特許第6891049号(P6891049)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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特許6891049セメントクリンカ鉱物の水和反応性を評価する方法
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6891049
(24)【登録日】2021年5月28日
(45)【発行日】2021年6月18日
(54)【発明の名称】セメントクリンカ鉱物の水和反応性を評価する方法
(51)【国際特許分類】
   G01N 33/38 20060101AFI20210607BHJP
【FI】
   G01N33/38
【請求項の数】2
【全頁数】11
(21)【出願番号】特願2017-111273(P2017-111273)
(22)【出願日】2017年6月6日
(65)【公開番号】特開2018-205145(P2018-205145A)
(43)【公開日】2018年12月27日
【審査請求日】2020年4月1日
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第2項適用 (1)平成28年12月19日 「The 11▲th▼ General Meeting of ACCMS−VO(第11回アジア計算材料学コンソーシアム仮想組織 ACCMS−VO 全体会議)Program & Abstracts PS−20頁」に発表
(73)【特許権者】
【識別番号】000000240
【氏名又は名称】太平洋セメント株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110000084
【氏名又は名称】特許業務法人アルガ特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】細川 佳史
(72)【発明者】
【氏名】内田 俊一郎
(72)【発明者】
【氏名】桜田 良治
(72)【発明者】
【氏名】鵜澤 正美
(72)【発明者】
【氏名】川添 良幸
(72)【発明者】
【氏名】アディチャ マンジャナート
(72)【発明者】
【氏名】アビシェク クマール シン
【審査官】 大瀧 真理
(56)【参考文献】
【文献】 特開2017−173182(JP,A)
【文献】 桜田良治ほか,第一原理計算によるセメントクリンカーの結晶構造解析,ナノ学会第13回大会講演予稿集,2015年,p.181
【文献】 SAKURADA, RYOJI et al.,First-Principles study on Structural Stability of Belite,ACI MATERIALS JOURNAL,2015年,Vol.112, No.1,pp.85-93
【文献】 丸山一平ほか,エーライトおよびビーライトの水和反応速度に関する研究−ポルトランドセメントの水和機構に関する研究 その1−,日本建築学会構造系論文集,日本,2010年,Vol.75, No.650,pp.681-688
【文献】 岡本寛昭ほか,セメントの初期水和発熱過程の数理モデル,土木学会第46回年次学術講演会講演概要集,日本,土木学会,1991年,第46巻 第5号,p.176-177
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 33/38
JSTPlus/JSTChina/JST7580(JDreamIII)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
次の工程(I)、(II)、及び(III):
(I)評価対象とするセメントクリンカ鉱物のエネルギー安定構造を第一原理電子状態計算法により求める工程、
(II)得られたセメントクリンカ鉱物の安定構造を元に、スーパーセルのスラブ層と、当該スラブ層の上の真空層と、当該真空層に水分子を配置する構造とを設定して、第一原理電子状態計算法により下記式(1)で示される水分子の吸着エネルギー(Eads)を求める工程、及び
ads=Etotal−(Eclean+EH2O) ・・・(1)
ads:水分子の吸着エネルギー
total:吸着時の安定化エネルギー
clean:セメントクリンカ鉱物の安定化エネルギー
H2O:水分子の安定化エネルギー
(III)得られた吸着エネルギー(Eads)をセメントクリンカ鉱物の水和反応性の評価の指標とする工程
を備える、セメントクリンカ鉱物の水和反応性を評価する方法。
【請求項2】
