特許第6974983号(P6974983)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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特許6974983転がり摺動部材及びその製造方法、並びに、当該転がり摺動部材を備えた転がり軸受
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6974983
(24)【登録日】2021年11月9日
(45)【発行日】2021年12月1日
(54)【発明の名称】転がり摺動部材及びその製造方法、並びに、当該転がり摺動部材を備えた転がり軸受
(51)【国際特許分類】
   C22C 38/00 20060101AFI20211118BHJP
   C22C 38/24 20060101ALI20211118BHJP
   C21D 1/06 20060101ALI20211118BHJP
   C21D 9/36 20060101ALI20211118BHJP
   C21D 9/40 20060101ALI20211118BHJP
   C23C 8/22 20060101ALI20211118BHJP
【FI】
   C22C38/00 301N
   C22C38/24
   C21D1/06 A
   C21D9/36
   C21D9/40 A
   C23C8/22
【請求項の数】3
【全頁数】20
(21)【出願番号】特願2017-162065(P2017-162065)
(22)【出願日】2017年8月25日
(65)【公開番号】特開2019-39046(P2019-39046A)
(43)【公開日】2019年3月14日
【審査請求日】2020年6月5日
(73)【特許権者】
【識別番号】000001247
【氏名又は名称】株式会社ジェイテクト
(73)【特許権者】
【識別番号】000006655
【氏名又は名称】日本製鉄株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110000280
【氏名又は名称】特許業務法人サンクレスト国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】金谷 康平
(72)【発明者】
【氏名】佐田 隆
(72)【発明者】
【氏名】山下 朋広
(72)【発明者】
【氏名】鈴木 崇久
(72)【発明者】
【氏名】根石 豊
(72)【発明者】
【氏名】平上 大輔
【審査官】 鈴木 葉子
(56)【参考文献】
【文献】 特開2017−106074(JP,A)
【文献】 国際公開第2016/017162(WO,A1)
【文献】 特開2003−183808(JP,A)
【文献】 特開2011−006734(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C22C 38/00−38/60
C21D 1/02− 1/84
C21D 9/00− 9/44, 9/50
C23C 8/00−12/02
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
相手部材との間で相対的に接触する転がり摺動面を有する転がり摺動部材であって、
炭素0.30〜0.45質量%と、ケイ素0.15〜0.45質量%と、マンガン0.40〜1.50質量%と、クロム0.60〜2.00質量%と、モリブデン0.10〜0.35質量%と、バナジウム0.20〜0.40質量%と、アルミニウム0.005〜0.100質量%とを含有し、残部が鉄及び不可避的不純物である組成を有する素形材から形成されており、前記素形材の組成と同等の組成を有する基体部と、前記基体部の周囲に位置し前記転がり摺動面を含む表面層とを備えており、
前記表面層が浸炭層であり、
前記表面層のビッカース硬さが700〜800であり、
前記表面層の残留オーステナイト量が25〜50体積%であり、
前記表面層における粒界酸化層の厚さが、前記転がり摺動部材の等価直径を用いて表される、式(I):
粒界酸化層の厚さ ≦ 転がり摺動部材の等価直径 × 1.4×10−3
を満たすことを特徴とする、転がり摺動部材。
【請求項2】
転がり摺動面を内周に有する外輪と、転がり摺動面を外周に有する内輪と、前記外輪の転がり摺動面と前記内輪の転がり摺動面との間に配置された複数の転動体とを有する転がり軸受であって、
前記外輪、前記内輪及び前記転動体のうち、少なくとも1つが、請求項1に記載の転がり摺動部材であることを特徴とする、転がり軸受。
【請求項3】
請求項1に記載の転がり摺動部材の製造方法であって、
(1)炭素0.30〜0.45質量%と、ケイ素0.15〜0.45質量%と、マンガン0.40〜1.50質量%と、クロム0.60〜2.00質量%と、モリブデン0.10〜0.35質量%と、バナジウム0.20〜0.40質量%と、アルミニウム0.005〜0.100質量%とを含有し、残部が鉄及び不可避的不純物である組成を有する鋼材から素形材を得る工程と、
(2)カーボンポテンシャルが0.9〜1.4の範囲で設定された雰囲気下で、900〜980℃の温度で10時間保持し前記素形材を加熱して、炭素を拡散して、表面層として浸炭層を形成した中間素材を得る工程と、
(3)820〜900℃の温度で0.5時間保持してから前記中間素材を70〜90℃の範囲に設定された油浴で冷却することで、前記中間素材に対して焼入れを行なう工程と、
(4)焼入れされた前記中間素材に対して焼戻し温度150〜200℃で1〜5時間で焼戻しを行なう工程と
を含むことを特徴とする、転がり摺動部材の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、転がり摺動部材及びその製造方法、並びに、当該転がり摺動部材を備えた
転がり軸受に関する。
【背景技術】
【0002】
軸受等に用いられる転がり摺動部材には、焼入れの容易性の観点から、クロムモリブデン鋼(SCM鋼)や、ニッケルクロムモリブデン鋼(SNCM鋼)のような浸炭鋼が広く用いられている。
【0003】
転がり摺動部材は、その転がり摺動面において相手部材と接触する。この接触による製品寿命への影響が考慮され、転がり摺動部材では、浸炭鋼からなる素形材に対し浸炭処理等を施して、その表面部分に硬い層(以下、表面層という。)を設けることが知られている(例えば、特許文献1)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【特許文献1】特開2007−308792公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
