特許第6930295号(P6930295)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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特許6930295熱延鋼板およびスプライン軸受ならびにそれらの製造方法
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6930295
(24)【登録日】2021年8月16日
(45)【発行日】2021年9月1日
(54)【発明の名称】熱延鋼板およびスプライン軸受ならびにそれらの製造方法
(51)【国際特許分類】
   C22C 38/00 20060101AFI20210823BHJP
   C22C 38/06 20060101ALI20210823BHJP
   C22C 38/58 20060101ALI20210823BHJP
   C21D 9/46 20060101ALI20210823BHJP
   C21D 8/02 20060101ALI20210823BHJP
   F16D 1/00 20060101ALI20210823BHJP
   F16D 1/06 20060101ALI20210823BHJP
【FI】
   C22C38/00 301W
   C22C38/00 301A
   C22C38/06
   C22C38/58
   C21D9/46 S
   C21D8/02 A
   F16D1/00 100
   F16D1/06 210
【請求項の数】8
【全頁数】29
(21)【出願番号】特願2017-166807(P2017-166807)
(22)【出願日】2017年8月31日
(65)【公開番号】特開2019-44217(P2019-44217A)
(43)【公開日】2019年3月22日
【審査請求日】2020年5月13日
(73)【特許権者】
【識別番号】000006655
【氏名又は名称】日本製鉄株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110002044
【氏名又は名称】特許業務法人ブライタス
(72)【発明者】
【氏名】横井 龍雄
(72)【発明者】
【氏名】林田 輝樹
【審査官】 鈴木 毅
(56)【参考文献】
【文献】 特開2002−129285(JP,A)
【文献】 国際公開第2017/022027(WO,A1)
【文献】 特開平11−193439(JP,A)
【文献】 特開2009−030159(JP,A)
【文献】 国際公開第2009/081554(WO,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C22C 38/00 − 38/60
C21D 8/02 − 8/04
C21D 9/46 − 9/48
F16D 1/00 − 1/12
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
化学組成が、質量%で、
C :0.070〜0.220%、
Si:0.05〜3.20%、
Mn:0.80〜2.20%、
Al:0.010〜1.000%、
N :0.0060%以下、
P :0.050%以下、
S :0.0050%以下、
残部:Feおよび不可避的不純物であって、
鋼板の圧延方向断面において、鋼板の厚さをtとしたときに、該鋼板の表面から1/4tまたは3/4tの位置における金属組織が、面積%で、
ベイナイト:10.0〜40.0%、
残留オーステナイト:8.0〜20.0%、
パーライト:2.5%未満、
マルテンサイト:2.5%未満、
残部:フェライトであり、
フェライトの平均円相当径が10.0〜100.0μm、
残留オーステナイトの平均円相当径が3.0〜18.0μm、であり、
残留オーステナイトの平均炭素濃度が、質量%で、0.80〜1.50%である、
熱延鋼板。
【請求項2】
前記化学組成が、さらに、質量%で、
Ti:0〜0.050%、
Nb:0〜0.100%、
V :0〜0.300%、
Cu:0〜2.00%、
Ni:0〜2.00%、
Cr:0〜2.00%、および
Mo:0〜1.00%、
から選択される1種以上を含有する、
請求項1に記載の熱延鋼板。
【請求項3】
前記化学組成が、さらに、質量%で、
B :0〜0.0100%、
を含有する、
請求項1または請求項2に記載の熱延鋼板。
【請求項4】
前記化学組成が、さらに、質量%で、
Mg:0〜0.0100%、
Ca:0〜0.0100%、および
REM:0〜0.1000%、
から選択される1種以上を含有する、
請求項1から請求項3までのいずれかに記載の熱延鋼板。
【請求項5】
前記化学組成が、さらに、質量%で、
Zr、Co、Zn、およびW、
から選択される1種以上を合計で1.000%以下含有する、
請求項1から請求項4までのいずれかに記載の熱延鋼板。
【請求項6】
請求項1から請求項5までのいずれかに記載の熱延鋼板の製造方法であって、
請求項1から請求項5までのいずれかに記載の化学組成を有する鋼片に対して、熱間圧延工程、第1冷却工程、巻取工程および第2冷却工程を順に施す熱延鋼板の製造方法であり、
前記熱間圧延工程は、3段以上の多段仕上圧延を含み、
前記多段仕上圧延における最前段から3段の圧延における累積歪みが、0.003〜0.300であり、
前記多段仕上圧延の圧延終了温度が、下記式5で求められるAr〜Ar+80℃の温度であり、
前記第1冷却工程では、前記多段仕上圧延が終了した後、1.00〜3.00s後に冷却を開始し、前記圧延終了温度から、600〜750℃の温度範囲まで、10℃/s以上の平均冷却速度で冷却し、その後、大気中で3〜10s保持した後、さらに350〜450℃の温度範囲まで、10℃/s以上の平均冷却速度で冷却し、
前記巻取工程では、350〜450℃の巻取り温度で巻取り、
前記第2冷却工程では、
該巻取り温度から350℃まで、30〜100℃/hの平均冷却速度で冷却し、350℃から100℃まで、30℃/h未満の平均冷却速度で冷却する、
熱延鋼板の製造方法。
Ar=970−325×C+33×Si+287×P+40×Al−92×(Mn+Mo+Cu)−46×(Cr+Ni) ・・・(式5)
但し、上記式中の元素記号は、各元素の熱間圧延鋼板中の含有量(質量%)を表し、含有されない場合は0を代入するものとする。
【請求項7】
請求項1から請求項5までのいずれかに記載の熱延鋼板に対してブローチ加工によ成形が施されたスプライン軸受であって、
前記スプライン軸受の内歯歯車の表面の算術平均粗さ(Ra)が2.5μm以下であり、かつ最大高さ粗さ(Rz)が15.0μm以下であり、
前記スプライン軸受の内歯歯車の表面から20μm深さ位置でのマイクロビッカース硬さが300Hv以上であり、
前記スプライン軸受の内歯歯車の表面から40μm深さ位置での平均粒界固溶炭素濃度が、原子%で、5〜10%である、
スプライン軸受。
【請求項8】
請求項1から請求項5までのいずれかに記載の熱延鋼板を用いたスプライン軸受の製造方法であって、
請求項1から請求項5までのいずれかに記載の熱延鋼板をブローチ加工により成形してスプライン軸受とすることによって
前記スプライン軸受の内歯歯車の表面における算術平均粗さ(Ra)を2.5μm以下、かつ最大高さ粗さ(Rz)を15.0μm以下とし、
前記スプライン軸受の内歯歯車の表面から20μm深さ位置でのマイクロビッカース硬さを300Hv以上とし、
前記スプライン軸受の内歯歯車の表面から40μm深さ位置での平均粒界固溶炭素濃度を、原子%で、5〜10%とする、
スプライン軸受の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、熱延鋼板およびスプライン軸受ならびにそれらの製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
耐摩耗性は産業機械または輸送機器等で使用される鋼材に求められる重要な特性の一つである。耐摩耗性の向上には相手材と接触する部分の表層を高硬度化することが有効である。大きな形状変形を伴わずに使用される建設、土木、鉱山等の分野ではパワーショベル、ブルドーザー、バケットに、Cr、Mo等の合金元素を大量に添加して表層だけではなく全体を高硬度化させた鋼材が使用されてきた。
【0003】
一方、非常に複雑な形状を有し、かつ耐摩耗性を要求される自動車のトランスミッション部品では、プレス成形等により部品形状に加工された後に浸炭、窒化等の熱処理により鋼材表層を高硬度化させる必要がある。そのため、プレス成形前は軟質で加工がし易く、その後の浸炭、窒化等の熱処理で表層が硬化し易い鋼材が使用されてきた。
【0004】
例えば、特許文献1には、加工性に優れた耐摩耗用熱延鋼板として、Nb、V、Cu、Ni、Cr、Mo、W等の合金元素を多量に添加した、引張強さ(TS)が、829〜922MPaの高強度鋼板の技術が開示されている。また、特許文献2には、伸びフランジ性に優れた耐摩耗用熱延鋼板として、Cr等を添加した、引張強さ(TS)が、516〜585MPaの高強度鋼板が開示されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【特許文献1】特開2008−214736号公報
