(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
【発明を実施するための形態】
【0016】
本発明者らは、サワー環境での使用が想定された鋼管において、862〜965MPa(125ksi級)の降伏強度と、耐SSC性とを両立させる方法について調査検討し、次の知見を得た。
【0017】
鋼管中の転位密度を高めれば、鋼管の降伏強度(Yield Strength)が高まる。しかしながら、転位は水素を吸蔵する可能性がある。そのため、鋼管の転位密度が増加すれば、鋼管が吸蔵する水素量も増加する可能性がある。転位密度を高めた結果、鋼管中の水素濃度が高まれば、高強度は得られても、鋼管の耐SSC性が低下する。したがって、125ksi級の降伏強度と、優れた耐SSC性とを両立するためには、転位密度を利用した高強度化は、一見すると好ましくないように思える。
【0018】
しかしながら、本発明者らは、鋼管中の固溶C量を調整することにより、転位密度を利用して降伏強度を125ksi級に高めつつ、さらに、優れた耐SSC性も得られることを見出した。この理由については定かではないが、本発明者らは次のとおりに考えている。
【0019】
転位には、可動転位と不動転位とが存在するが、鋼管中の固溶Cは、可動転位を固定して不動転位にすると考えられる。可動転位が固溶Cによって不動化されれば、転位の消滅を抑制し、転位密度の低下を抑制することができる。この場合、鋼管の降伏強度を維持することができる。
【0020】
さらに、固溶Cにより形成された不動転位は、可動転位よりも鋼管中に吸蔵される水素量を低減すると考えられる。したがって、固溶Cにより形成された不動転位密度を高めることにより、鋼管中に吸蔵される水素量が低減されると考えられる。その結果、鋼管の耐SSC性を高めることができる。この機構により、固溶Cにより不動転位が形成された鋼管は、125ksi級の降伏強度を有していても、優れた耐SSC性が得られると考えられる。
【0021】
以上のとおり、本発明者らは、鋼管中の固溶C量を適切に調整すれば、転位密度を利用して、125ksi級の降伏強度を維持しつつ、鋼管の耐SSC性を高めることができると考えた。そこで、本発明者らは、質量%で、C:0.25〜0.50%、Si:0.05〜0.50%、Mn:0.05〜1.00%、P:0.025%以下、S:0.0050%以下、Al:0.005〜0.100%、Cr:0.30〜1.50%、Mo:0.25〜3.00%、Ti:0.002〜0.050%、N:0.0010〜0.0100%、O:0.0030%以下、V:0〜0.300%、Nb:0〜0.100%、B:0〜0.0030%、Ca:0〜0.0100%、Mg:0〜0.0100%、Zr:0〜0.0100%、Co:0〜1.00%、W:0〜1.00%、Ni:0〜0.50%、Cu:0〜0.50%、及び、残部がFe及び不純物からなる化学組成を有する鋼管を用いて、固溶C量と、降伏強度と、耐SSC性との関係を調査した。
【0022】
[固溶C量と耐SSC性との関係]
図1は、固溶C量と、耐SSC性との関係を示す図である。
図1は次の方法で得られた。後述する実施例のうち固溶C量以外の条件が本実施形態の範囲を満たす鋼管について、得られた固溶C量(質量%)と、後述する引張型定荷重試験の評価結果と、後述するDCB試験によって得られた破壊靭性値K
1SSC(MPa√m)とを用いて、
図1を作成した。
【0023】
図1に示す鋼管の降伏強度は、いずれも862〜965MPa(125ksi級)の範囲内であった。降伏強度の調整は、焼戻し温度を調整することにより行った。また、耐SSC性について、DCB試験で得られた破壊靭性値K
1SSCが30.0MPa√m以上である場合、DCB試験の結果が良好であると判断した。なお、
図1中の「○」は引張型定荷重試験の結果が良好であった鋼管を示す。一方、
図1中の「●」は引張型定荷重試験の結果が良好でなかった鋼管を示す。
【0024】
図1を参照して、降伏強度を125ksi級に調整した場合において、固溶C量が0.010質量%以上であれば、破壊靭性値K
1SSCが30.0MPa√m以上となり、さらに、引張型定荷重試験の結果も良好であった。すなわち、固溶C量が0.010質量%以上であれば、鋼管は優れた耐SSC性を示した。
【0025】
図1を参照してさらに、本実施形態の化学組成、及び、機械的特性(降伏強度(125ksi級)、及び、後述する周方向の降伏強度)の範囲においては、固溶C量が0.050質量%以下であれば、優れた耐SSC性を示す鋼管を得ることができる。したがって、本実施形態による鋼管において、固溶C量は0.010〜0.050質量%とする。
【0026】
[焼戻し後の矯正について]
ところで、サワー環境での使用が想定された鋼管を製造する場合、焼入れ及び焼戻しが実施される。本明細書において、「焼入れ」とは、A
3点以上の温度に加熱した鋼管(又は素管)を急冷することを意味する。なお、急冷とは、たとえば、油冷及び水冷である。本明細書において、「焼戻し」とは、焼入れ後の鋼管(又は素管)をA
c1点未満の温度に再加熱して、保持することを意味する。
【0027】
ここで、鋼管の最終製品は、鋼管の軸方向の真直度、及び/又は、鋼管の断面形状の真円度を求められる場合がある。そのため、焼入れ時に鋼管が曲がった場合、及び/又は、鋼管の断面形状がくずれた(たとえば、楕円等)場合、焼戻し後の鋼管に矯正加工が実施される。ここで、矯正加工が実施される矯正機の型式は、特に限定されず、周知の矯正機を用いればよい。矯正機はたとえば、傾斜ロール式矯正機(たとえば、ロータリーストレートナー等)であってもよく、ロータリーハウジング式矯正機であってもよい。なお、サワー環境で用いられる鋼管を矯正する場合、鋼管は温間(たとえば、400℃〜700℃)で矯正される。冷間(たとえば、常温)で矯正された鋼管は、転位密度が過度に高まり、鋼管の耐SSC性が極端に低下するためである。
【0028】
このような温間における矯正加工(以下、単に「温間矯正」ともいう)が実施された鋼管の耐SSC性を安定して高めるため、本発明者らは、焼入れ焼戻し後に温間矯正を実施した鋼管と、焼入れ焼戻し後に温間矯正を実施しなかった鋼管とで、耐SSC性に違いがあるか否かについて検証した。その結果、温間矯正を実施した鋼管は、耐SSC性が低下する場合があることを知見した。
【0029】
具体的に、本発明者らは、焼入れ焼戻し後に温間矯正を実施した鋼管、及び、焼入れ焼戻し後に温間矯正を実施しなかった鋼管に対して、2種類の耐SSC性試験(NACE TM0177−2005 Method Dに準拠したDCB試験、及び、NACE TM0177−2005 Method Aに準拠した引張型定荷重試験)を実施した。その結果、表1に示すとおり、DCB試験では、温間矯正を実施した鋼管と、温間矯正を実施しなかった鋼管とは、いずれも優れた耐SSC性を示した(表1中で「E」:Excellentで表記)。一方、引張型定荷重試験では、温間矯正を実施しなかった鋼管は優れた耐SSC性を示した(表1中で「E」)が、温間矯正を実施した鋼管は、優れた耐SSC性を示さなかった(表1中で「NA」:Not Acceptableで表記)。
【0031】
そこで本発明者らは、温間矯正と耐SSC性との関係についてさらに検討した。その結果、次の知見を得た。
【0032】
上述のとおり、温間矯正は冷間矯正と比較して、鋼管に導入される転位が少ない。しかしながら、温間矯正であっても、矯正が実施された鋼管には、矯正が実施されない鋼管と比較して、ある程度転位が導入される。すなわち、焼入れ焼戻し後に温間矯正が実施された鋼管は、焼入れ焼戻し後に温間矯正が実施されなかった鋼管と比較して、転位密度が高い可能性がある。上述のとおり、転位は水素を吸蔵する可能性がある。そのため、鋼管の転位密度が高まれば、鋼管の耐SSC性が低下する可能性がある。すなわち、焼入れ焼戻し後に実施された温間矯正によって、鋼管の転位密度が高まれば、鋼管の耐SSC性が低下する可能性がある。
【0033】
しかしながら、温間矯正によって単に転位密度が高まったために鋼管の耐SSC性が低下したのであれば、温間矯正を実施した鋼管は、引張型定荷重試験だけでなく、DCB試験においても優れた耐SSC性を示さないように思われる。すなわち、焼入れ焼戻し後に温間矯正を実施した鋼管が、DCB試験で優れた耐SSC性を示す一方、引張型定荷重試験で優れた耐SSC性を示さなかった理由は、温間矯正によって鋼管の転位密度が高まったためだけではないと考えられる。
【0034】
ここで、耐SSC性試験は、試験片に応力を負荷した状態で実施する。耐SSC性試験のうち引張型定荷重試験は、NACE TM0177−2005 Method Aに準拠して実施する。具体的に、引張型定荷重試験は、鋼管から採取した試験片に対して、鋼管の軸方向に引張応力を負荷した状態で実施する。一方、DCB試験は、NACE TM0177−2005 Method Dに準拠して実施する。具体的に、DCB試験は、鋼管から採取した試験片に打ち込んだクサビにより、鋼管の軸方向と垂直で、かつ、鋼管の径方向と垂直な方向に応力を負荷した状態で実施する。すなわち、引張型定荷重試験とDCB試験とは、試験片に負荷する応力の向きが異なる。
【0035】
このことから、本発明者らは、焼入れ焼戻し後に温間矯正を実施した鋼管について、DCB試験の結果は優れた耐SSC性を示す一方、引張型定荷重試験では優れた耐SSC性を示さない理由について、焼入れ焼戻し後の温間矯正によって、鋼管の機械的特性に異方性が生じたためではないかと考えた。そこで本発明者らは、焼入れ焼戻し後の鋼管の、周方向の引張降伏強度と圧縮降伏強度とについて、詳細に検討した。
【0036】
具体的に、本発明者らは、表2に示す化学組成を有する鋼に対して熱間圧延を実施し、外径340mm、肉厚13mmの素管(継目無鋼管)を製造した。
【0038】
熱間圧延後の素管を放冷し、素管の温度を常温とした。続いて、素管に対して900℃で30分加熱した後急冷する、焼入れを行った。焼入れ後の素管に対してさらに、680℃で60分保持する、焼戻しを行った。続いて、温間矯正、及び、温間矯正後の素管の温度条件を変えて、3つの条件で試験を実施した。試験番号1は、温間矯正を実施しなかった。試験番号2及び3については、温間矯正を実施した。なお、温間矯正における、温間矯正開始温度は600℃であった。その後、各試験番号の素管について、冷却速度20℃/秒で冷却した。なお、試験番号2及び3について、温間矯正が完了した後、冷却を開始するまでの時間(矯正後冷却前経過時間)は、表3に示すとおりであった。
【0040】
冷却後、後述する試験方法に基づいて、各試験番号の鋼管に対して、軸方向の引張試験を実施した。各試験番号の鋼管の、軸方向の引張降伏強度(YS(MPa))、軸方向の引張強度(TS(MPa))、及び、軸方向の降伏比(YR(%))を表3に示す。ここで、本明細書において、軸方向の引張降伏強度は、軸方向の引張試験で得られた0.2%オフセット耐力を意味する。
【0041】
さらに、後述する試験方法に基づいて、各試験番号の鋼管に対して、周方向の引張試験、及び、周方向の圧縮試験を実施した。各試験番号の鋼管の、周方向の降伏強度(周方向引張YS(MPa))、周方向の圧縮降伏強度(周方向圧縮YS(MPa))、及び、周方向の引張降伏強度と周方向の圧縮降伏強度との差(引張YS−圧縮YS(MPa))を表3に示す。
【0042】
