特許第6860420号(P6860420)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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  • 特許6860420-高強度鋼板およびその製造方法 図000006
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6860420
(24)【登録日】2021年3月30日
(45)【発行日】2021年4月14日
(54)【発明の名称】高強度鋼板およびその製造方法
(51)【国際特許分類】
   C22C 38/00 20060101AFI20210405BHJP
   C22C 38/14 20060101ALI20210405BHJP
   C22C 38/58 20060101ALI20210405BHJP
   C21D 9/46 20060101ALI20210405BHJP
   C21D 9/48 20060101ALI20210405BHJP
【FI】
   C22C38/00 301S
   C22C38/14
   C22C38/58
   C21D9/46 G
   C21D9/48 F
   C22C38/00 301W
   C21D9/46 T
   C21D9/48 S
【請求項の数】8
【全頁数】23
(21)【出願番号】特願2017-103024(P2017-103024)
(22)【出願日】2017年5月24日
(65)【公開番号】特開2018-197380(P2018-197380A)
(43)【公開日】2018年12月13日
【審査請求日】2019年9月30日
(73)【特許権者】
【識別番号】000001199
【氏名又は名称】株式会社神戸製鋼所
(74)【代理人】
【識別番号】100101454
【弁理士】
【氏名又は名称】山田 卓二
(74)【代理人】
【識別番号】100145403
【弁理士】
【氏名又は名称】山尾 憲人
(74)【代理人】
【識別番号】100206140
【弁理士】
【氏名又は名称】大釜 典子
(72)【発明者】
【氏名】棗田 浩和
(72)【発明者】
【氏名】村上 俊夫
(72)【発明者】
【氏名】斉藤 賢司
(72)【発明者】
【氏名】村田 忠夫
【審査官】 浅野 裕之
(56)【参考文献】
【文献】 特開2015−218365(JP,A)
【文献】 特開2017−053001(JP,A)
【文献】 特開2017−214648(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C22C 38/00〜38/60
C21D 9/46
C21D 9/48
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
C:0.15質量%〜0.35質量%、
SiとAlの合計:0.5質量%〜3.0質量%、
Mn:1.0質量%〜4.0質量%、
P:0.05質量%以下(0質量%を含む)、
S:0.01質量%以下(0質量%を含む)、
Ti:0.01質量%〜0.2質量%
を含み、残部がFeおよび不可避不純物からなり、
鋼板組織が、
フェライト分率が5%以下であり、
焼戻しマルテンサイトと焼戻しベイナイトの合計分率が60%以上であり、
残留オーステナイト分率が10%以上であり、
フレッシュマルテンサイト分率が5%以下であり、
フェライト、焼戻しマルテンサイト、焼戻しベイナイト、残留オーステナイトおよびフレッシュマルテンサイト以外のその他の相が11.2%以下であり、
残留オーステナイトの平均粒径が0.5μm以下であり、
粒径1.0μm以上の残留オーステナイトが全残留オーステナイト量の2%以上であり、
旧オーステナイト粒径が10μm以下であることを特徴とする高強度鋼板。
【請求項2】
C量が0.30質量%以下である請求項1に記載の高強度鋼板。
【請求項3】
Al量が0.10質量%未満である請求項1または2に記載の高強度鋼板。
【請求項4】
Cu、Ni、Mo、CrおよびBの1種以上を更に含み、Cu、Ni、Mo、CrおよびBの合計含有量が1.0質量%以下である請求項1〜3のいずれか1項に記載の高強度鋼板。
【請求項5】
V、Nb、Mo、ZrおよびHfの1種以上を更に含み、V、Nb、Mo、ZrおよびHfの合計含有量が0.2質量%以下である請求項1〜4のいずれか1項に記載の高強度鋼板。
【請求項6】
Ca、MgおよびREMの1種以上を更に含み、Ca、MgおよびREMの合計含有量が0.01質量%以下である請求項1〜5のいずれか1項に記載の高強度鋼板。
【請求項7】
請求項1〜6のいずれか1項に記載の高強度鋼板を製造する方法であって、
C:0.15質量%〜0.35質量%、SiとAlの合計:0.5質量%〜3.0質量%、Mn:1.0質量%〜4.0質量%、P:0.05質量%以下、S:0.01質量%以下、Ti:0.01質量%〜0.2質量%を含み、残部がFeおよび不可避不純物からなる圧延材を用意することと、
前記圧延材をAc点以上、Ac点+100℃以下の温度に加熱しオーステナイト化することと、
前記オーステナイト化後、650℃〜500℃の間を平均冷却速度15℃/秒以上、200℃/秒未満で冷却し、300℃〜500℃の範囲内で10℃/秒以下の冷却速度で10秒以上、300秒未満滞留させることと、
前記滞留の後、300℃以上の温度から100℃以上、300℃未満の間の冷却停止温度まで10℃/秒以上の平均冷却速度で冷却することと、
前記冷却停止温度から300℃〜500℃の範囲にある再加熱温度まで加熱することを含む、高強度鋼板の製造方法。
【請求項8】
前記滞留が300℃〜500℃の範囲内の一定温度で保持することを含む請求項7に記載の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、自動車部品をはじめとする各種の用途に使用可能な高強度鋼板に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、自動車部品等に適用される鋼板は燃費改善を実現するために薄肉化が求められており、鋼板を薄肉化しながらも部品強度を確保するために鋼板の高強度化が求められている。特許文献1は980MPa〜1180MPaの引張強度を有し、かつ、良好な深絞り特性を示す高強度鋼板が開示されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【特許文献1】特開2009−203548号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
