(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
所定のエネルギを有して入射したイオンを所定のガスに接触させるためのコリジョンセルと、該コリジョンセルから排出されたイオンをそのイオン流の入射軸と異なる方向に加速する加速部と、該加速部で加速されたイオンを質量電荷比に応じて分離して検出する分離検出部と、を具備する飛行時間型質量分析装置であって、
a)測定対象であるイオンを一時的に保持するために、前記コリジョンセルの内部に配置された、高周波電場によってイオンをイオン光軸付近に収束させるイオンガイドと、該イオンガイドの出口端外側に配置された、前記コリジョンセルの一部を構成する又は該コリジョンセルとは別体である出口側ゲート電極と、を含むイオン保持部と、
b)前記出口側ゲート電極に直流電圧を印加する電圧印加部と、
c)前記イオンガイドの内部空間に測定対象であるイオンを保持する際に、少なくとも該イオンガイドの出口端よりも前記出口側ゲート電極におけるポテンシャルが高くなるような保持時直流電圧を該出口側ゲート電極に印加するとともに、前記イオンガイドからイオンを放出する際には、該イオンガイドの出口端よりも前記出口側ゲート電極におけるポテンシャルが低くなるような放出時直流電圧を該出口側ゲート電極に印加するべく前記電圧印加部を制御する制御部であって、前記コリジョンセルの前段から該コリジョンセルの内部にイオンが導入される際に該イオンに付与されるエネルギの大きさに応じて前記保持時直流電圧を変化させる制御部と、
を備えることを特徴とする飛行時間型質量分析装置。
【背景技術】
【0002】
TOFMSの一つの方式として、試料成分由来のイオン流の進行方向と略直交する方向にイオンを加速して飛行空間へと送り込む、直交加速(「垂直加速」や「直交引出し」とも呼ばれる)方式のTOFMS(以下、適宜「OA−TOFMS」と称す)が知られている。例えば特許文献1、非特許文献1には、衝突誘起解離によりイオンを解離させるコリジョンセルの前段に四重極マスフィルタを配置する一方、コリジョンセルの後段にOA−TOFMSを配置した四重極−飛行時間型質量分析装置(以下、適宜「Q−TOFMS」と称す)が開示されている。
【0003】
OA−TOFMSの直交加速部では、パルス的にイオンを加速する加速電圧(特許文献1における「push-pull voltage」)が所定のタイミングで加速電極に印加されるため、その加速電圧の印加時点で直交加速部を通過しているイオンのみが飛行空間に向けて加速され、それ以外のイオン、つまりその加速電圧印加時よりも前又は後に直交加速部を通過するイオンは無駄になる。OA−TOFMSにおけるこのイオンの利用効率は一般にデューティサイクル(Duty Cycle)と呼ばれ、次の式で定義される(特許文献2等参照)。
Duty Cycle[%]={(実際に測定に利用されるイオンの量)/(直交加速部へ到達したイオンの量)}×100
【0004】
上記式から分かるように、直交加速部に連続的にイオン流が導入される場合にはデューティサイクルは低くなる。そこでデューティサイクルを向上させるために、従来の一般的なQ−TOFMSでは、コリジョンセルの内部に測定対象であるイオンを一旦蓄積し、その蓄積したイオンをコリジョンセルから吐き出して圧縮された状態のイオン流を断続的に直交加速部に送り込み、そのイオン流が供給されたタイミングに合わせて直交加速部においてイオンを加速するという構成が採られている。
【0005】
例えば特許文献3に記載のQ−TOFMSでは、コリジョンセル内に配置されたイオンガイドを構成する複数本のロッド電極を、イオンが進行するに伴いイオン光軸(中心軸)からの距離が徐々に大きくなるように傾けて配置することで、軸方向のポテンシャル分布(厳密には疑似ポテンシャルの分布であるが、本明細書中では疑似ポテンシャル及び直流電圧由来の実ポテンシャルを、便宜上「ポテンシャル」という)がイオン進行方向に下り傾斜となるようにしている。そして、コリジョンセルの出口側開口に設けられた出口側ゲート電極との間の直流電位差によって、そのイオンガイドの出口端と出口側ゲート電極との間の空間にポテンシャル障壁を形成し、上記下り傾斜であるポテンシャル分布と上記ポテンシャル障壁とによって、イオンガイドで囲まれる空間にイオンを蓄積できるようにしている。
