特許第6954586号(P6954586)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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特許6954586モデル血管システム、シアストレス負荷用のモデル血管部及び循環器系疾患の治療薬のスクリーニング方法
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6954586
(24)【登録日】2021年10月4日
(45)【発行日】2021年10月27日
(54)【発明の名称】モデル血管システム、シアストレス負荷用のモデル血管部及び循環器系疾患の治療薬のスクリーニング方法
(51)【国際特許分類】
   C12M 1/00 20060101AFI20211018BHJP
   G01N 33/15 20060101ALI20211018BHJP
   G01N 33/50 20060101ALI20211018BHJP
   G01N 33/68 20060101ALI20211018BHJP
   C12Q 1/02 20060101ALI20211018BHJP
【FI】
   C12M1/00 A
   G01N33/15 Z
   G01N33/50 Z
   G01N33/68
   C12Q1/02
【請求項の数】6
【全頁数】12
(21)【出願番号】特願2017-17692(P2017-17692)
(22)【出願日】2017年2月2日
(65)【公開番号】特開2018-124201(P2018-124201A)
(43)【公開日】2018年8月9日
【審査請求日】2019年11月29日
(73)【特許権者】
【識別番号】504147243
【氏名又は名称】国立大学法人 岡山大学
(74)【代理人】
【識別番号】110000796
【氏名又は名称】特許業務法人三枝国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】狩野 光伸
(72)【発明者】
【氏名】松▲崎▼ 愛子
(72)【発明者】
【氏名】田中 啓祥
【審査官】 田中 晴絵
(56)【参考文献】
【文献】 国際公開第2017/014165(WO,A1)
【文献】 特開2015−116149(JP,A)
【文献】 日本機械学会2013年度年次大会講演論文集,2013年,No.13-1,S021015
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C12M 1/00−3/10
C12Q 1/00−1/70
C12N 5/00−5/28
G01N 33/50
G01N 33/15
G01N 33/68
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CAplus/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
Google Scholar
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
ポンプと、モデル血管部と、第1液体槽又は第1液体槽と第2液体槽とを備えたモデル血管システムであって、前記モデル血管部は液体流入部と液体流出部を結ぶ流路に血管様構造部が配置され、第1液体槽とポンプ、ポンプと液体流入部を各々接続するチューブを備え、液体流出部と第1液体槽をチューブで接続してモデル血管部を通過した液体は第1液体槽に戻される構成とするか、液体流出部と第2液体槽をチューブで接続し、モデル血管部を通過した液体は廃液として第2液体槽に貯める構成とし、前記血管様構造部は、フィブロネクチン、コラーゲン、ゼラチン、ラミニン、エラスチン、ビトロネクチン、テネイシン、エンタクチン、ポリ−L−リジン、及びポリ−D−リジンから選ばれるコーティング剤を介して接着された、下層の血管平滑筋細胞層と上層の血管内皮細胞層とを含み、ポンプにより液体を供給したときに前記血管様構造部にシアストレスを負荷することができる、モデル血管システム。
【請求項2】
血管内皮細胞が液体の流れの方向に配向している、請求項1に記載のモデル血管システム。
【請求項3】
液体がモデル血管システム内を循環するように構成される、請求項1又は2に記載のモデル血管システム。
【請求項4】