工程(II)において、真空層に水分子を配置するにあたり、水分子の双極子モーメントをセメントクリンカ鉱物表面の原子に対して垂直かつ上向きに配置する、請求項1に記載のセメントクリンカ鉱物の水和反応性を評価する方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、第一原理電子状態計算法を用い、ポルトランドセメントに含まれるセメントクリンカ鉱物の水和反応性を評価する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
エネルギー多消費型産業であるセメント産業において、省エネルギーの推進は重要な課題であるが、既存技術の展開だけでは、更なる省エネルギーの達成が困難になりつつある。そのために、製造工程や設備面からのアプローチに加えて、より少ないエネルギー消費量でも所望の性能を発揮できる、新型の水硬性材料の検討が行われている
【0003】
例えば、セメントクリンカの鉱物組成の抜本的な見直し、特定の少量・微量成分によるセメントクリンカ鉱物の水和活性の向上、アウィン等の特殊な水硬性材料の利用等である。ただし、これら新規の水硬性組成物の開発は、設計した組成物の試製造と各種特性評価のトライアンドエラーによって進められ、成果を得るまでに多くの労力と時間を必要とした。
【0004】
ところで、量子力学の第一原理に基づいて、物質の電子状態から物質の安定構造や材料特性を定量評価し、材料特性の発現機構を明らかにすることで材料設計の指針を与える第一原理電子状態計算法は、コンピューターと計算技術の進歩により進展を遂げ、酸化物セラミックス材料、半導体、金属材料において、多くの先駆的な成果を挙げている。
【0005】
しかしながら、これまでに第一原理電子状態計算法をセメント化学の分野に適用した事例は少なく、例えば、非特許文献1又は非特許文献2に記載されるように、未だセメントクリンカ鉱物の安定構造を評価する段階にあり、セメントクリンカ鉱物の水和反応性やセメント系水硬性材料の強度発現性等を評価し、産業的な展開にまで結びついた事例は存在しない。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0006】
【非特許文献1】R. Sakurada外、American Concrete Institute Materials Journal、Vol.112、No.1、pp.85-93、2015
【非特許文献2】R. Sakurada外、41st Conference on Our World in Concrete & Structures、Vol. 35、pp.237-244、2016
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
このように、セメント化学分野において第一原理電子状態計算法による理論解析が可能となれば、セメントクリンカ鉱物の水和反応性等の理論的知見が深まるとともに、各種セメントクリンカ鉱物の水和反応性やセメント系水硬性材料の各種物理特性に関する机上での定量的な評価が可能となり、新規のセメントクリンカ鉱物の開発スピードの向上に大いに貢献することができるため、こうした的確な手段の実現が望まれている。
【0008】
したがって、本発明の課題は、セメントクリンカ鉱物の水和反応性を的確に評価することのできる第一原理電子状態計算法を用いた手法を提供するとともに、優れた水和反応性を有するセメントクリンカ鉱物を探索する手段を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0009】
そこで本発明者は、種々検討したところ、セメントクリンカ鉱物表面への水分子の吸着特性に基づき、第一原理電子状態計算法を用いて水分子の吸着エネルギーを求めることにより、セメントクリンカ鉱物の水和反応性を的確に評価できることを見出し、本発明を完成させるに至った。
【0010】
すなわち、本発明は、 次の工程(I)、(II)、及び(III):
(I)評価対象とするセメントクリンカ鉱物のエネルギー安定構造を第一原理電子状態計算法により求める工程、
(II)得られたセメントクリンカ鉱物の安定構造を元に、スーパーセルのスラブ層と、当該スラブ層の上の真空層と、当該真空層に水分子を配置する構造とを設定して、第一原理電子状態計算法により下記式(1)で示される水分子の吸着エネルギー(Eads)を求める工程、及び
ads=Etotal−(Eclean+EH2O) ・・・(1)
ads:水分子の吸着エネルギー
total:吸着時の安定化エネルギー
clean:セメントクリンカ鉱物の安定化エネルギー
H2O:水分子の安定化エネルギー
(III)得られた吸着エネルギー(Eads)をセメントクリンカ鉱物の水和反応性の評価の指標とする工程
を備える、セメントクリンカ鉱物の水和反応性を評価する方法を提供するものである。
