【実施例】
【0027】
(実施例1:アンモニア低生産変異麹菌株の取得と変異箇所の分析)
2種のヤマサ保有麹菌株(アルペルギルス・オリゼー、以下「親株A」、「親株B」と記載する)に対して紫外線を照射し、変異原処理を行った。なお、変異原処理の方法は下記に拠った。
【0028】
(変異処理の方法)
メンブレンフィルターに麹菌胞子を吸着させ、当該フィルターにUVを照射した後、0.1Mリン酸バッファー(pH7.0)に懸濁した(生存率1%程度)。1プレートあたり10コロニー程度となるように、0.05%ツィーン液にて1000倍希釈し、L−アルギニン、オルニチンを含む最小培地(組成:スクロース0.5%、リン酸2カリウム0.1%、硫酸マグネシウム0.05%、塩化カリウム0.05%、トレースエレメント0.1%、ブロモクレゾールパープル0.005%、寒天1.5%、pH5.5)へプレーティングした。
【0029】
当該培地における培養では、ブロモクレゾールパープルの作用により、pHが上昇するとコロニーが青く呈色する。3日間培養した後、黄色のコロニーを、pH上昇が生じない変異候補菌株として選抜した。
【0030】
取得した麹菌変異候補菌株を、醤油培地(脱脂加工大豆5gに水を7ml加え、割砕小麦5gをよく混合したのち、オートクレーブにて121℃、40分間処理)に植菌し、28℃で24、48、72時間培養することで培養物(麹)を製造した。各培養物に水100mlを加えてよく撹拌し、5℃で4時間以上静置後、ろ紙ろ過した。ろ液のpHを測定し、pHの上昇が抑制されている株を2次スクリーニングした。
【0031】
結果、親株A由来、親株B由来の変異体候補株からそれぞれ1株ずつの変異株を取得した(以下それぞれ「変異株A」、「変異株B」と記載する)。
【0032】
pHの測定結果を
図1に示す。結果、親株A、Bでは培養時間が長くなるにつれてpHの上昇が確認されたのに対し、取得された変異株A、Bでは、pHの過剰な上昇は確認されなかった。
【0033】
そこで、これら変異株Aおよび変異株Bのゲノム配列を解読し、変異点解析を行った。異なる親株で同じ箇所に変異がみられれば、当該変異がpH過剰上昇の抑制をもたらす機能遺伝子である可能性が高いと考えられる。
【0034】
ゲノム抽出にはDNeasy Plant Maxiキット(QIAGEN)を用い、得られたゲノムDNAの解析をフィルジェン株式会社に委託した。ゲノム解析はillumina HiSeq4000(イルミナ株式会社)を用いてPE150で2Gbpずつシークエンスを実施し、両側で合計4Gbpのシークエンスデータが得られた。 変異点解析の手順は、下記のようにして行った。
【0035】
(解析方法)
親株、変異株それぞれのシークエンスデータについて、Burrows−Wheeler Aligner(BWA)を使用し、アスペルギルス・オリゼー RIB40株の全ゲノム配列を参照配列としてマッピングを行った。Genome Analysis Tool Kit (GATK)のHaplotype Callerで変異株に特有の変異箇所を検出した。
【0036】
変異点解析の結果、変異株Aは親株Aの遺伝子領域の27箇所、変異株Bは親株Bの遺伝子領域の48箇所に変異が確認された。そのうち、両者に共通する変異遺伝子は、AO090001000717のみであった。
【0037】
AO090001000717遺伝子は、1061アミノ酸をコードし、アスペルギルス・ニドゥランスのグルタミン酸脱水素酵素(GDH)であるgdhBとアミノ酸レベルで89.6%と高い相同性を示した。以下、当該遺伝子(AO090001000717遺伝子)をAogdhB遺伝子と称する。
【0038】
変異株A、Bはいずれも、AogdhB遺伝子において、変異によりフレームシフトが生じており、変異株Aでは697番目以降(704番目にStopコドン)、変異株Bでは249番目以降(298番目にStopコドン)のアミノ酸配列が全く異なるものとなったために、機能を失っていることが強く示唆された(
図2)。
【0039】
(実施例2:供与菌株を用いたAogdhB機能欠損株の作成と評価)
(実施例2−1:gdhB破壊株ベクターおよび破壊株の作成)
アスペルギルス・オリゼーにおけるAogdhB遺伝子が製麹中に実際に機能しているか否かをさらに明らかにするため、供与菌株を親株に用いたAogdhB機能欠損株の作成を試みた。
【0040】
AogdhB遺伝子のORF上流1.8kbp(配列番号3)、下流1.3kbの領域(配列番号4)、アスペルギルス・ニドゥランス由来のsCマーカー(Mol Gen Genet.1995 May 20;247(4):423−429.)の3断片をIn−Fusion HD Cloning Kit(TaKaRa)を用いて結合し、破壊用ベクターを作成した。
【0041】
得られた破壊断片をPCRにて増幅し、アスペルギルス・オリゼーRIB40株由来であるΔligD株(niaD
−, sC
−, ligD::ptrA)を親株に用いて形質転換を行った。コントロール株として、アスペルギルス・オリゼーのsC遺伝子領域に、アスペルギルス・ニドゥランス由来のsCマーカーを挿入した株をコントロール株とした。なお、RIB40株は公知の供与株であり、ΔligDおよびその作成方法も論文により公知である(Mizutani et al.,Fungal Genetics and Biology,45(2008) 878−889頁)。
【0042】