しかし、自動車部品をはじめとする高強度鋼板の採用にあたっては、鋼板の低温靱性が懸念される。鋼は、室温以下の低温環境においては、脆性破壊して衝撃値を大きく低下させることが知られている。高強度鋼板の適用が想定される骨格部品においては、部品が大きく変形することで衝突時のエネルギーを吸収することが求められる。鋼板が脆化するような寒冷地等では、実際の使用環境下において、部品が脆化した状態で衝突すれば重大な事故につながる可能性がある。そのため、実用化にあたっては、鋼板特性として、高い引張強度(TS)および優れた深絞り性(LDR)を有するだけでなく、部品成形時の成形性を確保するために優れた強度延性バランスおよび高い穴広げ率(λ)、衝突安全性を確保する観点から高い降伏比(YR)、さらには優れた低温靱性をも有する鋼板が求められている。
【0005】
具体的には、引張試験における引張強度(TS)が980MPa以上、引張強度(TS)と全伸び(EL)の積(TS×EL)が20,000MPa%以上、降伏比(YR)が0.75以上、穴広げ率(λ)が20%以上、深絞り性(LDR)が2.00以上、スポット溶接部の十字引張強度が6kN以上、かつ−40℃におけるシャルピー衝撃値が60J/cm以上の鋼板が求められている。
しかし、特許文献1が開示する高強度鋼板では、これらの要求全てを満足することは困難であり、これらの要求全てを満足できる高強度鋼板が求められていた。
【0006】
本発明はこのような要求に応えるためになされたものであって、引張強度(TS)、スポット溶接部の十字引張強度(SW十字引張)、降伏比(YR)、引張強度(TS)と全伸び(EL)との積(TS×EL)、深絞り性(LDR)、穴広げ率(λ)および低温靭性が何れも高いレベルにある高強度鋼板およびその製造方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明の態様1は、
C:0.15質量%〜0.35質量%、
SiとAlの合計:0.5質量%〜3.0質量%、
Mn:1.0質量%〜4.0質量%、
P:0.05質量%以下(0質量%を含む)、
S:0.01質量%以下(0質量%を含む)、
Ti:0.01質量%〜0.2質量%
を含み、残部がFeおよび不可避不純物からなり、
鋼板組織が、
フェライト分率が5%以下であり、
焼戻しマルテンサイトと焼戻しベイナイトの合計分率が60%以上であり、
残留オーステナイト分率が10%以上であり、
フレッシュマルテンサイト分率が5%以下であり、
残留オーステナイトの平均粒径が0.5μm以下であり、
粒径1.0μm以上の残留オーステナイトが全残留オーステナイト量の2%以上であり、
旧オーステナイト粒径が10μm以下であることを特徴とする高強度鋼板である。
【0008】
本発明の態様2は、C量が0.30質量%以下である態様1に記載の高強度鋼板である。
【0009】
本発明の態様3は、Al量が0.10質量%未満である態様1または2に記載の高強度鋼板である。
【0010】
本発明の態様4は、Cu、Ni、Mo、CrおよびBの1種以上を更に含み、Cu、Ni、Mo、CrおよびBの合計含有量が1.0質量%以下である態様1〜3のいずれかに記載の高強度鋼板である。
【0011】
本発明の態様5は、V、Nb、Mo、ZrおよびHfの1種以上を更に含み、V、Nb、Mo、ZrおよびHfの合計含有量が0.2質量%以下である態様1〜4のいずれかに記載の高強度鋼板である。
【0012】
本発明の態様6は、Ca、MgおよびREMの1種以上を更に含み、Ca、MgおよびREMの合計含有量が0.01質量%以下である態様1〜5のいずれかに記載の高強度鋼板である。
【0013】
本発明の態様7は、C:0.15質量%〜0.35質量%、SiとAlの合計:0.5質量%〜3.0質量%、Mn:1.0質量%〜4.0質量%、P:0.05質量%以下、S:0.01質量%以下、Ti:0.01質量%〜0.2質量%を含み、残部がFeおよび不可避不純物からなる圧延材を用意することと、
前記圧延材をAc点以上、Ac点+100℃以下の温度に加熱しオーステナイト化することと、
前記オーステナイト化後、650℃〜500℃の間を平均冷却速度15℃/秒以上、200℃/秒未満で冷却し、300℃〜500℃の範囲内で10℃/秒以下の冷却速度で10秒以上、300秒未満滞留させることと、
前記滞留の後、300℃以上の温度から100℃以上、300℃未満の間の冷却停止温度まで10℃/秒以上の平均冷却速度で冷却することと、
前記冷却停止温度から300℃〜500℃範囲にある再加熱温度まで加熱することを含む、高強度鋼板の製造方法である。
【0014】
本発明の態様8は、前記滞留が300℃〜500℃の範囲内の一定温度で保持することを含む態様7に記載の製造方法である。
【発明の効果】
【0015】
本発明によれば、引張強度(TS)、スポット溶接部の十字引張強度(SW十字引張)、降伏比(YR)、引張強度(TS)と全伸び(EL)との積(TS×EL)、深絞り性(LDR)、穴広げ率(λ)および低温靭性が何れも高いレベルにある高強度鋼板およびその製造方法を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0016】
図1図1は本発明に係る高強度鋼板の製造方法、とりわけ熱処理を説明するダイアグラムである。
【発明を実施するための形態】
【0017】
本発明者らは鋭意検討した結果、所定の成分を有する鋼において、鋼組織(金属組織)を、フェライト分率が5%以下であり、焼戻しマルテンサイトと焼戻しベイナイトの合計分率が60%以上であり、残留オーステナイト分率が10%以上であり、フレッシュマルテンサイト分率が5%以下であり、残留オーステナイトの平均粒径が0.5μm以下であり、粒径1.0μm以上の残留オーステナイトが全残留オーステナイト量の2%以上であり、旧オーステナイト粒径が10μm以下であることを特徴とすることで、引張強度(TS)、降伏比(YR)、引張強度(TS)と全伸び(EL)との積(TS×EL)、低温靭性(低温での衝撃値)、深絞り性(LDR)および穴広げ率(λ)が何れも高いレベルにある高強度鋼板を得ることができることを見いだしたのである。
