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特開2022-118907インダクター素子およびそれを含む機器
(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2022118907
(43)【公開日】2022-08-16
(54)【発明の名称】インダクター素子およびそれを含む機器
(51)【国際特許分類】
   H01F 17/00 20060101AFI20220808BHJP
   H01F 10/12 20060101ALI20220808BHJP
   H01F 1/00 20060101ALI20220808BHJP
   H01L 29/82 20060101ALI20220808BHJP
【FI】
H01F17/00 Z
H01F10/12
H01F1/00
H01L29/82 Z
【審査請求】未請求
【請求項の数】4
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2021015731
(22)【出願日】2021-02-03
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成30年度、国立研究開発法人科学技術振興機構、事業名:「戦略的研究推進事業(CREST)」における、研究領域:「[量子技術]量子状態の高度な制御に基づく革新的量子技術基盤の創出」に関する、課題:「ナノスピン構造を用いた電子量子位相制御」に係る委託研究。産業技術力強化法第17条の適用を受ける特許出願
(71)【出願人】
【識別番号】503359821
【氏名又は名称】国立研究開発法人理化学研究所
(74)【代理人】
【識別番号】100130960
【弁理士】
【氏名又は名称】岡本 正之
(72)【発明者】
【氏名】北折 曉
(72)【発明者】
【氏名】藤代 有絵子
(72)【発明者】
【氏名】金澤 直也
(72)【発明者】
【氏名】賀川 史敬
(72)【発明者】
【氏名】十倉 好紀
(72)【発明者】
【氏名】永長 直人
(72)【発明者】
【氏名】川▲崎▼ 雅司
(72)【発明者】
【氏名】金子 良夫
【テーマコード(参考)】
5E040
5E049
5E070
5F092
【Fターム(参考)】
5E040AA20
5E040CA20
5E049AA10
5E049BA30
5E070AA01
5E070BA01
5E070CA01
5E070CA20
5F092AA12
5F092AB10
5F092AC21
5F092BD05
5F092BE01
5F092GA01
(57)【要約】      (修正有)
【課題】電子のスピンの自由度を利用した小型化が容易なインダクター素子の実用性を高めることができ、実用性の高い電子機器を提供する。
【解決手段】インダクター素子10は、ある方向にたどったときに非共線スピン構造をもつように秩序スピンが空間的に配向している金属媒体2を備えている。金属媒体は、組成式RMnで与えられる。ここで、RはMg、Sc、Y、Zr、Gd、Tb、Dy、Ho、Er、Tm、Lu、およびHfからなる群から選択される少なくとも一つの元素、XはSn、Geからなる群から選択される少なくとも一つの元素である。
【選択図】図3
【特許請求の範囲】
【請求項1】
ある方向にたどったときに非共線スピン構造をもつように秩序スピンが空間的に配向している組成式RMnで与えられる金属媒体を備え、ここで、
RはMg、Sc、Y、Zr、Gd、Tb、Dy、Ho、Er、Tm、Lu、およびHfからなる群から選択される少なくとも一つの元素、
XはSn、Geからなる群から選択される少なくとも一つの元素であり、
電流が該方向の射影成分をもつように該金属媒体を流されるインダクター素子。
【請求項2】
前記RはYであり、前記XはSnである、請求項1に記載のインダクター素子。
【請求項3】
前記金属媒体が負のインダクタンスを示すものである、請求項1に記載のインダクター素子。
【請求項4】
請求項1~3のいずれか1項に記載のインダクター素子を含む機器。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本開示はインダクター素子およびそれを含む機器に関する。さらに詳細には本開示は、電子のスピン構造を利用した実用性の高いインダクター素子およびそれを含む機器に関する。
【背景技術】
【0002】