前述の、SCM鋼や、SNCM鋼のような浸炭鋼では、炭素の含有率が相対的に低い。製品寿命の向上に貢献できる表面層を得るには、長時間に亘って浸炭処理を施す必要がある。長時間に亘る浸炭処理は、製造コストが高くつくという問題がある。
【0006】
しかも、浸炭処理に要する時間が長いと、結晶粒が粗大化するので、結晶粒の大きさを所望の大きさに整えるために、二次焼入れを行なう必要がある。長時間の浸炭処理に加え、二次焼入れを行なうと、前述の製造コストがさらに膨らんでしまう。
【0007】
浸炭処理に要する時間が長いと、素形材の表面において、粒界酸化層の形成が促される。発達した粒界酸化層は表面層の強度を低下させるので、転がり摺動部材に発達した粒界酸化層が残存すると、荷重の作用により粒界酸化層部分でクラックが生じやすく、耐割損性が低下してしまう。しかも、粒界酸化層は脱落しやすく、この脱落が生じた場合には、この脱落物が異物として軸受のような製品の内部に入り込み、異物の噛み込みが生じる恐れがある。異物の噛み込みは、製品寿命に悪影響を及ぼす。
【0008】
本発明は、このような実状に鑑みてなされたものであり、製造コストの低減を図るとともに、製品寿命の向上に貢献できる、転がり摺動部材及びその製造方法、並びに、当該転がり摺動部材を備えた転がり軸受を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明に係る転がり摺動部材は、相手部材との間で相対的に接触する転がり摺動面を有する転がり摺動部材であって、炭素0.30〜0.45質量%と、ケイ素0.15〜0.45質量%と、マンガン0.40〜1.50質量%と、クロム0.60〜2.00質量%と、モリブデン0.10〜0.35質量%と、バナジウム0.20〜0.40質量%と、アルミニウム0.005〜0.100質量%とを含有し、残部が鉄及び不可避的不純物である組成を有する素形材から形成されており、前記素形材の組成と同等の組成を有する基体部と、前記基体部の周囲に位置し前記転がり摺動面を含む表面層とを備えており、前記表面層のビッカース硬さが700〜800であり、前記表面層の残留オーステナイト量が25〜50体積%であり、前記表面層における粒界酸化層の厚さが、前記転がり摺動部材の等価直径を用いて表される、式(I):
粒界酸化層の厚さ ≦ 転がり摺動部材の等価直径 × 1.4×10−3
を満たすことを特徴としている。
【0010】
本発明の転がり摺動部材は、炭素の含有率が0.30質量%以上である素形材から形成される。この転がり摺動部材は、従来の転がり摺動部材で広く用いられているSCM鋼や、SNCM鋼に比して、炭素の含有率が相対的に高い鋼材をベースとする。このため、この転がり摺動部材では、浸炭処理等に要する時間を短縮しても、硬く、強靭な表面層が得られる。この転がり摺動部材では、処理時間を短縮できるので、製造コストの低減を図ることができる。
この転がり摺動部材では、表面層が前述のビッカース硬さ及び残留オーステナイト量を有している。この表面層は、硬くしかも強靭である。この転がり摺動部材によれば、長い転動疲労寿命が達成される。しかも粒界酸化層は、その厚さが上記式(I)を満たす程度にしか形成されないため、この転がり摺動部材は良好な耐割損性を有する。この転がり摺動部材によれば、粒界酸化層は脱落しにくいため、相手部材との間で噛み込みが生じるような異物の形成が抑えられる。この転がり摺動部材は、製品寿命の向上に貢献できる。
【0011】
この転がり摺動部材では、前記表面層は浸炭層又は浸炭窒化層であるのが好ましい。この場合、この転がり摺動部材では、十分に硬く強靭な表面層が得られる。
【0012】
本発明に係る転がり軸受は、転がり摺動面を内周に有する外輪と、転がり摺動面を外周に有する内輪と、前記外輪の転がり摺動面と前記内輪の転がり摺動面との間に配置された複数の転動体とを有する転がり軸受であって、前記外輪、前記内輪及び前記転動体のうち、少なくとも1つが、前述した転がり摺動部材であることを特徴としている。
【0013】
本発明の転がり軸受は、外輪、前記内輪及び前記転動体のうちの少なくとも1つが、前述した転がり摺動部材からなるので、製造コストの低減を図ることができる。しかもこの転がり軸受によれば、相手部材との間に異物が噛み込むことを効果的に防止できるので、製品寿命の向上も図ることができる。
【0014】
本発明に係る転がり摺動部材の製造方法は、相手部材との間で相対的に接触する転がり摺動面を有する転がり摺動部材の製造方法であって、
(1)炭素0.30〜0.45質量%と、ケイ素0.15〜0.45質量%と、マンガン0.40〜1.50質量%と、クロム0.60〜2.00質量%と、モリブデン0.10〜0.35質量%と、バナジウム0.20〜0.40質量%と、アルミニウム0.005〜0.100質量%とを含有し、残部が鉄及び不可避的不純物である組成を有する鋼材から素形材を得る工程、
(2)カーボンポテンシャルが0.9〜1.4の範囲で設定された雰囲気下で、900〜980℃の温度を保持しつつ前記素形材を加熱して、中間素材を得る工程、
(3)820〜900℃の温度から前記中間素材を冷却することで、前記中間素材に対して焼入れを行なう工程
及び
(4)焼入れされた前記中間素材に対して焼戻しを行なう工程と
を含むことを特徴としている。
【0015】
本発明の転がり摺動部材の製造方法では、炭素の含有率が相対的に多い鋼材をベースとする素形材に対してカーボンポテンシャルが調整された雰囲気下で加熱を行ない、この加熱により得られる中間素材に対して焼入れ及び焼戻しが施される。このため、本発明の製造方法では、従来の製造方法に比べて、短い処理時間で、所望の表面層が得られる。言い換えれば、表面層の形成に要する時間の短縮を図ることができる。この製造方法では、製造コストの低減を図ることができる。さらに処理時間の短縮は、粒界酸化層の形成を抑えるので、この製造方法によれば、耐割損性に優れる転がり摺動部材を得ることができる。この製造方法で得られる転がり摺動部材によれば、粒界酸化層は脱落しにくいため、相手部材との間で噛み込みが生じるような異物の形成が抑えられる。この転がり摺動部材は、製品寿命の向上にも貢献できる。
【発明の効果】
【0016】
以上の説明から明らかなように、本発明の転がり摺動部材及びその製造方法は、製造コストの低減を図るとともに、製品寿命の向上に貢献できるという効果を奏する。すなわち、本発明によれば、製造コストの低減を図るとともに、製品寿命の向上に貢献できる、転がり摺動部材及びその製造方法、並びに、当該転がり摺動部材を備えた転がり軸受を得ることができる。
【図面の簡単な説明】
