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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2022175612
(43)【公開日】2022-11-25
(54)【発明の名称】前縁高揚力装置、翼および航空機
(51)【国際特許分類】
   B64C 9/24 20060101AFI20221117BHJP
【FI】
B64C9/24
【審査請求】未請求
【請求項の数】11
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2021082182
(22)【出願日】2021-05-14
(71)【出願人】
【識別番号】503361400
【氏名又は名称】国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構
(71)【出願人】
【識別番号】000000974
【氏名又は名称】川崎重工業株式会社
(71)【出願人】
【識別番号】508208007
【氏名又は名称】三菱航空機株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100104215
【弁理士】
【氏名又は名称】大森 純一
(74)【代理人】
【識別番号】100196575
【弁理士】
【氏名又は名称】高橋 満
(74)【代理人】
【識別番号】100168181
【弁理士】
【氏名又は名称】中村 哲平
(74)【代理人】
【識別番号】100160989
【弁理士】
【氏名又は名称】関根 正好
(74)【代理人】
【識別番号】100117330
【弁理士】
【氏名又は名称】折居 章
(74)【代理人】
【識別番号】100168745
【弁理士】
【氏名又は名称】金子 彩子
(74)【代理人】
【識別番号】100176131
【弁理士】
【氏名又は名称】金山 慎太郎
(74)【代理人】
【識別番号】100197398
【弁理士】
【氏名又は名称】千葉 絢子
(74)【代理人】
【識別番号】100197619
【弁理士】
【氏名又は名称】白鹿 智久
(72)【発明者】
【氏名】山本 一臣
(72)【発明者】
【氏名】村山 光宏
(72)【発明者】
【氏名】横川 譲
(72)【発明者】
【氏名】香西 政孝
(72)【発明者】
【氏名】磯谷 和秀
(72)【発明者】
【氏名】上野 陽亮
(72)【発明者】
【氏名】葉山 賢司
(72)【発明者】
【氏名】林 賢亮
(57)【要約】
【課題】低騒音化と飛行性能への要求とを両立させることができる前縁高揚力装置、並びにこれを備えた翼および航空機を提供する。
【解決手段】本発明の一形態に係る前縁高揚力装置は、母翼前縁に対して展開収納可能な前縁高揚力装置であって、前縁部と、展開時に前記母翼との間に隙間を形成する後縁部と、
前記前縁部の下縁に形成されたカスプ部と、前記カスプ部と前記後縁部との間に形成された下面部と、前記下面部の表面に局所的に設けられ、前記母翼の翼長方向に垂直な断面形状において前記母翼側に凸なる湾曲形状の膨出部とを具備する。
【選択図】図6
【特許請求の範囲】
【請求項1】
母翼前縁に対して展開収納可能な前縁高揚力装置であって、
前縁部と、
展開時に前記母翼との間に隙間を形成する後縁部と、
前記前縁部の下縁に形成されたカスプ部と、
前記カスプ部と前記後縁部との間に形成された下面部と、
前記下面部の表面に局所的に設けられ、前記母翼の翼長方向に垂直な断面形状において前記母翼側に凸なる湾曲形状の膨出部と
を具備する前縁高揚力装置。
【請求項2】
請求項1に記載の前縁高揚力装置であって、
前記母翼の翼長方向に垂直な断面形状において、前記母翼前縁に対する最大展開時における前記前縁高揚力装置の翼弦線上で測った前記前縁部と前記母翼前縁との間の距離を第1の距離とし、前記母翼前縁に対する最大展開時における前記前縁高揚力装置の翼弦線上で測った前記膨出部の頂部と前記母翼前縁との間の距離を第2の距離としたとき、前記第2の距離は、前記第1の距離の10%以上40%以下である
前縁高揚力装置。
【請求項3】
請求項1又は2に記載の前縁高揚力装置であって、
前記母翼の翼長方向に垂直な断面形状において、前記母翼前縁に対する最大展開時における前記前縁高揚力装置の翼弦線上で測った前記前縁部と前記母翼前縁との間の距離を第1の距離としたとき、前記下面部の表面からの前記膨出部の最大厚みは、前記第1の距離の5%以上15%以下である
前縁高揚力装置。
【請求項4】
請求項1~3のいずれか1つに記載の前縁高揚力装置であって、
前記母翼の翼長方向に垂直な断面形状において、前記母翼前縁に対する最大展開時における前記前縁高揚力装置の翼弦線上で測った前記前縁部と前記母翼前縁との間の距離を第1の距離としたとき、前記膨出部の頂部の平均曲率は、前記第1の距離の逆数の2倍以上10倍以下である
前縁高揚力装置。
【請求項5】
請求項1~4のいずれか1つに記載の前縁高揚力装置であって、
前記母翼の翼長方向に垂直な断面形状において、前記母翼前縁に対する最大展開時における前記前縁高揚力装置の翼弦線上で測った前記前縁部と前記母翼前縁との間の距離を第1の距離としたとき、前記母翼前縁に対する最大展開時における前記前縁高揚力装置の翼弦線上で測った前記後縁部と前記母翼前縁との間の距離であるオーバーラップ量は、前記第1の距離の35%以下である
前縁高揚力装置。
【請求項6】
請求項5に記載の前縁高揚力装置であって、
前記後縁部の少なくとも一部に取り付けられ、前記オーバーラップ量を調整する調整部材をさらに具備する
前縁高揚力装置。
【請求項7】
請求項1~6のいずれか1つに記載の前縁高揚力装置であって、
前記膨出部は、前記母翼前縁に対する展開時に膨張し、前記母翼前縁への収納時に前記母翼前縁に沿って変形可能に構成される
前縁高揚力装置。
【請求項8】
母翼前縁に対して展開収納可能な前縁高揚力装置であって、
前縁部と、
展開時に前記母翼との間に隙間を形成する後縁部と、
前記前縁部の下縁に形成されたカスプ部と、
前記カスプ部と前記後縁部との間に形成された下面部と、
前記後縁部の少なくとも一部に設けられた後縁伸長部と
を具備し、
前記母翼の翼長方向に垂直な断面形状において、前記母翼前縁に対する最大展開時における前記前縁高揚力装置の翼弦線上で測った前記前縁部と前記母翼前縁との間の距離を第1の距離としたとき、前記母翼前縁に対する最大展開時における前記前縁高揚力装置の翼弦線上で測った前記後縁伸長部の先端部と前記母翼前縁との間の距離であるオーバーラップ量は、前記第1の距離の10%以上35%以下であり、