【特許文献2】特開平9−49065号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
しかしながら、特許文献1に記載の鋼板は非常に高強度であるため、複雑な形状に加工することが難しい。また、合金添加コストの増大という課題を有している。
【0007】
また、特許文献2では、特許文献1と比較して、合金添加量が低減され、成形性も改善されている。しかし、耐摩耗性を得るためには成形後に浸炭、窒化等の熱処理により鋼材表層の高硬度化を必要とするために熱処理コストがかかるという課題を有している。
【0008】
トランスミッション部品で、耐摩耗性が必要なスプライン軸受の内歯歯車(スプライン軸受歯形部)においては、コストがかかる浸炭、窒化等の熱処理による表面高硬度化を省略し、スプライン軸受歯形部加工だけで、十分な耐摩耗性を得られることが望まれる。そして、スプライン軸受の内歯歯車はブローチ加工により成形される場合がある。
【0009】
ブローチ加工とは、図1に示すように、ブローチ1という刃が鋸状に配置された切削工具を使用して、スプライン軸受素材2の穴の内部を削り、スプライン軸受3を作製する加工法で、高い精度で、素早く仕上げることができる加工方法である。すなわち、スプライン軸受の内歯歯車に用いられる鋼材には、ブローチ加工による成形(以下、ブローチ成形ともいう)が良好である特性、ブローチ成形性が要求される。特許文献1および2では、ブローチ成形性には全く言及されていない。
【0010】
本発明は、上記の課題を解決し、ブローチ成形性に優れた熱延鋼板およびブローチ成形後の耐摩耗性に優れたスプライン軸受ならびにそれらの製造方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明者らは上記課題に対して詳細な検討を行った結果、素材である熱延鋼板の添加元素、ミクロ組織等を制御することにより、浸炭、窒化等の熱処理による表面高硬度化を省略し、ブローチ成形によるスプライン軸受歯形部の加工のままで、コストアップを伴わずに、優れた耐摩耗性を発現する技術を知見するに至った。
【0012】
本発明は、上記知見に基づいてなされたものであり、下記の熱延鋼板およびスプライン軸受ならびにそれらの製造方法を要旨とする。
【0013】
(1)化学組成が、質量%で、
C :0.070〜0.220%、
Si:0.05〜3.20%、
Mn:0.80〜2.20%、
Al:0.010〜1.000%、
N :0.0060%以下、
P :0.050%以下、
S :0.0050%以下、
残部:Feおよび不可避的不純物であって、
鋼板の圧延方向断面において、鋼板の厚さをtとしたときに、該鋼板の表面から1/4tまたは3/4tの位置における金属組織が、面積%で、
ベイナイト:10.0〜40.0%、
残留オーステナイト:8.0〜20.0%、
パーライト:2.5%未満、
マルテンサイト:2.5%未満、
残部:フェライトであり、
フェライトの平均円相当径が10.0〜100.0μm、
残留オーステナイトの平均円相当径が3.0〜18.0μm、であり、
残留オーステナイトの平均炭素濃度が、質量%で、0.80〜1.50%である、
熱延鋼板。
【0014】
(2)前記化学組成が、さらに、質量%で、
Ti:0〜0.050%、
Nb:0〜0.100%、
V :0〜0.300%、
Cu:0〜2.00%、
Ni:0〜2.00%、
Cr:0〜2.00%、および
Mo:0〜1.00%、
から選択される1種以上を含有する、
上記(1)に記載の熱延鋼板。
【0015】
(3)前記化学組成が、さらに、質量%で、
B :0〜0.0100%、
を含有する、
上記(1)または(2)に記載の熱延鋼板。
【0016】
(4)前記化学組成が、さらに、質量%で、
Mg:0〜0.0100%、
Ca:0〜0.0100%、および
REM:0〜0.1000%、
から選択される1種以上を含有する、
上記(1)から(3)までのいずれかに記載の熱延鋼板。
【0017】
(5)前記化学組成が、さらに、質量%で、
Zr、Co、Zn、およびW、
から選択される1種以上を合計で1.000%以下含有する、
上記(1)から(4)までのいずれかに記載の熱延鋼板。
【0018】
(6)上記(1)から(5)までのいずれかに記載の熱延鋼板の製造方法であって、
上記(1)から(5)までのいずれかに記載の化学組成を有する鋼片に対して、熱間圧延工程、第1冷却工程、巻取工程および第2冷却工程を順に施す熱延鋼板の製造方法であり、
前記熱間圧延工程は、3段以上の多段仕上圧延を含み、
前記多段仕上圧延における最前段から3段の圧延における累積歪みが、0.003〜0.300であり、
前記多段仕上圧延の圧延終了温度が、下記式5で求められるAr〜Ar+80℃の温度であり、
前記第1冷却工程では、前記多段仕上圧延が終了した後、1.00〜3.00s後に冷却を開始し、前記圧延終了温度から、600〜750℃の温度範囲まで、10℃/s以上の平均冷却速度で冷却し、その後、大気中で3〜10s保持した後、さらに350〜450℃の温度範囲まで、10℃/s以上の平均冷却速度で冷却し、
前記巻取工程では、350〜450℃の巻取り温度で巻取り、
前記第2冷却工程では、
該巻取り温度から350℃まで、30〜100℃/hの平均冷却速度で冷却し、350℃から100℃まで、30℃/h未満の平均冷却速度で冷却する、
熱延鋼板の製造方法。
Ar=970−325×C+33×Si+287×P+40×Al−92×(Mn+Mo+Cu)−46×(Cr+Ni) ・・・(式5)
但し、上記式中の元素記号は、各元素の熱間圧延鋼板中の含有量(質量%)を表し、含有されない場合は0を代入するものとする。
【0019】
(7)上記(1)から(5)までのいずれかに記載の熱延鋼板に対してブローチ加工によ成形が施されたスプライン軸受であって、
前記スプライン軸受の内歯歯車の表面の算術平均粗さ(Ra)が2.5μm以下であり、かつ最大高さ粗さ(Rz)が15.0μm以下であり、
前記スプライン軸受の内歯歯車の表面から20μm深さ位置でのマイクロビッカース硬さが300Hv以上であり、
前記スプライン軸受の内歯歯車の表面から40μm深さ位置での平均粒界固溶炭素濃度が、原子%で、5〜10%である、
スプライン軸受。
【0020】
(8)上記(1)から(5)までのいずれかに記載の熱延鋼板を用いたスプライン軸受の製造方法であって、
上記(1)から(5)までのいずれかに記載の熱延鋼板をブローチ加工により成形してスプライン軸受とすることによって
前記スプライン軸受の内歯歯車の表面における算術平均粗さ(Ra)を2.5μm以下、かつ最大高さ粗さ(Rz)を15.0μm以下とし、
前記スプライン軸受の内歯歯車の表面から20μm深さ位置でのマイクロビッカース硬さを300Hv以上とし、
前記スプライン軸受の内歯歯車の表面から40μm深さ位置での平均粒界固溶炭素濃度を、原子%で、5〜10%とする、
スプライン軸受の製造方法。
【発明の効果】
【0021】
本発明によれば、ブローチ成形性に優れた熱延鋼板およびブローチ成形後の耐摩耗性に優れたスプライン軸受を得ることが可能になる。
【図面の簡単な説明】
【0022】
図1】ブローチ成形を説明するための図である。
図2】スプライン軸およびスプライン軸受の構造を説明するための図である。
【発明を実施するための形態】
【0023】
図2は、スプライン軸4およびスプライン軸受3の構造を説明するための図である。図2に示すように、自動車のトランスミッション部品には、スプライン軸4(以下、「スプラインシャフト」ともいう)に外歯歯車4aを備え、スプライン軸受3(以下、「ボス」ともいう)に内歯歯車3aを備えるものがある。そして、これらの歯車が互いに噛みあい接触することで動力を伝えている。
【0024】
スプラインシャフト、およびスプラインシャフトの外歯歯車には、一般的に浸炭処理が施されており、ビッカース硬さで650Hv以上のものを使用する場合がある。
【0025】
このような場合に、スプライン軸受の内歯歯車(以下、「スプライン軸受歯形部」ともいう)に浸炭処理等の表面高硬度処理がされていないと、スプラインシャフトの外歯歯車は摩耗せずに、スプライン軸受歯形部だけが摩耗する、アブレッシブ摩耗が発生する場合がある。
【0026】
耐摩耗性を向上させるためには、アブレッシブ摩耗の状態から凝着摩耗の状態へと早期に推移させるとよい。凝着摩耗では、スプラインシャフトの外歯歯車と、スプライン軸受歯形部との両方を繰返し接触させたときに、その繰返し接触の回数が初期の段階では両者とも摩耗するが、その後に摩耗量が少なくなり、定常状態では摩耗量が極端に減少する。
【0027】
本発明者らは、自動車のトランスミッション部品の製造において浸炭、窒化等の熱処理による鋼材表層の高硬度化をせずに、ブローチ成形によるスプライン軸受歯形部の加工をしたままで、耐摩耗性を向上させる方法について鋭意検討を行った。その結果、以下の知見を得るに至った。