【0006】
さらにまた、該文献3に記載のQ−TOFMSでは、測定対象のイオンの質量電荷比に応じて上記ポテンシャル障壁の高さを変えることでポテンシャル障壁を乗り越えようとするイオンを押し返す力の大きさを調整し、それによって、コリジョンセルから吐き出されたイオンが直交加速部まで到達する移動時間の質量電荷比依存性を軽減している。これにより、様々な質量電荷比を有するイオンについて、高いデューティサイクルを実現している。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
しかしながら、本発明者らの実験的な検討によれば、上述したように測定対象であるイオンの質量電荷比に応じてポテンシャル障壁の高さを調整しても、デューティサイクルが良好にならない場合がある。
【0010】
例えば、Q−TOFMSでは、コリジョンセル内で衝突誘起解離により解離させたイオンを質量分析するMS/MS(=MS
2)分析を行うことができるが、コリジョンセル内でイオンを解離させない通常の質量分析(MS
1分析)を実行することも可能である。MS/MS分析を実行する場合とMS
1分析を行う場合とで測定対象のイオンの質量電荷比が同程度であるとき、イオン蓄積のためのポテンシャル障壁の高さを同じにしてもデューティサイクルには明確な差が生じる。そのため、例えばMS/MS分析時のデューティサイクルができるだけ良好になるようにパラメータを調整すると、MS
1分析時のデューティサイクルが低くなり、それだけイオンの検出感度が低下することになる。
【0011】
本発明は上記課題を解決するために成されたものであり、その目的とするところは、Q−TOFMS等のTOFMSにおいて、MS/MS分析、MS
1分析のいずれを行う場合でもデューティサイクルを改善することによりマススペクトルの感度を向上させることができるTOFMSを提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0012】
Q−TOFMSにおいてMS/MS分析を実行する場合には、コリジョンセル内で所定のガス(コリジョンガス)との接触によりイオンを解離させるために或る程度大きなエネルギ(コリジョンエネルギ)をイオンに付与してコリジョンセル内に導入する必要がある。これに対し、Q−TOFMSにおいてMS
1分析を実行する場合には、コリジョンセル内に所定のガスが存在していても解離が生じないように、コリジョンセル内に導入されるイオンにはイオン解離操作時に比べて小さなエネルギが付与される。本発明者らは実験的な検討により、コリジョンセルに導入される際にイオンに付与されるエネルギ、つまりはコリジョンエネルギの違いにより、デューティサイクルを改善するためのポテンシャル障壁の高さが相違することを見いだした。そして、こうした知見に基づいて本発明を完成させるに至った。
【0013】
即ち、上記課題を解決するためになされた本発明は、所定のエネルギを有して入射したイオンを所定のガスに接触させるためのコリジョンセルと、該コリジョンセルから排出されたイオンをそのイオン流の入射軸と異なる方向に加速する加速部と、該加速部で加速されたイオンを質量電荷比に応じて分離して検出する分離検出部と、を具備する飛行時間型質量分析装置であって、
a)測定対象であるイオンを一時的に保持するために、前記コリジョンセルの内部に配置された、高周波電場によってイオンをイオン光軸付近に収束させるイオンガイドと、該イオンガイドの出口端外側に配置された、前記コリジョンセルの一部を構成する又は該コリジョンセルとは別体である出口側ゲート電極と、を含むイオン保持部と、
b)前記出口側ゲート電極に直流電圧を印加する電圧印加部と、
