(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
焼結合金製の工具基体と、前記工具基体の外面上に配置され、炭化物、窒化物、および炭窒化物のいずれか、あるいはこれらの複合化合物により構成される層を少なくとも有する硬質被膜と、前記工具基体の稜線部に形成され、前記硬質被膜のうち前記稜線部に位置する部分を含む切れ刃と、を備える切削工具の製造方法であって、
前記硬質被膜上に、パルス幅が100ps以下のパルスレーザを、大気中または任意のガス中で直接照射することで、前記硬質被膜および前記工具基体の表層に圧縮残留応力を付与するレーザピーニング工程を含み、
前記レーザピーニング工程では、前記硬質被膜および前記工具基体の圧縮残留応力に、前記切れ刃に平行な方向と、前記切れ刃と直交する方向とで異方性を付与する、
切削工具の製造方法。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
特許文献1の方法では、メディアの材質や大きさを調整することや、あるいはショットピーニングの投射圧や投射時間などを高めることにより、硬質被膜や工具基体表層の硬質相の圧縮残留応力を高めることができる。しかしながら、高い圧縮残留応力を付与しすぎると硬質被膜の剥離や、工具使用時の欠損の起点となる垂直クラックの発生が顕著となり、また、垂直クラック周辺の局所的な圧縮応力が解放されるため、製品ロットごとの残留応力のばらつきが大きくかつある程度の値よりも高い圧縮残留応力付与が困難になる問題がある。なお垂直クラックとは、硬質被膜や工具基体表層を分断する亀裂であり、幅数百nm程度の隙間が発生する。垂直クラックは、膜厚に垂直な方向(面方向)の圧縮残留応力を解放するため、好ましくない。特許文献1によると、ショットピーニングにより安定して圧縮残留応力を付与出来る最大値として、硬質被膜(TiC)が−200MPa程度、工具基体(WC)が−800MPa程度と記載されている(マイナスが圧縮側)。
【0005】
特許文献2の方法では、ナノ秒レーザを用いて硬質被膜の上部層である酸化物層(Al
2O
3)を除去し、硬質被膜の下部層である非酸化物層(TiCN)に最大1GPa程度の圧縮残留応力を付与している。このメカニズムについては、特許文献2の明細書中に言及されていないが、酸化物層をナノ秒オーダーの時間で瞬間的に除去することで、酸化物層が微粒子やプラズマなどにて飛散する際の力学的反作用により下部層に衝撃を与える、いわゆるレーザピーニングの一種であると考えられる。特許文献2の実施例によると、酸化物層を除去可能な下限値に近いピークパワー密度(0.02GW/cm
2)で、下部層(TiCN)に1GPa程度の圧縮残留応力を付与できているが、これよりピークパワー密度を高めると、下部層の圧縮残留応力は逆に低下している。この理由については、下部層に過剰なレーザ光が当たることで、熱影響により圧縮残留応力が解放されたためであると考えられる。しかしながら、特許文献2のように0.02GW/cm
2程度の低いピークパワー密度では、硬質被膜直下の工具基体表層にまで圧縮残留応力を付与する効果はほとんど得られない。つまり、工具基体の耐欠損性を高めることはできない。
【0006】
また、特許文献3ではショットピーニングによって、α−Al
2O
3の切れ刃稜線部に対して直交する方向の残留応力値と、切れ刃稜線部に平行な方向の残留応力値とに差をつけているが、ショットピーニングではすくい面に対してメディアが均一に投射されるため、大きな残留応力差を安定して付与することは困難である。
【0007】
特許文献4のナノ秒レーザピーニングでは、一般的に衝撃力を高めるために工具を水中に設置した状態で処理を行う必要があるが、その場合、水面の揺らぎやレーザ照射部に発生する気泡などによるビームの散乱が生じるため、個体ごとの刃先の残留応力にばらつきが生じ、製品としての工具性能の安定性が低くなる問題があった。また、水中で処理を行うことや、熱保護層の塗布が必要なことなど、プロセスが煩雑であることも問題であった。
【0008】
本発明は、上記事情に鑑み、硬質被膜および工具基体に安定して高い圧縮残留応力を付与することができ、これにより切れ刃の耐欠損性を向上できる切削工具の製造方法を提供することを目的の一つとする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明の一つの態様は、焼結合金製の工具基体と、前記工具基体の外面上に配置され、炭化物、窒化物、および炭窒化物のいずれか、あるいはこれらの複合化合物により構成される層を少なくとも有する硬質被膜と、前記工具基体の稜線部に形成され、前記硬質被膜のうち前記稜線部に位置する部分を含む切れ刃と、を備える切削工具の製造方法であって、前記硬質被膜上に、パルス幅が100ps以下のパルスレーザを、大気中または任意のガス中で直接照射することで、前記硬質被膜および前記工具基体の表層に圧縮残留応力を付与するレーザピーニング工程を含
み、前記レーザピーニング工程では、前記硬質被膜および前記工具基体の圧縮残留応力に、前記切れ刃に平行な方向と、前記切れ刃と直交する方向とで異方性を付与する。
また、本発明の一つの態様は、焼結合金製の工具基体と、前記工具基体の外面上に配置され、炭化物、窒化物、および炭窒化物のいずれか、あるいはこれらの複合化合物により構成される層を少なくとも有する硬質被膜と、前記工具基体の稜線部に形成され、前記硬質被膜のうち前記稜線部に位置する部分を含む切れ刃と、を備える切削工具の製造方法であって、前記硬質被膜上に、パルス幅が100ps以下のパルスレーザを、大気中または任意のガス中で直接照射することで、前記硬質被膜および前記工具基体の表層に圧縮残留応力を付与するレーザピーニング工程を含み、前記レーザピーニング工程では、前記切れ刃と平行な方向のパルスレーザ照射点間隔と、前記切れ刃と直交する方向のパルスレーザ照射点間隔とを、互いに異ならせる。
