(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2022164959
(43)【公開日】2022-10-31
(54)【発明の名称】マルテンサイト系ステンレス鋼製刃物
(51)【国際特許分類】
C22C 38/00 20060101AFI20221024BHJP
C22C 38/52 20060101ALI20221024BHJP
【FI】
C22C38/00 302Z
C22C38/52
【審査請求】未請求
【請求項の数】2
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2021070081
(22)【出願日】2021-04-19
(71)【出願人】
【識別番号】000238348
【氏名又は名称】武生特殊鋼材株式会社
(71)【出願人】
【識別番号】000005197
【氏名又は名称】株式会社不二越
(74)【代理人】
【識別番号】230124763
【弁護士】
【氏名又は名称】戸川 委久子
(72)【発明者】
【氏名】河野 通郎
(72)【発明者】
【氏名】坪川 翼
(72)【発明者】
【氏名】藤島 真一
(72)【発明者】
【氏名】田嶋 良樹
(57)【要約】
【課題】刃物の切れ味を維持しつつ、耐食性を確保したマルテンサイト系ステンレス鋼製の刃物を提供する。
【解決手段】質量%で、C:0.75~0.84%、Si:0.25~0.45%、Mn:0.65~0.75%、P:0.035%以下、S:0.010%以下、Cr:17.00~19.00%、Ni:0.30%以下、Cu:0.25%以下、Mo:1.50~1.90%、W:0.40%以下、V:0.20~0.40%、Co:0.30%以下、Al:0.20%以下、N:0.16~0.25%であり、残余がFeおよび不可避不純物からなり、かつ、C+N≧1.00%であるマルテンサイト系ステンレス鋼から形成される刃物とする。
【選択図】
図1
【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、C:0.75~0.84%、Si:0.25~0.45%、Mn:0.65~0.75%、P:0.035%以下、S:0.010%以下、Cr:17.00~19.00%、Ni:0.30%以下、Cu:0.25%以下、Mo:1.50~1.90%、W:0.40%以下、V:0.20~0.40%、Co:0.30%以下、Al:0.20%以下、N:0.16~0.25%であり、残余がFeおよび不可避不純物からなり、かつ、C+N≧1.00%であるマルテンサイト系ステンレス鋼から形成されることを特徴とするマルテンサイト系ステンレス鋼製刃物。
【請求項2】
表面硬さがロックウェルCスケールで62HRC以上であることを特徴とする請求項1に記載のマルテンサイト系ステンレス鋼製刃物。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、マルテンサイト系ステンレス鋼製の刃物に関する。
【背景技術】
【0002】
包丁に代表される一般的な刃物は、物を切断するために刃先が鋭利であることが要求される。言い換えると、刃先が鋭利であれば、刃物の切れ味が良くなり、物を切る(切断する)時により小さな力で切れる事になる。そのため、素材中の炭素を比較的に多く含有したマルテンサイト系ステンレス鋼が多用される(特許文献1および2参照)。
【0003】
中でも、SUS420J2よりも多量の炭素を含有したSUS440Cが使用されている。鋼材中に炭素を多量に含有するため、素材の硬度が高くなり、刃物を仕上げる際もより鋭利に仕上げることができるので、切断性能が向上する。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【特許文献1】特開2002-212679号公報
【特許文献2】特開2011-161064号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
しかし、素材に多量の炭素を含有することで、その耐食性はむしろ低下することになる。例えば、炭素を多量に含有したマルテンサイト系ステンレス鋼製の包丁を食洗機で洗浄する場合、包丁が高温かつ酸性雰囲気下になるので、錆が発生しやすいという問題があった。さらに、酸性の強い食材や調味料などが付着することでも錆びが発生しやすくなるという問題があった。これらを要因として、一旦、包丁の表面に小さな錆が発生すると、物を切断する際にそれらの錆が抵抗になり、包丁の切れ味にも影響を及ぼすことになる。
【0006】
一方、酸性の強い食材が付着したり、食洗機で洗浄したりしても腐食しにくい耐食性の高い包丁の刃先を鋭利に仕上げると、炭素を多く含有するマルテンサイト系ステンレス鋼に比べて材料の強度は低下するので、包丁としての切れ味が低下してしまう問題があった。つまり、包丁の耐食性と切れ味とは相反する特性であった。この耐食性と切れ味の両立の問題は、包丁に限らず、物を切断する刃を有する物に共通の問題である。
【0007】
そこで、本発明において刃物の切れ味を維持しつつ、耐食性を確保したマルテンサイト系ステンレス鋼製の刃物を提供することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