基本電子素子のうち、印加される電圧と電流との間に線形的な関係をもたらす電気回路の受動素子は、一般にR(抵抗)、C(電気容量)、L(インダクタンス)の各素子である。各素子の物理的作用は、電流に付随する熱の生成(R)、電荷によるエネルギー蓄積(C)、磁場によるエネルギー蓄積(L)というものである。この中で特にインダクタンスLを担う素子(インダクター素子)は小型化が遅れている。例えば、最小のサイズと高いインダクタンス値を示す製品は、0.6×0.3×0.3mmのサイズをもち、L=130nH~270nH程度のインダクタンス値を実現している。
【0003】
他方、主要な動作原理として電荷量の多寡を利用している従来の基本電子素子とは異なる動作原理をもち、電荷量に加え主に電子のスピンに基づく物理現象も発見され、受動素子、能動素子、記憶などへの適用が試みられている。このような分野は、スピントロニクスとも呼ばれており、近時その進展が著しい。
【0004】
本発明者を含むグループでは、非共線スピン構造をもつように秩序スピンが空間的に配向している金属媒体を備えるインダクター素子を創出している(特許文献1)。そのインダクター素子では、金属媒体の非共線スピン構造とよぶ磁気秩序を利用しており、電流が非共線となる方向の射影成分をもつように金属媒体を流されることにより、インダクター素子の電気的機能が実現する。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【特許文献1】国際公開第2020/027268号
【非特許文献】
【0006】
【非特許文献1】株式会社村田製作所(Murata Manufacturing Co., Ltd.)LQP03TN_02 series webpage, [online] last retrieved: January 28, 2021, URL; https://www.murata.com/en-global/products/emiconfun/inductor/2014/02/27/en-20140227-p1
【非特許文献2】T. Yokouchi et al., "Emergent electromagnetic induction in a helical-spin magnet", Nature 586, 232 (2020), DOI: 10.1038/s41586-020-2775-x
【非特許文献3】Nirmal J. Ghimire et al., "Competing magnetic phases and fluctuation-driven scalar spin chirality in the kagome metal YMn6Sn6", Science Advances, Vol. 6, no. 51, eabe2680 (2020), DOI: 10.1126/sciadv.abe2680
【非特許文献4】G. Venturini et al., "Incommensurate magnetic structures of RMn6Sn6(R = Sc, Y, Lu) compounds from neutron diffraction study", Journal of Alloys and Compounds 236 (1996) 102-110 DOI: 10.1016/0925-8388(95)01998-7
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
種々の電子機器の小型化が進展する中、各種電子回路素子の小型化に対する要請も弱まる気配がない。インダクター素子は、従来のものではインダクタンス値を高めるには体積の増大を伴う。これに対し特許文献1に開示されるインダクター素子は、小型化を実現しうる動作原理をもつ有望なものといえる。しかしながら、その動作原理の下で実用性の高いインダクター素子を作製するための材料が限られている。
【0008】
本開示は上記問題の少なくともいずれかを解決することを課題とする。本開示は、伝導電子が電子のスピン構造との間で示す量子現象を利用するインダクター素子の動作原理に適する新規な材料を提供することにより、インダクター素子を採用する電子回路やそれを含む機器の小型化および高密度化に貢献するものである。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者は、電子のスピンの自由度を利用したインダクター素子の原理に基づいて動作する新規な材料を見いだし、本開示を完成させた。