c)前記イオンガイドの内部空間に測定対象であるイオンを保持する際に、少なくとも該イオンガイドの出口端よりも前記出口側ゲート電極におけるポテンシャルが高くなるような保持時直流電圧を該出口側ゲート電極に印加するとともに、前記イオンガイドからイオンを放出する際には、該イオンガイドの出口端よりも前記出口側ゲート電極におけるポテンシャルが低くなるような放出時直流電圧を該出口側ゲート電極に印加するべく前記電圧印加部を制御する制御部であって、前記コリジョンセルの前段から該コリジョンセルの内部にイオンが導入される際に該イオンに付与されるエネルギの大きさに応じて前記保持時直流電圧を変化させる制御部と、
を備えることを特徴としている。
【0014】
本発明では、コリジョンセルに導入されるイオンに付与されるエネルギ、つまりはコリジョンエネルギが大きいほど、測定対象であるイオンを保持する際にイオンガイドの出口端と出口側ゲート電極との間に形成されるポテンシャル障壁が高くなるように保持時直流電圧を設定する。通常、MS/MS分析時にはMS
1分析時に比べてコリジョンエネルギ(厳密に言えば、MS
1分析時にはイオンを解離させないので「コリジョンエネルギ」ではないが、本明細書では便宜的に、MS/MS分析時、MS
1分析時ともにコリジョンエネルギという)が高いため、MS/MS分析時にはMS
1分析時に比べて上記ポテンシャル障壁は高くなる。
【0015】
相対的に小さなコリジョンエネルギを有してコリジョンセルにイオンが導入されたとき、イオンガイドの出口端と出口側ゲート電極との間に形成されるポテンシャル障壁が相対的に低いため、必要以上にイオンは押し戻されず、イオンガイド内の出口付近に集中的に蓄積され易い。そのため、放出時直流電圧が出口側ゲート電極に印加されて上記ポテンシャル障壁が無くなったときに、測定対象のイオンがあまり分散せずに加速部に到達する。それにより、デューティサイクルを改善することができる。なお、加速部は典型的には入射軸と直交する方向にイオンを加速する直交加速部である。
【0016】
一方、相対的に大きなコリジョンエネルギを有してコリジョンセルにイオンが導入されたとき、イオンガイドの出口端と出口側ゲート電極との間に形成されるポテンシャル障壁は相対的に高い。コリジョンセルに導入されたイオンはコリジョンガスに接触して解離し各種のプロダクトイオンが生成されるが、このプロダクトイオンも比較的大きなエネルギを有している。イオンガイドの出口端と出口側ゲート電極との間に形成されるポテンシャル障壁が低いと、大きなエネルギを有するプロダクトイオンがポテンシャル障壁を乗り越えて漏出してしまうおそれがあるが、本発明では、ポテンシャル障壁が高いので大きなエネルギを有するプロダクトイオンもポテンシャル障壁を乗り越えず、確実に蓄積される。それにより、測定対象のイオンの損失が抑えられ、デューティサイクルを改善することができる。
【0017】
ただし、ポテンシャル障壁の高さを変えるとイオンを押し戻す力が変わるため、イオンガイドの内部空間でイオンが多く存在する部位に差が生じる。具体的には、ポテンシャル障壁が高いとイオンガイドの内部空間でより入口端に近い部位にイオンが多く存在し易い。そのため、ポテンシャル障壁の高さによって、該ポテンシャル障壁が無くなったときにイオンがイオンガイドから発して加速部に到達するまでの時間(イオンの移動時間)に差が生じる。
【0018】
そこで、本発明において好ましくは、前記制御部は、前記保持時直流電圧を変化させるのに伴い、放出時直流電圧を前記出口側ゲート電極に印加する時点から前記加速部でイオンを加速させるまでの遅延時間を変化させる構成とするとよい。
【0019】
具体的には、測定対象のイオンの質量電荷比が同程度であっても、ポテンシャル障壁が高いときには低いときに比べて上記遅延時間を長くするとよい。適切な遅延時間は予め実験的に又はシミュレーションにより求めておけばよい。これにより、より一層、デューティサイクルを向上させ、高い感度で以てイオンを検出することができる。
【0020】
また本発明では、解離させたイオンを質量分析するMS/MS分析モードと、解離させないイオンを質量分析するMS分析モードと、を選択的に実行可能であり、