【発明の効果】
【0011】
本発明によれば、セメントクリンカ鉱物の水和反応性を的確に評価することができ、また新規のセメントクリンカ鉱物の探索を迅速に行うことができる。したがって、本発明は、セメントクリンカ鉱物の性能評価や探索のための労力と時間を短縮することをも可能とする有用性の高い評価方法である。
【図面の簡単な説明】
【0012】
図1】実施例において結晶構造の安定構造の評価を行った、Ca原子をSr原子に置換した場合の、CSの結晶内の元素配置構造を示す図である。図1(a)は、Ca(1) O多面体中の7配位のCa(1)原子2個をSr原子と置換した構造を示す。図1(b)は、Ca(1) O多面体中の7配位のCa(1)原子1個と、Ca(2)O多面体中の8配位のCa(2)原子1個をSr原子と置換した構造であって、置換したSrO多面体及びSrO多面体が多面体の端部で接している構造を示す。図1(c)は、Ca(1) O多面体中の7配位のCa(1)原子1個と、Ca(2)O多面体中の8配位のCa(2)原子1個をSr原子と置換した構造であって、置換したSrO多面体及びSrO多面体が互いに面で接している構造を示す。
図2】実施例において水分子の吸着エネルギーの評価を行った、Ca原子のサイトにSr原子が置換固溶した場合の、CSの表面の元素配置構造の一例を示す図であり、水分子がCa(1) O多面体中の7配位のCa(1)原子上に垂直に配置した構造である。
【発明を実施するための形態】
【0013】
以下、本発明について詳細に説明する。
本発明のセメントクリンカ鉱物の水和反応性を評価する方法は、次の工程(I)、(II)、及び(III):
(I)評価対象とするセメントクリンカ鉱物のエネルギー安定構造を第一原理電子状態計算法により求める工程、
(II)得られたセメントクリンカ鉱物の安定構造を元に、スーパーセルのスラブ層と、当該スラブ層の上の真空層と、当該真空層に水分子を配置する構造とを設定して、第一原理電子状態計算法により下記式(1)で示される水分子の吸着エネルギー(Eads)を求める工程、及び
ads=Etotal−(Eclean+EH2O) ・・・(1)
ads:水分子の吸着エネルギー
total:吸着時の安定化エネルギー
clean:セメントクリンカ鉱物の安定化エネルギー
H2O:水分子の安定化エネルギー
(III)得られた吸着エネルギー(Eads)をセメントクリンカ鉱物の水和反応性の評価の指標とする工程
を備える。
【0014】
上記工程(I)は、評価対象とするセメントクリンカ鉱物のエネルギー安定構造を第一原理電子状態計算法(以後、「第一原理法」、又は「第一原理法による計算」と称す)により求める工程である。第一原理法としては、具体的には、密度汎関数法に基づく方法を採用し、以下の文献等に記載される一般的な計算手順によればよい。
影島博之、基礎講座 第一原理計算法I、応用物理、第75巻、第10号、p.1258(2006)
【0015】
具体的な第一原理法による計算には、例えば、以下の文献に記載されるVASP等のような汎用の第一原理計算プログラムを使用するのが好ましい。
G.Kresse 外、Efficient iterative schemes for ab initio total-energy calculations using a plane-wave basis set、Physical Review B、Vol.54、No.16、pp.11169-11186(1996)
【0016】
なお、セメントクリンカ鉱物の水和活性に対する少量・微量成分(不純物)の添加効果を評価する場合は、第一原理法による計算において、完全結晶の単位格子をいくつか集めて新たな単位格子とみなす超格子(スーパーセル)法を用い、当該少量・微量成分による欠陥(格子歪み)を新たな単位格子に導入すればよい。
【0017】
工程(II)は、工程(I)で得られたセメントクリンカ鉱物の安定構造を元に、スーパーセルのスラブ層と、当該スラブ層の上の真空層と、当該真空層に水分子を配置する構造とを設定して、第一原理電子状態計算法により下記式(1)で示される水分子の吸着エネルギー(Eads)を求める工程である。
ads=Etotal−(Eclean+EH2O) ・・・(1)
ads:水分子の吸着エネルギー
total:吸着時の安定化エネルギー
clean:セメントクリンカ鉱物の安定化エネルギー
H2O:水分子の安定化エネルギー
すなわち、第一原理法による計算を行うことによって、セメントクリンカ鉱物表面への水分子の吸着エネルギーや吸着形態を求める工程である。具体的には、水分子が吸着するセメントクリンカ鉱物表面の原子(吸着位置)ごとに、水分子の吸着エネルギーを求めればよい。
【0018】