また、本発明の一つの態様は、焼結合金製の工具基体と、前記工具基体の外面上に配置され、炭化物、窒化物、および炭窒化物のいずれか、あるいはこれらの複合化合物により構成される層を少なくとも有する硬質被膜と、前記工具基体の稜線部に形成され、前記硬質被膜のうち前記稜線部に位置する部分を含む切れ刃と、を備える切削工具の製造方法であって、前記硬質被膜上に、パルス幅が100ps以下のパルスレーザを、大気中または任意のガス中で直接照射することで、前記硬質被膜および前記工具基体の表層に圧縮残留応力を付与するレーザピーニング工程を含み、前記レーザピーニング工程では、前記切れ刃と直交する方向にパルスレーザを走査させる。
また、本発明の一つの態様は、焼結合金製の工具基体と、前記工具基体の外面上に配置され、炭化物、窒化物、および炭窒化物のいずれか、あるいはこれらの複合化合物により構成される層を少なくとも有する硬質被膜と、前記工具基体の稜線部に形成され、前記硬質被膜のうち前記稜線部に位置する部分を含む切れ刃と、を備える切削工具の製造方法であって、前記硬質被膜上に、パルス幅が100ps以下のパルスレーザを、大気中または任意のガス中で直接照射することで、前記硬質被膜および前記工具基体の表層に圧縮残留応力を付与するレーザピーニング工程を含み、前記レーザピーニング工程では、前記切れ刃と平行な方向にパルスレーザを走査させる。
【0010】
本発明では、工具基体の外面に硬質被膜が成膜された切削工具に対して、硬質被膜の上から、パルス幅が100ps(ピコ秒)以下の短パルスレーザを望ましくは1TW(テラワット)/cm
2以上のピークパワー密度で、例えば大気中にてレーザ照射を行う。この処理はいわゆる超短パルスレーザピーニングであり、レーザ照射したワーク(切削工具)の表面を若干加工することで発生するプラズマが爆発的に拡散する際の、力学的な反作用によりワークに衝撃波を発生させ、塑性変形や転位などの結晶欠陥を付与することで、ワーク表面に圧縮残留応力を付与する手法である。本発明では、レーザピーニングを上記レーザ条件で行うことで、硬質被膜や工具基体に垂直クラックが発生することを抑制しつつ、安定して圧縮残留応力を付与できる。また、パルス幅を100ps以下にすることで、レーザ照射による熱影響が顕著に抑えられるため、ピークパワー密度、すなわち衝撃波のエネルギを大きくすることができる。これにより、例えば、硬質被膜の耐欠損性に寄与する層(炭化物、窒化物、および炭窒化物のいずれか、あるいはこれらの複合化合物により構成される層)に0以下、工具基体表層のWC粒子に−1000MPa以下の残留応力つまり圧縮残留応力を付与できる。
【0011】
このように本発明によれば、特別な上記レーザ条件のレーザピーニング工程により、硬質被膜および工具基体の両方に、垂直クラックの発生を抑制しながら高い圧縮残留応力を付与することができ、これにより切れ刃の耐欠損性を向上できる。切削の加工精度が良好に維持され、かつ工具寿命が延長する。
また、安定して圧縮残留応力を付与できるため、切削工具の品質のばらつきが抑えられる。また、大気中でレーザ照射を行うことができ、その前後処理工程を特に必要としないため、一般に知られるウェットブラスト等の応力制御技術に比べて、本発明では処理が簡単かつ高速に行え、生産性が向上する。
【0016】
上記切削工具の製造方法において、前記レーザピーニング工程では、前記硬質被膜および前記工具基体の圧縮残留応力に、前記切れ刃に平行な方向と、前記切れ刃と直交する方向とで異方性を付与す
る。
【0017】
上記切削工具の製造方法において、前記レーザピーニング工程では、前記切れ刃と平行な方向のパルスレーザ照射点間隔と、前記切れ刃と直交する方向のパルスレーザ照射点間隔とを、互いに異ならせ
る。
【0018】
この場合、硬質被膜および工具基体の圧縮残留応力に、異方性を付与することができる。すなわち、切れ刃と平行な方向の圧縮残留応力値と、切れ刃と直交する方向の圧縮残留応力値とに、所定以上の差を設けることができる。例えば上記構成と異なり、切れ刃と平行な方向のパルスレーザ照射点間隔と、切れ刃と直交する方向のパルスレーザ照射点間隔とを、互いに同じ値かつ狭ピッチとして、圧縮残留応力値を全体的に高めた場合(等方性を付与した場合)と比べて、本発明の上記構成によれば、硬質被膜の破損を抑制でき、かつ、切削の種類や被削材等に応じて、切れ刃に必要な耐欠損性能を効率よく付与できる。
【0019】
具体的に、切れ刃と平行な方向のパルスレーザ照射点間隔を、切れ刃と直交する方向のパルスレーザ照射点間隔よりも小さくすることで、切れ刃と平行な方向の圧縮残留応力を、切れ刃と直交する方向の圧縮残留応力よりも高める(残留応力の絶対値を大きくする)ことができる。この場合、例えば、いわゆる熱亀裂が切れ刃と直交する方向に進展することを抑制できる。
【0020】
また、切れ刃と直交する方向のパルスレーザ照射点間隔を、切れ刃と平行な方向のパルスレーザ照射点間隔よりも小さくすることで、切れ刃と直交する方向の圧縮残留応力を、切れ刃と平行な方向の圧縮残留応力よりも高めることができる。この場合、例えば、いわゆる断続亀裂が切れ刃と平行な方向に進展することを抑制できる。
【0021】
上記切削工具の製造方法において、前記レーザピーニング工程では、前記硬質被膜上に照射するパルスレーザのスポット直径を、10μm以上200μm以下とすることが好ましい。
【0022】
上記スポット直径が10μm以上であれば、レーザ照射中に局所的な硬質被膜の損傷や剥離が発生しにくくなる。上記スポット直径が200μm以下であれば、硬質被膜および工具基体表面に付与される圧縮残留応力の値が低下するのを抑制できる。なお、上記スポット直径を20μm以上100μm以下とすることで、上述の効果をより顕著なものとすることができ、より望ましい。