【0028】
(a)スプライン軸受と接触するスプラインシャフトが、ビッカース硬さで650Hv以上の浸炭材であっても、スプラインシャフトの外歯歯車と接触するスプライン軸受歯形部がアブレッシブ摩耗することを抑制するためには、上述のように、スプラインシャフトの外歯歯車とスプライン軸受歯形部が接触して動力を伝達し始めた初期の段階から、スプラインシャフトの外歯歯車とスプライン軸受歯形部とが凝着摩耗の状態となる必要がある。
【0029】
(b)スプラインシャフトと接触するスプライン軸受歯形部のブローチ成形後の表面の粗さ、表層部のビッカース硬さ、および表層部の平均粒界固溶炭素濃度を最適化することによって、スプラインシャフトの外歯歯車とスプライン軸受歯形部とが凝着摩耗の状態となり、スプライン軸受歯形部の耐摩耗性を向上させることが可能になる。
【0030】
(c)これらの因子を最適化するためには、素材である熱延鋼板の鋼成分とミクロ組織、特に主相であるフェライトの粒径と、残留オーステナイトの粒径、残留オーステナイトの面積率、および残留オーステナイトの平均炭素濃度を限定する必要がある。
【0031】
本発明は上記の知見に基づいてなされたものである。以下、本発明の各要件について詳しく説明する。
【0032】
(A)化学組成
各元素の限定理由は下記のとおりである。なお、以下の説明において含有量についての「%」は、「質量%」を意味する。
【0033】
C:0.070〜0.220%
スプライン軸受歯形部の耐摩耗性を向上させるためには、ブローチ成形のような強加工をスプライン軸受歯形部に施した際に、主相であるフェライトに、残留オーステナイトから固溶Cを拡散させて、強加工を受けたフェライトを強化することが必要である。
【0034】
Cは、残留オーステナイトを確保するために有効な元素であるため、C含有量が少なすぎると、固溶Cの供給源としての残留オーステナイトの面積率が低くなり、強加工されたフェライトを強化することができない。一方、C含有量が過剰であると、残留オーステナイトが多くなり、ブローチ成形のような強加工で得られたスプライン軸受歯形部の表面の粗さが大きくなり、アブレッシブ摩耗が抑制できず耐摩耗性が劣化する。
【0035】
そのため、C含有量は0.070〜0.220%とする。C含有量は0.085%以上であるのが好ましく、0.100%以上であるのがより好ましい。また、C含有量は0.200%以下であるのが好ましく、0.180%以下であるのがより好ましい。
【0036】
Si:0.05〜3.20%
Siは、脱酸効果を有するとともに、有害な炭化物の生成を抑えフェライトを生成するのに有効な元素であり、さらに残留オーステナイトの分解を抑制する効果を有する。一方、Si含有量が過剰であると、熱間圧延工程のスラブ加熱の際にヒートショックによるスラブ割れが生じるおそれがある。そのため、Si含有量は0.05〜3.20%とする。
【0037】
Siは化成処理性を低下させ、塗装後耐食性を劣化されるおそれがあるため、Si含有量は2.50%以下であるのが好ましい。また、上記の効果をより確実に確保するためには、Si含有量は0.50%以上であるのが好ましく、1.00%以上であるのがより好ましい。
【0038】
Mn:0.80〜2.20%
Mnは、強度に寄与するとともにオーステナイト域温度を低温側に拡大させて、フェライトとオーステナイトとの二相域の温度範囲を拡大させ、残留オーステナイトの安定化に寄与する元素である。一方、Mn含有量が過剰であると、焼入れ性が必要以上に高まりフェライトを十分に確保できなくなり、また鋳造時にスラブ割れが発生する。そのため、Mn含有量は0.80〜2.20%とする。Mn含有量は1.00%以上であるのが好ましく、1.50%以上であるのがより好ましい。また、Mn含有量は2.00%以下であるのが好ましく、1.80%以下であるのがより好ましい。
【0039】
Al:0.010〜1.000%
Alは、Siと同様に脱酸効果とフェライトを生成する効果を有する。一方、その含有量が過剰であると脆化を招くとともに、鋳造時にタンディッシュノズルを閉塞し易くする。そのため、Al含有量は0.010〜1.000%とする。Al含有量は0.015%以上であるのが好ましく、0.030%以上であるのがより好ましい。また、Al含有量は0.800%以下であるのが好ましく、0.700%以下であるのがより好ましい。
【0040】
N:0.0060%以下
Nは、AlN等を析出して結晶粒を微細化するのに有効な元素である。一方、その含有量が過剰であると固溶窒素が残存して延性が低下するだけでなく、時効劣化が激しくなる。そのため、N含有量は0.0060%以下とする。N含有量は0.0050%以下であるのが好ましい。また、過度に含有量を低下させることは、精錬時のコスト増につながるため、その下限は0.0010%にするとよい。
【0041】
P:0.050%以下
Pは溶銑に含まれる不純物であり、粒界偏析するため局部延性を劣化させるとともに、溶接性を劣化させるので、できるだけ少ない方がよい。そのため、P含有量は0.050%以下に制限する。P含有量は0.030%以下にすることが好ましい。特に下限を規定する必要はなく、下限は0%である。しかし、過度に含有量を低下させることは精錬時のコスト増になるため、下限は0.001%にするとよい。
【0042】
S:0.0050%以下
Sも溶銑に含まれる不純物であり、MnSを形成して局部延性および溶接性を劣化させるので、できるだけ少ない方がよい。そのため、S含有量は0.0050%以下に制限する。特に下限を規定する必要はなく、下限は0%である。しかし、過度に含有量を低下させることは精錬時のコスト増になるため、下限は0.0005%にするとよい。
【0043】
Ti:0.050%以下
Tiは、析出強化または固溶強化により鋼板の強度を向上させる効果がある元素である。したがって、必要に応じて含有させてもよい。しかし、その含有量が過剰であると、CをTiCとして固定してしまい、残留オーステナイトが少なくなるとともに残留オーステナイト中の固溶Cが少なくなり、強加工されたフェライトに残留オーステナイトからの固溶Cを拡散させて、アブレッシブ摩耗を抑制する効果を失わせる。そのため、Ti含有量は0.050%以下とする。一方、析出強化の効果を十分に得るためには、Ti含有量は0.010%以上であるのが好ましく、0.015%以上であるのがより好ましい。
【0044】
Nb:0.100%以下
Nbは、析出強化または固溶強化により鋼板の強度を向上させる効果がある元素である。したがって、必要に応じて含有させてもよい。しかし、その含有量が過剰であると、CをNbCとして固定してしまい、残留オーステナイトが少なくなるとともに残留オーステナイト中の固溶Cが少なくなり、強加工されたフェライトに残留オーステナイトからの固溶Cを拡散させて、アブレッシブ摩耗を抑制する効果を失わせる。そのため、Nb含有量は0.100%以下とする。一方、上記効果を十分に得るためには、Nb含有量は0.010%以上であるのが好ましい。
【0045】
V:0.300%以下
Vは、析出強化または固溶強化により鋼板の強度を向上させる効果がある元素である。したがって、必要に応じて含有させてもよい。しかし、その含有量が過剰であると、CをVCとして固定してしまい、残留オーステナイトが少なくなるとともに残留オーステナイト中の固溶Cが少なくなり、強加工されたフェライトに残留オーステナイトからの固溶Cを拡散させて、アブレッシブ摩耗を抑制する効果を失わせる。そのため、V含有量は0.300%以下とする。一方、上記効果を十分に得るためには、V含有量は0.010%以上であるのが好ましい。
【0046】
Cu:2.00%以下
Cuは、析出強化または固溶強化により鋼板の強度を向上させる効果がある元素である。したがって、必要に応じて含有させてもよい。しかし、その含有量が過剰であると、効果が飽和して経済性が低下する。そのため、Cu含有量は2.00%以下とする。また、Cu含有量が1.20%を超えると鋼板の表面にスケール起因の傷が発生することがある。そのため、Cu含有量は1.20%以下であるのが好ましい。一方、上記効果を十分に得るためには、Cu含有量は0.01%以上であるのが好ましい。
【0047】
Ni:2.00%以下
Niは、固溶強化により鋼板の強度を向上させる効果がある元素である。したがって、必要に応じて含有させてもよい。しかし、その含有量が過剰であると、効果が飽和して経済性が低下する。そのため、Ni含有量は2.00%以下とする。また、Ni含有量が0.60%を超えると延性が劣化するおそれがある。そのため、Ni含有量は0.60%以下であるのが好ましい。一方、上記効果を十分に得るためには、Ni含有量は0.01%以上であるのが好ましい。
【0048】
Cr:2.00%以下
Crは、固溶強化により鋼板の強度を向上させる効果がある元素である。したがって、必要に応じて含有させてもよい。しかし、その含有量が過剰であると、効果が飽和して経済性が低下する。そのため、Cr含有量は2.00%以下とする。一方、上記効果を十分に得るためには、Cr含有量は0.01%以上であるのが好ましい。