前記第1の距離は、前記前縁高揚力装置の前記母翼前縁への収納時における主翼の翼弦長の10%以上20%以下である
前縁高揚力装置。
【請求項9】
請求項8に記載の前縁高揚力装置であって、
前記後縁伸長部は、前記後縁部に取り付けられ前記オーバーラップ量を調整する調整部材である
前縁高揚力装置。
【請求項10】
請求項1~9のいずれか1つに記載の前縁高揚力装置を備えた翼。
【請求項11】
請求項1~9のいずれか1つに記載の前縁高揚力装置を備えた航空機。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、航空機の翼に設置される前縁高揚力装置、並びにこれを備えた翼および航空機に関する。
【背景技術】
【0002】
航空機が空港を離発着する際の低速飛行を実現するために主翼から高揚力装置が展開される。特に旅客機などでは主翼前縁にスラットをはじめとする前縁高揚力装置が取り付けられ、低速飛行時に大きな揚力を発生する。
【0003】
スラットは、母翼前縁との間に隙間を設けることにより、主翼の揚力の上限(最大揚力)を増加させる機能を有する反面、着陸進入時の飛行条件において大きな空力騒音も発生する。主翼に収納するための制約からスラットの下面には凹み(コブ)があり、そこに形成される逆流領域の乱流が騒音を発生する原因となる。スラットの低騒音化はこの乱流によって生じる圧力変動を減らす工夫により達成できるが、同時にスラットに対する最大揚力など飛行性能への要求と構造・展開機構を成立させる必要がある。
【0004】
スラットの低騒音化の代表的な技術として、スラット下面に逆流領域のせん断層に沿った曲面形状を付加することでコブの逆流領域を無くす「コブフィラー」という概念が知られている(特許文献1~3参照)。
その他、逆流領域の発生個所となるスラット下面のカスプに「セレーション」を設置してコブのせん断層を積極的に混合させ大きな圧力変動の発生を抑制する方法(特許文献4参照)、スラット下面に「傾斜板」を設けて逆流領域のせん断層がスラット下面に衝突する角度を偏向する方法(特許文献5参照)、スラット翼弦長を非常に長く設計するVLCS(Very Long Chord Slat)と称される技術(非特許文献1参照)などが知られている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【特許文献1】米国特許第6457680号明細書
【特許文献2】米国特許第9242720号明細書
【特許文献3】米国特許第8424810号明細書
【特許文献4】特開2011-162154号公報
【特許文献5】特許第4699487号公報
【非特許文献】
【0006】
【非特許文献1】Pott-Polenske, M., Wild, J., and Bertsch, L., "Aerodynamic and Acoustic Design of Silent Leading Edge Devices," AIAA Paper 2014-2076, 20th AIAA/CEAS Aeroacoustics Conference, 16-20 June, 2014.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
しかしながら、特許文献1~3に記載の技術においては、騒音低減量は大きいが、主翼に収納するためにコブ形状を大きく変形させる必要があるため、その変形機構の複雑さと機体重量の増加が課題となる。
また、特許文献4に記載の技術においては、低周波数のピーク音を減らすことはできるが、高周波数の騒音は増えるため騒音低減量が少ないという問題がある。
さらに、特許文献5に記載の技術においては、コブフィラーよりは小さい形状変形で済ませることができるが、騒音低減量が少ないという問題がある。
そして、非特許文献1に記載の技術においては、スラット長を従来のスラットと比べ倍近く増やす必要があるため、従来の主翼構造の制約の下では実現できない。
【0008】
以上のような事情に鑑み、本発明の目的は、低騒音化と飛行性能への要求とを両立させることができる前縁高揚力装置、並びにこれを備えた翼および航空機を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明の一形態に係る前縁高揚力装置は、母翼前縁に対して展開収納可能な前縁高揚力装置であって、
前縁部と、
展開時に前記母翼との間に隙間を形成する後縁部と、
前記前縁部の下縁に形成されたカスプ部と、
前記カスプ部と前記後縁部との間に形成された下面部と、
前記下面部の表面に局所的に設けられ、前記母翼の翼長方向に垂直な断面形状において前記母翼側に凸なる湾曲形状の膨出部と
を具備する。
【0010】
上記前縁高揚力装置によれば、下面部の表面に局所的に設けられた膨出部を備えているため、当該膨出部がない場合と比較して、下面部における乱流せん断層の再付着点から後縁部までの距離を長くすることができる。これにより、後縁部における圧力変動を減衰させ、低騒音化を図ることができる。
【0011】
前記母翼の翼長方向に垂直な断面形状において、前記母翼前縁に対する最大展開時における前記前縁高揚力装置の翼弦線上で測った前記前縁部と前記母翼前縁との間の距離を第1の距離とし、前記母翼前縁に対する最大展開時における前記前縁高揚力装置の翼弦線上で測った前記膨出部の頂部と前記母翼前縁との間の距離を第2の距離としたとき、前記第2の距離は、前記第1の距離の10%以上40%以下であってもよい。
【0012】
前記母翼の翼長方向に垂直な断面形状において、前記母翼前縁に対する最大展開時における前記前縁高揚力装置の翼弦線上で測った前記前縁部と前記母翼前縁との間の距離を第1の距離としたとき、前記下面部の表面からの前記膨出部の最大厚みは、前記第1の距離の5%以上15%以下であってもよい。
【0013】
前記母翼の翼長方向に垂直な断面形状において、前記母翼前縁に対する最大展開時における前記前縁高揚力装置の翼弦線上で測った前記前縁部と前記母翼前縁との間の距離を第1の距離としたとき、前記膨出部の頂部の平均曲率は、前記第1の距離の逆数の2倍以上10倍以下であってもよい。
【0014】
前記母翼の翼長方向に垂直な断面形状において、前記母翼前縁に対する最大展開時における前記前縁高揚力装置の翼弦線上で測った前記前縁部と前記母翼前縁との間の距離を第1の距離としたとき、前記母翼前縁に対する最大展開時における前記前縁高揚力装置の翼弦線上で測った前記後縁部と前記母翼前縁との間の距離であるオーバーラップ量は、前記第1の距離の35%以下であってもよい。
【0015】
前記前縁高揚力装置は、前記後縁部の少なくとも一部に取り付けられ、前記オーバーラップ量を調整する調整部材をさらに具備してもよい。
