのない限り、同様)相のいずれかである。すなわち、チタン酸化物皮膜は、Ti
nO
(2n-1)の2種以上を主たる相(およそ存在比が大きい相)として含む。これにより、チタン酸化物皮膜に繰り返し応力変動が与えられたとき、チタン材の接触抵抗の上昇が抑制される。nは、1〜9の範囲で小さい方が、このような効果が得られやすい。この点で、nは、1〜5の整数であることが好ましい。
【0025】
また、Ti
nO
(2n-1)は、耐食性を有する。したがって、このチタン酸化物皮膜は、導電性および耐食性が安定している。このため、このチタン材の導電性および耐食性は安定している。このような効果を得るために貴金属を用いる必要はないので、このチタン材は低コストである。
【0026】
応力変動劣化のメカニズム、およびチタン酸化物皮膜がTi
nO
(2n-1)相の2種以上を主たる相として含むことにより応力変動劣化が抑制されるメカニズムは不明である。接触抵抗の上昇は、応力変動により酸素欠損酸化物の酸化が促進され、導電性の乏しいTiO
2が形成されていくことで生じる可能性がある。この場合、チタン酸化物皮膜中の主たる相がTi
nO
(2n-1)相の1種のみのときは応力変動が緩和されず、一方、主たる相がTi
nO
(2n-1)相の2種以上のときは応力変動が緩和されると考えられる。あるいは、2種以上のTi
nO
(2n-1)相が存在すると、応力変動が与えられても酸化されにくい可能性がある。
【0027】
〈薄膜X線回折分析〉
このチタン材では、表層について入射角0.3°(deg)の薄膜X線回折分析を行うと、複数種の結晶相が同定される。ここで、「表層」とは、チタン酸化物皮膜と、母材においてチタン酸化物皮膜の近傍の部分とを意味する。第1主相は、薄膜X線回折分析により得られるピークのうち、α−Ti相、およびβ−Ti相に対応するピークを除いて、最大のピークに対応する結晶相である。第2主相は、α−Ti相、β−Ti相、および第1主相に対応するピークを除いて、最大のピークに対応する結晶相である。第1および第2主相を特定するのにα−Ti相およびβ−Ti相を除くのは、これらの相の大部分がチタン酸化物皮膜を構成するものではなく、母材に含まれるTiであるためである。
【0028】
結晶相の同定は、たとえば、以下の手順により行うことができる。まず、検出されることが予想される結晶相として、結晶相の候補を決定する。結晶相の候補は、たとえば、Ti、ならびにTiとCおよびOの1種以上とを含む化合物とすることができる。具体的な候補として、TiO
2(ルチル型)、TiO
2(アナターゼ型)、Ti
nO
(2n-1)、α−Ti、β−Ti、およびTiCが挙げられる。母材がチタン合金である場合、合金元素を含む化合物も候補としてもよい。チタン材の製造工程で、Hを含む雰囲気で処理した場合は、Hを含む化合物も候補としてもよい。候補には、必ず、TiO
2(ルチル型)、TiO
2(アナターゼ型)、Ti
nO
(2n-1)、α−Ti、およびβ−Tiが含まれる。
【0029】
X線回折分析の条件は、たとえば、下記の通りとすることができる。
X線:Co−Kα線
励起:加速電圧を30kVとした100mAの電子線照射
測定対象の回折角度:2θ=20〜100°
スキャン:0.02°のステップでのステップスキャン
各ステップの固定時間:10秒
【0030】
ピーク強度は、X線回折曲線の連続バックグラウンドより上の部分の面積とする。ここで、「面積」とは、測定したカウント数を使って得た積分強度である。
【0031】
そして、上記候補の金属チタンおよびチタン化合物のX線回折パターンのデータベースを用い、候補の結晶相のうち薄膜X線回折分析の結果と整合するものが存在すると判断する。その手順は、たとえば、以下の通りである。まず、得られたデータを21点の放物線フィルタで平滑化する。この平滑化したデータに対して、ピーク強度閾値を20cps、ピーク幅閾値を0.1°として、二次微分法でピーク検出を行う。ピーク位置は重心角度とする。以下、このようにして検出されたピークを「実測回折線」という。
【0032】
