特許第6934650号(P6934650)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6934650
(24)【登録日】2021年8月26日
(45)【発行日】2021年9月15日
(54)【発明の名称】微生物の識別方法
(51)【国際特許分類】
   C12Q 1/06 20060101AFI20210906BHJP
   G01N 27/62 20210101ALI20210906BHJP
【FI】
   C12Q1/06ZNA
   G01N27/62 V
【請求項の数】17
【全頁数】20
(21)【出願番号】特願2018-508329(P2018-508329)
(86)(22)【出願日】2016年3月31日
(86)【国際出願番号】JP2016060866
(87)【国際公開番号】WO2017168741
(87)【国際公開日】20171005
【審査請求日】2019年3月27日
(73)【特許権者】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(73)【特許権者】
【識別番号】599002043
【氏名又は名称】学校法人 名城大学
(73)【特許権者】
【識別番号】500254354
【氏名又は名称】公益財団法人科学技術交流財団
(74)【代理人】
【識別番号】110001069
【氏名又は名称】特許業務法人京都国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】田村 廣人
(72)【発明者】
【氏名】山本 奈保美
(72)【発明者】
【氏名】加藤 晃代
(72)【発明者】
【氏名】島 圭介
(72)【発明者】
【氏名】船津 慎治
【審査官】 小田 浩代
(56)【参考文献】
【文献】 MANDRELL RE et al.,Speciation of Campylobacter coli, C. jejuni, C. helveticus, C. lari, C. sputorum, and C. upsaliensis by Matrix-Assisted Laser Desportion Ionization,Appl. Environ. Microbiol., 2005, 71(10), pp.6292-6307, ISSN: 1098-5336
【文献】 FAGERQUIST CK et al.,Composite sequence proteomic analysis of protein biomarkers of Campylobacter coli, C. lari and C. concisus for bacterial identification,Analyst, 2007, 132(10), pp.1010-1023, ISSN: 1364-5528
【文献】 FAGERQUIST CK et al.,Sub-speciating Campylobacter jejuni by proteomic analysis of its protein biomarkers and their post-translational modifications,J. Proteome Res., 2006, 5(10), pp.2527-2538, ISSN: 1535-3907
【文献】 FAGERQUIST CK,Amino acid sequence determination of protein biomarkers of Campylobacter upsaliensis and C. helveticus by "Composite" sequence proteomic analysis,J. Proteome Res., 2007, 6(7), pp.2539-2549, ISSN: 1535-3907
【文献】 ALISPAHIC M et al.,Species-specific identification and differentiation of Arcobacter, Helicobacter and Campylobacter by full-spectral matrix-associated laser desportion/ionization time of flight mass spectrometry analysis,J. Med. Microbiol., 2010, 59(Pt 3), pp.295-301, ISSN: 1473-5644
【文献】 田村廣人ほか,リボソームタンパク質をバイオマーカーとしたMALDI-TOF MSによる細菌識別 : S10-GERMS法による細菌の迅速識別,島津評論、2014年、70巻、3・4号、157−170頁、ISSN: 0371-005X
【文献】 OJIMA-KATO T et al.,Discrimination of Escherichia coli O157, O26 and O111 from other serovars by MALDI-TOF MS based on the S10-GERMS method,PLoS One, 2014, 9(11), e113458, pp.1-11, ISSN: 1932-6203
【文献】 OJIMA-KATO T et al.,Assessing the performance of novel software Strain Solution on automated discrimination of Escherichia coli serotypes and their mixtures using matrix-assisted laser desorption ionization-time of flight mass spectrometry,J. Microbiol. Methods, 2015, 119, pp.233-238, ISSN: 1872-8359
【文献】 TAMURA H et al.,Novel accurate bacterial discrimination by MALDI-time-of-flight MS based on ribosomal proteins coding in S10-spc-alpha operon at strain level S10-GERMS,J. Am. Soc. Mass Spectrom., 2013, 24(8), pp.1185-1193, ISSN: 1879-1123
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C12N 15/00−15/90
C12Q 1/68−1/6897
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
a)微生物を含む試料を質量分析してマススペクトルを得るステップと、
b)前記マススペクトルから、マーカータンパク質由来のピークの質量電荷比m/zを読み取るステップと、
c)前記質量電荷比m/zに基づいて、前記試料に含まれる微生物が、カンピロバクター(Campylobacter)属菌のいずれの菌種を含むかを識別する識別ステップと
を有し、
前記マーカータンパク質としてリボソームタンパク質S14、L32のうち、少なくとも一つを用いることを特徴とする微生物の識別方法。
【請求項2】
請求項1に記載の微生物の識別方法において、
前記カンピロバクター(Campylobacter)属菌の菌種が、