ここで、本明細書における「鋼管の周方向」とは、鋼管の任意の点において、鋼管の軸方向に垂直で、かつ、鋼管の径方向に垂直な方向を意味する。すなわち、本明細書において、鋼管の周方向の引張降伏強度は、鋼管の任意の点において、鋼管の軸方向に垂直で、かつ、鋼管の径方向に垂直な方向への引張試験で得られた0.2%オフセット耐力を意味する。本明細書において、鋼管の周方向の圧縮降伏強度は、鋼管の任意の点において、鋼管の軸方向に垂直で、かつ、鋼管の径方向に垂直な方向への圧縮試験で得られた0.2%オフセット耐力を意味する。
【0043】
なお、上記「任意の点」とは、鋼管の肉厚方向の位置は、特に限定されないが、好ましくは肉厚中央部である。しかしながら、肉厚中央部から後述する試験片を採取できない場合、「任意の点」は、鋼管の内表面近傍であってもよい。
【0044】
ここで、試験番号1の鋼管の周方向の引張応力−歪み曲線と圧縮応力−歪み曲線とを、
図2Aに示す。同様に、試験番号2の鋼管の周方向の引張応力−歪み曲線と圧縮応力−歪み曲線とを、
図2Bに示す。同様に、試験番号3の鋼管の周方向の引張応力−歪み曲線と圧縮応力−歪み曲線とを、
図2Cに示す。
【0045】
さらに、後述する試験方法及び計算方法に基づいて、固溶C量(質量%)を算出した。なお、固溶C量は、後述する試験方法に記載のとおり、鋼管のC含有量と炭化物として析出したCの量(以下、析出C量ともいう)との差から算出した。析出C量は、Fe、Cr、Mn、Mo、V、及び、Nbの残渣量と、セメンタイト中のFe、Cr、Mn、及び、Moの濃度とから算出した。算出した固溶C量(質量%)を表3に示す。
【0046】
さらに、各試験番号の鋼管について、後述する引張型定荷重試験の評価結果と、後述するDCB試験によって得られた破壊靭性値K
1SSC(MPa√m)とを表3に示す。
【0047】
図2Aを参照して、試験番号1の鋼管では、鋼管の周方向の引張応力−歪み曲線と圧縮応力−歪み曲線とが、ほとんど重なっていた。すなわち、試験番号1の鋼管では、鋼管の周方向の降伏強度の異方性がほとんど確認されなかった。表3を参照して、試験番号1の鋼管ではさらに、鋼管の周方向の引張降伏強度と周方向の圧縮降伏強度との差が、5MPaであった。その結果、表3を参照して、試験番号1の鋼管は、引張型定荷重試験及びDCB試験の両方において、優れた耐SSC性を示した。
【0048】
一方、
図2Bを参照して、試験番号2の鋼管では、鋼管の周方向の引張応力−歪み曲線と圧縮応力−歪み曲線との差が大きくなった。すなわち、試験番号2の鋼管では、鋼管の周方向の降伏強度の異方性が確認された。表3を参照して、試験番号2の鋼管ではさらに、鋼管の周方向の引張降伏強度と周方向の圧縮降伏強度との差が、80MPaを超えていた。その結果、表3を参照して、試験番号2の鋼管は、DCB試験において優れた耐SSC性を示した一方、引張型定荷重試験において優れた耐SSC性を示さなかった。
【0049】
さらに、
図2Cを参照して、試験番号3の鋼管では、鋼管の周方向の引張応力−歪み曲線と圧縮応力−歪み曲線との差が小さくなった。すなわち、試験番号3の鋼管では、試験番号2の鋼管と比較して、鋼管の周方向の降伏強度の異方性が低減された。表3を参照して、試験番号3の鋼管ではさらに、鋼管の周方向の引張降伏強度と周方向の圧縮降伏強度との差が、80MPa以下であった。その結果、表3を参照して、試験番号3の鋼管は、引張型定荷重試験及びDCB試験の両方において、優れた耐SSC性を示した。
【0050】
すなわち、焼入れ焼戻し後に温間矯正が実施された鋼管の引張型定荷重試験の結果を高めるためには、鋼管の周方向の降伏強度の異方性を低減すればよい。具体的に、本実施形態による鋼管の、周方向の引張降伏強度と、周方向の圧縮降伏強度との差が80MPa以下であれば、焼入れ焼戻し後に温間矯正を実施した場合であっても、DCB試験だけでなく、引張型定荷重試験においても、優れた耐SSC性を得ることができる。したがって、本実施形態による鋼管の、周方向の引張降伏強度と周方向の圧縮降伏強度との差は、80MPa以下である。
【0051】
なお、本実施形態による鋼管のミクロ組織は、焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイト主体の組織である。焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイト主体とは、焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトの体積率が90%以上であることを意味する。鋼管のミクロ組織が焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイト主体であれば、本実施形態による鋼管において、降伏強度(上述のとおり、軸方向の引張降伏強度を意味する)は862〜965MPa(125ksi級)、降伏比(引張強度(Tensile Strength)に対する降伏強度の比、すなわち、降伏比(YR)=降伏強度(YS)/引張強度(TS))は90%以上となる。
【0052】
以上の知見に基づいて完成した本実施形態による鋼管は、質量%で、C:0.25〜0.50%、Si:0.05〜0.50%、Mn:0.05〜1.00%、P:0.025%以下、S:0.0050%以下、Al:0.005〜0.100%、Cr:0.30〜1.50%、Mo:0.25〜3.00%、Ti:0.002〜0.050%、N:0.0010〜0.0100%、O:0.0030%以下、V:0〜0.300%、Nb:0〜0.100%、B:0〜0.0030%、Ca:0〜0.0100%、Mg:0〜0.0100%、Zr:0〜0.0100%、Co:0〜1.00%、W:0〜1.00%、Ni:0〜0.50%、Cu:0〜0.50%、及び、残部がFe及び不純物からなる化学組成を有する。本実施形態による鋼管は、固溶Cを0.010〜0.050質量%含有する。本実施形態による鋼管は、鋼管の軸方向の引張降伏強度が862〜965MPaであり、鋼管の軸方向の降伏比が90%以上である。本実施形態による鋼管は、鋼管の周方向の引張降伏強度が862〜965MPaであり、鋼管の周方向の引張降伏強度が鋼管の周方向の圧縮降伏強度よりも30〜80MPa高い。
【0053】
上記化学組成は、V:0.010〜0.300%、及び、Nb:0.002〜0.100%からなる群から選択される1種以上を含有してもよい。
【0054】
上記化学組成は、B:0.0001〜0.0030%を含有してもよい。
【0055】
上記化学組成は、Ca:0.0001〜0.0100%、Mg:0.0001〜0.0100%、及び、Zr:0.0001〜0.0100%からなる群から選択される1種又は2種以上を含有してもよい。
【0056】
上記化学組成は、Co:0.02〜1.00%、及び、W:0.02〜1.00%からなる群から選択される1種以上を含有してもよい。
【0057】
上記化学組成は、Ni:0.02〜0.50%、及び、Cu:0.01〜0.50%からなる群から選択される1種以上を含有してもよい。
【0058】
上記鋼管は、油井用鋼管であってもよい。
【0059】
本明細書において、油井用鋼管はラインパイプ用鋼管であってもよく、油井管であってもよい。油井用鋼管の形状は限定されず、たとえば、継目無鋼管であってもよく、溶接鋼管であってもよい。油井管は、たとえば、ケーシングやチュービング用途で用いられる鋼管である。
【0060】
上記鋼管は、継目無鋼管であってもよい。
【0061】
本実施形態による鋼管が継目無鋼管であれば、肉厚が15mm以上であっても、862〜965MPa(125ksi級)の降伏強度と、優れた耐SSC性とを有する。
【0062】
上記優れた耐SSC性とは、具体的には、NACE TM0177−2005 Method Dに準拠したDCB試験と、NACE TM0177−2005 Method Aに準拠した引張型定荷重試験とによって評価できる。
【0063】
DCB試験では、酢酸でpH3.5に調整した、5.0質量%塩化ナトリウムと0.4質量%酢酸ナトリウムとの混合水溶液(NACE solution B)を、試験溶液とする。鋼管から採取した試験片に対して、鋼管から採取したクサビを打ち込み、試験片をクサビごと試験容器に封入する。
【0064】
試験片を封入した試験容器に、気相部を残して試験溶液を注入し、試験浴とする。試験浴を脱気した後、0.1atmのH
2Sと0.9atmのCO
2との混合ガスを吹き込み、試験浴を腐食環境とする。試験片が浸漬された試験浴を24℃で17日間(408時間)撹拌しながら保持した後、取り出した試験片から破壊靭性値K
1SSCを求める。
【0065】
引張型定荷重試験では、酢酸でpH3.5に調整した、5.0質量%塩化ナトリウムと0.4質量%酢酸ナトリウムとの混合水溶液(NACE solution B)を、試験溶液とする。鋼管から採取した試験片に対して、125ksi(862MPa)の90%に相当する応力(776MPa)を負荷する。
【0066】
応力を負荷した試験片が浸漬するように、試験容器に試験溶液を注入し、試験浴とする。試験浴を脱気した後、0.1atmのH
2Sと0.9atmのCO
2との混合ガスを吹き込み、試験浴に飽和させる。試験片が浸漬された試験浴を24℃で720時間保持する。
【0067】
本実施形態による鋼管は、上記DCB試験で求めた破壊靭性値K
1SSCが30.0MPa√m以上であり、さらに、上記引張型定荷重試験の条件で、割れが確認されない。
【0068】
また、上記固溶C量は、鋼管中の炭化物中のC量(質量%)の、鋼管の化学組成のC含有量からの差分を意味する。鋼管中の炭化物中のC量は、鋼管に対して抽出残渣分析を実施して残渣として得られた炭化物(セメンタイト及びMC型炭化物)中のFe濃度<Fe>a、Cr濃度<Cr>a、Mn濃度<Mn>a、Mo濃度<Mo>a、V濃度<V>a、Nb濃度<Nb>aと、抽出レプリカ法により得られたレプリカ膜を透過電子顕微鏡(Transmission Electron Microscope:以下、「TEM」ともいう。)観察することにより特定されたセメンタイトに対してエネルギー分散型X線分析法(Energy Dispersive X−ray Spectrometry:以下、「EDS」ともいう。)による点分析を実施して得られたセメンタイト中のFe濃度<Fe>b、Cr濃度<Cr>b、Mn濃度<Mn>b、Mo濃度<Mo>bとを用いて、式(1)〜式(5)により求める。
<Mo>c=(<Fe>a+<Cr>a+<Mn>a)×<Mo>b/(<Fe>b+<Cr>b+<Mn>b) (1)
<Mo>d=<Mo>a−<Mo>c (2)
<C>a=(<Fe>a/55.85+<Cr>a/52+<Mn>a/53.94+<Mo>c/95.9)/3×12 (3)
<C>b=(<V>a/50.94+<Mo>d/95.9+<Nb>a/92.9)×12 (4)
(固溶C量)=<C>−(<C>a+<C>b) (5)
なお、本明細書において、セメンタイトとは、Fe含有量が50質量%以上の炭化物を意味する。
【0069】
本実施形態による鋼管の製造方法は、準備工程と、焼入れ工程と、焼戻し工程と、温間矯正工程と、素管温度調整工程と、急冷工程とを備える。準備工程では、上記化学組成を有する素管を準備する。焼入れ工程では、準備工程後、800〜1000℃の素管を、300℃/分以上の冷却速度で冷却する。焼戻し工程では、焼入れ工程後の素管を、670℃〜A
c1点の焼戻し温度で10〜180分保持する。温間矯正工程では、焼戻し工程後の素管に対して、600℃〜焼戻し温度で温間矯正を実施する。素管温度調整工程では、温間矯正完了から10〜120秒の間、素管の温度を、温間矯正完了時の素管の温度〜500℃の範囲内に維持する。急冷工程では、素管温度調整工程後の素管を、素管の温度が500〜200℃の範囲において、5〜100℃/秒の冷却速度で冷却する。