【0049】
Mo:1.00%以下
Moは、析出強化または固溶強化により鋼板の強度を向上させる効果がある元素である。したがって、必要に応じて含有させてもよい。しかし、その含有量が過剰であると、CをMoCとして固定してしまい、固溶Cが強加工されたフェライトに拡散してアブレッシブ摩耗を抑制する効果を失わせる。そのため、Mo含有量は1.00%以下とする。一方、上記効果を十分に得るためには、Mo含有量は0.01%以上であるのが好ましい。
【0050】
B:0.0100%以下
Bは粒界に偏析し、粒界強度を高めることで低温靭性を向上させる。したがって、必要に応じて含有させてもよい。しかし、その含有量が過剰であると、効果が飽和して経済性が低下する。そのため、B含有量は0.0100%以下とする。また、Bは強力な焼き入れ元素であり、その含有量が0.0020%を超えると冷却中にフェライト変態が十分に進行せず、十分な残留オーステナイトが得られないことがある。そのため、B含有量は0.0020%以下であるのが好ましい。一方、上記効果を十分に得るためには、B含有量は0.0002%以上であるのが好ましい。
【0051】
Mg:0.0100%以下
Mgは、破壊の起点となり、加工性を劣化させる原因となる非金属介在物の形態を制御し、加工性を向上させる元素である。したがって、必要に応じて含有させてもよい。しかし、その含有量が過剰であると、効果が飽和して経済性が低下する。そのため、Mg含有量は0.0100%以下とする。一方、上記効果を十分に得るためには、Mg含有量は0.0005%以上であるのが好ましい。
【0052】
Ca:0.0100%以下
Caは、破壊の起点となり、加工性を劣化させる原因となる非金属介在物の形態を制御し、加工性を向上させる元素である。したがって、必要に応じて含有させてもよい。しかし、その含有量が過剰であると、効果が飽和して経済性が低下する。そのため、Ca含有量は0.0100%以下とする。一方、上記効果を十分に得るためには、Ca含有量は0.0005%以上であるのが好ましい。
【0053】
REM:0.1000%以下
REM(希土類元素)は、破壊の起点となり、加工性を劣化させる原因となる非金属介在物の形態を制御し、加工性を向上させる元素である。したがって、必要に応じて含有させてもよい。しかし、その含有量が過剰であると、効果が飽和して経済性が低下する。そのため、REM含有量は0.1000%以下とする。一方、上記効果を十分に得るためには、REM含有量は0.0005%以上であるのが好ましい。
【0054】
ここで、本発明において、REMはSc、Yおよびランタノイドの合計17元素を指し、前記REMの含有量はこれらの元素の合計含有量を意味する。なお、ランタノイドは、工業的には、ミッシュメタルの形で添加される。
【0055】
Zr、Co、ZnおよびWから選択される1種以上の合計:1.000%以下
Zr、Co、ZnおよびWは、合計で1.000%以下の範囲で含有しても、本発明の効果は損なわれないことを確認している。
【0056】
本発明の鋼板の化学組成において、残部はFeおよび不可避的不純物である。
【0057】
ここで「不可避的不純物」とは、鋼板を工業的に製造する際に、鉱石、スクラップ等の原料、製造工程の種々の要因によって混入する成分であって、本発明に悪影響を与えない範囲で許容されるものを意味する。
【0058】
(B)熱延鋼板の金属組織
本発明の鋼板の金属組織について説明する。なお、本発明において金属組織は、鋼板の圧延方向断面において、鋼板の幅および厚さをそれぞれWおよびtとしたときに、該鋼板の端面から1/4Wまたは3/4Wで、かつ、該鋼板の表面から1/4tまたは3/4tの位置における組織をいうものとする。また、以下の説明において「%」は、「面積%」を意味する。
【0059】
ベイナイト:10.0〜40.0%
一般的にベイナイトは、焼入れ組織であり、固溶Cを過飽和に含有するとともにセメンタイトを若干含む場合があるため、加工硬化したフェライトに固溶Cを拡散させるための供給源となる。また、主に巻取り工程で所定量の残留オーステナイトを残留させるためには、ベイナイト変態を促進させる必要がある。面積率で8.0%以上の残留オーステナイトを得るためには、ベイナイトの面積率は10.0%以上である必要がある。
【0060】
一方、ベイナイトは、残留オーステナイトと比較すると、加工硬化したフェライトに固溶Cを拡散させるための供給源としての能力は低い。そのため、ベイナイトが40.0%を超えて含まれても、その効果が飽和する。したがって、ベイナイトの面積率は、10.0〜40.0%とする。
【0061】
残留オーステナイト:8.0〜20.0%
上述のように、スプライン軸受の耐摩耗性を向上させるためには、スプラインシャフトの外歯歯車と接触するスプライン軸受歯形部がアブレッシブ摩耗することを抑制し、スプラインシャフトの外歯歯車とスプライン軸受歯形部が接触して動力を伝達し始めた初期の段階から、スプラインシャフトの外歯歯車とスプライン軸受歯形部とが凝着摩耗の状態となるようにすることが必要である。
【0062】
そのためには、ブローチ成形のような強加工を施して変形し加工硬化した、スプライン軸受歯形部のフェライトに、固溶Cを拡散させて固溶強化し、ナノレベルで鋼の組織を硬化させることが必要である。これにより、スプライン軸受歯形部は、加工硬化だけでなく固溶強化の複合効果により、耐摩耗性が向上する。フェライトに固溶Cを拡散させるための供給源が、残留オーステナイトである。
【0063】
また、残留オーステナイトは、加工誘起変態によりマルテンサイト変態し、変態誘起塑性(いわゆるTRIP現象)により、張り出し成形を始めとするプレス加工性を向上させる。そのため、残留オーステナイトの面積率は8.0%以上とする。
【0064】
一方、ブローチ成形の際に加工誘起変態したマルテンサイトは変形能がフェライトと比較して小さい。その結果、ブローチ成形の際に残留オーステナイトとフェライトとの境界からボイドの発生頻度が増加して、その成形表面にできる凹凸(算術平均粗さ:Ra,最大高さ:Rz)が大きくなり、アブレッシブ摩耗が進行しやすくなる。そのため、残留オーステナイトの面積率が過剰になると、耐摩耗性が劣化してしまう。したがって、残留オーステナイトの面積率は20.0%以下とする。
【0065】
パーライト:2.5%未満
パーライトは、残留オーステナイトと同様に、スプライン軸受歯形部のフェライトに固溶Cを拡散させるための供給源となり、ナノレベルで鋼の組織を硬化させる効果を有する。一方、パーライトは、2.5%以上含まれると張り出し成形を始めとするプレス加工性を劣化させる。そのため、パーライトの面積率は2.5%未満とする。
【0066】
マルテンサイト:2.5%未満
マルテンサイトは、張り出し成形を始めとするプレス加工性を向上させるので必要に応じて含有してもよい。しかしながら、マルテンサイトは変形能がフェライトと比較して小さいため、ブローチ成形の際にマルテンサイトとフェライトとの境界からボイドの発生頻度が増加して、その成形表面にできる凹凸(算術平均粗さ:Ra、最大高さ:Rz)が大きくなり、その結果、アブレッシブ摩耗が進行しやすくなり、耐摩耗性が劣化してしまう。そのため、マルテンサイトの面積率は2.5%未満とする。ボイドの発生頻度を極力少なくして、アブレッシブ摩耗を起こさないためには、マルテンサイトの面積率は1.0%以下とすることが好ましい。
【0067】
残部:フェライト
フェライトは延性に優れ、ブローチ成形のような強加工でも割れずに容易に変形するため、寸法精度よくスプライン軸受歯形部加工をするために必要なミクロ組織である。また、ブローチ成形のような強加工を施して変形し加工硬化した、スプライン軸受歯形部のフェライトおよびその粒界には、転位および原子空孔が多量に導入されている。このため、スプライン軸受歯形部のフェライトに固溶Cが容易に拡散できる。これにより、スプライン軸受歯形部の耐摩耗性を向上させることができる。したがって、ベイナイト、残留オーステナイト、パーライト、マルテンサイト以外の組織はフェライトとする。
【0068】
ここで、本発明において、金属組織の面積率は以下のように求める。上述のように、まず鋼板の端面から1/4Wまたは3/4Wで、かつ、鋼板の表面から1/4tまたは3/4tの位置から試料を採取する。そして、該試料の圧延方向断面(いわゆるL方向断面)を観察する。
【0069】
具体的には、試料をナイタールエッチングし、エッチング後に光学顕微鏡を用いて300μm×300μmの視野で観察を行う。そして得られた組織写真に対し、画像解析を行うことによって、フェライトおよびパーライトそれぞれの面積率、ならびにベイナイト、マルテンサイトおよび残留オーステナイトの合計面積率を得る。
【0070】
次に、ナイタールエッチングした部分をレペラエッチングし、光学顕微鏡を用いて300μm×300μmの視野で観察を行う。そして得られた組織写真に対し、画像解析を行うことによって、残留オーステナイトおよびマルテンサイトの合計面積率を算出する。さらに圧延面法線方向から板厚の1/4深さまで面削した試料を用い、X線回折測定により残留オーステナイトの体積率を求め、その値を残留オーステナイトの面積率とする。