実測回折線のうち、上記データベースにあるα−Tiおよびβ−Tiの回折線(以下、「DB回折線」という。)と0.1°以内の角度にあるものを除いて最大のものに対応する結晶相が第1主相である。そして、実測回折線のうち、α−Ti、β−Ti、および第1主相のDB回折線と0.1°以内の角度にあるものを除いて最大のものに対応する結晶相が第2主相である。すなわち、第1および第2主相の各々は、上述の候補のいずれかに同定される。本発明のチタン材では、第1および第2主相は、いずれも、Ti
nO
(2n-1)のいずれかである。
【0033】
最大の回折線に対して複数種の結晶相が対応する場合は、確度評価が最も高いものを、第1または第2主相とする。確度評価として、たとえば、上述の複数種のいずれを第1または第2主相とするかを、まず、下記(i)の判定基準により決定することを試みる。そして、この判定基準で決定できない場合は、下記(ii)の判定基準により、決定を試みる。
(i)候補となる結晶相のDB回折線において強度が強い順に3番目までのDB回折線のうち、実測回折線と一致するDB回折線の数。
(ii)同様に、強度が強い順に8番目までのDB回折線のうち、実測回折線と一致するDB回折線の数。
【0034】
上記(i)および(ii)の判定基準では、一致するDB回折線の数が多いほど確度が高い。さらに、DB回折線と一致する実測回折線の数が同じ場合には、一致するDB回折線と実測回折線とについて、DB回折線の回折角度と実測回折線の回折角度との差の平均を比較し、この角度差の平均が小さいものをより確度が高いとする。これにより、第1および第2主相の同定を客観的に行うことができる。以上の手順は、たとえば、X線回折分析装置に付属するソフトウェアを用いて実施することができる。
【0035】
第2主相の最強ピーク強度I2は、第1主相の最強ピーク強度I1の20%以上である。「最強ピーク」とは、実測回折線に相当するものである(以下、同様)。すなわち、チタン材の薄膜X線回折分析によるピーク強度は、下記式(1)を満足する。
I2≧0.2×I1 …(1)
【0036】
また、TiO
2相に起因するピークが認められる場合は、第1主相の最強ピーク強度I1と第2主相の最強ピーク強度I2との合計が、TiO
2相(ルチル型またはアナターゼ型)の最強ピーク強度I
TiO2の5倍以上である。すなわち、この場合、チタン材の薄膜X線回折分析によるピーク強度は、下記式(2A)を満足する。
(I1+I2)≧5×I
TiO2 …(2A)
【0037】
一方、TiO
2相に起因するピークが認められない場合は、第1主相の最強ピーク強度I1と第2主相の最強ピーク強度I2との合計が、α−Ti相の最強ピーク強度I
Tiの8%以上である。すなわち、この場合、下記式(2B)を満足する。
(I1+I2)≧0.08×I
Ti …(2B)
【0038】
TiO
2相に起因するピークが認められるか否かは、上記ピーク検出を行った後、第1および第2主相のいずれにも同定されていない実測回折線で、TiO
2相に起因し得るピーク(回折線)が存在するか否かにより判断する。
【0039】
母材は純チタンまたはチタン合金からなるので、Ti
nO
(2n-1)相は、チタン酸化物皮膜中に存在する。すなわち、チタン酸化物皮膜は、Ti
nO
(2n-1)相の少なくとも2種を主たる相として含む。
【0040】
式(2A)は、チタン酸化物皮膜中において、導電性に乏しい結晶相であるTiO
2相が存在していても、導電性を有する第1および第2主相が、このTiO
2相に比して十分多く存在することを意味する。したがって、式(2A)を満足するチタン材のチタン酸化物皮膜は、高い導電性を有する。一方、式(2B)は、母材上に、ある程度以上の量(厚さ)のチタン酸化物皮膜が存在することを意味する。これにより、チタン材の耐食性を向上させることができる。
【0041】
〈チタン酸化物皮膜の厚さ〉
チタン酸化物皮膜の厚さは、10nm以上1000nm以下であることが好ましい。チタン酸化物皮膜の厚さが10nm未満であると、チタン材と他の部材との擦過により、チタン酸化物皮膜が損耗し、母材が露出するおそれがある。露出した母材の表面には、TiO
2を主体とする自然酸化膜が形成される。したがって、この場合は、チタン酸化物皮膜がTi
nO