MS/MS分析モードにおいては前記コリジョンセルに導入されたイオンが所定のガスに接触したときに解離するようなエネルギを該イオンに付与し、MS分析モードにおいては前記コリジョンセルに導入されたイオンが所定のガスに接触したときに解離が生じずクーリングされるように解離時よりも低いエネルギを該イオンに付与する構成とするとよい。
【0021】
なお、本発明において、イオンガイドの内部に軸方向にイオンを輸送する下り傾斜のポテンシャル分布を形成するために、特許文献3に開示されているように、イオンガイドを構成する複数本のロッド電極をイオン光軸と平行ではなくイオン光軸に対し傾けて配置することで、イオン光軸に直交する面内でのイオン光軸とロッド電極内周面との間の距離をイオン進行方向に向かうに従い徐々に大きくするとよい。また、特許文献4に開示されている別の方法を用いてもよい。
【発明の効果】
【0022】
本発明によれば、MS/MS分析、MS
1分析のいずれを行う場合でもデューティサイクルを改善することができ、それによりマススペクトルの感度を向上させることができる。また、MS/MS分析を実行する際に、例えば目的化合物の種類に応じて、或いは、同じ化合物でも開裂の態様を変えるために、コリジョンエネルギが変更されることがあるが、そうした場合でも常にデューティサイクルを最良に近い状態にすることができ、それにより良好なマススペクトルを得ることができる。
【発明を実施するための形態】
【0024】
以下、本発明の一実施例であるQ−TOFMSについて、添付図面を参照して説明する。
【0025】
図1は本実施例のQ−TOFMSの要部の構成図である。本実施例のQ−TOFMSは、多段差動排気系の構成を有しており、チャンバ1内には、略大気圧雰囲気であるイオン化室2、第1中間真空室3、第2中間真空室4、第1分析室5、及び、最も真空度が高い第2分析室6が配設されている。
【0026】
イオン化室2には、エレクトロスプレイイオン化(ESI)を行うためのESIスプレー7が設けられ、目的化合物を含む液体試料がESIスプレー7に供給されると、該スプレー7先端から帯電液滴が噴霧され、該液滴が分裂するとともに溶媒が蒸発する過程で目的化合物由来のイオンが生成される。なお、イオン化法はこれに限るものではなく、例えば、試料が液体である場合には、ESI以外の大気圧化学イオン化(APCI)法、大気圧光イオン化(APPI)法、探針エレクトロスプレーイオン化(PESI)法などの大気圧イオン化法が使用可能であり、また試料が固体状である場合にはMALDI法などが使用可能であり、試料が気体状である場合には電子イオン化(EI)法、化学イオン化(CI)法などが利用可能である。
【0027】
イオン化室2内で生成された各種イオンは加熱キャピラリ8を通して第1中間真空室3へ送られ、アレイ型イオンガイド9により収束されてスキマー10を通して第2中間真空室4へ送られる。さらに、イオンは多重極型イオンガイド11により収束されて第1分析室5へ送られる。第1分析室5内には、四重極マスフィルタ12と、リニアイオントラップとして機能する四重極型イオンガイド14が内部に設けられたコリジョンセル13と、が設置されている。試料由来の各種イオンは四重極マスフィルタ12に導入され、MS/MS分析時には、四重極マスフィルタ12に印加されている電圧に応じた特定の質量電荷比(又は質量電荷比範囲)を有するイオンが該四重極マスフィルタ12を通り抜ける。このイオンはプリカーサイオンとしてコリジョンセル13に導入され、コリジョンセル13内に外部から供給されるコリジョンガスとの接触によってプリカーサイオンは解離し、各種のプロダクトイオンが生成される。
【0028】
イオンガイド14はリニア型イオントラップとして機能し、解離により生成されたプロダクトイオンはイオンガイド14の内部空間に一時的に蓄積される。そして、一時的に蓄積されていたイオンは所定のタイミングでコリジョンセル13から排出され、イオン輸送光学系16により案内されつつイオン通過口15を経て第2分析室6内に導入される。イオン輸送光学系16は、イオン通過口15を挟んで第1分析室5と第2分析室6とに跨って配置されている。