得られた形質転換体について、ベクター由来のDNA断片が組換えにより確かに挿入されている株であることをPCRによって確認した(
図3、4)。PCRではフォワードプライマーとしてプライマーA(配列番号5)、リバースプライマーとしてプライマーB(配列番号6)を用いた。プライマーA、Bの作成位置は、
図3に示す通りである。
以上の方法により、アスペルギルス・オリゼーAodghB遺伝子機能欠損株(以下、「ΔAogdhB株」と記す場合がある)を得た。
【0043】
(実施例2−2:原料培地での生育)
脱脂加工大豆5gに水を7ml加え、割砕小麦5gをよく混合したのち、オートクレーブにて121℃、40分間処理した。得られた原料に、コントロール株およびΔAogdhB株の胞子懸濁液(1.4×10
7個/ml)を1mlずつ加え、24時間、48時間、72時間、96時間培養した。各培養物に水100mlを加えて振とうし、4時間静置後、ろ紙ろ過したろ液のpHを測定した。
【0044】
[結果]
結果、コントロール株では時間と共にpHが直線的に上昇しているのに対し、ΔAogdhB株では、製麹後期でのpH上昇は確認されなかった。このことから、製麹後期におけるpHの上昇にはAogdhBが寄与していることが明らかとなった(
図5)。
【0045】
(実施例2−3:遺伝子破壊株の醤油醸造における評価)
脱脂加工大豆200gに水を260L加え吸水させ、常法に従って蒸煮した。また、生小麦200gを常法に従って焙焼し、割砕した。ΔAogdhB株およびコントロール株の胞子1×10
6cfu/gをそれぞれ混合し、常法に従い48時間製麹した。
【0046】
得られた麹について食塩濃度約25%(w/v)の塩水を700mL添加して、濃口醤油の仕込みを行った。麹と塩水が十分になじんだ翌日によく撹拌した後、諸味をろ過し、それぞれのろ液のアンモニア量とpHを測定した。なお、アンモニア量はアミノ酸分析装置(日立ハイテク)を用いて測定した。
【0047】
結果、コントロール株におけるろ液1mL当たりのアンモニア濃度は2.22(mg/mL)であったのに対し、ΔAogdhB株におけるアンモニア濃度は1.37(mg/mL)に低下していた。アンモニア量比およびpHについて、コントロール株における測定値を1.00としたときの比を表1に示す。このように、ΔAogdhB株を用いて製造した麹では、コントロール株を用いて製造した麹と比べて有意にアンモニア量の低減が確認され、pHも有意に低かった。
【0048】
【表1】
【0049】
塩水を添加して仕込んだ諸味は、常法に従って乳酸菌、酵母を添加し、4ヶ月間発酵・熟成させた。熟成後の諸味をろ過し、生醤油を得た。
【0050】
当該生醤油中の総遊離アミノ酸量およびアンモニア量を、アミノ酸分析装置(日立ハイテク)を用いて測定した。結果、コントロール株使用生醤油における全窒素濃度1%(w/v)当たりのアンモニア濃度は1.65(mg/mL)であったのに対し、ΔAogdhB株使用生醤油におけるアンモニア濃度は1.05(mg/mL)に低下していた。また、コントロール株使用生醤油における全窒素濃度1%(w/v)当たりの総遊離アミノ酸濃度は31.57(mg/mL)であったのに対し、ΔAogdhB株使用生醤油における総遊離アミノ酸濃度は35.27(mg/mL)に増加していた。コントロール株における測定値を1.00としたときの量比を下記表2に示す。
【0051】
このように、ΔAogdhB株を用いて製造した濃口醤油では、コントロール株を用いて製造した濃口醤油と比べて、有意に遊離アミノ酸量が増加し、かつアンモニア量が低減していることが確認された。
【0052】
【表2】
【0053】
(実施例3:実用麹菌株の醤油醸造における評価)
実施例1で得られた、AogdhB遺伝子の機能が欠損している変異株である変異株Bを用いて、醤油醸造を行った。
【0054】
脱脂加工大豆15kgに水を20L加え吸水させ、常法に従って蒸煮した。また、生小麦15kgを常法に従って焙焼し、割砕した。親株Bおよび変異株Bの胞子1×10
6cfu/gをそれぞれ混合し、常法に従い48時間製麹した後、得られた麹に食塩濃度約25%(w/v)の塩水を50L添加して、濃口醤油の仕込みを行った。麹と塩水が十分になじんだ翌日によく撹拌した後、諸味をろ過し、pHを測定した。変異株Bでは有意にpHの低下が確認された(表3)。
【0055】
【表3】
【0056】
塩水を添加して仕込んだ諸味は、常法に従って乳酸菌、酵母を添加し、4ヶ月間発酵・熟成させた。熟成後の諸味をろ過し、遊離アミノ酸量を測定した。
【0057】
結果、親株B使用生醤油における全窒素濃度1%(w/v)当たりのアンモニア濃度は1.22(mg/mL)であったのに対し、変異株B使用生醤油におけるアンモニア濃度は1.03(mg/mL)に低下していた。また、親株B使用生醤油における全窒素濃度1%(w/v)当たりの総遊離アミノ酸濃度は33.29(mg/mL)であったのに対し、変異株B使用生醤油における総遊離アミノ酸濃度は34.32(mg/mL)に増加していた。親株Bにおける測定値をそれぞれ1.00としたときの量比を下記表4に示す。
【0058】
【表4】
【0059】
このように、AogdhB遺伝子の機能欠損した変異株Bを用いて製麹を行い、濃口醤油を製造したときには、野生株を用いて濃口醤油を製造したときと比較して、できあがる醤油において有意な遊離アミノ酸量の増加およびアンモニア量の低減が確認され、良好な品質の醤油を製造できることが明らかになった。