セメントクリンカ鉱物表面への水分子の吸着エネルギーを求めるには、セメントクリンカ鉱物のスラブ層と真空層を含むスーパーセルを設定する。すなわち、スラブ層−真空層−スラブ層−真空層・・・と、スラブ層と真空層とが繰り返し無限に続く周期系として、第一原理法による計算を行う。このようなスーパーセルを設定してスラブ層及び真空層を十分に厚くすることで、計算上、スラブ層同士、及びスラブ層の表面(おもてめん)と裏面との相互作用の影響を無視することができる。
【0019】
上記真空層の厚さは、10〜25Åが好ましく、計算コストの観点から、10〜15Åがより好ましい。
【0020】
第一原理法による計算では、スラブ層につき、表裏両面を同等に計算するか、又は裏面を水素等で終端して計算するのが一般的であるが、本発明では、実際のセメントクリンカ鉱物の水和反応に近似させるために、セメントクリンカ鉱物の片面(おもて面)に水分子を吸着させ、そして水分子の吸着していない裏面では終端処理を行わない設定とする。さらに、同じ理由から、一般的には第一原理法の計算において必要とされる、スラブ層間の双極子相互作用を打ち消すように外部電場を加える補償電荷も、本発明では不要であるため、工程(II)においては補償電荷を考慮しない。
【0021】
工程(II)では、上記真空層中に水分子(HO)を1個配置する。計算上、スーパーセルを大きくして多数の水分子を吸着させることも可能であるが、セメントクリンカ鉱物への水分子の吸着エネルギーや吸着形態を求めるにあたり、水分子は1個あれば十分であり、計算コストの観点からも好ましい。
さらにここでは、セメントクリンカ鉱物表面の原子(吸着位置)に対して、真空層中の水分子の双極子モーメントを垂直かつ上向きになるよう配置する。このように、水分子の双極子モーメントの向きを垂直かつ上向きにすることにより、実際のセメントクリンカ鉱物の水和反応と容易に近似させることができる。
【0022】
ここで求める吸着エネルギーとは、特定のセメントクリンカ鉱物表面の原子(吸着位置)に水分子が吸着した時の、セメントクリンカ鉱物のスラブ層と水分子の両方を含む第一原理によって計算される系全体の安定化エネルギー(Etotal)、工程(I)で得られたセメントクリンカ鉱物の安定構造におけるスラブ層の安定化エネルギー(Eclean)、及びセメントクリンカ鉱物の表面等の他の物質と相互作用していない状態における水分子の安定化エネルギー(EH2O )を用いて、上記式(1)で得られる計算値(Eads)であり、一般に負の値を示し、絶対値が大きいほど吸着力が大きいことを示す値である。
【0023】
なお、セメントクリンカ鉱物の安定構造におけるスラブ層の安定化エネルギー(Eclean)と水分子の安定化エネルギー(EH2O )は、予め工程(I)において計算しておくのが好ましい。
【0024】
また、第一原理法の計算で得られる水分子の吸着形態とは、例えば、セメントクリンカ鉱物の表面に吸着した水分子の1個のHイオンが、水分子から乖離して近くのセメントクリンカ鉱物の酸素原子付近に移動し、当初の水分子はOHイオンとしてセメントクリンカ鉱物表面で安定化する形態のように、水和機構の詳細を加味した水分子の吸着形態を意味する。
【0025】
工程(II)における第一原理法による計算では、セメントクリンカ鉱物のスラブ層に関する適当なスーパーセル、所定の厚さの真空層、及びセメントクリンカ鉱物表面の原子(吸着位置)に対して垂直に配置した1個の水分子を含んだ計算を行い、工程(I)での第一原理法による計算と同様、VASP等の汎用の第一原理計算プログラムを使用すればよい。
【0026】
工程(III)は、工程(II)で得られた吸着エネルギー(Eads)をセメントクリンカ鉱物の水和反応性の評価の指標とする工程である。工程(II)で得られた吸着エネルギー(Eads)は、セメントクリンカ鉱物表面の原子(吸着位置)ごとに水分子を配置して求められた各吸着位置での水分子の吸着エネルギーであり、これを指標とすることによって、セメントクリンカ鉱物の水和反応性を的確に評価することができる。また、吸着エネルギー(Eads)を指標とすれば、新規のセメントクリンカ鉱物に関する材料設計の方向性を得ることも可能である。
【0027】
さらに、セメントクリンカ鉱物の水和反応性の的確な評価が可能になることで、NEB(Nudged Elastic Bond)法等を用いたクリンカ鉱物からのCaイオンやSiイオンの溶出特性の解析、それら溶出成分によるケイ酸カルシウム水和物(C−S−H)の生成や構造安定性に関する第一原理法による評価に展開することができ、セメント化学の知見の深化への大いなる貢献となる。
【実施例】
【0028】
以下、本発明について、実施例に基づき具体的に説明するが、本発明はこれら実施例に限定されるものではない。
【0029】