(2n-1)の2種以上を主たる相として含んでいても、安定した導電性は得られない。チタン酸化物皮膜の厚さは、30nm以上であることがより好ましく、50nm以上であることがさらに好ましい。
【0042】
一方、チタン酸化物皮膜の導電性は母材の導電性より劣るので、チタン酸化物皮膜の厚さが1000nmより大きいと、チタン酸化物皮膜の厚さ方向の電気抵抗が無視できないほど大きくなる。チタン酸化物皮膜の厚さは、200nm以下であることがより好ましい。
【0043】
[チタン材の製造方法]
このチタン材は、以下に説明する第1工程および第2工程を含む方法により製造することができる。第1工程では、母材の表層を酸化させて、TiO
2相を主体とする酸化皮膜(以下、「中途酸化物皮膜」という。)を形成する。第2工程では、中途酸化物皮膜を還元処理して、Ti
nO
(2n-1)相の2種以上を含むチタン酸化物皮膜を形成する。
【0044】
〈第1工程〉
第1工程は、酸化性雰囲気中での熱処理、または陽極酸化処理を含むものとすることができる。母材の表面に均質な酸化皮膜を生成させるという観点では、陽極酸化処理を採用することが好ましい。
【0045】
《酸化性雰囲気中での熱処理》
酸化性雰囲気は、たとえば大気雰囲気とすることができる。大気雰囲気中で母材の表面に中途酸化物皮膜を生成させるためには、350℃以上700℃以下の温度で加熱する。350℃未満での加熱では、生成する中途酸化物皮膜の厚さが薄く、第2工程での還元処理により、酸化皮膜が消失する可能性がある。また、700℃を超える温度で加熱すると、気孔率が大きい中途酸化物皮膜が生成し、中途酸化物皮膜そのものが脱落するおそれがある。より好ましい温度範囲は、干渉色が青色から紫色となる500℃以上700℃以下である。加熱時間は、たとえば、所定の温度に到達してから、5分〜90分とすることができる。
【0046】
《陽極酸化処理》
陽極酸化処理は、チタンの一般的な陽極酸化に用いられる水溶液、たとえば、リン酸水溶液、硫酸水溶液などを用いて実施することが可能である。陽極酸化の電圧は、15V以上で、絶縁破壊を起こさない電圧(約150V)を上限とする。陽極酸化の電圧は、好ましくは、40V以上115V以下とする。電圧を40V以上とすることにより、中途酸化物皮膜中にアナターゼ型TiO
2相が形成される。このような中途酸化物皮膜に対して第2工程を実施するとTi
nO
(2n-1)相を多く含むチタン酸化物皮膜を形成することができる。115Vは、工業的に容易にチタンの陽極酸化が可能な上限の電圧である。
【0047】
酸化性雰囲気中での熱処理、および陽極酸化処理のいずれにより中途酸化物皮膜を形成した場合でも、チタン酸化物皮膜を構成するTiは、母材に由来する。これにより、母材に対するチタン酸化物皮膜の密着性が高くなるとともに、チタン酸化物皮膜中の導電性を有するチタン酸化物(Ti
nO
(2n-1)相等)と母材との導電経路が得られやすくなる。
【0048】
これに対して、蒸着のような手段により、母材に由来しないTiを母材上に付加してチタン酸化物皮膜を形成した場合は、母材に対するチタン酸化物皮膜の密着性が不十分になることがある。また、このような場合、Tiを付加する前に、母材表面に導電性に乏しいTiO
2相が形成されていることがある。この場合、チタン酸化物皮膜中の導電性を有するチタン酸化物と母材との導通が阻害されることがある。このようなTiO
2相の存在は、チタン材の表面から深さ方向のO(酸素)含有率プロファイルを取得し、母材とチタン酸化物皮膜との境界領域に高いO含有率の部分が存在するか否かにより確認することができる。O含有率プロファイルを取得するための分析手段として、たとえば、GD−OES(Glow Discharge Optical Emission Spectrometry)を用いることができる。
【0049】
〈第2工程〉
第2工程は、たとえば、炭素による還元処理を含むものとすることができる。この処理は、還元に寄与する炭素を含む炭素源を用いた熱処理とすることができる。この熱処理では、一例として、下記式(a)の反応により、TiO
2が、より低次の酸化物(この例では、Ti
2O
3)に還元される。
2TiO
2+C→Ti
