【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者らは、TiとAlの複合窒化物または複合炭窒化物(以下、「TiAlCN」あるいは「(Ti
1−xAl
x)(C
yN
1−y)」で示すことがある)層を少なくとも含む硬質被覆層を工具基体表面に設けた被覆工具の耐チッピング性、耐摩耗性の改善をはかるべく、鋭意研究を重ねた結果、次のような知見を得た。
【0010】
即ち、TiAlCN層を構成するTiAlCN結晶粒が、工具基体に垂直方向に柱状組織として形成されているような場合には、高靱性を有するものの、その反面、十分な硬さを備えるものではないため、耐チッピング性と耐摩耗性の両特性を相兼ね備えた被覆工具を得るためには、TiAlCN層の耐摩耗性を向上させることが望まれる。
そこで、本発明者らは、TiAlCN層を構成するTiAlCN結晶粒の各結晶粒内における組成のむらと結晶方位差について鋭意研究したところ、TiAlCN層がNaCl型の面心立方構造を有する結晶粒を含有し、かつ、該NaCl型の面心立方構造を有する結晶粒について結晶粒内のAlのTiとAlの合量に占める含有割合x(以下、「Alの含有割合x」という) を測定した場合、結晶粒内には組成のむらΔxが存在し、かつ、該Δxが0.03〜0.20である場合には、結晶が歪むために硬さが高まることを見出した。
さらに、前記結晶粒内の組成のむらΔxが0.03〜0.2である結晶粒について、結晶粒内局所方位差平均(GAM)を測定した場合、GAMが0.5度未満を示す結晶粒が存在する場合には、結晶粒内の組成のむらにより生じやすい結晶格子のミスマッチが抑制されるため、耐摩耗性が向上することを見出した。
したがって、TiAlCN層のNaCl型の面心立方構造を有する結晶粒について測定した前記Δxが0.03〜0.20であり、かつ、前記GAMが0.5度未満である結晶粒が存在する場合には、TiAlCN層の硬さが向上するため、このようなTiAlCN層を含む硬質被覆層を設けた被覆工具は、耐チッピング性と耐摩耗性の両特性を相兼ね備えることを見出したのである。
【0011】
本発明は、前記知見に基づいてなされたものであって、
「(1)炭化タングステン基超硬合金、炭窒化チタン基サーメットまたは立方晶窒化ホウ素基超高圧焼結体のいずれかで構成された工具基体の表面に、硬質被覆層を設けた表面被覆切削工具において、
(a)前記硬質被覆層は、平均層厚1〜20μmのTiとAlの複合窒化物または複合炭窒化物層を少なくとも含み、該複合窒化物または複合炭窒化物を、
組成式:(Ti
1−xAl
x)(C
yN
1−y)
で表した場合、AlのTiとAlの合量に占める平均含有割合XおよびCのCとNの合量に占める平均含有割合Y(但し、X、Yはいずれも原子比)は、それぞれ、0.60≦X≦0.95、0≦Y≦0.005を満足し、
(b)前記複合窒化物または複合炭窒化物層について、透過型電子顕微鏡を用いて、複合窒化物または複合炭窒化物層内のNaCl型の面心立方構造を有する結晶粒に対して、エネルギー分散型X線分析(EDS)により、結晶粒内の組成を5nm間隔で測定し、AlのTiとAlの合量に占める含有割合xのマッピングを行った場合、結晶粒内に組成のむらΔxがあり、該Δxは0.03〜0.20である結晶粒が存在し、
(c)前記エネルギー分散型X線分析(EDS)測定を行った箇所と同じ個所について、電子回折パターンによる結晶方位マッピングを10nm間隔で測定し、各々の測定点同士の結晶方位関係を解析し、測定した結晶粒の局所方位差平均を求めた場合、結晶粒の結晶粒内局所方位差平均(GAM)が0.5度未満を示す結晶粒が存在し、