【0018】
1.鋼組織
以下に本発明の高強度鋼板の鋼組織の詳細を説明する。
以下の鋼組織の説明では、そのような組織を有することにより各種の特性を向上できるメカニズムについて説明している場合がある。これらは本発明者らが現時点で得られた知見により考えたメカニズムであるが、本発明の技術的範囲を限定するものではないことに留意されたい。
【0019】
(1)フェライト分率:5%以下
フェライトは、一般的に加工性に優れるものの、強度が低いという問題を有する。また、フェライト量が多いと穴広げ性(伸びフランジ性)が低下する。このため、フェライト分率を5%以下(5体積%以下)とした。さらにフェライト分率を5%以下とすることにより優れた穴広げ率λを得ることができる。また、フェライト分率を5%以下とすることで高い降伏比を得ることができる。
フェライト分率は好ましくは3%以下、さらに好ましくは0%である。
フェライト分率は光学顕微鏡で観察し、白い領域を点算法で測定することにより求めることができる。すなわち、このような方法により、フェライト分率を面積比(面積%)で求めることができる。そして、面積比で求めた値をそのまま体積比(体積%)の値として用いてよい。
【0020】
(2)焼戻しマルテンサイトと焼戻しベイナイトの合計分率:60%以上
焼戻しマルテンサイトと焼戻しベイナイトの合計分率を60%以上(60体積%以上)とすることで高強度と高い穴広げ性を両立できる。焼戻しマルテンサイトと焼戻しベイナイトの合計分率は好ましくは70%以上である。
焼戻しマルテンサイトおよび焼戻しベイナイト量(合計分率)は、ナイタール腐食を行った断面のSEM観察を行い、MA(すなわち、残留オーステナイトとフレッシュマルテンサイトの合計)の分率を測定し、鋼組織全体から上述のフェライト分率とMA分率を引くことにより求めることができる。
【0021】
(3)残留オーステナイト量:10%以上
残留オーステナイトは、プレス加工等の加工中に加工誘起変態によってマルテサイトに変態するTRIP現象を生じ、大きな伸びを得ることができる。また、形成されるマルテンサイトは高い硬度を有する。このため、優れた強度−延性バランスを得ることができる。残留オーステナイト量を10%以上(10体積%以上)とすることでTS×ELが20000MPa%以上と優れた強度−延性バランスを実現できる。
残留オーステナイト量は好ましくは15%以上である。
【0022】
残留オーステナイト量は、X線回折によりフェライト(X線回折ではベイナイト、焼戻しベイナイト、焼戻しマルテンサイトおよび未焼戻しのマルテンサイトを含む)とオーステナイトの回折強度比を求めて算出することにより得ることができる。X線源としてはCo−Kα線を用いることができる。
【0023】
(4)フレッシュマルテンサイト分率:5%以下
フレッシュマルテンサイトは硬質相であり、変形時に母相/硬質相界面近傍がボイド形成サイトとして働く。フレッシュマルテンサイト分率が多くなるほど、母相/硬質相界面へのひずみ集中が起こり、母相/硬質相界面近傍に形成されたボイドを起点とした破壊を生じ易くなる。
このため、フレッシュマルテンサイト分率を5%以下とし、母相/硬質相界面を起点とした破壊を抑制することで、穴広げ率および衝撃値(靭性)を向上させることができる。フレッシュマルテンサイト分率は好ましくは2%以下である。
【0024】
フレッシュマルテンサイト分率は、EBSD(Electron Back Scatter Diffraction Patterns)測定におけるKAM(Kernel Average Misorientation)解析より、結晶方位差の大きい領域と定義した。KAM解析は測定点のある1つのピクセルに対して、隣接する6つのピクセルとの方位差を平均化し、中央のピクセルの値としたものであり、局所的な結晶方位差にもとづいたマップを作成することができる。
なお、KAM解析の条件は、EBSD測定データにおいて、結晶方位の信頼性を示す指数(CI(Confidention Index)値)が著しく低い0.1以下のデータを除外し、KAM解析における隣接するピクセル間の最大方位差は5°とした。フレッシュマルテンサイトは、高密度の転位を有するため、結晶方位差の大きい領域に相当するものと考えられる。すなわち、KAM解析における結晶方位差の平均値が4.0°以上の領域をフレッシュマルテンサイトとし、その面積比(面積%)をフレッシュマルテンサイトの体積率としてよい。
【0025】
(5)旧オーステナイト粒径:10μm以下
旧オーステナイト粒径を微細化することにより、破壊となる破面単位(ファセットサイズ)を微細化し、衝撃値を向上させることができる。このため、旧オーステナイト粒径を10μm以下とすることで、衝撃値を向上させることができる。
旧オーステナイト粒径はピクリン酸腐食により旧オーステナイト粒界を現出し、光学顕微鏡観察から写真中の任意の位置に直線を引き、その直線と旧オーステナイト粒界が交わる切片長を測定し、それら切片長の平均値を算出することで求めることができる。
【0026】
(6)残留オーステナイトの平均粒径(平均サイズ):0.5μm以下、および粒径(サイズ)1.0μm以上の残留オーステナイト:全残留オーステナイト量の2%以上
残留オーステナイトの平均サイズを0.5μmとし、かつサイズ1.0μm以上の残留オーステナイトの全残留オーステナイトに占める比率(体積比)を2%以上とすることで、優れた深絞り性が得られることを見いだした。
【0027】
深絞り成形時に形成されるたて壁部の引張応力に対して、フランジ部の流入応力の方が小さいと、絞り成形が容易に進行することになり、良好な深絞り性が得られる。フランジ部の変形挙動は盤面方向、円周から圧縮応力が強くかかるため、等方的な圧縮応力が付与された状態で変形することとなる。一方、マルテンサイト変態は体積膨張を伴うため、等方的な圧縮応力下ではマルテンサイト変態は起こりにくくなる。よって、フランジ部での残留オーステナイトの加工誘起マルテンサイト変態が抑制されて加工硬化が小さくなる。