《第一原理法を用いた計算機実験による評価》
水和反応性の評価を、ポルトランドセメントクリンカの主要構成相であるビーライト(CaSiO)のβ相(単斜晶系)(以後、CSと称す)にストロンチウム(Sr)及びバリウム(Ba)の微量成分を固溶させた場合について行った。
計算には,東北大学金属材料研究所のスーパーコンピュータ(HITACHI SR16000M1)上の第一原理計算プログラムVASPを用いた。結晶構造はPAW擬ポテンシャルと平面波展開による密度汎関数法に基づいて第一原理法による計算を行い、交換相関エネルギーは一般化密度勾配近似法に基づいて第一原理法による計算を行った。
【0030】
結晶構造の安定構造の評価では、CSのCa原子をSr原子やBa原子と置換した構造について、密度汎関数法に基づく第一原理法による計算を行った。具体的に、Sr原子での置換を例に説明する。
【0031】
7配位のCa(1)原子とO原子よりなるCaO多面体、8配位のCa(2)原子とO原子よりなるCaO多面体、及びSi原子とO原子のSiO四面体から構成されるCS結晶構造の、2個のCaO多面体またはCaO多面体のCa原子を、Sr原子と置換して得られる28個の結晶構造を評価し、以下の3つのグループに大別した。
【0032】
グループ1:スーパーセル(504原子、a×3、b×3、c×2(ここで、a=5.502Å、b=6.745Å、c=9.297Å))の中央部に位置するCa(1) O多面体中の7配位のCa(1)原子2個をSr原子と置換した構造であって、置換した2個のSrO多面体は、多面体の端部で接している。28個の結晶構造の内6個が該当する。
グループ2:スーパーセル(同上)の中央に位置する、Ca(1) O多面体中の7配位のCa(1)原子1個と、Ca(2)O多面体中の8配位のCa(2)原子1個をSr原子と置換した構造であって、置換したSrO多面体及びSrO多面体は、多面体の端部で接している。28個の結晶構造の内16個が該当する。
グループ3:スーパーセル(同上)の中央に位置する、Ca(1) O多面体中の7配位のCa(1)原子1個と、Ca(2)O多面体中の8配位のCa(2)原子1個をSr原子と置換した構造であって、置換したSrO多面体及びSrO多面体は、互いに面で接している。28個の結晶構造の内6個が該当する。
これらの構造を図1に示す。
【0033】
上記の3つのグループについて、第一原理計算を行ってCSの全エネルギーを求めた。その結果、グループ1の6個の平均値は−3642.613eV、グループ2の14個の平均値は−3642.585eV、グループ3の6個の平均値は−3642.607eVであり、最も全エネルギーの値が低いグループ1の置換構造が、CSにSr原子が置換した場合の安定構造と判断された。
【0034】
さらに、Ca原子をSr原子で置換する前後の結晶構造に関する全エネルギーの差である生成エネルギーは、Sr原子のCa原子との置換のし易さを表す量である。Sr原子の置換に伴う生成エネルギーは、グループ1の6個の平均値は0.838eV、グループ2の14個の平均値は0.866eV、グループ3の6個の平均値は0.844eVであり、この結果から、CSのCa原子をSr原子で置換するのは、7配位のCa(1)原子を置換した方が、8配位のCa(2)原子を置換するよりも容易であることを示している。
【0035】
また、HOMO(最高被占軌道)−LUMO(最低空軌道)エネルギーギャップの評価においても、グループ1の置換構造が、構造的に最も安定していた。
そして、Sr原子の代わりにBa原子でCa原子を置換した場合の安定構造は、Sr原子で置換した場合同様に、グループ1の置換構造が構造的に最も安定していた。
【0036】
ここで、Ca原子をSr原子で置換した場合と、Ba原子で置換した場合の生成エネルギーを比較すると、グループ1の置換構造ではSr原子が0.838eVに対してBa原子は14.967eV、グループ2の置換構造ではSr原子が0.866eVに対してBa原子は15.715eV、グループ3の置換構造ではSr原子が0.844eVに対してBa原子は15.102eVと、Ba原子による置換での生成エネルギーはSr原子によるものよりも18倍大きい。このことから、CSへの置換固溶は、Ba原子よりもSr原子の方が容易に生じると判断される。
【0037】
最後に、2個のCa原子を、1個のSr原子と1個のBa原子で置換した場合を評価した。その結果。2個のCa原子を、1個のSr原子と1個のBa原子で置換した場合の結晶構造も、上記Sr原子で置換した場合及び上記Ba原子で置換した場合同様に、グループ1の置換構造が最も安定していた。
【0038】