【0016】
前記膨出部は、前記母翼前縁に対する展開時に膨張し、前記母翼前縁への収納時に前記母翼前縁に沿って変形可能に構成されてもよい。
【0017】
本発明の他の形態に係る前縁高揚力装置は、母翼前縁に対して展開収納可能な前縁高揚力装置であって、前縁部と、展開時に前記母翼との間に隙間を形成する後縁部と、前記前縁部の下縁に形成されたカスプ部と、前記カスプ部と前記後縁部との間に形成された下面部と、前記後縁部の少なくとも一部に設けられた後縁伸長部とを具備する。
前記母翼の翼長方向に垂直な断面形状において、前記母翼前縁に対する最大展開時における前記前縁高揚力装置の翼弦線上で測った前記前縁部と前記母翼前縁との間の距離を第1の距離としたとき、前記母翼前縁に対する最大展開時における前記前縁高揚力装置の翼弦線上で測った前記後縁伸長部の先端部と前記母翼前面との間の距離であるオーバーラップ量は、前記第1の距離の10%以上35%以下であり、
前記第1の距離は、前記前縁高揚力装置の前記母翼前縁への収納時における主翼の翼弦長の10%以上20%以下である。
【0018】
上記前縁高揚力装置によれば、下面部における乱流せん断層の再付着点から後縁部までの距離を長くすることができる。これにより、後縁部における圧力変動を減衰させ、低騒音化を図ることができる。
【0019】
前記後縁伸長部は、前記後縁部に取り付けられ前記オーバーラップ量を調整する調整部材であってもよい。
【発明の効果】
【0020】
本発明によれば、低騒音化と飛行性能への要求とを両立させることができる。
【図面の簡単な説明】
【0021】
図1】航空機の一方の主翼の一構成例であって上面側から見た部分斜視図である。
図2】上記主翼の下面側から見た部分斜視図である。
図3】前縁高揚力装置を下面側から見た部分斜視図である。
図4】母翼の翼長方向に垂直な基準形状のスラット(基準スラット)の断面図である。
図5図4に示す基準スラットにおける着陸時の流れ場の一例を示す数値シミュレーション結果である。
図6】本実施形態の構成例1に係るスラットの翼長方向に垂直な断面図である。
図7図6に示すスラットにおける着陸時の流れ場の一例を示す数値シミュレーション結果である。
図8図6に示すスラットの母翼への収納状態を示す断面図である。
図9図6に示すスラットにおける膨出部の詳細を示す説明図である。
図10】本実施形態の構成例2に係るスラットの翼長方向に垂直な断面図である。
図11図10に示すスラットにおける着陸時の流れ場の一例を示す数値シミュレーション結果である。
図12図10に示すスラットの構成の変形例を示す同様な断面図である。
図13】騒音発生の原因となるスラット後縁部の圧力変動の様子を示す数値シミュレーション結果であり、Aは基準スラット、Bは構成例1に係るスラット、および、Cは構成例2に係るスラットの各例を示している。
図14】スラットの騒音評価を行ったときの全音圧レベル(OASPL)指向性の数値シミュレーション結果である。
図15】スラットの揚力特性の数値シミュレーション結果である。
図16図14に示した基準スラットの地上方向(270度方向)における全音圧レベルと比較した構成例1,2に係るスラットの騒音低減に対する形状効果を説明するグラフである。
図17】本実施形態に係る前縁高揚力装置としてのクルーガーフラップの翼長方向に垂直な断面図である。
【発明を実施するための形態】
【0022】
以下、図面を参照しながら、本発明の実施形態を説明する。
【0023】
[高揚力装置の概要]
図1は航空機の一方の主翼(左翼)100の一構成例であって上面側から見た部分斜視図、図2は主翼100の下面側から見た部分斜視図、図3は主翼100を構成するスラット20を下面側から見た部分斜視図である。
主翼100は、母翼10と、母翼10の前縁10a側に配置されたスラット20と、母翼10の後縁10b側に配置されたフラップ30とを有する。
なお、上記航空機の他方の主翼(右翼)についても主翼100と同様に構成される。
【0024】
スラット20は、母翼10の前縁10aに展開収納可能に構成される。スラット20は、巡航時は、図示するように母翼10の前縁10aに収納され、着陸時あるいは離陸時は、スラット支持装置51によって母翼10の前縁10aに対して展開される。母翼10の前縁10aとは、スラット20の翼弦線方向においてスラット20と対向する領域をいう。なお、以下の説明では、前縁10aを、母翼前縁10aとも称する。
【0025】
フラップ30は、母翼10の後縁10bに展開収納可能に構成される。フラップ30は、巡航時は、図示するように母翼10の後縁10bに収納され、着陸時あるいは離陸時は、フラップ支持装置52によって母翼10の後縁10bに対して展開される。
【0026】
スラット20は、通常、エンジン40を挟んで母翼前縁10aに沿って複数に分割されていることが多い。翼長方向における各スラット20の長さは、配置領域に応じて必要な長さに任意に設定される。フラップ30も同様に、通常、母翼10の後縁10bに沿って各々任意の長さで複数に分割して配置されることが多い。スラット20およびフラップ30は、例えば、アルミニウム合金やステンレス鋼等の金属材料、あるいは、CFRP(炭素繊維強化プラスチック)やGFRP(ガラス繊維強化プラスチック)等の複合材料で構成される。
【0027】
スラット20は、前縁高揚力装置の一つであり、展開時において母翼10との間に気流が通過できる隙間を設けることにより、主翼100の最大揚力(揚力の上限)を増加させるとともに、主翼100が失速を起こす迎角を増大させる。スラット20と母翼10との間の隙間の大きさは、母翼10に対するスラット20の展開の大きさ(角度)によって調整される。典型的には、離陸時と比較して、着陸時の方がスラット20はより大きく展開される。一方、スラット20と母翼10との間に形成される隙間は、逆流領域の乱流による圧力変動に起因する騒音発生の原因となる。
【0028】
そこで本実施形態では、展開時にスラット20と母翼10との間の隙間での圧力変動に起因する騒音の発生を抑えることができるようにスラット20が構成される。以下、その詳細について説明するが、ここでは先ず、本実施形態のスラット20を設計する上で基準となる基本形状のスラット(以下、基準スラット120ともいう)について説明する。
なお、この基準スラット120は、空力性能のみに対して最適化された従来構造のスラットに相当する。
【0029】
[基準スラット]
図4は、母翼10の翼長方向に垂直な基準スラット120の断面図である。ここでは、基準スラット120が母翼前縁10aに対して最大に展開(全開)した着陸時の状態を示す。