前述した課題を解決するために、本発明の刃物の素材であるマルテンサイト系ステンレス鋼は、質量%で、C:0.75~0.84%、Si:0.25~0.45%、Mn:0.65~0.75%、P:0.035%以下、S:0.010%以下、Cr:17.00~19.00%、Ni:0.30%以下、Cu:0.25%以下、Mo:1.50~1.90%、W:0.40%以下、V:0.20~0.40%、Co:0.30%以下、Al:0.20%以下、N:0.16~0.25%であり、残余がFeおよび不可避不純物から構成される。
【0009】
また、当該マルテンサイト系ステンレス鋼のC(炭素)とN(窒素)の各含有量の総和は、C+N≧1.00%(単位:質量%)とする。さらに、表面硬さについては、ロックウェルCスケールで62HRC以上とする。
【0010】
ここで、本発明における「刃物」とは、包丁やナイフ等の調理器具としての刃物のみならず、工具のカッターやドリル等、物を切断する刃を備えたもの全てを含むものとする。
【発明の効果】
【0011】
本発明においては、従来のマルテンサイト系ステンレス鋼に対して、所定量のC(炭素)、N(窒素)、Cr(クロム)をそれぞれ含有させることで、刃物の耐食性を維持しつつ、高硬度とすることで鋭利に研ぎあげる事ができるため刃物の切れ味(切断特性)の向上を図ることができる。また、充分な靭性や延性、耐疲労強度を確保することで刃先の欠損等がしにくくなるため、良好な切れ味を持続させることができる。
【発明を実施するための形態】
【0012】
本発明のマルテンサイト系ステンレス鋼製刃物の一実施形態を説明する。本発明の刃物を構成するマルテンサイト系ステンレス鋼の各化学成分に関して、所定の範囲に規定した理由を成分(元素)ごとに説明する。
【0013】
まず、C(炭素)は0.75~0.84%とする。0.75%を下回ると、組織中の硬質な炭化物の形成量が少なくなり、結果として焼入焼戻し後の硬さが確保できない。また、0.84%を上回ると、組織中の炭化物の形成量が多量になり、母相中のCr、Mo等の固溶量が低下するので、耐食性が低下する。また、組織中の巨大炭化物が析出して、靭性や疲労強度も低下させる。
【0014】
Si(ケイ素)は0.25~0.45%とする。Siは、脱酸元素であり、靭性や延性の著しい低下を招くAlN(窒化アルミニウム)の生成を抑制するため、同様の脱酸元素であるALに代えて添加する。0.25%を下回ると、脱酸素材としての効果が発揮出来ず、酸素が多く残存することとなり、靭性や延性が低下する。また、0.45%を上回ると、マルテンサイト系ステンレス鋼としての熱間および冷間での加工性が低下して、靭性も低下する。また、Mn(マンガン)は0.65~0.75%とする。Mnは、N(窒素)の固溶量を増加させるために有効な元素である。また、脱酸、脱硫元素としても有効である。0.65%を下回ると、充分なNの固溶量を確保できない。また、0.75%を上回ると、残留オーステナイト量を増大させ、焼戻し硬さの低下や耐食性の低下を招く。
【0015】
P(リン)は0.035%以下とする。0.035を上回ると、結晶粒界に偏析が起こり、靭性が低下する。また、S(硫黄)は0.010%以下とする。0.010%を上回ると、組織中に硫化物を形成して、靭性が低下する。
【0016】
Cr(クロム)は17.00~19.00%とする。17.00%を下回るとマルテンサイト系ステンレス鋼として十分な耐食性が得られない。また、19.00%を上回ると、組織中に巨大炭化物が析出して、靭性が低下する。
【0017】
Ni(ニッケル)は0.30%以下とする。0.30%を上回ると、組織中に残留オーステナイト量が増加して、寸法の経年変化を起こす。また、冷間での加工性も低下する。また、Cu(銅)は0.25%以下とする。0.25%を上回ると、組織中の残留オーステナイト量が増加して、寸法の経年変化を起こす。また、熱間での加工性も低下する。
【0018】
Mo(モリブデン)は1.50~1.90%とする。1.50%を下回ると耐食性が低下し、併せて焼戻し2次硬化も充分に得られない。また、1.90%を上回ると、組織中に巨大炭化物が析出して、靭性が低下する。W(タングステン)は0.40%以下とする。0.40%を上回ると、組織中に巨大炭化物が析出して、靭性が低下する。
【0019】
V(バナジウム)は0.20%~0.40%とする。0.20%を下回ると、焼戻し2次硬化が充分に得られない。また、0.40%を上回ると、組織中に巨大炭化物が析出して、靭性が低下する。
【0020】
Co(コバルト)は0.30%以下とする。0.30%を上回ると材料費用の増加を招き、製造費用が上昇する。また、Al(アルミニウム)は0.20%以下とする。0.20%を上回ると組織中にO(酸素)と結合して粗大な酸化物を形成したり、N(窒素)と結合して窒化アルミニウムを形成したりして、靭性や疲労強度が低下する。
【0021】
N(窒素)は0.16~0.25%(質量ppmで1600~2500ppm)とする。0.16%を下回ると耐食性や焼入焼戻し硬さが充分に得られない。また、0.25%を上回ると、材料内部においてブローホール(鋳巣)が発生する。
