【発明が解決しようとする課題】
【0004】
ところで、この種の多孔質焼結合金層に青銅系銅合金が用いられる一つの理由は、多孔質焼結合金層の孔隙及び表面に充填被覆される合成樹脂組成物からなる滑り層の該多孔質焼結合金層への強固な接合強度(アンカー効果)を達成することができることと、相手材との摺動摩擦によって合成樹脂組成物からなる滑り層に摩耗が生じて該滑り層(摺動面)に多孔質焼結合金層の一部が露出しても、露出した青銅系銅合金が具有する良好な摺動性能により、複層摺動部材としての摩擦摩耗等の良好な摺動特性を維持することができることとにある。
【0005】
しかしながら、斯かる複層摺動部材は、多くの異なった条件下、例えば乾燥摩擦条件又は油中若しくは油潤滑条件等の条件下で使用されるが、油中又は油潤滑条件下の使用、特に摩擦面での面圧が高く、油膜の破断に起因する焼付きを生じやすい極圧条件下であって、塩素、硫黄、燐等、特に硫黄を含む極圧添加剤を含有する油中又は油潤滑条件下の使用では、複層摺動部材の切削加工による切削面又は摺動面に露出した多孔質焼結合金層の銅と、極圧添加剤として含有されている潤滑油中の硫黄との反応により硫化物(Cu
2S、CuS等)の生成に伴う青銅系銅合金からなる多孔質焼結合金層に硫化腐食を生じさせ、この生成された硫化物は、多孔質焼結合金層の強度を低下させ、かつ被覆層の摩耗を促進させるという欠点として現れる。
【0006】
上記欠点を解決するべく本発明者らは、先に、鋼板を有した裏金と、この裏金の一方の面に一体的に接合されていると共に鉄又は鉄基合金30〜60質量%及びニッケル−燐合金40〜70質量%を含む多孔質焼結合金層とを具備した複層摺動部材を提案した(特許文献6)。
【0007】
本発明者らの提案に係る複層摺動部材は、潤滑油中、特に硫黄等を含む極圧添加剤を含有する潤滑油を用いた油中又は油潤滑条件下においても、硫化腐食の進行を抑えることができると共に摩擦摩耗特性に優れている。
【0008】
本発明者らは、耐硫化腐食性という効果を有する特許文献6に記載された多孔質焼結合金層に着目し、鉄とニッケル及び燐に対し、更に所定量の錫を含有すると共に鉄、ニッケル、燐及び錫から作製したアトマイズ合金粉末を焼結して形成した多孔質焼結合金層は、更に硫化腐食を生じることがないと共に多孔質焼結合金層の耐摩耗性を大幅に向上させることを見出し、本発明をなすに至った。
【0009】
本発明は、前記諸点に鑑みなされたものであり、その目的とするところは、硫黄等を含む極圧添加剤を含有する潤滑油を用いた油中又は油潤滑条件下においても、更に硫化腐食を生じる虞がないと共に耐摩耗性により優れた多孔質焼結合金層を備えた複層焼結板及びその製造方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0010】
本発明の複層焼結板は、裏金と、この裏金の一方の面に一体的に接合された多孔質焼結合金層とを具備しており、多孔質焼結合金層は、ニッケル30〜50質量%、燐1〜10質量%、錫2.5〜10質量%に加えて残部として鉄及び不可避不純物を有すると共に鉄−ニッケル−錫合金を含むマトリックス相と該マトリックス相の内部に析出したニッケル−燐−鉄−錫合金を含む硬質相とを具備した組織を有
し、
マトリックス相は、少なくともマイクロビッカース硬さ(HMV)220を有しており、硬質相は、少なくともマイクロビッカース硬さ(HMV)700を有している。
【0011】
本発明の複層焼結板によれば、多孔質焼結合金層は、鉄−ニッケル−錫合金を含むマトリックス相と該マトリックス相の内部に析出したニッケル−燐−鉄−錫合金を含む硬質相とを具備した組織を有している結果、大幅に向上された耐摩耗性を有し、硫黄等の極圧添加剤を含有する潤滑油中又は潤滑油の供給条件下においても、硫化腐食等の不具合を生じることはないので、充填被覆される合成樹脂組成物の被覆層に硫化腐食等に起因する剥離を生じさせない。