【0030】
基準スラット120は、前縁部121と、後縁部122と、カスプ部123と、下面部124と、上面部126とを有する。図4に示すように基準スラット120の断面形状は、前縁部121と下面部124と上面部126との間で囲まれる閉空間の形状をなす。
【0031】
前縁部121は、前方(母翼10側とは反対側)へ凸なる流線形状を有し、上面部126と連続的に形成される。
後縁部122は、下面部124の後方端部と上面部126の後方端部とにより形成されるエッジの先端部であり、展開時において母翼10との間に隙間G0を形成する。
カスプ部123は、前縁部121の下縁と下面部124との間に形成されたエッジの先端部である。カスプ部123は、前縁部121の下縁に配置された、母翼前縁10aに向かって突出するブレードの先端部で形成されてもよい。
下面部124は、カスプ部123と後縁部122との間に形成された凹面である。下面部124は、収納時に母翼前縁10aに近接する部位であり、典型的には、母翼前縁10aに対応する前方へ凸なる曲面形状に形成される。
【0032】
図5は、図4に示す基準スラット120における着陸時の流れ場の一例を示す数値シミュレーション結果である。
同図に示すように、カスプ部123から剥離したせん断層は、下面部124に渦状の逆流領域を形成し、この逆流領域の形成に伴い、せん断層の乱流が生成される。生成された乱流せん断層は、下面部124に再付着した後、基準スラット120と母翼10との間の隙間G0を通過する。
【0033】
騒音は主に、乱流せん断層が付着する下面部124の再付着点RP0における圧力変動と、後縁部122における圧力変動とによって発生する。圧力変動は再付着点RP0において最大となり、後縁部122に向かって減衰していく。再付着点RP0から後縁部122までの距離が長くなるほど後縁部122における圧力変動は小さくなる。同図の例では、再付着点RP0が後縁部122に接近しているため、再付着点RP0における大きな圧力変動が減衰せず、後縁部122における大きな圧力変動をもたらす結果、大きな騒音が発生する。
【0034】
そこで本発明者らは、基準スラット120の断面形状に起因する騒音の大きさは、下面部124における乱流せん断層の再付着点RP0から後縁部122までの沿面距離である距離Lts0に強い相関を有することに着目し、距離Lts0を長くすることで、再付着点RP0から後縁部122に向かう圧力変動を減衰させ、低騒音化を図るようにした。
【0035】
具体的には、基準スラット120に対して、例えば、以下のように形状を変更する。
(1)スラット下面における乱流せん断層の再付着点付近に、母翼への収納時に潰れる構造を有する、丸みを帯びた膨出部を設ける。
(2)空力性能のみに対して最適化された基準スラット120よりも、母翼10とのオーバーラップが増えるように後縁部を伸長させる。
上記(1)、(2)の変更は、それぞれ単独で行われてもよいし、互いに組み合わされてもよい。
【0036】
[本実施形態のスラット]
以下、2つの構成例に分けて、本実施形態のスラット20の詳細について説明する。構成例1は、上記(1)および(2)の組み合わせに相当し、構成例2は、上記(2)に相当する。
なお以下の説明では、1つのスラット20を例に挙げて説明するが、母翼前縁10aに設置されるすべてのスラット20についても同様に適用されてもよい。この場合、スラット支持装置51やスラット20の内側の端部および外側の端部の流れに応じて、適用の仕方が個々に最適化されてもよい。
【0037】
<構成例1に係るスラット>
図6は、本実施形態に係る前縁高揚力装置としてのスラット20であって、構成例1に係るスラット201の主翼100の翼長方向(以下、特に断らない限り、翼長方向ともいう)に垂直な断面図である。ここでは、スラット201が母翼前縁10aに対して最大に展開(全開)した着陸時の状態を示す。
【0038】
スラット201は、前縁部21と、後縁部22と、カスプ部23と、下面部24と、膨出部25と、上面部26とを有する。図6に示すようにスラット201の断面形状は、前縁部21と下面部24と上面部26との間で囲まれる閉空間の形状をなす。
【0039】
前縁部21は、前方(母翼10側とは反対側)へ凸なる流線形状を有し、上面部26と連続的に形成される。
後縁部22は、下面部24の後端部と上面部26の後端部とにより形成されるエッジの先端部であり、展開時において母翼10との間に隙間を形成する。
カスプ部23は、前縁部21の下縁と下面部24との間に形成されたエッジの先端部である。カスプ部23は、前縁部21の下縁に配置された、母翼前縁10aに向かって突出するブレードの先端部で形成されてもよい。
下面部24は、カスプ部23と後縁部22との間に形成された凹面である。下面部24は、収納時に母翼前縁10aに近接する部位であり、母翼前縁10aに対応する前方へ凸なる曲面形状に形成される。
膨出部25は、下面部24の表面に局所的に設けられ、翼長方向に垂直な断面形状において母翼10側に凸なる湾曲形状を有する。
【0040】
本構成例1では、後縁部22が母翼10側に伸長し、母翼10とのオーバーラップ量を増やすとともに、膨出部25が設けられている点で、基準スラット120と相違する。
図13A~Cを参照して後述するように、スラットの流れの特性として、スラット後縁(同図中TE(後縁部122,22に相当)と母翼10との隙間を通過する流量、ならびにカスプ部の位置を大きく変更しなければ、コブ(下面部)の乱流せん断層がスラット下面に再付着する位置が主翼の翼弦方向にはほとんど変化しない。
本実施形態では、この特性を利用して、下面部24における乱流せん断層の再付着点RP1から後縁部22までの距離Lts1を基準スラット120における距離Lts0よりも長くすることで、後縁部22における圧力変動を減少させて低騒音化を図るようにしている。
【0041】
図7は、図6に示すスラット201における着陸時の流れ場の一例を示す数値シミュレーション結果である。
同図に示すように、カスプ部23から剥離したせん断層は、下面部24に渦状の逆流領域を形成し、この逆流領域の形成に伴い、せん断層の乱流が生成される。生成された乱流せん断層は、膨出部25に再付着した後、スラット201と母翼10との間の隙間G1を通過する。
【0042】