【0029】
第2分析室6内には、イオン射出源である直交加速部17と、リフレクタ19が配置された飛行空間18と、イオン検出器20とが設けられており、イオン光軸Cに沿って直交加速部17にX軸方向に導入されたイオンは所定のタイミングでZ軸方向に加速されることで飛行を開始する。飛行空間18においてイオンはまず無電場である空間中を自由飛行したあと、リフレクタ19により形成されている反射電場で折り返され、再び無電場の空間中を自由飛行してイオン検出器20に到達する。イオンが直交加速部17を出発した時点からイオン検出器20に到達するまでの飛行時間は、そのイオンの質量電荷比に依存する。したがって、図示しないデータ処理部は、イオン検出器20による検出信号に基づいて飛行時間とイオン強度との関係を示す飛行時間スペクトルを作成し、既知の校正情報に基づいて飛行時間を質量電荷比に換算することでマススペクトルを作成する。
【0030】
図2(a)は
図1中の四重極マスフィルタ12から直交加速部17までの構成要素の詳細な構成図、
図2(b)は軸方向の概略ポテンシャル分布図である。なお、
図2(b)において、イオンガイド14におけるポテンシャルU
1はイオン光軸C上のポテンシャル分布ではなく、イオン光軸C外のイオンビームが出口側に向かって輸送される際に受ける疑似ポテンシャル勾配であり、イオンガイド14以外のポテンシャル分布は実質的にイオン光軸C上のポテンシャル分布を示している。
【0031】
四重極マスフィルタ12はイオン光軸Cに平行に配置された4本のロッド電極を含む。ただし、ここではイオン光軸Cを含むX−Z平面上に位置する2本のロッド電極のみを描出している(以下の四重極型イオンガイド14も同様)。四重極型イオンガイド14は4本のロッド電極からなるが、この4本のロッド電極は
図2(a)に示すように、イオン光軸Cに平行ではなく、イオン進行方向(
図2(a)では右方向)に向かってイオン光軸Cからの距離が徐々に大きくなるように傾けて配置されている。コリジョンセル13の後端面は出口側ゲート電極132となっており、この出口側ゲート電極132と四重極型イオンガイド14とが実質的にリニア型イオントラップとして機能する。イオン輸送光学系16は、中央に円形開口を有する円盤状の電極板がイオン光軸Cに沿って複数(この例では5枚)配列された構成である。直交加速部17は、入口電極171、押出電極172、及びグリッド状の引出電極173、を含む。
【0032】
制御部30の制御の下に、四重極マスフィルタ電圧発生部31は四重極マスフィルタ12の各ロッド電極に所定の電圧を印加する。四重極マスフィルタ12で特定の質量電荷比を有するイオンを選択する場合、この電圧は直流電圧に高周波電圧を重畳した電圧であり、その直流電圧と高周波電圧の振幅とはそれぞれ選択したい質量電荷比に応じたものである。また、この直流電圧と高周波電圧とを合成した電圧にさらに直流バイアス電圧が加算される。イオンガイド電圧発生部32は四重極型イオンガイド14の各ロッド電極に所定の電圧を印加する。この電圧はイオン収束用の高周波電圧に直流バイアス電圧が加算されたものである。出口側ゲート電極電圧発生部33は出口側ゲート電極132に所定の直流電圧を印加する。また、イオン輸送光学系電圧発生部34はイオン輸送光学系16に含まれる各電極板にそれぞれ所定の直流電圧を印加する。直交加速部電圧発生部35は入口電極171、押出電極172及び引出電極173にそれぞれ所定の電圧を印加する。
【0033】
ここでは、コリジョンセル13内に導入されるイオンに付与されるエネルギ、つまりはコリジョンエネルギは四重極マスフィルタ12のロッド電極に印加されるバイアス電圧と、四重極型イオンガイド14のロッド電極に印加されるバイアス電圧との電圧差により決まる。本実施例のQ−TOFMSにおいてMS/MS分析を実行する際には、上述したように、コリジョンセル13内で衝突誘起解離によりイオンを解離させる必要があるため、比較的大きなコリジョンエネルギをイオンに付与してコリジョンセル13に導入する。一方、本実施例のQ−TOFMSにおいてMS