【0017】
図1図1は、本発明の一実施形態に係る転がり軸受の一例である円すいころ軸受が示された要部断面図である。
図2図2は、外輪の等価直径を得るために用いられる各部の寸法が示された断面図である。
図3図3は、内輪の等価直径を得るために用いられる各部の寸法が示された断面図である。
図4図4は、円すいころの等価直径を得るために用いられる各部の寸法が示された断面図である。
図5図5は、円すいころ軸受の構成部品である内輪の製造の流れが示された工程図である。
図6図6は、熱処理条件の一例が示された線図である。
図7図7は、熱処理条件の他の例が示された線図である。
図8図8は、転がり摺動部材の圧壊試験で用いられる試験機が示された概略図である。
図9図9は、実施例3の転がり摺動部材における表面部分の状態が示された金属顕微鏡写真である。
図10図10は、比較例3の転がり摺動部材における表面部分の状態が示された金属顕微鏡写真である。
【発明を実施するための形態】
【0018】
以下、適宜図面が参照されつつ、好ましい実施形態に基づいて本発明が詳細に説明される。
【0019】
[転がり軸受]
本発明の一実施形態に係る転がり軸受について、円すいころ軸受を例に挙げて以下に説明する。本発明の転がり軸受は、円すいころ軸受に限られない。この転がり軸受が円筒ころ軸受であってもよい。この転がり軸受が玉軸受であってもよい。
【0020】
図1には、本発明の一実施形態に係る転がり軸受2(円すいころ軸受)の一部が示されている。この転がり軸受2は、外輪4、内輪6、複数の転動体8、及び、保持器10を備えている。
【0021】
外輪4は、その内周側に、転がり摺動面12を備えている。この転がり摺動面12は、周方向に延在している。転がり軸受2において、複数の転動体8は外輪4の転がり摺動面12を転動する。この転がり摺動面12は軌道面である。
外輪4は、転がり摺動面12において、相手部材である転動体8との間で相対的に接触する。この外輪4は、転動体8との間で相対的に接触する転がり摺動面12を有している。この転動体8との接触には、転がり接触若しくは滑り接触又は両接触が含まれる。
【0022】
内輪6は、外輪4と同心に配置されている。内輪6は、その外周側に、転がり摺動面14を備えている。この転がり摺動面14は、外輪4の転がり摺動面12と対向するように配置されている。この転がり摺動面14は、周方向に延在している。転がり軸受2において、複数の転動体8は内輪6の転がり摺動面14を転動する。この転がり摺動面14は軌道面である。
内輪6は、転がり摺動面14において、相手部材である転動体8との間で相対的に接触する。この内輪6は、転動体8との間で相対的に接触する転がり摺動面14を有している。この転動体8との接触には、転がり接触若しくは滑り接触又は両接触が含まれる。
【0023】
複数の転動体8は、外輪4と内輪6との間に位置している。それぞれの転動体8は、外輪4の転がり摺動面12上を転動し、内輪6の転がり摺動面14上を転動する。これにより、この転がり軸受2では、外輪4及び内輪6が相対回転自在に構成されている。
この転がり軸受2では、転動体8は円すいころである。この転がり軸受2は、円すいころ軸受である。この転動体8では、円すいころの側面が転がり摺動面16である。この転動体8は、この転がり摺動面16において、相手部材である外輪4及び内輪6のそれぞれとの間で相対的に接触する。この転動体8は、外輪4及び内輪6のそれぞれとの間で相対的に接触する転がり摺動面16を有している。この外輪4及び内輪6のそれぞれとの接触には、転がり接触若しくは滑り接触又は両接触が含まれる。
【0024】
保持器10は、環状部材である。保持器10は、外輪4及び内輪6のそれぞれと同心に配置されている。保持器10は、金属、合成樹脂等を用いて形成される。保持器10は、外輪4及び内輪6の間で転動体8を保持している。
【0025】
本発明の転がり軸受2では、外輪4、内輪6及び転動体8のうち、少なくとも1つが、後述する、転がり摺動部材18である。図1に示された転がり軸受2では、外輪4、内輪6及び転動体8の全てが転がり摺動部材18である。
【0026】
[転がり摺動部材18]
前述したように、この転がり軸受2では、外輪4、内輪6及び転動体8の全てが転がり摺動部材18である。以下に、本発明の一実施形態に係る転がり摺動部材18について、外輪4、内輪6及び転動体8に基づいて説明する。
【0027】
外輪4は、基体部20と表面層22とを備えている。表面層22は、基体部20の周囲に位置しており、この基体部20に積層されている。この表面層22は、基体部20を覆っている。この表面層22に、前述の転がり摺動面12が含まれている。
【0028】
内輪6は、基体部24と表面層26とを備えている。表面層26は、基体部24の周囲に位置しており、この基体部24に積層されている。この表面層26は、基体部24を覆っている。この表面層26に、前述の転がり摺動面14が含まれている。
【0029】
転動体8は、基体部28と表面層30とを備えている。表面層30は、基体部28の周囲に位置しており、この基体部28に積層されている。この表面層30は、基体部28を覆っている。この表面層30に、前述の転がり摺動面16が含まれている。
【0030】
本発明では、外輪4、内輪6及び転動体8のそれぞれをなす転がり摺動部材18は、炭素0.30〜0.45質量%と、ケイ素0.15〜0.45質量%と、マンガン0.40〜1.50質量%と、クロム0.60〜2.00質量%と、モリブデン0.10〜0.35質量%と、バナジウム0.20〜0.40質量%と、アルミニウム0.005〜0.100質量%とを含有し、残部が鉄及び不可避的不純物である組成を有する鋼材をベースとする素形材から形成されている。この組成において、残部を構成する不可避的不純物とは、鋼材を製造する際に、原料等から混入する物質であって、本発明の目的を阻害しない範囲で許容される物質を意味する。このような不可避不純物としては、リン、硫黄、銅等が挙げられる。
【0031】
炭素は、転がり摺動部材18の製造時における鋼材の焼入れ性を確保し、強度確保のための内部硬さを得るための元素であると同時に、十分な量を添加することで、熱処理時の浸炭時間を短縮することができる元素である。しかしながら、炭素を過剰に添加すると、鋼材の硬さが高くなりすぎ、熱間加工性の低下や、切削時の工具寿命の低下などが引き起こされる。
この転がり摺動部材18では、十分な内部硬さと、浸炭時間の短縮効果とを得る観点から、鋼材中に含まれる炭素の含有率は、0.30質量%以上、好ましくは0.35質量%以上である。熱処理前の加工性を十分に得る観点から、炭素の含有率は、0.45質量%以下、好ましくは0.44質量%以下である。