上記切削工具の製造方法において、前記レーザピーニング工程では、前記切れ刃と直交する方向にパルスレーザを走査させ
る。また、前記切れ刃は、コーナ刃部を有し、前記レーザピーニング工程において、パルスレーザの走査方向は、前記コーナ刃部と直交する方向であることとしてもよい。また、前記レーザピーニング工程では、前記切れ刃と直交する方向のうち、すくい面側から前記切れ刃へ向けて、前記切れ刃に接近する方向にパルスレーザを走査させることとしてもよい。
上記切削工具の製造方法において、前記レーザピーニング工程では、前記切れ刃と平行な方向にパルスレーザを走査させ
る。また、前記切れ刃は、コーナ刃部を有し、前記レーザピーニング工程において、パルスレーザの走査方向は、前記コーナ刃部と平行な方向であることとしてもよい。
【0023】
上記切削工具の製造方法において、前記レーザピーニング工程では、前記切れ刃と平行な方向にパルスレーザを走査させる方法、または、前記切れ刃と直交する方向にパルスレーザを走査させる方法の2通りがあるが、品質の面からは、前記切れ刃と直交する方向にパルスレーザを走査させることが好ましい。
【0024】
例えば、切れ刃と平行な方向にパルスレーザを走査させる場合と比べて、本発明の上記構成によれば、硬質被膜の損傷が抑制される場合が見られ、より高い圧縮残留応力を付与することが出来る。なお硬質被膜の損傷をより抑えるには、切れ刃と直交する方向のうち、切れ刃と離れた位置つまりすくい面側から切れ刃へ向けて、切れ刃に接近する方向にパルスレーザを走査させることが好ましい。
また、レーザピーニング工程において、切れ刃と平行な方向にパルスレーザを走査させる場合、切れ刃に沿ったスキャンであるため、レーザピーニング処理を高速で行うことができ、切削工具の生産効率がよい。また、切れ刃の刃先にスポットを配列することが容易であり、刃先近傍の圧縮残留応力を均等化しやすい。
上記切削工具の製造方法において、前記レーザピーニング工程では、前記硬質被膜上に、パルス幅が10ps以下のパルスレーザを照射することが好ましい。
この場合、例えば、硬質被膜に対して−1000MPa以下、工具基体表層に対して−1500MPa以下の残留応力、つまりより高い圧縮残留応力を付与することが可能になる。
上記切削工具の製造方法において、前記レーザピーニング工程では、前記硬質被膜上に、パルス幅が10fs以上のパルスレーザを照射することが好ましい。
この場合、硬質被膜の上から、パルス幅が10fs(フェムト秒)以上の短パルスレーザをレーザ照射するので、パルス幅が短くなり過ぎることが抑制されて、ワークに衝撃がかかる時間が確保される。このため、レーザ照射による衝撃がワーク深部まで安定して到達する。硬質被膜のみならず工具基体の表層にまで、安定して高い圧縮残留応力を付与することができる。
【発明の効果】
【0025】
本発明の一つの態様の切削工具の製造方法によれば、硬質被膜および工具基体に安定して高い圧縮残留応力を付与することができ、これにより切れ刃の耐欠損性を向上できる。
【発明を実施するための形態】
【0027】
本発明の一実施形態の切削工具10、および切削工具10の製造方法について、図面を参照して説明する。本実施形態の切削工具10は、切削インサートである。本実施形態の切削工具10は、例えば、被削材に旋削加工を施す刃先交換式バイトに用いられる。
【0028】
図1に示すように、本実施形態の切削工具10は、板状である。具体的に、切削工具10は多角形板状であり、図示の例では四角形板状である。なお切削工具10は、四角形板状以外の多角形板状や円板状等であってもよい。
【0029】
本実施形態では、切削工具10の中心軸Cが延びる方向、つまり中心軸Cと平行な方向を、軸方向と呼ぶ。切削工具10の平面視において、中心軸Cは、切削工具10の中心に位置する。中心軸Cは、切削工具10の厚さ方向に沿って延びる。
中心軸Cと直交する方向を径方向と呼ぶ。径方向のうち、中心軸Cに近づく向きを径方向内側と呼び、中心軸Cから離れる向きを径方向外側と呼ぶ。
中心軸C回りに周回する方向を周方向と呼ぶ。
【0030】
図2に示すように、本実施形態の切削工具10は、焼結合金製の工具基体1と、工具基体1の外面上に配置され、炭化物、窒化物、および炭窒化物のいずれか、あるいはこれらの複合化合物により構成される層(後述する第1層2a)を有する硬質被膜2と、工具基体1の稜線部に形成され、硬質被膜2のうち稜線部に位置する部分を含む切れ刃3と、を備える。つまり本実施形態の切削工具10は、工具基体1上に硬質被膜2をコーティングした切削インサートである。
図1に示すように、切削工具10は、一対の板面10a,10bと、外周面10cと、貫通孔10dと、を備える。
【0031】
一対の板面10a,10bは、多角形状であり、中心軸Cの軸方向を向く。本実施形態では、一対の板面10a,10bがそれぞれ四角形状である。一対の板面10a,10bは、一方の板面(表面)10aと、他方の板面(裏面)10bと、を有する。一方の板面10aと他方の板面10bとは、軸方向に互いに離れて配置され、軸方向において互いに反対側を向く。
【0032】
本実施形態では、軸方向のうち、他方の板面10bから一方の板面10aへ向かう方向を軸方向一方側と呼び、一方の板面10aから他方の板面10bへ向かう方向を軸方向他方側と呼ぶ。
一対の板面10a,10bのうち、少なくとも一方の板面10aは、板面10aの一部(コーナ部等)が切削加工時に図示しない被削材と対向する。
【0033】
一対の板面10a,10bのうち、少なくとも一方の板面10aは、すくい面5を有する。すくい面5は、板面10aの少なくとも一部を構成する。本実施形態ではすくい面5が、板面10aの周縁部に位置する4つのコーナ部のうち、少なくとも2つのコーナ部にそれぞれ配置される。上記2つのコーナ部は、中心軸Cを中心として互いに180°回転対称となる位置に配置される。