この結果、深絞り性が改善される。残留オーステナイトのサイズが大きいほど、マルテンサイト変態を抑制する効果が大きく発現する。
【0028】
また、深絞り成形により形成されるたて壁部の引張応力を高めるためには、変形中に高い加工硬化率を持続させることが必要である。比較的低い応力下で容易に加工誘起変態する不安定な残留オーステナイトと、高い応力下でないと加工誘起変態を起こさない安定な残留オーステナイトを混在させて、広い応力範囲に亘って加工誘起変態を起こさせることで、変形中に高い加工硬化率を持続させることができる。一方で、粗大で不安定な残留オーステナイトは、穴広げのような伸びフランジ変形時、または衝撃変形時において、残留オーステナイトから加工誘起変態により硬質なマルテンサイトに変態し、硬質相/母相界面における局所ひずみの集中により破壊の起点となりかねない。そのために粗大で不安定な残留オーステナイトと、微細で安定な残留オーステナイトを、それぞれ所定量含むことで、これらの特性を兼ね備えた鋼板組織を検討した。そして、本発明者らは、残留オーステナイトの平均サイズを0.5μmとし、かつサイズ1.0μm以上の残留オーステナイト量の全残留オーステナイト量に占める比率(体積比)を2%以上とすることで、変形中に高い加工硬化率を持続させ、優れた深絞り性(LDR)を得ることができることを見いだした。
【0029】
また、上述のように、残留オーステナイトが加工誘起変態する際にTRIP現象を生じ、大きな伸びを得ることができる。一方で、加工誘起変態により形成されたマルテンサイト組織は硬く、破壊の起点として作用する。より大きなマルテンサイト組織ほど破壊の起点となりやすい。残留オーステナイトの平均サイズを0.5μm以下として、加工誘起変態により形成されるマルテンサイトの大きさを小さくすることで、破壊を抑制する効果も得ることができる。
【0030】
残留オーステナイトの平均サイズ、およびサイズ1.0μm以上の残留オーステナイト量の全残留オーステナイト量に占める比率は、SEMを用いた結晶解析手法であるEBSD(Electron Back Scatter Diffraction Patterns)法を用いてPhaseマップを作成することにより求めることができる。得られたPhaseマップから、個々のオーステナイト相(残留オーステナイト)の面積を求め、その面積から個々のオーステナイト相の円相当径(直径)を求め、求めた直径の平均値を残留オーステナイトの平均サイズとする。また、円相当径が1.0μm以上のオーステナイト相の面積を積算し、オーステナイト相の総面積に対する比率を求めることにより、サイズ1.0μm以上の残留オーステナイトの全残留オーステナイトに占める比率を得ることができる。なお、このようにして求めたサイズ1.0μm以上の残留オーステナイトの全残留オーステナイトに占める比率は面積比であるが、体積比と等価である。
【0031】
2.組成
以下に本発明に係る高強度鋼板の組成について説明する。まず、基本となる元素、C、Si、Al、Mn、PおよびSについて説明し、さらに選択的に添加してよい元素について説明する。
なお、成分組成について単位の%表示は、すべて質量%を意味する。
【0032】
(1)C:0.15〜0.35%
Cは所望の組織を得て、高い(TS×EL)等の特性を確保するために必須の元素である。また、Cは残留オーステナイトを安定化させて残留オーステナイト量を必要量だけ確保することにより、深絞り性を向上させるのに有効な元素である。このような作用を有効に発揮させるためには0.15%以上添加する必要がある。ただし、0.35%超は溶接に適さず、十分な溶接強度を得ることができない。好ましくは0.18%以上、さらに好ましくは0.20%以上である。また、好ましくは0.30%以下である。C量が0.30%以下だとより容易に溶接することができる。
【0033】
(2)SiとAlの合計:0.5〜3.0%
SiとAlは、それぞれ、セメンタイトの析出を抑制し、残留オーステナイトの形成を促進する働きを有する。このような作用を有効に発揮させるためには、SiとAlを合計で0.5%以上添加する必要がある。ただし、SiとAlの合計が3.0%を超えると、残留オーステナイトが粗大になって穴広げ率が劣化する。好ましくは0.7%以上、さらに好ましくは1.0%以上である。また、好ましくは2.5%以下、より好ましくは2.0%以下である。
なお、Alについては、脱酸元素として機能する程度の添加量、すなわち0.10質量%未満であってもよく、また、例えばセメンタイトの形成を抑制し、残留オーステナイト量を増加させる目的等のために、0.7質量%以上のようなより多くの量を添加してもよい。
【0034】
(3)Mn:1.0〜4.0%
Mnはフェライトの形成を抑制する。このような作用を有効に発揮させるためには1.0%以上添加する必要がある。ただし、4.0%を超えるとベイナイト変態が抑制されるため、比較的粗大な残留オーステナイトを形成することができない。そのため深絞り性を改善させることができない。Mnの含有量は、好ましくは1.5%以上、さらに好ましくは2.0%以上である。また、好ましくは3.5%以下である。
【0035】
(4)P:0.05%以下(0%を含む)
Pは不純物元素として不可避的に存在する。0.05%を超えたPが存在するとELおよびλが劣化する。このため、Pの含有量は0.05%以下(0%を含む)とする。好ましくは、0.03%以下(0%を含む)である。
【0036】
(5)S:0.01%以下(0%を含む)
Sは不純物元素として不可避的に存在する。0.01%を超えたSが存在するとMnS等の硫化物系介在物を形成し、割れの起点となってλを低下させる。このため、Sの含有量は0.01%以下(0%を含む)とする。好ましくは、0.005%以下(0%を含む)である。
【0037】
(6)Ti:0.01%〜0.2%
Tiは析出強化ならびに組織微細化の効果があり、高強度化および衝撃値を向上するのに有用な元素である。このような作用を有効に発揮させるためには、0.01%以上、さらには0.02%以上含有させることが推奨される.ただし、これらの元素を過剰に含有させても、上記効果が飽和してしまい、経済的に無駄であるため、Tiの添加量は0.2%以下、さらには0.1%以下とするのが好ましい。