【0032】
ケイ素は、鋼材製錬時の脱酸のために必要な元素である。また、ケイ素は、結晶粒界でのフィルム状炭化物の析出を抑制し、粒界強度の向上に寄与する元素である。しかしながら、ケイ素を過剰に添加すると、フェライトの強化によって硬さが上昇するため、鋼材の加工性が悪化する。
この転がり摺動部材18では、結晶粒界でのフィルム状炭化物の析出を抑制する観点から、鋼材中に含まれるケイ素の含有率は、0.15質量%以上、好ましくは0.20質量%以上、より好ましくは0.25質量%以上である。熱処理前において十分な加工性を確保する観点から、ケイ素の含有率は、0.45質量%以下、好ましくは0.40質量%以下、より好ましくは0.35質量%以下である。
【0033】
マンガンは、転がり摺動部材18の製造時における鋼材の焼入れ性を確保するとともに、鋼材の強度を確保するために内部硬さを得るための元素である。さらに、マンガンは、オーステナイトを安定化させる元素であるため、その増量によりオーステナイトを容易に増加させることができる。しかしながら、マンガンを過剰に添加すると、鋼材の硬さが高くなりすぎ、熱間加工性の低下や、切削時の工具寿命の低下などが引き起こされる。
この転がり摺動部材18では、十分な焼入れ性と残留オーステナイト量を得る観点から、鋼材中に含まれるマンガンの含有率は、0.40質量%以上、好ましくは0.45質量%以上、より好ましくは0.50質量%以上である。熱処理前の加工性を十分に得る観点から、マンガンの含有率は、1.50質量%以下、好ましくは1.30質量%以下、より好ましくは1.00質量%以下、さらに好ましくは0.75質量%以下である。
【0034】
クロムは、転がり摺動部材18の製造時における鋼材の焼入れ性を高め、硬さを上昇させるための元素である。クロムは、さらに、オーステナイトを安定化させる元素であるため、その増量によりオーステナイトを容易に増加させることができる。しかしながら、クロムを過剰に添加すると、熱処理前の未固溶炭化物の量が増加し、これが析出核として働くことで、熱処理後に粗大な炭化物が析出し、疲労の起点となるため、転動疲労寿命の低下が引き起こされる。
この転がり摺動部材18では、十分な硬さと残留オーステナイト量を得る観点から、鋼材中に含まれるクロムの含有率は、0.60質量%以上、好ましくは0.90質量%以上、より好ましくは1.10質量%以上である。疲労破壊の起点となりうる粗大な析出物の生成を抑制し、転動疲労寿命の低下を防ぐ観点から、クロムの含有率は、2.00質量%以下、好ましくは1.70質量%以下、より好ましくは1.30質量%以下である。
【0035】
モリブデンは、クロムと同様に鋼材の焼入れ性を高め、オーステナイトを容易に増加させることができる元素である。モリブデンは、また、結晶粒界の炭素の濃化を抑制し、粒界強度を向上させる元素である。しかしながら、モリブデンは、炭素との親和力が非常に強く、モリブデンを過剰に添加すると析出物の粗大化をまねく。
この転がり摺動部材18では、十分な硬さと残留オーステナイト量を得、結晶粒界への炭素の濃化を防ぎ、粒界強度を向上させる観点から、鋼材中に含まれるモリブデンの含有率は、0.10質量%以上、好ましくは0.15質量%以上、より好ましくは0.20質量%以上である。疲労破壊の起点となりうる粗大な析出物の生成を抑制し、転動疲労寿命の低下を防ぐ観点から、モリブデンの含有率は、0.35質量%以下、好ましくは0.30質量%以下、より好ましくは0.28質量%以下である。
【0036】
バナジウムは、炭素と容易に結合するため、非常に硬質な炭化物を析出させ、析出強化により焼入れ後の鋼材の硬さを上昇させる元素である。しかしながら、バナジウムを多量に添加すると、炭化物が過剰に析出し、鋼材への炭素の固溶量が減少するため、残留オーステナイト量が減少する。
この転がり摺動部材18では、析出強化により十分な硬さを得る観点から、鋼材中に含まれるバナジウムの含有率は、0.20質量%以上、好ましくは0.22質量%以上、より好ましくは0.25質量%以上である。炭素の固溶量の低下を防ぎ、残留オーステナイト量を十分に確保する観点から、バナジウムの含有率は、0.40質量%以下、好ましくは0.38質量%以下、より好ましくは0.35質量%以下である。
【0037】
アルミニウムは、鋼を脱酸する元素である。しかしながら、アルミニウムを多量に添加すると、粗大な酸化物系介在物が鋼中に残留して、転がり疲労寿命が低下する。
この転がり摺動部材18では、十分な脱酸の効果を得る観点から、鋼材中に含まれるアルミニウムの含有率は、0.005質量%以上、好ましくは0.008質量%以上、より好ましくは0.010質量%以上である。酸化物系介在物の残留を抑制する観点から、アルミニウムの含有率は、0.100質量%以下、好ましくは0.050質量%以下、より好ましくは0.048質量%以下である。
【0038】
リンは、不可避的不純物である。したがって、鋼材中に含まれるリンの含有率は、できる限り低いほうが好ましい。この観点から、リンの含有率は、好ましくは0.030質量%以下、より好ましくは0.025質量%以下である。
【0039】
硫黄は、不可避的不純物である。したがって、鋼材中に含まれる硫黄の含有率は、できる限り低いほうが好ましい。この観点から、硫黄の含有率は、好ましくは0.030質量%以下、より好ましくは0.025質量%以下である。
【0040】
本発明では、転がり摺動部材18の基体部32、すなわち、外輪4の基体部20、内輪6の基体部24及び転動体8の基体部28のそれぞれは、素形材の組成と同等の組成を有している。この転がり摺動部材18では、基体部32における硬さと残留オーステナイト量とが適切にコントロールされている。この基体部32は、転がり摺動部材18における強度及び靭性の確保に貢献する。
【0041】
本発明では、転がり摺動部材18の表面層34、すなわち、外輪4の表面層22、内輪6の表面層26及び転動体8の表面層30のそれぞれは、前述の素形材に対して、浸炭処理、浸炭窒化処理等の熱処理を施すことにより得られる。この転がり摺動部材18では、この表面層34は、浸炭処理又は浸炭窒化処理を含む熱処理を施すことにより得られる、素形材の浸炭表面硬化物又は浸炭窒化表面硬化物である。この表面層34は浸炭層又は浸炭窒化層からなる。
【0042】
この転がり摺動材では、表面層34のビッカース硬さ(「表面ビッカース硬さ」ともいう。)は、700〜800である。この表面層34は、硬く、しかも十分な靭性を有している。この表面層34は、長い転動疲労寿命に貢献する。特に、転がり軸受2の部材として用いるに十分な硬さを確保する観点から、表面層34のビッカース硬さは700以上、好ましくは720以上である。残留オーステナイト量の低下による転動疲労寿命の低下を抑制する観点から、このビッカース硬さは800以下、好ましくは780以下である。本発明の転がり軸受2では、外輪4、内輪6及び転動体8のそれぞれにおいて、表面層34がかかる範囲の表面ビッカース硬さを有しているので、転がり軸受2として十分な強度が確保される。