カンピロバクター・ジェジュニ・サブスピーシーズ・ジェジュニ(Campylobacter jejuni subsp. jejuni)、カンピロバクター・ジェジュニ・サブスピーシーズ・ドイレイ(Campylobacter jejuni subsp. doylei)、カンピロバクター・コリ(Campylobacter coli)、カンピロバクター・フェタス(Campylobacter fetus)、カンピロバクター・ラリ(Campylobacter lari)の5種のいずれかであることを特徴とする微生物の識別方法。
【請求項3】
a)微生物を含む試料を質量分析してマススペクトルを得るステップと、
b)前記マススペクトルから、マーカータンパク質由来のピークの質量電荷比m/zを読み取るステップと、
c)前記質量電荷比m/zに基づいて、前記試料に含まれる微生物が、カンピロバクター(Campylobacter)属菌のいずれの菌種を含むかを識別する識別ステップと
を有し、
前記カンピロバクター(Campylobacter)属菌の菌種がカンピロバクター・ジェジュニ・サブスピーシーズ・ジェジュニ(Campylobacter jejuni subsp. jejuni)であって、
前記マーカータンパク質として少なくとも、L24と、L32、L23、S14、L7/L12、のいずれか一つとL23とを含むことを特徴とする微生物の識別方法。
【請求項4】
請求項2に記載の微生物の識別方法において、
前記カンピロバクター(Campylobacter)属菌の菌種がカンピロバクター・コリ(Campylobacter Coli)であって、
前記マーカータンパク質として少なくとも、
L32、S14のいずれかを含むことを特徴とする微生物の識別方法。
【請求項5】
a)微生物を含む試料を質量分析してマススペクトルを得るステップと、
b)前記マススペクトルから、マーカータンパク質由来のピークの質量電荷比m/zを読み取るステップと、
c)前記質量電荷比m/zに基づいて、前記試料に含まれる微生物が、カンピロバクター(Campylobacter)属菌のいずれの菌種を含むかを識別する識別ステップと
を有し、
前記カンピロバクター(Campylobacter)属菌の菌種がカンピロバクター・フェタス(Campylobacter fetus)であって、
前記マーカータンパク質としてL23、S14、L36、L32、S11のうち、少なくとも一つを用いることを特徴とする微生物の識別方法。
【請求項6】
a)微生物を含む試料を質量分析してマススペクトルを得るステップと、
b)前記マススペクトルから、マーカータンパク質由来のピークの質量電荷比m/zを読み取るステップと、
c)前記質量電荷比m/zに基づいて、前記試料に含まれる微生物が、カンピロバクター(Campylobacter)属菌のいずれの菌種を含むかを識別する識別ステップと
を有し、
前記カンピロバクター(Campylobacter)属菌の菌種がカンピロバクター・ラリ(Campylobacter lari)であって、
前記マーカータンパク質としてL23、S14、L32のうち、
少なくとも一つを含むことを特徴とする微生物の識別方法。
【請求項7】
a)微生物を含む試料を質量分析してマススペクトルを得るステップと、
b)前記マススペクトルから、マーカータンパク質由来のピークの質量電荷比m/zを読み取るステップと、
c)前記質量電荷比m/zに基づいて、前記試料に含まれる微生物が、カンピロバクター(Campylobacter)属菌のいずれの菌種を含むかを識別する識別ステップと
を有し、
前記カンピロバクター(Campylobacter)属菌の菌種がカンピロバクター・ジェジュニ(Campylobacter jejuni)であるときにその血清型がRであって、
前記マーカータンパク質として少なくとも、L23を含むことを特徴とする微生物の識別方法。
【請求項8】
a)微生物を含む試料を質量分析してマススペクトルを得るステップと、
b)前記マススペクトルから、マーカータンパク質由来のピークの質量電荷比m/zを読み取るステップと、
c)前記質量電荷比m/zに基づいて、前記試料に含まれる微生物が、カンピロバクター(Campylobacter)属菌のいずれの菌種を含むかを識別する識別ステップと
を有し、
前記カンピロバクター(Campylobacter)属菌の菌種がカンピロバクター・ジェジュニ(Campylobacter jejuni)であるときにその血清型がAであって、
前記マーカータンパク質として少なくとも、
L23、または、
L32、L7/L12、
のいずれかを含むことを特徴とする微生物の識別方法。
【請求項9】
請求項2に記載の微生物の識別方法において、
前記カンピロバクター(Campylobacter)属菌の菌種がカンピロバクター・ジェジュニ(Campylobacter jejuni)であるときにその血清型がDであって、
前記マーカータンパク質として少なくとも、L32及びL23またはL32及びL24
のいずれかを含むことを特徴とする微生物の識別方法。
【請求項10】
請求項2に記載の微生物の識別方法において、
前記カンピロバクター(Campylobacter)属菌の菌種がカンピロバクター・ジェジュニ(Campylobacter jejuni)であるときにその血清型がDF複であって、
前記マーカータンパク質として少なくとも、L32を含むことを特徴とする微生物の識別方法。
【請求項11】
請求項2に記載の微生物の識別方法において、
少なくともL24、S14、S11に由来する質量電荷比m/zを指標とするクラスター解析を用いて、前記試料に含まれる微生物が、前記カンピロバクター(Campylobacter)属菌の亜種のいずれであるかを分類することを特徴とする微生物の識別方法。
【請求項12】
請求項11に記載の微生物の識別方法において、
さらに、少なくともL24、S14、L36に由来する質量電荷比m/zを指標とすることを特徴とする微生物の識別方法。
【請求項13】
請求項11又は12に記載の微生物の識別方法において、
前記クラスター解析による識別結果を表すデンドログラムを作成するステップを、さらに有することを特徴とする微生物の識別方法。
【請求項14】
請求項2に記載の微生物の識別方法において、
少なくとも、L32、L7/L12、L23、S11又はL32、L7/L12、L24、S11に由来する質量電荷比m/zを指標とするクラスター解析を用いて、前記カンピロバクター(Campylobacter)属菌の菌種がカンピロバクター・ジェジュニ(Campylobacter jejuni)であるときの血清型を分類することを特徴とする微生物の識別方法。
【請求項15】
請求項14に記載の微生物の識別方法において、
さらに、L23、L24、S14、L32、L7/L12に由来する質量電荷比m/zを指標とすることを特徴とする微生物の識別方法。
【請求項16】
請求項14に記載の微生物の識別方法において、
さらに、L23、L24、S14、L36、L32、L7/L12
に由来するm/zを指標とする微生物の識別方法。
【請求項17】
コンピュータに請求項1〜16のいずれかに記載の各ステップを実行させるためのプログラム。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、質量分析を利用した微生物の識別方法に関する。
【背景技術】
【0002】
Campylobacter属菌は微好気性無芽胞のグラム陰性らせん状桿菌であり、現在33菌種が報告されている(非特許文献1)。本属菌のうちCampylobacter fetusは、約100年ほど前から家畜の流産の原因菌として知られていたが、現在では、Campylobacter jejuni、Campylobacter coliがヒトのカンピロバクタ感染症の原因菌として注目されている。多くの先進国においてカンピロバクタ感染症は増加傾向にあり(非特許文献2)、合併症としてギランバレー症候群やフィッシャー症候群などの末梢神経障害を引き起こす。