【0010】
すなわち、本開示のある態様においては、ある方向にたどったときに非共線スピン構造をもつように秩序スピンが空間的に配向している組成式RMnで与えられる金属媒体を備え、ここで、RはMg、Sc、Y、Zr、Gd、Tb、Dy、Ho、Er、Tm、Lu、およびHfからなる群から選択される少なくとも一つの元素、XはSn、Geからなる群から選択される少なくとも一つの元素であり、電流が該方向の射影成分をもつように該金属媒体を流されるインダクター素子、およびそれを含む電子機器が提供される。
【0011】
以下特に断りのない場合、インダクター素子は、リアクタンス素子、リアクトルなどとも呼ばれる素子や装置を含む。また、出願書面の表記上の制約から、文中にて変数を示すアルファベットに「ベクトル」の用語を付すことにより、アルファベット上方に矢印を表示することに代えることがある。同様に表記上の制約から、文中にてh-barと記して、h-barはプランク定数hを2πで割った値を意味することがある。さらに同様に表記上の制約から、定数と変数のうち変数を斜体で表示して区別するといった学術上の慣用についても、文字列では表現せず、埋め込まれたイメージでのみ表現されている。これらの表記上の制約による慣用との不一致や、書面中での見かけ上の不一致は、表記上の制約に起因している以上、本開示の開示や権利範囲の解釈に影響すべきものではない。
【発明の効果】
【0012】
本開示のある態様では、電子のスピンの自由度を利用した小型化が容易なインダクター素子の実用性を高めることができ、実用性の高い電子機器が提供される。
【図面の簡単な説明】
【0013】
図1図1は従来のインダクター素子の動作原理を説明するための説明図である。
図2A-B】図2A、Bは、本開示の実施形態にて提案されるらせん構造のスピン構造を例示する説明図であり、電流を流す前のスピンの配置(図2A)、伝導電子との相互作用の結果生じるスピンの面直方向への起き上がりの様子(図2B)をそれぞれ示す。
図3図3は、本開示の実施形態のインダクター素子の構成例を示す構成図である。
図4図4は、本開示の実施形態における非共線スピン構造の典型例を示す説明図であり、らせん構造、強磁性スパイラル(ferromagnetic spiral)、傾斜らせん(skewed spiral)、反強磁性スパイラル(anti-ferromagnetic skewed spiral)を示す。
図5図5は、本開示の実施形態におけるインダクター素子のサンプルのSEM(走査型電子顕微鏡)像である。
図6A-B】図6A、Bはインダクター素子サンプル110の300Kでの測定結果を示すグラフであり、外部磁場に対する電気抵抗率虚部Im(ρ)の依存性(図6A)および外部磁場がない場合のインダクタンスの周波数依存性(図6B)である。
図7図7は、本開示の実施形態におけるインダクター素子のサンプルにおいて温度を変化させて測定したインダクタンスの周波数特性のグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0014】
以下図面を参照し、本開示に係るインダクター素子の実施形態を説明する。全図を通じ当該説明に際し特に言及がない限り、共通する部分または要素には共通する参照符号が付される。また、図中、各実施形態の要素のそれぞれは、必ずしも互いの縮尺比を保って示されてはいない。
【0015】
1.従来のインダクター素子と非共線スピン構造をもつインダクター素子
図1は、従来のインダクター素子の動作原理を説明するための説明図である。図2A、Bは、本実施形態にて提案される非共線構造の一つであるらせん構造のスピン構造を例示する説明図であり、図2Aは電流を流す前の秩序スピンの配置を示しており、図2Bは、秩序スピンのz軸方向(面直方向)への起き上がりを示している。図3は、本実施形態のインダクター素子の構成例を示す構成図である。
【0016】
図1に示すように、従来のインダクター素子の最も典型的なインダクター素子はコイルである。そのインダクタンスLは、
【数1】
により与えられる。ここで、Nは巻き数、lはコイルの長さである。従来のインダクター素子では、中心に鉄心などの大きな透磁率μをもつ物質を配置して磁束密度B=μHを増大させ、巻き数Nによって大きなインダクタンスを得ることができる。回路の微細化に伴い断面積Sやlが微小であっても十分に大きなインダクタンスLを得ることが要求されている。しかし、式(1)の最右辺に表れているように、単位長さ当たりの巻き数nが一定である場合、インダクタンスLはインダクター素子の体積lSに比例して小さくなってしまう。上述したように、製品化されている最小のサイズと高いインダクタンス値を示すものは、例えば、L=130nH~270nH程度のインダクタンス値を得るために0.6×0.3×0.3mmのサイズを占める(非特許文献1)。従来の原理に基づく限り、さらなる微細化は困難である。