本発明においては、ビッカース硬さは、転がり摺動部材18をその表面(すなわち、外輪4の転がり摺動面12、内輪6の転がり摺動面14又は転動体8の転がり摺動面16)から深さ方向に切断して得られる切断面において、表面からの深さが50μmとなる位置にビッカース圧子をあてて測定される。
【0043】
この転がり摺動部材18では、表面層34の残留オーステナイト量(詳細には、転がり摺動部材18の表面から10μmまでの深さ範囲における、残留オーステナイト量)は、25〜50体積%である。この表面層34は、強靭で、しかも十分な硬さを有している。この表面層34は、長い転動疲労寿命の確保に貢献する。特に、転動疲労寿命を十分に確保する観点から、表面層34の残留オーステナイト量は25体積%以上、好ましくは35体積%以上、より好ましくは37体積%以上である。転がり摺動部材18として用いるのに十分な硬さを確保する観点から、表面層34の残留オーステナイト量は50体積%以下、好ましくは45体積%以下である。本発明の転がり軸受2では、外輪4、内輪6及び転動体8のそれぞれにおいて、表面層34がかかる範囲の残留オーステナイト量を有しているので、転がり軸受2として十分に長い転動疲労寿命が確保される。
本発明においては、残留オーステナイト量は、X線回折により、転がり摺動部材18の表面から深さが10μmとなる位置までの、α相(マルテンサイト)とγ相(オーステナイト)との積分強度の比を算出することにより得られる。
【0044】
本発明の転がり摺動部材18では、十分に硬く強靭な表面層34が得られる観点から、表面層34は浸炭層又は浸炭窒化層であるのが好ましい。
【0045】
前述の浸炭処理又は浸炭窒化処理においては、粒界酸化層の形成が促されることが懸念されるが、本発明の転がり摺動部材18では、粒界酸化層の形成が効果的に抑えられている。具体的には、表面層34における粒界酸化層の厚さは、転がり摺動部材18の等価直径を用いて表される、次の式(I):
粒界酸化層の厚さ ≦ 転がり摺動部材18の等価直径 × 1.4×10−3
を満たす。
【0046】
ここで、転がり摺動部材18としての外輪4及び内輪6の等価直径は、リングの内径X、肉厚Y及び幅Zによって特定されるリングの形状係数と、リングの肉厚Yとの積により表される。本発明においては、リングの形状係数には、下記の表1に示された、「British Standards Institute:Method for the Estimation of Equivalent Diameters in the Heat Treatment of Steel」が参照される。
【0047】
【表1】

【0048】
リングの内径X、肉厚Y及び幅Zに関しては、外輪4の場合、図2に示された寸法が採用される。特に、外輪4の内径Xには、軌道が最小となる軌道面上の位置での内径が用いられる。内輪6の場合は、図3に示された寸法が採用される。特に、内輪6の外径ODには、軌道が最大となる軌道面上の位置での外径が用いられる。
【0049】
転がり摺動部材18としての転動体8の等価直径には、「British Standards 5046:1974」に記載の「Equivalent Diameters for Cylinders and discs、oil quenched」に示された、シリンダーの直径と長さとで特定される等価直径が用いられる。転動体8としての円すいころでは、図4に示された円すいころの長さLがシリンダーの長さに対応し、この円すいころの大端径Dがシリンダーの直径に対応する。
【0050】
本発明の転がり摺動部材18は、炭素の含有率が0.30質量%以上である素形材から形成される。この転がり摺動部材18は、従来の転がり摺動部材で広く用いられているSCM鋼や、SNCM鋼に比して、炭素の含有率が相対的に多い鋼材をベースとする。このため、この転がり摺動部材18では、浸炭処理又は浸炭窒化処理に要する時間を短縮しても、硬く、強靭な表面層34が得られる。この転がり摺動部材18では、処理時間を短縮できるので、製造コストの低減を図ることができる。
この転がり摺動部材18では、表面層34が前述のビッカース硬さ及び残留オーステナイト量を有している。この表面層34は、硬くしかも強靭である。この転がり摺動部材18によれば、長い転動疲労寿命が達成される。しかも粒界酸化層は、その厚さが上記式(I)を満たす程度にしか形成されないため、この転がり摺動部材18は良好な耐割損性を有する。この転がり摺動部材18によれば、粒界酸化層は脱落しにくいため、相手部材との間で噛み込みが生じるような異物の形成が抑えられる。この転がり摺動部材18は、製品寿命の向上に貢献できる。
【0051】
この転がり摺動部材18では、製造コストの低減及び製品寿命の向上の観点から、表面層34における粒界酸化層の厚さは、転がり摺動部材18の等価直径を用いて表される、次の式(II):
粒界酸化層の厚さ ≦ 転がり摺動部材18の等価直径 × 1.3×10−3
を満たすことが好ましく、次の式(III):
粒界酸化層の厚さ ≦ 転がり摺動部材18の等価直径 × 1.2×10−3
を満たすことがより好ましい。
【0052】
この転がり摺動部材18では、表面層34の炭素含有率は、好ましくは、0.70〜1.10質量%以下である。十分な表面硬さを確保する観点から、表面層34の炭素含有率は、0.70質量%以上が好ましく、0.75質量%以上がより好ましく、0.80質量%以上がさらに好ましい。粗大な炭窒化物等の残存を抑制する観点から、1.10質量%以下が好ましく、1.05質量%以下がより好ましく、1.00質量%以下がさらに好ましい。なお、本発明において、表面層34の炭素含有率は、表面層34の表面、すなわち、転がり摺動面12から10μmの深さの位置における炭素含有率により表される。
【0053】
この転がり摺動部材18では、表面層34が浸炭窒化層である場合には、十分な表面硬さを確保する観点から、表面層34の窒素含有率は、0.05質量%以上が好ましく、0.10質量%以上がより好ましい。粗大な炭窒化物の残存を抑制する観点から、この表面層34の窒素含有率は、0.80質量%以下が好ましく、0.70質量%以下がより好ましい。なお、表面層34の窒素含有率は、表面層34の表面、すなわち、転がり摺動面12から10μmの深さの位置における窒素含有率で表される。
【0054】