【0003】
Campylobacter属菌の増殖時間は一般の細菌の約2倍と遅く、37℃で40〜50分で増殖する。また、pH5.5〜8.0で増殖する。本属菌は好気的条件の室温では2〜3日で死滅するが、10℃以下では好気的条件でもかなり長時間生存する。また−20℃以下で凍結した生肉や、真空パックおよびガス置換パックした包装生肉では1か月以上も生存する。本属菌の多くの種は、至適発育温度が30〜37℃であるが、25℃で発育する種や42℃で発育する種もある。42℃で発育する菌種は 'thermophilic Campylobacter' と呼ばれ、食中毒に関係する菌種はここに属する。
【0004】
Campylobacter属菌の多くは家畜、家禽、ペット及び野生動物の腸管に広く分布しており、これらに由来すると考えられる菌が河川や湖水、さらには下水などから分離されている(非特許文献3)。先進国で感染源として最も重要視されているのがニワトリで、鶏肉の汚染率は他の畜肉に比べて非常に高い(非特許文献5)。国内外の調査によると、ニワトリでの垂直感染はおこらず、水平感染により短期間に広がる。渡り鳥から家禽への伝搬も報告されている(非特許文献4、5)。
【0005】
Campylobacter jejuni、Campylobacter coliの疫学調査では2つの血清型別法(Penner型とLior型)が広く用いられている(非特許文献6、7)が、Penner型診断用血清は限られた機関にしか配備されておらず、Lior型の血清型別法も診断に時間がかかる。
【0006】
上述した事情から、Campylobacter jejuni、Campylobacter coliは食中毒菌として食品ならび医療分野で管理されなければならず、その迅速な検出ならびに同定識別技術の開発が必要とされている。
【0007】
これまでにm−PCR(非特許文献8、9)、パルスフィールドゲル電気泳動(非特許文献10)、マルチローカスシーケンスタイピング(非特許文献11、12)等が報告されている。しかしながら、これらの手法は煩雑な操作が必要で、時間がかかるという問題がある。
【0008】
一方、近年ではマトリックス支援レーザー脱離イオン化法飛行時間型質量分析法(MALDI−TOF MS)による微生物同定技術が、臨床ならび食品分野で急速に広がっている。本法は、ごく微量の微生物試料を用いて得られたマススペクトルパターンに基づいて微生物同定を行う手法であり、短時間で分析結果を得ることができ、且つ多検体の連続分析も容易であるため、簡便且つ迅速な微生物同定が可能である。
【0009】
これまでに、複数の研究グループによりMALDI−TOF MSを用いたCampylobacter属菌の識別が試みられてきた(非特許文献13、14、15、16、17)。非特許文献13ではCampylobacter属の6種のうち、Campylobacter coli(以下、「Campylobacter」は「C.」と略することもある)はリボゾームタンパク質L7/L12とDNA結合タンパク質HUを用いて、C.jejuniはリボゾームタンパク質S13とDNA結合タンパク質HUを用いて、C.lariはリボゾームタンパク質L7/L12とシャペロニンGroES、9651Daの未知タンパク質を用いて、C.spectorumは12786Daと9796Daの未知タンパク質を用いて、C.helveticusは9504DaとDNA結合タンパク質HUを用いて、C.upsaliensi はDNA結合タンパク質HUを用いて識別したことが報告されているが、いずれも遺伝的裏付けはない。
【0010】
非特許文献13では、DNA結合タンパク質HUを用いて遺伝子の裏付けを元にCampylobacter属の6種(C.coli、C.jejuni、C.lari、C.spectorum、C.helveticusおよびC.upsaliensi)を識別している。しかし、我々が行なった再現実験によると、MALDI−TOF MSではDNA結合タンパク質HUを安定して検出することができなかった。
【0011】
また、非特許文献17では、C.jrjuniのマルチローカスシーケンスタイピングによるグループをMALDI−TOF MSを用いて識別したことが報告されているが、バイオマーカーのピークの由来は明らかにされていない。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0012】
【特許文献1】特開2006-191922号公報
【特許文献2】特開2013-085517号公報
【非特許文献】
【0013】
【非特許文献1】List of prokaryotic names with standing in nomenclature,[平成28年3月25日検索],インターネット<URL:http://www.bacterio.net/>
【非特許文献2】Rosenquist, H.et.al., Int. J. Food Microbiol., 2003, 83(1), 87-103.
【非特許文献3】Corr J. et.al., Appl. Microbiol. 2011, 96S−114S.
【非特許文献4】Hald, B.et.al., Acta Vet Scand, 2016, 58(1), 1.
【非特許文献5】Newell G. et.al., ASM press ,2000, 497−509.
【非特許文献6】Penner, J. et.al., J. Clin.Microbiol. 1980, 12:732−737.
【非特許文献7】Lior, H. et al. J.Clin. Microbiol. 1980, 15:761−768.
【非特許文献8】Samosornsuk, W. et al. Microbiol.Immunol., 2007, 51 (9), 909-917.
【非特許文献9】Asakura, M., et al., Microb.Pathog., 2007, 42, 174-183.
【非特許文献10】Gibson, J. et al., Letters in Applied Microbiology, 1994, 19(5), 357-358.
【非特許文献11】Behringer, M., et al., Journal of Microbiological Methods, 2011, 84(2), 194-201.
【非特許文献12】Zautner, A. E., et al., Applied and environmental microbiology, 2011, 77(7), 2359-2365.
【非特許文献13】Mandrell, R. E., Harden, L. A., Bates, A., Miller, W. G., Haddon, W. F., & Fagerquist, C. K., Applied and environmental microbiology, 2005, 71(10), 6292-6307.
【非特許文献14】Fagerquist, C. K., Miller, W. G., Harden, L. A., Bates, A. H., Vensel, W. H., Wang, G., & Mandrell, R. E., Analytical chemistry, 2005, 77(15), 4897-4907.
【非特許文献15】Alispahic, M., et.al., Journal of medical microbiology, 2010, 59(3), 295-301.
【非特許文献16】Bessede, E., et.al., 2011, Clinical Microbiology and Infection, 17(11), 1735-1739.