(d)前記Δxが0.03〜0.20であり、かつ、前記結晶粒内局所方位差平均(GAM)が0.5度未満を示す結晶粒の存在割合は、前記エネルギー分散型X線分析(EDS)測定を行った箇所に存在する前記NaCl型の面心立方構造を有する結晶粒の総数の10個数%以上であることを特徴とする表面被覆切削工具。
(2)前記工具基体と前記TiとAlの複合窒化物または複合炭窒化物層の間に、Tiの炭化物層、窒化物層、炭窒化物層、炭酸化物層および炭窒酸化物層のうちの1層または2層以上からなり、0.1〜20μmの合計平均層厚を有するTi化合物層を含む下部層が存在することを特徴とする(1)に記載の表面被覆切削工具。
(3)前記複合窒化物または複合炭窒化物層の上部に、少なくとも酸化アルミニウム層を含む上部層が1〜25μmの合計平均層厚で存在することを特徴とする(1)または(2)に記載の表面被覆切削工具。」
に特徴を有するものである。
なお、本発明でいう“結晶粒内局所方位差平均”とは、後述するGAM(Grain Average Misorientation)のことを意味する。
以下では、“結晶粒内局所方位差平均”を、単に“GAM”と記す場合もある。
【0012】
本発明について、以下に詳細に説明する。
【0013】
TiAlCN層の平均層厚:
本発明の硬質被覆層は、組成式:(Ti
1−xAl
x)(C
yN
1−y)で表されるTiAlCN層を少なくとも含む。このTiAlCN層は、硬さが高く、すぐれた耐摩耗性を有するが、特に平均層厚が1〜20μmのとき、その効果が際立って発揮される。これは、平均層厚が1μm未満では、層厚が薄いため長期の使用に亘っての耐摩耗性を十分確保することができず、一方、その平均層厚が20μmを越えると、TiAlCN層の結晶粒が粗大化し易くなり、チッピングを発生しやすくなるという理由による。
したがって、その平均層厚を1〜20μmと定めた。
【0014】
TiAlCN層の平均組成:
本発明におけるTiAlCN層は、Alの平均含有割合XおよびCの平均含有割合Y(但し、X、Yはいずれも原子比)が、それぞれ、0.60≦X≦0.95、0≦Y≦0.005を満足するように制御する。
その理由は、Alの平均含有割合Xが0.60未満であると、TiAlCN層は硬さに劣るため、合金鋼等の高速断続切削に供した場合には、耐摩耗性が十分でない。一方、Alの平均含有割合Xが0.95を超えると、相対的にTiの含有割合が減少するため、脆化を招き、耐チッピング性が低下する。
したがって、Alの平均含有割合Xは、0.60≦X≦0.95と定めた。
また、TiAlCN層に含まれるCの平均含有割合Yは、0≦Y≦0.005の範囲の微量であるとき、TiAlCN層と工具基体もしくは下部層との密着性が向上し、かつ、潤滑性が向上することによって切削時の衝撃を緩和し、結果としてTiAlCN層の耐チッピング性、耐欠損性が向上する。一方、Cの平均含有割合Yが0≦Y≦0.005の範囲を逸脱すると、TiAlCN層の靭性が低下するため耐チッピング性、耐欠損性が逆に低下するため好ましくない。
したがって、Cの平均含有割合Yは、0≦Y≦0.005と定めた。
【0015】
TiAlCN層を構成するNaCl型の面心立方構造(以下、単に、「立方晶」ともいう)を有するTiAlCN結晶粒内の組成のむらΔx:
本発明では、TiAlCN層の立方晶のTiAlCN結晶粒内に、TiとAlの含有割合の周期的組成変化(言い換えれば、前記組成式におけるAlの含有割合xの周期的変化)を存在させることによって、結晶粒に歪みを発生させ、硬さを向上する。しかし、前記組成式におけるAlの含有割合xの周期的変化の極大値の平均と極小値の平均の差、即ち、組成のむらΔx、が0.03より小さいと前述した結晶粒の歪みが小さいため、十分な硬さの向上が見込めない。一方、xの極大値の平均と極小値の平均の差である組成のむらΔxが0.20を超えると結晶粒の歪みが大きくなり過ぎて格子欠陥が大きくなるため硬さが低下する。