【0070】
上記製造方法の準備工程は、上述の化学組成を有する素材を準備する素材準備工程と、素材を熱間加工して素管を製造する熱間加工工程とを含んでもよい。
【0071】
以下、本実施形態による鋼管について詳述する。元素に関する「%」は、特に断りがない限り、質量%を意味する。
【0072】
[化学組成]
本実施形態による鋼管の化学組成は、次の元素を含有する。
【0073】
C:0.25〜0.50%
炭素(C)は、鋼管の焼入れ性を高め、鋼管の強度を高める。そのため、C含有量が低すぎれば、862MPa以上の降伏強度が得られない場合がある。Cはさらに、製造工程中の焼戻し時において、炭化物の球状化を促進し、鋼管の耐SSC性を高める。炭化物が分散されればさらに、鋼管の強度が高まる。C含有量が低すぎれば、これらの効果が得られない。一方、C含有量が高すぎれば、鋼管の靭性が低下し、焼割れが発生しやすくなる。したがって、C含有量は0.25〜0.50%である。C含有量の好ましい上限は0.45%であり、より好ましくは0.40%である。
【0074】
Si:0.05〜0.50%
シリコン(Si)は、鋼を脱酸する。Si含有量が低すぎれば、この効果が得られない。一方、Si含有量が高すぎれば、鋼管の耐SSC性が低下する。したがって、Si含有量は0.05〜0.50%である。好ましいSi含有量の下限は0.15%であり、より好ましくは0.20%である。Si含有量の好ましい上限は0.45%であり、より好ましくは0.40%である。
【0075】
Mn:0.05〜1.00%
マンガン(Mn)は、鋼を脱酸する。Mnはさらに、鋼管の焼入れ性を高める。Mn含有量が低すぎれば、これらの効果が得られない。一方、Mn含有量が高すぎれば、Mnは、P及びS等の不純物とともに、粒界に偏析する。この場合、鋼管の耐SSC性が低下する。したがって、Mn含有量は0.05〜1.00%である。Mn含有量の好ましい下限は0.25%であり、より好ましくは0.30%である。Mn含有量の好ましい上限は0.90%であり、より好ましくは0.80%である。
【0076】
P:0.025%以下
燐(P)は不純物である。すなわち、P含有量は0%超である。Pは、粒界に偏析して鋼管の耐SSC性を低下させる。したがって、P含有量は0.025%以下である。P含有量の好ましい上限は0.020%であり、より好ましくは0.015%である。P含有量はなるべく低い方が好ましい。ただし、P含有量の極端な低減は、製造コストを大幅に高める。したがって、工業生産を考慮した場合、P含有量の好ましい下限は0.0001%であり、より好ましくは0.0003%であり、さらに好ましくは0.001%である。
【0077】
S:0.0050%以下
硫黄(S)は不純物である。すなわち、S含有量は0%超である。Sは、粒界に偏析して鋼管の耐SSC性を低下する。したがって、S含有量は0.0050%以下である。S含有量の好ましい上限は0.0040%であり、より好ましくは0.0030%である。S含有量はなるべく低い方が好ましい。ただし、S含有量の極端な低減は、製造コストを大幅に高める。したがって、工業生産を考慮した場合、S含有量の好ましい下限は0.0001%であり、より好ましくは0.0002%であり、さらに好ましくは0.0003%である。
【0078】
Al:0.005〜0.100%
アルミニウム(Al)は、鋼を脱酸する。Al含有量が低すぎれば、この効果が得られず、鋼管の耐SSC性が低下する。一方、Al含有量が高すぎれば、粗大な酸化物系介在物が生成して鋼管の耐SSC性が低下する。したがって、Al含有量は0.005〜0.100%である。Al含有量の好ましい下限は0.015%であり、より好ましくは0.020%である。Al含有量の好ましい上限は0.080%であり、より好ましくは0.060%である。本明細書にいう「Al」含有量は「酸可溶Al」、つまり、「sol.Al」の含有量を意味する。
【0079】
Cr:0.30〜1.50%
クロム(Cr)は、鋼管の焼入れ性を高める。Crはさらに、焼戻し軟化抵抗を高め、高温焼戻しを可能にする。その結果、鋼管の耐SSC性が高まる。Cr含有量が低すぎれば、これらの効果が得られない。一方、Cr含有量が高すぎれば、鋼管の靭性及び耐SSC性が低下する。したがって、Cr含有量は0.30〜1.50%である。Cr含有量の好ましい下限は0.35%であり、より好ましくは0.40%である。Cr含有量の好ましい上限は1.30%である。
【0080】
Mo:0.25〜3.00%
モリブデン(Mo)は、鋼管の焼入れ性を高める。Moはさらに、微細な炭化物を生成し、鋼管の焼戻し軟化抵抗を高める。その結果、Moは、高温焼戻しにより鋼管の耐SSC性を高める。Mo含有量が低すぎれば、これらの効果が得られない。一方、Mo含有量が高すぎれば、上記効果が飽和する。したがって、Mo含有量は0.25〜3.00%である。Mo含有量の好ましい下限は0.50%であり、より好ましくは0.55%であり、さらに好ましくは0.65%である。Mo含有量の好ましい上限は2.50%であり、より好ましくは2.00%である。
【0081】
Ti:0.002〜0.050%
チタン(Ti)は窒化物を形成し、ピンニング効果により、結晶粒を微細化する。その結果、鋼管の強度が高まる。Ti含有量が低すぎれば、この効果が得られない。一方、Ti含有量が高すぎれば、Ti窒化物が粗大化して鋼管の耐SSC性が低下する。したがって、Ti含有量は0.002〜0.050%である。Ti含有量の好ましい下限は0.003%であり、より好ましくは0.005%である。Ti含有量の好ましい上限は0.030%であり、より好ましくは0.020%である。
【0082】
N:0.0010〜0.0100%
窒素(N)はTiと結合して微細窒化物を形成し、結晶粒を微細化する。N含有量が低すぎれば、この効果が得られない。一方、N含有量が高すぎれば、Nは粗大な窒化物を形成して、鋼管の耐SSC性が低下する。したがって、N含有量は0.0010〜0.0100%である。N含有量の好ましい上限は0.0050%であり、より好ましくは0.0040%である。N含有量の好ましい下限は0.0015%である。
【0083】
O:0.0030%以下
酸素(O)は不純物である。すなわち、O含有量は0%超である。Oは粗大な酸化物を形成し、鋼管の耐食性を低下させる。したがって、O含有量は0.0030%以下である。O含有量の好ましい上限は0.0020%である。O含有量はなるべく低い方が好ましい。ただし、O含有量の極端な低減は、製造コストを大幅に高める。したがって、工業生産を考慮した場合、O含有量の好ましい下限は0.0001%であり、より好ましくは0.0002%であり、さらに好ましくは0.0003%である。
【0084】
本実施形態による鋼管の化学組成の残部は、Fe及び不純物からなる。ここで、不純物とは、鋼管を工業的に製造する際に、原料としての鉱石、スクラップ、又は製造環境などから混入されるものであって、本実施形態による鋼管に悪影響を与えない範囲で許容されるものを意味する。
【0085】
[任意元素について]
上述の鋼管の化学組成はさらに、Feの一部に代えて、V及びNbからなる群から選択される1種以上を含有してもよい。これらの元素はいずれも任意元素であり、鋼管の耐SSC性を高める。
【0086】
V:0〜0.300%
バナジウム(V)は任意元素であり、含有されなくてもよい。すなわち、V含有量は0%であってもよい。含有される場合、VはC又はNと結合して炭化物、窒化物又は炭窒化物(以下、「炭窒化物等」という)を形成する。炭窒化物等は、ピンニング効果により鋼管のサブ組織を微細化し、鋼管の耐SSC性を高める。Vはさらに、焼戻し時に微細な炭化物を形成する。微細な炭化物は鋼管の焼戻し軟化抵抗を高め、鋼管の強度を高める。Vはさらに、球状のMC型炭化物となるため、針状のM
2C型炭化物の生成を抑制して、鋼管の耐SSC性を高める。Vが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、V含有量が高すぎれば、鋼管の靭性が低下する。したがって、V含有量は0〜0.300%である。V含有量の好ましい下限は0%超であり、より好ましくは0.010%であり、さらに好ましくは0.020%である。V含有量の好ましい上限は0.200%であり、より好ましくは0.150%であり、さらに好ましくは0.120%である。
【0087】
Nb:0〜0.100%
ニオブ(Nb)は任意元素であり、含有されなくてもよい。すなわち、Nb含有量は0%であってもよい。含有される場合、Nbは炭窒化物等を形成する。炭窒化物等はピンニング効果により鋼管のサブ組織を微細化し、鋼管の耐SSC性を高める。Nbはさらに、球状のMC型炭化物となるため、針状のM
2C型炭化物の生成を抑制して、鋼管の耐SSC性を高める。Nbが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、Nb含有量が高すぎれば、炭窒化物等が過剰に生成して、鋼管の耐SSC性が低下する。したがって、Nb含有量は0〜0.100%である。Nb含有量の好ましい下限は0%超であり、より好ましくは0.002%であり、さらに好ましくは0.003%であり、さらに好ましくは0.007%である。Nb含有量の好ましい上限は0.075%であり、より好ましくは0.050%である。
【0088】
上記のVとNbの含有量の合計は、0.300%以下であることが好ましく、0.200%以下であることがさらに好ましい。
【0089】
上述の鋼管の化学組成はさらに、Feの一部に代えて、Bを含有してもよい。
【0090】
B:0〜0.0030%
ホウ素(B)は任意元素であり、含有されなくてもよい。すなわち、B含有量は0%であってもよい。含有される場合、Bは鋼に固溶して鋼管の焼入れ性を高め、鋼管の強度を高める。Bが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、B含有量が高すぎれば、粗大な窒化物が生成して鋼管の耐SSC性が低下する。したがって、B含有量は0〜0.0030%である。B含有量の好ましい下限は0%超であり、より好ましくは0.0001%であり、さらに好ましくは0.0003%であり、さらに好ましくは0.0007%である。B含有量の好ましい上限は0.0025%である。
【0091】
上述の鋼管の化学組成はさらに、Feの一部に代えて、Ca、Mg、及び、Zrからなる群から選択される1種又は2種以上を含有してもよい。これらの元素はいずれも任意元素であり、鋼管の耐SSC性を高める。
【0092】
Ca:0〜0.0100%
カルシウム(Ca)は任意元素であり、含有されなくてもよい。すなわち、Ca含有量は0%であってもよい。含有される場合、Caは鋼管中のSを硫化物として無害化し、鋼管の耐SSC性を高める。Caが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、Ca含有量が高すぎれば、鋼管中の酸化物が粗大化して、鋼管の耐SSC性が低下する。したがって、Ca含有量は0〜0.0100%である。Ca含有量の好ましい下限は0%超であり、より好ましくは0.0001%であり、さらに好ましくは0.0003%であり、さらに好ましくは0.0006%であり、さらに好ましくは0.0010%である。Ca含有量の好ましい上限は0.0025%であり、より好ましくは0.0020%である。
【0093】