【非特許文献17】Zautner, A. E., et.al., BMC microbiology, 2013, 13:247.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0014】
上述したように、MALDI−TOF MSによるCampylobacter属菌の菌種識別およびタイプ分けに関して複数の報告があるものの、亜種識別や株識別に言及している報告はなく、マススペクトル上に現れる各ピークやバイオマーカーピークの一つ一つが何のタンパク質に由来するかが特定されているものは少なく、再現性がない。つまり、Campylobacter属菌の亜種ならび株識別に好適に利用可能な信頼性の高いマーカータンパク質は未だ確立されていない。
【0015】
特許文献1には、微生物菌体を質量分析して得られるピークの約半分がリボソームタンパク質由来であることを利用し、質量分析で得られるピークの質量電荷比を、リボソームタンパク質遺伝子の塩基配列情報を翻訳したアミノ酸配列から推測される計算質量と関連づけることで該ピークの由来となるタンパク質の種類を帰属する手法(S10−GERMS法)が有用であることが示されている。この手法によれば、質量分析およびそれに付属するソフトウェアを用いて理論的根拠に基づいた信頼性の高い微生物同定を行うことが可能となる(特許文献2)。
【0016】
本発明が解決しようとする課題は、Campylobacter属菌の亜種ならびC.jejuniの株の識別を行うために、遺伝的情報に基づいた信頼性の高いバイオマーカーを提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0017】
本発明者は鋭意検討を重ねた結果、質量分析によって試料に含まれる菌種がCampylobacter属菌のいずれの菌種であるか、またその場合の亜種や株(血清型)の識別に用いられるマーカータンパク質として18種類のリボソームタンパク質質S10、L23、S19、L22、L16、L29、S17、L14、L24、S14、L18、L15、L36、S13、S11(Me)、L32、L7/L12が有用であること、これらリボソームタンパク質の少なくとも一つを用いることによりCampylobacter属菌の菌種及び亜種並びに株(血清型)の識別が可能であること、これらの中でも特に7種類のリボソームタンパク質L23、L24、S14、L36、L32、L7/L12、S11の少なくとも一つを用いることにより再現性よく、且つ迅速にCampylobacter属菌の菌種及び亜種の識別が可能であることを発見し、本発明に至った。
【0018】
すなわち、上記課題を解決するために成された本発明に係る微生物の識別方法は、
a)微生物を含む試料を質量分析してマススペクトルを得るステップと、
b)前記マススペクトルから、マーカータンパク質由来のピークの質量電荷比m/zを読み取るステップと、
c)前記質量電荷比m/zに基づいて、前記試料に含まれる微生物が、Campylobacter属菌のいずれの菌種を含むかを識別する識別ステップと
を有し、
前記マーカータンパク質として18種類のリボソームタンパク質S10、L23、S19、L22、L16、L29、S17、L14、L24、S14、L18、L15、L36、S13、S11(Me)、L32、L7/L12のうち、少なくとも一つを用いることを特徴とする。
【0019】
上記の微生物の識別方法においては、
前記マーカータンパク質として7種類のマーカータンパク質L23、L24、S14、L36、L32、L7/L12、S11のうち、少なくとも一つを用いることが好ましい。
【0020】
上記の微生物の識別方法は、
前記Campylobacter属菌の菌種が、
Campylobacter jejuni subsp. jejuni、Campylobacter jejuni subsp. doylei、Campylobacter coli、Campylobacter fetus、Campylobacter lariの5種のいずれかであることを識別する方法として好適である。
【0021】
具体的には、前記Campylobacter属菌の菌種がCampylobacter jejuni subsp. jejuniであるときは、 前記マーカータンパク質として少なくとも、L24と、L32、L23、S14、L7/L12、のいずれか一つとL23とを含むことが好ましい。
【0022】
また、前記Campylobacter属菌の菌種がCampylobacter jejuni subsp. doyleiであるときは、前記マーカータンパク質が少なくとも、L24を含むことが好ましい。
【0023】
さらに、前記Campylobacter属菌の菌種がCampylobacter Coliであるときは、前記マーカータンパク質が、少なくとも、L32、S14、L23及びL24から成る群、のいずれかを含むことが好ましい。
【0024】
また、前記Campylobacter属菌の菌種がCampylobacter fetus であるときは、前記マーカータンパク質としてL23、L24、S14、L36、L32、L7/L12、S11のうち、少なくとも一つを用いることが好ましい。
【0025】
さらに、前記Campylobacter属菌の菌種がCampylobacter lari であるときは、前記マーカータンパク質としてL23、L24、S14、L32、L7/L12のうち、少なくとも一つを含むことが好ましい。
【0026】
また、上記の微生物の識別方法においては、前記Campylobacter属菌の菌種がCampylobacter jejuni であるときにその血清型を識別方法として用いることができる。具体的には、前記Campylobacter属菌の菌種がCampylobacter jejuni であるときにその血清型がRであることを識別するときは、前記マーカータンパク質として少なくとも、L23を含むことが好ましい。
【0027】
また、前記Campylobacter属菌の菌種がCampylobacter jejuni であるときにその血清型がAであることを識別するときは、前記マーカータンパク質として少なくとも、L23、または、L32、L7/L12、のいずれかを含むことが好ましい。
【0028】
前記Campylobacter属菌の菌種がCampylobacter jejuni であるときにその血清型がBであることを識別するときは、前記マーカータンパク質として少なくとも、L7/L12を含むことが好ましい。
【0029】
前記Campylobacter属菌の菌種がCampylobacter jejuni であるときにその血清型がUであることを識別するときは、前記マーカータンパク質として少なくとも、L7/L12を含むことが好ましい。
【0030】
前記Campylobacter属菌の菌種がCampylobacter jejuni であるときにその血清型がDであることを識別するときは、前記マーカータンパク質として少なくとも、L32、L23または、L32、L24のいずれかを含むことが好ましい。
【0031】