【0022】
マルテンサイト系ステンレス鋼全体におけるC(炭素)とN(窒素)の各含有量の総和は、C+N≧1.00%(単位:質量%)とする。1.00%未満となると、刃物にした場合における切れ味と耐食性の両立が困難となる。
【0023】
なお、熱処理として、焼入れ処理後、サブゼロ処理をすることにより、残留オーステナイトを低減させ、焼戻し処理をすることにより、靭延性が付与され、良好な切れ味と耐食性を得ることができる。
【図面の簡単な説明】
【0024】
【
図1】本発明の実施例3における塩水噴霧試験後の研磨面の写真である。
【実施例0025】
(実施例1)
マルテンサイト系ステンレス鋼を含めた各材質による刃物の切れ味を評価するために、本多式切れ味試験を行ったので、その試験結果について説明する。「本多式切れ味試験」とは、試験をする刃物(試験片)の刃先を上方にした状態で専用の機械(本多式切れ味試験機)に固定し、一定の荷重をかけた紙の束を刃先に載せる。
【0026】
その後、同試験機の電源を入れることで紙束が前後一往復して、刃先に載せた紙の束を切る。その際に、切れた紙の枚数(切断枚数)によって刃物の切れ味を定量的に評価する試験方法である。
【0027】
本試験に使用した刃物の材質は、マルテンサイト系ステンレス鋼である発明材(1鋼種)およびSUS440CやSUS420J2等の従来鋼種を含めた比較材1~9(計9鋼種)を含めた計10鋼種である。これら10鋼種の化学成分(単位は質量%)を表1に示す。
【0028】
【0029】
また、その他の試験条件については以下の通りとした。
・紙束の移動距離:20mm
・使用した紙の幅:7.5mm
・負荷荷重:750g
本試験で使用した試験片ごとの試験結果を表2に示す。
【0030】
【0031】
表2に示す試験結果より、本発明材を用いた刃物は111枚の紙を切断した。これに対して、Cの割合を低くしてC+Nを1%未満とした比較材5では59枚であり、SUS440C鋼製の刃物を使用した比較材7の場合でも最多枚数として84枚の紙を切断した結果となった。したがって、本発明材の刃物は従来鋼種の刃物に比べて、刃物の切れ味(切断特性)の向上を確認することができた。
【0032】
(実施例2)
次に、刃物材としての耐久性を確認するために前述の鋼種ごとに耐摩耗性試験を行ったので、その試験結果について説明する。前述の実施例1で使用した10鋼種についての焼入および焼戻し処理後の試験片(縦2mm×横10mm×高さ35mm)を鋼種ごとに作製し、その試験片ごとに研磨機で回転数200rpm、約200Nの荷重下において、エメリー紙(#80)を相手材として15分間の研磨を実施した。
【0033】
前述した試験条件で15分間の研磨を終了した後、試験片ごとの損失重量を測定することでその減少量(摩耗量)を比較した。その試験片ごとの表面硬さ(ロックウェルCスケール:HRC)および摩耗量(単位:g)を表3に示す。
【0034】
【0035】
本実施例の試験結果は、表3に示すように、HRC62.1と最も高い硬さを示す本発明材の摩耗量は2.05gであった。一方、比較材の試験結果は、比較的摩耗量の少ない比較材5であっても、摩耗量は2.18gであった。以上の試験結果より、本発明材は他の9鋼種に比べて、耐摩耗性の点においても優位であることがわかった。
【0036】
(実施例3)
次に、刃物材としての耐食性を確認するために、塩水噴霧試験を行った。本試験に使用した刃物の材質は、実施例1および2に使用した発明材、Cの割合を低くしてC+Nを1%未満とした比較材5、SUS420J2である比較材6、およびSUS440Cである比較材7を含めた計4鋼種である。
【0037】
本試験において、本発明材および比較材5は1060℃、比較材6は1030℃、比較材7は1050℃による焼入れを行った後、サブゼロ処理をし、さらに本発明材および比較材5は180℃、比較材6および比較材7は150℃で焼戻しをしたものを用いている。
【0038】
そして、各鋼材は、前記熱処理後には、18mm×18mmの試験板に加工し、エポキシ樹脂に埋入して端面を粗さ1000番で研磨したものを試験片としている。評価にあたっては、試験片の研磨面の稜線部を除く14mm×14mmの範囲の孔食個数およびその深さを計測した。
【0039】
また、その他の試験条件については以下の通りとした。
・試験片数:N=3
・使用溶液:5%のNaCl水溶液
・噴霧条件:35℃、75kPaで24時間連続噴霧
【0040】
本試験後の各鋼材の研磨面の写真を
図1に示す。
図1(a)は発明材であり、
図1(b)は比較材5、
図1(c)は比較材6(SUS420J2)、
図1(d)は比較材7(SUS440C)の写真である。
【0041】
N=3における孔食の合計数およびその深さを評価した結果、発明材は3点であり、最も深いもので4.9umであった。それに対し、比較材5は1点であり、最も深いもので2.7umであった。比較材6(SUS420J2)は101点であり、最も深いもので30umであった。比較材7(SUS440C)は87点であり、最も深いもので108umであった。以上の試験結果より、本発明材は比較材5と同等の耐食性を有しており、比較材6および比較材7と比べて、優れた耐食性を有していることがわかった。