1分析を実行する際には、コリジョンセル13内でイオンが解離しないようにするために、MS/MS分析時に比べて小さなコリジョンエネルギをイオンに付与してコリジョンセル13に導入する。なお、MS
1分析時にはコリジョンセル13内でイオン解離を行わないが、コリジョンセル13に導入されたイオンが持つエネルギを減じて捕捉され易くするために、クーリングガスとして不活性ガスをコリジョンセル13内に導入する。
【0034】
本実施例のQ−TOFMSでは、コリジョンセル13内に導入されたイオン、或いはその導入されたイオンを衝突誘起解離により解離させることで生成したプロダクトイオンを四重極型イオンガイド14の内部空間に一旦蓄積し、その蓄積したイオンをコリジョンセル13から排出してイオン輸送光学系16を通して直交加速部17に導入し質量分析する。その際の動作について、
図2に加えて
図3、
図4を参照して説明する。
図3は四重極型イオンガイド14の内部空間におけるイオン挙動の説明図、
図4は出口側ゲート電極132への印加電圧及び直交加速の印加電圧のタイミング図である。なお、ここでは、測定対象のイオンが正イオンである場合を例示しているが、測定対象のイオンが負イオンである場合には、電圧の極性を正負反転すればよいことは明らかである。
【0035】
四重極型イオンガイド14の内部空間にイオンを蓄積する際に、イオンガイド電圧発生部32は該イオンガイド14を構成する4本のロッド電極にそれぞれ高周波電圧と直流電圧とを加算した電圧を印加する。この高周波電圧はイオンをイオン光軸C付近に収束させる四重極高周波電場を形成するためのものである。一方、直流電圧は主としてイオン光軸Cに沿ったポテンシャル分布を形成するため、及び、上述したようにコリジョンエネルギをイオンに付与するためのものである。また、イオンを蓄積する際には、出口側ゲート電極電圧発生部33は出口側ゲート電極132に四重極型イオンガイド14の出口端よりも高い所定の直流電圧を印加する。
【0036】
図2(b)中に示す実線U
5は、四重極マスフィルタ12の出口端と四重極型イオンガイド14の入口端との間の空間におけるイオン光軸C上の概略ポテンシャル分布である。また、 実線U
1は、四重極型イオンガイド14の内部空間にイオンを蓄積するときの、その内部空間における軸方向の概略ポテンシャル分布である。上述したように、コリジョンセル13に導入されるイオンは実線U
5で示される下り傾斜のポテンシャル分布によりコリジョンエネルギを付与される。また、四重極型イオンガイド14のロッド電極は上述したような特徴的な配置であるために、該イオンガイド14の内部空間における軸上のポテンシャル分布は入口端から出口端に向かって緩やかに下傾する形状となっている。
【0037】
一方、
図2(b)中に一点鎖線U
2で示すように、出口側ゲート電極132の位置のポテンシャルは四重極型イオンガイド14の出口端のポテンシャルよりも高くなっており、該イオンガイド14の出口端(
図2(b)中の点P
1の位置)と出口側ゲート電極132(
図2(b)中の点P
2の位置)との間の空間にはポテンシャル障壁が形成されている。
【0038】
上述したようにコリジョンセル13内に導入されたイオン又はコリジョンセル13内で解離によって生成されたプロダクトイオンは、四重極型イオンガイド14の内部空間に形成されている緩やかな下り傾斜のポテンシャル分布に従ってイオン進行方向(
図2での右方向)に移動する。そして、四重極型イオンガイド14の出口端に達するとポテンシャル障壁によって押し返される。ここで、制御部30は、コリジョンセル13に導入されるイオンに付与されるコリジョンエネルギに応じて出口側ゲート電極132への印加電圧を変えるように、出口側ゲート電極電圧発生部33を制御する。具体的には、コリジョンエネルギが大きいほど出口側ゲート電極132への印加電圧を高くする。これにより、コリジョンエネルギが大きいほどポテンシャル障壁は高くなる。
【0039】
図2(b)中の二本の一点鎖線U