【0038】
(7)残部
好ましい1つの実施形態では、残部は、鉄および不可避不純物である。不可避不純物としては、原料、資材、製造設備等の状況によって持ち込まれる微量元素(例えば、As、Sb、Snなど)の混入が許容される。なお、例えば、PおよびSのように、通常、含有量が少ないほど好ましく、従って不可避不純物であるが、その組成範囲について上記のように別途規定している元素がある。このため、本明細書において、残部を構成する「不可避不純物」という場合は、別途その組成範囲が規定されている元素を除いた概念である。
【0039】
本発明は、上記実施形態の組成に限定されるものではない。本発明の高強度鋼板の特性を維持できる限り、任意のその他の元素を更に含んでよい。そのように選択的に含有させることができるその他の元素を以下に例示する。
【0040】
(8)Cu、Ni、Mo、CrおよびBの1種以上:合計含有量1.0%以下
これらの元素は、鋼の強化元素として有用であるとともに、残留オーステナイトを安定化して所定量確保するのに有効な元素である。このような作用を有効に発揮させるためには、これらの元素は合計量で0.001%以上、さらには0.01%以上含有させることが推奨される。ただし、これらの元素を過剰に含有させても上記効果が飽和してしまい、経済的に無駄であるので、これらの元素は合計量で1.0%以下、さらには0.5%以下とするのが好ましい。
【0041】
(9)V、Nb、Mo、ZrおよびHfの1種以上:合計含有量0.2%以下
これらの元素は、析出強化および組織微細化の効果があり、高強度化に有用な元素である。このような作用を有効に発揮させるためには、これらの元素を合計量で0.01%以上、さらには0.02%以上含有させることが推奨される。ただし、これらの元素を過剰に含有させても、上記効果が飽和してしまい、経済的に無駄であるので、これらの元素は合計量で0.2%以下、さらには0.1%以下とするのが好ましい。
【0042】
(10)Ca、MgおよびREMの1種以上:合計含有量0.01%以下
これらの元素は、鋼中硫化物の形態を制御し、加工性向上に有効な元素である。ここで、本発明に用いられるREM(希土類元素)としては、Sc、Y、ランタノイド等が挙げられる。上記作用を有効に発揮させるためには、これらの元素を合計量で0.001%以上、さらには0.002%以上含有させることが推奨される。ただし、これらの元素を過剰に含有させても、上記効果が飽和してしまい、経済的に無駄であるので、これらの元素は合計量で0.01%以下、さらには0.005%以下とするのが好ましい。
【0043】
3.特性
上述のように本発明の高強度鋼板は、TS、YR、TS×EL、LDR、λ、SW十字引張、低温靭性が何れも高いレベルにある。本発明の高強度鋼板のこれらの特性について以下に詳述する。
【0044】
(1)引張強度(TS)
980MPa以上のTSを有する。これにより十分な強度を確保できる。
【0045】
(2)降伏比(YR)
0.75以上の降伏比を有する。これにより上述の高い引張強度と相まって高い降伏強度を実現でき、深絞り加工等の加工により得た最終製品を高い応力下で使用することができる。好ましくは、0.80以上の降伏比を有する。
【0046】
(3)引張強度(TS)と全伸び(EL)との積(TS×EL)
TS×ELが20,000MPa%以上である。20,000MPa%以上のTS×ELを有することで、高い強度と高い延性とを同時に有する、高いレベルの強度延性バランスを得ることができる。好ましくは、TS×ELは23,000MPa%以上である。
【0047】
(4)深絞り性(LDR)
LDRは深絞り性の評価に用いられている指標である。円筒絞り成形において、得られる円筒の直径をdとし、1回の深絞り加工で破断を生じずに円筒を得ることができる円盤状の鋼板(ブランク)の最大直径をDとしたとき、D/dをLDR(Limiting Drawing Ratio)という。より詳細には、板厚1.4mmで各種直径を有する円盤状の試料を、パンチ径50mm、パンチ角半径6mm、ダイ径55.2mm、ダイ角半径8mmの金型で円筒深絞りを行い、破断することなく絞り抜けた円盤状試料の試料直径のうち最大の試料直径(最大直径D)を求めることにより、LDRを求めることができる。
【0048】
本発明の高強度鋼板は、LDRが2.00以上であり、好ましくは2.05以上であり、優れた深絞り性を有している。
【0049】
(5)穴広げ率(λ)
穴広げ率λは、日本工業規格JIS Z 2256に準じて求める。試験片に直径
(d=10mm)の打ち抜き穴を空け、先端角度が60°のポンチをこの打ち抜き穴に押し込み、発生した亀裂が試験片の板厚を貫通した時点の打ち抜き穴の直径dを測定し、下記の式より求める。
λ(%)={(d−d)/d}×100
【0050】
本発明の高強度鋼板は、穴広げ率λが20%以上、好ましくは30%以上である。これによりプレス成形性等の優れた加工性を得ることができる。
【0051】
(6)スポット溶接部十字引張強度(SW十字引張)
スポット溶接部の十字引張強度は日本工業規格JIS Z 3137に準じて評価する。スポット溶接の条件は鋼板(後述の実施例では厚さ1.4mmの鋼板)を2枚重ねたものを用い、ドームラジアス型の電極で加圧力4kN、電流を6kAから12kAまで0.5kAピッチでスポット溶接を実施する。これにより、ちりが発生する最低電流を求める。そして。ちりが発生した最低電流よりも0.5kA低い電流でスポット溶接した継ぎ手の十字引張強度を測定する。
【0052】
本発明の高強度鋼板は、スポット溶接部の十字引張強度(SW十字引張)が6kN以上、好ましくは8kN以上、より好ましくは10kN以上である。
【0053】
(7)低温靭性
低温靱性は、日本工業規格JIS Z 2242に準じて−40℃におけるシャルピー衝撃試験値より求めることができる。試験片形状は、試験片幅:板厚まま(1.4mm厚)、高さ:10mm、長さ:55mm、ノッチ形状をノッチ角度:45°、ノッチ深さ:2mm、ノッチ底半径:0.25mmの試験片を作製し評価に供した。
本発明の高強度鋼板は、−40℃におけるシャルピー衝撃試験値が60J/cm以上、好ましくは70J/cm以上であり、優れた低温靱性を有している。