Mg:0〜0.0100%
マグネシウム(Mg)は任意元素であり、含有されなくてもよい。すなわち、Mg含有量は0%であってもよい。含有される場合、Mgは鋼管中のSを硫化物として無害化し、鋼管の耐SSC性を高める。Mgが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、Mg含有量が高すぎれば、鋼管中の酸化物が粗大化して、鋼管の耐SSC性が低下する。したがって、Mg含有量は0〜0.0100%である。Mg含有量の好ましい下限は0%超であり、より好ましくは0.0001%であり、さらに好ましくは0.0003%であり、さらに好ましくは0.0006%であり、さらに好ましくは0.0010%である。Mg含有量の好ましい上限は0.0025%であり、より好ましくは0.0020%である。
【0094】
Zr:0〜0.0100%
ジルコニウム(Zr)は任意元素であり、含有されなくてもよい。すなわち、Zr含有量は0%であってもよい。含有される場合、Zrは鋼管中のSを硫化物として無害化し、鋼管の耐SSC性を高める。Zrが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、Zr含有量が高すぎれば、鋼管中の酸化物が粗大化して、鋼管の耐SSC性が低下する。したがって、Zr含有量は0〜0.0100%である。Zr含有量の好ましい下限は0%超であり、より好ましくは0.0001%であり、さらに好ましくは0.0003%であり、さらに好ましくは0.0006%であり、さらに好ましくは0.0010%である。Zr含有量の好ましい上限は0.0025%であり、より好ましくは0.0020%である。
【0095】
上記のCa、Mg、及び、Zrからなる群から選択される2種以上を複合して含有する場合の含有量の合計は、0.0100%以下であることが好ましく、0.0050%以下であることがさらに好ましい。
【0096】
上述の鋼管の化学組成はさらに、Feの一部に代えて、Co及びWからなる群から選択される1種以上を含有してもよい。これらの元素はいずれも任意元素であり、サワー環境において保護性の腐食被膜を形成し、水素侵入を抑制する。これにより、これらの元素は鋼管の耐SSC性を高める。
【0097】
Co:0〜1.00%
コバルト(Co)は任意元素であり、含有されなくてもよい。すなわち、Co含有量は0%であってもよい。含有される場合、Coはサワー環境において保護性の腐食被膜を形成し、水素侵入を抑制する。これにより、鋼管の耐SSC性を高める。Coが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、Co含有量が高すぎれば、鋼管の焼入れ性が低下して、鋼管の強度が低下する。したがって、Co含有量は0〜1.00%である。Co含有量の好ましい下限は0%超であり、より好ましくは0.02%であり、さらに好ましくは0.05%である。Co含有量の好ましい上限は0.80%であり、より好ましくは0.70%である。
【0098】
W:0〜1.00%
タングステン(W)は任意元素であり、含有されなくてもよい。すなわち、W含有量は0%であってもよい。含有される場合、Wはサワー環境において保護性の腐食被膜を形成し、水素侵入を抑制する。これにより、鋼管の耐SSC性を高める。Wが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、W含有量が高すぎれば、鋼管中に粗大な炭化物が生成して、鋼管の耐SSC性が低下する。したがって、W含有量は0〜1.00%である。W含有量の好ましい下限は0%超であり、より好ましくは0.02%であり、さらに好ましくは0.05%である。W含有量の好ましい上限は0.80%であり、より好ましくは0.70%である。
【0099】
上述の鋼管の化学組成はさらに、Feの一部に代えて、Ni及びCuからなる群から選択される1種以上を含有してもよい。これらの元素はいずれも任意元素であり、鋼管の焼入れ性を高める。
【0100】
Ni:0〜0.50%
ニッケル(Ni)は任意元素であり、含有されなくてもよい。すなわち、Ni含有量は0%であってもよい。含有される場合、Niは鋼管の焼入れ性を高め、鋼管の強度を高める。Niが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、Ni含有量が高すぎれば、局部的な腐食を促進させ、鋼管の耐SSC性が低下する。したがって、Ni含有量は0〜0.50%である。Ni含有量の好ましい下限は0%超であり、より好ましくは0.01%であり、さらに好ましくは0.02%であり、さらに好ましくは0.05%である。Ni含有量の好ましい上限は0.35%であり、より好ましくは0.25%である。
【0101】
Cu:0〜0.50%
銅(Cu)は任意元素であり、含有されなくてもよい。すなわち、Cu含有量は0%であってもよい。含有される場合、Cuは鋼管の焼入れ性を高め、鋼管の強度を高める。Cuが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、Cu含有量が高すぎれば、鋼管の焼入れ性が高くなりすぎ、鋼管の耐SSC性が低下する。したがって、Cu含有量は0〜0.50%である。Cu含有量の好ましい下限は0%超であり、より好ましくは0.01%であり、さらに好ましくは0.02%であり、さらに好ましくは0.05%である。Cu含有量の好ましい上限は0.35%であり、より好ましくは0.25%である。
【0102】
[固溶C量]
本実施形態による鋼管は、固溶Cを0.010〜0.050質量%含有する。固溶C量が0.010質量%未満であれば、鋼管中の転位の固定が十分でなく、優れた耐SSC性を示す鋼管が得られない。なお、本実施形態の化学組成、及び、機械的特性(降伏強度(125ksi級)、及び、後述する周方向の降伏強度)の範囲においては、固溶C量が0.050質量%以下であれば、優れた耐SSC性を示す鋼管を得ることができる。したがって、固溶C量は0.010〜0.050質量%である。固溶C量の好ましい下限は0.015質量%であり、より好ましくは0.020質量%である。
【0103】
[固溶C量の算出方法]
固溶C量は、鋼管中の炭化物中のC量(質量%)の、鋼管の化学組成のC含有量からの差分を意味する。鋼管中の炭化物中のC量は、鋼管に対して抽出残渣分析を実施して残渣として得られた炭化物(セメンタイト及びMC型炭化物)中のFe濃度<Fe>a、Cr濃度<Cr>a、Mn濃度<Mn>a、Mo濃度<Mo>a、V濃度<V>a、及び、Nb濃度<Nb>aと、抽出レプリカ法により得られたレプリカ膜をTEM観察することにより特定されたセメンタイトに対してEDSによる点分析を実施して得られたセメンタイト中のFe濃度<Fe>b、Cr濃度<Cr>b、Mn濃度<Mn>b、及び、Mo濃度<Mo>bとを用いて、式(1)〜式(5)により求める。
<Mo>c=(<Fe>a+<Cr>a+<Mn>a)×<Mo>b/(<Fe>b+<Cr>b+<Mn>b) (1)
<Mo>d=<Mo>a−<Mo>c (2)
<C>a=(<Fe>a/55.85+<Cr>a/52+<Mn>a/53.94+<Mo>c/95.9)/3×12 (3)
<C>b=(<V>a/50.94+<Mo>d/95.9+<Nb>a/92.9)×12 (4)
(固溶C量)=<C>−(<C>a+<C>b) (5)
なお、本明細書において、セメンタイトとは、Fe含有量が50質量%以上の炭化物を意味する。以下、固溶C量の算出方法を詳しく示す。
【0104】
[鋼管のC含有量の定量]
鋼管の肉厚中央部から、切粉状の分析サンプルを採取する。酸素気流中燃焼−赤外線吸収法により、C含有量(質量%)を分析する。これを鋼管のC含有量(<C>)とする。
【0105】
[炭化物として析出するC量(析出C量)の計算]
析出C量は、次の手順1〜手順4により算出する。具体的には、手順1で抽出残渣分析を実施する。手順2でTEMを用いた抽出レプリカ法、及び、EDSによるセメンタイト中の元素濃度分析(以下「EDS分析」という)を実施する。手順3でMo含有量を調整する。手順4で析出C量を算出する。
【0106】
[手順1.抽出残渣分析による、Fe、Cr、Mn、Mo、V、及び、Nb残渣量の定量]
手順1では、鋼管中の炭化物を残渣として捕捉し、残渣中のFe、Cr、Mn、Mo、V、及び、Nb含有量を決定する。ここで、「炭化物」とは、セメンタイト(M
3C型炭化物)及びMC型炭化物の総称である。具体的な手順は以下のとおりである。鋼管の肉厚中央部から、肉厚中心が横断面の中心になるように、6mm径で長さ50mmの円柱状試験片を採取する。採取した試験片表面を予備の電解研磨にて50μm程度研磨して新生面を得る。電解研磨した試験片を電解液10%アセチルアセトン+1%テトラアンモニウム+メタノールで電解する。電解後の電解液を0.2μmのフィルターを通して残渣を捕捉する。得られた残渣を酸分解し、ICP(誘導結合プラズマ)発光分析にてFe、Cr、Mn、Mo、V、及び、Nb濃度を質量%単位で定量する。この濃度をそれぞれ<Fe>a、<Cr>a、<Mn>a、<Mo>a、<V>a、及び、<Nb>aと定義する。
【0107】
[手順2.抽出レプリカ法及びEDSによる、セメンタイト中のFe、Cr、Mn、及び、Mo含有量の定量]
手順2では、セメンタイト中のFe、Cr、Mn、及び、Mo含有量を決定する。具体的な手順は以下のとおりである。鋼管の肉厚中央部からミクロ試験片を切り出し、鏡面研磨にて表面を仕上げる。試験片を3%ナイタール腐食液に10分浸漬し、表面を腐食する。その表面をカーボン蒸着膜で覆う。蒸着膜で表面を覆った試験片を5%ナイタール腐食液に浸漬し、20分保持し、蒸着膜を剥離させる。剥離した蒸着膜をエタノールで洗浄した後、シートメッシュですくい取り、乾燥させる。この蒸着膜(レプリカ膜)を、TEMで観察し、20個のセメンタイトについてEDSによる点分析を行う。セメンタイト中の炭素を除く合金元素の合計を100%とした場合の、Fe、Cr、Mn、及び、Mo濃度を質量%単位で定量する。20個のセメンタイトについて濃度を定量し、それぞれの元素の算術平均値を<Fe>b、<Cr>b、<Mn>b、及び、<Mo>bと定義する。
【0108】
[手順3.Mo量の調整]
続いて、炭化物中のMo濃度を求める。ここで、Fe、Cr、Mn、及び、Moはセメンタイトに濃化する。一方、V、Nb、及び、MoはMC型炭化物に濃化する。すなわち、Moは、焼戻しによりセメンタイト及びMC型炭化物の両方に濃化する。したがって、Mo量については、セメンタイト及びMC型炭化物について個別に算出する。なお、Vはセメンタイトにもその一部が濃化する場合がある。しかしながら、Vのセメンタイトへの濃化量は、MC型炭化物への濃化量と比較して無視できるほど小さい。したがって、固溶C量を求める上で、VはMC型炭化物のみに濃化するとみなす。
【0109】
具体的に、セメンタイトとして析出するMoの量(<Mo>c)は、式(1)により算出する。
<Mo>c=(<Fe>a+<Cr>a+<Mn>a)×<Mo>b/(<Fe>b+<Cr>b+<Mn>b) (1)
【0110】
一方、MC型炭化物として析出するMoの量(<Mo>d)は、式(2)により質量%単位で算出する。
<Mo>d=<Mo>a−<Mo>c (2)
【0111】
[手順4.析出C量の算出]
析出C量は、セメンタイトとして析出するC量(<C>a)とMC型炭化物として析出するC量(<C>b)の合計として、算出される。<C>a及び<C>bはそれぞれ、式(3)及び式(4)により、質量%単位で算出される。なお、式(3)は、セメンタイトの構造がM