騒音は主に、乱流せん断層が付着する膨出部25上の再付着点RP1における圧力変動と、後縁部22における圧力変動とによって発生する。本構成例においては、再付着点RP1が膨出部25上に位置するため、後縁部22が基準スラット120の後縁部122に対して伸長されたことと合わせて、再付着RP1から後縁部22までの沿面距離である距離Lts1を上述の基準スラット120における距離Lts0(図3参照)よりも長くすることができる。これにより、再付着点RP1における大きな圧力変動を後縁部22に向かってより減衰させ、後縁部22における圧力変動を減少させることができるため、基準スラット120の形状と比較して、騒音レベルの低下を図ることができる。
【0043】
(オーバーラップ量について)
スラット201の後縁部22と母翼10との間のオーバーラップ量(OL量)は、図6に示すように、母翼前縁10aに対する最大展開時におけるスラット201の翼弦線上で測った後縁部22と母翼前縁10aとの間の距離(OL)をいう。
つまり、スラット201の翼弦長(スラット翼弦長)をCs、母翼前縁10aに対する最大展開時におけるスラット201の翼弦線上で測った前縁部21と母翼前縁10aとの間の距離(第1の距離)をCs*としたとき、オーバーラップ量OLは、以下のように表される。
OL=Cs-Cs*
以下の説明では、上記第1の距離Cs*を、基準長Cs*ともいう。
【0044】
オーバーラップ量OLは、距離Lts1を長くするためには、より大きい方が好ましい。しかし、必要以上にオーバーラップ量OLを大きくしても、騒音低減効果が停滞するだけでなく重量が増加するため好ましくない。このため、オーバーラップ量OLは、基準長Cs*の35%以下(OL≦35%Cs*)に抑えておく方が好ましい。つまり、オーバーラップ量OLの最適パラメータの範囲は、
0%≦(OL/Cs*)≦35%
である。
【0045】
後縁部22の伸長量は、翼長方向の全領域において一様であってもよいし、少なくとも一部の領域が後縁伸長部として形成されてもよいし、領域に応じて伸長量が異なっていてもよい。例えば図3に示すように、スラット支持装置51の位置等に合わせて、後縁部22の一部の領域に、後縁部22よりも長く伸長された後縁伸長部22eが形成されてもよい。さらに、翼長方向の任意の位置ごとに後縁部22の伸長量が35%Cs*以下の範囲で最適化されてもよい。
【0046】
後縁伸長部22eは、スラット201の後縁部22と一体的に形成されてもよいが、後縁部22の一部に付加的に設けられてもよい。この場合、後縁伸長部22eは、後縁伸長部22eの先端部と母翼前縁10aとの間の距離であるオーバーラップ量OLを調整する調整部材として構成される。この調整部材は、後縁部22のスパン方向全域にわたって取り付けられてもよいし、後縁部22の任意の領域に局所的に取り付けられてもよい。この調整部材は、例えば、アルミニウム合金やステンレス鋼等の金属材料、あるいは、CFRPやGFRP等の複合材料で構成される。調整部材の形状も特に限定されず、例えば台形形状である。
【0047】
続いて、膨出部25について説明する。
【0048】
膨出部25は、下面部24上における乱流せん断層の再付着領域に設けられる。膨出部25が母翼10側に凸なる湾曲形状に形成されることにより、乱流せん断層の再付着点RP1と後縁部22との間の沿面距離である距離Lts1を、基準スラット120のそれよりも長くすることができる。
【0049】
膨出部25は、典型的には、翼長方向にわたって形成される。翼長方向に垂直な膨出部25の断面形状は、翼長方向において一様であってもよいし、翼長方向における再付着点位置の変化、圧力変動分布等に応じて、翼長方向の任意の位置で膨出部の形状が低騒音化、空力的、構造的に最適化されてもよい。
例えば、気流の構造が大きく異なるスラット20(図1参照)の内側の端部および外側の端部の近傍領域、あるいは、スラット支持装置51(図2,3参照)の近傍領域などでは、それ以外の領域よりも膨出部25の厚みを小さくするなど、スラット支持装置51の近傍領域とそれ以外の領域との間で膨出部25の断面形状を異ならせてもよい。
【0050】
膨出部25は、下面部24と一体的に形成(下面部24の一部を湾曲させることで形成)されてもよいし、下面部24の一部の領域に付加される、下面部25の構成部材とは異なる別途の部材であってもよい。
【0051】
母翼前縁10aに対するスラット201の収納性という観点から、膨出部25は、図8に示すように、収納時において母翼前縁10aに沿って変形可能に構成されるのが好ましい。これにより、巡航時における主翼10の目的とする空力性能を確保することができる。この場合、膨出部25は、展開時に目的とする形状に膨張し、収納時に潰れることが可能な材料(弾性材料、形状記憶合金など)あるいは各種機構部(リンク機構など)を内蔵する構造体で構成される。
【0052】
(膨出部の形状)
膨出部25は、上述のように乱流せん断層の再付着点RP1と後縁部22との間の距離Lts1を基準スラット120における距離Lts0よりも長くすることができるが、大きく膨らませると、母翼前縁10aとの間の流れを加速する結果、空力性能の劣化と再付着点RP1における圧力変動の増加による、騒音の増加をもたらす。従って、膨出部25を最小化する上で、再付着点RP1が膨出部の頂部25pに来るように形状を定めることが最適である。
また、後述するように、再付着点RP1周辺の曲率が小さいか、負になる(母翼前縁10aから見て凹になる)場合、再付着点RP1の圧力変動増加に伴って騒音が増えるため、再付着点RP1周辺の曲率は、ある程度の大きさの正の曲率を持つ(母翼前縁10aから見て凸になる)形状とすることが好ましい。
【0053】
(膨出部の厚み)
膨出部25の頂部25pは、典型的には、膨出部25における最大厚みδ(図6参照)の点に相当する。最大厚みδの点とは、下面部24からの高さが最大の点をいう。ここでいう下面部24とは高さの基準となる面であり、膨出部25が下面部24と一体的に形成される場合には、膨出部25が無いと仮定したときに下面部24として形成されるべき仮想的な曲面をいい、膨出部25が下面部24とは別部材で形成される場合には、膨出部25が設置される下面部24の領域をいう。そして、膨出部25の最大厚みδは、上記基準となる面に対して垂直方向の厚さの最大値をいう。
【0054】
(頂部の幅)
再付着点PR1周辺の曲率が膨出部25による低騒音化効果に影響を与えること、また、着陸進入時の飛行状態の変化(例えば迎角の変化)に合わせ、再付着点RP1が膨出部25の表面上で移動することを想定すると、頂部25pは膨出部25の厚みのオーダーの幅をもつ範囲と考えるべきである。そこで、頂部25pは、図9に示すように、翼長方向に垂直なスラット201の段面形状において、膨出部25の最大厚みδの点を頂点Cとしたとき、その頂点Cを挟む膨出部25上の2つの点A,Bの間の領域をいう。典型的には、点Aは、頂点Cから前縁部21側に膨出部25の表面に沿って最大厚みδに相当する距離δだけ離れた位置、また、点Bは、頂点Cから後縁部22側に膨出部25の表面に沿って同じく距離δだけ離れた位置である。