2は、異なる高さのポテンシャル障壁を示している。上述したように、MS
1分析時とMS/MS分析時とではコリジョンエネルギが異なるから、ここでは、二本の一点鎖線U
2のうちの高いほうはコリジョンエネルギが相対的に大きなMS/MS分析時のポテンシャル障壁を示し、二本の一点鎖線U
2のうちの低いほうはコリジョンエネルギが相対的に小さなMS
1分析時のポテンシャル障壁を示す。
【0040】
図3(a)はポテンシャル障壁が高い場合の、つまりは相対的にコリジョンエネルギが大きい場合のイオンの挙動、
図3(b)はポテンシャル障壁が低い場合の、つまりは相対的にコリジョンエネルギが小さい場合のイオンの挙動、を示す概念図である。
【0041】
ポテンシャル障壁によって押し返されたイオンは、実線U
1で示されるポテンシャルの傾斜を上り、或る位置まで達するとエネルギがゼロになって方向を反転し、再びポテンシャルの傾斜を下る。
図3(a)に示すようにポテンシャル障壁が高いと該障壁の傾斜が急であるためイオンを押し返すエネルギが大きく、押し返されたイオンは四重極型イオンガイド14の出口端から遠い位置(点P
3の位置)まで戻る。また、コリジョンセル13に導入されたイオンは大きなコリジョンエネルギを有しているため、解離により生成されたイオン自体も比較的大きなエネルギを有した状態でコリジョンセル13の出口に向かって進行することが多い。そのため、ポテンシャル障壁が低いとイオンがポテンシャル障壁を乗り越えてコリジョンセル13から漏出してしまう可能性があるが、ここではポテンシャル障壁が高いので、大きなエネルギを有するイオンも確実に押し返すことができる。これにより、イオンの損失を回避して、多くの量のイオンを四重極型イオンガイド14の内部空間に蓄積することができる。
【0042】
一方、
図3(b)に示すようにポテンシャル障壁が低いと該障壁の傾斜は相対的に緩いため、イオンを押し返すエネルギは小さく、押し返されたイオンは四重極型イオンガイド14の出口端から近い位置(点P
3’の位置)までしか戻らない。即ち、この場合には、イオンガイド14の出口端に比較的近い狭い空間にイオンを蓄積することができる。また、ポテンシャル障壁は低いので、イオンが大きなエネルギを有しているとポテンシャル障壁を乗り越えてしまうおそれがあるが、コリジョンセル13に導入されるイオンに付与されるコリジョンエネルギは小さいので、イオンは低いポテンシャル障壁で以て確実に押し返される。したがって、多くの量のイオンを四重極型イオンガイド14の出口端に近い空間に蓄積することができる。
【0043】
こうしてイオンを一時的に蓄積したあと、所定のタイミングで、出口側ゲート電極電圧発生部33は出口側ゲート電極132に印加する電圧を、四重極型イオンガイド14の出口端の電圧よりも低くイオン輸送光学系16の初段の電極板への印加電圧よりも高い電圧値まで引き下げる。
図2(b)中に示す点線U
3は、このときの四重極型イオンガイド14出口端とイオン輸送光学系16の初段電極板との間の概略ポテンシャル分布である。
【0044】
図2(b)に示すように、上記ポテンシャル障壁はなくなり、四重極型イオンガイド14出口端からイオン輸送光学系16に向けて下傾したポテンシャル勾配が形成されるため、四重極型イオンガイド14の内部空間に一時的に蓄積されていたイオンはイオン輸送光学系16に向けて一斉に放出される。なお、イオン輸送光学系16においてイオンをイオン光軸C付近に収束させつつ輸送するために、イオン輸送光学系電圧発生部34からイオン輸送光学系16に含まれる各電極板にはそれぞれ異なる電圧が印加されており、厳密にいえばその各電極板の設置位置のポテンシャルは同一ではないが、平均的にみれば一定であるとみなし得るので、
図2(b)ではポテンシャル分布を点線で示している。
【0045】