【0054】
4.製造方法
次に本発明に係る高強度鋼板の製造方法について説明する。
本発明者らは、所定の組成を有する圧延材に詳細を後述する熱処理(マルチステップのオーステンパー処理)を行うことにより、上述の所望の鋼組織を有し、その結果、上述の所望の特性を有する高強度鋼板を得ること見いだしたのである。
以下にその詳細を説明する。
【0055】
図1は本発明に係る高強度鋼板の製造方法、とりわけ熱処理を説明するダイアグラムである。
熱処理を施す圧延材は、通常、熱間圧延後、冷間圧延を行って製造する。しかし、これに限定されるものでなく、熱間圧延および冷間圧延のいずれか一方を行って製造してもよい。また、熱間圧延および冷間圧延の条件は特に限定されるものではない。
【0056】
(1)オーステナイト化処理
図1の[1]および[2]に示すように、圧延材をAc点以上の温度に加熱してオーステナイト化する。この加熱温度で1〜1800秒保持してよい。
加熱温度がAc点未満となると、オーステナイト化が十分に進まず、最終的な鋼板中のフェライト量が過大になる。また、オーステナイト化が十分に進まないため、オーステナイトが不足し、オーステナイトから得られるマルテンサイトが不足し、結果として焼戻しマルテンサイトと焼戻しベイナイトの合計量が不足する。
加熱温度は、好ましくは、Ac点以上、Ac点+100℃以下である。Ac点+100℃以下の温度とすることで旧オーステナイトの結晶粒の粗大化を抑制できる。加熱温度は、より好ましくはAc点+10℃以上、Ac点+90℃以下、さらに好ましくは、Ac点+20℃以上、Ac点+80℃以下である。より完全にオーステナイト化しフェライトの形成を抑制できるとともに、結晶粒の粗大化をより確実に抑制できるからである。
図1の[1]で示す、オーステナイト化時の加熱は任意の加熱速度で行ってよいが、好ましい平均加熱速度として1℃/秒以上、20℃/秒未満を挙げることができる。
【0057】
(2)冷却と300℃〜500℃の温度域での滞留
上記のオーステナイト化後、冷却し、図1の[5]に示すように、300℃〜500℃の温度範囲内において、10℃/秒以下の冷却速度で、10秒以上、300秒未満滞留させる。
冷却は、少なくとも650℃〜500℃の間は、平均冷却速度15℃/秒以上、200℃/秒未満で冷却する。平均冷却速度15℃/秒以上とすることで、冷却中のフェライトの形成を抑制するためである。また、冷却速度を200℃/秒未満とすることで、急激な冷却よる過大な熱歪みの発生を防止できる。このような冷却の好ましい例として、図1の[3]に示すように、650℃以上である急冷開始温度までは、0.1℃/秒以上、10℃/秒以下の比較的低い平均冷却速度で冷却し、図1の[4]に示すように、急冷開始温度から、500℃以下である滞留開始温度まで、平均冷却速度20℃/秒以上、200℃/秒未満で冷却することを挙げることができる。
【0058】
300℃〜500℃の温度範囲内で10℃/秒以下の冷却速度で10秒以上、300秒未満滞留させる。すなわち、300℃〜500℃の温度範囲内において、冷却速度が10℃/秒以下の状態に10秒以上、300秒未満置かれる。冷却速度が10℃/秒以下の状態は、図1の[5]のように、実質的に一定の温度で保持する(すなわち、冷却速度が0℃/秒)場合も含む。
この滞留により、部分的にベイナイトを形成させる。そして、ベイナイトはオーステナイトより炭素の固溶限が低いことから、固溶限を超えた炭素をはき出す。この結果、ベイナイト周囲に、炭素が濃化したオーステナイトの領域が形成される。
この領域が、後述する冷却、再加熱を経て、やや粗大な残留オーステナイトとなる。このやや粗大な残留オーステナイトを形成することで、上述のように深絞り性を高くすることができる。
【0059】
滞留させる温度が500℃より高いと、炭素濃化領域が大きくなりすぎて、残留オーステナイトの平均サイズが粗大になるために、穴広げ率および低温靭性が低下する。一方、滞留させる温度が300℃より低いと、炭素濃化領域が小さく、粗大な残留オーステナイトの量が不足し、深絞り性が低下する。
また、滞留時間が10秒より短いと、炭素濃化領域の面積が小さくなり、粗大な残留オーステナイトの量が不足し、深絞り性が低下する。一方、滞留時間が300秒以上になると、炭素濃化領域が大きくなりすぎて、残留オーステナイトの平均サイズが粗大になるため、穴広げ率および低温靭性が低下する。
また、滞留中の冷却速度が10℃/秒より大きいと、十分なベイナイト変態が起こらず、従って、十分な炭素濃化領域が形成されず、粗大な残留オーステナイトの量が不足する。
【0060】
従って、300℃〜500℃の温度範囲内で10℃/秒以下の冷却速度で10秒以上滞留させる。好ましくは320℃〜480℃の温度範囲内で8℃/秒以下の冷却速度で10秒以上滞留させ、その間、一定温度で3秒〜80秒保持することが好ましい。
更に好ましくは340℃〜460℃の温度範囲内で3℃/秒以下の冷却速度で10秒以上滞留させ、その間、一定温度で5秒〜60秒保持する。
【0061】
(3)100℃以上、300℃未満の間の冷却停止温度まで冷却
上述の滞留後、図1の[6]に示すように300℃以上の第2冷却開始温度から100℃以上、300℃未満の間の冷却停止温度まで10℃/秒以上の平均冷却速度で冷却する。好ましい実施形態の1つでは、図1の[6]に示すように、上述の滞留の終了温度(例えば、図1の[5]に示す保持温度)を第2冷却開始温度とする。
この冷却により、上述の炭素濃化領域をオーステナイトとして残したまま、マルテンサイト変態を起こさせる。冷却停止温度を100℃以上、300℃未満の温度範囲内で制御することで、マルテンサイトに変態せずに残存するオーステナイトの量を調整して、最終的な残留オーステナイト量を制御する。
【0062】
冷却速度が、10℃/秒より遅いと、冷却中に炭素濃化領域が必要以上に広がり、残留オーステナイトの平均サイズが粗大になるために、穴広げ率および低温靭性が低下する。冷却停止温度が100℃より低いと、残留オーステナイト量が不足する。この結果、TSは高くなるものの、ELが低下し、TS×ELバランスが不足する。
冷却停止温度が300℃以上だと、粗大な未変態オーステナイトが増え、その後の冷却でも残存することで、最終的に残留オーステナイトサイズが粗大になり、穴広げ率λが低下する。