【0034】
図2に示すように、すくい面5は、ランド部5aと、傾斜部5bと、を有する。
ランド部5aは、すくい面5のうち、切れ刃3と接続される部分である。ランド部5aは、切れ刃3の径方向内側に配置される。本実施形態ではランド部5aが、切れ刃3から径方向内側へ向かうに従い軸方向他方側へ向けて傾斜する傾斜面である。なおランド部5aは、中心軸Cと垂直な方向に拡がる平面状でもよい。
【0035】
傾斜部5bは、すくい面5のうち、ランド部5aの径方向内側に位置する部分である。傾斜部5bは、ランド部5aの径方向内端部と接続される。傾斜部5bは、ランド部5aから径方向内側へ向かうに従い軸方向他方側へ向けて傾斜する傾斜面である。傾斜部5bの径方向に沿う単位長さあたりの軸方向へ向けた変位量は、ランド部5aの径方向に沿う単位長さあたりの軸方向へ向けた変位量よりも大きい。すなわち、中心軸Cと垂直な図示しない仮想平面に対する傾斜部5bの傾きは、前記仮想平面に対するランド部5aの傾きよりも大きい。
【0036】
図1に示すように、外周面10cは、一対の板面10a,10bと接続され、径方向外側を向く。外周面10cは、軸方向の両端部が一対の板面10a,10bと接続される。具体的に、外周面10cのうち軸方向一方側の端部は、一方の板面10aと接続される。外周面10cのうち軸方向他方側の端部は、他方の板面10bと接続される。外周面10cは、切削工具10の周方向全域にわたって延びる。
【0037】
外周面10cは、逃げ面6を有する。逃げ面6は、外周面10cの少なくとも一部を構成する。逃げ面6は、外周面10cのうち各すくい面5と隣接する部分にそれぞれ配置される。
【0038】
貫通孔10dは、切削工具10を軸方向に貫通する。貫通孔10dは、一対の板面10a,10bに開口し、軸方向に延びる。貫通孔10dの中心軸は、中心軸Cと同軸に配置される。図示の例では、貫通孔10dが円孔状である。貫通孔10dには、例えば、図示しないクランプネジ等が挿入される。
【0039】
切れ刃3は、すくい面5と逃げ面6とが接続される稜線部、つまりすくい面5と逃げ面6との交差稜線部に形成される。本実施形態では切れ刃3が、板面10aの周縁部に位置する4つのコーナ部のうち、少なくとも2つのコーナ部にそれぞれ配置される。
図2に示すように、本実施形態では切れ刃3が、丸ホーニングを有する。なお切れ刃3は、チャンファホーニングを有していてもよい。
【0040】
図1および
図4に示すように、切れ刃3は、コーナ刃部3aと、一対の直線刃部3bと、を有する。コーナ刃部3aは、径方向外側に向けて突出する凸曲線状である。直線刃部3bは、直線状であり、コーナ刃部3aと接続される。本実施形態では、コーナ刃部3aの刃長方向の両端部に、一対の直線刃部3bが接続される。なお刃長方向とは、切れ刃3が延びる方向であり、具体的には切れ刃3の各刃部3a,3bが延びる方向である。コーナ刃部3aおよび一対の直線刃部3bは、軸方向から見て、全体に略V字状である。
【0041】
切れ刃3は、工具基体1の稜線部(交差稜線部)と、硬質被膜2のうち前記稜線部にコーティングされる部分と、により構成される。
【0042】
図1に示すように、工具基体1は、上述した切削工具10の形状と同じ形状を有する。工具基体1は、周期律表の4a,5a,6a族金属の炭化物、窒化物およびこれらの相互固溶体の中の少なくとも1種の硬質相と、Ni,CoまたはNi−Co合金と、を有する焼結合金製である。工具基体1は、前記硬質相と、Ni,CoまたはNi−Co合金と、を主成分として構成される。本実施形態では工具基体1が、WC基の超硬合金製である。なお工具基体1は、例えばTiC基またはTi(C,N)基等のサーメット製でもよい。
後述するレーザピーニング工程を経ることにより、工具基体1の表層の残留応力は、例えば−1000MPa以下、好ましくは−1500MPa以下とされる。
【0043】
図2に示すように、硬質被膜2は、化学蒸着法または物理蒸着法により、工具基体1の外面のうち少なくとも一部に成膜される。硬質被膜2は、工具基体1の外面のうち、少なくとも切れ刃3を含む領域に配置される。本実施形態では硬質被膜2が、少なくとも切れ刃3、すくい面5および逃げ面6に配置される。なお硬質被膜2は、工具基体1の外面全体に成膜されていてもよい。
【0044】
硬質被膜2の膜厚は、全体として例えば1μm以上30μm以下である。硬質被膜2は、単層または複数層で構成される。本実施形態では硬質被膜2が、工具基体1の外面に積層される複数の層により構成される。硬質被膜2は、工具基体1の外面上に位置する第1層2aと、第1層2a上に位置する第2層2bと、を有する。なお硬質被膜2は、第2層2b上に位置する図示しない第3層を有していてもよい。また硬質被膜2は、4つ以上の層により構成されてもよい。硬質被膜2が有する複数の層のうち、最も厚さが厚い層は、第1層2aである。硬質被膜2が単層の場合、硬質被膜2は、第1層2aを有する。つまり硬質被膜2は、少なくとも第1層(層)2aを有する。第1層2aの膜厚は、例えば1μm以上20μm以下である。
後述するレーザピーニング工程を経ることにより、硬質被膜2の残留応力、具体的には第1層2aの残留応力は、0MPa以下(つまり圧縮残留応力が付与)、好ましくは−1000MPa以下とされる。
【0045】
第1層2aは、工具基体1の外面上に、直接的にまたは図示しない中間層を挟んで間接的に、配置される。第1層2aは、炭化物、窒化物、および炭窒化物のいずれか、あるいはこれらの複合化合物により構成される。第1層2aは、例えばTiCN層等である。後述するレーザピーニング工程が施されたTiCN層によって、切れ刃3の耐欠損性が向上する。
【0046】