3C型(MはFe、Cr、Mn、及び、Moを含む)であることから導かれた式である。
<C>a=(<Fe>a/55.85+<Cr>a/52+<Mn>a/53.94+<Mo>c/95.9)/3×12 (3)
<C>b=(<V>a/50.94+<Mo>d/95.9+<Nb>a/92.9)×12 (4)
【0112】
以上より、析出C量は、<C>a+<C>bである。
【0113】
[固溶C量の計算]
固溶C量(以下、<C>cともいう)は、鋼管のC含有量(<C>)と、析出C量との差として、式(5)により質量%単位で算出する。
<C>c=<C>−(<C>a+<C>b) (5)
【0114】
[ミクロ組織]
本実施形態による鋼管のミクロ組織は、主として焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトからなる。より具体的には、ミクロ組織は体積率で90%以上の焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトからなる。すなわち、ミクロ組織は、焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトの体積率が90%以上である。ミクロ組織の残部はたとえば、フェライト又はパーライトである。上述の化学組成を有する鋼管のミクロ組織中に、焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトを体積率で90%以上を含有すれば、鋼管の軸方向の引張降伏強度が862〜965MPa(125ksi級)、及び、降伏比が90%以上となる。
【0115】
本実施形態においては、軸方向の引張降伏強度が862〜965MPa(125ksi級)、及び、降伏比が90%以上であれば、ミクロ組織は、焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトの体積率が90%以上であるものとする。好ましくは、ミクロ組織は焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトのみからなる。すなわち、ミクロ組織は焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトの体積率が100%であってもよい。
【0116】
なお、焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトの体積率を、ミクロ組織観察によって求める場合、以下の方法で求めることができる。鋼管の肉厚中央部から管軸方向10mm、管周方向10mmの観察面を有する試験片を切り出す。試験片の観察面を鏡面に研磨した後、ナイタール腐食液に10秒程度浸漬して、エッチングによる組織現出を行う。エッチングした観察面を、走査電子顕微鏡(SEM:Scanning Electron Microscope)を用いて、二次電子像にて10視野観察する。視野面積は、たとえば、400μm
2(倍率5000倍)である。
【0117】
各視野において、焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトと、その他の相(フェライト、又は、パーライト)とは、コントラストから区別できる。したがって、各視野において、焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトを特定する。特定された焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトの面積分率の合計を求める。本実施形態において、すべての視野で求めた、焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトの面積分率の合計の算術平均値を、焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトの体積率(%)と定義する。
【0118】
[ε炭化物(Fe
2.4C)について]
本実施形態による鋼管は、好ましくは、ミクロ組織に含まれるε炭化物が30個/μm
3以下である。ε炭化物の個数密度が30個/μm
3を超えれば、鋼管の耐SSC性が低下する。ε炭化物はなるべく少ないほうが好ましい。すなわち、ε炭化物は0個/μm
3であってもよい。しかしながら、ε炭化物は鋼管中に30個/μm
3含まれていても許容される。したがって、ε炭化物は30個/μm
3以下であるのが好ましい。
【0119】
ε炭化物は、主に200℃付近での温間保持によって析出すると考えられている。このことから、ε炭化物中に合金元素は濃化しにくい。したがって、本実施形態においては、成分分析を行った場合、炭素を除く構成元素のうち、質量%で97%以上が鉄(Fe)である析出物をε炭化物であると定義する。
【0120】
上述の定義に基づいた、本実施形態による鋼管のミクロ組織におけるε炭化物の個数密度は、次の方法により求めることができる。鋼管の断面の任意の箇所から、組織観察用の薄膜サンプル(厚さ100nm〜200nm)を採取する。より具体的に、鋼管の肉厚中央部から組織観察用の薄膜サンプルを採取し、任意の5視野を特定する。特定した5視野に対して、10000倍の倍率でTEMによる組織観察を実施する。具体的には、任意の5視野(1μm×1μm)を観察視野として特定する。続いて、各視野からコントラストに基づいて析出物を特定する。
【0121】
特定した析出物に対して、TEMのEDSによる成分分析を実施する。EDSによる成分分析の結果、炭素を除く構成元素のうち、質量%で97%以上がFeである析出物を、ε炭化物と特定する。5視野において特定されたε炭化物の総個数を求める。求めたε炭化物の総個数と、薄膜サンプルの体積とから、ε炭化物の個数密度(個/μm
3)を求める。なお、薄膜サンプルの体積は、上記TEMの観察視野面積と、TEMに付属する電子エネルギー損失分光法(Electron Energy Loss Spectroscopy:以下、「EELS」ともいう)を用いた分析にて求められる薄膜サンプルの厚さとから求めることができる。
【0122】
[鋼管の軸方向の引張降伏強度及び降伏比]
本実施形態による鋼管の軸方向の引張降伏強度は862〜965MPa(125ksi級)であり、鋼管の軸方向の降伏比は90%以上である。上述のとおり、本明細書でいう軸方向の引張降伏強度は、鋼管の軸方向への引張試験で得られた0.2%オフセット耐力を意味する。要するに、本実施形態による鋼管の降伏強度は125ksi級である。
【0123】
本実施形態による鋼管の軸方向の引張降伏強度は、次の方法で求めることができる。具体的に、ASTM E8(2013)に準拠した方法で、引張試験を行う。本実施形態による鋼管の肉厚中央部から、丸棒試験片を採取する。丸棒試験片の大きさは、たとえば、平行部の直径4mm、平行部の長さ35mmである。なお、丸棒試験片の軸方向は、鋼管の軸方向と平行である。
【0124】
丸棒試験片を用いて、常温(25℃)、大気中で引張試験を実施して、得られた0.2%オフセット耐力を、軸方向の引張降伏強度(MPa)と定義する。また、一様伸び中の最大応力を引張強度(MPa)と定義する。降伏比YR(%)は、引張強度TSに対する降伏強度YSの比(YR=YS/TS)として求めることができる。
【0125】
[鋼管の周方向における引張降伏強度及び圧縮降伏強度]
本実施形態による鋼管の周方向の引張降伏強度は862〜965MPaであり、鋼管の周方向の引張降伏強度は鋼管の周方向の圧縮降伏強度よりも30〜80MPa高い。上述のとおり、本明細書において、鋼管の周方向とは、鋼管の任意の点において、鋼管の軸方向に垂直で、かつ、鋼管の径方向に垂直な方向を意味する。
【0126】
したがって、鋼管の周方向の引張降伏強度は、鋼管の任意の点において、鋼管の軸方向に垂直で、かつ、鋼管の径方向に垂直な方向への引張試験で得られた0.2%オフセット耐力を意味する。鋼管の周方向の圧縮降伏強度は、鋼管の任意の点において、鋼管の軸方向に垂直で、かつ、鋼管の径方向に垂直な方向への圧縮試験で得られた0.2%オフセット耐力を意味する。
【0127】
鋼管の周方向の引張降伏強度が、鋼管の周方向の圧縮降伏強度よりも80MPaを超えて高い場合、DCB試験では優れた耐SSC性が得られても、引張型定荷重試験では優れた耐SSC性が得られない。一方、温間矯正によって焼戻し後の鋼管の真直度及び/又は真円度を高めれば、鋼管の周方向の引張降伏強度は、鋼管の周方向の圧縮降伏強度よりも30MPa以上高くなる場合がある。したがって、本実施形態による鋼管は、鋼管の周方向の引張降伏強度が、鋼管の周方向の圧縮降伏強度よりも30〜80MPa高い。
【0128】
鋼管の周方向の引張降伏強度と圧縮降伏強度との差の好ましい下限は31MPaであり、より好ましくは33MPaであり、さらに好ましくは40MPaであり、さらに好ましくは50MPaである。本実施形態による鋼管は、焼戻し後に温間矯正を実施しても、上述の化学組成、固溶C量、ミクロ組織、及び、機械的特性を満たすことで、優れた耐SSC性を有する。
【0129】
本実施形態による鋼管の周方向の引張降伏強度は、次の方法で測定できる。具体的に、ASTM E8(2013)に準拠した方法で、引張試験を行う。本実施形態による鋼管の肉厚中央部から、丸棒試験片を採取する。丸棒試験片の大きさは、たとえば、平行部の直径4mm、平行部の長さ35mmである。
【0130】
なお、丸棒試験片は、丸棒試験片の軸方向が、丸棒試験片の中央部において、鋼管の軸方向に垂直であり、かつ、鋼管の径方向に垂直であるように採取する。すなわち、丸棒試験片の軸方向は、丸棒試験片の中央部において、鋼管の周方向に平行である。丸棒試験片を用いて、常温(25℃)、大気中で引張試験を実施して、得られた0.2%オフセット耐力を、周方向の引張降伏強度(MPa)と定義する。
【0131】
本実施形態による鋼管の周方向の圧縮降伏強度は、次の方法で測定できる。本実施形態による鋼管の肉厚中央部から、上述の周方向の引張降伏強度の測定方法と同様に、丸棒試験片を採取する。丸棒試験片を用いて、常温(25℃)、大気中で圧縮試験を実施して、得られた0.2%オフセット耐力を、周方向の圧縮降伏強度(MPa)と定義する。
【0132】
本実施形態による鋼管は、上述の機械的特性を有する。ここで、上述の機械的特性とは、具体的に、本実施形態による鋼管の、軸方向の引張降伏強度が862〜965MPa(125ksi級)であり、軸方向の降伏比が90%以上であり、周方向の引張降伏強度が862〜965MPaであり、さらに、周方向の引張降伏強度が、周方向の圧縮降伏強度よりも30〜80MPa高いことである。
【0133】
このような機械的特性は、鋼管のミクロ組織(相、析出物、及び、介在物)、及び/又は、金属結晶の結晶構造、及び/又は、原子配置、さらにはこれらのバランスによって定まるものである。近年、測定機器の発展は目覚ましい進化を遂げている。しかしながら、ミクロ組織、金属結晶の結晶構造、及び、原子配置について、機械的特性と同じ程度に再現性高く、かつ、分解能が高く、相違することを確認できる測定手法は見出されていない。
【0134】
すなわち、合金分野における機械的特性とは、ミクロ組織、金属結晶の結晶構造、及び、原子配置について、最も再現性高く、かつ、分解能が高く、相違することを確認できる測定手法である。したがって、これらの機械的特性を満たす鋼管と、これらの機械的特性を満たさない鋼管とは、ミクロ組織、及び/又は、金属結晶の結晶構造、及び/又は、原子配置が明確に相違する。そのため、上述の機械的特性を満たす鋼管は、優れた耐SSC性を有する効果が得られる。