なお、好ましい冷却速度は15℃/s以上であり、好ましい冷却停止温度は120℃以上、280℃以下である。更に好ましい、冷却速度は20℃/s以上であり、更に好ましい冷却停止温度は140℃以上、260℃以下である。
【0063】
図1の[7]に示すように、冷却停止温度で保持してもよい。保持する場合の好ましい保持時間として、1秒〜600秒を挙げることができる。保持時間が長くなっても特性上の影響はほとんどないが、600秒を超える保持時間は生産性を低下させる。
【0064】
(4)300℃〜500℃の温度範囲まで再加熱
図1の[8]に示すように、上述の冷却停止温度から、300℃〜500℃の範囲にある再加熱温度まで加熱する。加熱速度は特に制限されない。再加熱温度に到達した後は、図1の[9]に示すようにその温度で保持することが好ましい。好ましい保持時間として50秒〜1200秒を挙げることができる。
【0065】
この再加熱により、マルテンサイト中の炭素をはき出させて、周囲のオーステナイトへの炭素濃化を促進させ、オーステナイトを安定化させることができる。これにより、最終的に得られる残留オーステナイト量を増大させることができる。
再加熱温度が300℃より低いと、炭素の拡散が不足して十分な残留オーステナイト量が得られず、TS×ELが低下する。また、残留オーステナイト量が不足すると、1μm以上の残留オーステナイト量も不足しやすくなる。
再加熱温度が500℃より高いと炭素がセメンタイトとして析出してしまうため、オーステナイトへの炭素濃化が不十分となる。そのため、十分な量の残留オーステナイトが得られなくなり、TS×ELが低下する。また、残留オーステナイト量が不足すると、1μm以上の残留オーステナイト量も不足しやすくなる。また、再加熱温度が500℃より高く、オーステナイトへの炭素濃化が不十分となると、フレッシュマルテンサイト分率が多くなり、衝撃値が低下する。
【0066】
また、保持を行わない、または保持時間が50秒より短いと、同様に炭素の拡散が不足する虞がある。このため、再加熱温度で50秒以上の保持を行うのが好ましい。
また保持時間が1200秒より長いと、同様に、炭素がセメンタイトとして析出する虞がある。このため、保持時間は1200秒以下であることが好ましい。
好ましい再加熱温度は、320℃〜480℃であり、この場合、保持時間の上限は900秒であることが好ましい。更に好ましい再加熱温度は、340℃〜460℃であり、この場合、保持時間の上限は600秒であることが好ましい。
【0067】
再加熱の後、図1の[10]に示すように、例えば室温のような200℃以下の温度まで冷却してよい。200℃以下までの好ましい平均冷却速度として10℃/秒を挙げることができる。
以上の熱処理により本発明の高強度鋼板を得ることができる。
【0068】
以上に説明した本発明の実施形態に係る高強度鋼板の製造方法に接した当業者であれば、試行錯誤により、上述した製造方法と異なる製造方法により本発明に係る高強度鋼板を得ることができる可能性がある。
【実施例】
【0069】
1.サンプル作製
表1に記載した化学組成を有する鋳造材を真空溶製で製造した後、この鋳造材を熱間鍛造で板厚30mmの鋼板にした後、熱間圧延を施した。なお、表1には組成から計算したAc点も記載した。
熱間圧延の条件は本特許の最終組織および特性に本質的な影響を施さないが、1200℃に加熱した後、多段圧延で板厚2.5mmとした。この時、熱間圧延の終了温度は880℃とした。その後、600℃まで30℃/秒で冷却し、冷却を停止し、600℃に加熱した炉に挿入後、30分保持し、その後、炉冷し、熱延鋼板とした。
この熱延鋼板に酸洗を施して表面のスケールを除去した後、1.4mmまで冷間圧延を施した。この冷間圧延板に熱処理を行い、サンプルを得た。熱処理条件を表2に示した。なお、表2中の例えば、[2]のように[ ]を内に示した番号は、図1中に[ ]内に示した同じ番号のプロセスに対応する。表2において、サンプルNo.1、20および29は、図1の[5]に相当する工程において、300〜500℃の温度範囲内で10℃/秒以下の冷却速度で10秒以上の滞留をさせなかったサンプルである。より具体的には、700℃で急冷を開始後、200℃まで一気に冷却したサンプル(図1で[5]、[6]に相当する工程をスキップしたサンプル)である。また、サンプルNo.7は、100℃以上、300℃未満の間の冷却停止温度まで冷却していないサンプル(図1で[6]〜[8]に相当する工程をスキップしたサンプル)である。
なお、表1〜表4において、下線を付した数値は、本発明の範囲から外れていることを示している。ただし、「−」については、本発明の範囲から外れていても下線を付していないことに留意されたい。
【0070】
【表1】
【0071】
【表2】
【0072】
2.鋼組織
それぞれのサンプルについて、圧延方向に平行な断面を観察断面として、板厚1/4位置について走査電子顕微鏡により観察倍率を3,000倍として観察を行い、上述した方法により、(i)フェライト分率、(ii)焼戻しマルテンサイトと焼戻しベイナイトの合計分率(表3には「焼戻しM/B」記載)を求めた。(iii)残留オーステナイト量の測定(残留γ量)には、株式会社リガク社製2次元微小部X線回折装置(RINT−RAPID II)を用いた。(iv)フレッシュマルテンサイト分率、(v)残留オーステナイトの平均サイズ(残留γ平均粒径)および(vi)サイズ1.0μm以上の残留オーステナイトの全残留オーステナイトに占める比率(表3には、「1.0μm以上の残留γ比率」と記載)の測定には、日本電子社製 電界放出型走査電子顕微鏡、EBSD測定にはEDAX-TSL社製OIMシステムを用いて、測定領域を30μm×30μm、測定間隔を0.1μmとした。得られた結果を表3に示す。
(vii)旧オーステナイト粒径(表3には「Dγ」記載)の測定は圧延方向に平行な断面を観察断面として、板厚1/4位置について光学顕微鏡により観察倍率を1,000倍として観察を行い、上述の方法により測定した。
【0073】
【表3】
【0074】
3.機械的特性