シアストレスが20〜60dyn/cm2である、請求項1〜3のいずれか1項に記載のモデル血管システム。
【請求項5】
請求項1に記載のモデル血管システムの液体に候補物質を添加し、前記候補物質の添加によるモデル血管部の状態変化を評価する工程を含む、シアストレスに起因する循環器系疾患の治療薬のスクリーニング方法。
【請求項6】
請求項1のモデル血管システムにおいて、シアストレスの負荷の前後の液体の成分量を比較する工程を含む、シアストレスにより増加するバイオマーカーのスクリーニング方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、モデル血管システム、シアストレス負荷用のモデル血管部及び循環器系疾患の治療薬のスクリーニング方法に関する。
【背景技術】
【0002】
シアストレスとは一般に流体に対する抵抗力のことであり、血管におけるシアストレスとは、血流に起因する力学的刺激を意味する。このシアストレスは、血管系の構築や粥状動脈硬化等の血管疾患の発症及び進行に関与することが知られている (非特許文献1、2)。シアストレスに関する研究は、これまでin vitroで血管内皮細胞あるいは血管平滑筋細胞1層に対するシアストレスの影響を調査したものであった。
【0003】
血管内腔は血管内皮細胞及び血管平滑筋細胞によって形成されるため、従来の血管モデルは生体内の血管構造とは異なっていた。
【0004】
また、既存のin vitro 創薬プラットフォームは、血流やシアストレスの影響を検討することはできず、絶えずシアストレスの影響を受けている血管疾患の発症及び進行機序の解明や、血管疾患に対する創薬において重要な因子の影響が考慮されていない。
【0005】
さらに、血管平滑筋細胞あるいは血管内皮細胞1層のみの場合、流体に対する強度が弱いため、高いシアストレス (20〜60 dyn/cm2 程度) を負荷すると細胞が剥離する問題があった。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0006】
【非特許文献1】Shi Z. D, et al., Annals Biomedical Engineering: 39, 1608-1619, 2011
【非特許文献2】Heo K. S, et al., Molecules and Cells: 37, 435-440, 2014
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本発明は、生体の血管を構成する血管構成細胞に対してシアストレスを負荷するための技術を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明者は、以下のモデル血管システム、シアストレス負荷用のモデル血管部及び循環器系疾患の治療薬のスクリーニング方法を提供するものである。
項1. ポンプ、モデル血管部、第1液体槽を備えたモデル血管システムであって、前記モデル血管部は液体流入部と液体流出部を結ぶ流路に血管様構造部が配置され、第1液体槽とポンプ、ポンプと液体流入部を各々接続するチューブを備え、液体流出部と第1液体槽をチューブで接続してモデル血管部を通過した液体は第1液体槽に戻される構成とするか、液体流出部と第2液体槽をチューブで接続し、モデル血管部を通過した液体は廃液として第2液体槽に貯める構成とし、前記血管様構造部は、下層の血管平滑筋細胞層と上層の血管内皮細胞層を含み、ポンプにより液体を供給したときに前記血管様構造部にシアストレスを負荷することができる、モデル血管システム。
項2. 血管内皮細胞が液体の流れの方向に配向している、項1に記載のモデル血管システム。
項3. 液体がモデル血管システム内を循環するように構成される、項1又は2に記載のモデル血管システム。
項4. シアストレスが20〜60dyn/cmである、項1〜3のいずれか1項に記載のモデル血管システム。
項5. 液体流入部と液体流出部を結ぶ流路に血管様構造部を配置し、前記血管様構造部は、下層の血管平滑筋細胞層と上層の血管内皮細胞層を含む、シアストレス負荷用のモデル血管部。
項6. 血管平滑筋細胞層と血管内皮細胞層の間にコーティング層をさらに含む、項5に記載のシアストレス負荷用のモデル血管部。
項7. 項1に記載のモデル血管システムの液体に候補物質を添加し、前記候補物質の添加によるモデル血管部の状態変化を評価する工程を含む、シアストレスに起因する循環器系疾患の治療薬のスクリーニング方法。