そこで、立方晶のTiAlCN結晶粒内に存在するAlの含有割合xの組成のむらΔxを0.03〜0.20とする。好ましいΔxは、0.05〜0.10である。
立方晶のTiAlCN結晶粒内に存在する組成のむらΔxは、TiAlCN層について、透過型電子顕微鏡を用いて、立方晶のTiAlCN結晶粒に対して、エネルギー分散型X線分析(EDS)により、結晶粒内の組成を5nm間隔で測定し、Alの含有割合xのマッピングを行うことによって求めることができる。
図1に、結晶粒内に、TiとAlの周期的組成変化が存在する立方晶のTiAlCN結晶粒のTEM像の一例を示す。
【0016】
TiAlCN層を構成する立方晶のTiAlCN結晶粒の結晶粒内局所方位差平均(GAM):
本発明では、透過型電子顕微鏡を用いて、前記エネルギー分散型X線分析(EDS)測定を行った箇所と同じ個所について、電子回折パターンによる結晶方位マッピングを10nm間隔で測定し、各々の測定点同士の結晶方位関係を解析し、測定した結晶粒の結晶粒内局所方位差平均(GAM)を求めた場合、GAMが0.5度未満を示す立方晶の結晶粒が存在することが必要である。
これは、Alの含有割合xの組成のむらΔxが0.03〜0.20である立方晶のTiAlCN結晶粒において、該結晶粒の結晶粒内局所方位差平均(GAM)が0.5度を超えると、組成のむらΔxによる結晶格子のミスマッチが大きくなりすぎて、高熱発生を伴うとともに、切刃に対して衝撃的な負荷が作用する合金鋼等の高速断続切削加工における切削応力に耐えきれず、摩耗が進行しやすくなり、その結果、耐摩耗性が低下するからである。
そして、Δxが0.03〜0.20であって、かつ、結晶粒内局所方位差平均(GAM)が0.5度未満を示す結晶粒の存在割合が、エネルギー分散型X線分析(EDS)測定を行った箇所に存在するNaCl型の面心立方構造を有する結晶粒の総数の10個数%以上である場合に、高熱発生を伴うとともに、切刃に対して衝撃的な負荷が作用する合金鋼等の高速断続切削加工において、すぐれた耐チッピング性、耐摩耗性を発揮する。
【0017】
結晶粒内局所方位差平均(GAM)は、前記エネルギー分散型X線分析(EDS)測定を行った箇所と同じ個所のTiAlCN層の表面研磨面について、表面に垂直な方向から、透過型電子顕微鏡を用いてナノサイズに収束された電子プローブを走査し、10nm間隔で電子回折パターンを取得して、結晶方位マッピングを得ることによって、結晶粒内局所方位差平均(GAM)を求めることができる。
【0018】
図2を用いて、より具体的に説明すれば、次のとおりである。
図2に示すように、隣接する測定点(以下、「ピクセル」ともいう)間で5度以上の方位差がある場合、そこを粒界と定義する。そして、粒界で囲まれた領域を1つの結晶粒と定義する。ただし、隣接するピクセル全てと5度以上の方位差がある単独に存在するピクセルは結晶粒とせず、2ピクセル以上が連結しているものを結晶粒として取り扱う。
そして、立方晶結晶粒内のあるピクセルと、これに隣接する他のピクセル間での方位差を計算し、これを結晶粒内局所方位差として求め、立方晶結晶粒内の全てのピクセルについて求めた結晶粒内局所方位差を平均化した値を、当該結晶粒における結晶粒内局所方位差平均GAM(Grain Average Misorientation)として定義する。
なお、GAMについては、例えば、文献「日本機械学会論文集(A編) 71巻712号(2005−12) 論文No.05−0367 1722〜1728」に説明がなされている。
本発明でいう“結晶粒内局所方位差平均”とは、このGAMを意味する。