この転がり摺動部材18では、表面層34の組成は、基体部32の組成と同様、ケイ素、マンガン、クロム、モリブデン、バナジウム及びアルミニウムを含んでいる。表面層34における、ケイ素の含有量、マンガンの含有量、クロムの含有量、モリブデンの含有量、バナジウムの含有量及びアルミニウムの含有量は、基体部32におけるそれらと同等である。
【0055】
[転がり摺動部材18の製造方法]
以上説明した転がり摺動部材18は、
(1)炭素0.30〜0.45質量%と、ケイ素0.15〜0.45質量%と、マンガン0.40〜1.50質量%と、クロム0.60〜2.00質量%と、モリブデン0.10〜0.35質量%と、バナジウム0.20〜0.40質量%と、アルミニウム0.005〜0.100質量%とを含有し、残部が鉄及び不可避的不純物である組成を有する鋼材から素形材を得る工程、
(2)カーボンポテンシャルが0.9〜1.4の範囲で設定された雰囲気下で、900〜980℃の温度を保持しつつ前記素形材を加熱して、中間素材を得る工程、
(3)820〜900℃の温度から前記中間素材を冷却することで、前記中間素材に対して焼入れを行なう工程
及び
(4)焼入れされた前記中間素材に対して焼戻しを行なう工程
を含む製造方法によって得られる。以下に、本発明に係る転がり摺動部材18の製造方法に含まれる、各工程について、図5に示された、内輪6の製造方法に基づいて説明する。
【0056】
図5に示されているように、この製造方法では、前述の鋼材から、研磨取代が考慮された転がり摺動面14、内周面36及び端面38を有する、内輪6の素形材W1が得られる(図5(a)の前加工工程)。この素形材W1に対して浸炭処理が施され、中間素材が得られる(図5(b)の浸炭工程)。次いで、この中間素材に対して、焼入れ処理が施される(図5(c)の焼入れ工程)。さらにこの焼入れ後の中間素材に対して、焼戻し処理が施される(図5(d)の焼戻し工程)。そして、焼戻し後の中間素材に対して、仕上げ加工が施される(図5(e)の仕上げ加工工程)。この仕上げ加工工程では、焼戻し後の中間素材において、転がり摺動面14、内周面36及び端面38を形成する部分に対して、研磨仕上げ加工を施すとともに、特に、転がり摺動面14に対しては超仕上げ加工を施すことで、各部分が所定精度に仕上げられる。これにより、製品としての内輪6が得られる。この内輪6において、転がり摺動面14、内周面36及び端面38はいずれも、研磨面である。
【0057】
この製造方法は、前加工工程、浸炭工程、焼入れ工程、焼戻し工程及び仕上げ加工工程を含んでいる。この製造方法では、浸炭工程から焼戻し工程までの一連の工程は、熱処理工程とも称される。以下に、図6に示された温度プロファイルに基づいて、この熱処理工程が詳述される。
【0058】
この製造方法の浸炭工程では、素形材W1が浸炭炉(図示されず)にセットされる。炉内に流入する変成ガス流量の調整により所定のカーボンポテンシャルCPに設定された雰囲気下で、素形材W1が浸炭温度Cで所定時間加熱される。これにより浸炭処理が施され、中間素材が得られる。浸炭温度Cでの加熱が終了すると、炉内が冷却され、温度が焼入れ温度Hに設定される。この焼入れ温度Hで中間素材が所定時間加熱される。この焼入れ温度Hでの加熱が終了すると、中間素材を冷却用の油浴につけて、この中間素材が焼入れ温度Hから油冷によって冷却(急冷)される。これにより、中間素材に対して焼入れ処理が施される。そして、焼入れ後の中間素材に対して、焼戻し処理が施される。この焼戻し処理では、焼入れ後の中間素材が加熱炉(図示されず)に投入される。この加熱炉において、焼戻し温度Tで中間素材が所定時間加熱される。加熱後、この中間素材が空冷され、焼戻し処理が完了する。なお、この図6に示された熱処理の温度プロファイルにおいては、浸炭温度Cでの加熱時間は「浸炭時間Tc」と称され、素形材W1の温度が浸炭温度Cに到達してからこの浸炭温度Cで保持されている時間で表わされる。焼入れ温度Hでの加熱時間は「保持時間Th」と称され、中間素材の温度が焼入れ温度Hに到達してからこの焼入れ温度Hで保持されている時間で表わされる。そして、焼戻し温度Tでの加熱時間は「均熱時間T」と称され、焼入れ後の中間素材の温度が焼戻し温度Tに到達してからこの焼戻し温度Tで保持されている時間で表わされる。なお、この製造方法では、焼入れ処理における、油冷のための油浴の温度は、70〜90℃の範囲に設定される。
【0059】
この製造方法では、前述の通り、浸炭工程におけるカーボンポテンシャルCPは、0.9〜1.4の範囲で調整される。この製造方法では、素形材の表面に十分な量の炭素を侵入させ、浸炭部品として要求される硬さと、耐割損性を向上させるために必要な残留オーステナイト量を確保する観点から、カーボンポテンシャルCPは0.9以上、好ましくは1.0以上である。転がり摺動部材18の表面における過剰な残留オーステナイトの生成と、粒界酸化層の進展とを抑制する観点から、カーボンポテンシャルCPは1.4以下、好ましくは1.3以下、より好ましくは1.2以下である。
【0060】
この製造方法では、前述の通り、浸炭工程における浸炭温度Cは900〜980℃の範囲で設定される。この製造方法では、炭素の十分な拡散速度を確保して浸炭時間の増大を防ぎ、粒界酸化層の進展を抑制する観点から、浸炭温度Cは900℃以上、好ましくは910℃以上である。結晶粒の粗大化を防止し、粒界強度の低下を抑制する観点から、この浸炭温度Cは980℃以下、好ましくは970℃以下である。
【0061】
この製造方法では、前述の通り、焼入れ工程における焼入れ温度Hは、820〜900℃の範囲で設定される。この製造方法では、十分な量の炭素を固溶させ、粗大な炭化物の析出を抑制し、所定の残留オーステナイト量を確保する観点から、焼入れ温度Hは820℃以上、好ましくは830℃以上である。析出強化による硬さの向上に必要なバナジウム炭化物を析出させると同時に、表面の過剰な残留オーステナイトの生成を抑制する観点から、焼入れ温度Hは900℃以下、好ましくは890℃以下である。
【0062】
以上の説明から明らかなように、本発明の転がり摺動部材18の製造方法では、炭素の含有率が相対的に多い鋼材をベースとする素形材に対してカーボンポテンシャルCPが調整された雰囲気下で加熱を行ない、この加熱により得られる中間素材に対して焼入れ及び焼戻しが施される。このため、本発明の製造方法では、従来の製造方法に比べて、短い処理時間で、所望の表面層34が得られる。言い換えれば、表面層34の形成に要する時間の短縮を図ることができる。この製造方法では、製造コストの低減を図ることができる。さらに、処理時間の短縮は粒界酸化層の形成を抑えるので、この製造方法によれば、耐割損性に優れる転がり摺動部材18を得ることができる。この製造方法で得られる転がり摺動部材18によれば、粒界酸化層は脱落しにくいため、相手部材との間で噛み込みが生じるような異物の形成が抑えられる。この転がり摺動部材18は、製品寿命の向上にも貢献できる。