項8. 項1のモデル血管システムにおいて、シアストレスの負荷の前後の液体の成分量を比較する工程を含む、シアストレスにより増加するバイオマーカーのスクリーニング方法。
【発明の効果】
【0009】
本発明で得られるモデル血管システムは、生細胞の状態で、血管内皮細胞層と血管平滑筋細胞層を含む積層構造を有しており、必要に応じて細胞の種類を変更することによって大動脈や肺動脈等さまざまな血管疾患のモデルとなり得る。
【0010】
本発明では本来の血管と同様な積層構造を形成させることで、流体に対する強度が強まり、強いシアストレスに対しても長期に構造を維持することができる。
【0011】
本モデル血管システムにおいて、任意の速度で培地などの液体を送液することにより、血管内皮細胞及び血管平滑筋細胞の両細胞に対する任意の強さのシアストレスの影響を評価することができる。これまでの研究では1-20 dyn/cm2程度のシアストレスが負荷されているが、実際の血管疾患症例では,血管狭窄部位では約50 dyn/cm2のシアストレスが負荷されており、より高いシアストレスを負荷できる実験系が必要である。本発明のモデル血管システムは、血管内皮細胞と血管平滑筋細胞の積層構造をとることで流体に対するモデル血管の強度が増大し、1-60 dyn/cm2までの幅広いシアストレスを負荷することが可能である。
【0012】
さらに、血管内皮細胞層と血管平滑筋細胞層とを接着させるコーティング剤の使用量はごくわずかであり、細胞の組み合わせによってはコーティング剤が不要であることも利点である。
【0013】
本発明によれば、送液中に薬剤を添加することにより、シアストレスの影響を受けた細胞に対する薬剤の効果を評価できる。従って、既存の薬剤にシアストレスを介した薬効が確認できれば、シアストレスを標的とした新規標的治療薬として新たな展開が得られる。さらに、本発明では、血管壁が生細胞で構成されているため、培地内に血球成分や薬剤を負荷することにより、さまざまなシアストレス下での血管内物質と血管壁構成細胞の相互作用を経時的に観察することも可能である。
【図面の簡単な説明】
【0014】
図1】血流によって血管壁面に負荷されるシアストレス
図2】モデル血管システムの概要図
図3】各工程における細胞の様子
図4】作成したモデルの二層構成
図5】KLF2の発現量を示す
図6】Cyclin D1の発現量を示す
図7】比較例1の結果
【発明を実施するための形態】
【0015】
シアストレスは、血流に起因し、血液の粘性と速度勾配の積で表される物理力であり、血管内皮細胞、さらにその下の血管平滑筋細胞に作用し、内皮細胞を血流の方向に歪ませる(図1)。内皮細胞は、シアストレスを受け続けることで障害を受け、さらに血管が肥厚して血管狭窄/閉塞を強める結果になる。
【0016】
本発明で使用する液体は血液の代替物である。液体の粘度は、特に限定されないが、好ましくは37℃で0.5〜1.3 mPa・s程度、より好ましくは0.5〜1.0 mPa・s程度である。本発明で使用する液体としては、血管内皮細胞、血管平滑筋細胞などの細胞を培養することができる培地、生理食塩水、緩衝液などが挙げられ、培地が好ましく使用できる。培地としては、DMEM、MEM、α-MEM、GMEM、Ham-12、DMEM/Ham、IMDM、RPMI 1640、D-PBS、HBSSなどが挙げられる。シアストレスをかけたときに血管内皮細胞層又は血管平滑筋細胞層から液体内に分泌される物質を分析する場合には、緩衝液や生理食塩水のように成分の少ない液体を使用してもよい。シアストレスを長時間かけ続けるときには、血管内皮細胞と血管平滑筋細胞に栄養を与える必要があるので、培地を使用することが好ましい。
【0017】
モデル血管部の液体流出部と第1液体槽をチューブで接続し、モデル血管システム内で液体を循環させることが好ましいが、液体を貯めた第1液体槽と廃液を回収する第2液体槽を別々の液体槽とし、液体を循環させることなく使い捨てにしてもよい。
【0018】
本明細書において、血管内皮細胞、血管平滑筋細胞は、哺乳動物由来の細胞が使用される。哺乳動物としては、ヒト、ラット、マウス、ハムスター、ウサギ、イヌ、サル、ウシ、ブタ、ヤギなどが挙げられ、ヒト、マウス、ラットが好ましく、ヒトがより好ましい。血管内皮細胞としては、HBMEC(ヒト脳血管内皮細胞)、HCPEC(ヒト脳脈絡叢血管内皮細胞)、HIMEC(ヒト小腸血管内皮細胞)、HCMEC(ヒト心臓血管内皮細胞)、HAEC(ヒト大動脈血管内皮細胞)、HREC(ヒト網膜血管内皮細胞)、HUVEC(ヒト臍帯静脈血管内皮細胞)、HUAEC(ヒト臍帯動脈血管内皮細胞)、ヒト肺動脈内皮細胞(HPAEC)、ヒト伏在静脈内皮細胞(HSaVEC)などの市販品を使用することができる。