得られたサンプルについて、引張試験機を用いて、0.2%耐力(YS)、引張強度(TS)、全伸び(EL)を測定し、YRおよびTS×ELを算出した。なお、引張試験は、圧延方向と直行方向を引張試験軸としてJIS5号試験片を作製し、実施した。また、上述の方法により穴拡げ率λと、深絞りLDRと、スポット溶接部の十字引張強度(SW十字引張)と−40℃におけるシャルピー衝撃試験値(衝撃値)を求めた。得られた結果を表4に示す。
【0075】
【表4】
【0076】
4.まとめ
本発明の条件を満たす実施例サンプルである、サンプルNo.10、12〜14、18、19、22〜24および31〜48は、いずれも980MPa以上の引張強度、0.75以上の降伏比、20,000MPa%以上のTS×EL、2.00以上のLDR、20%以上の穴広げ率、6kN以上のSW十字引張および60J/cm以上の衝撃値を達成している。
【0077】
これに対して、サンプルNo.1は、オーステナイト化後、300〜500℃の温度範囲内で滞留させなかったことから、1.0μm以上の残留オーステナイトの量が十分でなく、十分な深絞り性が得られなかった。
【0078】
サンプルNo.2は、オーステナイト化後、300〜500℃の温度範囲内での滞留時間(表2に示す「[5]保持時間」)が長いため、また、サンプルNo.3は、第2冷却開始温度(表2に示す「[5]保持温度」)から冷却停止温度までの平均冷却速度が遅いため、それぞれ、残留オーステナイトの平均粒径が粗大となり、穴広げ率および衝撃値が低下した。
【0079】
サンプルNo.4は、オーステナイト化後、300〜500℃の温度範囲での保持時間が短いため、1.0μm以上の残留オーステナイトの量が十分でなく、十分な深絞り性が得られなかった。
【0080】
サンプルNo.5は、オーステナイト化後、300〜500℃の温度範囲より高い温度で滞留させたため、残留オーステナイトの平均粒径が粗大となり、穴広げ率および衝撃値が低下した。
【0081】
サンプルNo.6は、オーステナイト化後、300〜500℃の温度範囲より低い温度で滞留させたため、1.0μm以上の残留オーステナイトの量が十分でなく、十分な深絞り性が得られなかった。
【0082】
サンプルNo.7は、第2冷却および再加熱処理をしていないため、焼戻しマルテンサイトと焼戻しベイナイトの合計量が不足し、残留オーステナイトの平均粒径が粗大となり、十分な穴広げ性および衝撃値が得られなかった。
【0083】
サンプルNo.8は、オーステナイト化のための加熱温度が低いため、フェライト量が過大となとなった。また、フェライト量が過大になったことにより、マルテンサイト形成が不足し、焼戻しマルテンサイトと焼戻しベイナイトの合計量が不足し、この結果、十分な降伏比と穴広げ性が得られなかった。
【0084】
サンプルNo.9はオーステナイト化のための加熱温度が高いため、旧オーステナイト粒径が粗大かつ残留オーステナイトの平均粒径が粗大となったため、十分な穴広げ性および衝撃値が得られなかった。
【0085】
サンプルNo.11は、冷却停止温度が100℃以上、300℃未満の温度範囲より低いため、残留オーステナイト量が少なく、その影響によりサイズ1.0μm以上の残留オーステナイト量も不足した。この結果、十分なTS×ELの値および十分な深絞り性が得られなかった。
【0086】
サンプルNo.15は、急冷開始温度から滞留開始温度(表2の「[5]保持温度」)までの冷却速度が遅いため、冷却中にフェライトが形成されて、フェライト量が過大となった。また、フェライト形成によりマルテンサイト形成が不足し、それにより焼戻しマルテンサイトと焼戻しベイナイトの合計量が不足した。その結果、降伏比、穴広げ率が低かった。
【0087】
サンプルNo.16は、再加熱温度が300℃〜500℃の温度範囲より高いため、炭素がセメンタイトとして析出した。そのため、残留オーステナイトが少なく、その影響によりサイズ1.0μm以上の残留オーステナイト量が不足した。また、再加熱温度が高いため、フレッシュマルテンサイト分率も多くなった。この結果、TS×EL、穴広げ性、深絞り性および衝撃値が低かった。
【0088】
サンプルNo.17は、再加熱温度が300℃〜500℃の温度範囲より低いため、炭素の拡散が不十分となる。そのため、残留オーステナイトが少なく、その影響によりサイズ1.0μm以上の残留オーステナイト量が不足した。この結果、TS×EL、深絞り性が低かった。
【0089】
サンプルNo.20はTi添加が無く、オーステナイト化後、300〜500℃の温度範囲内で滞留させなかったことから、旧オーステナイト粒径が大きく、1.0μm以上の残留オーステナイトの量が十分でなかった。そのため、十分な深絞り性および十分な衝撃値が得られなかった。
【0090】
サンプルNo.21はTi添加が無いため、旧オーステナイト粒径が大きく、かつ残留オーステナイトの平均粒径が粗大となった。この結果、十分な穴広げ性および衝撃値が得られなかった。
【0091】
サンプルNo.25は、C量が少ないため、残留オーステナイト量が不足し、かつサイズ1.0μm以上の残留オーステナイト量が十分でなかった。この結果、十分なTS×ELおよび十分な深絞り性が得られなかった。
【0092】
サンプルNo.26は、Mn量が多いため、残留オーステナイト量が不足し、かつサイズ1.0μm以上の残留オーステナイト量が十分でなく、この結果、十分なTS×ELおよび十分な深絞り性が得られなかった。
【0093】
サンプルNo.27は、Mn量が少ないため、フェライト量が過大となった。また、フェライト量が過大になったことにより、マルテンサイト形成が不足し、焼戻しマルテンサイトと焼戻しベイナイトの合計量が不足した。この結果、十分な降伏比および穴広げ性が得られなかった。
【0094】
サンプルNo.28は、Si+Al量が少ないため、残留オーステナイトが少なく、1.0μm以上の残留オーステナイトの量が十分でなかった。この結果、TS×ELおよび深絞り性が低下した。
【0095】
サンプルNo.29はC量が過大で、かつオーステナイト化後、300〜500℃の温度範囲より低い温度で滞留させさせなかったことから、十分なSW十字引張強度が得られなかった。
【0096】
サンプルNo.30は、Si+Al量が過多であり、残留オーステナイトが粗大となったため、穴広げ性および衝撃値が低くなった。
図1