2O
3+CO↑ (a)
【0050】
この方法では、まず、還元に用いる炭素源を、中途酸化物皮膜の上に供給する。炭素源の供給は、たとえば、表面に中途酸化物皮膜を形成した母材に対して、スキンパス圧延、すなわち、圧下率が5%以下の圧延を行うことにより実施できる。この場合、炭素源として、圧延油を用いる。圧下率が5%を超えると、中途酸化物皮膜が破壊されて、表面に金属が露出してしまう。この場合、表面に所定のチタン酸化物皮膜が均一に形成されたチタン材が得られなくなる。
【0051】
炭素源の供給は、たとえば、実質的に無酸素の雰囲気中で加熱することにより炭素化する物質を、中途酸化物皮膜に付着させることによって実施してもよい。このような物質として、たとえば、C(炭素)とH(水素)とO(酸素)とで構成された物質、およびCとHとCl(塩素)とで構成された物質を挙げることができる。CとHとOとで構成された物質は、たとえば、ポリビニールアルコール(以下、「PVA」と略記する。)、およびカルボキシメチルセルロース(以下、「CMC」と略記する。)である。CとHとClとで構成された物質は、たとえば、ポリ塩化ビニリデン、およびポリ塩化ビニルである。
【0052】
PVAおよびCMCは、水溶性である。これらの水溶液は適度の粘度を有するので、中途酸化物皮膜に塗布するのに適している。有機溶媒に対して可溶性を有する炭素源であれば、水溶性を有しなくても、有機溶媒に溶解して塗布して用いることができる。塗布後、自然乾燥または熱風乾燥により、炭素源を中途酸化物皮膜に固着させてもよい。
【0053】
第1工程が陽極酸化処理を含む場合、母材の表面に形成される中途酸化物皮膜が光触媒能を有し、撥水性を示す場合がある。このような中途酸化物皮膜に対して光照射または紫外線照射を行うことにより、中途酸化物皮膜の表面が親水性を有するように改質することが可能である。しかし、確実に中途酸化物皮膜の表面を親水性にするように光照射または紫外線照射を行うと、工数が増大し、コスト面で不利になる。
【0054】
炭素源の水溶液が低粘度である場合、この水溶液を撥水性の中途酸化物皮膜の表面に付着させると、この水溶液は中途酸化物皮膜の表面に水滴状で存在することになる。この状態の水溶液を乾燥後、還元処理を行うと、水滴状の水溶液が存在していた部分に炭素源が集中するので、この部分では還元が進行する。一方、水滴状の水溶液が実質的に存在していなかった部分では、還元が進行しない。還元が進行しない部分では、Ti
nO
(2n-1)が生成しない。このため、炭素源の水溶液は均一に塗布される必要がある。PVA、CMC等の水溶液は、適度の粘度を有することにより、撥水性を有する中途酸化物皮膜の表面に塗布した後、均一に存在し得る。
【0055】
Ti
nO
(2n-1)相の2種以上が形成されたチタン酸化物皮膜を形成するためには、保持温度が互いに異なる2段階以上の熱処理を行うか、昇温速度および降温速度を小さくした1段階の熱処理を行うことが好ましい。形成されるチタン酸化物相の再現性を高くするためには、2段階以上の熱処理を行うことが好ましい。
【0056】
熱処理の温度は、600℃以上850℃以下とする。600℃未満では、還元反応が十分に進行しない。850℃を超える温度では、母材中の炭素の拡散速度が大きくなり、母材中に炭化チタン(TiC)が形成される可能性がある。炭化チタンは、耐食性に乏しく、酸溶液に溶解する。このため、母材に炭化チタンが形成されたチタン材は、酸溶液に接する環境での使用、たとえば、固体高分子形燃料電池のセパレータとしての使用には適しないことがある。熱処理時間は、所定の温度に到達してから10秒以上10分以下とする。10秒未満では、還元反応が十分に進行しない。10分を超えると、Ti
nO
(2n-1)に加えて、TiCが生成する。
【0057】
[固体高分子形燃料電池のセパレータ]
このセパレータは、上記チタン材を備える。セパレータにおいて電極膜との接触部には、チタン酸化物皮膜が存在する。このため、固体高分子形燃料電池内で、セパレータと電極膜との初期の接触抵抗は低いとともに、セパレータと電極膜との接触部に応力変動が繰り返し与えられても、チタン酸化物皮膜の導電性は劣化しにくい。さらに、チタン材(チタン酸化物皮膜)が耐食性を有することにより、セパレータは耐食性を有する。すなわち、セパレータの導電性と耐食性とは安定している。