【0017】
これに対し、図2Aに示すように、本実施形態の非共線スピン構造をもつインダクター素子では、秩序化した電子のスピン(秩序スピン, ordered spin)の配列すなわちスピン構造が利用される。秩序スピンは、例えば図示しない格子点(原子など)に位置が固定されている。ある時刻において、各位置の秩序スピンはある平面(xy平面)の面内を向いており、その向きを、当該平面に垂直な向き(z軸の向き)にたどると、その距離に比例してxy平面内で回転する。スピン構造を取りうる秩序スピンは、典型的には局在している電子のスピン(局在スピン)や、伝導電子自体が磁気秩序を作る場合の伝導電子のスピンであり、局所的な磁気モーメントを与える。一般にスピン構造は、平行(parallel)スピン構造を取る場合や、反平行(anti-parallel)スピン構造を取る場合がある。平行スピン構造、反平行スピン構造は、それぞれが強磁性秩序、反強磁性秩序の起源となり、ともに空間的に一様なものである。平行スピン構造や反平行スピン構造のように、空間的に一様であり平行か反平行かである構造は共線スピン構造(collinear spin structure)とも呼ばれている。これに対し、近くのスピン同士が平行でも反平行でもないような傾いたスピン構造が物質中で実現することも知れられており、非共線スピン構造(non-collinear spin structure)と呼ばれている。本実施形態のインダクター素子の動作には、この非共線スピン構造が関わっている。
【0018】
図2Aの秩序スピンは、例えば図示しない格子点(原子など)に位置が固定されている。ある時刻において、各位置の秩序スピンはある平面(xy平面)の面内を向いており、その向きを、当該平面に垂直な向き(z軸の向き)にたどると、その距離に比例してxy平面内で回転する。このらせん軸の向きに位置的な周期2λでスピンの向きが一周するとき、らせん構造の波数QがQ=2π/(2λ)と決定できる。なお、半回転分のλは、スピンが反転するのに要する距離であり、強磁性秩序において隣り合う2つの磁区を仕切る磁壁の厚みに対応している。本発明者は、らせん軸の向きであるz軸方向に時間的に変動する交流電流を流す配置において、創発電場により電圧降下が効率良く生じることを見出した。そのような電流を流すと、伝導電子との相互作用によりそれ自体にも変形が生じる。この典型が、図2Bに示す伝導電子との相互作用の結果生じるスピン構造の変形であり、具体的には秩序スピンのz軸方向(面直方向)への起き上がりである。従前のインダクター素子では磁場エネルギーとしてエネルギーを蓄積する作用が電圧降下(式(1))となって現われていたのに対し、本実施形態のインダクター素子では、らせん構造の局在スピンの起き上がりの変形がエネルギーの蓄積を担う。その際に、そのエネルギー蓄積の原因となった電流を担っている伝導電子は、創発電場による電圧降下を検知するのである。
【0019】
図3に示すインダクター素子10は、内部に非共線スピン構造を備える金属媒体2を備えている。スピン構造がらせん構造であれば、最も典型的には、そのらせん構造の波数Qの方向であるz軸(図2A)にそって電流が導かれるように、金属媒体2の外形はz軸にそって延びるようになっている。金属媒体2には電流Iがその延びる向きに向かって流される。これにより、らせん構造(より一般には非共線スピン構造)の秩序スピンに対し、電流Iが創発電場を生じさせ、電流Iを担う伝導電子がそれを検知することとなる。電流Iの方向は、より一般には、非共線スピン構造によって電流から創発電場を生成できる任意の向きである。例えば、ある方向(図3においてz軸方向)にたどったときに局在スピンが非共線スピン構造をもつように空間的に配向しているものでは、金属媒体2の外形は、そこを流れる電流が非共線スピン構造を与えるz軸の方向に射影した成分をもつように形成される。図3には、例示として、図2に示したらせん構造の非共線スピン構造をもつような金属媒体2を採用したインダクター素子10の構成を描いており、図2に示したスピンの向きを示す矢印は示していないが、スピンが含まれている円盤4の表現を描いている。金属媒体2は少なくとも局所的には断面積Sと長さlをもっておりこの断面積を横切るように長さlにわたって電流Iが流される。インダクター素子10は一般には電気回路に接続されるため、電流Iはその電気回路がインダクター素子10に流す電流である。なお、図3では金属媒体2は直方体に描いているが、非共線スピン構造との上記関係が満たされる限り任意の形状や形態を取ることができ、例えば薄膜、フィルム、配線とすることができ、他の任意のパターンや外形形状をもちうる。