【0071】
そして、レペラエッチングし画像解析して求めた、残留オーステナイトおよびマルテンサイトの合計面積率から、X線回折測定により求めた残留オーステナイトの面積率を引くことで、その値をマルテンサイトの面積率とする。さらに、ナイタールエッチングし画像解析して求めたベイナイト、マルテンサイトおよび残留オーステナイトの合計面積率から、レペラエッチングし画像解析して求めた、残留オーステナイトおよびマルテンサイトの合計面積率を引くことで、ベイナイトの面積率を求める。
【0072】
この方法により、フェライト、ベイナイト、マルテンサイト、残留オーステナイト、パーライトそれぞれの面積率を得ることができる。
【0073】
また、本発明においては、フェライトの平均円相当径、残留オーステナイトの平均円相当径および残留オーステナイトの平均炭素濃度についても以下のように規定する。
【0074】
フェライトの平均円相当径:10.0〜100.0μm
上述のように、スプライン軸受歯形部の耐摩耗性を向上させるためには、ブローチ成形のような強加工をしたときに、主相であるフェライトに、残留オーステナイトから、固溶Cを拡散させて、スプライン軸受歯形部をCの固溶強化によりナノレベルで硬化させる必要がある。フェライト粒界は短時間に固溶Cを残留オーステナイトからフェライトへ拡散させる経路として重要である。そのためには、フェライトを細粒にして粒界の面積を増加させるのが有効である。そのため、フェライトの平均円相当径を100.0μm以下にする。
【0075】
一方、フェライトが細粒になり、粒界の面積がある程度大きくなるとその効果が飽和するだけでなく、フェライト粒界での固溶Cが減少し粒界強度が低下する。また、スプライン軸受歯形部の表面にできる凹凸(算術平均粗さ:Ra、最大高さ:Rz)が大きくなるためにアブレッシブ摩耗が進行しやすくなり、耐摩耗性が劣化してしまう。そのため、フェライトの平均円相当径は10.0μm以上とする。
【0076】
なお、フェライトの平均円相当径(直径)は、前記試料からフェライトの面積を個別に測定してから円相当径(直径)を算出し、これを平均して求める。
【0077】
残留オーステナイトの平均円相当径:3.0〜18.0μm
上述のように、スプライン軸受歯形部をブローチ成形のような強加工をしたときに、主相であるフェライトに、残留オーステナイトから、固溶Cを拡散させてCの固溶強化をすることで、ナノレベルで鋼の組織を硬化させることが必要である。これにより、スプライン軸受歯形部は、加工硬化だけでなく固溶強化の複合効果により、耐摩耗性が向上する。
【0078】
残留オーステナイトの平均円相当径が3.0μm未満であると、ブローチ成形による歪みが分散されてしまい、十分な量の固溶Cを残留オーステナイトからフェライトに拡散させることができなくなり、軟質なフェライトに固溶Cを拡散させてCの固溶強化の効果を得ることが不十分となる。そのため、残留オーステナイトの平均円相当径は3.0μm以上にする。
【0079】
一方、残留オーステナイトの平均円相当径が大きくなると、ブローチ成形の際にその成形表面にできる凹凸(算術平均粗さ:Ra、最大高さ:Rz)が大きくなるため、アブレッシブ摩耗が進行しやすくなり、耐摩耗性が劣化してしまう。そのため、残留オーステナイトの平均円相当径は18.0μm以下とする。
【0080】
なお、残留オーステナイトは、フェライト粒界に島状またはベイナイトラス間にフィルム状に存在することが知られている。したがって、本発明において残留オーステナイトの平均円相当径(直径)は、前記試料から残留オーステナイト粒の面積を個別に測定してから円相当径(直径)を算出し、これを平均して求める。
【0081】
残留オーステナイトの平均炭素濃度:0.80〜1.50質量%
上述のように、残留オーステナイトは加工硬化したフェライトに固溶Cを拡散させるための供給源である。そのため、残留オーステナイトの平均炭素濃度は、質量%で、0.80%以上とする。一方、残留オーステナイトの平均炭素濃度が大きくなると、ブローチ成形の際に加工誘起変態によりマルテンサイト変態したマルテンサイトの硬さが大きくなり、変態したマルテンサイトの変形能が低下する。その結果、マルテンサイトとフェライトとの境界からボイドの発生頻度が増加して、その成形表面にできる凹凸(算術平均粗さ:Ra、最大高さ:Rz)が大きくなり、結果的にアブレッシブ摩耗が進行しやすくなり、耐摩耗性が劣化してしまう。そのため、残留オーステナイトの平均炭素濃度は1.50%以下とする。
【0082】
なお、残留オーステナイトの平均炭素濃度は、前記試料から透過型電子顕微鏡サンプルを採取し、電子エネルギー損失分光(Electron Energy Loss Spectroscope:EELS)の組成分析機能を加えた、200kVの加速電圧の電界放射型電子銃(Field Emission Gun:FEG)を搭載した透過型電子顕微鏡によって観察して、電子線回折によってその結晶構造がFCC(面心立方格子構造)であることが確認された残留オーステナイト粒を測定する。任意の残留オーステナイトを20個選択し、上記EELSの測定ビーム径を3μm程度まで拡大にして、残留オーステナイトの平均炭素濃度を測定する。
【0083】
(C)熱延鋼板の機械的特性
本発明は、従来の一般的な熱延鋼板の機能であるプレス加工性を有効に活かしつつ、ブローチ成形のように部分的に厳しい加工を受けた部分の耐摩耗性を向上させたことが特徴である。
【0084】
本発明に係る鋼板は、従来の一般的な熱延鋼板と同等の590〜780MPaの引張強さ(TS)を有する。
【0085】
また、全伸びが小さいとプレス成形時にネッキングによる板厚減少が起こり易く、プレス割れの原因となる。プレス成形性を確保するため、全伸び(t−EL)と引張強さ(TS)との積が、(TS)×(t−EL)≧20000MPa%を満たすことが望ましい。ただし、引張強さ(TS)はJIS Z 2241 2011の引張強さを示す。また、全伸び(t−EL)はJIS Z 2241 2011の破断時全伸びを示す。
【0086】
(D)熱延鋼板の製造方法
本発明に係る鋼板の製造条件について特に制限はないが、例えば、以下に示す方法により、製造することができる。以下の製造方法では、下記の(a)から(e)までの工程を順に行う。各工程について詳しく説明する。
【0087】
(a)溶製工程
熱間圧延に先行する溶製工程の製造方法は特に限定するものではない。すなわち、高炉または電炉等による溶製に引き続き各種の2次製錬を行って、上述した成分組成となるように調整する。次いで、通常の連続鋳造、薄スラブ鋳造などの方法で鋳造すればよい。その際、本発明の成分範囲に制御できるのであれば、原料にはスクラップを使用しても構わない。
【0088】
(b)熱間圧延工程
鋳造したインゴット(スラブ)は、加熱して熱間圧延を施し、熱間圧延鋼板とする。熱間圧延工程におけるスラブの加熱条件については特に制限は設けないが、例えば、熱間圧延前の加熱温度を1050〜1260℃とするのが好ましい。連続鋳造の場合には一度低温まで冷却した後、再度加熱してから熱間圧延してもよいし、特に冷却することなく連続鋳造に引き続いて加熱して熱間圧延してもよい。
【0089】
ただし、スラブ加熱温度が1050℃未満であると、熱間圧延において圧延抵抗が増加して圧延が困難になるおそれがある。一方、1260℃を超えるとスケールオフにより歩留まりの低下を招くだけでなく、スラブ加熱時のオーステナイト粒径およびその後の熱間での再結晶オーステナイト粒径が粗大化して、変態後のフェライトの平均円相当径が大きくなりすぎて、加工硬化したフェライトに短時間に固溶Cを拡散させる経路としてのフェライト粒界が減少して、耐摩耗性が劣化するおそれがある。
【0090】
加熱後は、加熱炉より抽出したインゴットに対して粗圧延およびその後の仕上圧延を施す。粗圧延の条件は特に限定しないが、圧延温度が低温に成りすぎると圧延荷重が増大し、十分な圧下が行えないおそれがあるので、粗圧延終了温度は1000℃以上あることが望ましい。前述したように、仕上圧延は、3段以上の多段(例えば6段または7段)の連続圧延で行われる多段仕上圧延である。そして、最前段から3段の圧延における累積歪み(有効累積歪み)が、0.003〜0.300になるように最終仕上圧延を行なう。
【0091】
前述したように、有効累積歪みは、圧延時の温度、圧延による鋼板の圧下率による結晶粒径の変化と、結晶粒が圧延後の時間経過により静的に回復する結晶粒径の変化とを考慮した指標である。有効累積歪み(εeff)は、以下の式で求めることができる。
【0092】
有効累積歪み(εeff)=Σεi(ti,Ti) ・・・(式1)
上記式1中のΣは、i=1〜3についての総和を示す。
但し、i=1は、多段仕上圧延において最前段の圧延を、i=2は2段目の圧延を、i=3は3段目の圧延を、それぞれ示す。
【0093】
ここで、iで示される各圧延において、εiは以下の式で表される。
εi(ti,Ti)=ei/exp((ti/τR)2/3) ・・・(式2)