【0012】
裏金と、この裏金の一方の面に一体的に接合された多孔質焼結合金層とを備えた本発明の複層焼結板の製造方法は、(a)裏金として、フェライト系、オーステナイト系若しくはマルテンサイト系のステンレス鋼板又は一般構造用圧延鋼板若しくは冷間圧延鋼板からなる鋼板を準備する工程と、(b)ニッケル30〜50質量%、燐1〜10質量%、錫2.5〜10質量%に加えて残部として鉄及び不可避不純物を有した合金を得ることができる所定量の鉄単体、ニッケル単体、鉄−燐合金、ニッケル−燐合金及び錫単体の原料金属を溶解して溶湯を作製すると共に当該溶湯をアトマイズ法により粉末化してアトマイズ合金粉末を作製する工程と、(c)アトマイズ合金粉末を裏金の一方の面に一様な厚さに散布し、これを還元性雰囲気に調整した加熱(焼結)炉内で890〜930℃の温度で5〜10分間焼結し、裏金の一方の面に、ニッケル30〜50質量%、燐1〜10質量%、錫2.5〜10質量%に加えて残部として鉄及び不可避不純物を有する多孔質焼結合金層を一体的に接合する工程とを具備しており、鋼板からなる裏金の一方の表面に一体的に接合された多孔質焼結合金層は、鉄−ニッケル−錫合金を含むマトリックス相と、マトリックス相の内部に析出したニッケル−燐−鉄−錫合金を含む硬質相とを具備した組織を有している。
【0013】
本発明の複層焼結板において、裏金は、好ましい例では、フェライト系、オーステナイト系又はマルテンサイト系のステンレス(SUS)鋼板のみからなっていても、斯かるステンレス鋼板を具備していてもよく、このステンレス鋼板としては、冷間圧延ステンレス鋼板が好ましく、このうち、フェライト系ステンレス鋼板のJIS鋼種としては、例えば、SUS405、SUS410L、SUS429、SUS430、SUS434、SUS436L、SUS444、SUS447J1等を、オーステナイト系ステンレス鋼板のJIS鋼種としては、例えば、SUS301、SUS302、SUS303、SUS304、SUS305、SUS309、SUS310、SUS316、SUS316L、SUS317、SUS321、SUS347、SUS384等を、そして、マルテンサイト系ステンレス鋼板のJIS鋼種としては、例えば、SUS403、SUS410、SUS416、SUS420、SUS431、SUS440等を挙げることができる。
【0014】
裏金が斯かるステンレス鋼板からなる場合、裏金の一方の面は、このステンレス鋼板の一方の面であってもよく、また、裏金は、ステンレス鋼板と、このステンレス鋼板の表面を被覆したニッケル皮膜とを具備していてもよく、ニッケル皮膜を具備した裏金の場合には、裏金の一方の面は、このニッケル皮膜の一方の面であってもよい。
【0015】
ステンレス鋼板は、その表面が不働態皮膜によって覆われて安定な耐食性を有しているために、特にニッケル皮膜を必要としないが、この不働態皮膜は、極薄で壊れやすいため、当該不働態皮膜の補強を目的として、ステンレス鋼板にニッケル皮膜を形成してもよい。
【0016】
本発明の複層焼結板において、裏金は、他の好ましい例では、JISG3101に規定されている一般構造用圧延鋼板(SS400等)又はJISG3141に規定されている冷間圧延鋼板(SPCC等)からなっており、裏金が斯かる一般構造用圧延鋼板又は冷間圧延鋼板からなる場合、裏金の一方の面は、この一般構造用圧延鋼板又は冷間圧延鋼板の一方の面であってもよく、また、裏金は、この一般構造用圧延鋼板又は冷間圧延鋼板の表面を被覆したニッケル皮膜を更に具備していてもよく、ニッケル皮膜を更に具備した裏金の場合には、裏金の一方の面は、このニッケル皮膜の一方の面であってもよい。
【0017】
裏金としての前記鋼板の厚さは、0.3〜2.0mmであることが好ましく、またニッケル皮膜の厚さは、概ね3〜50μmであることが好ましい。