図4に示すように、四重極型イオンガイド14(つまりはコリジョンセル13)からイオンが排出される時点から所定の遅延時間tが経過して時点で、直交加速部電圧発生部35は押出電極172及び引出電極173にそれぞれ加速電圧をパルス的に印加する。このときの遅延時間tは後述するように決められる。直交加速部17において加速電圧が印加される際には、測定対象であるイオンがちょうど直交加速部17に導入され、押出電極172と引出電極173との間の空間に存在している。それによって、本実施例のQ−TOFMSでは、測定対象であるイオンを確実に飛行空間18に向けて射出し、質量分析に供することができる。
【0046】
次に、上述したようにコリジョンエネルギに応じてイオン蓄積時のポテンシャル障壁の高さを変えることで、目的とする試料成分由来のイオンの強度を増加させることができることを実験的に確認した結果について説明する。
図5は、コリジョンエネルギ(CE)を5eVとしたMS
1分析モードとコリジョンエネルギを20eVとしたMS/MSモードとについて、コリジョンセル13からのイオン排出から直交加速部17でイオンを射出するまでの遅延時間tを横軸に、コリジョンセル13の出口における折り返し電圧を縦軸にとったときに実測されるイオンのピーク強度を等高線で示した図である。測定対象の化合物はNa
+(NaI)(m/z 172)である。また、ここで「押し返し電圧」とは上述したポテンシャル障壁の高さに相当する電圧である。
【0047】
図5(a)、(b)において斜め格子パターンで示されている領域がイオン強度が最も高い領域である。この結果から、CE=5eVにおいてイオン強度が最大になるのは押し返し電圧が約2V、CE=20eVにおいてイオン強度が最大になるのは押し返し電圧が約7Vであることが分かる。イオン強度が最大になるときにデューティサイクルは最良の状態であると推定される。したがって、この結果から、コリジョンエネルギに応じてイオン蓄積時のポテンシャル障壁の高さを適切に変えることで、デューティサイクルを改善してイオンの検出感度を向上させることができることが分かる。
【0048】
また、
図5から、イオン強度が最大になるときの遅延時間tもコリジョンエネルギによって明らかに異なることが分かる。即ち、この実測例では、CE=5eVのときには遅延時間tが18〜19us、CE=20eVのときには遅延時間tが約22〜23usでイオン強度が最大となる。これは、上述したように、コリジョンエネルギが大きくポテンシャル障壁が高いと、イオンがより大きく押し返されるためにコリジョンセル13からイオンが排出されるときの出発位置が全体的に四重極型イオンガイド14の入口に近い側になることによると推測される。こうしたことから、直交加速部電圧発生部35は、押出電極172及び引出電極173にそれぞれ加速電圧を印加するタイミングをコリジョンエネルギに応じて又はポテンシャル障壁の高さに応じて変えるとよい。即ち、コリジョンエネルギが大きい場合には小さい場合に比べて遅延時間tを長くし、コリジョンエネルギが小さい場合に比べて少し遅れて直交加速部17に到達するイオンを効率良く加速するようにするとよい。
【0049】
なお、上記説明では、コリジョンエネルギが相違する場合の例として最も典型的な例であるMS
1分析とMS/MS分析とについて述べたが、MS/MS分析の実行時に目的の化合物によってコリジョンエネルギを変えたり、或いは、一つの化合物についてMS/MS分析の際のコリジョンエネルギを変えることで異なる態様で解離させて異なるピークパターンのマススペクトルを取得したりすることは一般に行われている。こうした場合にも、コリジョンエネルギに応じてイオン蓄積時のポテンシャル障壁の高さを適宜変えると共に遅延時間tを変えることで、デューティサイクルを改善してイオンの検出感度を向上させることができることは明らかである。
【0050】
また上記実施例は、本発明をOA−TOFMSを用いたQ−TOFMSに適用したものであるが、イオンの入射軸に直交する方向ではなく斜め方向など、入射方向と異なる方向にイオンを加速して射出させる構成のTOFMSを有する装置に本発明を適用できることは明らかである。
【0051】
また、上記実施例はあくまでも本発明の一例であり、本発明の趣旨の範囲で適宜変更、修正、追加などを行っても本願請求の範囲に包含されることは明らかである。