ti:i段目の圧延から最終段圧延後の一次冷却開始までの時間(s)
Ti:i段目の圧延の圧延温度(K)
ei:i段目の圧延で圧下したときの対数歪み
ei=|ln{1−(i段目の入側板厚−i段目の出側板厚)/(i段目の入側板厚)}|
=|ln{(i段目の出側板厚)/(i段目の入側板厚)}| ・・・(式3)
τR=τ0・exp(Q/(R・Ti)) ・・・(式4)
τ0=8.46×10−9(s)
Q:Feの転位の移動に関する活性化エネルギーの定数=183200(J/mol)
R:ガス定数=8.314(J/(K・mol))
【0094】
有効累積歪みが0.003未満であると、オーステナイトの再結晶の駆動力が少なく十分に細粒化しないために変態後のフェライト粒が粗大化してしまう。一方、0.300超であるとオーステナイト粒の細粒化が過度となり、変態後のフェライト粒が過度に細粒化する。
【0095】
有効累積歪みを0.003〜0.300とすることにより、フェライトの平均円相当径が制限され、ブローチ成形のような強加工を施して変形し加工硬化した、スプライン軸受歯形部のフェライトに、残留オーステナイトから固溶Cを短時間に拡散させる経路としてのフェライト粒界を、確保できる。そして、ブローチ成形のような強加工を施したときに、フェライト粒界でのボイドの発生頻度を抑えることができ、ブローチ成形性とその後の耐摩耗性に優れた熱延鋼板を得ることができる。
【0096】
仕上圧延の圧延終了温度、すなわち連続熱延工程の圧延終了温度は、Ar(℃)以上、Ar(℃)+80℃以下の温度にするとよい。これにより、フェライト変態を制御することで残留オーステナイトの量を適正化しつつ、目的とするミクロ組織を得ることができる。
【0097】
圧延終了温度がAr(℃)未満では二相域圧延となり、加工硬化したフェライトが残留することで、成形性が劣化するとともに、強い集合組織の形成により塑性異方性が増加し、成形後の部品形状、板厚分布に異方性が生じる。一方、圧延終了温度がAr(℃)+80℃を超えると、オーステナイトの回復・再結晶および粒成長が促進され、変態後のフェライトの平均円相当径が大きくなりすぎて、加工硬化したフェライトに短時間に固溶Cを拡散させる経路としてのフェライト粒界が減少して、耐摩耗性が劣化する。また、残留オーステナイトの量が減少して耐摩耗性が劣化する。
【0098】
なお、Arの値は下記式5により算出することができる。
Ar=970−325×C+33×Si+287×P+40×Al−92×(Mn+Mo+Cu)−46×(Cr+Ni) ・・・(式5)
但し、上記式中の元素記号は、各元素の熱間圧延鋼板中の含有量(質量%)を表し、含有されない場合は0を代入するものとする。
【0099】
(c)第1冷却工程
多段仕上圧延が終了した後の熱延鋼板に対して、1.00〜3.00s後に冷却を開始し、前記圧延終了温度から、600〜750℃の範囲内の温度(以下、「保持温度」という。)まで、10℃/s以上の平均冷却速度(以下、「保持前平均冷却速度」という。)で冷却し、その後、大気中で3〜10s保持した後、さらに350〜450℃の範囲内の温度(以下、「冷却停止温度」という。)まで、10℃/s以上の平均冷却速度(以下、「保持後平均冷却速度」という。)で冷却する。
【0100】
仕上圧延終了後に冷却を開始するまでの時間が1.00s未満であると、フェライトの核生成が過度となり、フェライトの結晶粒径が細粒となり、目的とする平均フェライト円相当径が得られない。一方、3.00sを超えると、オーステナイトの粒成長が進行して第1冷却工程で十分にフェライト変態が進まず、目的とするミクロ組織が得られない。
【0101】
また、保持前平均冷却速度が10℃/s未満であると、変態したフェライトの粒成長が進行してフェライトの結晶粒径が粗粒となり、目的とする平均フェライト円相当径が得られない。一方、保持前平均冷却速度の上限は特に限定されないが、過冷却によるベイナイト、マルテンサイトの過度な生成を回避するため、100℃/s以下にすることが望ましい。
【0102】
その後、大気中で3〜10s保持する。この保持時間が3s未満であると、フェライト変態が十分に進行せず、最終的に目的とするミクロ組織が得られない。一方、10s超であるとパーライト変態が起こり、最終的に目的とするミクロ組織が得られない。なお、この中間的な保持は、特に残留オーステナイトの面積分率に著しく関わる。また、この保持は大気中での放冷で構わない。この放冷の実質的な冷却速度は板厚にもよるが、2〜7℃/秒程度である。
【0103】
その後、さらに350〜450℃の温度範囲まで、10℃/s以上の平均冷却速度で冷却する。保持後平均冷却速度が10℃/s未満であると、冷却中にパーライト変態が起こり、最終的に目的とするミクロ組織が得られない。一方、冷却速度の上限は特に限定されないが、過冷却によるベイナイト、マルテンサイトの過度な生成を回避するため、100℃/s以下にすることが望ましい。
【0104】
(d)巻取工程
第1冷却後に、熱延鋼板を350〜450℃の巻取り温度で巻取る。なお、第1冷却後に復熱または変態潜熱により温度が上昇して、巻取り温度が第1冷却終了温度よりも高温になってしまっても、巻取り温度が350〜450℃の温度域であれば差し支えない。
【0105】
(e)第2冷却工程
巻取り温度から350℃まで、30〜100℃/hの平均冷却速度で冷却する。巻取り温度から350℃までの平均冷却速度が30℃/h未満であると、変態後のフェライト粒の粒成長が進行して、フェライトの結晶粒径が粗粒となり、目的とする平均フェライト円相当径が得られない。一方、上記の平均冷却速度が100℃/hを超えると、ベイナイトが過度に生成し目的とするミクロ組織が得られない。したがって、100℃/h以下にすることが望ましい。
【0106】
なお、巻取り温度が350℃である場合には、上記の30〜100℃/hの平均冷却速度での冷却は不要である。
【0107】
続いて、350℃から100℃まで、30℃/h未満の平均冷却速度で冷却する。この冷却速度が30℃/h以上では、フェライトから残留オーステナイトへのCの拡散が不十分となり、残留オーステナイトの平均炭素濃度が十分に上昇しないおそれがある。一方、この冷却速度の下限値は特に限定する必要はないが、10℃/h未満であると、保温設備が必要になるばかりでなく、コイルを安全にリコイリングして巻き戻す作業をするために、コイルの温度が100℃以下に冷却されるまで、長い時間待たなくてはならなくなるので、納期管理上好ましくない。したがって、10℃/h以上にすることが望ましい。
【0108】
なお、巻取り後の冷却速度の測定部位は、巻取り後のコイルの内径部から8巻以上中心側で、巻取り後のコイルの外周部から8巻以上中心側の部位であり、巻取り後のコイルの端部(エッジ)からコイル幅方向に20mm以上幅方向中心側の位置である。その部位に熱電対を貼付して時間と温度との関係を測定することで平均冷却速度を求めることとする。
【0109】
(E)スプライン軸受
上記のようにして得られた熱延鋼板は、熱処理することなく、ブローチ成形によるスプライン軸受歯形部を加工したままで優れた耐摩耗性を有するため、従来ではなし得なかった低コストで耐摩耗性に優れるスプライン軸受を得ることができる。
【0110】
なお、ブローチ成形後のスプライン軸受の内歯歯車(スプライン軸受歯形部)では、極めて強い加工が施されるため、金属組織の判別が困難な状態となる。そのため、スプライン軸受歯形部の金属組織については、特定が不可能である。
【0111】
(F)スプライン軸受の表面および表層の状態
本発明に係るスプライン軸受の表面および表層の状態について説明する。なお、本発明でブローチ成形後のスプライン軸受の表面および表層とは、JIS B 4239 2009のB1002445記載のインボリュートスプラインブローチを用いて、ブローチ成形した後の、JIS B 1603 1995の表1のモジュールm=1に記載のインボリュートスプラインの定義に従う、スプライン軸受歯形部の表面および表層である。
【0112】
表面の粗さ:算術平均粗さ(Ra)が2.5μm以下、かつ最大高さ(Rz)が15.0μm以下
スプライン軸受の表面の粗さが、Raで2.5μm以下、かつRzで15.0μm以下であれば、後述する摩耗試験において繰返し数400万回での摩耗量(歯形部の摩耗高さ)が、0.4mm以下となり良好な耐摩耗性を示す。これは、スプライン軸受の表面の粗さがこの数値以下であれば、スプライン軸受の表面に欠けや剥離のようなチッピングが起こらないため、アブレッシブ摩耗が抑制され、後述する摩耗試験の初期の段階で凝着摩耗へ推移するためである。
【0113】
ブローチ成形後の表面の粗さは、JIS B 0601 2013に従い、測定装置に株式会社ミツトヨ製の“サーフテストSV−3200”を用いて、フィルタ:PC50(ガウシアンフィルタPC50(S(x)=exp(−π(x/(αλc)))/(αλc)、ただし、α=(ln2/π)0.5=0.4697でうねり波長成分を除去する))、カットオフ:0.8mm(λc=0.8mm)で、10mmの長さについて測定する。測定方向は、スプラインシャフトの軸方向と平行な方向で、ブローチ成形後の表面の粗さとは、ブローチ成形後のスプライン軸受の内歯歯車(スプライン軸受歯形部)で、スプラインシャフトの外歯歯車と接触する接触面の粗さとする。