【0058】
セパレータは、表面に溝が形成された形状を有するものとすることができる。たとえば、セパレータの一面には、燃料ガスを流すための溝が形成されている。セパレータの他面には、酸化性ガスを流すための溝が形成されている。このような形状のセパレータは、薄板状のチタン材をプレス成形して得ることができる。
【0059】
また、板状の母材をセパレータの形状に成形してから、その母材の表面に、Ti
nO
(2n-1)相の2種以上を含むチタン酸化物皮膜を形成してもよい。この場合も、母材と母材の上に形成された所定のチタン酸化物皮膜とを含むチタン材を備えるセパレータを得ることができる。
【0060】
[セルおよび固体高分子形燃料電池]
セルは、上記セパレータと、固体高分子電解質膜と、燃料電極膜(アノード)と、酸化剤電極膜(カソード)とが、所定の順序で積層された公知の構造を有するものとすることができる。固体高分子形燃料電池は、複数のセルが積層され電気的に直列に接続された公知の構造を有するものとすることができる。これらのセルおよび固体高分子形燃料電池では、セパレータの導電性と耐食性とが安定していることにより、セパレータと電極膜との低い接触抵抗が維持される。これにより、これらのセルおよび固体高分子形燃料電池は、高い発電効率を維持することができる。また、セパレータに貴金属を用いる必要がないので、これらのセルおよび固体高分子形燃料電池は低コストである。
【実施例】
【0061】
本発明の効果を確認するため、各種のチタン材を作製して評価した。
1.母材の準備
母材として、厚さが0.1mmの板状のJIS1種チタン材、および厚さが1mmの板状のJIS17種チタン合金材を使用した。表1に、母材の組成を示す。
【0062】
【表1】
【0063】
2.チタン酸化物皮膜の形成
第1工程として母材の表面に中途酸化物皮膜を形成した後、第2工程として中途酸化物皮膜を還元処理することにより、チタン酸化物皮膜を形成した。
【0064】
2−1.中途酸化物皮膜の形成
中途酸化物皮膜は、母材の表面を大気酸化または陽極酸化することにより形成した。大気酸化は、アズワン社製ガス置換マッフル炉を用い、空気ボンベから0.5L/分の流量で炉内に空気を導入しながら実施した。陽極酸化は、10質量%硫酸水溶液中、白金製の対極を用い、直流安定化電源により、母材と対極との間に所定の電圧を印加することにより実施した。電圧の印加開始後、電流が除々に下がり低位に安定してから30秒間保持して処理を完了した。
【0065】
得られた試料について、リガク社製X線回折装置RINT2500を使用して、薄膜X線回折分析により、表層のTiO
2相の種類、すなわち、ルチル型であるかアナターゼ型であるかを同定した。この際、ターゲットはCoを使用し、入射角を0.3°とした。TiO
2は、中途酸化物皮膜を構成するものである。
【0066】
2−2.中途酸化物皮膜の還元
本実施例では、PVAを用いて中途酸化物皮膜の還元を実施した。PVAとして、キシダ化学社製試薬(重合度:500、鹸化度:86.5〜89)を用いた。このPVAの10質量%水溶液を作製した。この水溶液中に、室温で、中途酸化物皮膜が形成された母材を浸漬した。これにより、中途酸化物皮膜の表面にこの水溶液を塗布した。その後、この母材を大気中で24時間乾燥した。以上の処理を経た母材を、常圧のAr雰囲気中で加熱することにより、中途酸化物皮膜の還元処理を行った。Ar雰囲気は、純度が99.995%以上で3ppm未満のOを含有する工業用アルゴンガスを用いて得た。
【0067】
3.薄膜X線回折分析
上述の中途酸化物皮膜のTiO
2相の同定と同様の条件により、チタン材の試料表層部について、薄膜X線回折分析を行った。その結果に基づいて、第1および第2主相を同定した。また、ピーク強度I
Ti、I1、I2、およびI
TiO2を測定した。これらの強度に基づき、各試料について、I2/I1を求め、さらに、TiO
2相に起因するピークが認められた場合は(I1+I2)/I
TiO2を求めた。TiO