【0019】
血管平滑筋細胞としては、ヒト肺動脈平滑筋細胞、ヒト肺静脈平滑筋細胞、ヒト大動脈平滑筋細胞、ヒト冠動脈平滑筋細胞などが挙げられ、市販品を用いてもよく、ヒト患者または哺乳動物から各種血管平滑筋細胞を分離し、調製してもよい。
【0020】
モデル血管部は、液体流入部と液体流出部を結ぶ流路を備えたマイクロ流路デバイスの流路に血管様構造部を形成することにより得ることができる。血管様構造部は、下層の血管平滑筋細胞層と上層の血管内皮細胞層を含む。
【0021】
マイクロ流路デバイスの材質としては、ポリスチレン、低密度ポリエチレン、中密度ポリエチレン、高密度ポリエチレン、ポリウレタン、ポリメチルグルタルイミド、アクリル系樹脂(ポリメチルメタクリレート、ポリメチルアクリレート、ポリエチルメタクリレート、ポリエチルアクリレートなど)、ポリアミド、ポリカーボネート、ポリジメチルシロキサン、共役結合を持つ天然ゴム、共役結合を持つ合成ゴム、及びポリシリコンを含有するシリコンゴムなどのポリマー、ガラス、改質ガラス等が挙げられ、ポリマーが好ましい。
【0022】
マイクロ流路デバイスは、樹脂基板に半導体技術等を応用したパターンを形成する手法により製造することができ、マイクロオーダーでの流路が自由自在に形成可能である。例えば、ポリマー溶液を望みのデザインの鋳型に流し込み固めることで様々なデザインを有するマイクロ流路デバイスのパーツを作製し、その後、鋳型から剥がしたパーツに必要に応じて酸素プラズマ処理を施し、ガラス基板に貼り付けることでマイクロ流路デバイスを得ることができる。また、3Dプリンターによりマイクロ流路デバイスを製造することもできる。
【0023】
流路は直線状でもよく、蛇行していてもよい。流路の端部には液体流入部と液体流出部が各々形成される。流路は1本でも複数本でもよく、流路は分岐していてもよい。液体流入部は1つでもよいが流路のパターンに応じて複数形成してもよい。液体流出部についても1つ又は複数形成することができる。流路幅は、3〜10mm、好ましくは4〜7mmであり、流路の高さは0.1〜0.8 mm、好ましくは0.2〜0.4 mmである。また、流路の幅と流路高さの比は、好ましくは1:6〜1:50程度である。
【0024】
流路の表面は細胞接着性を調整するために、表面をコーティングしてもよい。コーティング物質としては、アルブミン、ゼラチン、コラーゲン、ポリビニルアルコール、ポリカプロラクトン、ポリ乳酸、ポリグリコール酸、ポリ乳酸−ポリグリコール酸共重合体、ポリシアル酸、アルギン酸およびアルギン酸塩、アガロース、キチン、キトサン、ヒアルロン酸、ペクチン、ポリ−γ−グルタミン酸、ポリアスパラギン酸、ポリ−L−リジン、ポリアルギニンなどのポリペプチド、これらのコポリマー、ならびにこれらの誘導体などが挙げられ、これらを単独で或いは2種以上を混合して使用することができる。
【0025】
本発明の別の実施形態において、マイクロ流路デバイスの流路表面のうち、少なくともその血管様構造部の流路の表面に架橋アルブミンなどの細胞非接着性層を設け、UV光などの光照射、加熱処理などの通常のタンパク変性処理や、タンパク変性剤などの化学薬品溶液への曝露などにより血管様構造部を細胞接着性に変換し、その後、血管平滑筋細胞、血管内皮細胞を流路に流すことで、血管様構造部を作製することができる。
【0026】
血管様構造部を形成するためのマイクロ流路デバイスは、ibidi、μ-slide I Luerなどの市販品を用いてもよい。
【0027】
流路の血管様構造部に対応する位置を細胞接着性にするための処理として、UV光など光照射を用いる場合は、特定の部分のみ光が通過するようにデザインされたマスクを介して光照射を行なうなどの方法で照射部を限定することにより、特定の領域のみを細胞接着性に変換できる。例えば、流路に沿って中心部にスリットを有するマスクを用いた光照射により、細胞培養部の流路に沿った細長い領域のみを細胞接着性に変換することができ、スリットの幅を調節することで標的細胞を付着させるための領域の幅が調節できる。また、化学薬品溶液により変換させる場合は、化学薬品溶液を、両サイドから緩衝液(例えばリン酸緩衝液)で挟んで層流状態で流し、血管様構造部で合流させることで、血管様構造部の流路に沿った中央部領域のみを化学薬品溶液で暴露することができ、当該領域のみを選択的に細胞接着性に変換できる。その際、両サイドの緩衝液(又は水)の流量を調節することで、細胞接着性変換領域の位置や幅を適宜変更することができる。流量の調節は流速を変化させることで調節可能である。