前記Campylobacter属菌の菌種がCampylobacter jejuni であるときにその血清型がDF複であることを識別するときは、前記マーカータンパク質として少なくとも、L32を含むことが好ましい。
【0032】
また、上記の微生物の識別方法においては、
少なくともL24、S14、S11に由来する質量電荷比m/zを指標とするクラスター解析を用いると、前記試料に含まれる微生物が、前記Campylobacter属菌の亜種のいずれであるかを精度良く分類することができる。
【0033】
上記のクラスター解析においては、さらに、少なくともL24、S14、L36に由来する質量電荷比m/zを指標とすると良い。
【0034】
この場合、前記クラスター解析による識別結果を表すデンドログラムを作成するステップを、さらに有すると良い。
【0035】
また、上記の微生物の識別方法においては、少なくとも、L32、L7/L12、L23、S11又はL32、L7/L12、L24、S11に由来する質量電荷比m/zを指標とするクラスター解析を用いて、前記Campylobacter属菌の菌種がCampylobacter jejuni であるときの血清型を分類することができる。
【0036】
この場合、さらに、L23、L24、S14、L32、L7/L12に由来する質量電荷比m/zを指標とすることが好ましく、さらに、L23、L24、S14、L36、L32、L7/L12に由来するm/zを指標とすると良い。
【発明の効果】
【0037】
上記本発明に係る微生物の識別方法では、Campylobacter属菌の菌種に特有な変異を示すリボソームタンパク質をマーカータンパク質として用いたため、Campylobacter属菌の菌種を再現性よく、且つ迅速に識別することができる。
また、Campylobacter属菌の菌種に特有な変異を示すリボソームタンパク質をマーカータンパク質として用い、マススペクトル上におけるマーカータンパク質由来のピークの質量電荷比m/zを指標としてクラスター解析を行うことにより、複数の試料に含まれるCampylobacter属菌の識別を一括で行うことができる。
【図面の簡単な説明】
【0038】
図1】本発明に係る微生物の識別方法に用いられる微生物識別システムの要部を示す構成図。
図2】本発明に係る微生物の識別方法の手順の一例を示すフローチャート。
図3】実施例で使用したCampylobacter属菌の菌種名、亜種名および菌株名の一覧を示す図。
図4】実施例で使用したプライマーの一覧を示す図。
図5】各アミノ酸の質量を示す図。
図6】実施例で使用したCampylobacter属菌の各リボソームタンパク質の理論質量値とMALDI−TOF−MSによる実測値の一覧を示す図。
図7A】7種類のリボソームタンパク質の実測値による帰属結果。
図7B図7Aに示す帰属番号と理論質量値の関係を示す表。
図7C図7Aに示す4種類のリボソームタンパク質を使って作成したデンドログラム。
図8】MALDI−TOF MS測定により得られたチャート。
図9】SARAMISによる識別結果。
図10】MALDI−TOF MS測定により得られたピークチャート。
図11A】6種類のリボソームタンパク質の実測値による帰属結果。
図11B図11Aに示す帰属番号と理論質量値の関係を示す表。
図11C図11Aに示す6種類のリボソームタンパク質を使って作成したデンドログラム。
図12A】4種類のリボソームタンパク質の実測値による帰属結果。
図12B図12Aに示す帰属番号と理論質量値の関係を示す表。
図12C図12Aに示す4種類のリボソームタンパク質を使って作成したデンドログラム。
図13A】別の4種類のリボソームタンパク質の実測値による帰属結果(血清型識別)。
図13B図13Aに示す帰属番号と理論質量値の関係を示す表。
図13C図13Aに示す4種類のリボソームタンパク質を使って作成したデンドログラム。
図14A】3種類のリボソームタンパク質の実測値による帰属結果(血清型識別)。
図14B図14Aに示す帰属番号と理論質量値の関係を示す表。
図14C図14Aに示す3種類のリボソームタンパク質を使って作成したデンドログラム。
図15A】別の3種類のリボソームタンパク質の実測値による帰属結果(血清型識別)。
図15B図15Aに示す帰属番号と理論質量値の関係を示す表。
図15C図15Aに示す3種類のリボソームタンパク質を使って作成したデンドログラム。
【発明を実施するための形態】
【0039】
以下、本発明に係る微生物の識別方法の具体的な実施形態について説明する。
図1は本発明に係る微生物の識別方法に用いられる微生物識別システムの全体図である。この微生物識別システムは、大別して質量分析部10と微生物判別部20とから成る。質量分析部10は、マトリックス支援レーザー脱離イオン化法(MALDI)によって試料中の分子や原子をイオン化するイオン化部11と、イオン化部11から出射された各種イオンを質量電荷比に応じて分離する飛行時間型質量分離器(TOF)12を備える。
【0040】
TOF12は、イオン化部11からイオンを引き出してTOF12内のイオン飛行空間に導くための引き出し電極13と、イオン飛行空間で質量分離されたイオンを検出する検出器14とを備える。
【0041】
微生物判別部20の実体は、ワークステーションやパーソナルコンピュータ等のコンピュータであり、中央演算処理装置であるCPU(Central Processing Unit)21にメモリ22、LCD(Liquid Crystal Display)等から成る表示部23、キーボードやマウス等から成る入力部24、ハードディスクやSSD(Solid State Drive)等の大容量記憶装置から成る記憶部30が互いに接続されている。記憶部30には、OS(Operating System)31、スペクトル作成プログラム32、属・種決定プログラム33、および下位分類決定プログラム35(本発明に係るプログラム)が記憶されると共に、第1データベース34および第2データベース36が格納されている。微生物判別部20は、更に、外部装置との直接的な接続や、外部装置等とのLAN(Local Area Network)などのネットワークを介した接続を司るためのインターフェース(I/F)25を備えており、該インターフェース25よりネットワークケーブルNW(又は無線LAN)を介して質量分析部10に接続されている。
【0042】
図1においては、下位分類決定プログラム35に係るように、スペクトル取得部37、m/z読み取り部38、下位分類判定部39、クラスター解析部40、およびデンドログラム(系統図)作成部41が示されている。これらはいずれも基本的にはCPU21が下位分類決定プログラム35を実行することによりソフトウェア的に実現される機能手段である。なお、下位分類決定プログラム35は必ずしも単体のプログラムである必要はなく、例えば属・種決定プログラム33や、質量分析部10を制御するためのプログラムの一部に組み込まれた機能であってもよく、その形態は特に問わない。なお、属・種決定プログラム33としては、例えば、従来のフィンガープリント法による微生物同定を行うプログラム等を利用することができる。