【0055】
(頂部の曲面)
膨出部25の頂部25pは、上述のように、ある程度の大きさの正の曲率を持つ必要があるが、一定曲率の曲面で形成されてもよいし、連続的にあるいは領域ごとに曲率が異なる複合曲面であってもよい。また、頂部25pの一部に平面が含まれていてもよいし、頂部25pの全域が全体で凸になるような折れ曲がり面(例えば、曲面に内接する部分多角形面形状)で形成されてもよい。
【0056】
(頂部の位置)
膨出部25の頂部25pの位置は、上述のように、再付着点PR1によって決めることが好ましい。再付着点PR1のスラット201の翼弦線に沿った方向での後縁部22からの距離は、スラット201の設計条件および膨出部25の最大厚みδにより大きく変わる。頂部25pの位置は、最大厚みδが増えるとともに後縁部22からより離れる。
【0057】
(頂部から後縁部にかけての形状)
翼長方向に垂直な断面形状において、図9に示す、膨出部25の頂部25pの点Bより後縁部22側の領域は、境界層の乱流を増やさないようにするために、連続的な曲線に形成されることが好ましい。
なお、当該曲線は、膨出部25が無い場合と同様に後縁部22近傍で揚力を得るとともに、膨出部25周辺の流れの速度を低く保ち、再付着点RP1において余計な圧力変動を増やさないために、膨出部25とは逆に母翼前縁10aに対して凹となる湾曲形状に形成されてもよい。
【0058】
(頂部から下面部、カスプ部にかけての形状)
翼長方向に垂直な断面形状において、図9に示す、膨出部25の頂部25pの点Aよりカスプ部23側の下面部24にいたる領域は、逆流した遅い流れの中にあるために、必ずしも連続的な曲線で形成される必要はない。例えば、図9に示すように下面部24と繋がる点では接線が不連続となっていても良く、また頂部25pよりも大きな曲率を持つ曲線、もしくは折れ曲がり線で形成されてもよい。
【0059】
続いて、膨出部25の各部の形状パラメータについて説明する。
【0060】
(膨出部の最大厚み)
せん断層の再付着点RP1と後縁部22との間の距離Lts1を長くして低騒音化効果を得るためには、膨出部25の最大厚みδは、例えば、基準長Cs*図6参照)の5%以上であることが望ましい。なお、膨出部25の最大厚みδは、膨出部25の頂部25pの位置における膨出部25の下面部24からの高さに相当する。
【0061】
膨出部25の最大厚みδは大きいほど距離Lts1は長くなるが、一方で母翼前縁10aとの間の流路幅を狭めてしまう。これはスラット201の空力性能の低下と余分な騒音の増加をもたらす。このため、膨出部25の最大厚みδは、例えば、基準長Cs*の15%以下であることが好ましい。つまり、膨出部25の最大厚みδの最適パラメータの範囲は、
5%≦(δ/Cs*)≦15%
である。
【0062】
(膨出部の位置)
ここでは、膨出部25の位置を、図6に示すように、母翼前縁10aから膨出部25の最大厚みの点(頂部25pに相当)までのスラット201の翼弦線方向の距離L*(第2の距離)で表す。
距離L*の下限は、厚みδの最小値(5%Cs*)の膨出部25を後縁部22付近に設置できる限界から、例えば、基準長Cs*の10%以上である。
一方、距離L*の上限は、典型的なスラット設計における再付着点と、厚みδの最大値(15%Cs*)の膨出部25を設置することを考慮すると、最大でも基準長Cs*の40%以下になる。
そうすると、膨出部25の位置の最適パラメータの範囲は、
10%≦(L*/Cs*)≦40%
である。
【0063】
(膨出部の頂部の平均曲率)
膨出部25の頂部25pの平均曲率とは、図9に示す点A、B間の頂部25pの範囲における膨出部25の曲線ABの局所的な曲率κiを、当該曲線ABの長さsで重み平均した曲率(κ=∫κids/∫ds)をいう。また、頂部25pの平均曲率半径Rは、平均曲率κの逆数(1/κ)に相当する。頂部25pは、上述のように、一定の曲面もしくは複合的な曲面、または一部に平面を含む面などで形成される。
【0064】
せん断層の再付着点RP1と後縁部22との間の距離Lts1の増加による低騒音化効果を出すためには、膨出部25pの平均曲率半径Rは、基準長Cs*の50%以下であることが好ましい。一方、平均曲率半径Rが基準長Cs*の10%未満と小さい場合には、飛行条件が変化(例えば迎角が変化)する際に低騒音化効果を得ることが難しい。
【0065】
このため、膨出部25の頂部25pの曲率半径の最適パラメータの範囲は、
10%≦(R/Cs*)≦50%
であり、頂部25pの平均曲率κの最適パラメータの範囲は、
2≦κCs*≦10
つまり、基準長Cs*の逆数の2倍以上10倍以下である。
【0066】
なお、以上の構成例1では、基準スラット120との相違点が、後縁部22が母翼10側に伸長している点、膨出部25が設けられている点の双方である場合を例に挙げて説明したが、基準スラット120に膨出部25のみを付加した構成例も勿論本発明は適用可能である。膨出部25の付加により、上述のように乱流せん断層の再付着点と後縁部との間の沿面距離を基準スラット120における距離Lts0よりも長くすることができる。これにより、再付着点における大きな圧力変動を後縁部に向かってより減衰させ、後縁部における圧力変動を減少させることができるため、基準スラット120の形状と比較して、騒音レベルの低下を図ることができる。
【0067】
<構成例2に係るスラット>
図10は、本実施形態に係る前縁高揚力装置としてのスラット20であって、構成例2に係るスラット202の主翼100の翼長方向に垂直な断面図である。ここでも構成例1(図6)と同様に、スラット202が母翼前縁10aに対して最大に展開(全開)した着陸時の状態を示す。
【0068】
スラット202は、前縁部21と、後縁部22と、カスプ部23と、下面部24と、上面部26とを有する。つまり、本構成例2に係るスラット202は、膨出部25を有しない点で構成例1と相違する。以下、構成例1と異なる構成について主に説明し、構成例1と同様の構成については同様の符号を付しその説明を省略または簡略化する。
【0069】
本構成例2では、後縁部22が母翼10側に伸長し、母翼10とのオーバーラップ量を増やしている点で、基準スラット120と相違する。このため本構成例における後縁部22は、基準スラット120に対して後縁部を母翼10側に伸長させた領域を後縁伸長部22fともいう。後縁伸長部22fの先端部は、後縁伸長部22fで伸長された後縁部22に相当する。
【0070】