【0028】
用いる化学薬品溶液としては、細胞非接着性を有するアルブミンフィルムを細胞接着性へと変換し得るものであればどのようなものでもよく、例えば、グルタルアルデヒド、ホルムアルデヒドなどの架橋剤溶液、グアニジン塩酸塩、尿素などのタンパク質の変性を促す溶液、ジメチルスルホキシドなどの有機溶媒の他、正電荷を有する高分子化合物溶液などが挙げられ、それらを組み合わせた混合溶液として用いることもできる。ここで、正電荷を有する高分子化合物としては天然物でもよいが、タンパク質、多糖類、脂質、合成ポリマーなどに対して、正電荷を有する官能基を共有結合を介して導入したり、イオン結合を介して正電荷を担持させるなどの手段により正電荷を付加したものであってもよい。典型的には、ポリエチレンイミン、ポリオルニチン、ポリリジン、ポリビニルアミン、ポリアリルアミンなどのいわゆるカチオン性ポリマーが挙げられ、その低濃度溶液を用いることができる。
【0029】
次に、血管平滑筋細胞、血管内皮細胞を含む懸濁液を順次流路に流し、これらの細胞を接着させることで本発明のモデル血管部を得ることができる。血管平滑筋細胞もしくは血管内皮細胞の懸濁液は、1mlあたり細胞を、好ましくは1×10〜1×10個/mL程度、より好ましくは5×10〜5×10個/mL程度、最も好ましくは1〜3x10個/mL個程度含むものが使用される。血管平滑筋細胞、血管内皮細胞の接着は、細胞懸濁液を血管様構造部に供給し、12〜24時間保持することにより実現できる。血管平滑筋細胞層は、1層の細胞層から構成されてもよく、2層以上の血管平滑筋細胞が積層した構造であってもよい。
【0030】
細胞の播種細胞密度が低いと細胞同士の接着が弱い構造になる、あるいは細胞が存在しない領域が生じることで、流体のシアストレスに対して強度の弱い層となる。逆に、播種密度が高いと細胞同士が凝集してしまい均一な層が形成されない。このため、細胞の種類に応じて播種密度を設定する必要がある。実施例においては、PH-SMC とMS1-GFP 細胞の播種密度をともに2.0 x 106 個/mL に設定して、均一な層の形成を実現させている。
【0031】
血管平滑筋細胞を接着させた後で、コーティング剤を使用して、血管平滑筋細胞層をコーティングし、血管内皮細胞が強固に接着し、シアストレスで剥がれにくくすることができる。コーティング剤としては、フィブロネクチン、コラーゲン、ゼラチン、ラミニン、エラスチン、ビトロネクチン、テネイシン、エンタクチン、ポリ−L−リジン、ポリ−D−リジンなどが挙げられる。コーティング剤は、モデル血管部に供給する液体に添加し、液体を0.5〜1時間保持することにより行うことができる。
【0032】
細胞同士を接着させるための血管平滑筋細胞層へのコーティング方法は、実施例で示しているPH-SMC とMS1-GFP 細胞間の接着に関しては、0.04 mg/mL の濃度のフィブロネクチン溶液でPH-SMC をコーティングした場合に、MS1-GFP 細胞との接着性が確保され、流体に対する強度が十分に確保される。
【0033】
細胞の培養日数は、培養時間が短いと細胞同士の接着や細胞とスライドとの接着が不十分となり、流体に対して強度の弱い層となる。逆に、培養時間が長いとスライド内の培地量が少ないために、細胞は低酸素、低栄養状態となる可能性が高い。そのため、実施例においては血管平滑筋細胞を播種してから血管内皮細胞を播種するまでの培養時間、及び血管内皮細胞を播種してから培地を送液するまでの培養時間は12〜24 時間程度が好ましい。
【0034】
本発明において、血管内皮細胞層の血管内皮細胞は、播種した時点では種々の方向を向いているが、シアストレスをかけるにしたがって、液体の流れる方向に配向するようになり、シアストレスが20〜60dyn/cm程度で明らかに配向が認められ、シアストレスが30〜60dyn/cm、40〜60dyn/cmとなるにつれてより配向の程度が強くなる。
【0035】
ポンプとしては、目的のシアストレスを血管様構造部を構成する血管内皮細胞、血管平滑筋細胞にかけることができれば特に制限はないが、例えばバルーンポンプ、ローラーポンプ、空気ポンプなどが挙げられ、ローラーポンプが好ましい。