なお、GAMを数式で表す場合、同一結晶粒内のあるピクセルとこれに隣接する他のピクセルの境界数をm、同一結晶粒内の隣接するピクセル間の境界におのおの付けた番号をi(ここで 1≦i≦mとなる)、境界iにおいて隣接するそれぞれのピクセルの結晶方位から求められる局所方位差をα
iとすると、
で表すことができる。
即ち、結晶粒内局所方位差平均(GAM)は、結晶粒内の隣接するピクセル間での方位差(局所方位差)を求め、その値を平均化した数値であるといえる。
【0019】
TiAlCN層の成膜法:
前記のような組成のむらΔxおよび結晶粒内局所方位差平均(GAM)を備えるTiAlCN層は、例えば、工具基体表面において反応ガス組成を周期的に変化させる以下の化学蒸着法によって成膜することができる。
すなわち、化学蒸着反応装置へ、NH
3とH
2からなるガス群Aと、TiCl
4、AlCl
3、N
2、C
2H
4、H
2からなるガス群Bをおのおの別々のガス供給管から反応装置内へ供給し、ガス群Aとガス群Bの反応装置内への供給は、例えば、一定の周期の時間間隔で、その周期よりも短い時間だけガスが流れるように供給し、ガス群Aとガス群Bのガス供給にはガス供給時間よりも短い時間の位相差が生じるようにして、工具基体表面における反応ガス組成を、(イ)ガス群A、(ロ)ガス群Aとガス群Bの混合ガス、(ハ)ガス群Bと時間的に変化させる。
そして、上記反応を例えば、
反応ガス組成(ガス群Aおよびガス群Bを合わせた全体に対する容量%):
ガス群A: NH
3:0.5〜1.5%、H
2:30〜50%、
ガス群B: AlCl
3:0.2〜0.3%、TiCl
4:0.07〜0.10%、N
2:0.0〜4.0%、C
2H
4:0.0〜0.1%、H
2:残、
反応雰囲気圧力: 4.5〜5.0kPa、
反応雰囲気温度: 700〜900℃、
供給周期: 10〜30秒、
1周期当たりのガス供給時間: 0.5〜3.0秒、
ガス群Aとガス群Bの位相差: 0.4〜2.5秒
の条件で、所定時間、熱CVD法を行うことによって、所定の組成のむらΔxと結晶粒内局所方位差平均(GAM)を備える本発明のTiAlCN層を形成することができる。
また、成膜後にアニール処理を施すことによって、所定の組成のむらΔxと結晶粒内局所方位差平均(GAM)を制御することも可能である。
また、硬質被覆層の耐チッピング性、耐摩耗性の向上という観点からは、TiAlCN結晶粒は柱状組織であることが望ましいが、上記本発明の成膜法によれば、TiAlCN層を構成する立方晶のTiAlCN結晶粒は柱状組織として形成されるため、耐チッピング性にすぐれたTiAlCN層が得られる。
【0020】
下部層および上部層:
また、本発明のTiAlCN層は、それだけでも十分な効果を奏するが、Tiの炭化物層、窒化物層、炭窒化物層、炭酸化物層および炭窒酸化物層のうちの1層または2層以上からなり、0.1〜20μmの合計平均層厚を有するTi化合物層を含む下部層を設けた場合、あるいは、少なくとも酸化アルミニウム層を含む上部層が1〜25μmの合計平均層厚で設けられた場合には、これらの層が奏する効果と相俟って、一層すぐれた特性を発揮することができる。
Tiの炭化物層、窒化物層、炭窒化物層、炭酸化物層および炭窒酸化物層のうちの1層または2層以上からなり、0.1〜20μmの合計平均層厚を有するTi化合物層を含む下部層を設ける場合、下部層の合計平均層厚が0.1μm未満では、下部層の効果が十分に奏されず、一方、20μmを超えると結晶粒が粗大化し易くなり、チッピングを発生しやすくなる。また、酸化アルミニウム層を含む上部層の合計平均層厚が1μm未満では、上部層の効果が十分に奏されず、一方、25μmを超えると結晶粒が粗大化し易くなり、チッピングを発生しやすくなる。