生成エネルギーの比較では、グループ1の置換構造ではSr原子が0.838eV、Ba原子が14.967eVに対して13.126eV、グループ2の置換構造ではSr原子が0.866eV、Ba原子が15.715eVに対して13.410eV、グループ3の置換構造ではSr原子が0.844eV、Ba原子が15.102eVに対して13.353eVと、Ba原子のみによる置換よりも生成エネルギーは小さいが、Sr原子のみによる置換よりも15倍大きい。このことから、CSへの置換固溶は、Ba原子が共存した場合にはSr原子が選択的に置換固溶する方が容易と判断される。
【0039】
以上より、CSへのSrとBaの固溶は、7配位のCa原子との置換固溶であって、SrがBaよりも優先的に固溶することが、第一原理法による計算から導出された。
【0040】
次に、得られたSrやBaが固溶した場合のCSの安定構造を使用して、第一原理法の計算を行って水分子の吸着エネルギーを求め、SrやBaが固溶した場合のCSの水和反応性を評価する。具体的には、SrやBaを7配位のCa原子と置換固溶したCSについて、CSの表面のCa原子に1個の水分子が吸着した場合の吸着エネルギーを、第一原理法による計算によって求めた。
【0041】
水分子の吸着エネルギーの計算におけるCSのスーパーセルは112原子(a×2、b×1、c×2(ここで、a=5.502Å、b=6.745Å、c=9.297Å))のスラブ層と、その上に10Åの真空層を設けて、そこに1個の水分子(HO)を配置し、またスラブ層間の双極子相互作用を打ち消すように外部電場を加える補償電荷を考慮しない構造とした。
【0042】
具体的には、CSスラブ層の表面に存在する3種類のCa原子(7配位のCa(1)、8配位のCa(2)その1、8配位のCa(2)その2)ごとに、当該Ca原子から水分子のO原子までの距離が2.3〜2.4Åとなる位置に水分子を垂直に配置した。
【0043】
Sは、微量成分が固溶置換していない場合、Sr原子1個が7配位のCa原子1個と置換固溶している場合、Ba原子1個が7配位のCa原子1個と置換固溶している場合の3種類について計算した。
【0044】
上記3つのCSについて、水分子が異なる3種類のCa原子(吸着位置)に吸着した場合の安定化エネルギー(Etotal)を、第一原理計算から求めた。
結果を表1に示す。
【0045】
【表1】
【0046】
表1の吸着時の安定化エネルギー(Etotal)から、CSの安定化エネルギー(Eclean)と水分子の吸着エネルギー(EH2O)を差し引いて、水分子の吸着エネルギー(Eads)を求めた。
結果を表2に示す。なお、予め求めていたCSの種類ごとの(Eclean+EH2O)の値は、以下の通りである。
置換固溶なし:−807.06eV
Sr置換:−806.31eV
Ba置換:−806.01eV
【0047】
【表2】
【0048】
表2の結果より、水分子の吸着位置に関係なく、水分子の吸着エネルギー(EH2O)は、以下に示す大小関係にあり、CSはSrやBaが固溶した方が、さらに、SrよりもBaが固溶した方が水分子の吸着力が大きいと判断される。
水分子の吸着エネルギー(EH2O)は水和反応性に比例するので、以下の吸着エネルギー(EH2O)の大小関係は、CSの水和反応性の大小関係を示すこととなる。
置換固溶なし < Sr置換 < Ba置換
【0049】
《物理特性の測定結果との対比》
本発明により求めた吸着エネルギー(EH2O)を指標とするCSの水和反応性の上記評価結果を検証するために、SrやBaが固溶したCSを合成して、実際の物理特性値に基づく水和反応性の評価結果と対比した。具体的には、(i)Sr及びBaを含まないCS、(ii)Srを10質量%含むCS、(iii)Baを10質量%含むCSを合成し、同一の普通ポルトランドセメントにそれら合成CSを混合した3種類の試製セメントについて、JIS R 5201「セメントの物理試験方法」に規定される圧縮強さを測定し、水和反応性の評価の指標とした。
【0050】
上記試製セメントの、普通ポルトランドセメントと合成CSの混合割合は、以下の通りである。
普通ポルトランドセメント(太平洋セメント製):合成CS=1:1(質量%)
圧縮強さの測定結果を表3に示す。
【0051】
【表3】
【0052】
表3より、CSはSrやBaが固溶した方が圧縮強さは大きく、さらにSrよりもBaが固溶した方が圧縮強さは大きい。同一の鉱物組成を有するセメントの圧縮強さは、それらセメントに含有されるセメントクリンカ鉱物の水和反応性の大小関係に従うと言い得るから、表3の結果は、各合成CSの水和反応性の大小関係を示しており、本発明により求めた吸着エネルギー(EH2O)を指標とするCSの水和反応性の評価結果と一致することがわかる。
したがって、本発明のセメントクリンカ鉱物の水和反応性を評価する方法は、充分に実用可能で的確な結果を得ることのできる方法であることが確認された。
図1
図2