【0036】
シアストレスとしては、1〜60dyn/cm程度、好ましくは10〜60dyn/cm程度、より好ましくは20〜60dyn/cm程度、さらに好ましくは30〜60dyn/cm程度、特に好ましくは40〜60dyn/cm程度である。
【0037】
モデル血管部の作製は、ibidi社製のμ-slide 0.2 Luer ibiTreat, μ-slide 0.4 Luer ibiTreat, μ-slide 0.6 Luer ibiTreat, μ-slide 0.8 Luer ibiTreat、0.2 Luer collagen IV, μ-slide 0.4 Luer collagen IV, μ-slide 0.6 Luer collagen IV, μ-slide 0.8 Luer collagen IV などの製品が使用され、これらの製品に血管内皮細胞の懸濁液、コーティング剤溶液、血管平滑筋細胞の懸濁液を流すことにより血管様構造部を含むモデル血管部を容易に作製することができる。
【0038】
チューブの材質としては、シリコーン、ポリテトラフルオロエチレン、ポリフッ化ビニリデンなどのフッ素系樹脂を含む樹脂製のチューブが好ましい。
【0039】
第1液体槽と第2液体槽を別々に設け、液体を第1液体槽から供給し、モデル血管部を通過した廃液を第2液体槽に流す構成であってもよく、モデル血管部の液体流出部と第1液体槽を接続し、液体を循環させる構成としてもよい。好ましい実施形態では、液体は循環させる。
【0040】
本発明の好ましい1つの実施形態のモデル血管システムは、図2に示すように、ポンプとスライド(モデル血管部)、培地を含む第1液体槽を備え、これらの間をチューブでつなぐことにより得ることができる。培地(液体)を含む第1液体槽は、開放系であってもよく、密閉系であってもよい。第1液体槽が密閉系の場合、ポンプに接続されるチューブの先端は培地内に配置し、モデル血管部と接続するチューブの先端は液体槽の培地の液面よりも上に配置して培地の逆流を防止することが好ましい。
【0041】
本発明のスクリーニング方法は、ポンプでモデル血管部に供給される液体中に候補物質を溶解、懸濁又は乳濁し、血管内面に接触させてその効果を評価することができる。候補物質の評価は、液体中に分泌される物質を分析することにより行ってもよく、血管内皮細胞のシアストレス関連遺伝子のプロモーターの下流にレポーター遺伝子を組み込み、レポーター遺伝子の発現量により評価を行ってもよい。レポーター遺伝子としては、ルシフェラーゼ、蛍光タンパク質、着色タンパク質などが挙げられる。ルシフェラーゼとしては、ウミボタル、ヒオドシエビ、発光昆虫(ホタル、ヒカリコメツキなど)、発光ミミズ、ラチア、ウミシイタケ、オワンクラゲ(エクオリン)などの各種発光生物由来のルシフェラーゼが例示される。 蛍光タンパク質としては、グリーン蛍光タンパク質(GFP),黄色蛍光タンパク質(YFP),青色蛍光タンパク質(BFP),シアン蛍光タンパク質(CFP)、DsRED、赤色蛍光タンパク質(RFP)などが例示される。着色蛋白質としては、フィコシアニン、フィコエリトリンが挙げられる。
【0042】
血管平滑筋細胞と血管内皮細胞を積層したモデル血管は、高いシアストレスで前処理するために候補物質を含まない液体を流してシアストレスをかけ、モデル血管を病体に近づけることができる。このときのシアストレスは、20〜60dyn/cm程度が挙げられる。
【0043】
肺高血圧症などの特定の疾患に対する治療薬のスクリーニングを行う場合、このような特定の疾患患者の血管平滑筋細胞及び/又は血管内皮細胞を使用することができる。
【0044】
高血圧又は血管に狭窄箇所があると、血流により血管内皮細胞/血管平滑筋細胞に対してシアストレスが負荷される。なお、断面が円形の血管内に生じた流れが血管壁面に与えるシアストレス(dyn/cm2)は下記式で定義される(安藤 譲二ら、日本バイオレオロジー学会誌 (B&R) 第6 巻 第3 号 1992)。
【0045】
【数1】
【0046】
流速、流量、血液の粘性が増加するとシアストレスも増大する。細胞はシアストレスを感知し、様々な細胞応答を起こす。
【0047】
本発明のモデル血管部の血管様構造部は、血管平滑筋細胞層の上に血管内皮細胞層を重層した積層構造を有する。血管平滑筋細胞層は工程1により形成され、血管内皮細胞層は工程2により形成される。