【0114】
表層でのマイクロビッカース硬さ:300Hv以上
スプライン軸受の表層(スプライン軸受歯形部表面から20μm深さ位置)でのマイクロビッカース硬さが300Hv以上であれば、後述する摩耗試験において繰返し数400万回での摩耗量(歯形部の摩耗高さ)が、0.4mm以下となり良好な耐摩耗性を示す。これは、表層でのマイクロビッカース硬さがこの数値以上であれば、相手部品であるスプラインシャフトがビッカース硬さで650Hv以上の浸炭材であっても、後述する摩耗試験の初期の段階でのアブレッシブ摩耗が抑制され、早期に凝着摩耗へ推移するためである。
【0115】
表層でのマイクロビッカース硬さは、0.49Nの荷重で、JIS Z 2244 2009に記載の方法で測定する。詳細には、スプライン軸受歯形部は、形状が同じな複数の歯から構成されているので、スプライン軸受歯形部からこれらの歯形部分を切り出して試料とし、最低2箇所の歯形部分で、スプラインシャフトの外歯歯車とスプライン軸受歯形部が接触して摺動する際の位置が等価な位置において、それぞれの箇所毎に各10点の測定を行い、これらの平均値を算出する。
【0116】
表層での平均粒界固溶炭素濃度:5〜10at%
スプライン軸受の表層(スプライン軸受歯形部表面から40μm深さ位置)での平均粒界固溶炭素濃度が、原子%で、5〜10%であれば、後述する摩耗試験において繰返し数400万回での摩耗量(歯形部の摩耗高さ)が、0.4mm以下となり良好な耐摩耗性を示す。
【0117】
これは、表層での平均粒界固溶炭素濃度がこの数値の範囲であれば、後述する摩耗試験の最初期において、スプラインシャフトの外歯歯車とスプライン軸受歯形部が繰返し接触することで、フェライトの粒界に固溶していた炭素が粒内に拡散するためである。フェライトに炭素が拡散してフェライトが固溶強化で強化された結果、相手部品であるスプラインシャフトがビッカース硬さで650Hv以上の浸炭材であっても、後述する摩耗試験において、繰返し数が初期の段階でのアブレッシブ摩耗が抑制され、早期に凝着摩耗へ推移する。
【0118】
表層での平均粒界固溶炭素濃度は、マイクロビッカース硬さに用いた前記の試料を用いて、スプライン軸受の内歯歯車(スプライン軸受歯形部)で、スプラインシャフトの外歯歯車と接触する接触面の断面について、三次元アトムプローブ法にて測定する。
【0119】
粒界および粒内に存在している固溶炭素濃度を測定するためには、三次元アトムプローブ法を用いることが適切である。1988年にオックスフォード大学のA.Cerezoらにより開発された位置敏感型アトムプローブ(position sensitive atom probe,PoSAP)は、アトムプローブの検出器に位置敏感型検出器(position sensitive detector)を取り入れており、分析に際してマイクロチャンネルプレートと蛍光板にあるアパーチャー(プローブホール)を用いずに、検出器に到達した原子の飛行時間と位置を同時に測定するこができる装置である。
【0120】
この装置を用いれば試料表面に存在する合金中の全構成元素を、原子レベルの空間分解能で2次元マップとして表示することができるばかりでなく、電界蒸発現象を用いて試料表面を一原子層ずつ蒸発させることにより、2次元マップを深さ方向に拡張していき、3次元マップとして表示・分析ができる。
【0121】
粒界観察には、粒界部を含むアトムプローブ(AP)用針状試料を作製するために、FIB(収束イオンビーム)装置/日立製作所製FB2000Aを用い、切出した試料を電解研磨により、任意形状走査ビームで粒界部を針先端部になるようにする。上記のように加工した試料を、スプライン軸受歯形部表面から垂直方向に40μmの位置で、SIM(走査イオン顕微鏡)のチャネリング現象により、結晶方位が違うことで、方位の異なる結晶粒界面にコントラストが生じることを利用して、観察しながら粒界を特定し、イオンビームで切断する。
【0122】
なお、チャネリング現象とは、荷電粒子が結晶内の局所的な結晶場によって、結晶軸、あるいは結晶面の間に束縛され、ある特定方向にのみ進行する現象である。チャネリング現象が起こると、荷電粒子ビームは結晶軸や結晶面間に束縛されるため、全く異なる方向に散乱されるビーム強度をかなり低く抑えることができる。
【0123】
三次元アトムプローブとして用いた装置はCAMECA社製OTAPであり、測定条件は、試料位置温度約70K、プローブ全電圧10〜15kV、パルス比25%である。各試料の粒界、粒内について、本願発明の鋼に含有する全元素の原子の数をそれぞれ3回測定する。そして、分母を鋼に含有する全元素の原子の数とし、分子を炭素の原子の数とし、100倍して%表示した原子密度を、粒界固溶炭素濃度(at%)とする。粒界、粒内それぞれ3回測定した値、すなわち合計6回測定した粒界固溶炭素濃度の値の平均値を代表値として、平均粒界固溶炭素濃度(at%)とする。
【0124】
以下、実施例によって本発明をより具体的に説明するが、本発明はこれらの実施例に限定されるものではない。
【実施例】
【0125】
表1に示す化学組成を有する鋼を溶製し、スラブを作製し、このスラブに対して、表2に示す条件で熱間圧延工程、第1冷却工程、巻取工程および第2冷却工程を順に施し、熱間圧延鋼板を製造した。なお、熱間圧延工程における仕上げ圧延は、7段式の連続圧延により行った。得られた熱間圧延鋼板の板厚を表2に併せて示す。
【0126】
【表1】
【0127】
【表2】
【0128】
[金属組織]
得られた熱間圧延鋼板の金属組織観察を行い、各組織の面積率の測定を行った。具体的には、まず鋼板の圧延方向断面において、鋼板の幅および厚さをそれぞれWおよびtとしたときに、該鋼板の端面から1/4Wで、かつ、該鋼板の表面から1/4tの位置から金属組織観察用の試験片を切り出した。
【0129】
そして、上記の試験片の圧延方向断面(いわゆるL方向断面)をナイタールエッチングし、エッチング後に光学顕微鏡を用いて300μm×300μmの視野で観察を行った。得られた組織写真に対し、画像解析を行うことによって、フェライトおよびパーライトそれぞれの面積率、ならびにベイナイト、マルテンサイトおよび残留オーステナイトの合計面積率を求めた。
【0130】
次に、ナイタールエッチングした部分をレペラエッチングし、光学顕微鏡を用いて300μm×300μmの視野で観察を行った。そして、得られた組織写真に対し、画像解析を行うことによって、残留オーステナイトおよびマルテンサイトの合計面積率を算出した。さらに圧延面法線方向から板厚の1/4深さまで面削した試料を用い、X線回折測定により残留オーステナイトの体積率を求め、その値を残留オーステナイトの面積率とした。
【0131】
そして、レペラエッチングし画像解析して求めた、残留オーステナイトおよびマルテンサイトの合計面積率から、X線回折測定により求めた残留オーステナイトの面積率を引くことで、その値をマルテンサイトの面積率とした。さらに、ナイタールエッチングし画像解析して求めたベイナイト、マルテンサイトおよび残留オーステナイトの合計面積率から、レペラエッチングし画像解析して求めた、残留オーステナイトおよびマルテンサイトの合計面積率を引くことで、ベイナイトの面積率を求めた。
【0132】
この方法により、フェライト、ベイナイト、マルテンサイト、残留オーステナイト、パーライトそれぞれの面積率を求めた。
【0133】
また、以下の手順で、フェライトおよび残留オーステナイトの平均円相当径(直径)を求めた。すなわち、JIS G 0551 2013 鋼−結晶粒度の顕微鏡試験方法に従い、附属書C 切断法による評価に基づいた切断法を用いて、前記試料のフェライトおよび残留オーステナイトの個数を測定し、画像解析により測定したフェライトおよび残留オーステナイトの面積から円相当径(直径)をそれぞれ求めた。
【0134】
さらに、残留オーステナイトの平均炭素濃度は、各試料から透過型電子顕微鏡サンプルを採取し、EELSの組成分析機能を加えた、200kVの加速電圧の電界放射型電子銃(Field Emission Gun:FEG)を搭載した透過型電子顕微鏡によって観察して、電子線回折によって結晶構造がFCC(面心立方格子構造)であるものを残留オーステナイトと特定した後に測定した。任意の残留オーステナイトを20個選択し、EELSの測定ビーム径を3μm程度まで拡大にして、残留オーステナイトの平均炭素濃度を測定した。
【0135】
[機械的性質]
機械特性のうち引張強度特性(引張強さ(TS)、全伸び(t−EL))は、板幅をWとした時に、板の片端から板幅方向に1/4Wもしくは3/4Wのいずれかの位置において、圧延方向に直行する方向(幅方向)を長手方向として採取したJIS Z 2241 2011の5号試験片を用いて、JIS Z 2241 2011に準拠して評価した。
【0136】
[ブローチ成形性]