第2層2bは、第1層2aの外面上に、直接的にまたは図示しない中間層を挟んで間接的に、配置される。第2層2bは、周期律表の4a,5a,6a族金属の炭化物、窒化物、炭窒化物、酸化物、硼化物、Siの炭化物、窒化物、炭窒化物、Alの酸化物、窒化物、およびこれらの相互固溶体、ダイヤモンド、立方晶窒化ホウ素などにより構成される。なお、第2層2bは、硬質被膜2の第1層2aの膜種によっては限定されないため、ここでは一般に切削工具の硬質被膜として用いられるものを列挙した。第2層2bは、例えばAl
2O
3層やTiN層等である。また、第2層2bがAl
2O
3層であり、図示しない第3層がTiN層であってもよい。Al
2O
3層が設けられることによって、すくい面5および切れ刃3の耐熱性および耐摩耗性が向上する。TiN層が設けられることによって、切削工具10の外観上の美観が高められ、また、切削工具10が使用に供されたか否か、つまり使用済みか未使用かの識別性を容易に付与することができる。
【0047】
図2に示す例では、第2層2bのうち後述するパルスレーザLが照射された部分が消失している。パルスレーザLは、傾斜部5bの径方向外端部、ランド部5aおよび切れ刃3にわたって照射される。このため第2層2bは、傾斜部5bの径方向外端部、ランド部5aおよび切れ刃3以外の部分に配置される。なお第2層2bは、パルスレーザL照射後において、傾斜部5bの径方向外端部、ランド部5aおよび切れ刃3に残存していてもよい。
【0048】
次に、切削工具10の製造方法について説明する。
本実施形態の切削工具10の製造方法は、焼結工程と、成膜工程と、レーザピーニング工程と、を含む。
【0049】
焼結工程では、工具基体1の形状とされた圧粉体、つまり工具基体1の製造過程において圧粉成形される中間成形体を、焼結する。本実施形態では、圧粉体は板状であり、具体的には多角形板状である。
【0050】
成膜工程では、焼結した工具基体1の外面上に、炭化物、窒化物、および炭窒化物のいずれか、あるいはこれらの複合化合物により構成される層を有する硬質被膜2を成膜する。つまり成膜工程では、工具基体1の外面上に、少なくとも第1層2aを有する硬質被膜2を成膜する。本実施形態では、工具基体1の外面上に、直接的にまたは図示しない中間層を挟んで間接的に、第1層2aを成膜し、第1層2a上に、直接的にまたは図示しない中間層を挟んで間接的に、第2層2bを成膜する。なお特に図示しないが、第2層2b上に、直接的にまたは中間層を挟んで間接的に、第3層を成膜してもよい。また、第1層2a、第2層2bおよび第3層を含む4つ以上の層で構成される硬質被膜2を成膜してもよい。
【0051】
図1に示すように、レーザピーニング工程では、硬質被膜2上に、パルス幅が100ps(ピコ秒)以下のパルスレーザLを照射する。好ましくは、レーザピーニング工程では、硬質被膜2上に、パルス幅が10ps以下のパルスレーザLを照射する。より望ましくは、レーザピーニング工程では、硬質被膜2上に、パルス幅が2ps以下のパルスレーザLを照射する。
また好ましくは、レーザピーニング工程では、硬質被膜2上に、パルス幅が10fs(フェムト秒)以上のパルスレーザLを照射する。より望ましくは、レーザピーニング工程では、硬質被膜2上に、パルス幅が500fs以上のパルスレーザLを照射する。
上記パルスレーザLのピークパワー密度は、1TW(テラワット)/cm
2以上が好ましく、より好ましくは5TW/cm
2以上であり、さらに望ましくは、20TW/cm
2以上である。このように、1TW(テラワット)/cm
2以上で衝撃を与えることで、工具基体1および硬質被膜2に高い圧縮残留応力を安定して付与することができる。また好ましくは、ピークパワー密度は、10PW(ペタワット)/cm
2以下である。その理由は、10PW(ペタワット)/cm
2を超えたあたりから、大気のブレイクダウンによるプラズマが生じ、レーザビームが遮蔽されてしまうためである。
【0052】
図2に示すように、本実施形態では、傾斜部5bの径方向外端部、ランド部5aおよび切れ刃3にわたる範囲Aに、パルスレーザLを照射する。具体的には、切れ刃3からすくい面5へ向けた少なくとも100μmの範囲Aに、パルスレーザLを照射する。なお、本実施形態では、特許文献4(特表2020−525301号公報)のように犠牲皮膜を介して間接的にナノ秒レーザを照射するのではなく、硬質被膜2上に直接的にパルスレーザLを照射している。つまり本実施形態では、硬質被膜2上に犠牲皮膜を設けない。本実施形態のようなレーザ照射が可能である理由は、100ps以下の超短パルスレーザを使っているため、熱によるフィードバック(応力開放)が無いためである。本実施形態では、プロセスが簡便であり、かつ、衝撃波が伝搬しやすいため、効率的に高い圧縮残留応力を付与することができる。
【0053】
詳しくは、上記範囲Aに、図示しないガルバノスキャナとfθレンズを用いてレーザビームをハッチング走査する。このときの処理雰囲気は、大気中または任意のガス中とする。任意のガスとは、例えば酸化を抑える不活性ガス等である。レーザビームは、パルス幅が100ps以下のパルスレーザLであり、望ましくはピークパワー密度が1TW/cm
2以上となるよう、パルス幅、パルスエネルギーを適宜変更することで調整したものを用いる。なお、ピークパワー密度は、パルスエネルギー/(パルス幅×スポット面積)で計算される値である。また、パルスレーザLのワーク(切削工具10)表面におけるスポット直径は、10μm以上、200μm以下が適切である。すなわちレーザピーニング工程では、硬質被膜2上に照射するパルスレーザLのスポット直径を、10μm以上200μm以下とすることが好ましい。スポット直径が10μm以上であれば、レーザ照射中に局所的な硬質被膜2の剥離が発生しにくくなる。局所的な硬質被膜2の剥離が発生すると刃先の強度が大幅に低下するため、それを抑制する必要がある。スポット直径が200μm以下であれば、硬質被膜2および工具基体1表面に付与される圧縮残留応力の値が低下するのを抑制できる。なお、上記スポット直径は、20μm以上100μm以下とすることがより望ましい。