【0063】
この製造方法では、浸炭工程における浸炭時間Tcは長いほど炭素が鋼材中に拡散するため、必要に応じて長くすることができる。炭素の含有量が相対的に高い鋼材をベースとするため、製品寿命を適切に確保しつつ、浸炭時間を短縮でき、製造コストの低減を図ることが可能である。
【0064】
この製造方法では、焼入れ工程における保持時間Thは製品全体が所定の焼入れ温度になるように決定される。製品のサイズが大きいほど、保持時間Thを長くすることができる。
【0065】
この製造方法では、焼戻し工程における焼戻し温度T及び均熱時間Ttは、転がり摺動部材18の硬さと靭性とのバランス、さらには製造コストが考慮され、適宜設定される。具体的には、焼戻し温度Tは、好ましくは、150〜200℃の範囲で設定される。均熱時間Ttは、好ましくは、1〜5時間の範囲で設定される。
【0066】
前述したように、この転がり摺動部材18では、表面層34として浸炭窒化層を形成することができる。表面層34として浸炭窒化層を形成する場合には、前述の浸炭工程が浸炭窒化工程に置き換えられる。この浸炭窒化工程では、素形材W1が浸炭炉にセットされる。カーボンポテンシャルCP及び変成ガス流量に対するアンモニアガス流量の比率が調整され、この雰囲気下で素形材W1が浸炭窒化温度で所定時間加熱される。これにより、浸炭窒化処理が施された中間素材が得られる。なお、この浸炭窒化工程では、変成ガス流量に対するアンモニアガス流量の比率は1〜10%の範囲で設定される。カーボンポテンシャルCPは、1.0〜1.5の範囲で設定される。浸炭窒化温度は、820〜980℃の範囲で設定される。浸炭窒化時間は、必要に応じて長くすることができる。
【0067】
本発明の製造方法では、熱処理工程が二次焼入れ工程を含んでもよい。言い換えれば、前述の焼入れ工程が、一次焼入れ工程と二次焼入れ工程とで構成されてもよい。以下に、二次焼入れ工程を含む熱処理工程が、図7に示された温度プロファイルに基づいて説明される。
【0068】
この熱処理工程では、前述の熱処理工程と同様に、素形材に対して浸炭処理が施され、中間素材が得られる。この中間素材に対して、一次焼入れ処理が施される。この一次焼入れ処理では、冷却により、温度が浸炭温度Cから、前述の熱処理工程における焼入れ温度Hに相当する一次焼入れ温度H1に設定される。この熱処理工程では、温度が一次焼入れ温度H1に到達すると同時に、中間素材を油浴につけて、この中間素材が一次焼入れ温度H1から油冷によって冷却(急冷)される。したがって、この熱処理工程では、前述の熱処理工程における保持時間Thは設定されない。この熱処理工程では、一次焼入れ後の中間素材に対して、二次焼入れ処理が施される。二次焼入れ処理では、一次焼入れ後の中間素材が加熱炉に投入される。この加熱炉において、一次焼入れ後の中間素材が二次焼入れ温度H2で所定時間加熱される。加熱後、中間素材を油浴につけて、この中間素材が二次焼入れ温度H2から油冷によって冷却(急冷)される。そして、この二次焼入れ後の中間素材に対して、前述の熱処理工程と同様に、焼戻し処理が施される。これにより、この熱処理工程は完了する。
【0069】
この熱処理工程において、一次焼入れ温度H1、二次焼入れ温度H2及びこの二次焼入れ温度H2での保持時間Th2は、転がり摺動部材18の硬さと靭性とのバランス、さらには製造コストが考慮され、適宜設定される。具体的には、一次焼入れ温度H1は、好ましくは、820〜900℃の範囲で設定される。二次焼入れ温度H2は、820〜900℃の範囲で設定される。二次焼入れ温度H2での保持時間Th2は、製品全体が所定の焼入れ温度になるように決定される。製品のサイズが大きいほど、保持時間Th2を長くすることができる。
【0070】
二次焼入れ工程を含む製造方法においても、前述の製造方法と同様、短い処理時間で、所望の表面層34を有する転がり摺動部材18が得られる。二次焼入れ工程が追加されているとはいえ、この製造方法においても、製造コストの低減を図ることができる。さらに、処理時間の短縮は粒界酸化層の形成を抑えるので、この製造方法で得られる転がり摺動部材18においても、製品寿命の向上が達成される。
【実施例】
【0071】
以下、実施例などにより、本発明をさらに詳細に説明するが、本発明は、かかる実施例のみに限定されるものではない。
【0072】
[素形材の準備]
下記の表2に示された4種類の鋼材(鋼材A、鋼材B、鋼材C及び鋼材D)を準備し、円すいころ軸受(軸受呼び番号:TRA0607)用の内輪の素形材を製造した。鋼材B−Dにおける鋼材中に含まれる炭素の含有率は0.30質量%よりも低い。これに対して、鋼材Aでは、鋼材中に含まれる炭素の含有率は0.30質量%よりも高い。鋼材Cの組成には、バナジウムが含有されていない。鋼材Dの組成には、モリブデン及びバナジウムが含有されていない。表2において、Cは炭素であり、Siはケイ素であり、Mnはマンガンであり、Pはリンであり、Sは硫黄であり、Cuは銅であり、Niはニッケルであり、Crはクロムであり、Moはモリブデンであり、Vはバナジウムであり、そして、Alはアルミニウムである。
【0073】
【表2】

【0074】
[内輪の製作]
下記の表3に示された熱処理を施した後、仕上げ加工を施して、実施例1−5及び比較例1−5の内輪(試験片)を得た。
【0075】
【表3】

【0076】
[実施例1]
実施例1では、鋼材Aからなる素形材に対して、図6に示された温度プロファイルで、浸炭、焼入れ及び焼戻しが施された。表3に示されているように、浸炭工程では、浸炭温度Cは930℃、浸炭時間Tcは10時間、カーボンポテンシャルCPは0.9に設定された。焼入れ工程では、焼入れ温度Hは870℃、焼入れ温度Hでの保持時間Thは0.5時間に設定された。焼戻し工程では、焼戻し温度Tは180℃、均熱時間Ttは2時間に設定された。この実施例1では、二次焼入れは実施されていない。
【0077】
[実施例2−5及び比較例1−2]
カーボンポテンシャルCPを上記の表3に示された通りとした他は、実施例1と同様にして、実施例2−5及び比較例1−2の内輪を得た。
【0078】
[比較例3]