後縁伸長部22fによる後縁部22の伸長量は、図10において、母翼前縁10aに対する最大展開時におけるスラット202の翼弦線上で測った前縁部21と母翼前縁10aとの間の距離(第1の距離)を基準距離Cs*としたとき、母翼前縁10aに対する最大展開時におけるスラット202の翼弦線上で測った後縁伸長部22fの先端部と母翼前縁10aとの距離であるオーバーラップ量OLが、後述するように基準距離Cs*の10%以上35%以下となるように設定される。
【0071】
図11は、図10に示すスラット202における着陸時の流れ場の一例を示す数値シミュレーション結果である。
同図に示すように、カスプ部23から剥離したせん断層は、下面部24に渦状の逆流領域を形成し、この逆流領域の形成に伴い、せん断層の乱流が生成される。生成された乱流せん断層は、下面部24に再付着した後、スラット202と母翼10との間の隙間G2を通過する。
【0072】
騒音は主に、乱流せん断層が付着する下面部24上の再付着点RP2における圧力変動と、後縁部22における圧力変動とによって発生する。本構成例においては、後縁部22が後縁伸長部22fにより基準スラット120の後縁部122に対して伸長されているため、再付着RP2から後縁部22までの沿面距離である距離Lts2を上述の基準スラット120における距離Lts0(図4参照)よりも長くすることができる。これにより、再付着点RP2における大きな圧力変動を後縁部22に向かって減衰させ、後縁部22における圧力変動を減少させることができるため、基準スラット120の形状と比較して、騒音レベルの低下を図ることができる。
【0073】
(オーバーラップ量について)
スラット202の後縁部22と母翼10との間のオーバーラップ量OLは、構成例1と同様に、母翼前縁10aに対する最大展開時におけるスラット201の翼弦線上で測った後縁部22と母翼前縁10aとの間の距離をいう(図10参照)。
オーバーラップ量OLは、低騒音化効果を得るために、膨出部25が無いことを補う距離Lts2が必要となり、少なくとも基準長Cs*の10%以上(OL≧10%Cs*)が好ましい。一方、距離Lts2を長くするために、オーバーラップ量OLを大きくし過ぎると、騒音低減効果が停滞するだけでなく重量が増加するため好ましくない。オーバーラップ量OLは、基準長Cs*の35%以下(OL≦35%Cs*)に抑えておく方が好ましい。これにより、スラット202の目的とする空力性能を確保しつつ、騒音を効果的に低減することができる。
【0074】
一方、主翼100のエンジン40より内舷側では、オーバーラップ量OLが10%Cs*以上になることがあるが、スラット20とフラップ30を収納した巡航形態の主翼100の翼弦長Cstow(図8参照)に対する基準長Cs*の相対比(Cs*/Cstow)が10%以下では、スラット20全体が母翼10に近づきすぎているため、後縁部22の伸長による低騒音化を効果的に示すことができない。また、上記相対比(Cs*/Cstow)が20%以上では、構造上、スラット20が母翼10に対して相対的に大きくなりすぎる。
【0075】
このため、本構成例2におけるオーバーラップ量OLの最適パラメータの範囲は、
10%≦(OL/Cs*)≦35%、かつ、10%≦(Cs*/Cstow)≦20%
である。
【0076】
本構成例においても、後縁部22の伸長量は、翼長方向において一様であってもよいし、少なくとも一部の領域が後縁伸長部22fとして形成されてもよい。後縁伸長部22fは、既存のスラットの後縁部に付加された別部材で形成されてもよい。例えば図12に、本実施形態の前縁高揚力装置(スラット20)の他の構成例として、図4に示す基準スラット120の後縁部122に、その伸長量を調整可能な調整部材150を付加したスラット203を模式的に示す。同図において調整部材150は、基準スラット120の後縁部122を任意の調整量Wだけ伸長させて後縁部22を形成する。同図に示すように、調整部材150は、下面部124または上面部126の一部に重ねて配置されることで、後縁部122に後縁伸長部22fを形成する。調整部材150は、例えば、アルミニウム合金やステンレス鋼等の金属材料、あるいは、CFRPやGFRP等の複合材料で構成される。後縁部の伸長領域の形状も特に限定されず、一部の領域に配置される場合は、例えば図3に示す後縁伸長部22eのように台形形状である。
【0077】
図12に示すスラット203においては、母翼前縁10aに対する最大展開時におけるスラット203の翼弦線上で測った後縁伸長部22fの先端部と母翼前縁10aとの間の距離であるオーバーラップ量OLの最適パラメータの範囲は、構成例2と同様に、
10%≦(OL/Cs*)≦35%、かつ、10%≦(Cs*/Cstow)≦20%
である。
【0078】
<特性評価>
図13は、騒音発生の原因となるスラット後縁部の圧力変動の様子を示す数値シミュレーション結果であり、Aは基準スラット120、Bは構成例1に係るスラット201、および、Cは構成例2に係るスラット202の各例を示している。
ここでは、基準スラット120のせん断層の再付着点RP0と後縁部122との距離(Lts0)は13%Cs*であった。
また、構成例1に係るスラット201における膨出部25の最大厚みδを7%Cs*、後縁伸長量を11%Cs*としたところ、せん断層の再付着点RP1と後縁部22との距離(Lts1)は32%Cs*であった。
さらに、構成例2に係るスラット202における後縁伸長量を20%Cs*としたとき、せん断層の再付着点RP2と後縁部22との距離(Lts2)は33%Cs*であった。
【0079】
図13A~Cに示すように、スラットの流れの特性として、スラット後縁(図中TE(後縁部122,22に相当)と母翼10との隙間を通過する流量、ならびにカスプ部の位置を大きく変更しなければ、コブ(下面部)の乱流せん断層がスラット下面に再付着する位置(再付着点RP0、RP1、RP2)は、主翼の翼弦方向にはほとんど変化しない。
【0080】
本発明では、この特性を利用して、騒音の原因となるスラット後縁TE(後縁部22)の圧力変動を減少させる。
すなわち本発明では、図7および図11に示したように、スラット下面に膨出部25を設ける、あるいは、後縁部22を伸長させることにより、再付着点RP1,RP2から後縁部22までの距離Lts1,Lts2を増やし、再付着点RP1,RP2から後縁部22に向かう圧力変動をより減衰させ、後縁部22での圧力変動を減少させる。
その結果、図13B,Cに示すように、スラット後縁TEでの圧力変動が、基準スラット120の圧力変動(図13A)に比べて減っていることがわかる。
【0081】