【0135】
[鋼管の形状]
本実施形態による鋼管の形状は、特に限定されない。鋼管が油井用鋼管である場合、好ましくは、鋼管は継目無鋼管である。この場合さらに、好ましい肉厚は9〜60mmである。本実施形態による鋼管は特に、厚肉の継目無鋼管としての使用に適する。より具体的には、本実施形態による鋼管が15mm以上、さらに、20mm以上の厚肉の継目無鋼管であっても、862〜965MPa(125〜140ksi、125ksi級)の降伏強度、及び、優れた耐SSC性を示す。
【0136】
[鋼管の耐SSC性]
本実施形態による鋼管の耐SSC性は、NACE TM0177−2005 Method Dに準拠したDCB試験と、NACE TM0177−2005 Method Aに準拠した引張型定荷重試験とによって評価できる。
【0137】
DCB試験では、酢酸でpH3.5に調整した、5.0質量%塩化ナトリウムと0.4質量%酢酸ナトリウムとの混合水溶液(NACE solution B)を、試験溶液とする。本実施形態による鋼管の肉厚中央部から、
図3Aに示すDCB試験片を採取する。DCB試験片の長手方向は、鋼管の軸方向と平行である。本実施形態による鋼管からさらに、
図3Bに示すクサビを採取する。クサビの厚さtは3.10(mm)とする。
【0138】
図3Aを参照して、DCB試験片のアームの間に、上記クサビを打ち込む。クサビが打ち込まれたDCB試験片を、試験容器に封入する。その後、試験容器に上記試験溶液を、気相部を残して注入して、試験浴とする。試験浴を脱気した後、0.1atmのH
2Sと0.9atmのCO
2との混合ガスを吹き込み、試験浴を腐食環境とする。試験浴を撹拌しながら、試験容器内を24℃で17日間(408時間)保持する。保持後の試験容器からDCB試験片を取り出す。
【0139】
取り出したDCB試験片のアーム先端に形成された孔にピンを差し込み、引張試験機で切欠部を開口して、クサビ解放応力Pを測定する。さらに、DCB試験片の切欠きを液体窒素中で解放させて、試験浴に浸漬中のDCB試験片の割れ進展長さaを測定する。割れ進展長さaは、ノギスを用いて目視で測定できる。測定したクサビ解放応力Pと、割れ進展長さaとに基づいて、式(6)を用いて破壊靭性値K
1SSC(MPa√m)を求める。
【0141】
なお、式(6)において、h(mm)はDCB試験片の各アームの高さであり、B(mm)はDCB試験片の厚さであり、Bn(mm)はDCB試験片のウェブ厚さである。これらは、NACE TM0177−2005 Method Dに規定されている。
【0142】
引張型定荷重試験では、酢酸でpH3.5に調整した、5.0質量%塩化ナトリウムと0.4質量%酢酸ナトリウムとの混合水溶液(NACE solution B)を、試験溶液とする。本実施形態による鋼管の肉厚中央部から、丸棒試験片を採取する。丸棒試験片の大きさは、たとえば、平行部の直径6.35mm、平行部の長さ25.4mmである。なお、丸棒試験片の軸方向は、鋼管の軸方向と平行である。
【0143】
丸棒試験片に対して、125ksi(862MPa)の90%に相当する応力(776MPa)を負荷する。応力を負荷した丸棒試験片が浸漬するように、試験容器に24℃の試験溶液を注入し、試験浴とする。試験浴を脱気した後、0.1atmのH
2Sと0.9atmのCO
2との混合ガスを試験容器に吹き込み、試験浴を腐食環境とする。丸棒試験片が浸漬された試験浴を24℃で720時間保持する。
【0144】
本実施形態による鋼管は、DCB試験で求めた破壊靭性値K
1SSCが30.0MPa√m以上であり、さらに、上記引張型定荷重試験の条件で、割れが確認されない。なお、本明細書において、「割れが確認されない」とは、試験後の試験片を肉眼によって観察した場合、試験片に割れが確認されないことを意味する。
【0145】
[製造方法]
本実施形態による鋼管の製造方法は、準備工程と、焼入れ工程と、焼戻し工程と、温間矯正工程と、素管温度調整工程と、急冷工程とを備える。準備工程は素材準備工程と、熱間加工工程とを含んでもよい。本実施形態では、鋼管の製造方法の一例として、継目無鋼管の製造方法を説明する。継目無鋼管の製造方法は、素管を準備する工程(準備工程)と、素管に対して焼入れ及び焼戻しを実施する工程(焼入れ工程及び焼戻し工程)と、温間矯正工程と、素管温度調整工程と、急冷工程とを備える。以下、各工程について詳述する。
【0146】
[準備工程]
準備工程では、上述の化学組成を有する素管を準備する。素管は、上記化学組成を有していれば、製造方法は特に限定されない。
【0147】
好ましくは、準備工程は、素材を準備する工程(素材準備工程)と、素材を熱間加工して素管を製造する工程(熱間加工工程)とを含んでもよい。以下、素材準備工程と、熱間加工工程を含む場合について、詳述する。
【0148】
[素材準備工程]
素材準備工程では、上述の化学組成を有する溶鋼を用いて素材を製造する。素材の製造方法は特に限定されず、周知の方法でよい。具体的には、溶鋼を用いて連続鋳造法により鋳片(スラブ、ブルーム、又は、ビレット)を製造してもよい。溶鋼を用いて造塊法によりインゴットを製造してもよい。必要に応じて、スラブ、ブルーム又はインゴットを分塊圧延して、ビレットを製造してもよい。以上の工程により素材(スラブ、ブルーム、又は、ビレット)を製造する。
【0149】
[熱間加工工程]
熱間加工工程では、準備された素材を熱間加工して素管を製造する。始めに、ビレットを加熱炉で加熱する。加熱温度は特に限定されないが、たとえば、1100〜1300℃である。加熱炉から抽出されたビレットに対して熱間加工を実施して、素管(継目無鋼管)を製造する。熱間加工の方法は、特に限定されず、周知の方法でよい。
【0150】
たとえば、熱間加工としてマンネスマン法を実施して、素管を製造してもよい。この場合、穿孔機により丸ビレットを穿孔圧延する。穿孔圧延する場合、穿孔比は特に限定されないが、たとえば、1.0〜4.0である。穿孔圧延された丸ビレットをさらに、マンドレルミル、レデューサー、サイジングミル等により熱間圧延して素管にする。熱間加工工程での累積の減面率は、たとえば、20〜70%である。
【0151】
他の熱間加工方法により、ビレットから素管を製造してもよい。たとえば、カップリングのように短尺の厚肉鋼管である場合、エルハルト法等の鍛造により素管を製造してもよい。以上の工程により素管が製造される。素管の肉厚は特に限定されないが、たとえば、9〜60mmである。
【0152】
熱間加工により製造された素管は空冷されてもよい(As−Rolled)。熱間加工により製造された素管は、常温まで冷却せずに、熱間加工後に直接焼入れを実施してもよく、熱間加工後に補熱(再加熱)した後、焼入れを実施してもよい。
【0153】
熱間加工後に直接焼入れ、又は、補熱した後焼入れを実施する場合、焼入れ途中に冷却の停止、又は、緩冷却を実施してもよい。この場合、素管に焼割れが発生するのを抑制できる。熱間加工後に直接焼入れ、又は、補熱した後焼入れを実施する場合さらに、焼入れ後であって次工程の熱処理前に、応力除去焼鈍処理(SR処理)を実施してもよい。この場合、素管の残留応力が除去される。
【0154】
以上のとおり、準備工程では素管を準備する。素管は、上述の好ましい工程により製造されてもよいし、第三者により製造された素管、又は、後述の焼入れ工程及び焼戻し工程が実施される工場以外の他の工場、他の事業所にて製造された素管を準備してもよい。以下、焼入れ工程について詳述する。
【0155】
[焼入れ工程]
焼入れ工程では、準備された素管に対して、焼入れを実施する。上述のとおり、本明細書において、「焼入れ」とは、A
3点以上の温度に加熱した素管を急冷することを意味する。本実施形態の焼入れ工程において、焼入れ温度は800〜1000℃である。
【0156】
焼入れ温度とは、熱間加工後に直接焼入れを実施する場合、最終の熱間加工を実施する装置の出側に設置した温度計で測定された素管の表面温度に相当する。焼入れ温度とはさらに、熱間加工後に補熱又は再加熱した後、焼入れを実施する場合、補熱又は再加熱を実施する炉の温度に相当する。
【0157】
焼入れ方法はたとえば、焼入れ開始温度から素管を連続的に冷却し、素管の温度を連続的に低下させる。連続冷却処理の方法は特に限定されず、周知の方法でよい。連続冷却処理の方法はたとえば、水槽に素管を浸漬して冷却する方法や、シャワー水冷又はミスト冷却により素管を加速冷却する方法である。
【0158】
焼入れ時の冷却速度が遅すぎれば、マルテンサイト及びベイナイト主体のミクロ組織とならず、本実施形態で規定する機械的特性が得られない。したがって、上述のとおり、本実施形態による鋼管の製造方法では、焼入れ時に素管を急冷する。具体的には、焼入れ工程において、焼入れ時の素管の温度が800〜500℃の範囲における平均冷却速度を、焼入れ時冷却速度CR
800-500と定義する。
【0159】
焼入れ時冷却速度CR
800-500は、焼入れされる素管の断面内で最も遅く冷却される部位(たとえば、素管の外表面及び内表面を強制冷却する場合、素管の肉厚の中心部)において測定された温度から決定される。
【0160】
本実施形態の焼入れ工程において、焼入れ時冷却速度CR
800-500は300℃/分以上である。焼入れ時冷却速度CR
800-500の好ましい下限は400℃/分であり、より好ましくは600℃/分である。焼入れ時冷却速度CR
800-500の上限は特に規定しないが、たとえば、60000℃/分である。
【0161】
好ましくは、素管に対してオーステナイト域での加熱を複数回実施した後、焼入れを実施する。この場合、焼入れ前のオーステナイト粒が微細化されるため、鋼管の耐SSC性がさらに高まる。複数回焼入れを実施することにより、オーステナイト域での加熱を複数回繰り返してもよいし、焼準及び焼入れを実施することにより、オーステナイト域での加熱を複数回繰り返してもよい。以下、焼戻し工程について詳述する。
【0162】
[焼戻し工程]
焼戻し工程では、上述の焼入れした素管に対して、焼戻しを実施する。上述のとおり、本明細書において、「焼戻し」とは、焼入れ後の素管をA
c1点未満の温度に再加熱して、保持することを意味する。焼戻し温度は、素管の化学組成、及び得ようとする、鋼管の軸方向の降伏強度に応じて適宜調整する。
【0163】
つまり、本実施形態の化学組成を有する素管に対して、焼戻し温度を調整して、鋼管の軸方向の降伏強度を862〜965MPa(125ksi級)、及び、鋼管の軸方向の降伏比を90%以上に調整する。なお、本明細書において、焼戻し温度とは、焼戻しを実施する炉の温度を意味する。
【0164】
本実施形態の焼戻し工程において、焼戻し温度は670℃〜A
c1点である。焼戻し温度が670℃以上であれば、炭化物が十分に球状化され、鋼管の耐SSC性がさらに高まる。
【0165】
本実施形態の焼戻し工程において、焼戻しの保持時間(焼戻し時間)は10〜180分である。焼戻し時間が短すぎれば、炭化物が十分に球状化されず、鋼管の耐SSC性が低下する。焼戻し時間が長すぎても、上記効果は飽和する。さらに、鋼管は他の形状と比較して、焼戻しの均熱保持中において、温度ばらつきが発生しやすい。したがって、焼戻しの保持時間の下限は15分とするのが好ましい。なお、本明細書において、焼戻し時間とは、素管を熱処理炉へ装入してから、抽出するまでの時間を意味する。
【0166】