【0020】
本発明者は、伝導電子とスピン構造が相互作用することによってスピン構造にどの程度の変形が生じるかを見積もることより、インダクター素子10が持ちうるインダクタンスを算出した(特許文献1)。その結果、
【数2】
との関係を見いだした。ただし、h-barはプランク定数を2πで割った値、lは長さ、eは電荷素量、λはスピンの向きが一周する周期の1/2、Sは断面積である。つまり、インダクター素子のインダクタンスLの値は、
【数3】
となって、従来と全く異なるサイズに関するスケーリング則を示す。断面積Sに対するインダクタンス値の依存性をみると、従来は式(1)に示したようにLがSに比例しているのに対し、本実施形態のインダクター素子では式(3)に表れているようにLがSに反比例している。つまり、本実施形態の原理で動作するインダクター素子は、断面積Sを小さくすることでLを増大できる、という素子の微細化に対し極めて好ましい性質を生まれながらに備えている。この性質は、らせん構造のみならず、他の非共線スピン構造においても同様である。
【0021】
2.非共線スピン構造をもつ材料群
本実施形態のインダクター素子10を実現しうる材質として、本発明者はすでにGdRuAl12が有力であることを開示している(非特許文献2)。ただし、その動作温度範囲は20K未満であり、より実用的な温度範囲においてインダクター素子10に採用しうる金属媒体2が求められている。
【0022】
本実施形態では、一般に、非共線スピン構造をとる物質を採用することができる。非共線スピン構造は、ジャロシンスキー・守谷相互作用に代表されるスピン軌道相互作用によって強磁性秩序から変調を生じた局在スピンのスピン構造で、例えばらせん構造など上述したものから選択される。このような物質は、典型的には遷移金属を含む合金から選択できる。スピン軌道相互作用とは別の生成メカニズムであるRKKY相互作用の結果として局在スピン間に非共線スピン構造を実現する物質も採用する事ができる。さらに、非共線スピン構造は、磁気的フラストレーションによっても局在スピン間に実現され、そのような物質群からも本実施形態のインダクター素子に適する材質を選択することができる。
【0023】
そこで本発明者は非共線スピン構造を持ちうる材料を鋭意探索し、GdRuAl12に加え、マンガン化合物、組成式RMnで与えられる金属媒体がインダクター素子100のための金属媒体2として有望であることを見いだした。ただし、RはMg(マグネシウム)、Sc(スカンジウム)、Y(イットリウム)、Zr(ジルコニウム)、Gd(ガドリニウム)、Tb(テルビウム)、Dy(ジスプロシウム)、Ho(ホルミウム)、Er(エルビウム)、Tm(ツリウム)、Lu(ルテチウム)、およびHf(ハウニウム)からなる群から選択される少なくとも一つの元素、XはSn(スズ)、Ge(ゲルマニウム)からなる群から選択される少なくとも一つの元素である。表1に、これらの組成式を示す。また、表2に、各材料についての典型的なスピン構造を示している。ただし、表2に示すスピン構造は、外部磁場が0で、それぞれが異なる温度での典型的な磁気秩序を示した、非限定的なものである。例えばコリニア(collinear)と記しているものでも、非共線スピン構造を別の条件で取る場合がある。
【表1】
【表2】
【0024】
また、図4は、本実施形態における非共線スピン構造の典型例を示す説明図であり、典型的ならせん構造、強磁性スパイラル(ferromagnetic spiral)、傾斜らせん(skewed spiral)、反強磁性スパイラル(anti-ferromagnetic skewed spiral)を示す。ここでは、典型的な材料における結晶軸(a軸、b軸、c軸)のうち、c軸に関して非共線スピン構造を取る場合のスピンの配向が矢印により示されている。これら以外にも、distorted spiral、サイクロイダル構造、ファン構造といった各種の非共線スピン構造が報告されており、いずれも本実施形態のインダクター素子のために採用することができる。