【0054】
本実施形態において、レーザピーニング工程では、硬質被膜2および工具基体1の圧縮残留応力に、切れ刃3に平行な方向と、切れ刃3と直交する方向とで異方性を付与する。詳しくは、
図3に示すように、レーザピーニング工程では、切れ刃3と平行な方向のパルスレーザ照射点間隔Dyと、切れ刃3と直交する方向のパルスレーザ照射点間隔Dxとを、互いに異ならせる。すなわち、切れ刃3と平行な方向のパルスレーザ照射点間隔Dyを、切れ刃3と直交する方向のパルスレーザ照射点間隔Dxより小さくしてもよい。また、切れ刃3と直交する方向のパルスレーザ照射点間隔Dxを、切れ刃3と平行な方向のパルスレーザ照射点間隔Dyより小さくしてもよい。
【0055】
またレーザピーニング工程では、切れ刃3と直交する方向にパルスレーザLを走査させる。具体的に、
図3に示すように、パルスレーザLの走査方向Sは、切れ刃3のうち直線刃部3bと直交する方向である。また
図4に示すように、パルスレーザLの走査方向Sは、切れ刃3のうちコーナ刃部3aと直交する方向である。
【0056】
詳しくは、走査方向Sは、切れ刃3と直交する方向のうち、切れ刃3へ接近する方向である。本実施形態では、切れ刃3と直交する方向に沿って、傾斜部5bの径方向外端部、ランド部5aおよび切れ刃3の順に、パルスレーザLを走査させる。すなわち、パルスレーザLを、切れ刃3と直交する方向のうち、すくい面5上から切れ刃3へ向けて走査させる。
【0057】
なお
図3に2点鎖線で示す複数の円は、パルスレーザLのワーク表面におけるスポットBを表している。これらのスポットB同士は、図示するように互いにオーバーラップさせなくてもよいし、互いにオーバーラップさせてもよい。また
図3に示すように、スポットBは、切れ刃3の刃先(端縁)にも位置する。
【0058】
以上説明した本実施形態の切削工具10の製造方法では、工具基体1の外面に硬質被膜2が成膜された切削工具10に対して、硬質被膜2の上から、パルス幅が100ps以下の短パルスレーザを、例えば大気中にてレーザ照射を行う。この処理はいわゆる超短パルスレーザピーニングであり、レーザ照射したワーク(切削工具10)の表面を若干加工することで発生するプラズマが爆発的に拡散する際の、力学的な反作用によりワークに衝撃波を発生させ、塑性変形や転位などの結晶欠陥を付与することで、ワーク表面に圧縮残留応力を付与する手法である。本実施形態では、レーザピーニングを上記レーザ条件で行うことで、硬質被膜2や工具基体1に垂直クラックが発生することを抑制しつつ、安定して圧縮残留応力を付与できる。また、パルス幅を100ps以下にすることで、レーザ照射による熱影響が顕著に抑えられるため、ピークパワー密度、すなわち衝撃波のエネルギを大きくすることができる。これにより、例えば、硬質被膜2の耐欠損性に寄与する層である第1層2aに0以下、工具基体1表層のWC粒子に−1000MPa以下の残留応力つまり圧縮残留応力を付与できる。
【0059】
このように本実施形態によれば、特別な上記レーザ条件のレーザピーニング工程により、硬質被膜2および工具基体1の両方に、垂直クラックの発生を抑制しながら高い圧縮残留応力を付与することができ、これにより切れ刃3の耐欠損性を向上できる。切削の加工精度が良好に維持され、かつ工具寿命が延長する。
また、安定して圧縮残留応力を付与できるため、切削工具10の品質のばらつきが抑えられる。また、大気中でレーザ照射を行うことができ、その前後処理工程を特に必要としないため、一般に知られるウェットブラスト等の応力制御技術に比べて、本実施形態では処理が簡単かつ高速に行え、生産性が向上する。
【0060】
また本実施形態において、レーザピーニング工程では、硬質被膜2上に、パルス幅が10ps以下のパルスレーザLを照射することが好ましい。
この場合、例えば、硬質被膜2に対して−1000MPa以下、工具基体1表層に対して−1500MPa以下の残留応力、つまりより高い圧縮残留応力を付与することが可能になる。
なおより好ましくは、レーザピーニング工程では、硬質被膜2上に、パルス幅が2ps以下のパルスレーザLを照射する。この場合、例えば、硬質被膜2に対して−1500MPa以下、工具基体1表層に対して−2000MPa以下の残留応力、つまりより高い圧縮残留応力を付与することが可能になる。
【0061】
また本実施形態において、レーザピーニング工程では、硬質被膜2上に、パルス幅が10fs以上のパルスレーザLを照射することが好ましい。
この場合、パルスレーザLのパルス幅が短くなり過ぎることが抑制されて、ワークに衝撃がかかる時間が確保される。このため、レーザ照射による衝撃がワーク深部まで、すなわち硬質被膜2直下の工具基体1表層にまで、安定して到達する。硬質被膜2および工具基体1の両方に対して、安定して高い圧縮残留応力を付与することができる。なおより好ましくは、レーザピーニング工程では、硬質被膜2上に、パルス幅が500fs以上のパルスレーザLを照射する。これにより上述の効果がより顕著となる。
【0062】
また本実施形態において、レーザピーニング工程では、硬質被膜2および工具基体1の圧縮残留応力に、切れ刃3に平行な方向と、切れ刃3と直交する方向とで異方性を付与する。具体的に、本実施形態においてレーザピーニング工程では、切れ刃3と平行な方向のパルスレーザ照射点間隔Dyと、切れ刃3と直交する方向のパルスレーザ照射点間隔Dxとを、互いに異ならせている。