【0018】
裏金としてニッケル皮膜を備えた鋼板を使用した複層焼結板においては、多孔質焼結合金層はニッケル皮膜を介して裏金の一方の面に接合されるため、その接合強度が高められると共に、裏金に当該ニッケル皮膜による耐蝕性が付与される。
【0019】
本発明の複層焼結板の製造方法において、アトマイズ合金粉末は、鉄単体、ニッケル単体、鉄−燐合金、ニッケル−燐合金及び錫単体を適宜選択して作製したニッケル30〜50質量%、燐1〜10質量%及び錫2.5〜10質量%の割合で含有し、しかも、残部として鉄及び不可避不純物を含む溶融合金(溶湯)を、高速で噴射された流体(液体又は気体)に衝突させることにより、溶湯を微粉化すると共に冷却して得られる。流体として気体(不活性ガスなど)を使用したガスアトマイズ合金粉末は、粒子形状が球形状を呈し、流体として液体(水など)を使用した水アトマイズ合金粉末は、不規則形状を呈している。本発明の複層焼結板においては、いずれの形状のアトマイズ合金粉末を使用してもよい。アトマイズ合金粉末では、鉄、ニッケル、燐及び錫を溶解することにより合金化が促進されるので、アトマイズ合金粉末を焼結して得られる多孔質焼結合金層では、アトマイズ鉄粉末とニッケル−燐合金粉末との混合粉末を焼結して得られる多孔質焼結合金層よりも耐摩耗性が向上される。
【0020】
このように作製されたアトマイズ合金粉末において、ニッケルは、主成分をなす鉄に固溶して鉄−ニッケル−錫合金を含むマトリックス相を形成し、多孔質焼結合金層の強度を向上し、該マトリックス相の耐摩耗性を向上させる。また、ニッケルは、後述する燐、錫及び主成分をなす鉄とニッケル−燐−鉄−錫合金とを含む液相を発生し、当該液相は、マトリックス相の内部にニッケル−燐−鉄−錫合金を含む硬質相を析出する。ニッケルの含有量が30質量%未満では多孔質焼結合金層における鉄−ニッケル合金を主体としたマトリックス相の強度の向上が得られず、耐摩耗性、耐荷重性が不充分となる虞があり、また含有量が50質量%を超えると多孔質焼結合金層の耐摩耗性を低下させる虞がある。したがって、アトマイズ合金粉末におけるニッケルの含有量は30〜50質量%、好ましくは40〜50質量%である。
【0021】
燐は、ニッケル、鉄及び錫とニッケル−燐−鉄−錫合金との液相を発生し、当該液相は、マトリックス相の内部にニッケル−燐−鉄−錫合金を含む硬質相を析出する。このニッケル−燐−鉄−錫合金を含む硬質相は、多孔質焼結合金層の耐摩耗性及び耐荷重性を向上させる。燐の含有量が1質量%未満では、ニッケル−燐−鉄−錫合金を含む硬質相の割合が少なく、耐摩耗性の向上に効果が充分発揮されず、また含有量が10質量%を超えるとニッケル−燐−鉄−錫合金を含む硬質相が多くなりすぎ、却って耐摩耗性を悪化させる虞がある。したがって、多孔質焼結合金層における燐の含有量は1〜10質量%、好ましくは3〜7質量%である。
【0022】
錫は、鉄−ニッケル合金を含むマトリックス相及びニッケル−燐−鉄合金を含む硬質相に拡散してマトリックス相及び硬質相を強化すると共に耐摩耗性を向上させる。また、錫は、アトマイズ合金粉末の焼結を低い焼結温度での製作を可能とするので、焼結炉に装備される炉心管、ヒーター、メッシュベルト等の熱(焼結温度)による早期の損傷を回避し得、焼結炉のメンテナンス回数を減らすことができる結果、メンテナンス費用を削減することができる。錫の含有量が2.5質量%未満では、上記効果が十分発揮されず、また含有量が10質量%を超えると耐摩耗性を低下させる虞がある。したがって、アトマイズ合金粉末における錫の含有量は2.5質量%〜10質量%、好ましくは2.5〜7質量%である。
【0023】