焼戻し時間の好ましい上限は90分であり、より好ましくは70分であり、さらに好ましくは60分である。本実施形態の化学組成を有する素管に対して、上記焼戻し温度と上記焼戻し時間とを適宜調整した焼戻しを実施することにより、降伏強度を862〜965MPa(125ksi級)の範囲内にすることは、当業者であれば十分に可能である。以下、温間矯正工程について詳述する。
【0167】
[温間矯正工程]
温間矯正工程では、上述の焼戻しを実施した素管に対して、温間における矯正加工(温間矯正)を実施する。本実施形態の温間矯正工程において、温間矯正を開始する温度(温間矯正開始温度)は、600℃〜焼戻し温度である。上述のとおり、温間矯正を実施する温度が低すぎる場合、過度に加工硬化して、鋼管の耐SSC性が低下する。この場合さらに、鋼管の軸方向及び/又は周方向の降伏強度が高くなりすぎる場合がある。そのため、本実施形態の温間矯正工程では、温間矯正開始温度は600℃以上とする。
【0168】
一方、温間矯正開始温度が焼戻し温度より高い場合、補熱が必要となる。したがって、本実施形態の温間矯正工程において、温間矯正開始温度は600℃〜焼戻し温度とする。本明細書において温間矯正開始温度とは、矯正機の入側における、素管の表面温度を意味する。矯正機の入側における素管の表面温度は、たとえば、矯正機の入側に設置した温度計(たとえば、放射温度計)によって測定できる。
【0169】
上述のとおり、温間矯正が実施される矯正機の型式は、特に限定されず、周知の矯正機を用いればよい。矯正機はたとえば、傾斜ロール式矯正機(たとえば、ロータリーストレートナー等)であってもよく、ロータリーハウジング式矯正機であってもよい。すなわち、本実施形態において温間矯正は、周知の方法で実施すればよく、特に限定されない。
【0170】
温間矯正における加工度は、たとえば、10〜50%である。油井用鋼管分野における当業者であれば、鋼管に対して適当な加工度で温間矯正を実施して、鋼管の軸方向の真直度、及び/又は、鋼管の断面形状の真円度を高めることができる。次に、素管温度調整工程について詳述する。
【0171】
[素管温度調整工程]
素管温度調整工程では、上述の温間矯正工程を実施した後、素管の温度を調整する。本実施形態の素管温度調整工程において、温間矯正完了から10〜120秒の間、素管の温度を、温間矯正完了時の素管の温度〜500℃の範囲内に維持する。
【0172】
本明細書において「素管の温度を維持する」とは、放冷以下の冷却速度(放冷、徐冷等)で素管を冷却して、素管温度を温間矯正完了時の温度〜500℃の範囲としてもよい。また、補熱炉や高周波加熱炉を用いて素管を加熱して、素管の温度を温間矯正完了時の温度から500℃の範囲としてもよい。すなわち、素管温度調整工程において、素管を放冷又は徐冷してもよく、均熱又は加熱してもよい。
【0173】
上述のとおり、温間矯正によって、素管の転位密度は高まると考えられる。そのため、本実施形態による鋼管の製造方法では、温間矯正完了後、後述する急冷を開始するまで、素管の温度を維持する。その結果、周方向の引張降伏強度と、周方向の圧縮降伏強度との差が低減できる。この機構について、本発明者らは次のとおりに考えている。
【0174】
温間矯正により、素管の周方向の強度には異方性が生じる。具体的に、素管の周方向の引張降伏強度が高まり、周方向の圧縮降伏強度が低下する。ここで、温間矯正によって転位が導入された場合、新たに導入された転位は可動転位である。そのため、温間矯正後、素管を温間で維持することにより、新たに導入された可動転位に、固溶Cが固着すると考えられる。この場合、素管にはコットレル効果が生じる。その結果、素管の周方向の引張降伏強度と、圧縮降伏強度とがいずれも高まる。一方、温間での維持は、素管の転位密度を多少低下させる。そのバランスの結果、周方向の引張降伏強度と圧縮降伏強度との差が低減できる。
【0175】
以上の機構に基づいて、温間矯正完了後、急冷を開始するまで、素管の温度を維持する時間(維持時間)が短すぎれば、転位を固溶Cによって不動転位とすることができず、鋼管の耐SSC性を十分に高めることができない場合がある。一方、維持時間が長すぎれば、固溶しているCが炭化物として析出してしまう場合がある。この場合、固溶C量が低くなりすぎ、かえって鋼管の耐SSC性が低下する。したがって、本実施形態の素管温度調整工程において、維持時間は10〜120秒である。
【0176】
維持時間の好ましい下限は20秒である。維持時間の好ましい上限は100秒である。
【0177】
ここで、本実施形態の素管温度調整工程において、維持する素管温度(維持温度)は、温間矯正完了時の素管の温度〜500℃の範囲内である。維持温度が低すぎれば、ε炭化物が析出する場合がある。この場合、鋼管の耐SSC性が低下する。一方、維持温度が高すぎれば、鋼管の転位密度が低下しすぎる場合がある。この場合、所望の軸方向の引張降伏強度が得られない。したがって、本実施形態の素管温度調整工程では、維持温度は温間矯正完了時の素管の温度〜500℃の範囲内である。
【0178】
本明細書において維持温度とは、矯正機の入側から、後述する急冷工程で用いられる急冷設備の入側までにおける、素管の表面温度を意味する。急冷設備の入側における素管の表面温度は、たとえば、急冷設備の入側に設置した温度計(たとえば、放射温度計)によって測定できる。次に、急冷工程について詳述する。
【0179】
[急冷工程]
急冷工程では、上述の素管温度調整工程を実施した後、素管を冷却する。本実施形態の急冷工程では、素管の温度が500〜200℃の範囲において、5〜100℃/秒の冷却速度で冷却する。温間矯正を実施した後の冷却速度は、従来は制御されていなかった。しかしながら、500℃から200℃の間は、Cの拡散が比較的早い温度域である。そのため、素管温度調整工程後の素管の冷却速度が遅ければ、固溶していたCのほとんどが、温度低下中に再析出してくる。
【0180】
つまり、素管温度調整工程後の素管の冷却速度が遅ければ、固溶C量が、ほぼ0質量%になる。そこで本実施形態においては、温間矯正後の素管を急冷する。具体的に、本実施形態による急冷工程では、素管の温度が500〜200℃の範囲において、素管を5〜100℃/秒で急冷する。
【0181】
さらに、上述のとおり、本実施形態の素管温度調整工程では、維持温度は500℃以上である。したがって、本実施形態の急冷工程では、500℃以上から急冷を開始する。一方、上述のとおり、維持温度が低すぎれば、ε炭化物が析出する場合がある。そのため、本実施形態の急冷工程では、200℃以下まで急冷する。すなわち、本実施形態の急冷工程では、冷却開始温度は500℃以上であり、さらに、冷却停止温度は200℃以下である。
【0182】
したがって、本実施形態の急冷工程では、急冷を実施する温度範囲は、少なくとも500〜200℃の範囲を含む。そこで、本明細書において、急冷工程における冷却開始温度から冷却停止温度までの平均冷却速度を、急冷工程冷却速度CR
500-200と定義する。
【0183】
本実施形態では、急冷工程冷却速度CR
500-200は5〜100℃/秒である。本実施形態の急冷工程冷却速度CR
500-200を5〜100℃/秒にすれば、500℃以上から200℃以下までの範囲において、5〜100℃/秒の冷却速度で冷却することができる。その結果、本実施形態による鋼管の固溶C量は、0.010〜0.050質量%となる。
【0184】
したがって、本実施形態では、急冷工程冷却速度CR
500-200は5〜100℃/秒である。急冷工程冷却速度CR
500-200の好ましい下限は10℃/秒であり、より好ましくは15℃/秒である。急冷工程冷却速度CR
500-200の好ましい上限は75℃/秒であり、より好ましくは50℃/秒である。
【0185】
本実施形態において、急冷工程冷却速度CR
500-200を5〜100℃/秒とする冷却方法は、特に限定されず、周知の方法でよい。冷却方法は、たとえば、500℃以上から素管を連続的に強制冷却し、素管の温度を連続的に低下する。このような連続冷却処理としてたとえば、水槽や油槽に素管を浸漬して冷却する方法や、シャワー水冷、ミスト冷却、又は、強制風冷により素管を加速冷却する方法がある。ここで、連続冷却処理を実施する設備を、「急冷設備」ともいう。
【0186】
なお、急冷工程冷却速度CR
500-200は、急冷設備の入側と出側とにおける、素管の表面温度に基づいて求めることができる。ここで、急冷設備の入側における素管の表面温度(冷却開始温度)は、たとえば、急冷設備の入側に設置した温度計(たとえば、放射温度計)によって測定できる。急冷設備の出側における素管の表面温度(冷却停止温度)は、たとえば、急冷設備の出側に設置した温度計(たとえば、放射温度計)によって測定できる。
【0187】
上述の製造方法では、一例として継目無鋼管の製造方法を説明した。しかしながら、本実施形態による鋼管は、他の形状であってもよい。他の形状の製造方法も、上述の製造方法と同様に、たとえば、準備工程と、焼入れ工程と、焼戻し工程と、温間矯正工程と、素管温度調整工程と、急冷工程とを備える。しかしながら、上述の製造方法は一例であり、他の製造方法によって製造されてもよい。
【実施例】
【0188】
表4に示す化学組成を有する溶鋼を製造した。
【0189】
【表4】
【0190】
上記溶鋼を用いてインゴットを製造した。インゴットを熱間圧延(マンドレル・マンネスマン圧延)して、外径340mm、肉厚13mmの素管(継目無鋼管)を製造した。
【0191】
熱間圧延後の各試験番号の素管を放冷して素管の温度を常温(25℃)とした。
【0192】
放冷後、各試験番号の素管を再加熱して、素管の温度を焼入れ温度(オーステナイト単相域となる900℃)とし、30分均熱した。ここで、再加熱を実施した炉の温度を、焼入れ温度(℃)とした。均熱後、素管を水槽に浸漬して焼入れした。あらかじめ素管の肉厚中央部に装入したシース型のK熱電対により測定した温度から、焼入れ時冷却速度を求めた。各試験番号の焼入れ時冷却速度(CR
800-500)は、300〜6000℃/分の範囲内であった。
【0193】
焼入れ後、各試験番号の素管に対して焼戻しを実施した。焼戻しでは、API規格の125ksi級(降伏強度が862〜965MPa)となるように、焼戻し温度を調整した。各試験番号の素管に対する焼戻し温度(℃)、及び、焼戻し時間(分)を表5に示す。ここで、焼戻しを実施した炉の温度を、焼戻し温度(℃)とした。なお、各試験番号の素管のA
c1点は、いずれも730〜750℃の範囲内にあり、焼戻し温度はA
c1点よりも低く設定した。
【0194】
【表5】
【0195】
各焼戻し温度で熱処理を実施した後、各試験番号の素管に対して、温間矯正を実施した。温間矯正は傾斜ロール式矯正機(ロータリーストレートナー)によって実施した。各試験番号の素管の温間矯正における、温間矯正開始温度(℃)を表5に示す。なお、温間矯正を実施する矯正機の入側に設置した放射温度計で測定した素管の表面温度を、温間矯正開始温度(℃)とした。
【0196】
温間矯正を実施した後の各試験番号の素管を冷却した。冷却は、素管の周方向に24個のノズルを配置したリング状の管から水を噴射して実施した。以下、リング状の管を「急冷設備」ともいう。急冷設備は、矯正機の出側に配置した。水を噴射するタイミングを調整することにより、温間矯正後急冷開始までの時間(維持時間)(秒)を調整した。さらに、急冷設備の入側に設置した放射温度計、及び、急冷設備の出側に設置した放射温度計で各試験番号の素管の表面温度を測定した。
【0197】
測定した温度から、各試験番号の素管について、急冷工程冷却速度CR