続いて、図1に示すように、各熱延鋼板に対して、ブローチ加工を用いた成形を施した。ブローチ成形には株式会社不二越製のハードブローチ盤HW−5008を用いた。JIS B 4239 2009のB1002445記載のインボリュートスプラインブローチを用いて、JIS B 1603 1995の表1のモジュールm=1に示された、インボリュート形状のスプライン軸受歯形部の加工を実施した。
【0137】
ブローチ鋼具には窒化酸化処理したSKH55鋼を用いた。ブローチ成形条件は切削長16mm、内径18mm、歯高さ1mm、歯上辺長1.2mm、歯下辺長2.4mm、切削速度は7m/minで、切削油は出光興産ダフニーマーグプラスを用いた。このブローチ成形により明らかな割れ欠けが生じたものを×(不合格)、外観上割れ欠けが生じなかったものを○(合格)とした。
【0138】
[スプライン軸受歯形部表面の粗さ]
ブローチ成形したスプライン軸受の内歯歯車(スプライン軸受歯形部)で、スプラインシャフトの外歯歯車と接触する接触面となる歯形面の粗さを、JIS B 0601 2013に従い、測定装置に株式会社ミツトヨ製の“サーフテストSV−3200”を用いて、フィルタ:PC50(ガウシアンフィルタPC50(S(x)=exp(−π(x/(αλc)))/(αλc)、ただし、α=(ln2/π)0.5=0.4697でうねり波長成分を除去する))、カットオフ:0.8mm(λc=0.8mm)で、10mmの長さについて測定した。測定方向は、スプラインシャフト軸と平行な方向で、ブローチ成形後の表面の粗さとは、スプライン軸受歯の接触面となる歯形面の粗さとした。
【0139】
[スプライン軸受歯形部表面から20μmでのマイクロビッカース硬さ]
スプライン軸受歯形部表面から垂直方向に20μmの位置でのマイクロビッカース硬さを、0.49Nの荷重、15sの押し付け時間で、JIS Z 2244 2009に記載の方法で測定した。詳細には、スプライン軸受歯形部は、形状が同じな複数の歯から構成されているので、スプライン軸受歯形部からこれらの歯形部分を切り出して試料とし、最低2箇所の歯形部分で、スプラインシャフトの外歯歯車とスプライン軸受歯形部が接触して摺動する際の位置が等価な位置において、それぞれの箇所毎に各10点の測定を行い、これらの平均値を算出した。
【0140】
[スプライン軸受歯形部表面から40μmでの平均粒界固溶炭素濃度]
マイクロビッカース硬さに用いた前記の試料を用いて、ブローチ成形したスプライン軸受の内歯歯車(スプライン軸受歯形部)で、スプラインシャフトの外歯歯車と接触する接触面の断面について、スプライン軸受歯形部表面から垂直方向に40μmの位置での平均粒界固溶炭素濃度を、三次元アトムプローブ法にて測定した。粒界観察には、粒界部を含むAP用針状試料を作製するためにFIB(収束イオンビーム)装置/日立製作所製FB2000Aを用い、切出した試料を電解研磨により、任意形状走査ビームで粒界部を針先端部になるようにした。
【0141】
上記のように加工した試料を、スプライン軸受歯形部表面から垂直方向に40μmの位置で、SIM(走査イオン顕微鏡)のチャネリング現象により、結晶方位が違うことで、方位の異なる結晶粒界面にコントラストが生じることを利用して、観察しながら粒界を特定し、イオンビームで切断した。
【0142】
三次元アトムプローブとして用いた装置はCAMECA社製OTAPで、測定条件は、試料位置温度約70K、プローブ全電圧10〜15kV、パルス比25%である。各試料の粒界、粒内について、鋼に含有する全元素の原子の数をそれぞれ3回測定した。そして、分母を鋼に含有する全元素の原子の数とし、分子を炭素の原子の数とし、100倍して%表示した原子密度を、粒界固溶炭素濃度(at%)とした。粒界、粒内それぞれ3回測定した値、すなわち合計6回測定した粒界固溶炭素濃度の値の平均値を代表値として、平均粒界固溶炭素濃度(at%)とした。
【0143】
[摩耗試験]
耐摩耗性は次に述べる摩耗試験で評価した。熱延鋼板にSCr420浸炭材(Hv≧650)を面圧150MPaで接触させ(接触面積2mm×10mm)、±1mmのストロ−クで接触面積の長手方向(10mmの方向)に所謂ATF(オートマチックトランスミッションフルード:自動変速機油)中で摺動させることで摩耗を発生させ、0.4mmまで摩耗する耐久回数で評価した。
【0144】
実車走行での実用的な耐摩耗性を発現するためには、上記方法による耐久回数で400万回以上、好ましくは500万回以上が必要である。本実施例においては、摺動回数が400万回でスプライン軸受3の内歯歯車3a(スプライン軸受歯形部)の摩耗量が、0.4mm以下の基準を満足したものを○(合格)、しなかったものを×(不合格)とした。
【0145】
これらの測定結果を表3および4に示す。
【0146】
【表3】
【0147】
【表4】
【0148】
表3および4から分かるように、本発明の規定を満足する本発明例では、優れたブローチ成形性を示すとともに、加工後には優れた耐摩耗性を有している。
【0149】
これらに対して、比較例では、ブローチ成形性および加工後の耐摩耗性の少なくともいずれかが劣る結果となった。
【0150】
具体的には、試験No.6はスラブ加熱温度が高すぎるため、フェライト粒径が大きく、耐摩耗性が劣化している。試験No.7はスラブ加熱温度が低すぎるため、粗圧延の荷重が上限をオーバーして仕上げ圧延ができず、成品が得られなかった。
【0151】
試験No.9は仕上げ圧延終了温度が低すぎるため、成形性が劣化し、ブローチ成形時に割れが発生した。試験No.10は仕上げ圧延終了温度が高すぎるため、残留オーステナイトの面積率が小さく、耐摩耗性が劣化している。
【0152】
試験No.11は仕上げ圧延終了温度が低すぎることに加えて、有効累積歪みが高すぎるため、フェライトの平均円相当径が過度に細粒化して、耐摩耗性が劣化している。試験No.12は前段三段の累積歪みが低すぎるため、フェライトの平均円相当径が粗大化して、耐摩耗性が劣化している。
【0153】
試験No.13は冷却開始までの時間が短すぎるため、フェライトの平均円相当径が過度に細粒化して、耐摩耗性が劣化している。試験No.14は冷却開始までの時間が長すぎるため、フェライトの平均円相当径が粗大化して、耐摩耗性が劣化している。
【0154】
試験No.15は第1冷却工程における保持前平均冷却速度が低すぎるため、フェライトの平均円相当径が粗大化して、耐摩耗性が劣化している。試験No.16は第1冷却工程における保持温度が高すぎるため、フェライトの平均円相当径が粗大化して、耐摩耗性が劣化している。試験No.17は第1冷却工程における保持温度が低すぎるため、目的とするミクロ組織が得られず、耐摩耗性が劣化している。
【0155】
試験No.18は第1冷却工程における保持時間が短く、一方、試験No.19は保持時間が長いため、いずれも目的とするミクロ組織が得られず、耐摩耗性が劣化している。試験No.20は第1冷却工程における保持後平均冷却速度が低すぎるため、目的とするミクロ組織が得られず、耐摩耗性が劣化している。
【0156】
試験No.21は巻取り温度が高く、一方、試験No.22は巻取り温度が低すぎるため、いずれも目的とするミクロ組織が得られず、耐摩耗性が劣化している。
【0157】
試験No.23は第2冷却工程における350℃までの平均冷却速度が高く、一方、試験No.24は第2冷却工程における350℃までの平均冷却速度が低すぎるため、いずれも目的とするミクロ組織が得られず、耐摩耗性が劣化している。試験No.25は第2冷却工程における350℃からの平均冷却速度が高すぎるため、残留オーステナイトの平均炭素濃度が低く、耐摩耗性が劣化している。
【0158】
試験No.42はC含有量が高すぎるため、残留オーステナイトの面積率が大きく耐摩耗性が劣化している。試験No.43はC含有量が低すぎるため、残留オーステナイトの面積率が小さく耐摩耗性が劣化している。試験No.44はSi含有量が高すぎるため、スラブ割れが発生し、成品が得られなかった。試験No.45はSi含有量が低すぎるため、残留オーステナイトの面積率が小さく耐摩耗性が劣化している。
【0159】
試験No.46はMn含有量が低すぎるため、強度が低く、耐摩耗性が劣化している。試験No.47はMn含有量が高すぎるため、スラブ割れが発生し、成品が得られなかった。
【0160】
以上の実施例により、本発明の効果(優れた耐摩耗性と成形性の両立)が確認された。
【産業上の利用可能性】
【0161】
本発明によれば、ブローチ成形性に優れた熱延鋼板およびブローチ成形後の耐摩耗性に優れたスプライン軸受を得ることが可能になる。したがって、ブローチ成形によるスプライン軸受歯形部を加工したままで、熱処理をすることなく、優れた耐摩耗性を有する自動車のトランスミッション部品の製造が可能である熱延鋼板を、低コストで安定的に供給できる。また、コストアップを伴わずに耐摩耗性に優れる自動車のトランスミッション部品の製造ができる。
【符号の説明】
【0162】
1.ブローチ
2.スプライン軸受素材
3.スプライン軸受
3a.内歯歯車
4.スプライン軸
4a.外歯歯車
図1
図2