【0025】
3.実施例
本実施形態の実施例として、上述の材料群のうち、特にYMnSnについて、インダクタンス特性に対応する性質を調査した。なお、YMnSnは組成式RMnにおいて、RをY、XをSnとするものである。
【0026】
YMnSnは調査されており、空間群P6/mmmの対称性を持つ結晶構造つまりMgFeGeタイプの結晶構造をもち、磁性元素であるMnがカゴメ格子をなしている(非特許文献3)。また、非特許文献3には、外部磁場、温度に関するYMnSnの磁気秩序(スピン構造)の相図も報告されており、インダクター素子のために利用するほぼゼロの外部磁場において、高い温度(333K、つまり約60℃)程度のネール温度Tを持ちうることも示唆されている。なお、ゼロ付近の外部磁場において、YMnSnはdistorted spiral(DS)と呼ばれる磁気秩序を示す(非特許文献3、非特許文献4)。これは、Mnの束縛3d電子のスピンによる磁気モーメントが、結晶のc軸上で進むにつれて、単純ならせんから歪みを持つような秩序であり、非共線スピン構造の一例である。本発明者は、ネール温度Tが高い本材料が、本実施形態のインダクター素子の実施に適するものと見込み、結晶を作製して電圧電流特性を詳細に調査した。
【0027】
図5は、本実施形態においてインダクター素子10のサンプルのSEM(走査型電子顕微鏡)像である。インダクター素子サンプル110ではYMnSnの厚み4.8 μm、幅9.3μm、長さ37.2μmの直方体に形成したものを金属媒体102とした。なお、電極間距離は、電圧端子の端子幅などがあるため、25.0μmである。具体的には、シリコン基板に収束イオンビームによるマイクロサンプリング法により矩形のYMnSnを形成した。さらに、金属媒体102の両短辺(全幅)と両長辺(各辺において電極間距離6.5μmとなる位置)にはタングステンによる電極114~128を形成した。各電極には、外部回路との接続のための金薄膜配線134、136、142、144、146、148を接続している。具体的には、金薄膜配線134、136、142、144、146、148は、電子ビーム蒸着法により成膜し、UVリソグラフィーとリフトオフ法によりパターニングした。また、電極114~128は、収束イオンビームアシスト蒸着法により、金薄膜配線134、136、142、144、146、148と金属媒体102とをつなぐように形成した。短辺のものはインダクター素子サンプル110に電流を流す駆動電極114、116、長辺のものは、長さ方向での電圧降下を計測するためのプローブ電極122、124、126、128である。
【0028】
測定対象は、駆動電極114、116間に交流電流を印加した状態での、プローブ電極122、124間、またはプローブ電極126、128間での電圧降下である。電圧降下は、印加した交流電流のものと同一周波数の成分を測定している。測定値は、金属媒体102の形状に基づいて複素比抵抗(複素体積抵抗率)ρに換算した。
【0029】
図6A、Bはインダクター素子サンプル110の300Kでの測定結果を示すグラフであり、c軸に垂直方向の外部磁場に対する、周波数500Hzにおける複素比抵抗ρの依存性(図6A)および外部磁場がない場合(磁束密度0T)のインダクタンスLの周波数依存性(図6B)である。図6Aは、300Kの温度で、印加電流を11mA(電流密度2.5×10A/m)として測定したものである。まず、外部磁場が強い環境では複素比抵抗ρの虚数成分は生じない。外部磁場が、絶対値で約4T程度の磁束密度を持つ程度に弱まると虚数成分が生じ始め、その絶対値が約4Tから1.5T程度の磁束密度では正の虚数成分を持つ。そして、虚数成分は、外部磁場が絶対値が1.5T程度の磁束密度で急減して負の値になり、0T付近で負の値をもつ。強い外部磁場での振る舞いは、非特許文献3において、300Kの温度で強い外部磁場では磁気モーメントすべてが外部磁場方向に揃う強制強磁性秩序(Forced Ferromagnetic order; FF)となること、そこから磁場を弱めるにつれてTCL(transverse conical spiral)構造、さらにDS、と磁気秩序が遷移すると報告されていることと矛盾しない。さらに、FFは、スピン構造がパラレルになっているので共線スピン構造(colinear spin structure)であり、本発明者の解析ではインダクタンスを持たない。これが、図6Aに電気抵抗率ρの虚数成分が0となって現われている。これに対し、TCLとDSの磁気秩序は非共線スピン構造であり、複素比抵抗ρの虚数成分が非0となってインダクタンスが生じていることも、本発明者の解析と合致している。