2相に起因するピークが認められなかった場合は(I1+I2)/I
Tiを求めた。
【0068】
4.チタン酸化物皮膜の厚さ
チタン酸化物皮膜の厚さを、XPS(X-ray Photoelectron Spectroscopy)により、チタン材の表面からの深さ方向に、O含有率の分析を行うことで測定した。測定装置として、アルバックファイ社製のQuantum2000を用いた。X線源は、mono-Al Kα線を用いた。X線のビーム直径は、200μmとした。Ar
+を加速電圧2kVで加速し、チタン材の表面を5.4nm/分の速度でスパッタした。O含有率が最大値の1/2に低減した深さをチタン酸化物皮膜の厚さと定義した。
【0069】
5.接触抵抗の測定
得られたチタン材の試料について、非特許文献3に記載されている方法に準じ、接触抵抗を測定した。
図1は、チタン材の接触抵抗を測定する装置の構成を示す図である。この装置を用い、各試料の接触抵抗を測定した。
図1を参照して、まず、作製した試料11を、燃料電池用のガス拡散層として使用される1対のカーボンペーパ(東レ(株)製 TGP−H−90)12で挟み込み、これを金めっきした1対の電極13で挟んだ。各カーボンペーパ12の面積は、1cm
2であった。
【0070】
次に、この1対の金めっき電極13の間に、10kgf/cm
2(9.81×10
5Pa)の荷重を加えた。
図1に、荷重の方向を白抜き矢印で示す。この状態で、1対の金めっき電極13間に一定の電流を流し、このとき生じるカーボンペーパ12と試料11との間の電圧降下を測定した。この結果に基づいて抵抗値を求めた。得られた抵抗値は、試料11の両面の接触抵抗を合算した値となるため、これを2で除して、試料11の片面あたりの接触抵抗値とした。このようにして測定した接触抵抗を、初回の接触抵抗とした。
【0071】
次に、この1対の金めっき電極13の間に加える荷重を、5kgf/cm
2(4.90×10
5Pa)と20kgf/cm
2(19.6×10
5Pa)との間で繰り返し10回変化させた。その後圧力を10kgf/cm
2(9.81×10
5Pa)として、同様に、接触抵抗を測定した。このようにして測定した接触抵抗を、10回加重後の接触抵抗とした。
【0072】
さらに、初期の接触抵抗測定後の試料11に対して、1対の金めっき電極13の間に加える荷重を、5kgf/cm
2(4.90×10
5Pa)と20kgf/cm
2(19.6×10
5Pa)との間で繰り返し1000回変化させた。その後圧力を10kgf/cm
2(9.81×10
5Pa)として、同様に、接触抵抗を測定した。このようにして測定した接触抵抗を、1000回加重後の接触抵抗とした。
【0073】
6.耐食性の調査
得られたチタン材の試料(繰り返し変動する荷重を加えていないもの)を、90℃、pH2のH
2SO
4水溶液に96時間浸漬した後、十分に水洗して乾燥させた。そして、上述の方法により接触抵抗を測定した。耐食性が良好ではない場合には、チタン材表面の不動態皮膜が成長するので、浸漬前と比較し接触抵抗が上昇する。
【0074】
表2に、チタン材の作製条件、および評価結果を示す。
【0075】
【表2】
【0076】
本発明例1〜15では、いずれも、第1および第2主相は、Ti
nO
(2n-1)相のいずれかであり、上記式(1)と、上記式(2A)または式(2B)とを満足した。本発明例1〜15では、接触抵抗の値は、初期および耐食試験後のいずれでもほぼ同じであった。また、これらの試料では、加重(応力)変動の繰り返しによって大幅に接触抵抗が上昇することはなかった。そして、これらのチタン材では、初期および耐食試験後ともに、20mΩ・cm
2以下の低い接触抵抗が得られた(本発明例15の耐食試験後(10回加重後)の接触抵抗(20.8mΩ・cm
2)を除く。)。すなわち、これらのチタン材が安定して高い導電性と耐食性とを有することが確認された。
【0077】
大気酸化により形成した中途酸化物皮膜(本発明例1)のTiO
2は、ルチル型であった。一方、陽極酸化により形成した中途酸化物皮膜(本発明例2〜15)のTiO