工程1 :常法により培養容器から剥離させた血管平滑筋細胞を、培地を送液できる構造を有するスライドに播種して血管平滑筋細胞層 (下層) を形成する工程
原料となる血管平滑筋細胞は、市販品を用いることができる。血管平滑筋細胞をディッシュ等の適当な培養容器で平面培養における常法に従い培養する。培養された血管平滑筋細胞は、常法に従いトリプシン等のプロテアーゼ処理により培養容器から剥離させ、遠心分離により上清を除去する。血管平滑筋細胞のペレットを目的の細胞密度(最も好ましくは1.0〜3.0 x 106 個/mL) になるよう培地に懸濁する。細胞懸濁液をスライドに播種する。
【0048】
(2) 工程2 :血管平滑筋細胞層 (下層) 上に必要に応じてコーティング剤を添加し、次いで血管内皮細胞を播種して血管内皮細胞層 (上層) を形成する工程
原料となる血管内皮細胞は、市販品を用いることができる。血管内皮細胞をディッシュなどの適当な培養容器で、平面培養における常法に従い培養する。培養された血管内皮細胞は、常法に従いトリプシン等のプロテアーゼ処理により培養容器から剥離させ、遠心分離により上清を除去する。血管内皮細胞のペレットを目的の細胞密度(最も好ましくは1.0〜3.0 x 106 個/mL)になるよう培地に懸濁する。細胞懸濁液を工程1 で血管内皮細胞層を接着させたスライドに播種する。
【0049】
工程2では、血管平滑筋細胞と血管内皮細胞との組み合わせによっては細胞層同士の接着が弱いため、コーティング剤を用いることが望ましい。コーティングを施す場合、血管平滑筋細胞層 (下層) をフィブロネクチン溶液またはコラーゲンI溶液でコートする。フィブロネクチンの場合は0.02 〜 0.1 mg/mL 程度、コラーゲンIの場合は0.1 mg/mL 程度の濃度になるよう培地で希釈し、血管平滑筋細胞層上に希釈したコーティング剤を添加する。
【0050】
(3) 工程3 :ポンプを利用して、スライド内に培地を送液する工程
ポンプを用いて、モデル血管システムにシアストレスを負荷する。ポンプにセットする適当なチューブを用意する。還流させるための培地を適当な容器に必要量加える。工程1、2 によって作製されたモデル血管システム及び培地の入った容器にチューブを接続し、ポンプにセットする。目的のシアストレス (1〜60 dyn/cm2、好ましくは10〜60 dyn/cm2、より好ましくは20〜60 dyn/cm2、さらに好ましくは10〜60 dyn/cm2、特に好ましくは40〜60 dyn/cm2)をモデル血管システムに負荷する。
【実施例】
【0051】
本発明は以下の実施例によってさらに例示されるが、これらはさらなる限定として解釈されるべきではない。
【0052】
実施例1
本発明のモデル血管システムを以下のようにして製造した。
I. 肺高血圧症患者由来血管平滑筋細胞 (PH-SMC) 層の形成
(1) 培養したPH-SMC を、TrypLE を用いて培養容器から剥離させ、培地でPH-SMC を回収して遠心する。
(2) 上清を除去し、2 x 106 個/mL の細胞密度となるようペレットを培地で懸濁する。
(3) 1 mL シリンジに細胞懸濁液を充填し、スライド (ibidi、μ-slide I: 0.2 Luer ibiTreat) に注入する。ibiTreatのコーティング部分に細胞が付着する。細胞の付着は、コラーゲンなどでコーティングした製品でも行うことができる。
(4) 24 時間培養する。
【0053】
II. GFP 導入型マウス膵臓由来血管内皮細胞 (MS1-GFP 細胞) 層の形成
(1) PH-SMC 層上に培地で希釈したフィブロネクチン溶液 (0.04 mg/mL) を添加し、PH-SMC 層をコートする。
(2) 培養したMS1-GFP 細胞をTrypLE を用いて培養容器から剥離させ、培地でMS1-GFP 細胞を回収して遠心する。
(3) 上清を除去し、2 x 106 個/mL の細胞密度となるようペレットを培地で懸濁する。
(4) 1 mL シリンジに細胞懸濁液を充填し、スライドに注入する。
(5) 24 時間培養する。
【0054】
III. モデル血管システムに対するシアストレスの負荷
(1) ローラーポンプ (古江サイエンス株式会社、RP-MH) にセットする適当なチューブを用意する。
(2) 還流させるための培地をT25 フラスコに20 mL 程度加える。
(3) 工程1、2 によって作製されたモデル血管システム、及びT25 フラスコにチューブを接続し、ローラーポンプにセットする。