比較例3では、鋼材Bからなる素形材に対して、図7に示された温度プロファイルで、浸炭、一次焼入れ、二次焼入れ及び焼戻しが施された。表3に示されているように、浸炭工程では、浸炭温度Cは930℃、浸炭時間Tcは15.5時間、カーボンポテンシャルCPは1.3に設定された。一次焼入れ工程では、一次焼入れ温度H1は870℃に設定された。二次焼入れ工程では、二次焼入れ温度H2は870℃、二次焼入れ温度H2での保持時間Th2は1時間に設定された。焼戻し工程では、焼戻し温度Tは180℃、均熱時間Ttは2時間に設定された。
【0079】
[比較例4]
比較例4では、鋼材Cからなる素形材に対して、図7に示された温度プロファイルで、浸炭、一次焼入れ、二次焼入れ及び焼戻しが施された。表3に示されているように、浸炭工程では、浸炭温度Cは960℃、浸炭時間Tcは15.5時間、カーボンポテンシャルCPは1.45に設定された。一次焼入れ工程では、一次焼入れ温度H1は880℃に設定された。二次焼入れ工程では、二次焼入れ温度H2は810℃、二次焼入れ温度H2での保持時間Th2は1時間に設定された。焼戻し工程では、焼戻し温度Tは180℃、均熱時間Ttは2時間に設定された。
【0080】
[比較例5]
比較例5では、鋼材Dからなる素形材に対して、図7に示された温度プロファイルで、浸炭、一次焼入れ、二次焼入れ及び焼戻しが施された。表3に示されているように、浸炭工程では、浸炭温度Cは960℃、浸炭時間Tcは15.5時間、カーボンポテンシャルCPは1.45に設定された。一次焼入れ工程では、一次焼入れ温度H1は880℃に設定された。二次焼入れ工程では、二次焼入れ温度H2は850℃、二次焼入れ温度H2での保持時間Th2は1時間に設定された。焼戻し工程では、焼戻し温度Tは180℃、均熱時間Ttは2時間に設定された。
【0081】
[試験片の評価]
[等価直径]
各試験片の等価直径を設定した。この等価直径の設定では、円すいころ軸受(軸受呼び番号:TRA0607)用の内輪を試験片に用いているので、内径Xは30.00mm、肉厚Yは6.63mm、そして幅Zは19.00mmとして、前述の表1に基づいてリングの形状係数(1.48)を得た。このリングの形状係数と肉厚Yとの積が9.8なので、この試験片の評価では、等価直径を10mmとし、前述の式(I)に基づく、粒界酸化層厚さの上限基準は14μmに設定された。
【0082】
[ビッカース硬さ及び残留オーステナイト量]
実施例1−5及び比較例1−5の各試験片について、ビッカース硬さ及び残留オーステナイト量を計測した。この結果が、下記の表4に示されている。
【0083】
[粒界酸化層厚さ]
実施例1−5及び比較例1−5の各試験片について、転がり摺動面から深さ方向に切断して切断面を得、この切断面に対してナイタール処理を行った。この切断面を金属顕微鏡で観察し、転がり摺動面から最も深い位置までの長さ、すなわち、粒界酸化層の表面から底までの長さを計測した。この計測値が、粒界酸化層厚さとして、下記の表4に示されている。なお、この粒界酸化層の観察例として、実施例3の観察写真が図9に、比較例3の観察写真が図10に示されている。
【0084】
[内輪大鍔圧壊荷重]
実施例1−5及び比較例1−5の各試験片について、図8に示された測定冶具40をアムスラー式の圧縮試験機(250kN)にセットして、内輪大鍔圧壊荷重を計測した。この結果が、下記の表4に示されている。なお、測定冶具40は、サポートリング42と押圧ピストン44とを備えている。圧壊荷重の計測では、図8に示されているように、試験片である内輪6を押圧ピストン44とサポートリング42とで挟み込み、圧縮試験機のクロスヘッド46で押圧ピストンを押すことで、内輪6に荷重が負荷された。なお、この計測では、負荷速度は100kgf/secに設定された。
【0085】
【表4】

【0086】
[比較例1−5について]
表4に示されているように、実施例1−5と同じ鋼材Aを用い、カーボンポテンシャルCPを1.5に設定して熱処理工程を実施した比較例1では、ビッカース硬さ及び残留オーステナイト量が実施例1−5と同等のレベルにあるにもかかわらず、粒界酸化層の厚さは粒界酸化層厚さの上限基準(14μm)よりも大きく、しかも、内輪大鍔圧壊荷重が実施例1−5よりも低い。
鋼材Aを用い、カーボンポテンシャルCPを0.8に設定して熱処理工程を実施した比較例2では、粒界酸化層の厚さが2μmと粒界酸化層の形成が抑えられているにもかかわらず、ビッカース硬さ及び残留オーステナイト量は実施例1−5よりも小さい。この比較例2では、内輪大鍔圧壊荷重が低いと想定できたため、圧壊荷重は計測されていない。
鋼材中に含まれる炭素含有率が鋼材Aよりも低い、鋼材B−Dを用いた、比較例3−5では、ビッカース硬さ及び残留オーステナイト量は実施例1−5と同等である。しかし、この比較例3−5は、表面層の形成のために相対的に高いカーボンポテンシャルが設定されているが、実施例1−5よりも長い浸炭時間を要している。粒界酸化層の厚さは粒界酸化層厚さの上限基準(14μm)よりも大きく、比較例3−5の圧壊荷重は実施例1−5の圧壊荷重よりも低い。
【0087】
[実施例1−5について]
比較例1−5に対して、実施例1−5では、ビッカース硬さが727.3−775.3(HV)であり、これらの残留オーステナイト量は26〜35(%)であった。この実施例1−5では、転がり軸受の用途で要求される、表面層の硬さ及び靭性が十分に確保されている。さらに、粒界酸化層の厚さは2〜12μmであり、粒界酸化層厚さの上限基準(14μm)よりも小さい。つまり、実施例1−5では、粒界酸化層の形成が抑えられている。さらに実施例1−5では、内輪大鍔圧壊荷重が、比較例1−5の内輪大鍔圧壊荷重よりも相対的に高く、耐割損性に優れ、製品寿命の向上に貢献できる内輪(転がり摺動部材)が形成されていることがわかる。しかも実施例1−5の浸炭時間は比較例3−5のそれよりも短く、実施例1−5は製造コストの低減にも貢献できることがわかる。
【0088】
以上の結果から明らかなように、実施例の転がり摺動部材は、比較例の摺動部材に比べて評価が高い。この評価結果から、本発明の優位性は明らかである。
【産業上の利用可能性】
【0089】
以上説明された転がり摺動部材及びその製造方法は、熱処理後に仕上げ加工を施さない箇所が存在する、歯車やシャフト等の機械部品にも適用されうる。
【符号の説明】
【0090】
2:転がり軸受、4:外輪、6:内輪、8:転動体、10:保持器、12:外輪4の転がり摺動面、14:内輪6の転がり摺動面、16:転動体8の転がり摺動面、18:転がり摺動部材、20:外輪4の基体部、22:外輪4の表面層、24:内輪6の基体部、26:内輪6の表面層、28:転動体8の基体部、30:転動体8の表面層、32:転がり摺動部材18の基体部、34:転がり摺動部材18の表面層
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7
図8
図9
図10