【0030】
図6Bには、外部磁場がない場合(磁束密度0T)に、印加電流を16mA(電流密度3.3×10A/m)として測定したインダクタンスの周波数特性を示す。実際に、上限を10kHz程度とする低周波領域において、インダクタンスLが実際に観測されている。そのインダクタンスの値は、105Hzで約-2μH程度である。
【0031】
図7は、インダクター素子サンプル110において温度を10K~350Kまで変化させて測定したインダクタンスの周波数特性であり、各温度の測定結果をその温度の105Hzにおけるインダクタンスで規格化して示している。いずれの曲線も、1kHz程度より高周波側では、高周波になるにつれて単調にインダクタンスが低下している。ただし、10K、20K程度の低温では、その周波数増大でのインダクタンスの低下が、それらの温度より高温の場合に比べてより緩やかである。しかし、350K程度の高温までインダクタンスが観測された。このように、YMnSnのサンプルでは、300Kを超す温度でのインダクタンスが生じることを実証した。
【0032】
なお、インダクター素子サンプル110のサイズや質量は、極めて小型である。上記サンプルの金属媒体102のもつ電極間距離を考慮した実効体積は、
4.8μm×9.3μm×25.0μm=11×10-7mm
であり、その質量は890nグラムつまり0.000001g以下である。このサイズで、約-2μHのインダクタンスが得られている。インダクター素子サンプル110は、従来技術での最小サイズ(0.6×0.3×0.3mm=54×10-3mm)製品と比較して4桁以上の小さいサイズで、10倍以上の大きさのインダクタンス値を実現している。
【0033】
4.確認されたインダクタンスの利用
本実施形態において実測された負のインダクタンスは、回路の周波数特性を所望の特性に調整する用途に適している。従来、回路に寄生インダクタンスが生じる場合には、インピーダンスの虚数成分において逆符号となるキャパシタンスによって寄生インダクタンス成分を直接的にキャンセルすることが行なわれている。これに対し、本実施形態では、計測された負のインダクタンスが実現するような条件を採用することにより、寄生インダクタンスとは逆符号となる負のインダクタンスが実現できる。このため、正の寄生インダクタンス成分をキャンセルすることが可能となる。
【0034】
5.機器
本開示は、上述したインダクター素子を含む電気・電子回路を搭載する機器も含んでいる。上述した実施形態のインタクター素子は、例えば共振回路、フィルター回路を含む一般的な電気・電子回路のための基本素子として採用することができる。上述したインダクター素子が原理的に適用可能なものは特段限定されないが、これらの電子回路を含む一般の電気・電子機器を含み、産業用または家庭用を問わず、電気・電子機器、通信機器、オーディオ・ビジュアル機器、医療関係の電子機器を含んでいる。本開示で提供されるインダクター素子は軽量かつコンパクトに作製しうるため、補聴器、心臓ペースメーカー、およびMEMS(microelectromechanical systems)への適用も可能である。
【0035】
以上、本開示の実施形態を具体的に説明した。上述の実施形態、変形例および実施例は、本開示において開示される発明を説明するために記載されたものであり、本開示の発明の範囲は、請求の範囲の記載に基づき定められるべきものである。実施形態の他の組合せを含む本開示の範囲内に存在する変形例もまた、請求の範囲に含まれるものである。
【0036】
国際出願番号PCT/JP2019/030236(国際公開第2020/027268号)およびその優先権基礎出願である特願2018-145483の内容は、そこに開示されるすべてをここに引用することにより本出願の開示の一部をなすものとする。
【産業上の利用可能性】
【0037】
本開示は、インダクター素子を回路に含む任意の装置に使用可能である。
【符号の説明】
【0038】
10 インダクター素子
2 金属媒体
4 円盤(非共線スピン構造を示す)
110 インダクター素子サンプル
102 金属媒体
114、116、122、124、126、128 電極
134、136、142、144、146、148 金薄膜配線
図1
図2A-B】
図3
図4
図5
図6A-B】
図7