(4) モデル血管システムに対して50 dyn/cm2 のシアストレスを24 時間負荷する。
【0055】
μ-Slide I 0.2 Luer ibiTreat(ibidi, Cat# 80166) を細胞を播種するためのスライド(マイクロ流路デバイス)として使用した。μ-Slide I 0.2 Luer ibiTreatは高さ0.2 mm、幅5 mm、長さ5 cm のスライドである。
【0056】
システム内を灌流させるための培地を適当な容器に準備する。μ-Slide I 0.2 Luer ibiTreat及び培地を入れた容器をチューブで接続する。
【0057】
培地を還流させるためローラーポンプ (古江サイエンス株式会社, Cat# RP-MH) を使用した。図2 で示すようにモデル血管部をローラーポンプに接続し、任意の速さで培地をμ-Slide I 0.2 Luer ibiTreat内に還流させる。
【0058】
本発明の血管様構造部の構造を示す。図3(a) 工程1で血管平滑筋細胞をスライド(μ-Slide I 0.2 Luer)に播種することで血管平滑筋細胞層が形成される。図3(b) 工程2で血管平滑筋細胞層の上に血管内皮細胞を播種することで、血管内皮細胞層が形成される。図3(c) 本モデル血管システムに50 dyn/cm2 の大きさのシアストレスを24 時間負荷することで、血管内皮細胞の形態が紡錘状になり、細胞の長軸が流れと平行になるように配列/配向しているのがわかる。図3(c)において矢印は流れの方向を示す。
【0059】
PH-SMC 層の上にMS1-GFP 細胞を播種してから24 時間培養後のモデル血管システムを、免疫蛍光細胞染色法を用いて染色した結果を図4に示す。緑色は血管内皮細胞マーカーであるVE-cadherin 及びMS1-GFP 細胞由来のGFP を、赤色は血管平滑筋細胞マーカーであるα-SMA を、青色はDAPI をそれぞれ示す。α-SMA の上に、VE-cadherin 及びGFP が存在することから、本モデル血管システムは血管平滑筋細胞であるPH-SMC 層の上に血管内皮細胞であるMS1-GFP 細胞層が接着し、積層構造を形成していることがわかる。
【0060】
ポンプを用いて培地を還流させることにより本モデル血管システムにシアストレスが負荷されたかを確認する必要がある。KLF-2 (Kuppel-like factor 2) はシアストレスによって発現量が上昇することが報告されている (非特許文献:Hergenreider E, et al. Nature Cell Biology: 249-256, 2012) ことから、本研究ではKLF-2 の発現量の変化を指標として、PH-SMC 層にシアストレスが負荷されたのかどうかについてRT-qPCR を用いて評価した(図5)。なお、図5の横軸はシアストレスの負荷時間を示す。結果より、シアストレス応答性転写因子KLF-2 の発現量がシアストレスの負荷時間に依存して上昇した。このことから、MS1-GFP 細胞の下層のPH-SMC 層にシアストレスが負荷されたといえる。
【0061】
シアストレスによって細胞増殖活性が亢進することが報告されている (非特許文献:Hsu S, et al., Cell Mol Bioeng: 627-636, 2011)。そこで我々は細胞周期に関与するCyclin D1 の遺伝子発現量の変化を指標として、シアストレスによってPH-SMC の細胞増殖活性が亢進するかをRT-qPCR を用いて評価した(図6)。なお、横軸はシアストレスの負荷時間を示す。図6の結果より、Cyclin D1 の発現量がシアストレスの負荷時間に比例して上昇していることがわかる。このことから、PH-SMC はシアストレスの刺激を感知し、細胞増殖活性が亢進している可能性が示唆された。このように、シアストレスは細胞の形態のみならず、機能面にも影響を及ぼすといえる。
【0062】
比較例1
血管平滑筋細胞あるいは血管内皮細胞1 層のみの場合、流体に対する強度が弱いため、高いシアストレス (20〜60 dyn/cm2 程度) を負荷すると細胞がスライドから剥離した(図7)。本来の血管と同じ積層構造を形成させることで、流体に対する強度が強まり、シアストレスに対しても長期に構造を維持できることが確認された。
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7