500-200(℃/秒)を求めた。維持時間(秒)、急冷工程開始温度(℃)、及び、急冷工程冷却速度CR
500-200(℃/秒)を表5に示す。なお、急冷設備の入側に設置した放射温度計で測定した素管の表面温度を、急冷工程開始温度(℃)とした。
【0198】
[評価試験]
上記の温間矯正後、冷却された各試験番号の鋼管に対して、以下に説明する軸方向の引張試験、周方向の引張試験及び圧縮試験、固溶C量測定試験、ミクロ組織観察、DCB試験、及び、引張型定荷重試験を実施した。
【0199】
[軸方向の引張試験]
軸方向の引張試験は、ASTM E8(2013)に準拠して実施した。具体的に、各試験番号の鋼管の肉厚中央部から、平行部の直径6.35mm、平行部の長さ35mmの丸棒試験片を採取した。丸棒試験片の軸方向は、鋼管の圧延方向(軸方向)と平行であった。
【0200】
各試験番号の丸棒試験片を用いて、常温(25℃)、大気中にて引張試験を実施して、降伏強度(MPa)及び引張強度(MPa)を得た。なお、引張試験で得られた0.2%オフセット耐力を、各試験番号の降伏強度(MPa)とした。一様伸び中の最大応力を引張強度(MPa)とした。求めた降伏強度(YS)と引張強度(TS)との比を、降伏比(YR)(%)とした。求めたYS(MPa)、TS(MPa)、及び、YR(%)を表6に示す。
【0201】
【表6】
【0202】
[周方向の引張試験及び圧縮試験]
周方向の引張試験は、軸方向の引張試験と同様に、ASTM E8(2013)に準拠して実施した。具体的に、各試験番号の鋼管の肉厚中央部から、平行部の直径6.35mm、平行部の長さ35mmの丸棒試験片を採取した。丸棒試験片は、丸棒試験片の中央部において、丸棒試験片の軸方向と、鋼管の周方向とが平行になるように採取した。
【0203】
各試験番号の丸棒試験片を用いて、常温(25℃)、大気中にて引張試験を実施して、周方向の引張降伏強度(MPa)を得た。なお、上述のとおり、引張試験で得られた0.2%オフセット耐力を、各試験番号の周方向の引張降伏強度(MPa)とした。
【0204】
周方向の圧縮試験は、次の方法で実施した。各試験番号の鋼管の肉厚中央部から、平行部の直径6.35mm、平行部の長さ35mmの丸棒試験片を採取した。丸棒試験片は、丸棒試験片の中央部において、丸棒試験片の軸方向と、鋼管の周方向とが平行になるように採取した。
【0205】
各試験番号の丸棒試験片を用いて、常温(25℃)、大気中にて圧縮試験を実施して、周方向の圧縮降伏強度(MPa)を得た。なお、上述のとおり、圧縮試験で得られた0.2%オフセット耐力を、各試験番号の周方向の圧縮降伏強度(MPa)とした。
【0206】
求めた周方向の引張降伏強度(周方向引張YS)(MPa)、周方向の圧縮降伏強度(周方向圧縮YS)(MPa)、及び、周方向の引張降伏強度と圧縮降伏強度との差(引張YS−圧縮YS)(MPa)を、表6に示す。
【0207】
[固溶C量測定試験]
各試験番号の鋼管について、上述の測定方法により、固溶C量(質量%)を測定及び算出した。なお、TEMは日本電子(株)製JEM−2010で、加速電圧は200kVとした。EDS点分析は、照射電流を2.56nAとし、各点で60秒の計測を行った。TEMによる観察領域は8μm×8μmとし、任意の10視野で観察した。固溶C量の計算において用いる、各元素の残渣量及びセメンタイト中の濃度は表7のとおりであった。
【0208】
【表7】
【0209】
[ミクロ組織観察]
各試験番号の鋼管のミクロ組織について、降伏強度が862〜965MPa(125ksi級)、及び、降伏比が90%以上であったため、焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトの体積率は90%以上であると判断した。
【0210】
各試験番号の鋼管についてさらに、上述の方法で、ε炭化物の個数密度を算出した。なお、TEMは日本電子(株)製JEM−2010で、加速電圧は200kVとした。EDS点分析は、照射電流を2.56nAとし、各点で60秒の計測を行った。TEMによる観察領域は1μm×1μmとし、任意の5視野で観察した。求めたε炭化物の個数密度(個/μm
3)を表6に示す。
【0211】
[DCB試験]
各試験番号の鋼管について、NACE TM0177−2005 Method Dに準拠したDCB試験を実施した。具体的には、各試験番号の鋼管の肉厚中央部から、
図3Aに示すDCB試験片を3本ずつ採取した。DCB試験片の長手方向が鋼管の軸方向と平行となるよう採取した。各試験番号の鋼管からさらに、
図3Bに示すクサビを採取した。クサビの厚さtは3.10mmであった。DCB試験片のアームの間に、上記クサビを打ち込んだ。
【0212】
試験溶液は、酢酸でpH3.5に調整した、5.0質量%塩化ナトリウムと0.4質量%酢酸ナトリウムとの混合水溶液(NACE solution B)を用いた。クサビが打ち込まれたDCB試験片を封入した試験容器に、気相部を残して試験溶液を注入し、試験浴とした。試験浴を脱気した後、0.1atmのH
2Sと0.9atmのCO
2との混合ガスを吹き込み、試験浴を腐食環境とした。試験浴を撹拌しながら、試験容器内を24℃で17日間(408時間)保持した。保持後の試験容器からDCB試験片を取り出した。
【0213】
取り出したDCB試験片のアーム先端に形成された孔にピンを差し込み、引張試験機で切欠部を開口して、クサビ解放応力Pを測定した。さらに、DCB試験片の切欠きを液体窒素中で解放させて、試験浴に浸漬中のDCB試験片の割れ進展長さaを測定した。割れ進展長さaは、ノギスを用いて目視で測定した。測定したクサビ解放応力Pと、割れ進展長さaとに基づいて、式(6)を用いて破壊靭性値K
1SSC(MPa√m)を求めた。求めた3つの破壊靭性値K
1SSC(MPa√m)の算術平均値を求め、その試験番号の鋼管の破壊靭性値K
1SSC(MPa√m)と定義した。
【0214】
【数2】
【0215】
なお、式(6)において、h(mm)はDCB試験片の各アームの高さであり、B(mm)はDCB試験片の厚さであり、Bn(mm)はDCB試験片のウェブ厚さである。これらは、NACE TM0177−2005 Method Dに規定されている。
【0216】
各試験番号の鋼管について、得られた破壊靭性値K
1SSCを表6に示す。上記定義された破壊靭性値K
1SSCが30.0MPa√m以上である場合、DCB試験の結果が良好であると判断した。なお、試験浴に浸漬する前にクサビを打ち込んだ際のアームの間隔は、K
1SSC値に影響を与える。したがって、アームの間隔をマイクロメーターで実測しておき、API規格の範囲内であることを確認した。
【0217】
[引張型定荷重試験]
試験番号
20以外の各試験番号の鋼管について、NACE TM0177−2005 Method Aに準拠した方法によって、引張型定荷重試験を実施した。具体的には、各試験番号の鋼管の肉厚中央部から、平行部の直径6.35mm、平行部の長さ25.4mmの丸棒試験片を採取した。丸棒試験片の軸方向は、鋼管の軸方向に平行であった。各試験番号の丸棒試験片の軸方向に引張応力を負荷した。このとき、各試験番号の丸棒試験片に与えられる応力が、125ksi(862MPa)の90%、すなわち、776MPaになるように、調整した。
【0218】
試験溶液は、酢酸でpH3.5に調整した、5.0質量%塩化ナトリウムと0.4質量%酢酸ナトリウムとの混合水溶液(NACE solution B)を用いた。3つの試験容器に24℃の試験溶液をそれぞれ注入し、試験浴とした。応力を負荷した3本の丸棒試験片を、1本ずつ異なる試験浴に浸漬した。試験浴を脱気した後、0.1atmのH
2Sと0.9atmのCO
2との混合ガスを吹き込み、試験浴に飽和させた。試験浴を24℃で720時間保持した。
【0219】
720時間保持後の各試験番号の試験片に対して、硫化物応力割れ(SSC)の発生の有無を観察した。観察の結果、3本全ての試験片に割れが確認されなかったものを、「E」(Excellent)と判断した。一方、少なくとも1本の試験片に割れが確認されたものを、「NA」(Not Acceptable)と判断した。なお、試験番号20の鋼管については、降伏強度が125ksi級にならなかったため、引張型定荷重試験を実施しなかった。
【0220】
[試験結果]
表6に試験結果を示す。
【0221】
表4〜6を参照して、試験番号1〜14の鋼管の化学組成は適切であり、軸方向の降伏強度が862〜965MPa(125ksi級)であり、降伏比が90%以上であった。さらに、周方向の引張降伏強度は862〜965MPaであり、周方向の引張降伏強度は周方向の圧縮降伏強度より30〜80MPa高かった。さらに、固溶C量が0.010〜0.050質量%であった。さらに、ε炭化物の個数密度が30個/μm
3以下であった。その結果、K
1SSC値が30.0MPa√m以上であり、かつ、引張型定荷重試験において、試験片に割れが確認されなかった。すなわち、優れた耐SSC性を示した。
【0222】
一方、試験番号15の鋼管では、温間矯正開始温度が低すぎた。そのため、周方向の引張降伏強度が965MPaを超えた。その結果、その結果、K
1SSCが30.0MPa√m未満であり、かつ、引張型定荷重試験において、試験片に割れが確認された。すなわち、優れた耐SSC性を示さなかった。
【0223】
試験番号16の鋼管では、温間矯正後の維持時間が短すぎた。そのため、周方向の引張降伏強度が周方向の圧縮降伏強度より80MPaを超えて高かった。その結果、引張型定荷重試験において、試験片に割れが確認された。すなわち、優れた耐SSC性を示さなかった。
【0224】
試験番号17の鋼管では、温間矯正後の維持時間が長すぎた。そのため、固溶C量が0.010%未満となった。その結果、K
1SSC値が30.0MPa√m未満であり、かつ、引張型定荷重試験において、試験片に割れが確認された。すなわち、優れた耐SSC性を示さなかった。
【0225】
試験番号18の鋼管では、温間矯正後の急冷開始温度が低すぎた。そのため、固溶C量が0.010%未満となった。さらに、ε炭化物の個数密度が30個/μm
3を超えた。その結果、K
1SSC値が30.0MPa√m未満であり、かつ、引張型定荷重試験において、試験片に割れが確認された。すなわち、優れた耐SSC性を示さなかった。
【0226】
試験番号19の鋼管では、急冷工程冷却速度CR
500-200が遅すぎた。そのため、固溶C量が0.010%未満となった。さらに、ε炭化物の個数密度が30個/μm
3を超えた。その結果、K
1SSC値が30.0MPa√m未満であり、かつ、引張型定荷重試験において、試験片に割れが確認された。すなわち、優れた耐SSC性を示さなかった。
【0227】
試験番号20の鋼管では、C含有量が低すぎた。そのため、固溶C量が0.010%未満となった。さらに、軸方向の降伏強度と周方向の引張降伏強度とが、いずれも862MPa未満となった。すなわち、125ksi級の降伏強度が得られなかった。
【0228】
試験番号21の鋼管では、Si含有量が高すぎた。その結果、K
1SSC値が30.0MPa√m未満であり、かつ、引張型定荷重試験において、試験片に割れが確認された。すなわち、優れた耐SSC性を示さなかった。
【0229】
以上、本発明の実施の形態を説明した。しかしながら、上述した実施の形態は本発明を実施するための例示に過ぎない。したがって、本発明は上述した実施の形態に限定されることなく、その趣旨を逸脱しない範囲内で上述した実施の形態を適宜変更して実施することができる。