2は、多くは、アナターゼ型であった。陽極酸化により中途酸化物皮膜を形成して得たチタン材の接触抵抗は、大気酸化により中途酸化物皮膜を形成し得たチタン材の接触抵抗に比して低くなる傾向があった。
【0078】
比較例1および2は、それぞれ、処理を施していない母材AおよびBである。これらの表層部には、Ti
nO
(2n-1)相が実質的に形成されていないTiO
2相を主体とする自然酸化膜が形成されていると考えられる。比較例1および2では、接触抵抗は、初期で100mΩ・cm
2を超え、耐食試験後には大幅に高くなった。接触抵抗の値は、初期および耐食試験後ともに、応力変動の繰り返しにより大幅に増大した。
【0079】
比較例3では、Ti
nO
(2n-1)相は検出されなかったが、チタン酸化物皮膜の厚さは8nmであり、TiO
2を主体とする薄い自然酸化膜は存在していたと考えられる。比較例3の接触抵抗は、初期および耐食試験後ともに、20mΩ・cm
2を超えた。これは、第1工程で、大気酸化の温度が低かったために中途酸化膜が十分に成長せず、第2工程でチタン酸化物皮膜の大部分が消失し、その後、自然酸化膜が形成されたためと考えられる。
【0080】
比較例4では、チタン酸化物皮膜の一部が脱落した。表2に記載のチタン酸化物皮膜の厚さは、脱落後のものである。脱落後のチタン材には、Ti
nO
(2n-1)相は検出されなかったが、TiO
2を主体とする極薄い自然酸化膜は存在していたと考えられる。比較例4の接触抵抗は、初期および耐食試験後ともに、20mΩ・cm
2を大幅に超えた。チタン酸化物皮膜が脱落したのは、大気酸化の温度が高かったために、第1工程で中途酸化膜が厚く成長しすぎたためと考えられる。
【0081】
比較例5は、第1および第2主相ともにチタン酸化物であったが、第2主相はTiO
2相であった。比較例5の接触抵抗は、初期および耐食試験後ともに、20mΩ・cm
2を超えた。これは、TiO
2相が導電性に乏しいことにより、チタン酸化物皮膜の接触抵抗が初期から高めであったことと関係していると考えられる。第2主相がTiO
2となったのは、第2工程の加熱温度が低かったことにより、十分に還元反応が進行しなかったことによると考えられる。
【0082】
比較例6および7は、いずれも、第1主相としてTiCを含んでいた。比較例6および7の接触抵抗は、初期は20mΩ・cm
2以下と低かったが、耐食試験後は40mΩ・cm
2を超えた。これは、TiCが耐食性に乏しいことと関係していると考えられる。比較例6で第1主相がTiCとなったのは、第2工程の加熱時間が長かったため炭素源のCがチタン酸化物皮膜および母材中に多量に拡散したことによると考えられる。比較例7で第1主相がTiCとなったのは、第2工程の加熱温度が高かったため炭素源のCがチタン酸化物皮膜および母材中に多量に拡散したことによると考えられる。
【0083】
比較例8では、第1主相がTi
2O
3相であった。しかし、第2主相として、いずれの結晶相も検出されなかった。比較例8の接触抵抗は、初期の1000回加重後以外は、5mΩ・cm
2以下と低かったが、初期の1000回加重後は20mΩ・cm
2を超えた。1000回加重後で接触抵抗が高くなったのは、チタン酸化物皮膜が2種以上のTi
nO
(2n-1)相を含まなかったことと関係しているものと考えられる。チタン酸化物皮膜が2種以上のTi
nO
(2n-1)相を含まなかったのは、第2工程の加熱を1段階としたことと関係しているものと考えられる。
【0084】
表2に、従来例1および2として、それぞれ、特許文献1および2の実施例に示されている耐食試験後の接触抵抗(荷重を10kgf/cm
2として測定)の抵抗値を記している。特許文献1および2の耐食試験の条件は、本実施例での条件と同じではない。しかし、いずれも、硫酸系の溶液に浸漬していることから、特許文献1および2のチタン材と本願発明のチタン材との対比は、ある程度可能であると考えられる。
【0085】
上述のように、特許文献1および2では、チタン材に貴金属が用いられている。これに対して、本発明例では、いずれも貴金属を用いていない。それにもかかわらず、本発明例では、初期(初回)および耐食試験後(初回)の接触抵抗ともに、特許文献1および2のチタン材と同等に低いものが得られた。