【0043】
また、図1では、ユーザが操作する端末にスペクトル作成プログラム32、属・種決定プログラム33、および下位分類決定プログラム35、第1データベース34、および第2データベース36を搭載する構成としたが、これらの少なくとも一部又は全部を前記端末とコンピュータネットワークで接続された別の装置内に設け、前記端末からの指示に従って前記別の装置内に設けられたプログラムによる処理および/又はデータベースへのアクセスが実行される構成としてもよい。
【0044】
記憶部30の第1データベース34には、既知微生物に関する質量リストが多数登録されている。この質量リストは、ある微生物細胞を質量分析した際に検出されるイオンの質量電荷比を列挙したものであり、該質量電荷比の情報に加えて、少なくとも、前記微生物細胞が属する分類群(科、属、種など)の情報(分類情報)を含んでいる。こうした質量リストは、予め各種の微生物細胞を前記質量分析部10によるものと同様のイオン化法および質量分離法によって実際に質量分析して得られたデータ(実測データ)に基づいて作成することが望ましい。
【0045】
前記実測データから質量リストを作成する際には、まず、前記実測データとして取得されたマススペクトルから所定の質量電荷比範囲に現れるピークを抽出する。このとき、前記質量電荷比範囲を2,000〜35,000程度とすることにより、主にタンパク質由来のピークを抽出することができる。また、ピークの高さ(相対強度)が所定の閾値以上のものだけを抽出することにより、不所望のピーク(ノイズ)を除外することができる。なお、リボソームタンパク質群は細胞内で大量に発現しているため、前記閾値を適切に設定することにより、質量リストに記載される質量電荷比の大部分をリボソームタンパク質由来のものとすることができる。そして、以上により抽出されたピークの質量電荷比(m/z)を細胞毎にリスト化し、前記分類情報等を付加した上で第1データベース34に登録する。なお、培養条件による遺伝子発現のばらつきを抑えるため、実測データの採取に用いる各微生物細胞は、予め培養条件を規格化しておくことが望ましい。
【0046】
記憶部30の第2データベース36には、既知微生物を種よりも下位の分類(亜種、病原型、血清型、株など)で識別するためのマーカータンパク質に関する情報が登録されている。該マーカータンパク質に関する情報としては、少なくとも既知微生物における該マーカータンパク質の質量電荷比(m/z)の情報が含まれる。本実施形態における第2データベース36には、被検微生物がCampylobacter属菌のいずれであるかを判定するためのマーカータンパク質に関する情報として、少なくともリボソームタンパク質S10、L23、S19、L22、L16、L29、S17、L14、L24、S14、L18、L15、L36、S13、S11(Me)、L32、L7/L12の質量電荷比の値が記憶されている。これらリボソームタンパク質の質量電荷比の値については後述する。
【0047】
第2データベース36に記憶するマーカータンパク質の質量電荷比の値としては、各マーカータンパク質の塩基配列をアミノ酸配列に翻訳することにより求められた計算質量と、実測により検出される質量電荷比を比較して選別することが望ましい。なお、マーカータンパク質の塩基配列は、シークエンスによって決定するほか、公共のデータベース、例えばNCBI(国立生物工学情報センター:National Center for Biotechnology Information)のデータベース等から取得したものを用いることもできる。前記アミノ酸配列から計算質量を求める際には、翻訳後修飾としてN−末端メチオニン残基の切断を考慮することが望ましい。具体的には、最後から2番目のアミノ酸残基がGly, Ala, Ser, Pro, Val, Thr, 又はCysである場合に、N−末端メチオニンが切断されるものとして前記理論値を算出する。また、MALDI−TOF MSで実際に観測されるのはプロトンが付加した分子であるため、そのプロトンの分も加味して前記計算質量(すなわち各タンパク質をMALDI−TOF MSで分析した場合に得られるイオンの質量電荷比の理論値)を求めることが望ましい。
【0048】
本実施形態に係る微生物識別システムを用いたCampylobacter属菌の識別手順についてフローチャートを参照しつつ説明を行う。
【0049】
まず、ユーザは被検微生物の構成成分を含む試料を調製し、質量分析部10にセットして質量分析を実行させる。このとき、前記試料としては、細胞抽出物、又は細胞抽出物からリボソームタンパク質等の細胞構成成分を精製したものの他、菌体や細胞懸濁液をそのまま使用することもできる。
【0050】
スペクトル作成プログラム32は、質量分析部10の検出器14から得られる検出信号をインターフェース25を介して取得し、該検出信号に基づいて被検微生物のマススペクトルを作成する(ステップS101)。
【0051】
次に、種決定プログラム33が、前記被検微生物のマススペクトルを第1データベース34に収録されている既知微生物の質量リストと照合し、被検微生物のマススペクトルに類似した質量電荷比パターンを有する既知微生物の質量リスト、例えば被検微生物のマススペクトル中の各ピークと所定の誤差範囲で一致するピークが多く含まれている質量リストを抽出する(ステップS102)。種決定プログラム33は、続いてステップS102で抽出した質量リストと対応付けて第1データベース34に記憶された分類情報を参照することで、該質量リストに対応した既知微生物が属する生物種を特定する(ステップS103)。そして、この生物種がCampylobacter属菌でなかった場合(ステップS104でNoの場合)は、該生物種を被検微生物の生物種として表示部23に出力し(ステップS116)、識別処理を終了する。一方、前記生物種がCampylobacter属菌であった場合(ステップS104でYesの場合)は、続いて下位分類決定プログラム35による識別処理に進む。なお、あらかじめ他の方法で、試料中にCampylobacter属菌を含むことが判定されている場合は、マススペクトルを用いた種決定プログラムを利用せずに、下位分類決定プログラム35に進めばよい。
【0052】
下位分類決定プログラム35では、まず下位分類判定部39がマーカータンパク質である7種類のリボソームタンパク質L23、L24、S14、L36、L32、L7/L12、S11の質量電荷比の値をそれぞれ第2データベース36から読み出す(ステップS105)。続いてスペクトル取得部37が、ステップS101で作成された被検微生物のマススペクトルを取得する。そして、m/z読み取り部38が、該マススペクトル上において、前記の各マーカータンパク質に関連付けて第2データベース36に記憶された質量電荷比範囲に現れるピークを各マーカータンパク質に対応するピークとして選出し、その質量電荷比を読み取る(ステップS106)。そして、読み取った質量電荷比を指標とするクラスター解析を実行する。具体的には、下位分類判定部39が、この質量電荷比と前記第2データベース36から読み出した各マーカータンパク質の質量電荷比の値を比較し、該読み取った質量電荷比についてタンパク質の帰属を決定する(ステップS107)。そして、決定した帰属に基づきクラスター解析を実行して被検微生物の種を判定し(ステップS108)、その旨を被検微生物の識別結果として表示部23に出力する(ステップS109)。