この場合、硬質被膜2および工具基体1の圧縮残留応力に、異方性を付与することができる。すなわち、切れ刃3と平行な方向の圧縮残留応力値と、切れ刃3と直交する方向の圧縮残留応力値とに、所定以上の差を設けることができる。例えば上記構成と異なり、切れ刃3と平行な方向のパルスレーザ照射点間隔Dyと、切れ刃3と直交する方向のパルスレーザ照射点間隔Dxとを、互いに同じ値かつ狭ピッチとして、圧縮残留応力値を全体的に高めた場合(等方性を付与した場合)と比べて、本実施形態の上記構成によれば、硬質被膜2の破損を抑制でき、かつ、切削の種類や被削材等に応じて、切れ刃3に必要な耐欠損性能を効率よく付与できる。
【0063】
具体的に、切れ刃3と平行な方向のパルスレーザ照射点間隔Dyを、切れ刃3と直交する方向のパルスレーザ照射点間隔Dxよりも小さくすることで、切れ刃3と平行な方向の圧縮残留応力を、切れ刃3と直交する方向の圧縮残留応力よりも高める(残留応力の絶対値を大きくする)ことができる。この場合、例えば、いわゆる熱亀裂が切れ刃3と直交する方向に進展することを抑制できる。
【0064】
また、切れ刃3と直交する方向のパルスレーザ照射点間隔Dxを、切れ刃3と平行な方向のパルスレーザ照射点間隔Dyよりも小さくすることで、切れ刃3と直交する方向の圧縮残留応力を、切れ刃3と平行な方向の圧縮残留応力よりも高めることができる。この場合、例えば、いわゆる断続亀裂が切れ刃3と平行な方向に進展することを抑制できる。
【0065】
また本実施形態において、レーザピーニング工程では、硬質被膜2上に照射するパルスレーザLのスポット直径を、10μm以上200μm以下とすることが好ましい。
上記スポット直径が10μm以上であれば、レーザ照射中に局所的な硬質被膜2の損傷や剥離が発生しにくくなる。上記スポット直径が200μm以下であれば、硬質被膜2および工具基体1表面に付与される圧縮残留応力の値が低下するのを抑制できる。なお、上記スポット直径を20μm以上100μm以下とすることで、上述の効果をより顕著なものとすることができ、より望ましい。
【0066】
また本実施形態において、レーザピーニング工程では、走査方向Sすなわち切れ刃3と直交する方向に、パルスレーザLを走査させている。
例えば、切れ刃3と平行な方向にパルスレーザLを走査させる場合と比べて、本実施形態の上記構成によれば、硬質被膜2の損傷が抑制される。なお硬質被膜2の損傷をより抑えるには、切れ刃3と直交する方向のうち、切れ刃3と離れた位置つまりすくい面5側から切れ刃3へ向けて、切れ刃3に接近する方向にパルスレーザLを走査させることが好ましい。
【0067】
なお、本発明は前述の実施形態に限定されず、例えば下記に説明するように、本発明の趣旨を逸脱しない範囲において構成の変更等が可能である。
【0068】
前述の実施形態では、レーザピーニング工程において、切れ刃3と平行な方向のパルスレーザ照射点間隔Dyと、切れ刃3と直交する方向のパルスレーザ照射点間隔Dxとを、互いに異ならせることにより、圧縮残留応力に異方性を付与している。ただしこれに限らず、例えば、パルスレーザ照射点間隔Dy,Dxを、互いに同じ値(一定)とし、ピークパワー密度を、切れ刃3と直交する方向、つまりパルスレーザLの走査方向Sにおいて変化させたり、切れ刃3と平行な方向、つまりパルスレーザLの走査方向Sと直交する方向において(例えば所定の走査単位毎に)変化させたりすることにより、圧縮残留応力に異方性を付与してもよい。
【0069】
図5および
図6は、前述の実施形態の変形例のレーザピーニング工程を説明する図である。この変形例では、レーザピーニング工程において、切れ刃3と平行な方向にパルスレーザLを走査させる。具体的に、パルスレーザLの走査方向Sは、直線刃部3bおよびコーナ刃部3aと平行な方向である。このように切れ刃3に沿ったレーザ走査であっても、例えばパルスレーザ照射点間隔Dy,Dxの比率を変えるなどにより、圧縮残留応力の異方性を付与することができる。なお特に図示しないが、切削工具10のノーズ部分(コーナ部)では、コーナ刃部3aに沿って曲線状にレーザ走査する。このとき、カーブのため走査速度が遅くなるが、走査速度に合わせてパルスレーザLの照射タイミングを制御し、均一な密度でレーザ照射できるように制御することが好ましい。
この変形例の場合、切れ刃3に沿ったスキャンであるため、レーザピーニング処理を高速で行うことができ、切削工具10の生産効率がよい。また
図6に示すように、切れ刃3の刃先にスポットBを配列することが容易であり、刃先近傍の圧縮残留応力を均等化しやすい。
【0070】
前述の実施形態では、切削工具10が刃先交換式バイトに用いられる例を挙げたが、これに限らない。切削工具10は、例えば、被削材に転削加工を施す刃先交換式ドリルや刃先交換式エンドミル等に用いられてもよい。
また、切削工具10が切削インサートである例を挙げたが、これに限らない。切削工具10は、例えばソリッドタイプのドリル、エンドミル、リーマおよびそれ以外の切削工具であってもよい。
【0071】
その他、本発明の趣旨から逸脱しない範囲において、前述の実施形態、変形例およびなお書き等で説明した各構成(構成要素)を組み合わせてもよく、また、構成の付加、省略、置換、その他の変更が可能である。また本発明は、前述した実施形態によって限定されず、特許請求の範囲によってのみ限定される。
【実施例】
【0072】
以下、本発明を実施例により具体的に説明する。ただし本発明はこの実施例に限定されない。
【0073】
本発明の実施例および比較例として、前述の実施形態で説明した切削工具10つまり切削インサートのレーザ未処理品を、複数用意した。具体的に、これらの切削工具10は、JIS規格のCNMG120408形状を有する切削インサートである。工具基体1は、Co7.5質量%、WC平均粒径1.5μmの組成を有するWC超硬合金製である。硬質被膜2は、工具基体1の外面上に、第1層2aとしてTiCN層4μm、第2層2bとしてAl
2O
3層1μm、および第3層としてTiN層0.3μmを、この順にそれぞれ化学気相成長(CVD)法で成膜した。