続いて図14は、リージョナルジェット機のスケールでスラットの騒音評価を行ったときの全音圧レベル(OASPL)指向性の数値シミュレーション結果を示している。解析に用いたスラットは、以下の7種類である。
・スラット1:基準スラット(OL量-7%Cs*
・スラット2:後縁伸長量7%Cs*(OL量1%Cs*)のスラット
・スラット3:後縁伸長量11%Cs*(OL量5%Cs*)のスラット
・スラット4:後縁伸長量20%Cs*(OL量14%Cs*)のスラット
・スラット5:後縁伸長量7%Cs*、膨出部(平均曲率κ=4.1/Cs*)のスラット
・スラット6:後縁伸長量11%Cs*、膨出部(平均曲率κ=4.3/Cs*)のスラット
・スラット7:後縁伸長量20%Cs*、膨出部(平均曲率κ=4.9/Cs*)のスラット
【0082】
図14に示すように、スラット2~7は、スラット1に比べて、全方位で大きな低騒音化が認められる。特に地上方向(270度方向)の騒音低減量は、スラット2が4dB、スラット3が6dB、スラット4が9dB、スラット5が8dB、スラット6が10dB、スラット7が12dBというように大幅な低騒音化効果が得られている。すなわち、後縁伸長のみのスラット2~4では4dBから9dB、そして、これらに膨出部(平均曲率4/Cs*以上)を追加したスラット5~7では、さらに4dB程度の低騒音化が得られる。
【0083】
なお、図14に示す評価例では、スラット1に係る基準スラットのOL量を-7%Cs*としたが、既存のスラットのOL量が0%Cs*前後の場合であることが多いことから、スラット2,3のOL量では4dB以上の低騒音化効果を得ることができないことが想定される。このようにOL量が0%Cs*前後の基準スラットに対して有意の低騒音化効果を得るためには、膨出部が無い場合、基準スラットに対する後縁伸長量は10%Cs*以上であることが好ましい。
【0084】
図15は、スラット1,3、4,6の揚力特性の数値シミュレーション結果を示している。図において横軸は迎角、縦軸は揚力係数である。同図に示すように、スラット1,3、4,6のいずれについても最大揚力は基準形状のスラット1とほぼ同じであり、スラットの高揚力装置としての機能を維持できることが確認された。
【0085】
続いて図16は、図14に示したスラット1(基準スラット)の270度における全音圧レベルと比べたときのスラット2~7の騒音低減効果を示すグラフである。図中、横軸は、基準長Cs*図6参照)に対する再付着点と後縁部との距離Ltsの相対比(Lts/Cs*)であり、縦軸は、スラット1の270度における音圧レベルとの差分である。
【0086】
図16に示すように、基準長Cs*に対する距離Ltsの相対比が大きいスラット形状であるほど、騒音低減効果が高くなる傾向にある。
また、膨出部25を有する構成例1のスラット形状においては、膨出部25の頂部25pの平均曲率κに応じて騒音低減効果の程度が異なり、典型的には、平均曲率κが大きいほど、より大きな騒音低減効果が得られることが確認された。
【0087】
さらに、図16に示すようにスラット5~7において平均曲率κを任意に調整して騒音低減効果を確認したところ、平均曲率κが2.0/Cs*以上とすることにより、同じ後縁伸長量のスラット2~4よりも大きな騒音低減により効果的であることが確認された。特に平均曲率は、同図に破線で示す騒音推定曲線上あるいはその近傍程度の騒音低減効果を得られるように設定されるのが好ましい。
【0088】
<他の実施形態>
続いて、図17を参照して本発明の他の実施形態について説明する。本実施形態では、高揚力装置としてクルーガーフラップ320への適用例について説明する。
【0089】
図17は、本実施形態に係る前縁高揚力装置としてのクルーガーフラップ320の主翼300の翼長方向に垂直な断面図である。ここでは、クルーガーフラップ320が母翼前縁310aに対して最大に展開(全開)した状態を示す。
【0090】
クルーガーフラップ320は、スラット201と同様に、前縁部321と、後縁部322と、カスプ部323と、下面部324と、膨出部325とを有する。クルーガーフラップ320は、例えば、アルミニウム合金やステンレス鋼等の金属材料、あるいは、CFRP(炭素繊維強化プラスチック)やGFRP(ガラス繊維強化プラスチック)等の複合材料で構成される。
【0091】
後縁部322は、展開時において母翼310との間に隙間を形成する。
カスプ部323は、前縁部321の下縁に形成される。
下面部324は、カスプ部323と後縁部322との間に形成された凹面である。
膨出部325は、下面部324の表面に局所的に設けられ、翼長方向に垂直な断面形状において母翼310側に凸なる湾曲形状を有する。
【0092】
膨出部325は、下面部324上における乱流せん断層の再付着領域に設けられる。膨出部325が母翼310側に凸なる湾曲形状に形成されることにより、乱流せん断層の再付着点RP1と後縁22との間の沿面距離である距離Ltsを長くすることができる。これにより、後縁部322における圧力変動を減少させて低騒音化を図ることができる。
【0093】
膨出部325の詳細については、上述したスラット201における膨出部25と同様であるため、その説明は省略する。なお、クルーガーフラップ320は、母翼310の下面に設置された収容部311内に収納されるように構成されているため、膨出部325は母翼310の収納時に変形可能に構成される必要はない。
【0094】
後縁部322についても同様に、上述のスラット201,202における後縁部22と同様に構成することが可能である。この場合においても、母翼310とのオーバーラップ量が増えるように後縁部322が母翼10側に伸長させてもよい。これにより、下面部324における乱流せん断層の再付着点から後縁部322までの距離Ltsを長くすることができるため、後縁部322における圧力変動を減少させて低騒音化を図ることができる。
【0095】
さらに本実施形態においても、母翼前縁10aとのオーバーラップ量を調整する調整部材(図12参照)が同様に適用されてもよい。これにより、既存のクルーガーフラップに対して上記調整部材を付加することにより、上述と同様の作用効果を得ることができる。
【符号の説明】
【0096】
10,310…母翼
20、201,202,203…スラット(前縁高揚力装置)
21,321…前縁部
22,322…後縁部
22e,22f…後縁伸長部
23,323…カスプ部
24,324…下面部
25,325…膨出部
150…調整部材
320…クルーガーフラップ(前縁高揚力装置)
図1
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図17