【0053】
以上、本発明を実施するための形態について図面を参照しつつ説明を行ったが、本発明は上記実施形態に限定されるものではなく、本発明の趣旨の範囲で適宜変更が許容される。
【実施例】
【0054】
(1)使用菌株
図3に記載の菌株保存機関、理化学研究所 バイオリソースセンター微生物材料開発室 (JCM)(つくば)およびアメリカンタイプカルチャーコレクション(Manassas, VA, USA)から入手可能なCampylobacter属菌を解析に使用した。Campylobacter jejuniの血清型(Penner型の血清型)は、カンピロバクタ免疫血清「生研」(デンカ生研株式会社)により決定した。
【0055】
(2)DNAの解析
ゲノム解読株の対象領域の上流および下流のコンセンサス配列に基づいて設計した、図4に示すプライマーにより、S10-spc-alphaオペロンのリボソームタンパク質遺伝子のDNA配列を解析した。詳述すると、各菌株より常法にてゲノム抽出し、それを鋳型としてKOD plusによりPCRを行い、目的遺伝子領域を増幅した。得られたPCR産物を精製し、それをシーケンス解析の鋳型とした。シーケンス解析にはBig Dye ver. 3.1 Cycle Sequencing Kit(アプライド・バイオシステムズ, Foster City, カリフォルニア州)を用いて行った。遺伝子のDNA配列からそれぞれの遺伝子のアミノ酸配列に変換し、図5のアミノ酸質量に基づき、質量電荷比を算出し、理論質量値とした。
【0056】
(3)MALDI−TOF MSによる分析
トリプチケースソイ5%ヒツジ血液寒天培地(日本べクトン・ディッキンソン株式会社、東京、日本)またはEG MEDIUM培地に生育した菌体を分析サンプルとした。10μLのシナピン酸マトリックス剤(50 v/v%アセトニトリル、1 v/v%トリフルオロ酢酸溶液中に20 mg/mLのシナピン酸(和光純薬工業株式会社、大阪、日本)))に上記分析サンプル約1コロニー分を加え良く撹拌し、そのうち1.2 μLをサンプルプレートに滴下し、自然乾燥させた。MALDI−TOF MS測定にはAXIMA微生物同定システム(株式会社島津製作所、京都、日本)を使用し、ポジティブリニアモード、スペクトルレンジ2000m/z〜35000m/zにて試料の測定を行った。上述の方法で計算した理論質量値を、測定された質量電荷比と許容誤差500 ppmでマッチングし、適宜修正を施した。なお、質量分析装置のキャリブレーションには大腸菌DH5α株を用い、説明書に従い実施した。
【0057】
(4)Campylobacter属菌の株を識別するデータベースの構築
上記(2)で得られたリボソームタンパク質の理論質量値と、(3)で得られたMALDI−TOFMSによるピークチャートを照合し、実際に検出できたタンパク質に関して、遺伝子配列から求めた理論質量値と実測値に相違がないことを確認した。そして、S10-spc-αオペロン内のリボソームタンパク質および菌株により異なる質量を示したその他バイオマーカーとなりうる26種類のリボソームタンパク質について、その理論質量値および実測値の関係を調べた。その結果を図6に示す。
【0058】
図6には、Campylobacter属菌の各菌種について、遺伝子から求めた質量電荷比(m/z)の理論質量値と、実測での質量ピーク検出結果を表す〇、△、×の記号を示している。〇はAXIMA微生物同定システムのデフォルトのピーク処理設定(Threshold offset ; 0.015mV, Threshold response ; 1.200)で理論値の500 ppm範囲内のピークとして検出され、×は検出できない場合もあったことを示している。△は、各菌株における理論値質量差または他のタンパク質ピークとの差がそれぞれ500 ppm以内であり、ピークは検出されてもその質量差が識別できなかったことを意味する。また、図6に示す26種類のリボソームタンパク質のうちS11については、菌種によってメチル化する場合があったが、これについては、メチル化後の質量電荷比を理論質量値として実測値と照合した。図6において理論質量値の後に(Me)を付したものが、メチル化後の質量電荷比を理論質量値としたものを示している。
【0059】
図6からわかるように、S10-spc-alphaオペロン内にコードされているリボソームタンパク質S10、L23、L22、L16、L29、S17、L14、L24、S14、L18、L15、L36、S11およびS13とその他のリボゾームタンパク質L32およびL7/L12(計16種類)は、その理論質量値がCampylobacter属の菌株によって異なるため、株識別に使用できる有用なタンパク質マーカーである可能性が示された。
【0060】
しかしながら、S10、L22、L16、L29、S17、L14、L18、L15およびS13は夾雑ピークが存在するため、バイオマーカーとしては好適ではないものと考えられた。一方、L23、L24、S14、L36、S11、L32およびL7/L12の計7種類のリボゾームタンパク質は、菌株によらず安定的に検出され、さらに菌株による質量値の差も500ppm以上であることからMALDI−TOF MSにおけるCampylobacter属菌の菌株を識別するためのバイオマーカーとして有用であることが分かった。そこで、以下の実験では、これら7種類のリボソームタンパク質をバイオマーカーとして用いることとした。
【0061】
(5)ソフトウェアによるMALDI−TOF MS実測値の帰属
まず、上記7種類のリボゾームタンパク質の理論質量値を特許文献2に示されるようなソフトウェアに登録した。
次に、MALDI−TOF MS測定で得られた実測値データを本ソフトウェアで解析し、それぞれのバイオマーカーが登録された質量ピークとして正しく帰属されるかを調べた。その結果、図7Aに示すように、全ての菌株について、全てのバイオマーカーの質量ピークが登録した質量数として帰属された。登録した理論質量値と帰属番号との関係を図7Bに示す。Penner型血清型と照らし合わせたところ、Campylobacter jejuniのPenner型血清型がA、B、D、D,F複合、U、Rそれぞれに識別された。
【0062】
また、Campylobacter jejuniの各質量パターン(帰属結果)をクラスター解析し、その結果をバイナリーグラフとしてアウトプットし、系統樹作成ソフトPastで系統分類図(デンドログラム)を作成したところ(図7C)、Campylobacter jejuniの亜種 subsp. jejuniと subsp. doyleiを識別することができ、かつサブツリーでまとまっていた。また、Campylobacter fetusの亜種 subsp. fetusとsubsp.venerealis を識別することができた。以上から、上記7種類のバイオマーカーは、Campylobacter属菌の種の識別及び亜種識別に有用であることが証明された。