本発明において、ニッケル30〜50質量%、燐1〜10質量%、錫2.5〜10質量%に加えて残部として鉄及び不可避不純物を有するアトマイズ合金粉末の多孔質焼結合金層は、鉄−ニッケル−錫合金を含むマトリックス相と、このマトリックス相の内部に析出したニッケル−燐−鉄−錫合金を含む硬質相とを有する金属組織を呈しており、本発明の好ましい例では、マトリックス相のマイクロビッカース硬度(HMV)は、当該マトリックス相の7か所の部位の測定値の平均値で少なくとも220を有しており、硬質相のマイクロビッカース硬度(HMV)は、当該硬質相の7か所の部位の測定値の平均値で少なくとも700を有している。
【0024】
裏金がステンレス鋼板、一般構造用圧延鋼板又は冷間圧延鋼板であって、裏金の一方の面がステンレス鋼板、一般構造用圧延鋼板又は冷間圧延鋼板の一方の面である場合には、裏金の一方の面に一様に散布されたアトマイズ合金粉末は、加熱(焼結)炉において890〜930℃の温度で5〜10分間焼結し、ニッケルが裏金の一方の面に固溶してその面を合金化し、多孔質焼結合金層の裏金への接合強度を増大させると共に、ニッケル−燐−鉄−錫合金が多孔質焼結合金層と裏金との接合界面に介在して界面でニッケルの固溶による合金化と相俟って多孔質焼結合金層を裏金の一方の面に強固に接合一体化させる。裏金の一方の面に一体的に接合される多孔質焼結合金層の厚さは、概ね0.1〜0.5mmであることが好ましく、空孔率が20%以上50%以下であることが好ましい。
【0025】
裏金がステンレス鋼板、一般構造用圧延鋼板又は冷間圧延鋼板とこのステンレス鋼板、一般構造用圧延鋼板又は冷間圧延鋼板の一方の面を被覆したニッケル皮膜とを備えている場合は、マトリックス相の鉄−ニッケル合金がニッケル皮膜に拡散固溶して合金化するので、多孔質焼結合金層を裏金により強固に接合一体化させることができる。
【0026】
本発明の複層焼結板を用いて、該複層焼結板の多孔質焼結合金層の空孔及び表面に合成樹脂組成物を充填被覆した合成樹脂組成物の被覆層を備えた複層摺動部材としてもよい。
【0027】
合成樹脂組成物は、ふっ素樹脂、ポリエーテルエーテルケトン樹脂、ポリアミド樹脂、ポリアセタール樹脂、ポリフェニレンサルファイド樹脂及びポリアミドイミド樹脂から選択される少なくとも一つの主成分をなす合成樹脂と、ポリイミド樹脂、焼成フェノール樹脂、ポリフェニレンスルホン樹脂、オキシベンゾイルポリエステル樹脂、硫酸バリウム、珪酸マグネシウム及びリン酸塩から選択される少なくとも一つの充填剤を含んでおり、更に、合成樹脂組成物は、黒鉛、二硫化モリブデン、二硫化タングステン及び窒化ホウ素から選択される固体潤滑剤の少なくとも一つを含んでいてもよい。
【0028】
合成樹脂組成物の具体例としては、(1)硫酸バリウム5〜30質量%、珪酸マグネシウム1〜15質量%、リン酸塩1〜25質量%、酸化チタン0.5〜3質量%及び残部ポリテトラフルオロエチレン樹脂(以下「PTFE」と略称する。)からなる合成樹脂組成物、(2)硫酸バリウム5〜40質量%、燐酸塩1〜30質量%、ポリイミド樹脂、焼成フェノール樹脂及びポリフェニレンスルホン樹脂から選択される1種又は2種以上の有機材料1〜10質量%及び残部PTFEからなる合成樹脂組成物、(3)オキシベンゾイルポリエステル樹脂6.5〜11.5質量%、燐酸塩1〜12.5質量%、硫酸バリウム9.5〜34.5質量%及び残部PTFEからなる合成樹脂組成物、(4)飽和脂肪酸と多価アルコールとから誘導される多価アルコール脂肪酸エステル0.5〜5質量%、ホホバ油0.5〜3質量%及び残部ポリアセタール樹脂からなる合成樹脂組成物等を例示することができる。
【0029】
本発明の複層焼結板の多孔質焼結合金層の空孔及び表面に充填被覆された合成樹脂組成物の被覆層の厚さは0.02〜0.15mmとされ、当該被覆層を備えた複層摺動部材は、相手材との摺動摩擦によって被覆層に摩耗を生じ、当該被覆層に多孔質焼結合金層の一部が露出しても、露出した多孔質焼結合金層の良好な摺動性能により、複層摺動部材としての良好な摺動特性を発揮することができる。