【0074】
この成膜の後工程において、各切削工具10にレーザ処理つまりレーザピーニング工程を施した。詳しくは、大気中において、切削工具10のすくい面5上にレーザビームを垂直に、つまり軸方向から照射および走査して、すくい面5および切れ刃3にレーザ処理を行った。なお、実施例および比較例ともに、硬質被膜2上に犠牲皮膜は形成されておらず、硬質被膜2に対して直接レーザ処理を施した。使用したレーザの波長は1030nm、繰り返し周波数は10kHz、ビームプロファイルはガウシアンとし、ワーク表面におけるスポット直径はφ30μmとした。
【0075】
詳しくは、レーザピークパワー密度と、硬質被膜2の第1層2aおよび工具基体1表層の各残留応力と、の関係を調べるため、各切削工具10に対して、互いにレーザ条件が異なるレーザピーニング工程を施した。レーザ条件は、パルスレーザ照射点間隔Dx,Dyをともに20μmに設定し、パルス幅を10fs(フェムト秒)から10ns(ナノ秒)、パルスエネルギーを0.4mJから2mJまでの範囲で調整し、ピークパワー密度を41GW(ギガワット)/cm
2から5.66PW(ペタワット)/cm
2の範囲で変えた。
上記レーザ条件のうち、パルス幅が100ps以下(かつピークパワー密度が1TW/cm
2以上)のパルスレーザを照射した切削工具10が、本発明の実施例1〜10であり、それ以外のレーザ条件でレーザ照射した切削工具が、比較例1〜4である。なお、レーザ照射を行わない未処理品の切削工具を、比較例5とした。
【0076】
各切削工具10の残留応力の測定は、下記のように行った。工具基体1および硬質被膜2(第1層2a)の残留応力は、パルステック社製のX線残留応力測定装置を使用し、cosα法を用いて測定した。X線源にはCu管球を使用し、2θ=154°付近にあるWC(113)回折ピーク、および2θ=133°付近にあるTiCN(431)回折ピークを用いて、それぞれの残留応力を測定した。X線遮蔽板を用いて切れ刃3の刃先先端から幅0.3mmのみを露出させ、レーザ処理部のみの応力値になるように測定を行った。
【0077】
レーザ条件と、測定した残留応力値との関係を、下記表1、
図7および
図8に示す。なお
図7は、レーザピーニング工程のピークパワー密度(横軸)と、WCつまり工具基体1に付与された残留応力値(縦軸)との関係を示すグラフである。
図8は、レーザピーニング工程のピークパワー密度(横軸)と、TiCNつまり硬質被膜2の第1層2aに付与された残留応力値(縦軸)との関係を示すグラフである。
【0078】
【表1】
【0079】
なお表1の判定の基準は、下記の通りである。
A:TiCN(硬質被膜)の残留応力が−1500MPa以下、かつWC(工具基体)の残留応力が−2000MPa以下であり、圧縮残留応力を高める効果が特に顕著に得られたもの。
B:TiCN(硬質被膜)の残留応力が−1000MPa以下、かつWC(工具基体)の残留応力が−1500MPa以下であり、圧縮残留応力を高める効果が顕著に得られたもの。
C:TiCN(硬質被膜)の残留応力が0MPa以下、かつWC(工具基体)の残留応力が−1000MPa以下であり、圧縮残留応力を高める効果が顕著に得られたもの。
D:Cの基準に満たず、圧縮残留応力を高める効果が顕著に表れていないもの。具体的には、TiCN(硬質被膜)の残留応力が0MPaを超え、かつWC(工具基体)の残留応力が−1000MPaを超えるもの。
【0080】
表1に示されるように、実施例1〜10は、A判定、B判定またはC判定となり、圧縮残留応力が顕著に高められた。具体的に、実施例1〜8はA判定またはB判定となり、より顕著な効果が得られることが確認され、その中でも、実施例4〜6は、A判定となり、圧縮残留応力が特に顕著に高められることがわかった。なお、実施例1〜3は、TiCN(硬質被膜)の残留応力が−2000MPaにまで達したものの、WC(工具基体)の残留応力は−2000MPaにまで達しなかった。この理由は、パルス幅が所定値以下にまで小さくなると、ワークに衝撃がかかる時間が短くなり、衝撃がワーク深部まで十分に達しなかったためと考えられる。
【0081】
一方、比較例1〜4は、D判定となった。なお比較例3、4の、パルス幅が1ns以上のレーザ条件では、WC(工具基体)に圧縮残留応力を付与することはできなかった。この理由は、熱影響によるものと考えられる。
【0082】
次に、パルスレーザ照射点間隔Dx,Dyと、圧縮残留応力の異方性との関係を調べるため、各切削工具10に対して、互いにレーザ条件が異なるレーザピーニング工程を施した。レーザ条件は、切れ刃3と平行な方向のパルスレーザ照射点間隔Dyをすべて15μmとし、切れ刃3と直交する方向のパルスレーザ照射点間隔Dxについては、25μm、35μm、50μmと切削工具10毎に変えて、実施例11〜13とした。上記以外のレーザ条件については、前述の実施例5と同じ設定とした。
【0083】
各切削工具10の残留応力の測定は、前述した測定方法と同様である。そして、X線入射方向をx方向(切れ刃3と直交する方向)、y方向(切れ刃3と平行な方向)に変化させることで、残留応力値σx,σyをそれぞれ測定した。結果を下記表2に示す。
【0084】
【表2】
【0085】
表2に示されるように、実施例11〜13はそれぞれ、TiCN(硬質被膜)のx方向の残留応力とy方向の残留応力との間に差が設けられており、また、WC(工具基体)のx方向の残留応力とy方向の残留応力との間に差が設けられている。すなわち、実施例11〜13は、圧縮残留応力に異方性が付与されたことが確認された。なお、パルスレーザ照射点間隔Dx,Dy同士の差が大きくなるに従い、異方性がより顕著となる傾向がある。例えば実施例13については、WC(工具基体)のx方向の残留応力とy方向の残留応力との間に、1000MPaを超える差を設けることができた。