【0063】
今回見出したバイオマーカーは非特許文献13で報告された質量ピークC.coli L7/L12;12854Da、C.jejuni S13;13735Daと名称は同じだが、遺伝子情報から正確なピークが算出されており、実測値とも照合されている。また、非特許文献15に使用されたL29のような夾雑ピークの多いバイオマーカーを除いている。これにより、今回初めて信頼性の高い質量データベースを提供することが可能になった。
【0064】
(6)フィンガープリント方式(SARAMIS)との比較
実際に、既存のフィンガープリント方式(SARAMIS)による識別結果と、表6の示すバイオマーカー理論質量値を指標とした識別結果を比較した。まず、MALDI−TOF MSにおける実測では図8に示すようなチャートが得られた。本結果をAXIMA微生物同定システムの説明書に従いSARAMISにて解析した。これにより得られた結果を図9に示す。Campylobacter jejuni subsp. doylei ATCC49350 は76 %という低い値でCampylobacter jejuni と識別され、Campylobacter jejuni subsp. doylei ATCC49349に至ってはSARAMISに一致するデーターベースが格納されていなかったためか属の同定もされなかった。Campylobacter coli, Campylobacter jejuni subsp. jejuni、Campylobacter fetus subsp. fetus、Campylobacter fetus subsp. venerealis、Campylobacter lari subsp. lari は識別率95%以上で種まで正確に同定された。いずれも亜種の識別は行われなかった。
【0065】
そこで、異なる亜種の株の実測結果を図8Aに示した理論質量データベースをもとに識別可能かを試みた。図10図8のチャートのうち7種類のバイオマーカーピーク部分を拡大したものである。図10からわかるように、それぞれのバイオマーカー質量がシフトしていることにより、ピークを区別することができる。7種類のバイオマーカーの実測値と比較し帰属したところ、図7Aに示す結果と一致した。
【0066】
なお、上記実施例では、Campylobacter属菌の種や亜種の識別に用いるマーカータンパク質として7種類のリボソームタンパク質を用いたが、これに限定されない。例えば、図11A図11Cは、上記7種類のバイオマーカーからリボソームタンパク質S11を外した6種類のバイオマーカーの帰属結果を用いてクラスター解析を行い、系統分類図(デンドログラム)を作成した結果を示す。図11Cに示すように、この方法では、Campylobacter jejuniの亜種 subsp. jejuniと subsp. doyleiを識別することができ、かつサブツリーでまとまっていたが、Campylobacter fetusの亜種の識別はできなかった。ただし、Campylobacter jejuniとCampylobacter fetusの種の識別はできた。以上から、6種類のバイオマーカーについては、Campylobacter属菌の種の識別及び Campylobacter jejuniの亜種の識別における有用性が証明された。
【0067】
また、図12A〜12Cは、4種類のリボソームタンパク質L32、L7/L12、L23、及びS11をマーカータンパク質の帰属結果を用いてクラスター解析を行い、系統分類図(デンドログラム)を作成した結果を示す。この方法では、7種類のリボソームタンパク質をバイオマーカーとした場合(図8Cに示す結果)と少し異なるものの、Campylobacter属菌の種や亜種の識別は可能であった。従って、4種類のリボソームタンパク質についても、Campylobacter属菌の種や亜種の識別における有用性が証明された。
【0068】
さらに、図13A〜13Cは、別の4種類のリボソームタンパク質L32、L7/L12、L24、及びS11をマーカータンパク質の帰属結果を用いてクラスター解析を行い、系統分類図(デンドログラム)を作成した結果を示す。この方法では、7種類のリボソームタンパク質をバイオマーカーとした場合(図8Cに示す結果)と少し異なるものの、Campylobacter属菌の種、亜種の識別は可能であった。従って、これら4種類のリボソームタンパク質についても、Campylobacter属菌の種や亜種の識別における有用性が証明された。
【0069】
図14A〜14Cは、3種類のリボソームタンパク質L24、S14、及びS11をマーカータンパク質の帰属結果を用いてクラスター解析を行い、系統分類図(デンドログラム)を作成した結果を示す。この方法では、Campylobacter jeuniの亜種の識別はできなかったものの、Campylobacter属菌の識別は可能であった。
【0070】
また、図15A〜15Cは、別の3種類のリボソームタンパク質L24、S14、及びL36をマーカータンパク質の帰属結果を用いてクラスター解析を行い、系統分類図(デンドログラム)を作成した結果を示す。この方法では、Campylobacter jeuniの亜種の識別、及びCampylobacter fetusの亜種の識別はできなかったものの、Campylobacter属菌の識別は可能であった。
【0071】
(7)バイオマーカーの遺伝子配列およびアミノ酸配列
Campylobacter属菌株によって異なる理論質量値を示した、S10-spc-alphaオペロン内にコードされているリボソームタンパク質L23、L24、S14およびL36、S10-spc-alphaオペロン外にコードされているリボソームタンパク質L32およびL7/L12の計6種類のリボソームタンパク質の各菌株におけるDNA配列及びアミノ酸配列を配列表に示す。
【符号の説明】
【0072】
10…質量分析部
11…イオン化部
12…TOF
13…引き出し電極
14…検出器
20…微生物判別部
21…CPU
22…メモリ
23…表示部
24…入力部
25…I/F
30…記憶部
31…OS
32…スペクトル作成プログラム
33…属・種決定プログラム
34…第1データベース
35…下位分類決定プログラム
36…第2データベース
37…スペクトル取得部
38…m/z読み取り部
39…下位分類判定部
40…クラスター解析部
41…デンドログラム作成部
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7A
図7B
図7C
図8
図9
図10
図11A
図11B
図11C
図12A
図12B
図12C
図13A
図13B
図13C
図14A
図14B
図14C
図15A
図15B
図15C
【配列表】
[この文献には参照ファイルがあります.J-PlatPatにて入手可能です(IP Forceでは現在のところ参照ファイルは掲載していません)]